2019年8月8日 滋賀県
旧西郷屋敷長屋門 彦根市指定文化財
滋賀県彦根市金亀町
旧西郷屋敷長屋門は、彦根城下では現存する長屋門中最大のもので、特に正面の外観はほとんど旧形を保ち、旧武家屋敷の面影を残す貴重な遺構で、市指定文化財です。
cosmophantom
2019年8月8日 滋賀県
旧西郷屋敷長屋門 彦根市指定文化財
滋賀県彦根市金亀町
旧西郷屋敷長屋門は、彦根城下では現存する長屋門中最大のもので、特に正面の外観はほとんど旧形を保ち、旧武家屋敷の面影を残す貴重な遺構で、市指定文化財です。
cosmophantom
2019年8月8日 滋賀県
旧池田屋敷長屋門 彦根市指定文化財
滋賀県彦根市尾末町
旧池田屋敷長屋門は、彦根城の中掘に近い第三郭に建っています。かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯には、中級武家屋敷が広がっていました。当建造物は彦根藩中級武家屋敷の典型をなす貴重な長屋門として、昭和48年に彦根市指定文化財に指定しています。
cosmophantom
2019年5月8日 【同期と行く日光】 栃木県
陽明門(日光東照宮) 国宝
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
▲天井に描かれた龍
cosmophantom
2017年12月27日 【一人でゆく九州2017】 福岡県
旧母里太兵衛邸長屋門 有形文化財
福岡県福岡市中央区城内
黒田24騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取ったという「酒は飲め飲め…。」の筑前今様で知られる豪傑母里太兵衛の邸宅に構えられたもので、武家屋敷長屋門として代表的な江戸時代の優れた建造物である。
なお、現在の天神二丁目の野村證券福岡支店の地は、母里太兵衛の当時の屋敷跡で、この長屋門はそこにあったが、昭和27年證券ビル建築のため取り除かれ、昭和40年現在地に復元されたものである。
cosmophantom
2017年12月25日 【一人でゆく九州2017】 鹿児島県
旧鹿児島刑務所正門 登録有形文化財
鹿児島県鹿児島市永吉町
司法技師山下啓次郎と太田毅コンビの設計になる明治中後期五大監獄(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)のひとつ。鹿児島のみ石造とする。正門を遺すだけであるが,甲突川の右岸に西洋中世城門風の偉容をみせている。鹿児島出身の山下啓次郎の代表作とされる。
▼表側
▼裏側
☆ ☆ 参考 ☆ ☆
▼千葉刑務所正門
▼金沢監獄正門
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
東京都東京都葛飾区 堀切菖蒲園にて(2018年6月15日撮影)
2018-06-16 05:58:05
☆cosmophantom
2018年3月8日 【CTで行く奈良・京都】 奈良県
東大寺・南大門2018
奈良県奈良市雑司町
南大門
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。
仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。
関連記事
2018-03-27 05:45:36
cosmophantom
2017年8月3日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県
大石邸長屋門と近藤源八宅跡長屋門 兵庫県赤穂市
兵庫県赤穂市上仮屋
大石邸長屋門
この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面長屋である。間口約26.8メートル奥行約4.8メートル建物で、屋根瓦には双っ巴の大石家の定紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。かっては、内蔵助と主税の親子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。安政三年(1856)に大修理が行われ、大正十二年国の史蹟に指定された。更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費3138万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。 赤穂義士会 説明板
近藤源八宅跡長屋門
近藤源八正憲は甲州流軍学を修め、千石番頭の重職あった。源八の妻は、大石内蔵助良雄の叔母にあたり、大石家とは親戚関係にあったが、最初から義盟には加わらなかった。源八の父である三郎左衛門正純も甲州流軍学者であり、兵法に則って赤穂城築城の縄張り設計を行った。近藤源八宅跡長屋門は、「源八長屋」の愛称で親しまれているが、現存している建物は長屋門の長屋部分である。門部分は、大石良雄宅跡長屋門の斜め向かいにあったと考えられ、長屋部分を四戸分に別け、それぞれ下級武士の住宅として使われていた。
現在は、その内の北端部の一戸とその南隣りの一戸の北端の一部屋が残されている。この長屋門は、18世紀以降に建て替えられたものと推察されるが、当時は総長21間半(約42.3m)の長大な長屋門であった。
城内に残された江戸期の建物は、大石良雄宅跡長屋門とこの近藤源八宅跡長屋門のみであり、礎石や、柱材、梁材、天井、瓦、壁等の一部を保存し、平成11年3月に解体復原整備が完了した。
入り口部分の土間は、炊事場であったと考えられ、煙出し窓や、天井周囲に残された煤(すす)が当時の生活ぶりを偲ばせている。また、簀子野地天井(すのこのじてんじょう)は建築当時の姿を保っており、屋外にある赤穂旧上水道の汲み出し枡(くみだします)とともに人気が高い。赤穂市教育委員会 説明板
cosmophantom
2016年12月27日 香川県
日下家住宅長屋門
香川県東かがわ市引田字畑方
旧街道沿いに西面する。桁行20m梁間3.9mの木造平屋建で、中央に間口3.9mの門口を開き、両開戸と両脇に潜りを吊る。入母屋造本瓦葺。出桁造の軒まで白漆喰で塗り込め、正面側には腰下見板張とし、出格子などを付ける。風格ある屋敷構えを見せる。文化遺産オンライン
☆cosmophantom
2015年11月1日 東京都
旧三岡家長屋門
東京都府中市・郷土の森
1829年(文政12)の創建と考えられる農家の長屋門です。江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた三岡家の分家に建てられていたものです。 中央部を門とし、その両側に部屋を設けた長屋門の一般的な形式をとっていて、多摩地域では標準的な大きさです。
まいまいず井戸
まいまいず井戸とは、地面を大きくすり鉢状に掘りくぼめ、その底面から掘り抜いたものです。「まいまい」はかたつむりの別名で、すり鉢状の窪みの斜面を螺旋状にくだって水を汲むことから命名されたと思われます。その分布は、武蔵野台地や伊豆諸島に集中し、地下水位の低い環境で生み出された形式と考えられ、地域によっては昭和30年代まで利用されていました。復元した遺構は、平安時代のもので、くだる道こそ確認できなかったものの、その形状や規模からまいまいず井戸のルーツと推定されます。復元にあたっては、羽村市五ノ神のものを参考とし、螺旋状の道を敷設しました。
☆cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
箕浦家武家門
鳥取県鳥取市尚徳町
県道323号を挟んで県庁と向かい合わせに立つ、旧藩士箕浦家二千石の武家門。堂々とした白壁造りで、もとは鳥取城南側の堀端に住んでいた箕浦近江屋敷の表門だったが、昭和11年(1936)に鳥取県師範学校の校門として、この場所に移築された。現在は市内に唯一残る武家門として保存されている。
☆cosmophantom
2016年8月26日 山口県
常念寺表門 重要文化財
山口県萩市下五間町
常念寺の境内にある表門は、ひかえ柱をもった桁行3.66m、梁間3.12mの四脚門で、切妻造り本瓦葺きで、両袖にくぐり戸がついています。寺伝によれば、この門は、もと京都聚楽第にあった裏門とされ、これを豊臣秀吉から毛利輝元がもらい受けて伏見の自邸に移建し、のちに輝元が萩城内に移し、さらに常念寺に移したといわれています。
cosmophantom
2016年8月25日 山口県
奥平家長屋門
山口県萩市土原
この門は同家の表門で西に面し、寄棟造桟瓦葺、桁行26.65m、梁間5.0mの長い建物である。門構えは中央からやや南に片寄って幅3.87mの通路があり、入口は袖壁付き片引板戸を建てている。内部の部屋は通路の南側に3室と土間・板の間があり、通路の北側には床や仏壇構えのある部屋など9室と土間および縁がある。道路に面した西側には4箇所の出格子窓があり腰部は下見板張りとし、上部は外大壁である。建築年代は技法などからみて、19世紀初頭のものと思われるが、門構えや出格子など当初の形態をよく残している。 ぶらり萩あるき
cosmophantom
2016年8月25日 山口県
小川家長屋門
山口県萩市土原
小川家は萩藩の大組士(500石)で、藩政末期の当主小川厚狭佐(こがわあさのすけ)は慶応元年(1865)から明治元年(1868)までの3年間萩町奉行を勤めた。この長屋門は同家の表門で、木造平屋建入母屋造桟瓦葺、桁行27.39m、梁間6.0mのかなり長い建物である。門構えはほぼ中央付近に幅2間の通路があり、正面から1.5m入った所に冠木を架け、入口は袖壁付きの観音開きになっている。北側の屋根及び妻部分には改造した跡があり、本来の姿ではないのが惜しまれる。 ぶらり萩あるき
☆cosmophantom
2016年8月24日 山口県
旧山口藩庁門
山口県山口市滝町
この藩庁門は、毛利敬親が幕末の文久3年(1863)12月に一露山の麓、今の県庁の位置に藩庁の移転を計画し、慶応3年(1867)に竣工しました。この門はその藩庁の正門で、脇門付薬医門で、切妻造り、平入り、本瓦葺きです。西の京やまぐち
cosmophantom