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2015年4月29日 目指すは日光東照宮 6回目
鞘堂地蔵
寛政六年(1794)に書かれた天保十四年(1843)に発行された紀行文によれば室町時代には足利義満が将軍の時代には将軍と将軍が争うことが多くこの地方でも小山と宇都宮の合戦が発生し戦争の中心地となったところです 茂原合戦ともいわれています
この地内には地蔵院とゆうお寺がありました戦争で焼かれた多くの人々が亡くなりました村人達は戦死者の散乱した刀の鞘を拾い集めてお寺の焼後に埋め小さなお堂を造りその中に石仏の地蔵様を安置しました それが鞘堂とゆう地名になったそうです 明治・大正・昭和の初めには地蔵尊入口両面には桜の並木があり安産地蔵様として親しまれ、お祭には露天商がたち並び手づくりの舞台で演劇や踊りで大勢の参拝客で賑わいました。今ではその桜の木もなくなり昭和五十三年にお堂も老朽化で解体され大勢の方々のご協力により御覧のようなお堂が新築されました地蔵尊の中には地蔵様の頭五~六寸大と、日本画で全身像が額縁で安置されています 鞘堂のお墓にはお寺の住職のお墓もあり、寺田とゆう地名も残っています鞘堂地蔵尊は安産地蔵として古くから男の子は白、女の子は赤と、細い紐を作り安産のあとに二本かいすことになっています このように鞘堂地蔵尊はこの地の名所として古くから知られているようです。 念ずれば花ひらく
お祭り(縁日)旧三月二十四日 壱万灯 六月二十四日 鞘堂自治会
本文 ☆cosmophantom