台鐵縦貫線松山車站(台北市)
民國94年7月15日撮影
TRA Songshan Station
Taipei, Taiwan, Friday, 15th July 2005
松山 Songshan。出口は線路を挟んで2ヶ所あるようだが、月台(プラットフォーム)の番号が南側から1、2と振られているので、南側が表口だろうと考え、誇線橋をそちらへ向かう。日本の国鉄(JR)の場合、駅長室のある方から1、2と振られていた(現在、例外は多い)。駅構内は工事中で、誇線橋は架設のように思える。突き当たりが改札で、出たところに待合室がある。ここまで2階で、階段を降りた1階が切符売り場になっている。
例によって「莒光 35 松山→高雄」(キョ光、草冠に呂)と紙に書いて、窓口氏に差し出す。枚数を確認してすぐに発券された。664元(1元≒3.61円として約2,397円)。松山は台北の隣の駅だが、ここでは台北-高雄間の主な列車の票價(切符の値段)を紹介しよう。自強號845元(約3,050円)、莒光號651元(約2,350円)、復興號544元(約1,964円)。同区間のキロ数は東京-名古屋間に相当するそうで、参考までに新幹線〔のぞみ〕の運賃・料金は10,780円(通常期)、新幹線〔ひかり〕〔こだま〕の運賃・料金は10,580円(通常期)である。在来線でも快速〔ムーンライトながら〕の運賃・料金は6,600円(通常期)なので、3分の1以下である。割安感がある。切符は買ったが、窓側の席を希望するのを忘れていた。
駅前を歩いてみる。ドラッグストアがあり、ティッシュペーパーが店頭に積まれているのは日本と同じ。片仮名で「ショクブツモノガタリ」と書かれたシャンプーが置いてあったが、日本の商品に片仮名の表示があっただろうか。隣は食堂で海鮮炒飯だったか80元で魅力的だが、莒光號の車内で昼食のつもりである。語学学校が駅前にあるのも日本と同じだが、日本語の講座もある。駅に戻り、2階の待合室へ行く。
待合室には随分と客がいて、テレビを見たり、便當を食べたりしている。若い兵隊さんの集団もいる。売店として7-ELEVENが営業している。ダイドーの缶コーヒー(25元)を買って飲む。輸入ではなく台湾の製品。ダイドーのコーヒーの味がする。少し早いが月台に出るとする。改札口上の案内板にもまだ表示が出ていないから、改札掛のおばちゃんに切符に入鋏してもらう時に乗り場を尋ねる。3Aだそうだ。3でよかった。3なら日本語でも中国語でもサンである。「サンエーね?」と日本語で確認して月台に向かう。
日本では島式ホームがあれば、片側が1番線、ホームを挟んで反対側が2番線といった具合だが、台湾では島式ホームに数字を振って、その片側をA、ホームを挟んでBと名付けるようだ。日本の東京駅で例えると、中央線の1、2番線が1Aと1B、京浜東北線北行・山手線内回りの3、4番線が2Aと2B、山手線外回り・京浜東北線南行の5、6番線が3Aと3Bとなる訳だ。ちなみに松山の第二月台は工事中で使用していなかった。
第一月台に気動車が入線している。発車を見ると長大な編成である。日本では1両か2両の短い編成を見慣れている目からは羨ましいほどの長い編成である。鉄道好きで無いと、こんなものには喜びはしないのだが。第四月台の電気機関車を撮影する人がいる。台湾にも鉄道好きな人が!と思ったが、どうも日本人のような気がする。確認はしなかったけど。
第三月台のAに電気機関車に牽引された莒光號35次海線経由屏東行が入線してきた。ようやく電車ではなく、客車に乗って鉄道の旅ができる。停車していないのに扉は開いたままである。昔乗った岩徳線の旧式客車を思い出す。莒光號には冷房もあって設備はかなり違うのだが。停車してから乗りこんだ。切符に書かれた席に行くと、通路側の席であった。窗、通と表示があり、私の席番は間違い無く通だった。私は高雄に用事はないのである。車窓を見る事が唯一の用事なのである。車内は空いている。車掌に席を替えてもらえばいいと思っていた。列車は12時04分、松山を発車。すぐに地下のトンネルに入っていった。 (つづく)