旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

台湾日記 高雄散策

2005-07-29 11:00:49 | 台湾日記

高雄市立歴史博物館(高雄市)
民國94年7月16日撮影
KAOHSIUNG MUSEUM OF HISTORY
Kaohsiung, Taiwan, Saturday, 16th July 2005


民國94年7月16日星期六(土曜日)。空調の効いた部屋で大きな寝台に寝ているからか、よく眠れた。宿泊料金は安い文句無い。朝食券を持って1階フロント横の喫茶室へ。「早」と挨拶される。日本語の話せるおばちゃんから「おはようございます」と挨拶され、朝食は西洋式か、中国式か聞かれる。西洋式を頼むと、トースト、ソーセージ、サラダ、フルーツ、ジュースが運ばれてきた。味は普通だが、コーヒーは無い。出張らしき宿泊客、家族連れなど、次々と喫茶室にやってくる。「シー」とか聞こえたので西洋式を頼んでいるのだろう。「謝謝」といって席を立つ。「ありがとうございました」と日本語が返ってきたので、「ごちそうさまでした」と答える。結局、日本語スタッフはこのおばちゃんしか見なかった。

ここのホテルの部屋にも無料のミネラルウォーターのペットボトル(600ml)があり、有り難く頂戴してチェックアウトする。到頭冷蔵庫は冷えなかったので常温のままである。ホテルを出ると今日も暑い。毎日暑い。朝食営業をする飲食店。ホテルの朝食付きもお値打ちでよいが、こういった店で地元の人に交じって朝飯を食べてみたかった。中山一路を南下、ロータリーとなった交差点で中正四路を西へしばらく歩く。愛河に架かる中正大橋。釧路の幣舞橋や、新潟の万代橋を思い出す。


中正大橋(高雄市) 民國94年7月16日撮影
Chung Cheng Bridge, Kaohsiung, Taiwan
Saturday, 16th July 2005


橋を渡った愛河の右岸はかつての高雄の中心部で、昭和13年(1938)に建築された旧高雄市役所がある。民國34年(1945)からは高雄市政府として使われていたが、市政府の移転後、民國87年(1998)に高雄市立歴史博物館として正式開館している。時間がないので写真だけ撮る。中正大橋を渡り、左岸を川下へ歩く。この付近での釣りは禁止との表示があるが、一人釣り人がいる。何が釣れるのだろうか。川岸はきれいに整備されている。途中、川岸が客席となったレストランがあり、愛河を見ながら食事か楽しめるようになっている。川岸から道路へ戻り、河東路を渡ったところに高雄國賓大飯店がある。この辺り洒落ていて別世界である。

民生西路を東へ歩く。高級ホテルの近くだからか、日本語の看板を掲げた飲食店も見られる。どうもお腹が痛くなってきた。何か悪いものを食べたろうか。暑さと痛みで苦しい。タクシーを捕まえて駅まで行こうかと思うが、近距離なので利用しづらい。道路を渡ろうと右を見て左を見た瞬間、目の前をスクーターが通りすぎる。危うく接触するところだった。右見て左見ては習慣だから、右側通行と頭で判っていても直らない。スクーターも歩行者を優先される気なぞ無い。ぼやぼやして道路の横断は出来ない。この後は「渡るよお、渡るよお」と言いながら、車両を威嚇しながら横断するようになった。気が休まらない。

高雄牛乳大王がある。最初、その店名の聞いた時のインパクトは大きかった。高雄に行く時には必ず行こうと思った店である。今、目の前にその店がある。しかし今のお腹の具合で牛乳製品は無理である。残念ながら高雄牛乳大王は次回の高雄訪問までお預けである。ちなみに高尾牛乳大王は木瓜牛乳(パパイヤミルク)が有名で、サンドイッチなどの軽食を供するファストフード店である。店内には新聞を読みながら朝食をする客の姿が見えた。

無念だが高雄車站へ急ぐ。列車の発車時刻も迫る。お腹の痛みも待った無しである。中山一路に戻り、北上する。まだ1km強の距離がある。ロータリーのところまで戻る。ぐるりと遠回りさせれらるのが辛い。中山一路を挟んで反対側に宿泊していた凱得來大飯店が見える。駅まであと5分くらいか。道の反対側でなければ駆け込んだであろう。運河に架かる橋を初めて日中に渡る。高瀬川を少し広くしたくらいだが、こちらは決してきれいではない。ようやく高雄車站が見えた。お腹は痛いが、新旧の高雄車站の駅舎を撮影して、新駅舎に急いだ。 (つづく)