秋田駅から竿燈大通り東端の旭川に架かる二丁目橋までは、ほぼ真西に1キロ弱。
この区間の東西方向の車道は、3車線の一方通行路が南北に150メートルほど間を隔てて並んでいる。西向きは北側の「広小路」、東行きは南側の「中央通り」を通らなければならない。
この反時計回りの車の流れは、1974年から始まったそうだ。不評だという話も聞くし、たまに慣れない車が逆走しそうになって慌てているのを見ることがあるし、バス路線も上り/下りでバス停が違うなどの問題がある。でも個人的には、生まれた時からこうだったわけで、特になんとも思わない。
中心市街地活性化の一環で、最近の県議会で話題になったこともあるようだが、県警としては対面通行復活には消極的なようだ。
本記事と次の記事では、この2つの通りの間にある通り、「仲小路(なかこうじ)」を取り上げます。
仲小路という通りの名称の起源・由来を秋田市の広報紙「広報あきた」で調べてみると、1969年8月1日付423号に「
新道に「仲小路」の愛称」という記事があり、「
秋田駅正面の日通支店脇から産業会館に通ずる区画三号線に、このほど付近住民の希望で新しく愛称がつけられました。この愛称は「仲小路」といい人(にん) べんに中(なか)は人が集まるという意味。堅苦しくない愛称をつけることによって、文字どおり市の中心地としてその発展と親しみのある通りになってもらおうというものです。最近、貫通整備された区画三号線ですが、沿線住民の人たちは市民のみなさんも今後この呼び名に親しんでくれるよう呼びかけています。」
※「日通支店」は、今のヨーカドーの並びにあったようだ。「産業会館」については後述。
新しく整備された道が親しまれて発展することを願って1969(昭和44)年に命名されたようだ。
この記事では、秋田駅から二丁目橋へ向かって、仲小路を紹介します。
※次回記事での説明の都合上、写真に[ ]で囲った番号を付けます。すべてを掲載順通りに同じ日に撮影したものではありません。

[1]秋田駅構内・駅ビル「トピコ」前
秋田駅中央改札口を出て、東西自由通路「ぽぽろーど」を右(西)へ進み、道路を越える。かつては地下道で潜って越え、裏通りっぽい所だった記憶があるが、現在はぽぽろーどに続く「大屋根」が整備されて明るくなった。
※大屋根に関する関連記事は
こちら

[2]イトーヨーカドー秋田店前で地上へ下りる
歩行者専用でゆったり歩くことができ、秋田西武や喫茶店、公営駐車場出入口(車でなく人の)などが並ぶ。平日はひっそりしていることもあるが、この時は日曜の10時前なのに、思いのほか人が歩いていた。
大屋根が途切れる旧「ニューたけや」より先は、車両も通る(西向きの一方通行)。客待ちタクシーや荷物の積み卸しのトラックで混沌としている場合もあるので、注意。
※「ニューたけや」は「ニュー金座街ビル」として7月オープンを目指して改装中とのこと。

[3]雪の夜。メタセコイアの枝にも雪
駅から300メートルほどにメタセコイアの大木があり、そこが大きな通り(手形陸橋~脳研~市民市場~南大通り)との交差点。

[4]南西角(写真正面)にある建物が「ゆうちょ銀行秋田店」
かつて(民営化前)は「秋田地方貯金局」→「秋田貯金事務センター」→「郵便貯金秋田センター」などと改称を重ねており、年配の人は今でも「貯金局」と呼んだりする。
ところで、現在のここは秋田県内に1つしかない、「ゆうちょ銀行の直営店」。(秋田中央郵便局を始めとする他の郵便局は、郵便局会社がゆうちょ銀行の代理店として銀行業務を行っている)
そしてここは「ゆうちょ銀行の店舗」ではあるが、「郵便局」ではない。したがって、郵貯関係の業務をするだけであって、ここで切手を買ったり、簡保の手続きは出来ない。(前にポストはある)
なお、ゆうちょ銀行の直営店は全国に223店あるが、大部分が郵便局と同じ建物(例えば仙台中郵便局など)に同居しているが、局外に独立して存在するのは、秋田店と郡山店の2店だけ。
貯金業務しかやっていないのは不便な気がするが、元々郵便局は存在せず、貯金の窓口もなかった(ATMとナントカ相談センターはあった)場所に、新たに郵貯専門とはいえ窓口が出来たのだから、サービス向上ととらえるべきだと思う。
少なくとも、未だにATMが硬貨入出金に対応していないようなレベルの、秋田の2地方銀行よりはサービスがいいんじゃない?
※ゆうちょ銀行秋田店内のATMは店舗営業時間のみ稼働だが、店外(交差点前)にも1台あり休日も稼働している。また、近くに秋田駅前郵便局がある。
※
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話を戻して(というかまた逸れて)、この交差点、歩行者の待ち時間が異常に長い。新聞か何かで誰かも驚いていた。
秋田県公安委員会(県警)では、車両をすべて止めて歩行者を横断させる「歩車分離式信号」設置を進めている(いた?)のだが、ここも該当する。
交通安全のためにはやむを得ない面もあるが、この交差点の場合、一考の余地があると思う。(前よりは多少改善された気もするが)
車用が青(歩行者が赤)なのに、車が来ないことが多いのだ。

[5]その隙に信号無視する人がよくいる
というか僕もします。(安全には充分注意し、小さな子どもがいる時にはしないように心がけてはいますが)のんきに待っている人の方が多いのが秋田人らしい。
ここの両隣の交差点は、広小路の「久保田町」と中央通りの「市民市場入口」の両交差点。それぞれ100メートルも離れていない。両交差点も歩車分離式であるためか、この約200メートル弱の区間に、まったく車が流入しないタイミングが生じるようだ。
その一方、歩行者用が青(車用が赤)になると

[6]隣から車が来て赤信号に引っかかる
時間帯によっては車が渋滞していることもあるが、たいていはガラガラの車道の前で歩行者が待たされているのが現状。歩行者が無駄な足止めを食らっていることになり、ここで市街地への人の流れをせき止めてしまっているとは考えられないだろうか。
両隣の信号に連動して、この交差点の信号を制御することはできないものだろうか。
【28日補足】現状は広小路内、中央通り内それぞれの信号間(東西方向)は連動していると思われる。しかし、広小路と中央通りが(南北方向)連動しているかは怪しいし、この仲小路の交差点は完全に独立して動いているように見える。それをうまく連係できないかということ。
【2012年1月29日追記】2011年末頃から、ここの信号サイクルが変わっている。
赤信号・青信号とも時間が短く(サイクルが早く)なり、歩行者の待ち時間は確実に減った。青の時間はかなり短い(音響信号の「ピヨ」が10回鳴くか鳴かないかくらいか)。今までの感覚だと戸惑うものの、渡り切れないほど短くはなく、車両の渋滞などが発生するわけでもないし、ひとつの解決策ではあるだろう。
やっと仲小路に戻ります。
交差点の先は秋田市立千秋美術館などが入る「秋田総合生活文化会館・美術館 “アトリオン”」や東北電力もあるが、小さなしゃれたお店がまとまっている。

[7]西へ向かってごくわずかに傾斜している
ハロウィンやクリスマスにはイベントが行われるなど、空洞化著しい隣の広小路とは違って、商店街らしいエリアだと思う。

[8]「木もれ陽の街 ふれあい通りなかこう~じマップ」
2年前の夏に仲小路振興会が作成したと思われる、上のような地図が数か所に掲示されていた。左右の縮尺はデタラメで、ぽぽろーどから明徳館高校(後述)のエリアの幅がかなり広くなっている。それだけ、この区間に店が多いということだ。

[9]ブロック敷きが歩行者区画
上の写真では、アスファルト舗装の車道部分が全幅に比べて狭く、植え込みがあったりして、意図的に直線にしていないことが分かる。
これは車両の速度を落とさせることが目的。
松江市にも似たような道路があった。1980年代中盤にこのように改良された記憶がある(それ以前の記憶はない)。
広報あきた1983年5月1日付918号の「
仲小路通りをコミュニテイ道路に/ふれあい通りのデザインまとまる/今月下旬に着工」という記事で
「
快適な歩行者空間を拡大し、歩行者と車の共存をめざすという新しい試みで、通称仲小路通りの秋田駅前から産業会館まで、全長約九百メートルをコミュニティ道路に造り替えるものです。」、「
幅八メートルの道路の両側に二~三メートルの歩道を設け、真ん中の車道はジグザグにして車のスピードを制限。歩道には、枯れ草色のカラー舗装をするほか、樹木や花壇、ベンチなどを配し、歩行者が憩えるようにします。また、交差点には、秋田フキや竿灯などのブロック表示をして郷土色を出します。」などと紹介されている。928号によれば総事業費は約1億7千万円。竣工式が行われた模様が1985年11月1日付1008号「
10月25日竣工式 仲小路コミュニティ道路が完成」で「
美観の面でも好ましくない電柱を路上から取り除くとともに、交通標識を小さくしたり、信号機をシンプルなものにするなど、都市景観という面でも配慮しています。」と紹介されている。(交差点のブロック表示等、現在は廃止されたものもある)

[10]秋田駅から550メートルほど。商店が途切れる交差点に達する
右にあるビルは、2005年にできた県などの教育・福祉関連の複合ビル「明徳館ビル」。「県立明徳館高等学校」などが入る。
先日の「叡陵高校」の一件の際少し触れた通り、20年も前から近くに「秋田市立中央図書館“明徳館”」があるのに、重複する「明徳館」とあえて命名した、秋田県(県教委)の考えが僕には理解できない。
とはいえ、駅からここまで、高校の生徒である若者が歩く姿をよく見かける(定時制・単位制だから、生徒の年齢も登下校時間もまちまち。昨日は通信制の登校日だったのか日曜なのに生徒がいた)が、それが多少なりとも街の賑わいになっているのもまた事実。
さて、その交差点からさらに1つ先の交差点まで、100メートル強の区間は、左右(南北)両側とも広大な空き地。振興会のマップでは、思いっきり縮めて描かれていた。

[11]右奥はキャッスルホテル
これが今、秋田市中心市街地再開発で話題の「日赤・婦人会館跡地」だ。
1998年7月に郊外の上北手地区へ移転した総合病院「秋田赤十字病院」と、婦人会館というのは、かつては独立した建物があって、1989年に「アトリオン」内へ移転した現在の「秋田県女性会館」のことかな?
上の写真左(南)側に、日赤病院の本体(入院・外来病棟)があり、右側奥に日赤の救命救急センター(?名称はうろ覚え。仲小路上に渡り廊下があった気もするけど、うろ覚え)、さらに右側の手前(北東端)に婦人会館があったのかな?

[12]交差点北西側(婦人会館側)の角・高校の真向かい
図書館や高校の由来となった「久保田藩校明徳館」の跡地であることを示す石碑が、ひっそりとあった。
上の写真、左奥のビルは中央通りに面したビルの裏側。中央通りはオフィス街なので、ビルが建ち並ぶ。その下、日赤病院跡に路線バスが並んでいるが、
昨年の試験工事を受けて本格実施されている「買物広場」バスプールの改修工事(6月末まで)に伴い、バスの待機場所が使えなくなったため、ここを臨時の待機場にしているようだ。

[13]ここは路上駐車が多い気がする
ここも一方通行だが、次の交差点の秋田中央道路地下トンネルから出てきた車が進入し、逆走してしまうケースがたまにあるので注意!(さらにUターンせずにそのまま高校前の交差点まで突っ切ってしまうことが多い)
この付近については次の記事で詳しく触れます。

[14]次の交差点は秋田キャッスルホテルの裏というか脇
交差する道は昔は明徳館高校前と同じような、狭い道だったのだが、秋田中央道路の開通により大きく変わってしまった。道幅が倍くらいに広がり、さらに北側の横断歩道が廃止されてしまったのだ。
個人的にはここから先では歩く人が減るような印象があり、トンネル開通により人(歩行者)の流れを絶つ結果となってしまっていると思う。これも次記事で触れます。

[15]さらに進んだ区画は、駐車場が多い
昔からこんな裏通り的な雰囲気だったはず。
かつての秋田市の賑わいの象徴であった地元百貨店「木内(きのうち)」(表記は
“木ノ内”ではありません!)の裏側の出入口が仲小路に面している。昔はこちら側にジューススタンドがあったりして、裏側とはいえ賑わっていたが、木内自体が単なる衣料品店のようになってしまった今は…
木内の向かいには、2000年にできた「メディカルモール仲小路」という、マンションと複数の診療所が入居する建物がある。この近隣やキャッスルホテル内などにも医療機関が多い。
木内を過ぎると、再び歩行者専用区画になるが、車が横切る道路、禁止区間に乗り入れる車もいるので注意。そして、二丁目橋交差点とその先の二丁目橋や竿燈大通りが見えてくる。

[16]右側にまた広大な空き地が出現
ここにはかつて「秋田県産業会館」(後に同別館)があったが、取り壊されて今はスケボーなどの練習場(自然発生的なもので行政が黙認してるんだろうか?)と竿燈まつりの時などのイベント会場になっている。通称「産業会館跡地」。
まあ、立入禁止になるよりは使った方がいいし、使っている人たちがマナーを守って譲り合っているように見えるので、「人が集まる場所」としては存在意義があるのだが、10年以上も殺風景な空き地状態が続いているのは寂しい。
せめて公園風にして歩く人たちが休めるようにするとか、根本的には中心市街地再開発と一体的な整備が必要ではないだろうか。
【2015年9月26日追記】産業会館の解体時期が1996年と判明したので、まとめておく。(当時は弘前にいた。たまに帰省して前は通っていたはずだけど、解体作業を見た記憶はない)
・1989年秋田県産業会館が新しくできたアトリオン内へ移転。従来の建物は残り「産業会館別館」となる。
→だから正しくは「産業会館別館跡地」なのだが、「産業会館跡地」で通っている。
・少なくとも1995年10月までは別館が使われているのを広報あきたで確認。
・1996年7月1日付秋田魁新報に「週明けから解体が本格化」との記事。
・1997年7月には跡地で日曜日に朝市が開催されるとの記事があり、その時までに更地化が終わったと考えられる。
・その後、ずーっと空き地。(以上追記)
みずほ銀行秋田支店横で二丁目橋交差点に出るが、歩行者専用道路なので(車が通ったとしても)車道に出ることはできない。ここまでが仲小路。
その近く、ケヤキが植わった茂みの中に、古ぼけた木製看板があった。

[17]「仲小路コミュニティ道路」
「
うるおいとやすらぎの秋田市をつくる施策の一環として建設したものです」など、当時の高田景次秋田市長名の文章が、仲小路の整備が竣工した昭和60(1985)年10月付で彫られていた。
それにしても「日赤跡地」「産業会館跡地」と、市街地に長年放置された跡地が2つもあるなんて、かつての賑わいを知る秋田市民としては寂しく情けない。
若い人や転居してきた人は、ここに日赤や産業会館があったことすら知らないだろう。早く“新しい名前”で呼ばれるようになって、賑やかになってほしい。
人の流れや沿道の建物が変わってしまうのは、時の流れというものかもしれない。
でも、駅から約1キロのほぼまっすぐな道である「仲小路」自体は不変なものだと思っていた。ところがそうではないのだった。
次回へ続きます