広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

越後中里'23.3その2

2024-06-30 23:32:32 | 旅行記
2023年3月の旅行記。ホテルから歩いて、新潟県湯沢町のJR上越線・越後中里駅に到着。直前に、マイクロバスから降りた若者たちが、駅の中へ入り、列車が当分来ないホームへつながる跨線橋を上っていった。

Wikipediaによれば、越後中里駅は1931年開業。現在の駅舎は2代目で1980年にできた。かつては駅員がいたが、現在は無人駅。無人化がいつなのかは不明(1990年代前半との情報も)。2007年までは繁忙期に駅員が来ていた。立ち食いそば屋もあった。
階段を上ったところ
駅入口の隣に「観光案内所」の表示、ドアには「越後中里駅観光センター」の表記。湯沢中里観光協会が入っていて、冬は毎日開いているようだが、この時は9時のオープン前。

駅の中。コンコース。右に閉鎖された窓口
片隅に15人分のベンチがあるほかは何もなく、がらんとしている。かつては多くのベンチやそば屋もここにあったのだろうか。そして、スキー客でごった返したのだろうか。床の模様は、国鉄の遊び心か。
上の写真の枠外・左には観光センターに出入りできるドアがあって、その上。
「駅長さんも太鼓判」
「日観連」加盟の、駅周辺宿泊施設の紹介。電照式かな。
「日観連」は「日本観光旅館連盟」。2012年に「国観連」こと国際観光旅館連盟と合併して「日本旅館協会」になっていた。
各施設の市内局番は7の1桁。現在は787で、2002年までは87だった。市外局番が5桁(02578)だったのはいつだろう。駅舎ができた当時か。
半分以上の施設が、現在も営業しているけれど、太鼓判を押す駅長さんもいなくなって、電話番号も中途半端では… というか、今どき駅に着いてから、しかも電話して予約を入れる旅行客なんていないでしょうね。

左がホーム。秋田ではホーム屋根下に置かれることが多い、除雪機もコンコースに
右の外へのドアは、寒冷地にしては数が多く・幅が広く、これもスキー客対応だろう。
除雪機の上に「トイレ閉鎖のお知らせ」
2022年春で閉鎖されていた。改札内にもなかったはず。
食券券売機タイプの自動券売機を改造した、磁気式乗車駅証明書発行機(秋田地区と同じ)が設置。Suicaはエリア外。

ホームへ。2面3線で、改札すぐの1番線と、橋を渡った2番線が下り越後湯沢方面。3番線が上り。2番線は何本かある折り返し列車などが使うようだ。
「海抜四七〇米」
ホームに面した窓口もあった。首都圏からの乗り越し精算でもしていたのか。

さて、改札内に入って跨線橋へ消えていった集団。写真の通り2・3番線にもいない。
跨線橋は、2・3番線よりも向こう、線路の反対側にある茶色い建物につながっている。彼らはそこへ行ったのだった。
「中里スキーセンター」
レンタル用品や飲食の店が入るようだ。その外は、ホテルから見えた湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。
越後中里駅からスキー場へ直接行き来できるように「東口」がある。1965年にできたとのことだが、センターの建物はそれより新しそう。

無人駅とはいえ、改札内・ホームを自由通路的に使うのは、いかがなものかと思ってしまいそうだけど、公式に認められているのだと思う。【7月1日追記・有人駅当時はどうなっていたのだろう?】
泊まったエンゼルグランディアの送迎バスが、越後中里駅西口に立ち寄るのも、JR利用の宿泊客のためというより、スノーリゾートとホテルの行き来の便を図っているように感じたし。
2・3番線ホーム越しに東方向
なお、駅以外で線路両側を行き来するには、北側に踏切、南側はエンゼルグランディアそばの橋があり、どちらも駅から400メートルは離れている。
また、東口に出て、線路沿いにエンゼルグランディアまでつながる道もあり、西側よりも近道のようだが、今回はよく分からなくて使わなかった(積雪時は通行できないかも)。
跨線橋から南方向。奥の大きな建物がエンゼルグランディア

北方向。線路の間に水のたまった溝がある

跨線橋途中
2・3番線下り口のところに、扉状の板がある。夏場は閉まっているようなので、東口は季節限定ということなのか?
先へ進んで、
越後中里駅東口
気後れして、外に出ないでしまったのだが、人の気配はなさそう。さっきの人たちはもうスキー場へ向かったのか。
昔ながらのステンレスの風呂桶のようなラッチがあった。窓口もある。現在は完全無人らしいが、かつてはスキー場社員がいたような話も。

スキー場の跨線橋より北側の駐車場付近に、青いものが連なっていた。
線路と並行に鉄道車両が10両ほど並べられている。休憩所として使われる「ブルートレイン中里」。1984年からあるらしく、国鉄の旧型客車の座席車。したがって、厳密には「ブルートレイン」ではないし、青の色味も違う。

1番線へ戻って、今は在来線列車でスキーに来る人などいないのだろうなと思いつつ、どこからか来たもう1人(スキー客ではない)とともに数分待つ。
新清水トンネルを抜けてきた下り列車が到着
車掌乗務のE129系2両編成。たぶん水上発長岡行きで、群馬県側からの始発列車(前2本は越後中里始発)。
大して混まないだろうと高をくくっていたら、立ち客が多くてびっくり。
さらにその多く(20人くらい??)が下車して、またびっくり。

降りた客も、車内に残った客の多くも、ウインタースポーツの格好の若者。
昨日、越後湯沢やホテルで見たのは、大学生くらいが多そうだったが、今回はもう少し若く、高校生くらいにも見えた。群馬県内の若者が、越後湯沢へ滑りに来たのだろうか。
降りた客は、階段を上って東口へ向かう人もいたようだが、眼の前にある西口から出る人も少なくなかった。それを見て「そっちじゃないのに…」とつぶやく車内の若者。
前回同様、今なおウインタースポーツもけっこう人気なのではと思わされた。秋田では見られない現象だと思うのだけど。

そんなわけで、着席することができた。
発車した列車は、大きくカーブして雪原(田んぼ)を進む感じがしたが、実際にはそれなりに人が住むエリアで、徐々に越後湯沢の町へ近付いていく。

1988年に、キハ58系気動車を改造したジョイフルトレイン「サロンエクスプレスアルカディア」が火災を起こし、1両が全焼した。これをきっかけに、JR東日本では旧型気動車のエンジンを換装。焼けなかった車両は再改造して、盛岡支社の「Kenji」となって2018年まで活躍した。
その火災は新清水トンネルを出たところで発生し、越後中里と次の駅の間で緊急停車したとのこと。

その次の駅は「岩原スキー場前」。
臨時駅のような名前だが常設駅(※)であり、岩原は「いわっぱら」と読むのが特徴的で、以前から知っていた。※もともとは臨時駅として開業したが、近く高校ができて常設化された。高校は2008年に閉校。
この調子では、スキー客たちがまた下車していくだろうと思ったのだが、誰も降りなかった。
「前」というわりには、岩原スキー場まで歩いて10分以上かかり、越後湯沢駅から無料シャトルバスも出ているそうだ。

というわけで、スキー客たちは、みんな越後湯沢で下車。越後湯沢駅の在来線改札口は、自動改札でなかったのが意外だった。
この後は、新幹線に乗り換えて首都圏へ向かった。続きはまたいつか。
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越後中里'23.3その1

2024-06-27 23:43:49 | 旅行記
今さらですが、2023年3月上旬のJR東日本パスの旅行記。初日に長野市を訪れたところで途絶えていた、続き。
高崎で北陸新幹線と上越新幹線を乗り継いで、越後湯沢で下車。
17時過ぎ、薄暗くなってきた西口
越後湯沢駅の外に出るのは2度目。以前は、20年ほど前の正月に乗り換えで一瞬、降りたもので、東口側に出た。アーケード商店街などがあって、地元の住民も使うような街並みだった。
今回は西口に出た。山が迫っていて、宿泊施設など旅行客向けの町の印象。道路上の雪はなくなっているが、寄せられた雪山、手を付けていない土地の残雪はだいぶあって、秋田市とは違う、本場・雪国。

この時は、新型コロナウイルスの旅行制限は緩和されつつあった頃。だからJR東日本パスも発売され、日本人旅行客はそれなりに増えていた。外国人は団体旅行が解禁されていたかと記憶する。
越後湯沢に降りてびっくりしたのが、日本人旅行客の多さ。この旅行で訪れた各地の中で、いちばんにぎわっていたのが越後湯沢だった。2024年時点のようなオーバーツーリズム状態ではないけれど。

その客層は、若い。大学生くらいの小グループをけっこう見かけた。合宿などではなさそうで、春休みや卒業旅行なのだろうか、スキー・スノーボードをやりに来たような雰囲気。ウインタースポーツ人口は減っていると聞くが、それを疑った。秋田辺りのスキー場でもこうなのかだろうか。それとも、越後湯沢は首都圏から近く、鉄道でアクセスしやすいからなのか。
上越新幹線・ガーラ湯沢駅に直結したスキー場に来たのなら、越後湯沢駅で降りる必要はない。そして、夕方なのに、改札内に向かう気配がない人たちが多いから、多くがここで宿泊するのだろう。

スキーはしないけれど、僕も越後湯沢で宿泊。宿泊予約が取りづらいということはなく、温泉付きリゾートホテル「エンゼルグランディア越後中里」の朝食付きで手頃な価格(6300円だったか?)のプランがあった。
宿の最寄り駅は、厳密には越後湯沢ではなく、同じ湯沢町内で、在来線の上越線で東京方面へ2駅進んだ、越後中里(えちごなかざと)駅。上越線の列車本数は少ないが、越後湯沢駅西口(からすぐの案内所という建物)から送迎バスが運行されている。
車両はホテル系列のバス会社が運行する緑ナンバーのバスで、どこかの中古らしき路線バス仕様。(いすゞと共通化される前の)日野レインボーが2~3台いた。スキー・スノーボードを持ちこむには、路線仕様車が適しているし、一部の座席が撤去されていた。バスにも板を持った若者がグループ数組。
途中、観光施設(湯沢フィッシングパーク?)や系列のリゾートマンション、越後中里駅前にも立ち寄るが、乗降なし。乗る時、ドライバーに「ご宿泊ですね」と確認されたのだが、単なるホテルのシャトルバスではないようだ。所要時間は15~20分。

到着したホテルは巨大(写真は続編で)。15階建て300室だそうだが、リゾートマンションも併設しているらしい。
そのホテル内も盛況。滑り終えた宿泊客がたくさん。
参ったのは、翌朝の朝食時間。(感染対策のため?)時間を区切った指定制で、チェックイン時の先着順。この時点では、6時30分から1時間の枠しか残っていなかった。翌日はそんなに早くなくてもいいし、食前に朝風呂に入りたかったのだが…

夕食は高崎の駅弁。ホテルの周りには、店はほぼないと思われる。ホテル内にファミリーマートあり。
サービスは至れり尽くせりではないのは、個人的にはよかった。
部屋は13階の北向き。8畳+4畳(?)の和室。
窓の下はホテルに隣接する「中里スノーウッドスキー場」
その左側には、
越後中里駅とその周りの集落。駅の真横(=スノーウッドの隣)には湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。

東方向。
上越線と関越自動車道。左が東京方面
写真では関越道と重なって分かりづらいのだが、このポイントで、上越線は上下に分かれる。上りは清水トンネルとループ線、下りは新清水トンネルにつながる。「国境の長いトンネルを抜け」た「雪国」とは、まさにこの辺りの風景なのだろう。
上越新幹線は、奥の山の中を、越後湯沢駅ギリギリまで大清水トンネルで突っ切っている。

バスで来る途中、越後中里駅近辺に「土樽郵便局」など土樽の地名を見かけた。土樽(つちだる)といえば、越後中里の隣の駅。両駅とも、所在地は大字土樽なのだった。「中里」というのは、駅より北側の地名らしい。国土地理院の地形図には「中里」表記があるのだが、その他地図サイトには表示がない。

翌朝。早起きして指定された朝食へ。広いレストラン(2つある)に、けっこうな人数がいたが、席に余裕はあった。豊富なメニューのバイキングで、朝からミニラーメンなど食べてしまう。
チェックアウトして、越後湯沢から新幹線で上野へ向かう(フリーきっぷを活かして、泊まるためだけに新潟県に来たのだ)。シャトルバスだと新幹線との接続がいまいち。
ところが、越後中里からちょうどよく列車があって接続するので、そちらを使うことにした。ホテルから越後中里駅までは700メートルほど。列車で越後湯沢までは7分。

ホテルの前のオーバーパスで線路を越え、集落の中の道をほぼまっすぐ。
残雪とせせらぎ。雪国の早春らしい
【29日追記・気温は5℃前後だったようだが、特に寒いと感じた思い出はない。】
旅館。奥には雪山
歩道がない広くはない県道で、道路中央には消雪パイプ。沿道は、民家に混ざって旅館・民宿も。でも、ホテルを出てから駅まで人通りはまったくなく(車通りもほぼなく)、宿泊営業していないのかなどと考えつつ、駅に到着。
越後中里駅
どこかで見たことがあるようなないような、いかにも国鉄設計の駅の風情。道路よりも高いところに建っていて、20段ほどの階段がある。
駅から駅前を眺める。左がホテル方向
旅館、酒店、貸しスキー店など。

上の写真で、駅前に何も表示のないマイクロバスがいる。
撮影する直前、このバスから、若者だと思うが、全席分の人が降りて、駅の中、ホームへ入っていくのが見えた(一部は貸しスキー店へ行ったかも?)。
この全員が列車に乗るのかと驚いた。

ただ、これから来る下り列車の1番線は素通りして、跨線橋を上っていく。そちらのホームの上り列車は当分(たぶん昼まで4時間近く)来ない。なぜ? 続く
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石のように黙殺される小駅

2024-03-23 23:48:38 | 旅行記
真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。

中学校で買わされた国語の資料集に載っていたフレーズである。特急のスピード感が存分に現され、鉄道好きとしては印象深かった。小駅が石のように黙殺されるという比喩は衝撃的だった。特急に限らないが、速い列車に乗っていて駅を通過する時、今でもこれが頭に浮かぶ。
戦前の作品の一節で、その当時としては斬新な表現だったということで引用されていたかと記憶する。
中学生だった平成初期でも、令和の今でも、仮名遣いを除けば、古臭くはなく充分通用する文章だと思う。ただ、今は「特別急行列車」を略して「特急」であることを知らない人は多いだろう。

誰の何という作品かは覚えていなかったが、後にネットを使えるようになって容易に判明。
横光利一の短編小説「頭ならびに腹」の冒頭。1924(大正13)年の作。

ちょうど100年前の作品だった! もう少し後、昭和初期かなと思っていた。
著作権が切れており、「青空文庫」サイトなどでも全文を読むことができる。列車はどうなったのか、タイトルにどうして頭と腹が出てくるのか、興味のあるかたは各自、お読みください。短いので。


我が国で特別急行列車が初めて運行されたのは1912年。特急に愛称が付けられたのは1929年。
だから、発表当時は、運行開始間もない頃で、その列車種別自体がステータスを持ち、まさに特別な列車だったのだろう。

作中では、何線のどこからどこへ行く列車なのかは分からない。イニシャルでT線(接続路線)と、経路上にH、K、Sの各駅(通過駅かもしれない)が存在することは記されている。
まったくの架空の名前かもしれないが、現実では、当時は東京~下関間でしか特急は運行されていなかったそうだ。

「頭ならびに腹」から100年後に登場した特別急行列車について、続く
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リゾートしらかみ2023.6

2023-08-08 20:36:30 | 旅行記
2023年6月の弘前訪問(前回の記事)。天候などにより、あまりさえない旅になってしまって、ほぼネタが尽きました。
千畳敷海岸散策の植物を中心に先に紹介していた、帰りの「リゾートしらかみ4号」全般について最後に。
陸奥岩崎→十二湖間
車両は2代目「ブナ(正式には漢字)編成」。2020年正月以来の乗車。フローリングの床の傷が気になっていたが、今回は目立って増えてはいなそうだった。
ハイブリッドシステムも変わりなさそうだったが、止まっていたエンジンが動き出す直前に、小さく(車外・床下で?)「ピピピ」と警告音が鳴っていたような気がした。


他の列車同様、リゾートしらかみではワゴンによる車内販売はなくなった。地元の団体等が、短区間乗りこんで、記念グッズや地元のお菓子を売る「ふれあい販売」は続いているが、この日はなし(スケジュールはJR東日本のサイトで公開)。ほかに、スマホアプリで弁当などを予約して、ホームなどで受け取れるサービスもある。

ブナ編成には、3号車の2号車寄り3分の1ほどを占める「ORAHO(おらほ)カウンター」があり、2020年時点では売店として、いろいろ販売していた。
その後、新型コロナウイルス感染症などの影響もあったのだろう。売店営業は廃止され、2022年12月24日からセルフレジによる無人販売が始まった(2021年10月から試験搭載)と聞いていた。※無人売店は青池編成でも実施。くまげら編成はなし。

まず、ORAHOカウンターの跡は、
すっからかん

かつて左側には商品が並んでいたのに
五能線内で山側となる売り場部分は、カウンターと作り付けの装飾や棚が虚しく残っていた。カウンター内に立ち入ることはできない。
海側は、窓向きのテーブルと椅子があるフリースペースで、引き続き使用可能。
大きな窓を独占できて悪くないけれど
ちょっともったいないスペースになってしまった。売店営業に必要な冷蔵庫などが残っているのか不明だが、今後の使いみちは要検討。

無人売店はここにはない。カウンターに小さな案内が出ていたが、気付かない人も多そう。
連結を渡って、ボックス席(セミコンパートメント)の2号車に入ってすぐの海側にある。予備知識があっても、気付かないで通り過ぎてしまいそうな場所。
狭い!
奥行きも長くはないが、間口が狭く、ひと1人分。元は車内販売準備室のような部屋だったのか。

左側がセルフレジで、売り物は正面部分のみ。
下の冷蔵庫には、緑茶(ボトル缶コーヒーも?)と沿線のリンゴジュースなどソフトドリンク。冷蔵庫の上が、お菓子・おつまみ、グッズ類。弁当やアルコールを売るのは無理にせよ、ラインナップは貧弱。アイスクリームも、ホットコーヒーもない。
支払いは、現金は不可。交通系電子マネーとクレジットカードが使える。

ひと昔前の特急列車や新幹線には、飲料の自動販売機があったものだが、管理が大変なのかなくなってしまった。こういう小規模無人売店のほうが、管理は楽なのかもしれないが、これだったら自販機でもいいような気もしてしまう。


青森・弘前側で、奥羽本線と五能線が接続する川部駅。2023年3月に無人駅となり、5月27日にコンパクトな新駅舎ができた。
この時点では、役目を終えた旧駅舎がまだ残っていた。

この辺りの、小さめの古い有人駅によくあるような、木造白壁の駅舎。形式上は、駅開業と同じ1894(明治27)年の建物で、全国的にも相当古い駅舎らしいが、その後、いったん焼失したとの話もある。
駅事務室のドアに大きな「かわべ」


リゾートしらかみ4号は、青森・新青森・弘前から乗車して、五能線内各駅で降りていくという使いかたをする乗客が多い。先に進むにつれ、車内の乗客は減っていく印象。
今回、おそらくいちばん多くが降りたのが、ウェスパ椿山駅だった。
写ってないけど20人は降りた
ウェスパ椿山といえば、その名の由来となる施設が、2020年10月に閉鎖され、大部分が解体されることになっていた。写真左の「物産館コロボックル」は営業存続。
奥・海寄りには建物(コテージ?)がまだ残っていたし、スロープカーも残っていたと思う。車窓からは解体工事現場などは分からなかった。

下車した人たちは、駅前で待機していた黄金崎不老ふ死温泉の送迎バスに乗りこんでいた。
ウェスパ椿山駅は、単なる送迎地点になってしまった状態。不老ふ死温泉へは、隣の艫作(へなし)駅のほうが近く、ウェスパ椿山駅開業前は、リゾしらも停車していた。

乗客がまばらになって、十二湖駅では乗降ともなく、秋田県内へ。能代駅・東能代駅から、直通列車&特急列車代用として秋田まで乗る人がちらほら乗車。
奥羽本線を南下し、終点秋田の1つ前の停車駅、追分到着を告げる、堺正幸さんの自動放送が流れていた時のこと。
「まもなく追分です。お出口は右側です。男鹿線はお乗り換…急停車します。ご注意ください。(全部堺さんの声)」
聞き流しそうになったが、通常とは違う。
列車は急減速。
もう一度「急停車します。ご注意ください。」が流れ、ジーン・ウィルソンさんの英語で「Caution. エマージェンシーブレーキなんとかかんとか」と続いた(2回繰り返し)はず。

その後、車掌から、踏切の異常検知で停止する旨放送。幸い、支障はなかったようで数分後に運転再開。

JR東日本の最近の車両では、非常ブレーキ操作に連動して、注意喚起の自動放送が流れるようになっているとのこと。車両型式によって言い回しは異なり、英語はCautionでなく「Attention please」で収録されているほうが多いらしい。
今回は、追分到着の通常の自動放送の途中に重なって流れ、(堺さんのトーンもさほど違わなかったので)目立たない注意喚起になってしまった。


ところで、JR東日本は7月24日、リゾートしらかみのような「のってたのしい列車(いわゆる観光列車)」の指定席料金を値上げすることを発表した。
これまでは、通常530円・閑散期330円だったのが、2023年10月から通年で840円になる。

わずか500円で長距離でも快適に移動できるので、乗り得だと思うとともに、もう少し“受益者負担”があってもいいとも考えてはいた。
座席レベルはだいたい同じ、首都圏の普通列車グリーン車料金は、51キロ以上で800円(休日)だし、JR九州なんか、キハ40系を改造して、特急料金を取るような観光列車があるのだから。
ただ、上記、秋田~能代など、観光目的でない、短距離の快適な移動手段、あるいは列車本数が少ない五能線内相互での普通列車代わりとして利用する人には、少々手が出しにくくなってしまうかもしれない。
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長野の交差点名'23

2023-05-23 23:43:45 | 旅行記
2023年3月のJR東日本パス旅行記。前回までの長野市内を歩いた範囲内で見た、信号機周辺に設置される「交差点名」表示板こと「主要地点」案内標識。信号機に添加されることも多いが、警察ではなく道路管理者の管轄。また、同じ県内ならば道路管理者(国道/県道/市町村道)に関わらず、その形式や設置の方針は共通化されている感じがする。
無名交差点が多く消極的な秋田県と反対に、長野県では多くの交差点に名前が付いていた。そのおかげで、前回触れた議員会館に気付くことができた。※以下、便宜的に主要地点標識を「交差点名(の表示)」と表記します。

2016年に取り上げたように、長野県では、市町村名と英語を併記した新しい表示もある一方、昭和から使い続けているであろう手書き表示板も見られた。
まずは2016年も紹介した例外。今回も変わっていなかったが、改めて、
「善光寺」
善光寺山門に掲げられている「鳩字の額」の文字を使った表示板。どうせならもう少し大きく、またなんとか工夫して英語も入れたほうがいいのでは。

前回の通り、善光寺裏手には「善光寺北」「善光寺西」交差点もある。善光寺を名乗る交差点名はこれですべて。
「善光寺北」
古めかしい手書き表示板。サイズや質感は、ほかの場所(昔の秋田県でも)にもある。特徴的なのが、ハネを省略して単純化したような、直線的な独特の筆跡。

昔の秋田県では、横型信号機の底面に表示板を直付けしていたが、ここでは違う設置方法。
裏面は何も書いていない
信号機を設置するアームから、表示板を吊り下げている。


「善光寺西」
ここは3枚のうち1枚が、善光寺北と同様に信号機の直下に吊り下げ。2枚は、信号機の横、アームの途中から吊り下げている。

アームに、他の標識(指定方向外進行禁止)があるので、そこだけ交差点名を信号機直下にしたのかもしれないし、あるいは信号機の路面からの高さが違って、直下吊り下げでは大型車に接触してしまうため、横に付けたのかもしれない。
なお、善光寺北交差点では、3枚とも直下で、他の標識はなし。

善光寺西も、善光寺北と同じような筆跡で、「西」は「価」のつくりのよう。
完全に同一の書体ではなく、「光」の最後の1画は北は「L」、西は「し」、寺の「寸」のハネは北はないが西はある。それに、西は手書き地点名表示としては、文字の線が細め。


「桜枝町」
これは標準的か。一般的な手書きの丸ゴシック体で直線的ではない。「枝」を上張りしたような痕跡がある。


新しいもの。
「信大教育学部前」
信号柱からして新しくて光り輝く。柱の先端がとがっているのは秋田でもあるし、前回の議員会館前も同じものだった(鳥が止まらないように?)が、ここはとんがりの下に輪が3つ。善光寺にちなんで仏塔の「九輪」をモチーフにしているのだろうか。これじゃあ“三輪”だけど。

新しい表示板も、手書き板と同様に、アームから吊り下げて設置している。
吊り下げ金具には、ネジ穴が3つある
2016年の記事のように、長野県の新しい表示板では、信号機の上に突き出して設置される場合もある。全国的に(秋田県も)は、板の背面を直接アームに取り付けるのが一般的。

表示板の内容は、左に市町村名を縦書きし、下に英字併記で、これが長野県のスタンダード。
信州大学を日本語では「信大」、英語は「Shinshu Univ.」と表記。英語で「前」を略しているが、「議員会館前」なども同じだった。
さらに長野県で特徴的なのが、
右手前


車両進行方向から見て右手前に当たる表示板には、英語のみを表示している。つまり、進行方向正面(左)は日英併記で、その裏面に英語のみが表示されている。
ということは、表示板を裏表とも使うために、アーム直付けでなく、下げたり上げたりの設置にしているのか。長野オリンピックを契機に、英語のみが設置されたという話があるが、詳細不明。そして、教育学部前の県庁通り側のような、丁字路突き当り側には、英語のみの表示は設置されないようだ。

交差点によっては、正面側が日本語のみ表示している場合もある(後述)が、多数派ではなさそう。
正面に英語も併記してあるのだし、右手前まで視線が向きづらいだろうし、英語のみの表示は少々無駄な気もしなくはない。日本語表示さえろくにない秋田県からすれば、ぜいたくの極み。


教育学部前から県庁通りに曲がってしまったので、行かなかったが、同じ通りのすぐ西隣の交差点が「西長野」交差点。以下、Googleマップストリートビューより。
一帯のエリア名を名乗る交差点だが、大きな交差点ではない。
東進向き正面の信号機
交差点名は日本語のみ(右手前は英語のみ)。文字が薄れているので、古いのかも。

そして、信号機に白と緑の斜めのシマシマの背面板、いわゆる「ゼブラ板」が設置されている。ストリートビューをさかのぼると、2012年5月から2014年9月の間に設置(柱や信号機は変わっていなそう)。
ゼブラ板は、大昔の信号機には必ず設置されていた。秋田市では1980年代中頃の幼少の頃、わずかに残っていたのを覚えている。
現在では、信号機の存在を見落とされやすい箇所に、ピンポイントで設置されているが、都道府県によって積極性は異なるようだ。秋田市内では、秋田駅前・中央通りに1つあるくらい(少し前は、国道13号の牛島の跨線橋下にもあった)。長野には、ほかにもちらほら存在するそうだ。
では、なぜここにゼブラが付けられたか。
交差点西側からのストリートビュー
交差点の先には、青い案内標識が見え、その先に教育学部前交差点の信号機も見える。標識や教育学部前の信号に注意を奪われ、手前の西長野の信号を見落とすことがあるのかもしれないが、その可能性は少ない気がする。
むしろ、手前、左では?
上の画像で赤になっている、右側から北進する車が見る信号機。右側の道路は、直交していないので、信号機もその角度に合わせて設置されている。東進車にも、その点灯色が見えてしまい、誤認すれば信号無視になってしまう。だから、東進車の本来の信号機のほうにゼブラを付けて、目立たせているのではないだろうか。

こういう条件の交差点では、秋田県警ならば、信号機のフード(ひさし)を筒状の「ダブルフード」、もしくは見える範囲を狭めた「視角制限」のフード(または薄型信号機)で対応することが多い(この記事など)。長野県警でも視角制限のものはあるそうだが、もしかしたらあまり好まないのかもしれない。


後で長野のお菓子を取り上げるかもしれませんが、訪問記は以上。JR東日本パス旅行記は続く
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善光寺の南西

2023-05-21 22:07:20 | 旅行記
2023年3月のJR東日本パス旅行記。長野市の善光寺の裏から西側まで歩いた続き。※あまり写真を撮らなかったので、詳しくはストリートビューなどご参照ください。
善光寺のすぐ横(南西)は、参拝客・観光客を相手にしたような店はほとんどなく、住民向けの個人商店がちらほらある程度。狭い道路に建物が並ぶ、古くからの住宅街といった感じ(1912年の地形図では、一帯は総描建物として記されている)。コンビニやスーパーなどあっても良さそうだけど多くない。

南へ進むと、東西方向の広い道路・国道406号に出る。さらに西へ。「西長野」と呼ばれるエリアになるようだ。国道沿いの北側一帯が、信州大学のキャンパス。
信州大学は、キャンパスが分散する“タコ足大学”として有名。本部は松本市で、その他県内3か所にキャンパスがある。長野市にはうち2つ、工学部と教育学部が別々の場所にある。西長野は教育学部の「長野 (教育) キャンパス」。元は長野県庁があった場所で、後に尋常師範学校ができて、その流れで。なお、長野 (工学) キャンパスは、長野駅の反対側にある。教育学部附属学校もまた別の場所で、しかも長野と松本両方にある。
国道より敷地内のほうがやや高くなっていて、よく見えないが、キャンパスは広くはない。善光寺の敷地のほうが広い。学部1つだけだと、こんなものか。アパートや飲食店など、学生街の雰囲気も薄く思われたが、行かなかったキャンパス裏(北)側はまた違うかもしれない。

前回の最後の地点(善光寺の塀の南西角)からだと、南へ400メートル、西へ400メートル進むと、南に伸びる広い道路・長野県道399号線との丁字路交差点「信大教育学部前」。
左右が国道406号、右が善光寺方向
学部正門はこの右(東)にある。
突き当りの体育館のような建物に「信州大学教育学部」と書いてあるが、薄れている。現在の公式サイトのキャンパスマップでは、この建物がないことになっている。2022年度に、隣に新しい「第1体育館」が竣工しているので、解体待ちの旧体育館ということか。

そろそろ長野駅へ戻ることを考えて、県道に入って南へ。
突き当りが教育学部。右手前が長野市消防局中央消防署。その他は左右とも国関係の庁舎
街の雰囲気が一変して、官庁街に。
「県庁通り」で、南に進むと長野県庁がある。沿道には国の合同庁舎、裁判所、なんとか会館のような関連団体の建物が並ぶ。

信号待ちで引っかかった。交差点名は「議員会館前」。
長野県議員会館。門はレンガ造り
最近のテレビで見覚えのある名称と風景。テレビではもっと近くからの撮影だったが。
妻を殺害したとして、2022年11月に県議会議員が逮捕された。犯行時刻には議員会館にいたとのアリバイを主張したが、実際には脇道を通って、塩尻市まで往復して犯行に及んだという事件があった。

秋田市の山王大通りに相当する通りなわけだが、平日昼間の官庁街にしては、車も人も少なく感じた。善光寺で行事がある時などは、こちらが迂回路になるそうだが。
路線バスは、善光寺大門も通る循環バスぐるりん号は通るが、一般路線バスはほとんどない。長野駅から歩けなくはない距離であること、裏手(西側)がすぐ川で“街の端”のような立地であることが原因かもしれない。
信州大学教育学部前交差点~長野県庁は600メートル、長野駅~長野県庁は1キロ強。

ところで、県庁は長野駅の北西にあるが、長野市役所は駅の北東・長野大通り側にある。県庁とは同じ通りに面するものの1キロ離れている。地方都市において、県庁と市役所が、これほど離れて立地するのは珍しいかも。
※山形、茨城・水戸、鹿児島はもっと遠いが、それらはわりと最近、県庁が郊外へ移転したことによるもの。長野は、1965年に市役所が移転したことがきっかけのようだ。
秋田県庁が所在するのは秋田市山王地区で、市立山王中学校がある。
長野県庁のすぐ南側は、地名にはなっていないが「山王」と呼ばれる一帯で、市立山王小学校はじめ、山王を名乗る施設が散在。中学校はない。


長野市中心部の大通りは、おおむね直線の格子状。
その間を通る細い道は、大通りに対して斜めのものもあり、農村部に昔からあるような、緩いカーブを繰り返すものもある。長野駅へはそこを抜けたほうが近そうなので行ってみると、民家や駐車場の敷地も、通りに合わせて不整形。

裏道から再び大通りに出る。横断したいが、近くには信号機のない横断歩道。
原付バイクと続いて普通乗用車が来る。ゆっくり歩いて2台をやり過ごそうと思う間もなく、原付は当然のように停まってくれた。下手したら後続車が原付に追突しかねないが、乗用車も当然のように停まってくれた。
善光寺参道を横切る道の横断歩道でも、1台の乗用車が、参拝客の波が途切れるまで、当然のように停まっていた。渡らずに遠慮する観光客がいても、頑として動かずに渡らせていた。
さすが、横断歩道停車率全国1位の長野県(静岡県を中心とした過去の記事)。近年は、秋田県はじめ、全国の他県もいろいろやって停車率は上がっているけれど、まだまだまだまだ及ばない。
停まらないのが法律違反であり、全国どこでも停車率100%でないといけないのだけど。

駅が近くなり、飲み屋街っぽい道を抜ける。
このいすゞキュービックが、この後、前回記事冒頭の善光寺大門行きになる
沿道に行灯が立つのが観光地・門前町らしいが、その下に自転車が並び、ブックオフやマツキヨもあるのは、普通の暮らしが営まれる普通の街でもあることを示す。
写真左のSEIYUは、西友南石堂店。再開発で改築され、マンション1階に2021年6月オープン。長野駅からいちばん近いスーパーだと思う。

途中でバスに乗ろうかとも思ったが、結局駅まで歩いてしまった。
そして今回も、長野市を中途半端に見て終わってしまったが、いくらかは新たな一面を見られた。長野市は城下町でなく門前町だからか、よくある地方県庁所在地とは少し違う構造の街に感じた。
長野駅前の時計はリンゴのオブジェ付き
↑駅など公共施設の時計は、長野県の諏訪周辺では地元企業であるセイコー製ばかりだが、県内でもこちらにはその力が及ばないのか、シチズン製。

「主要地点」案内標識、いわゆる「交差点名」看板について続く
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善光寺の北~西

2023-05-19 18:56:54 | 旅行記
2023年3月のJR東日本パス旅行記。前回は小僧寿し。今回は、初日に2時間弱ほど見て回った、長野市街地について。
計画段階では、長野市内あるいは松本市辺りで1泊しようと考えていた。しかし、安い宿が見つからず、そこまで長野にこだわりはないし、越後湯沢(越後中里)の宿を予約した。
それでも、越後湯沢直行では時間が早いし、フリーパスで乗れる北陸新幹線「あさま」の自由席は空いていそうなので、長野市に立ち寄ることにした。予想通り、あさまの自由席はガラガラだった。

長野市を訪れるのは4度目。前回は2016年
駅は前回とほとんど変わっていない。ロッカーに荷物を預ける。
過去3回とも、善光寺の境内へ出向いている(うち1回は初詣客の多さに退散)ので、仏教徒の端くれとして、今回も。
今までは駅から徒歩で往復したが、そこそこ距離がある。今回は、時間も限られ、体力を温存したい歳にもなったので、初めて路線バスで行った。長野県内でバスに乗るのも初めて。

長野市内の路線バスは、長野電鉄のバス部門「長電バス」と、松本方面でもおなじみアルピコ交通の長野市周辺でのブランド「川中島バス」の2社。※長野市内の交通について2016年の記事
善光寺方面は、川中島バスが運行している。善光寺前を経由して、もっと遠くへ行く路線のほか、善光寺大門が終点の路線もある。それが2016年の記事にも出てきた「びんずる号」。合わせれば、10~15分程度の間隔。※2023年4月にダイヤ改正があり、減便されたかも。
※長野市が2社に委託する市街地循環バス「ぐるりん号」も利用可。

びんずる号は、洋風なんだか和風なんだかよく分からない、専用塗装・色違いの日野レインボーのイメージ。今回乗ったのも、それの紫色。
乗ってみれば、普通の路線バス。
中ドアの開閉警告音が、ブザーなどでなく、電子音のウエストミンスターチャイム(開く時は前半、閉まる時は後半)が鳴るのにびっくり。Wikipediaによれば、大阪シティバス、川中島バス、神姫バスではそうらしい。アルピコでも松本・諏訪エリアでは違う音なのか。
善光寺行きらしい点は、車内放送や運転士の案内が、善光寺参拝客を意識したものであった程度(帰りについての案内もあって親切)。車内外、放送とも「びんずる号」の名は出てこなかったと思う。現地では「善光寺線」と呼ぶほうが多いみたいだ。
一般塗装のいすゞLVキュービックも入っていた
長野市ではKURURUというICカード乗車券があるが、現時点では他のカードと相互利用不可。2025年から地域連携Suicaに切り替わるとのこと。
久しぶりに、整理券を取って、両替して現金支払い。
ほかの乗客は、駅から善光寺に行く観光客2人連れ。あとは地元の人と思われるベビーカーの親子が途中から乗って、途中で降りただけだった。
駅側からまっすぐ進めば善光寺だが、バスは直前で脇道に入って、4回曲がって、お寺にお尻を向けて終点到着。10分・190円。
降りた位置から善光寺方向。この辺は「表参道」
バス停すぐが「善光寺」交差点で、渡ると善光寺になるのか、車が入れない参道。本堂までは500メートルほど歩く。※途中、車が通る小さい道路の横断あり。
バスを降りた付近は人通りが多くなかった。「仲見世通り」まで進むと、急に人が増えてにぎやかに。

車や観光バスで来た人たちなのか、新型コロナウイルスの外出控えも過去のものになったのだと思い知らされた。
境内~本堂は大混雑というわけではなく、以前と変わりなく参拝。

ところで、本堂に入ってすぐのところ(本堂外陣)に、触られてツルツルになった、木製のお坊さんの坐像があった。そう言えばそうだったなと、軽く拝んだくらいにしただけだった。
恥ずかしながら、これまでも訪問直後も、お名前もいわれも知らないままだった。
訪れて1か月もしない4月5日。この像が、盗難に遭って一躍有名になり、そのおかげでいわれを知ることができた。
「びんずる尊者像」。びんずる(賓頭盧)は釈迦の弟子である十六羅漢の一人。触った部位の病気が治るとされる「撫仏」。※ということは、遠足で行った山形県の「十六羅漢岩」にも、びんずる様がいらっしゃるのでしょう。
「びんずる号」も、何かの仏の名前だとは思っていたが、こちらが由来だった。
それにしても、本堂外陣は人の出入りが多く、寺の職員も近くに常時いたはず。そこから盗み出してしまう/盗み出せてしまうなんて、なんとも…


参拝を終えたので、仲見世でソフトクリームでも食べたい気もあるけれど、まずは以前から気になっていたものを見る。
「善光寺の裏側」である。裏側というのはバックヤードではなく、本堂の向こう=反対側の一帯。

善光寺は、長野駅の真北に位置する。以前軽く見た、長野電鉄が地下を走る長野大通り沿い、長野市役所や権堂の一帯は、その東側。それ以外、つまり善光寺より北~西の長野市内は見たことがなかったので。
権堂にあったイトーヨーカドー長野店は2020年に閉店。跡には地元店舗が入った。【21日追記・単なるテナント入れ替えや完全建て替えではなく、ヨーカドー時代の5階建てのビルを2階建てに減築して改装したとのこと。建物名は「長電権堂ビル」から「権堂ウエストプラザ」になり、核テナントが「綿半スーパーセンター権堂店」。】

バスを降りた「善光寺」交差点から本堂までは北に400メートルだが、その北側にも100メートルほどお寺の敷地が続く。東西方向は300メートルほどの広さ。
いくつかの施設や像・碑など見どころがあるので、じっくり見て回るべきなのだが、割愛させてもらって、適当に、本堂の右・東側から裏手へ。
本堂の南東角
表側からは激減するが、そこそこ参拝客は歩く。広い公園のような雰囲気も漂っていて、近所の子どもが遊んでいてもおかしくなさそう。
ここが善光寺敷地の北端
上の写真で、赤い柵の向こう左右方向が長野県道37号線、正面奥へ市道が伸びていて、それらが交わる丁字路。
県道を渡ったすぐ向かい左が、善光寺第1有料駐車場。見えないが右・東隣が「城山公園」で長野県立美術館などもある。
そのほかはほぼ住宅地。山が近く、斜面の途中まで家が続く。まっすぐ奥の高い所に仏塔が見え「善光寺雲上殿」。要は納骨堂のようで、上の写真に広告看板が写っている。
振り返って、
本堂の裏面

境内にあった「善光寺事務局」による看板
「毎日七日は市民防災の日」「火事をなくする市民運動」「毎日午後九時は火の元点検の時間」。いずれも長野市独自のフレーズのようで、なぜ「7日が市民防災の日」なのかは不明。
「なくする」は「なくす」と同義だが、一般にはあまり使わず、こういう標語ではそこそこ見る言い回しなような気がする。

敷地外に出て、外周の県道を西方向へ行ってみる。
丁字路の西方向
交差点名は「善光寺北」。※交差点名表示については後日続きにて。
見えている三重塔は、敷地北西角にあり、日本忠霊殿と資料館を兼ねる「善光寺忠霊殿 三重塔」。1970年築。

外周の道路の歩道は、片側に狭いのがあるのみ。100メートルほどで南へ曲がっても(=敷地西辺)変わらず。
西辺。案内標識は敷地内から生える。路線バスも通る
西辺のお寺の敷地側は立派な塀で、いくつか出入り口がある。
反対側は住宅地だが、善光寺第○駐車場(第5まである)や、土産物店(やってるのか?)もある。雰囲気は、弘前公園の裏側である、北西角近辺にどことなく通ずる。

西辺の中ほどに、信号機のある「善光寺西」交差点。見えないが、塀の中では、ここが本堂の位置。

塀の外では、西方向への道が交わり、県道37号は、お寺から離れてそちらへ。
東=お寺の敷地側は塀が途切れて出入りでき、そちら向きにも信号機が付く十字路。敷地内は「善光寺 宿坊専用バス第2駐車場(第5まであるうちの2番目なのだろうが、一般車は駐められないことになる)」で、歩行者の出入りはできない。

引き続き塀沿いを直進。三重塔のある北西角を曲がってから300メートルほどで、塀と塀沿いの道路は東方向へ曲がる。

この付近の塀の中は、善光寺を運営するお寺の1つ「善光寺大勧進」。
角から東方向は石畳風路面で、先で正面の参道と交わる。そこから南方向が仲見世通り。上記、バス停から本堂までの途中の「※途中、車が通る小さい道路の横断あり」の道路がこれ。
角を南へ直進すると狭い生活道路。その東側は宿坊や、善光寺大本願(これも善光寺を運営する寺)など、善光寺関係の施設が続くが、西側は普通の古めの住宅地の風情。
以上、善光寺の裏側~横は、表面的ではあるが、なんとなく分かった。
せわしなく歩いたので、バスを降りてからまだ30分経っていない。ソフトクリームからもバス停からも遠ざかってしまうけれど、善光寺から離れて、もう少し西側へ行ってみる。続く
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鉄道開業150年記念ファイナル JR東日本パス

2023-03-21 23:02:55 | 旅行記
2022年10月に「鉄道開業150年記念 JR東日本パス」が発売され、久しぶりの乗り放題旅行を楽しませてもらった。
それが好評だったからか、最初から計画していたのか、2023年3月2日~15日にその第二弾「鉄道開業150年記念ファイナル JR東日本パス」が発売されることが、2022年末に発表された。10月と値段や効力は変わらず。少し迷って、再び出かけることにした。※前回の旅行記最後と今回分の秋田駅の宣伝について
今回・ファイナル

(前回)2022年10月版
券面は小変化。
名称に「ファイナル」が加わった影響かもしれないが、「JR東日本全線」の文字が小さくなって、「(乗車券・自由席特急券)」の位置が下がった。
下のメッセージは、
10月は「♢150年分の感謝の気持ちをこめて♢ ♢ステキな3日間をお楽しみください♢」。
今回は「つぎの150年へ、みなさまの笑顔とともに ♥ステキな3日間をお楽しみください♥」。


今回の行程は、
秋田→大宮→長野→高崎→越後湯沢(泊)越後中里→越後湯沢→上野→水戸→勝田→湯本(泊)湯本→日立→東京→浦和→大宮→秋田
とした。
4回の指定券は、往復の「こまち」と、上野→水戸の「ときわ」、日立→東京の「ひたち」。
常磐線水戸以北は列車本数が多くなく、特急は全席指定な上、行程の細部は流動的でもあるため、タイミングによっては現地で別払いで指定席特急券を買うつもりでいたが、余裕ある旅程にしていたおかげで、買わずに(普通列車利用)済んだ。上越新幹線、北陸新幹線は自由席。エリア外や私鉄など他社線の乗車もなく(バスは利用)、JR東日本パスのみでの移動となった。

ごぶさたの青森県へ行こうか、いなほに乗ろうかとも考えた。でも前回同様、関東以外のローカル線や本数が少ない在来線特急は、混雑するだろうからやめて、それプラス貧乏性なもので、新幹線に多く乗る、上記の行程になった。
10月よりも、(JR東日本パス以外のきっぷ利用も含めて)旅行する人が増えた印象はあった。それでも、希望の指定が取れないようなことはなく、おおむね快適だった。【22日補足・上越新幹線の自由席では、久々に座れない列車があった。北陸新幹線も含めて、列車を選べばガラガラだったのだが、上越新幹線は、需要に対して列車本数が少ないと感じた。】


JR東日本パス提示により、駅店舗等での買い物割り引きも、前回同様今回も実施。
今回は、全国旅行支援は利用しなかった(し損ねた)ので、駅コンビニNewDaysでのお土産購入にも使わせてもらった。3月1日~10日に、Suicaで1会計700円以上購入すれば、JREポイントが5倍になる「Suicaでおトクな10日間」も実施されていた(久々の実施。以前は200円でもよく、たしかポイント10倍だったような…)。
パスの利用者アンケートの中に、割り引き対象店舗で、合計いくら買ったかを問う質問があった。JR東日本グループの売り上げに、それなりの効果があったことだろう。

そのレシート印字。
旅立ちの朝は前回はおにぎり、今回はサンドイッチ。秋田にはNewDaysブランドは入荷しないので、たけや製パン系列リベール製
NewDaysでは、前回は「JR東日本パス10%引」だった(前回の記事参照)のが、今回は「東日本パス10%引」に略。秋田でも長野でも首都圏でも共通。

長野には「科の木(しなのき)」という、JR系列の土産や駅弁を売る店舗があるのだが、なぜか割り引き対象外。お菓子など主要な土産品はNewDaysにも同じ品がある(たぶん同価格)のだから、NewDaysで買わないわけがない。

NewDays各店舗での割り引きへの対応は、ばらつきあり。
NewDays秋田ぽぽろーど店前。大館から届く花善 鶏めし弁当は9時前後入荷とのこと(昨秋は8時で入荷していたような)
特筆すべきは、我らが秋田駅の店舗。10月も今回も同じく。
店の前に大きなポスターを置いて告知していた。しかも、それっぽい客には、会計時に店員さんが「JR東日本パスはお持ちですか?」と尋ねて、積極的に割り引きしようとしていた。
もちろん、品物といっしょにパスを提示すれば、直ちに割り引きを設定してくれた。

他地域では、レジカウンター周辺に小さい紙が貼ってある程度の告知が多かった。
「これでお願いします」とパスを見せても、「?……150周年のですね」などと、あまり慣れていない対応をする店員さんもちらほら。
地方だけでなく、首都圏でも同様。極めつけは、最後の最後に利用した、O宮駅新幹線改札内のNewDays。パスを見せたら、それらしき操作をしたので安心したものの、後でレシートを見たら、割り引きされてなかった!!!

JR東日本クロスステーション運営の駅弁屋では、1000円以上購入で10%引き。
前回は「鉄道150年記念割引 10%」。新宿駅の駅弁屋 頂のほか、東京駅の駅弁屋 祭もたしかその表記。
今回の駅弁屋 祭は「1000円以上購入割 10%」。運営会社は同じ、高崎駅の駅弁屋 上州は「10%値引き」。統一されていないし、味気ない表記。


前回の旅行記のような順を追ってではなく、今回は順不同でアップしていきたいと考えています(大宮のダイエー浦和のイトーヨーカドーは、別カテゴリーでアップ済み)。続きは駅弁から
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イトーヨーカドーの今後/浦和店

2023-03-16 23:15:44 | 旅行記
懐かしいダイエーの今に続いて、イトーヨーカドーのこと。
3月9日、セブン&アイ・ホールディングスが、今後3年間(2026年2月末)でイトーヨーカドー14店舗を閉鎖する方針を明らかにした、と報道された(その後、創業者が亡くなった報道も続いた)。
この報道では「14店舗」のほか「32店舗(あるいは33店舗)」という数字も出てきて、ややこしい。
別の18店の閉店が以前から決まっていて、今回、新たに14店の閉店が追加。合計32店が閉店することになった、ということだそう。現在営業中なのは125店舗、2026年2月末には93店舗になる。
33店舗というのは、2023年3月5日に閉店した、東京都のイトーヨーカドー竹の塚店を含めてカウントしたもの。基準日が2月末、発表日が3月9日で、その間の閉店がややこしさを増した。

本件は、リークとかスクープとかではなく、中期経営計画の公式な情報。そして、14店舗や32店舗が具体的にどの店なのかは、明らかにされていない。「店舗は首都圏に集中させる」との方針は示している。

セブンアンドアイでは、西武そごうも含めて以前から、数だけ示しておいて、具体的な店舗名は明かさないという発表のしかたをしている。どの店を閉めるのか、決まっているのだろうに。
公式サイトに掲載された、今回の「中期経営計画のアップデートならびにグループ戦略再評価の結果について主な質疑応答(要旨)(https://www.7andi.com/ir/file/library/ks/pdf/2023_0309ks_02.pdf)」には、「IY の店舗閉鎖につきましては、ステークホルダーの皆様に配慮しながらご説明していく必要があると考えており、現段階で詳細の公表は差し控えさせていただきます」としている。

客や従業員の中には、自分が利用する/勤務する店がなくなるのではないか。なくなるのであれば、早く教えてほしいと思う人が多いのは、想像に難くない。
「ステークホルダー」とはあらゆる利害関係者のこと。一般的には顧客や従業員も含める。
セブンアンドアイとしては、お客や従業員に詳しく教えないことが「配慮」だと思っているのか、あるいはお客や従業員は、利害関係者ではないということなのでしょう。


それに、この中途半端な発表により、ネット上には憶測も出ている。見かけたものを挙げると、
・「北海道・東北に現在14店舗あるので、それらが閉店対象で、北海道東北から撤退ということなのでは」
→これは明らかに正しくなさそう。そもそも北海道東北は15店舗(アリオブランド2店舗を含む)だと思う。そして、以前から発表されていた18店舗のことを知らない発言だと思われる。北海道・東北が18店に一切含まれないとは考えにくい。【2024年2月18日追記・結果としては、店舗数はともかく現実になってしまった。末尾追記参照】

・「現在、首都圏とその周辺に93店舗、首都圏以外の全国各地に32店舗ある。存続/閉鎖の発表数と一致するため、地方完全撤退・首都圏周辺のみ存続になるのでは」
→なくはないのかも。面倒なので数えていないし、イトーヨーカドーが言う「首都圏」の定義が不明瞭なので決めつけはできない。これが正しいのであれば、早くその旨を発表するべきだ。


思わせぶりで人の心をもてあそぶようなセブンアンドアイのやりかたは好きになれない。閉店するのはしょうがないにしても、その手順とか伝えかたというのがあるのでは。客の気持ちに思いが至っていないのではないか。
セブンの経営不振と“物言う株主”に言われたことによる大量閉店なのだろうが、客と従業員――とりわけ首都圏以外の地方の――は置き去りにされているように感じる。田舎の店など、とっとと引き上げてしまえ、後はどうにでもなれと。
今どき珍しい、地方都市の駅前に立地しながら、幅広い世代に利用され、2020年11月にリニューアルされたばかりのイトーヨーカドー弘前店はどうなってしまうのか。弘前のみなさんは気がかりなことだろう。【その後は末尾の追記参照】


さて、今回、首都圏へ行って時間が余ったので、駅からのアクセスが良いイトーヨーカドーを探して、のぞいてみた。
JR浦和駅・西口
20年ほど前に1度だけ降りたことがあったが、その後、高架化されてきれいになっていた。
首都圏はいつどこに行っても、人が足早に行き交っている。だけど、浦和駅は人数は多いものの、東京駅や大宮駅と比べると、いくぶん穏やかに人が動いている感じがしなくもなかった。

ホーム・線路の本数が多くない分、駅東西間の通路の距離は長くなく、高架なので駅以外でも高架下で東西を行き来できる箇所があって、東口・西口どちらを利用しても大差ない。
駅ビル・アトレ浦和(セブン系のザ・ガーデン自由が丘浦和店も入る)のほか、東口には浦和パルコ、西口には伊勢丹浦和店などがある。

上の写真では、奥に伊勢丹が写っている。西口を出て右=北側にある。
目指すイトーヨーカドー浦和店もこの方向にあるらしいのだが、駅前からは見えなくて、不安になった。
伊勢丹脇と線路の間の広くはない道を北上し、雑居ビルなどが並ぶ1ブロックを通過。
右が高架、後方が浦和駅
高架沿いの道にぶつかる狭い「路地」のような道路(朝夕は歩行者自転車道規制)に面する建物の上に、「7&i」の看板が見えた。上の写真の角地は雑居ビルで、その1軒隣が、イトーヨーカドーらしい。こんな場所だとは思わなかった。
浦和駅から200メートルほど。弘前駅からイトーヨーカドー弘前店よりは少し近いが、弘前は駅から看板が見えて、大通り沿い。

この路地が、店舗の正面らしい。飲食店を中心とした商店街になっていて、人通りは浦和駅前よりも少し多いような気もするし、年齢層が若いかもしれない。
超広角で撮影
地下1階、地上4階建てと、あまり大きくない。
1972年6月、イトーヨーカドー30店舗目として開店したそうで、51年目の現在では古参店舗。
伊勢丹浦和店は1981年開店だそうで、それ以前は、浦和駅から店が見えたのかもしれない。

1976年10月、63店目の弘前店と比べる(むろん、その後にできた秋田店・現フォンテAKITAと比べても)と、外観や店内の天井高など時代を感じさせる。天井の低さでは、秋田OPA(元ジャスコ秋田店)やイオン仙台店(元ダイエー仙台店)のような雰囲気。

店舗前の駐輪場が自転車であふれている。
店内へ入ると、それほど混雑していない。まあ、標準的なヨーカドーの客数・客層ってところだろうか。同じ時間の弘前店だって、同じくらいは入っていそう。
売り場は手が入っていて古さはさほどないが、今の感覚では狭く感じる。

食品売り場には「IYマイレジ」なるものが。
首都圏、静岡、兵庫の店舗で導入されているそうで、スマホで読み取るレジ(※)とセルフレジを兼ねたレジのようだ。
※イオンでいうところの「レジゴー」。レジゴーでは、店がスマホを貸している(自前スマホでも可能だが、秋田では1人しか見たことがない)が、ヨーカドーは貸し出しはなく、必ず自前のスマホにアプリを入れないといけない。

2階と1階を軽く見て、3月で失効するnanacoのポイントをチャージだけして、店を出た。
そういえば、このnanacoポイントチャージが、セブン銀行ATMではできず、チャージ機はイトーヨーカドーにしかない(セブン-イレブンでは店員に申し出ないとできない)のが永年変わっておらず、不便。この点でも、セブンアンドアイはお客の気持ちに応えているとは言えない。

隣のさいたま新都心駅近くにも、イトーヨーカドー大宮店があるそうだが、1フロアだけのようなので、それよりは大きい浦和店へ行ったのだった。大宮店は1983年開店、さいたま新都心駅は2000年開業なので、それまでは駅前でない店だったのだろう。
人が多い、店が多い、首都圏。対して地方は… イトーヨーカドーのことだけでなく、いろいろなことで、今後も首都圏ひとり勝ちが続きそうで、地方は厳しくなっていくのだろうと思わずにはいられなかった。


【5月20日追記・同日配信東奥日報サイトより五所川原店について
イトーヨーカドー五所川原店が入るショッピングセンター「ELM(エルム)」を運営する、五所川原街づくり株式会社の株主総会が19日開かれ、社長が
閉店になる可能性は高いと思っている
「まだ正式な通達はないが(五所川原店が)いつ何があってもいいように準備を始めなければいけない」と述べた。
とのこと。
【7月1日追記】7月1日、青森の複数のマスコミが、イトーヨーカドー五所川原店が2024年3月頃に閉店する予定であることを報道した。
【7月5日追記】7月3日の陸奥新報サイトによれば、「今回、(青森)県内の弘前、青森、八戸沼館各店舗は対象になっていない。」とのことで、五所川原店のみが、まずは閉店するらしい。では「次回」があるのか、それはいつなのか、そこで残りの店舗はどうなるのか。それを知らせてほしい。

【2024年2月8日追記】その後、八戸沼館店は2024年夏頃閉店見込みであることが発表。
さらに2024年2月8日、弘前店と青森店も2024年内の閉店計画があり、青森県からイトーヨーカドーがなくなることが、複数のマスコミによって報道された。
予想できたことではあるが、現実になってしまうと衝撃的でもある。
【2024年2月18日追記】その他の店舗の閉店も明らかになり、イトーヨーカドーは北海道・東北・信越から撤退することになった。店舗数については、閉店を小出しに明らかにするものだから、報道でもまちまちでよく分からない。ほんとに好きになれないやりかたで、セブン&アイが嫌いになってしまう。
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熱海駅TOICA改札機

2023-03-01 20:34:44 | 旅行記
2022年10月のJR東日本パス旅行記。東海道本線313系8000番台で、熱海まで戻った続き。
静岡・清水から熱海までは、Suica(エリアとしてはTOICA)で乗車した。

熱海駅は、(在来線は)JR東海とJR東日本の境界であり、TOICAエリアとSuicaエリアの境界である。ICカードで熱海駅を越えて、両エリアにまたがって利用することはできない。
また、TOICAエリアは長らく、隣の函南駅までで、熱海駅まで拡大されたのは2021年3月。

そんなわけで、今回初めて、JR東海側から来て、熱海駅でIC出場。
改札内から改札口
床面に「静岡・沼津・三島方面から交通系ICカードでお越しのお客さまは水色の自動改札機をご利用ください」。
JR東日本仕様の自動改札機が並ぶ中、1台だけ、JR東海仕様のIC出場専用の改札機が設置されていて、そこからしか出られない。紙のきっぷでは、乗車エリアに関わらず、東日本の改札機で出場可能。

ICカード乗車券のシステム上、改札機を分けないといけないのだろうが、入場時はその必要はないらしく、入場用はJR東日本の改札機しかない。
TOICAエリアとICOCAエリアの境界である米原駅でも、同じようになっているとのこと。

スマホアプリ「みるCa」で、この時の履歴を見ると…
一部抜粋。最上段が沼津→熱海の乗車
熱海の出場は「JR東海」所属の駅の扱いで、駅名はアプリには未登録のようで「0-0132(東海道本線)」と表示。JR東日本熱海駅とは「別会社の別の駅」を出たことになっているようだ。
【11日追記・Suicaのオートチャージは、JR東日本の在来線自動改札機での入出場時に、設定額を下回る残高だった場合に行われる(2023年時点)。したがって、JR東海エリアから来て、熱海駅で出場した場合には行われないことになる。】


TOICA出場のことは、床面のほか、ディスプレイやホワイトボードでも案内されている。そのホワイトボードが、イラスト入りで手が込んでいる。
熱海駅の在来線部分はJR東日本管轄だから、その社員が描いたと思われ、ほかに黒板アートの案内(季節のメッセージなど)もあるそうだ。
出場用白板は2022年春頃(細部は若干異なる)から目撃情報がある。ホワイトボードだけに、細かいかすれが多く生じている。左にいるのは熱海芸妓マスコットキャラクター「熱海まめっこ」。右が、熱海駅に来る普通列車の車両たちで、コメント付き。

右に縦書きされているのは「恐ろしく細い解説…オレじゃなきゃ見逃しちゃうネ」。
車両は、右下だけがJR東日本の電車。「首都圏で大歓迎!!」
ほかの3つはJR東海所属の電車。左上が313系8000番台、右上が373系、左下が211系。
それぞれ、「全静岡民が感動した。トイレ付クロスシート」、「1日1回しか(営業車では)熱海に来ないレア電車!!」、「静岡では今も現役!!」。

「JR東日本もクロスシートを導入して、感動させてほしい」とか「211系は東日本でも現役の路線があるよ」とか、ツッコみたくなる。
JR東日本の社員もしくは1つの駅が、JR東海の方針(車両導入や運用)について、あまり口出しをしないほうがいいような気がしなくもないですが…


ということで、あとははしょって、「踊り子」で東京、「こまち」で秋田へ帰った。
駅弁の話はまだありますが、旅行記はここまで。→駅弁の記事
今回も、中途半端で物足りない点も少々あったものの、楽しく無事に、久しぶりの旅を終えられて満足。鉄道150周年記念JR東日本パスに感謝。次は150年後とはいかなくても、(過去の事例からして)何年後かの何かの記念でないと、こんなきっぷは出ないだろうから、行ってよかった。
と思っていた、昨年末、2023年3月2日~15日を利用期間とする第2弾「鉄道開業150年記念ファイナル JR東日本パス」が発売されることが発表!
秋田駅みどりの窓口前のパンフレット
「最後のチャンス! 好評発売中!!」は手書きのようだ。秋田駅には書道が得意な社員がいるのかな。
それにしても「最後のチャンス!」と達筆で言われると、逃すのは惜しくなってくる。→ということでまた利用しました
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313系8000番台

2023-02-15 20:17:17 | 旅行記
静岡旅行記。前回は駅弁の話
静岡を離れるべく、東海道本線の普通列車で、清水から熱海へ向かう。天候や気分で行程がどうなるか見通せなかったので、きっぷを買わずに、Suicaで乗車。
ただ、タイミングが合えば、乗ってみたい列車があった。313系電車の“8000番台”。※最近は接頭語を使って「313-8K」と表記する愛好家も少なくないようだ。昔は「485-1K」などとは言わなかった。


JR東海の普通列車の主流・313系電車。1999年から2014年にかけて539両が製造された。ワンマン運転対応の2両編成から、名古屋都市圏の6両編成まで存在し、それに合わせて車内設備はいろいろ。
静岡の東海道本線(熱海~浜松)では、313系と国鉄時代製造の211系電車が使われ、それらを組み合わせて3~6両で運行される(短距離では2両編成もあり)。座席はほぼロングシートのみ。
特に長距離の列車では、混雑していることも少なくなく(青春18きっぷ期間は避けたい)、座れてもロングシートで、せっかくの富士山や駿河湾、街並み・茶畑・ミカン畑といった車窓も楽しみにくくて、少々つらい旅というより移動になってしまうこともある。
でも、東海道本線の線路整備が良好なこともあるにせよ、313系は、滑らかで乗り心地が良いのは好印象。211系と併結した列車で、同じ混雑具合なら、いつも313系を選んでいた。
(再掲)313系2000番台
そんな“ロングシート王国”に、2022年春、名古屋の中央本線(いわゆる中央西線)から、313系8000番台が転属して来た。1999~2000年に、有料(乗車整理券方式)快速「セントラルライナー」用として製造された3両編成×6本。
沼津駅にて
ほかの313系は先頭部が白く(※)、側面はJR東海のカラーであるオレンジ色帯が2本。※313系登場と同時期に、美白ブームを巻き起こしていた鈴木その子さんとの連想から、鉄道愛好家らに「その子」のあだ名を付けられた。
8000番台は、先頭部も銀色。オレンジ色は前も側面も多用され派手。
所属表記は静岡車両区を意味する「静シス」に書き換えられている

車内は、ロングシートでも、ボックスシートでもなく、
2人掛け転換クロスシート
背もたれを好きな方向に変えられるだけで、リクライニングはしない。



向きを変える時は、座席全体が回るのではなく、背もたれだけをバッタンと前後(上の写真では左右)に動かす。
昔の東海道新幹線や在来線特急でも採用されていて、このように今も地域によっては見られる。東日本エリアではお目にかからない。
名古屋圏では、東海道本線の新快速などに使われる313系も、ほぼ同じ設備だが、座席の色が水色だったり、座席間隔がやや狭かったり、日除けがカーテンでなくスクリーンだったり、相違点もある。8000番台は有料快速用だっただけに、少し豪華。

中央本線のセントラルライナーは、2013年で運行終了し、8000番台は以後は無料の快速として運用されていた。ロングシートの新形式315系電車が投入され、持て余し気味で、静岡転属となったのかもしれない。
転属直後、ネット上では、身延線の特急「ふじかわ」を快速化するための車両ではないか、といった噂も流れていたが、違った。東海道本線の普通列車(身延線、御殿場線でも運用されることがあるらしい)で、ロングシートばかりの中に混ざって使われている。
具体的には、211系5000番台・LL編成と共通運用。313系8000番台のほうが優先的に運用されるようだが、整備などの都合上、211系が来る場合があるとのこと。
211系の老朽置き換えとともに、211系にはトイレがないので、その改善策として、持て余していた313系8000番台に白羽の矢が立ったのではないか、との説があるようだ。たしかに、ロングシートと2人掛けの車を共通運用するとは、少々乱暴な話だし、せっかくの8000番台の設備がもったいない【8月22日補足・座席はどうでもよく、トイレの存在を理由に、この運用に入れられているという意味で】。


8000番台は6本しかないだけに、乗車するのは難しい。
ネット上には、ダイヤごとの運用(どの便にどの形式が充当されるか)を調べて公開してくれるサイトがある。それを参考に、静岡を離れる最後、沼津始発熱海行きの電車を狙っていた。さらに運良く、その2本前、浜松発興津止まりの電車でも最後の1駅だけ、乗車できた。

3両編成の興津止まりは、最後の1駅はガラガラ。わずかな折り返し時間で再び浜松へ向かったが、車掌・運転士が場所を交換する時、時間がなかったのかもしれないが、特に背もたれの向きを変えてはいなかった。名古屋やJR西日本では、車掌が車内巡回がてら、バタバタと転換しているのだが。

前回、沼津で降りて駅弁を買ったのは、始発から8000番台に乗るため。
今度の電車は、前が8000番台、後ろが211系5000番台SS編成3両の計6両。※身延線の低いトンネルに対応したのがSS編成。LL編成は非対応。
どちらも、乗務員室扉のドアノブが高低2つ付いている。東日本の211系は1つだけのはず
沼津から乗る人は少なく、余裕で先頭のクモハ313に乗車。次の三島からもそれほどでもなく、熱海まで空席があった。
クロスシートとロングシートが混結されていれば、前者を選ぶ客が多いのではと予想したが、それほどでもないのかな。後ろの車は席が埋まっていたかもしれないが。

沼津~熱海はおよそ20分。混雑していると長い時間に感じるが、今回はあっという間。乗車券だけで、こんなに快適に、この区間を移動できたのは初めてだった。
座席の座り心地は、名古屋の新快速と同じ。373系「ふじかわ」の座席にも、ちょっと似ていて、悪くない。

どの駅でも、発車時に、後ろからぐぐっと引っ張られる、後ろの車両が重く、起動に手間取っているような感覚があった。313系と211系で、加速のタイミングやパワーが違うのは当然だけど。
なお、秋田地区の701系2両×2本の、クハ700形先頭の車両でも、同じような発進だったことがある。

通路部分に、LED式の文字情報装置があり、興津止まりの列車では作動していたが、熱海行きの列車では消灯していた。Wikipediaには「次は 熱海」と表示している写真が載っているので、この時は故障?【17日コメントいただき追記・表示は車掌が設定するため、車掌が乗る後ろの編成が211系の場合は表示させられないとのこと。】


ロングシートに慣らされた東日本エリア住民、そして静岡の人たちにしてみれば、特急かグリーン車ではないかと錯覚してしまいそう。また、不慣れなので、自分で背もたれの向きを変えるのを躊躇したり、相席や通路に立つのを遠慮したりもしそう。一方で、18きっぷシーズンなど混雑列車に充当されたら、修羅場と化しそう。

静岡地区にまだ残る211系電車も、遠くないうちに315系に置き換えられるはず。その時、313系8000番台はどんな存在になっているだろう。
客としては、普通列車であっても適材適所で座席を使い分けられたらいいのだけど、鉄道会社としては、ロングシートに落ち着いてしまうのか。
熱海駅到着。列車は浜松行きに
↑ホームのacure自販機を見て、東日本エリアへ戻ったことを思い知らされる。

ところで、JR東海のホームの自販機。
清水駅。Kioskブランド
写真の清水駅のラインナップは、コカ・コーラ商品のみ。緑茶は綾鷹。
以前は、acureのような自社ブランドのお茶があったのだが、いつの間にかなくなってしまった。緑茶だけでも、静岡茶と宇治茶がそれぞれ出ていた時期もあって、JR東海エリアを訪れる小さな楽しみだった。

熱海駅について続く
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清水駅東口

2023-02-06 23:05:59 | 旅行記
2022年10月、JR東日本パスの旅。前回の記事
静岡を後に、東日本エリアへ向かう前に、アップしていなかった、前日夕方の富士山。
前日は午後でも富士山がとてもよく見え、翌日も朝はよく見えた(この記事に少し写真)が、後に若干雲がかかっていた。

夕日に染まる富士山
JR清水駅自由通路から撮影。甲府から来る時は、一面の雲の中にそびえていたが、夕方には晴れてきた。
これは、自由通路東側(海側・みなと口=裏口側)、北方向の眺め。
広角。白飛びしてしまったが、中央奥が富士山
みなと口のロータリーの向こうには、公園のような広い土地がある。

2008年に、ロータリー付近(地上)から富士山方向を撮影した写真。
2008年11月撮影
白い大きな輪のモニュメントが存在感を放っていた。富士山の障害物と言ってはなんだけど。
2007年1月に設置された「空のむこう」で、ステンレス製の直径12メートル(13メートルとの情報も)。地際を軸に、手動で回転できるらしい。
ちなみに、ロータリーの中に立つ、風力発電風車みたいなのもモニュメント「この空のもとで」。

その輪が、今はなくなってしまい(2021年末撤去)、モニュメントが立って、芝生や外周に少々木があった、公園の北側半分ほどが、更地になってしまっている。
さらに、ここは当初は「清水駅東口広場」だったのが、2021年10月26日からは「清水駅東口公園」に改称されていた。
2004年から「清水区市街地の賑わい創出に向けた各種イベント会場としてご利用いただ」いていた場所が、小さくなってただの公園になったということか?

ネットで見て、多少知ってはいた。ここに病院が建つ。

静岡鉄道・桜橋駅が最寄り(入江小学校とは反対側)の、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO=ジェイコー)桜ヶ丘病院。尾身茂氏が前・理事長を務め、「秋田病院」が能代市に病院がある。
2017年には、当時の尾身理事長が記者会見し、病院を静岡市役所清水庁舎(清水区役所)の場所へ移転することが「正式決定」したと発表。その時点では、清水庁舎が、駅東口へ移転する計画だったらしい。
その後、庁舎移転計画がなくなって、病院が駅東口移転に変わったようだ(静岡市と土地交換)。
【7日補足・市役所と無関係の組織との間での土地交換といえば、秋田市役所とNHK秋田放送局でも行われていた。NHK跡が市役所新庁舎(旧庁舎隣接地)となり、秋田駅東口の空いていた市有地がNHK新局舎となり、別段問題なく済んでいる。】
しかし、東口は津波浸水想定区域に入っているため反対の声が出て、さらに入札不調で着工が遅れもしたようだが、2022年12月22日に着工したとのこと。2024年12月に「JCHO 清水さくら病院(仮称)」として完成予定。
地上7階建てとのこと。できたら駅から富士山は見えるだろうか。

これも前日撮影。夕暮れの興津駅ホーム
東海道新幹線【7日訂正】東海道本線で東へ進む。次の記事は駅弁

【2023年9月16日追記】次回、清水を訪問する時のための備忘録
ソテツ(やサボテン)が植えられた庭の左奥に、海と富士山が配置された絵画を見たことはあった。あまり考えられない組み合わせなので創作かと思っていたが、実在する場所であることを知った。1892年に日本を旅したイギリスの画家・アルフレッド・パーソンズの水彩画「富士山」。
場所は清水区の龍華寺(りゅうげじ)。絵と同一アングルではない感じだが、今も富士山が見え、広い庭園があってソテツ(樹齢1100年で日本最古・日本最大規模。国天然記念物)とサボテンも現存するとのこと。
日本平のふもとに位置し、市街地から市立病院行きなどのバスが多く出ていて、アクセスも悪くない。清水にこんな見どころもあったとは。次回ぜひ。
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金ポスト/生き瓶@清水

2023-01-25 20:43:42 | 旅行記
2022年10月、JR東日本パスで静岡市へ。前回は線路際のアサガオ
静岡市の話題はそろそろおしまい。清水区内で見かけたもの。

JR清水駅前、県道と国道149号が交わる大きな「清水駅前」交差点。元々は横断歩道は一部にしかなく、歩行者は地下横断歩道へ回されていた。2010年代後半に、横断歩道の増設、さらにスクランブル化が行われた。
その地下道の下り口が、
閉鎖中
「地下道の照明水没に伴う補修作業のため通行止め」。
安全第一の柵に富士山
2022年9月の大雨の被害のようだ。照明水没となれば、地下道の天井まで水に浸かったのだろうか。

JR清水駅の真ん前。
郵便ポスト
どこにでもあるの現行の郵便差出箱13号だけど、色が金色!

正面にプレートも付いているが、2021年の東京オリンピック・パラリンピックの金メダリストにゆかりのある土地のポストを金色にする「ゴールドポストプロジェクト」によるもの。全国に79(2022年3月時点)あり、いずれもサイズは13号だそう。
清水は野球・岩崎 優選手(阪神タイガース)の出身地であるため。


JR興津駅近くにて。資源ごみ収集日が近いようで、集積所に空きびんを入れる箱が置かれていた。

秋田市でも、同サイズと思われる薄緑色の回収箱に入れる(※)ので、基本は同じだけど、ここは2色ある。秋田市では、昔は空き缶は違う色の回収箱だった(今は袋)けど…
※秋田市役所では、昔は市旗など“秋田市の色”である「若草色」と称していたはずだが、今は「緑色の回収箱」としている。関連記事

清水の回収箱は、オレンジ色と水色。静岡市ホームページでは、箱は「コンテナ」、色は「黄色」と「青色」と称している。

水色は「清水ビン収集組合」と書かれたものと、その部分に「静岡市」を貼ったもの。オレンジ色は「清水市」。どちらも静岡市合併(2003年)以前から使っている箱なのだろう。

オレンジ色の箱は短辺のほうに、違うフレーズが書かれていた。
「生きビン」
生きビン、聞いたことはなくもない気はするけれど、意味はピンとこなかった。「生きた瓶」?

生きビンとは、一升びん、ビールびん、牛乳びんなど、洗って再びそのまま使う瓶のこと。「リターナブルびん」。
そうでない一度きり(砕いてリサイクル)のびんは「雑びん」「ワンウェイびん」「再生びん」。

「生きビン」は業界用語っぽい感じもするが、静岡市以外でも、市民向けごみ分別で当たり前のように使っている自治体も少なくない。現状では、「リターナブルびん」のほうが通りがいいのでは。
秋田市では、空きびんとして一括回収だからごみ収集では使っていないが、リサイクル関連のホームページには「リターナブルびん」「ワンウェイびん」の表記が存在する。


そして、近年の合併などの都合なのだろう、静岡市内でもごみ分別方法は統一されておらず、(びん以外も含めると)都合6つのエリアに分けられていた。
びんに関しては、2パターンで、旧・静岡市(葵区、駿河区)のエリアと現・清水区のエリアに分けられる。
生きびん/再生びんに分けるのは清水区のみで、旧・静岡市では分けずに黄色コンテナへ。
清水の生きびんは、ビールびんと一升びんが対象。

市ホームページでは、清水区分は、びんは「コンテナに入れてください」としている。秋田市は「回収箱へ」。
それで充分じゃないかと思ったが、旧・静岡市分は「黄色いコンテナへ、横にねかせて入れてください」としている。
はっとさせられた。
秋田市では、瓶を回収に出す時、縦に置く人が多いと思う。無意識だが、そのほうが転がらないし、整然とたくさん入りそうだしという理屈はあろう。ただ、雨や雪が入ってしまうし、背の高い瓶があると、回収時に箱(コンテナ)を積み重ねられなくなる。

おそらく、そういう対策で、横にさせているのだろう。
でも、一升びんだと横に収まるのか、量が多くなるとあふれたりしそう。それにどうせなら清水側でもそうすればいいのに。

話がそれて古紙回収。静岡市では、市による回収は2012年度で終了。町内会等の集団回収やスーパーでの回収にシフトさせていた。
秋田市では、市の回収が続く一方、町内の集団回収に奨励金を出しており、市の資源ごみの日にはほとんど古紙が出されない町内もある。
回収率とかコストとか、どうするのがいいのだろう。


旅行先は続く。次の記事は食べ物カテゴリーで静岡駅弁
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しずてつストア・MV東海

2023-01-22 19:37:59 | 旅行記
JR東日本パスで静岡市へ。清水区入江地区まで行ったところで、静岡のスーパーマーケットを覗いて、あれこれ。旅先でスーパーに入るのも楽しい。
ところで、今回の旅行では、全国旅行支援で1泊3000円分の地域クーポンを頂戴した(2022年時点)。
長野県は500円×6枚の紙クーポン(2022年時点)。ホテルの売店と上諏訪駅前のスーパー「ツルヤ」で消費。
静岡県は電子クーポンのみ。「region PAY(リージョンペイ)」というスマートフォンアプリが必要だというので、事前にインストールしておいた。
ホテルのチェックイン時には、A4のコピー用紙を渡され、その2次元バーコード(QRコード)を読み込んで使えとのこと。コピー用紙といってもコピーしたものではなく、予約ごとに個別に情報(氏名やQRコード)が掲載されているらしい。スマホがない人は、この紙を店で出せば、決済できる店もあるらしい(詳細不明)。

僕はキャッシュレス決済全般は好きだけど、スマートフォンを使うコード決済は、積極的には使いたくない。財布より重く、電源が入って&電波がないと支払いできないというのは、スマートじゃないと思ってしまって…
リージョンペイは、お店のレジにあるQRコードをスマホのカメラで読み込んで、スマホに支払額を入力して決済する方式。このタイプのコード決済を使うのは初めて。
難しくはないが、お店の人にスマホの画面を見せて「入力しました。払いました」としなきゃならないのは、やはりスマートじゃないないし、財布の中身を見られているようで、やはり好きになれない。
また、この時点でのリージョンペイの欠点だと思われるが、支払額入力時に、現在の残高が分からないのが困る。残高を越えた額を入力してしまうと、最初からやり直さないといけないのが不便。入力画面に残高を表示すればいいのに。


この手のクーポンでは、どういう店が参加するか(参加させるか?)は、県によって違う。土産物店、飲食店は趣旨からして普通入るが、コンビニのような全国チェーン店が入るかどうか。宿泊場所や日程によっては、チェーン店でしか消費する機会がないこともあるし、多少でもその県へ経済効果があるだろうから、悪いこととは言えないと思うけれど。
おおざっぱな傾向としては、大手コンビニやドラッグストアは、参加している県が多い。問題は、スーパーマーケット。
例えば、秋田県ではたいていのスーパーで使えるが、青森県はスーパーでは使えない。イオン、いとくなど両県で展開するのに、秋田でしか使えないのは、青森県側がスーパーの参加を拒んでいるのか?
一方で、イオンなどが参加している県でも、地元スーパーの一部が参加していないこともある。これは、スーパー側の判断だろうから、収益や事務処理の事情なのか。静岡県でもそれがあった。

静岡県の中部~東部でよく見るスーパーといえば「しずてつストア」。
静岡鉄道の系列で、沼津駅前など旅行途中に便利な場所にもある。しずてつストアは、残念ながら地域クーポン使用不可。

ちなみに、しずてつストアはキャッシュレス決済の導入も独特。
スマホのコード決済は主要なものを網羅。クレジットカードも可。
ところが、電子マネーは、自社のIC乗車券「しずてつカードLuLuCa」のみ。Suicaとか楽天Edyは使えない。※静岡鉄道とバスではSuica使用可、ストアでは楽天ペイは使用可。


しずてつストアと同じくらい多いのが、マックスバリュ東海。イオン系だから、地域クーポン使用可。
10年前に三島市街地に行った時、「マックスバリュエクスプレス三島本町店」という小型スーパーが目新しかった。マックスバリュ東北→イオン東北でも、マックスバリュエクスプレスはあるが、営業時間、立地、レジ(後述)など若干雰囲気は違う。

東海では、その後、エクスプレス店舗を増やしているようで、清水市街地にも複数できていた。
前回出てきた、清水入江小学校入口には、別のスーパーの居抜きである清水追分店があった。24時間営業でコンビニ要らず。
マックスバリュエクスプレス清水追分店
↑駐車場が大きくないのが昔ながらの街なかのスーパーらしい(歩行者との接触や、店舗突入とかちょっと心配)。ただし、下記の新築店舗でも、駐車場はさほど大きくなく、都会ならでは。

JR清水駅前にあった7階建てビル・西友清水店の跡(の一角)にも、「マックスバリュエクスプレス清水駅前店」が2018年開店。
10年以上更地の秋田ニューシティ跡地にも、こんなのがあれば…


マックスバリュ東海では、清水名物「追分羊かん」を置いているのは調べ済み(製造元の店はクーポン不参加)。
ところが、追分店、駅前店とも、品切れかそれに近い状態。
さらに、レジが大行列。
東海のエクスプレス店舗では、コンビニ形式の対面レジを導入(10年前の三島はスーパー形式だったが)。東北のエクスプレスでは、昔はコンビニ形式で、今はスーパー形式と、逆の対応。
東海では、セルフレジもあって(総合スーパーイオンやマックスバリュのとは違うタイプに見えた)、店員がセルフへ誘導もしているが、焼け石に水。

その原因は、この日が「すこやかカメさんデー」だったから。
マックスバリュ東海独自の企画で、65歳以上に「すこやかカメさん会員ご優待カード」を発行。6・16・26日に提示すれば、全品1割引きになる。
イオングループ全体の「G.G.感謝デー」は、15日だけ5%引き(55歳以上)だもの、このご時世、これだけ行列になるのも無理はない。と退散。

結局、地域クーポンは、清水駅の東海キヨスク「ベルマート」にて使用。追分羊かんは、期間限定きざみ栗入りも含めて、山積みで売ってくれていた。


●しずてつストアで静岡駅弁
秋田県大館駅弁「鶏めし」は、秋田市や青森県弘前市のスーパーでも常時発売されるように、地域で親しまれる駅弁を、スーパーが扱うことはある。
しずてつストアでは、静岡駅「東海軒」の駅弁を置いていた。
旧・静岡市内でない清水区の入江店や、東部の沼津駅前店にも。
確認できた限りでは、幕の内弁当、サンドイッチ(駅弁仕様の箱入り)、親子飯が、惣菜・弁当コーナーに置かれていた。スペース的に入荷数はせいぜい3~5個か。

東海軒店舗や駅キオスクでは、旧・静岡市内でしか売られていないと思う。清水や沼津には、それぞれ地元の駅弁があるので、すみ分けとして。
東海軒の幕の内は有名、親子飯も人気なようだが、食べたことがない。いつも別の弁当を買ってしまうので(後日)。


●季節外れのかしわもち
柏餅といえば端午の節句。5月5日、もしくは旧暦の節句を過ぎると、ほぼ見かけなくなる。柏餅が好まれる秋田県由利本荘市であっても、夏以降はないだろう。

ところが、マックスバリュ東海(追分か駅前かどっちか)としずてつストア沼津駅前店の惣菜売り場には、10月だというのに柏餅があった。
どちらも、わざわざ店内で製造したようだから、それなりに人気があるのだろうか。通年で売っているのか、10月に柏餅に関わる何かの行事でもあるのか。


●マックスバリュでドラえもんのうた
マックスバリュ東海の大行列に辟易して、退散しようとした時、店内放送で懐かしい歌が流れた。
「ドラえもんのうた」
「♪こんなこといいな できたらいいな」の、テレビ朝日「ドラえもん」の主題歌。
最初期(=テレビでは1979年~1992年)の大杉久美子歌唱版で、3番までのフル。

東北のマックスバリュでは、オリジナルの歌詞付きの独特な歌を流していた。イトーヨーカドーなんかでは、歌がないインストゥルメンタル版を、従業員向けの合図の意味を込めてBGMとして使っている。
だけど、店とも季節とも関係がないであろう、詞がある歌をBGMとして使うのは、違和感というか存在感がありすぎるというか、そもそも理由が知りたくなった。

帰ってから調べると、定例の店内整理=クリーンタイムの合図なのだそう。
イオンリテールとイオン東北運営の総合スーパー・イオンにおける「イン・ザ・ムード」(昔は「シンコペーテッドクロック」)と同じ意味。
なお、東北のマックスバリュでは、音楽なしで声による開始と終了の案内放送。
イトーヨーカドーでは「サザエさん」か「一週間」のインストゥルメンタルが、その合図(店舗によっては定例打ち合わせの合図)だそう。

それにしても、どういう理由で「ドラえもんのうた」がクリーンタイムなのかは不明。まあほかの曲でも同じだけど。
アニメ主題歌を使うのだったら、清水ならば「おどるポンポコリン」のほうがいいのでは? それだと、かえって店内が散らかっちゃいそうか…
あと、その理屈ならば、「ドラえもんのうた」は、作曲者・菊池俊輔先生の出身地・弘前をエリアとする、イオン東北の店舗で流さないといけなくなるか。それはそれでいいかも。


地元スーパーはむろん、全国チェーンのスーパーでも、所変わればいろいろ変わるもの。
旅行記は続く。次の記事は植物カテゴリーです。
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まる子の母校

2023-01-15 20:19:21 | 旅行記
間が空いてしまった、2022年10月のJR東日本パスの旅行記。前回の静岡市清水区の「ちびまる子ちゃん」にゆかりがある一帯の続き。

原作者としてのさくらももこ、お話の中のさくらももこ(ちびまる子)とも、通っていた/いるのは「清水市立入江小学校」。静岡市との合併により、現在は「静岡市立清水入江小学校」。
前回の神社の社務所とは違って、小学校がここであることは公式に明かされているが、やはり作中と実物は異なる。そして、現役の学校周辺をよそ者がうろつくのも迷惑になりかねないが、ちょっとだけ見させてもらった。

本来なら、さくら家から通学路(であろう道)をたどればいいのだろうが、面倒なので最短ルート。
静岡鉄道「桜橋」駅下車。さくら家最寄りの入江岡駅とは1駅離れているが、駅間距離は300メートル。
駅舎は、学校とは線路反対側で、県道197号のオーバーパスを渡らないといけなそうだったが、小さな踏切があった。渡って、住宅の中の狭い道を少し進むと、もう学校の敷地なのだが、そこは学校の裏側~横なので、そのまま進んで正面側まで回り込む。

踏切から300メートルほどで、旧東海道であるちょっと広い市道に出る。
この市道を西へ700メートルほど歩けば、さくら家付近なので、ここが通学路だったのだろう。途中には作中にも出てくる県道を渡る横断歩道橋がある。
旧東海道は片側1車線。歩道はあるが、車道との境に段差も縁石もなくて少々あいまい。バス通りではないが交通量は多め。沿道には民家もあれば、店舗もある。いかにも、古くから続く街の道路という感じ。

この付近の町名は「追分(学校は追分二丁目)」。
写真に少し写っているAEONマークのスーパーは、「マックスバリュエクスプレス清水追分店」。2014年9月まで「フードマーケットマム 追分店」だったのを、マックスバリュ東海が居抜きで継承したようだ(別記事で少々)。
写っていないが、この先方には、ちびまる子ちゃんにも登場した「追分羊かん」の本店がある(これもいずれまた)。
追分羊かんの横で小さい道が交わっており、それが清水湊へ至る「清水道」。東海道と清水道の分岐点であるから「追分」。清水道をたどると、さっきの踏切へつながる。

マックスバリュの向かい付近の路肩に看板。
「左折」の赤文字が薄れてしまっている
「清水市」を上貼りしたと思われる「静岡市」による「この先、左折通り抜けできません。」。
先方に信号機付き十字路交差点があって、そこを左折すると行き止まりと言っている。

交差点を過ぎて、振り返る。右が行き止まり
↑交差点の車両用信号機のうち、行き止まりから出る側だけ、従来タイプ・フード付きで、ほか3方向は低コスト・フラット型。行き止まり出口側だけ先に更新されたため。
行き止まりの道

左には電話ボックス
交差点から50メートルほどで行き止まりなのだが、その突き当りにあるのが、
清水入江小学校の正門
大通りに学校の入口を示す看板がないのは、静岡市では普通なのだろうか。秋田市では、あったりなかったりだけど。
学校の敷地が広い道路に直接面しておらず、住宅に囲まれるような奥まった立地なので、校舎の全景が見えないのだった。正門から見える階段室らしき部分に、時計があっても良さそうなのにないのも特徴的か。作中では、校舎の形状は似ているが、道路から校舎が全部見え、時計が付いている。
さらに、グラウンドを含む学校の敷地の形状が四角でなく、三角形に近いのも特徴。昔からある東海道と清水道に囲まれているわけで、当初からそうだったのだろう。
【16日コメントをいただき追記・敷地東側の道路にも「東門/裏門」が存在し、当時は在住地に応じて通る門が決められ、さくら家方面からは東門が指定されていたとのこと。】

以上のような立地は、秋田市立保戸野小学校に通ずるものがあるように感じてしまった。旧街道や行き止まりではないが、同じくらいの道路(菊谷小路)から、曲がって少し進んだ突き当りに学校がある。それに、入江小学校とマックスバリュとほぼ同じ位置関係の場所に、かつては「マルナカ」というスーパーがあった(2004年の風景)。開校は、入江小が明治6年、保戸野小が明治7年と、共に歴史ある学校であり、教育委員会が秋田市内・清水区内の小学校を一覧表にする時(秋田市では「学校番号」と称する)、それぞれ最初に挙げられる学校でもあるらしい。
このような地理的環境の学校は、それほど珍しくないかと思う。秋田市でも保戸野小のほか広面小や港北小など、いくつか思いつく。学校は別に広い道路に面する必要性は低いし、周囲が宅地化・道路整備される前に開校(または移転)したものもあるからだろう。

正門から見える校舎は、鉄筋コンクリート造4階建て。この右側にも、同じくらいの長さで3階建ての校舎がもう1棟ある。それぞれ、西校舎、東校舎と呼んでいると思われる。(後で写真あり)
学校のホームページ「学校の歴史」には、1959(昭和34)年に「校舎鉄筋化の工事が始まる」、1979(昭和54年)に「鉄筋校舎が完成する」とあり、2006(平成18)年には「西校舎耐震工事」が行われている。
Googleマップストリートビューによれば、東側の校舎も、2021年度に改修工事が行われて、現在の姿(色)に変わっている。それ以前は、外壁が薄ピンクというかオレンジ色というか肌色で、部分的に黒ずんで汚かったが、味わいがある校舎だった。
校舎の見た目で判断(秋田市の場合)しても、西校舎のほうがひさし状の構造物がある古い造り。
国土地理院サイトで航空写真を見ると、1969年では西校舎は存在していて、東側校舎の位置には違う建物(おそらく低層の木造校舎)がある。1978年には東校舎ができている。
したがって、ちびまる子ちゃんの舞台である1974年時点では、東側校舎はまだ存在しなかった。もしかしたら建築工事中だったかもしれない。正門の風景が今と違ったのは確実。

秋田市だと、最初の鉄筋コンクリート造校舎ができたのが1960年代に入ってから(土崎中1961年、保戸野小1963年など)。それらの校舎は、耐震改修されずに改築(解体・新築)されている。


話を戻して、交差点近く。電話ボックス横の家は、元はお店だったっぽい造り。児童向けの文房具店か何かだったのかも。【16日コメントをいただき追記・本当に文具店だったとのこと。】
電話ボックスは、現在は、黒い枠で、ガラスに色が付いたタイプ。
ストリートビューによれば、これに更新されたのはつい最近、2021年9月~2022年5月の間。その前は、銀色枠で天面が赤く、無着色ガラスの「A-BOX/A型ボックス」と呼ばれるもの。更新後、現在のはC型ボックス。

さくらももこのエッセイでは、まる子がここから家へ電話をかけて忘れ物を持ってきてもらった記述があるらしい。アニメでは、校内の公衆電話しか使っていないと思うし、登校後ならば数十メートルとはいえ学校敷地外に児童が出ることは許されないようにも思う。
【16日コメントをいただき追記・実際には、当時の校内に公衆電話はなく、登校後に門前の文具店に買い物にいくようなことは黙認されていたそうだ。】
まる子が使った電話ボックスだとしても、当時はそのA型だったかどうか。当時はA型は存在していたが、さらに前のガラス面積が少ない「丹頂形」だった可能性もあるので。

敷地西側・グラウンド沿いの道=清水道から
やっと校舎が2棟そろって見えた。右が東側の校舎で、正門側の反対面が見えている。
それにしても、2つとも大きいというか長い校舎で、かなりの収容力がありそう。2022年度の児童数は674名だから、片方では収まらないだろうが、現状では少し余っているかも。【16日コメントをいただき追記・1971年度では1553名だったとのこと。】
清水区内の小学校では、入江小は児童数が多いほうから3番目。
ちなみに秋田市立小学校では、多い順に桜小883名、日新小795名、港北小602名。

上の写真、2つの校舎の間には、
富士山! ヤシの木も温暖な静岡ならでは
街のあちこちから富士山が見える清水ではあるが、学校から見えるのもうらやましい。
だけど、学校から見て富士山は北東方向、校舎は南向きのグラウンド側が教室だろうから、授業中に富士山は見えなそう。

ちびまる子が通ったのは、こんな学校だった。
ちびまる子ちゃんの世界を保存しているわけではないので、変化があって当然。学校統廃合が進むご時世、同じ場所に同じ名で残っているだけでも、貴重だ。



前回、ちびまる子ちゃんの舞台ではあるが、現実に人が暮らす街であるから、明確に公表されていないと思われる生家の町名や神社の名を記すのは避けたていたのだが…
清水入江小学校の東側の道路沿いに、敷地内から外向きに、周辺の案内地図が立っていた。校舎の工事後、2021~2022年に新たに設置されたようだ。
ストリートビューより
作成者・設置者の記載なく、なぜか英語表記。
どこかに日本語版があるのではと思ったが見当たらなかったし、学校敷地内なのでじっくり見たり撮影したりはやめておいた。

ツイッターに板面の写真を投稿されたかたがいらしたので、改めて拝見すると、「Irie Area Walking Map」。地図中には、アニメ版ちびまる子ちゃんのシルエットが描かれたり、アイコンになったりしている。アイコンは「Places Maru-Chan Related(まるちゃんに関連した場所)」で、聖地巡礼にも使える。
驚いたのは、その1つが「Momoko Sakura Resided(さくらももこが住んでいた)」として、さくら家の位置を示していること。地図の縮尺から詳細な場所は特定できないものの、この町のこの通りのこちら側のこの辺だったということは分かる。
さくら家(跡)の場所は、公式には明らかにされないことになっているのだと思って、前回の記事でも配慮したのに。構わないのか。

さらに、クリスマス会が行われた社務所のモデルではないかと推測した神社にも、特に説明はないがまる子印が付いている。こうなったら書くが「若宮八幡神社」である。
一方で、作中に出てくる「こくぞうさん」こと淡島神社や白髭神社は、地図に示されているが、まる子マークはなく、「Related」の基準が不明。
日本語版はあるのか、観光案内所での配布やネットでの閲覧はできないのか。せっかく作ったマップがもったいない。


旅行記はまだ続く
コメント (3)
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