秋田では旅客営業を行う私鉄(第3セクターは除く)はなくなってしまったが、青森県は多い。その1つが「弘南(こうなん)鉄道」。
津軽地方で路線バスを運行し、貸切バスを秋田市内でもたまに見かける「弘南バス」とルーツは同じ(1626年創業)だが、1941年に分社化され、現在資本関係はないそうだ。本社も鉄道は平川市(旧平賀町)、バスは弘前市と別。今回は鉄道中心に話を進めます。
車両側面の社章。弘南バス系列の「K」をモチーフにしたロゴではない。
【3月17日追記】忘れていたけど、最近今風のロゴマークも制定したようで、一部車両や昨年やっとできたwebサイトに出ている。「K」がモチーフだがバス会社とは別デザイン。
路線は「弘南線」と「大鰐線」。
「弘南線」はJR奥羽本線弘前駅から東の黒石市へ向かう16.8km、12駅。以前はJRと同じ改札口で出入りできたが(秋田の羽越本線羽後本荘駅の由利高原鉄道と同じ構造)、新駅舎ではJRが橋上の2階、弘南が東口(裏側)1階と離れてしまった。途中の平賀駅に同鉄道の本社がある。
かつて、弘前の北の奥羽本線川部駅と黒石を結んでいた国鉄黒石線を同社が引き継ぎ「黒石線」として運行していたこともあったが、現在は廃止されている。「弘南線」をうっかり「黒石線」と言いがちでそれでも通用するが、あくまでも同社のルーツ、メインの路線なので「弘南線」と呼んでいるのだろう。
「大鰐線」は弘前市と南の大鰐町を結ぶ13.9km、14駅。弘前側はJRの駅とは別で、徒歩15分ほどの弘前公園方面へ行く土手町商店街裏手の川沿いに「中央弘前駅」があり、場所は分かりにくいが味のある駅舎(いつか紹介したい)。そこから弘前大学の裏手、リンゴ畑の中をかすめ、奥羽本線に接近し、立体交差してJR大鰐温泉駅と同じ場所の「大鰐駅」へ至る。JR(弘前-大鰐温泉11.8km)なら10分230円のところを30分420円もかかる。運転本数はJRより多いが、減少傾向(10年ほど前は一部区間で20分間隔だったが現在は昼間は45分毎、4月からは1時間毎)。
同線は1952年に「弘前電気鉄道」という別会社が運行を開始し、1970年に弘南鉄道に譲渡されている。譲渡前はおそらく「弘前電鉄」と呼ばれていたと推測され、ごっちゃになって、「弘南
電鉄」や単に「電鉄」と呼ぶ人がいるが、正しくは「弘南
鉄道」。
僕は学生時代に毎日走行音を聞いて暮らし、踏切を渡り、時々乗ったり、駅前の飲食店で飲んだりしてなじみ深く、「弘南鉄道」といえば大鰐線の特に西弘前駅(現・弘前学院大前)周辺を連想してしまう。
西弘前駅から北側の踏切を見る
両線に共通するのは、車窓からの岩木山が美しいことと、かつての“身内”だった弘南バスと競合すること。鉄道とバスで途中経路が若干違うものの、運賃と所要時間はほぼ互角。鉄道の分が悪いのは冷房がなく、夏は蒸し風呂なこと。バスは全て冷房車。
その冷房のない車両がこれ。
2008年4月大鰐線西弘前駅(当時)
1960年代半ばに製造された東京急行電鉄(東急)7000系電車が1988年頃譲渡されたもの。
地方私鉄の多くは経営が楽ではないから、大手の中古を使用することが多い。特にこの東急7000系はサイズや部品入手などの都合だろうか、扱いやすいようで、各地の地方私鉄へ譲渡されている。
40年以上前の製造なのに、それほど古く見えないが、この車両が日本初のオールステンレス製の車両だからかもしれない。国鉄がステレス車を導入したのが1980年代だから、その20年前の先進的な車両だったのだろう。東横線や地下鉄日比谷線を中心に活躍していたらしい。
車両連結面の製造銘板
1965年製の大鰐線の車両。東急車輌は東急系列の車両メーカーで現在は新幹線も製造する。「こまち」の半分も同社製。
東急からの転入時は弘南鉄道に合わせて2両編成に短縮し、ワンマン運転に対応したほか、暖房が強化されたようだ。最近は、ドア開閉ボタンの設置(半自動化)、一部は車体の赤色帯を青色にされた車両もある。
大鰐線の全車両と弘南線の一部は上の写真車両のように東急時代ほぼそのままだが、弘南線の一部車両は下の写真のような“表情”。
正面がまっ平らで窓がアンバランスな配置
これは「先頭車化改造」といって、元は運転席のない中間車両を改造して、運転席のある先頭車にしたもの。長い列車を2両に短くするのだから、当然運転席が不足するわけで、その対策。
車内はほぼ東急時代のまま
有名な話だが、つり革(つり手)の広告も多くが東急時代のまま。(画像は大鰐線で撮影)
「東横お好み食堂」「東急食堂」もうないんじゃないだろうか?
「東横のれん街」今も東横店1階にある
「東急百貨店」と弘南線沿線の自動車学校
ほかに「109」もあるようだ。
かつては朝夕に快速列車があったが、数年前の大鰐線の朝便を最後に廃止された。その専用車両としてこの電車があった。
2008年4月大鰐線津軽大沢駅
7000系より少し先輩の1960年製の東急6000系電車。まだ全部をステンレスで作る技術がなかったようで、見えない部分は鉄も使われているそうだ。その後の東急の車両の基本となった意義深い車両だそうだが、製造数が少なく、今は日本中で大鰐線にしか残っていない。
現在のステンレス車両は、表面がつや消し加工されて平らだが、この6000系はアルミ箔の表みたいにギラギラ光沢があり、側面にはでこぼこの溝があり、窓も小さい。ステンレスの加工技術が未発達だったのだろう。ヘッドライトがおでこにあり、正面は丸っこくて愛嬌がある。こんな姿から、一部の鉄道ファンからは「湯たんぽ」と呼ばれる。走行音も「キーン」というか独特で、朝起きて窓を開けると「快速が走ってるな」と分かったものだ。
快速廃止後は予備車両として7000系の点検・故障時に代走する場合があったらしいが、減便や6000系自体の老朽化でどうなっているだろうか。
僕は6000系が走っているのは何度か見たが、乗る機会は一度もなかった。走行音や曲線を使った内装を味わいたかった。
20年以上前は、もっとレトロな車両が走っていたというが、7000系でさえそろそろ寿命だと思うし、冷房付きの車両もほしいが、弘南鉄道の経営状態からするとどうなんだろう。
昨年は運賃値上げと突然の駅名変更があった。駅名変更は大鰐線の2つの駅名を近くにある大学と高校の校名にし、しかもその発表は変更の直前(駅への掲示が半月前、報道発表が5日前でそこで騒ぎになった)で地元から反発を受けた(が思ったほど大騒ぎにはならなかった)。
実際、乗客の多くは学生なんだろうけど、長年に渡り共生してきた沿線住民を無視した不誠実な対応だ(事後に説明会を開き謝罪は行ったようだ)。駅名になった大学と高校は同じ学校法人の経営だから、学園から鉄道へおカネの動きがあったのかもしれないが、そのことに触れないのもコソコソしているようで気に食わない。野球場などのように「ネーミングライツ(命名権売却)」として堂々と公表し、「こんなに苦しい経営状態なんだから分かってね」と説明すれば反発なしに済んだかもしれないのに。
部外者には分からない内情もあるし、地方公共交通機関としてがんばっているのも分かるが、個人的にはこの駅名変更の一件にはがっかりした。
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こちらの記事でも弘南鉄道を取り上げています。