広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

GoogleMapの「平坦」は嘘

2019-07-31 00:06:30 | 秋田の地理
また(前回)、Googleマップの不自然さ(+そのことをGoogle側へ伝えられないもどかしさ)を指摘させてもらいます。

Googleマップでは、徒歩での道順検索もできる。
その検索結果に「ほぼ平坦」といった言葉が表示されるのに気が付いた。2018年秋頃からそうなっているようだ。
クリックして展開すると、高低差を示すと思われる折れ線グラフも出た。
千秋北の丸の高い部分からマックスバリュ広面店までのルート
右上の検索結果地図中、水色の線は、まさに「ほぼ平坦」な地形である秋田市中央部では珍しい、アップダウンのあるルート。
千秋北の丸の階段を下りて線路を渡り、秋田高校横の急坂で手形山を登り、横金線のだらだらとした坂を下ることになる。距離としては2.5キロだそうだが、積極的に歩きたくはない(実際に経験したことあり)。
(再掲)秋田高校の坂。秋田市内有数の急坂。道幅が狭いのもイヤ
グレーの線、手形山南側のふもとをぐるりと回るほうが、0.2キロ遠くなるがずっと楽。

それなのに、Googleは「全ルートがほぼ平坦」とおっしゃっている。「全ルート」というのは、示した2つのルートどちらもということらしい。
グラフを見ても、特に手形山がツンととんがっているのがよく分かる。
グラフの横軸を読めば、いちばん低い地点が7メートル、最高が43メートルらしい。差し引き高低差36メートル。
左上の「↑37m・↓47m」というのは、このルート通しで37メートル上って、47メートル下るという意味なんだろうか。こういう説明がないのは不親切。

Googleではこの程度は「平坦」と言いたいのだとすれば、なかなか厳しいご判断。
Googleさんが「平坦ではない」と判断した時は、その文言が表示されなくなるだけ。「急峻なルート」とか出るわけではない。
判断基準を示してほしいところだが分からないので、どこが境目なのか検証。まずは秋田高校横の坂部分で。
上は表示なし、下は「ほぼ平坦」
出発点を坂の下の平らな側へ少しずづ動かしてみると、あるポイントから「平坦」になった。
距離500メートル・高低差32メートルでは平坦でなく、550メートル・33メートルでは平坦。

以前訪れた時、富士山に向かって延々と坂が続いていたのが印象的だった、静岡県富士市。適当な地点どうしで、坂の上側へ少しずつ動かした。
上が「ほぼ平坦」、下が表示なし
距離1.7キロ・高低差54メートルは平坦でなく、1.7キロ・53メートルでは平坦。

単なる高低差の大小ではなく、移動距離に対する高低差の比率なのか。よく分からない。ただ、実際に歩く人の感覚とズレているのは間違いない。
ツイッター上でも、「Googleの『平坦』はウソ/だまされた」といった投稿が多数。横浜とか代官山の17%の勾配を示す道路標識がある場所でも、ほぼ平坦とされるらしい。
日本より「平坦」そうな、Google本拠地のアメリカでは、どう判断され、どう受け取られているのだろう。


さて、高さ約123メートルの秋田市の大森山。ふもとのJR新屋駅から頂上の展望台までのルートを検索してみた。
さすがにこれは「平坦」とはみなされなかったと思いきや?
上の画像で高低差グラフでは2つのルートが表示されているが、グレーのほうがおかしい。
それ以前に、最高位も「103m」になっていて、20メートルほど足りない気がするけど、置いておきます。
最低地点が「-38m」!? そこへ下りてまた上がるという、クレーターでもあるかのような地形。高低差は244メートルにもなる。

地図上でマウスを動かすと、高低差グラフの対応する部分に印が付くので、マイナス38メートルの箇所を探せる。
ここが-38メートル地帯!
大森山動物園の園内であった。
Googleマップでは、公道上(ストリートビューの撮影車で同時に計測したのかも?)の標高データしかなく、そのクセ、ルート検索では施設内の通路も道路と認識してしまい、かつその標高データが異常な値になっているということか。
そもそも、このルートで動物園内に出入りしているのは、駐車場側の出口専用ゲートと遊園地の搬入口みたいなところで、ルート自体が不適切。
これらも、ゼンリンとの提携解消で生じた不具合の1つかもしれない。

となれば、高さ約40メートルの千秋公園。旧脳研前から、ほぼ最高地点の御隅櫓までを検索。
「全ルートがほぼ平坦」
全区間マイナス38メートル。同じ状況だった。

このようなGoogleマップの言いなりで歩くなんて、怖くてできない。秋田市は「ほぼ平坦」な土地だからまだいいけれど、坂の多い街ではなおさら。
テキトーでいい加減なものを示すよりも、分からないことは「分かりません」と言ってくれたほうがありがたいのですが…

※Googleマップのおかしさについての次の記事
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お岩木なっとう

2019-07-28 21:03:02 | 津軽のいろいろ

弘前市の豆腐類のメーカー「かくみつ食品」が、今年春から納豆の製造販売も開始した。
同社の具材入りの「玉子とうふ」は、秋田市内でもよく売られているので、納豆にも期待したが「まず弘前市やその周辺で安定的に販売しその後、青森県内に拡大したい」とのことだった。(この記事後半)
いつか弘前へ行った時に買ってくるかと、気長に待つことにした。

秋田市のハッピー・ドラッグ秋田泉北店へ行ったら、なんと
売っていた!!
かくみつ側が販売エリアを拡大したのか、ハピドラ側の手違い(?)か、先日のイギリストーストエヴェンゲリオンに続き、買えないはずの秋田で、突然の出会い。
なお、近くのマックスバリュ泉店には置いていなかった。
「お岩木なっとう 中粒」
50グラム×3パックで8%税込み105円。
スーパーで売っている同価格帯の納豆は、40グラム×3パックが主流なので、手に取ると若干大きく感じる。

ねぷた絵師にかいてもらったパッケージは、岩木山を背景に納豆のパックを持つ女の子が描かれ、かわいらしい。絵の中で持っている納豆にも、ほぼ同じパッケージが描かれ、その絵の中のさらに中のパッケージは岩木山の輪郭だけ。

パックはごく普通
一般的なタレ(5グラム)とカラシ(1グラム)付き。
お岩木なっとう
大豆は、遺伝子組み換えでないカナダまたはアメリカ産。1個103kcal(タレカラシ込み110.3kcal)。

最近の低価格納豆は「極小粒」がほとんど。
これは「中粒」ということになっているが、(極小粒に慣らされた者には)「大粒」と言ってもいいかもしれないほどの大きさ。

僕は納豆は嫌いではないけれど、そんなに食べないし、食べても極小粒40グラムばかり。
そんな舌での感想ですが、おいしいと思う。
そして、久しぶりに粒の大きい納豆を食べて、量も多いだけではない、大きな豆による食べ応えに満足した。秋田県ではひきわり納豆も好まれ、僕も嫌いではないが、大きい粒の納豆はいい(極小粒は中途半端)。
低価格で粒大きめ・ちょっと多めというのは、アドバンテージになる。

各パックの側面が、部分的に少々ベタベタ(糸引くとかニオイがあるわけではない)したのは、ちょっと気になったけど、また買いましょう。
※2019年9月時点でも、ハッピー・ドラッグ秋田泉北店で販売継続。秋田新屋店でも販売。いずれも多くて2~3個が陳列されている。
【2020年4月4日追記】2020年4月時点では、同じく青森に本社がある「スーパードラッグアサヒ」の秋田市内の店舗でも、販売されていた。売り場全体がハピドラより大きめなこともあるが、アサヒのほうが在庫量が多いようだ。


【28日23時追記】ちょうど今、林先生の番組でやっていた、納豆豆知識。
クラゲに刺されたことがきっかけで、納豆アレルギーになることが多く、納豆アレルギー患者の大部分がサーファーとのこと。

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先にある国道の案内

2019-07-25 23:41:32 | 秋田の地理
交差点の手前に設置される、「こっちに進めばどこへ行く」を示す、青地の道路標識。案内標識のうち「方面及び方向」と呼ばれるものの一種。
全国統一の決まりはあるものの、設置時期や地域・設置者等によってばらつきもあるようだ。

再掲写真とGoogleストリートビューの画像ばかりですが、その一例。
(再掲)秋田市道
古川添交差点南側の秋田市道の標識。
英語表記がなく、手書き文字という旧仕様であることから、1986年頃より以前の設置と思われる。しかし、標識のポールやアームは、現行のものに似た形状なので、旧仕様最末期の設置ではないだろうか(支柱だけ更新して、看板は使いまわした可能性もある)。
現在は、本荘と大曲の上に「由利本荘」「大仙」を重ね張りして対応。

その向かい、交差点北側は秋田県道。
(再掲)
活字だが英語はなく、地面に置いている珍しいもの。
これは、2015年に遊戯施設の送迎バスが衝突して標識を倒してしまい、本復旧までの仮設。
衝突前のものも、衝突後・本復旧されたものも、活字・英字入りであり、これは仮設用としてわざわざ作ったことになる。表示されている地名など内容は、3タイプとも同じ。

「湯沢」が市道側にしかなかったり、そもそも「横手」はなくていいのかとかは、ここでは置いておきましょう。
注目するのは、数字が入った角の丸い逆三角形、正式(?)には「ルートマーク」、通称「おにぎり」こと国道番号。

ここでは13号と7号が出ている。
13号については、この交差点を右折しても左折しても、すぐ13号線に出るということ。

では7号は?
僕も含めて、秋田県内の案内標識を見慣れた人には、(この場所が初めてであっても)何の違和感もなく理解するはず。
ところが、そうでない人の中には、おやっと思うことがあるかもしれない。

ここで、同じような状況の場所にある、青森県道の標識。
(再掲)弘前市土手町。右下が折れているとか、絵柄入りが多いとかは別として
右折側に「国道7号」と書いてある。

秋田も弘前も、右折または左折してある程度進めば、国道7号に出ることを示しているわけだが、秋田ではおにぎりマークで、弘前では文字で表記している。
どうも、全国的には、古川添の13号のような曲がってすぐがその国道(もしくは都道府県道)であればおにぎりマークを使うが、曲がって進んだ先が国道の場合はおにぎりは使わないことが多いようだ。僕は、10年ほど前に埼玉県内で気がついた。
国土交通省近畿地方整備局の「土木工事標準設計図集」では、
「国道43号線」
※国道は「線」が付かない「○号」が正式なのに、↑国交省自身が間違っている。

県や市町村の標識も、国の仕様に準拠することが基本。国交省東北地方整備局の~図集には、具体的な表記例が出ていなくて分からなかった。
古川添交差点の東側、国道13号の門型の車線別の案内標識では、
(再掲)やはりおにぎり

そして、青森市でも、
ストリートビューより国道4号上の標識におにぎり

国道4号も13号も、国交省が直接管理している国道だから、東北地方整備局ではおにぎりを許容というか使っているようだ。
おそらく、秋田県も秋田市もそれに従っているのだろう。手書きだった頃からそうしていることになり、歴史もある。
青森県道では、上の画像以外にも「国道○号」表記もあるが、おそらくスペースが狭い場合はおにぎりを使っているようだ。また、例えば鹿児島の直轄国道でも、おにぎりを使っていて、東北限定の使用法というわけでもないようだ。

見慣れているせいもあるが、個人的にはおにぎりのほうが見やすい。
それに、運転中に短時間で見なければならない標識は簡潔明瞭にするべきであって、「国道X号」だと文字数が多い。おにぎりのほうが瞬時に直感的に国道であることが分かって(外国人には?)、安全にもつながると思う。
駅などにはピクトグラムを使うのが原則になっているのだし、国道もおにぎりを基本にすればいいのに。

ところで、秋田市内でこんな案内標識もあった。
ストリートビューより
手形山の秋田高校の坂を上って、横金線に出る丁字路手前だから秋田市設置。
手形山大橋・手形山トンネル【2023年11月11日訂正・手形トンネル】開通後を反映しているから、2000年前後の設置か?
左折側だけ県道41号で、右側にはそれを隠した形跡があるけど、左右とも41号のはず。右側が県道になる前に隠していたのを、撤去し忘れているとか?

で、国道。左折の7号も右折の13号も、ここからはだいぶ遠い。
左折側は秋田では標準のおにぎりの7号なのに、右折側は秋田では極めて珍しい「国道13号」表記。ここ以外に見たことがない。【コメントの通り、秋田市外では一部存在するとのこと】
おにぎりにして空いたスペースに「御所野」とか「大仙」とか書きようがあるのに。

案内標識の別の話はいずれまた
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小型路線廃止後の小型車

2019-07-23 23:58:31 | 秋田市営バス
秋田市の路線バスには、マイクロバスより少し大きい「小型バス(ミニバス)」がある。※ここでは中心市街地循環バス用の日野ポンチョには取り上げないことにします。
1975年に秋田市交通局(秋田市営バス)が、道路整備が遅れて狭い道しかない新興住宅地の足の確保として導入したのがきっかけ。その後車両が更新され、市営バスの段階的民間移管の中、2003年春に小型バス限定路線と小型車両が中央交通へ譲渡された。この前後、中央交通自身でも、同型の小型バスを何台か購入した。※市営バスの小型車について、小型車路線の1つ泉山王環状線について

2010年代になると、小型車が走っていた路線は減便→廃止、あるいは大きなバスで運行できる経路への振替が進んだ。車両は老朽化が進む上、価格が手頃で現場で扱いやすかったという日野リエッセは製造中止になった。秋田市営バスからの譲渡車も含めて、秋田市外の営業所へ転属した小型車もある。【2021年時点では、元市営バスの車が、子会社・秋田中央トランスポート五城目営業所に転属して潟上市などを走っている。】

2018年秋には、築地経由桜ガ丘線が廃止され、秋田市内の小型限定路線が消滅。小型車がどうなるかと思っていたら、秋田営業所に2台が残った。
結局は、中型バスで運行できても、利用が少ない路線や便を小型車が担当することになったようで、愛宕下橋経由雄和線で目撃。しかし、雄和線も2019年春に路線廃止
あと、秋田駅東口発着の横森経由桜台線に使われることもあったはず。

そんな経緯を経た、今春以降の秋田市内の小型バスの現状。
愛宕下橋経由雄和線の代替の愛宕下橋経由二ツ屋福島線にも使われている可能性があるが、未確認。以前は小型車が使われていなかったはずの、ほかの中型路線にも使われている。
中央交通自社発注の246号車。塗装の緑色が淡いのが特徴。屋根にサビが出ている。
行き先表示(方向幕)は「横森 桜ガ丘」、紙で「大平台三丁目」を出して、秋田駅東口で待機。
つまり、東口発桜ガ丘線、横森・桜ガ丘経由大平台三丁目行きに充当。見かけたのは平日の午後の便。
この路線は狭い道も通るが、市営バス時代も移管後も、ずっと中型車が使われていたはず。
方向幕
※「ガ」が小さいが、桜ガ丘の地名としては大きく表記するのが本来。市営バスの幕でもガが小さい幕も存在したが、下寄りでなく中央に位置していた。
秋田市内用小型車の方向幕は、市営バスからの移管の段階で、自前で新しく作り直したもので、フォントはスーラ。市営バスからの譲受車も、同じものに交換された。
その行き先は、市営バス時代のものを踏襲し(=同内容で書体をスーラにして新たに作成)、中央交通として必要になるコマ(各車庫行きなど)を追加したのかと思っていた。

でも、市営バスでは小型でも中型でも「横森 桜ガ丘」という表示なんてあっただろうか。見た記憶はない。
だからこそ、東口発桜ガ丘線は、単なる「桜ガ丘」を表示していたのだろう。
(再掲)市営バス時代の中型車による東口発横森経由桜ガ丘線
中央交通が気を利かせて「横森」を入れたのが、今になって役に立ったのか知らないけど、ふさわしい表示だ。個人的には「大平台三丁目」より「桜ガ丘」のほうが重要だと思うし。
ただ、それだと廃止された西口発築地経由桜ガ丘線は「築地 桜ガ丘」だったはず。築地経由も横森は通るのだから、そっちにも「横森」を入れないとならなかったのでは?

紙のほうは、終点を表示する必要は分かるけど、どうせなら「大平台三丁目『行き』」とするとか、系統番号は入れるべきでしょう。


もう1つは西口にて。
小田急中古の12-69
幕は「桜ガ丘・梨平」、紙は「城東消防署」。
城東消防署前・桜ガ丘経由梨平行き。中型の明田地下道・横森経由桜ガ丘線・大平台三丁目行きと、小型限定だった築地経由桜ガ丘線・梨平行きの廃止代替である城東消防署経由桜ガ丘線に充当。昨秋の運行開始当初は中型車で運行されていたが、いつの間にか小型化。午後の1往復や駅発17時台に使われていたのを目撃。
やはり系統番号と「城東消防署『経由』」を示してもらったほうが親切でしょうね。

最近来た車だけど、方向幕は他の小型車と共通のようで、市外へ転属した車から外した幕の再利用だろうか。
表示機の枠の造作は、246とは違う
「(空白)桜ガ丘・梨平」。LEDでなくフイルムに印字した方向幕ならではの処理が行われている。
印字済みの一部分を消して、再利用するもので、市営バスを含め各地でたまに行われていた。
廃止路線で使っていた「築地 桜ガ丘・梨平」の「築地」を、新路線への転用に当たって消したということだろうか。にしては余白が広く4文字くらい収まりそうにも見えるけど…
空いたところに「城東消防(署)」を入れると、費用もかかるし、狭くて見づらいから、紙にしたのは分かる。

後部も同じ表示
側面ドア横の表示器も同じサイズで、同じ表示。最初の「横森 桜ガ丘」も、横・後ろとも同じだったと思う。

最後に、市営バス時代の写真。
(再掲)中型車271号車の後部
この時は、西口発明田地下道・横森経由桜ガ丘線、大平台三丁目行き。当時の幕では「秋田駅 明田 桜ガ丘」のはずなのに、設定間違いか故障か、違うコマが表示されてしまっていた。
「秋田駅 明田 桜ガ丘・梨平」。「ガ」が大きい
実際には、梨平まで行くのは、小型車限定の西口発築地経由だけ。明田地下道経由の梨平行きも、中型バスの梨平行きも、実際に運行されたことはなかったはず。(移管後・廃止後には、上記の通り城東消防署経由ながら明田地下道経由梨平行きが中型で運行された)
将来的に路線・系統が設定されることを踏まえていたのか、市営バスにはこういう「無駄なコマ」がいくつか用意されていたようだ。
もし、今の中央交通の小型車にも、このコマが入っていたら、それをそのまま使っても問題なかったかもね。

秋田市内に2台だけ残る小型バス。
まだ使える小型車があるから、とりあえず中型の代走をさせているのかとも思うが、1台とはいえわざわざ中古車を入れたからには違うかも。
あえて小型車を残し、中型路線にあえて小型車を入れることによるメリットがあるのだろうか。中型バスを1~2台少なくできるとか、燃料がいくらか節約できるとか、その程度かな。
今年の秋、五城目方面で一般路線とコミュニティバスを合わせた路線再編が行わるので、その時に変化が生じるかもしれない。

【24日追記】弘南バスの弘前市内の路線では、1990年代後半に日野リエッセを大量導入し、それまで大型・中型バスだけが走っていた路線にも使用。ダウンサイジングが進み(さらに後にマイクロバスも導入)、現在は小型車と中型車が半々くらいの割合になった。当初は小さいバスが来て驚いたものだが、今は当たり前になった。下校時間帯の主要路線に小型車が充てられると、混雑が激しくなってしまうという問題はある。
秋田市では、今さら小型車を大量に確保するのは難しいし、いちおう県庁所在地であり小型では不足する場面も多いはずだから、一般路線バスにおいて、これ以上小型車が増えるということはないと思う。中長期的に人口が激減したり、市街地を小回りするバス路線が新設されたりしない限りは。

【2020年7月24日追記】その後、2019年内に246号車は五城目へ転属。同方面のコミュニティーバスに使われているらしい。
12-69号車は引き続き秋田営業所に残っているらしいが、2020年初夏時点では見る機会がない。また、本文アップ時点で小型車が運用されていた、午後1往復の城東消防署経由桜ガ丘線では、2020年初夏時点で中型車が入っているのを何度か目撃している。
【2021年5月17日追記】2021年春時点では、1269は引き続き秋田営業所在籍。秋田市中心市街地循環バスの代走(この記事前半参照)をしたり、定期的かどうかは不明だが国際教養大学方面の路線に入ったりしている。
【2021年12月30日追記】1269は、2021年に行われた新型コロナウイルスワクチンの、秋田市による集団接種会場へのシャトルバス(秋田駅東口~秋田大学医学部体育館。秋田中央トランスポートとともに受託)にも時折使われた。また、2021年末時点でも国際教養大学方面に入っており、行き先表示に「AEON イオンモール秋田(AEONはロゴでない文字)」のコマが入っているとのこと。中心市街地循環バスは、専用車両の新車が入った(5月17日付追記内のリンク先参照)ため、代走することはほぼなくなった。
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金座街ビルの蛇籠

2019-07-21 16:56:30 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口から続くアーケード(大屋根)の西端に「レストランニューたけや」があった。
それが閉店して、跡がコンビニや飲食店が入る「new金座街ビル」になった。
※金座街とは、昭和50年代までこの付近にあった商店街の名【2022年12月3日補足・昔も今も「金座街」や「金座」は公式な地名ではない。】。かつての秋田市のにぎわいの核の1つであったそうだが、物心つく直前の頃だったので記憶にない。
※ビルの名前は「new金座街ビル」とnewを小文字で表記すると思いこんでいたが、壁面は大文字の「NEW」(の筆記体)、各種サイト等では「ニュー金座街ビル」とカタカナで表記されている。自分で小文字にした根拠が分かりませんが、とりあえず今回は小文字にしておきます。

new金座街ビルは、テナントは安定しているようだし、すっかり街にとけこんだ。もう何年になるんだろうと、当ブログの過去記事を探してみた。
まず、忘れていたけど、建物は解体→新築ではなく、ニューたけやの建物を改装してnew金座街ビルになっていたのだった。
ニューたけやは2009年末閉店。そしてnew金座街ビルとして部分オープンしたのが、2010年7月21日。※この記事中ほどなど参照。
今日でちょうど9年なのだった。

さて、new金座街ビルで、9年前から気になっていたものがあった。
ビル西辺の道路は、近隣他店も含めた搬入の車の積み下ろし場所とされる。駐停車禁止ではないし、横断歩道でもない(路面タイルをリニューアルした時に廃止され、今は分かりづらい色違いのタイルが敷かれているだけ。道交法上は横断歩道ではないのだと思う)とはいえ、道幅が狭く、人通りも多い場所がごちゃごちゃっとしているわけで、通行&横断時は要注意。
西側から。この左が大屋根

南側から
ビル1階西辺、南北方向の道と接する部分にそれはある。
上の写真に写っている1階西辺のガラス部分はファミリーマート。そのガラスは2階以上の壁面よりも内側に引っこんでいて、道路との間にスペースがある。
ファミマ入口から南方向
その空間は、壁面に沿って歩いて通れる、屋根付きの通路。いわば「雁木」「こみせ」のような作り。
ニューたけや時代は、1階のガラスは今と同じ位置だったが、道路との間は通路ではなかった(植栽のようなもの?)ようだ。
道路がそんな状態だから、歩行者が安心して歩くことができるものの、そのせいでファミマのドアも引っこんでしまって、ちょっと入りづらい雰囲気もする。(セルフレジがあって好きな店です)

気になるというのは、通路の道路際、柱の間にある物体。


緑と青のはコンビニの番重


箱型の金属製のカゴの中に、大きめの石なのか小さめの岩なのかが入っている。
同じサイズが柱間に2個1組×3組と、ファミマ入口寄りの柱の間隔が狭いところに合わせて、長さが半分ほどのが1個、計7個のカゴ。

9年前、初めてnew金座街ビルができて前を通った時から、気になった。
工事で使っていたものをまだ片付けていないような雰囲気がして、なんとなく場違いに感じられた。どこかほかの場所で見かけた気もした。
そして、この物体の目的もよく分からなかった。位置的に車止めではありそうだが、それにしては頑丈すぎるような(昨今の暴走事故を考えるとふさわしいのかも)。【23日追記】駐輪させないためのものではないかとのコメントもいただいた。

カゴに砕石を詰めたものを「蛇籠/蛇篭(じゃかご)」と呼ぶそうだ。本来は河川の護岸や斜面に使うもの。歴史は相当古く元は竹製の円筒形のカゴで、その形から蛇を連想したのか。
業界団体名が「日本じゃかご協会」であるように、建設や土木の現場ではひらがな表記をするようだ。現在主流なのは、金属製箱型のじゃかごで、特に「ふとんかご」と呼ぶ。これも形からの連想?
new金座街ビルのものも、布団にしては長いけど、ふとんかごの一種っぽい。
具体的には思い出せないけれど、どこかの川で見たような気がする。※今春の太平川の護岸工事では、じゃかごなしで直接石を置いていた。→本来の使用例を発見

じゃかご協会のホームページでは、河川や斜面への使用例のみが紹介されている。歴史的には当然か。
地盤になじむ柔軟性、石のすき間があることで水や空気を通しやすく、環境や生物にやさしいという利点があるようだ。

そんなじゃかごが、どうして水もなく平坦な駅前のビルの前にあるのか?
調べると、最近、ふとんかごを庭に配置したり、塀代わりなどとして建物の外構に使うことが、流行っていた。そう言われれば、そんなのも見たような。
「最近」というのは、さかのぼれば2007~2008年頃のようで、new金座街ビルもそれに乗っかったようだ。
そして2017年辺りから、またブームになっているようだ。その分野では、じゃかご・ふとんかごでなく「ガビオン」と呼んでいるが、じゃかごに相当する英語「gabion」。中に入れる石の色を変えたり、天面に板を置いてベンチにしたりすることもある。

大和ハウス工業株式会社ホームページの2019年4月の「TRY家コラム(https://www.daiwahouse.co.jp/column/lifestyle/and/vol62/sp.html)」では、「ガビオン(鉄線で編んだ籠に石を入れた装飾)を採用すれば、遊び心あふれる庭になります。」「ガビオンは川の護岸工事などに使われていましたが、独特な装飾からガーデンのトレンドになっています」とされている。
一方、「Yahoo!知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12178770987)」によれば、経年でカゴの中で石が動いてカゴがゆがみ、石を組み直さなければならなくなることもあるとか。

だいぶ知識がついたところで、改めてnew金座街ビルを見る。
自転車が立てかけられている(道路上だと撤去される)

座っている若者も!
若い女性2人組が通りがかり、「ここ座っていいのかな?」と悩んだ末、座らなかった場面にも遭遇。
高さ的にも、座面に当たる天面の面積的にも、ベンチに最適。禁煙の張り紙はあったけれど「座るな」は見当たらないから、ベンチとして使っていいのかな。
でも金属の網の上に座るのだから、座り心地は良くなさそう。炎天下ではヤケドするかも。硬貨、アクセサリーあるいはスマホなどをカゴの中に落としてしまい、運悪く石の奥深くへ入りこんでしまうという悲劇もあるかも。
この9年間で、座られたせいか、石の重さのせいか、カゴの側面が膨らんで・天面が凹んで、少しゆがんでしまっている。
赤い矢印の部分にすき間ができている

世の中のトレンドとしては、オシャレなアイテムなんでしょう。石垣を連想して和のテイストもあるのか。
個人的には、金属の網が冷たく無機質で、人為的に砕いたであろう石を閉じこめていることにきゅうくつさも感じ、好きではない。前から場違い感もあったけれど、本来のじゃかごの用途を知ってしまうとそういうことだったのかと納得(それがオシャレと感じる人もいるわけだけど)。

ここの場合、石のすき間にゴミを押しこむやからがいそうだけど、それはなさそうで、マナーはいい。
だったら、いっそ、ちゃんとした座面を取り付けて、ベンチとして使ってもらってはどうでしょうか。カゴごと取り替えないとダメかな。
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不要な標識?

2019-07-18 00:00:58 | 秋田の季節・風景
秋田市内のとある小さな道路が交わる交差点付近の風景。
何かおかしくありません?
道路標識や路面の白線(道路標示)に注目。

写真右隅の電柱に、青地に白い右向き矢印の標識。ここを入口とする一方通行の道である。本来なら「軽車両を除く」の補助標識がないと、自転車も一方通行しないといけなくなるが、それはとりあえずいいとして。
一方、左側の電柱には、止まれと横断歩道の標識。そして停止線。

交差点内側から。車は手前から奥への一通

外側から。交差点の向こう側は道幅は同じものの対面通行
お気づきだろうか。
この交差点を入口とする一方通行の道において、反対方向から進んできて、交差点に進入する車はあり得ないのに、その向きに道路標識と停止線が存在する。
自転車など軽車両のためと言えなくもないが、同じ状況の他の交差点ではまず見られないから、そうではないだろう。
一方通行の標識を除けば、対面通行の道路の交差点のシチュエーションになっている。

念のため確認してみたが、この道路は間違いなく一方通行。出口側裏面には進入禁止標識があるし、他に逆走側向けの標識も標示もなかったから。
つい最近まで対面通行で、一方通行化されて間もないため、以前のものが撤去待ちなわけでもない。Googleストリートビューでさかのぼっても、以前から一方通行であり、標識・停止線ともずっとこの形。しかも止まれの標識は、つい最近、新しいものに更新されている。
止まれの裏面のシール
「H29」というのが、この標識の板自体の設置(交換)年。2017年。
その下の公安委員会名のシールは、その標識が示す条件が始まった日付というか、ここにこの標識が初めて設置された日付を示すのだろうか。「平成9年」だから20年以上前。

2つの標識が取り付けられた支柱にも、薄れたシールがあった。
古くから存在するのは確実
上の小さいシールは「昭58」とあり、下の公安委員会のシールは「平成7年」のようだ。


この場所は、
中通総合病院の前。右が問題の道路
この道路は、中通総合病院の北側、南大通りとの間にある。西進の一方通行。
反対の病院南側、聖霊高校との間の道は、東進の一方通行。

この環境から考えられるのは、大きな病院だから救急車が出入りすること、昔(秋田中央道路地下トンネル開通以前、2007年まで)は、南大通りが朝だけ西進の一方通行であったこと。
朝に西側から病院へ来る時など救急車が一方通行を逆走する可能性があるから、逆走側にも標識と停止線を…というのもムリがあるな。消防隊員は標識などなくてもしっかりできるはず。

昭和以前の大昔には対面通行だったのかもしれないから、その時の標識の撤去忘れ。もしくは、不要な場所にいったん誤って設置してしまった。
のどちらかで、それが交換されたり引き直されたりして、脈々と生き残っているのが真実ではないだろうか。警察に連絡すれば撤去される可能性が高い。
別にこのままでも特に危険や問題はなさそうだし、あるいは考えつかない、この状態で正しい理由が存在するのかもしれない。どうなんでしょう?

【19日追記・画像追加】コメントで教えていただいた。
2018年7月撮影のGoogleストリートビューに、
一方通行入口から出てくる逆走車が写っていた!
上の画像右側が駐車場になっており、そこから出て逆走する(距離としてはごく短いが、逆走は逆走)車がいるとのこと。この逆走が許されるシチュエーションは考えつかないが、標識と停止線があることが、逆走を助長しているとも言える。
考えてみれば、駐車場から出る車が分かりやすいような位置に、一方通行の矢印標識がないし、駐車場運営者による「一方通行です。左折できません」といった看板もなさそう。改善の余地があると思うが、何よりもやはり逆走向き標識と停止線の撤去が必要かもしれない。

続きはこの記事中ほど。
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牛島西四丁目と大野口

2019-07-17 00:25:12 | 秋田のいろいろ
今年の春時点での状況ですが、秋田市南部のバス停2つ。
今年春、大住・みなみ野団地線の末端部分が短縮された。「牛島西四丁目」回転地(方向転換・待機場所)が使えなくなったためだそうで、西四丁目と西潟敷バス停を廃止し、牛島西四丁目ではない場所に西四丁目バス停を新設(移動)するという、変更を最小限にして分かりやすくはあるが強引でもある方法。

新しい西四丁目バス停はどうなっているか。
大住側から。従来は突き当りの信号を右へ曲がっていた
古川に架かる橋(名称不明)のすぐ手前に、上下がほぼ向かい合って設置されていた。上の写真左が下り側=終点、右が上り側=始発。

反対側から
駅・大住側から来ると、カーブが終わって、信号機のない交差点・横断歩道を過ぎて、橋の手前となる。上り側は横断歩道と重なってしまい、ちょっと危ないのでは?

バス停のポールは、回転地時代は、敷地内に入って乗降を扱っていたようで1本しかなかった。路上では2本必要になる。
下り側が、回転地から運んできたポール。台座は古そうで、支柱はサビサビ、表示板は中央交通移管間もない頃に交換された、丸ゴシック体「JTCウインR」・ローマ字入り。※表示板の書体について

どこかから新たに持ってきたことになる上り側は、
社名が消えている
支柱の錆び具合は負けていない、使い古し。
パソコンの角ゴシック体(ローマ字なし)で黄色いものに印刷したのを、透明テープで貼り付けている。

下り側は終点の降車専用(だから枠はあるが、時刻表は入っていない)なので、いわば運転士と他のドライバー向けの目印であり、客としては意味はない。
時刻表を入れて客が待つ場所である上り側のほうに、少しでも状態のいいポール・表示板を使うべきだと思うけど。近いうちに新品を置くことになっていて、それまでのつなぎということであればいいのですが…


仁井田の国道13号へ飛んで「大野口」バス停。
大野口では、大野集落へ入っていく大野線が分岐する。※大野線について
車線の都合上、分岐した先に大野線下り(大野四区行き)単独の大野口バス停が置かれている。上り側は全線共通のバス停が国道上にある。

(再掲)2011年撮影。国道の下り側大野口
上の写真の中央交通のポールの表示板は、かつて市営バスと中央交通が共用していた四角い板でナール・ローマ字あり。
最近の中央交通では、この共用タイプ表示板を駆逐するごとく、かなりの勢いで、円形(もともとは市営バス単独用ポールのデザインが中央交通へ移管された形)で太いスーラ・ローマ字ありの表示板に更新を進めていた。ただ、昨2018年秋(10月頃?)を最後に一段落し、かろうじて共用タイプが残っている。
現在の国道の大野口は、
市営バスタイプ表示板に変わった!
話がそれますが、羽後交通の表示板に示された、連絡先が「境営業所」になっている。ここを通る高速バスは、車両や乗務員は横手とか湯沢の担当のはずなのに、バス停の所管はまた違うということか。距離的には境のほうが近い。

中央交通のは、国道側の上下とも更新されていた。Googleストリートビューによれば2018年7月では共用タイプなので、昨秋の最後の更新の1つだろう。
支柱のネジ位置が左に偏ってるのは更新前と同じだから、支柱は替わっていない
最近の表示板の特徴である、2~3文字であっても文字間を広げずセンタリング。ローマ字は「ONOGUCHI」。

大野線下り用は、以前は「バスで行こう」タイプだったが、
これも市営バスタイプになった!
ただし、こちらは文字間隔が広がり、ローマ字は「OHNOGUCHI」。例によって統一しようという意志が弱いバス会社のおかげで、国道側とは別のタイミングで作られたと推測できる。
台座や支柱もきれいで新品
ストリートビューで確認すると、2017年7月ではバスで行こう、2018年7月には既に更新されていた。国道側より1年程度早い更新か。
(再掲)以前の大野線用大野口
バスで行こうが破損するなどして、全体を新しくしたのだろうか。
実は写真では分かりづらいが、新しいものの、表示板が少し曲がってしまっている。更新後にも、倒れるか、さらに踏まれるかしてしまったようだ。

では、ここより先の大野線単独区間はどうなっているか。
結論から言えば、以前のまま「バスで行こう」タイプ。大野口だけが新しくなったわけで、やはり破損したのだろう。
ここより先で特徴的だったのが、大野口の次「小中島入口」の下り側。
2011年も2019年もほぼ変わらぬ姿
まず上下両側とも、手書きが基本のバスで行こう表示板の中では特異なスーラ・ローマ字入り。この点は今春廃止された雄和線の仁井田本町四丁目と同じ。
さらに、下り側だけポールの支柱というか枠が、あり合わせの部材を組み合わせて作ったような角張った独特の形状で、オレンジ色に着色されているという、知る限りではここだけのもの。
かなり傷んでいる
2011年時点では時刻表掲出枠が2つあったのが、今は1つだけになっていた(ストリートビューによれば2012年10月から2015年9月の間に減っている)。
珍品ではあるけれど、腐食が進んでいて崩壊しそう。

ボロボロになっても使い続けるか、紙張りでお手軽対応するか、新品を用意するか。準備期間や予算の都合はあるのだろうけど、運行本数や重要度で決めているわけではなさそう。その時の気分次第なのかな。
2020年に牛島方面の共用タイプがまとまって消えた
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御隅櫓30年目の展望

2019-07-14 23:51:47 | 秋田の季節・風景
7月12日は秋田市の「市の記念日」。1889(明治22)年の同日に秋田市役所が開庁したことにちなむもので、今年で市制施行130周年。
※市制施行の日付としては同年4月1日。市町村制は同年に初めて制定されたそうで、同年施行の自治体は全国的に多い。

30年前・平成元年の100周年の時は、大々的にイベントが開催されたものだが、それ以降は10年単位の節目の年でも、一般市民としてはほとんど気づかずに過ぎてしまう。
いちおう毎年文化会館で記念式典が開かれ、市に功労があった人が表彰されたことは報道される。
それと、秋田市運営施設の無料開放。
秋田市民に限らず誰でも対象で、今年は赤れんが郷土館、大森山動物園など9施設で実施。昔は千秋美術館も対象だったはずだけど…【22日追記】千秋美術館は、今年は展示替え中なのか臨時休館に当たっていた。
秋田市関係でも、クアドーム・ザ・ブーンは市直営でないから対象外なのは分かるけど、河辺岩見温泉交流センターやテニスコートなど運動施設の貸し切り等も対象外のようだ。【11月5日補足・少なくとも2014年と2015年の市の記念日には、ザ・ブーンの入館料が半額になっていた。】

ちなみに、秋田県の「県の記念日」8月29日には、いくつかの県営運動施設が無料になる。県立美術館は無料になるが、男鹿水族館は無料にならない。
また、首都圏方面では「東京都民の日」「埼玉県民の日」といった名称で、当日は学校が休みになり、ディズニーランドで県民限定割引が実施されたり(今は廃止?)するそうだけど、秋田県・秋田市では、休校や協賛割り引きの類はない。


さて、秋田市の無料開放については、毎年、直近の市の広報には掲載されるものの、ホームページには大々的には出ない。
しかも、曜日に関わらず必ず7月12日固定だし、しかも梅雨真っただ中で雨に当たることが多い気がする。
そんなわけで、うっかり忘れてしまったり、覚えていて無料開放の恩恵にあずかろうと思っても雨で出足をくじかれたりで、なかなか恩恵にあずかれないでいた。

今年の7月12日は、朝は雨。午後にはやんでくもり空。少し時間もできたので、1施設だけ利用させてもらった。千秋公園の「久保田城御隅櫓(くぼたじょうおすみやぐら。以下、御隅櫓)」。
久保田城址・千秋公園では、二の丸南東の「秋田市佐竹資料館」と、本丸の北西奥にある御隅櫓の2つが、無料開放。通常は各100円。

久保田城には天守はもともとなく、その他の建物は明治の火災でほとんど焼失してしまった。
御隅櫓とはその名の通り、城の敷地の隅にあったやぐらで、後に復元したもの。
御隅櫓が復元されたのは、ちょうど30年前・平成元年。大森山動物園への象とキリンの導入(関連記事)と並ぶ、市政100周年の目玉事業であった。今回、館内などに特に30周年記念の表示などは見当たらなかった。

秋田駅側からは裏で見えないが、木々がうっそうと茂る千秋公園西側斜面に、白いお城風の建物はいいアクセントになり、平成の間にその光景もすっかりなじんだ。
(再掲)真下・旭川の鷹匠橋から
パンフレットなどの写真では、本丸内側の櫓の入り口側から写した写真がよく使われるが、毎日ように下から眺めている市民としては、上のような外側の姿のほうに親しみを覚える。この30年で木が生長し、昔よりはいくらか隠れ気味かな。
パンフレットでおなじみのアングル。こちらも木が茂った
久保田城御隅櫓を初めて見た方は、「やぐら」にしては立派な作りだと思われるかもしれない。どこか天守閣っぽい。
それもそのはずで、忠実に復元したわけではないのだった。
秋田市ホームページで「史料に記されている2階造りを基本とし、その上に展望室を加えて復元されたもの。」と紹介されている。やぐらは、武器庫と見張り場の役目を担っていたそうだけど、昔は2階建てでも充分見渡せたのだろう。
30年前はバブル真っただ中。全国各地でバブリーなお城もどきが造られたが、御隅櫓もその1つとしなければならないだろう。


雨上がりの階段と坂道を本丸奥まで進み、入口の管理人さんにどうもと頭を下げて、そのまま中へ。
入館するのは、開館まもない頃と、10年少し前の市の記念日に続き、30年間で3回目。

館内は飲食禁止。トイレは外の公衆トイレを使用。
内部は4階建てになるようだが、3階部分は入館者向けスペースはなし。階段かエレベーターで移動。
やぐらならこんなもんだろうけど、中の入館者用スペースは広くはない。
1階は年表や歴代藩主の紹介、2階は模型とビデオ放映。藩主紹介のパネルは、今はまず使わない(使えない)写植用書体の写研「石井太ゴシック体」が使われているようで、物持ちがいい(内容としては変えようがないし、デザイン的に古臭くもないし、劣化もしていないから問題ないけど)。
より詳しい資料は佐竹資料館にあるのだろうし、入館者の多くは展示にはさほど興味がないはずだし、申し訳程度の展示。
16時30分の閉館まで1時間を切った頃だったが、市の記念日のせいか3人くらい(観光客ではなさそうな格好の)入館者がいた。
4階内部
窓が小さく、室内からは外はほぼ見えない。
雨上がりの街が見渡せる


たいていの城風建物と同じように、外側をぐるりと一周できるが、人がすれ違うには苦労するほど狭い。どうせ実在しなかったものなんだから、通路を広くすればよかったのでは?
各方面の眺め。くもり&一部逆光の中、スマートフォンで撮影したので画質は悪いですが。
西側
二の丸の森の向こうに家並みが広がる。山王・八橋・保戸野・泉、さらに北部の土崎方面、そして男鹿半島・寒風山。
中央をまっすぐ伸びるのが、千秋トンネル通り。白いマンションの下付近が、冒頭の外から見た写真の撮影場所。
確認できたものは、秋田中央郵便局、秋田テレビ、秋田市立体育館、勝平山(奥の低い山)、ポートタワーセリオン、秋田火力発電所。海は見えないか、見えたとしても遠くにごくわずかのはず。

そこから左・南方向は、千秋公園のふもと沿いに高層マンションが多く、見通しは悪いが、思ったよりは見える。山王方面までビル群が続く。

大町のNTTドコモとその奥に大森山とテレビ塔、川尻の市立病院、秋田県社会福祉会館、秋田地方気象台、秋田県JAビルは確認。県庁や市役所は手前のマンションで隠れるようだ。

南方向
真南は千秋公園の森で隠れる。
ドコモのアンテナの左の高いマンションが協働社跡のベルドゥムール ランドマーク秋田。その手前が秋田中央警察署。
拡大
マンションふもとの左に木内の一部、奥に北都銀行本店と北都ビルディング、東部ガスのタンクとイオン秋田中央店。左端奥に新屋高校。
それらのずっと奥にはまばらに何基も並ぶ風力発電風車。位置的に海沿いでない、豊岩~梅林園の辺りの国見山かな。
この日は天候のためそもそも見えなかったが、方角的には鳥海山が見えるのが南側。御隅櫓からは見えるかどうか、微妙な位置かと思われる。

東方向
東側は公園の内側だけに、ほぼ見えないが、かろうじて遠くに少し。
拡大
明るい茶色が、公園東側すぐの秋田県立循環器・脳脊髄センター(旧脳研)、その上が、秋田駅東口のNHK秋田放送局のアンテナ、右がアルヴェ。木をはさんで右のグレーの看板が秋田駅西口のOPA。OPAの右奥の白いものは、雄和のあきたスカイドームか?

北方向
天気が良ければ正面に太平山。その手前の低いのが手形山。
北側は千秋公園の北の丸が続いていて、開けてはおらず、秋田大学医学部など広面方向は見えない。
秋大手形キャンパスから秋田高校にかけての、手形地区が見える。手前には、市立明徳小学校がよく見えてしまう。※明徳小の現在地への移転は、御隅櫓復元の8年前。

北西方向。明徳小は校舎は補修済み、体育館の屋根が傷んでるようです
手前から右奥へ秋田北高、秋田工業、平和公園。平和公園の右奥は旭川地区・新藤田の徐々に高くなっていく家並み、左奥には外旭川・飯島辺りの田んぼの緑が見えた。御隅櫓から見える水田はここだけ。

吹く風も心地よく、気分転換できた。
ものすごく眺めがいいわけでもないけれど、千秋公園内にも周辺にも、街を見下ろせる場所はほとんどないので、いつもと違う高さから街を眺めるのは楽しい。
ところで、御隅櫓の真下・二の丸に相当する階層に、西側を見渡せるあずまやがある。
(再掲)あずまやからの眺め

御隅櫓から
やはり高さが違えば、景色も違う。

Mapionで海抜を調べると、秋田駅前や千秋公園ふもとは10メートル程度。あずまやは29メートル。御隅櫓の辺りが千秋公園ではほぼ最高地点の32メートル。そこの4階建てだから+10メートルとして、海抜40メートル強、ふもとから30メートル強の高さといったところか。

晴れていれば夕日・夕焼けも見えるが、通常は16時30分閉館かつ冬期休業。ただし、秋田市立小中学校の夏休み中は19時まで延長するそうなので、狙い目。といっても、ド逆光で景色は見づらそう。
逆光といえば、展望施設によくあるコイン式望遠鏡。
御隅櫓にも、ニコンのが1台だけ北面に設置されていた。太平山も見えるけど、明徳小ものぞけてしまいそうな微妙な場所。
西面に設置すればいいのにとも思ってしまうが、真西向きのここではどんなに注意しても太陽を見てしまうため、危なくて置けないのだろう。

御隅櫓には年間パスポートはないけれど、あったら季節ごとに眺めるのも良さそう。
そういえば築30年の建物にしては、中も外もきれいに感じた。外壁など真っ白。市立学校の校舎なんて20年で汚れや小さいヒビが出ているのに。

久保田城には、御隅櫓が8つあったとのこと。もしバブルが長く続いていたら、2つ、3つ…と復元されていたかも。
今の御隅櫓ができた30年間では、見える風景はさほど変わっていない。130年前、そして江戸時代と比べるとかなり変わった。これからはどんな景色になっていくだろう。
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工藤パン2019.7

2019-07-11 23:36:35 | ランチパック等パン類
工藤パンの7月の新商品を、恒例の秋田市のハッピー・ドラッグ秋田泉北店で入手できた。
イギリストースト ジャリ・チョコ暴走モード 483kcal
予備知識があったので分かったが、不思議な商品名とおいしくなさそうなパッケージ。

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」とのコラボ商品かつ7月5日から8月26日まで青森市で開催される「エヴァンゲリオン展」とのタイアップ。以下「弘前経済新聞」6月11日付記事より。
パンは7月1日から8月31日までの発売。
もう1つ「チョコレイ(シンクロバージョン)」というタイアップ商品もあり、ハッピー・ドラッグで2つ並んで売られていたが、太宰治110年のような特設コーナーではなかった。
僕はエヴァンゲリオンの作品についてはまったく知らない。チョコレイのほうは、エヴァンゲリオンの主要登場人物である「綾波レイ」と商品名が掛かっているから、分かりやすい。イギリストーストのほうは、何か掛かっているというわけではなさそう。弘前経済新聞によれば「危機が迫る(略)制御が効かなくなり本来以上の力を発揮すること」を「暴走モード」と呼ぶとのこと。

表面にはカラーチョコスプレーがびっしり

分解
2枚の食パンの間には、通常のイギリストーストのようなシュガーマーガリンをサンド(正確には下のほうのパンの表面に塗布)。
「大きさの違う2種類のザラメをサンド。(過去に発売された)「スペシャルイギリストースト(もっとジャリまし)」の3倍のザラメが入る。」「史上最高のジャリジャリ感」とのこと。

いっしょに食べると甘すぎそうだし、きれいに分離できたので、1枚ずつ食べた。
チョコパンと普通のイギリストーストとして、ちょうどいい甘さ。邪道な食べ方だけど2倍楽しめる?! ジャリジャリ感はさほど感じなかったかな。
チョコスプレーはこれまでもたまにイギリストーストにトッピングされてきたが、さほどこぼれ落ちない。時期的に溶けやすいので保存に注意。

7月初めのハピドラの店頭でこの2商品を見つけた時、とても驚いた。
なぜなら、事前に見ていた工藤パンホームページでの紹介では「【※青森エリア限定発売】」とあったから。
ほそぼそと秋田など青森県外でも売られている工藤パン商品だが、わざわざ注記するからには“県外不出”なんだろうなと思った。展覧会の誘客とかもしかしたらパッケージの権利関係とかあって。
それが秋田で買えてうれしく、次はチョコレイを買おうと、10日に行ってみると、売っていなかった! 売り切れではなく、場所と値札がなくなっていた。発売開始時の手違いで秋田へ納品されてしまったのだろうか。

イギリストーストでは、6月から「ミルキークリーム」が発売中。不二家はヤマザキ傘下だから、たけや・工藤パンとも時々コラボ(材料供給)している。
それが6月に秋田駅のNewDaysで売られていたが、7月になると扱わなくなってしまった。
秋田での工藤パン製品は、どこで売っているか不規則で、ずっと売るとは限らない。探すのが楽しいけれど、見つけたらすぐ買わないといけないようです。


もう1つは通常商品で、10日も売られていた。
秋田のハッピー・ドラッグ(泉北店だけでなく新屋店でも)では、工藤パンのコッペパンに麺をはさんでラップで巻いた惣菜パンを、いつも2~3種類売っている。
それに加えて7月から、
手造りバーガー グラタンコロッケ 405kcal
工藤パンは「販売者」名義だったので、おそらく幸福の寿し本舗製。同じ外観で「手造りバーガー メンチカツ」というのもあった。

原材料欄によれば「ソース付マカロニグラタンコロッケ」。でもマカロニなどは視認できず、ただのイモコロッケに感じた。ソースの味は多くはないがしっかり。
値段をふまえれば満足。工藤パンのコッペパンは甘めの傾向だが、このパン(パンズっての?)は、表面の光沢感など見た目は同じだがあまり甘くなかった。

なお、たけやでも、最近似たようなのが出ているが、あれは袋に入っているし、はさむのでなくあんパンのように完全にくるまれている。
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22年ぶり? の建物

2019-07-09 23:58:51 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部の竿燈大通り東端・二丁目橋交差点の突き当りに、何もない土地がある。
(再掲)二丁目橋から。向かい側がその土地、さらに向こうの茶色い建物は木内
「旧産業会館跡地」と呼ばれる場所なのだが、以前も述べているように、若い人やよそから来た人にはピンと来ない名前。それ以前に、この場所を特に意識していないかも。

ここには1960年にできた「秋田県産業会館」というビルがあった。物産館的なもののみならず、イベントやコンサートができるホールがあったそうだ。秋田で若者として昭和40~50年代辺りを過ごした人には、思い出がある人も多く、堅い名前のわりには秋田市中心市街地のにぎわいの1つであった。

平成元年にアトリオンができ、物産館としての産業会館が移転。以後は1995年10月まで産業会館別館となるが、1996年夏頃から解体、1997年前半には空き地になり、基本的にはそのまま20年以上が経過。※1992年の姿が少々
県管理で舗装され、イベント用に貸し出されているが、さほど利用はない。2014年には一時的に庭が出現した。
普段は、スケートボード練習(かつては台があった)や子どもの遊び場など公園代わりに使われる程度。
2013年には敷地東辺に帯状の植栽・遊歩道・ベンチが設置され、かろうじて公園っぽくはなったが、全体的には殺風景。

現在、そんな産業会館跡地に…
建物が建った!
グレーの2階建て(一部平屋)のプレハブ。白い仮囲いで囲われている。
歩道橋の上から
おそらく22年ぶりに建物が建った。
(再掲)庭園があった時

現在

僕は産業会館(別館)の記憶はほとんどない(茶色かったこと程度)。空き地としては広いようでいて狭いようにも感じていた。
建ったのは、プレハブとしては大きいが2階建てだし、産業会館よりはおそらくずっと小さい。
建物が建ってみると、土地としては余計に狭く感じてしまった。単なる普通の工事現場みたいな。
東側は遊歩道に沿って仮囲い

奥は恒例の選挙啓発看板
以前から、秋田県財産活用課による、ここをイベント用にお貸しする旨の看板が立っているが、駐車場や資材置き場としては貸せないとある。

6月27日付秋田魁新報 社会面「ふきのとう」欄に「工事事務所お目見え」が掲載された。
このプレハブは、秋田県民会館跡地に建設中の、県と秋田市の複合新文化施設建設工事の現地事務所とのこと。7月中旬から建設工事が本格化し、完成する2021年12月まで使われ、最盛期には100人超が出入りする。

工事現場からは道のりで500メートルほどになってしまうが、他にふさわしい場所はなさそうだし、県所有だからということで、例外的にここをこの用途に使うことにしたのだろう。
「貸し出します」の看板を隠すとかすればいいのに。

資材置き場としては貸し出さないと看板にはあったが、本件以外にも、これまで毎年恒例で産業会館跡地が資材置き場に使われてきた。
8月の竿燈まつりの観覧席(さじき席)設置工事である。

というか、現在、その観覧席工事の真っ最中。
近くのほかの場所が代わりの置き場になってはいなそうで、その都度、遠くから運搬しているのだろうか。(長い大通りの端の産業会館跡地に置いたからと言って、とても便利というわけでもなかったようにも見える。素人目では)【11日補足】コメントによれば、1ブロック離れた大町一丁目の旧魁本社裏の秋田市管理地が代わりの置き場になったとのこと。
観覧席の設置が、例年より若干早いような気もするが、余裕を見て進めているのかな。


さらに竿燈本番の時も、産業会館跡地は活躍していた。
「竿燈屋台村 中央会場」として、飲食のテントやテーブルが並ぶのだけど、この状態ではできない?

魁の記事によれば、竿燈まつり実行委員会が「今年は規模を縮小して設置する」とコメントしている。(来年も再来年もあるわけですが)
竿燈まつりの公式サイトにも、2019年の竿燈の4日間、中央会場が営業する旨が出ている。
だけど、こんなに建物があって、囲われていては、屋台を並べるのすら難しいのでは? これでは絶対的に場所が少ない。
南東角
プレハブと仮囲いの間に空間があるところもあり、その部分も屋台に開放してくれれば、いくらかは使えそうだけど、仮囲いがあるし…

※このほか例年通り、会場反対側の市役所駐車場にも竿燈屋台村、近くのニューシティ跡地ではご当地グルメフェスティバル(秋田商工会議所主催)が開催される。
【19日追記】「広報あきた」7月19日号によれば、屋台村は「中央会場(産業会館跡地・JTB跡地)」と記載されていた。昨年解体され、会場に面したJTB跡地に分散させるらしい。距離を踏まえると実質別会場になる。JTB跡はさほど広くないが、会場に面しているから混雑するかも。この記事にて

工事事務所に関する続き
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青延長にも多言語表示

2019-07-07 20:47:23 | 秋田のいろいろ
道路の交通信号機は、基本的には世界共通。運転マナーや道徳観の違いで信号無視・見切り発信等はあるにせよ、待っていれば青になるのは、現在人の常識。ところが「待っているだけでは、永久に青にならない」信号機が存在する。
押しボタン式信号である(手押し信号と称する人もいる)。

日本人なら、赤いボタンが付いた黄色い箱があれば、それを押せ(最近はタッチ式も)ば青になるのは常識だろう。村とか島とか本来は信号機が不要な土地で、教育用に1式だけ信号機があることがあるが、それはたいてい押しボタン式だし。
最近は、大きな交差点が押しボタン式歩車分離式になるなど、押しボタン式でなさそうなところが押しボタン式で、初めて通る人は知らずに突っ立って待ってしまうこともあるけれど(経験あり)。

このような押しボタン式信号って、外国には存在するのだろうか。外国人が日本へ来た時、戸惑わないものだろうか。
ネットで調べたところ、外国でもなくはないみたいだけど、どこにでもあるわけでもないようだ。信号機などなくても横断歩道に歩行者がいれば車が停止するのが常識の国もある(日本も法律上はそうなのだけど…)だろうし、設置や維持の問題で無理な国もあるのだろう。
したがって、日本へ来た外国人の中には、押しボタン式信号を知らない人もいるようだ。
(再掲)秋田県の押しボタン式信号のボタン箱周辺
それなのに、歩行者向け説明板は日本語だけ。
書体や文字色は時期や地域でばらつきがあるが、文言は全国で共通のようだ。

何年も前、秋田市内の押しボタン式信号で、外国人グループがボタンを押さずに信号を待っているのを見たことがあった。道路の反対側だったし、お話に夢中で声をかけて教えられる状況でもなかったので、黙ってボタンを押した。さらに、(全国共通の問題だから)警察庁に対し、外国人にも分かりやすいように、英語やピクトグラムを表示してはどうかと提案したことがあった。
それに応えてくれたわけでもなく、インバウンド増加やオリンピックのためなんだろうけど、2017年度途中頃から全国的に押しボタン式信号の説明板の内容が変わっている。一斉更新は無理だから、当分は旧表示も残るだろうけど。
秋田県警では、2018年度から、新規設置箇所とボタン箱などの更新箇所を中心に、新しいものが設置されている。
9月に新設された秋田市牛島の旧国道が、いちばん最初に近いと思われる。ただ、信号機稼動からしばらくは、日本語だけの旧式表示板が設置され、その後交換されるという手順だった。
秋田県警の新表示板
新しい表示板も、基本は全国共通のようだ。銀色がかった板に横書き、角ゴシック体、上からピクトグラム・日本語・英語・中国語・ハングル。
これで充分だろうけど、もうちょっと色や文字サイズを工夫すれば、もっと目立って分かりやすい気もする。

警視庁のものは下にQRコードもあり、それを読み取れば11言語で読み上げるそうだ。親切というべきか、たかが道路を渡るのにそこまで必要か(絵と英語で充分だと思う)というべきか…
大阪府警では、白い色に青印字・丸ゴシック体で、従来に近い配色。
上の写真の秋田県警の表示板の特徴は、「歩行者用タッチ式押ボタン」「touch switch」となっていること。「touch」が文頭なのに小文字始まりなのはいいのかな?
これに対応する箇所が警視庁や大阪府警では「歩行者用押ボタン」「Push button」となっている。
秋田県警では、タッチ式ボタンを本格採用(着雪時に効果があり、バリアフリーにも貢献しており、評価できる)しているので、それに合わせた言い回しにきちんと変えている。中国語の最後3文字も「タッチボタン」の意味らしい。ハングルは知らない。
もしかしたら秋田県警では、新しい表示板はタッチ式用だけを作っているのかもしれない。ボタン箱のタッチ式への交換に合わせて、表示板も換えていくのかも。
2020年始の青森県警・弘前駅前の状況


黄色い箱の押しボタン問題は、これでほぼ解決だろう。
一方、白い箱(ボタンは赤)の押しボタンは、日本人にさえ浸透していない。

足腰が悪いなど横断に時間がかかる人のためのもので、押した時(直後1回)の歩行者用の青の時間が通常よりも長くなる。土地によっては、押した時に案内の音声が出る動作をする白いボタン箱も存在するようだが、少なくとも秋田市内にはない。押せばすぐ青に変わったり、信号待ち時間が短縮されたりするようなことにはならない(もしかしたらそういうタイプもあるかもしれないけど)。
黄色い箱と白い箱がいっしょに並んで設置されていることもある。この場合は、押すボタンによって、青信号の長短が違うことになる。
(再掲)岩手県。ここも黄色と白の箱が並ぶ
白いボタン箱のことを「交通弱者用押しボタン」と称するようだが、現在は交通弱者といえば自家用車がなく公共交通機関も利用できない人を指すほうが一般的で、分かりにくい。そもそもボタンの機能もその存在自体もほとんど周知されていない。

そのため、黄色い押しボタンと勘違いしてしまうのか、せっかちで押せば早く青に変わると思っているのか、条件反射なのか、元気に普通に歩いている人なのに(周りに交通弱者がいるわけでもなく)、白い箱のボタンを押してしまう人もいる。その影響で車両側の赤信号が長くなって、無駄な渋滞を生じさせないとも言えない。
秋田市竿燈大通り。10年以上前からあり箱は錆び、落書きもある
秋田市中央部では、20人に1人くらいは押しているのではないだろうか。秋田市の場合、押しても実際には青時間は違っていない気がしなくもないけれど… ※過去の記事

現地の説明表示は、黄色い押しボタンほど全国的に統一されていない。
上の秋田県のは「高齢者 障害者 等用押ボタン」。ボタンと表示板に距離があることもあり、気づかない人・理解できない人も多そう。
その上の写真の岩手県警では「ひとにやさしい信号」と称し、青が延長されることを明示していて分かりやすいと感じた。

昨年、歩道橋が撤去された秋田市の北都銀行本店前にも、白いボタン箱(タッチ式)が設置された。これまではボタンだけで説明板はなかったと思っていたが、7月に気づいた。
ボタンの上に!

説明板じゃなく説明シール
押しボタンのと同じような形式で、4言語。
各外国語の「タッチボタン」の言い回しが、黄色いほうと少し違う気がしなくもない。英語は大文字始まり。

外国語はともかく、日本語の言い回しが「青延長用タッチ式押ボタン」と、とても分かりやすくなった。
ネットで調べた限り、交通弱者用ボタンを「青延長用ボタン」のように表記する例は、警視庁など少なくはないようだ。
でも、多言語表示のものは見当たらなかった。全国的に見て、北都銀行前の表示は先進事例なのではないだろうか。秋田県警独自の判断なのか、警察庁からの指示で今後全国で登場するのか。
【12月25日追記】その後、12月には竿燈大通りの「高齢者 障害者 等用押ボタン」が撤去され、同じ青延長に交換されていた。秋田県警では青延長を標準にしていくようだ。


ただ、これだと青が長くなることは分かっても、どういう時・どういう人が使うのかは言及がなく、悩んだりむやみにタッチしたりする人がいるかもしれない。
兵庫県警では、「青信号延長用押ボタン/横断歩道をゆっくり渡りたい方は下のボタンを押して次の青信号で渡りましょう」と車椅子マークも付いた表示板を設置してた(多言語はなし)。これはこれで分かりやすい。
いろいろ工夫しているけれど、いくらどんなに親切丁寧に書いても、読まない人は読まないものでもあるけれどね…


ここから以前の続き。北都銀行前交差点と言えば、フラット型信号機の表面に鳥のフンが垂れていた
その前に少し話がそれます。歩道橋があった当時は二丁目橋方向から中央通りへの左折3車線は、青信号か左折矢印のどちらかが常に点灯していて、停まることがなかった。
歩道橋撤去後は、横断歩道が設置されたため、矢印信号を廃止し、左折車線にも停止線が引かれた。
右が中央通り。直進と合わせて4車線が信号待ち
以前を知っていれば驚く光景で、勘違いして停まらない車がいるのではないかと不安になる。
でも、とりあえずは危険な状態も、極端な渋滞もなさそう。

ところで、上の写真で、左側の直進車線のトラックだけ、停止線を越えているように見える。実際には、
拡大
そもそも停止線が薄れている。そのうっすら残る停止線は、左折3車線より若干前寄りのようだ。トラックは間違ってはいない。
今後、引き直す時も、ずれたままなんでしょうか。

その4車線の車が正面に見るのが、フンが付いた信号機。車道ギリギリかと思いきや、歩道側に若干のスペースがあり、柵もあるので、安全に真下から見上げることができた。
光線の関係もあるが、くっきりと
コイト製に比べて表面がツルツルしている信号電材製だけに、フンもほぼ一気に流れ落ちた感じがする。
以前の記事の写真の後、けっこう雨が降ったものの、変わっていない。よく見れば、雨や雪が当たって流れたような薄い筋がいくつも見える。

電球式信号機では、定期的に電球の交換が行われ、その時にレンズ(点灯する面)を拭くことも行われるようだ。
LEDでは電球交換が不要だから、少なくとも信号機の近くに人が近づいてメンテナンスする機会は激減しているはず。それがLEDのメリットの1つ。
しかし、フードがないと汚れやすくなり、放置すれば視認性への影響もなくはないかもしれない。たまに拭くくらいはやったほうがいいのではないでしょうか。
ここの場合、高所作業車などなくても、長い柄の窓拭きスポンジで水拭きすればきれいになりそう。道具を手配してもらえれば、やってあげてもいいくらいです。
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修学旅行の峰道レストラン

2019-07-05 00:16:46 | 昔のこと
昔の思い出。
先日、ふと「みねみちレストラン」という言葉が頭に浮かんだ。
すぐに高校の修学旅行で立ち寄った、比叡山近くのレストランであることを連想できた。「みねみち」という地名の響きと比叡山との関連が分からないのが不思議で、記憶に刻まれていた。そしてそのメニューも…

修学旅行に行ったのは1993年秋。目的地は、当時の秋田の高校としては標準的な京都・奈良。
当時、秋田県立学校では、修学旅行に航空機を使うことが認められていなかった。東北~東海道新幹線を乗り継ぐ行程も、費用の都合か一般的ではなかったはず。
そこで、日本海側を列車でたどるしかなくなる。寝台列車を使う場合もあったが、我々は往復とも昼間の特急「白鳥」で1日がかり。僕は別に良かったけど、時間を持て余す生徒も多かった。

初日夜に奈良に着いて1泊。2日目は団体で奈良を見て、京都に入り清水寺。京都に3泊し、5日目朝に秋田へ向かう。4泊5日。
うち3・4日目は京都拠点。4日目がグループ別行動。大阪などへ行く班もあったようだ。
そして3日目は、企画したJTBの目玉だったらしい「クラス別行動」。

その名の通り、クラス単位でバスに乗ってほぼ1日観光する。昼食込み。
目的地やコースは、JTBがいくつか提示した中から、クラスで話し合って選んだはず。複数のクラスが同じコースを選ぶこともあった。クラス数からすれば、全コースに添乗員が付くことはできなそう。
実際のところ、昔からあって昨今また流行りのバスツアーとさほど違わないし、1学年1学級の小規模校の修学旅行とも違わない。
だけど、学年全体(実際には日程をずらして2回に分けたので半分)での団体行動でも、グループ別でもないという、絶妙なスケール感はちょっと斬新に感じられた。
全体で行くよりはゆったりと見学でき、グループでは交通機関の制約などで行くのが難しい場所に行くことができるというメリットはある。

提示されたコースは、京都周辺を回るものが多かったが、一部は府外に出るものもあった。
我々のクラスが選んだのがそれ。僕自身もそれがいいと思っていて、決まって良かったと思った。
他のクラスは選ばなかったので、帝産観光バスの三菱エアロバス(エアロクイーン?=モデルチェンジして1年後だったので新しい車だった)1台だけで回った。

コースは、大原三千院と比叡山延暦寺根本中堂。京都市街からは遠く、滋賀県に入るルート。他のコースと比べて移動距離が長くスケジュールがタイトだったようだ。
三千院の庭が少し紅葉していたのと、お寺の中のちょっとした雰囲気ぐらいしか記憶にない。
比叡山周辺では、道路から琵琶湖が見渡せたらしいが、当日は霧雨と濃霧。まったく見えなかった。
クラス別行動がなければいまだに行くことはない場所であっただろうから、まあ、選んで・行って良かったかな。

そのコースの昼食場所が、みねみちレストランだった。少人数のテーブル席がたくさん並ぶ、ドライブインのような店だったような。
出てきたのは当たり障りのない内容で「ここまで来てこんなメニューなの?!」と拍子抜けして、さらに見た目よりボリュームがあったのと、時間が押していたのか少し急いで食べ(させられ)た記憶があった。まずくはなかったはずだけど。

その名前を急に思い出し、今はどうなっているか知りたくなった。Googleで検索。

有料道路「奥比叡ドライブウェイ」の途中にある「比叡山峰道レストラン」で、現在も営業していた! 建物が新しくなったりリニューアルされた可能性はあるけれど。【7月7日補足】今年2019年3月に内外装がリニューアルされていた。以前の内部や外観・看板の写真を見ると、昔訪れた時と同じような気がしなくもない。
ドライブウェイもレストランも、京阪系列の企業の運営。

レストランは320席の「展望レストラン」、横に大きな駐車場があり、店からも駐車場からも、琵琶湖が見える。そう言えば、駐車場から“真っ白な景色”を眺めたような。

公式ホームページに写真付きのメニューが出ていて、眺めていると、はっとした。
これ食べた!
まさにこれ、茶色いソースがかかったハンバーグとエビフライとコロッケのようなものと千切りキャベツ・ポテトサラダが、白い丸皿に盛り付けられている。写真に偽りもなさそうで、見た目はこうだけど、食べるとそれ以上にボリュームがあるのだ。
25年前に食べたものと、おそらく変わっていない。今もあったとは!【7月7日補足】建物はリニューアルされても、メニューは変わっていないことになる。

ホームページをよく見ると、個人客と団体客によって、同じメニューながら名称と価格が違うようだ。
個人向けはご飯、みそ汁、柴漬け付きの「近江定食」で税込み1500円。
団体向けは「峰道ランチ」のごはん、みそ汁、ランチプレート部分が、近江定食と同一で1300円。それにプラスして陶板焼きや果物が付いて高いタイプもある。

そして、近江定食の説明書きには、「近江牛を使った手作りハンバーグがメインのスペシャルランチです。」などとある。
ネット上の情報によれば、コロッケには近江牛のすじ肉が入っているようだ。だから「近江定食」なのか(じゃあエビフライは?)。
当時は近江牛じゃなかった可能性もあるが、そんないわれなど聞いた覚えがない。知っていれば、心して味わえたのに。

当時は価格が少し安かったはずだけど、今、これで1500円でも1300円でも若干高い感じがしなくもない。
現在の個人向けメニューには、近江定食より少し安い値段で、湯葉やごま豆腐を使った精進料理風のセットや近江牛カレーがある。そういうのでも良かったな…(今さらですが)

ちなみに、我らが秋田中央交通の関連会社が運営する、寒風山回転展望台のレストラン。
団体向けには1080円から、秋田産フグの唐揚げ御膳や男鹿のB級グルメ定食がある。


で、結局「峰道」というのは何なんだろう。仏教用語とかではなさそうだし、検索しても峰道レストランのことばかり。地名なのかな。【コメント欄参照。比叡山での修業の道と関係するようだ】
この修学旅行では、奈良での昼食(全員いっしょ)で食べた柿の葉寿司も記憶にある。奈良公園の中の店だったと思う。これも急いで食べさせられたような。
奈良、京都、琵琶湖、滋賀、比叡山。京都は10年ほど前に新しい駅を見ただけで、ほかはいずれも25年ご無沙汰。いつかは再訪してみたい。

※この修学旅行の帰りの車内で食べた駅弁の思い出
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のてや閉店

2019-07-02 20:58:19 | 秋田のいろいろ
秋田市中央部にある「のてや」が閉店する。
わりと近くには「のとや(のと屋)」というのもあり、両店舗ともそこそこ知名度があるため、秋田市民の中には両者を混同する人も少なくないようです。閉店するのは「の“て”や」のほう。

最初に「のと屋」のほうを簡単に説明。
通町から新国道に向かう、保戸野鉄砲町の通り沿い、所在地としては旭北栄町(きょくほくさかえまち)にある、喫茶店のような弁当屋のような食べ物の店。50年ほど前創業だそうで、ソフトクリームが有名。※のと屋は所在地は旭北だが、町内会や学区としては保戸野地区に含まれている。
屋号の由来は、秋田市ではたまにある姓である、能登屋もしくは能登谷さんなのだろう。現在の「店長」のお名前は違うみたいだけど、創業者・経営者のお名前とか?


さて、のと屋から直線で500メートル強、保戸野すわ町、県道233号線のうち、「菊谷(きくや)小路」と呼ばれる辺りに「のてや」がある。
菊谷小路から入ってすぐのところに市立保戸野小学校があるが、その曲がり角の(間に通路をはさんで)1軒隣。扱うものは文房具。おそらく株式会社化が1975年のようだが、店としての創業はもっと古い(少なくとも戦後間もなく?)ようだ【末尾の追記参照】。
菊谷小路。押しボタン信号を左折すれば保戸野小正門
全国的に昔は小学校の前によく存在したであろう“門前文具店”(※)。学校指定の名札や体育着(※)なども扱う。
※街中の医院・クリニックのそばにある、その患者を当てにした調剤薬局のことを「門前薬局」と呼ぶのは全国的に通用する。医薬分業の推進により1980年代後半辺りから増えてきたが、秋田県は全国的に普及が早く、多かったようだ。
それに対し「門前文具店」は、ネット上にごくわずかしか使用例がない。学校にはまさに「門」があるのだし、上手いたとえだと思うけど…
秋田市の場合、中学校や高校では校内に購買部(売店)があるためなのか、また、小学校でも昭和末期以降の新設校や移転した学校の前には、あまりないと思う。やはり街へ出ないと文房具が入手できなかった時代のものなんだろうか。
※昔の秋田市立学校では、長袖がスポーツ洋品店で、半袖が文具店という不思議なすみ分けをしていた記憶がある。

店舗は、昔は道路際までの古い建物だった。よくある街の文具店といえばそれまでだけど。
平成初期頃、前に駐車スペースがある新しい建物になり、店のロゴマークもできた。
のてや店舗
感覚としては、以前の店も今の店も、広くないスペースにびっしりといろんな文具が並んでいる。雑誌や駄菓子などは扱わず、文具のみ。子ども向けからオフィス用まで品揃えは良く、またいつも2割り引きだったこともあるのか、平日も休日もわりといつも車が停まっている印象。学区外から親子連れで買いに来る人もいる。

ただ、今どきの多くの業種がそうであるように、店舗だけでは成り立たないだろう。
のてやは、店舗だけでなく外商にも力を入れていた。市内各所の学校へ納品していたのだろう。ロゴ入りのバンを、遠く離れた場所で見かけることもあった。たしか中学校の購買の商品も、のてやで入れていた。
文具以外に教材も扱うほか、秋田市内では3つしかない教科書取次店(教科書取次供給所=各学校に教科書を納品する)でもあったそうだ。※他2つは加賀谷書店と秋田協同書籍。
【20日追記】アスクルの代理店もやっている。
視力検査の環と直線を組み合わせたような、当時流行った感じのロゴ。初見の人は読めるかな?
6月中旬、店舗前に「閉店感謝セール」の告知と7月31日で閉店する旨が掲示された。いつもの2割り引きのさらに2割り引き(学校指定用品等を除く)。
また、聞いた話では、外商は今年度末まで続けるとか(先方との契約期間もあるでしょうし)。

のてやがなくなると、大人は他の文具店なりスーパーなりネットなりあるけれど、近くの子どもたちが、ノート1冊ほしいような時は困るかも。
コンビニでは品揃えが少ない。文具店は北高のそばにあるくらい。通町の商店街には昔からない。ダイエーも木内(の文具売り場)もなくなったし。秋田市中心市街地ではめっきり少なくなった。
来年度以降の教科書や学校の教材・消耗品も、現場では戸惑うかも。
【7月29日追記】保戸野小の体育着と名札は、のてや閉店の代替として辻兵で扱うことになったとのこと。大町二丁目というわずかながら学区外に位置するわけで、子どもが自分で買いに行くのは大変かも。


保戸野小学校の前には、昔はもう1軒文房具店があった。のてやのすぐ隣・曲がり角に。
「いろは堂」という店で、のてやが建て替えたのとあまり違わない時期に廃業して、今はビル管理会社の社屋が建った。
国土地理院の古い航空写真では、解像度が低くてはっきり分からないが、1994年5月時点では、のてやの場所が更地(建て替え真っ最中?)で、ビル管理会社はもうできているように見える。※ビル管理会社の「定礎」表記を見れば参考になりそうなので、後日確認して追記するつもりです。【3日追記】「平成5年3月」1993年だったので、航空写真と矛盾がない。感覚としてはもう少し後のような気もしていた。デザインがさほどぶっ飛んでいなくて21世紀にも通用することと、ビル管理会社だけにメンテナンスが行き届いているのでしょう。いろは堂は昭和63年頃はまだ営業していた気がするので、平成のごく初期に廃業したことになりそう。

さらにこの近くには、大人向け映像ソフトが充実していた「エス書店」、秋田では1990年代に全店やめてしまった「小僧寿し」、同じく今はなき食品スーパー「マルナカ(他に寺内や勝平にもあった。現存する他県のチェーンとは無関係)」なんかもあった。→この記事参照
商店街通町から数百メートル離れた住宅地だけど、昔はそれなりににぎわっていたようだ。


最後に、そう言えば気になる「のてや」の由来。
経営者は平岡さんなので、お名前などではなさそう。
子ども向け文房具屋さんの主力商品といえば、ノート、notebook。ノート屋→NOTE屋→のてや かも? と昔から妄想しているのですが…【正解は下の追記にて↓】

「のてや」のアクセントは、「て」を高く発音する人も多そうだが、おそらくは平板に発音するのが正式(?)のはず。「おまけ」「止まれ」みたいに。

【7月31日追記】閉店日である7月31日付秋田魁新報 秋田市地域面に「秋田市の文具店「のてや」 学習支え90年、きょう閉店/常連客から惜しむ声」として取り上げられた。それによれば、
「1930(昭和5)年に創業。平岡さんの母方の祖父が現在地に店を構えた。店名は、母方の姓である「野手」に由来している。」
創業者の名前由来か。そう言われれば、そんな話を聞いたことがあったような… 大したことではないが、疑問を持つ人は少なくなく、閉店してしまえば調べづらくなることを、しっかりと伝えてくれた魁を評価します。
店舗の取り扱い商品は「5万点以上」。
売り上げは「ピークの90年代と比べ6~7割ほど」「1日当たり150人ほどいた利用客は、近年は100人弱」。
最終的には半額セールになった。

※のてやの建物のその後
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レインボーロング

2019-07-01 00:14:33 | 秋田のいろいろ
恒例の中央交通の秋田市内一般路線バス用車両の導入状況。
昨年末にまとめた後、4月より前に、秋田200かナンバーは1400を突破。以下、いずれも中古車。
中型のいすゞエルガミオが3台程度導入。秋田、臨海両営業所にそれぞれに配置。いずれもワンステップのようで、前事業者は非小田急で複数の模様。
大型では、またも元小田急・いすゞエルガ・ノンステップ・臨海営業所配置で、5月下旬頃に14-07、6月初め頃に14-11の2台。

そして6月中旬。
14-13
日野レインボーHRの車体が長いタイプ、いわゆる「中型ロング」。ノンステップ。
※ここでいう「中型」とはバスのサイズ区分での「中型バス」のこと。運転免許など道交法上の中型自動車とは関係ありません。

中型バスは、大型バスと比べて車体長が1.5メートルほど、車体幅が20センチほどそれぞれ短いのが基本。
1992年に日産ディーゼルが、中型車の長さだけを大型バスサイズに伸ばした車種を発売したのが、中型ロングの始まり。
サイズとしては「大型バスの狭い版」でもあるが、作りやエンジンなどからすれば「中型バスの長い版」のほうがふさわしい。
他メーカーも追随し、ノンステップ化もされて、バリアフリーに貢献した。特に日野レインボーHRは好んで導入したバス会社も多かったものの、2010年に製造終了。現在は中型ロングは発売されていない。

日産ディーゼルでは、ホームページなどでこのサイズのことを大型でも中型でもない「普通型」と称していたが、浸透しなかったようだ。
中型ロング(中型長尺)が一般的な呼称のようだが、愛好家や一部バス会社内部ではその細長い外見から「もやし」「うなぎ」と通称されることも多いそうだ。「ダックスフンド(ト)」に例えることもあるようだけど、もやし・うなぎのほうが短くて言いやすいのか、使用例は多い。見かけや現場の取り扱いは賛否分かれるようで、特に「もやし」と呼ぶ時は否定的なニュアンス(安いとか非力とか)を含むこともありそう。
もやしかうなぎか。たしかに長く見える。社名は前寄りに表記
デザインにもより、大型車でも似たもんだろうけど、タイヤ間が長いのか中ドアが後ろ寄りにあるのか距離があるように見え、さらに後輪より後ろが長い。
この時期のこの車種は、運転席側の非常口が車両中ほどにあるのが特徴。乗降用の中ドアよりは若干後ろに位置するようだ。

2018年にはロングでない普通の中型のレインボーHR、13-26が入っており、導入時にロングと勘違いしてしまった。
(再掲)普通の長さの中型。やっぱりロングは長い

レインボーのロングは、製造が終わって時が経ち、首都圏の事業者では廃車が進んでいる。例によって、それが中古車として地方に流れ始め、増えている。
秋田中央交通では2017年に都営バス中古が12-50として導入されていたが、国際教養大学方面ほぼ専用車両であるため、秋田市街地では乗ることができなかった。

14-13は、中央交通2台目のレインボーロング。
臨海営業所の配置で、おそらく大型車と共通の運用(新屋、割山、新国道方面メイン)になっているようだ。

秋田市と中型ロングのつながりで見れば、今回が初めてではない。
上記、日産ディーゼルが中型ロング車を本格的に新発売した時、真っ先に買った(その前に試験的に導入した事業者ある)のが、秋田市交通局(秋田市営バス)だった。※関連記事
1度・5台だけに終わってしまったが秋田市営バスの先進性を物語る導入事例であった。その車は、中央交通へ譲渡されたが、2011年頃までには廃車されていた。

秋田市では、市営バス時代から中型バスが多く使用されており、大型車でなく中型の長いだけでも、それなりの輸送力増強にはなるということなんだろうか。
新車で買えば、大型よりも中型ロングのほうが安かったそうだけど、中古ではそんなに違うもんだろうか。中央交通以外の他の中古導入社も同じことだけど、普通の中型あるいは大型でなく、あえて中型ロングを選んだ理由はあるのだろうか。

インターネット上の情報によれば、14-13の前所有者は東武系列とのこと。
市営バスと同じく車内のつり革がダブルベルトなのは、当時の東武の特徴
東武の社内では、中型ロングのことを「うなぎ」と呼んでいるらしいが、廃車が進み残りわずか。
この車は、東武バスウエスト川越営業事務所に配置され、今年1月末頃に廃車された「9773」号車だった可能性が高そう。
東武の9773号車は、愛好家が貸し切り運行したことがあり、行き先表示のLEDにウナギのイラストが表示されたそうだ。

東武のHRでは、正面の車椅子マークは、向かって右側だけに左向きで表示されている。
14-13では右向きなので、塗装変更時に張り替えたのか。中ドア右のバス協会のNBAステッカーも、東武時代とは違っている。
ドアの出口・入口表示は、英字と進入禁止アイコン入り。
これまでの例では、中古車に秋田で塗装した場合は英字がなく、茨城の仲介業者・助川車体工業で塗装してから来た場合はベビーカーマークもあった。となると、山形の庄内交通系列の仲介業者辺り経由かな?
山形経由で来た13-26は、アイコンはないが英字があり、車椅子も同じ。でも正面ガラス下の塗り分けが違う。

ところで、東武の川越では「9772」号車という同型車(同時導入ではないのか、ナンバープレートは飛んでいる)があったそうで、2017年2月頃に廃車。
その後、2018年秋頃に弘南バスが購入し(しばらく東武塗装のままで置いておかれて)、今春から弘前市内で走っているとのこと【8日補足・イレギュラーで土手町循環100円バスに入ったこともあったそうだ。】。西武中古のエルガとともに、弘前市内で2台だけの大型車のようだ。


さて、秋田の臨海営業所では、このひと月ほどで大型・中型ロングが3台転属したことになる。
臨海の大型も世代交代が進んでおり、古いものは少ない。
いすゞLVキュービック
兵庫県の淡路交通の中古だというツーステップ(だけど「低床バス」と昔は表示があった)・ワンロマ仕様(座席が茶色い格子柄、天井の蛍光灯が円形、客席窓に日除けスクリーン付き【1日補足・座席裏側=後席側の金属板が無塗装なのか銀色なのも珍しかった】)がそれなりの台数あり、それも徐々に減っていた。6月初めの段階では上の231はまだ走っていた。ほかの車の消息は知らないけれど、今回の3台で、それら淡路交通中古=最後のLVキュービックの置き換えということか。【追記】7月11日時点で231は営業運転していた。9月6日でも。その後、2020年春頃までに廃車。
あとは日野ブルーリボンのワンステップが1台といすゞと三菱のノンステップが12台くらい?

新屋方面の路線が移管された時は、市営バスから譲渡された20台と、淡路交通中古などが臨海の大型車の陣容だったと記憶する。
その後、新国道方面も臨海が担当することになった一方、減便もあった。そもそも中型車だけでも回せないわけでもない。秋田のバスにはどのくらい大型車や中型ロングが必要なんだろう。

※この後、7月20日過ぎに、都営バス中古のレインボーHRロング14-23が導入。秋田営業所に配置され、同経歴同型の12-50と同じく、国際教養大学方面で運用されているとのこと。
※7月末には、小田急中古と思われるいすゞエルガ14-19が臨海営業所に導入。
※8月中頃には、東武中古らしきレインボーHRロング14-28が臨海に。
 9月30日に14-28に乗車できた。やはり長く、心理的にはいすゞエルガよりも長く感じられる構造。前輪上の座席が撤去され、そこは手すりもなくて立ちづらいなど、無駄なスペースがあり、後部から前へ出て降りるにもやや遠そうで、あんまり意味がないようにも感じてしまった。【11月6日追記・その後、空いている状態で乗ったら、また違う感想。1人掛けと横向きながらノンステップ部分の座席数が多く着席機会が多いのと、いすゞの大型バスよりもノンステップ部分が広い(長い)ようにも感じて、悪くないと思った。】
一方、走行音は静かで、エルガよりも快適にも感じた。日野特有のシフトレバーを動かした時のプツー、プツーという音も、あまりしないようになっていた。
座席はノンステップ部ドア側がロングシート(うち中ドア寄りが優先席)、運転席側が前向き1人掛け。左折警告音あり(京成系中古と同じ音のようで、先に来ていたいすゞ大型の東武中古とは違う?)。降車合図ボタンを押した時のチャイムは、昔懐かしい、玄関チャイムみたいなアコースティックなもの。
座席の柄からして、おそらく譲受時の張り替えはなし。運賃箱は小田原の幅が広いタイプ、運賃表示機は7セグメントLEDと、廃車発生品か? バケツなど車載清掃用具は新品。
【11月6日補足】立ち客用のポール(パイプ)は、茶色いラバー風の1世代前のもの。譲受時にタイヤ上の座席を撤去した後には、その時に新設されたと思われるオレンジ色が使われている。
 2020年10月2日、遅ればせながらやっと14-13に乗車。座席の布は14-28と同じ青系。ノンステップ部は、ドア側は前向き1人掛け(布がピンク系)3席。運転席側は前方が長め(詰めれば5~6人分?)のロングシート。その後ろに1人掛けが1つ。さらに後ろで1段高くなるが、その段ギリギリに脚の短い2人掛け席があり、そこに座った人は足をノンステップ部に置くという、段差を巧みに利用(?)した作り。

※2020年の新型コロナウイルス流行により、国際教養大路線が運休。都営中古のレインボーロング2台が、秋田市街地を走るようになった
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