広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田が舞台

2014-06-30 00:22:23 | 秋田のいろいろ
秋田が舞台の映像作品が、もうすぐいくつかテレビで放送される。
●サザエさんオープニング
フジテレビ系のアニメ「サザエさん」のオープニングで、秋田県の風景が描かれている。
4月から6月までが「春バージョン」で、7月から9月までは「夏バージョン」になるとのことだったので、次回7月6日放送から新しくなるはず。
どんな風景が描かれるか。続きはこちら


●こころ旅
視聴者から寄せられた手紙にしたためられた「こころの風景」を火野正平が自転車で訪ねる、NHK BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」。
現在は「2014年春の旅」として、3月31日から7月25日まで14週(本放送日基準・お休みの週は除く)かけて愛知県から日本海側ヘ出て北上し北海道へ至る行程を放送中。新潟県と北海道は2週かけて、新潟では佐渡ヶ島にも渡った。

今日6月30日から7月4日までは秋田県が、翌週7日から11日までは青森県が取り上げられる。(先週は休みで、秋田から北海道まで一気にラストスパート)
両県とも昨年10月以来で、秋田県は3度目、青森県は4度目の旅となるはず。

放送は、月曜は手紙の“ボツネタ”や火曜以降のさわりをダイジェストで紹介する「月曜朝版」。
本編は火曜から金曜で、朝に14分間の「朝版」、夜に29分の「とうちゃこ版」が放送される。(とうちゃこ版はその週の土日に再放送あり)
朝版は目的地前で終わってしまうし、とうちゃこ版でも最初から放送されるので、とうちゃこ版だけ見れば済むけれど、別編集なので朝版だけのシーンもあるらしい。


放送の前の週までにロケを済ませているので、正平さんたちは少なくとも秋田県の旅は終えていることになる。
正平さんが秋田県内のどこを訪れるのかは、放送を見るまで分からないものばかりと思っていたら、番組表(NHK公式やテレビの電子番組表など)では、市町村名が既に明らかになっていた。

それによれば、火曜から順に 由利本荘市、秋田市、三種町、小坂町 とのこと。
ちなみに2011年春の旅では、にかほ市、湯沢市、男鹿市、大館市、昨秋は八郎潟町、男鹿市、横手市、湯沢市が目的地だった。

ところで、当ブログのようなgooブログの無料版ではアクセス解析ができないのだが、ちょうど先週、無料版利用者でもおためし版としてアクセス解析を利用できた。(と言ってもしょぼい解析で、アクセス解析だけを目当てに有料版にするくらいなら、他のブログサービスに乗り換えたほうがいい)
それによれば、毎日のページ別閲覧数では、トップページに次いで昨秋のこころ旅の記事(上記リンク先)が見られていた(毎日50~100ページビュー)。それに、「こころ旅 本荘」といった検索キーワードでたどり着いたアクセスが若干あった。ロケ隊に遭遇した人が検索したのだろうか。

秋田市が初めて目的地となるわけだが、こころ旅のパターンからして、どんな場所が選ばれたのか見当も付かない。
大森山や仁別のような山だったら坂で正平さんがはあはあ大変そう。あるいは海や川か、はたまた街中や郊外の何でもないような場所になるか…
【30日追記】月曜朝版では、高所恐怖症(特に橋を怖がる)の正平さんが、雄物川に架かる雄物新橋を怖がりながら新屋(栗田町)側から勝平側へ渡るシーンが放送された。7号線(南バイパス)方面から坂を下って左折して新橋に入ったようだ。
ということは、秋田市中央部~北部が目的地の可能性が高い。

どんな道中になるかも含めて、別記事にするつもりです。


●昔の角館
さらに、昔の角館の風景が7月12日に放送されるはず。
BSジャパンで土曜の夜に寅さん(男はつらいよ)シリーズを順に放送しているが、その38作、1987年8月公開の「男はつらいよ 知床旅情【5日訂正】知床慕情」で、角館もロケ地の1つだったようだ。マドンナは竹下景子。
【7月12日追記】角館は冒頭(主題歌の前)のシーンの舞台だったようだ。

ほかに寅さんシリーズでは、1985年夏の35作「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」で、平田満の実家という設定で、鹿角市が舞台になっていた。国鉄末期の陸中花輪駅(現・鹿角花輪駅)、鹿角の街中の「松風」という造酒屋、スキー場(夏なので雪はない)が映っていた。【7月6日追記】スキー場は「水晶山スキー場」とのこと。

寅さんで秋田でロケが行われたのは、おそらくこの2作だけのようだ。
26年に渡って48作品作られた映画にしては、あまり多くない気がする。ちなみに青森県も同じくらいだが、1971年正月の7作「男はつらいよ 奮闘編」では、弘前から鰺ヶ沢にかけての五能線や弘南バスが登場する。

数えたわけでなく感覚的には、寅さんが行く先は、北海道と九州など西日本が多いような気がする。
同じ山田洋次監督の「釣りバカ日誌」では、2004年の「釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?」で秋田県内各地が舞台になった。


以下はついでに、NHKの2つの連続ドラマの舞台。ドラマの舞台になった土地では観光客が増加するという。
●大河ドラマ
日曜夜の大河ドラマ。基本的に史実に基づく歴史ものだから、どうしても舞台に地域的な偏りは大きいと思われる。ロケをするにしても、必ずしもその現地で行うとは限らない。なお、ネット上には過去の舞台の一覧表のような資料は見当たらなかった。

秋田は、1993年の「炎立つ(ほむらたつ)」で後三年の役が描かれたので、それが該当。ロケが行われたかは不明。
青森は、弘前周辺が舞台の1986年の「いのち」。橋田壽賀子脚本、三田佳子主演。戦後が舞台で、歴史上の人物でない人が主人公という異色の大河ドラマだったが、人気はあったらしい。
ラグノオささきのお菓子「いのち」や、主人公の名前やドラマの内容からリンゴの品種「未希ライフ」が命名されるなど、青森では今にも影響を残している。
僕は青森が舞台なのは分かっていて何となく見た記憶はあるが、細かなストーリーや舞台は覚えていない。


●朝ドラ
NHKの朝の連続テレビ小説は、これまでにすべての都道府県が舞台になった。
完全なフィクションだから舞台は自由に設定できるし、昨年の「あまちゃん」の大ヒットもあって、誘致に乗り出す所もあるようだ。

先に青森を見ると、1971年(年度通して)の「繭子ひとり」。
原作は八戸出身の三浦哲郎(中学校の教科書にも載っていた「盆土産」の作者)、山口果林主演。宮城、広島、石川などとともに、八戸市と三戸町が舞台になったそうだ。

あとは、当時はけっこう話題になって、別枠で続編にもなった2000年度前半の「私の青空」。内館牧子作、田畑智子主演。
下北半島の大間町が舞台で、「大間のマグロ」が有名になったのもこのドラマが一役買っているか?
Wikipediaによれば青森はこの程度らしく、意外に少ない。津軽地方は一度も舞台になっていないことになる。


では秋田。
1976年度前半の「雲のじゅうたん」は角館町。田向正健作、浅茅陽子主演。
1981年度前半の「まんさくの花」が横手市。高橋正圀作、中村明美主演。

僕はどちらも記憶にないが、当時を知る人には「雲のじゅうたん」が今も強く印象付けられているようで、「まんさくの花」はそういえばあったっけ? 程度の人も少なくないようだ。
ちなみに、横手市増田町の日の丸醸造がドラマにちなんで「まんさくの花」という日本酒を製造している。

Wikipediaでは、以上2作品だけが秋田が舞台の朝ドラとされている。


昨年だったか、秋田県議会で、「『あまちゃん』のように朝ドラを秋田に誘致してはどうか」という質疑がされたようだ。
それを伝える新聞記事でも、「過去に秋田が舞台となったのは『雲の~』と『まんさく~』の2作のみ」といった記述があった。(議会中での直接の質疑応答ではなく、記者が調べたか、新聞社が県に問い合わせたかのような書き方だったはず)

ところが、少なくとももう1作、秋田が舞台になっていて、僕は覚えている。
※全編通しての舞台ではなく、部分的にロケが行われた形なので、そういう意味では上記2作とは異なるのかもしれない。

1992年度後半の「ひらり」である。
脚本は後に「私の青空」など多数のドラマを手掛ける、秋田市出身の内館牧子。その名が広く知られた初期の作品ではないだろうか。(内館さんは魁にエッセイを執筆するなど、今も秋田と縁が深い。上記の議会の「2作品のみ」の時、問題にならないかと気をもんだが、気付かれなかったのかスルーしてくれたのか)
主人公・藪沢ひらりを演じたのは石田ひかり。朝ドラの主演は、無名の新人が選ばれる時と、既に活躍中の若手が選ばれる時があるが、この時は後者。
主題歌は当時としては珍しく歌詞付きで、ドリームズ・カム・トゥルーの「晴れたらいいね」。ドリカム12枚目のシングルであり、代表曲の1つとしていいだろう。

舞台は(放送当時としての)現代で、内館さんらしく相撲がテーマ。
だから主要な舞台は両国なのだけど、その名も「寒風山(かんぷうざん)」という四股名の秋田出身の新人力士がいて、その関係でひらりたちが秋田を訪れるシーンがあって、秋田ロケが行われた。
Wikipediaによれば、寒風山はひらりのいとこの加賀谷久男という人物だそう。(秋田らしい姓だ)
秋田市の広小路のお堀沿いの歩道をひらりたちが歩き、それをお堀越し(中土橋から)に撮影したシーンがあり、後ろを市営バスが走っていたのを覚えている。男鹿の寒風山のシーンもあったか。
あと相撲部屋が「梅若部屋」だったのは、秋田民謡の大御所「浅野梅若」にちなんだものだろうか。


鍵本景子、渡辺いっけい、花沢徳衛、石倉三郎が出ていたのは覚えていて、いずれも僕はこのドラマで初めて知った。寒風山役は小林稔侍の長男・小林健。
他にも、両親役が伊武雅刀、伊東ゆかり、梅若部屋の親方が伊東四朗、語りは倍賞千恵子。さらに三遊亭楽太郎(現・圓楽)も出演していたようだが、ほとんど記憶にない。(当時は高校生で毎日見ていてわけではないけれど)
そう言えば、その時の新聞報道では、伊東四朗夫人が五城目出身だと書かれていた(たぶん)のを思い出した。ちなみに「私の青空」にも伊東四朗が出演している。
※「ひらり」は2022年から2023年にかけて再放送され、ほぼ全編を見ることができた。詳細はこの記事など。



最近は「フィルムコミッション」として各地でロケーションの誘致やお世話が行われているが、秋田県は角館以外ではどこかやっているだろうか。(大曲にもあるようだが、公式ホームページでは実績が2013年2月で止まっている)
秋田県が韓国ドラマのロケを誘致して、最初はそれなりに経済効果があったようだが、2度目は失敗した経験もある。考え方も好みも違う海外の人に日本の映像を見せて、そこに行こうと思わせるのは、相当難しいと思う。
秋田ならではの風景や雪景色など、国内向けにも魅力的な撮影地は少なくないはずだし、まずは国内向けの誘致をしたほうがいいのではないだろうか。

【2017年7月1日追記】2017年6月には、秋田県知事と秋田市長らが東京のNHKを訪れ、秋田が舞台のドラマを作るよう要望をした。秋田出身のモデルにできそうな人物のリストも渡したとか。
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消えた129 他バスの話

2014-06-25 23:49:00 | 秋田のいろいろ
7月で運行開始から2年経ち、いちおう秋田市に定着した(?)「秋田市中心市街地循環バス ぐるる」。
※運行主体は秋田市で、運行業務を中央交通に委託している。中央交通が自発的・自主的に運行しているわけではない。
その車両には、小田急バスから中古で購入した、いすゞエルガミオの中型・短尺車「834」と「835」が専属で使われている。
なお、循環バス用になる前は男鹿営業所で使われていて、「835」は「路線バス乗り継ぎ旅」で蛭子さんたちが乗車した。

当初は中央交通の一般路線バスと同じ緑の塗装だったが、2013年7月からは公募された水色系の塗装(2台それぞれ異なる)が施されている。(「ぐるる」の愛称も2013年7月から)

通常はその2台で回せるが、点検や故障に備えて「予備車」的存在の車も専用に配置されていた。塗装は緑のまま。
(再掲)緑の色合いが他と微妙に違う気がする
小型車・日野リエッセの「129」。2001年式で、新車で購入後、これも男鹿営業所で使われていたらしい。秋田市内の築地経由などで使われているのと車種は同じだが、購入時期は異なり、運用も分離されている。
行き先表示の方向幕には、「入道崎」「男鹿温泉」など男鹿ローカル路線のものが残っている
予備車扱いといっても、たまには動かさないといけないのか、リエッセもけっこうな頻度で走っていた。土曜日と日曜日はほぼいつも、834と835のどちらか片方がお休みで、その代わりにリエッセが入っていた。平日でも水曜日など週の真ん中は比較的走る感じ。

しかし、129をぐるるに充当するには、問題があると思う。見ての通り、塗装が違うことである。
ぐるるのリーフレットの一部には専用車両の写真が掲載されているし、「場合によっては違う塗装の車が来る」といった注意書きはない。また、秋田市中央部を時々通る秋田市民は「循環バスは緑ではなく青いバスだったな」程度の認識は持っているかもしれない。
そういう人たちが、いざぐるるに乗ろうとした時、他の路線バスと同じ緑のバスが現れたら、戸惑う。
実際に、バス停でぐるるを待つ乗客が129を見てこれに乗っていいのか躊躇したり、乗り込んだ後に「普通の(塗装の)バスもあるんだね」と話す場面に遭遇した。
行き先表示に「循環バス」とはあるが小さいし、前面に水色のエプロン・ゼッケン状の表示(バスマスク)が掲出されるとはいえ、「循環バス=青・水色」という先入観があると、それが循環バスだとは気付かないものだ。そのバスマスクも、最近は色あせていて、さらに分かりにくくなっていた。

車体の塗装変更は難しいのだろうが、部分的にラッピング広告のような大きめのシールを貼るとか、せめてバスマスクを新調してはどうかと思ってはいた。



前置きが長くなりましたが、最近、この129をまったく見かけなくなった。
6月1日・日曜日に835とともに走っていたのを最後に、少なくとも土日は1度も走っていない。

一方、その直前の5月下旬には、逆にほぼ連日のように129が入っていた。この間のもう1台は、期間前半は835、後半は834が、それぞれ連続して走っていた。
ということは、834と835が長期間を要するメンテナンスを受けていて、その代わりを務めていたのか。
そしてその役目を果たした後、姿を消した129に何が起こったのか?!

考えられるのは、
・廃車になった→同型車と比べてもまだ早い
・修理に長期を要する故障が発生した→連日の運用終了直後でタイミングが良すぎる
・ぐるる予備車の任を解かれ他へ転属した→あり得るかも。となると予備車は?
・3台目の「専用塗装」となるべく、施工中→あり得なくもないかも。とするとそろそろ登場?!

以前から思っていたのだけど、ぐるる専用に予備車を確保するのは効率が悪い。どうせ塗装も同じなんだし、一般路線バスの予備車と共同の予備車(鉄道分野では「共通予備」と呼ぶ)を配置しておけばいいのじゃないかと、素人は思ってしまうのだけど。
3か月に1度は法定点検があるから、その時までには分かるでしょう。

129は、トルクコンバーター式オートマチックトランスミッション。3速オートマのためか、おかしなタイミングで変速し、ショックを感じることがあるのが欠点。
129がよく走っていた土日は、普段は秋田営業所で一般路線バスを運転している人が主に運転を担当する。その中の何人かは、アクセルの踏み加減などを調整して、極力変速ショックが出ないように気をつかってくれていたようだ。築地方面などでオートマリエッセに乗り慣れている方なんだろうか。
また、129は、短尺エルガミオよりも車内が広く感じられ、座席が柔らかくて嫌いじゃなかった。
再び乗車できるだろうか。

※次の日曜・29日はヤートセ秋田祭による交通規制のため、ぐるるをはじめ通町を通過する各路線が経路変更します。ご利用の方はご注意を!(28日はニューシティー跡地のみでの開催のため交通規制なし)

【8月30日追記】この後、8月28日・木曜日に129がぐるるの運用に入っていた。塗装は従来のままで、この日は835の代走。
現在の129は、通常は他のリエッセとともに一般路線を走り、ぐるる専用塗装車がほんとうに走れない時(点検整備で)だけ代走に入ることになったようだ。ぐぐるでは予備車を極力使わないことにし、129は「一般路線 兼 ぐるる予備車」という位置づけに変えたのだろう。
これによりぐるるは原則的に専用塗装車だけが走ることになり、乗客が分かりやすくなって、いいと思う。
【9月8日追記】さらにこの後、9月6日・土曜日と7日・日曜日にも129がぐるるの運用に入っていた。6日は835の、7日は834の代走。(以上追記)


ついでに、中央交通の話題。
・セレガ
4月に主に空港リムジンバス用として、
10-50、10-51と2台のいすゞガーラが導入された。
(再掲)いすゞガーラ10-51
それに続いて、10-55という日野セレガも導入された。
前にも後ろにも、でかい「H」エンブレムが輝く
共通車種であるセレガとガーラの差は、正面の装飾と、側面前方のアクセントピラーという太い銀色帯。
アクセントピラーは、日野セレガでは窓ガラスまでかかるのが標準だが、視界を妨げるのを嫌ってか、いすゞガーラと同じく窓の下のボディで止める仕様で発注するバス会社もある。

中央交通でモデルチェンジ後最初に両車種同時に買った時は、どちらも標準仕様で、セレガは窓までかかっていた。その後買った、現在公式ホームページのトップに画像が出ている、“緑こけし”の高速バス塗装のセレガも同じ。
こだわりのない中央交通らしいと思っていたけれど、今回の10-55は窓下で止まっているのもまた、統一感がない中央交通らしい。

・クールビズ
クールビズの一環として、中央交通では夏は運転士がネクタイを着用しないで乗務している。
バスの運転士さんで暑そうに見えるのが帽子。いかにも蒸れそう。ほぼずっと車内にいるんだから、別段いらないと思うけど… (メッシュタイプになった帽子はあるのかな?)

首都圏のバス会社では、帽子をかぶらずに運転している所があるし、何年か前には、夏に脱帽での運転を認めるよう労働組合が要請したことがあったそうだ。
いくつかのバス会社(羽後交通、秋北バス、弘南バス、かつての秋田市営バスなど)では、帽子の縁にクリップで留めるマイクの着用を義務付けているので、無帽での運転は難しいかもしれないが、中央交通はピンマイク(しかも使用は義務付けていない)だから帽子は無関係。

ところが、中央交通では、夏も帽子はかぶらなければいけないようだ。
ただし、回送中は脱いで運転してもいいらしい。
客としては、営業中に脱帽してもまったく嫌な気分はしないと思う(掲示での説明はしたほうがいいだろう)。現場から声を上げたり、労働組合が動いたり、あるいは経営陣が配慮してやったりはしないのだろうか。

そういえば、宮城交通でも、以前は回送時は帽子がいらなかったようだ。
秋田へ来た高速バスが、起終点の秋田駅東口と休憩場所の中央交通秋田営業所の間を回送する際は、帽子を取って運転する姿をよく見かけた。
ところが、今年は暑い日でも、帽子をかぶって回送しているし、運転士2名乗務の便では、ハンドルを握っていないほうの人もしっかりと帽子をかぶっていた。
3月の石川県での同社高速バスの事故が影響しているのだろうか。

【27日訂正】今年も、宮城交通の回送バスの運転士が帽子をかぶらずに運転していた。今まではたまたまかぶっていたのか、それとも中央交通より遅れて脱帽運転が解禁されたのかもしれない。

・女性進出
かつては大きな車や鉄道を運転するのは、ほぼすべてが男性だったが、女性も増えてきている。最近は浜松の遠州鉄道のバス部門で、女性運転士を大量に養成することが報道された。
秋田では、第3セクター・秋田内陸縦貫鉄道で日本初の女性運転士が誕生(平成2年だそう)しているし、JR東日本秋田支社は2005年に女性運転士(おそらく車掌はそれ以前)、2006年には東日本管内初の新幹線の女性車掌を起用していて、秋田以外も含めて、女性が現場で活躍するのは珍しくなくなった。

では、路線バス。
弘前の弘南バスでは、1990年代後半に弘前営業所に女性運転士がいた。数年前には、土手町循環100円バス(弘前営業所担当)を女性が運転していたから、同じ方だろうか。ただ、女性が大幅に増えたりはしていない。

中央交通でも、たぶん2000年前後から秋田営業所に女性運転士が1人いる。当初は、小田急中古の大型バスで新国道経由下新城方面(現在は再編・短縮された路線)を運転する様子がテレビで取り上げられたりしていた。ここ何年かでは、一般路線のほか能代行きの高速バスも運転しているのを見たことがある。(高速能代線では秋北バス側でも女性運転士がいる)
さらに、子会社のトランスポート社でも女性運転士がいる。

そんな中、臨海営業所は男性運転士しか見たことがなかったが、この春頃から、女性運転士が登場している。
もしかしたら他の営業所・子会社から異動したのかもしれないが、同時期にトランスポートでも女性が運転していた。少なくとも中央交通系列内で2人以上は女性がいることになる。


安全かつ乗客の立場になった運転・接客をしてもらえれば、男でも女でも、帽子をかぶってもかぶらなくても、どっちでもいい。
コメント (9)
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トメさん

2014-06-23 23:58:50 | 秋田のいろいろ
22日、五城目町での「五城目のトメさん」のライブが、無事終わった。
その模様が、23日付秋田魁新報社会面と朝日新聞秋田版で報道された。ステージ上に座ってギターを抱えて話す小玉さんの写真が掲載されている。

魁では、若い頃に小玉さんのスナックに通っていた、千葉県柏市から来た66歳の女性のインタビューが載っていた。特に目新しい情報なし。
朝日では、「考えた小話は2千近い」となっていて、7月には角館でライブがあるとのこと。今回の漫談の内容も詳しく載っていた。(魁では簡単に掲載)

朝日に載っていたネタを要約すると、
・五城目町役場の建物は立派だけど、中に客は誰もいない。五城目第一中学校があるのに、第二も第三もない。
・秋田市に来たトメさん、ミスタードーナツで「(商品の)名前を言ってください」と言われて、「わたしは五城目のトメでーす」
・エレベーターに乗って、エレベーターの女の人に「お客さん何階ですか?」と聞かれて、「生まれて初めてだ」(何階と何回を誤解)
・大森山動物園行きのバスに前のドアから乗ってしまい、「後ろから乗ってください」と言われて、後ろ向きにお尻から乗車
・バスの整理券が「1」番だったので、いちばん前の席に走って行って「そこ、あたしの席だから」

最後の整理券以外は、僕は以前から知っていた。どれもトメさんの超定番ネタと言えるだろう。最初の五城目の役場と中学校は、枕というかツカミというか導入部で、「そんな五城目で有名なのが、」と続く。


以下、フィクションの物語にツッコミをしては元も子もないのは重々承知ですが、これに対していろいろと。
※トメさんのお話を否定・批判するつもりは毛頭ないことをお断りしておきます。
※ライブを聞いたわけではなく、朝日新聞の記事だけを元にしています。
※以下、五城目のトメさんがブームとなった1980年代中盤頃を「昔」と表記します。

・いつの話?
先日の新聞記事によれば、トメさんの年齢設定は統一されておらず、2014年の設定では「74歳」ということだった。

そこで気になったのが、舞台となる時代設定はどうかということ。アニメ「ちびまる子ちゃん」のようにある時期で固定されて不変なのか、それとも「サザエさん」や「ドラえもん」のように、いちおう現代を舞台(登場人物の年齢は固定されている)としているのか。
朝日新聞に、その答えがあった。
エレベーターの話で舞台が「フォンテAKITAのエレベーター。」とあった。
昔の話では「イトーヨーカドー(秋田店)」だったのが、ヨーカドーの撤退・ビルの愛称命名を経た現代に、そのままスライドさせていることになる。
しかし、後述の通り一部の設定(エレベーターガールがいることなど)は昔のままで実態とは合っておらず、ある種の矛盾が生じている。

・ミスド
ミスタードーナツは、昔の話では、現在のホテルアルファーワンの位置にあった、「鎌田会館」1階の「ミスタードーナツ秋田ショップ」が舞台(国内23番目の店舗)。
前項からして現在が舞台だとすれば、秋田ショップは閉店済み。
朝日新聞ではどこの店かは書かれていない(別に書く必要もない)が、今の秋田駅周辺では、駅ビル内の「秋田トピコショップ」しかなく、そこに舞台が変わったと考えられる。

・シースルーエレベーター
今回は話されなかったのかもしれないが、エレベーターではもう1つのネタを聞いたことがある。
イトーヨーカドー(フォンテ)のエレベーターは、ガラス張りで外から動く様子が見える「シースルーエレベーター」だが、それを見たトメさんが「これが噂の『ロケット』だな」と誤解する話。

秋田駅前では、秋田フォーラス(昔はジャスコ秋田店→パレドゥ)もシースルーエレベーター。
位置やデザイン上、フォーラスのほうが「ロケット」っぽく見える気がする。(フォンテはエレベーターがある壁面はハーフミラー張りなので、エレベーターが目立たないと思う)
(再掲)ロフトの看板の下がエレベーター
ジャスコ時代はともかく、ファッションビルであるパレドゥやフォーラスにトメさんが迷いこんだら、さらなる珍騒動になりそう。

それと、エレベーターの女の人、いわゆるエレベーターガールのこと。もちろん現在のフォンテにはいないが、昔のイトーヨーカドー秋田店では、実際にいたのだろうか? 記憶にない。
ダイエー秋田店があった秋田ニューシティーでは、開店から数年間はエレベーターガールが乗っていた(インフォメーションカウンターと兼務)から、ヨーカドーでもそうだったのかもしれない。たしか外のドア上の現在位置表示の所に「自動運転中」であることを示す表示があったはずだし。【28日追記】オープン時は「B・1・2・…」と横に並んだ階数ランプが順に点灯していくタイプで、その隅に「自動」があったはず。2013年頃に、その部分がオレンジ色のLED式に更新された。新しいエレベーターで見られるのと同じ、「↑1」などと現在いる階数が表示されるタイプだが、横に「自動」という表示がある。エレベーター本体は以前のままで手動運転もできるため、表示が新しくなっても残っているのだろう。

・バスの乗り方
大森山へ行くバスは、昔なら秋田市営バス、今は移管されて中央交通。中ドアから整理券を取って乗って、支払って前ドアから降りる乗車方法は、どちらも同じ。
一方、五城目町内のバスは昔から中央交通。(中央交通の創業地が五城目である)

トメさんが五城目から秋田までどうやって出てきたかは不明だが、公共交通機関で来たとすれば、五城目からバス1本で来たか、五城目から八郎潟駅までバスで来て、奥羽本線に乗り換えたことになる。どちらにしても、その段階でバスに乗っていることになるが…
昔なら、五城目はワンマン化が遅くてまだ車掌が乗っていたとか、ワンマン化されていたものの前ドアだけを使っていたとかで、トメさんが中ドアのあるバスの乗車方法や整理券を知らなかった可能性はある。
【24日補足】中央交通のワンマン化状況は知らない。中央交通が1990年代初め頃(?)に購入したバスでは、ワンマン機器とともに、中ドア直後に車掌が乗務するスペースや連絡用のブザーが設置されている。
参考までに秋田市営バスでは1964年からワンマン化が段階的に始まり、1981年の添川線を最後に完全ワンマン化されている。

・整理券1番
大森山行きの始発停留所である秋田駅前からバスに乗って整理券が「1」番というのは、市営バスでは(操作ミスを除いて)あり得なかった話。今の中央交通ならば正しい話。

バスの整理券の番号の進み方はバス会社によって異なり、「1」から始まるもの、「0」から始まるもの、「整理券なし」→1→2と進むものなどがある。市営バスは「0」、中央交通は「1」から始まるため。
市営バス最後の車両138号車の感熱紙式整理券。昔のトメさん当時は青と赤のインクだった

・トメさんの一人称
朝日新聞によれば、トメさんは自分のことを「わたし」「あたし」と呼んでいるようだ。
秋田弁では女性でも「オレ」を使う人が多い(現在では高齢者しかいないけれど)が、トメさんはそうじゃないのだろうか。
秋田の街に出てきたから、よそ行きの言葉を使ったのかな。


・現代ならば…
トメさんほどではなくても、実際に昭和末期に田舎から秋田市に出てきた人なら、そのにぎやかさに驚いたかもしれない。しかし、現代なら…
秋田市街地は衰退して、歩く人もまばら。五城目の朝市やイオンスーパーセンター(旧・ジャスコ五城目店。2001年開店)のほうが、にぎやかになってしまったんじゃないだろうか。

【2015年5月13日追記】この後も、五城目のトメさんの再ブームがじわじわと続いた。2015年春には30年ぶりのライブ収録という「『五城目のトメさん』CDブック」が発売された。
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とうてつから大鉄へ

2014-06-22 23:58:34 | 津軽のいろいろ
※この記事は便宜上、「津軽」カテゴリー、「青森県」ジャンルにしておきます。
青森県東部の三沢と十和田市を結んでいた私鉄「十和田観光電鉄」の鉄道線が、2012年4月で廃止された。※2011年の乗車記
廃止まで使われていた車両は、その後、車庫で眠っていた。主力で走っていた7700系6両と7200系2両は、いずれも東急電鉄で使われていた中古車。新しくはないものの、もうしばらくは使えそうだし、冷房付きだし、どこかへ売れば多少の収入になるのに、もったいないと思っていた。

先週、ネット上の一部で、十和田観光電鉄の車庫から7200系が2両とも運び出されてトレーラーに乗せられ、太平洋側を南へ移動しているという情報が飛び交った。行き先については噂されていたが、公式な情報はなかった。


今日、静岡新聞のサイトに「大井川鉄道に旧東急7200系2両 今冬デビュー見込み」というニュースが掲載された。噂通り、静岡県の大井川鉄道へ譲渡されたことが分かった。
※正式には大井川“鐵“道と表記。地元では「大鉄(だいてつ)」と呼ばれている。
1968年製で2002年に十和田観光電鉄へ譲渡された車両で、「大鉄で“第3の人生”を送ることになった。」「使用開始は今冬の見込み。」としている。

静岡県の真ん中から少し西、駿河と遠州の境界である大井川の右岸(西側)、茶産地の牧之原台地のふもと(?)にある東海道本線金谷駅から大井川沿いをさかのぼるのが、大井川鉄道の本線。(さらに上流はアプト式の別路線)
継続的にSLを運転し続けており、最近は「きかんしゃトーマス号」も登場。首都圏から近いこともあって観光客が多い。各局の旅番組で年に3回くらいは取り上げられている気がする。
SL以外の一般の列車では、近鉄や南海など大手私鉄各社で特急列車として走っていた車両を購入して普通列車に使っており、愛好家にはこちらも人気がある。

しかし、今年早春、普通列車の大幅減便(14往復→8往復+区間便1往復)を発表すると同時に、沿線自治体に支援を求めた。
僕はこの時、ちょうど静岡にいてローカルニュースで見たのだが、大井川鉄道がそんなに厳しい経営だとは思わなかった。たしかに沿線人口は多くないけれど、観光客がたくさん乗ると思っていた。
実際には、東日本大震災の影響とツアーバスの規制強化によって東京から日帰りできない距離(1人運転でということだろう)になってしまったことでツアー客が激減し、収益が悪化していたという。

十和田観光電鉄の廃止の時も、弘南鉄道大鰐線の廃止騒動(廃止はとりあえず撤回)の時もそうだったが、最近は唐突に話が湧き出して、自治体や地域があわてるというパターンが増えている。
民間会社とはいえ公共交通機関なのだから、日頃から自治体と密接に連携を取ってほしいと思う。路線バスも含めて。
※栃木県で5月に、タクシー会社が運行していた路線バスが、ある日突然運行を中止。通学できない高校生が出るなどしたそうだ。(これは運行会社が小さかったり、過剰な競争も一因なのかもしれないが、今後このようなケースがないとは言えない)


そんな大井川鉄道が、わざわざ青森から中古車を買ったというのは、少々意外だった。
静岡新聞では、「大鉄によると、導入費用は車両2台で合わせて8千万円。内訳は車両費が1千万円、輸送費が900万円、改造費が6100万円という。」としている。
新車の電車は1両1億円くらいだそうだから中古車両そのものは10分の1【25日訂正・2台合わせて1千万円だから20分の1】で買えることになり、今回は輸送・改造費を入れても新車の半額以下で買えたのか。車両の状態次第や輸送距離で違うだろうけど。

廃止で持て余していた車両だから安く買えたのかもしれないが、例えば首都圏の大手私鉄とか、系列の名鉄でも中古はあったかもしれない。
あるいは十和田観光電鉄から買うにしても、7700系のほうが(車齢は少し古いものの)電気機器など全体的なリニューアルが施されている。
購入費と同じくらいの輸送費をかけてまで、青森から7200系を運んだ意図とは。

十和田観光電鉄の7200系には、東急から譲渡された時点で改造が施されており、それが大きなアドバンテージだったかもしれない。
7200系を含むほとんどの電車は、本来1両の片側にしか運転台がないため、最低でも2両1組でないと運行できない。(他にもモーターなど機器の制約がある場合もある)
ところが、十和田観光電鉄の7200系は反対側にも運転台を増設する「両運転台化」がされていて、1両でも運転(単行)できるようになった。
静岡新聞では「車両両端に運転台があり、1両だけでも運転できるのが特徴。」としているが、将来的には単行運転することを見据えて、十和田観光電鉄の7200系を選定したのではないだろうか。

7200系の先頭部を横から見ると、「ダイヤモンドカット」と呼ばれる「く」の字型のほお骨が出っ張ったような形状なのが特徴。増設された側の運転台は、平らでおでこが広い別の顔になっている。静岡新聞の写真に出ているクレーンで吊るされた「7305」は増設側が写っている。
2011年に撮影した「7305」のダイヤモンドカット側
せっかく改造したものの、十和田観光電鉄では単行運転はほとんど行われなかったらしい。大鉄ではどうなるか。

大鉄で今まで使われてきた元特急用車両と比べると、ステンレスボディーでオールロングシートの7200系では、あまりに印象が違いすぎる。
鉄道ファン(特に車両分野の)にとっては、大井川鉄道の魅力が低下してしまう気がするが、経営改善にはつながるだろうか。

そして、十和田に残る7700系はどうなるか。
機器更新されているのに、もったいない。冷房車がない弘南鉄道さん、輸送距離も短くて済むし、いかがですか?
※7700系6両すべてを買ったとしても、弘南鉄道の全車両の更新はまかなえない。

※残りの車両の処遇はこの記事後半にて




ついでに今日の秋田魁新報から。
県南地域面「ふるさと小紀行」で、横手市の横手公園に静態保存されているD51形蒸気機関車270号機が取り上げられていた。1973年に新潟鉄道管理局管内から横手駅まで鉄道で運び、駅から公園までは車で運んで搬入した。横手市が「運搬や工事などに必要な経費400万円を支出した。」そうだが、それを思えば今回の7200系の900万円は高くない。

秋田出身で県外で活躍する人を紹介する総合面「あきた人」では、東急渋谷駅の廣田博美統括駅長が取り上げられた。
2012年に東横線と田園都市線それぞれの渋谷駅を束ねる「統括駅長」が設けられ、その初代。
「上小阿仁中-大館工高卒。1972年に東急電鉄に入り、駅員、車掌、運転士などを経て、東横線、田園都市線それぞれの渋谷駅長を歴任。」「昨年9月の定年後、再雇用された。」
鉄道のない上小阿仁村出身(昔は森林鉄道はあった?)の人が、首都圏の大手私鉄に入り、現場からのたたき上げで一大ターミナル駅の責任者に上り詰めるとは、感慨深い。
記事でも触れているが、出身高校のある大館と渋谷は、忠犬ハチ公での縁がある。
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トップバリュのアイス

2014-06-19 23:56:07 | 各地お土産・食べ物
スーパーなどのプライベートブランド(PB)商品。※プライベートブランドでない商品は「ナショナルブランド」
人それぞれお考えはあるでしょうが、個人的には、価格がいつも同じで買いやすく(逆に特売されているナショナルブランドのほうが安いことがあるわけですが)、ナショナルブランドには価格の高さ相応の価値があるか疑問(=ブランドの名前に対して金を払っている)を感じるものもあり、PBに対する抵抗はかなり少ない。
我が家は、ダイエー秋田店開店直後からダイエーのPB「キャプテンクック」商品をけっこう買っていたことが、今のPBへの抵抗がない原因かもしれない。今はダイエーのイオン傘下入りで、キャプテンクックも後に登場したセービングも、なくなってしまった。(そもそもダイエー秋田店がなくなったし)

と言っても、商品の「質」、食べ物なら「味」(プラス「安全性」もだけど、まあ大丈夫でしょう)が一定レベル以上でないとお話にならない。この点ではごくたまに「外れ」はあるけれど…


PBの代表的なのが、セブン&アイグループの「セブンプレミアム」とイオングループの「トップバリュ」。
ネット上の一部では、「セブンプレミアム製品はとても良い(食品ならおいしい)が、トップバリュ製品は最悪(同まずい)」と決めつけてかかるような意見も見受けられる。

たしかに、セブンプレミアムは製造を委託した企業名を明記するなど、質にこだわっているイメージはあるが、トップバリュだって悪くはないと思う。

例えば、海苔。我が家では「トップバリュ 焼のり すしはね」という、20枚で380円の大判の規格外の海苔を愛用している。味に不満はなく、ごはん、麺類、おひたし、豆腐などにバリバリと惜しみなく使うことができる。(これによって我が家の海苔消費量が増えた)
【2015年1月20日追記】2014年には、トップバリュ製品の製造者(メーカーや工場)名が検索できるようになった。それによれば「すしはね」は彼の大森屋が製造している。

例えば、じゃがいも。

シーズンによって産地・品種が変わるが、5月初めは北海道産「さやか」。198円が珍しくタイムセールで158円だったか。
初めて食べる品種だったけれど、気に入った。


そして、セブンプレミアムよりトップバリュのほうが質がいいと明確に言えるものが、アイス。
「ファミリーパック」と言うのだろうか、バニラ味などの大容量で低価格の製品。ナショナルブランドでは「明治ファミリア」などがある。

セブンプレミアム 北海道バニラ 1000ml 409円
セブンプレミアムの大容量アイス「北海道バニラ」は、販売者は「明治」。さらに欄外に「製造者」として大阪の「丸善製菓」が表示されている。セブン&アイ→明治→丸善製菓と、孫請けみたいなことになっている。
明治ファミリアとは脂肪分や栄養成分が異なるので、同一ではないと思われる。

セブンプレミアム北海道バニラもファミリアも、それ以外の多くのファミリーパックも同じだが、種類別としては「ラクトアイス」。乳固形分が3%以上で、植物油脂が加えられている。
だから厳密には「アイスクリーム」とは呼べない。
北海道バニラは、無脂乳固形分9.0%、植物性脂肪分13.0%。原材料は「糖類、植物性脂肪、乳製品、卵黄、…」。


これに相当するトップバリュ製品は…
※トップバリュ全体でパッケージのリニューアルが行われていますが、写真は変更前のもの。今後変更される可能性があります。
【2015年8月10日追記】けっこう遅く2015年7月頃にリニューアルが行われ、商品名は「ニュージーランドで作った バニラアイス」になった。価格やバーコードの番号は前と同じようだが、味はどうか?
【2021年1月16日追記】さらに2020年頃にまたリニューアルされ、ニュージーランド産で無脂乳固形分や乳脂肪分は同じながら、カロリーや炭水化物は増えていて、中味も明確に変わってしまった。以下は古い商品についての情報です。
トップバリュ バニラアイスクリーム 2L 598円(1L 398円もあり)
「ml」でなく「L(リットル)」単位なのが、いかにも大容量。※内容量欄はmlで表示

製品名がそうであるように、この種類別は、
「アイスクリーム」
この値段でほんとうのアイスクリームとは!

無脂乳固形分11.0%(乳固形分ではない)、乳脂肪分10.0%。
原材料は「生乳、乳製品、砂糖、…」。卵は使われておらず、アレルギー表示にも出ていない。
卵黄が入っていないせいか、他のバニラ系アイスより色が白い。

アイスクリームだろうが何だろうが、おいしくなければお話にならないけれど、これがおいしい。かなりちゃんとしたアイスクリームの味だと思う。
まず、セブンプレミアム北海道バニラと比較してみると、セブンプレミアムは「わざとらしいこってりさ」がしてしまうのだが、こちらは自然なアイスの味がする。植物油脂や卵が入っていない、牛乳の味に由来するのか。

そして、いわゆる「プレミアムアイスクリーム」に匹敵するようにさえ感じた。
プレミアムアイスといえば、濃厚で空気含有量が少ないため、冷凍庫から出したては硬くてスプーンが入らないほどだが、トップバリュのはそこまでではない。ということは、プレミアムアイスほどプレミアムではないのか?

ナショナルブランドのプレミアムアイスクリームと脂肪分や卵の有無を比較。
トップバリュ 無脂乳固形分11.0%、乳脂肪分10.0%、卵不使用
ハーゲンダッツ バニラ 無脂乳固形分10.0%、乳脂肪分15.0%、卵黄入り
明治グラン ミルク 無脂乳固形分13.0%、乳脂肪分15.0%、卵黄入り(※以前あった「Ayaバニラ」は10%と18%)
レディーボーデン バニラ 無脂乳固形分9.0%、乳脂肪分14.0%、卵不使用
トップバリュは乳脂肪分が低めで、卵不使用が特徴か。

僕が子どもの頃はプレミアムアイスといえば、レディーボーデンしかなかった。(日本では当時は明治乳業、現在はロッテアイスが製造販売)
その後、ハーゲンダッツなど各社が出てきたわけだが、最近は味が濃いというかメリハリのある味のものが主流になっていると思う。ハーゲンダッツしかり、2012年に明治のAyaに替えて発売されてヒットした「グラン」しかり。
そういう昨今のアイスに慣れた人には、トップバリュのアイスは薄味に感じてしまうかもしれない。
でも、昔のレディーボーデン(今も売ってるけど)とかAyaは、トップバリュのアイスに近い味だったような気がするような…(上記成分はレディーボーデンとちょっと似ている)

人それぞれですが、僕ならトップバリュのバニラアイスクリームがあれば、プレミアムアイスクリームなんて食べなくてもいい。



僕がこのアイスを買おうと思ったきっかけは、これが「ニュージーランドのアイス」だということを知ったこと。
箱には「ニュージーランド産のミルクを使用し」とあり「ニュージーランド産のミルクを使ったアイスクリームを食べてみたかった。」という「わたしの声」に応えたことになっている。

たしかにニュージーランドは酪農国だけど、アイスが有名だとは知らず、調べてみた。
国民1人当たりのアイスクリーム消費量は、ニュージーランドが世界一だそう。
具体的な数値は分からなかったが、ニュージーランドは1人年間22~23リットル。日本は6.5リットルで世界15位には入っていないという情報あり。
「ホーキーポーキー」という、キャラメルの入ったアイスクリームが人気だそうだ。

トップバリュでも、バニラのほかに「ダブルキャラメルアイスクリーム」というホーキーポーキーと同じようなものを、バニラと同価格(1リットル)で出している。

トップバリュのバニラアイスは、牛乳の産地のみならず、製造地(原産国)もニュージーランドのようで、輸入者が「イオントップバリュ株式会社」となっている。(販売者はイオン株式会社)
わざわざ「食べてみたい」という声があるほどだから何か特別な味がするのか、はたまた外国製品によくあるような妙に甘ったるかったりしないか、期待と不安を抱きながら買って食べたのだが、普通においしいアイスクリームで、ある意味拍子抜けした。

「牧草の季節性による原材料の風味が影響を受け、アイスクリームの味やにおいに違いを感じる場合があります。」という注意書きがある。
農畜産物は工業製品ではないのだから、生じて当然だと思う。極端に違うのは困るけれど。(国産の牛乳だって、冬と夏で脂肪分が増減する)

日本にいるなら国産製品を買うべきだとか、安全性を信じていいのかとか、いろいろ考え方はあるでしょうが、かなりお買い得で、あまたあるトップバリュ製品の中で、かなり高品質でコストパフォーマンスが良好な製品だと思う。

問題は、大容量なこと。買って口に合わないと困る(この点はクリアできた)し、冷凍庫内で場所を取る。

フタはかぶせるだけでなく、カチッとはめる簡易な密閉容器のような構造。
開封後は空気に触れて変色しないよう、すくい取った後の断面をなるべく平らにしておくようにとの注意書きもある。
【20日追記】安さに気を取られて2リットル入りを買ったはいいが、なかなか減らずに冷凍庫を占領し続けてしまうのが欠点と言えば欠点。

【2018年5月27日追記】その後、原料価格高騰などのため、何度か値上げが行われた。2018年5月頃にも行われ、2Lが624円、1Lが408円になった。


トップバリュに大きく差を付けられてしまった格好のセブンプレミアムのアイス。他の製品ならば、両者が競うように似たような商品を出しているけれど、セブンプレミアムがどう動くだろうか。

【2018年12月21日追記】2018年12月に久々に食べたところ、以前と変わらぬ味・おいしさであった。
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1000円高速バス乗車記

2014-06-18 00:31:45 | 旅行記
だいぶ前の高速バス乗車記。
僕は高速バスに積極的に乗りたいとは思わない。予約方法や乗り場が不慣れな者には分かりにくいこと、遅延の可能性、車内が窮屈なこと、そして何よりもやっぱり(バスも嫌いじゃないけど)鉄道が好きだから。
他に交通手段がないとか、時間的・経済的に相当のメリットがないと、高速バスを利用する気にならない。四国に行く時に淡路島経由の高速バスに乗ったような。


以前から、ちょっと乗ってもいいかなと思っていたのが、東名高速道路を通るバス。
国鉄時代からの伝統があるJRグループの「東名ハイウェイバス」のほか、各地のバス会社が運行していて、選択肢は多い。
日本の大動脈の1つである東名高速道路を通ってみたい思いもある。

だけど、時折行く静岡県東部~中部辺りなら、JRの在来線普通列車や小田急電鉄を使った移動のほうが良さそう(上記のような際立ったメリットが感じられない)に思われて、これまで機会がなかった。

ところが、今年2月から3月の平日限定で、東京-沼津間の高速バスが1000円で乗車できる利用促進キャンペーンを行うことを知った。(2013年にも実施されたようだ)
通常運賃2100円、いちばん安い回数券でも1500円相当の区間だから、格安。沼津からJRなどに乗り継いで周辺の他の町へ行くにしても、トータルでかなり安くなる。

安すぎて不安になるが、運行するバス会社は富士急行の子会社「富士急シティバス」。
同社の一般路線バスに乗ったことがあるし、親会社の社長は日本バス協会の会長を務めているくらいだから、おかしなことはしないだろう。ネットで調べた限りでは、ボロっちいバスが使われるわけでもなさそう。
ということで、乗ってみた。


ここで、静岡県東部の隣り合う三島や沼津と東京を結ぶ高速バス事情を整理。※いずれも旧ツアーバス系ではなく、元から路線バスとして運行。
東名高速は、三島は通らず、沼津の郊外をかすめるように通る。JRの東名ハイウェイバスは、各駅(バス停)停車の急行便しか利用できないし、高速から下りないのでバス停から市街地までが遠くて、旅行客が使うのは限定的。
両市街地を発着する高速バスは、JRバスではない2陣営が競合している。小田急・東海バス陣営と富士急・京王陣営である。小田急は予約不要、富士急は予約制だったり、市内での乗降バス停が異なるといった違いがある。

富士急陣営に着目すると、渋谷・新宿-三島、 渋谷・新宿-沼津、東京駅-沼津の3路線が運行されている。
そのうち、1000円で乗れたのは、東京駅-沼津の「さんさんぬまづ・東京号」だけ。京王は担当しない富士急単独路線であり、本数も多くなくて、ややマイナーな路線なのかもしれない。それでキャンペーンをしたのだろうか。

1日4往復運行されているが、上りは13時台より前始発、下りは16時以降と、時間帯が偏っているのが特徴。沼津の人が日帰りで上京することを想定したダイヤのようだ。
1000円に惹かれたよそ者としては利用しづらい設定だが、下りの初便である東京駅八重洲南口発16時00分→富士急沼津営業所18時22分の便に途中の沼津駅北口18時07分まで乗ることにした。

他の多くの高速バス同様、コンビニやネットで予約・発券できる。
僕は「座席を指定して」かつ「クレジットカード決済」したい。両者の条件を満たすには、「発車オーライネット」で予約した上で、「日本旅行・高速バスぷらざ」で決済するしか方法がないようだ。
「インターネット乗車票」なるものをプリントして持参する。乗車時のクレジットカード提示は不要。
払い戻す場合は、バス会社の手数料(富士急シティバスがいくらなのかは不明)に加えて、高速バスぷらざの手数料として525円(消費税率5%当時)もかかってしまうので注意。

座席を指定したのは、どうせなら富士山が見えるかもしれない、右側の窓際にしたかったから。予約方法ごとに車両をいくつかに分けて売っていたようで、前から6列目の右側を取れた。

乗車票には、「発車時刻15分前には」来いとある。
東京駅のような大きい駅は、バス乗り場が複数あったり、目立たない位置にあったりして、初めてだと迷う恐れがある。当時、東京駅のバス乗り場は移動など工事中で、情報も少なかったので、余裕を持って東京駅へ。

東京駅八重洲口は、再開発で「グラントウキョウ」ができるなどしており、バス乗り場も新しくなった。
2013年9月にできた「グランルーフ」という2階のデッキとそれを覆う大屋根の下に、2013年12月に移転したばかりのバス乗り場があった。
グランルーフペデストリアンデッキからバスターミナルを見下ろす
とても分かりやすい場所で、これなら迷わない。
八重洲南口バス乗り場
だけど、乗り場に入っているバスはほとんどが青いラインにつばめマークのJRバス。スカイツリーシャトルや関東一円に向かう高速バスが多い。
JRバス専用乗り場ではないかと不安になるが、たまに他のバス会社の高速バスが肩身が狭そうに出入りしている。乗り場の1つに「沼津行き」と表示があった(さんさんぬまづ号とは書いてなかった?)し、ここで間違いなさそうだ。

バスターミナルは、大きく開放的な造り。
高速バスの乗り場は8番(9番は当時は工事中)まであり、バスが頭から斜めに突っ込んでドアを開き、バックせずにハンドルを切るだけで発車できるという、なかなか合理的な構造。
一般路線バスでは中ドアを使うから頭から入るのは難しいだろうし、秋田では強風や雪を考えるとこんな開放的な構造は無理。

時刻と連動した乗り場別の発車を表示する液晶画面、すなわち鉄道でいう「発車標」があり、ちょっと奥まって分かりづらかったが、JRバスの発券窓口と待合室(座席数はそれなりにあったが満席だった)もあり、バスターミナルなのに「駅」のような趣きもある。

バスはひっきりなしに入って・乗せて・出て行く。(降車は別の日本橋口で行う路線が多い)
乗車票にあった「発車15分前」に素直に従っても、肝心の乗るバスが入って来られない。

発車10分前を切って、「Resort Express」と書かれた富士急の白いバスが現れた。
さんさんぬまづ・東京号(どこにも「さんさんぬまづ」とは表示がない)
「E4804」という社番で、ナンバープレートも沼津ナンバーの希望番号で同番。いすゞガーラの2008年式とのこと。
2人掛け座席(4列シート)でトイレ付き。

乗り場にはけっこうな列ができていた。予約なしで乗る人も少なくなかったが、予約の有無に関わらず並んだ順に改札。
予約なしの人も断られずに運転士に座席を指定されて座っていたので、満席ではないようだ。(予約なしでも1000円)

僕の前後の席には人がいたが、隣は空席。グループ客以外で相席になる人はいないが、なかなかの乗車率。
買い物帰りの奥様グループなどもいて、運賃1000円を狙って利用している人も多そう。


※以下、走行中の写真はありません。
バスはワンマン運転で、途中休憩なし。
時刻通りに発車。
河口湖行きとしてターミナルに入るバスとすれ違う。日野セレガのJRバスのようだが、ラインが薄い水色だし、つばめマークが小さい。しかも「国鉄」や「JNR」ロゴがある?!

JRバス関東では、「国鉄デザイン復刻バス」を走らせていて、何台かあるうちの1台だったようだ。
僕が覚えている国鉄バスの塗装は、たしかに小さいつばめマークだったが、色は現行と同じ濃い青だったはず。水色はごく初期の塗装ということのようだが、現代のバスにも似合っているように見えた。できればじっくり見たかった。


車内の自動放送は、JR東日本秋田支社のワンマン列車と同じ声。
【8月17日追記】「レゾナント・システムズ」というメーカーの装置のようだ。元は「ネプチューン」という社名で、1962年に日本初のテープ式放送装置を開発し、国鉄バスと取り引きが多く、1986年には日本初の音声合成式放送装置を富士急へ納入。2007年に富士急の関連会社と合併して現社名になった。そんな経緯から、JRや富士急はお得意様のようだ。

有楽町方向へ進んで線路をくぐって皇居沿い・日比谷通りへ。
外務省の前など初めて通る街を眺めつつ、すぐに「霞が関」から首都高速に入る。16時15分。
首都高を通るのも初めてかな。渋谷など所々流れが滞っていた。

16時30分 多摩川を渡り、16時33分 東京料金所(といっても川崎市に所在)からいよいよ東名高速道路へ。すぐ「東名向ヶ丘」バス停を3分遅れで通過。誰も乗らず。
16時36分 3分遅れで「東名江田」バス停。予約なしで2名乗車。
乗車を扱うバス停はここまでで、降車できるバス停はここから1時間ほどないので、しばらくは東名高速をひた走る。

天下の東名高速はさすがに車が多い。特にパネルバンのような貨物車が目立った。バスはほぼずっと追い越し車線を走り、そうした車をぐんぐん追い抜いて行く。

雪化粧の山(丹沢山地?)が見え、町田を過ぎて16時47分「大和トンネル」を通過。渋滞情報で聞く場所だけど、トンネル自体は短い(280メートル)。
17時07分 大井松田インターチェンジ。下り坂になっていて、正面に富士山があるらしいが、残念ながらまったく見えず。
ここから足柄サービスエリアまでの下り線だけは、「右ルート」と「左ルート」に分かれている。
バスは旧上り線を転用した「右ルート」へ。左ルートよりも空いているようだ。左ルートを走るJRバスを追い抜いた。東名ハイウェイバスの各駅停車便だろうか。

進行方向左側が開けていて、眺めが良さそう。小田原がある「足柄平野」だろうか。
17時21分 左右ルートが合流し、足柄サービスエリア通過
17時24分 東名高速の最高標高である454m地点通過
17時27分 新東名高速道路が分岐する御殿場ジャンクション通過

沼津へ行くには、沼津インターチェンジで高速を下りるのが近くて早いが、富士急シティバスの高速バスの多くは、その1つ(距離にして10キロ)手前の裾野インターチェンジで下りてしまう。
一般道で沼津市内へ向かいつつ、途中の裾野市や長泉町のバス停で乗降を扱うためである。

17時31分 裾野ICから一般道へ。あっという間の東名高速だった。
すぐ最初の降車バス停「トヨタ自動車東日本前」を通過。降車なし。
ここでは2分遅れで順調だが、夕方のラッシュ時間であり、この先の県道・国道は渋滞気味。【7月1日追記】雰囲気は秋田市の秋田南インターチェンジから国道13号線秋田市街方面に似ている。
以後の6つの各バス停では、いずれも数人ずつが下車。
乗客向けの無料駐車場が用意されたバス停もあるし、車が迎えに来ていた人もいた。
すっかり暗くなった
沼津駅北口着は18時18分。11分遅れ。
終点の営業所まで乗ったのは3~4人のようだ。

なんやかんや言って、僕はモデルチェンジ後の日野セレガ・いすゞガーラに乗るのは初めてだった。
乗り心地・座り心地(背もたれがやや貧弱か)は良かったし、足元も広かった。車内は静かで、外で聞こえる「ぷつーぷつー」というギヤチェンジの音も中ではほとんど聞こえない。


約130キロを、新幹線(三島で在来線乗り換え)なら1時間強、普通列車(直通は少なく、熱海で乗り換えが多い)なら2時間前後。
料金は普通列車と普段の高速バスはほぼ同額。僕だったら、時間が正確に読める普通列車のほうを選ぶ。
でも、1000円だったら、高速バスのほうを優先して選ぶ。大渋滞で大幅に遅れる可能性はあるけれど。
などと思っていたが、この後、仙台から金沢に向かっていた宮城交通の夜行高速バスが、乗客が亡くなる事故を起こした。原因は完全に解明されていないが、労働環境も一因であるようだ。
バス会社も乗客も、切り詰めてギリギリのところで運行して利用しているような面がある。
安いのもうれしいけれど、安全に快適に移動できてこそ、公共交通機関だと、改めて思っているところ。



ところで、御殿場から沼津・三島にかけての一帯は、大企業の工場や研修施設が多数存在する。
そこへ通勤や来訪する人の足として、沼津駅や三島駅から送迎バスが運行されている。多くは、富士急シティバスなど地元バス会社に委託しているようだ。
秋田では、ノースアジア大学の送迎バスくらいしか事例がない。
【18日追記】送迎バスのダイヤは、各企業が公開していたり、乗り場に掲出されたりしていて、部外者でも知ることができる。
三島駅にて
路線バス車両を使っているが、路線バスではなく送迎バス。富士通沼津工場へ行くようだが、行き先表示が上段に英字が入る「FUJITSU/富士通」なのが独特(側面も同様)。「富士急」と1文字違いなのは何かの縁でしょうか。
前のドアから乗車させていたようだが、有料なのか? 部外者でも利用できるのか?

同じ乗り場から、キヤノンの「富士裾野リサーチパーク」へのバスも富士急が受託して出ていたが、こちらは貸切車両だった。
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墜落騒動

2014-06-15 23:34:23 | 秋田のいろいろ
全国ニュースやポータルサイトのトピックスにもなったが、13日の金曜日の秋田で、飛行機墜落騒動があった。

13日午前10時半前、70歳の男性から「自宅から見える山の斜面に小型飛行機のようなものが引っかかっている」と110番通報。
秋田駅からほぼ真東に山を越えて15キロの河辺三内字三内段という場所。旧河辺町のいわゆる「岩見三内(いわみさんない)」エリアの北(奥)。雄和の秋田空港からも15キロほど。
※雄物川の支流である「岩見川」とさらに支流の「三内川」が合流する辺り。今まで意識していなかったけれど、「岩見三内」という地名は存在せず、大字は川に従って「河辺岩見」と「河辺三内」に分かれる。その両者をひっくるめて「岩見三内」なんだ。(元は岩見村と三内村が明治に合併して岩見三内村となった村名が由来だろう。1955年に河辺町、2005年に秋田市)三内川の西は、間もなく秋田市太平山谷(たいへいやまや)。

警察、消防などから車30台が駆け付け、それにマスコミなども合わせて100人が集まり、集落は大騒ぎになった。
しかし、現場近くへ行ってみると、小型飛行機だと思われたものは、山に生えた樹木「ヤマボウシ」を見間違えたことが判明。1時間ほどで一件落着。

「飛行機の正体見たりヤマボウシ」であった。
テレビで現場の映像を見たところ、たしかに緑の木が茂る山腹に、白い物体が突っ込んだように見えなくもなかった。
写真と図を使って説明した秋田魁新報を見れば、緑の木を間に挟んで、白い飛行機の頭部と尾翼が横たわっているように見なくもなかった。
通報された集落から山まで距離(400メートル)があるし、当時は雨や水蒸気によって視界が明瞭でなかったり、後述のように見間違えた植物が例年と違う状態だったりした可能性もあるから、見間違えても無理がなかったのだろう。

読売新聞などによれば、「現場近くに住む女性(77)が庭にいたところ、車で通りかかった男性が「山の斜面に白いのがあるけど、飛行機じゃないか」と相談。女性は「墜落だったら大変」と隣家に駆け込み、住人の男性(70) 」が通報したそうだ。車で通りかかった人→母さん→隣の父さんと、3段階での通報に至ったことになるが、3人とも“現場”を目にしているだろうから、伝言ゲームのようなものとは違う。

気付かないのか、気付いても行動しないのか、周囲に対して無関心な人が多い中、気付いたらしかるべき所へ知らせておくことは大事だと思う。
14日の秋田魁新報1面コラムでも「北斗星」で「見て見ぬふりをせず、大変だ、と思って通報した人に罪はない。」としている。

さらに、当然といえば当然だけど、警察、消防、県、市がしっかりと対応をしたと思う。
この日は県や県警のヘリコプターすら飛び立てない悪天候であり、さらに秋田空港や大館能代空港に小型機の離着陸計画は出ていなかったという。
関係機関は、それでも手を抜かずに、迅速かつ確実に情報収集や周知を行っていたようだ。いい訓練になったのではないでしょうか。


関連していろいろと。
●ヤマボウシの…
見間違えられた植物は「ヤマボウシ」。本州以南の山に自生し、街路樹や庭木にも用いられる。
北米原産の「ハナミズキ」はヤマボウシの近縁で「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれる。【2015年5月13日追記】ハナミズキのほうが花は1月ほど早く、桜の後に開花。ヤマボウシは葉と同時に開花し、ハナミズキは花が先。両者の交配種も存在。

見間違えたのは、この時期存在感を示すヤマボウシの白い部分、一般的なハナミズキでいえばピンク色の部分。
すなわち、「花(花弁、花びら)」と言いたいところだが、「花」ではないのだった。
恥ずかしながら、僕も意識していなかった(昔聞いたはずだが、忘れていた)。

知ったかぶりに解説すると、正体は「苞(ほう)」あるいは「総苞(そうほう)」という、つぼみを包む葉の一種。(苞と総苞は厳密には違うけど、説明は省略)
「萼(がく)」 と紛らわしいけれど、萼は花由来で必ず花の1つだけを包み、 苞は葉由来で複数の花のまとまり(花序)を包む場合もあるということか??
(再掲)ニホンタンポポ。花の下の緑色の膨らんだ部分が総苞。セイヨウタンポポではここが反り返るなので、識別のポイントとなる

植物によっては、本来の花弁や萼が退化・消失して、苞が発達して花弁のように見える(花弁の代理をしている)ものがある。例えば、ドクダミ、ミズバショウ(特に「仏炎苞」と呼ばれる)、ブーゲンビリア、そしてヤマボウシやハナミズキ。
ヤマボウシやハナミズキでは、1つの「花」につき4枚の白やピンクの苞が十字に開いて、それが「ヤマボウシ/ハナミズキの花」と認知されて親しまれている。4枚の中央部には、本来の「花」が咲いている。

ヤマボウシやハナミズキの花が愛でられるのは、苞の美しさからだろう。
だから「ヤマボウシが咲いた」と言っても、厳密には花でなく、葉である苞が“咲いて”いることになる。
ただし、苞が開いている時は、同時に本来の花も開いて(咲いて)いるわけだから、苞も含めて「ヤマボウシの花」と呼んでも差し支えないように思う。植物学の試験や論文などでもない限り。

各マスコミが、どのように表現したか、拾ってみる。
・「花」断言
秋田放送「山の中にたくさん咲いたヤマボウシという白い花」
毎日新聞(見出し。記事本文は不明)「ヤマボウシの花」
【16日追記】秋田テレビ「山の白い花の群生」「この時期に白い花が咲くヤマボウシ」

・「花」とせず「苞」に言及
秋田魁新報「白い花が咲いたように見えるヤマボウシ」「葉の一種「苞」が広がって白い花が咲き誇ったように見える」
秋田テレビ【16日訂正】秋田朝日放送「ヤマボウシが群生していて、白い苞が密集している場所」
スポーツ報知「緑色の山肌に白く映えるヤマボウシの花のような部分」「純白の総苞片」
朝日新聞「群生するヤマボウシの花びら状の苞」
読売新聞「樹木はヤマボウシで、この時期、苞が白く見えるという。 」

・「花」とは言わず「苞」とも言わず
NHK秋田「この時期真っ白になる樹木の葉」

上記の通り、本件の場合ならABSや毎日のように、「花」で片付けても大きな問題ではないようにも思う。
植物に詳しいわけでもない記者が多いはずなのに、多くが「苞」に言及したのは、意外にすら感じた。もしかしたら県警側がそう発表したのだろうか。

なお、一部マスコミでは、専門家に問い合わせている。
朝日は「秋田市花と緑の相談所によると、ヤマボウシは山中などに一般的に見られる樹木で、この時期は中心部の花を囲む4枚の苞が白くなり、木々の葉に雪が降り積もったように見える。 」。※秋田市花と緑の相談所は一つ森公園にある
読売は「県森林整備課によると、樹木はヤマボウシで、この時期、苞が白く見えるという。 」。
スポーツ報知は出典は書いていないが、「純白の総苞片(そうほうへん)が4枚の花びらのように広がる。全国各地の山地で自生し、ちょうどこの時期、毎年6月上旬から中旬にかけ見頃を迎える。総苞片が白いずきんをかぶった山法師のように見えることから命名された。 」と、かなり詳しい。唯一、「苞」でなく「総苞」という用語を使っていて、いちばん正確なのかもしれない。

NHKは「秋田市植物園によりますと、ヤマボウシは緑の花のまわりにある葉の一部がこの時期、一斉に真っ白になるということです。」と、仁別の植物園から教えてもらったようだ。
NHKは「苞」という専門用語を使いたくなかったのだろうが、「緑の花のまわりにある葉の一部」というまどろっこしい説明。「葉」といえば緑色のを連想するのに、「葉の一部」と「真っ白」の間が離れていて、分かりづらい文章。

余談だけど、上記の通り「ミズバショウの花」として認知される白い部分も「苞(特に仏炎苞と呼ぶ)」。芯のような黄色い部分が本来の花。
今回の例にならえば、「刺巻湿原でミズバショウの花が見頃」というニュースは、「刺巻湿原でミズバショウの花のような白い部分が見頃」とか、「夏の思い出」も「♪水芭蕉の葉の一部が白くなっている 夢見て白くなっている…」となってしまう。
我ながらいつもと違うことを言っているようだけど、いつも必ず厳密に正確な表現を追求する必要はないと思う。ケース・バイ・ケースだ。


もう1つ気になったのが、「ヤマボウシが群生している」という表現。
「群生」とは、「同一種類の植物が1か所に群がって生えること。(デジタル大辞泉)」。
しかし、今回の現場の写真や映像を見る限り、緑の山腹に、ほとんど点のようにヤマボウシが白くなっている状態。ヤマボウシは木だから、真っ白になっていたとしても、根元は1本とか2本、多くて3~4本ではないだろうか。
そんな状態で「群生」と言うだろうか。
1つの木に密に花が付いているのは「密集」であって「群生」とは言わない。あくまで個体数=木の本数がまとまっていることを「群生」と呼ぶはず。
偉そうで申し訳ないが、やっぱりマスコミには、もっと言葉を大事に扱ってほしい。


●今年のヤマボウシ
通報したのは地元の人。今まで何年も山を眺めてきただろうに、どうして今年急に飛行機と見間違えたのか。
それは、今年のヤマボウシの花(のように見える苞)が、特にきれいに咲いて(と表現します)いるためだと思う。

秋田市中心部の庭先などのヤマボウシも、今年はよく咲いていると思ったし、本件の新聞記事にもそのような証言が載っている。
魁に載っている男性(83)は「この集落で生まれ育ったが、あの場所で白い塊を見たのは初めて」。
朝日では、通報した人の隣の女性が「嫁いで60年、あんなに白くなったのは見たことがない」。

ヤマボウシについては以上。


●詳しいけれど…
ヤマボウシについて、なかなか詳しく説明があったスポーツ報知。
通報後の態勢についても詳しく、「(管轄である秋田)東署は周辺の警察署にも、救援を頼んで約50人の態勢で現場に急行。さらに、直後に県警から連絡を受けた秋田市消防局は消防車6台、救助(レスキュー)車3台、救急車3台の計12台、計53人を動員」と説明している。
惜しいのは「秋田市消防局」。秋田市は「消防本部」なんだよね。


●テレホンガイド
上記の通り、応援として秋田市中央部の警察署、消防署からも緊急車両が出動したので、秋田市街地にもサイレンが響き渡った。
ところで、秋田市消防本部では「消防テレホンガイド」を設けていて、消防車両が「いつ」「どこへ」「何のために」出動している(いた)のかが聞けるようになっている。

収録したパーツを組み合わせるタイプの合成音声を用い、「x時/xx分ごろ/**一丁目付近で/建物火災事案/が発生し/消防隊が出動【16日訂正】活動しております」といった感じ。解決後しばらくは、「活動を終了しております」というバージョンもある。
住所のイントネーションがおかしくて聞きづらい時もあるが、これはナレーターにそこまで指示できなかったのだろうから仕方ない。
あとは出動目的の「○○事案」というのは、専門用語で分からないことがある。例えば「カイエンチョウサ事案」「ベルメードーケーカイ事案」「イホーツーホー事案」とか。

秋田市消防本部のホームページに、「消防テレホンガイドの用語解説(http://www.city.akita.akita.jp/City/fr/119kaisetu.htm)」がアップされていて、それを見ればだいたい分かる。(本部トップページのテレホンガイドの電話番号が表示された画像からリンクしている)
上記3つは、大量の煙が発生した「怪煙調査事案」、非常ベルが鳴った「ベル鳴動警戒事案」、警備会社経由で通報された「移報通報事案」と分かる。


では、今回の出動はどうアナウンスされたのか。用語解説には該当するものがなさそう。
実は、僕は実際に聞いた。
近くに電話した人がいて「妙なこと言っている。一大事じゃないのか?」と聞かされたのだ。

航空機火災事案」と言っていた。(用語解説に掲載されている事案がすべてではないことになる)
レスキュー隊も出動しているし、正確には「航空機”火災”」ではないような気がするが、警戒のために火災になる前にという意味なのか、他に適切な音声データがなくてこれを使ったのか。今後、「航空機火災事案」が流れる事態にならないことを祈る。
ちなみに、地名の「河辺三内字三内段」は「三内ダム」と聞こえるような言い方だった。


秋田ケーブルテレビのコミュニティチャンネルのデータ放送では、「緊急情報」として、火災出動の内容が見られる。
「火災出動」だけ
「航空機火災事案」は表示されないようだ。
「ベルが鳴り、消防車が出動しました。」つまり「ベル鳴動警戒事案」
テレホンガイドのデータと連動していても良さそうなものだが、データ更新がかなり遅いようだし、言い回しが異なる(テレビのほうが平易で分かりやすい)。


●昔のテレホンガイド
ついでに、昔の秋田市消防テレホンガイドについて。
現在の番号は、「0180-99-1191」。(ひかり電話向けの別番号もあり)
「018」の一般加入電話でなく、「0180」のNTT「テレドーム」サービスを利用していて、同時に大量に電話がかかっても話し中にならない(なりにくい)。
秋田市では2008年6月10日からこのシステムを使っていて、全国的にもいくつかの消防が同じサービスを実施している。

それ以前は、018で始まる普通の電話番号だった。
番号は2つあったが、街にサイレンが鳴り響く出動直後はどちらの番号にも殺到して話し中が多く、何度もリダイヤルしてやっとつながる状態だった。
心配性な我が家のばあさんは、消防車が走ると、知っている人の家の近くじゃないかと、すぐに電話していたが、リダイヤル機能など使えないものだから、いちいち7桁をその都度入力し、相当苦労していた。
そういう状況を改善するために、テレドームを採用したのだろう。


番号が変わった2008年か、あるいはさらにそれ以前かもしれないが、昔は合成音声システムを使っていなかった。
その都度、職員が肉声で録音したものを流していた。
また、現在は町名・丁目・小字までしか言わない出動地や出動理由を、さらに細かく知らせていた。もしかしたら火事になっているビル名や個人宅名まで言っていたかもしれない。
【16日追記】「えー、ただいまの出動は**一丁目の××ビルです。3階から煙が出ているという通報があり、ポンプ車とはしご車が出動しています」といった感じで(細部は異なると思います)、臨場感があった。

録音作業の負担軽減や反映までの時間短縮のために自動化・合成音声化し、合成音声の限界と個人情報保護のために場所を細かく言わなくしたのだろう。
【16日追記】自動化後は、活動終了した事案も一定時間は流すことになったほか、一度に案内できる件数に限度(5件くらい?)が設けられた。そのため、台風が来ていてあちこちに屋根が飛ばされたり、川があふれたりして出動している時は、事案が発生した順(古い順)にいくつかしゃべった後、「その他多数の事案が発生し、消防車が出動しております」で片付けられてしまう。できれば全部の事案を話してほしいし、でなければ逆に新しい事案から順に話すようにしてほしい。

【20日追記】秋田市の市外局番が「0188」だった当時からテレホンガイドは存在していた。1998年6月から「018」になったので、それ以前からあったことになる。


さらに、テレホンガイドが始まる以前、昭和末期のこと。
心配性な我が家のばあさんは、サイレンが聞こえると、ある所へ電話し、どこが火事なのか聞き出していた。

その先は、某報道機関。

おそらく、報道部のような記者がいる部署の直通電話だったのだろう。こちらから名乗りもせず、相手の指名もせずに、「今の火事どこですか?」と聞いて、すぐ教えてもらっていた。

別にそこに知人がいたとかではないのに、先方もむげに断ったり怪しんだりはしていないようだった。
(たまに「まだ情報が入っていなくて、分かりません」と言われることはあったそうだが、実は面倒で遠回しに断っていたのかも。)

今だったら、一般人がこんなことしても、教えてくれないだろう。(テレホンガイドにかけるほうが早いし)

以前も書いたように、秋田市では火事でない時に消防車が救急車と一緒に出動するケースがある。サイレンの音で識別でき(火事の時はサイレンと鐘が鳴り、救急の時はサイレンだけ)、テレホンガイドでは「救急隊応援救助事案」と案内される。

【2016年4月2日追記】この後、2016年3月頃から、秋田市消防本部テレホンガイドのシステムが更新されたようだ。
自動放送は、従来は男声(出動がない場合のみ女声)だったのが女声に代わり、「○○事案」の言い回し(分類?)も少し変わり、「救急隊応援救助事案」は「人命救助事案」とかに変わったようだ。【2016年5月26日追記】5月時点では「救急応援救助事案」と言っている。「隊」が抜けただけ。また、活動終了後しばらく流れるものは、従来は「活動を終了しました」と言っていたのが「鎮圧しました」に変わった。火災ならともかく救急応援でも「鎮圧」なのは、違和感がある言い回し。【2016年6月27日追記】別に「救命対応事案」というのもある。消防本部のホームページに記載がなく(旧システム時代のままで新システムに未対応?)、よく分からない。

以前の男声は、地名のアクセントはおかしいことがあったが、それなりに緊迫感があって、悪くはなかった。「○階で火災が発生しました」といったビルなどの防災システムの自動放送に似た(同じ?)感じ。
新しい女声は、「新屋」など地名のアクセントに加え、「事案」のアクセントも不自然なためつぎはぎが目立って、どこか聞き取りづらい。
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北海道限定商品

2014-06-12 23:24:45 | 各地お土産・食べ物
先日に続き、北海道旅行記の残り。まずは前回に関連して少々。
帯広駅改札口
現在の帯広駅舎は1996年にできた高架駅。
ホーム別に改札口が違うという、非常に変わった構造。上の写真では釧路方面の1・2番線には左、札幌方面の3・4番線は右からしか出入りできない。改札機の台数や人員配置上、効率が悪そうだ。※改札業務は、3・4番線が直営、1・2番線は子会社に委託している。
他には宮崎駅が同じ造りとのこと。

札幌方面の発車標
3行目で、車両不足に伴う一部「スーパーおおぞら」の運休を告げているが、「車両点検の影響により」という表現。前も書いたけれど、車両不具合が相次ぐ中でのこの言い回しは、好きになれない。「車両点検」で間違いではないのだろうが、他人事のようだ。
予定を変えさせられたり、混雑する車内で旅行したりしなければならない被害を受けるのは旅客であり、この表示は旅客向けのものである。もう少し誠意があってもいいと思う。



では、飲食物について。※以下に示す価格は、消費税率5%当時のものです。
以前、ランチパックを紹介(リンク先後半)したように、スーパーで売っているような大手メーカーの商品にも、北海道限定のものがある。
地理的に隔離され、気候と食文化が違い、豊かな農水産物が取れることによるのだろう。手頃な価格だからおみやげにするのもおもしろい。

い・ろ・は・す ハスカップ
2009年から日本コカ・コーラが発売しているミネラルウォーター「い・ろ・は・す」。2010年頃からは、みかんとりんごの味が薄く付いたフレーバーウォーターも出ている。
その北海道限定版として、2011年から「ハスカップ」が発売されている。現地に行くまで知らなかったが、駅の自動販売機でもよく見かけた。発売は北海道コカ・コーラボトリング。
他のフレーバーと同じく、無果汁で砂糖が入っている。
ハスカップのお菓子はたまにあるけれど、ハスカップ自体の味ってあまり印象がなかった。清涼感があるような爽やかな味で、なかなかおいしかった。
※その後、2015年頃には、イオンリテールやJR東日本のコンビニNEWDAYSで「北海道フェア」を開催する際、北海道限定商品の1つとして555mlのいろはすハスカップ(イオンでは8%税込み129円)が発売されるようになり、秋田でも期間限定ながら入手できるようになった。この記事最後も参照。

ジョージアミルクコーヒー/キリンガラナ
写真左。コカ・コーラのコーヒー「ジョージア」でも限定品。
北海道産牛乳を100%使った、「甘くてミルキー、どこか懐かしい味わいのするミルクコーヒー」。
北海道コカ・コーラボトリングホームページには、「隠し味として「食塩」を加えることにより、牛乳の甘みが引き立ったコクのあるミルクコーヒーの味わいを実現」とあり、原材料欄は「牛乳、砂糖、コーヒー、食塩、香料、…」となっている。

パッケージからしてジョージアっぽくないが、北海道らしい商品だ。こういうコーヒーが好き。


右は、ガラナというアマゾンの植物が原料で、北海道でメジャーな炭酸飲料「ガラナ」。
コーラと似て非なる飲み物であり、コーラの普及が遅かった北海道では、コーラより先に親しまれるようになって定着した経緯があるそうだ。
写真のキリンビバレッジのものは、秋田だったか弘前だったかで自販機に入っているなど、本州以南でも見ることがある。

僕はコーラは嫌いではないが、なぜか飲むことがほとんどない。生まれてこの方、コーラを1升も飲んでないかも?
ガラナはコーラよりは甘くなく、北海道に来たら1回くらいは飲んでおこうかなという感じ。
と言いつつ、今回は以下のようにもう1回飲んだのですが…
トップバリュ ガラナ/FIRE北海道限定ミルクテイスト
左、なんとイオンのプライベートブランド・トップバリュでもガラナがあった。他のペットボトル炭酸飲料と同じく78円。
「刺激的な炭酸飲料が欲しかった。」という「わたしの声」に応えたことになっている。

キリンビバレッジのガラナと比べると、原材料はほぼ同一。
栄養成分は、※たんぱく質、脂質は両者とも「0」なので略
キリン(100ml当たり) エネルギー44kcal、炭水化物11g、ナトリウム0mg
トップバリュ(500ml当たり表示だったので100ml当たりに換算)エネルギー44.4kcal、炭水化物・糖質11.1g、食物繊維0g、ナトリウム6mg、食塩相当量0.1g、カフェイン0g
ガラナもコーラ同様カフェインが多いはずだけど、トップバリュでは「0」なんだ。(「検出せず」ではないから、ごくわずかに入っているのかもしれない)
北海道キリンビバレッジのホームページによれば、同社製品は「9mg」のカフェイン。


右のロング缶の缶コーヒーは、キリンFIREの北海道限定品。
北海道キリンビバレッジのホームページでは、ガラナとこれの2つが北海道限定商品として掲載されている。
1999年に登場したFIREシリーズだが、この「ミルクテイスト」はその前身である「JIVE」シリーズの1つとして1991年からずっと発売され続けている。1997年までは全国発売していたそうだ。
どうも最近リニューアルされたらしく、現在ホームページに出ているのと上の写真では缶のデザインが微妙に異なる。
この時の缶では、牛乳だけが北海道産のような記述があったが、現在のキリン(本体)のホームページには「道産の牛乳、生クリーム、てんさい糖を使用。」とあり、より北海道感が強くなったようで「まさに道民のための一本。」だそう。



北海道日高 ヨーグルッペ
函館のスーパーで当たり前のように売られていた、長期保存紙パック入りの飲み物だけど、「ヨーグルッペ」という、奇妙なネーミング。パッケージの文字は「ペ」だけ大きい。

種類別は「乳製品乳酸菌飲料(殺菌)」で、日高町の北海道日高乳業が製造。
北海道産生乳とビフィズス菌、アシドフィルス菌、サーモフィルス菌の乳酸発酵を利用している。

北海道の一部では親しまれている飲み物ということになるが、遠く離れた宮崎県にも「ヨーグルッペ」が存在する。
製造者は炭酸飲料「スコール」も製造する南日本酪農協同。日高乳業はその系列とのこと。
両者のヨーグルッペはパッケージデザインは異なる(「ペ」が大きかったり、イラストに共通する点もある)が、栄養成分は同じようなので、レシピは同じかもしれない。


以上飲み物。ここから食べ物。
以前からあったはずだが、今回、「月寒あんぱん」なる商品をあちこちで見かけて気になった。
「月寒(つきさむ)」は札幌市の地名。
あんぱんといっても、平べったくて、表面は月餅のようにテカテカしている。コンビニでは棒状になった「スティックタイプ」が置いてあるし、土産用にきれいな箱に入ったものもあり、庶民的なんだか高級品なんだかよく分からない。

前回の通り、東室蘭駅で待ち時間があったので、徒歩数分の「イオン室蘭店」をのぞいた。秋田のイオン土崎港店(旧・ジャスコ土崎港店)とよく似た規模、雰囲気の店。
1981年に「室蘭ファミリーデパート桐屋」としてオープン、運営会社の変遷に応じて「サティ」→「ポスフール」→イオンと名前が変わったようだ。※「イオン北海道」が運営する店舗。北海道ではイオンリテールは営業展開していない。
ここにも、月寒あんぱんがあった。
バラ売りで、モノは箱入りのとおそらく同一。1個108円だから、コンビニや土産物店より30円近く安い!
月寒あんぱん
こしあん(「元祖」と表示)、かぼちゃあん、黒糖あん、黒胡麻あん、抹茶あんがある。脱酸素剤入りで60日ほど持つ。
明治39年創業の「ほんま」という企業の製品で、小豆やかぼちゃ(上川産エビスかぼちゃ)は北海道産。
 
見ての通り、普通のアンパンとは違うけれど、おいしい。
3種類食べてみて、どれもあんこがとてもおいしいと思った。こしあんはもちろん、甘さが優しいかぼちゃ、意外にマッチする黒糖。

洋菓子ばかりが北海道みやげじゃない。次に北海道に行ったら、また買おう。できれば安いスーパーで。
青森に似たようなお菓子のあんぱんが存在した(リンク先後半)


飲食物の最後は駅弁。
特製幕の内 北海道旅弁当 1000円
特急の「客室乗務員オジリナル企画商品」とあり、本来は札幌発の特急の車内販売向けの弁当のようだが、札幌駅の駅弁売店で売っていた。
「弁菜亭」こと「札幌駅立売商会」製。お品書き、おてふき、つまようじ付き。
「北海道内各地の食材を存分に生かした献立を作り上げました。」
ご飯は「ななつぼし」、牛のすき焼き風煮物、帆立、チーズ入りポテトフライ、タコのサラダ、鮭昆布巻き、松前漬けなど。
おいしかった。

海産物ばかり・肉ばかりの駅弁もご当地ならではだけど、いろんな物を少しずつバランスよく食べられるこういう駅弁もまた楽しい。




最後にまた鉄道。北海道を後にする時の特急白鳥。
行きは「スーパー白鳥」だったが、帰りはJR東日本485系電車(リニューアル車)の「白鳥」。
遅い時間だから混雑しないと思って指定席を取らなかったが、それで正解。8両中2両の自由席は多くはないが、極端に少なくもないお客。

485系なので自動放送はない。JR北海道の車内誌は置かれている。
通路ドア上のLEDは、JR東日本仕様だから見慣れているものの、JR北海道のと比べるとスクロールが速い。
「指定席は1・4・5・6・7・8号車」と案内していたが、「1・4~8号車」と表記したほうが分かりやすい。
10分ごとくらいだろうか「ただいまの時刻」が珍しく表示されていたが、1分遅れていた。
途中停車駅の英語表示は「We will soon arrive at ~」。(JR北海道の車両は「~ brlief stop at ~」だった)

函館発車直後から、「青森の郷土料理のご案内」が流れていた。青森方面行きだからか、それとも東日本の車両だからなのか。
じゃっぱ汁、けのしる、貝焼きみそ、いちご煮、せんべい汁、八戸ラーメンを簡単に紹介していた。

下りのスーパー白鳥では、走行位置に合わせて「次が青函トンネル」などと細かく案内していたが、こちらは大雑把に「★★ まもなく、青函トンネルへ入ります ★★」「まもなく、青函トンネルから出ます」だけ。車掌の放送もなし。
トンネル内では「おもしろ施設がたくさんあります」など説明が表示された。休止扱いの吉岡海底駅通過時は「ただいま、吉岡海底駅付近を通過中です」と表示。

以前、485系で青函トンネルを通った時は、789系スーパー白鳥に比べて、うるさいし乗り心地が悪く、いい印象がなかった。
しかし、この時は、モーターがうなる485系独特の音はして、多少揺れはするものの、そんなでもなかった。トンネルの気圧変化による不快感もなかった。

青森側に出て、新駅名が「奥津軽いまべつ」に決まった津軽今別に停車するが、前2両はホームにかからないとのこと。
今回は、北海道内で特急自由席乗り放題のフリーきっぷを使った。これを使って本州へ来る場合、乗車券としてはJR東日本との境界である中小国駅まで、自由席特急券としてはその列車が最後に停車するJR北海道の駅まで有効となる。(そこから本州側は別途乗車券・特急券が必要)
多くの白鳥、スーパー白鳥では、北海道の木古内駅が最後の停車駅になるから、木古内-青森の特急券を買わなければいけない。でも、今回乗ったのはJR北海道エリア最南端ギリギリの津軽今別駅に停まる列車だったので、800円ほど安く上がった。

こうして、夜遅く、行きでなく帰りということもあったのか、淡々と本州へ戻ってきた。
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真実の池?

2014-06-11 00:30:34 | 秋田の地理
農業に欠かせない水の供給源の1つが「ため池」。日本には20万か所以上が存在し、西日本に圧倒的に多い。
秋田では、雪融け水や地形的な恩恵があるのか、ため池は多くはないものの、あるにはある。
秋田県企画振興部学術国際局学術振興課「バーチャル未来科学館」によれば「県内には1ha以上の灌漑用ため池が2,000箇所以上あります」そうで、渡り鳥の飛来地で知られる能代市の「小友沼」もため池。
【2019年10月4日追記】2019年10月3日の秋田魁新報社会面に、ため池の防災管理についての記事があり、市町村別のため池の数と、そのうち決壊時に人的被害が及ぶ恐れがある「防災重点ため池」の数が出ていた。県内全体では2856と1193。秋田市は355と146と、比較的多い。ため池数では由利本荘市635、大仙市391に次ぐ。小坂町、上小阿仁村、大潟村にはため池がない。

秋田市内にも、ため池はある。
そのうち、おそらく秋田駅からもっとも近い場所にあるため池の名称に惹かれるものがあって、以前訪れたことがあった。
※訪れたのはだいぶ前の2002年夏ですが、現在もほとんど変化がないようです。以下の写真もその当時のものです。

場所は秋田駅から南東へ2.5キロ。
県道41号線・通称「横金線(よこかなせん)」を越えた新興住宅地の一角。
町名としては、桜、桜ガ丘、桜台の境界辺り。いずれも昔は「下北手桜」という大字の一帯が宅地化・住居表示されて、下北手が取れて丘とか台とかになった。
「地理院地図」より。左上が秋田駅、赤丸がそのため池

「桜台」の部分は、その名の通り小高くなっていて、西方向の桜の住宅地越しに秋田駅や秋田市街が見渡せる。
天気が悪いですが
宅地開発は桜台が最後発なので、2002年当時は空き地が多かった。
今はどうなっている?(ストリートビューで見ると、今も空き地は少なくないみたい)

桜台の住宅地はどん詰まりのような構造になっていて、開けた西側以外は山や林に囲まれたようになっている。(実際には山へ入る細い道路があり、ノースアジア大学裏や下北手梨平へ通じている)
そのうち、南側は木の間から、
目的の池が見下ろせる
池の全貌を見渡すことはできないが、かなり大きそう。
池のほとりに下りることはできない

桜地区側へ下りて、ゴルフ練習場(と温泉)の脇の住宅地を進むと、
池が現れる

奥行きがある。東西方向は300メートルほどあると思われる
池の周囲は900メートルはありそう。池の周りに明確な道はないが、1つだけ道らしきものがわずかにあり、その先・池の南西角に古ぼけた東屋らしきものがあったけれど、近寄りがたい雰囲気。
桜台から撮影

以上、池の北側と西側のそれぞれ住宅地末端からは池の姿を見ることができるが、他の方向からは容易に近づくことすらできない。
住宅地のどん詰まりで人を寄せ付けないかのように、緑色の水をたたえて静かにたたずむ大きな池は、開発地と未開発地の境界を守っているかに感じ、畏敬の念すら抱いてしまいそうである。

各種地図を見ると、この付近には「池」あるいは湖沼らしきものがいくつか記載されている。
しかし、航空写真や実際に現地で見てみると、宅地化のためか水がなくなってしまっていたり、住宅地の調整池(大雨の時に水が貯まる)だったりするものもあるが、これは正真正銘「(ため)池」もしくは「沼」と呼んでもいいものではないだろうか。
【12日補足】農業用ため池の場合、水を大量に使う時期は、水位が極端に低下するものがある。航空写真で水がないように見える場合は、そういうケースもあるかもしれない。


さて、この池の名称。
Google、マピオン、そして国土地理院の地図には、この池の名称は記載されていない。
一方、昭文社の紙の地図には、名称が書かれている。
昭文社エアリアマップより
真実ヶ沢溜池」と。

僕は最初、「真実ヶ沢」を「しんじつがさわ」と読んでしまったが、ただしくは「まみがさわ」。
由来は、ここの地名(小字名)「下北手桜字真実ケ沢」。(いや、池が先で、それが地名になったのかも?)
※「秋田市地名小辞典」では、小さい「ヶ」でなくカタカナの「ケ」を用いている。青森県の旧碇ヶ関村は、地名は「ヶ」だったが、JRの駅名は「ケ」であるようなケースもあるし、あいまいなのか何らかの意図があって使い分けているのか…


大字の下北手桜ばかりでなく、小字の真実ケ沢も、以前は広大な範囲で、現在の桜四丁目、桜ガ丘二・五丁目、桜台一~三丁目の各一部がそうだった。1983年から2003年にかけて5度に分けて住居表示が実施されている。
現在、下北手桜字真実ケ沢として残るのは、池そのものと周辺の山林と、ゴルフ練習場のフェアウェイ部分だけになっているから、住人は1人もいないかもしれない。(ゴルフ練習場の建物や温泉は桜二丁目)
電柱広告(現在は桜四丁目になっている場所のはずだから、現存しないかもしれない)
それにしても「真実ケ沢」という小字名の由来が気になる。
「真実」なんていう言葉を地名に使うなんて…(しかも昔は何もない田んぼの奥の山だった場所だし)
池の独特の雰囲気がそうさせるのか、僕が最初は「しんじつケ沢」と読んでしまったためか、何か伝説めいたものがあるような気がしてしまう。
「真実さんがどうこうした」(昔はそんな名前なかったか)とか、「偽りの心を持つものが手を入れると抜けなくなる」(それは真実の口だ)とか、「木こりが真実を言わなかったので、落とした斧を返してもらえなかった」(それはきこりの泉だ)とか?

真実はいかに?


今までの写真の雰囲気でお分かりかと思いますが、この池周辺(特に池のほとりに近づける西側)は、
「きけん」です
桜小学校PTA郊外指導部名義の大きな看板があった。
僕が小中学生の頃は、夏休み前に配られる「秋田市P連だより」の付録として、秋田市内の危険箇所を中学校の学区別にまとめた簡単な地図と表が配布されていた。その中に「真実が沢ため池」などとしてここがリストアップされていた。(当時は桜中はなかったから、城東中学区)

大人が見れば入りたくなるような池ではないけれど、すぐ近くが住宅地だから、ふとしたきっかけや好奇心で近づいてしまう子どもはいるかもしれない。


それから、「真実ケ沢“ため池”」という名前なわけだけど、ため池としての役目は果たしているのだろうか。
国土地理院のネットサービス「地理院地図」で1960年頃以降の航空写真を見てみると、昔の池の形は現在と同一。
1970年代後半では、現在の桜ガ丘と桜台はまだ山林のようで、桜地区は田んぼもしくは更地が多い中に、家が建ち始めている。
昔ならば、桜・横森地区は一面の田んぼだったから、大きな真実ケ沢ため池はそれらを潤していたのだろう。その後、田んぼが激減した現在も形を変えないでいるこの池の大量の水はどこへ行っているのだろう?
そのまま太平川へ流れてしまっているなら、もったいない。

【2016年4月3日追記】
2016年4月1日、この池に水死体があるのを釣り人が発見し、3月上旬から行方不明となっていた、近くの当時中学3年生の男子生徒と確認された。これをきっかけに、この記事の多くのアクセスがあった。
報道における池の名称は、秋田魁新報が「下北手桜のため池」などと新聞では名称を出さないのが多い感じだが、テレビでは多くが出していた。NHK秋田では「秋田市下北手桜の「真実ケ沢溜池」」としている。
他局も含めた映像では、本文の写真とは違う新しい「きけん」の看板や、新しそうな柵が映った。

【2019年10月4日追記】過去の地形図でこのため池と周囲をさかのぼってみた。
1912(明治45)年では、池の形は今とほぼ同じ。現在、池際まで住宅が建っている東辺一帯は田んぼ。他3方は斜面に囲まれている。
1971年でも変わらず。1985年になると水田が消えて宅地化されたものの、斜面側は未開発。2006年には斜面の北と南も桜台と桜ガ丘として宅地化された。
なお、1985年の地形図までは北の今の桜台二丁目~桜中学校の位置にも、同じ大きさくらいの池が描かれている。
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北海道の特急2013夏

2014-06-08 23:30:25 | 旅行記
今さらながら、昨年夏の北海道旅行記として特急列車の話。※前回の記事
記憶が薄れて不正確な点があるかもしれません。

昨今のJR北海道は、車両火災などの不具合と、それに伴う車両の使用停止や減便、さらには社員による不適切な保守や(車両不具合とは関係ないが)規律違反行為が問題になっている。
訪れた時は、車両不具合はあらかた“出揃って”おり、ダイヤ変更や車両減の影響を受けた。
旅行後の昨年11月には最高運転速度を引き下げる異例のダイヤ改正が行われた。さらにその後、大規模な運休を引き起こしたキハ183系(の一部)については、出火の原因究明と対策が終わり、8月から運行を再開することが先日発表された。

北海道の広大な面積とまばらな人口、厳しい気候、国や国民の道路偏重志向など、JR北海道に同情できる点もある。
しかし、この一連の事態はひどすぎる。
今年5月になっても「車掌が走行中に漫画を読んでいた」ことが明らかになった。以前にも同様の事象が発生していて、この期に及んでまだこんなことが起きるとは、不信感が募るばかりだ。2年後には新幹線を運行することになるけれど、大丈夫なんだろうか。



今回紹介するのは、札幌→帯広→札幌→函館と、いずれも車両不具合による間引き運行が行われた区間。
トップシーズンではないが旅行客が多い時期の減便で、混雑は覚悟していた。使ったのは自由席乗り放題のきっぷだったけれど、不安な列車は指定席を取ったら、窓際の席は確保できた。

まず帯広往復。
札幌-帯広の「スーパーとかち」、さらに東の釧路まで行く「スーパーおおぞら」がある。
スーパーおおぞらとスーパーとかち(一部)にはキハ283系、スーパーとかちにはキハ261系という、比較的新しい、高速運転できる気動車(ディーゼルカー)が使われている。
以前、キハ283系に乗って、その高速走行と快適さに感動したものだった。

ところが、2011年5月にキハ283系が走行中に脱線、トンネル内で停車して火災を起こし、列車1本が全焼する事故を起こした。
まだ新しい(15年経っていたけど)列車が黒焦げになった姿をテレビで見て、21世紀になってもなお、日本でこんな鉄道事故が起こることに衝撃を受けた。

その後、原因が解明されて運行を再開したところに、昨年の一連の問題。
キハ283系でも大事には至らなかったものの、出火だか何だかの不具合が発生。それによって車両不足が生じ、この時はスーパーおおぞらの一部が運休していた。

行きはキハ261系のスーパーとかち指定席。
札幌-帯広は220.2キロ。新千歳空港方面が分岐する南千歳-帯広は176.2キロなので、50キロ刻みの特急料金が1段階安くなる。
札幌-南千歳は空港行きの快速などが多く走っているので、それに乗って先回りして南千歳から指定席に乗車。
案の定、満席で隣にも人がいた。しかも天気が悪い夕暮れで、少々息苦しい中、約2時間乗車。
キハ261系。正面のマークは「Super Tokachi」の「ST」
帰りもキハ261系スーパーとかち。
帯広始発だから、早めにホームに出て自由席に乗ることにした。
秋田新幹線は全席指定だし、他の秋田の特急は発車ギリギリでも自由席に座れる状態だから、早く行って自由席の席取りをするのは久しぶり。
これは指定席ですが
4両編成中、自由席はたった1両。
僕が行った時はガラガラだったが、発車時にはほぼ満席になっていた。

キハ283系をスペックダウンしたキハ261系ではあるが、俊足ぶりは遜色ない。
石勝線に入ってトマム、新夕張などに停まるが、ここは普通列車が走らない区間なので、特例として乗車券だけで特急の自由席に乗車できる。青春18きっぷや東日本&北海道パスの利用者だろうか、この区間内で10人くらいが乗って降りて行ったが、多くの皆さんは通路に立っていた。

高規格の石勝線を130km/hで進む。
 


山深い所もあるが、広大な牧草地や畑が見えて、いかにも北海道らしいさわやかで雄大な光景。

キハ283系によるスーパーとかち。キハ261より細身で正面がLED


札幌から函館へ。
この区間は「スーパー北斗」または「北斗」だけど、キハ183系が使用停止・運休中なので、やはり混雑しそう。

途中の東室蘭までは「すずらん」という特急が運行されている。
札幌-苫小牧-登別-東室蘭と、乗客が多い区間で北斗を補完する位置づけの特急。これは5両中4両が自由席だから座れるはず。
スーパー北斗の約1時間前を先行するすずらんに乗った。
785系電車による「すずらん」
電化区間だけを走るため、北海道では珍しい電車特急。785系と789系が共通で使われていて、この時は785系。
785系は1990年の登場当時は画期的な車両だった。正面下部がふっくらしているので、当時人気が出つつあった「アンパンマン」と呼ばれたそうだ。
LEDは後にフルカラーに交換されている

東室蘭から先は普通列車となって支線に入り、室蘭が終点
今では珍しい「L特急」。(東日本では制度が廃止された)
ただ、1日5往復しかないのに、L特急と呼ぶべきかは疑問。
「本数が多く、ダイヤがパターン化され、自由席が多い特急」がL特急だったはずだけど。

予想通り、車内はガラガラ。
落ち着いた雰囲気
車内のデザインは789系と共通のはず。同じく789系を使っている「スーパー白鳥」の色違いといった感じで、座席の形状は同一。
背もたれが少々低いけれど、快適。
気動車に乗った後だから、電車の車内が特に静かに感じた。

列車の性格上、停車駅は北斗よりも多い。
北斗では、登別停車時に「登別温泉へは駅前からバスをご利用ください」と放送があったはずだが、今回のすずらんではなかった。

東室蘭駅で下車して、時間をつぶす。
東室蘭駅東口。実際には“南南東口”といった位置

赤いのは「わたれーる」という東西自由通路(南南東-北北西自由通路?)

東室蘭から函館までは「スーパー北斗」の指定席。札幌からよりは料金が安くなるメリットもある。
この当時のスーパー北斗は、専用車両のキハ281系気動車と、スーパーおおぞらと共通のキハ283系が使われていた。両者が混ざって連結される列車もあった。
その後、2013年11月からはキハ281系だけが使われるように変わっている。

来た列車は、8両編成の全部がキハ283系のようだった。
キハ283系のデザインは、カメラを縦に構えたくなってしまうらしい
所定7両に1両を増結していたらしく、中間に運転台がボコッと出っ張ったのが1台入っていた。
スーパーおおぞら減便のご時世、スーパー北斗へ回せるキハ283などないと思っていたが、そういうわけでもないのか。

割り当てられた席は1号車の若い番号。
上り列車は先頭側が号車・席番とも小さい数字のはずだから、1号車に入って前方へずんずん進んだら、席番は逆に後方が若い番号で、あわてて引き返す。
列の後ろに続く人がスムーズに乗車できるように気を遣ったつもりが、かえってご迷惑をかけてしまった。
新幹線など固定編成の列車とは異なり、気動車は1両単位でつないだり外したりするし、その先頭車は向きが逆転している場合があるのだった。

これも案の定ほぼ満席。東室蘭まですずらんでゆったり来て正解だった。
夕暮れの大沼公園
キハ283系は相変わらず快調な走り。でも、どうしても火災事故が頭をよぎってしまう。
すると、後方から何かがぶつかるような異音がする。スーパーおおぞらの火災では、落下した部品に後続車両が乗り上げて脱線・出火したとか聞いていたので、何か部品が落ちそうになっているんじゃないかと不安になった。
振り返ると、車内末端(デッキでなく客室側)に荷物置きスペースがあり、そこに置かれた荷物がぶつかってカチャカチャ言っていたのだった。
無事に函館到着。
キハ283系は側面のLEDが贅沢
スーパーおおぞらの場合、列車が駅を出発する時は、側面のLEDにタンチョウヅルが羽ばたいて飛び立つアニメーションが表示されるという、凝ったものだった。
スーパー北斗やスーパーとかちではどうなるのだろう?

正面のマークは「+」「メ」「*」で北斗七星
キハ283系によるスーパー北斗に乗車できて、いい記念になったということにしておきましょう。



ところで、JR北海道の車内販売では、バニラアイスクリームと「月替りアイスクリーム」を売っている。
この時は、「ひまわりの種を使用した『ひまわりアイス』」320円だった。バニラは280円。
食べてみたかったけど、通路側に他の人がいる状態で、購入して食べる勇気がなかった。


最近の新幹線や特急列車では、車内の通路ドアの上に文字情報装置がある。
JR東日本では、新幹線ではニュースも流れるが、在来線の特急では案内や広告だけで、ニュースは流れないものが多い。(ミニ新幹線では流れる)
JR北海道のキハ283系やキハ261系では、ニュースも流れていた。

JR東日本の新幹線(JR東海もほぼ同じだったか)では、「【○○新聞ニュース】東北北部も梅雨入り。気象庁は6日…」といったように、全国紙各紙のニュースが流れる。同じ文面が2度繰り返して表示される。
広告や通過駅名の表示とは重複しないよう、タイミングが調整されているようだ。

一方、JR北海道では、「FM北海道見えるラジオ」による北海道新聞のニュースだけが流れていた。ローカルなニュースがあるのはおもしろいが、少々困った点が2つ。
1つはニュースは繰り返しなしで1度しか表示されないこと。
もう1つは、ニュースの途中でも、駅到着など別の情報が割り込んで入って来てしまうこと。

だから、こんなことがあった。
ふと顔を上げた時「…娘は歌手・宇多田ヒカルさん。」と読めた。
ということは藤圭子さん関係のニュースだと分かったが、亡くなったということを知るのは、だいぶ後に再度表示された時だった。
これは、JR東日本でも、顔を上げた時が2度目の表示だったら同じことだけど。

今度は冒頭からニュースを見ていると、「タレント・みのもんたさんの次男で日本テレビ社員の」と来たから、おやどうした? と思ったとたん、「まもなく 占 冠」。
駅発車後に再びニュースが表示されるとしても、最初のニュースに戻って表示されてしまうので、かなり待たないといけない。
「まもなく○○」ならともかく、スーパーとかちでは「○○まであと10km」なんていうのも割り込んで表示された。距離で言われてもピンと来ない。

「見えるラジオ」サービスは、今年春で終了したという。今はどうしているのだろうか。


次に北海道の特急に乗る時は、心から安心できる快適な旅になっていることを切に願う。
食べ物の話なども残っているので、続きはいずれ
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ニセアカシア

2014-06-04 00:18:33 | 動物・植物
北日本では季節外れの猛暑。
3日の最高気温は秋田市で31.0度の真夏日、大館市35.1度の猛暑日となった。秋田市は、風があって、陽射しはやや弱く、からりとしていて、日向でなければそんなにつらくないような気もするが、やっぱり暑い。

この手のニュースなどで、インタビューに答えた人が「今からこう暑くては、この先が思いやられる」と答える人がよくいる。でも、「この先が思いやられる」ってどういう意味なんだろう?
30度、40度、50度と上がること? んなこたぁーない(Byタモリさん)。
この高い気温がずっと続くこと? それも極めて考えにくい。
こういう突発的な短期間の気温の変動は毎年起こるものだし、この後は梅雨もあるのだから。

今回は気温の上昇幅が極端に大きかったし、体調管理や農作物などへの影響はあるにせよ、これまでの経験と長期的視野に立って物を言うべきである。
むしろ、今年は冷夏の予想が出ているから、その意味で「この先が思いやられる」べきだろう。


植物はほぼ例年通り、季節を進めている。
クレマチス類やヤマボウシは終盤【12日訂正】まさに盛り、シランが咲きはじめた。
千秋トンネルの通り、保戸野側の鷹匠橋付近から、千秋公園を見ると、
上の建物は御隅櫓(復元)
御隅櫓の左側、ちょうど明徳小学校グラウンドの辺りの木が白っぽくなっている。

ちなみに、今年の芽吹き直前・桜が咲いていた頃は、
4月末
現在、白っぽくなっている所は、芽吹き前はスカスカした感じだった。
千秋トンネルの上でもある
この時期の秋田の代表的な花の1つであろう「ニセアカシア(標準和名 ハリエンジュ)」の花だ。
※一般に「アカシア」と呼ぶことも多いが、アカシアは別の植物。

秋田市では、ニセアカシアは新屋方面や勝平山など、海近くの丘によく生えている印象があったけれど、部分的とはいえ千秋公園にもこれほどまとまっていたとは今まで知らなかった。
千秋公園の西~北斜面は、ケヤキと若干のヤマザクラくらいだけだと思っていた。

秋田北高と秋田工業高の間の新中島橋から、千秋公園北西側(北の丸)を見ると、
山の上のほうにニセアカシアが広がっている


さらに線路の向こうを見れば、
こちらも真っ白
手形山の秋田高校の上、県道41号線「手形山大橋」下の坂付近にもニセアカシアがまとまっている。
近くで見ると、それほど白くない

ずいぶん高い木も

さらにさらに、秋田大学医学部附属病院の裏というか脇。
大学の職員住宅「糠塚宿舎(旧称・糠塚官舎)」付近の丘

 
これも見事な木で、花付きは特に良好。
バス停のポールが曲がってるよ(次が終点なので、ここから乗る人はいない)

今が盛りのニセアカシア

里山を彩るニセアカシアの花だけど、手放しできれいだと見ているのは、どうなんだろう。
ニセアカシアは、本来日本に自生しない帰化植物であり、旺盛な繁殖力で既存の植生を破壊してしまう恐れがある。
手形山や千秋公園でこんなに茂っていたとは、驚かされた。長期的にはちょっと心配だ。
【4日追記】千秋トンネル上の場合、トンネルもしくは小学校の建設時に、斜面の保護や緑化のために人為的に植えられたのかもしれない。
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はるやま/トメさん

2014-06-01 23:47:57 | 秋田のいろいろ
5月31日に、こんな折込チラシが入った。
「秋田県に初めて誕生! はるやま秋田土崎店/秋田山手台店」
「はるやま」という紳士服チェーン店が、5月31日に秋田市に2店舗同時オープンした。
「「紳士服マスカット」が生まれ変わりました。」とあるので、既存店のリニューアル・改称。

引っかかったのが、「はるやま」が「秋田県に初めて誕生!」という言い回し。

「はるやま」という紳士服チェーン店は、昔、秋田市内に存在した。
昭和60年前後には、たしか新川向辺りの新国道沿いにもあった。小学校に「はるやま」に似た雰囲気のお名前の先生がいらして、それに引っ掛けて印象付けられたので、間違いない(はず)。
当時は、コナカとか青山とかはほとんど秋田になかったはずだが、1990年代以降は増えてきて、気がつけば「はるやま」は見かけなくなってはいた。

今回開店したはるやまのロゴマークは、見慣れない紺地に「H」。
昔のは赤地に「h」だった。丸っこい「はるやま」の文字はどちらも似ているけど。


Wikipediaで調べた。
結論としては、昔あった「はるやま」と今回開店した「はるやま」は、別の「はるやま」。
でも両者は無関係でもない。

企業名としては「はるやま商事株式会社」と「株式会社はるやまチェーン」が登場する。
1955年に岡山県玉野市で治山さんが創業した洋服店が、後に「はるやま商事」となる。今回のチラシでは「おかげさまで創業58周年」とあるので、この時を指すのだろう。
一方、1970年に札幌で創業した洋服店が、1972年に「株式会社はるやま船場」となり、後に「はるやまチェーン」となる。はるやま商事経営者の兄弟が創業したそうだが、資本関係はないらしい。
はるやま商事の方でも「株式会社関西地区はるやまチェーン」という会社が存在したことがあったそうで、ややこしい。

その後、岡山発祥のはるやま商事は西日本、札幌発祥のはるやまチェーンは北海道・東北をそれぞれ中心に店舗展開が進み、両者とも徐々に勢力を拡大。

1994年には両者が協定を結んで、それぞれの県において、先に出店したほうが「はるやま」を名乗れることにした。そのため、先にはるやまチェーンが展開していた秋田など東北方面では、後発のはるやま商事が「マスカット(岡山県だから)」として展開することになったらしい。※地域によってはマスカット以外のブランドもあり

2001年には、はるやまチェーンが経営破綻。店舗網を縮小して再建したので、そこで秋田から撤退したのだろうか。
現在のはるやまチェーンは、北海道外では東北地方は岩手の久慈と山形の米沢だけ。ほかに北関東と北信越でわずかに店がある。

本州のはるやまチェーンが撤退した県では、はるやま商事が既存店を改称して「はるやま」ブランドを復活させることになり、青森と宮城では変更済み。秋田でも、今回の2店に続いて、残る大館と大曲でも6月までに変更予定とのこと。

【4日追記】いただいたコメントで思い出したけれど、はるやまチェーンのテレビCMの最後で「By はるやま」というサウンドロゴがあったのを思い出した。撤退した秋田では流れていないが、最近のCMでも使われているらしい。
ケーズデンキと統合されてなくなった、「エンジョーイ テクノラーイフ デンコードー」と並ぶ懐かしいサウンドロゴかもしれない。




5月31日の秋田魁新報社会面に「ギター漫談「五城目のトメさん」/地元で30年ぶり“ドタバタ劇”」という記事があった。6月22日に、ファンの声に応えて久しぶりに“地元”である南秋田郡五城目町でライブが開かれることになったというもの。
27日の秋田経済新聞でも同様の記事が出ていた。

当ブログでも以前何度か触れていた、「五城目のトメさん」。今まではあやふやな記憶に基づいていたが、今回の新聞記事で”素性”がだいぶ明らかになった。
※「五城目」は町の名前としては「ごじょうめ(まち)」。しかし、地元の人などは「ごじょう”の”め」と「の」を入れることが多い。トメさんもおそらく「ごじょうのめのトメさん」ではないだろうか。

1980~90年代に県内でブームを引き起こしたギター漫談「五城目のトメさん」
トメさんの生みの親である秋田市牛島の小玉進さん(68)は五城目町下タ町の出身で、故郷でステージに立つのは約30年ぶり
→ジャンルとしては「ギター漫談」だったのね。※今日の「笑点」では、スギちゃんのネタ披露も「漫談」と紹介されていた。
「ブーム」とされるほど流行ったのか。当時の小学生でも知っていたから、間違いではないだろう。

小玉さんは約45年前、秋田市の繁華街・川反でスナックを始めた。客相手にギターで歌謡曲を演奏し、曲のつなぎで披露していた話が「トメさん」。
口コミで徐々に人気が広まり、86年には漫談をまとめたテープを発売。県内で一大ブームとなり、地元のラジオやテレビにも多数出演し、スナックは連日繁盛した。
人気のピークが過ぎた後も県内のイベントに時折呼ばれた。
スナックは「昨年6月に閉店
→スナックの店名は「モナリザ」だったそう。
昭和末期の全盛期はNHK秋田放送局のローカルテレビ番組にも出ていたし、陸上自衛隊秋田駐屯地の音楽イベントにも出ていた。
最近は見聞きしなくなったと思っていたが、近年もABSラジオに出演しているようだ。

「(小玉さんが)日常生活で見聞きした面白いエピソードをアレンジし、架空のトメさんが主役の漫談を創作した。
→「トメさん実在人物説」や「既に都市伝説的に流行っていたトメさんの話を小玉さんがまとめた」という話もあるが、それらこそ都市伝説なんだろう。

78歳のおばあさんが繰り広げるドタバタ劇
→トメさんの年齢が判明。思ったより若いけれど、当時はそんなもん(今のお年寄りは若い)か。
これも都市伝説、あるいは伝言ゲームの結果なのか、他の年齢とする話も存在する。
【12日追記】下記追記の通り、78歳というのは2014年時点での設定らしく、昔は別の年齢に設定されていたようだ。

これまで作った話は千以上
→そんなにあるんだ!

新聞記事では、代表的な話が2つ紹介されている。
1つは、秋田駅前にあった鎌田会館のミスタードーナツで、商品名を聞かれたのに「五城目のトメでーす!」と答えたという、トメさんでおそらく最も有名な話。さらに個数を聞かれて年齢を答えてしまうという続きも存在するようだが、そこには触れていない。
もう1つの話は、大森山動物園で「サルのエサ50円」の看板を見て「財布から50円玉を取り出し『ほれ食べれ!』とサルに向かって投げたそうな」。
【2015年6月22日追記】店で「(商品の)名前を言ってください」と言われて自分の名前を言ってしまう話は、具志堅用高氏がドライブスルーでやらかした、同氏の伝説の1つになっているそうだ。


僕は今まで、トメさんを話していた人は、もっと年が上だと思っていて、失礼ながらもう亡くなったかもと思っていた。
ところが小玉さんはタモリさんと同じ年であり、トメさんは「笑っていいとも!」が始まった頃にブームになったわけだ。
トメさんの話をまだまだ聞かせてくれてもいいかもしれない。再ブームなるか?

【12日追記】6月12日付の県央地域面のコラム「地方点描」で、魁の南秋田支局長が「トメさん」として5月31日の記事の後日談を書いている。
まず、ライブは好調で、予定の3倍の300人が参加する予定で、うち8割が五城目町外から来るとか。
それから、僕と同じく記事でトメさんの正体を知った人も多く、「トメさんが実在すると信じていた人もいたようだが、あくまでも架空の人物なのだ。
ただ、漫談がヒットした当時、ラジオ番組のアナウンサーが独自に調査したら、「トメ」という名前のお年寄りは町に3人いたという。
しかし、「実は、トメさんのモデルは当時63歳だった小玉さんの母親。漫談誕生から約45年たった今は、78歳という設定だ。」→じゃあ昔は何歳の設定だったのか?
(以上追記)

※続きはこちら



ところで、直接関係ないけれど、ちょっと思い出したのが2010年3月に83歳で亡くなった「大潟八郎」さん。死亡記事では「漫芸家」という肩書き。
八郎潟町一日市生まれで、秋田市土崎港にお住まいだったようだ。山高帽とタキシードで舞台に立つ姿から「東北のチャップリン」と呼ばれたとか。

この方も直接は知らないが、昭和末期(から平成初期?)に「スーパーから八郎です」というのがあった。
県内各地のスーパーマーケットを巡る、ABSラジオの出張公開(生?)番組。(当時は郊外型ショッピングセンターなどなく、町中にある小型スーパー)

「○日○時から、いとく楢山店にて」といった、その告知スポットがABSのテレビでよく流れていた。
その背後には、いつも同じ音楽が流れていた。サックスなどによる、素朴な感じの明るい曲で、なんとなく好きだった。(最初の部分の音階が童謡「あめふり」の「♪ピッチピッチ チャップチャップ」に似ていた)
やがて、あべ十全氏に交代して「それいけ(それゆけ?)十全」だったかに変わってその曲は聞くことがなくなり、それいけ十全もいつの間にか終わった。


その後、ふとした機会にその曲を聞くことができ、タイトルも判明した。
秋田県内のどこかの町の婦人会みたいな人たちが、その曲に合わせて踊っていたのだ。

大潟八郎さん自身が歌う「迎春鳴鳥歌」という曲。「キャコチコピー」とフリガナが付くようだ。
大潟八郎 作詞、和田香苗 作曲・編曲、「♪スズメっこチュンチュン カラスがカー」で始まって、春の風景の描写。最後は「ピーピー キャコチコピー」といった囃し言葉からなる歌が、6番まで繰り返される。
※Googleさんにも指摘されるし、一部サイトで誤記もあるが「キャッチコピー」ではない。


スーパーから八郎ですの告知に使われたのは、その前奏部分。
八郎さんの代表曲であるようだし、前奏がちょうど15秒で使いでが良かったのだろう。

キャコチコピーは、日本コロムビア「東北民謡コミックベストシリーズ(1)」というCDに収録されていて、なんと今でも購入でき(?)、一部サイトでは試聴可能。
前奏部分は全部試聴でき、スーパーから八郎ですのスポットで使われていたのと同じアレンジ・音源だと思う。ただし、ライブバージョンなので拍手などは重なる。
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