広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

青森市のバス

2011-11-30 23:01:04 | 津軽のいろいろ
先日に続いて、青森市内のバスの話。今回は民間事業者編。
まず、新町を走っていたバス。
これは?
色合いからして、国際興業グループっぽい。けど、何か違う。

以前紹介した通り、国際興業グループ各社は、いすゞ製のバスに同じ塗装を施している。側面などにローマ字で表示されるのは、会社名からグループ名(Kokusai Kogyo Group)に変わりつつある。

でも、このバスは、まず、メーカーがいすゞでなく三菱。
古そうに見えるが、ナンバーは「青森200」なので、県外からの中古車だと思われる。
塗装は、通常なら窓下の太線にアクセントとして入っている、エンジ色の細かい赤線がない。それ以外は標準的な塗装と同じようだ。

その側面の表示
「十和田観光電鉄」と漢字!
ボケてますが、小さめでしかも漢字。書体も独特。

これは十和田市の十和田観光電鉄のバスで、青森と十和田市を結ぶ「みちのく有料道路」経由の路線バスのようだ。
正面の行き先表示
上には「十和田 青森」、その下は「青森 十和田」と、言ってることは同じだけどややこしい。「みちのく経由」とはみちのく有料道路経由のことだが、有料道路を経由しない便があるわけではない。

同じ車両の後部
後部も小さい漢字表示で、字が小さいから余白が広い。
側面とは書体が異なる。
「和」の「口」や「田」などの横線が途切れている
じっくり見られなかったけど、ちょっとヘンなバスでした。
【2017年11月3日追記】2017年9月時点では、これと別のもう少し新しい車両(いすゞ?)のナンバープレート「959」があり、塗装や表示類がほぼ同じだった。


以下はバス停の紹介。
前回も紹介した、青森市営バスのバス停の隣に、「下北交通」のバス停があった。
「新あおもり農協本店前」
青森市とむつ市を結ぶ特急バスの停留所で、1日2本しか通らない。
かわいらしいボンネットバス?
同じバス停の向かい側では、
せっかくの赤い頭の部分が壊れてなくなっていた
※下北交通のバスはこの記事中ほどにて


もう1つ。
こちらも市営バスと民間事業者が並ぶ
「後萢」は「うしろやち」と読む。
後ろのガードパイプがリンゴ型
頭が黄色くて丸いのは、十和田観光電鉄のバス停。
最初に紹介した十和田市行きのバスが通る(1日5本)が、上記、下北交通むつ便の時刻表も掲示されていたので、とうてつに間借りさせてもらっているようだ。
市営バスは「後萢通り」、とうてつは送り仮名のない「後萢通」という表記。
十和田市内にあったバス停は、もっと近代的なポールだったが、ここは忘れ去られたのかだいぶ古そう。
毛筆で縦書き

青森市内には他にも、弘南バスやJRバス東北のバス停もあるので、バス停のバリエーションが豊富な街だ。(秋田市もほぼ1社独占であることを考慮すれば、バリエーションは豊富と言えそうだけど※こちらの記事など)

※続きはこちら
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ドンキ周辺工事

2011-11-29 23:01:44 | 秋田の地理
秋田市の官庁街とお寺が集まる寺町の間くらいの旭北錦町(きょくほくにしきまち)にある「中交ホリディスクエア」という商業ビル。
かつては「長崎屋秋田店」が入っていて、一昨年からは「ドン・キホーテ秋田店」に替わった。※過去の記事では、長崎屋当時改装途中など

店の西面を通る新国道(という名の県道)では、北側の山王十字路から拡幅工事(車線増と歩道整備)が行われており、店の南面では寺町へ抜ける新しい道路の建設が計画されている。
それらに関して、動きが出始めた。
南西側から。着工前の8月下旬撮影
上の写真は、左右が新国道。左が山王十字路方向。
後方は川尻・山王地区を抜けて国道7号線(通称臨海バイパス)へ抜ける「御休通り」、そして正面は道路のように見るが店の駐車場への出入り口。
道路3方と駐車場出入り口を合わせた、十字路交差点で、「山王五丁目」という地点名(いわゆる交差点名)が付いている。
ほぼ同じ位置から先週撮影
工事が始まって、変化があった。
まず、左側、ドン・キホーテ前の歩道部分にあったケヤキの木や(写真には写っていないが)電話ボックスがなくなった。これは新国道の拡幅に備えたものだろうか。
そして、写真中央の「ドン・キホーテ」と書かれた縦長の看板がなくなり、駐車場出入り口の上の「IN/OUT」のゲート状の構造物もなくなった。

では、ゲートに注目。

実はこのゲートには、車両用の信号機(と表示板)が設置されていた。
たしかに、御休通りの車から真正面のいい場所ではあるが、おそらく私有地であり私有物であるゲートにわざわざ取り付けたのがおもしろい。
横には歩行者用信号機が設置された電柱があるのに。
(車両用信号機は、手前右側の電柱にもう1台ある)

ゲートは長崎屋当時は茶色(下の写真参照)だったが、ドン・キホーテになって真っ赤に塗り替えられても、信号機はそのまま。目立つといえば目立つか。

 裏と表

 
ゲート部分の信号のケーブルは赤く塗られて裏側など目立たない場所を通っており、配慮されている。信号機や表示板(時差式と視覚障害者用信号付)の取り付け方法も特殊そう。普通にアームで柱に付けたほうが簡単そうに見えるけど。


 (再掲)長崎屋当時

ドン・キホーテ化後
そんなゲートも撤去された。
撤去後
車両用信号機は、歩行者用信号機と同じ柱に、アームを使った通常の設置方法で取り付けられた。
柱は以前は電話線か何かと共用の柱だったが、信号機専用の新しい柱に交換されたようだ(位置は同じ)。設置されている信号機は車両用・歩行者用とも、従来のものをそのまま転用した模様。
また、歩行者用2台は、意図的なのかテキトーなのか知らないが、以前と位置が入れ替わっているようだ。ちなみに、そのうち1台は、かなりの年代モノ。工事が完了すれば新品に交換されるのだろう。
工事前

現在
現在の写真で、赤い矢印をつけた位置に、白い箱みたいなのが写っている。
これは、水道工事に伴う仮設の建物で、これがあるのは、旭北寺町の光明寺と妙覚寺の間、かつて歓喜寺があった場所。(工事に伴って、歓喜寺は下北手地区へ移転)

現在、南大通り~五丁目橋~横町と西進する市道は、歓喜寺跡前で突き当たりになるが、その先に道路を造って、このドン・キホーテ脇の山王五丁目交差点に出られるようにするということのようだ。新しい道路は延長250メートル弱。
工事看板
道路工事は秋田県が行なっている。新しい道路のことを指しているのだと思うが、てっきり市道だと思っていたが、県道なのだろうか?
工期は来年3月までとなっているが、これは供用開始ということではなく、その後にも他の工事がいろいろあるのだろう。(八橋の工事で学習したから、もうダマされませんぞ)
水道工事は、県の道路工事に伴うものとなっていた。

この区間は、そう遠くないうち(来年度中)には完成・供用開始となりそうだが、既存の横町付近は道幅が狭くて一方通行。そこがそのままなら、開通してもメリットはほとんどない。どうなるのだろうか。

※その後、開通直前の記事
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青森市営バス

2011-11-28 23:30:20 | 津軽のいろいろ
久しぶりの青森の話題は、バスの話。※前回の青森の記事
青森市内の路線バスは、青森市営バスが圧倒的多数。あとは一部で弘南バスとJRバス東北が多少走るほか、下北交通や十和田観光電鉄といった県内他地域の中距離路線が乗り入れる。
現在は「企業局交通部」が経営している青森市営バスは、東北地方にある数少ない公営交通事業者(他は仙台、八戸、廃止された秋田)であり、我が秋田市とほぼ同規模の街において、今なお市営バスを走らせている青森市の状況には興味があった。

青森市営バスの歴史は古く、創設は1926(大正15)年。公営バスとしては東京都交通局に次ぐ歴史があるようだ。※秋田市営バスは1941(昭和16)年発足。
戦後は近隣町村にも路線網を拡大していたが、最近は市外からは撤退。2008年に貸切事業を廃止するなど、縮小傾向の面もある。
しかしながら、今なお市内の路線バスの大部分を担い、平成の大合併で青森市に編入された浪岡地域に新たに路線を開設するなど、市民の足としての役目はしっかりと果たしている。
民間移管と称してとっとと手を引き、合併した雄和町の100円バスを廃止させてしまった(不採算ではあったのだけど)、秋田市とは正反対だ。

今のところ、青森市営バスでは民間移管などの動きはないようだ。ただし、効率化のため一部路線(浪岡方面など)の運行業務を弘南バスへ委託(=市営バスの車両を弘南バス社員が運転)している。
市営のまま外部委託するというのは、市が主体となって経営・運行に責任を持つという意味では、民間に任せきりにするよりもいいのではないだろうか。
秋田市営バスのあり方が検討されていた当時は、まだ民間委託という概念自体が一般的ではなかったこともあると思うが、もし、秋田市営バスもこうなっていたら…と考えてしまう。

新町ですれ違う弘南バスと青森市営バス
青森市内の弘南バスは、黒石や五所川原行きが合わせて毎時2往復くらい運行されている(意外にも本社のある弘前行きはない)。青森駅周辺では、それなりに見かけた(秋田市内を走る羽後交通のバスよりは頻繁)。

青森市営バスは、上の写真のような大型バスが大部分。いすゞ、日野、三菱ふそうの3社製を導入しており、最近は他事業者の中古車も入れている。
中型バスが多い秋田や弘前を見慣れた者としては、迫力がある。広い道幅と相まって、都会的に見える。
青森市役所前の市営バスと弘南バス
上の写真の市営バスには、車体広告があるが、フルラッピングではない。
現在のようにラッピング広告が流行る前から、青森市営バスでは車体広告を行っており、10年以上前にテレビで見たのを記憶している。たしかクリネックスのティッシュペーパーの箱をそのままデザインしたものなどがあり、おそらくシールではなく直にペイントしていたのではないだろうか。
しかし、現在は衰退傾向のようだ。前回触れたように弘前でもあまり見ないし、青森では車体広告は少ないようだ。

中型バス。一般的なものより少し短いタイプか
中型バスや小型バス(日野リエッセ)も多少は見かけた。
大型バスと塗装は同じだが、巨大な文字で「青森市営」と表示されているのが異なる。
大型・中型とも車両正面中央に黄色い市章があるのは、秋田市営バスと同じ。

大型バス
大型バスでは、側面後部窓下に小さめに「青森市営」と表示。これも秋田市営バスと似ている。
よく見ると、「青森市営」の文字は何種類かあるようだ。
「青」の「月」、「営」の上の点に注目

上と文字のバランスが異なる。「森」は「木」でなく「ホ」。そして車体が汚い!
このほか、中型・小型の大きな文字と同じ普通の丸ゴシック体のものもあった。
秋田市営バスでもメーカーや導入時期によって表示に微妙な差があったし、中央交通では「秋田中“宍”交通」に見えるものがあるのと同じことか。


青森市営バスのバス停。これも何種類かあり、見た範囲内で紹介します。
新しそうなバス停
昔ながらの“ダルマ型”バス停の雰囲気を残しながらも、スタイリッシュなデザイン。
頭の丸い部分にバス停名が表示されず、下段の時刻表の上に表示されているのがちょっと珍しい。次のバス停名を表示しているのは親切。

頭の部分は、ここ数年で、事業者名称が企業局交通部→企業局企業部→再び企業局交通部と変遷したので、それに対応するためかシール張り。
シワシワ剥がれかけ
ほとんど市営バスしか走らないのだから、「市営バス」と大きく書かなくてもいいような気もする。

本数の少ないバス停。
これは旧型?
やや背が低い、お店の看板みたいな四角いバス停。安定感はありそう。
上段の名称などの表示部分は、パソコンで作成したものをラミネートして貼っていた。

これは同型でもっと古い?
こちらは文字を直接手書きしているようだ。
農協の名前が変わったためか、バス停名部分は重ね貼り。



青森市営バスの路線は、市の東と西にある東部営業所・西部営業所と中心部を結ぶ路線がメインルートのようだ。
上の写真にある「矢作」停留所から中心部まで、バスに乗ってみた。
時刻表
ここは東部営業所発の路線が通るバス停。
上の写真の時刻表は、始発の5時58分から11時14分までのもので、裏に続きがある。
等間隔ではないが、10分も待たずにバスが来るので、利用しやすい。今の秋田市では、これほどバスが来るエリアなんて、ほとんどなくなってしまった。
時刻表アップ
中央交通と同じ、表計算ソフトで作成したかのような1行に1便のスタイルで、ちょっと見づらい。弘南バスやかつての秋田市営バスのような、1時間ごとに1列を使う形式の方が、量的な配分が分かっていいと思うのだが。
平日と土日が1つの表にまとまって掲載されている。平日のみ運行(=土日運休)の便もけっこうある。
ここを通るバスは、青森駅行きのほか、中心部の「古川」を通り西部方面へ直通するバスもある。西部方面の路線には新青森駅へ行く便もあり、時刻表に新幹線のマークが付いている。


乗車した車両は三菱製大型車でどこかの中古車。座席の布地に何種類かの建物が描かれていたので、それを元に調べると、川崎市交通局からの譲渡車のようだ。
印象は、普通の地方都市の路線バスだったが、利用者が多いと感じた。途中の青森県立中央病院前などからぞろぞろ乗ってきて、ほぼ満席になった。

運賃(青森市営バスでは「料金」と呼ぶそうだ)は、初乗りが130円と安い。
僕は行きは第3セクターの青い森鉄道を利用し、帰りに市営バスに乗った。青い森鉄道の運賃が高いなと思うと同時に、バスならそれ以上取られてしまうかと覚悟していた。
しかし、バス代は思ったより安かった。(乗降区間が同じでないので単純には比較できないが感覚として)
本数も多いし、この運賃ならバスの方が優位だろう。


青森市営バスの回数券は、磁気式のバスカード。利用時間帯限定で割引率が高い「買物カード」もある。
カードは、乗車時はカードリーダーに通さず、整理券を取る方式。整理券にバーコードが印字されていて、降車時に整理券とカードを運賃箱に読み込ませて精算する。


秋田市では今年から始まった70歳以上が100円でバスを利用できる制度は、青森市では「いき・粋乗車証」という名称で既に実施済み。
100円は現金でなく、バスカードで支払うことも可能で、実質的には100円以下で利用できてしまう。回数券などでの支払いは二重の割引になってしまうので、秋田市のように現金払いしかできないことが多いはずだが、珍しい。
また、乗車証所持者には、全線を1か月1500円~1年1万2000円で利用できるフリーパスもある。

そして高齢者だけでなく、2007年からは青森市内在住の小学生以下の子どもは無料で乗車できるそうだ。(市外在住者は従来通り半額)
これこそ、「市民のための市による路線バス」だ。

青森市営バスの経営状態などは分からないし、青森市民としての立場では問題点もあるかもしれない(例えば100円バスがあればいいとか)が、市営バスがなくなってどんどん不便になっていく秋田市民からすれば、青森市の路線バス環境がとてもうらやましく感じられた。

【29日追記】車内放送の広告で、弘前市の観光の宣伝が流れていた。
「禅寺が立ち並ぶ禅林街で、座禅をしてみませんか? 詳しくは弘前観光コンベンション協会『弘前感交劇場』ホームページへ」とかいう内容だったはず。
洋風建築巡り(?)の別バージョンとあわせて、(同じ路線で)2度は流れた。

※続きはこちら
※2013年の青森市営バスはこの記事後半
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あきたこまち誕生の地

2011-11-26 20:43:58 | 秋田の地理
先日、大根干しの模様を紹介した、秋田市南東部の「仁井田(にいだ)」地区。(以下、冒頭の略図参照。縮尺や方位は厳密ではありません。上がおおよそ北で秋田市中心部方向)
大雑把に言うと、仁井田は羽越本線、奥羽本線・県道横金線、雄物川に囲まれた一帯。隣接地名で言うと、牛島、楢山、上北手、四ツ小屋などと接する。
かつては河辺郡仁井田村で1954年に秋田市に編入されている。現在は住居表示実施済みのエリア(仁井田◯◯町など)と未実施のエリア(仁井田字◯◯)が混在する。
仁井田の近隣の宅地化された一角に「大住」や「御野場(おのば)」という新たな地名が与えられているが、これらの多くもかつては仁井田の一部だった。(大住は1976年、御野場は1988年に誕生)

「にいだ」という地名は各地に存在するが、「新しく開拓された田んぼ(農地)」を意味する「新田」が転じたものが由来。秋田市の仁井田も、雄物川の後背湿地を江戸時代に開墾してできた。
現在は「仁井田新田(にいだしんでん)」という町名があるけど、新しい田んぼの中のさらに新しい田んぼっていう意味だろうか。

地域を国道13号線が貫き、近年は宅地化が進んでいるが、それでも広大な田んぼが広がり、古くからの農家の大きなお宅も残る。
昨年は、雄物川沿いに羽越本線をくぐる市道の茨島・大住アンパス前後が開通し、新屋・茨島~大住・仁井田~御野場を結ぶ、13号線に次ぐ第2のルートもできた。

仁井田地区には市立の義務教育学校が3校ある。1つは仁井田本町にある仁井田小学校で明治15年開校とのことだから、合併前の仁井田村当時からの学校。
あとは仁井田字西潟敷に1980(昭和55)年に開校した大住小学校、そして仁井田字中新田に1984(昭和59)年に開校した御野場中学校で、どちらも宅地化による人口増加に伴って新設された学校なのだろう。
仁井田地区に住む小学生は住所によって仁井田小か大住小に、中学生は同様に御野場中か楢山の城南中に通うことになっているようだ。
仁井田小は10年ほど前は児童数が1000人を超える秋田県内最大のマンモス校だったそうだが、現在も仁井田・大住小とも600名超の児童数で、市中心部の小学校に比べると多く、今なおドーナツ化現象を感じさせる。

おもしろいと思ったのは、大住小も御野場中も、その所在地は大住や御野場ではなく、仁井田だということ。どちらもあとわずか(道路1本とか)で大住、御野場という、境界に近い位置ではあるのだが。
用地取得費用と通学の便を両立できる、有利な場所だったのだろうが、両校の周囲には若干田んぼが残っており、真冬の通学はつらそう。

また、以前から「仁井田中学校」が存在しないのが不思議だった。
調べてみると、かつては存在(今の仁井田小の場所?)しており、1966年に上北手中学校、四ツ小屋中学校とともに統合されて、城南中学校となっていた。
その18年後、城南中学校から独立して仁井田地区にできた中学校が御野場中学校なわけで、これは仁井田中の“復活”とも言えそうだが、校名は変わってしまったことになる。
開校当時はまだ地名としての「御野場」ができる4年前だったが、先に校名ができたということだろうか。(ちなみに、中心部の市立山王中学校も、地名の「山王」よりも先に命名されている)

それから、仁井田小学校、大住小学校、それに県立秋田南高等学校の校章は、いずれも秋田蕗の葉がモチーフになっている。


以上、仁井田のウンチクで、ここからが本題です。下の地形図をご覧ください。
国土交通省国土地理院「電子国土Webシステム」より抜粋・加筆
仁井田地区のうち、雄物川と国道13号線の間の地形図。グレーで示された住宅がびっしりと並んでいる。(上の図の範囲外ですが)田んぼが多く残る13号線の向こう側と比べると、こちら側の方が宅地化が進んでいるように見える。
そんな中、図中央の赤で囲った、大住の南側から「仁井田字大野」北側の一帯は家屋がなく、田んぼ(II)、畑(V)そして荒れ地(三本の縦線)の地図記号が記されている。

この場所は単なる農地ではなく、秋田県にとって、とても重要な場所と言えるかもしれない場所なのです。
なぜなら、1963(昭和38)年から2000(平成12)年まで、ここに「秋田県農業試験場」があったから。

秋田県農試は、現在は秋田市雄和へ移転し「秋田県農林水産技術センター農業試験場」という組織になっている。また、1963年以前にさかのぼれば、1891(明治24)年に設立された歴史ある組織で、秋田市泉などに所在したこともあった。
秋田市に長く住む年配の人は、(現在の試験場に対しても)「農事試験場」という呼称を用いることが多く、泉にあったことを記憶している人もいる。

現地へ。
大住小学校を背にして南東を見る
上の写真の道路・水路の左側が「大住」。国道13号線までびっしりと住宅が並ぶ。
一方、がらんとしている右側は「仁井田字小中島(こなかじま)」で、この一帯に試験場があったらしい。僕は試験場があった当時に何度か通ったのだが、記憶がない。
正面奥の道は比較的新しい(試験場移転後にできた?)らしく、試験場跡を抜けて仁井田新田経由で国道へ出られる。
写っているバス停は「大住団地」。ここは牛島経由大住・みなみ野団地線が通っていて、駅から来て大住団地を過ぎ(写真では左から来て右折して後方へ)みなみ野団地や西潟敷を経て、雄物川堤防近くの牛島西四丁目が終点。
かつては秋田市営バスが運行しており、1990年代初めまでは全便がここ大住団地で折り返していた。現在も、その回転地跡らしき場所(写真右のトラックが停まっている所?)が残っている。
さらにさかのぼれば「大野団地線」と呼ばれていたこともあるようだし、中央交通オリジナル路線である「大野線」(大野四区発着)との関係も興味深い。この辺はまた後日(リンクはこの記事末尾に)。

試験場だったと思われる場所は、地形図では「田」や「畑」の記号が並んでいたが、実際にはこんな感じ。
右奥は大住小学校
ほとんどがススキなどが茂る空き地になっている。地形図では「荒れ地」とするべきだろうか。また、広大な土地の周囲は、ぐるりと住宅地に囲まれている。
跡地内を狭いけれどまっすぐな舗装道路が何本か延びており、昼間は散歩やジョギングをする人が多い。雄物川堤防と並ぶ散歩道のようだ。車が通ることもあるので注意。
逆光ですがこっちは?
ズームすると、
鳥海山と秋田空港へ下りる飛行機
振り返れば、
太平山の山並み
秋田市内の平地において、鳥海山が見られ、かつ雄大な太平山も両方見られる場所はあまりないと思う。貴重な場所だ。

新しい道路の東端近く(上の方の地形図で赤い星印付近)=農試跡地の敷地を挟んで、大住団地バス停の反対側
左奥の建物は、JA秋田教育研修所(=上の方の写真で、大住団地バス停のポールの向こうにも、この建物の反対側が写っている)。その向こうには、秋田市の市民農園もあるようだ。また手前左は、ただの空き地っぽいが「秋田県職員グラウンド」と書いていたはず(昔は八橋にあったけど)。これらは、試験場跡地を転用したということだろうか。
そして、道端にこんなものが。
「秋田県農業試験場跡地/水稲品種「あきたこまち」誕生の地」
詳しい解説などはないものの、立派な石碑があった。
今でこそ当たり前だが、国ではなく県の試験場が作り、ユニークなネーミングが付けられたのイネの品種の先駆けであった「あきたこまち」。
1977年に福井県の試験場から譲り受けて秋田での育成が始まり、1984年に命名されたので、まさにここがその育成の舞台であったのだろう。

その後の全国各地での新品種育成の動き、秋田=こまちというイメージが定着したことを考えれば、日本の米と秋田県にとって、とても大事な場所ではないだろうか。


それにしても農試跡地。移転して10年も経つのに、秋田市中心部に近い広大な土地を遊休地にしておくのはもったいない。やはり宅地化されるのだろうか。
調べてみると、2008(平成20)年度の段階では「(跡地の)土地は約24haあり、このうちの約6haは将来の公共用地として確保し、残り18haは住宅用地として民間に売却する方針であります。この18haの用地のうち3haについては、平成19年度から市民農園として秋田市に貸付」などとなっていた。
そして、今年初めの段階では、太陽光、地中熱などの新エネルギーを使って、野菜や花を育てる実証プラントをここに作る計画があり、今年度予算にその策定関連経費100万円が盛り込まれているとの情報があった。
その後どうなっているのかは知らないが、少なくともあと何年かは、この状態が続くのだろう。
向こうの山は大森山

※仁井田についての続きはこちら
※農試跡地の一部には菜の花が植えられていた
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12月のバスダイヤ改正

2011-11-24 23:57:30 | 秋田のいろいろ
今週初め、秋田中央交通の公式サイトに、12月からの変更されることについて、2つの情報が掲載された。その話題。
●2か月後のダイヤ改正
21日に「路線バスダイヤ改正のお知らせ」というのがアップされた。
12月5日(月)から一部路線でダイヤ改正を実施するという。

といっても、対象となるのは4路線8便だけ。6便が時刻の移動で2便が増発となる。
※ただし、うち2路線2便は欄を重複して記載(秋田駅西口→大川反車庫での時刻移動)されているので、実質的には3路線7便。

神田旭野団地線では、平日の7:22組合病院発秋田駅行きを増発。
添川線では、平日の秋田駅発19:15を増発。
加えて、平日の秋田駅14:20、15:20発がそれぞれ14:45、15:45に、平日の蓬田上丁7:31と16:15発がそれぞれ7:21と16:25に変更。
仁井田御所野線(~県庁経由大川反車庫行き)では、平日・土日ともイオンモール秋田前発 秋田駅西口・県庁経由 大川反車庫(秋田営業所)行きが22:15発(→途中の秋田駅西口22:48)から22:30発(同23:03)に変更。
といった内容。 ※ご利用の際は公式の時刻表でご確認願います。


12月のバスダイヤ改正と聞いて、市営バス当時に行われていたのを思い出した。これはいわゆる「冬ダイヤ」で、積雪による遅延や需要の増加に対応したものだったと思われる。秋田市営バスでは12月20日頃に行われていたようだが、末期には冬ダイヤの設定自体が行われていなかったと記憶しているし、中央交通では(少なくとも市営バス移管後は)実施していない。(青森の弘南バスでは、現在も実施しているようだ。)

今回の改正は、朝と夜の時間移動が多いから、冬ダイヤ的な意図もあるのかもしれないが、それによりも、記憶に新しい10月に行われた大幅な減便の反動のように思えてならない。
例えば添川線では、これまで19時台だった下り最終バスが10月に廃止され、18時20分発が最終になってしまった。
若干ローカル路線色がある添川線だが、仮にも秋田市内の住宅地もルートに入っている。帰宅利用者が多いであろう夜の19時台を廃止しても大丈夫なのだろうかと不安だった。19時台を復活させて欲しいという要望があったのだろうか。
それに、神田線と同ルートであり、比較的利用者が多い天徳寺前までの区間の輸送力の増強にもつながる。(現行ダイヤでは、神田線は18時以前は毎時3本程度なのに対し、19時以降は毎時00分、30分発の2本運行)

そして朝の上り神田線は、外旭川市営住宅前発で現行は7時台は03、13、43、53分と4本あって単独路線としては多い部類だが、さらに1本増えることになる(増便分は市営住宅前では7時30分、秋田駅着7時55分)。
中央交通側が思っていたより、神田線の利用者が多いということだろう。

御所野から牛島を通って秋田駅・県庁方面への路線は、最終が15分遅くなる。(この便は現行ダイヤでも、秋田市でいちばん遅い時間の路線バスだと思われる。)
乗ったことも見たこともないので分からないが、こんな時間のバスに需要があるのかと考えてしまうが、イオンモール秋田の専門店街などの閉店時刻が22時であることを踏まえると、従業員の帰宅の足なのだろうか。閉店後15分で片付けて22時15分発のバスでは早すぎるから、30分発になったのかもしれない。


これらは、ダイヤ改正後わずか2か月で部分的とはいえ再度改正(しかも減便したものを復活させる)が行われたわけで、「朝令暮改」とも言える。
しかし、利用状況に応じて臨機応変にダイヤを改正してくれたことは、この会社にしては融通が利いている。柔軟にダイヤを組める(動かせる)ことは、路線バスの特徴であるとも言えよう。最近のダイヤ改正では、減便されることがあっても、増便されることはほとんどなかったのだし、今後とも柔軟な対応と充分な周知をしてくれることを期待しておこう。


●東口リムジンバス復活
22日には「空港リムジンバスについてのお知らせ」がアップされた。
12月16日から、秋田空港着の羽田便の最終便に接続して、秋田駅東口行きの直行リムジンバスを運行するという。(西口経由県庁行きも運行)

これも、いわば「朝令暮改」。
こちらなどでお伝えした通り、今年6月までは、羽田便の始発と最終便に接続して、同様の東口発着直行便が運行されていた。秋田駅-空港間は25分で、途中停車があり秋田駅西口経由県庁発着の通常便のリムジンバスと比較すると、15分短かった。(運賃は同額)

しかし、東口直行便は6月末で廃止され、7月以降は西口経由県庁発着便だけとなっていた。
これは、西口便が7月に開通した新しい道路を通るようになって所要時間が5分短縮され、速達便の優位性が薄れたためなのかと思っていた。
一方で、リムジンバスの利用者の多くは秋田駅までの利用であること、朝や夜の時間を有効に活用したいという人は多いと考えられ、一定の需要はありそうだったし、実際に「東口リムジンがなくなって、ちょっと不便」という人もいた。

夜の駅行きだけとはいえ、12月にそれが復活することになったわけだ。
ダイヤを見ると空港発21時20分→東口着21時50分。以前は所要時間が25分だったのに、なぜか5分増えて30分になった。
同時刻発の通常便は、西口着が21時55分なので5分しか違わない。この時間だと、通常便が経由する国道13号線が渋滞するということもないだろうし、5分速いだけの直行便をあえて運行する意味があるのだろうか? むしろ朝の空港行きの方が需要はありそうに思うけど…
これも空港リムジンバス
上の写真のバスは高速バス用の塗装(色違いが小田急バスにもある)だが、空港リムジンに使われることがある。元は長距離高速バス用だったと思われるが、現在はリムジンのほか能代や湯沢方面の高速バスがメイン。

※その後、新しい東口行きバスは、高速道路を経由しない別ルートであることが分かった。こちらの記事


●おまけ
ついでに最近気づいたことなど。
・秋田市らしいラッピングバス
残り2つのデザインを後で紹介すると言っていました(前回の記事)が、1つだけ、なかなか写真を撮れないデザインがあります。見かけてもカメラがなかったりして。もう少しお待ちください。

・増える中古ノンステップ
1年ほど前から登場した、中古車のノンステップバス。
中型のいすゞエルガミオで、中ドアが独特な開き方をし、椅子の背もたれが異常に硬かった。おそらく、中央交通が懇意にしている小田急バスから譲り受けたものだと思われる。

このバスが秋田市内の路線バスのバリアフリーに貢献していることは確かであり、先日も乗り込んできた年配の奥様が「あや。これ、段っこ1つ(=路面と車内で1段)でいいこと」と喜んでおられた。
その後(たぶん最近)、ほぼ同型のバスがさらに何台か増えた。ナンバーは「900」の直前くらいで、中ドアはたしか通常の引き戸。背もたれの布地は同じだが、ややクッション性が高くなったような気がした。年式が若干新しいのだろう。
車内の運賃表示器は液晶式で、中央交通では一般的でなかった「レシップ」社製(従来の液晶表示器は、原則「小田原機器」製)。「運賃が変わるバス停(◯◯まで)」ではなく「次のバス停名(次は◯◯)」が表示されるので、ちょっと戸惑う。【2021年11月28日補足】従来からある、7セグメントデジタル数字50コマの表示機はレシップ製。

【26日追記】新たな情報。
秋田ケーブルテレビ加入世帯に送付される「番組ガイド12月号」17ページによれば、12月1日から、コミュニティチャンネルのデータ放送において、中央交通の路線バス時刻表を検索・表示できようになるとのこと。
「路線名から検索してダイヤ毎の各停留所通過時刻を表示」と「五十音名リストから停留所を検索し、個別停留所の時刻を表示」の2つ方法が使えるようだ。また、よく使うバス停を3つまで「My停留所」として登録できるらしい。
現行の公式サイトや秋田市が駅前に設置している検索装置(この2つは元データが共通だと思われる)とは、仕様が異なるようにも感じられる。サービスが始まったら、アップするつもりです。※こちら(上のリムジンのリンク先と同じ記事)
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新たなスクランブル交差点

2011-11-23 21:11:00 | 秋田のいろいろ
「スクランブル交差点」といえば、歩行者が斜めに横断できる交差点のこと。
東京渋谷のものは日本の活気あふれる光景の1つとして世界的に知られているらしい。当ブログでは、日本で初めてスクランブル交差点になったという熊本市の交差点を紹介したことがあった。

ところで、最近全国的に増えている「歩車分離式信号」。
これは、車両と歩行者が交差点内で交錯しないように、それぞれの信号機を動かすやり方。
従来(通常)は、方向別に車両用と歩行者用信号機が同じ動作をしていたので、車の右左折時に事故になる危険性があったが、歩車分離化すればそれを抑える効果がある。

「歩車分離式信号」はいくつかの種類に分けられ、実はスクランブル式もその1種。
現在、各地で一般的な歩車分離式信号は「歩行者専用現示方式」と呼ばれるタイプ。全方向の車両用信号機を赤にして、その間にすべての歩行者用信号機が青になるものの、横断歩道は通常の交差点と同じ形なので斜め横断できない。
つまり、「歩行者専用現示方式」と「スクランブル方式」では信号機の動作としては基本的に同じ。違いは、斜め横断ができるか(=スクランブル)できないか(=歩行者専用現示)という点。(スクランブルも、広義では歩行者専用現示方式の1つととらえられるかもしれない)


さて、我が秋田県でも、スクランブル方式の交差点はごくわずか。
秋田市内では、古くからある広小路の木内の前と、秋田駅西口の南北それぞれ(フォーラス前とJR東日本秋田支社・ホテルアルファーワン前の「秋田駅前」)の計3つしかなかったはず。(冒頭の写真はフォーラス前の無名交差点)
秋田の元祖スクランブル交差点・広小路の木内前(交差点名なし)
木内前は古くから盲人用信号(音響式、視覚障害者付加装置)も設置されていた。今は他と同じ「ピヨピヨ」だけど、以前の「通りゃんせ」だった頃は、ここだけ他と音が違い、なんていうか柔らかい音色だった。(同じ音の「故郷の空」版が市役所西側の「県庁西」交差点でも流れていた)デジタル音源でなくアナログ音源とかだったのだろうか…

スクランブル交差点は3つのままの秋田市内でも、斜め横断できない「歩行者専用現示方式」が増えているため、歩車分離式信号の総数は増加している。
これは、警察庁が歩車分離式信号を増やすよう通達(※)を出しており、それに従って導入を進めているためだと思われる。
警察庁は各都道府県に対し、具体的に数字を挙げて平成26年度末までにあと何か所歩車分離式信号を増やせという目標値まで示している。
警察庁の通達より
※平成23年4月20日付警察庁交通局交通規制課長発「歩車分離式信号の整備推進について」http://www.npa.go.jp/pdc/notification/koutuu/kisei/kisei20110420.pdf
秋田県に対しては、平成22年度末時点で31基ある歩車分離式を、平成26年度末まであと25基増やす(割合では1.66%→3.00%)ようにとのお達し。これじゃあ「ノルマ」だ。(全国的に見ると、もっと厳しいノルマを課されている県もある)

しかし、少なくとも秋田の状況を見ていると、(特に歩行者専用現示方式の)歩車分離化によって、デメリットや必ずしも安全ではなくなってしまうケースが発生してしまっていると感じる。具体的には、
1.車両・歩行者とも待ち時間が長くなる。渋滞を招いたり、街を歩く人の流れが変わってしまう恐れがある。
2.斜め横断できない歩行者専用現示方式の交差点では、青信号の時間が限られてしまうので、斜め向かい(対角線上)へ渡りたい歩行者で歩くのが遅い人は1度の青信号で渡り切れず、1つの交差点で2度信号待ちしなければいけなくなる。
3.待ち時間が長くなることを嫌う車両が、黄~赤信号で無理に交差点内に進入して歩行者の横断を妨害するケースがある。(意図的な信号無視)
4.歩行者・車両とも、思い込みによる「見切り発車」、「見切り横断」が発生しやすい。(意図しない信号無視=注意力の散漫が原因ではあるが)
といった点。

「久保田町」交差点は歩行者専用現示方式
秋田駅西口から2つめの「久保田町」交差点には、かつては歩道橋があった。1988年5月に撤去され横断歩道を設置。10年くらい前(?)に歩行者専用現示方式の歩車分離式信号になった。
ちなみに右奥の白い建物が、2009年1月に倒産した「ホテルハワイ」駅前店。他の2店も含めて建物はそのままだが、どうするんだろう。

上記4つの問題点の中で、いちばん簡単に解決できるのが「2」ではないだろうか。斜め横断できるようにして、スクランブル化すればいい。
歩行者専用現示方式の信号機のシステムは、原則としてスクランブル方式と同じなのだから、斜めのゼブラゾーンを引けばいいだけのことではないだろうか?

そう思って、5年以上前だが、秋田県警へ問い合わせたことがあった。すると、(うろ覚えですが)「斜め横断させるには、縁石や融雪装置等の道路構造物を移動させる必要があり、白線を引けばいいってもんではないのだよ」といった趣旨の回答を頂いた。
なるほど。警察だけの権限・予算でできることではないし、ライン引き以外にもおカネがかかってしまうわけか。
※ところがその後2018年に、縁石が削られて斜め横断できるようになった。時代は変わるものだ。
久保田町交差点。たしかに縁石(右手前とその対角線上)があって、ここを斜め横断したらつまづいてしまう

なお、大きなスクランブル交差点では「斜め横断専用」と表示のある歩行者用信号機が別に設置されているが、木内前のような小規模なスクランブル交差点では設置されていないため、必須の設備ではないと考えられる。
また、最近は時間帯を区切って歩車分離式信号となる交差点も出現しているので、その交差点では、対象時間外の横断を考えるとスクランブル化は難しいことになる。それに変則的な形の交差点も、安全性(信号無視した車がいた場合等)を考えると、斜め横断はさせづらいかもしれない。

でも、いくら安全になるからといっても、歩行者を無駄に待たせることになる歩行者専用現示方式の交差点ばかりを増やしていく(それもノルマを達成するべく)のは、安直なような気がしていた。高齢化が進み、雪国である秋田なのだから。



さて、秋田市中心部の古くからの商店街「通町」(保戸野通町と大町一丁目の境)の交差点の1つ。
無名交差点なので伝えづらいけど、旧通町と旧大工町の境というか、通町から菊谷小路に入っていく交差点というか、バスの神田線・添川線が曲がる交差点というか、角にミンシュ党の事務所がある交差点といえば、秋田市の方ならどれか1つはピンと来るでしょうか。
ここはかつては、城下町特有の一直線でない道路形状の変則的な交差点だったが、10数年前の道路拡張の際、普通の十字路に改められた。そして、数年前に歩行者専用現示方式の歩車分離式信号となっていた。(視覚障害者用信号付き)
ところが、昨日通りかかると…
斜め横断できる!
真新しい斜め横断用の白線が引かれていた。すなわち、歩行者専用現示方式からスクランブル方式に変更されていた!
秋田市で4か所目(?)のスクランブル交差点の誕生だ。

信号のサイクルや視覚障害者用信号の動作の変更はないと思われ、単に白線を引き足しただけのようだ。(もともと縁石もなかったはず)
ここは大規模な交差点ではないものの、地元の食品スーパー(?)「せきや」や各医院が近くて高齢者の通行も多いから、スクランブル化によって歩きやすくなり、恩恵を受ける人も多いことだろう。結果的には白線を引いただけのことだが、評価すべきだと思う。

個人的には、秋田県警はかたくなにスクランブル交差点を増やすのを拒んでいるような印象すら受けていたが、方針が変わったのだろうか。
歩行者の利便性を考えたであろう秋田県警(秋田県公安委員会)の対応がうれしいし、今後も柔軟な対応を期待したい。
(雪が積もる前の今、やらなくたってという気もするけど。積雪や除雪作業などで白線が剥がれたり汚れたりするから)

なお、車両用信号機に付けられる表示板は、県によって(青森県など)は、スクランブル方式の交差点には「スクランブル」、それ以外には「歩車分離式」と区別する所もあるが、秋田県ではどちらも「歩車分離式」としているようなので交換しないと思われる。

通町近くの旧秋田ニューシティ跡前も歩行者専用現示方式の歩車分離式
例えば、ニューシティ跡前もスクランブル化してもいいと思いますよ。
※ニューシティの交差点は交通量が少ないせいか、信号を誤認する車両が多いです。現地を通る方(歩行者・車両とも)は充分にご注意を!

※実質的には、多くの歩行者専用現示方式交差点において、斜め横断が“できてしまい”ます。しかし、一方向の車両用信号機だけが青になっているなど特殊な信号サイクルの交差点や時間帯かもしれません。事故の元なので、斜め横断できない交差点での斜め横断はやめましょう。

【24日追記】秋田県警のホームページに、歩車分離式信号の各方式の解説が出ていた。http://www.police.pref.akita.jp/kenkei/osirase/59.html
古い内容なのか「スクランブル方式は県内で2箇所」とあるが、正確には上記の通り既存3か所+今回新たにスクランブル化された通町ということで、やはり通町が4か所目(秋田市内に限らず秋田県内で)となるようだ。
また、他には県庁・市役所の裁判所側「県庁西」交差点が「右左折車両分離方式」というタイプで、それ以外の秋田県内の歩車分離式交差点はすべて「歩行者専用現示方式」だそうだ。

【2012年4月24日追記】秋田市中通のNTTのビルや秋田市民市場の南側にある交差点もスクランブルになっていた。秋田市内にもう1つ、スクランブル交差点があることになる。
だいぶ前から歩車分離式ではあったが、いつからスクランブル化されたかは不明。※現地の写真はこちらの記事

※この後、2018年には、高齢者などを安全に余裕を持って横断させるためとして、秋田県内で複数の歩車分離式交差点がスクランブル化された



先日の補足。
千秋公園大手門の堀のハスの片付け
今日のようす
月・火でけっこう作業が進んでいた。
残りこれだけ

それから
再開発工事中の「エリアなかいち」※前回の記事
各建物の工事も進んでいるが、前の広小路の路上(写真左)でも工事中。
アーケード撤去のおかしな工事と同時に行われていた、歩道の融雪装置設置工事が本格化していた。
写真では分かりにくいが、車道の1車線を封鎖して、通行止めの歩道の代替通路 兼 作業用車両駐車スペースとしていたようだ。車の流れは若干滞るが、これなら安心して歩行者が通行できる。(歩行者通行スペースの幅は狭いので、特に用がないなら避けた方がいいでしょう)

※再開発関連の続きはこちら、再開発工事の進捗についての続きはこちら
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わずか2通

2011-11-21 21:05:33 | 秋田のいろいろ
おととい速報し昨日も少し触れた、秋田市の日赤病院跡地の「中通一丁目地区市街地再開発事業」のエリア(施行地区)と施設(にぎわい交流館)の愛称が決定した話。さらに続きです。

今日になって、再開発組合のサイト(http://www.nakadouri-saikaihatu.jimusho.jp/)に、「~決定しました」というページ(http://www.nakadouri-saikaihatu.jimusho.jp/sub8/newpage2.html)がアップされた。
その中に「○愛称選定の経過について(http://www.nakadouri-saikaihatu.jimusho.jp/sub8/newpage10.html)」というページがあり、愛称の募集から決定までの経過が詳しく公開されている。
新たに分かったことがいくつかあった。
まず、応募作品数はエリアが161、施設が167だったが、その分布は、北は北海道、南は長崎から応募があったとのこと。(最南端の長崎の人の「にぎわい交流館AU」に決まったわけだ)

そして、
1.一次選考(県・市・再開発組合理事による)で23作品、17作品
2.ネットでの意見募集(アンケート。8月26日まで)
3.二次選考(県・市・再開発組合理事による。9月2日まで)で8作品、7作品
4.最終選考(知事、市長、再開発組合理事長、商工会議所副会頭による。9月9日)
と、4段階で選考(意見募集は選考ではないけど)が行われたことが分かった。

で、びっくりしたというかショックだったのが、ネットでの意見募集への応募数。
前回書いた通り、僕も意見を送り、偶然にも僕がいいと思った愛称候補が2つとも最終決定となった。ほかにも多数の方が、各自の考えを送ったのだろうと思っていたら…
再開発組合ホームページより
「施行地区部門2通、施設部門2通のご意見を頂戴しました」だって!

つまり、僕ともう1人しか意見を送らなかったってこと?!

たしかに、あまりアクセス数が多くないであろう再開発組合のサイトで実施され、秋田県のホームページのどっかにひっそりとリンクが張られていただけで、秋田市のサイトやマスコミでの告知はなかったように思われ、周知不足の感はある。(多くの意見を募るために、次代の秋田を担う中高生に学校経由で、あるいは市街地を歩く市民に対して街頭アンケートを行うといった手法もあったかもしれない)
回答する側としては、単なる人気投票ではなく、その名称を選んだ理由も明記し、応募者の住所と氏名も記載が必要(重複応募でないことを確認するため)で、かつワード形式かPDF形式のファイルをダウンロードして入力・送信もしくは記入・送付しないといけないのが手間だったかもしれない。
でも、市や県が行うパブリックコメントでも、記載すべき項目・内容はもっと多岐に渡るのに、よほどマイナーな案件でない限りは数件以上は意見が提出されることが多い。(意見数ゼロということもなくはないけど)
ちなみに、2008年に秋田市が実施した「秋田市中心市街地活性化基本計画(原案)」(現在行われている再開発の原点とも言える)へのパブリックコメントには、53名(のべ意見数128)名も意見を寄せていた。

今回は愛称選考とはいえ、秋田市中心部の活性化の成否がかかっていて、多額の公費が投じられる事業に関することに、わずか2件しか反応がないというのは、あんまりじゃないだろうか。寂しいというか哀しい。
最初の応募は全国から160通もあったのに。(160もそう多くもないか。JR東日本の「はやぶさ」が決まった際は3129件も応募があったそうだから)
これは、再開発組合・行政の怠慢か、はたまた市民の無関心さ、もしくはあきらめの現れか…




2通の意見は、二次選考の判断材料としてくれたのだろう。
とすれば、うがった見方をすれば、二次選考には「県・市・再開発組合理事」のほか、もう1人の意見を送った方、そして私ことtaic02が関わり、それを元に各関係機関のトップたちが愛称の最終決定をした。と言うこともできなくはないことになってしまわなくもない…
(結果的に、2つとも僕がいいと思った名称に決まってしまったのだし)

気軽に意見を送ったつもりでいたが、そう考えると、自分自身が愛称決定の一翼を担ったような気がして、なんていうか責任感を感じてしまう。
「オカシゲな名前だなや!(おかしな名前だな)」なんておっしゃる方がいたら、そう思われてしまった原因の一部は僕にあるかも。
以上、手前味噌でした。



決定した愛称について、ネット上(個人のブログやツイッターなど)ではそれほど多くは取り上げられていない。
ざっと見てみると、「エリアなかいち」には「中井貴一を呼びたい」くらいしか感想は見当たらなかったが、「にぎわい交流館 AU」については「携帯電話会社と間違えそう」とか「経営が行き詰まっている青森市の再開発施設『アウガ』を連想させ、縁起が悪い。『にぎわい交流館』だけでいいじゃないか」という感想を持った方がおられた(各意見は抜粋・要約させてもらっています)。

これら意見に関して、なぜか多少責任感を感じてしまうので、僕なりのコメントを。 ※当然ながら、再開発組合や行政とは関係ない、個人の感想ですよ。
携帯会社については前回書いた通り、僕も同感。「エーユー」と読んでしまいそうだ。「あう」や「アウ」と、仮名書きの方がよかったかもしれない。
もう1つの「『にぎわい交流館』だけでいいじゃないか」には、それも一理あると思う。前回も書いたが、僕が一次選考通過の候補の中からこれを選んだ最大の理由は、候補中で唯一、愛称に「にぎわい交流館」が含まれているからだ。「AU」はむしろオマケで、施設のコンセプトが伝わるであろう「にぎわい交流館」を施設名に入れるべきだと考えたのです。
 ※誤解されている方がいらっしゃるようだが、愛称は「AU」だけではなく、「にぎわい交流館 AU」が愛称です。
そして、「アウガ」を連想させるというのは、飛躍しすぎじゃないだろうか。
無理に方言や西洋語っぽい響きの言葉を使った施設名(アルヴェ、フォンテなどなど)はもうたくさんだし、日本語の「会う」と同じ音で分かりやすく、かつ2文字(2音)の名称の施設は秋田では他にあまりないと思われ、混同しにくく覚えやすいと思う。候補の中ではいちばんマトモ(といっては失礼か)だと感じた次第です。
僕にはイチから名称を考えるほどの発想力もないので偉そうなことは言えないし、示された選択肢の中から選ぶという条件では、ベターな結果だったと思っています。


愛称が決まったことについて、新聞や民間放送局では報道されたが、NHK秋田放送局のニュースでは、なぜかまだ取り上げていない。
NHKってよそではネタにしてるのに、取り上げなかったりだいぶ遅れてニュースにすることがたまにある(秋田中央道路完成時の見学会やリゾートしらかみハイブリット化など)けれど、大した話題じゃないってことだろうか。

※再開発工事の続きはこちら
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大根・蓮・市街地

2011-11-20 19:03:12 | 秋田の季節・風景
先日に続いて秋田市内の風景などを。
秋田地方気象台では、15日の初雪に続いて、18日に初霜と初氷を観測。初霜は平年より7日、昨年より1日遅く、初氷は同じく1日と9日遅いとのこと。
今年は気温の差が激しいせいか、寒いと感じることは今のところ少ないような気がするけれど、そろそろ冬用コート、暖房機器、スタッドレスタイヤの準備はしておかないと間に合わなくなってしまう。
牛島地区(と仁井田の境)から見た太平山。手前は金照寺山
太平山の積雪は多くはないようで、山肌がうっすらと雪化粧していた。

秋田市の晩秋から初冬の光景の1つに「大根干し」がある。といっても、僕は実物を見たことはほとんどなかった。
秋田市の南東部、雄物川右岸の後背湿地を開拓して農地となった「仁井田(にいだ)」地区。現在は宅地化も進んでいるが、今でも農家は多く、米と秋田蕗と“仁井田大根”の産地。
仁井田をうろついていると、
大根干しに遭遇!(左奥に太平山が写っている)
農家のお宅の垣根などにちょっと干しているのは何度か見たことがあったが、このように木を組んで本格的に干しているは初めて見たので感動。
このように1か月ほど乾燥させてから、たくあんなどの漬物(秋田弁で「がっこ」=雅香の転)にする。できたがっこは身内での消費が多く、市場にはあまり出回らないようだ。
珍しいので勝手に観察させてもらった。
こんなダイコン
水分が抜けて縮んでいるはずだが、長くて真っ白で、現在普及している「青首大根」とは違うように見える。
(2つ上の写真で、左端に1列で干されているものは、上の方が緑でやや短いので青首系かもしれない)
京野菜、加賀野菜などのように、各地域で代々受け継がれてきた伝統的な野菜の品種である「在来種」というのがある。ダイコンは古くから日本人に親しまれてきた野菜だけに、数多くの在来種がある。桜島、聖護院、練馬などが有名だが、実は東北地方にも多くの在来ダイコンがあり、その1つが仁井田地区で栽培されているダイコンで、品種名はずばり「秋田」らしい。
秋田県農業試験場では、「秋田」を親とする「秋田いぶりこまち」という品種を作出し、2006年に品種登録しているそうだが、知らなかった。弘前の在来トウガラシ「清水森ナンバ」のように、ブランド化して宣伝すればいいと思うけど、秋田ってほんとに宣伝が下手。

仁井田地区については、後日、詳しく取り上げるつもりです。※続きはこちら


中心部へ来て、おなじみ二丁目橋。
旭川はやや水量が多い。写っていないがアオサギが魚を狙っていた
那波家の水汲み場のケヤキのチリチリの枯れ葉も、少しずつ落ちてはいるが、しぶとく木にくっついている葉もまだまだある。

千秋公園内堀(県民会館脇、市立中央図書館明徳館向かい)
千秋公園のケヤキはほとんど葉が落ち、冬の装いになりつつある。

広小路沿いの外堀。うるさかっ賑やかだった、堀端のプロスポーツ支援ののぼり旗も11月始め(契約上は7日までとなっていた)に撤去された。
そして、昨年も取り上げた、大手門の堀の枯れたハスの撤去作業が、今年も行われている。
現状
現在は、県立美術館側の半分ほどの作業が終わり、広小路側は手付かず。念入りに作業し、しかも広範囲なので、だいぶ時間がかかるようだ。
ちょっと位置を変えると、こんな状況

仮設の「船着き場」が作られ、ボートが3艇(と数えていいかな)
16日の朝日新聞秋田版によれば、撤去作業は「10月下旬から、今月末か12月上旬までの予定」。
また、従来は刈り取ったものはすべて処分していたが、今年は「障害者施設を運営する市内のNPO法人から「ハスの葉をマフラーの染料として使ったり、茎の繊維でつくった糸でコースターを編んだりしたい」といった申し出」があり、秋田市が快諾して「試験的に少量を提供した」とのこと。

千秋公園のハスを見て「レンコン採れねべか…」と妄想(?)する方がたまにいるが、このハスは食べられるようなレンコンにはならないと思う。(ソメイヨシノからサクランボが採れないのと同じことで)
ちなみに弘前市役所では「弘前公園のハスのレンコンを名物として売ったら?」という市民からの提案に対して、「観賞用の花蓮であるため、レンコンは細くて食用には適さないものです。とても名物として販売できるものではありません。」(「私のアイデアポスト」平成23年6月17日回答)との見解を示している。

だから、枯れたハスも捨てて当然と考えていたが、資源というか材料として活用する道があったとは、思いもしなかった。本格化したとしても大量に使うわけではないだろうが、ユニークな試みだと思う。

片付いて水面がきれいに見えるお堀はすっきりしていいものだが、今しか見られない枯れたハスが茂るお堀も、晩秋・初冬らしい独特の雰囲気があって捨てがたい。
広小路から中土橋通り~県民会館(中央)、県立美術館(右)方向

広小路から県立美術館
奥の美術館の紅葉した木々や、茶色く紅葉(?)したメタセコイアが彩りを添える。

不思議な形
※ハスの片付けの続きはこちら(記事末尾)

今度はそのメタセコイアに注目。
県民会館から見る県立美術館のメタセコイア
針葉樹なのに秋に一斉に紅葉・落葉するメタセコイア(アケボノスギ)は「生きている化石」と呼ばれる。秋田県立美術館一帯に何本も植えられている。
中央図書館明徳館側の「明徳館小路」



さて、昨日、愛称が決まったことをお伝えした、中通一丁目「エリアなかいち」の再開発。
県民会館の土手から穴門の堀・広小路越しに
どの建物も工事が進み、背が高くなってきた。

広小路から再開発エリア東側の通り
上の写真は、かつて日本生命秋田ビル(河合楽器の店)があった角。
アーケードがなくなったのは寂しいが、それよりも、東側に立ちはだかるように高い建物ができているのに驚いた。手前が「にぎわい交流館AU」なわけだが、なんか圧迫感があるような…
※上の2つの場所の着工前の様子はこちらの記事などで


そして、広小路のアーケード。久々に通ったら、変化があった。
向かい側からキャッスルホテル・木内を見る
分かりますか?
キャッスルホテル前に注目。
参考に、以前の同じ場所(撮影位置は異なります)
 (再掲)
そう、今までは赤色だった柱が、キャッスルホテルの前だけベージュ色というか肌色に塗り替えられていた!(白かった屋根の一部も同色に塗り変えられた)
1月前に通った時は気づかなかったので、最近のことだろう。

キャッスルホテルの建物と同じ色なので、アーケードとの一体感は感じる。
こちら側からはテナント店舗を抜けてホテルへつながる

ただ、キャッスルホテルの隣の木内前のアーケードは、赤に塗り替える前の緑の柱が残るので、赤・緑・ベージュの柱が混在するなんとも統一感のない光景。
デザインは同じなのに、色は3色
それよりも何よりも、広小路のアーケードは、すべて撤去されることになっていたはず。最近、柱などを残し、照明や装飾を設置することに方針が変わったそうだが、いずれにしてもアーケードの屋根はなくなってしまうものと思っていた。

しかし、キャッスルホテル前では、柱だけでなく屋根も塗り替えているので、これはアーケードを残す意向であると考えるのが自然。
おそらく、商店会ではなくキャッスルホテル側が塗り替え工事費と今後の維持費を負担するのだろう。そうだとすれば、ここにはバス停やタクシー乗り場があるので、屋根が残るのはありがたい。(バス停は隣の木内前にもかかっているが、そっちはどうなるか?)
でも、方針が二転三転し、統一感がなく、秋田市中心市街地がこんな状態でいいのかなという気がしてしまう。

※再開発についての続きはこちら
※水汲み場のケヤキや千秋公園についての続きはこちら
※アーケードのその後についてはこちら
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速報・再開発エリア愛称決定

2011-11-19 19:22:14 | 秋田のいろいろ
【20日訂正】アップ当初、キャラクター「与次郎」を「にぎわい交流館のマスコット」としていましたが、正しくは「再開発エリアのマスコット」でした。訂正します。

秋田市中心部の日赤病院・婦人会館跡地で行われている「中通一丁目地区市街地再開発事業」。※再開発についての直前の記事はこちら
その再開発エリア自体の愛称と、エリア内にできる施設の1つ「(仮称)秋田市にぎわい交流館」の愛称が、今日、決定した。

先に公募が行われ、一次選考を通過したものを示してどれがいいかの意見募集(アンケート)が一般市民を対象にして夏に行われていた。→8月12日の記事
9月9日には、県庁で秋田市長などが出席して「最終選考会」があったらしいが、その結果は明らかにされなかった。
どうしたのかと思っていると、10月に再開発組合のサイトにロゴやキャラクターのデザインを作成中であり、決定した愛称とともに11月中旬頃に発表する準備をしているとの説明が掲載された。

そして今週、県知事や秋田市長の週間予定表を見ると、今日19日の11時から、エリア向かいの秋田キャッスルホテルで「中通一丁目地区第一種市街地再開発事業愛称等発表会」が開催される(知事・市長が出席)とのことだった。
ぎりぎり「11月中旬」の19日で、しかも土曜日というなんか心もとない時期の発表。そして相変わらず再開発組合からの案内というか予告はない。
新しい名称は何かと、発表会が終わったであろう午後になってからサイトを見ても、決まった愛称が出ているわけでもない。やはり、再開発組合には、市民の期待を集め(?)、多額の税金が投入される事業を任されているという自覚がないように思えてならない。せめて、迅速な情報公開くらいはしてほしい。何も隠すようなことじゃない。(だからこそ、平日に発表すべきだったのでは?)



夕方のAABとAKTのテレビのニュースで名前が分かった。
※NHK秋田の夕方のテレビニュースや魁新報のサイトでは扱っていない。ABSでは取り上げた模様。

それは…
再開発エリアの愛称:エリア なかいち
にぎわい交流館の愛称:にぎわい交流館 AU(あう)
※一部報道ではにぎわい交流館の愛称を「AU」だけかのように扱っているが、「にぎわい交流館 AU」が愛称。
となった。

同時に、「“中”と“一”を地図上の道のように直線的にデザインした」エリアのロゴマークと、「佐竹家に使えたという伝説の白ギツネ“与次郎”をモチーフにした」交流館の【20日訂正】再開発エリアのマスコットキャラクター「与次郎」もそれぞれ知事と市長によって発表された。
【20日追記】交流館のロゴマークも発表された。赤で「A」と「U」が手をつないだような柔らかいデザイン。また、与次郎は伝説にちなんで飛脚の姿。

再開発エリアは来年7月21日(土曜日)のオープンを目指しているという。



さて、決定した愛称について、どのようにお感じだろうか?
個人的には、おかしな名前に決まってしまったらどうしようと心配していたが、意外にマトモなものに決まったと安堵した。
実は僕もアンケートに回答したのだが、どちらも僕がいいと思って回答した候補に決定したのだ。他の回答者のみなさんも同じ感覚で選んだ方が多く、それが組合(や選考に参加した行政)に通じたということだろう。
※意見募集についてはこちらの記事

一次選考通過の愛称を改めて挙げてみる。
エリア
1.あきた明日都(あすと)、2.秋田美居(びい)スクエア、3.AQUAプレイス、4.COASIS、5.秋田こまちシティ、6.あきたふろん都、7.あきなか、8.アルゾ、9.E-SunA (イスナ)、10エリアなかいち、11.千秋ガーデンシティ、12.千秋ガーデンスクエア、13.千秋彩都(せんしゅうさいと)、14.千秋スクエア、15.セントパレア中通、16.中一(なかいち)ミッドタウン、17.なかいちスクエア、18.中通パークエリア、19.ハピネスエリア、20.Forum N-1(フォルム エヌ・ワン)、21.街なか・ゆめ広場、22.ゆめどおり、23.Yotte Mitte(ヨッテ・ミッテ)

にぎわい交流館
1.にぎわい交流館 AU(アウ)、2.ANICO(アニコ)、3.KADARE、4.Seva、5.AKISTA(アキスタ)、6.秋田シビック・プラザ、7.アクートあきた、8.アズベール、9.Atrebo(あとれぼ)、10.アピオール、11.かだる館、12.クロスパルあきた、13.ココロコ秋田、14.セバーヴェ、15.NIGI-WOW(ニギ ワウ)、16.ゆいとぴあ秋田、17.ワンダス

前にも書いたが、今回に限らず公共施設の名称は分かりやすさ、覚えやすさが第一だと思う。
考えた方には申し訳ないが、一次選考を通過した愛称候補の中にも、駐車場やマンションの名前ではないかと誤解されそうなもの、既存施設と混同されそうなもの、ヒネリすぎて意味・由来が分からないもの(方言名称も他地域の人は理解できない)、いつまでも覚えられそうにないものが少なくない。
秋田市中心部に氾濫する分かりづらいカタカナ名称施設がこれ以上増えては、高齢者や旅行客が混乱してしまうに違いないと考えて、僕は「エリアなかいち」と「にぎわい交流館 AU」を推した。

まず、「中通一丁目」だから「なかいち」、単純明快だ。むしろヒネリがなさすぎるかな。
【19日20時追記】ABSによれば、「なかいち」には「中心市街地がもう一度賑わうようにという願いが込められています。」とのこと。
それに「にぎわい交流館 AU」は「au」だけだと携帯電話会社と間違えそうだが(この点だけが心配)、「会う」と通ずるものがあるし、既存あるいは候補にある他のカタカタ名称よりは分かりやすく覚えやすいと思う。そして何よりも、候補の中で唯一、愛称に仮称の「にぎわい交流館」が含まれているので、ある程度はどのような施設か認識してもらいやすいはず。

【20日追記】20日付秋田魁新報1面によれば、エリアなかいちは、秋田市の50歳の女性の考案(発表会に出席していた)。にぎわい交流館AUは、なんと長崎市の22歳の女性の考案。
両ロゴは秋田市保戸野千代田町のデザイン会社「デザインオン」、キャラクターの与次郎は横手市のデザイン会社「ディーズ・アート」の制作。


各施設の建設も進んでいるが、入居する商業施設はいまいち全貌が明らかになっていないようなことが先日新聞に乗っていた。「タウンビークル」とやらもどうなっているのか不明。オープンまであと8か月しかないけれど、大丈夫?
※再開発についての次の記事はこちら
【20日追記】20日の秋田魁新報・秋田市面によれば、タウンビークルは(当初の計画にあった駐車場料金の収益でバスを運行するのではなく)秋田市がバス会社に運行委託することを検討しているらしい。結局、“市営バス”化ってことですか…
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日本海廃止

2011-11-18 21:23:00 | 秋田のいろいろ
各社の報道によれば、秋田県を含む日本海側各府県を通って青森と大阪を結ぶJRの寝台特急でありブルートレインの「日本海」が、来年春に廃止されるらしいことが明らかになった。
共同通信では「廃止する方向で最終調整に入ったことが18日、関係者への取材で分かった。」、日経新聞は「(JRグループが)廃止する方針を明らかにした」、読売新聞関西版は「廃止する方針を決めた」、読売新聞全国版は「廃止されることが決まった」、青森放送は「廃止する方向で最終調整に入った」と、言い回しは異なるが、廃止は確定だろう。
ちなみに、「JRグループ」といっても、日本海が通るのはJR東日本とJR西日本の2社の線路で、車両や乗務員も含めて他社はほとんど関与していないので、実質的には東日本と西日本2社での調整ということだろう。
共同通信によれば「2社は今後、沿線の自治体関係者などにも事情を説明し、理解を得たい考え。」とのこと。

報道によれば、廃止理由は乗客減と車両の老朽化で、現在の乗車率は5割程度。
日本海が廃止されれば、残るブルートレインは「あけぼの(上野-青森・秋田経由)」と「北斗星(上野-札幌)」だけになり、関西からは消える。

早朝の秋田駅に停車中の下り「日本海」※2008年撮影
機関車はJR東日本エリア内もJR西日本の敦賀(福井県)所属の機関車が担当する。東日本や貨物所属の同型機関車とは異なり、塗装などが国鉄当時の原型に近いのが特徴。ただし、たまに、緑色のトワイライトエクスプレス塗装の機関車が入ることもある。


このニュースを受けて、いろいろ。
まず、「寝台特急」や「ブルートレイン」の定義について。
残るブルートレインは「あけぼの」と「北斗星」だけとあるが、「カシオペア」とか「サンライズ」各列車などがあるんじゃない? と思われる方もいると思う。でも、それらは「寝台特急」ではあるけれど「ブルートレイン」ではないのだ。
厳密には、次のような定義。
寝台特急:寝台(ベッド)を備えた「寝台車」を連結する列車のうち、「特別急行列車(特急)」の種別で運行されるもの。これが「急行」なら「寝台急行」。
ブルートレイン:20系、14系(15形含む)、24系(25形含む)と呼ばれる形式の客車列車を使って運行される列車。車体が青い色であっても、他の形式の列車はブルートレインとは呼ばない。過去には特急でなく急行のブルートレインもあった。

したがって、現在運行されている寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」「カシオペア」、寝台急行「きたぐに(一部座席車)」、それに昔走っていた「はくつる」「ゆうづる(の一部)」などは、別形式の車両なので、寝台列車だけどブルートレインではない。
今回の記事を見る限り、誤解した記者はいなかったようだが、今後、どこかの早とちりマスコミが勘違いするかもしれない。

ちょっと気になったのが、日本海と走る区間が一部重なる大阪-札幌間の豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」。これは、ブルートレインの条件を満たす「24系25形」を改造して使用しているのだが、改造時に車体が緑色に塗り替えられている。形式としてはブルートレインだけど、色はブルーじゃないわけだが、どうなるのだろう?
報道では、トワイライトはブルートレインではないとみなしているようにも思うが、定期列車でない(臨時列車扱い)から除いたのかもしれない。
ともかく、数十年前は日本中を走っていたブルートレインも、風前の灯。



日本海の廃止については、数年前から「今度のダイヤ改正で…」という噂が(一部鉄道愛好家の間で)あったが、ついに現実となった。新幹線と競合する「あけぼの」が存続するのが、むしろ意外。
航空機、新幹線、夜行バス、格安のビジネスホテルが登場・普及し、寝台列車の需要が減ったのは時代の流れと言える。かつては青森や秋田の高校などの修学旅行での利用も多かったが、公立高校でも航空機利用が可能になったり、旅行先が海外へシフトしたことも一因かもしれない。
(個室でない)開放型寝台はセキュリティ面で不安があるし、トイレは和式がメイン、コンセントは洗面所だけなど、時代に合わなくなった。
横になって寝ている間に移動できるのは便利だが、このような設備では正直言って、僕も乗りたいとは思わない。

JR側にしてみれば、(電車でなく客車なので)客車と機関車を別々に管理・運用する手間、東日本と西日本にまたがって運用するのでその調整の手間、冬期を中心とする悪天候による運休の多さ、電車に比べて速度が出ないためダイヤ上で支障になること、1両当たりの定員が少ないことによる収益性の低さ、そして需要が減っているので新造もできないと、廃止したかったであろうことも想像に難くない。

汚れているけど「日本海」のヘッドマーク(冒頭の写真と同じ)
荒波と左上に星が1つ輝くだけのシンプルだけど「日本海」らしいマークも、見られなくなるのか。


今回の報道では、「日本海」は1968年に運行開始とされている。
それで間違いではないのだが、列車名の「日本海」はそれ以前の1950年に、同じ大阪-青森間で急行列車として登場している。
その後、1968年10月のいわゆる「ヨンサントオ(昭和43年10月)」の大ダイヤ改正時に、新たに創設された寝台特急に「日本海」の名を譲り(←これが今の日本海の起源)、従来の急行日本海は急行「きたぐに」となった。
きたぐには、後に大阪-新潟間に短縮されて現在に至っている。


僕が物心ついた頃は、日本海が2往復運転されていた。
歴史をさかのぼると、当初は1往復で、(定期列車としては)1978年から2往復体制になったそうだ。
秋田駅では上りは2号が19時半頃、4号が22時半頃。下りは1号が5時半頃、3号が9時前の到着だった。青森~秋田周辺(区間は列車ごとに異なる)での利用は寝台料金が不要で、上りは指定席特急券、下りは立席特急券(自由席特急券と同額)で利用できた。通称「ヒルネ(昼寝)」。

青函トンネルが開通した1988年から2006年までは、1・4号が函館まで行っていた。これが秋田方面から北海道へ行く、唯一の直通列車だった。ただし、函館行きの1号を立席特急券で利用できるのは東能代以北だったので、秋田から乗るとすれば寝台料金が必要だった。

2008年には、2・3号が廃止され、1往復になる。
号数がつかない「日本海」になったが、時刻は1・4号を踏襲。


現在のダイヤでは
上り:青森19:31→秋田22:31→富山5:28→金沢6:16→福井7:17→京都9:51→大阪10:27
下り:大阪17:47→京都18:22→福井20:26→金沢21:31→富山22:20→秋田5:32→青森8:45

下りの秋田着がもう少し遅いと使いやすくも感じるが、それだと青森着が遅すぎるだろうから、仕方ないか。
上りの京都・大阪着は、明らかに遅すぎる。大阪圏での通勤ラッシュを避けるためかもしれないが、むしろ、北陸地方がちょうどいい時間帯になる。
秋田駅の発車標 ※2010年撮影

英語版
秋田駅で「大阪」行き表示が見られなくなる。

寝台特急のマークも目にする機会が減った ※寝台急行の場合は、色が反転する

日本海が廃止されれば、秋田と関西を結ぶ交通手段は、航空機とフェリーだけとなる。また、北陸の富山・金沢・福井などへ乗り換えなしで行かれる交通手段がなくなる。
上記「トワイライトエクスプレス」は秋田県を通るが、秋田県内で乗客の乗り降りを扱う駅はない。(ちなみに秋田駅は深夜0時前後で、潟上市の大久保駅で上りと下りのトワイライトどうしがすれ違うダイヤだそうだ)
北前船時代とは違って現在は関西・北陸と秋田の交流はそれほどないし、秋田の人は“東京が好き”だし、現状でも北陸へわざわざ東京を経由して行き来する人もいるから、廃止による影響は軽微かもしれない。
でも、昔は「日本海」「白鳥」など、日本海側を結ぶ列車がたくさんあったのを思うと、不便になったと感じずにはいられない。

秋田県では、秋田空港発着のソウル便を維持しようと、公費を投じてあの手この手の策を講じている。
だったら、同じく秋田県(県民や旅行客)の交通手段の1つである「日本海」には何もしてくれないのだろうか。日本海存続は無理でも、ダイヤや料金面での“激変緩和措置”を要望するとか。

それから、上記の通り、秋田以北では日本海の座席を利用することもでき、昼間の特急列車の役目も果たしていることになる。
日本海の代替として秋田-青森間で1本増発したりはしないだろうか。
でも、2008年に日本海が減便された際は、前後の普通列車の時間を動かすことによる、お茶を濁したような対応だったので、今回もそうなるかもしれない。


ところで、このニュースについて、青森の東奥日報では18日12時08分に「速報」として共同通信社の記事を公式サイトにアップしている。
しかし、同じく共同通信の配信を受けているはずの秋田魁新報のサイトには、18日夜時点でまったくアップされていない。他のマスコミも取り上げていないようだ。それだけ、秋田における「日本海」への関心が薄いということだろうか。
【19日追記】19日付の社会面に、共同通信社配信の記事がそのまま掲載されていた。
【19日さらに追記】東奥日報のサイト(見出しとリード文しか見られないけど)では、19日になってさらに独自取材と思われるの2つの記事がアップされた。
8時55分に「「日本海」廃止に惜しむ声相次ぐ」として「乗客、県民、関西地方に住む県人ら」が惜しんでいることを紹介。※ここでの「県」とは青森県のことです。
10時57分には「「日本海」廃止、修学旅行に影響」として廃止の報を受けて「来年度の修学旅行での利用を予定していた津軽地方の高校では、予算との兼ね合いもあって日程変更の検討などを始めた。」とのこと。
秋田では公立高校でも、修学旅行の航空機利用が一般的になっているようだが、青森ではまだなのだろうか?(こういう点でも秋田と青森の県民性の違いが見えるような気がする…)

さて、さきがけさん。秋田県民はどう感じているのでしょうね。

【12月16日追記】JR各社から正式に廃止されることが発表された。ダイヤ改正は来年3月17日。同時に急行「きたぐに」も廃止で、どちらも繁忙期の臨時列車としては今後も運行するという。
秋田から青森にかけては、やはり既存の普通列車の時刻を移動させて対応するようだ。
※関連記事はこちら
※ダイヤ改正についてはこちら
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工藤パン2製品

2011-11-17 22:44:49 | ランチパック
先日青森で買った、工藤パンの製品から2つ。
同社は秋田県における、たけや製パンに相当する企業(ヤマザキと提携し、県内で展開)で、何度か取り上げたように「イギリストースト」がロングセラー商品。

●もう1つのロングセラー
イギリストースト以外にもロングセラーがいくつかあり、その1つは僕も大好き。
チョコスプレー」 熱量の表示なし
「こんがりドーナツにマイルドチョコレートをトッピング!!」とあり、包装裏面の名称欄(菓子パンとか調理パンなどと表示される部分)は「ドーナツ」。
だけど、商品名は「チョコスプレー」。ケーキやアイスのトッピングに使う、細かい棒状のチョコレートのことだが…

中身を見れば納得します。
一面のチョコスプレー!
公式サイトでは「こんがり焼けたドーナツに、マイルドなチョコレートを惜しみなくまぶした、チョコ好きにはたまらない逸品です。」と紹介されているが、偽りではない!
ただし裏面には塗られていない
原材料表示は「小麦粉・チョコ・ショートニング・砂糖…」の順であることからも、チョコの量の多さが分かる。
ドーナツ表面にチョコスプレーがびっしりと密着(若干気持ち悪く見えてしまうほど)しているのでチョコどうしが“結合”していて、チョコがぽろぽろこぼれるということはあまりなく、食べやすい。(昔はもう少し多くこぼれたような気もする)夏は溶けてしまうだろうけど。
ドーナツ部分は柔らかめのパンっぽい生地。

以前、イギリストーストで似たようなのがあったが、それはさらに練乳まで挟まれていてとてもこってりで、さすがのチョコ好きの僕も、食べている途中で挫折しそうになった。(しかもチョコが落ちやすかった)
だけど、このドーナツはチョコの量が適切だし、ドーナツが油っこいようなこともなくて、食べやすい。価格も100円前後とお手頃。さすがロングセラー。


●青森らしい新商品
今年9月、工藤パンから新商品が発売され、青森のマスコミで取り上げられた。
「青い森の香り」という食パンで、青森県産リンゴの濃縮果汁やピューレが練り込まれており、甘さと香りが豊かだそう。東日本大震災後に、青森らしいパンを作って東北を元気にしようと開発に取り組んで製品化したようだ。
トーストしてリンゴやアイスクリームを乗せて食べてもいいとか。

さらに10月からは、そのロールパン版「青い森の香りロール」も発売された。
10月以降は、食パンの6枚切りと8枚切り、そしてロールパン5個入りと、計3種類の「青い森の香り」シリーズが発売されていることになる。

個人的に、食パンよりロールパンが好きなので、そっちを買おうと思い、イトーヨーカドー弘前店に行くと、食パンの方しか置いてなかった。
マックスバリュ樋の口店では、どちらもあったので購入。たしか特売で118円だった。
青い森の香りロール」 1個116kcal
原材料は「小麦粉、糖類、りんご濃縮果汁、ファットスプレッド、果実(りんご)、パン酵母…」の順。
袋のデザインは食パンと同じ。
若干つぶれました
見た目は普通のロールパン。
食べると、ほのかにリンゴの香り・味がする。バターなど付けなくても、食べられた。
何も言わずにこのパンを人に食べさせたら、ちゃんと「リンゴ味だ」と分かってもらえた。
個人的には、リンゴの味が思ったよりは弱いが、菓子パンではない主食用パンとしてはこの程度がふさわしいのかもしれない。

今後は他にもシリーズ商品が出るのだろうか。

ところで、9月に秋田市内でイギリストーストが販売されていたことを紹介した。
最初に発見したマックスバリュでは、現在は売られていない。→追記参照
しかし、今週、(めったに行かない)ドン・キホーテ秋田店に行ってみると、イギリストーストが2種類(ノーマルとイチゴジャム?)、そしてさらに、「青い森の香り(食パンの方、枚数は不明)」も売られていた!
興味のある方はどうぞ。(他の秋田県内の店で売られている可能性もありそう)
【20日追記】11月20日に秋田市のマックスバリュ茨島店に行くと、再びイギリストースト3種類が98円で売られていた。しかし、青い森の香りはなかったようだ。
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豊岩踏切

2011-11-16 22:31:42 | 秋田の地理
秋田市南西部、JR羽越本線「新屋(あらや)」駅そばにある、市道の踏切の話。
その踏切は、駅のすぐ(150メートルほど)南側にある。
跨線橋から南方向

踏切を拡大
出発信号機より手前に踏切があり、線路の上下線が分かれているので、新屋駅の「構内」と言えるかもしれない。

新屋駅は西側にしか出入り口がない。駅前は歩道がない狭い道路。
駅を出て左(南)へ行くと、秋田市西部市民サービスセンター“ウェスター“の駐車場出入り口と丁字路交差点がある。
道は狭いけど大型バスも通ります ※この写真は以前撮影
道がカーブして狭く、通行量が多い上、信号機もないので通行は注意。
 (再掲)上の写真の少し先から振り返って駅方向

この丁字路を右折して西へ進むと、ウェスターの正面を経て、秋田市新屋支所跡の新屋交番前の県道56号線(昔の国道7号線)の交差点に出る。

今回は丁字路を直進
直進すると、道は左にカーブして駅から見えた踏切を渡り、秋田市勤労者体育センター・西部体育館、西部工業団地の端、新屋高校入口を経て、雄物川の堤防に突き当たる。
地名としては、新屋高校の辺りから先が「豊岩」で、その手前は「新屋」。踏切の所在地は西側が新屋扇町と新屋比内町、東側が新屋鳥木町と新屋沖田町。
だけど、踏切の名称は「豊岩踏切」という。
1キロほど離れた地名を踏切の名称にしたのは、何度か紹介(こちらなど)したように、踏切名は必ずしも所在地名と一致するものではないという法則に従うものだろう。

丁字路の先に、バス停がある。
いずれも秋田市交通局から移管された路線である、秋田中央交通の新屋高校線、秋田中央トランスポート(秋田市から委託されている「豊浜ふれあい号」)の豊岩線が通る。
西部市民サービスセンター(バス停名は西部サービスセンター)を出てすぐだから、あまり利用者はいなそうだが。その名前は、
「新屋踏切」
正式には「新屋踏切前」と「前」がつくはずだが、それ以前に踏切名と一致していない。
これは旧秋田市交通局が命名したもので、かつては単に「踏切前」という名前だった。そして土崎地区の旧国道にも「踏切前」というバス停が存在した(奥羽本線貨物支線の踏切)。
1989年10月から、それぞれ「新屋踏切前」「土崎踏切前」に改名された経緯がある。「新屋にある踏切前」という意味なのだろう。
※同時に大橋前→秋田大橋前、市営住宅前→牛島市営住宅前なども改称され、バス停名が具体的になったようだ。

上の写真では、踏切が見えない。
突き当りにピンク色のクリーニング店が見えるが、そこで道が大きく左に曲っているため。
さらに進むと、
踏切が見えた


この豊岩踏切で、拡幅工事が行われるという話を聞いた。
秋田市の「広報あきた」5月20日付1745号「市役所からのお知らせ」には、「6月上旬から8月中旬までのうち、工事施工日に限り、午後11時~翌午前6時、車両通行止めになります。ただし、歩行者は通行できます。」とあった。
さらに、10月7日1754号の同欄には、10月11日(火)から11月7日(月)まで、完全通行止め(歩行者・自転車は通行可)になるとあった。また、秋田中央交通のサイトには、迂回運行(700メートル南の跨線橋経由)の告知が出た。

10月の通行止め直前に行ってみると。
踏切に2つの看板があった
右の大きい看板は丁字路にもあったが、一般の道路工事などでも設置される、工事内容を示したものだ。現在一般的な「踏切の道幅を広くしています」といった形式ではないが、これは発注者がJRだから、JRのやり方なのだろう。
工事期間が「早朝5時00分から早朝5時00分まで」って、「終日」ってことでしょ!

そして不可解なのが左の縦長の看板。
「工事の遅れのお詫び」だそうで、「工程上の都合により当面の間、延期することになりました。」とある。JR東日本秋田支社保線課と秋田市道路建設課の連名で日付はない。

だが、その隣には、間もなく工事が始まる内容の看板があるのだし、広報にも載っていた。広報発行や看板設置後に、突如、工事が延期されたということだろうか?


などと思って、しばらく放ったらかしにしておいて、11月になってから中央交通のサイトを見ると、8日付で「豊岩踏切拡幅工事に伴う迂回運行は終了し、通常運行しております。」と大きな文字で掲載されていた。
ちゃんと工事をやって終わったようだ。ということは、本来もっと早くやる予定だったのが、遅れて10月に工事しましたということか。だったら「当面の間、延期」ではないし、「延期していましたが10月から工事を行います」とちゃんと書くべきだ(でなければ、お詫び看板を撤去するか)。
中央交通(にしては珍しく?)はちゃんと情報提供してくれていてそれが役立ったが、肝心のJR東日本や秋田市の情報提供が足りない。

では、通行止め直前と終了後の様子を比較しながら紹介。
 西側から見た着工前と工事終了後
北側(=駅寄り、上の写真左側)に、独立した遮断器付きの歩道が新たにでき、路面の色が変わったのが分かる。踏切内の緑色の路面は柔らかい材質のようで滑りにくいと思われ、歩きやすかった。

歩道分が増えただけで、車道の幅はほとんど変わっていないように見え、「拡幅」というより「歩道増設」程度のように感じた。


 着工前・西側から
通行止め前の段階で、既に歩行者用通路となる部分に、遮断機の根元が設置されていた。

着工前・東側から
以前の踏切内では、歩行者用通路として、車道とは別に板が敷かれていた。

 東側から見た着工前と工事終了後
ただし、踏切前後の道路部分の工事は終わっていないようで、上の工事後の写真で分かる通り、新設された歩道部分の前後は砂利道で、水たまりができてしまう。

踏切名の表示も新しくなった
従来の踏切では、「踏切番号」をシールで貼っていたが、ここでは、名称や距離とともに「No.93」と表記している。

踏切から見た新屋駅
写真右側のホームに停まっている電車は、秋田駅へ折り返す下り電車なので、こちらへは来ない。
しかし、システムの都合上、ホーム入線時(上り到着時)に、一時的に踏切が閉まるようだ。
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秋が終わった

2011-11-15 20:37:55 | 秋田の季節・風景
今年はなかなか寒くならないと思っていたら、急に寒くなった。
秋田市では、今日、初雪(平年より2日遅く、昨年と同日)と太平山の初冠雪(平年より13日遅く、昨年と20日遅い)をやっと観測。(=市内で雪が積もったわけではありません)
冷たい突風が吹きつけたりするような「秋田市の冬」らしい寒さではなく、まだどことなく穏やかな感じもするが、季節は秋から冬に変わったと感じた。(と思っていたら、夜になって風が強くなった)

先日に続いて、市内の風景を少々。
今年は紅葉が美しくないケヤキ。
竿燈大通りの街路樹(手前)と那波家の水汲み場(奥)のケヤキ
どちらも、葉っぱチリチリに枯れたまま枝についていて、なかなか落ちない。

イチョウは例年どおり美しく黄葉していた。早晩の差はあるが、今はおおむね落葉が盛んな状況。
寺内の古四王(こしおう)神社前の旧国道
上の写真の奥に見える木はケヤキだと思われるが、これはきれいに落葉している。

こんな木も。
広面の城東中学校グラウンドのポプラ
秋田市内でポプラ並木は珍しいと思う。

前回、旭川沿いのビルの壁を覆う、ツタの紅葉を紹介したが、そのツタはもうほとんど落葉してしまった。
でも、少し川をさかのぼると、
通町橋付近
川辺に下りる階段があるのだが、普段は柵で封鎖さされ、河川維持管理作業以外で人が立ち入ることはない。

その階段の擬木の手すりなどにツタが絡まり、紅葉しているのだ。
ツタに占領されている
植栽されたドウダンツツジが1本あり、それも紅葉している。
後ろが通町橋

輝くワインレッドの葉
小さなブドウのような果実が着いていた。

歩道との境界の擬木にも、少しツタが絡まっている。
こっちは控えめなツタ
種類が違うのか栄養状態なのか、小ぶりで光沢が少ない葉だけどこちらも美しい。
小っちゃな葉っぱがかわいらしい

大町通り。左側が旧魁新報社跡地「サン・パティオ大町」、右が「旧金子家住宅」
サンパティオ前の樹木も、色づいた葉を徐々に減らして冬の装いへ。
※次の関連記事はこちら
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弘大医学部周辺

2011-11-14 23:50:28 | 津軽のいろいろ
今回は弘前大学医学部から2題。※前回の青森の記事
弘大の医学部キャンパスは、本部や他学部のある文京町から離れた、市役所や弘前公園(弘前城)、歓楽街・鍛冶町に近い所にある。所在地としては、医学部は「在府町」、医学部附属病院は「本町」のようだが、地図で見ると境界が複雑で、それら以外の町名にも属しているように見える。

●100円バス乗り入れ
8月に第一報をお伝えしたが、この10月から、弘南バスの「土手町循環100円バス」が、大学病院構内に乗り入れているという。
土手町循環100円バスは、弘前バスターミナル→弘前駅→土手町→大学病院→市役所・弘前公園→弘前バスターミナルという片方向の環状運転で、10分間隔で運行されている。街の規模のわりには本数が多く、地元住民・観光客双方のニーズに応えた路線設定であり、利用者は多い。
従来は、他の一般路線バスとともに、路上のバス停に停車していたが、大学病院の新築・駐車場整備完了に合わせて、中に入ることになったようだ。
※逆光で撮影した画像が多く、見苦しい点をご了承ください。
病院前の通り。奥が弘前公園方面。100円バスは手前から奥へ走る
上の写真で、青い矢印が病院、赤い矢印が路上のバス停。バス停と病院の間は駐車場なので、若干距離がある。

路上のバス停付近には押しボタン式信号があるが、それを挟むように構内への出入り口があり、駐車場へ入る一般車両も100円バスもそこを使っていた。
弘前駅寄り(高度救命救急センター付近)が入口専用、公園寄りが出口専用となっていて、バスは時計回りに半周する形になる。
入口。左が高度救命救急センター、右が路上バス停

出口。ちょうど100円バスが出てくるところ
信号機がなく歩行者もいるから、バス運転士にしてみれば注意を払う箇所が増えたことになるが、見た限りではスムーズな運行だった。時間帯によっては道路が渋滞する箇所でもあるので、その時はどうだろうか。
構内バス停に停まる100円バス
ご覧のとおり、大学病院正面玄関のすぐ横がバス停。(掲示によれば、最近まで工事のため位置の変動があったらしいが、この位置で最終確定の模様)
それにしても立派な建物だ。弘大はハコモノがお好き。(地域医療の中核を担う総合病院なわけで、この建物が悪いと言うつもりはありませんが)
10メートルも歩けば玄関で、屋根が付いているからこれは便利
秋田大学医学部附属病院も、玄関からバス停まで似たような屋根が付いているが、いかんせん歩く距離が長い。
バス停のポール
バス停のポールは新品だと思われるが、「大学病院前」の文字が手書きっぽい黒文字。路上バス停は緑文字の活字だが。

見た時は、10人弱の乗降があった。時間帯による変動もあるだろうが、なかなか盛況だ。
ただ、病院に用のない人(=病院周辺に用のある人)もおり、外まで歩かないといけなくなった人もいた。
大学病院の次のバス停、市役所前までは350メートルほど離れており、一般路線バスよりもこまめにバス停を配置している100円バスとしては、バス停間の距離が遠い区間。制約もあるのだろうが、途中にバス停を新設してもいいかもしれない。

また、構内出入りにより、従来よりは若干、時間を要するようになったわけだが、特にダイヤが変更されたわけではないようだ。

以前も書いたが、100円バスだけを病院構内に乗り入れることについては、疑問を感じる。
・100円バスの始発が10時00分なので、通院患者の利用が多いと思われる朝は、構内への乗り入れがないことになる。
・100円バス運行エリア外の弘前市郊外・市外から来る人、一般路線バスで駅へ帰る人は、従来通り路上バス停を使うことになり、メリットがない。
これらの点への配慮も必要だと思う。
路上の大学病院前バス停(下り)。一般路線駅行きの上り側は離れた位置にあり屋根がない

100円バスのバス停変更の掲示

一般路線バス下り(駅から来る方)時刻表
時刻表を見ると、8時台に「藤代(藤代営業所)」行きだけでも6本も運行されている。おそらく、100円バスがない分の代わりに大学病院への足としての役目も担っていると考えられる。せめてこれだけでも、病院構内へ乗り入れれば、患者さんたちには喜ばれるのではないだろうか。

オマケ
病院正面玄関
なんと玄関の中に郵便ポストがあった!
駅の中ではたまに見かけるし、今はコンビニ店内にもあるが、病院の玄関というのは珍しいかも。


●始まりは3つのリンゴ
弘前大学構内に、10月中旬、リンゴに関する2つの記念碑が建立され除幕式が行われたことを知った(http://www.hirosaki-u.ac.jp/event/event_2011_10.html)。
1つは「島善鄰先生顕彰碑」で、農学部(現・農学生命科学部)創設に携わり、リンゴ研究に功績を残し、北大学長でもあった島 善鄰(しまよしちか)氏を称えるもの。建立場所は、文京町の農学生命科学部敷地内。
これは見ていないが、恥ずかしながら島善鄰先生のお名前すら存じ上げなかった。


そしてもう1つが、医学部敷地内に建てられたのだという。
医学部とリンゴ? いくら弘前といえども、どういうこと?
こちらを見に行ってみた。

まず、場所が分かりにくかった。
バス通りに面した医学部附属病院や保健学科(旧・医療技術短期大学部)ではなく、その裏の医学部医学科の校舎のある敷地の一角だった。
本町キャンパスの西端ということになり、市役所からまっすぐ南下し、弘前消防署の交差点を直進、「御菓子司 大阪屋」を過ぎた突き当りになる。
一角が公園風に整備されており、道路から出入りできる
僕は弘前と関わって長いが、この道を通ったのは、たぶん過去に1度しかない。まだまだ知らないことばかりだ。
この一帯が在府町。奥へ進めば朝陽小学校や寺沢川、新寺町に至るはずだが、通ったことがない

で、公園風の場所に入る。
右奥にまだ新しい石碑が
これは、
「リンゴ初生りの碑」
現在、津軽をはじめとする日本各地で栽培・消費されているリンゴは、「西洋リンゴ」というもので、明治になってから渡来した。
当初は、新しい果樹である西洋リンゴが、どのような気候条件に適するか分からなかったため、日本各地で栽培試験が行われ、結果的に津軽の気候に適していたため、今日のリンゴ一大産地につながっているのだということは聞いていた。

その試験栽培が行われ、初めて実を着けたのが、この現在医学部がある場所だったのだという。これは(これも)知らなかった。
この碑は、ここが(津軽において?)初めてリンゴが実った地であることを記念したものであり、そこが後にたまたま弘大の敷地になったのだろうから、直接的に弘前大学と関係のあるものではないことになる。
表面
碑の表は、3つの実を着けたリンゴの木とその当時のメモ的記録を活字化した文がデザインされている。
裏面は、赤い石に解説と10月14日に「国際リンゴフォーラム in 弘前」を記念して建立されたことが記されている。

裏面によれば、明治8(1875)年に「勧業寮」から苗木が配布され、明治10年に「弘前市相良町の山野茂樹邸内(現弘前大学医学部医学研究科敷地内)において、「紅魁」(原名「アストランカン・ルージュ」「山野早生」)三個が初生りした」のだそうだ。

補足すると、「勧業寮」は明治初期に農業の発展を推進した国の機関。
「山野茂樹」は元津軽藩士で、明治以後はリンゴのほか養蚕など津軽の農業の発展に尽力した人物。
「紅魁」は「こうかい」と読み、「明治時代における青森県りんごの7大品種」の1つだったという。7大品種で現在も栽培されているのは、紅玉と祝(=お盆に出回る青いリンゴ)くらいなので、紅魁は現在はほとんど栽培されていない(弘前市りんご公園にはあるようだ)。別名「山野早生」の由来はもちろん、山野茂樹。

そして、碑文によれば、初めて実った場所の地名は相良町。
だけど、地図を見る限り、碑が建つ場所自体は在府町だ。相良町はむしろ附属病院の方。
地図が間違っているのかもしれないし、そうでないとしてもいろいろ事情があるのだろうから、これ以上の詮索はやめておきましょ。
実の部分は穴が開いていて、奥の石が透けて見える構造
現在、青森県では毎年45万トン前後のリンゴが生産されているが、それはたった3つのリンゴから始まったわけか。

※次の青森の記事はこちら
コメント (2)
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ランチパック近況・たけやロゴ

2011-11-13 23:40:40 | ランチパック
たけや製パン関係の記事。
毎月恒例、「たけやランチパック」は、今月新発売の製品は未確認。※先月の記事
6月からの「本荘ハムフライ」、9月からの「ミートスパゲティ」、10月からの「カルボナーラ」は継続発売されている模様。

一方、昨年の今頃、本家ランチパックとたけやフレッシュランチで、ほぼ同時期に発売されていた「横手やきそば風」(フレッシュランチ版の記事)が、今月からヤマザキランチパックとして再発売されており、これが秋田でも売られている。
秋田県内で売られているものは、製造所固有記号が「TK」なので、たけやが受託製造していることになる。昨年は、ヤマザキ版とたけや版で、成分表示の量が微妙に異なったのだが、今年はおそらく同一なのだろう。
今月は、ランチパックの横手やきそばを再発売する代わり、フレッシュランチの新商品を出さなかったということなのだろうか。


これ以外にも、秋田で流通するヤマザキランチパックは増えている。比較的見かけるものを簡単にご紹介。
ポテトサラダ 仙台工場製
10月から発売。無難な組み合わせ。

なめらかカスタード/なめらかチョコクリーム 
11月から発売された、「なめらか~」2種。
どちらも秋田で買ったものだが、製造所固有記号に注目すると、カスタードは「TK」、チョコクリームは「KD」となっているから、たけや製パンと青森の工藤パンがそれぞれ受託製造していることになる。
秋田と青森で相互に供給しているわけだ

チョコクリームの中身
たしかになめらかでとろりとしている。カスタードの方も同じ。
おいしいといえばおいしいけど、単なるクリームパン、チョコクリームパンなわけで、ランチパックにしてはヒネリが足りないかな。

ブルーマウンテンコーヒークリーム
10月から発売の長い名前の商品。秋田県内で売られているものは工藤パン製造。
以前、コーヒークリーム入りのを食べて苦かった経験があるが、これはやわらかい味(?)で気に入った。クリームは上のなめらか~並みにとろりとしている。

工藤パン製造のランチパックが、秋田県にも来ているのを確認したのは、今回が初めて。
先月青森に行った際は、逆にたけや製造のランチパックのイチゴジャムが売られていた。受託製造分とはいえ、県境を越えて行き来するようになったようだ。



ランチパックについてはここまで。
7月に「ニューラスク」を取り上げた。
「中田製菓」が製造・販売しているのだが、なぜか秋田県内ではたけやブランドで販売され、商品裏面の販売者欄にはたけやの旧ロゴマークが表示されていた。同様に青森では、工藤パンブランドで流通しているらしかった。
 (再掲)たけや版
先日、青森に行った時、実物を入手。
工藤パン版
やはり、正面左上が「KUDOPAN」となっている。側面の「NEW RASUKU」など、他の部分は共通。
裏面のバーコード(JANコード)も工藤パンの製品としての番号。
工藤パンのロゴ
裏面の販売者表示は、
 (再掲)たけや版

工藤パン版
たけやと工藤パンでレイアウトが若干違い、製造者の「中田製菓」の書体も微妙に異なる。工藤パンの方は「株式会社」の「式」右上の点がない!
そして、

この一見すると「ユ藤パン」に見えてしまう、昔からのロゴ。現在は見かけないと思っていたら、公式サイトの最上部にしっかり表示されていた。(ただし「藤」が読みやすいクリアな文字)
日本語での社名表示としてまだ使われており、完全に廃止されたわけではないのだろう。


一方、「たけや製パン」のロゴは、新しい日本語ロゴがあるので旧ロゴは基本的には使われていない。
たけやのロゴ類が一新された1992(平成4)年5月から約20年。現在、旧ロゴを見られる数少ない場面は、上記ラスクの裏面のほかは、以下に紹介するアイテムくらいだろう。
それは、
これ
コンビニの前に置かれていたもの。
メーカーから小売店へ商品(パンや菓子)を納品するときに使われる入れ物(箱)だ。スーパーの「菓子パンどれでも98円」セールの時などは、これに入れたまま店頭に陳列されることもある。
おそらく誰もが見たことがあると思われる箱だが、名前は何だろう?

調べたら、「ばんじゅう」と呼ばれるそうだ。
製菓・製麺業界などでも使われ、「番重」という漢字を当てることもあるとのこと。
山崎製パンのサイトに掲載されている資料「Yamazaki 環境の取り組み 2008(http://www.yamazakipan.co.jp/company/kankyou/2008/kankyou2008.pdf)」17ページには、「ヤマザキは、創業当初よりパンの納品に繰り返し使用できる「番重」と呼ばれる容器を用い」とあるので、ヤマザキでは確実に「番重」と呼んでいる。
ちなみに、ヤマザキでは、古くなった番重を原料として新しい番重を作っている(マテリアルリサイクル)そうだ。

たけやの番重では、
旧ロゴがまだ現役!
旧ロゴの番重では企業名の「たけや製パン」ではなく、「たけやパン」と書かれていたのか。通称というかブランド名だったわけだ。
「すぐおかえし下さい」と書いてないのは、返さなくてもいいの?!
旧ロゴの番重でも、表面や印字の経年劣化具合がそれぞれ異なるが、どれも旧ロゴ時代に作られたのだろうから、20年以上は使われていることになる。

新ロゴの番重
新しいのは深さが浅い。こちらは「たけや製パン 専用」と表記。
なぜか左右でグレーの色合いが異なる。

もうしばらくは、旧たけやロゴが番重で見られそう。
※工藤パンについてはこの記事末尾
コメント (4)
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