goo blog サービス終了のお知らせ 

広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

柳原・古川添その後

2009-01-30 23:03:44 | 秋田のいろいろ
先日、秋田市卸町の県道と国道の交差点周辺の3つの標識類を取り上げた。同時に、「標識BOX」へメール送信していたのだが、その回答が来た。
同じ地点だが、担当部署が違うと思われたので、一括して受け付けてくれる国交省道路局へ送ったのだが、各セクションで回答したものを秋田県で取りまとめた回答だった。

まずは、有楽町方面から交差点に入った際の車線区分標識。規制標識なので県警本部の担当だ。
設置場所の状況や費用の検討、道路管理者との調整があるので時間がかかるとしながらも、できるだけ早期に設置するという趣旨の回答だった。
3件の中では、もっとも費用がかかるが必要性も高い件だと思っていたが、前向きな対応に安心した。
【12月8日追記】設置されたのを確認

次に、地点名表示の「柳原」は、県の管轄。「卸町」に変更してくれるそうだ。

最後の、県道側の信号機の地点名表示が、古い地名の「古川添」で、かつローマ字が表記が間違っていて、かつ国道側にはない点。意外にも県でなく国交省の対応だった。
僕としては「古川添」があまり知名度がない地名だと認識しているが、先方では「一般に使用されている」という見解で、名称変更はしないとのこと。国道側の設置にも触れなかった。
ただ、ローマ字表記は「Furukawazoe」のeをiに変更し、秋田市役所の見解と一致した読みの表示にしてくれるようだ。公的機関の間で読みが一致していないという矛盾は解消されるのでよかった。

僕1人の意見をほぼ受け入れてくれたのはありがたく、提案したかいがあった。言ってみるもんだ。
僕の納税額以上の出費をさせてしまうことになって、ちょっと申し訳ない気もするが、特に車線区分標識は、ドライバーの混乱、渋滞や事故の減少に多少なりともつながるはずなので、無駄ではないと思う。
現場に変化があれば、写真でご紹介したい。


以前も書いたけれど、皆さんも、道路などの不具合、矛盾、要望や提案があれば、どんどん情報提供した方がいいと思う。
子供・お年寄り・障害者などの事故防止、他の歩行者やドライバーの不安・不満の解消など、きっと役立つことがあるはずだから。
一応、連絡先をまとめておくと(URLは検索してください)、
・道路の不具合など全般→国交省道路局の「道の相談室」
・信号機関係→各都道府県警の「信号機BOX」
・標識関係全般→道路管理者に関係なく:国交省道路局の「標識BOX」
 規制標識:各都道府県警のの「標識BOX」
 案内標識:高速道路会社、国交省地方整備局、都道府県の「標識BOX」
ほかにも、各市町村などの道路管理部局で独自に受付窓口を設置している所もある。
事故に直結するような緊急・重大なものは警察に電話した方がいいだろうが、ちょっとしたことなら、きっとこれらの窓口が慎重に検討してくれると思う。
この続き(実際の対処)はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新屋の「門」

2009-01-30 19:57:53 | 
最近、橋 ―特に大きな川に架かる古めの橋― に興味が出てきたので、「橋」カテゴリーを作りました。

秋田市の南部を流れ日本海に注ぐのが、県内最大の河川、雄物(おもの)川。その河口から3番目の橋が、茨島地区と新屋地区を結ぶ「秋田大橋」(以前除雪状況を記事にしました)。1934(昭和9)年に国道7号線として開通し、2001年に架け替え、2003年に県道に移管された。今回は主に初代の橋を取り上げる。

今でこそ、秋田市内(旧雄和町地区を除く)の雄物川に架かる橋は4本あるが、昭和50年代までは2本、20年代まではこの秋田大橋だけだった。
新屋には僕自身や家族が勤めていた時期があるし、さらに先の動物園のある大森山、海水浴などへ出かける時によく渡っていた橋だった。そんなこともあってか、この橋を渡ると、独特の気分がした。
旧秋田大橋を渡る車内から
先代の秋田大橋は、「トラス橋」という、鉄骨を三角形に組み合わせた構造体で橋の重さを支える構造の橋で、同じデザインのトラスが6つ連なっていた。昭和初期の最先端の技術だったのだろうが、リベット(鋲)での接合、太い鉄骨、どっしとしたデザインが存在感があった。“秋田”大橋という名に恥じない立派な橋だったと思う。
今も現役の1つ下流の「雄物新橋」も構造上は同じトラス橋だが、秋田大橋の20年後、戦後の設計で、溶接の多用、細い鉄骨で全体として秋田大橋よりも繊細な感じで秋田大橋ほどの存在感はない。
僕にとって、秋田大橋は新屋地区への「門」のような存在感だったのかもしれない。
新屋側から(下の写真も)

6連のトラスがいかめしくも美しかった

今の橋は1997年に着工し2001年開通と工事に4年もかかったのに、先代は昭和7年に着工し、2年で開通している。現在の方が用地買収や交通規制で制約が多かったのかもしれないが、昭和初期にあんな長くて大きなものを2年で作り上げ、それが21世紀まで67年も現役であったことはすごい。設計・施工の技術水準や苦労が偲ばれる。

なお、東海地方の国道1号線などに、秋田大橋の“同期”といえる、同時期に架けられて似た構造の橋がいくつかある。これらの橋は、昭和初期の不況(昭和恐慌)対策の公共事業として架けられた経緯があるらしいので、秋田大橋ももしかしたら、そういう側面もあったのかもしれない。同時期に雄物川放水路の工事も行われていたし。

昔の白黒写真を見ると、トラスが白でなく黒っぽい色をしており、車道と歩道の区別がない。トラスの塗り替え時期は不明だが、歩道は1969年に後付けされたようだ【2017年5月15日追記・追記時のWikipediaには「角川日本地名大辞典」を出典として、歩道橋設置は「1976年6月」とある】。設計当時にこれほど車が増えるとは思わなかったのだろう、歩道を増設して対処した橋が全国的に多い。
橋本体の外側にくっ付けるようにして設置されたため、「揺れて怖い」と言う人もいたが、鈍感な僕は気にならなかった。雄物新橋よりは広い歩道で、トラスを隔てて車道から隔離されたようで、5分ほどかけて歩くのも嫌いではなかった。
その後、1981年に床板などの交換や補修工事、1990年に20トン車両の交通規制が行われるなど、老朽化が現れ始めるとともに、幅が狭く橋のたもとでの右折渋滞が発生したのも問題になり、架け替えが行われたようだ。

ちなみに上記の秋田大橋と同期の国道1号線の橋は、渋滞の原因として架け替えの要望が出ている所もあるが、具体的な架け替え計画がなく、塗装工事がされるなど当分現役として活躍できそうな橋が多い。
なぜ秋田大橋が早く更新されたのか。先代の秋田大橋もこれらの橋も国交省管轄だから、管理体制に違いはなさそうだ。おそらく、日本海側の河口近くだったのが大きな要因ではないだろうか。冬に風除けのネットが設置されるほどの強烈な季節風に70年近くもさらされ、さびやすい鉄が入り組んでゴツゴツした構造、傷みが早かったのだろう。(山形の最上川ではもっと短命の橋があったようだ)

かつて秋田市民の間では単に「大橋」で通じ(今は「雄物大橋」や「秋田南大橋」もできた)、架け替えを惜しまれながら役目を終えた先代の秋田大橋。国交省も写真や作文のコンテスト、ライトアップやたもとの小公園の整備などで古い橋を惜しんだ。


最後に秋田大橋の架け替え工事に触れておく。
仮橋は作らず、先代のすぐ下流に新しい橋を架けて取り付け道路を変更する工事方法だった。そのためか先代の578.4メートルに対し583.6メートルとわずかに長くなった。
幅は倍程度になり、交差点の右折車線と広い歩道が確保された。冬の海風を防ぐ透明板も常設された。初代の総工費62万円に対し、今回の架け替えは総事業費104億円(広報あきた2001年11月9日号より)とのこと。橋の形式はトラス橋でなく、小さな川の橋や高速道路の高架と同じ「桁橋」になった。
どれをとっても67年の時代の差を感じずにはいられない変化だ。

2000年10月から11月に工事の状況を何枚か撮影していた。
作業車が入れる「島」を作り橋脚を設置


新旧の橋はこんなに接近している。新しい橋の方が路面の位置がやや高い。

桁を伸ばして行く
工場で箱状の「桁」を作って、現場でつなぎ合わせる工法のようだ。
先代の橋の工事に比べれば、格段に楽だろう。プラモデルみたいな感じもしたけど。

雄物大橋や秋田南大橋もそうだが、トラス橋でなく単純な「桁橋」になってしまうことが分かった時は、ちょっとショックだった。土木技術の進歩と費用やメンテナンスの問題があるのだろうが、新屋の「門」にはなりそうもなく、ただの道路の延長のような味気ない橋になりそうで残念だった。

工事中は年度末になると一挙に進む気がして、役所の予算消化かと思ったが、そうではなく、日本の橋の工事は、雪解け水や洪水が起こりにくく、水量変化が小さい秋から冬に行うのが一般的なのだそうだ。

完成後、2年度かけて古い橋が撤去された。
ここから眺める太平山は美しい
歩道や欄干のデザインに一部配慮があったようだが、全体としては「秋田大橋」に名前負けしそうな、フツーの橋。
橋桁のエメラルドグリーンが工場から持ってきた部品のままの色なのが分かる。それにしても何でエメラルドグリーンにしたんだろう。完成予想図の1つに赤茶色のものがあったのだが、変更する事情があったのだろうか。

今生きている我々は、“3代目”秋田大橋を見る日は来ないだろうが、次の架け替えは、国でなく秋田県が設計・施工することになるのだろうか。どんな世の中になっていて、どんな橋になるのだろう。

※秋田大橋茨島側の手前には「小橋」もあるのです
先代秋田大橋が役目を終えたばかりの2001年の写真
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本荘

2009-01-29 18:20:01 | 秋田の季節・風景
(秋田から本荘までの羽越本線の風景はこちら
本荘(2005年に合併して由利本荘市)市街地の写真をいくつか紹介します。

海流と陸地や平野と山との地理的な位置関係によるものだと思うが、本荘は秋田市よりもさらに暖かく雪が少ない印象がある。しかしこの時は、秋田市と同じか少し多いくらいの積雪。秋田市内もそうだったが、冬の晴天できーんと冷えていて、北海道の道東の寒さを思い出させる。吹雪よりは快適で歩きやすい。

JR羽後本荘駅前の通り。

車道も歩道も雪がない。境目の雪山が盛大だけど、道幅が広いからそんなに邪魔でない。

市役所から子吉川の方へ向かう道(由利中央線というらしい)では市による排雪作業(除雪した雪をよそへ運び出すこと)が行われていた。

ここも駅前同様、車道も歩道も幅が広く、秋田市内(市道でも県道でも)なら排雪が後回しにされそうな道だが、小型乗用ロータリー除雪車2台が続行して雪山を崩し、さらにもう1台が続いてトラックに積むという本格的な作業形態だった。

この辺りは、裏道でもほとんどがきれいに除雪されていて、中心部の車道に関しては由利本荘市の除雪体制は悪くはない感じがした。

通りの突き当たりにピンクの本荘第一病院がそびえる。裏は子吉川。
ナミエツコさんの難病を治した病院。

この近くにショッピングセンター「ジョイフルシティ本荘」があったが、経営する大曲のヤマサコーポレーションが倒産して、昨年10月で閉店した。飲食店街もあり、本格的なショッピングセンターでそれなりににぎやかだったが、建物がまだそのまま残っていて、寂しい。ほかに近くには、本荘グランドホテルや本荘文化会館がある。
【2023年3月12日コメントいただき補足・ジョイフルシティは当初は「ファミリーデパート」という名だったらしい。】

この川沿いの道は幅が狭く、橋の架け替え工事も行われていて、雑然としているが、工事で歩道が通行止めならもっと手前から誘導表示をしてほしいし、歩道や路肩の除雪がなっていなくて歩きにくい。
ジョイフルシティがなくなったとはいえ、買い物や通院で歩いている人も結構いるのに。これを見ると、除雪状況は秋田市内とどっこいどっこいかな。

市内の路線バスは羽後交通のエリアだが、コミュニティバスの市内循環バスも走っている(運行は羽後交通に委託)。「ごてんまり号」といい、1時間に1本、運賃は(当初100円だったが)200円均一。本数や運賃はともかく、秋田市にもほしい。
御殿まりをあしらった塗装。
秋田市内でもよく見る“中型バス”と構造は同じだが、短くて2回りくらい小さく、マイクロバスを少し大きくした程度の車両。※この車両の後の姿はこの記事後半。
後ろが架け替えされる由利橋、さらに後ろの山が裸まいりが行われる新山神社のある山の続き。


第一病院の向かいの道案内。
案内板自体は、汎用品だろう。これの茶色とか黒いのが秋田市中心部にある。白地に青文字なのが見やすくて明るくていい。上には子吉川で盛んなボート競技のイラストが描かれている。

でも市役所とその出先機関名が「由利本荘市」でなく「本荘市」のまま。
忘れているのかお金がないのか知らないけど、この手のものは真っ先に修正されるのが一般的なのに、合併から4年もそのままとは珍しい。僕は「平成の大合併」反対派の地理マニアなので、このままでいいけど。

由利中央線沿いには、「イオンタウン本荘中央ショッピングセンター」があり、その向こうに色あせたジョイフルシティーの看板が見えた。ピンクの濃淡の差が両社の状況の差の象徴に見えてしまった。

ここには以前からショッピングセンターがあり、同じ年(1976年)に開店したジョイフルシティとしのぎを削っていた。
地元のスーパー「つるまい」が「サンプラザ本荘店」をオープンしたのが最初。1994年につるまいの経営にジャスコ(現在のイオン)が資本参加し、翌年つるまいなどが合併・社名変更の上秋田市に進出し、現在の「マックスバリュ東北」のルーツの会社が誕生。ここは同年に「ジャスコ本荘店」となり、2004年に同じ建物でマックスバリュ化、その後、立て替えて昨年に現形態となったらしい(参考元・wikipedia、マックスバリュ東北サイト)。

ジャスコ時代の一時期、ジャスコ本体の経営となった以外は一貫してつるまいの流れを汲む企業が経営しているようで、ある意味生粋の“地元企業”ではある。でも、昔のジャスコやジョイフルシティのようなショッピングセンターの代わりが、平屋建てのスーパーとドラッグストアとドーナツ屋などの集まりで、他の物は車で買いに行かないといけないという時代になってしまったのは、なんとも寂しい。本荘に限らず、秋田市でも全国各地の多くの街でも同じことだけれど。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽越の車窓

2009-01-28 23:02:21 | 秋田の季節・風景
所要で秋田県沿岸南部の本荘(由利本荘市)へ。秋田から羽越本線の羽後本荘駅までは42.8キロ、普通列車でも40分ほど。

秋田県内の鉄道路線の中でいちばん好きなのは、羽越本線だ。親戚が本荘にあるの僕は、幼稚園の頃、生まれてはじめて乗った鉄道が羽後本荘までの羽越本線で、その後も比較的乗る機会が多かったのが理由の1つ。ほかには秋田市内の街中を長く走り(奥羽本線は北は貨物駅のフェンスの中だし、内陸はいきなり田んぼになる)、国道7号線と並走する区間が多く、馴染み深いこともある。
そしてなんといっても、市街地から雄物川を渡り海が見えてくるという、車窓の変化が楽しい。数年前、JR東日本秋田支社初の女性運転士になった人も、子供の頃の鉄道の思い出として、インタビューに答えて同じようなことを言っていた。

今回乗った列車は、ワンマンカー。この電車は、車掌がいる後部の運転席は(ワンマンでは車掌がいないから)、運転機器のある部分を閉鎖した上で、乗客が立ち入ることができるようになる。
最後尾のガラスの前に立つことが可能。
ほかの乗客が少なかったこともあり、後ろで写真を撮ったのでご紹介します。

秋田の次、羽後牛島を出ると、正面(正確には真後ろ)に太平山がそびえて美しい。
秋田市中心部の方が、距離的には太平山にわずかに近いのに、このあたりから見た方が雄大に見えるのは不思議。
左が茨島、右が牛島の住宅地。

まもなく雄物川を渡る。

渡り終えるとカーブして太平山は見えなくなり、実質秋田市内最後の駅、新屋。

新屋を出てしばらく走ると、国道7号線と松林の向こうに海が見える区間が続く。
松林は「飛砂防止林」。海からの風で飛ばされた砂で線路が埋まってしまうのを防ぐためのいわゆる砂防林。新屋-下浜間に大正10(1921)年に植えられたものが、国内最初だそうだ。

下浜を過ぎたあたり。線路がやや高くなっていて、国道は見えない。
画質を調整しています。
横に目を向けると、この区間だけは複線なので下り線が見えるが、海の向こうの白いのは秋田湾越しの男鹿半島の寒風山。

後ろの窓から見ていると、海や岩城みなと駅隣接の道の駅の発電用風車などは、あまり見えない。側面の窓から見るのとはまた違った風景だ。

その岩城みなとを過ぎると国道と交差し、線路の方が海に近くなる。以前ここを通った時、ちょうど夕日が沈む瞬間で、すばらしい光景だった。

松の傾きが風の強さを物語るが、スカスカしている。「松食い虫」被害で枯れてしまっているらしく、この区間が特にひどい。


一部では、新しい苗木が植えられている。
冬にしては穏やかな海。

この区間を過ぎると国道と分かれてカーブして内陸に入る。
「砂の器」にも出てきた羽後亀田駅周辺は田んぼが多い。若干雪の量が多いようだ。
古い雪で硬くなっているが、少しは巻き上げられて水滴になってガラスに付き、外が見づらくなってくる。


羽後本荘に到着。ここで恒例の駅シリーズです。
跨線橋の階段。
矢印で示したように、ラミネートされた紙が下がっていて、「旧由利町民族史」から抜粋した、方言とその意味が「ごしゃぐ 怒る」といった風に書かれている。僕には一応本荘の血が入っているが、「もへたける 調子にのる」「もじゃね 幼稚なこと」とか知らない言葉もあった。

跨線橋を降りて改札までの部分。
本荘の特産、ごてんまりが飾られている。

改札の外、コンコースにも。
特大のごてんまり。

本荘市内を別記事で紹介します
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪景色さまざま

2009-01-27 18:15:14 | 秋田の季節・風景
まずは、1週間ほど前に記事にした秋田大橋歩道の除雪と破損した欄干について。国交省の「道の相談室」にメールをしたのが効いたのかどうかは分からないが、通りかかったところ、対処されていたのでご報告。

雪自体が融けたこともあるが、除雪跡の幅からして、歩道用除雪機が入ったようで、これなら不満はない。

渡らずに橋のたもとから写しただけなので現場では気づかなかったが、画像を拡大すると、破損した欄干の部分にコーンや警告灯らしきものが設置されたようだ。
これなら大丈夫そう。やればできるじゃないの。秋田県!
追記・でも結局最終的にはこの有様

ついでに秋田市中心部の県道。狭いながらも歩道がついていて、近くに小学校がある。雪が降った昨日、珍しく歩道の除雪が行われていた。

手押し式のロータリー除雪機(除雪はエンジン駆動だが自走しない小型タイプ)のオペレータのほかに、もう1人スコップを持った作業員が付いて、機械で処理できない細かい部分の除雪や歩行者の誘導などフォローをしていたようだ。
作業後は歩きやすくなったが、車道との間に「雪の壁」ができ、ガードレールのよう。


もういくつか、秋田市内の雪景色をご紹介します。
1月中旬から積もっていた雪は先週の高温と雨でほとんど融けたが、今週はじめは濡れ雪が降り、再び積もった。
秋田駅に近い、久保田城跡千秋(せんしゅう)公園。
二の丸から本丸に上る階段は、秋田市の委託を受けた市内の障害者福祉施設によって丁寧に除雪作業が行われていて、歩きやすいが、裏側の坂などは道がついていなかったり、ぬかるんだ場所もあるから、やはりそれなりの靴で行くべき。
いちばん上の本丸。松も先のサクラも濡れ雪が着いて真っ白。

二の丸の奥、胡月池。雪吊りがされていて、僕のほかにも写真を撮る人がいた。
墨絵のような世界。
ここに限らず、秋田で「雪吊り」を見かけるようになったのって、最近だと思う。昔はもっと重装備の「雪囲い」だったと思うが、金沢の兼六園を真似たのだろうか。

ところ変わって秋田市新屋の雄物川。秋田市中心部から見て雄物川の向こう側でなく、手前の「勝平(かつひら)」地区。
雄物川の河口から約2キロ、くだんの秋田大橋の下流600メートルほどの地点に「雄物新橋」という橋がある。“新橋”というけど、別の新しい橋ができて、秋田大橋が架け替えられ、このあたりではいちばん“古い橋”になってしまった。
その下の河川敷に毎年、冬になると雪山が出現する。

これは秋田市が設置する「雪捨場」。つまり、私有地に積もった雪を捨てていい場所。
秋田市のサイトによれば、今年は市内各所に6か所あるが、うち3か所は昼間のみで一般家庭専用(わざわざ運んで捨てる家は多くないと思うけれど)だが、ここを含めた3か所は24時間雪捨て可能で主に「大型店舗やパチンコ店など」のためだそうだ。
ちなみに、雪捨場以外の例えば川などに雪を捨てると、流れをせき止めるなど被害が出る恐れがあるので、やってはいけないことになっている。
“丘”に見えるけど全部雪です。
ひっきりなしにいろんなトラックがやってきては捨てていく。
オレンジ色の「ドーザ」などの作業車が常駐して、捨てていった雪をならしているようだ。
5台が集中!
雪の中のゴミは取り除いてから捨てる決まりになっているが、完全に除くのは無理だろうし、土や砂もどうしても混ざってしまう。春の後片付けが大変そう。
追記・3月上旬のようすはこちら

再び中心部に戻って、竿燈大通り。

歩道のロードヒーティングが効いていないのか、若干雪が残っているが、歩くのに支障はない。車道はもちろん雪なし。路肩の雪山だけが冬らしい光景。

一方、そこから裏通りに入る、片側1車線の道。

除雪がされていない上に、気温が高いため融けてざくざくした雪。そこを車が通るので、わだちができて、ぐちゃぐちゃ。積雪量としてはそれほどでもないが、人も車も通りにくい。

そして明日は、秋田の冬には珍しい晴天。朝は放射冷却でかなり冷え込むようだ。
そうなるとこの状態のまま凍りつき、洗濯板みたいな路面になりそう。また違った意味で通りにくくなり、かなり神経を使う歩行・運転が要求される。
雪景色も雪国の冬道も日々刻々と変化していく。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年の船

2009-01-25 20:49:53 | 秋田のいろいろ
※2月23日の「財団法人少年の船協会」関連の報道後、何件か「少年の船」で検索して本ページを訪問いただいていますが、本記事は秋田の民放テレビ局がかつて実施していた団体旅行「AKT少年の船」についての記事であり、同財団とは関係ありません。
※この記事に画像はありません。ご了承ください。

土曜日曜午後の民放テレビは、秋田ではTBSのドラマかテレビ東京の番組が多い。青森ではフジテレビのドラマを各局同時に放送することもあった。放送局にとってはいい“時間潰し”なのだろうか。

1月24日土曜日の13:30から1時間、秋田テレビ(フジテレビ系、AKT)で「なつかしの扉を開けて~AKTアーカイブス~」という新企画が放送された。名前からして「NHKアーカイブス」を髣髴させる番組だが、僕はこの手の古い番組が好きなので、見た。(以下、見た記憶で書いているので、間違いがあるかもしれません)

今回は昭和55(1980)年放送の「第1回AKT少年の船」の同行番組だった。

秋田にずっと住んでいる20歳代以上の方はご存知かと思うが、先に「AKT少年の船」をご説明する。
秋田テレビが主催し、県内の小学校高学年から中学生を対象とした、グアム・サイパンへの船による団体旅行。秋田は冬休みが長いのを活かして、年明けから冬休み明け頃まで10日ほどの日程の企画で、「真冬の秋田から常夏のグアム・サイパンへ」というキャッチコピーだった。
今回の番組によれば、1980年から日本海中部地震による中断(2回?)を経て、18回行われたと言っていたと思う。
僕は行ったことがなく、クラスに行った人がいれば珍しいなという感じだったが、旅行中の同行アナウンサーによる「少年の船だより」や終了後の特番が前編・後編・総集編と3回に渡って土曜の午後に放送されたり、「♪世界の旅だ 世界の旅だ~ AKT~ AKT~ 少年の船~」というテーマ曲が記憶に残っている。

番組の内容は、スタジオトークを交えて、昔の番組を流すという、土曜午前の「NHKアーカイブス」によく似た構成だが、余計なものがなく、これでいい。
スタジオ(というか副調整室?)は司会の管アナウンサーと男性2人。1人は当時の参加者指導の責任者の大友康二氏(後述)だが、もう1人が数年前までAKTのアナウンサーだった、塩田耕一氏。久しぶりにお見かけしたがお元気そうで懐かしかった。塩田さんは、今回だけのゲストなのか、(今後も放送があるとすれば)昔のAKTを知る人物としてのレギュラー扱いなのかが気になった。

番組の中身は、まず画質が古い家庭用ビデオ程度でかなり悪い。
もう1つ懐かしいのが、同行取材とナレーションが塩田さんと並ぶ、同社の古参・鈴木陽悦氏(現参議院議員)だったこと。白髪の印象があるが、まだ黒々としていた。

以下、気付いた点。
・行きは晴海発で帰りは仙台着。秋田と発着地はバス移動。
→東京まで15時間。当時の子供にしてみれば、これだけでも大旅行だ。末期は発着とも仙台だったはず。
・船は「さくら丸」→末期は「おりえんとびいなす」などが使われたはず。
・参加者約800人→団塊ジュニア世代が参加対象になるかどうかという時期。
・引率者40名。県内各地の学校の先生が集められ、参加者の指導にあたった。
その責任者がゲストの大友氏。下見できる遠足と違い、船や海外という場所で、初対面の子供たち相手というでぶっつけ本番で緊張したそうだ。
→当時の先生たちの交流は今でも集まることがあるそうで、最近行われた宴会の模様が映っていた。
・参加者の服装などが今と違うが、受け答えはしっかり。
→「ちびまる子ちゃん」のハマジみたいな風貌の子がたくさんいたが、特に中学生くらいの女の子などは皆、陽悦さんのインタビューにしっかりとした口調・敬語で答えていて、今のようにマセていないものの大人っぽかったのが意外だった。
・帰りに船上で盲腸患者発生。同行医師が手術が必要と判断し、自衛隊岩国基地から飛行艇が出動し、緊急輸送。
→飛行艇の着水、仲間に声を掛けられながら搬送されるシーンなど貴重な映像だ。大友氏の話では、この湯沢の中学生は現在会社社長をしているらしい。
・少年の船の歌がいい→「海を越え 波を越え 国を越え」だったか歌詞もメロディもきれいな歌だ。

ゲストの大友康二氏は、ネットで調べたところ、75歳位で大町(川反)の「東海林太郎音楽館」館長をされているようだが、教員時代は小学校教諭、教育庁関係の管理職、高等学校長などを歴任され、県内各地の学校の校歌の作詞もしているようだ(少年の船の歌の作詞もそうだった気がする)。音楽か国語の先生かと思ったが、教育庁保健体育課長もされたようなので、体育の先生かもしれない。ともかく広い分野に造詣の深い方だ。※大友氏については、この記事中ほどにて

もう1つ、今回の番組で感じたのは、字幕の少なさ。時々地名が手書きテロップで入るほかは、「映像だけの映像」と陽悦さんのゆっくり目のナレーションで、映像状態が悪いものの落ち着いて見られた。「AKTアーカイブス」と「アナログ」のテロップがずっと出ていたのさえ目障りに感じてしまうほど。
耳が遠い人への配慮もあるが、それにしても今のテレビ番組は字幕が多すぎてうるさいと改めて思った。

次回の放送があるのかは分からないが、身近な秋田の昔が分かる番組は貴重でおもしろいので、期待したい。
【2月28日追記】月1回の放送で、2月28日15:30から2回目が放送された。
今回は1973年放送の「クボタ民謡お国めぐり」の第1回。民謡王国秋田のAKTが製作し東北6局にネットしている、現在も放送中の民謡歌番組。
今回も副調整室から管・塩田コンビの司会で、当時三味線奏者として出演した現在の秋田県民謡協会の理事長がゲスト。当時の番組は、20代後半の塩田氏と女性(アナウンサーか?)2人の司会だが、“漫才マイク”1本に向かって話していて、夫婦漫才みたいだった。よそよそしいような独特の言葉づかい・言い回しが時代を感じる。カメラ2台、録画ながらも編集ができず苦労したそうだ。クロマキー(画像合成)やその応用と思われるエコー画像(三味線奏者の姿をモノクロで何重にも重ねていた)も使われていて、当時としてはがんばっていたのだろう。
次回予告がなく、直前にならないと放送内容が分からないのが難点だが、AKTアーカイブスはなかなかおもしろい。

【2014年2月11日追記】その後、ちょっと調べて分かった、その後のAKT少年の船の情報。
・「少年の船の歌」は作詞:大友康二、作曲:菅原良吉(ほかにも、このコンビで秋田県内の校歌などがいくつか作られている)【2018年3月24日補足・菅原氏は中学校の音楽の先生だったそうで、大友氏と友人で2018年時点で既に故人】
・少なくとも1999年の第18回までは行われた。
・船舶は「ニューゆうとぴあ(1994年)」→「おりえんとびいなす(1996年)」→「にっぽん丸(1998年)」と変遷
・1990年台後半は、ローカルタレント(15・16回? は石垣政和、17回は「特別講師」の肩書きでブラボー中谷)が同行したり、乗船前に船の科学館(2011年で本館展示休止)やキー局であるフジテレビの新社屋(1997年に台場へ移転)を見学したりといったことが行われた。この頃の参加費は1人25万円ほど。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古川添

2009-01-24 11:52:57 | 秋田の地理
「柳原新田」周辺の記事を続けます。
通称有楽町から秋田サティの前の県道を通り、太平川の太平大橋を渡ると、(僕にとって鬼門である)国道13線との交差点。
信号機の地点名(交差点名)表示には「古川添」とある。

「古川添」は、地名と思われるが、僕はこの交差点名以外では聞いたことがない。(前回触れたように)ここの地名は「卸町」で、平成2年までは「柳原新田」だったと認識していた。
そこで今回も秋田市の「地名小事典」で調べると、「柳原新田」時代のこの辺り(現在の卸町一~三丁目)の小字が「古川添」、つまり「柳原新田字古川添」だった。前回の「柳原」同様、現在の地名と一致していない。

ちなみにもう少し南、猿田川を渡って羽越本線辺りまでは「字古川端」だったようだ。「古川」といえば、少し離れた御野場・仁井田地区を流れて牛島で猿田川に合流する用水路のような小さな川だから、ここはむしろ「猿田川添」「猿田川端」の方がしっくりくるが、それは現代の話。江戸時代から戦前にかけて、この辺りは自然・人工的な流れの変遷が激しく、かつては今とは別の「古川」と呼ばれる流れがここにあったようだ。


信号機の地点名表示は、前回の道路番号表示の地名表示の「柳原」とは異なる性格の表示だと思われ、ランドマーク的な施設や企業名(八橋一里塚、北都銀行本店前など)が使われることもあり、その方が分かりやすい場合も多く、現地名と一致していなくても間違いとは言えない。でも「古川添」は交差点名にするほどの知名度がない。
この信号機は秋田県内でも早い時期にLED式に替えられたが、まだ10年は経っていない。交差点名の表示もフォントや取り付け方(電柱に直接)からして、その時に新しく付けた雰囲気だが、すでに消滅した知名度の低い小字名をあえて使う理由があるのだろうか。更新を機会に「卸町」とか実状に即した内容にしなかったのはなぜだろう。

ここで気付いたことが。
秋田市の地名小事典では町名のよみがなも表記してくれている。
画面のコピー
赤線を引いたように「ふるかわぞ」だそうだ。

一方、信号機の表示。ローマ字に注目。
「Furukawazoe」つまり「ふるかわぞ」。

「い」と「え」で一致していない!! →修正してくれるとの回答がありました
今はともかく、かつては正式な地名だったものに、複数の読み方があるわけない。
どっちが正しいんだろう?

気になったので、地名小事典の担当課、秋田市地域振興課へ伺ってしまった。秋田市にとっては住居表示実施で過去帳入りの地名。それを蒸し返すようで面食らってしまった質問だっただろうが、ご回答頂けた。
「以前、地元への聞き取り調査で『い』であることを確認」「住居表示実施時にも『い』を採用(つまりこれが地名小事典の内容)」しているので、秋田市としては『い』を採用という趣旨だったが、「イとエは発音があいまいだから・・・」とどちらが正しいかの判断はできかねるという見解だった。

確かに秋田人の発音ではイとエが分かりにくいが、秋田市の地名を管轄するセクションの判断で、かつ地元民に聞き取りしたということで、筋が通っており、「い」が正式だと個人的には思う。


では「え」を採用した信号機の表示はどこの担当なのだろう?
信号機自体は警察(公安委員会)管轄だが、国交省出先機関のサイトなどを見ると、道路管理者と警察が協力して地点名表示を設置している所があった。確かに地名表示は案内標識の一種と考えれば管理者の管轄だろう。「古川添」は2桁番号の国道と県道の交差点なので、国交省と秋田県だ。
現場の信号機を見て気付く。上の2つの写真の「古川添」表示付きの信号機は、県道側のもの。国道側の信号機は下の写真。

同じ型だが、国道側には「古川添」の表示がない。
したがって県道側の「古川添」は県道の管理者の秋田県が設置したと考えるのが良さそう。
また秋田県か・・・(僕の憶測です。県には問い合わせをしていなので、「え」が正しいという言い分があるかもしれないので、不公平かもしれませんが)
※実際には国交省の管轄のようでした。この記事はこのままにしておきますので、こちらを参照してください


「古川添」以前の問題として、県道にあるのに国道に地点名表示がないのもおかしな話。
国道を遠くから来た人が「秋田市中心部に入るには『古川添』を曲がって・・・」という情報を持っていても、これでは見落としてしまう。むしろ国道にこそ表示が必要。
横の連携が取れていない縦割り行政の典型。
【8月30日追記】国道側は別の場所に表示がありました

※以下は秋田県への批判です。
県道に地名表示を設置してくれるのは親切だけど、その前にちょっと地図を開いて現地名を確認するか、市役所に問い合わせれば、こんな間違いはないし、国交省に「一緒に設置しない?」と声を掛けてやる(断られたのかもしれないけど)ことぐらいしたらどうなんだろう。
以前記事にした、除雪体制分かりにくい車線表示なくなった地名をさらに省略した表示、そして今回。どれも秋田県が大きく関与する道路だ。不親切で、道路利用者の立場になっているとは思えない。
700億円の地下自動車道に比べれば、何千万分の1の手間と費用で済むのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳原

2009-01-23 18:01:08 | 秋田の地理
前回に続いて、秋田サティ・卸町周辺のお話。
秋田市民に「柳原ってどこ?」と聞いても、どのくらいが答えられるだろうか。
実は秋田市にそのような地名は存在しない。ただ、2つだけ「柳原」表記が見られる。

その1つ、秋田駅発の路線バスの新屋行きと秋田南高校・御野場団地行きには「柳原」経由という路線がある。
分かりやすくいえば東部ガス前・秋田サティ前経由(有楽町から太平川を渡り前回取り上げた交差点を新屋線は直進して卸町、御野場団地線は左折して国道13号に進む)。

「柳原経由」は旧秋田市交通局時代の表現を中央交通が引き継いで使っているが、市営時代から車内放送では「柳原」は使わず御野場線では「卸センター入口経由」、新屋線では「卸センター経由」と案内していたと思う。
行き先表示機は(上の写真のようなLED式は別として)文字配置の都合や交換作業の問題で「柳原」を採用しているのだと思われる。

では「柳原」とはどこなのか?
しっかり調べたわけではないが、少し時代をさかのぼっても、「柳原」という地名は秋田市にはないようだ。しかし、卸センターのある卸町の辺りに「柳原新田(やなぎはらしんでん)」という地名が最近まであったのは、僕も覚えている。

からみでんの時も参考にした、秋田市地域振興課サイト内「地名小事典」は、住居表示実施に伴う旧町名と現町名の対照表などが掲載されており、面白い。
それによれば、現在の卸町から茨島(ばらじま)一帯がかつては「柳原新田」という大字で、昭和39年の「茨島」、42年の「牛島西」発足で段階的に縮小、平成2年の「卸町」の住居表示実施で完全に名前を消したようだ。
最後まで残った卸町付近のみならず、太平川や雄物川に囲まれた広大な範囲が「柳原新田」だったことになる。

さらにさかのぼって「日本歴史地名大系第五巻秋田県の地名(平凡社)」によれば、享保15(1730)に10軒からなる「柳原新田」集落があるとの記録があり、「角川地名大辞典」によれば、開墾したのは武石安左衛という人。牛島村の枝村で、明治22年に河辺郡牛島村になったとある。(その後、牛島村は牛島町を経て大正13年に秋田市と合併し、現在の秋田市牛島)

よくあるのは「○○村」の人たちが新たに田んぼを開墾すれば「○○新田」になることが多いので、ここも「柳原村」から派生したのかもと思っていたが、それだと牛島がルーツだから“牛島新田”になってしまう。「柳原」の由来は分からなかったが、地名としてはあくまでも「柳原新田」であり、バスの表示は省略して「柳原」になっているのだろう。


ところで、国道13号線との交差点から有楽町に向かうのが、前回も扱った県道28号線。交差点と太平大橋の間に、ラウンドワンスタジアム秋田店(スーパーランドヤマトが大町に移転前はここにあった)がある。
その道端の標識に、バスに続く2つ目の「柳原」表記があった。
県道番号の下の地名を示す補助標識
公式な標識なのに「現在は存在しない地名」を「省略して」表記していることになる。少なくとも20年近くこのままだったのだろうか。
法律上、このタイプの標識は、「地名」を表示することになっているようだ。「地名」の定義があいまいだが、消えてしまったものをさらに省略したものが「地名」といえるだろうか。地図を見ながら初めてここを通った人が、この標識を見て、「柳原」で探しても現在位置を把握することは不可能なのだから(サティとかランドマークが多いので実際の問題はないけど)。

地理マニアとして、秋田市民として、歴史を背負った「柳原新田」の地名が消えてしまったのは残念だが、消えてしまった以上、この標識のように公的機関が公式な表記に使うのは混乱を招くと思う。「卸町」に変えるべきではないだろうか。→修正するとの回答をもらいました


ちなみに、秋田では柳原と書いて「ヤナギラ」さんと読む姓があるが、この地名は「ヤナギラ」。そういえば、現在ラウンドワンのCMに出ているのが柳原(ヤナギハラ)可奈子。読みを迷ったら彼女を思い出すといいかも。

あとでもう1つ、柳原新田関係の記事を書きます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼門交差点

2009-01-22 13:20:11 | 秋田の季節・風景
たまに車を運転すると、なぜか秋田市の通称有楽町から国道13号線にかけての「県道28号秋田岩見船岡線」(「南有楽町通り」という愛称もある)を通ることが多い。そしてある場所に来ると混乱させられ、僕にとっては“鬼門”。

順を追ってご説明(写真は歩道から撮影しています)。
有楽町を過ぎて片側2車線になって東部ガス秋田支社前。渋滞気味のことが多い。
東部ガス前から撮影
手前の青信号は、東部ガス前の右折すれば旭川を渡り旭南地区へ向かう丁字路。
先の赤信号がサティ前の十字路。右折でサティの敷地。左折で楢山地区の住宅地。
さらに先が太平川の「太平大橋」で、青い→で示した案内標識の少し先が国道13号線と交差する十字路。

ここで上の写真の2つの赤い○に注目。2つとも同じ内容の「進行方向別通行区分」という規制標識だ。サティ前の交差点での車線区分を示している。
右折車線があるので、2車線から3車線に増える通行量の多い地点とはいえ、住宅地や公道でないサティの敷地へ右左折する車自体はそれほど多くない。そんな交差点に2枚も同一の標識を設置するとは、親切。

サティ前を直進し、橋の上へ。国道13号線と交わる「古川添」交差点(この交差点名には後日触れます)が見える。
太平大橋の上で撮影
写っている案内標識が最初の写真の青→で示した案内標識。
ここは、確か3車線か4車線になっているが、僕はいつも、ここで直進しようとして、左折レーンに入ってしまう。

この交差点は、県道をそのまま直進するよりも、右左折して国道に出る車の方が多いと思われ、円滑な車線変更が要求される場所だと思う。
2枚の写真をご覧いただければ分かるように、この交差点には「進行方向別通行区分」の標識がなく、路面の白線矢印しか頼るものがない。頻繁に通る方には常識だろうし、よく考えれば、左折矢印信号が出るから、直進と左折が同じレーンなわけはない。
とはいえ、初めて通る人もいるし、頼りの路面の矢印表示は積雪時やこの車の量では見えなかったり見落としがち。

手前のサティ前の交差点の通行区分標識(最初の写真の赤○)が頭に残って、左車線でも直進もできると思い込むというか刷り込まれてしまうのもあると思う。

ともかく、車線区分が重要な地点なのに、レーンが分かりにくい交差点だ。
ほとんど右左折車のない手前の交差点に2枚も通行区分標識があるのに、車線変更を必要とする車が圧倒的に多い大きなこの交差点にないのは不親切。
つまり解決策は簡単、ここにも「進行方向別通行区分」標識を設置すれば済むお話。2枚が無理なら1枚でいいから。
法律(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令)では「(進行方向の区分が指定されている道路の)必要な地点」に設置できるようなので、問題はないはず。こういう交差点にこそ設置するべきだ。

ずっと前から気になっていたのだが、先日、標識類の改善要望を受け付ける「標識ボックス」に要望を出した。標識ボックスは、国交省各地方整備局・都道府県・都道府県警などと各担当部門別のものもあるのだが、今回は、おそらく警察管轄の規制標識だが、車線は管理者の県も関係し、国道との交点でもあるので、部門に関係なく全国の要望を受ける、国交省(地方整備局でなく本体の)のボックスを利用した。どう対応してくれるだろうか。→回答が来ました


前にも書いたが、道路利用者として納税者として、直してほしいことはどんどん知らせるべきだと思う。
身近な者だからこそ気付く点もあるし、交通事故や無用な渋滞を減らす一助になることだって少なくはないはずだから。

近いうちに「秋田の地名」カテゴリーで、再びこの周辺を取り上げます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堤防で

2009-01-21 18:02:52 | 動物・植物
郊外の、とある川の堤防。遊歩道になっているが、冬は歩く人がほとんどいないようだ。でも雪は風で飛ばされて少なく、積もった雪も硬くなっていて、歩きにくくはない。
雪の上の足跡が少ない。
写真を撮りながら歩いていると、向こうから人が来た。肩に何かをかけていて、遠目には三脚を持っているように見えたが、
すれ違うときに見るとそれは鉄砲だった!!
秋田県では1月まで狩猟期間。場所や日付(獲物の対象によって終了日が違うらしい)からすると鴨を狙っていたのだろうか。

もちろん、免許保有者であり、河川敷外に向けて撃たないなど、規則を守っているだろう。その人の歩いていった先は民家が少ない場所なので、問題はないはず。
でも、堤防の外側のすぐ下は田んぼとはいえ、農村の集落や新興住宅地も遠くない場所で狩猟が行われているのと、間近で実弾が入っているであろう銃を見たのは初めてなので、ドキドキした。しばらくしてから、パンと発砲音がした。何発も撃つのではないようだ。


ある集落の近くでレンズを換えながら立ち止まって撮影していると、遠くから「カラカラ」というカウベルのような音が近付いてくる。
ハンターの次は何が来るのかと身構える。
堤防上をやってきたのは牛ではなく、

カウベルを下げた犬登場!
しゃがんで犬と視線を合わせると、足を速めて接近。


敵意はないようで、「何してるんだ?」といった感じで僕の匂いをかいだりしてうろうろ。頭をなでてやると、そんなにうれしそうではないが、一応しっぽを振る。
痩せてやや汚れているいるが、活発に動いて目もきれいで元気そうだから、野良や捨て犬でなく放し飼いなのだろうか。見慣れぬヤツがいるから暇つぶしに見に来たのかな。
この日は朝から雪も雨も降っていないのに、なぜか全身が濡れている。雪の上を転がっていたのか、それともラブラドールレトリバーに似ているので、水が好きで冬の川に入った?
写真を撮っているのが分かったのか、Uターンしてカラカラと音を立てて戻っていった。
撤収

僕はもうちょっと先まで行って撮影してから、戻って帰る。すると、
耳をパタパタしながら再登場!!

集落の方をうろうろしたりしながら、「お前まだいたのか」といった感じで近寄って来て、また戻って行った。
それほど交通量は多くない場所だが、車と鉄砲に気をつけて!

このブログ初めての犬(動物園のオオカミを除く)のお話でした。
E-520で犬を撮ったのも初めてだったけど、走って近付く犬ぐらいの速度なら、ピント合わせが充分間に合うことが分かった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いちご味・柚子味

2009-01-20 17:39:43 | 秋田のいろいろ
秋田市大町の秋田ニューシティから向かいのADへ移転することになった、スーパーランドヤマト。(以前の記事はこちらその続報
移転セールが始まったようで、チラシが入ってきた。
勝手にスキャンしました。
秋田市共通ポイントカード「ほっぺちゃんカード」やヤマト独自のポイントカードも使えるが、気になる案内が。

2月で使えなくなるようだ。店内の説明を読んでないが「移転に伴う閉店のため」使えなくなるとのことだけど、「移転後はまた使えるようになる」のか「もうずっと使えなくなる」のかよく分からない。ポイントが中途半端にたまっている者としては、数百円分とはいえちょっと不安。

そしてこちらも先行きが不安なベーカリーだが、今回のチラシで特売が出ていた。

あの幻のクリームパンなどが2日間限定99円とのこと。


今回は、季節ものの新作パンをご紹介(10日ほど前に買ったので、今も発売中かどうかは不明)。


まずは右の「柚子蜂蜜あんぱん」(特売で105円)。

僕は柚子味のあんこが好きなので、なかなかおいしかった。

そして、形からして春らしい「いちごのパン」(136円)。

赤いパンにチョコの種と、ヘタを付けている。ヘタがややクッキーっぽくサクサクして好き。中身は、
クリーム入り。
イチゴなのか、ちょっとヨーグルトっぽい感じもする、さわやかなクリームだった。

ほんとうにAD移転後はどうなるんだろう。夏に売られていたモモとかスイカのパンはもう食べられないのだろうか・・・
【追記】次の記事はこちら
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いも味

2009-01-19 17:38:29 | その他もろもろ
最近、チョコレート菓子のキットカットは期間・地域限定でいろんな味のものを出している。結構当たり外れがあって、数種類しか食べたことがなく、甘いもの好きの僕としてもちょっと・・・という味もなくはない。

好きなのは、冬の定番「ホワイト」と昨年秋に出ていた「マスカット・オブ・アレキサンドリア」(ブドウ)。「夕張メロン」もよかった。
最近出ている、「おしるこ」は井村屋とのコラボで小豆や米パフを使っているが、あんことチョコの相性がイマイチだと思う。「ゆず」もそれほどでもなかった。キットカットのチョコは甘さが強いので、和風素材とは合わないのだろうか。
入れ替わりが激しく、昨年「ほうじ茶」というのがあって食べたかったのだが、見かけなくなった。

先日、スーパーに行くと、昨年末発売の新商品が安く売られていた。禁断(?)の和風素材だが、新商品と安売りに惹かれて購入。
大学いも味
この時期「きっと勝つ」とかけたキャンペーンを展開しているが、「大学」も意識した商品展開か?

「なると金時(サツマイモの品種)」パウダー、しょうゆパウダー、黒ゴマパウダーをウエハースに入れて、さつまいも風味のチョコレートでコーティングしている。
ホワイトチョコよりは黄色い
開封するとスイートポテトみたいな、洋風いも菓子系の匂いがする。
味は和風キットカットにしては、かなりいい。ホワイトチョコっぽいさつまいもチョコがおいしいし、しょうゆパウダーがほのかに甘しょっぱくていい味を出している。キットカットにしては甘さが柔らかな気がする。
秋田の角館の醤油屋さんと湯沢のお菓子屋さんのコラボで、醤油ソフトやマカロンを売っているが、それがなぜかカラメルのような味がするように、醤油と洋菓子は使い方次第では、うまくやっていけるようだ。
僕の味覚ではゴマの味はほとんどせず、ホワイトチョコのクリーミーな味も結構したので、「大学いも」味かどうかは微妙だけど。でも、また買ってもいいと思う。

キットカットは商品ラインナップが乱立していて、スーパーでも全商品置いているわけでもなく、公式サイトでもよく分からない。
製造元の国際企業ネスレは、キットカットも世界展開しているようだ。「きっと勝つ」や大学いもは海外では通用しないけど、ホワイトとか果物味くらいは世界展開できそうだが、日本限定なのだろうか。
ちなみに日本ではかつて不二家が発売しており、現在はネスレと不二家の合弁会社「ネスレコンフェクショナリー」から発売されている。スライム型の「ハーシーキス」が日本でもおなじみのアメリカのハーシー社は、アメリカ国内でのキットカット販売に関わっているらしい。普通の茶色い製品も、国によって味が違うのかもしれない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道路管理

2009-01-18 17:12:53 | 秋田の季節・風景
先週は雪が多く、秋田市でも積雪が30センチを超え、今日正午でも26センチある。
しかし、秋田市内は久しぶりの青空になり、気温は5度を超えるようだ。この後、雪でなく雨が降るらしい。
秋田市中心部の住宅街の裏道。
色は薄いが青空と、雪の上の日なたと日影のコントラストが春のようでうれしい。ここは交通量が多くなく、除雪もヘンに手が付けられていないので、あまり滑らず雪国の人なら苦労せずに歩ける状態。
しかし、車がそれなりに多い通りは、雪が融けて凸凹になり、除雪によってツルツルになったりで危険。氷点下よりも、こういう融けかけの方が人も車も滑りやすくて怖い。

所変わって、以前、秋の風景を紹介した、雄物川堤防
左奥が秋田南大橋。
右下の道路はアスファルトが露出するほど除雪されている。堤防上の歩行者道も普段は散歩する人が多くて、「金八先生」が歩く荒川のような雰囲気なのだが、この雪をかき分けて歩く人はいないようだ。堤防下の道にもちゃんと歩道がついているから、景色はよくなくても、皆そちらを通っているらしい。

新屋地区と茨島(ばらじま)地区を結ぶ秋田大橋を歩いて渡る。
新屋から茨島のスーパーなどへ買物に行くなど、昼間はそれなりに歩行者がいる。2001年に新しい橋に架け替えられ、歩道も広くなったが・・・

ひどい除雪状況。なんとかすれ違える幅しか道が付いていない。
歩道用除雪機なら、もっと深く、幅広い跡になるはずなので、おそらく道路管理者による除雪ではなく、心ある誰かが雪ベラで道を付けてくれたのか、何人もの通行人によって踏み固められたのかだろう。車道はまったく雪がないだけに、格差を感じる。そんなわけで、
車道を通る自転車もいて危険。
橋でない所なら、住民が自宅前だけボランティアでやってもいいかもしれないが、秋田大橋は全長583.6メートル、歩道は両側にあるから、総延長1キロ超。ボランティアなどでは無理。しかも橋の上は凍結しやすい。ここを車のみならず歩行者も安全に通れるようにするのは道路管理者の義務ではないだろうか。
※追記・後日対処されました。こちらで取り上げています

さらに、

欄干に車が突っ込んだらしい。雪に跡がなかったから、積雪前に事故があり、放置されていることになる。
後ろの透明な板は、海からの風除け。これがあるからまだいいものの、雪で転んだ歩行者が川へ転落する危険だってある。修理できないのならロープを張るなど応急処置してほしい。
除雪と欄干の件は、管理者にかかわらず道路に関する苦情などを受け付ける「道の相談室」へメールしておいた。
※追記・後日対処されました。こちらで取り上げています

ところで、僕も含む古い秋田人はここは「国道7号線」と思いがち。実際「建設省」と表示された街路灯が残っている。しかし、秋田大橋架け替え後、国から県に移管され、現在は「県道56号線」となっている。

※以下は秋田県への批判です。
個人的には(秋田の)国土交通省、県、秋田市の3者の中で、県の道路管理体制がいちばん下手だと思う。
2006年の豪雪で秋田市の除雪体制が批判を浴びた。確かにそうだが、秋田市道は住宅街の細い路地が多く、除雪のしにくさが目立ってしまったことも原因だと思う。この時、広い通りの市道はしっかり除雪と排雪がされていたのに、近くの県道は排雪されず、雪の山が崩れて日増しに道幅が狭くなり、県道を走っていた路線バスが通れなくなり、市道を迂回するという事態が生じていた。また、県道はガードレールや点字ブロックなどの道路設備の保守・更新も積極的でない感じがする。
そのくせ700億円もかけて秋田駅東西の地下自動車道(秋田中央道路)を造っている。700億の何万分の1でも除雪なり、メンテナンスにあててほしい。あるいは職員を減らしすぎてうまく機能していないのか。
※追記・後日対処されました。こちらで取り上げています

皆さんも、もし、道路で不具合を見つけたら、「道の相談室」「信号機ボックス(各県警)」「標識ボックス(国交省、各管理者、各県警)」などへ通報してほしい。道路利用者として納税者として、一種の“義務”だと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道が呼んでいる

2009-01-16 20:45:44 | 旅行記
現在の秋田市内の中学校の修学旅行先は東京や沖縄らしい。僕たちの頃は札幌や函館を中心とした、北海道だった。
沖縄はともかく、東京なら今後何度も行く機会がある人が多いはずだが、秋田から近いとはいえ、北海道は行く機会が少ない人が多いだろう。実際、僕も海の向かいの青森に住んでいたこともあったのに、修学旅行後、20年間は北海道に行かなかった。

ところが、最近、20年ぶりに行った北海道がすばらしく、夏と冬、2度行ってしまった。札幌や函館などの「北海道にある街」ではなく、「北海道」自体が。えりも岬に行く途中の牧場の中を走る鉄道や、一面の流氷など、北海道以外の土地では体験できない。

秋田から北海道へ行くとなると、交通手段の選択肢とその値段の高さが問題になる。
秋田と札幌は東京と距離的には大差ないはずだが、航空機が1日2便しかなく、割引も充実していない。苫小牧までのフェリーもあるが、鉄道好きとしては、列車で行きたい。

通常、秋田から北海道(安いきっぷがある函館・札幌以外の各地)へ行くには、北海道の入口までの乗車券・特急券と、23400円の「北海道フリーパス」を使うのがいい。秋田から最低でもトータル3万6千円位になるが、北海道の全線の特急自由席が乗り放題で6回まで指定が取れる。乗り放題はうれしいが、東京発で3~4万円の「ぐるり北海道きっぷ」というのがあり、それと比べると、割高感がある。

以前、夏に行った時は「はなたび北海道フリーきっぷ」という大変おトクなきっぷが期間限定で出ていたのだが、最近は発売されていないのか・・・と思って弘前駅のパンフレットを見ていたら、3月末まで、名前は違うが、効力が同じきっぷが発売中!!
JR東日本のホームページにもひっそりとしか掲載されていないが、とにかくいいきっぷ。説明すると、

・名前は「北海道フリーきっぷ
→上で出た「~フリーパス」や「ぐるり~」と似ていて紛らわしい
出発地から北海道の往復と道内の特急の指定席に乗り放題
→「~パス」と違い、指定席の回数制限がない。釧路湿原のSLや流氷ノロッコ号もOK
・5日間有効
→出発から戻るまでが5日なので、道内だけで7日の「~パス」より短い
・出発地は「弘前~青森~大湊の各駅」「盛岡」「仙台市内」のみの設定

秋田発がないじゃないかと思われるだろうけれど、発売箇所は「秋田エリアの主な駅の~」とあり、前回僕が使ったときも秋田駅でちゃんと発券してくれた。弘前周辺が秋田支社管轄のおかげで買えるのだと思うが、それなら秋田発も設定してほしいが贅沢は言いません。秋田-弘前間の普通乗車券を買い足しても、現状で充分トクなので。

札幌と旭川を結ぶ特急「スーパーカムイ」
JR北海道の車両はカッコイイ。

お値段は、「弘前~青森~大湊の各駅」発着で23500円。秋田から弘前まで往復で特急でも約8000円、普通列車で約5000円なので、2万円台から3万円程度で秋田から北海道どこへでも行けてしまう! ちなみに飛行機のの秋田・千歳往復で4万4千円。宿はビジネスホテルやシーズンオフで安い温泉旅館を使えば、格安でそれなりの旅行ができる。
以前も真冬に行ったことがあるが、マイナス10度くらいでも、秋田の吹雪のように風が強くなかったので、それほど辛くはなかった。

長い列車の旅が苦手な方や寒いのがダメな方にはきついが、鉄道の旅好きには、行かない方が損と思えてしまう。

左:「SL冬の湿原号」、右:流氷のオホーツク海と「流氷ノロッコ号」。
どちらも全席指定だが、このきっぷなら追加支払い不要。

差し当たって、北端の稚内と東端の根室(行きやすい所に先に行っていたため、両端が残ってしまった)に行ってみたい。流氷が来ていれば見たいし、乗ってみたい列車もある。
ちょっと迷っているけど、行ってみようかな・・・
※実際に旅行した記事は、こちらの目次ページからご覧いただけます
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一寸先は“白”

2009-01-15 22:36:09 | 秋田の季節・風景
※「秋田の季節・風景」カテゴリーを新設しました。

秋田市は昨夜から雪。この時は湿った雪で、木に着雪した(まもなく融けた)。
シャッター優先 F3.5 1.3秒

今日の昼間は、断続的に吹雪いて、気温は氷点下、積雪20センチ前後で推移した。昨年末に「これが秋田の冬」という内容の記事を書いたが、その時以上の久しぶりの秋田の冬らしい気候だった。
気温が低いので、雪は細かいパウダースノー。真上から降ってくれれば、傘も要らず、体に付いても融けないので払い落とせば済んでいいのだが、風の強い秋田市は、横から降る。いずれにせよ傘は使い物にならないが、時には呼吸が苦しくなったり、歩いたり車の運転がままならないような状況になってしまうのが困りもの。

中心部「竿燈大通り」のJTB前の歩道。
プログラムオート F5 1/250秒
ここは地中に温水パイプを通し雪を融かす、融雪歩道(ロードヒーティング)が設置されているが、この区画は作動していない。そのためなのか、数日前は道路管理者である県の委託を受けた業者が除雪作業をしていた。
歩道と車道の間に腰の高さほどの雪山ができているが、これは除雪車が寄せていった、車道の雪。横断歩道やバス停部分も基本的には山のままなので、近くの住民や企業が自発的に寄せてくれることもあれば、そのままで歩行者や乗客が苦労することもある。さらに雪が降って積もれば、この山は高くなり、今度は「排雪」といって雪捨て場へ持っていく作業をすることもある。

吹雪いてきた。
プログラムオート F5.6 1/250秒 露出+0.7
歩道橋の上から、秋田駅への3車線一方通行の中央通りを見ている。
「一寸先が見えない」と表現されるが、確かにそうだ。雪は白いので、一寸先は闇ではないが、車の運転は気を遣う。

15分後の同じ場所。
プログラムオート F5.6 1/250秒 露出+0.3
先ほど見えなかった奥のビル群が見えている。「ホテルα-1」が秋田駅前。
気温が低いので、雪が融けにくく、交通量の多い車道も白くなっている。

柳並木の有楽町方面。右が旭川。
プログラムオート F6.3 1/250秒 露出+0.7
歩道はロードヒーティングが作動しているはずだが、雪の量と寒さに追いつかないのか雪が残っている。融けかけはジャリジャリして歩きにくい。

時折、陽が差す。旭川沿いの歩道。
プログラムオート F9 1/400秒 露出+0.3
ここのロードヒーティングは最近まで工事がされていたためか、よく効いていて、すっかり融けている。除雪作業でこれほど雪をなくすのは不可能。とても歩きやすい。なお、車道との境や街路樹の根元に雪が残っているのは、配管されていないため。
秋田市中心部は比較的歩道のロードヒーティング化が進んでいるので、積雪時は多少遠回りでも、安全で歩きやすい道を選んだ方が無難。

この後また吹雪になった。
来週始めは雨の予報だが、融けてぐちゃぐちゃになるのは歩きにくくて嫌だ。寒中の秋田らしい、この気候はいつまで続くだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする