広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田サティ22周年

2017-04-29 00:31:48 | 昔のこと
22年前の今ごろ、秋田市内の家庭にこんなものが配布された。
「シアワセは、ご近所に。」「秋田サティ OPEN」
1997年【2024年10月13日訂正・長らく「1997年」と誤記してしまっていました。ごめんなさい】1995年4月28日にオープンした、秋田サティのパンフレット。B4版の厚手の紙が綴られていて、表紙を含めて計16ページ。
開店については2年前にも取り上げたが、その後、保存(?)していたものが発掘された。僕は秋田にいなかった頃なのに、なぜか手元にある(連休に帰った時に目にして、物珍しくて寄せといたのでしょう)。

秋田サティは現在のイオン秋田中央店。
以前の繰り返しになるが、サティは運営会社「マイカル」グループの経営破綻、イオングループによる支援を経て、2011年3月に全国一斉にイオンへ店舗ブランドを変えている。
したがって、「秋田サティ」自体が単独でつぶれたとか、イオンへ身売りされたとかいうものではない。運営会社と店舗名は変わったものの、22年間、1度も「撤退」や「閉店(店舗閉鎖)」されずに続いていることになる。

さて、パンフレット表紙の少女はお分かりでしょうか。
安達祐実さんである。
当時13歳。以下、Wikipediaによれば、
ドラマ「家なき子」の「同情するならカネをくれ」で一世を風靡したのが、1994年(1995年にも続編が作られた)。
小林稔侍氏と共演した「具が大きい」のハウス食品のレトルトカレー「咖喱工房」のCMが1991~1995年だそう。
サティ(ビブレを含むマイカル全体ではなく、サティだけということか?)のイメージキャラクターは1994~1997年に務めたそうだ。あまり記憶にないけれど、そう言われればそうかな?(僕は青森にいた頃で、青森にはサティはなかったので、CMも流れなかったと思われる。)
ちなみに井戸田氏との結婚は2005~2009年。

「SATY」ロゴの上の「お母さんの生活百貨店」が当時のキャッチフレーズ。イオン傘下に入った頃には使わなくなっていたが、いつまで使われたのだろう。
「生活百貨店」というのは、スーパーより高級志向という意味合いらしい。

裏表紙。こちらは「生活百貨店」だけ
郵便番号は7桁化前の「010」、電話番号は市外局番が「0188」だった頃(いずれも1998年に現行に変更)。電話番号自体は現在も同じ。
「MYCALカード」やマイカルのプライベートブランドといった、今はなくなったものが紹介されている。

アクセスマップは、現在とさほど変わらない。「太平川」が「大平川」になっている程度で大きなミスもない。川尻の「馬場小路」というマイナーな道の名が記載されている。
茨島交差点以南の道路が「国道7号」になっているのは、当時としては正しい。2003年に移管されて県道56号となった。
太平川対岸の現在ラウンドワンがある位置に「DIYヤマトさん」がある。当時あった地元ホームセンター。2005年に大町のダイエー跡にスーパーとして移転し、2009年に向かいのADに移転したものの2010年に事業停止・自己破産した。

駐車場は計1500台。現在は、たしか屋上の一部は通常は閉鎖されているはずだけど、公式ホームページでは1416台収容。
駐輪場は700台だそう。路線バスについては一切触れていない。


中のページは、売り場や店舗(テナントも含む)の紹介。ほとんどが女性向けファッション関係。
フロアガイドも出ているものの、売り場・テナントごとの配置図はないし、昔も今も僕は直営売り場中心の利用なので、よく分からない。
「大きい。いっぱいのサティです。」
1995年といえば、昭和じゃないし最近とそんなに違わない時代だと思っていたけれど、パンフレットの書体やキャッチフレーズを見ると、古臭さがちらほらと漂う。22年という時の流れを感じずにはいられない。

ゴシック体が直線部分の太さが均一でなく両端が幅広いデザインだったり、「気持ちまでルンルンのスニーカー」「その日の気分で鞄え・ら・び。そんな貴女と街を歩きたい。」といったキャッチコピーの言い回しなど、今とは違う。「大きい。いっぱいのサティです。」だって、今の感覚ではいまいち理解できないけど、当時はどうだったのかな。
※ダイエー秋田店が入っていた秋田ニューシティの1988年の広告(秋田市営バス冊子時刻表。この記事後半)には、「キラキラ「私」的空間。/明日が見える、ショッピング・シティ/未・来・派 ス・ト・リ・ー・ト」というキャッチコピーがあった。もっと昭和末期らしさ(昭和63年なんだから当然だけど)を感じさせるキャッチコピーだけど、7年後のサティとどこか通じるものがあると思う。
家電売り場の商品
右はフロッピーディスク、中央はPanasonicのワープロ専用機「U1スララ」。当時は「スララ」の愛称は既に使われていたものの、画面はまだモノクロだったのか。
左の物体は記憶にないが、どうもシャープ製のチューナー内蔵の液晶テレビらしい。
【29日追記】秋田サティに限らず、全国各地のジャスコ、ダイエー、イトーヨーカドー等で同様だが、当時は総合スーパーでも家電量販店並みの品揃えの家電売り場があった。秋田サティでも、1995年後半からブームになるパソコンも取り扱っていたはず。現在は、家電売り場は縮小され、生活家電やテレビがさらりと並ぶ程度になってしまった。

テナントの一部
22年の間で、テナントが入れ換わり、売り場の配置が一部変更になったのは承知しているが、軽微だと思っていた。でも、パンフと現在を比べると、思っていたよりもいろいろと変化しているようだ。建物の全面改装はされていないけれど、少しずつ変わってきているということか。
飲食店はすべて現在と違うようだし、クリーニング店や美容室も違う。
書店は「ザ・シティ」というのだったそうだが、後に直営になり、今は宮脇書店。
3階にはスタジオアリス、1階には中古カメラからプリント45分仕上げまで扱う「サンカメラ」があったそうだ。今は自動プリント機。

今は2階にある直営の靴とカバンは当時は1階。
「総合サービス(マイカルカードカウンター)コーナー」が3階、1階にも「食品サービスカウンター」。このスタイルはイオン化後も受け継がれ、昨2016年3月に、3階を廃止して1階(従来とは別の位置)に集約された。
郵便局(現・ゆうちょ銀行)のATMはなかった模様。今、ゆうちょだけ屋外にあるのは、後でできたからか。【2022年2月27日追記・ゆうちょATMは2022年に廃止。】
海外ブランド雑貨「ニミウス」、JTBトラベランドなどは当時も現在もある。【追記・2階のニミウスは2020年1月31日で閉店。】
食品売り場内の(直営食品レジで支払う)鮮魚店「進藤水産」も当時から現在まである。開店当時は水槽(パンフでは「いけす」)があったが、今はなくなっている。


イオン秋田中央店では、今でも、秋田サティ開店時を基準にして○周年記念セールを実施している。
ただし、いつの頃からか、4月28日よりも前の週末に前倒しして実施。今年は4月14~16日(たぶん)に実施済み。
28日に店に行ったけれど、今日が記念日であることを示すものは、まったく見当たらなかった。
サティならではの面影は薄れてしまって少し寂しいけれど、秋田市中央部(=中心部よりは広い範囲)の数少ない(唯一の?)総合スーパーとして、末永く続いてほしい。

※この後、イオン秋田中央店は、2018年7月6日に比較的大規模にリニューアルされた。
1階の売り場レイアウトが全面的に変わり、フードコートやヘルス&ビューティーケア売り場が拡充。
といっても、食品売り場は基本的には変わっていないし、トイレもきれいになったが壁を張り替えた程度。結局は基本的には変わっていない。
※2018年9月初め(5~10日の間頃)に、食品売り場にありそうでなかったセルフレジが、ついに設置された。イオンやマックスバリュでは、半数ずつ向かい合わせに、計4台か6台設置するのが基本のようだが、ここでは柱があるせいでやや変則的な配置で6台。以前から導入されているイオンスタイル御所野のものとは違う機種(メーカー)で、マックスバリュ東北やイオンスーパーセンターと同じタイプ(個人的には処理速度が早く感じて好き)。マックスバリュでは、2018年にレシートのプリンタ部分を更新して、項目の表記や書体が一部変わった店もあるが、イオン秋田中央店では従来のレシート。
【2022年12月28日追記・さらにリニューアル】
2021年11月16日にもリニューアル。セルフレジの配置が横並びに変更され、スマートフォンでバーコードを読み取る「レジゴー(イオンスタイル茨島で前年に導入済み)」 を開始。液晶の電子値札も導入。


【2022年12月28日追記・ミスタードーナツについて
1階西口そばには、長らくミスタードーナツがあったが、開店時にはまだなかった。何があったのかは不明。【2023年1月3日補足・花店「花京都」があった時期もあったとのこと。】【2023年7月21日補足・開店当初は、売り場でなく鉄道のジオラマがあったとのこと。】
2000年に「秋田サティショップ」としてオープン、2011年からは「秋田南ショップ」。2020年1月31日で閉店。ショップNo.は1998年閉店の広小路ショップから「0600」を継承していた。
跡地には「ガチャ専門店 TOYS SPOT PALO 秋田中央」ができた。
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どうなる? こまち公園

2017-04-26 23:23:03 | 秋田の地理
秋田駅東側、新幹線ホームやその上の自由通路から南方向を見る。
奥の丘は一つ森公園と金照寺山。鳥海山が見えることも
左(東)側の建物は、東横インが入り、NHK秋田放送局とつながる「秋田拠点センター“アルヴェ”」やその立体駐車場。
アルヴェと線路の間には道路をはさんで、JR利用客向けの平面の「こまち駐車場」がある。JRの土地であり、かつては線路が何本も敷かれ、転車台や秋田機関区があった。

奥のアルヴェより向こう(南)側には住宅が建ち並んでいる。
そこへズーム
こまち駐車場出入口の少し先で、道路は東へ曲がっていて、そこに公園がある。
現地へ
公園は100メートル×80メートルほどで、線路方向に若干縦長。面積7500平方メートル。
公衆トイレや遊具がまとまった一角、芝生の原っぱ、地面が露出した広場、築山(つきやま)などがある。
南東角から。左の高いのがNHKのアンテナ、中央右に太平山が見える

築山はほぼ線路方向に長く、短辺に階段がある。斜面は積雪時はそり滑りで人気。
2014年夏には、火野正平さんが頂上で手紙を読んだ。
築山の上から西方向の眺め
この公園は、乳幼児や高齢者だけでなく、駅に近いせいか中高生やスケボーをする若者にも親しまれているようだ。


ところでこの公園の名前。
管理する秋田市では「拠点第一街区公園」と名付けている。
「街区公園」とはいわゆる児童公園。それにしては大きい公園。

「拠点第一」という堅苦しい名称は、ここの区画整理が行われた時のエリア名が「秋田駅東第一地区」だったことにちなむのだろうか? 公園内に石碑があった。「拠点」はアルヴェと関係あるのか?
拠点第二公園などは、今のところ存在しない。
この公園には、秋田市の公園でよく見かける、擬木に毛筆体で公園名を書いた表示は見当たらない。避難場所案内図の中に小さく書かれているだけ。

堅苦しい上、表示がないも同然だから、公園を利用する人にその名を知って覚えろというほうが無理だろう。
だから、多くの公園利用者は、この公園を正式名称とは別の名前で呼んでいる。

それが、「こまち公園」である。

由来は、公園が線路に面していて、秋田新幹線「こまち」が見えることによるのだろう。
この公園は、秋田新幹線開業1年後の1998年3月31日供用開始。時期的に、秋田では「こまち」がブームになっていた頃。それに便乗して自然発生的にできた愛称ということか。
秋田県あきた未来創造部 次世代・女性活躍支援課が「平成14年度に募集した委員・29名が作成した子育て情報誌」である「あきた子育て情報誌「いっしょにね。」」の中で、「こまち公園(拠点第一街区公園) 電車がよく見えて子どもは大喜び。遊具も充実。」として紹介されている。
したがって、2002年頃には既に「こまち公園」の名がある程度定着していたことになる。

線路沿いといっても、目の前を大迫力で列車が通過するわけではない。
間にこまち駐車場から続く線路跡の土地が入っており、公園西辺からいちばん近い線路まで50メートルほど離れている。西辺は歩行者通路を兼ねていてカイヅカイブキかなにかの常緑の生け垣があって、そのすき間からのぞくことになる。(昔は生け垣が生長しておらず、すき間が大きくて、多少見やすかった。)
南側から。ここは生け垣が途切れているが、傾斜の関係で線路は見づらい
築山の上だともっと距離があるし、そんなに高いわけでもなく、木などに隠れてしまう。
駅構内だから列車はゆっくり走行するし、車が通らないので安全に列車が眺められるという意味では、いい場所ではあるけれど。


今、「こまち公園」の“存続”が危ぶまれている。
昨年10月28日、JR東日本秋田支社から「秋田駅東口に新たなクリニックを計画 プラチナタウンの実現を目指します」がプレスリリースされた。
それによれば、JRや自治体による秋田駅周辺活性化の一環として、秋田駅東口に「スポーツ整形クリニック」を建設することになった。
東通六丁目にある「城東整形外科」が新たに「(仮称)城東スポーツ整形クリニック」を建設。2017年春頃着工、2018年春頃完成予定。

その場所が、こまち公園と線路の間。
完成予想図によれば、公園の生け垣のすぐ外に4階建ての建物ができることになっており、公園内から線路がほとんど見えなくなるのは確実。
クリニックの西側には空間ができそうで、そこからは線路が見えそう(部外者が立ち入れるかは不明)だけど、いずれにしてもそこは公園の外。
駐車場としては使われなくなり、告知看板はあるが、今のところ未着工
さらに今年3月には、クリニック予定地の駅寄り、ホリデイスポーツクラブ(JR系列)の向かい辺りには、体育館「JR秋田ゲートアリーナ」が2018年夏着工、2019年冬完成で造られることになっている。こまち駐車場がだいぶ縮小されることになる。
【6月14日追記】この後、5月まで変化はなかったが、6月に入ると囲いが設置され、工事が始まった。

地理院地図に加筆。赤い丸がこまち公園

秋田市の都市公園の命名に決まりはなさそうで、街区公園の場合は所在地名、大字(地域)名、団地や町内会名などまちまち。子どもだけでなく大人でも覚えにくい。
そんな中で、中通三丁目街区公園を「たまご公園(遊具に由来)」、大川端帯状近隣公園を「あらやさくら公園」、保戸野鉄砲町街区公園を「緑町公園(町内会名?【2020年4月30日追記・「みどり町」という町内会名で、「みどりまち」と読む】)」、そして拠点第一街区公園を「こまち公園」と通称で呼ばれてこそ、親しまれる身近な公園なのかもしれない。
こまちが見えなくなっても、こまち公園はこまち公園であり続けるだろうか。

続きはこの記事中ほど。
※変わった注意書きなど2021年の状況
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秋田駅周辺の話題

2017-04-25 23:24:15 | 秋田の季節・風景
秋田駅西側の話題をいくつか。

●フォーラス閉店後
秋田駅前のファッションビル「秋田フォーラス」が今年2月26日でいったん閉店し、大規模リニューアルされている。運営企業は変わらず10月下旬に「OPA(オーパ)」として営業再開予定。
運営企業の方針として全国的にフォーラス廃止・OPA化を進めており、秋田では老朽化した建物の補修の目的もあるのだろう。

閉店に際して、それを惜しむ声も多数あった。NHK秋田放送局など、わざわざ東京へ行って、かつてフォーラスのテナントで働いていたところをスカウトされたササキノゾミさんにインタビューまでしていた。
映画館などOPAでは入らないことが決まっているテナントを名残惜しむのは分かるし、休業中になじみの店で買い物できなくなることを心配するのは分かる。
だけど、名前や内装は変わるとはいえ、同じ経営によるほぼ同じコンセプトの商業施設が存続することが決まっているのに、騒ぎすぎているように感じてしまうのは、フォーラスに思い入れがない者の考えでしょうか。

ちなみに、閉店時に店頭であいさつした店のトップの人は店長などでなく「館長」という肩書きだった。
元はダイエー傘下であった株式会社OPAの社員であるわけだが、その名札には「AEON」ロゴがあった。
【2018年1月6日追記】オーパとして開店時の秋田魁新報によれば、オーパ化直後の館長はフォーラス時代と同じ人。県外出身でもともとはビブレ(マイカル)の社員だったとのこと。

閉店後、玄関は閉まり、たまに脇の搬入口から物を出し入れしているようではあったが、「FORUS」の看板など建物の外観はそのままで、遠くから見れば営業時とあまり変わらない状態が続いていた。
4月24日。
エレベーターは2基とも2階で停止
正面の玄関を含む1階部分が、足場で覆われた。
歩道が少し狭くなって、誘導員がついている
足場が上へ伸びるのかと思ったが、25日には1階部分で止まり、そこが白い仮囲いで覆われた。玄関は見えなくなってしまった。

また、24日には、裏の北側にクレーンを持ってきて、非常階段部分から何やら運び出していた。
内部では工事が進んでいるのだろう。外観はいつまでFORUSが見られるか。
【5月8日追記】非常階段からの搬出物は、どうも解体した内部の壁や柱らしきコンクリート系のものが主体らしい。4月末頃には、下の方の階から搬出されていた。また、大型連休(に入る前?)までには、アルスとの境界・建物東面に足場が組まれた。
【5月13日追記】5月13日時点では、正面3~4階付近まで、足場(囲いはなし)で覆われた。正面玄関だった場所の囲いが開いていて、道路から1階の中が見える状態。エスカレーターと柱(の一部?)だけが残っている状態だった。

続きはこちら


直接関係ないが、昨年7月からフォーラス隣の道路予定地にあった下水道工事の囲いが、先週辺りから解体されている。工事が終わったということか。【5月13日追記】一般的な囲いが作られ、引き続き(以前とは別工程と思われる)工事が続いている。


●アニメイト移転
フォーラスのスクランブル交差点をはさんだ向かいに、緑色の古いビルがある。

地元家具店「緑屋」の所有で、かつては「緑屋ビル」だったが、今は「エスポワール緑屋」だそう。
その6階にアニメ関連グッズの全国チェーン店「アニメイト秋田」がある。※アニメイト公式ホームページでは所在地は「緑屋駅前ビル」となっている。
僕は行ったことがなく、よく知らないけれど。

そのアニメイトが、5月20日に移転するとのこと。
移転先は、すぐそば(3軒南隣かな)の、かつてイトーヨーカドー秋田店が入っていた「フォンテAKITA」。
その地下1階。

緑屋ビルの他のテナントが退去するのかは分からないけれど、古いビルだから移転するのだろうか。
フォンテは、上のほうのフロアは空いているテナントスペースがあるはずだし、そこに入るのなら分かる。
だけど、よりによって地下とは!
地下には、食品スーパー ザ・ガーデン自由が丘のほか、フードコートなどが入っている。

2014年春に、ザ・ガーデンをわずかに縮小して、新たに細長いテナントスペースができた。
そこに複数のテナントが入ったのだが、どれも2016年春頃までに撤退してしまい、今は空きスペースになっている。
既存のテナントが退出する気配もないので、そこにアニメイトが入るのだろう。
食料品に囲まれた(デザートや乳製品の向かい)細長い、なんとも場違いなアニメイトにならないだろうか…
テナント料なんかは上の階よりも地下のほうが安いのかしら。

【5月20日追記】5月20日付秋田魁新報経済面によれば新店舗は「旧店舗とほぼ同じ約230平方メートル。」「アニメファン以外の客層を取り込み、来店の利便性を高めるため移転を検討していた。」「約3万点を取りそろえた。」「キャラクターグッズの品ぞろえを拡充した。」。
19日付秋田経済新聞サイトによれば秋田店は「18年ほど前に」開店したとのこと。

※続きはこの記事後半


●珍百景消滅
奥羽本線西側・秋田駅の北側、千秋城下町の脳研裏の崖下では、アンダーパスとそれに続く道路建設のため、建物が取り壊されていた。
昨2016年末のアップ後、そこからさらに線路方向・東側でも建物が解体されたという情報をコメントでいただいていた。
昨年12月下旬。奥左右が線路、右方向が秋田駅
前回までの記事で紹介した建物がすべて解体されて、更地になっている。

現在。上の12月の写真よりわずかに右寄りアングル
12月の写真では、奥中央~右に、赤茶色の屋根の建物と白い箱型の建物があったのが、今はなくなっている。
それが、コメントにあった追加で解体された建物。

それにともなって、白い建物の前にあった、「ナニコレ珍百景」で紹介された倒れて建物にもたれて伸びている木もなくなってしまった。
赤い屋根の建物の向こう側にも古い建物が複数あり、そこにデザイン会社「バウハウス」やイベント会社「スタッフ」があったが、どちらも移転した。
その建物のさらに向こうに細い道路(車道は行き止まり、歩行者は跨線橋へ)があるのだが、そこまでの建物が全部なくなって更地になった。4月の写真で向こうに見えている建物は、線路にも面していて、線路工事関係の「峰製作所 秋田工事所」。
反対側、線路近くから西方向。奥の丘が千秋公園
どういう道路配置になるのか、まだよく分からない。
続きはこちら
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千秋公園の桜2017

2017-04-24 19:47:20 | 秋田の季節・風景
2017年の秋田市のソメイヨシノは、4月16日に開花(平年-2日、前年+2日)、19日に満開(平年-3日、前年同)を観測。今年の春の進み方は少し遅い感じだったが、開花から満開が早いように、ここに来ていっきに進んだ。

秋田市中心部の千秋公園桜まつりは19日から30日。千秋公園の桜はいつも、気象台発表よりはやや遅い傾向だが、今日(?)満開状態になったとのこと。
千秋公園のソメイヨシノは、あまり手入れさずに歳を取ってしまい、近年は花付きが悪化している。個人的見解では、良く咲く年(表年)と悪い年(裏年)を交互に繰り返す「隔年結花(本来の用語は隔年結果)」になってしまっている。
昨2016年は“表年”だった。では、今年は…
これで満開なのですが
ちなみに昨年は、
(再掲)2016年
案の定、今年は“裏年”とせねばならない。

10年弱前ほどはひどくなく、場所によってはそれなりに花が多く咲いている。何か対策がされて回復した(しつつある)木なのか。
でもやっぱり、咲いていない場所・木はかなりひどい状態。
二の丸広場。手前左のトイレ脇は見事。奥の表門の下の斜面はまばらな花

本丸から胡月池を見下ろす斜面は最悪。
胡月池と太平山
上の写真、左側の木が、花が咲いている桜には見えない。
本丸。右が斜面から見える木
上の写真左側の本丸内側の木はそれなり。

二の丸広場。外側(写真正面~右)の桜はそれなり(24日月曜日午後撮影)
土日のみならず平日の今日も、秋田市にこんなに人がいたのかと思うほど人が来て、宴会や散策をしている。
市民ならまだしも、県外や海外からのバスツアーの観光客の姿もちらほら見かけ、こんな桜を見にわざわざお立ち寄りいただいたのかと思うと、申し訳ない。
秋田市では、回復のための募金を募っているけれど…


ここ数日は、快晴で風もない、穏やかな日が続いている。うまく行けば週末まで満開状態が続くかもしれない。桜の花見をするのなら、千秋公園以外の各所のほうが見応えがあっていいかもしれません。
千秋公園は来年は表年になりそうだから、来年に期待。※翌2018年の状況
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清水のカモメ

2017-04-23 23:18:17 | 動物・植物
静岡旅行記。※前回の記事
清水港の「エスパルスドリームプラザ」へ。
かつての貨物駅跡を観光施設的な商業施設にしたもの。JR清水駅から1.5キロほどで、無料送迎バスが出ているし、三保の松原方面行きの路線バスの運賃100円区間内。
※清水駅方面からの路線バスでは、たしか「港橋」停留所でドリームプラザの最寄りとの放送が入るが、次の「波止場フェルケール博物館」で降りたほうが、少し近い気がするし、場所が分かりやすいのは、よそ者の気のせいでしょうか…

秋田港のセリオン~ベイパラダイス周辺に若干雰囲気が似ているが、全体の規模も客の数も比べ物にならないほど、清水のほうが大きい。秋田港は、街からやや遠く、冬は波風や吹雪で危険な状態になるから、仕方ないけれど。

観覧車もある。現地にしては寒い日のせいか、屋内は人が多いのに、外はほとんどいない
上の写真右奥の黒い物体は、かつて使われていた「テルハ」と呼ばれるクレーンをオブジェとして残しているもの。
建物外側のウッドデッキからは、海が見える。春まだ浅い時期だったせいか、いわゆる潮の香りはしない。
港らしい光景
ここは三保の松原のある三保半島の内側である折戸湾の奥に位置し、さらに防波堤で守られていて、水面は風で揺れる程度で穏やか。向かいはJ-オイルミルズの工場(?)。

さて、上の写真、ヨットとの間に、境界の目印なのか、網でも張ってあるのか、黄色い浮きがずらりと並んでいる。その浮きには、
海鳥がずらりと乗っかる
たいていの人が一見して「(総称としての)カモメだ」と認識できるであろう姿形の鳥。
では、具体的な種(しゅ)は?
びっしりと同じ方向を向いて整列
秋田の人はあまり見たことがないカモメかもしれない。これは「ユリカモメ」。
東北地方日本海側にも冬鳥として飛来するらしいが、僕は秋田ではユリカモメを見たことがない。
15年ほど前の正月、初めて清水を訪れた時、巴川の橋の欄干にびっしりと並んでいるのを見たのが初めてだった。

秋田でカモメといえば、ウミネコ。秋田市街地にもやって来る
ウミネコと比べると、ユリカモメは小さくて、白くて、かわいらしい。

実は、清水にもウミネコがいた。
この浮きは、「く」の字に配置されていて、その折り返し部分は浮きが大きい。
そこ(右端)に座っているのがウミネコ
ユリカモメさんたちは立っているのに、ウミネコは1羽だけ、大きいところを陣取って座りこんでいた。
比べてみると、ウミネコはユリカモメより2回りほど大きい。

ユリカモメたちが声も出さずに静かに過ごしている中、折り返し部分で一部“席替え“が行われ、若干もめ事に。
新メンバー参入
ウミネコが2羽に増えているけれど、どちらも幼鳥の名残りがある若い鳥。さっきまで座っていた大人のウミネコは、子どものために明け渡したのかいなくなった。

さらに、海面には黒い鳥が泳いで来た。
初めて見る鳥で、鵜とは形が違い、どちらかと言えばカモっぽい。クイナの仲間の「オオバン」か。淡水のほうにいることがようだけど。

数分後、再度席替え。
ユリカモメがセンターをゲット!
若いウミネコは2羽とも、脇へ。不服そうな顔に見えなくもないし、周りのユリカモメたちから冷たい視線を送られているように見えなくもない。

思い思いに過ごすユリカモメ
ユリカモメたちの整列の仕方は、折り返しの「く」の字寄りの浮きにはすき間なく並んでいるのに対し、折り返しから遠いほうの浮きには、1羽もいない。
秋田のウミネコも、まとまって行動してはいるけれど、ユリカモメほどくっついたりきれいに並んだりはしないと思う。八戸の蕪島で子育てするウミネコたちも、これほど整然としてはいない。
ユリカモメはくっついてまとまって過ごすのが好きなのかもしれない。
まあ、ユリカモメもウミネコもいっしょになって、全員同じ方向を向いているのだから、ウミネコもそれが嫌いではないのでしょうけどね。


ところで、童謡「かもめの水兵さん(作詞 武内俊子、作曲 河村光陽)」。
子どもの頃にこの歌を聞いても、歌っている内容は理解できるものの、現実味に欠けるというか、情景は想像できなかった。
だけど、清水港(あるいは以前の巴川)のユリカモメの姿を見れば、「ならんだ水兵さん」「白い帽子 白いシャツ 白い服」という歌詞が、とてもすんなり理解できる。
歌いこまれた「かもめ」の種名は分からないようだが、作詞者が横浜港で見た光景に着想を得たとの話。横浜ならそれがユリカモメだった可能性はある。

旅行記の続き
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秋田のテレビ2017

2017-04-21 00:23:48 | 秋田のいろいろ
この春の秋田県関係のテレビの変化。※2016年春の関連記事
●やっぱり金曜+土曜も
秋田テレビ(AKT。フジテレビ系列)のローカル情報番組。
1990年代中頃には中高生をメインターゲットにして、今も活躍する複数のローカルタレントを発掘した「なんでもアリーナ」が人気だった。
2000年代以降は、主に主婦層を対象とした1時間の番組を金曜日の16時台に放送。番組名は「やばせ本町どまん中!」「がっこ茶っこTV」など数年ごとに変わったものの、結局のところ番組内容にはさほど変化なく、出演者もさほど変わらない状況だった。

昨2016年春には、16時台後半に月曜から金曜まで放送する「げつ→きん420(げつきんよんにーまる)」が始まった。
※「よんにーまる」が公式な読みの表記らしい。一方、「げつきん」のほうは局アナを含む出演者は「げっきん」と促音(小さい「っ」)で発音する場合もあった。

AKTの平日夕方の帯番組といえば、上記なんでもアリーナの後番組(でいいのかな?)である「なんでもアリーナ525」を連想するが、その後に「情報ステーションi455」というのが2002年まであって、それ以来らしい。
げつ→きん420では、曜日ごとにローカルタレント1名がレギュラー出演するが、石垣さん、シャバさんのほか、これまではなじみが薄かった人も起用。内容としては前年までの金曜のものとあまり変わりないのかもしれないが、小学校のスポーツ少年団が生中継でゲームに挑戦するコーナーなど、内容もいくらか変わった。

ところが今春、「げつ→きん420」はわずか1年で終了。
4月からは金曜日のみ放送の「きんよう420」となった。曜日レギュラーも石垣さん以外は降板した模様。石垣さんは、中断期間もあるとはいえ、なんでもアリーナから20年以上AKTに出ている。

結局、週に1度に戻ってしまった。
秋田テレビに限らず、地方民放局(いやNHK地方局もか)にとって、夕方のニュース以外の帯番組を製作するのは、荷が重いということだろうか。
【21日追記】2011年から金曜16時台には、秋田放送(ABS。日本テレビ系)もローカル情報番組「エビス堂 金(ゴールド)」を放送しており、競合している。AKTは枠としては先発という自負があって金曜を死守し、月~木を捨てて、そこで勝負を挑んだということか?



また、土曜夕方17時55分から18時30分の、前「さんまのまんま」をネットしていた枠で、新たに「土曜LIVE! あきた」という報道番組が開始。
「MC」が武田哲哉アナウンサー(たしか論説委員兼務になったはず。以前は石塚元アナウンサーもそうだった)で、「番組ナビゲーター」として後藤美菜子さんが出演。
後藤さんは元AKTの局アナで、2016年春で退職していたが、フリーアナウンサーになったということなのか、1年ぶりに古巣での復帰。(げつきん420の料理コーナーVTRみたいなのにも、たまに出ていたそうだ)


●意外なところへ転身
全国放送に話が飛びますが、NHK平日23時台に「NEWS WEB【23日訂正】ニュースチェック11」という番組があって、最後のほうで、どこかの地方放送局のニュースが1日1本だけ紹介される。
NHK内部のことなんだから放送素材をそのまま使えばいいものを、なぜかホームページを開いて、粗い画質で見せられるのは、なんだか…

いつもは見ない番組なのだけど、4月18日はたまたま視聴。このコーナーでは山口放送局のニュースを取り上げた。夕方18時台のニュースらしく、男女のキャスターが並んで映っているのだが、女性キャスターに見覚えがある!?

画質が悪いこともあったので他人の空似かと思って、山口局のサイトで確認したら、間違いじゃなかった。
後藤美菜子さんと同時期にAKTアナウンサーを退職した、石井資子(もとこ)さんだった!

退職後1年おいて今春から山口局の契約キャスターとなり、いきなり夕方のニュースに起用(しかも隔週でなく毎回担当)されていた。

石井さんは秋田市出身で2008年にAKTに入社。あくまでウワサだけど、地元某企業経営者のご令嬢ではないかという話もあった(これ以上詮索はしません)。
NHK地方局のキャスターの契約終了後、地方民放局のアナウンサーに転身する人は、最近はかなりいる(AKTにも)。
でも、その逆というのは珍しい(【21日補足】地方民放局アナからNHKの全国放送のキャスターになる人はいる)と思うし、秋田で生まれ育って勤務した人が、はるばるNHK山口へというのも珍しい。山口と何らかの縁があるのかもしれないし、限られた契約年限の間だけあえて遠くへということかもしれないけど。いっそうのご活躍を!

実はほかにも、NHKにおいて秋田と山口は多少の縁がある。
10年以上前に秋田局契約キャスターだった椿さんという方(秋田出身ではないらしい)は、その後、山口局の契約キャスターをしていたらしい。
また、現在秋田局にいる藤重アナウンサー(正職員)と池田キャスターは、いずれも山口出身。


●全国も秋田から
NHK秋田の平日夕方の「ニュースこまち」。今春の変化は小規模ながらいくつか。

永年、金曜日だった視聴者投稿ビデオコーナー「ビデオ便り」が木曜へ移動した。おそらく30年前の「630あきた」時代から、一貫して金曜放送だったのではないだろうか。【27日補足】局によっては「ビデオだより」とかな表記のところもあるようだが、秋田局は「ビデオ“便り”」と漢字表記。
これは戸惑う。僕はこのコーナーだけは極力見ることにしているのだけど、1回見忘れてしまったじゃないか!
市場の旬の農水産物を紹介するコーナーも、月曜から木曜へ移動。

出演者は変わらず、秋田出身で大手気象会社・ウェザーマップ所属の村木気象予報士も続投。
昨年度は以前と同じく、18時52分から東京から全国の気象情報を伝えた後、54分以降は再び秋田に戻って県内の気象情報を伝えていた。
以前から気象予報士がいた青森放送局などでは、東京からの全国版をネットせず、県域局の予報士が全国版相当の情報もまとめて伝えていた。
むしろ秋田局でそうしないのが意外だったけれど、2人の気象予報士の説明を聞くことができるのは悪くないとも思っていた。

今春からは、秋田でも、全国版をネットせず、秋田から村木予報士が全国版相当分も伝える形になった。
電子番組表では、これまでは18時52分以降は別番組になっていたのが、青森などと同じく、19時00分まで通しで「ニュースこまち」となった。

全編秋田からになった気象コーナーの開始時刻も18時52分ではあるが、00秒厳守ではないらしい【21日補足・もしかしたら52分10秒で固定かも?・27日再度補足・固定ではないが52分00~20秒の間頃に始まる傾向】。ただ、いちおう、いったん仕切り直して天気カメラの映像のタイトルが入る。
これまでは渋谷だったのが秋田駅周辺の寂しい風景に、東京からと同じタイトルCGと音楽が流れて、コーナーが始まる。村木予報士とメインキャスター2人の3人が、大画面の前に並んで(従来のローカル版と同じ)伝える。
全国各地の明日の予報も表示されるが、東京のものと地図のデザインは同じだが、書体は異なる。気温の数字は細い。
その後、キャスターが「ここからは県内の気象情報です」と軽く区切りを入れて、以降、従来通り。
【21日追記】18時30分過ぎの簡単な天気予報は従来通り。その前に表示されるタイトルCGも従来と同じで、52分に表示される全国版のものとは違うデザイン。
【26日追記】26日には、東京とは違う、18時30分過ぎと同じローカル版のCGが52分に流れた(音楽は東京と同じ)。一定しない。
【27日追記】タイトルCGは仙台放送局のものとも違う。【6月14日追記】仙台局の気象情報では、2015年度まで東京から流れていた古い曲を、2017年度もいまだに使っている。
【7月12日追記】7月12日の放送からは、背後の大型ディスプレイで、タッチパネルで線やアイコンを表示できるようになった。そういえばこれまでなくてもやってこられていたが、東京のスタジオではずっと前からやっていた(東京のはリコー製だとか)。遅ればせながらやっと秋田のスタジオの設備も充実したことになろう。

昨夏のリオデジャネイロオリンピック期間中の短縮された夕方のローカルニュースでは、同じように村木予報士が全国分も伝えていた。村木さんやスタッフの“練習”だったのか。

秋田局に気象予報士は村木さん1人だけ。
昨年、村木さんがお休みした時は、予報士不在で以前のようにキャスターが読み上げたこともあったし、東京のウェザーマップから代理として崎濱綾子予報士が出張してきたこともあった。
これからは、キャスター読み上げでは不足だろう。突発的に村木さんがお休みする時など、どう対応するのだろうか。

あと、朝の「おはよう秋田」と昼前「エキヨコこまち」の最後で、その日の「ニュースこまち」の予告がVTRで流れるようになった。従来も昼前は、「エキヨコ~」のキャスターが読み上げる形の予告はあった。
VTRは、夕方の本番と同じタイトル画面と音楽が一瞬流れ、キャスター3人が揃って登場。前日に収録しているのだろう。
なんか、大げさというか、時間の無駄のような気がしてしまう。
そんなにしてまでニュースこまちを見せたいのだろうか。そんなことより土日祝日の県域ニュースを充実(というか元に戻して)させてほしい。

【5月26日追記】書き漏らしていたが、コメント欄の通り、2017年春からは、土日も前年度までの祝日と同じく、県域ニュースが一切放送されなくなってしまった。視聴者への説明はなし。


全国版のテレビ番組の変化を、後で取り上げるかもしれません。
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あぶない! のぼるな

2017-04-19 23:59:06 | 秋田の季節・風景
秋田市手形地区のとある電柱。
街区表示板の上に、色あせた表示?

以下、画像のトーンカーブをはっきり見えるように加工しています。
「あぶない! のぼるな/東北電力」
電力柱に登らせないためのイラスト入り注意書きだった。

文字や色あせ具合からして、だいぶ古そう。
この隣り合う2~3本の電柱に同じものがあったけれど、他では見たことがない。
ネットで調べても、他の電力会社も含めて、類似のものは見つけられなかった。

イラストは、電柱に登って、棒を使って風船を取ろうとする男の子が、棒が電線に触れてしまって感電している場面。

男の子はスモックみたいなのを着て、丸顔で前髪が垂れていて、漫画「ピーナッツ(いわゆるスヌーピー)」のチャーリー・ブラウンにどこか似ている。

過去にはよそにも設置されていたのか、ほかのバリエーションもあったのか、気になるところ。
【20日訂正・アップ当初、記事のジャンルとカテゴリーを誤って設定していたので修正しました】
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静岡のバス2017

2017-04-18 23:55:35 | 旅行記
断片的ですが、静岡旅行記。前回の三島の植物に続き、路線バスの話題。

静岡県東部では、富士急、西武系列の伊豆箱根バス、小田急系列の東海自動車の3グループ(実際の運行はさらに分社化されているものも)が路線バスを運行している。※過去の記事
そのうち、東海自動車(東海バス)。
左が一般塗装、右はラッピング広告?
2台とも回送車だけど、LED行き先表示が「おかげさまで100周年/回送中」となっている。

長野などでは回送であることを謝罪する表示を出す会社があるけれど、こういう使い方もある。
側窓が引違いのいすゞLVキュービック
側面の表示は「おかげさまで100周年/東←海←バ←ス」(矢印は消せないので)。


静岡県中部・静岡市清水区へ飛んで、しずてつジャストライン。
2014年に乗った時などと変わらず、運転士による声を出しての安全確認、アイドリングストップ時に静寂をまぎらわす(?)音楽放送(関連記事)を実施。

清水では、いすゞエルガまたは同設計の日野ブルーリボンが圧倒的に多く、今回はそのちょっと古めの車に乗った。車高調整機能が不調気味だった模様(運転席に注意書きが貼ってあった。【20日補足】秋田のバスでも明示はないものの、調子が悪そうな車は複数ある)。
最近のバスでは、降車合図ボタンを押したの時のチャイム音が、柔らかい電子音というかメロディーに近いようなものが普通だと思っていたら、その車は、昔ながらの(=金属板を物理的にたたいて音を出す)2点チャイムの「ピンポン」だった。古めの車だからなのか、しずてつジャストラインでは今もそうなのか。
【20日追記】秋田のバスでは、車内放送のテープから音声合成への切り替え時に、古い車両の2点チャイムも電子チャイムに交換されたようで、現在ではおそらく昔ながらのチャイムは聞くことができなくなったはず。しずてつジャストラインでは、機器のメーカーとか接続方式が違うのだろう。そんなわけで、懐かしい音を清水で久々に聞くことができた。
【5月3日訂正】秋田のバスでは、古い車では実際にたたく方式の2点チャイムのままで使われ続けている。ある時期より後に導入された車両では電子チャイムが採用され、その数が増えているということになる。

日本バス協会などによる車内事故防止のための周知が、席を立つのは「バスが停まってから」から「ドアが開いてから」に変わりつつあるのだが、以前の赤紫のシールと新しい宝くじがスポンサーのシールが、上下に並んで貼られていた。
実は、秋田でも、まったく同じ状態の車両がある。やっぱり前降りの地方では、あまり意味がない変更のような気がする。


あまり多くない、中型バス。



いすゞのジャーニーKとかLRと呼ばれる、1999年まで製造されていた古い車種。
秋田では今もそれなりに走っているけれど、数は減っている。
清水では、短時間で上の2台を見かけた。乗車ドアが車両(中央部ではなく)後部にある独特の仕様だから、中古ではなく自社で新車購入した車か。
以前、別の外観(富士重工が組み立てたいすゞ車。上の2014年の記事参照)の古い中型バスを見たが、それとナンバーが100番ほどの違い。
富士重工ボディでは、非常口のドア【19日訂正】窓が開閉できるという珍仕様だったが、この車は未確認。
この車は、ドアに「自動扉」と表示があったり(義務付けられていたのは1988年頃まで)、「ISUZU」ロゴが前ドア上になく後部にあったりして、ちょっと珍しい。【19日追記】この年代の車で、後ろのドアが引き戸でなく折り戸なのも珍しいかも。秋田にある関西から来た中古の日野の後ろドア車では、引き戸になっている。

上の写真から、さらに2点。

清水駅行きの行き先表示の右に、以前はなかった電車のピクトグラムが表示されている。
しずてつジャストラインでは、2016年3月27日から、JRと静岡鉄道の駅、通院利用の多い病院、静岡空港、中部運転免許センターを経由または終点とするバスに、「アイコン」を表示しているという。

まあ、親切といえば親切だけど…
駅の場合は、紛らわしいかもしれない。
例えば、三保の松原方面と清水駅方面を結ぶ路線では、静岡鉄道新清水駅、JR清水駅、JR興津駅と3つの駅を通る。3駅ともピクトグラムの表示対象。
だけど、新清水駅と清水駅では、電車に乗り換えて行くことができる場所は違うわけで、不慣れな人にはピクトグラムではそれを区別できない。
【19日追記】病院だって、初診患者が乗ったとしても、病院ならどこでもいいわけでなく診療科目とかいろいろあるだろう。再診患者や見舞いに行く人ならなおさら。ほとんど意味がないピクトグラムのような…


そして、側窓とリアウインドウに、オレンジ色の丸いシールが貼られている。以前はなかった。
「にしくぼ」「しずてつ」とサッカーボールを蹴るキャラクター
しずてつジャストラインでは、車両の所属営業所ごとに異なる動物のキャラクターを描いたステッカーを貼って、識別できるようにしていた。仙台市営バスの干支と同じようなもの。
清水の西久保営業所では、以前はパンダだったのだけど、いつの間にか変わっていた。
以前は笹を持ったパンダ
新しいキャラクターは、清水エスパルスのマスコット「パルちゃん」。
以前、パンダだった由来は不明だけど、これなら由来は分かりやすい。

訪れた時は、パンダからパルちゃんに変わって間もない頃だったようだ。
西久保営業所は、今年3月22日に移転(営業開始は26日)しており、それと同時にキャラクターの引き継ぎが行われていた。(訪れたのは移転の1週間前)
営業所移転は、地震発生時の影響(要は津波ってこと?)を軽減するためだそうで、東海道本線の近くから、内陸の東海道新幹線近くへ移転したようだ。所在地としては西久保ではなくなるが、引き続き西久保営業所を名乗るということらしい。

【24日追記】上記、興津方面-清水駅-三保方面の路線は「三保山の手線」。以前は、清水駅を越えて、興津方面と三保方面を通しで運行する便が多く、一部が清水駅-三保の区間運行だったはず。現在は、清水駅-興津方面がかなり減便されており、通しの便は平日の朝夕だけになってしまっていた。残りは清水駅-興津方面の区間運行(それでも三保山の手線と呼ぶらしい)。
しかも興津方面の本数は1時間に1本程度。昔はもっとあったはず。地方都市の路線バスは、どこも厳しい状況なのだろう。

旅行記の続き
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浜街道

2017-04-17 21:02:15 | 秋田市営バス
秋田駅(西口)と秋田市南西部・新屋(あらや)地区を結ぶ路線バスが、いずれも秋田市営バスの路線であった新屋線と新屋西線。
うち新屋西線は、駅から県庁、市立病院西口(正面でなく)、川尻地区を経て、秋田運河を渡って勝平地区を貫き、雄物新橋で雄物川放水路を渡って、(勝平を含まない狭義の)新屋地区へ至る。(臨海経由新屋西線もありますが、本数が少ないので割愛します)

雄物新橋から先は、経路が二手に分かれる。
(再掲・2009年撮影)勝平側から雄物新橋を見下ろす。突き当りで道が左右へ
橋の突き当りを左折し、すぐに右折して新屋の商店街がある表町の旧道を抜けるものと、突き当りを右折して川沿いの坂を上り、県立栗田支援学校前、県営や市営の団地を通るもの。
再び合流するのは、終点の「西部サービスセンター(正式には西部市民サービスセンター)」。1つ手前はどちらも「日吉神社前」だが、バス停の位置は別。

前者のルートは特に呼び名がなく、後者は「新屋県営住宅経由」と呼ぶのが一般的か。※この記事では、前者を「栗田神社前経由」、後者を「県営住宅経由」と表記します。
県営住宅経由ができたのは、30年ほど前で、それ以前は新屋西線=栗田神社前経由(臨海経由は別として)。その名残りで、呼び名がないのかもしれない。

県営住宅経由が具体的に何年からできたかは不明だが、1988年かその少し前だと思う。
【2021年3月5日追記】1987年4月の市営バス系統図(路線図)では、後の県営住宅と思われる「新屋団地」という所で終わる、新屋西線の派生系統が記されていた。詳しい運行形態は不明。そのルート上に「浜街道」も記されていたので、1987年には後年と運行形態は異なるが、浜街道バス停が存在した。(以上追記)
1988年の時刻表によれば、県営住宅経由はわずか1日3往復の運行。
その後、徐々に本数が増え、中央交通移管後の近年は、新屋西線全体が減便されたこともあり、両経由がほぼ半々に近くなった。昼間は両経由が1時間に1本ずつ。

市営バス時代~移管後しばらくは、新屋県営住宅経由を「栗田県営住宅経由」と呼んでいたが、そのようなものは存在しない。また、ごく初期は「栗田団地経由」とされていたようだ。
市営バス時代は「栗田県住」と表示された(2002年撮影。220号車)
中央交通移管後は、一部で県営住宅経由を「栗田町経由」と表記していたものがあったが、これは紛らわしい。
たしかに、県営住宅経由には「栗田町」というバス停があるのだが、両経由とも地名としては新屋栗田町を通るし、「栗田神社前」もあるし、よそ者には不親切な呼び方だと思っていたら、やはり浸透しなかった。


今回取り上げたいのは、県営住宅経由のとあるバス停なのだけど、もうちょっとルートをたどる。
駅から来て、雄物新橋を渡って右折すると、長い坂。車道は広く、川と反対側に歩道付き。坂の下に「雄物新橋」バス停がある。
2014年のNHKBS「にっぽん縦断こころ旅」では、この坂を上から下って、雄物新橋を渡った。
坂の上。右の塔みたいなのは津波警報サイレン
坂を上りつめると、道は若干カーブしながら雄物川放水路沿いに河口の雄物大橋の上(立体交差で国道へ下りられる)、さらに海岸のももさだカエル方面へつながる。
坂の途中も坂の先も、道ばたにニセアカシアなどの木が多く、川や海が見えるわけではない。
坂の下を振り返る。雄物新橋は見えず、さらに上流の秋田大橋が見える
バスは坂の上で脇道(上の写真右の狭い道)へ入る。
川と逆側に左折する形だが、角度にして315度くらいありそうな後方への鋭角なカーブ。さらにその直後に右折がある(ここを直進すると、栗田神社の前を通って「栗田神社前」バス停付近へ出る)。
大型バスも運用される系統だが、ここがいちばんの難所かもしれない。(栗田神社前経由では狭くて曲がった道が続くのも大変そう)

この鋭角カーブと次の角の間に、バス停がある。
脇道から坂を振り返る。右が坂の下・雄物新橋

電柱の先・民家の手前を右折

そのバス停の名は、
「浜街道」
ほぼ真向かいに立つ上下両側とも、だるま型ポール。表示板は市営バス時代に設置されたローマ字入りカッティングシール文字。
表示板は両側同じ程度に色あせているが、棒の部分は上り側だけ妙に錆びていた。上の写真は下り側。

なお、雄物新橋も浜街道も、昭和末期頃は棒バス停が設置されていた。上記の通り1日3本だから、それで充分だったようだ。
浜街道から先の各バス停は記憶にないが、やはり棒だったのかもしれない。ただし、運行開始当初は現在と一部違うルートで、後で追加設置されたバス停もあったそうだ。


「浜街道」なんて、どこかロマンチックな響きのバス停。由来は何なのか昔から気になっていた。命名時にふさわしい名前がなくて悩んだのはうかがわれるけど。

「羽州浜街道」というものがある。山形県鶴岡市の鼠ヶ関と秋田市(久保田城下)を結ぶ旧街道。酒田市以北では「酒田街道」とも呼ばれる。
大ざっぱには現在の国道7号線のルートだが、本来の羽州浜街道は、この近辺では栗田神社前経由新屋西線のルートがまさにそれ。
ただし、昔は雄物川放水路がなかったから雄物新橋もなかった。両経由が分かれる橋のたもとの突き当りの崖の上に、行き止まりの道があるのだが、それがかつては街道だったそうだ。

ということで、羽州浜街道が由来だとすれば、こちら経由に「浜街道」があるのは適切とは言いにくい。
旧・秋田市交通局では、「旭北前」「勝平二丁目」「古城苑二丁目」のように、意味が分からないというか、テキトーにつけたんじゃないかと思えてしまうバス停がちらほらあるから、「浜街道」もそう(交通局の“創作”)なのかな…なんて思っていた。

その後、新事実が判明。
川と平行な坂道の道路の名称が「秋田市道 浜街道2号線」なのだそう。遅くとも1978年には存在している。
浜街道2号線の区間は、秋田大橋のたもとから雄物大橋の上(~国道に合流するまで?)までらしい。ただし、雄物新橋たもとでは、一瞬だけ県道が間に入る。
ということで、近くの道路の正式名をバス停名にしたのが真相ではないだろうか。

【18日追記】前にも書いたけれど、「大町通り」のように「点」であるバス停に対して、バスの経路と重なる「線」である通り(道路)の名称をつけるのは、場所を特定しにくくて、あまり好きじゃない。「浜街道」もその1つということにはなるが、道路名称自体が一般に浸透していないだろうし、「バス停だけで使われる名称」として認知されてしまっているのだとすれば、それはそれでいいのかな。

それから、栗田神社そのものへ行く場合、栗田神社前経由の「栗田神社前」よりも、県営住宅経由の「浜街道」で降りたほうが、少し近い。ただし、浜街道からだと鳥居・参道でなく脇から入る形になるのと、運賃が1区間高くなる。
(以上追記)

地理院地図に加筆。緑が栗田神社前経由、赤が県営住宅経由、続く左右両側がずっと浜街道2号線
↑地形図で見ると、高低差や鋭角カーブの鋭さはあんまり分からない。

バス停名としてはいいとして、道路の(愛称でなく)正式名称として「浜街道」なのも、珍しいかもしれない。たいてい地名を使うのに。バス停同様、道路にも適切な地名がなくて、苦肉の策で浜街道になったのかも。
そして、2号線なのに「浜街道1号線」はおそらく存在しないのも、不思議(計画倒れに終わったとかだろうか)。

あと、浜街道2号線の坂は、平坦な秋田市において、なかなかダイナミックな坂。
名前があってもいいのにね。「あかしあ坂(正しくはニセアカシア、ハリエンジュですが)」などいかがでしょう。

※この坂道の川側の崖下について
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大通り沿い山王二丁目の変化

2017-04-16 18:15:17 | 秋田の季節・風景
秋田市の山王大通り、山王十字路と秋田市役所の間の北側、山王二丁目の変化。
向かい側・東側から
上の写真で手前の三井住友海上秋田ビルと奥の白いビルまでの間にある数軒が、いろいろと変わった。

まず、三井住友海上秋田ビルの西隣。
ここにかつてあった「牧野ビル」が解体され、秋田市役所工事関係の駐車場を経て、今春に私立保育園ができるということだった。
できていた。左隣の朝日新聞秋田総局は以前と同じ
通りから見ると、周囲のビルに溶け込んでいて、保育園とは気づきにくい。

「わかこま第1保育園」という看板が出ている。
以前の報道では、山王六丁目の「わかこま保育園」が移転(六丁目は学童クラブのみ存続)するらしかったが、実際には、六丁目の保育園もそのまま継続しているようだ。
【8月31日追記】秋田建設工業新聞によれば、山王六丁目のわかこま保育園は解体されており、跡地に「わかこま第二保育園」が2017年度末にできるとのこと。

さらに西側
保育園の西隣の朝日新聞秋田総局は変わらず。
上の写真で左へ。歩行者用の狭い道路があって、駐車場があって、その隣に足場で覆われた建物。
足場の建物は、山王胃腸科。建物を改築するとのことで、この建物裏手(駐車場だった部分)に新しく建築。現在は移転が済んで、古いほうを解体しようとしているようだ。

っていうか、アレがない!
朝日新聞と旧医院の間、現在駐車場になっている(白い車が駐まっている)ところにあった建物がなくなっている。
間の建物は、調剤薬局(いわゆる門前薬局)や頼りない答弁で有名になった某政治家の事務所が入っていた。
そして、あの「東北六魂祭“心霊写真”騒動」の舞台でもあった。

以前から山王胃腸科の所有だったのか、それとも改築に当たって買い取るなどしたのか。
この建物がなくなったことで、代替駐車場ができて工事はやりやすくなったでしょうね。

(再掲)以前の光景。赤矢印が、六魂祭見物の人が立っていた場所

現在
このビルがなくなったことで、特徴的なデザインの朝日新聞秋田総局の建物の側面がよく見えるようになった。

軒並み建物の姿が変わり、さらに旧医院が解体されればまた光景が変わるであろう、山王二丁目の山王大通り沿い。その結果、あの危なっかしい写真の光景はなくなってしまった。※旧医院は解体されず、リニューアルされて継続使用された。この記事後半。
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手形陸橋北側歩道

2017-04-14 00:35:30 | 秋田の季節・風景
手形陸橋新旧切り替えの続き。細部に注目。

手形陸橋を北側から見た時、中央部の線路を挟んだ両側に、このようなこげ茶色の傘状の構造物が目につき、手形陸橋ならではの光景だった。
前回の通り、これは陸橋北側の歩道とその下を結ぶらせん階段で、今回の切り替え=既存部分の補修工事実施により使用が停止された。

地図で位置関係を確認。国土地理院の地形図では、らせん階段も西端の普通の階段も、どちらも掲載されていない。
地理院地図に加筆。緑色の線が手形陸橋の区間で、新しい橋は描かれていない
左側の赤矢印2つが、陸橋西端から下りる階段(現在も通行可)。階段上に等高線が入っているが、ここは秋田市では珍しい、崖状の地形。
中央の2つの赤い丸が、らせん階段。右の東側は階段下に細い道路があり、そこにつながっているが、左の西側は道路がないように見える。実際には、歩行者専用の通路のようなものがあり、左側の道路まで出られる(前回写真参照)。

北側歩道。左にらせん階段の丸い屋根が2つ並ぶ
らせん階段部分の構造は、おそらく両方とも同じ。左右対称に設置されているので、下りる場合、西側は時計回り、東側は反時計回り。
ちなみに、建物の非常階段は左回りが基本。陸上競技場も同じで、人間は左回りのほうが回りやすいらしい。
西側下り口

東側のらせん階段の途中。線路越しに西側階段も見える
らせんはちょうど2周分で、残りは15段ほどのまっすぐな階段で地面に着く。
東側の下。右奥に踏切がある
らせん階段は、1991年の拡幅(リバーシブルレーン化)時に新設されたものだと思う。【14日追記】1991年の拡幅以前には、らせんでない通常の階段があったらしい。
上の地形図の通り、陸橋の北側には踏切、南側には地形図に「歩道橋」と記した歩行者専用の跨線橋もあるし、なくてもあまり困らないと判断して、補修工事中も代替の階段を設けなかったのかもしれない。
というか、工事完了後は再び使えるようになるんでしょうかね? こういう見通し・計画を示してほしいのです。秋田県さん。

ただ、地形図を見ると分かるように、線路も微妙にカーブしているし、下の道路も陸橋とは直角に交わっておらず、手形陸橋とその下の道を歩く歩行者は、どこを通れば最短ルートなのか考えるのに頭を使う。
そんな時、陸橋に上ってらせん階段を使ってしまえば、あまり悩まずに済むという利点はあったかな。
あと、らせん階段の途中からは、俯瞰アングルでそれなりの鉄道写真を撮影することができた。
東側
【14日追記】アップ後に写真を見て発見。らせん部分外側の高欄(欄干)というのか転落防止の柵を覆うクリーム色の板の高さが、東西で違う。
西側は全区間で手すり(内側の細い銀色のパイプ)より下を覆っているのに対し、東側では部分的に手すりより上まで全部覆われている箇所がある。
どうも道路に面した部分だけが高くなっている。道路に面して民家があることから、階段からのぞかれないようにするためだろうか。

新しい南側から、北側中央部を見る
昔の電化された鉄道を越える跨線橋では、線路の真上には網が張られ、「20000V電線 危険」というオレンジ色の表示がついていた。
ところが、1991年に手形陸橋がリニューアルされた時は、上の写真のように網も表示もなくなった。背が高い透明の板で覆われたため、それらが不要なのだろう。(歩道がない南側は昔のままだったはず)

上の各写真で分かるように、北側の柵というか壁は、外側に向かって弓状に膨らんだ形状。縦方向に等間隔に茶色の支柱があり、その間は上から下まで1枚の透明パネル。現在は汚れや経年劣化でだいぶ曇ってしまったが、当初から、薄い茶色のような色が付いていたはず。火野正平さんのような高所恐怖症の人は、怖かったかも。
金属の手すりが1本あり、線路でない部分も同じ造り。


新しい南側。
黒系統でまとめられ落ち着いている
こちらは、縁が黒く平面ながらやはり全面が透明な壁。手すりは太いの1本、細いの2本もあり、下が見える恐怖感は薄まるのではないだろうか。

透明パネルは、色は付いていないようだが、横方向に細い線が等間隔でたくさん入っている。線の目的は不明。
【6月14日追記】パネルは手すりを境に上下で分かれており、下側はすりガラスのようになっていて(線は入っている)向こう側は見えない。

北側同様、路面に自転車の通行区分の表示はない。秋田では秋田市道のほうが積極的にやっていると感じるが、分けなくていいのでしょうか。拡幅完了時までに何かするのか。

【14日追記】車道と歩道の境の柵も黒いもの。
ところで、「株式会社住軽日軽エンジニアリング」ホームページの「実績紹介」に、2012年11月に施工された手形陸橋の工事が紹介されていた。同社の欄干状の転落防止柵が、手形陸橋南側に設置されたらしい。写真によれば、まだ拡幅前。
型式は「景観配慮型防護柵」「キャプロア NB-33ER-85K」とのこと。

その欄干の色も形も、今回新しくできた南側の歩道と車道の境の柵にそっくり。設置から5年も経っていないこともあるので、拡幅前の外側の柵を、拡幅後の内側へ転用したのかもしれない。
そういえば、20年くらい前は、南側には柵や欄干ではなく赤茶色の低い壁が設置されていた。(以上追記)

さて、手形陸橋から南側を眺めるのは、これまでは車で通過する一瞬しかできなかった。
今回、歩道ができたことにより、開通51年目にして初めて可能になった。
線入りガラスの隙間からのぞく
秋田駅の駅舎やホームは、歩行者用跨線橋にさえぎられて見えない。左に東口のNHKとアルヴェ、右にフォーラスや西武が見える。期待したほど眺めがいいってわけじゃなかった…
下に線路が何本もあるが、入れ換え中の車両がここで待機することがある。
【10月9日追記】南側歩道の線路より少し東(手形)側一帯では、(天候によって見えていれば)鳥海山を望むことができる。西側では建物に隠れてしまう。


最後に、再び北側へ。
北側は、らせん階段や外側の壁(透明板の枠)のほか、車道との境の柵や路面も茶色系統でまとめられていた。
2本だけだけど、県道でおなじみの竿燈をモチーフにした照明もあった。線路より東側に2本だけの設置で、色はやはり茶色。
他の県道のものと異なり、手形陸橋のはやや背が低く、道路と平行で、先端は球形。

路面は、大きめの正方形のタイルで、濃淡違いの3色あり、濃い色がほぼジグザグに(ややランダムに)並んでいた。
他のタイルの道路と同じく、経年で割れるなどした部分があり、アスファルトで埋められた箇所もあった。コストと手間を考えると、南側のようなアスファルト舗装で充分だろう。

歩道の路面と車道との境の柵
路面と柵にはちょっとした装飾があった。どちらも3パターン。
路面には、タイル4枚を使った、カラーイラスト。間隔や向きの法則はよく分からない。
上の写真は、お城。1989年に復元された、近くの千秋公園の久保田城御隅櫓(おすみやぐら)のつもりなのかもしれないが、実物には石垣はないし、建物の構造も少し違う。
おなじみ竿燈
なかなか上手だけど、提灯の紋が、1つは三角形、もう1つはワイングラス?
大若だとすれば、提灯の数は、左が6個×1列、右は6個×2列、それぞれ足りない。
これは…
近くにある太平山三吉神社の冬の行事「梵天(ぼんでん)」のつもりなんだろうけど、形状がヘン。
絵では鏡餅みたいな形状だけど、実物はすとんとした円柱。こういう梵天もあるのだろうか?

車道との柵には、横長で黄緑色のレリーフ。
柵の支柱の間隔で5スパンごと、歩道向き(車道からは柵に隠れる)。絵柄の順番はランダム?





モチーフは路面と同じで、城や梵天のデザインも同じだが、画面構成は別。

通行止め後、車道との間の柵はさっそく撤去された。
レリーフやタイルは、処分されてしまうのだろうか。どなたがデザイン・制作した作品したのか知らないけれど、20年以上手形陸橋を彩っていたものがなくなってしまうのは、ちょっと惜しい。
濃いタイルがジグザグ(航空写真だとよく分かる)
造られた時代を反映して、どこかバブリーだった北側歩道。
看板の拡幅工事完成予想イラスト(リアリティは低そう)によれば、歩道は両側とも同じデザインだし、ちぐはぐなのもおかしいから、やはり北側も南側と同じくなるのだろう。
となると、らせん階段はどうなるのか、廃止・撤去されるのか、黒系統に変わるのか。そこが知りたい。※続きはこちら
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手形陸橋 切替

2017-04-12 23:58:09 | 秋田の季節・風景
秋田駅の北側で奥羽本線をまたぐ、県道28号線のオーバーパス「手形陸橋」の拡幅(2車線×2=4車線化)工事。
前回・2016年1月では、既存の橋の南(秋田駅)側に増設車線分の新たな橋ができあがりつつあったものの、線路の真上部分は何もなかった。JRとの調整や工事が別になるためだと思われる。

その後、2016年秋。【4月13日訂正】以下、「西」とすべき箇所の多くを「東」としてしまっていたので、訂正しました。千秋トンネル・久保田町交差点側が西、手形山崎・秋田大学側が東です。
2016年11月
線路の上部分に、新しい橋桁みたいなものが置かれていた。これをなんとかすれば橋ができそう。じっくり見たいところだけど、歩道からは遠いし、下からも近づけない。
その後、いつの間にか、1本の道ができあがっていた。新旧部分で路面は同一面ですき間なくくっついている。
2017年1月。東側「手形山崎町」交差点から。奥の丘は千秋公園
上の写真で、左側の雪が積もっているのが新しくできた橋(一部は工事スペースの既存部分)。
その後、気がつけば、照明や柵も設置され、道路らしくなっていた。
ということは、もうすぐ拡幅された側も供用され、車線が増えるの?
現地の看板には、
「手形陸橋 拡幅・補修工事/平成31年度 完成予定」※天皇陛下生前ご退位により「平成31年度」はあるのだろうか…
完成は2019年度と、だいぶ先?

3月には看板などによる告知が出た。
「走行車線切替のお知らせ」
3月30日・木曜日の朝6時から、新しい側を対面通行各1車線で供用し、代わりに現在使っている側を通行止めにするという。
既存の橋の経歴は、1966年完成、1991年に若干の拡幅とリニューアル(中央線変位=リバーシブルレーン実施)が行われた古いものなので、今回、通行止めにして補修工事を行った後に、晴れて拡幅工事完了・4車線化となるのだった。

今回の車線切り替えに当たって、カーブがきつくなって運転に注意を要する箇所もあるが、車線の数は直近と変わらないし、車での通行にはさほど問題はない。
では、自転車や歩行者は?
手形陸橋は1966年以来、北側にだけ歩道が設置されていた。当初から拡幅を前提としていたのだろう。
新しい橋の南側にも歩道が設置され、そちらは通れるようになりそうだけど、工事が始まる北側の歩道はどうなるのか。
さらに、北側の歩道には、橋の下の道路と行き来できる歩行者用の階段が3本ある。西端にまっすぐな階段が1本、中央部に線路を挟んでらせん階段が1本ずつ。
北側西端。左が下へ下りる階段で、その奥に傘状のらせん階段が見えている
新しい南側には、西側の1本(拡幅前からあったのものが実質的に移設)だけで、らせん階段に相当するものはなさそう。
「走行車線切替のお知らせ」にはこれら歩道についての言及はない。
秋田市中心部の住宅や学校が多い一帯、歩道の利用者も多いのに、どうなるの?

陸橋の周辺を歩き回ると、看板を発見。
「4月1日より歩道らせんかいだん使用できません」
なぜか「らせんかいだん」と全部ひらがな書き。じゃあ、「らせん」じゃない「かいだん」は使えるの?
この看板、複数枚設置されていたが、設置場所が目立ない(通行止め後は増設された)し、説明もイマイチ。
【13日追記】車道用の看板には設置者の名前がないが、歩道用には「秋田地域振興局」とある。だけどこれだと前も後も略しているので、知らない人にはどこの組織なのか(県庁の出先であることが)分からないだろうし、連絡先もないので、極めて不親切。問い合わせたい時などは、南側西端にある工事看板で知るしかない。なお、正式な担当セクション名は秋田県庁の「秋田地域振興局 建設部 企画調査課」。

要は車道から遅れて4月1日から、北側の歩道も通行止めになるらしい。
秋田市の「広報あきた」(※)や、Googleで探せば秋田県のホームページにも、同様の告知が出ていたけど、現地でこそしっかり説明してほしい。
※この工事は県が行うものなので、秋田市は頼まれて載せただけだと思われるが、秋田市ではツイッターでも告知するなど、親切。
車線切り替え前。西側から

車線切り替え後
車の混乱はなさそう。
西側から陸橋の外を振り返って

2日間限定だった、北側歩道からの眺め。
左の丸いのがらせん階段

向かい側の新しい歩道から見ると、

南側の歩道は、幅は北側並み。路面はタイル張りからアスファルト舗装に変わった。装飾もなくシンプル。これで充分でしょう。照明は増えた。

どうなるかあいまいだった北側西端のまっすぐの階段は、前に家やポストもあるせいか、引き続き使用できる。
工事の車両や機材が置かれていることもあるが、少なくとも昼間は誘導員が案内してくれるようだ。
略図
現在は、既存部分では、柵の撤去が行われた程度で、本格的な工事は未着工。


それにしても、秋田県には、工事についてもっと積極的に周知・広報をしてほしい。
「平成31年度完成」はいいけれど、それまでにどのような手順で工事が進み、それにともなってどのような影響があるのか、知らせるべきだ。
たしか、ニュースによれば大学生だが高専生だか工業高校生だかに工事現場を見学させた(最近、建設業界団体や国交省もからんで、各地で流行っている)ようだが、近隣の人、いつも通っている人に対しては、進捗状況は何も知らせてもらっていないはず。

特に、歩行者向け。
今回の看板の事前設置状況と広報紙等での周知方法では不足。通行止め実施後に現地へ行って初めてそのことを知り、後戻りして遠回りさせられた人がいただろう。あるいは強引に車道を横断しようとしたかもしれない。
現地は、小学校から大学までの児童生徒学生が通るし、足腰が悪い高齢者も住んでいる。車より歩行者のほうが影響を受け、困るのですよ。

【16日画像追加】アップし忘れた、切り替え直後の写真がありました。
北側歩道から手形山崎交差点方向
車道に対して「カーブあり」「減速」の看板が立っている。
手形山崎町交差点から

※歩行者向け看板についてのその後(リンク先後半)
※手形陸橋の新旧部分の構造やデザインについて、後日また。←以降、この記事からリンクが続きます。
コメント (2)
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SLの思い出?

2017-04-11 23:50:49 | 昔のこと
秋田魁新報のくらし面に「えんぴつ四季」という投稿欄がある。朝日新聞の「ひととき」欄のような、エッセイ的なもの。
地方紙ならではの投稿が載ることがあり、例えば、2016年5月20日付の91歳の女性の「昔の太平登山」という投稿が興味深かった。それによれば、1937年の(秋田市立)中通小学校では、午前3時半に学校を出発し、全行程徒歩で太平山前岳山頂までの日帰り登山をしたという、今では信じられないし、知る人も少ないであろう、貴重な昔話だ。
【2018年5月12日追記】中通から前岳山頂までは、直線距離でも14キロ。小学生が日帰りで往復30キロ以上+登山したというのが、信じられない。
うちのばあさんも似たような話をしていたのを思い出した、1920年代後半~1930年代前半(大正末期~昭和初期)かと思うが、船川港町の小学校(現・男鹿市立船川第一小学校)では、全校一斉に徒歩での寒風山登山遠足(行事の名称は正確には聞いていない)をしていたという。
学校と寒風山は、直線で5キロ強。男鹿線で1駅隣の羽立駅まで行けばいくぶん近いけど、そんな話はしていなかったはず。
標高355メートルのなだらかな寒風山を、上級生は頂上まで、下級生は途中まで登っていたとか言っていたし、中通小にはかなわないけれど、学校から山のふもとまで歩いた上に山登りすること自体、今からすればすごい。やっぱり昔の人はよく歩いたようだ。(以上追記)


4月8日付は、珍しく県外から。関東地方の45歳女性による「母の故郷の駅舎で…」。
内容は、足が悪くなった母に代わって、投稿者が「母の故郷である秋田を訪れた」。墓参の後「ふと思い立って母の生家近くにあるJRの駅へ足を向けた」。
その駅にたたずむと、自分が幼い頃、この駅に来た時のことが思い出され、懐かしくなったといったもの。

一読して興味を持ったのは、どこの駅を指しているのかということ。
文中には駅名も地名もないものの、「長く広いプラットホームと地下通路は往時の面影を残していた。」とある。
特に「地下通路」が気になる。
改札口とホームを行き来する通路のことだろう。秋田県内で、というか地方の駅で地下通路がある駅って、さほど多くない。全国的には三島、沼津、熱海、盛岡とか。
秋田県内では、羽越本線・羽後牛島駅と、奥羽本線・井川さくら駅くらいしか思い浮かばない。井川さくらは1995年に新しくできた駅だし、「広い」とは言えないので、明らかに違う。羽後牛島もホーム自体は広くはないが、駅構内はかつて貨物扱いがあった名残りで広い。「駅構内」という意味で「ホーム」としたとすれば、羽後牛島のこと?(そもそも「ホームの幅」って、どの駅もさほど違わない) 投稿には駅舎についての多少の言及もあるが、「~ようだ」程度のあいまいなもので、ヒントにはならない。
ほかに県内に地下通路のある、かつ広い駅ってあるだろうか。


どこの駅かは置いておいて、注意深く読むと、もう1つ引っかかることが。
その駅にいると「この駅から初めて乗った蒸気機関車内の景色や出来事がよみがえってきた。」とある。
「蒸気機関車内」だと、蒸気機関車本体、つまり運転台内ことかと受け取れるが、内容からして「蒸気機関車にひかれた後方の客車内」という意味なのは、いいとしましょう。

よみがえった車内の思い出は具体的には床の油のにおい、木枠の窓、丸い室内灯、木の網棚、木製で硬い背もたれの座席などが挙げられており、旧型の客車であることが分かる。
秋田では、1980年代前半まで雑多な旧型客車が使われていて、僕も乗った記憶がある(この記事末尾)。

引っかかるのは、投稿者の年齢からして「子どもの頃に秋田県内で蒸気機関車の列車に乗った」ことが、あり得たのかということ。
投稿中では、煙のにおいと蒸気音についての言及もあるので、電気機関車やディーゼル機関車とすべきところを、間違ったり誤解したりして蒸気機関車と表記してしまった、つまり言葉を間違えてしまった可能性は低い。

秋田県の国鉄路線では、多くの路線で1972年前後を最後に蒸気機関車が走らなくなっている。
いちばん遅くまで蒸気機関車が走っていたのは阿仁合線(現在の秋田内陸縦貫鉄道のうち、鷹巣-米内沢)で、1974(昭和49)3月まで。
ちなみに、国内で最後まで残っていたのは北海道で、1976年3月まで。

仮に投稿者が乗ったのが1974年3月の阿仁合線だとしても(投稿では「JRの駅」とあるので、現在該当するのは鷹巣=鷹ノ巣駅だけ。その鷹ノ巣駅には地下通路はないので違いそうだが)、投稿者のお歳からすれば2~3歳の時のことになる。(地下通路が怖かったのは小学生の時とあるが、蒸気機関車に乗った年齢については言及がなく、それ以前とも取れる)
後に蒸気機関車が復活運行されるのは、県内では1989年以降だし、それに乗ったとしても、人が多くてのんびりとした沿線や車内ではないだろう。


投稿者が素晴らしい記憶力の持ち主なのかもしれない。
あるいは、投稿者が年齢にサバを読んでいるのか、魁が年齢を誤植したのかもしれない。
はたまた、記録されてはいないが、実は1974年より後でも、ひっそりと蒸気機関車が運行されていた可能性もなくはない。

だけど、その駅から(電気機関車やディーゼル機関車がひく)旧型客車に乗った記憶に、後年の蒸気機関車の復活運行で乗った記憶などが混ざってしまって、実際とは異なる「秋田での記憶」となってしまっているのではないだろうか。

投稿者を責めるつもりはない。「昔来た場所を再訪し、懐かしくなった」という投稿の大筋には影響はないし。欄の性質からして、必ずしも事実のみを伝える必要も高くはないかもしれない。
だけど、仮にも新聞紙面の中のこと。新聞社がノーチェックで掲載してしまうのはいかがなもんだろう。投稿者に「投稿内容はどこの駅でいつ頃のことですか? 紙面には載せませんけど念のため」程度の確認はし、そのウラを取るほうがいいかもしれない。
揚げ足を取って申し訳ないし、感じ方・考え方は様々あって当然だけど、事実は1つなのだから。

当ブログでも、記憶を頼りに昔の思い出をたまにアップしている。自分の記憶にけっこう自信はあるつもりだけど、確かに経験した出来事のはずなのに、その記憶がまったく抜け落ちているなんてことはある。人間の記憶なんて、いい加減なものなのです。
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冬の円筒分水

2017-04-10 23:55:37 | 秋田の季節・風景
以前、主に農業用の水を正確に分配するための円筒分水が秋田市外旭川地区にあることを取り上げた。
前に訪れたのは田植え後の5月中旬。
水の使用量が違う、他のシーズンの円筒分水はどうなっているのか、興味があった。

そこで、先日、再訪。
田んぼはまだ水が張られず、冬同然のたたずまい

車が通る道から円筒分水までの無舗装の道は、若干ぐちゃぐちゃ。
円形のアレが見えてきた
水路周辺の草が枯れているので、以前より状況が分かりやすい。
そして、鳥の声がするくらいで、とても静か。水の音がしないのだ。
たしかに、水路の水は止まっている。その先の円筒分水は、
停止中!?
円筒分水へ流れこむ水路も止まっている。
円筒分水の中は、低い位置で水がたまって鏡のような水面で、見るからにお休み中。

知らない人が見たら、池かと思いそうな状態。
でも、稼働中の円筒分水を知る者が改めて見たら、この円筒分水の仕組みが理解できた。※いくつかの方式があり、すべての円筒分水が同じ仕組みではないようです。
稼働中には見えなかったものが!
まず、上の写真で、円の中心部、水が濁っているように見える部分。
水路の上流から来た水は、地下を通ってここから湧き上がる。これは以前の水の出方でも分かった。

湧き上がった水は、今は水がたまっている大きな円の中にあふれるわけだが、そこからどうやって分配するのか、以前は水に隠れて見えなかった。
水位が下がった今は、大きな円をかたちづくっている壁に、たくさんの穴が空いているのが分かる。穴は同じ大きさ・高さで、等間隔に並ぶ。現在たまっている水は、この穴の下の位置。
穴は金属のパイプ?
つまり、この穴を通って、もう1つ外側、つまりいちばん外側のドーナツ型の枠へ流れ出ているのだった。

以前、大きな円の壁を乗り越えて、水が外の枠へ流れ出す場合もあるのではないかと予想したが、このような構造では、流れこむ水量がかなり多くないと、そうはならないだろう。

そして外側のドーナツ型の枠。

ドーナツ型の中に仕切りの壁(写真の赤い矢印)があって、3つに仕切られている。

それぞれの仕切りの先には、それぞれ1本ずつ水路(写真の青い矢印)が出ている。
つまり、ここでは水を3方向へ分けているのだった。以前は草に隠れていたせいか、2方向だと思っていた。

ドーナツ型の仕切られた部分は、2区画は同じ幅で狭く、穴の数にして4つ。残り1区画がとても大きく、北方向へ向かう水路がつながっている。
円グラフ(ドーナツ型の)をイメージすると分かりやすい。8割・1割・1割くらい。

この8:1:1が、この円筒分水の水の配分比ということになる。
このように一目瞭然で公平に(定められた比率で)水を分けられるので、円筒分水が好まれたようだ。穴の数を間違えていたら、正しくなくなってしまいそうだけど。
3方向へ分かれる
迫力はないけれど、納得できた冬の円筒分水だった。
まもなく、また水が流れ、分けられ、今シーズンの稲作が始まる。※続きはこちら

※繰り返しですが、見学の際は、事故やクマ、地域へのご迷惑には充分ご注意を。
コメント (4)
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三島の水辺の植物

2017-04-09 21:04:24 | 動物・植物
今年はやや遅めながら、徐々に春らしくなってきた。
秋田県仙北市の刺巻湿原では、ミズバショウが咲いてきたとのこと。(「夏の思い出」の歌詞とは違い、平地ではミズバショウは早春の花)
ひっそりとミズバショウが生育する秋田市中央部の某所でも、咲いていた。

さて、もう1か月ほど経ってしまったけれど、始発こまちで上京し、静岡県へ。
以前も訪れた三島市は、街中をいくつもの清流が流れている。
その1つ、源兵衛川。今回、初めて川沿いをじっくり歩いた。川岸のみならず、飛び石などで川の中をずっと歩けるようになっており(落ちても大したケガはしなそう)、なかなか楽しい。

この日の三島は、期待したほど暖かくもなく、どちらかと言えば寒かった。
まだ冬のたたずまい?
川辺には緑色の若草もちらほらあるが、枯れ草が目立っていた。
進むと、遠くに大きな葉の中で、白い筒状の花らしきものを咲かせる植物を発見!
左奥に白い花?!
早春、水辺、筒状の白い花と言えば、ミズバショウか? さすが温暖で清流が流れる町!
と思いながら、近づくと…
カラーやないかーい!
近くで見れば、葉と花のバランス、花の形状からして、ミズバショウではなく、いわゆる「カラー」こと「オランダカイウ(またはその近縁種)」だった。
ミズバショウもカラーもサトイモ科ではあるが、属は異なる。
(再掲)これがミズバショウ
それにしても、今までカラーには鉢植えの観葉植物というイメージしかなく、露地のしかも水辺で生育していたのには驚いた。
露地で育つのは温暖な環境のせいもあるが、「カラー」は特定の種名ではなく総称だそうで、種や品種によっては水を好むのだろう。

源兵衛川だけでも数か所で、カラーを見かけた。三島市の観光のホームページでも、当然のように「源兵衛川のカラー」の写真が掲載されていた。
そんなふうに、カラーが三島の風景になんとなく溶け込んでしまっているものの、日本原産ではない植物だから、栽培されていたものが野生化した、いわば「野良カラー」だろう。
キショウブなどのように、在来の生態系に影響を及ぼす植物とはされていないようだけど、本来の姿ではないわけであって、個人的にはちょっと気になってしまった。

近くを伊豆箱根鉄道駿豆線が走っており、タイミング良く、JRから乗り入れる修善寺行き特急「踊り子」が通過。
踊り子とカラー
かつては上野-大宮の「新幹線リレー号」にも使われていたこの185系電車も、近いうちの引退が決まったとか。


ほかにも源兵衛川沿いで見かけた植物の花。
これは秋田でも見たことあるけど、なんだっけ?
クローバーっぽい形のピンク色の花。タデ科の「ヒメツルソバ」のようだ。図鑑における一般的な開花時期よりは早く咲いている。これも在来種ではない。

【9日追記】上の写真下に写っている葉は、クレソンこと「オランダガラシ」。これも帰化植物で、要注意外来生物指定。

ユキヤナギ
春らしい花だけど、これも時期が早い。
秋田では、ソメイヨシノと同じかちょっと後、春本番の花というイメージなのに。


最後。川ではない、庭などの複数の場所で、葉が出かけの低木が花を咲かせていた。花は春らしく黄色で、かつ大ぶりで目立つ。枝は若干ツル状というか枝垂れている。
 
秋田では見たことがないと思う。
花は花弁が二層に重なる「二重(ふたえ)咲き」でおしべがない。おしべとなるべき部分が花弁に変わってしまった「花の器官形成のABCモデル」で説明がつく、典型ですな。

この植物は、モクセイ科「オウバイ」。※「ロウバイ」とは別。
「黄梅」だがウメの仲間(バラ科)ではなく、ジャスミンの仲間。でも香りは少ないそうだ。
ヒマラヤ~中国の原産で、おしべがないから実がならない。
原産地からすれば秋田でも育ちそうな感じだけど、耐寒性がなくて育たないのか、単に見たことがないだけなのか。


以上、ひと足早く春を感じた、三島の水辺だった。※旅行記の続きはこちら
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