広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

升屋駐車場

2014-10-30 23:37:06 | 秋田のいろいろ
秋田市大町三丁目2番地、竿燈大通りの日銀秋田支店前交差点から大町通りを南に入ってすぐのところに、駐車場がある。
最近は、建物を解体した跡に新たな駐車場がよくできているが、ここは古くから駐車場だった。
薄っぺらなビルと協働大町ビル(旧・協働社大町ビル)の間

逆側から
「升屋」という看板が出ていて、近くの那波商店系列の呉服店・升屋(ちなみに仏壇は「升谷」)が所有・営業する駐車場らしい。
もう1つ看板が出ていて、ロゴが薄れているが「JTB専用駐車場」とある。
2つの看板
そう、竿燈大通り沿いにある、JTB東北秋田店の来客用駐車場なのだ。
出入口に小屋があり、いつも人が詰めていて、駐めたドライバーはそこで何やらやりとりをしている。
(「専用」とあるから、JTBの客以外は使えないのだろうか?)


この駐車場がなくなる、はず。
今年5月1日、岩手県競馬組合から「民設民営による秋田場外勝馬投票券発売所設置計画について」が発表されて報道された。
2015年4月に秋田市に場外馬券売場ができることになり、その場所が升屋駐車場に決まったとのこと。

盛岡市の不動産業「有限会社ケーワイケープランニング」が設置運営し、敷地面積824.03平米、延べ床面積952.89平米、鉄骨造3階建て。岩手競馬を中心とした地方競馬を扱い、JRAは当面扱わない。
ちょっと狭い気がするけれど、皮肉なことに「駐車場は、近隣の時間貸駐車場を活用する予定」。
今年9月までに警察との協議や農水省への申請を行うことになっていた。
河北新報によれば「総事業費2億円強は同社が負担する。1日の利用は約250~450人を見込む。」


現地には「建築計画のお知らせ」の看板が立てられ、工期は10月15日からとなっていた。
奥の紅葉は那波家の水汲み場のケヤキ
ところが、今日現在、駐車場は営業中。
「駐車場やめます」という告知看板などはないし、JTBのホームページでは引き続き升屋駐車場を案内している。
2012年10月のGoogleストリートビューより
以前と違うのは、建築計画のお知らせが設置されたこと、前の自販機が撤去されたこと、プランターに何も植えられていないこと程度。

升屋駐車場がなくなれば、JTBさんは困るだろうから、なくなるのなら事前にアナウンスはするだろう。
そもそも、着工が予定より2週間もずれこむだろうか。
どこかから待ったがかかって、馬券売場計画が頓挫してしまったのだろうか?
ネットを見てみても、情報は見つけられなかった。

ここに馬券売場が必要なのかは何とも言えないけれど、気になる。

【11月9日追記】この後、11月3日の週の間に変化があった。出入り口の小屋が撤去された。駐車スペースは変わらない。
どうも従来は、JTB利用者以外でも使用できたようだ。JTB来店者は、小屋で駐車券を受け取り、さらにJTB店内でサービス券をもらって小屋に提出するような手順だったらしい。
小屋がなくなった後は、JTB専用の駐車場になり、JTBのホームページによれば券を用いなくなったようだ。
とりあえずは着工に向けた動きのように思えなくもないけれど、駐車場として機能している以上、まだ着工は先でしょう。

【12月20日追記】12月17日に地鎮祭が行われたことが報道。ついに着工した。
18日付秋田魁新報社会面によれば、予定通り来年4月オープンで、「テレトラック秋田(仮称)」
先月、農林水産省に設置申請を行い、今月16日に承認を得た。
「延べ床面積962平方メートル」に変わっている。

【2015年1月19日追記】2015年に入って工事が本格化。「升屋駐車場」といった看板はすべて撤去され、従来駐車スペースだった部分は囲われて盛んに工事が行われている。協働大町ビル側に車が通れる幅の通路が残され、奥のほうにつながっていて、JTB利用者はそこ(写真で見えている立体駐車場の手前? JTBの建物の真裏辺り)へ駐車するようになった。つまり、工事現場脇を抜けて、工事とは無関係の部分に駐車できることになる。

【2015年2月24日追記】2月下旬に工事現場の囲いに設置された看板によれば、「4月中旬」オープン予定。

※続きはこの記事後半
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柏農パン

2014-10-29 23:27:32 | ランチパック等パン類
青森のパンの話題。
2012年から3年連続で、秋田県立金足農業高校とローソンがコラボし、たけや製パンが製造したパンケーキが、1か月ほどの期間限定で秋田県内のローソンで販売されてきた。
全国各地でほぼ同じことが行われていて、現在は青森県内で実施されている。

※秋田にしても青森にしても、他県にしても、高校生の考えたものがそのまま採用されて製品化されたのではないと思う。
ローソン側の事情、製造する企業側の都合、つまりコンビニで相応の価格で売るためのコストや制約があるから、それなりに“大人の手”が入っていると考えるべきだと思う。例えば、金農パンケーキでは、ヤマザキ・たけやブランドのホットケーキの製造ラインを流用というか転用したり、菓子パン類と原料調達元を共通化したりしていると思われるように。【11月3日追記】後の追記の通り、「コラボ」というより「高校生のアイデアを元に、ローソン(と製造業者)が指導して製品化した」が適切かもしれない。


10月22日から5週間(陸奥新報によれば11月24日まで)、青森県内205店舗で売られているのが、
柏農のハヤシパン 230kcal 8%税込み140円
製造は工藤パン、発売初日には店頭に高校生が来て販売するなど、金農と同じパターンだけど、こちらは惣菜パン。
「柏農」は「はくのう」と読み、平川市(旧・平賀町)にある青森県立柏木農業高校のこと。校名の正式な読みは「かしわぎ」。

金足農業の「金農」を「かなのう」と読むのは、知らない人には難読。
金農パンケーキの包装では、初年度は振り仮名がなかったが、2年目からは振られている。
「柏農」も同様な難読だと思うけれど、包装に振り仮名なし。こういうノウハウ(金農の先例)はローソン側が持っているのだから、教えてやって反映させるのが、コラボする企業の責任ではないだろうか。
金農と柏農では、ローソン側の担当者が別で、情報共有できていないのかな??

【11月3日追記】高校のホームページでは「商品のアイディアから販売までを生徒達でアイディアを出し合い、ローソンと工藤パンの指導のもと、」とあった。実態としては「コラボ」というよりは「指導」が適切なのかもしれない。(だからこそ、ふりがななどのことはちゃんと“指導”してやるべきである)


プレスリリースによれば、同校生活科学科2年生の8名とローソンが共同開発。
「青森県産のにんにくペーストを入れコクのある味わいに仕上げたハヤシソースを、青森県産の長芋、米粉、牛乳を加えたパン生地で包み、表面にチーズをかけて 焼き上げました。パン生地に長芋を加えることで、もちもちとした食感に仕上がりました。」
「レンジで温めてから召し上がっていただくとさらに美味しく召し上がっていただけます。」とのこと。
 
こういう見かけのパンは、皮がけっこう硬い場合があるけれど、これは柔らかかった。ナガイモのおかげ?
ハヤシソースはたっぷり。特にニンニク臭さは感じなかったけれど、少ししょっぱい気がした。でも、味はいい。
温めないで食べたけれど、充分おいしかった。

※2016年にはこのような商品が発売。(リンク先冒頭で少々触れているだけですが)



ここからは、ローソン以外で売っている工藤パンの製品を少々。
今年7月に、フレッシュランチのツナサラダなど定番商品のパッケージ(と中身の味も?)が変わったことを取り上げた。
今回、クリームパンの包装も変わっていたのに気づいた。
再掲)以前のクリームパン
食べていないので、味は不明。→その後食べた


最近、「パネトーネ種」とかいうパン生地の組成を工夫して、長期間保存できる菓子パン類がちらほら売られている。
工藤パンでも、この10月から「ロングライフ(LL)製品」として発売を始めたらしい。→こちら(上のクリームパンと同じ記事)

ホームページによれば一気に9種類も出ていて、クロワッサンやあんパンから青森県産ふじを使ったアップルスティックパイなどが揃っていた。
店によっては置いていなかったり、一部しか置かない店もあった。
秋田のたけや製パンでは、ロングライフ製品は未発売のはず。


お盆のお供えセットに入っていて初めて食べた、津軽名物「いもすけどん」。その、
2個入り

トレイに無造作に2個入っていた


そして、イギリストーストシリーズ。
青森放送ラジオとのコラボ商品など、興味深いものがたくさんあった。
今回買ったイギリストーストの一部
続きは後日
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秋の奥羽北線

2014-10-28 23:51:39 | 秋田の季節・風景
弘前への奥羽本線での道中は、秋の景色の中だった。
「つがる」とすれ違い
↑走行中の列車のガラス2枚越しなのにきれいに撮れた。
上の写真でも少し見えているように、大久保辺りから進行方向正面に山が見える。五城目の「森山」かと思っていたが、森山はもっと右だし形が違う。
八郎潟駅付近にて。右側車窓に森山

八郎潟駅手前。馬場目川を渡るところ
昨年秋の「こころ旅」の目的地となった、鯉川駅近くの採石場と森山の間をつなぐ位置にある山だ。
八郎潟を出て進むと、山は右に移る。反対側は八郎潟干拓地が望める

帰ってから調べると「高岳山(たかおかさん)」という、八郎潟町と三種町の境にある200メートルほどの山。滝や神社があるそうだ。
森山も高岳山も、常緑樹(杉?)と落葉樹のどちらも生えているようで、緑の一角と紅葉で鮮やかな一角が混ざっていた。



飛んで青森県へ。
青森に入って最初の駅・津軽湯の沢付近
2009年と同じ光景だけど、ここもきれい。沿線のススキが列車の風に揺れる。


今回、列車で乗り合わせた、JR東日本関係者の話題を3つ。
・列車巡視
列車に、その運行とは直接関係のない鉄道会社社員が乗っていることがある。
業務上の移動のために「便乗」していることもあるようだが、ヘルメットと反射材のベストを来た保線の社員が先頭の運転席内に乗ることがあって「列車巡視」と呼ぶそう。
走る列車の先頭から、目と耳と振動など体感で、線路の状態を把握する。

俳優の田中要次さんは、かつて国鉄→JR東海で保線職員・社員をしていた。
BSジャパン「聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅」の第1回にも出ていたが、「列車巡視は仕事ではあるけれど、ちょっとした旅気分になれて好きだった」とおっしゃっていた。

今回は、行きに鹿渡(かど)駅から、当時の田中さんくらいの年齢であろう保線社員が乗ってきた。
(他地域でも似たようなものだろうけど)JR東日本秋田支社管内では、保線員が運転席に入る時は運転士にあいさつをするのが慣例になっているようで、「臨時の列車巡視で大館までお願いします」と言っていた。

列車巡視にも定期と臨時があるのかと思ったが、乗るのが鹿渡駅なのが中途半端な気がしたのと、そこから64.5キロ・1時間以上に渡って前方を注視するのはけっこう大変そうに感じた。(運転士は秋田から大館まで100キロ、前を見続けるわけだけど)

今までは、保線員が乗っているなくらいにしか思っていなかったけれど、田中さんの話を聞いた後だったので、意識して拝見してみた。
隣の運転士とは、業務上の雑談を3~4言交わしたくらいで、後はかなりまじめに前方を見たり、時々何かに記入したりしていた。無線機のほか、ハンディタイプの電子機器のようなものも携帯していたが、それらには頼っていなかった。
こうして、鉄路の安全が守られているのだ。


・調査員
行きも帰りも、県境の大館-弘前がワンマン運転となる普通列車だった。
そのどちらも、おそらく学生アルバイトと思われる、スーツ姿に「調査員 ジェイアール東日本企画」という腕章を付けた人が乗っていた。弘前駅の改札口前でも、同じ服装の別の人が、おじさん(=東日本企画社員?)から腕章などを渡されて何やら説明を受けていた。
調査員は、途中各駅での降車客数(と乗車客数も?)を数えて記録していたようだ。

普段はワンマン運転の列車だし、大館-弘前の途中各駅にはいずれもJR社員がいないので、駅ごとに乗降人数を把握できないから、そのための調査なのだろうか。あるいは東日本企画は広告代理店業もやっているから、広告関係の資料の情報収集とかかもしれない。


・そっけない放送
最近は自動放送がある路線や車両もあるけれど、車掌の大事な業務の1つが車内放送。
車内放送のやり方は、JR東日本の場合、各運輸区ごとに“伝統”があるようだ。(さらに個人差もある)
秋田以北の奥羽本線では、秋田、東能代、大館、弘前、青森の各運輸区が担当するが、それぞれで放送を入れるタイミングや、案内の言い回しさらには案内する内容が異なる。
例えば、大館運輸区の人はドアが半自動であることを説明するなど丁寧だとか。

帰りの普通列車は、弘前から大館まではワンマンで、大館から秋田まで車掌が通しで乗務する。
その車掌が、どこの所属かは分からなかったが、非常にそっけない車内放送だった。
大館とか東能代といった比較的大きな駅の発車後なら、一般的には「ご乗車ありがとうございます。この列車は普通列車の秋田行きです。○○、○○…の順に各駅に停車します。途中の主な駅の到着時刻は…。終点・秋田には○時○分の到着予定です」などと案内し、トイレの位置、携帯電話についての案内などを放送するだろう。

しかし、今回の車掌は「ご乗車ありがとうございます。普通列車秋田行きです。次は下川沿に停まります」だけ。
大館から秋田まで、途中駅や終点・秋田駅の時刻の案内は一度もせず、トイレや携帯電話使用の案内もなかった。
これほどそっけない車内放送は、秋田では初めて聞いたかもしれない。


この列車は、平日ならば帰宅の高校生が乗客の大部分。乗り慣れていてすぐに降りるから、それでいいのかもしれない。
ところがこの日は休日。車内を見渡せば、大館より手前から乗り通す旅行客が目に付いた。
(車内巡回はしていたが)ワンマン区間から乗っていて、秋田に何時に着くか分からなくて知りたい客がいたかもしれないし、1時間半以上乗り続ける客も少なくないのだからトイレに行く客だっていただろう。

比較的停車時間があり、乗り込む客が多い大館や東能代の停車中にも、何の放送もなかった。
この列車がほんとうに秋田行きなのか不確かな状態で乗ってくる客、間違って違う方向に行くのに乗ってしまった客、ホームに降りて電話や自販機を使う客がいるかもしれないのだから、「この列車は○時○分発秋田行きです」という放送もするべきだ。
さすがに鷹ノ巣、東能代、秋田到着時には、乗り換え列車の案内はあったが、繰り返さず1度だけ淡々と読み上げるような感じで、これも休日にしては物足りないと思う。

乗り過ごしたり乗り間違えたりすれば、次の列車まで1時間は待たないといけなくなるし、最新型車両のように文字情報装置もないから、車内放送による情報提供は大事だ。
こんなにそっけない車内放送なら、ワンマンの自動放送だってできる。
(お決まりの携帯電話については別になくてもいいけど)客層を見て、臨機応変に親切な案内放送をしてほしいと感じた。
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新消火栓目印

2014-10-27 23:27:27 | 秋田の季節・風景
久しぶりに消火栓の目印の話。
積雪地である秋田市では、冬期の使用を考慮して消火栓が地上部に出ている。さらにそれが雪で埋もれても分かりやすように、目印を設置する。

常設の標識タイプは別として、最近までは長らく、赤い旗を付けた竹竿を、冬の間だけ消火栓に結びつけていた。
2012年辺りからは、夏の間も撤去しないようになり、さらに竹竿ではない目印が登場していたのだが、このやり方は欠点が多いように感じていた。

まず、通年設置されていることにより、締め付けが緩んだり何かがぶつかって曲がったり折れたりするものを見かけるようになった。
それに新しい表示は、色や高さの点で従来よりも目立たなくなって、目印としての機能が低下しているように感じていた。

新しい表示は、消防署ごとにやり方が異なるようだ。
(再掲)秋田消防署管内で多いタイプ

(再掲)土崎消防署タイプ

最近、さらに新たな目印を2種類(各タイプ1か所ずつ)発見した。
まず、中通の中央通り近くだから、城東消防署管内だろうか。
駐車場出入り口のそばの消火栓
従来の竹竿と同じくらいの長さの赤とオレンジ色のパイプは、土崎消防署管内では見られたが、城東署管内ではなかったかもしれない。「設置は義務です住宅用火災警報器」の札が中途半端な位置にあるように見える。
変わっているのは、棒の先端。
何か付いている?
おそらく、ソーラーで発光するガーデンライトではないだろうか。
高価なものではないはずだけど、耐久性・信頼性は大丈夫でしょうか(別に光らなくても困りはしないけど)。


もう1つは、秋田消防署管内。歓楽街川反の隣の大町通り。
以前から気になっていた場所で、何度も目印(竹竿タイプだったか?)が破損したのを見ている。
飲食店の納品や客待ちの代行車などが停車するからそれらがぶつかるのか、酔っぱらいが壊してしまうのか、いたちごっこだった。
それが、
おおっ!
すごく長くてやや太い棒。高さは消火栓自体の4倍ほどか。
銀色のパイプに、黄色と黒のテープをらせん状に巻いている。
これなら、竹竿や細い棒より頑丈そうではある。

2か所で固定している
だけど、何かの拍子に棒自体が倒れでもしたら、かえって危険なような…


各消防署が知恵を絞って目印を設置しているようだけど決定打は出てこないようだ。そんなことしなくても、従来通りの竹竿に赤い旗にしておいたほうがいいような気もしなくはない。
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紅葉の弘前公園

2014-10-26 23:58:48 | 津軽のいろいろ
弘前へ行ってきました。
「弘前城菊と紅葉まつり」開催中(10月17日~11月9日)の弘前公園(弘前城址)の模様。
昨2013年は1週間ほど遅い11月初めに訪れていた
※「弘前城菊と紅葉まつり」は、以下「菊まつり」と表記します

今回も、アフターDCの企画きっぷ「秋田・津軽イコイコパス」を使ったので、JRも弘南鉄道も乗り放題。
そして昨年同様、弘前市による大鰐線活性化事業の一環で、大鰐線・中央弘前駅で下車すれば、菊まつり開場の植物園など弘前公園周辺の3施設の入場料510円相当が無料になる!(詳細は昨年の記事参照)
ということで、今回も実質タダで弘南鉄道に乗って、タダで入場させてもらった。
昨年と実施形態はまったく同一。土曜日の11時で乗車証明書の通し番号は「17」。昨年は昼頃で31だったから、ちょっと出足が鈍いかな?

さらに弘南鉄道大鰐線の活性化対策として、今年の菊まつり期間中の土日祝日は、列車ダイヤに合わせて、中央弘前駅から土手町・弘前駅方面、弘前公園方面を結ぶ無料乗合タクシーが運行されていた。(停留所は決まっているから、タクシーというよりはバス的なものか)
僕が降りた時もチラシを配っていて、実際にジャンボタクシーが2台(2方向別に1台ずつ)待機していて、乗る人もそれなりにいた。僕は途中寄り道したかったので、徒歩で公園へ向かった。

この日は晴天。気温は20度程度で歩くと暑いくらい。岩木山もよく見えた。
ただ、山が紅葉しているのはあまりよく分からない。山の紅葉が終わりつつあるためか、大気や光線の状態なのか。
弘前に住んでいた頃、朝に山が帯状に赤くなって、それが徐々にふもとに下りてくるのがはっきりと見えた時があったのだが。
追手門
外堀などの桜の紅葉は、鮮やかな部分もあれば、日当たりによってまだ緑の所も。

観光客は相変わらず多く、(アジア系ばかりでなく欧米系の)外国人も多い。でも、桜まつりに比べるとずっと少なく、少し外れれば誰もいない一角があって、のんびり散策。やっぱり千秋公園よりも高低差は少ないが面積が広い。
追手門を入ってすぐのケヤキ並木
弘前公園というか弘前の街は、(秋田市と比べて)さほどケヤキが多くない気がする。
追手門の横から市民会館方向への道は、ケヤキ並木になっていて、形のいい木が美しく紅葉する。ケヤキの紅葉の色は個体差があるが、ここは紅葉というより黄葉する木が多い。

菊まつり開場の弘前城植物園内へ。
恒例の菊の岩木山と菊の五重塔
菊はまだ満開前のものが多かったので、ちらりと見るくらいにして。
ブナの黄葉もちょっと早い

こちらは鮮やか
左手前からハクモクレン、トチノキ、(あまり見えないけど)ユリノキ。

これも黄葉
葉っぱといっしょに、
豆!
「キササゲ」。豆はいちおう生薬になるらしい。

ホトトギス 

植物園の北側の出入口から外に出ると、菊のゲートの向こうには、
ぶりぶりざえもん
「ぶりぶりざえもん」は、「クレヨンしんちゃん」内で野原しんのすけが考案したキャラクター(劇中劇的な存在)。
そういえば昨年もいたけど、しんちゃんはいなかったはず。なぜにぶりぶりざえもん?


今度は、本丸・北の郭の有料区画へ。※昨年の記事
10年がかりの石垣修復工事がいよいよ本格化するから、紅葉と現在位置の天守(天守閣)の組み合わせは今を最後にしばらく見られなくなる。※今年夏の記事
北の郭・館神跡からは、定番の下乗橋とは逆側から天守を見ることになる。
右の石垣の上が本丸
工事は、10月中に堀の水を抜き始め、11月頃から埋め立てるようだが、今のところ水が引いているようには感じなかった。
【11月13日追記】11月25日からポンプを使って水を抜くことになった。5日ほどでなくなるという。
【11月28日追記】26日付陸奥新報サイトによれば、「北の郭の西口券売所裏手の内堀からポンプで水をくみ上げ、蓮池に流す」「約9400トンの内堀の水全てを抜くには5~7日かかる見通し。」
【12月1日追記】12月1日から、いよいよ砂による埋め立て作業が始まった。二の丸与力番所前から重機が入り、来年2月までかかる予定。
【2015年1月14日追記】翌年1月13日に、天守の展示品(駕籠や刀、槍など約110点中約80点)が公園下の市立博物館へ搬出された。天気は良いものの雪が積もる中、クレーン車などを用いて慎重に運び出された。保存環境を考慮して工事終了後も天守内では展示を行わず、市立博物館と武徳殿で展示するとのこと。

手前の石垣に…
石垣にずいぶん草や木が茂っていた。夏はそれほどでもなかったのに。
それらが紅葉してきれいなことはきれいだけど、石垣に植物が生えて根を伸ばすってもの、石垣にとってはあまりいいことじゃないのではないでしょうか。
問題の膨らんでいる箇所にはツタが少々

本丸のシダレザクラの黄葉

天守に登って、館神跡(右奥)方向を望む
天守周辺の発掘作業が行われていた。
天守は、今シーズン(あと1か月)は通常通り公開。冬期休業中に展示物を搬出し、来春の桜まつりは空の状態で公開。その後、閉鎖して曳き屋して、移動先でも内部を公開する計画だそう。
※翌2015年のさくらまつりでは、埋めた内堀が開放された

この光景はしばらくお預け

この超定番アングルも




西濠の春陽橋

奥は「旧紺屋町消防屯所」
昨年は消防屯所は内部公開されており、見せてもらった。今年は行かなかったので不明。
市役所敷地内の「旧第八師団長官舎」は公開されていた。
先週の報道によれば、弘前市は第八師団長官舎内に店を出させることにして業者を選んでいたそうだが、それがスターバックスコーヒーに内定したという。
あまり大きくない建物だし、畳敷きの部屋もあるし、看板を付けられたらイメージが損なわれる気もしてしまうし… 市の収入にはなるわけだけど、どうなってしまうのかは少々気になる。
【29日追記】28日アップの弘前経済新聞サイト「弘前の国登録有形文化財にスタバ初出店-市民は賛否両論」によれば、
「2015年春にオープンを予定としており、年内には協定書を取り交わす予定」
「スターバックスの出店が決まれば青森県内では5店目となり、弘前市は初出店」
「喫茶・カフェ文化が根付いている同市への人気チェーン店出店には、さまざまな意見が飛び交っている」そうで、不安な声としては既存の地元店への影響が挙げられていた。
※開店後の様子はこの記事中ほどに少々。(以上追記)


桜まつりや雪燈籠まつりで賑わう、北側の「レクリエーション広場」は、
がらーん
こんなに殺風景だったっけ? それこそグラウンドとして貸し出したら良さそう…


暑かったので、「チリンチリンアイス(夏の記事参照)」の屋台も出て、繁盛していた。
弘前のチリンチリンアイスは、黄色一色だけだと思っていた。どうも「リンゴ味」ということらしい。

実は、夏にそうでないチリンチリンアイスも存在することを知った。
屋台は他と同じなのだが、「スチューベンアイス」という紙を出した屋台を見たのだ。スチューベンは鶴田町特産のブドウ。
食べたかったのだが、食べたいと思った時に近くにあった屋台は、従来の黄色いのだけで、食べられなかったのだ。

今回、スチューベンアイスを売る屋台に遭遇できた。
頼むと「ブドウと『獄きみ』というトウモロコシのと2種類あります。どっちにしますか?」と聞かれた。
獄きみアイスもあるのか! 心を動かされかけたが、初志貫徹。スチューベンを購入。
価格は、通常と同じ150円。
チリンチリンアイス スチューベン版
いつもはアイスクリームディッシャーで1回載せるだけなのに、なぜか2杯分盛り付けてくれて、おトク。(頼めばスチューベンと獄きみと1杯ずつなんてできないかな?)
食感は通常と同じで、さわやかなブドウ味がおいしい。気に入った。
他のお客さんには獄きみのほうが人気のようだけど、個人的にはトウモロコシ味のアイスって…(車内販売のコーンポタージュ味を連想してしまう。あれもまずくはなかったけど)いずれ食べてみましょう。

そういえば、夏に見た時も今回も、売っているのは同じ人だったようだ。作務衣みたいのを来た男性(実際には「甚平」のようで、ツイッターをやっておられるようだ)。店を出す場所は、毎回異なっていた。
「弘前アイス組合」とやらのシステムがよく分からない(会社組織である秋田のババヘラとはまた違うようだ)が、運が良ければ遭遇できるレアアイスということか。
【2015年5月2日追記】さくらまつり期間中は、甚平の人も他と同じリンゴ味を売るという情報もある。

今年夏に東北6県向けに放送された、NHK八戸報道室【27日訂正】支局のカメラマンレポートによれば、青森県内のチリンチリンアイス販売者は現在75人。八戸では1人だけで風前の灯のようだった。(しかも色が少々毒々しかった)
弘前では、後継者がいて、新たな商品開発などをしてがんばっているのだろうか。


弘前公園の紅葉はまだまだ楽しめそう。文化の日くらいでも大丈夫かな?


※弘前大学の古いバスについて、新たな情報が判明。詳細は以前の記事の追記にて。
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ケヤキの紅葉

2014-10-24 00:07:39 | 秋田の季節・風景
雨の日と晴れの日が交互に続いて、気温が下がって、秋田市内でも木々の紅葉が進んでいる。今はケヤキが特にきれい。
大町公園橋から二丁目橋方向・那波家の水汲み場のケヤキ

さまざまな色

竿燈大通りの街路樹のケヤキ
いちばん手前・東端の木は、まだ緑色の葉が多く、しかも幹が太い。日当たりがいいせいか。

千秋公園・穴門の堀越しの県民会館・和洋高校の土手も、
(再掲)9月

手前の黄色いのはイチョウかな。背後の千秋公園の山も鮮やか

その千秋公園。
県民会館や市立中央図書館明徳館向かいの二の丸への上り口、「大坂」と古い人は呼ぶ坂の下の内堀(池)付近。
全山紅葉

池のほとりは桜で、あとはケヤキ?
僕の写真ではうまく表現できないが、現地で肉眼で見れば、街中とは思えないダイナミックな光景。

秋田大学附属学校前の保戸野学園通りの街路樹のケヤキもきれい。
ケヤキのトンネル
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2014.11バスダイヤ改正

2014-10-22 23:47:40 | 秋田のいろいろ
中央交通の秋田市内の路線バスのダイヤ改正が11月1日に行われることとその変更点が、同社ホームページに10月20日付で掲載された。(ダイヤ改正があること自体は、先週末の秋田市の広報に載っていた)
最近は秋(10月だったり12月だったり一定しない)にダイヤ改正されることが多かったものの、今年は春に実施されていたので秋はないかと思っていたら、やはり実施される。
今回も、2011年9月ほどの大幅減便ではないものの、路線によっては複数の減便が実施される、どちらかといえば後ろ向きの改正である。

路線・系統そのものの廃止は今回はないが、新屋日赤線の日赤病院発が廃止され、片方向の路線となる。また、いくつかの路線で、土日祝ダイヤでは1本も運行されなくなる(平日のみ運行)。
5分とか10分の時刻移動が多数、途中経由地や発着地の変更が一部あるが、ここでは、廃止(減便)されるものを中心にまとめてみる。
※以下、すべての変更を網羅したものではなく、見間違い・勘違いがあるかもしれません。利用の際は各自、ご確認願います。
※以下、正確には「土日祝」ダイヤですが、ここでは「土日」と記載します。「秋田駅西口」「秋田駅東口」は、「秋田駅」もしくは「西口」「東口」と略して表記することがあります。

まず、概要はこんな感じ。
1.最終便繰り上げと運行間隔が短かった時間帯の間引きを中心とした、さらなる減便
2.長距離路線の一部ダイヤで運行区間を短縮
3.土日全休路線の増加
4.一部区間における途中停留所通過時刻の見直し
4番目以外は、いずれも乗車率が低い部分をカットするものであり、運行効率化が目的と考えられる。

路線ごとに。
●新国道経由追分線
土日 天王グリーンランド7時17分発を廃止(7時02分発と17分発が続行していた。その分、飯島北発を増便)
●新国道経由土崎線(飯島北発着)
平日
下り7本、上り8本減便(時間帯は朝~夜まで散発的。上り最終飯島北21時20分発も廃止され、20時55分発を21時10分発に移動して最終便に)
下り2本、上り1本を土崎駅前着発に短縮
土日
飯島北7時35分発を増便(追分線減便の代替)
下り3本、上り4本減便
下り最終秋田駅発21時50分発を土崎駅止まりに短縮(飯島北行き最終は21時10分)
●新国道経由セリオン線
土日 下り秋田駅7時30分発を減便

●県庁・寺内経由土崎線(飯島北発着)
土日 下り最終秋田駅21時05分発を減便
※最終は19時05分の土崎駅止まりなので、寺内経由で飯島まで行くのは18時05分が最終となる。途中まで同経路の県庁寺内経由サンパーク行きは20時20分が最終

●県立プール線
平日 下り17時00分、上り10時00分、最終19時30分減便(最終は19時00分を移動して19時15分に)

●添川線
平日、土日とも18時台の上り最終を減便(最終は17時台に)

途中バス停の時刻変更
下り現行:西口(13分)天徳寺前(12分)蓬田上丁を、平日最終(19時15分発)と土日の全便で、各11分・14分に変更。
上り現行:蓬田上丁(12分)天徳寺前(15分)西口を、土日全便で各9分・18分に変更。
いずれも途中の時刻のみの変更で、終点着時刻は変わらず

●神田線
平日 上り外旭川市営住宅18時23分発を減便(前後に08分と38分あり。笹岡線廃止後のしがらみがやっと解消か?)

天徳寺バイパス経由の増加 ※今春の開設時の記事
平日・下り4本・上り10本、土日・下り6本・上り7本を旧道経由から天徳寺バイパス経由に変更
朝から夜までほぼまんべんなくバイパス経由が登場(平日午後の下りは13時00分の次は16時40分までバイパス経由なし)し、総本数では旧道経由のほうがわずかに多い程度になる。
→できて半年でだいぶ増えたものだ。この分では…

●松崎団地線
平日 車庫~駅発15時台、折り返し16時台を1時間繰り上げ

●手形・谷内佐渡経由ノースアジア大学線
大川反車庫7時13分発→長崎屋→西口7時35分発の1本だけが毎日運行されていたが、土日全休

●西口発築地・横森経由ノースアジア大学線
平日 下り2本、上り1本減便。9・14・16時台の3往復に(1往復は代替として東口発を増便)
土日 3往復半すべてを廃止 。土日全休

●東口発明田・横森経由ノースアジア大学線
平日 10時台1往復増便(築地経由の代替か)
土日 上り18時00分発減便

●南大橋・御所野経由 新屋日赤病院線(平日のみ運行)→秋田営業所管轄だったのか
下り日赤発13時55分発、上り西部市民サービスセンター14時35分発を減便
西部市民サービスセンター7時30分発の片道1本だけになる

●赤沼線(大川反車庫-西口-大学病院-東口)
平日 車庫6時25分発、東口12時15分発増便
土日 車庫7時00分発、東口18時25分発増便
→後述の駅東線減便の代替?

●日赤病院経由 広面御所野線
平日 上り中央シルバーエリア8時50分発減便(前後に8時40分と9時00分発あり)

●手形山団地線
土日 駅19時55分発、上り最終大学病院19時50分発を減便(19時10分発を30分に移動して最終)

●秋田温泉線
土日 駅19時40分発増便(仁別リゾート公園線減便の代替=実質的には仁別線の短縮)

臨海営業所発着(県庁・西口経由)だった平日昼間(下り2上り3)、土日全便(下り4上りは元からなし)を秋田駅西口発着に短縮
営業所発着は、平日の朝・夕3往復のみに(別に駅を経由しない直行の上り2本)

途中バス停の時刻変更
下り現行:西口(11分)旭川小学校前(5分)温泉入口(4分)蓬田上丁を、平日夜・土日全便で9分・5分・6分に変更。
上り現行:蓬田上丁(3分)温泉入口(4分)旭川小学校前(13分)西口を、全便2分・3分・15分に変更。
添川線同様、終着時刻は変わらず。

●仁別リゾート公園線(途中まで秋田温泉線と重複)
土日 駅19時40分発減便(代替として秋田温泉を増便。経路が同一なので実質的には短縮)

臨海営業所発だった平日2往復、土日上り1本を駅発着に短縮
下り営業所発は平日朝8時35分のみ。上り営業所行きは平日3本、土日朝1本となる。

秋田温泉線同様の途中時刻変更

●牛島経由御野場団地線
土日 車庫19時08分発(西口19時30分発。御野場団地線としては最終だが重複路線は遅い便あり)、御野場8時10分発減便
●柳原経由御野場団地線
土日 西口17時20分発(17時10分と30分に牛島経由あり)、御野場9時30分発減便
●仁井田・御所野線
土日 車庫17時38分発(西口18時00分発)、イオンモール19時00分発減便
→仁井田方面の利用状況は知らないけれど、土日だと朝夕でもこんなものだろうか。

●愛宕下橋経由雄和線
土日 今春1往復に減らされた(15時45分西口発、9時00分雄和市民サービスセンター発)が、それも廃止。土日全休に(平日は3.5往復)

●牛島経由 二ツ屋福島線
土日祝 秋田駅8時40分、二ツ屋中丁8時56分発の1往復を減便。4往復に

●南大通り・牛島経由日赤病院線
平日 日赤病院7時00分発牛島小学校経由減便
土日 日赤病院8時20分発牛島小学校経由減便。土日上りは12・14時台の城南中経由2本のみに

●牛島回り茨島牛島環状線(平日のみ運行)
西口7時05分発を牛島変電所前7時24分発に短縮し1周しなくなる。(変電所→秋田大橋→旭南→大町→通町→西口と運行)
1周するのは17時25分発1本だけに

●牛島経由大野線
土日 これも今春から大川反車庫14時30分発(西口14時50分発)、大野四区9時35分発の1往復に減らされていたものを廃止。土日全休(平日は3.5往復)

●川尻割山線
平日 西口8時40分発、南浜回転地9時00分、17時50分減便(いずれも商業高校経由)
これにより、商業経由駅行きは、8時30分の次は9時30分(間は船場町経由と珍しい県庁経由が2本)、17時25分の次が18時20分(商業高校始発は18時10分あり)で間が開く。

土日 下りの船場町経由2本、商業高校経由2本、上り商業高校経由3本が減便
8時20分西口発が船場町経由から商業高校経由に変更。(他に夕方で経由の入れ替えあり)
上りは変更なしで、往復とも船場町経由は6往復。船場町経由の下り始発は11時05分になる

●新屋線
土日 下り昼1本、上り朝と午後の2本を減便。それに伴い、行き先と経由の入れ替え
西口12時00分発大森山行きが廃止されるため、後続便の卸町経由を大町経由にして大森山まで延長、さらに後続を大町経由から卸町経由に変更
大森山動物園14時07分(西部市民サービスセンター14時15分)発が廃止されるため、西部市民SC始発の後続便を時間移動して大森山始発にし大森山動物園14時12分発→西部市民サービスセンター14時20分発とする。

●新屋西線
平日 西口18時20分発、西部市民サービスセンター19時00分発を減便
土日 朝から夕方にかけて下り4本、上り2本を減便
それでも、栗田神社経由と県営住宅経由が毎時1本ずつはほぼ維持される。

●山王商業高校線(西口-県庁市役所-大川反-商業高校-更生センター)
平日 朝の下り2本(とあるが、廃止されるという8時15分発は今も存在せず、実際には1本のような?? 確実になくなるのは7時50分発更生センター行き)、朝と昼の更生センター発上り2本が減便。朝に更生センターまで行くのは7時40分発1本になる。
土日 朝の商業止まり下り1本、朝2本(更生センター・商業発各1本)と昼1本(更生センター発)の上りが減便。土日は下りは7時50分西口発更生センター行き、上りは商業高校発が15・16時台に1本ずつだけになる。

●新屋高校線(西部市民サービスセンター発着)
平日 午後の下り4本、朝の上り4本減便 →登下校とは逆の流れが回送になるということか
土日 3往復が減便。学校行きは8時15分西部市民サービスセンター発1本、学校発15・16時台の2本になる
※平日の登下校時間帯は、引き続き新屋線・新屋西線への直行を中心に6~8本運行【23日追記】平日土日とも、15時より前の高校発、9時以降の新屋発はまったくなくなることになる。多少なりとも沿線住民の利用があったかもしれないし、高校が早く終わる時もあるだろうに、大丈夫だろうか。(廃止代替路線「豊浜ふれあい号」が近くを通ってはいる)

●駅東線(東口-北光寮前-南団地-大学病院-境田上丁) ※以前の記事
平日 下り12・18時、上り7・12・18時台を減便。残るのは9・14・16時台の3往復(と朝の駅を経由しない車庫直行便)
土日 下り3本、上り4本を全廃。土日全休
→廃止分の一部は、上記赤沼線の増便で対応?

●西口発(明田地下道または築地・)横森経由桜ガ丘線
平日 築地経由梨平着発2往復を減便。築地経由は下り2本、上り3本に(1往復は東口発で代替)
大平台三丁目18時10分発明田地下道経由を増便 →理由不明
土日 13時台の築地経由1往復を減便。下り3本、上り5本(土日は明田経由がないので、いずれも築地経由)

●東口発桜ガ丘線
平日 16時台1往復増便(築地経由の代替か)

●泉山王環状線(平日のみ運行)
泉回り 西口発7時55分減便。7時30分と45分(新川向経由)の2本に
山王回り 西口発15時55分、17時10分、17時30分(新川向経由)を15時00分(新川向経由)、15時45分、17時15分に変更
以上。


以下、感想や好き勝手なこと。
全体として、減便や土日削減など、今年春のダイヤ改正で行われたことをさらに追い打ちをかけて進めたように感じた。
廃止されるダイヤに、どのくらい客がいたのか分からないのでなんとも言えないけれど、あまり客が多い曜日・時間ではないし仕方ないのかもしれない。
大野線は大住団地線や御野場団地線、駅東線は赤沼線など、近くの他路線で代替が効くのかもしれない。

ただ、新国道経由は春に続いて昼間も減便が実施される。利用者が多く、代替交通機関がない区間も多い沿線では、不便になってしまうかもしれない。
築地経由もだいぶ減るが、これは代替路線がない区間もある。

土日全休路線は、今春に茨島牛島環状線などで実施されていたのが、他路線にも波及。
小さな町や村のコミュニティバスでは「平日のみ運行」ばかりか「月水金運行」なんていうのがあって、(失礼ながら)田舎らしいなと見ていたものだが、明日は我が身かも。

減便、土日削減とも顕著なのが、小型バス(ミニバス)路線。
いずれも市営バスから引き継がれた、泉山王環状線、駅東線、築地経由桜ガ丘線、築地経由ノースアジア大学線。
11月以降は、土日ダイヤで運行される秋田市内のミニバス路線は、築地経由桜ガ丘線の下り3本・上り5本だけとなり、これは1台の車両・1人の乗務員で回せてしまう。
(再掲)少なくとも土日はもう見られなくなる光景
中央交通としては、市営バスから引き継いだはいいが、運用を独立させなければならず、かつ東営業所を廃止したので回送距離が長くなるミニバスはやっかいな存在なのだろうか。
あるいは、市営バスから譲渡された小型車両がそろそろ寿命にさしかかりつつあるので、更新に二の足を踏んでいるのだろうか。【23日追記】(現行車種はノンステップで価格が高く、以前の車両より小回りが利かないそうなので)

とはいえ、中央交通で購入した小型車両もあるから、減便で余剰車両が発生するかもしれない。
それは男鹿など秋田市外へ転属させるのか、まさか15年ほど前の弘南バスのように市内の大型・中型路線を小型化する…なんてことはないかな。


牛島回り茨島牛島環状線では、“環状”線のクセに1周しない牛島変電所前始発のダイヤが登場。
しかし、これは市営バス時代もあった。
市営バス時代は、1日4本のうち朝の1本が三皇神社前(変電所の1つ先)始発の便で、それは秋田駅発の1周する便に、ものすごく近接したダイヤだった。(現在とほぼ同じ時刻のはず)
市営バス末期には三皇神社発はなくなっていたが、今回、ある意味“復活”する。
どうしてこんなダイヤなのかと言えば、この区間にスクールバス的需要があるためだと思われる。時間帯によっては、同じ経路でスクール専用のダイヤもあるのだが、朝は一般人の利用も想定されるので一般路線として運行するのだろうか。

ところで、発表された時刻表によれば、1周する便も変電所発の便も系統番号は「601」。それって、中央交通の系統番号のルールからすればおかしい。
秋田温泉線と仁別リゾート公園線、臨海営業所線とスケート場線、新屋線の新屋発と新屋高校発(または大森山発)、将軍野線の飯島北発と市民生協入口発などの秋田駅行きのように、始発地点が異なるだけで、途中からまったく同じ経路で同じ終点に向かう路線であっても、系統番号はそれぞれ別に振られるという決まり。
それにならえば、変電所発にも新たに番号を付与しないといけないのではないでしょうか? 乗る方としてはどっちでも(むしろ同じほうが)いいけど…


泉山王環状線の経由地振り替え・時刻移動はよく分からないが、新川向経由でないほうに【31日訂正・新川向経由も通る場所でした】障害者施設があるため、その通所者の帰宅の足が関係しているかもしれない。


添川・秋田温泉方面の途中時刻の変更。
夜や休日は、道路が空いていて時刻表よりも早くバス停に到着することがある。
市営バスではバスロケーションシステムで把握・ダイヤに反映していたようだが、中央交通では長らく手付かずだった。(早着した時は律儀に停車して時間調整しているようだが)
変更されるのは途中バス停の時刻だけで、終点着時刻はそのまま。終点だから早く着いても構わないから?



こうした内容のダイヤ改正となった原因は、秋田の人口減少、車社会化、市街地の衰退だろう。
でも、以前から言っているように、今の秋田市の人口や人口分布、街の構造ならば、変化に合わせて路線を再編することで、もっと使いやすく変えられるはず。
高齢者が100円でバスに乗れるのはいいけれど、待ち時間が長く、バス停から目的地や自宅が遠く、若い人は高い運賃を払わなければいけないというのはおかしな話。
バス会社も行政も住民も、もう少し深く考えられないものだろうか。

【2017年12月30日追記】おそらくこの改正時から、年末年始の特別ダイヤ(土日ダイヤのうち□印便を運休)の適用日が、1月3日にも拡大された。2015年正月から実施されたはず。(従来は12月31日と翌年1月1日・2日が特別ダイヤ、3日は土日ダイヤでの運行だった。)
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助役

2014-10-20 23:58:46 | 秋田のいろいろ
組織につきものなのが役職などの「肩書き」。
外部の者には、その肩書きがどういう位置付けでどのくらい“偉い”のか、分かりづらいものが少なくない。

最近は「CEO」「マーチャンダイザー」「シニアなんとか」とか横文字のものも分かりにくいけれど、考えてみれば「知事」とか「頭取」だって、日本人なら常識だが、どうしてそういう名称なのか分からない。「県長」と「社長」だっていいのに。(頭取は「音頭取り」が由来だそうだが)

学校の「教頭」だって、学校に通ったことがある人(=ほぼ全国民)なら分かってはいるが、考えてみれば不思議な名称。最近増えている「副校長」のほうがしっくり来るかも。
※公立学校の場合、資格というか昇進試験は教頭も副校長も同じものだそうで、自治体や学校によって、どちらを置くか(もしくは両方を置くか)が異なるようだ。

銀行の支店の営業の人が「支店長代理」というから、支店長に次ぐ役職かと思って、「まだ若いのに偉い人なんだな」と感心していたら、実際には係長くらいで、1つの支店に何人もいるのだそう。

警察官の「警部補」。
「刑事コロンボ」は日本では「コロンボ警部」だが、本来は「コロンボ警部補(Lieutenant)」なんだそうだ。実態を踏まえれば日本で言う「警視」に相当するという説もある。いずれにしても「警部」と訳すのは飛躍しているようだ。
コロンボが初めて日本で放送された昭和40年代では「警部補」はなじみが薄いと、当時のNHKが判断して「警部」にしてしまったのかもしれない。
警部補が一般に知られたのは、和製コロンボ・古畑任三郎さん(フジテレビのドラマ)のおかげかもしれない。
1994年の第1シリーズだけは、「警部補 古畑任三郎」という番組名(以降は「古畑任三郎」だけ)だった。これは、古畑任三郎だけでは時代劇と間違われそうだから、警部補を付けたのだそうだけど、結果的に警部補の職名を広く知らしめたかもしれない。
桃井かおりの回(第11回「さよなら、DJ」)では、「警部にも補欠ってあるの?」と言われていた。

秋田市上下水道局で贈収賄事件があったが、その収賄側の職員は「主席主査」という役職だった。係長クラス。
朝日新聞秋田版では、これを報道する度に、「秋田市(元)主査を逮捕/起訴/判決」と見出しを打っていたが、この「主査」は適切ではない。
言葉通りには「主席主査」とは「主査の中で主席」「主査のトップ」と捉えてしまうけれどそうではないようで、実際は主査と主席主査は違う階級の職名(主査のほうが1つ下)なので、主席主査を指して1つ下の「主査」と呼ぶのは不適切。
上下関係は逆転するが、「支店長代理」を「支店長」と呼んだり、「警部補」を「警部」と呼んだりしないのと同じことではないだろうか。
記者は市政担当なんだろうが、内部の事情(もしくは言葉の意味)を理解していないことになる。



昔からピンと来ない役職に「助役」があった。
市町村役場と鉄道の駅にいる人で、けっこう上の偉い人だと思っていた。

市町村の助役は、2007年の地方自治法改正で「副市(町村)長」となって廃止されたそうだが、「副市長」というからには首長(市長)の次。上から2番目。
これにならえば、駅の助役は駅長の次かと思っていた。でも、「副駅長」というのも聞いたことがあるが、今も助役はいるし…

10月9日付秋田魁新報 県北地域面に「JR大館駅に女性助役」という記事が出た。
起用された社員は、1992年入社で旅行業務や支社内勤を経た40歳。
こんなに若くて大館駅のナンバー2ってことはなさそう。

調べてみると、鉄道会社によって異なるが、JRのある程度の規模の駅の助役はそんなに上の役職ではなかった。(会社や駅の規模によっては、助役が副駅長と同等の所もあるそうだ)
助役の中で担当が分かれていて(営業助役、運転助役等)、それを統括する「首席助役」というのがあって、今はそれを「副駅長」と呼ぶ所もあるらしい。
鉄道では運輸区など駅以外の機関、バス会社の営業所にも助役がいるとのこと。

運輸業界の助役は、市町村の旧・助役とはさほど関連性はなく、どの程度偉いかはケース・バイ・ケースということか。

新聞記事によれば、女性助役は県内で6人目、県北では初という。秋田にどのくらいの助役がいるのか知らないけど…
※この「県」とか「県北」というのは、JR東日本秋田支社管内でなく、ほんとうに秋田「県」内という意味だろうか…

※秋田駅の助役など続きはこちら
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駅前ローソン/地下道撤去後

2014-10-18 18:59:25 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口の北側の一帯で「秋田駅西北(にしきた)地区土地区画整理事業」が行われており、広小路につながる一方通行路が広げられて対面通行になる計画。
そのため、広小路に面した2つの建物が解体されることになり、パチンコ店「リボン会館」は既に更地になった。

もう1つ、リボン会館と秋田フォーラスの間の「秋田駅前ビル」も、いずれ解体されるのは分かっていた。
秋田駅前ビルは、おそらく4階建てで1階に「ローソン秋田駅西口店」、2階に居酒屋「九州男児 秋田駅前店」、3階に「戦国居酒屋 雪国の乱」が入っている。以前は2階に武富士秋田支店、平成初期くらい(?)まではローソンの所に喫茶店が入っていたはず。【11月9日追記】ローソンのところの喫茶店は「アートコーヒー」で、2000年頃でもまだ営業していたような情報もある。

最近、ローソンのドアの所に張り紙が掲出された。
「ビルが年度内に解体されることになりました。当店は10月26日・日曜日15時で閉店します」
というもの。
ついに秋田駅前ビルもなくなるのか。

居酒屋のほうはどうなるか不明だけど、「年度内」だから、解体着工はもう少し後なのかもしれない。
※雪国の乱のホームページには特に記載なし。ちなみに九州男児は川反にも店舗がある。


ローソン西口店の張り紙では、「閉店します」としか言っておらず、自身の今後については言及していない。
秋田駅西口からいちばん近く、(心理的・人の動線的に)いちばん便利な立地のコンビニがなくなるだけに、一部では惜しむ声が出ている。
だけど、そんなに悲観する必要はありません。

秋田駅前ビルから、リボン会館跡の更地を過ぎ、広げられる道を渡ると「三宅ビル」がある。
手前が三宅ビル
間口が広いビルでクリニックとか居酒屋などが入っているのだが、その1階の一部が、最近改装されていた。
改装中

2012年10月撮影のGoogleストリートビューより
かつては、居酒屋「はなの舞」があった場所。はなの舞は2階にもまたがっていたので、1階をやめて縮小したということか。(今後は駅寄りの共用外階段で上って入店?)
そこに張り紙がしてあって、「ローソン秋田駅西店11月4日・火曜日オープン 従業員募集」とのこと。

「秋田駅西“口”店」でなく「秋田駅西店」に変わるようだが、わずか1週間後に、わずか数十メートル移動して再オープンするのだった。「口」が取れたのは「西口」からは少々離れるから?
あっちからこっちへ
駅側の従来の店からは道路横断が必要になるものの、ほとんどのお客は利便性に大差ないのではないだろうか。
通りがかった高校生たちも張り紙を見て、「なーんだ」と安心していた。
こっちからあっちへ
駐車場がないのは新旧とも同じ。秋田では珍しい、駐車場がなくてもやっていけるコンビニだから大丈夫。(旧店舗にはATMもないようだ。新店舗には設置されるか?)
納品のトラックは、旧店舗では広小路本体からは外れていた場所なので、なんとか停められるスペースはあった。
しかし、三宅ビル前は、広小路本体の前で車の通行が多いし、歩道との境には擬木のポールと鎖が張ってあるので、大変かも。

旧店舗の告知で新店舗を知らせないのは、客に余計な心配をさせて不親切だけど、オーナーが変わるとかなんだろうか?
公式ページの「新店情報」は、現段階では11月1日開店分までしか掲載されていない。【21日追記】その後、掲載された。

【26日追記】24日には、新店舗に看板が設置されたのを確認。
※続きはこちら



千秋地下道撤去・解体のその後。※7月下旬の記事
8月中には、地下道の撤去自体はすべて完了。9月上旬までに撤去跡の歩道にロードヒーティング(融雪装置)が設置された。

連動して県警から発注されていた、信号機関連の工事も進んだ。
8月26日。門柱から信号機が撤去されて移設。左には歩行者信号が付く柱も立てられた
8月下旬~9月初めには、県道側のリバーシブルレーン(中央線変移)の名残だった、門柱型の信号柱が撤去。通常の電柱型の信号柱にフラット型の新品が設置された。
9月3日。門柱が撤去
地下道の代替となる、市道(千秋トンネル通り)を横断する歩行者用信号機と横断歩道のペイントは、9月中旬頃から供用。
9月20日。横断歩道新設
これにより、見かけはごく普通の歩車分離式丁字路交差点となり、初めて見た人は、ここに地下道があったことなど知る由もないだろう。
現段階では、信号機のサイクルは地下道があった頃と同じで、手形陸橋側から来るほうの青が長い時差式。
手形陸橋側から。向かい側の地下道跡は広々としている
ただし、予定されている、車両用信号の矢印追加、千秋トンネルから来る車用の信号機の更新は未実施。
どうしたのかと思っていたら、長らく工事予定地として浮いていた交差点突き当りの場所で、県道の拡張に関係した工事が始まった。
これにより、県道の車線規制が行われるし、信号柱がその拡張工事場所に立つようなので、信号関係の残りは拡張工事完成後に行うのだろう。
信号柱はもう立っている
いちおう年度内には終わるのだろうが、けっこうかかりそう。
【24日追記】23日に通ってみると、意外に早く、交差点の残りの信号機も新しいものに更新されていた。矢印信号は、丁字路の突き当り側だけにカバーを掛けた状態で設置。県道側には未設置。
おそらく、近いうちに「県道側が時差式の青の時、突き当り側の左折矢印が点灯」するように改められるのだろう。
【11月7日追記】千秋トンネルから手形陸橋へ左折する矢印信号が稼働していた。(以上追記)

手形陸橋部分の拡張に備えた、橋桁の工事も行われており、下の市道が通行止め(歩行者含む)になる予定もあるなど、いろいろ変わりそう。
※続きと手形陸橋拡幅はこちら
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跡地に庭出現?

2014-10-16 23:24:27 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部の「産業会館跡地」と呼ばれる空き地。
秋田県産業会館が解体されてから20年以上経つのにずっとそのまま。昨年には、その一部が管理する県によって公園風に整備された(この記事後半)ものの、引き続き広大な空き地になっている。
【2015年9月26日訂正】旧・産業会館の建物が解体されたのは1996年であることが分かった。「解体されてから“20年以上”」を訂正します。

それが今月初め、
道路の向こう中央~左側

木が植えられた?!
アスファルト敷きで何もなかった部分に木がまとまって植えられ、東屋もできている。

最初見た時は情報がなかったので、この部分も新たに公園化されることになったのか?! と、驚いた。
実はそうではなく、期間限定の姿。
一般社団法人秋田県造園協会が、現在開催中の国民文化祭に合わせて、「秋田のイメージにこだわった庭を設置し、その製作工程を観光客や県民に見せながら、秋田の庭への理解と緑豊かな秋田県のイメージを創出します。」として、「あいらんど庭園」なるものを作ったのだった。

なお、産業会館跡地は、1週間程度の期間で、地域づくりを目的とする非営利のイベントなら、県から無料で貸してもらえるとのこと。

この庭園は、アスファルトの上に土(砂?)を盛って、木と岩などを配置して、1週間ほどで完成させたようだ。
庭園としての展示期間は、10月3日から15日まで。

わずか10日ちょっととは、短い。せめて国文祭の期間中の11月初めまでやれば良さそうなものなのに。(県から貸してもらう期間の都合だろうか。国文祭に県が絡んでいるんだから延長すればいいのに。でなければ、管理上の問題とか寒くなるからとか?)
展示期間中の土日祝日には、庭園管理の講習会、茶道連盟によるお茶のおもてなし、書道パフォーマンス、「アキタミュージックフェスティバル」の会場の1つとなるなどした。
平日は、ただ見せているだけ。

気が付いたら終了間近になってしまったので、通りがかりにちょっとだけ見てみた。
歩道橋の上から
台風通過のため、東屋の屋根を外したり、下が濡れていたり。


向こうは二丁目橋・竿燈大通り
【17日追記】敷地南西角には、簡易トイレが(2基?)設置された。この真向かいがみずほ銀行秋田支店の宝くじ売り場。迷惑じゃなかっただろうか…

庭園はまあこんなものかという感想。
ぱっと見ただけだったからか、どこが秋田らしいのか、よく分からなかった。
それに、葉がない(落葉してしまった)木が多いし、下の植生がほとんどなく砂が露出していて作り物感がして、見応えがない。「庭園」だから作り物でいいのかもしれないし、短期間でリアリティを追求するのは大変なのは分かるけれど。
緑の葉が茂る時期だったら、紅葉した葉が残っていたら、また違った感想を持ったことだろう。

今日は現地を見ていないが、さっそく撤去されているのだろうか。あっけない「つかの間の庭園」だった。
ビルの谷間の緑
街中にこういう緑があるのはいいと思うし、以前少し書いたように、産業会館跡地をもっとちゃんとした公園(日除け、トイレ、自販機、避難施設などを整備して)にして、中心市街地の憩いの場のようにするのも悪くはないと思う。

【20日追記】10月6日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、
・7トントラック16台分の砂
・島に見立てた高さ約1.2メートルの丘を二つ配置。
・一方の丘は鳥海山麓を模し、ブナやアカエゾマツ、秋田杉など
・もう一方のモデルは男鹿半島。海岸線に多いハマナスなどで丘を飾り、石組みで岩場の様子も再現
・植えた樹木や草花は計約200種類(※)
とのこと。※200「種類」ではなく、200「株」のような気がするけれど…
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稲庭割子

2014-10-15 23:52:02 | 各地お土産・食べ物
アフターデスティネーションキャンペーンに連動して発売されている、復刻駅弁

まず、先日食べた「鶏樽めし」の続報2つ。
秋田駅中央改札口前(改札外)のNEWDAYSでは、先週末は先々週よりも大量に入荷しているようで、ケースの4分の1くらいを占めていた。通常の鶏めしと特上鶏めしもあったが、それらはいつもより少なく10個もなかったのではないだろうか。
日頃から鶏めしがわずかに売られる、秋田駅前のフォンテAKITA地階のスーパー「ザ・ガーデン自由が丘 西武 秋田店」でも、鶏樽めしも5個ほど置いてあった。
そんなわけで、期間限定とは言うものの、かなり入手しやすくなっている。


もう1つは、鶏樽めしに入っているカマボコ「いそべあげ」。
秋田市の「宮城屋蒲鉾店」で製造終了となっていた製品を、鶏樽めしのために再度製造してもらっているとのこと。

秋田市の通町にある宮城屋の店舗では、月例の商店街の「通の市」などに合わせて、時々、カマボコのパック詰めを販売している。
寅巻」のような長いカマボコをカットしたものが何種類か入っているのだが、それに混ざって、
いそべあげ!
こんな所で会えるとは!
花善向け専用としての復刻ではなく、製造中は一般向けにも発売してくれるのだろうか?
それとも、たまたま余っていたからパックに入れたのだろうか?

この状態で味が付いていたから、鶏樽めしにはそのまま載せているだけなんだろう。



さて、もう1つ復刻されたのが、秋田駅で古くから駅弁を売っている「関根屋」の「稲庭割子」。稲庭うどんの駅弁である。
「稲庭うどん」は最近は全国的にもかなり認知されているようだけど、秋田県内陸南部、湯沢市稲庭地区(平成の大合併前は稲川町)特産のうどん。平らで細くてのどごしが良いのが特徴で、うどんとしては高級品の部類。秋田では贈答品としても用いられる。

関根屋の公式ホームページには、稲庭割子の情報は一切なし。ウェブマガジン「旅色」10月号で牛めしが紹介されたことはアップされているので、「放置」ではないわけだが…
一方、JR東日本「駅弁味の陣」ホームページでは紹介されている(http://www.ekiben-ajinojin.com/ekiben/detail.php?id=9)。「昭和61年頃~平成7年に季節限定商品として販売され好評を博した」とあるが、それ以降もしばらく受注生産はしていて、完全になくなったのはここ10年くらいだろうか。

秋田駅NEWDAYSでは大量入荷の鶏樽めしとは対照的に、今回も昼前の段階で1個だけ売られていた。
製造所が近いので頻繁に納品されるのかもしれないし、麺だからあまり作り置きすると「伸びる」のかもしれないけれど、昼前なのに1個だけとは寂しい。

稲庭割子 1000円
発泡スチロールと紙でできた平らな黒い容器。消費期限は一般的な駅弁並みの、製造後12時間か。
掛紙には「秋田名物 いなにわうどん 稲庭割子 つけ麺」「三百年の伝統を誇る手造りの味」とある。
品名や原材料が書かれたシールでは「いなにわ割り子」表記となっている。
品書きや復刻版であることを知らせる文言はなく、そっけない。

長らく存在は知っていたものの買う機会がなかった稲庭割子と、念願の対面。
つまようじ(箸と別の袋)とおしぼり付き
白いトレイで区切られていて、上半分は小さく8区画。ここに一口大の稲庭うどんにトッピングしたものが6種類と、残りの2区画に薬味(刻みネギと袋入りワサビ)と桜漬。
トッピングは、ナメコ2つ、イクラ3粒、山菜の塩漬け?(原材料では「せり」が該当しそうだけど…)、トンブリ、錦糸卵、とろろ昆布。
下の区画には、舞茸が載った秋田県産米の味付け(炊き込み)ご飯、めんつゆ、エビとシシトウの天ぷら。

食べるに当たって、めんつゆをどうするか。うどんの上に「かけて」もよさそうだけど、掛紙には「つけ麺」とある。だから、つゆの容器が入っている部分が深くなっているので、そこに空けて「つけて」食べるのが正しそうに思えたので、そうした。

容器にはなぜか「そばつゆ」と表示してある。
分かりにくいですが、容器を逆さまにしたところ
上の写真では、容器の中につゆが少し残っているが、それはどうしても出せなかった。
容器内部の注ぎ口の周りが盛り上がっていて、それが“堤防”になってしまうのだ。つゆが足りないというわけではないが、もどかしい。

稲庭うどんというものは、うどんの中でも繊細で、お店で食べると、まるで絹糸のように美しく巻かれた姿に盛り付けられて出てくる。

この駅弁でも、それなりにきれいに巻かれて収まっている。
駅弁の性格上仕方ないが、水分は少なめで麺どうしがくっついているため、箸で伸ばしたり、めんつゆの中で解きほぐすのは大変。巻いた状態のまま、さっとつゆにつけて食べるのがよさそう。
したがって、稲庭うどんはたった6口で食べ終わってしまうが、ちゃんとした稲庭うどんだと思う。駅弁でこれだけの稲庭うどんなら合格。
天ぷらも普通においしい。【16日追記】関根屋は、法事などの仕出し弁当もやっているので、その定番料理である天ぷらは得意なんでしょう。

味付けごはん
関根屋で「わっぱ舞茸」という駅弁がある(現在は予約制)。それと同じ味だと思う。
花善の(樽でない)今の鶏めしと通ずるような、やや甘めの醤油味。

オマケのような存在の味付けごはん。稲庭うどんだけでは足りないからという配慮なんだろうか。
国鉄時代には、「ご飯(米)」が入っていないと「駅弁」と認めないという、国鉄らしい厳格な決まりがあったそうで、サンドイッチとか麺類だけではダメだったらしい。(売ってはいけなかったということでもないらしいが)
その対策として、常磐線・原ノ町駅では、そばに小さいいなりずし2つをセットにして、正式な駅弁として販売していたと聞く。
稲庭割子が登場した国鉄最末期の昭和61年にその決まりが残っていたかは不明だが、味付けごはんには、そんな思惑もあったのだろうか。
舞茸も秋田でよく食べられるものだし、いい選択だったとは思う。

上記の通り、「そばの駅弁」は古くから存在する。だけど、「うどんの駅弁」は稲庭割子が国内唯一だと、以前聞いたような気がする。
現状はどうかと調べたら、2013年に高松駅で讃岐うどんの駅弁(うどんにおかずを盛り付けた加熱式。うどんの巻きずし付き)が期間限定で売られていたのは分かったが、他にはなさそう。

稲庭うどんは、湯沢市内には複数の製造業者があって乾麺を販売している。最近は湯沢市外・秋田県外の業者が「稲庭風」うどんを製造販売するものがあり、品質低下の懸念が出ている。
この駅弁は、秋田の業者が作る秋田の駅弁なんだから、当然、ちゃんとした製造元の稲庭うどんを使っているのだろう。
ところが、米については「秋田県産米使用」と書いてある(表示位置がシールの住所の後というのはヘンだけど)のに、肝心のうどんについては一切表記がない。この点をちゃんと示せば、さらにこの駅弁のアドバンテージになるのに。
トッピングのトンブリやとろろ昆布も、舞茸も秋田ならでは・秋田らしいもの(とろろ昆布は横手市平鹿地区に製造業者が多いそうだ)。そんなことも表示すれば、ご当地駅弁としての価値が上がるはず。
駅弁味の陣に出陣するんだし、鶏樽めしのように、お品書きなど解説文があれば良かったと思う。
あとは、漬物として最近の関根屋製品では定番の「いぶりがっこ」を入れるのもいいかも。


店で稲庭うどんを食べると、ざるのつけ麺で1000円弱、天ぷら付きで1500円ほどが相場。
量は少し少ないけれど、天ぷらと舞茸ごはんが付いて1000円の駅弁は高くはないのではないだろうか。
秋田に来たけれど稲庭うどんを食べる時間や機会がなかったような時にいいと思う。車内でつけ麺を食べたり、残ったつゆの処理は大変そうですが…

ホームページでの告知、食材の説明や産地の表示、つゆの容器の形状は、要改善かな。
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駅から峠・カーブ?

2014-10-13 23:58:41 | 津軽のいろいろ
JR東日本では、各地の駅を起・終点に歩く「駅からハイキング」を実施している。
コースだけ決められていてあとは各自勝手に歩くようなものから、日時を決めて団体でぞろぞろ歩くものまで、やり方はいろいろあるようだ。
東日本以外のJR各社でも、ほぼ同一の内容で名称がちょっと違うもの(JR東海の「さわやかウォーキング」とか)をやっているし、街道歩きや街歩きブームなのか自治体とか地域の団体でも実施することがある。

JR東日本のものは、観光地の駅から観光地を巡るだけでなく、マイナーな駅からマイナーな場所を巡るものがある。羽越本線新屋駅から新屋地区を回るものとか。
特に地元ではこんな場所でも歩くコースになり得るのかと、驚かされることもある。

駅からハイキングの今年7~9月のパンフレットより。
表紙

その20ページ。7月6日・日曜日に弘前でこんなコースがあった。
「弘前の煉瓦建造物と街並みを歩く」
「煉瓦建造物」とあるから、弘前公園周辺の教会でも見るのかと思ったら、違った。

「弘前市内に残る大本営跡などの遺構や、城下町特有の小路や弘前大学文京町キャンパスなどをめぐります。」
だそうで、起点は弘前駅、終点は弘南鉄道大鰐線・千年(ちとせ)駅。
起点と終点が異なるコースがたまにあるし、JR主催でも他社の駅が起点・終点になることもある。

パンフの経路によれば弘南鉄道大鰐線や富田大通りに沿った一帯を、7.5キロ3時間30分で巡る。案内人が同行。
パンフには立ち寄り先の名称だけしか記載されておらず、何を目的に立ち寄るのか、あるいはどこを指しているのか、分かりにくい箇所が多いコースでもある。
例えばJR東海では、ルートの地図もネットで見られるのだが、東日本は公開しないのだろうか(多すぎて大変そうではある)。

一部を拡大

「富田の清水(しつこ)」は、街中の湧き水(関連記事)。これは有名。
「桝形」とあるのは、弘前の場合「枡形(ますかた)」が正当。【14日訂正・現地の表示板は「桝形」になっていたので、これが正当なようです。消防の「枡形分署」など「枡」を使用していることもあるが、印刷用書体ではこちらが標準の文字であることによるのだろう】城下町特有のカギ型の道路が現在にも残り、地名(の通称)としても残っているから、話のタネにはなるでしょう。

「変電所跡」というのは、明治時代に酒造会社が造った変電所の跡。
弘大文京町キャンパス・教育学部裏手の大鰐線の線路寄りにある。現在は中には立ち入れないものの、木々が茂る広い土地にレンガ造りの建物が残っている。それを眺めるのだろう。


「弘前大学文京町キャンパス」。
パンフの説明文にあった「大本営跡」というのは、今の弘大農学生命科学部の場所(中庭に石碑がある)だそうで、そこは見たのだろう。
あとは正門横の外国人教師館くらいしか見どころはなさそうだけど、農学生命科学部からは逆方向で少々距離がある。

このハイキングに参加された方がブログで紹介されていて、それによれば、農学生命科学部の隣の創立60周年記念会館「コラボ弘大」に入って、休憩(?)をしたようだ。
コラボ弘大には、軽食コーナーがあるが、日曜日だったのでお休みだったとのこと。(日曜でも部外者が建物に入ることはできるんだ)
だったら、オリジナルグッズなども購入できて日曜も営業する、大学会館内の生協のコンビニ「サリジェ」にご案内したほうが、楽しんでもらえたのに。


「文京小」「弘前実業高校」ってのは、ほんとうにただの経路上の通過点かもしれない。別段見るものはなさそうだし。文京小の校舎は新しくはなったけど見るほどじゃないし、「桝形」の交差点に面しているのにあえて表示する必要があるのだろうか。
【2022年10月28日補足・過去の地形図が見られるサイト「今昔マップ」によれば、この周辺には軍関係の施設が多くあった。そういうことを説明したのかもしれない。】


「コープ松原店」というのは?
その名の通り「コープあおもり(旧・弘南生協かな?)」のスーパー型の店舗。
ハイキングの最後に買い物をするのが目的じゃなく、建物が見どころ。
この店の建物は、旧・陸軍第八師団の「覆馬場」だったものを改装しているそうで、当時のレンガ造りの外観が今も残る。
戦後は弘南バスの車庫として使われた後、1976年から生協が入っているそうだけど、弘前はほんとうに古いものを大事にできる土地柄だと思う。秋田だったら、ぶっ壊されているでしょう。
※この建物のその後はこの記事中ほど


とても気になる立ち寄り先が2つ。
「寒沢峠」と「三連続カーブ」である。
これって…
そう。
通称「寒沢スキー場」と「バカヤローカーブ」のことに違いない。

掲載された名称がおもしろい。JR発行の印刷物において、ただの急な坂を「スキー場」としては誇大(?)だし、まして「バカヤロー」なんて言葉を掲載できないと判断したのだろう。
でも、「寒沢“峠”」とは初耳だし、ネット上の用例もない。
「峠」とは「山道をのぼりつめて、下りにかかる所。山の上り下りの境目。 (デジタル大辞泉)」。つまり、2方向(以上)に高低差のある道がないといけない。
でも、ここは1方向だけの高低差だから、繰り返すけどただの「坂」。
この辺りは、大雑把には街全体が土淵川に向かって下り坂になっている。寒沢スキー場は、その下り坂が極端に急になっている場所といった感じなので、峠ではない。
「スキー場」を使いたくないなら、「寒沢(の)坂」で良かったのではないだろうか。

バカヤローカーブの「三連続カーブ」も、疑問。
以前の記事の通り、ここはカーブが4回連続するはず。
Googleマップより。赤がカーブ
4回進む方向が変わるのだから、「四連続カーブ」ではないかと僕は思うのだけど、僕が知らない「カーブの数え方」のルールでもあるのだろうか…

寒沢スキー場は弘前の地形、バカヤローカーブは弘前の歴史が関係しているということだろうが、弘大生の内輪の呼び名に過ぎなかったはずの両者が、JRのイベントの目的地の1つになるとは、感慨深い。(当ブログが多少なりとも貢献したと自負しています)
案内人はどんな説明をしたのだろう。

以上、このハイキングコースのテーマである「煉瓦建造物」というのは、変電所と生協と2つだけじゃないだろうか。ちょっと物足りないかも。
でも、意外な場所で意外に楽しめるコースではあったかもしれない。
あと、このコースは弘南バス小栗山線の沿線なので、本数が多いバスを利用すればラク…だったら「駅からハイキング」じゃないか。
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夕日を浴びて試運転

2014-10-12 20:52:37 | 秋田の季節・風景
アフターデスティネーションキャンペーンの一環で、10月18~19日に快速「SLあきた路号」が奥羽本線・秋田-東能代間で1往復運行される。
蒸気機関車C61 20は、2011年から3年連続この時期に秋田での運行。同区間の運行は2012年以来。ひかれる客車は、2011年は比較的新しい12系、2012年からは「旧型客車」と呼ばれる古いものが使われている。

今年は、10日に「火入れ式」が行われたのが報道された。
11日と12日は、晴天の下で本番と同じ区間・時間での試運転が行われた。
秋田市中央部では、じっくり見られる場所はあるようでいて少ないし、朝の下りは逆光がち。そこで、夕方に戻ってくる上りを見に行った。

場所は、県立秋田工業高校グラウンド近くの旭川を渡るところ。
ここは、見通しがまあまあいい上、キャパシティが多く車が入ってこないので、ゆっくり見物できる。
下りの時間は、旭川の下流側(千秋中島町側)から順光。しかも、晴天だとSLの黒い車体に夕日が当たって輝くのが美しい。
以前、D51 498が運転された時(2002年かな?)にその姿を見て感動し、 C61でも見たいと思って、2012年も見に行ったのだけど期待外れに終わった。
なぜなら、ちょうど橋の上で対向の普通電車とすれ違って、下流側からはさえぎられて見えない可能性が高い(いわゆる「かぶる」)ダイヤだったのだ。

今年は?
ダイヤでは、SLが秋田着16時37分着、下り普通電車が16時32分発。通常の列車だと、秋田駅から旭川までは3分もかからない。SLは時間を多くとっている(土崎→秋田が13分もかかる)し、遅れる可能性もあるから読めない。やっぱり微妙?
土日とも、行ってみた。

過去の本運転時は、数えきれないほどの人数が見に来ていた場所だけど、この土日とも、がんばれば数えられる程度の人数だった。近くの人が多そう。
ネットなどで情報を得られない人であっても、朝に下っていったのを実際に見聞きしていれば、夕方に戻ってくるのは予想できるはずだから、もっと多くのギャラリーがいるかと思ったのに。
JR、委託警備会社、警察の人員が若干配置されていた。
道と線路に高低差があるので、飛び出したりする危険性は高くない場所。川に落ちたりする可能性のほうがあるかも。

以下は、うまく撮れていませんが、12日の模様。
汽笛が近くなってきて、踏切が鳴って、
煙は控えめ(朝の下りは盛大な煙で遠くからでもよく見えた)
茶色い旧型客車、さらに試運転なので余計な(といっては失礼)ヘッドマークがなく、「蒸気機関車の列車」の本来の姿を見ている気にさせられる。
太平山も赤く見えるのは紅葉? 夕日?

黒い車体や大きな動輪が夕日に染まる

濃い茶色の旧型客車も夕日に輝く
客車にはJR社員が少々乗っていて、窓を全開にして手を振っていた。

普段は高崎にいる旧型客車たちは、点検整備を秋田総合車両センター(旧・土崎工場)で受けることがあり、たまに秋田で見かける(1両ずつ)ことがある。古いのにとても美しく整備されていると感心して見ていたが、それが6両連なると、また見応えがある。
蒸気機関車は別として、こんな客車の姿が、昔は普通の光景だった(もっと汚かったけど)のは、かすかに記憶にある。

上りでは最後尾(東能代寄り)の客車だけは、他の車両より小さい(幅が狭い)窓が密に並んでいる。

これが「スハフ32 2357」。
JR東日本の営業用車両ではもっとも古い 、1938(昭和13)年製。ちなみに、C61 20は戦後の1949年、D51 498は1940年の製造。
床やボックスシートの枠が木製で、他の旧型客車よりもレトロ感があって、高崎の旧型客車の中でも人気の車両とのこと。

などと見ていたら、
最後尾が橋の上にいる状態で踏切を塞いで停まってしまった
土曜日は停まらなかったけど。
先方の秋田駅の「場内信号」が赤で、秋田駅構内に入れないらしい。通常の列車でも、まれにある事態。

1分弱ほど停まっていただろうか。汽笛とともにゆっくり動き出すと、
反対側を下り普通電車が通過
例の16時32分発の電車だ。
土曜日は、この下り電車がやや遅れていたようで、SLの2分後を続行する上り普通電車が、場内信号で止められていた。
ということは、定刻ならば、やっぱり旭川付近でSLとすれ違ってしまうのだろうか?


本番前には、あと3回、試運転が行われるはず。(うち1回は、16日・木曜に行われる試乗会)
【17日追記】その後の試運転は、14日・火曜日は台風接近のため中止、15・16日に実施された。
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押しボタン箱

2014-10-08 23:03:54 | 秋田のいろいろ
6月30日付秋田魁新報の投稿欄「声の十字路」に、秋田市在住の86歳の男性からの「押しボタンの整備しっかり」という投書が掲載された。
車の運転をやめて秋田市内を歩くようになったが、「押しボタン式信号機の不整備」に気が付いた。
「表面が汚れていて表示内容が見えないものが多い。2年以上そのまま放置されている所もある。」
「歩行者にとっては大事なことだ」「(観光客が多く訪れる国民文化祭を機会に)ぜひ整備をお願いしたい。」
といった内容。
投稿が言っているのは、押しボタン信号に欠かせない、ボタンが付いた黄色い箱のことだ。
「表示内容が見えない」とは、「おしてください」「おまちください」の点灯する文字が判読できないということだろう。

たしかに、雨ざらし・日ざらし(?)、かつ秋田は雪が積もるので、装置の劣化は進みやすい。
僕も、過去にボロボロの押しボタン箱を見つけ、警察に連絡して対処してもらったことがあった。


少なくとも秋田では、管理する警察の見回り態勢からして本気ではなさそうな気もするし、以前から言っているように、道路を利用する一般人も、気付かないのか、気付いても伝えないのか、不具合が放置されている傾向がある。
投稿者も、「2年以上そのまま放置されている」のを知っているなら、のんきに新聞に投稿などせず、警察(交番でも警察署でも県警本部でも)へ伝えれば、対処してくれるだろうに。

魁の投稿欄は盛り上がりに欠けるというか、1つの投稿に対して賛同や反論の投稿が掲載されることはまずなく、その場限りで終わってしまうことが多い。
役所や企業などに対する苦情や意見の投稿が載れば、向こう側からの回答の投書が載ることがたまにあるが、過去に県や県警から回答があったことはないかと思う(バス会社も同様)。今回も、県警からの反応はなかった。【関連してこの記事末尾の15日付追記参照】
ひょっとしたら、県警が新聞社を通して投稿者に連絡を取り、場所などを聞き取って対処したようなことはされたのかもしれないけど、そこまで気が回るか…



だから、あまり意味がない投稿だとは思ったが、思い当たる箇所はあった。
秋田駅西口そばの中央通り、秋田市公営駐車場前の押しボタン信号である。
ここは、秋田市にしては人通りが多く、おそらく秋田県内でいちばん押される押しボタンかもしれない。(秋田大学正門前が次点くらいだろうか、あそこはボタンが4つあるので、押す頻度は分散されているはず)
こんな状態だった
昭和62(1987)年12月、京三製作所製のボタン。
「PPB-HLD 1」とかいう型番で、「2(ローマ数字)形歩行者用押ボタン箱」という名称。
「おしてください」「おまちください」は、黒地にやや小さめに赤文字が点灯するタイプ。表面が劣化したのか、それとも内部の赤色LEDが老朽化したのか、特に晴天時は点灯しているか識別しにくく、「先に誰かが押してあるの?」といった感じで表示部を覗きこんだり、既に押されているのに押し直したりする歩行者も見られた。(たまに複数人がいるのに、誰一人押さないで突っ立っていることもある)
何より、
底部が錆びてボロボロ
腐食した穴から水が侵入して故障するかもしれないし、錆に指や服が引っかかってケガ・破損させれば損害賠償もの。
布のガムテープで補修して、それが剥がれているも、貧乏臭くてみっともない。このまま使うのは、無理があるように感じた。
新聞の投稿者は、この場所かどうかは分からないが、こんな状況を指摘しているのだろう。

そこで、県警の信号機ボックスに「魁に投書が出ていましたね。投稿で指摘されているのと同じような状態の箇所があります。見てもらえませんか」とメールで伝えてみたら、「分かったよ」という返事をいただいた。


そして9月20日過ぎ頃。
新しくなった!
2014年9月、信号電材製の「歩行者用押ボタン箱 PB-2AW」。できたての新品で、黄色が鮮やか!
ボディは薄型で、表示部は白色LED(祝! ノーベル物理学賞受賞)で文字が大きめに点灯するタイプ。

上記の、以前に別の箇所の押しボタンの不具合を通報した時は、倉庫に寄せてあったであろう中古品が設置されたが、今回は、新品を設置してくれた。
投稿者も警察に言ったほうがずっと早いのに…

 更新前後
説明板も更新され、ボタンの位置がやや低く(15センチくらい?)なった。
※ボタンが大きくなったように見えるけれど、これは新しいほうは本来のボタンの上にラバー状のカバーをかぶせているため。更新前のボタンでも、カバーを取り付ければ同じ見かけになる。(以前はカバーが付いていたはずだけど、いつの間にかなくなっていた)※カバーのその後

入札公告によれば、これから秋田市内の他の押しボタン式信号のいくつかでも、ボタン箱の更新が行われるようだ。
秋田県警の迅速で的確な対応に感謝するとともに、もうちょっと積極的に見回りしたり、一般県民から情報提供してもらえる体制づくりを検討してほしい。
そして、毎度繰り返しですが、我々一般人は異常や不具合を見つけたら、あるいは要望があれば、管理者へ連絡しましょう。



最後に押しボタン箱の変遷について。
日本最初の押しボタン式信号は昭和9年に設置されたそうだけど、その時のボタンは分からない。
僕が知る限りのここ30年ほどでは、箱のサイズや色はほとんど変化していない(上記の通り、最新型は薄くなった。大昔は、筐体がもう少し角張っていた気がする)。
昔の押しボタン箱は、「おしてください」に相当する部分は、「横断歩行者は/ボタンをおしてください」と印字された金属板が付いていた。
さらに、昭和60年前後? 頃までのものは、「おまちください」に相当する部分が、白地に黒文字で「しばらく/おまちください」と2行で表示されていた。光源は電球だったので、白地というよりはやや黄色みがかっていた。

その後、「~おしてください」は金属板のまま、黒地に赤色LEDで「おまちください」と表示するタイプが登場。
電球による焼け付きやメンテナンスは軽減されたのだろうが、文字も点灯面積も小さくなったので、見づらく感じた。(それが劣化すれば余計に)

さらにその後、ボタンが押されていない時に「おしてください」または「ボタンをおしてください」が点灯するタイプも登場。今回交換されたのが昭和末期製だったわけだが、思ったより早い。
警察庁の規格で、金属板のタイプを「1」形、「おしてください」が点灯するタイプを「2」形と呼ぶそうだ。
1形と2形は、都道府県あるいは設置場所によって使い分けているので、製造時期が明確に区切られていたわけではない。ただ、いつの間にか警察庁によって赤色LEDを使用することが指定され、電球タイプは廃止されたようだ。
(再掲)秋田県内の金属板+赤色LEDの2形【9日訂正】1形ボタン
そして、白色LEDタイプが登場。
2012年1月18日付の徳島新聞サイト(http://www.topics.or.jp/localNews/news/2012/01/2012_132686477495.html)「信号機のボタン表示工夫 県警開発、色弱者に文字見やすく」より。
2009年までは、警察庁によって点灯部分は黒地に赤文字で表示することが規定されていたそうだが、一部の色弱者から判読できないという声があった。
そこで、LEDの“特産地”である徳島県警が、白色LEDを使った表示を開発したそうだ。(現行のとは異なり、灰色地に白文字)
おそらく、それが発展して、全国に白文字タイプが広まったようだ。
ボタン箱の価格は、赤も白も「1台4万~5万円」。

さらに、「押す」ボタンではなく、タッチして「触れる」だけで反応するタイプのボタンも登場している。秋田市内では、まだないはず。【10日追記】※耐久性や冬期間の信頼性の点で不安があって、二の足を踏んでいるのかもしれない。メーカーでは「凍っていても大丈夫、手袋で押しても反応する」と謳っているが、秋田の冬の厳しさを考えると、個人的にはやはり不安。
タッチするタイプは、ボタンが赤色でなく青色のものが多いようだ。「おしてください」は「ふれてください」と表示される。「触れボタン式信号」と呼ばないといけなくなりそう。
【2016年1月6日追記】記事アップ時点でも、秋田市郊外にはタッチ式ボタンが設置されていた。その後、秋田市街地にも設置され始めた。

他には青になるまでの待ち時間が表示されたり、しゃべったりするものもある。
再掲)静岡県にはこんな押しボタン箱も。いちおう「2形」【9日訂正】「1形」か
警察庁ホームページによれば、平成16年3月末時点で、全国に27,897基の押しボタン式信号がある。
一般に押しボタン箱は両側2つで1組だから、単純に計算すれば27897×2=55794個の押しボタン箱が設置されているということだろうか。いや、上記の通り秋大前のようなボタンが複数組設置された箇所もあるし、感応式信号の二輪車用押しボタン、交通弱者用押しボタンなどもあるから、もっと多いはず。
【10日追記】表示部が電球式の押しボタン箱は、比較的最近まで細々と製造されていたらしく、場所によっては現役で稼働しているものがある可能性がある。2009年に島根県で見て、懐かしいと思ったが、かなり状態が良いものだった。


【15日追記】魁投書欄の回答について。
今まで県警から回答が寄せられたことはなかったと思っていたが、10月15日付に、別件についてだが県警からの回答が掲載された。
10月3日付に掲載された、夜間点滅信号の交差点をスピードを出して通過する車があることへの指摘(大仙市の人の投稿だったらしい)に対する回答で「県警交通規制課長」としての回答。以前も見たことがあった、「お答えします」という専用のタイトル文字付き。
押しボタンだって同じ交通規制課の管轄なのに、回答しなかったのはどうしてなんだろう? 「我々も気を付けるけど、住民の皆さんも気付いたら教えてね」と言えばいいのに。
なお、市町村から「お答えします」が掲載される時も、担当課長名が多いと思う。警察では、所轄各警察署の交通規制部門もあるが、そうではなく県警本部の担当部門からの回答となった。
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2008年 梅林から玖村

2014-10-07 23:59:44 | 旅行記
8月20日、広島市で豪雨による土砂災害が発生、74名が亡くなり、多数の人が避難生活を余儀なくされた。
その後、御嶽山の噴火などもあって、全国版ではほとんど報道されなくなったが、復旧はどうなっているだろうか。【11月1日追記】11月1日現在、いまだに10世帯15人が公民館などで避難生活をしているとのこと。

今回の災害は、広島市街地から北方向の山間部に入った、安佐南区や安佐北区で散発的に発生した。
中でも、安佐南区八木地区(特に三丁目)で大きな被害が出たという。


テレビや新聞で、山手から流れてきた土砂が、駅舎や線路まで達した八木地区の映像・写真を見て、自分がここに行ったことがあるのを思い出した。
駅は、JR西日本・可部(かべ)線の梅林(ばいりん)駅。
当ブログの最初期に広島旅行記をアップしているが、訪れたのはその時、2008年7月のことであった。

好奇心と時間つぶしで訪れ、特に観光地などでもなかったので忘れかけていたが、今回、地図・ストリートビュー、当時撮影した写真を改めて見ると、よみがえってきた記憶もある。
「旅行記」とするにはふさわしくないかもしれないが、記録として、ここに残しておきたい。


まず、相変わらず回りくどくなりますが、梅林駅を訪れた理由から説明。
Google航空写真より。黄色い丸が梅林駅(安佐南区八木)付近
広島市街地から北の山間部に向かって、JR西日本の2つの路線が伸びている。西側の可部線(上の写真で赤い線)と東側の芸備線(同青い線)である。

当時、ネットの情報で、芸備線の玖村(くむら)駅にネコが住み着いていて、そのネコが、自動改札機の上に乗っていることがあるということを知った。暖を取っているのだろうが、ネコは乗客のジャマにならない位置に座り、乗客も邪険にせずに普通に改札を通っているとか。(2014年現在はいなくなったらしい)
広島市内から遠くないこともあって、旅行の空き時間にそれを見に行こうと考えた。

さらに調べると、玖村駅付近では、川を挟んで両岸近くを可部線と芸備線が走っていて、芸備線・玖村駅と可部線・梅林駅の間は橋を渡って徒歩でも行き来できる距離だという。
※青春18きっぷの旅行者などの中には、できるだけ効率的に移動したり待ち時間を節約したりするため(もしくは僕のような物好きのため)、違う路線の駅と駅の間を徒歩で移動することがある。

往復とも同じ路線ではおもしろくないし、見知らぬ町を歩くのもおもしろそう。
その時利用したきっぷ(今はなき周遊きっぷ)が、両路線ともフリーエリア内であることもあって、広島市内→(可部線)→梅林駅→(徒歩)→玖村駅→(芸備線)→広島市内という行程にしてみた。
今にして思えば、列車本数は芸備線より可部線のほうが多く、徒歩の時間が読めないことを考慮すれば、玖村→梅林のほうが効率が良さそうなのに、どうして逆コースにしたんだろう? 我ながら分からない。(横川駅で路面電車から乗り継ぐため?)

可部線は、広島駅の西隣「横川駅」が起点ではあるが、全列車広島駅発着。
末端は他路線に接続しない、いわゆる”盲腸線”で、近年は末端部が廃止されたり、それを一部復活させようとしたりしている。広島寄りは都市圏内の交通手段として機能していて、昼間でも1時間に3本が運行されている。14.0キロの単線で電化路線。
広島駅から梅林駅までは12.6キロ、約30分。(元私鉄で駅が多いせいか、時間がかかる)

芸備線は、広島駅と岡山県の備中神代駅を結ぶ159.1キロの非電化ローカル線。
全線通して走る列車はなく、可部線同様広島市街地寄りでは都市圏の輸送を担っていて、区間運転を含めて毎時2本運行。
広島駅から玖村駅まで12.3キロ、約18分。


記憶をたどって、旅行記を始めます。
可部線の列車には、広島から乗ったか横川から乗ったか、どんな形式の電車だったのか、すっかり忘れていた。
時間帯のわりにだいぶ混んでいて、途中まで立っていたような記憶がある。
 あっけなく梅林駅に到着
写真から、乗った電車は「105系」の2両編成らしかった。(車掌乗務あり)
2010年頃から濃い黄色への塗装変更が進んでいて、災害後運転再開のニュースには黄色くなった105系が映っていた。
可部線の主力車両は105系で、朝夕は113系・115系も入るそうだが、先ごろ、広島地区にもやっと新型車両が入ることが明らかになったので、遠くないうちに変化があることだろう。

町の作りか、元私鉄だったという事情によるのか、梅林駅ホームは1面2線の島式の質素なもの。弘南鉄道大鰐線の弘前学院大前駅と大して変わらない(利用客数は別)。
先頭側の構内踏切を渡った山側に駅舎があった。
JR西日本直営ではなく、子会社の駅員がいる。休日は無人扱いになるようだ。
たしか自動改札機は未設置(IC乗車券は使えたはずだから、その装置はあったはず)で、女性駅員が集札していて、周遊きっぷを見せても動じずに通してくれた。(利用者が少ないきっぷを提示すると、慌てたり固まったりする人がいるものだけど)
駅舎はけっこう立派(間口は広いが奥行きはあまりない)
梅林という駅名は、かつて「八木梅林」があったことが由来。
近くに広島市立梅林小学校があるように、地名ではないもののエリアの呼称として認知されているようだ。秋田市の「高清水」のようなものか。

一部報道では、今回の被災地は「新興住宅地であり、無理な宅地開発が災害を招いた」とするものがある。知らない人には、山を切り開いたまったく新しく開発された土地だと思われてしまうかもしれない。
しかし、僕が現地を訪れて持った感想は、大都市・広島の市街地からは離れているものの、平地で瓦屋根の古めの家が多く、古くからの旧農村部が住宅地になった土地のように思えた。
実際には、その奥の山が宅地開発され、災害が起きて、それが下の古くからの町にも到達してしまったようだが、当時は山のほうには気が向かなかった。

土砂災害後には、「線路の向こうにピンク色の大きな家が奥に見える」場所からテレビ中継が比較的多く行われていた。おそらく、そこがいちばん被害が大きかったのだろう。
そこは、梅林駅から広島駅方向に500メートルほど戻った地点。
その途中の線路沿いには、避難場所になった梅林小学校もある。(大量の土砂に襲われなかったから避難場所になって授業も再開できたのだろうが、紙一重だったのかもしれない)
列車を降りた僕が歩いたのは逆方向だった。

ネットの情報をざっと見た限り、小学校同様、梅林駅も壊滅的な被害は逃れたようで、駅業務を再開しているようだ。
可部線は9月に入ってすぐに運行が再開されているが、今なおレール周辺には、流れてきた泥が堆積して乾いて固まって、枕木やバラスト(砂利)が見えないほどだそう。

梅林駅周辺は、簡単に言えば、山-住宅地-線路-道路-川という配置。
線路の駅舎と反対側(川側)には、歩道なし・対面1車線の道路が走っていて、路線バスも通る。沿道には、ちょっとしたお店やオフィスが点在する、地方都市の中心地から外れた一角によくある光景。
お食事処と会計事務所が見える

駅舎側
駅舎側の奥には、瓦屋根の昔からあるような家があり、(当時は意識しなかったが)その向こうに新しい住宅街があって、さらに山がそびえる。
駅舎の前は狭い道、その奥に山
駅舎の前には広場などなく、細い道路が住宅地と山のほうへ続いていた。
この時は、雨模様で山は煙っていた。今年8月20日には、山から道路を伝って大量の水や土砂が流れてきたのだろう。

梅林駅の1日平均乗車人員は、1200人ほど。30年ほど前は500人に達していなかったのが、平成に入ってから急増し、今も微増傾向。
この間に、山を削って宅地化が進んだということだろうか。


この時は、玖村駅に向かうことしか頭になく、梅林駅周辺はこの程度にして先を急いだ。
駅前の道路を川方向へ渡ると、すぐを国道54号線が並行し、さらに南東を太田川が流れている。

玖村駅へは、54号線を少し進んで曲がり、太田川に架かる橋を渡り、川をさかのぼれば到着する。直線では1.3キロだが、道のりでは2キロほど。
国道54号線
国道に出ると、カーディーラーや路面店【2023年5月10日訂正】ロードサイド店が建ち並ぶ、どこにでもありそうな幹線道路の光景。
上の写真では、線路の先・川の上流方向にも山が連なっている。当時も「けっこう山深いな」と感じた。安佐北区の方向だと思うが、これらでも土砂が流れたのだろうか。

県道271号線に架かる、長さ273メートルの「高瀬大橋」で太田川を渡る。
一級河川・太田川は下流で分流し、その1つが原爆ドームの前を流れる「元安川」である。
高瀬大橋手前で来た方を振り返る。斜面にも家が建ち並んでいる

高瀬大橋を渡る
高瀬大橋は、上流側に塔状のものが並んでいる。
これは「高瀬堰」というダムの一種で、ルーツは江戸時代からあった。高瀬大橋は高瀬堰の管理用通路を兼ねている。
川を越えると、安佐北区。安佐南区側よりも川近くまで山が迫っている。
安佐北区側から。対岸が安佐南区
川を渡ると、建物がほとんどなく、堤防に小さい道路が伸びるだけで、急に田舎へ来たよう。
上流側へ進み、高瀬堰を振り返る
堤防のすぐ外を芸備線が走っていて、玖村駅も見えた。
架線がないし、小さい駅なので目立たない
駅の近くになると、住宅地に入る。梅林駅側よりも新しい町並みで、店やオフィスは少ない。
梅林駅から30分ほどで玖村駅到着。
簡素な駅舎
玖村駅は無人駅。1日乗車人員は平成に入ってから1000人ほどをキープしており、梅林駅より“効率がいい”かも。近くに高校があるからだろうか。

期待していた、自動改札機の上のネコさんは…
不在!
※これは簡易型の自動改札機。扉がない上、周りがスカスカで、(ICカードの記録用としてはともかく)磁気きっぷ用としては、あまり意味をなさなそうだけど、JR東海やJR西日本の無人駅では、たまに見かける。
 ホームは1面1線、向かいは堤防
広島駅へ戻る列車は「快速みよしライナー」。2007年までは「急行みよし」だった。
全国各地でおなじみのキハ40系の2両(これは暖地向けのキハ47形)がワンマン運転で来た。
それなりに乗る人がいて、行きの可部線ほどではないが、わりと混雑していたはず。車窓を眺めた記憶がない。
快速を名乗るものの、ここから先は各駅に停車して、広島に戻った。


一見、地方の大都市としては珍しくもないような場所で、大きな災害が起きるとは思わなかった。
一度しか訪れていない場所で、もう訪れることはないかもしれない場所だけど、この先もずっと同じ町があり続けると、漠然と思っていたのに。
うまくまとまらないけれど、普通に人が暮らし続けられる町であり国であってほしい。

コメント
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