バス停の名称についてのお話。
バス停の名前は、その所在地名や近くにある施設の名称が使われる。由来となったものがなくなったり名称変更したりすれば、それに伴ってバス停の名も変わるのが普通。
鉄道駅名では、首都圏の東急東横線の「都立大学」「学芸大学」、西武新宿線の「都立家政」のように、由来となった施設が移転や名称変更しても、そのままの駅名もある。これは、駅名を冠した商店街など駅周辺地域への影響や周辺住民の意向(住民投票した例もあるようだ)を反映しているようだ。(弘前の弘南鉄道大鰐線「西弘前」「城南」両駅のように、あっさりと名前が変わってしまったケースもあるけど)
バス停名は駅名ほど周囲への波及・影響はないだろうし、むしろ周囲のものに合わせて柔軟に対応できるのがバス停の名前だと思っていたが、改めて秋田のバス停名を考えてみた。
では、秋田市内の旧秋田市交通局運行エリアのバス停で、僕の記憶(と多少調べて)の範囲で名称変更がなされたバス停を思いつくままに挙げてみる。
※記憶違い・間違いがあるかもしれません。
※カッコ内は原因となる事象(施設の移転、名称変更等)があった年ですが、バス停名の変更は、それと前後した可能性もあります。ただし、月日まで表示しているのは「広報あきた」バックナンバーで変更期日が確認できたものです。カッコがないものは時期不明。
※変更後のバス停名の前に「*」があるのは、市営バスから民間会社へ路線移管後に実施された変更。(=無印が市営バス時代(複数事業者競合路線含む)に行われたもの)
1.施設の移転・消滅によるもの
産業会館前→二丁目橋(1989年10月1日)、日赤病院前→中通二丁目(1998)、JR宿舎前→泉ななかまど通り(2001年4月1日)、ダイエー前→秋田ニューシティ前(2002)、酒造センター前→(たぶん*)八橋南一丁目(2006年。
過去の記事)、いすゞ前→*幸町交番前(2006)、西部公民館前→*秋田銀行新屋支店前(2009)、新屋支所前→*日吉神社前(2009)、市立体育館前→NHK前(1994)→*県庁第二庁舎前(2008)
2.名称変更・組織再編等によるもの
相互銀行前→あけぼの銀行前(1989)→北都銀行前(1993)、美工専入口→美術工芸短大入口(1995【記事末尾の追記にあるリンク先も参照】)、三菱金属前→三菱マテリアル前(1990)、自治会館前→市町村会館前(1998年。
過去の記事=上記八橋南一丁目と同じリンク先)、ラグビー場前→球技場前、聖園病院前→聖園クリニック前→みそのホーム前、南営業所→新屋案内所(1993年4月1日)、青年会館前/同入口→青少年交流センター前/同入口(1999年4月)、日産サニー前→日産サティオ前(2000年4月1日)、水道局前→*上下水道局前(2005)、交通局→*臨海営業所(2006年4月1日)
学校名変更に伴う、経法大/経法大附属高校→*ノースアジア大/*
名桜訂正・明桜高校 関連の各バス停(2007)
住居表示実施に伴う、泉地区(1999)、外旭川八柳(1997年。八柳一区/同二区→八柳二丁目/同三丁目)の各バス停

「水道局前」2002年撮影。路線移管直前なのでバスロケ(接近表示)が作動している
3.新施設オープンによるもの
通町(新屋線・割山線上り側)→ねぶり流し館前(1992)、若草団地前→サティ前(1995)、サンライフ秋田前→秋田市保健所・サンライフ秋田前(1999年12月6日)、下川原→勝平新橋(1989年10月1日。橋の開通は前年)、新屋案内所→*西部サービスセンター(2009年。正しくは西部“市民”サービスセンター)
4.分かりにくかったり紛らわしかった名称を整理したもの
市営住宅前→牛島市営住宅前、大橋前→秋田大橋前、土崎支所ガス局前→土崎駅入口、市場前→明田地下道入口(以上1989年10月1日)
公園前→千秋公園入口、秋大球場前→鉱業博物館入口、文化会館前→文化会館八橋球場前、八橋球場前→八橋市民広場前(以上1997年10月1日)
八橋市民広場前→(*?)八橋市民広場・裁判所前

2度の改称を経た「八橋市民広場・裁判所前」
ただし、秋田駅行き側の場合、「八橋市民広場・裁判所前」と表示されているのは、上の写真のポールだけで、隣のポール2本(交通局時代に設置されたものと羽後交通分)は「八橋市民広場前」のまま。※裁判所前の理由については
こちら
5.名称変更が理解出来ないもの
こうしてまとめてみると、(5番目はともかく)4番目に挙げた整理統合は、バス会社がいい加減な命名をしていて分かりづらかったからだが、それ以外の多くは、バス会社以外に原因のあるものがほとんど。
自分のせいではないのに、バス停の表示や車内放送、場合によっては車両の行先表示などを変更する手間と費用を負担させられ、バス会社が気の毒な気もする。まあ、元々はバス会社が“勝手に”バス停名として採用したのものが多いのだろうし、「“公共”交通機関」の宿命なのかもしれないけれど。
ところで、ここ数年は、新屋の市民サービスセンター関連以外には、名前が変わるバス停があまりなかったように感じる。
行政改革や企業の統廃合、市街地の衰退(これ以上衰退しようがない)が一段落ついたからかもしれない。また、名称変更を積極的に行っていたのは秋田市交通局であり、移管された民間バス会社の方では、あまりおカネをかけたくなく、消極的なのかもしれないと思っていた。(じゃあ「木“ノ”内前」はどうなんだということになるが)
だけど、
上記の通り、交通局時代の「酒造センター前」から交通局廃止と前後して「八橋南一丁目」に変わっていたバス停。

右奥は秋田県JAビル。手前左は山王交番
これは、上記リンク先で示した通り、新聞記事によれば「酒造センター」の由来であった施設がなくなったため、所在地の地名になったものだそうだ。
その「八橋南」は2002年の住居表示実施で新しくできた地名(かつては「八橋字戌川原」など)でもあり、個人的にはピンと来ない。
だからといって、他にふさわしい名前もない(JAビルや児童会館はやや距離がある)から、やむを得ないと思っていた。
ところが、現在は

「山王交番前」?!
たぶん、この10月から、「山王交番前」に名称が変わっていた!
(僕の記憶では、少なくとも今年の梅雨頃は、まだ「八橋南一丁目」だった。)
公式サイトの時刻表検索も、「山王交番前」になっていたが、僕の知る限りでは、掲示(現地は不明だが車内や秋田駅前では)やサイトでの告知はなかった。
たしかに、秋田中央警察署山王交番が、下り側バス停の真ん前にあるにはある。
でも、なぜ、この時期にこの名前にバス停名を変更する必要があったのだろう?
山王交番はかつては臨海十字路の角地にあって、現在地に移転してきたのだが、それは2001年か2002年頃。
交番を訪問する人など多いわけもないだろうし、「八橋南一丁目」がそれなりに定着してきた今になって名前をいきなり変えてしまうのが分からない。
それに、このバス停は、秋田駅方面から「秋田県JAビル」へ行く場合の降車バス停(逆方向の場合は、「臨海十字路」の方が近い)。
同ビルは、JA関係の行事のみならず、それ以外の組織に貸し出して各種会合や漢字検定などの資格試験の会場として使われる場合が多い。
僕が検索した限りでは、今のところ、「JAビルへは山王交番前下車」と記載されたサイトは見当たらない。おそらく、バス会社からJAへすら、バス停名変更の件が伝わっていないのだろう。
このままでは、緊張する試験当日、初めて現地を訪れた受験者が、降りそこねてしまう事態にならないだろうか。
それから、上のリストにもあるが、新国道にある旧「いすゞ前」バス停は、秋田いすゞの移転に伴い「幸町交番前」になった。
どちらの交番も秋田中央署の管轄で、「サ」の音で始まる。一般路線バスは路線が異なるが、秋田-能代間の高速バスは、どちらにも停車する。
乗り慣れない人は「サなんとか交番前だったな」と、間違ってしまいそう。

交通局が設置した埋込式ポール
交通局が設置したポール(かつては赤色LEDが点灯していたのだが…)は、下に「八橋南一丁目」のカット文字が透けて見える。

民間会社が設置した可動式ポール
こちらのポールは、分かりにくいが「八橋南一丁目」の下にさらに「酒造センター前」という文字も判読できる。2度重ね貼りしたことになる。
土崎方面で10月から新設された路線があるから、その分の放送用音声を収録する際、一緒に「山王交番前」も吹きこんだのだろうが、あまりに唐突な名称変更だ。

駅行き側の可動式ポール
駅行き(上り)側の可動式ポールには、時刻表が掲示されていない(裏面も)。交通局が設置したポールの掲示スペースだけで間に合うのだ。
以前も書いたけれど、見栄えが悪いし管理も手間だろうから、要らないポールは撤去したら? ※
2020年の状況。
一方で、「いつまで経っても昔の名前のまま」というバス停もたくさんある。
※カッコ内は、名称変更の事由が発生した時期
・長崎屋バスターミナル(2009年9月)
長崎屋秋田店がドン・キホーテ秋田店に変わったけど、そのまま。

以前の画像の再掲
新しい看板を付けているところを見ると、変える気はなさそう。
高速バスの発着点でもあり、名称変更するとなると大掛かりになるし、「ドン・キホーテ」っていう名称にも抵抗感があるのかもしれない。
・秋田中央郵便局・社会保険事務所前(2010年1月)※最近の状況は未確認。サイトの検索では「秋田中央郵便局前」。

向かい側は「秋田中央郵便局前」だけの表示
社保庁廃止・日本年金機構発足に伴い、社会保険事務所は「年金事務所」になった。
バス停も「秋田中央郵便局・年金保険事務所前」にしないといけないけど。※
2016年になってやっと対応された。
・歓喜寺前(2007年7月)
五丁目橋から横町を通って旭北寺町の突き当たりに「歓喜寺(
かんじき訂正・かんきじ)」というお寺があった。突き当たりの先、お寺の中を通って新国道へ抜ける新しい道路ができるため、3年前に歓喜寺は下北手地区へ移転した。

突き当たりが歓喜寺跡。右奥にドン・キホーテがある
歓喜寺の前で突き当たって左折する川尻割山線が通っているが、同線の最寄りバス停は、南側の「大悲寺前」。
お寺の前の1本東側の道が「大回り線」の経路になっており、そこに「歓喜寺前」というバス停がある。

奥の信号を右折した突き当たりが歓喜寺跡
「前」というにはやや遠いし、今は片方向(楢山回り)のみで、平日の朝に1便だけの運行になってしまい、影の薄いバス停。
檀家や周辺住民には思い入れのある名だろうけど、お寺が移転したのに、そのお寺前っていう名前のバス停が移転前の場所にあるのは…
※
2016年にやっと改称。
・秋大糠塚官舎前(2004年4月)
秋田駅西口と秋田大学医学部附属病院を結ぶ路線のうち、交通局が運行していた「手形山団地線」で、終点の大学病院前の1つ手前がこのバス停。
県道横山金足線に面したマックスバリュなどの店舗の裏通りにあり、向かい側は手形山が迫っている。
下の写真では、奥が大学病院、右は店舗(の裏口)、そして左は山のふもとの雑木林で、なんともすごいロケーションだ!

ガードレールの外にポールが立っている
「糠塚(ぬかづか)」とは、所在地の「秋田市柳田字糠塚」から。
「官舎」とは秋田大学の“社宅”のことで、医学部の敷地の北側(上の写真では突き当たりを左折)、山のふもと近くにあるようだ。国立大学の職員はお役人である(教官・技官・事務官)ので、「“官”舎」と呼ぶのだろう。これは大学の公式な名称だったはず。
しかし2004年に国立大学が国立大学法人化されたのに伴い、例えば教官という職名は「教員」になるなどして、「官舎」も「宿舎」という名前になったようだ。
ネットで検索すると、町内会の名称や秋田大学が作成した資料におけるバス停名は「糠塚宿舎」になっており、実際には糠塚官舎から「糠塚宿舎」へ名称変更されたらしい。

表示がだいぶ傷んでます。背景は笹薮!
透明シールにパソコンで印字したようなバス停名表示。これは秋田市交通局が末期に行っていた方法。移管後に、カット文字に更新された箇所が多いので、今となっては珍しい。
この件は大きく報道されるなどしたわけではなく、大学関係者以外にとっては些細な点といえそうだし、バス会社が単に気付いていないだけかもしれない。大学側からバス会社に申し入れでもすれば別だろうけど。
(逆に言えば、他の各バス停は、常識的に名称変更するべき事象があったことが明白なもの。バス会社が“気付かないふり”をしていると言ってもいいのではないだろうか)
なお、過去の例では、上記、JR宿舎前→泉ななかまど通り の変更の前は、「国鉄官舎前」というバス停名だった。これは、現在の「生鮮市場保戸野店」の敷地にかつてあったものを指しているのだが、国鉄の民営化に伴い、秋田市交通局はしっかりと対応していたことになる。
※
2020年にやっと改称された。
・秋田ニューシティ前(2010年4月)
解体が工事が行われている、秋田ニューシティ。跡地利用は未定。

この姿もあとわずか
今回、山王交番前と一緒に変更してしまえばよかった気がするが、解体が完了するまではニューシティが存在するってこと? それとも永遠に存在し続けますか?
【2013年3月16日追記】2011年4月から
「大町通り」に改称された。
・交通公社前(2001年1月)
もしかしたら、若い人に「交通公社」といっても通用しないかもしれない。旅行会社の「JTB」のこと。
かつては財団法人でのちに「株式会社日本交通公社」、2001年に「株式会社ジェイティービー」となり、交通公社の名前が消えたようだ。【2018年2月24日補足】ブランドとしての「JTB」は1988年から積極的に使うようになり、浸透していった。
竿燈大通りには、交通公社秋田支店(現JTB東北秋田支店)があり、その前のバス停が「交通公社前」。
乗降客の多い停留所であり、空港リムジンバスも停車する。

左奥がJTBの店舗
特にバスを利用する古くからの秋田市民は、何の疑いもなく「交通公社」と呼んでいるが、消滅した名称を10年間も使い続けるなんて、全国的にはおかしく感じるのではないだろうか。
僕は、旅行会社のことは「JTB」、バス停は「交通公社」と無意識に呼び分けているが、考えてみればヘンな感じ。
この分では、永遠に「交通公社前」なのかも。
※
赴任してきたJTBの支店長ですら驚くバス停名のようです
【2014年9月28日追記】
「広報あきた」609号によれば、
「交通公社前」がバス停名になったのは、1974年10月から。
それまでは、「(升屋前の)産業会館前」だった。
「升屋」とは、JTBの隣に最近まであった那波商店系列の呉服店(仏壇店は「升谷」で無関係)。
「産業会館」とは、二丁目橋を渡った突き当りにあった建物で、現在の「二丁目橋」バス停は産業会館閉鎖まで「産業会館前」だった。
つまり、以前は、「産業会館前」が少々離れた位置に分散して設置されていた格好になる。
考えてみれば、現・二丁目橋と交通公社前の両方に停車する路線ない(車線変更などの都合上、位置的に不可能)し、豊町とか山王十字路とか、路線によって同一名称のバス停が離れた位置にある例もあるから、おかしくはない。
※その後
2018年、JTBに変化が。(以上追記)
【2021年1月28日追記】
・
市民生協入口(一部では「市民生協前」とも。
この記事参照。2008年)
港北小学校の裏にある通町・寺内経由将軍野線の終点。市営バス時代1971年に秋田市民生協土崎店の(同生協の1号店)ができ、その近く。
市民生協は、移管後・2008年に「コープあきた」に改称したが、そのまま。
【2021年4月21日追記】
2021年4月に、新たに変えなければならないバス停ができた。「
帝石前」。
由来である企業名が「国際石油開発帝石株式会社」から「株式会社INPEX」に変わったという。企業名改称そのものが知られていないし、秋田市民には企業名というより固有名詞で帝石が定着してしまっているから、これはただちに改称、とも言いづらい。(以上追記)
このほかにも、来春には
サティやジャスコが「イオン」に統一されるのに伴い、「サティ前」や「御所野ジャスコ前」も変更を余儀なくされるが、このまま押し切るのか?!
「交通公社」のように、昔を知る地元の人は、名前を変えなくても分かってもらえるだろう。
でも、よそから引っ越して来たり旅行で来る人がいる。若い人もいる。そうした人には、分かりづらいし、極論だけど一種の“隠語”のようで疎外感を感じてしまうかもしれない。
だから、変化に合わせて、変えていかなければならないと思う。そして変えたからには、充分に周知をしてほしい。
面倒で手間だろうけど、それが「“公共”交通機関」としての使命ではないだろうか。
※その後(2011年4月)のバス停名変更については
こちら
※美工専入口→美術工芸短大入口より前の変更の経緯やバス停名の「前か入口か」については
こちら
【2021年6月23日追記】和歌山市に交通公社前以上に長く名前が変わらないバス停があった。
和歌山バスに「車庫前」というバス停があるのに、車庫はないという。
1971年に廃止された、南海電鉄の路面電車・和歌山軌道線の「高松検車区」を指し、廃止後50年経っても名前が残っていた。なお、和歌山バスも南海系列。
2021年6月23日に、やっと改称されて「高松北」になるとのこと。
和歌山ラーメンには、その付近に店があったことにちなんで「車庫前系」と通称される一派もあるというが、どうなるか。