広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

花巻探訪

2018-08-31 00:36:07 | 旅行記
7月末の宮城旅行記は、若干残りがあるのですが、その帰り道を先に。
雨から逃れるために、早めに秋田へ向かったのだが、北上か盛岡での待ち時間が1時間ほどできる。盛岡も北上も降りたことがあったので、それ以外のどこかで降りて時間をつぶそうと考えた。

その日は28日。イトーヨーカドーで5%引きになる。数少なくなったイトーヨーカドーがあるのが、岩手県花巻市。イトーヨーカドー花巻店は、東北本線花巻駅から歩いて10分ほどのところにあるようだ。
花巻市は、花巻温泉には泊まったことがある、市街地から離れた宮沢賢治記念館にも行った気がする。
でも、駅も市街地も訪れたことはなく、長いソフトクリームが有名なマルカンデパート大食堂(百貨店としては廃業、食堂が復活)があるくらいしか知らなかった。降りてみよう。

東北本線で北上から間もなく、花巻駅。東北新幹線の新花巻駅は、花巻で乗り換えて釜石線にある。
県庁所在地でない市の駅としては、平均的規模で、乗降客はやや多い印象を受けた。駅業務は、2017年にJR直営から子会社委託になっているとのこと。
メインの東口
駅前は「街」というほどではなく、思いのほかこぢんまり。ここから南へ500メートルほど行くと、市役所やマルカンデパートなどがある市街地のようだ。市街地の外れに駅があるのだろう。
イトーヨーカドーは東方向。道はまっすぐでないので、下調べしたほうが無難だけど、迷うほどではない。ヨーカドーからさらに1キロ先を北上川が流れており、そこへ向かってけっこうな傾斜がある道。
ちなみに、北上川のその付近が、宮沢賢治がイギリスの海岸のようだと命名した「イギリス海岸」。今は、通常は水の中で、見てもあまりおもしろくないらしい。年に1回、ダムを調節して川底を露出させる試みが行われるが、成功するとは限らないそうだ。

「坂本町」交差点で広い道に出て、小さい川を渡った左側にイトーヨーカドー。その向かいには、木が茂って小高くなった公園のようなものもあって、それが花巻城跡。花巻が城下町という印象がなかったし、こんな場所にあるというのも意外。
ヨーカドーと城跡
先に花巻城跡から。
秋田市の千秋公園ほど高くはないが、それなりに上ったところ。
その名も「市立花巻小学校」という学校があり、宮沢賢治の母校。宮沢賢治の生家はマルカンデパートの近くだそうで最初に入学したのは別の小学校らしい。尋常高等小学校とかいろいろ複雑でよく分からないが、とりあえずここを卒業したようだ。
城跡は狭く、小学校の向こう側には、すぐにまた住宅や公共施設が並ぶ。
塀や門は城跡の風情
いちばん高いところが本丸跡だけど、
一面の草地

本丸跡からイトーヨーカドー花巻店を見下ろす
旧秋田店や弘前店など、イトーヨーカドーといえば、高いビルを連想してしまうけれど、花巻店は2階建てで、前に広い平面駐車場がある。
1988年オープンだから、秋田や弘前よりは新しい造りのヨーカドーということだろう。

中はわりと広く、にぎわっていた。手押しドアの押す部分が、陶器に着色したヨーカドーの鳥マーク(昔のロゴ)になっていたのがかわいかった。
オリオンベーカリーのパンなどを買って、降りた甲斐があったと満足。


その他、いろいろ。
城跡とヨーカドーの間に(というか小学校の通学路か)、押しボタン式信号。
押しボタンが2つ
一般的な黄色い押しボタン箱とともに、白い箱もある。白い箱は秋田でもたまにある「交通弱者用」押しボタン。押すと、歩行者用青信号の時間が延長され、高齢者や足腰の悪い人でも、余裕を持って横断できるという仕掛け。
秋田では「からだの不自由な人用」的な看板は出ているものの、押すとどういうことが起きるのか説明がない。必要とする人が意味を分からなくて押すのをためらったり、反対にやみくもに押してしまう人もいる。
岩手県では「ひとにやさしい信号」と銘打った上、「押すと青時間がながくなります」と、押した結果を明確に表示していた。分かりやすくていい。


花巻市議会議員選挙中だった。
選挙ポスター掲示場
秋田市と同じような、木目がむき出しの掲示板。投票日の下を見ると、
「この掲示板は花巻市産杉間伐材を使用しています。」
秋田市でも、秋田産(秋田市産限定ではないかも)の杉間伐材を使っているのだが、掲示板面にはその旨の表示がない。秋田市では表示しない方針(選挙と無関係の文言は表示できないととらえている)らしい。花巻市は(松江市なども)こうして表示できているのに。


上の本丸跡から見下ろした写真に写っている、小さな川。北上川に注ぐ「後川」。小さくても一級河川の支流だから、これも一級河川で、岩手県に管理が委任されている。
川沿いに看板が立っていた
岩手県の地域ごとの出先機関は「地方振興局」と呼ぶようだ。秋田県では「地域振興局」、青森県では「地域県民局」に相当。
そして絵入りの看板。※シールが貼られているが、イタズラ等でなく、河川に関係した何かの告知がはがれかけているもの。
見覚えのあるタッチと文
秋田県と青森県のものを紹介したことがあった、河川愛護看板のさらなるバリエーションだ。
「川はみんなのものです/ふるさとの川を守り/美しい川にしましょう/○○県」という言い回しは、秋田でも青森でも見られたが、ここのは文が同じで絵は別で、初めて見るもの。
若干気持ち悪い魚が、空き缶が3つ捨てられるのを見て、なぜかどこかうれしそうにしている。

上のカプセル型の中は、秋田と青森では絵・文章違いを含めても「川をきれいにしましょう」しか見たことがなかったが、これは「ゴミを川に捨てないで下さい」。
少なくとも東北地方では、県に関わらず、このシリーズの看板が設置されているようだが、バリエーションはまだほかにもありそう。


花巻駅前(東口側)

イトーヨーカドー花巻店前
市街地の歩道上に、ぽつんと看板が置かれていた。
昔は秋田にもあったはずだけど今は見かけず、八戸盛岡では今も現役の「学童注意」の広告入り看板。
さらに南の花巻にも分布していた。どちらも置き方がちょっと微妙で、目立たない感じはしたけれど、広告からして現役でしょう。

花巻駅前のものは、台座も蛍光色で、横断旗挿し付きと、新しいタイプ。「南部せんべい巖手屋」がスポンサー。
片面は新しいイラスト
八戸にあったのと似ているが、男の子が右手に持つものが違う。八戸のはそろばんが入った手提げ袋だったのが、ここでは横断旗。そういえば2人とも服に「P」と書いてあるのはどういう意味?
もう片面はおなじみの例のイラスト

ヨーカドー前は台座や枠は古そうだが、広告面はほとんど劣化していないし、書体も新しいものと同じ。
こちらは裏表同じ例のイラスト
ここはスポンサー名が「寄贈」となっていて、「岩手銘菓(株)回進堂 岩谷堂ようかん」。「イトーヨーカドー・キヨスク」と発売箇所も宣伝している。ただし、JR東日本になってからは「キオスク」が正当だし、現在は花巻駅はNewDaysになっている。
回進堂は奥州市江刺の店だそう。岩谷堂羊羹の名は、ケーブルテレビで見る岩手放送のCMで知っていた。この時は気付かなかったけど、ヨーカドーに売っているのなら、買えばよかった!


暑い中、短時間ながら充実した花巻探訪だった。いつか中心部やイギリス海岸にも。
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駅名変更から10年

2018-08-30 00:47:43 | 津軽のいろいろ
今は住んでいない土地の10年前の話を蒸し返して恐縮ですが…
10年前・2008年8月下旬。当時、定期的にチェックしていた、とあるネット掲示板(個人管理)を見て、目を疑った。

弘前市内にある弘南鉄道大鰐線の2つの駅「西弘前」と「城南」の名前が、同年9月1日から変わるという。
ガセネタかと疑ったが、駅に掲出された告知の写真も見ることができ、どうやら真実。
西弘前駅に掲出された18日付掲示
でも信じられない。マスコミなど他の媒体での報道・掲載は見当たらない。
当時はすでに公式ホームページを開設していない企業や組織のほうが珍しくなっていたが、弘南鉄道はその1つだった(この後、2008年中に開設されたはず)ので、公式情報は分からない。(今にして思えば、市販の大型の(JTBや交通新聞社の)冊子時刻表でどうなっているか確認しておけばよかった。)
そもそも駅名変更が唐突で、しかもその経緯や理由が見えてこないし推測もできない。
何よりも、告知から変更まで2週間というのが、短かすぎる。
西弘前駅ホームの駅名標
個人的に両駅は大鰐線の中でも身近な駅だから、特別な感慨になるのは当然だけど、それを別にしても、この時の駅名変更について引っかかるものを禁じ得なかった。何かこっそりと済ませようとしているようで。あと、このままで本当に駅名が変わってしまうのか、混乱が生じないのか。不信と不安のようなものを覚えた。

駅名を変えるのなら、国土交通省に対して手続きがされるのではないかと思いついた。
国土交通省東北運輸局のサイトにも未掲載。余計なことかと思いつつ、東北運輸局へ問い合わせてみた。「間もなく弘南鉄道の駅名が変わるようですが、公式発表はされないのでしょうか。もっと周知しないと、混乱が生じるのでは?」と。
丁寧な回答を頂いた(国の出先機関って、一国民の問い合わせに、わりとしっかりと対処してくれる)。
驚いたことに、運輸局側でも、その時点ではこの件を知らなかったらしく、メールでの問い合わせを受けて、駅名変更が事実であることを弘南鉄道に確認してくれた。
ただ、この時点で運輸局が駅名変更を知らなかったことは、法令上は間違いではなく、鉄道事業法並びに鉄道事業法施行規則において、事後に届け出をすれば良いことになっているとのこと。
しかしながら、事前に充分に周知することは当然必要であるとして、運輸局から弘南鉄道に対して、その旨を伝えたとのこと。

駅名変更が、事前の認可・申請などでなく、事後報告で済むとは知らなかった。路線バスのバス停名の変更と同じレベル。
極端な話、東京駅を「新宿駅」、新宿駅を「桂根駅(秋田のきわめて停車本数が少ない駅)」に変えたり、米子駅を「ねずみ男駅」にしてしまっても(水木先生の故郷なので、本当に妖怪の愛称が付けられているが、あくまで愛称)、変更後に届け出れば法令上は構わないということになるのだろう。(それで混乱が起きれば、指導されるだろうけど)


この時の運輸局とのやり取りがきっかけになったのかは分からないが、駅名変更まで1週間を切った8月27日頃、やっと報道で取り上げられ、現地で動きが出始めた。
その後、弘南鉄道が西弘前の商店街など地元に対して説明会(9月4日らしい)を行なって、そこで地元から批判の声が上がった。

ほら言わんこっちゃないと思った。
駅に告知は出ていたものの、弘南鉄道の利用状況からして、告知を見る機会がない地元の人が多かったはず。乗らないけれど、駅名変更は知らせてほしかった/反対するというのは、ムシがいい話のような気もするけれど、鉄道というものは事業者と乗客だけで成り立つものではない。線路が通り、駅がある地元の協力があって、地域と共存してこその鉄道。鉄道や駅は地域の共有財産である。
地域の合意なしに、簡単に告知するだけで充分だと弘南鉄道が考えていたのなら、とんだ思い違いである。

特に地方の私鉄や第3セクター鉄道では、最寄りの学校を駅名に変えることはあるが、利用者や地域に受け入れられた上での変更が普通。
例えば、長崎県の松浦鉄道「清峰高校前」駅は、県立清峰高校が甲子園で好成績を収めたのを機に、地元から駅名にしてほしいとの声が上がり、所在地の町長名で鉄道会社に要望書が出されて、2007年に改称。
福岡県の筑豊電気鉄道「希望が丘高校前」駅は、2008年に私立高校の名前に変わった。その経緯は不明だが、改称記念式典が開催され、記念乗車券も発売されたという。
弘南鉄道では、こうしたことは一切なく、乗客や地域住民としては、一方的に唐突に押し付けられるようにして名前が変わった。
これまで、鉄道の駅名が変わった事例はいくつもあるけれど、このようなことはほかにあっただろうか。



もう1つ引っかかることがあった。変更後の駅名。
西弘前が「弘前学院大前」、城南が「聖愛中高前」。
それ以前から弘南鉄道には、大鰐線に「弘高下」「義塾高校前」、黒石方面・弘南線にも高校の名前を使った駅が3つある。だから、沿線にあるのに、それまで駅名になっていなかった学校を新たに駅名にしたとも考えられる。
しかし、西弘前は弘前学院大学も近いけれど、弘前大学も近い。城南に至っては、聖愛中学高校よりも近い場所に、県立弘前実業高校がある。弘大や弘前実業でなく、なぜこの2校の名前にしたのか。

新駅名になった2校は、どちらも同じ学校法人が経営する。
となると、学校法人と弘南鉄道の間で、何らかの“取引”があったのではないかと勘ぐりたくなる。
取引といっても、悪いことではなく、駅名変更の費用もしくはプラスアルファの広告費的なものが、学校法人から弘南鉄道へ支払われたのではないかということ。
当時すでにちらほら始まっていた、公共施設の命名権の売却(ネーミングライツ)と同じこと。富山ライトレールでは行なっていたはずだし、公共施設では学校が命名権を購入した事例もあり、この2駅がそうであったとしても、別にやましいことでも隠すことでもない。鉄道の収益になって、それが路線の維持につながるのであれば、乗客としては(親しんだ駅名が変わることへの寂しさはともかく)ありがたい。
だが、この点も、弘南鉄道はあいまいに済ませたかった雰囲気。

当時のマスコミの報道によれば、弘南鉄道側は変更した理由を、通学に利用してもらいやすくして、利用者を増やすために変えたとしていたはず。
後に改めて調べると、朝日新聞青森版ではさらに踏みこんで、
説明会の時に「弘南鉄道によると、旧西弘前駅に隣接する弘前学院大から、「学生の自覚を促す効果があるので駅名を変更してほしい」と要望があり、同社も学生の利用者増を期待して踏み切ったという。」
と伝えていた。多少は分かったが、金銭が支払われたのかは不明。
しかし、駅名変更にはそれなりに費用がかかるはずで、変更によって増収があったとしても相殺されてしまうかもしれない。また、学校側から変更を働きかけるだけで、後は鉄道にお任せというのも、ムシが良すぎる。
あくまで推測だが、少なくとも駅名変更諸費用相当額は、学校法人側が負担したのではないだろうか。
また、このことから、学校法人と弘南鉄道の2者だけで変更を決めてしまい、乗客や地域を置き去りにしていたことになる。

あと、学校名を略した駅名なのが、若干もやもやした。
どうせなら「弘前学院大“学”前」「聖愛中“学”高“校”前」などと、略さない駅名にしたほうが良かったかも。(既存の他の駅名も、「弘高」「柏農高校」など略しかたはまちまち)


当時、使い残しの青春18きっぷがあったので、それで駅名が変わる直前の両駅へ行った。今回アップしている写真は、その時の撮影。ここで城南駅の写真をまとめて紹介。
城南駅ホームと駅名標

城南駅の告知は手書き

当時は平日の朝夕は駅員がいたようだ
城南駅はホーム(駅舎もホーム上)のすぐ南側に道路があって踏切がある。その東側には、駅の所在を知らせる、門型の看板があった。
西側から。向こう側左が駅
弘南鉄道の他の駅で見られるような、オレンジ色地の看板と同じものだと記憶していたが、写真で見るとかなり色が薄い。色あせたのか。たしか夜間は黄色っぽく内側から光っていた。駅そのものよりも立派だったかも。
東側から。両面に表示があった
駅名変更後は、このゲート自体が撤去された。代わりの看板類は設置されていないようで、特に道路の東側からは、駅の存在を見落としてしまいそう。

結果として弘南鉄道が押し切って駅名を変えてから、10年。
その途中、変更5年後の2013年には、弘南鉄道の社長が大鰐線を2017年3月で廃止する方針を突然(ここでも唐突)示し、地元に衝撃が走った。
その後、弘前市と大鰐町が間に入るなどして、1月ほどで廃止の方針は撤回された。
協議会が立ち上げられ、運賃優遇など乗車促進策や民間も関わったイベントが開かれるなどするようになった。厳しい現実を地域へ突きつけることで、ある種の“ショック療法”にはなった。中央弘前駅周辺の整備計画も出ている。
それでも、1時間に1本になってしまった列車は、昼間はガラガラ。冷房がない車齢50年を越えた車両も、先は長くはないだろう。

当の西弘前改め弘前学院大前駅は、2009年には完全無人化・自動券売機撤去。【30日補足】2008年の駅名変更の時点で、休日終日と平日昼間は無人扱いになっていて、平日の朝夕しか駅員はいなかったようだ。
今年春には駅舎が建て替えられ、生協のカート置き場と一体化してしまった。


10年前、駅名変更を働きかけた学校側の「学生の自覚を促す効果」があったのか、あったとしても10年経っても続いているのかは知らない。
それを受け入れた弘南鉄道側の「学生の利用者増を期待」した目論見は、上記の状況では、少なくとも大幅増には至っていないのは確実で、外れてしまったと言うべきかもしれない。
駅名を変えなくても同じ結果になっている気はするが、駅名を変えた効果も意味も、とても小さかったと言わざるを得ない。


一方、旧駅名の「西弘前」とその略「西弘(にしひろ)」は、10年経っても健在。
西弘前は地名ではない駅名だけの呼称だったから、駅名が変わった以上、徐々に消滅するのかと思われたが、商店街も、みちのく銀行【30日追記・建物が新しくなった生協も】を始めとする店舗名も、弘南バスのバス停も、今なお「西弘(前)」。衰える気配すらない。
※「弘南鉄道」と「弘南バス」はルーツは同じだが、現在は資本関係はなく、直接の関連はなくなっている。
弘前大学には、10年前に在学していた学生・大学院生は、規則上、留年者さえもういないはず【30日訂正・学部から在籍している大学院生がどこかで休学・留年しているか、学部を卒業した数年後に大学院や別学部に入り直した人は、今も在籍している可能性はあるが、かなり少ないだろう。】なのに、今も「西弘」が通用するらしい。
【9月4日追記】「西弘前」の由来である駅名だけが変わって、それ以外は変わらないままとも言える、本末転倒の状態。また、新駅名に追随する店舗や施設は今のところ、ないのではないだろうか。

駅名変更時に、地元が怒って心配したような事態は、さほど起きていないと言えるだろう。
この点でも駅名を変えた意味がなく、弘南鉄道としては文句を言われた意味もなかったような結果か。
10年経って過去の話になって、そんなこともあったな…程度に落ち着いているのかもしれない。


でもやっぱり、弘南鉄道の失敗だったと思う。
僕はこの一件により、弘南鉄道を見る目が、悪い方向に変わってしまった。
それまでは、弘前に行けば極力乗ることにしていたのだが、この件の後は本数も減ったし、運賃も高くなったしと理由を付け加えて、弘南バスのほうを好むようになった。
その後の廃止宣言&撤回でも、唐突で強引なやり方には疑問を覚えたが、そんなに厳しいのなら微力ながら力になってやろうかと、また少しは乗るようにしている。(でも昔より乗らなくなった)
中心市街地の川沿いを走り、住宅地・学生街からリンゴ畑へ駆け抜ける雪国の直流電車【30日・言い回しを書き換え】という、全国的にも珍しい環境の弘南鉄道大鰐線。いつまでも走り続けてほしいというのは、感傷に過ぎない。遠くない将来に、何らかの変化は避けられないだろう。

【9月3日追記】弘南鉄道は2017年9月で、開業90周年なのだった。これは現在の弘南線の一部区間の開業が基準で、大鰐線は前身から数えても65年ほどの歴史(1952年開業、1970年弘南鉄道に吸収)。
それと、どうせ駅名を変えるなら、「大鰐」を同じ場所にあるJR奥羽本線の「大鰐温泉」に揃えようというつもりはないのだろうか。JRの列車内で、遠方から来た旅行客が、スマホの乗換案内で「大鰐温泉」と「大鰐」が表示されて、その違いに困惑(駅が違う場所なのか、乗り換えないといけないのか等)していたのに遭遇した。
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残念なバス停

2018-08-28 00:28:53 | 秋田のいろいろ
秋田市内のバス停の表示板について。※前回の記事
今回は、以前に中央交通によって更新されたものの中から、最近流行りの生き物図鑑にならって「ざんねんなバス停表示板」を2つ。

2014年4月に、秋田市北部にある「秋田組合総合病院」が「秋田厚生医療センター」に名前を変えた
病院の前には、小規模なバスターミナル的機能を持つバス停もあり、律儀にバス停名も「組合病院前」から「秋田厚生医療センター前」に変更された。
※車両の行き先表示は「組合病院」だったのが原則「秋田厚生医療センター」表記に代わり、経由地が略されたり文字が小さくなったりしたので、途中乗降車としては、少々迷惑。
医療センター前には、乗り場が3つありそれぞれにポールが立つ。1本は、秋田市がキングタクシーに委託して運行する、郊外部行きの秋田市マイタウンバス北部線用。それはキングタクシー仕様で、別段珍しくない。
問題は2本ある、中央交通用。

組合病院時代は、市営バス時代から使っていたのか、プラスチック製で四角く平らな二面体タイプ(この記事に他の停留所の画像あり)だったはず。
名称変更に伴い【29日訂正・コメントで教えていただいたように、移管後・組合病院時代にダルマ型に交換されていたとのこと。】、ポール自体がダルマ型に変わったのは、流れとしてやむを得ない。その表示板が問題。
2枚とも裏表(実は1面だけは未確認ですが)がこうなっている
何がおかしいって、バス停名の文字の色。普通は黒文字なのに、ここは白文字。
決して、フラッシュを近くでたいて、反射して光っているのではない。
【2019年8月17日追記】2019年8月17日でも、2枚裏表とも、変わらず白文字のままだった。
【2022年5月21日追記】不十分・未確認な情報だが、2022年5月時点では、黒い文字になったようだ。この記事にて

病院のすぐ前にあって、始発地のバス停なんだから、バス停名の表示を必要とする人はいないだろう(法令では停留所名称の表示が義務付けられている)。だからこれでも問題はないのだけど、黄色地に白文字は少々見づらい。
何よりも、ほかに白文字のバス停を見たことがない。どうしてここだけ?

表示板全体としては、最近主流の太めの「スーラ(という書体)」だが、地色は微妙に異なる、少し前の標準タイプ。
文字のカッティングシートを注文する時、間違って白を指定してしまったくらいしか、原因は考えられない。そして、納品された中央交通側で、まさか文字色が違うことに気付かないわけはないから、「違うけどこれでいいや」と押し切って設置されていることになろう。

だとしたら、受注した業者はきっと同じなんだろうから「今回はいつもと色が違うけどいいんですか?」と確認するとか、業者でも中央交通でもいいから設置前に黒マジックで塗りつぶす(ごまかしだけど、この場合はそれでごまかしきれそう)とか、できなかったもんだろうか。



もう1つは、おそらくバス停名としては3つだが、終点である関係で表示板としては計4枚だけ存在すると思われるもの。以下に掲載するのは2010年撮影の古い写真だけど、現在も変わっていないはず。
同じく秋田市北部ながら秋田港。
ポートタワー・セリオン(セリオンタワーじゃありません)の下
新国道経由セリオン線は、セリオンの真下・玄関前に乗り付け、雨に濡れずに入館できる。
セリオン線は、1994年のオープン時に、当時の秋田市営バスが新規に開設した路線で、後に中央交通へ移管された。当初は、秋田市の3セクということもあってか、1時間に1本くらいは運行されていたが、現在は平日・土日とも1日10往復以下。等間隔でなく30分間隔のところもあれば、2時間以上ないところもあり、利用しづらい。
他の新国道経由と異なり、利用客が多い港中央一丁目以降の旧国道を通らないこともあり、トータルでの利用者が少ないのだろう。また、バスでセリオンにいく旅行客も(皆無ではないが)多くはないのだろう。
ただ、港まつりなどで旧国道が通行止めになる時は、迂回による臨時の折り返し点として、セリオン前が重宝されているようだ。
※セリオン線がない時間帯にバスでセリオンに行くには、他の新国道経由各路線または県庁・寺内経由土崎線で「港入口【29日補足・中央一丁目以降の旧道区間にある】」から歩いてもそう遠くはない。いっそ、JRに乗って土崎駅から歩いても、20分くらい。【29日追記】港入口や土崎駅からセリオンに行く場合は、国道7号の横断が必要(信号機あり)。国道から港までは、歩道がないところもあるので、車には注意して歩いてください。
上の写真の反対側は、
すぐ向こうが港
で、この表示板。
強風で倒れたのか、表示板が傾いている。後に修復された
傾いているのは別として、表示板のデザイン。
「懐かしい」とともに「ちょっとヘン」と感じるもの。市営バスの表示板を知る人は特に。

原因は2つ。まず、これまで述べた通り、市営バス時代の表示板デザインを受け継いだ中央交通で、大きく異なるのが、上段の社名部分の地色。市営バスでは黄緑(若草色)だったのが、中央交通は紺色。
(再掲)秋田市営バスのダルマ型表示板
それなのに、セリオン前は中央交通なのに黄緑色。色の組み合わせだけを見ると、市営バスのバス停そのもので、それが「懐かしい」。

もう1つは、3色の面積の配分。社名の上段が異様に広く、下段の何も書いてない赤いところが異様に狭い。その分、バス停名の表示も、標準より下に寄っている。
特に上段が、円の半分近くを占めていて、おでこがやけに広いみたいなのが「ヘン」。

詳しく見ると、市営バス時代のセリオン前(ナール書体、ローマ字併記)が下に透けており、転用なしで市営バス時代と同じ表示板の上に、重ね張りしている。
透けている市営バス時代の表示は、一般的な配置。貼り直した時に、色の配分が変わってしまったようだ。

現在見えている書体は太いスーラ。中央交通での太いスーラの使用例としては最初期だと思われる。(JTCウインRとの時期の違いは不明)
そして、上段の中央交通の社名は、現在のものよりやや太く、大きい。この大きさの文字では幅を取るため、これ以上円の上方向には表示することができない。
つまり、中央交通の社名を想定していたより下に表示せざるを得ない事態になってしまい、やむなく上段を広くしたのではないだろうか。
色が違う理由は、移管の初期段階でまだ不慣れで、間違って市営バスと同じ色で発注してしまったのかも。

セリオン線が他系統から分かれて単独で走る区間のバス停は、「セリオン前」のほかは「港湾事務所前」。さらにフェリー発着に合わせて、セリオンの先まで運行される系統の「フェリーターミナル前」もある。
この3か所に、同じタイプの表示板が設置されたとみられる。ポールは港湾事務所だけが路上にあるので2本、他は終点なので1本ずつ。その計3本。
ただし、フェリーターミナル前は自分では見ておらず、また現在は通常タイプに変わっているかもしれない。フェリーターミナル系統の運行開始時期は不明で、さらに2010年前後の一時期廃止されたり、その後期間限定で運行されたりした時もあったので、その過程でポールが撤去・交換された可能性があるため。【29日追記】コメント欄の通り、一時廃止されて撤去されたため、フェリーターミナル前は現在は一般的な表示板のポールに代わっているとのこと。※その当時のフェリーターミナル前は、通常デザインに上塗りされて、長崎屋経由側上り「たけや製パン前」に転用されていた。この記事後半。
「港湾事務所前」
港湾事務所前のローマ字は、移管後は「KOUWAN ZIMUSYO MAE」。市営バス時代は「KOWAN JIMUSHO MAE」。

色は市営バスの面影を残すものの、とてもアンバランスなバス停。このままずっと残ってほしいような、残ってほしくないような…
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高校野球あれこれ

2018-08-27 00:17:51 | 秋田のいろいろ
秋田県立金足農業高等学校の甲子園準優勝は喜ばしい。それはまったく否定しない。
だけど、さらにいろいろ知るにつれ、どうして高校の硬式野球だけが、こんなにも騒ぎ立ててもてはやされるのか、やっぱり納得がいかない。
そんな視点で、金農準優勝周辺の話題をまとめさせてもらう。


まず、前回、秋田県立能代高等学校の軟式野球部が、全国大会に何度も出場し、何度か優勝・準優勝していることに触れた。
すると、まさに8月24日から「第63回 全国高等学校軟式野球選手権大会」が始まり、北東北代表として、能代高校が出場していたのだった。新聞には出ていたけれど、テレビでは報道されただろうか。金農準優勝の後日談なんてそれこそ後日の報道でいいから、まずは「能代がんばれ! 金農に続け!」と報道すればいいのに…
ただ、能代高校は25日の初戦で、惜しくも敗退してしまった。

それにしても、高校野球の軟式と硬式で、こうまで扱いが違う理由は、きっと主催者が違うのだと思いこんでいた。
しかし、どちらも主催者は「高野連」こと「公益財団法人 日本高等学校野球連盟」。硬式の大会を主催する、朝日新聞と毎日新聞も後援。
じゃあ、どうしてこんなに格差があるんだろう。競技人口は違うし、硬式野球の選手はプロ野球選手になることも多いから、そういうのはあるだろうけど。

まあ、個人的には大した疑問でないからどうでもいい。
それにしても、スポーツにほぼまったく興味のない僕が、どうして高校軟式野球の存在、さらに能代高校が強豪であることを知っているかというと、2人の先生のおかげ。
中学の担任の先生が、秋田高校で軟式野球をやっていたのと、高校の理科の先生が、まさに能代高校軟式野球部の部長(監督より立場は上だけど、実態は小間使いと謙遜していた)をしていたそうで、おふたりとも「マイナーだけど、軟式野球というものもあるんだ!」と、ちょっと自虐的に紹介していたのが印象に残っていた。


金農準優勝に話を戻す。先週の秋田は、金農の話題でもちきり。
秋田駅みどりの窓口前の横断幕
上の写真の秋田駅や秋田空港には、朝日新聞社が作ったと思われる、高野連の名前も入った公式のお祝い横断幕が掲出。フォンテAKITA前には、これの縦版の垂れ幕も。いずれも「祝 優勝」で作っておいて、すき間に小さい「準」を貼っている。
ほかにも、それぞれの店などが独自に作成したお祝いのPOP類があちこちに出ている。
ただ、「金農準優勝記念セール」の類は、日本学生野球憲章に定める商業利用に該当するとして、自粛が求められている。
だったら、以下のように各社が過剰といえるほど報道したり、記念誌やDVDなどを発売しているけど、それはいいのだろうか。結果的に学生野球で金儲けをしているのに。


23日には、金農で遅らせていた始業式に続いて、報告会が開かれた。地域の人などにも公開したためか、猛暑日となった屋外でやっていたのは、みなさんツラかったのでは。
全国からの寄付金の総額が1億9千万円に達したことが発表された(これ以上の寄付は、お気持ちだけもらうとのこと)。いやはや、すごい。
秋田県内のローソンでは、金農パンケーキの再発売が始まり、マスコミの全国放送で報道されたこともあり、その影響か当ブログへのアクセスがさらに増えた。【27日追記】具体的には、18日までは1日あたり1600IP程度の訪問者・5000PV弱の閲覧数だったのが、19日からは訪問者数はあまり増えず、閲覧数は連日1万を越えるようになっている。訪問したひとりひとりが多くのページを見てくれるようになったことになる。当ブログ過去記事には、パンケーキの話題以外には金農の記事はないはずだから、その記事を順を追って見てくれているということか。
【27日追記】ちなみに、再発売された金農パンケーキの人気は衰えていない。27日昼前の秋田市中央部のとあるローソンでは、ドアに「本日分完売」の張り紙。それを見た高齢女性客が店員に尋ねていたところによれば「(その店では)朝4時頃に1度入荷するだけ」らしい。どうしても買いたいなら、早朝を狙え!

そんなその日ごとの新しい話題ならともかく、NHKの夕方のニュースでは、吉田投手の三振を取った場面だけのダイジェストを放送するなど、もう総集編的なものも。年末とかもっと後にしてほしい。
【27日追記】秋田魁新報では、ここ1週間は連日、見開き社会面(いわゆる第一&第二社会面)の少なくとも3分の1以上が、金農関連の記事。

芸人「はなわ」の15年ほど前に流行った「佐賀県」ネタで、「佐賀の高校が甲子園で優勝した時、サガテレビがその試合を何度も再放送した」というのがあった。
調べると、1994年の佐賀商業高校の時、ゴールデンタイムに4日続けて放送したらしい(サガテレビはフジテレビ系列だが、佐賀県唯一の民放局)。
それに近いことは、秋田でもやっていると言える。


ローカルのみならず、全国放送でも。
しかもワイドショーのみならずNHKの定時ニュースでも、決勝進出・準優勝・秋田へ帰った・報告会があった・パンケーキが売られたと、逐一、かなりの時間をとって伝えられていた。優勝した大阪桐蔭の何倍(何十倍?)もの扱い。

秋田に系列局がないTBSでも秋田で取材をしていたし、秋田に系列局あってもキー局のレポーターも秋田へ来ていて、例えは悪いが重大事件並みの扱い。
フジテレビの木村拓也アナウンサーも来ていたが、彼は秋田市に住んでいたことがあるとのこと。Wikipediaには、1990年生まれで幼稚園から中学校卒業まで秋田県にいたとあるので、2000年前後ということになる。

ただ、TBSでは、同時期にジャカルタアジア大会を(地上波)独占放送しており、この週末のレギュラー番組はほとんど休止。
そのため、「情報7days ニュースキャスター」の北野武、「サンデーモーニング」のご意見番、「サンデージャポン」の爆笑問題やコメンテーター陣(秋田生まれ【27日補足・「エセ秋田人」と自称することもある】の壇蜜もいる)の金農準優勝へのコメントは、今のところなし。来週だと、もうやらないかな。

26日の日本テレビ24時間テレビ内の「笑点」では、三遊亭円楽が、「金足農業のスクールカラーの(着物を着ている)円楽です」と自己紹介していた。


ちなみに決勝戦と同じ日の同じ時間には、秋田県立体育館で大相撲の地方巡業「秋田場所」が開かれていた。
豪風(たけかぜ)が金農の出身だし、今回の秋田場所の実行委員会には、秋田放送、秋田魁新報社、豪風後援会とともに、金農同窓会と相撲部OB会も名を連ねていて、なんともタイミングが悪い。
結果としてあまり報道されなかった(魁・ABS以外は扱いにくいこともある)けれど、観客はけっこういたようで、野球の展開を携帯で気にしながらの観戦だったようだ。
さらに、その直前、貴乃花親方が倒れて、秋田市内の病院へ救急搬送されるという出来事も発生。翌朝には退院して帰京。このような、秋田市が舞台のもう1つのニュースもあった。



決勝進出や準優勝に当たって、秋田県知事と秋田市長はメッセージを出した。
過去に秋田代表が勝ち進んだ時には、知事が甲子園まで行って応援したこともあったはず。でも、今回は知事・市長の影は薄かった。
それもそのはず。先週は知事・市長が揃って台湾と中国へ出張中。秋田県知事と秋田市長は、トップセールスと称して以前から仲良く海外出張をすることがある。その是非はともかく、決まっていた仕事だから、それはしょうがない。
【30日追記】帰国後の知事の話によれば、台湾側の計らいにより大画面で中継を見せてもらえたそうで、リアルタイムで応援できたらしい。



硬式高校野球について、もう1つの疑問と不満。NHKが実況中継すること。
いくら需要があるといっても、公共放送局が受信料を使って、長い時間を割いて中継放送する必要性があるのか。
高校野球は、春は毎日新聞社、夏は朝日新聞社の主催で、それぞれ系列の民間放送局がある。そこに任せればいいのではないか(系列局がない県でどうするかは課題)。
NHKではテレビとラジオそれぞれで、県大会から中継をするわけで、かなりの人員と費用(=受信料)が使われている。

夏の県大会は、秋田では、NHK秋田放送局と秋田朝日放送(AAB)がそれぞれ中継(全試合ではない)している。複数会場を両者で調整してすみ分けるというわけでもないはず。
全国大会は、NHKと大阪の朝日放送(ABC)が中継を製作。ABC版はBS朝日でも放送。
今年も開会式はNHKとAABを含むテレビ朝日系列各局で中継。AABでは金農の試合ももちろん…と思っていたのに、やらない。

かつてはAABでも、開会式、秋田代表の試合、決勝戦は中継していた。秋田代表の試合は、AABのアナウンサーが実況する「ふるさと応援実況」であったこともあったのに(Wikipediaには、AABがこれまで応援実況をやったことがなかったような記載もあるが、昔はやっていたはず)。
調べてみると、決勝の全国ネットは2014年(AABは2015年)で終わったそうで、地元代表の中継もその流れで取りやめたのだろうか。
ということは、朝日側が自ら、全国向け中継を放棄した状態と言える。(NHKと競合してまで中継する意味が薄いのは理解できるが、だったらNHKが身を引けばいいのでは?)

今回の快進撃で、さすがにAABも中継しないのはマズいと判断したようで、前日の準決勝終了直後に、急きょ決勝戦を放送することになった。見なかったけれど、ふるさと応援実況であったようだ。
科捜研の女(再放送)、渡辺篤史の建もの探訪(再放送)、テレビショッピング辺りが休止されたのかな。

AABの公式ツイッターでは、翌日の決勝中継が決定して告知するつぶやきにおいて「弊社甲子園の放送は初めてです!!」との文言があり、文章の言葉足らず(というより投稿担当者の認識不足では?)により、見た人に戸惑いと誤解を生んだ。
これまでAABが甲子園からの中継を一切放送していなかったようにも受け取れる。
2時間後に「弊社 甲子園の《決勝で秋田県勢の中継をするのは》初めてです!」の意味であったと訂正したが、そりゃそうでしょ。秋田県代表が決勝戦に出たのが103年ぶりで、103年前に御社は存在していなかったんだから。NHKだって「決勝で秋田県勢の中継をするのは初めて」ということになる。
ツイッターは速報性が大事なんだろうけど、特に企業や組織として情報を発信する時は、落ち着いて、吟味してから公開してほしい。

今回は、金農が逆転したり勝利が決まった直後に「ああああああ」などとツイッターに投稿するのが流行って話題になったらしい。AABも投稿した。
NHKの全国ニュースでもそれが取り上げられ、エフエム秋田とタワーレコード秋田オーパ店のつぶやきが、それぞれの名前入りで画面上で放送された。
さすがに同業他社のAABを取り上げるわけにはいかなかったのだろうけど、FM秋田ならいいの?



さて、夏の高校野球といえば、大会歌「栄冠は君に輝く」。作られたのは戦後だが、甲子園・高校野球に直結する曲として、多くの国民に認識されている。
開会式・閉会式など球場内で演奏される/歌われる曲のほか、NHKの中継やニュース内においても、BGMとして使われていた。
有名なところでは、初戦の中継での各代表校の“ふるさと紹介”VTRのBGM。「ローズ・ピアノ」という電気式鍵盤楽器で演奏した、柔らかく穏やかな音色。
秋田放送局では、ニュース番組内の県大会の対戦組み合わせ決定や、1・2回戦辺りまでの試合結果一覧を伝える時のBGMとして、インストゥルメンタル版【27日訂正】歌詞なしの行進曲版(いろんな楽器が使われ、出だしのメロディはフルート、あとはミュートトランペットとか鐘も入る【27日追記】ホルンみたいなのも)が流れていた。
【27日追記】秋田局で使っているのは、「行進曲」としてアレンジされたバージョンの、前奏を省いたもののようだ。日本コロムビアから、歌詞入り・歌詞なし(本当のインストゥルメンタル版)・NHK学校紹介用(ローズピアノ版)とともに、CDが発売されている。

それが、今年の大会では、あまり聞くことができなくなってしまった。
もちろん、球場内で流される時は別だし、秋田放送局では県大会組み合わせ決定時はまだ流していた(終了後の24日放送でも、男鹿水族館でのイベントを伝えるBGMとして流れた)。
代わりに、100回を記念して、NHKが福山雅治氏に依頼(作詞作曲歌)した、その名も「甲子園」という歌が流された。独自のイメージソングを流す、最近のオリンピック中継と同じような方式。

でも、終わってみれば「甲子園」の印象は薄く、歌詞も曲も、まったく思い浮かべられない。ふるさと紹介VTRのBGMであったのかどうかも、記憶にない。(熱心に視聴していないせいもある)
100回だからといって、中継しているだけで主催者でもないNHKが余計なことをしたように思えてならない。開会式閉会式では、どうしても「栄冠は君に輝く」が流れてしまい、それをカットして放送するわけにはいかないのだし。来年以降はどうするんでしょう。


NHKの中継では、応援席のレポーターもいる。昔から、ふるさとリポーターとかいって、特に初戦は各放送局からアナウンサーや契約キャスターが派遣されることが多かった。勝ち進むと、その地元局のリポーターがまだ甲子園に残っているのに、別の人がレポートを担当することが多く、リポーターが1つの学校につきっきりではない。
今回もそうだったけれど、過剰な演出が気になった。
炎天下のスタンドに地元特産の生の食べ物を持ちこんだり、ダジャレを言い合ったりして、さらにそれを受けて実況のアナウンサーがつっこんだり。リポーターが自分の名前をフルネームで名乗るのも、気になるというか、今まではなかったのではないか。
しかも、2回戦以降になると、初戦のあのテンションはどこへ行ったのかと言いたくなる、淡々としたレポートに戻った。



あとは、決勝戦当日の甲子園球場前の立看板。
縦書きで「金足農」「大阪桐蔭」と書かれていた。手書きでなく活字のようだった。
金農には「かなあしのう」とふりがなが振ってあったのに、大阪桐蔭にはなし。
たしかに「金足」は地名としても難読。秋田市民以外は読めなくても当然だから、ふりがなは親切。「農」にまで必要なのかは疑問。
一方、「桐蔭(とういん)」だって難読では? 地元同然だからいらないんでしょうか。


決勝戦の試合終了後、甲子園球場には虹がかかった。
同じ頃、金足を含む秋田市でも、小さいながら虹が出たそうだ。奇跡的偶然。

今後の金農野球部、秋田県勢の甲子園での活躍はどうなるだろうか。
期待しつつも、無理をせず、極端に騒ぎ立てずに、というのもムリなんでしょうな…
興味がないクセにつべこべと失礼しました。
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スクランブル再変化

2018-08-25 00:39:16 | 秋田のいろいろ
7月末から8月始め、秋田市内の斜め横断できない歩車分離式交差点のいくつかが、斜め横断できるスクランブル式交差点に変更された。
秋田駅近くの広小路の久保田町交差点(地名としては千秋久保田町)を紹介したが、その後いただいたコメントや現地確認により、駅近くでは中央通りの「市民市場入口」、反対側の東口を出てすぐの交差点、新国道の「自衛隊入口」の各交差点でも、同様に変更されていた。
今回に限らず、秋田県警の方針なのか単なる節約なのか、秋田県内で歩車分離式をスクランブル化する際は、縁石や路面標示は当然変更するが、
・車両用信号機の表示板は「スクランブル式」に替えず、「歩車分離式」のまま。
・斜め横断時に見るための歩行者用信号機の増設は行わず、状況に応じて既存信号機の角度を調整。
という対応。

久保田町では、スクランブル化に際して、一部の歩行者用信号の青になるタイミングが変更された。
スクランブル化以前は、一方通行の出口側である交差点東側・広小路を横断する歩行者用信号機は、他の歩行者用より1段階早く、南北方向の車両用信号が青の段階から青になっていた(その次の段階で、残りの歩行者用も青になり、赤になるのはすべて同時)。一方通行であることを踏まえ、歩行者の待ち時間を少しでも短縮しようという配慮だろう。
スクランブル化後は、全方向が同時に青になるように変更された。斜め横断用信号がないため、一部だけが先に青になると、おかしな(危ない)ことになるから、やむを得ないと思っていた。

未確認だが、市民市場入口交差点の中央通りを横断する西側横断歩道も、スクランブル化に際して同様の変更が実施された可能性が高い。


8月24日。雨の中、久保田町と市民市場入口の両交差点で、信号機の工事が行われていた。
工事後の久保田町。南東角から撮影。右が秋田駅西口方向
工事後、以前と変わったことが2点あるのが、上の写真からも分かる。
歩行者用信号機が増設され、以前のように東側の横断歩道が1段階先に青になっている。

新品と思われる薄型歩行者用信号機2台が、東側横断歩道に設置。ボディは柱と同色の茶色ではなく、グレーの一般色。
これまでその東側に設置されていた、2台の歩行者用信号機(厚いボディの初期のLED式)は、同じ交差点内のほかの柱に移設された。
「スクランブル用」の表示板付き
要は斜め横断用の信号機が増設された。斜め横断用は、全方向4台ではなく、東側の柱に2台のみ。東側横断歩道以外の歩行者用信号機と同じ動作(=後から青になる)をする。
以前のように東側を先に青にしても、これなら理屈上は問題が解決された。

要望があるなどして東側を先に青にするのを復活するために斜め横断用を増設したのか、それとも斜め横断用信号機の手配が間に合わなくて一時的に変更していたのを、準備ができたから元に戻したのか、どちらかだろう。
どうして新品を斜め横断用にせず、ひと手間多い移設をしたのかは謎。
市民市場入口を見た時はまだ工事途中だったが、西側の柱2本に増設される気配だったので、久保田町と同様の変更がされそう。【確認後追記します】市民市場入口では、やはり一方通行出口側である西側の柱2本にスクランブル用を設置。久保田町のような移設はせず、新しいグレーのものをスクランブル用にしていた。市民市場入口の既存の信号機は、待ち時間・残り時間表示が内蔵されているが、グレーの信号機にはないので、そういう事情だろうか。
なお、久保田町には、信号機と独立した残り時間表示装置が設置されているので、待ち時間の有無が久保田町の移設の理由ではない。(以上追記)


今回の工事により、一部方向の横断者の待ち時間を短く・渡れる時間を長くしようという配慮なのは分かる。それに渡る方向の信号機をしっかりと確認すれば、別段危険はないし、車両側が誤認することはまずないだろう。
でも、いったん変更した信号サイクルを、1か月経たないうちに再び変更(元に戻す)という手順は疑問。新しいサイクルに慣れつつあった歩行者を、再び惑わすことになる。実際、東側が青になったのに、まだ赤だと思って突っ立っている人がいた。
最初からこうなる計画だったのなら、先走ってサイクル変更などせず、スクランブル化を1か月遅らせるべきだった。


もう1点引っかかるのが、斜め横断用信号に取り付けられた表示板の「スクランブル用」。秋田県では斜め横断用信号機自体がレアで、明確に表示板が付いたのは、これが初めてかもしれない。
他県では以前から表示板はあるが、「斜め横断用」「斜め横断専用」という表記が一般的だと思う。青森県もそう。「スクランブル用」としている都道府県は他にあるだろうか?

「スクランブル用」で通じるだろうか。意味はなんとなく伝わる人が多いとは思うが、「斜め横断用」のほうがはっきりと目的が伝わると思う。文字数も少ないし。
そもそも、「スクランブル」というのは「斜め方向に横断ができる“交差点”」を意味する言葉であって、「斜め方向に横断する“行為”」は意味しないと思う。微妙なニュアンスとして若干間違っていると思ってしまうのは、僕だけ?
【29日補足】国語辞典には「スクランブル交差点」は載っている。「スクランブル」については戦闘機の緊急発進、電波(放送)の暗号化、アメフトやオートバイレースの用語としての説明はあるが、交差点については「~交差点の略」程度しか出ていない。警察内部の業界用語としてはあるのかもしれないが、やっぱり「斜め横断すること」をスクランブルと呼ぶのは、一般的ではないと思う。
あと、外国人にはどっちにしても理解できなさそう。英語併記くらいあってもいいかも。(押しボタン式信号の表示板では、多言語版がそろそろ設置されるはず)
【2020年8月26日追記】警察庁が示す「交通規制基準」では、標示は「斜め横断用」に限定しているように読める。法令ではないので、強制力はなく、各県警次第なのかもしれないが。【2024年7月25日訂正】交通規制基準だけでなく、「道路交通法施行規則」別記様式第一の二で「斜め横断専用」とすることが定められていた。「スクランブル用」は不適切なように思える。

北西角から。向かい側左右の赤矢印が増設された斜め横断用
上の写真は全部赤だけど、斜め横断しようとする人の視点で、赤丸で囲った先に青になる東側の歩行者用信号機の点灯色がはっきりと分かる。
これでは、「スクランブル用」を増設しても、東側用を誤認してしまう危険性は消えてはいない【25日補足・夜間早朝は車が途切れる時もあるが、そこをスピードを上げて通過する車もあるし、方向によっては角度や勾配により発見が遅れる可能性もある。そんな時に見間違えて渡ってしまえば危険。】。完璧にするのなら、東側の歩行者用信号機に、深い(奥行きが長い)フードや視角制限フードを設置して、物理的に横方向から見えなくする必要もあるように感じる。秋田県では車両用だけで歩行者用の例はないと思うが、他県では事例がある。【25日追記】弘前市の下土手町のスクランブル交差点も、一方通行路がある同じような環境だが、斜め横断用が設置されるとともに、一方通行出口側の横断歩道の信号機には正面からしか見えない目隠しフードが使われている。
【25日追記】この設置方法では、スクランブル用(斜め横断用)信号機とそれ以外の信号機の動作に差はなく、表示板は必要ないようにも思われる。むしろ、向かい側の西側の柱のほうにも斜め横断用信号機が必要で、そこに設置するとなれば表示が必要かもしれない。
【26日追記】今回の変更を見た感想をまとめると、
・一度変更した信号サイクルを、短期間で元に戻す(変更後でも大きな不具合はないのに)のは、混乱を招く。
・東側の柱に斜め横断用信号機を設置するのなら、それとセットで東側の南北方向横断用信号機に視野角制限をするべき。この信号サイクルでは、視野角制限なしでは誤認を誘発する可能性あり。
・斜め横断用信号機を示す表示板の「スクランブル用」は、言葉としておかしいと思う。
・どうせなら西側の柱にも、斜め横断用を設置すればいいのではないか。

スクランブル交差点の再度の変化は、いろいろと改善の余地があるように思えてしまった。
いずれにしても、正面の信号機を見て渡りましょう。

【9月24日追記】増設された歩行者用信号機は、どうも新品でなく中古品(他の場所に一度設置されたものの、街並みの整備等でより新しいものが設置され、撤去・保管されていた信号機)。急いで斜め横断用を増設したことが伺える。

※「スクランブル用」標示について。2024年の新設交差点では「斜め横断専用」とされたが、その時点で、久保田町や市民市場入口はそのまま。
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祝・パンケーキと校歌

2018-08-23 00:48:32 | 秋田のいろいろ
スポーツ全般に興味はないし、硬式高校野球が過剰にもてはやされることには疑問を感じる(※)けれど、第100回全国高等学校野球選手権記念大会で、秋田県代表の「金農(かなのう)」こと県立金足(かなあし)農業高等学校が準優勝したことは、称賛して喜ばないわけにはいかない。
ここまで来てあと一歩だったのはちょっと惜しいけれど、大大大健闘。
秋田県の活性化と全国からの秋田のイメージアップにも大いに貢献している。
※1 高校スポーツ競技は他にもたくさんあり、多くの高校生が努力して素晴らしい結果を出しているはず。例えば軟式野球では、秋田県立能代高校が何度も優勝・準優勝しているのに、あまり取り上げられないし、秋田県民もほとんど知らない。硬式と軟式でなぜここまで違うのか。
※2 夏休み中というのは分かるけれど、いちばん暑い時期に、しかも地方大会から何試合も集中して続くことは、過剰な負担ではないか。応援団や他の部活動を含む日程・資金・体調面、選手の将来にわたる肉体的ダメージがあるだろう。
1984年に金足農業の決勝進出を阻止した桑田真澄氏が、奇しくも今回の準優勝の始球式に登板。その際、連日連投する投手を気づかうとともに「我々大人は投球制限を設けるなどルール作りが必要」と述べている。
広い意味では、最近話題の「ブラック部活」、教職員の過重労働の面でも、改善の余地があるのでは。
【25日補足】秋田県では、医学研究団体と県高野連が「スポーツドクター制」を実施しており、今回の金農にも医師や理学療法士が帯同して、ケアに当たったとのこと。

秋田魁新報では試合ごとに号外が出された。22日付朝刊(夕刊はないけど)では、本来の新聞の外側に、大きな写真を載せた1枚(A~D面と称する4ページ分)をかぶせて追加するという、東北六魂祭の時と同じ手法の特別紙面。【25日補足】コメント欄の通り「ラッピング紙面」と呼ばれる手法。
右が特別紙面
1面の下の広告も紫色で、秋田スズキによる新車購入時の純正プションが2万1600円分多くもらえるという、さっそくの便乗(失礼)キャンペーン。
22日付以外の通常版や号外も含めて、見出しの文字色(または反転した地色)は金農のスクールカラーである紫色が使われた。


それにしても、秋田県代表は、1915(大正4)年の第1回大会以来103年ぶりに、第100回大会で決勝進出という、ドラマのような展開(戦争中の中断があるので、年数と回数が一致しない)。
第1回大会は、県ごとの代表ではなく、ブロック代表で10校だけが出場し、しかも東北地方の予選には3校しか出なかった(しかもすべて秋田県内)そうで、準優勝への道のりは今よりずっと短かったようだ。
最近の他都道府県の出場校レベルの高さからしても、秋田県代表が決勝へ進むことなど、もうないと、多くの秋田県民はあきらめていたはず。
それがあれよあれよと勝ち進んだ。
選手は、全員が、学校のある秋田市とその周辺の出身。公立高校や農業高校が決勝まで進むのも珍しく、快進撃が全国的に注目された。

ただ、2013年に3回戦まで進んだ青森県代表・弘前学院聖愛は、選手全員が津軽地方の出身だったそうで、私立でもそういうところもある。
反対に、バスケットボールだけど、秋田県立能代工業高校は、県外から選手を連れてきている。
また、最近は、秋田県の高校野球全体のレベルアップを目指して、県ぐるみで強化プロジェクトを行なっている。科学的な分析などもしているようで、それなりにお金がかかっていそう。
金農もその対象だったから、必ずしも、貧乏で泥臭い力任せの練習や試合ばかりをしていたわけではないのだろう。私立のほうが資金やできることに余裕があるのは確かだけど、公立も昔とは違うのかもしれない。


以下、快挙に関連した話。
●金農パンケーキ急きょ
今回の快挙のおかげで、野球のことなど扱わない当ブログのアクセスが少し増えた。2012年の金農パンケーキの記事があったから。
金農の生徒とローソン(とたけや製パン)が開発して、秋田県内のローソン限定・期間限定で販売されるパンケーキで、2013年以降も毎年改良を重ねながら(デニッシュなどのバリエーションも)、初夏に発売されている。※2013年2016年にも紹介しました。

その記事の冒頭で、
「「金農(かなのう)」とは、秋田市北端の金足(かなあし)地区にある、県立金足農業高等学校の略称。
歴史が古い学校であり、農業県秋田といえども農業系高校・学科の統廃合が進む中、大規模な農業高校として名を馳せている。高校野球をはじめとする部活動も有名。」
と書いていたのが、検索に引っかかったのかなと思っていたら、それだけではなかった。

準優勝したからには、来年のパンケーキには銀箔でも載せないとね…などと思っていたら、発売を終えていた2018年版が急きょ再発売されることになった。それを知ってのアクセスもあるようだ。
再発売について、ローソンのホームページには今のところ未掲載。マスコミ各社が伝え、NHKでは「ローソン」の名前も出した上での全国放送。
今回も秋田県内のローソン限定で、8月23日から2週間程度販売。原料調達の都合上、初回発売時は秋田県産リンゴを使っていたのが、今回は中国産を使用。
どうせなら秋田県外でも売ればいいのに。NHKの報道では「秋田限定」と言っていなかった気がするので、勘違いして探し回る県外の人がいるかも。【23日補足】再発売の秋田県内での売れ行きを踏まえて、県外発売(県外としては初の販売)も検討しているとの報道があった。

【30日追記】金農パンケーキとは別に、たけや製パンと県内の高校3校がコラボして昨年秋に発売したバナナボートの派生商品の1つ、「金農ババヘラボート」が、9月から再発売されることになった。たけや製パンの取扱店(スーパーや一部コンビニを含む)で販売される。

【9月28日追記】9月25日から、ついに秋田県以外の東北各県でもパンケーキが発売。県外発売分は山崎製パン仙台工場で製造するため、パッケージや栄養成分表示が一部異なるとのこと。

●全力校歌の中身
今回の大会で金農が注目され評価されたことの1つが、校歌の歌い方。
胸、というか体を大きく反らせて声を張り上げて歌うのが、「全力校歌」「反りすぎ校歌」として、ネットで話題になった。部員たちが自発的に始めた歌い方だそう。

TBSの野球解説者(元巨人)槙原寛己氏は、自身の投手としての経験も踏まえて、あんなに反らせては「腰に悪い。サンシャイン池崎じゃないんだから」とコメントしていた。
個人的には、歌い方よりも歌の中身に注目してほしい。

高校野球を楽しむ人の中には、各校の校歌の中身に注目する人もいる。作詞作曲者が著名人だったり、英語の歌詞だったり、ポップな歌だったり。
ちなみに、球場で流れる演奏・歌は、春のセンバツでは各校の持ちこみ音源、夏は朝日放送(ABC)が一括してプロに演奏・歌唱してもらって録音したものを使うそうだ。
【2019年3月31日】2019年春のセンバツでは、大分県の明豊高等学校(学校法人別府大学運営)が初勝利。その校歌「明日への旅」は南こうせつ作曲で、センバツなので持ちこみであろう、南こうせつが歌っているものが流れた。

僕は金農出身ではないけれど、金農の校歌のことは昔から知っていた。
高校の国語の授業で宮澤賢治を扱った時、先生が花巻農学校の「精神歌」という歌の歌詞を、黒板に書き出した。(1番だけだが、何も見ずに書いたような記憶がある。先生ご自身も思い入れがあったのだろう)
花巻農学校の教師をしていた宮澤賢治が作詞(作曲は知人の川村悟郎)した歌で、自然とともに生きる、農業の本質が歌いこまれたような歌詞に、心を動かされた。
なお、精神歌は校歌ではないが、現在も岩手県立花巻農業高校で歌い継がれている。

その時、先生が「金農の校歌は、精神歌と通ずるものがある。何年か前に金農が甲子園で勝ち進んだ時、校歌を聞いて関心を持った人たちからの反応が金農側にあった」ということも話してくれた。「何年か前」というのは、1984年のことだろう。今回ほどではないにしても、以前にも注目された校歌だったのだ。
当時の僕も興味を持ったものの、今のように学校のホームページや動画投稿サイトがあるわけでもなく、金農に友達が通っているほど交友関係も広くなかったから知るすべがなく、どんな校歌なのか頭の片隅でずっと気になっていた。

その後、高校野球とかネット上で、金農の校歌を知ることができた。
学校のホームページでは歌い出しの「可美(うま)しき郷 我が金足」というのがタイトルかのように受け取れる紹介がされているが、そうなのかは不明。

作詞は国文学者の近藤忠義。ほかの歌はあまり作っていないようだ。
作曲は、文部省唱歌をいくつも手がけた岡野貞一。秋田北高校や能代高校の校歌も作曲。校歌にしては長く、また古い時代の校歌にしては柔らかく軽やかな感じもする(ABC収録版を聞いた限りでは)。
精神歌が1922年、金農校歌は1932年に作られているが、それぞれの内容はだいぶ違って、インスピレーションを受けたとかいうことでもないと思う。ただ、農への思いがこめられているという点で、通じるものはあると思う。

Youtubeで検索すると、「全力校歌」が多く引っかかってしまい、本来の校歌を探し出しづらいけれど、歌自体が、もっと注目されてもいい校歌。


興味がないといいながら、周辺の話題がいろいろあるので、続けます
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あきた鉄道フェア号

2018-08-21 00:30:16 | 秋田のいろいろ
※秋田総合車両センターの一般公開の中身については、行っていないので取り上げていません。あしからず。
8月18日・土曜日、恒例のJR東日本秋田総合車両センター(旧・土崎工場)の一般公開が「あきた鉄道フェアin土崎」として開催された。創立110周年(前身の前身…を含めて)とのこと。

総合車両センターは、奥羽本線土崎駅から徒歩5分程度で、アクセスは悪くない。(それでも地元の家族連れは車で行くことが多そう)
たしか昨2017年に初めて、公開に合わせて臨時列車が運行された。秋田-土崎の1駅間で4往復。701系電車の3両編成1本に、シールのヘッドマークを貼ってピストン輸送した。

今年も臨時列車が運行され、区間は秋田-追分間に拡大、本数は5往復に増便されて「あきた鉄道フェア1~10号」として運行。
追分まで延長されたのは、追分駅最寄りの秋田県立博物館で「あきた大鉄道展」が開催されており、そのための輸送も意識したようだ。土崎行きの列車はかなりレアだったけど、追分行きなら定期列車が朝晩にある。

臨時列車の存在は、センター公開の告知リーフレット(ネットにもアップ)にはダイヤが掲載されたが、「えきから時刻表」「トレたび」といった時刻表サイトには掲載されなかった。
下り・追分行きの奇数号が秋田発9時07分、9時58分、11時20分、12時55分、14時52分。
上り・秋田行きの偶数号が追分発9時28分、10時25分、11時41分、13時28分、15時21分。
追分駅で数十分程度で折り返す運用で、1編成のピストン輸送でまかなえるダイヤ。各駅停車なので、土崎のほか上飯島にも停車。
ちなみにセンターの公開は10時から15時、最終入場は14時30分。


センターには行かないけれど、土崎方面へ行くついでがあったので、下り最終9号を利用してみた。
定期列車なら、14時19分八郎潟行きの次は15時20分弘前行きまで1時間空くところの中間にうまい具合に運行される。
発車標

秋田駅は中央改札からは行きづらい、行き止まり構造の8番線発。
あきた鉄道フェア号
昨年同様、701系3両編成にヘッドマークを貼った車両。今年はN2編成が充当。
あきた鉄道フェア号ヘッドマーク
ところで、秋田地区の701系には、正面貫通扉のガラス上部に、白い文字で編成番号が表示されている。(末尾のピリオドは機器更新済みの印で、現在は全車両該当)

どういうわけか、その書体が違う車両がいくつか存在して、このN2編成もその1つ。日本語フォントの「半角」サイズになっている上、「N-2.」とハイフンが入る。「N-1.」も同じ書き方で、N3以降はそうでないはず。

秋田から乗っても、センターの入場時間は過ぎているわけで、乗客が多くないことは想像できた。そのためか特に構内放送などはない。3両だから車掌が乗務し「『あきた鉄道フェア9号』臨時列車の追分行きです」といった案内をしていた。
乗客は3両で10人程度。青春18きっぷで乗りつぶすのか、鉄道愛好家らしき人もいるが、高校生や買い物帰りらしき人など明らかにそうでない人も乗っている。
でも、1日限りかつあまり宣伝されないこの臨時列車に気が付いて利用するというだけでも、それなりに鉄道に詳しい人とも言えるかも。
ドア間24席に誰も座っていない
団体寝台列車「カシオペア」が土崎方面から入線し、それと入れ違いのように発車。

土崎で降りる人はいる。
意外なことに、センター見学の帰りの親子連れ数組が、乗りこんだ。上り10号のための送りこみ回送代わりかと思われた9号も、いちおう名前に恥じない役目を担っていた。
「奥羽本線って空いてるね」と話す男の子に、「いつも走ってない電車(=臨時列車)だからね」と、適切な返事をするお母さんがいた。

そう。この時間の奥羽本線を、「いつも走る電車」は空いてはいない。14時19分発の八郎潟行きはそれなりに、15時20分発弘前行きは秋田発の時点で乗客がけっこう多い。しかも弘前行きはこの春から、3両編成から2両編成に減らされてしまった。この記事参照。
その間の時間帯に、こんなガラガラの3両編成に乗るのは申し訳なく感じられ、しかも臨時5往復も使えるような3両編成が遊んでいるのなら、どこか2両編成が走る運用に入れてあげてほしいと思ってしまった。

それに、センター公開用の臨時列車なら、701系でない車両を走らせたほうがウケがよく、乗車率が向上しそう。
例えば、男鹿線のキハ40形の単行(1両での運転)とか、地道な運用にしか使っていない719系電車とか。

【2019年8月19日追記】翌2019年の「あきた鉄道フェアin土崎2019」は、9連休となったお休み終盤・8月17日・土曜日開催。臨時列車は運行されなかった。お盆輸送の臨時列車に乗務員を回したという名目なのかもしれない。
臨時列車は別として、もっと涼しくなってから開催したほうがいいように思うけど…
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タンク/新屋セントラル/南小校舎

2018-08-19 22:20:40 | 秋田の季節・風景
猛暑や雨模様の中、スマホでサッと撮影した画像ばかりですが、秋田市内の変化3題。

秋田市中央部・楢山にある、東部ガス秋田支社。
5月下旬
3つある球形のガスタンク(正式にはガスホルダー)のうち、正面・県道28号線から見える1つが、足場で覆われた。
1年前の同じ時期には、裏側にあるタンクでも同じように足場が組まれて、表面が塗装し直されたので、正面のタンクも塗り直されるのは想像がついた。だけど、このタンクは他とは違う。
(再掲)雪が着いた写真しかないですが

(再掲)5人が竿燈を揚げ「ようこそ秋田へ」
空港リムジンバスも通る幹線道路から見える場所であるからか、秋田へ来た人を迎える文字とイラストが描かれていた。再塗装後はどうなるか?

竿燈まつりの時には、まだ足場かかったまま。足場越しにちょっと見えたけど。お盆前後にきれいになったタンクが姿を現した。
イラストが変わった!


「ようこそ秋田へ」は残ったが、書体が変わり、東部ガスのロゴマークがなくなった。
イラストは、中央に最近流行りの秋田犬(の子ども?)。右に肩で竿燈を揚げる人とお囃子(笛)2人【20日補足・いずれも男性のようだ】、左に竿燈の提灯部分。

個人的には以前の絵のほうが、ダイナミックで統一感があって良かったと思う。
新デザインは、描かれるスペースが若干狭くなってしまったのと、3つのパーツがバラバラに寄せ集められたようで、ごちゃっと見えてしまう。それに、
左の竿燈
左右どちらの竿燈も、提灯の配列や数は、大若サイズとして実物に忠実。それはいいのだけど、最下段以外の提灯の背景が、タンクの他の部分と少し違ってしまっていて、まるで提灯がビニール袋で覆われているかのようで、違和感がある。
絵を印刷したシートを貼って、そのシートの地色とタンク本体の塗装の色がズレてしまったとかだろうか。【20日追記】笛を吹いている右側の人の股下も、同じように色が違っていた。



南西部・新屋駅前。
右がJR新屋駅舎
駅前はカーブした狭い道路が通っていて、そこに面して広い駐車場付きの店がいくつかある。
その1つ、駅を出てすぐ右のパチンコ店「セントラル新屋店」が、いつの間にか閉店していたことに、2017年に気付いた。
改めて調べると、1991年オープンで2015年11月30日に閉店したらしい。

閉店後、建物は看板を付けたままそのまま、駐車場も閉鎖されてそのままであった。
8月上旬に、駐車場にトラックや重機が入っていて、よく見れば、
解体が始まった?

※その後更地になり、2019年には建設工事が始まった。葬儀会社の葬儀場ができるようだ。



北部・土崎地区。
以前取り上げたように、秋田市立学校の校舎は、建設時期によってデザインに特徴がある。1980年代中頃以降のものは、画一性が薄れて各学校ごとに個性が見られるようになってきていた。
その最初期、1985年にできたのが、土崎南小学校の校舎。
現在の土崎南小学校校舎正面
※道路添いの網みたいなのは、港まつりの電飾。階段室のガラスの白い点は、同校のシンボルである鳩だと思われる。
(再掲)以前の土崎南小学校校舎
たしか今春頃までは変わりなかったが、先日通るとちょっと変わっていた。どこか分かりますか?

ベランダ付きの白い壁で、屋上際がエメラルドグリーンという、市内他校にない配色と並んで特徴的なのが、中央部の階段室が茶色の塔のようなデザインになっている点。そこに時計がある。
2012年撮影
壁を文字盤として、針が露出する「塔時計」と呼ばれる大型設備時計【20日補足・そういう商品名なので、タワーかどうかに関わらず、壁にあっても「塔時計」】。これより後の秋田市立学校の校舎では標準装備となるが、土崎南小のものはそれらより大きく、背景(壁)の色が異なるため、印象は違う。
そこが現在は、
電気時計が掛けられた!
以前の塔時計の針(と内部にある駆動装置)を取り外し、文字盤(文字はないけど)の目盛りは壁と同色の茶色に塗りつぶして、中央部に壁掛け式の電気子時計が取り付けられていた。
以前と比べると、小さくて存在感がなく、間が抜けている感じがしてしまう。もう2回りくらい大きいのにすればよかったのでは。【20日追記】それに、同じ色に塗ったとはいえ、元・文字盤の目盛りが目についてしまい、まるで仏像の光背(後光)のような壁掛け時計を目立たせる装飾みたいに感じてしまうのも、ちょっとおかしい。

塔時計時代の針・文字盤は塗装がはがれていたし、おそらく30年以上、潮混じりの風雪にさらされ続けたのだろうから、寿命かな。
なお、土崎南小より以前に建てられた、市立築山小学校の体育館にも、グラウンドに面して塔時計が設置されており、土崎南小と雰囲気が似ている。これは現在も稼働中。
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新秋田ビルの上

2018-08-17 00:25:06 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口から広小路をまっすぐ進むと、旭川に突き当たる。
車両は丁字路の広小路西交差点で右左折するしかないが、歩行者は(柵があって一直線ではないけれど)直進して川を渡ることができる。歩行者専用の「大町公園橋」が架かっているから。

大町公園橋は秋田市が管理する橋で、平成の初めに【17日訂正】1987(昭和62)年9月にできた。【17日補足】名店街の閉店は1985年(隣りにあった百貨店・本金の駅前移転は1984年)、跡地に新築されたファッションアベニューADと秋田ワシントンホテル(現・イーホテル)が1987年オープンなので、それに合わせて橋も新しくなったことになる。関連記事
それ以前は先代に当たる橋が、すぐ下流側に架かっていたのだが、名前は違い「幸(さいわい)橋」。幅は今より狭く、側面は高欄(欄干)でなくオレンジ色の金属の構造物(今の下新橋の色違いみたいな感じ)だったと記憶している。幸橋は、現在のイーホテルの位置にかつてあった商店街「名店街」と広小路の往来の便を図った私設の橋だったそうだ。【17日補足】秋田市民の中には、大町公園橋の名前を知らず、今の橋も幸橋だと思っている人もいるようだ。

あまり記憶にないが、幸橋の右岸(大町地区=川反側)は、ビルの壁に突き当たっていて、そのビル1階の一部がトンネル状に通り抜けられる構造だったそうだ。
旭川と川反通りに挟まれた狭い土地だけに奥行きはあまりないから、10メートルちょっとのトンネルだったことになる。

そのビルは、今も残っている。
上流側から大町公園橋の向こうにあるビル
古めかしい6階建てのビル。今は割烹料理屋と、化粧品や衣類(ブティック)の小さい店と道場(?)が入っている(いた?)くらいで、空きフロアが多そう。今に始まったことでなく、名店街があってにぎわっていた当時(少なくとも昭和末の時点)も、あまり存在感がないビルだった気がする。【17日追記】「新秋田ビル」の名前からしてあまり知られていないはず。
かつて幸橋とつながる通路が貫通していた部分は、川側はショーウィンドウの一部、道路側はドア付きの出入り口に改装されていて、面影はない。ただし、川側に意味がなさそうな柵が設置されている部分があり、それは名残りかもしれない。
下流側から新秋田ビル
上の写真で手前・下流側には、外壁の色が違って、1フロア高い塔屋がある。(道路側の壁は他と同じ色)
この建物を知る人には、ここが物足りなく感じないでしょうか。ここ数か月の間で、ここにあったある物がなくなったので。
1つ下流の二丁目橋付近から

ほぼ同じアングルの2014年
塔屋の上に棒を組み合わせてできた箱が乗っかっていたし、川側の壁面に足場状のものが組まれていた。それが、今年初夏頃に撤去された。
拡大
この時は箱の中に板状のものが引っかかっているが、後に撤去されている。

さらにさかのぼって、
2000年11月。北都銀行本店前歩道橋から
市営バス、左側の「美酒爛漫」の広告が載った日専連ビル(二丁目橋たもと。現在は解体・中央道路地下トンネル避難口と駐車場)、奥は2010年に風で飛んだ「菅新」の青い看板。懐かしさを覚える写真。
新秋田ビルを拡大すると、

屋上には「HITACHI」、壁面には垂れ幕、さらに反対側の壁面には広告板。
HITACHIや垂れ幕は、いつの間にか廃止されて枠だけが残っていたことになる。確認できた限りでは2009年春時点で既に枠だけになっていた。
広告板は存在自体忘れれていたけれど、同様に廃止されたようだ。
記憶をたどれば、てっぺんのHITACHIは、昔は「日」と「立」を組み合わせた円形の旧ロゴだった。

広告枠だけ残っていると、工事途中みたいでみっともないから、撤去してくれていくぶん見栄えは良くなったと思う。また、それによって、
「新秋田ビル」の表示が見えるように。「ル」が「レ」になっちゃってるけど
おそらく垂れ幕があった当時から表示されていたと思うけど、名前を隠してまで広告を出していたのか。


近くのホテルの上には昔は「テルモ」の同じような広告があった。上記の風で飛んだ「菅新」は、自社の看板だったけれど、そういうのも減っている。
建物と看板の老朽化、広告手法の変化、人が減って街が衰退して広告効果が減ったことなどがあるのだろうが、秋田市街地で見上げる空も寂しくなった。

※11月には別のビルの屋上看板も撤去された。この記事後半。
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取集回数さらに減

2018-08-16 00:38:56 | 秋田のいろいろ
秋田市内に設置された郵便ポストの中身を回収(「取集」と称するらしい)する回数が減らされたのは、今年春のことであった。
それにより、秋田市中央部の街中の多くのポストでは、それまで平日土曜3回・日曜祝日2回だったのが、いずれも1日2回になったものが多かった。
ポストの取集時刻の表示は、「順次変更、更新いたします」とのことだったが、なかなかその動きがなく、変更の告知がそのまま残っているか、なくなってしまったかの状態。

最近、一部のポストに、新しい告知が掲示された。
「ポスト取集時間変更のお知らせ」
また変更?
読むと、要は再び回数の削減。8月18日から行われる。

この掲示が貼られたのは、今春の変更時には時刻が変わっただけで、平日3回の回数が維持されていたポスト。特定郵便局前やオフィス街に多い。
確認した限りでは、通町郵便局と旭南郵便局の前で、19~20時台の平日3回目が廃止される。12時台の1回目、16~17時台の2回目は変更なし(日曜も同時刻)。
※他の3回収集ポストでは、変更の有無も含めて未確認。後で追記します。
【追記】秋田駅西口・駅前交番そばの、上に竿燈の提灯のオブジェが載ったポストでも、3回から2回に削減。20時00分がなくなって、12時25分と16時40分になる。

3回収集が維持されていたポストでは、立地として、終業間際~仕事帰りに投函される郵便物が多く、それに応えたのだと思っていた。
想定したほどそのような郵便物が投函されなかったのか、あるいはそこも切り詰めなければならないほど、日本郵便が厳しい状況なのか。
ひょっとしたら、今春から2度に分けて削減することは想定していて、そのために各ポストの時刻表示を変えなかった(2回目実施後にまとめて張り出すつもりで)のかも。


さらに意外なことに。
秋田中央郵便局前の大きいポスト
秋田中央郵便局の南側(2口の12号)と北側(1口の10号)に設置されたポストにも、お知らせが張り出された。
このポストは、取集業務を行う郵便局の前にあるだけに、頻繁にかつ早朝から夜遅くまで回収していた。
現在の取集時刻
昔はもっと回数が多く、昼間は1時間に1回、夜は日付が変わってからも集めていた気もする。
現在は、曜日に関わらず6時30分から24時00分まで11回。6時半の次が10時半と、4時間空くなど等間隔でないのがおもしろい。鉄道やバスのダイヤじゃあるまいし。
それが変更後は、
1日8回に
初回は5時30分になるものの、最後は19時00分。夜間は10時間半にわたって、開かれないことになる。

このポストを開けて集めている場面に何度か遭遇した。郵便局の建物内から、パートタイマーみたいな(郵便会社の制服でない)女性が出てきて、袋を取り替えて、中へ戻っていった。
作業としてはそんなに手間ではないように見えるし、仕分けの機械や作業は24時間体制でやっていると思っていた。実際どうなのか知らないけれど、深夜は仕分け作業が止まる時間ができたとかなのだろうか。

中央郵便局のポストの回数が減るというより、19時が最後になってしまうことで、困る人が少なくないかもしれない。
中央郵便局前のポストでは、夜遅くまで数多く回収することは、知る人は知っていた。
そのことを利用して、速達ほど急ぐ必要はないものの早く届いてほしい郵便物とか、その日の消印を押してほしい/押してもらわなければいけない郵便物を出したい時、ギリギリまで粘って出すことができた。すなわち、がんばって早く出しましたよということを宛先の相手にアピールしたい業務上の郵便物とか、当日消印有効の懸賞はがきとか。
街中のポストでは、遅くても20時台、それを逃せば下手すれば翌日昼の収集になってしまうのが、ここなら21時までに出せば当日消印、24時までに出せば市内なら翌日に配達してもらえるかもしれない。
だから、仕事帰りに立ち寄ったり、懸賞応募のために夜遅くに出かけて投函する人もいた。

これからは、当日消印は19時が締め切り。(中のゆうゆう窓口は24時間人がいるけれど、そこで引き受けもしてもらえるのか?)
翌朝は5時30分だから、街中のポストよりも早く処理されるのは変わらないだろう。


これ以上の回数削減は、当分はないと思うけれど、今後はポスト自体の一部撤去も、現実になっていくかもしれない。※2020年には撤去されるポストが複数生じた。この記事後半。

【2019年1月11日追記】コメント欄にいただいた情報や、2018年末の年賀状仕分けの報道(今年から秋田県北と県南の年賀状は岩手県北上市で仕分けているというもの)によれば、秋田県内の郵便物の一部を岩手県内で処理するようになり、それが本件に関係していそう。
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表示板更新・その後

2018-08-15 00:38:08 | 秋田のいろいろ
表示板面の更新が散発的に行われている、中央交通のバス停の続き。
7月下旬にアップした後も、まさに散発的に実施されたのを確認。
前回、最後に取り上げた「むつみ町」の新港線新屋方面行き側(秋田駅発着系統が通らない側)が、交換された。
(再掲)市営バス設置のナール(書体名)の川元むつみ町

更新後・スーラ(書体名)の川元むつみ町
ローマ字は以前は「~CHO」だったのが、交換後は「~MACHI」。町名の読みは「むつみまち」が正しいようなので、市営バスが間違っていたことになる。
更新後のほうは文字が少し縦に圧縮されている。「む」右上の点の位置が違うのと、「町」が「田」と「丁」に分離しているようなデザインなのが特徴的。こういうことをしていると「ゲシュタルト崩壊」してしまう。


市営バス時代設置のナールの表示板だった、長崎屋バスターミナル以南の各バス停も交換。むつみ町の反対側は、元バスロケなので、対象外。
本数が少ない新港線用だし、バス停名ははっきり判読できるのだから、まだ使い続けても良さそうなのに。やっぱり交換基準が分からん。
これにより、土崎から新屋まで、県道56号線(新国道とその南側)のダルマ型のほとんどが、中央交通によるスーラタイプになった(設置時期により文字の太さ等差異あり)。


以前紹介した大町通りの隣、「赤れんが郷土館前」。
市営バス設置ナール
ここは上り側だけ、
スーラに更新
市営バス設置ナールである下り側や、さらに隣の大町四丁目以降はいずれも未更新。
現在も市営バス設置ナールが残る下り側
市営バスのほうが文字の線が細い。文字の形はとても似ていて、「が」の点の位置が違う程度。

更新された上り側のもう片面は、
ちょっとおかしな点が2つ
1つは「赤」の横棒左側に、文字と同じ色の、インクがこぼれて流れたような形(カッティングシートだから違うと思うけど)の線というか筋が付着してしまっている。
そして、「が」の濁点が1つしかない!(その1つが「赤」に飛んだわけではない、形が違うので)ずっと見ていたら、濁点2つのほうが点が多すぎて間違っているように思えてしまった。これもゲシュタルト崩壊?


更新に関しては、今回は以上。
最後に、ずっと以前に交換されたもの。
(再掲)「イオン秋田中央店前」下り側
秋田サティがイオン秋田中央店に改称した際、1月遅れの2011年4月にバス停も「サティ前」から「イオン秋田中央店前」に改称された。
表示板ごと交換する手法で、新品ではなく使い回しのような感じはしたものの、きれいにリメイクされており、以前のバス停名が下に浮き出るようなことはなかった(でも上の写真をよく見ると…)。
透明シールではない細い丸ゴシック体・ローマ字なしで、今にしてみれば、これも細いスーラ。

7年経った今。
現在の下り側
表示板は同じものだが、色あせしている。3色の地色も、上段の白文字の社名も。そして、バス停名のところは、
下に「笹岡」がくっきり!
以前は(ほとんど)分からなかった、かつて使われていたバス停名が、亡霊のごとく浮き出てしまった。
これは南向きの面で、日差しをさえぎるものがない場所。お日さまの力はすごいものだ。
でも、反対の北面も、
色あせは少ないが、やはり「笹岡」が出ている

「笹岡」は、移管直後に中央交通が更新していた、JTCウインRと思われるフォント。
そして笹岡バス停といえば、神田線の系統であった「神田笹岡線」の停留所。笹岡集落へ立ち寄って、元の道へ戻るために方向転換する場所にあったバス停のはずなので、ポールは上下共用で1本だけだったはず。
郊外の1日3本程度しかなかった閑散路線から、利用者・本数ともに多い場所へ“大抜擢”の表示板だね。

神田笹岡線は、2011年3月末で廃止され、秋田市マイタウンバス北部線に再編された。現在はキングタクシーが受託運行しており、バス停は別のタイプ(「バスで行こう」にシールを貼ったもの?)が使われているはず。
ということは、笹岡線が廃止された翌日に、サティ前のバス停名が変わっている。ひと晩で表示版を取り外して、上から貼って、さらに交換するという作業をするとは考えにくいから、それより前に笹岡から取り外したのだろうか。(そこで「バスで行こう」に変えたのか? それはそれで面倒そう)

イオン秋田中央店前の反対・上り側。こちらは街路樹があるので、日差しは当たりにくい。
現状(北面)
上り側のほうは地色は濃いままだが、白文字の社名は薄れつつある。
そして、分かりにくいけれど、こちらも以前のバス停名が浮き上がりつつある。
ナールの「山王二丁目」のようで、下段にも中央交通の社名が透けていて、移管途中に2社共用されていたものだ。
山王二丁目の下り側は元バスロケが今も使われている。上り側がダルマ型で、現在はポールごと新しい細いスーラのもの。その前に使われていた、市営バス設置の表示板ということになろう。

でも、
2002年撮影のブレブレ写真
かつての上り側は、埋めこみ式で、夜間にバス停名が赤色LEDで点滅するバス停だった。
歩道の融雪工事の時に撤去されてダルマ型になったのだと思うが、移管後ではなく移管前で既にそうなっていたのだろうか。
秋田駅発着の新国道経由は早い段階で移管されたが、山王二丁目を通る千代田町経由神田線は2004年度まで市営バスが運行していたので、そこまで共用だった。
となると、上の写真を撮影した後2002年から2004年の間に、ダルマ型が設置されたことになる。だけど、当時の交通局ではナールの表示板を設置していなかった(パソコン印字の透明シールを使用)はずで、時期が合わない。どこかで間違えている。


移管後の市営バスタイプ表示板の例外バージョンについて、後日また
表示板更新の続きはこちら
※イオン秋田中央店前の表示板は、2022年8月に交換された
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松島駅→高城町駅→塩釜駅

2018-08-13 00:03:45 | 旅行記
宮城旅行記の続き(前回の記事)。
松島から塩釜にかけては、JR東北本線とJR仙石(せんせき)線がほぼ並走している。
海が見えたかと思えば、トンネルもあって地形は変化に富む場所を、両路線は寄り添ったり離れたりを繰り返す。ただし、駅が同じ場所にあるものはない。
この区間の駅の配置を簡単に示す。
駅間の距離は、ある程度意識して配置しています
東北本線の松島・塩釜2駅の間に対応する区間に、仙石線は6~7駅もある。

仙石線は、元々、私鉄として開業したので、駅が多い。
東北本線の駅間が離れすぎているとも言え、ちょうど10.0キロ。東北本線(3セク化された盛岡~青森を含めても)でもっとも駅間距離が長いのがここのはず。
ちなみに、上野を出た東北本線が、370キロほど走って初めて海に出会うのも、この辺りとのこと(この先で海が見えるのは青森の野辺地辺りかな)。


ここに限らず、一部の“乗り鉄”が考えるのが、鉄道で直接つながっていない駅どうしを、バス、船、徒歩などで短絡すること。旅程が効率的になることもあるが、道路や地形が歩きにくかったり、時間が読めずに失敗することもある。※広島でやった記録
松島・塩釜周辺では、松島駅と高城町(たかぎまち)駅、塩釜駅と西塩釜駅の間が近く、いずれも10分ほどで徒歩連絡が可能。
※昨年や前回の記事の通り、バスを使えば、塩釜と本塩釜など塩竈市街地では他の連絡もできる。

今回の旅では、東北本線の列車を塩釜駅で降りて、鹽竈神社に向かうつもりだった。
時刻表を見ると、手前の松島駅で降りて高城町駅まで歩くと、ちょうど乗り換えられそうな仙石線の列車を発見。乗り換えは必要になるが、本塩釜駅から参拝したほうがいいような気もしていたので、それに惹かれた。
車内でぎりぎりまで悩んで、思い切って松島駅で降りた。
東北本線松島駅
2010年にできたきれいな駅舎。駅業務は子会社へ委託されていて、時間帯によっては無人。
旧駅舎であったというキオスクは今はないものの、待合室には紙コップの飲料自動販売機があり、Suica決済可能、しかもフラッペというか水分の多いかき氷も2種類あるという、初めて見たタイプ。後で買ってみたらかき氷とはちょっと違ったけれど、暑い時にはうれしかった。

高城町へのルートは難しくない。
駅正面の一本道を150メートル進むと、国道45号線の横断歩道橋のある交差点と高城川。国道向かいに高城川の橋があり、仙石線の橋も並行するのがさっそく見える。
歩道橋の上から橋と仙石線
道路の橋は「松島橋」だそうで、
古ぼけた表示板に「松島橋」
橋を渡れば、あとは脇道(何本かある)に入って仙石線沿いをたどる。途中、生協のスーパーがあるところで、信号機のない広い道路を渡るので、注意。
仙石線沿いの道

正面の建物側面が見えているのが高城町駅
松島駅到着後、高城町発の電車まで12分ある。800メートルほどだから、10分あれば余裕と高をくくっていた。
ところが、生協の辺りで怪しくなってきた。走れば間に合いそうだったが、汗をかきたくないから断念。次に乗ることにした。

高城町駅から仙台方面への昼間の列車は、昔は、石巻始発の快速と各停が毎時1本ずつだった。
それが2015年からは、仙石線としては石巻始発各停1本、この高城町駅始発(折り返し)各停1本、そして石巻始発で途中から東北本線に入る「仙石東北ライン」の快速が1本の毎時3本体制。
仙石東北ラインとは、東北本線と仙石線を接続する連絡線を建設し、直通車両を開発したもの。連絡線は、東北本線・塩釜駅方向と仙石線・高城町駅方向を行き来できる形状(上の図のピンク色の線)。

乗り損ねた列車の次の列車は、仙石東北ライン。
これに乗ってしまうと、結局、東北本線・塩釜駅で降りることになってしまい、旅程としては時間を無駄にしただけになってしまうのは、ちょっと悔しい。
でも、機会があれば乗ってみたいとも思っていたので、1駅だけ乗っちゃうことにした。

折り返し駅かつ分岐駅である高城町は、小さな駅。
高城町駅。タクシー乗り場だけやけに広く、あとはすべて狭い

ホーム側から
狭い道路と線路に挟まれて小さな駅舎がちょこんとあり、構内踏切で結ばれた1面2線の島式ホームがちょこんとある。昭和の地方私鉄の風情が漂う駅だけど、仙台周辺にはわりとあるかも。例によって駅業務は子会社委託。
列車が到着
仙石東北ラインの車両は2両1組だが、多くは2組つないだ4両で運転されるという。
来た列車は、運悪く2両編成の列車。席は埋まり、立ち客がけっこういた。
ところが、先頭車両の先頭部がぽっかりと空いていた。そこに立つしかあるまい。結果的に、前面展望を楽しむことができた。

車両はHB-E210系気動車。ハイブリッド方式のディーゼルカーで「リゾートしらかみ」などと同じ方式。
東北本線は交流、仙石線は直流で電化されているため、安価に直通運転しようということなんだろう(石巻から先、非電化の石巻線へも直通できるメリットもある)。
※ハイブリッド方式は、男鹿線のような蓄電池式電車ではなく、新潟や五能線に導入される電気式気動車とも少し違う。

ワイドボディ3ドア、セミクロスシートの車両。
1駅だけの乗車、しかも混んでいてよく分からなかったけれど、E721系など最近のJR東日本の普通列車と大差なさそう。
走行音や振動も、ハイブリッドのリゾしらと変わらない感じ。エンジン作動時は、それなりの音と振動がある。

高城町を出て2分ほど。これから2度停車した後、東北本線へ入る旨の放送が流れる。
海の近くとは思えないほど「山」の風景。右側へポイントが切り替わっている
たしかここでいったん停止してから、連絡線へ。
まっすぐが仙石線、右が連絡線
連絡線には架線が張られていない。
連絡線走行中。右に東北本線が見えてくる
東北本線に合流するところに信号機(「場内」と表示)があり、赤なので2度目の停止。
青信号に
青に変わったタイミングで、左隣の仙石線を下り列車が通過。それと入れ違いのように我々の列車は東北本線へ入る。
この場所は「信号場」のような位置付けかと思っていたら、松島駅の構内という扱いらしい。松島駅自体は通過すらしないけれど。

信号機の下に「無線切換」と注意書きがあったので、無線方式が違うのだろうか。なお、自動列車停止装置(ATS)はこの区間では両線とも同じだから、切り替えなくていいはず。

連絡線通過にかかった時間は1分ほど。
あとは、東北本線を普通に走って(車両の最高速度は100km/hだから、E721系よりは少し遅いのかも)、塩釜到着。

仙石東北ラインにより、仙石線の快速と比べて、石巻-仙台が10分ほど短縮されて60分を切った。連絡線の通過時間をさらに短縮する計画もあるらしい。
一方で、よそ者としては運行形態が分かりづらい。地元利用者としても、仙石線の仙台-松島海岸では快速がなくなったし、石巻-本塩釜・多賀城の直通列車は減ったし、東北本線の松島駅では、以前あった仙台-松島の折り返し列車が廃止されたし、場合によっては不便になったところもあるはず。
仙石線側で容易に快速を増発できる環境ではないし、震災復興、地方の活性化の意味もあるけれど、全体的に考えればどんなもんなのだろうか。

旅行記は続く。
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秋田駅北東の道

2018-08-10 00:30:22 | 秋田の地理
秋田駅西口側の北側で区画整理事業が行われていることは何度も取り上げている。
そこから線路を挟んで反対側でも、別に区画整理が行われている。あまり縁のない場所なので、これまで取り上げずにきてしまっていた。

「秋田駅東第三地区土地区画整理事業」で、45.5ヘクタールを平成5年度~平成42年度にかけて実施。
新しい道路としては、手形陸橋の通りと交わる手形山崎町交差点から南下して東口(のちょっと東側)までが2011年頃に開通済み。その通りと交わって西側へ抜けるアンダーパスは未着工、東側の住宅地を進む道は徐々に開通している。


さて、秋田駅から秋田大学手形キャンパス、あるいは秋田東中学校や秋田高校方面へ行く場合、東口を出てこの区画整理エリア内を抜けるのが最短ルート。駅から秋大正門までは1キロほど。
車では、道が狭い上、大通りに出るのが難しいが、徒歩や自転車ならここを通らない手はない。

区画整理の進行に伴い、この道に少しずつ変化が生じている。現状を見てみよう。
秋田駅東口を出て、駅本体とは別の自由通路・Weロード出入り口を過ぎ、線路(車両が待機する留置線)沿いに北へ進む。
線路と反対側に広い歩道がある

この区画整理事業を取り扱う、秋田市の出先機関である工事事務所があり、そこで車両の道路は右(東)方向へ曲がる。
歩行者・自転車は、さらに線路沿いに直進できる。明確な道路標識などはなく、ラバーポールと誘導矢印設置で、車を入れないやり方。車が入れない区間は100メートルほど。この付近(この道の下の横方向)にアンダーパスが建設されるようだ。
北端から駅方向を振り返る

今度は区画整理が進行中と思われる、新しい家が建ち並びつつある道。これまでよりは道幅が狭く歩道はなく、生活道路の趣き。

やがて、昔からある歩行者用屋根付き跨線橋、その奥に手形陸橋が見えてくる。
屋根付き跨線橋から先は、跨線橋同様昔からある道で、手形陸橋の下をくぐって、手形郵便局前を通って秋大方向へつながる。

このルートが確立されたのは、わりと最近(2011年の広い道路ができた時?)。
それまでは、歩行者専用区間から屋根付き跨線橋までの間は線路沿いの道そのものが存在しなかった。
そのため、線路からそれて東方向へカーブして、手形陸橋の下をくぐる道ではなく、もう1本【10日訂正・厳密には2本】東の道で手形陸橋の坂の下・山崎町交差点のすぐ近くに直接出ていた。

その当時のルートをたどってみようとしても、区画整理の進行によって、道路の形状が変わってしまった部分があるようで、新しい住宅地の中を進んで、工事事務所のところへ出て、若干遠回りになってしまう。
また、工事事務所の北側の歩行者専用になっている区間は、かつては車両も通ることができた。上の写真で、歩行者専用なのに幅は広く、真ん中に縁石があるのは、歩道が区切られていた名残り。路面や柵が古びているのもそのため。

区画整理の初期段階からこの道路(記憶では1995年1月にはあって、東口へ回送する市営バスも通っていた)はあり【10日追記・着工前からあったと思われる。末尾の追記参照】、東口と秋大方面を行き来するには、歩行者も車もそこを通るのが唯一のルートで、通行量は多かったと記憶している。
区画整理が進んで、車は広い道路へ流れ、以前からの道は形を変えて歩行者の最短ルートになったことになる。


さて、線路沿いの新しい道のうち、1区画分・数十メートルだけが、いつの間にか、
先の建物があるところ

バリケードで封鎖?!
工事現場にある「車両通行止」の看板が立てられている。歩行者は(状況からして自転車など軽車両も)通行できる。
ただ、道路やライフラインの工事が行われている気配はなく、車両通行止めだけが続いていた。

最近通ると、看板に以前はなかった紙が貼られていた。
「車両通行止めについて」
区画整理工事事務所が「実施主体」で、「通行止期間」は平成32年すなわち2020年3月末までの予定。通行止めの理由や目的みたいなのは書かれていない。

だけど、歩行者の立場としては、この車両通行止めの理由は想像が付くし、何よりもありがたい。
ここは道幅が狭い。そして、道が一直線ではないし、道路際まで建物がある場所もあった。そこを車が通れば、車どうしのすれ違いが困難だし、見通しの悪い角で出会い頭にぶつかるなど歩行者に危険を及ぼす可能性もある。ここに限ったことではないが、周囲の状況を把握できないのか、不適切な運転をする者は少なからずいる。

そのような車両を締め出すために、わずかな区間を長期間、車両通行止めにしたのではないだろうか。ここを車が通らないようにすれば、歩行者が多く通るルートと車を分離することが可能なはずだし、付近の道路が碁盤の目に近い配置になっているので、手形郵便局方向から来た車両は、手前で左折すれば大きな影響はない。
道路の形状や規制を設計段階から充分に検討しておけばもっと良かったのだろうけれど、これでもなかなか考えてくれているのではないかと、評価したい。
Googleマップに加筆。茶色い線が今回たどったルート。オレンジ色は昔の大まかなルート
2020年4月以降には、別の道ができるなどして、また違った形になるということなのだろうか。

【10日追記】秋田駅東側には、かつては貯木場があり、そこから秋田大学正門前を通って旭川をさかのぼるように「仁別森林鉄道」が通っていた。森林鉄道は昭和40年代初めまでに廃止されたが、上の地図のオレンジ色のルートが、その廃線跡ということらしい。
また、工事事務所の並びに、東北森林管理局のアパート(官舎)があるが、それも貯木場の名残りか。

2020年の変化
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30年越しの鹽竈神社

2018-08-08 00:28:20 | 旅行記
昨年の夏、18きっぷで宮城県を訪れ、塩竈市の鹽竈神社を参拝しようと思ったものの、欲張った計画と雨により、塩釜の街をさまよっただけの計画倒れに終わった。
今年、改めて行くことにした。今回は欲張らず、最大の目的を鹽竈神社として。
※自治体は「塩竈市」、神社は「鹽竈神社」、JR東日本の駅は「塩釜」と表記するのが正式で、いずれも「しおがま」と読む。

鹽竈神社に行こうと思ったきっかけは、小学校の修学旅行で計画に組み入れられながら、飛ばされてしまったこと。
昭和最後の年の初夏のことであったから、平成最後の今年でちょうど30年越しの悲願(?)。

秋田を9時12分に出れば、北上線経由でとてもスムーズな接続が組まれていて、5本の列車に乗って仙台に14時23分に着く。
一泊二日だけど、初日に充分時間があるし、翌日は雨の予報だから、最初に参拝することに決めた。

昨年の記事でも触れたように、塩釜は秋田から行くと仙台よりも手前。JRは東北本線と仙石線が並走しているものの、駅は別の場所。
鹽竈神社は、東北本線と仙石線にはさまれた位置にあり、それぞれの最寄り駅は塩釜駅と本塩釜駅。公式には本塩釜下車とされているが、塩釜駅でも遠くはないし、本塩釜駅-塩釜駅-神社と循環するコミュニティバス「しおナビ100円バス」が毎時1本程度運行されている。

鹽竈神社の参道、というか小高い所にあるので登り口も複数あるらしいが、情報が少ない。
少なくとも塩釜駅寄り(バス停もこちら側)と本塩釜駅寄りに1つずつあって、片方は急な階段らしい。
塩釜駅から参道入口までは1.1キロで一気に階段、本塩釜駅からは500メートルのところから、さらに400メートルほどの緩い坂の参道があるようだ。

上記の仙台14時23分着の列車なら、塩釜14時04分着。
ところが、いろいろ考えすぎて失敗して(この顛末は後日)、15時頃に本塩釜駅に降り立つ結果となった。
門前町というほどではないけれど、街並みの雰囲気としては、塩釜駅よりも本塩釜駅周辺のほうがそれっぽい。
少し進むと、こんな表示があった。
「鹽竈神社の3つの参道」
ネット上にもこの情報がほしかった!(だから当記事でアップします)
塩釜駅寄りが「表参道」で「202段の急な階段」、本塩釜駅寄りが「東参道」で「ゆるやかな石畳の坂」、その間に「七曲坂」という「つづら折りの坂」もあった。
なお、表参道は「表坂」「男坂」、東参道は「裏坂」「女坂」とも呼ぶ。つづら折りは、地図によれば5回向きが変わる。

ということで東参道へ。
東参道入口。鳥居の先で左方向へ坂道が続く
上の写真右は近くにある塩竈市役所の分庁舎の公用車駐車場になっているようで、車体はちゃんと「車竈塩」と正しく表記している。
東参道
平坦部と数段の段差が混在する参道。参拝客がちらほら。気温は秋田市より低いこともあるが、海からの風が心地良く、汗はかかずに済んだ。アブラゼミとミンミンゼミが鳴き、ツクツクボウシも少々。

木々に囲まれて参道らしいたたずまいだけど、すぐ外には民家が見え、参道沿いにアパートも建っている不思議なロケーション。
途中(参道から入ったところ)に「旧亀井邸」という大正期の和洋折衷建築があって、無料公開されている。秋田辺りではガソリンスタンドで知られる、仙台市の総合商社「カメイ」の創業者が建てたもの。帰りに寄ろうかと思ったものの、帰りは通らなかったので見損ねてしまった。
「風致保安林」まといを持ったリス?

上の鳥居に到着
神社の博物館がある。ここで左(外)側から合流する道があった。それがつづら折りの七曲坂。
七曲坂
坂というか山道だ。高知の牧野富太郎植物園近くの遍路道を思い出した。

ここで衝撃の事実。
右側を見ると、舗装された道があって車がいる。なんとここまで車で来ることができ、駐車場があるのだった!
地図を見れば、坂から見えた住宅の中を道が通っている。秋田市のような平坦な土地にいると、坂が多い街の構造は想像が難しい。ただ、車で来ても、まったく歩かなくていいとか、高低差がないというわけでもない。

境内はものすごく広大というわけではないものの、さすが「陸奥国一之宮」。赤系統の立派な造りの建物が並ぶ。鹽竈神社本体の中だけでも、いくつもの神様が祀られている。
正面の拝殿
拝殿が独特な構造。同じ建物の向かって左に「右宮」、右に「左宮」と、2柱の神様が並んでいらっしゃる。賽銭箱も鈴も2セット。
テレビで、長野と群馬の県境にある神社が同じような配置だったのを見たことがあったけれど、予備知識なしで遭遇したので、戸惑った。
作法は知らないけれど、両方にごあいさつするべきと考えて、それぞれ参拝。初詣の時なんかどうなるのだろう。
でも、小銭の持ち合わせが少なくて、そこは適当に… 偶然にも、財布の中に30年前「昭和63年」製造の100円玉があったので、それを入れた。

拝殿の前に囲われた、けっこう大きな木があった。
幹が二股になっている
宮城県指定天然記念物「鹽竈神社のタラヨウ(多羅葉)」。説明板によれば樹齢500年、樹高22メートル。
タラヨウといえば、葉を傷つけると色が変わって文字を書くことができ、「葉書き」の由来とも言われる、モチノキ科の常緑樹。
その由来にちなんで、全国の大きな郵便局の敷地に植えられているそうで、秋田中央郵便局にも、あまり大きくないタラヨウがある。秋田中央郵便局のタラヨウしか見たことがなかったので、鹽竈神社の大木には驚いた。
後で調べると、タラヨウが自生するのは静岡県以西。人為的に植えれば東北地方でも育つことになるが、鹽竈神社のはかなり大きいこともあって、天然記念物になっているのだろう。


鹽竈神社本体の斜め横に、別に区切られた「志波彦神社」もあった。

さらにその横からは、庭園越しに「千賀の浦」とも呼ばれる塩釜港、松島方向の海が見下ろせる。

本当は参拝の順番とか作法があるのだろうけれど、勉強不足。でも、ごく簡単ながらひと通り参拝できて、自己満足。
東参道を戻ろうかと思っていたけれど、気が変わって表参道を下りてみることにした。
ひえーっ
すごく急な階段。方角的に、階段の先に太陽が沈むとかいうことではなさそうだけど、木々に囲まれて神社ならではの趣き。
202段を下りること自体は大したことなかったけど、特に下のほうでは、1段当たりの奥行きが中途半端で、1歩では長すぎて、調子が狂いそうになった。雨の日は避けたほうが良さそう。
無事に下りられた(写真の撮影時刻によれば5分弱かかったようだ)
上の写真に写っている、小さな子ども連れのご一家は、上から下まで下りて、再び上がって行った。よくやるなぁ。
大きな鳥居「陸奥国一宮」と表示

上って参拝して下りるまで、45分ほどかかった。駅からの往復や博物館、亀井邸見学もするなら、1時間以上見ないといけない。
30年前の修学旅行の予定表では、鹽竈神社見学として30分間しか確保されていなかった。バスで駐車場まで乗り入れて、ごく簡単に見るだけだとしても、ちょっと足りないかもしれない。
そして、小学生が見たとしても、心を動かされたり記憶に残ったりはしにくそうなスポットだと思う。
そんな意味では、行程にありながら、あえて飛ばした担任の先生(学年主任兼務)の判断は、間違っていなかったとも言える。(だったら最初から行程に入れさせないとか、時間をもっと確保するとか、旅行会社との事前調整で対応することもできたわけだけど…)

旅行記は続く
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Boarding Vouchers

2018-08-07 00:33:29 | 旅行記
「整理券」について。
考えてみれば、整理券とは不思議な言葉。

日本語には「○○券」という名前の券はいくつもある。
仮に、日本語の語彙は標準的だけど、「○○券」の存在を知らない人がいたとする。
そういう人が「割引券」「福引券」「診察券」「入場券」などを初めて見聞きしたとしても、どういうことをする券なのか、想像はつくだろう。
これらは「割引してもらえる券」「入場するための券」などと、「○○するための券」というネーミングなので、その券を使ってもたらされる結果が明確だから。

一方、「商品券」や「ギフト券」は、その結果がややあいまいで、分かりづらいかもしれない(正確に言うなら、商品引換券とか贈答用商品引換券といったところ)。
さらに分かりづらいのが整理券。券を使うと「整理される」結果になるのか? 整理券を知っている者でも、そう考えると分からない。


しかも、整理券といっても大きく2種類がある。
1つは、ワンマン運転される乗り合い交通機関(バスや鉄道)で、それぞれの乗客が乗車した地点(駅や停留所)を示すもの。
もう1つは、人数・数量制限があったり、サービスを受ける順番や時間帯を区分するために、並んでいる時など事前に配って、その権利があることを示すもの。
まったくと言っていいほど違う目的を持つ、2つの整理券がある。また、交通機関でも、着席定員がある列車における「乗車整理券」など、後者の意味の整理券を販売する場合もある。
以下、前者の整理券について。※以前、秋田市営バスの整理券を取り上げた。

ワンマン運転の列車になじみがない人、首都圏中心部のバスのような均一運賃で整理券がないバスしか乗らない人には、整理券を知らないか知っていても意識できないだろう。
そういう人が地方へ来て整理券方式のバスに乗っても、整理券を取らないでしまったり、名前を知らず「回数券を取らなきゃ」と言ってしまったり、あるいは取っても下車時に運賃箱へ入れるのを忘れてしまったりすることがある。

秋田市中心市街地循環バス・ぐるる(秋田市が秋田中央交通に運行を委託)では、100円均一運賃なのに、整理券を発券している。無意味に思えるかもしれないし、実際に整理券の存在に気づいているのに、わざと取らない乗客もたまにいる。でも、(ぐるる以外も含めて)整理券が出ている以上は取るべきだと思う。理由は2つ。
まずは、上記の原則どおり乗車したバス停の証明。ぐるるは、厳密には「1周を越えるまで100円均一」という運賃設定。だから、乗ったバス停が分からないといけない。

もう1点は、乗客側でなく運行する側のため。簡潔に言えば「利用実態の調査」。
単純に運賃箱に回収された整理券の枚数を数えれば、総乗客数が分かるし、運行ごとに運賃箱を回収して券番号も調べればどこで乗る客がどのくらいいるのかも分かる(秋田市営バスでは時々実施していた?)。
それだけでなく、現在の感熱紙に日付が印字される、電子式(?)整理券では、「何時何分始発の便で、何番目のバス停で何枚発券したか」を集計したデータを印字できる機能があるそうで、理論上は各運行ごとかつ各バス停ごとの乗車客数が把握できる。中央交通のいちばん安い発行機でもできるらしい。
ぐるるの場合、赤字分が秋田市から補填されることもあり、乗車人数の把握には、整理券をカウントして正確を期しているのかもしれない。(ただし、フリー乗車券利用分や無料の子どもが取ってしまった分もあって、整理券だけではどうしても誤差は生じるだろう。)
バス会社によっては始発点では整理券を出さないところもあるが、出ているのならば、乗車実態把握に協力して、定期券やフリー乗車券を使う場合でも、誰もが必ず整理券を取るべきである。
※バスカード類を導入している所では、カードに整理券の情報が書きこまれるので、原則取る必要はない。鉄道では、きっぷ類を持っていない人だけ取るように案内している会社・地域もあるが、まれに全員必ず取れとする会社もある。いずれにしても、取ったほうがいい場合が多い(特にバス)ものの、ケースバイケースなので、表示や放送に従いましょう。


以前、ぐるるの車内でこんな場面に遭遇した。
乗ってきたグループ客が、整理券を取らない。
マジメな運転士さんは「整理券をお取りください」と案内するも、通じない。どうもアジア系外国人のようだ。
どうするか? あきらめるか? と思っていると、すかさず発券機のほうを指差しながら「ナンバーチケットプリーズ」とか言うと、見事に通じた。

これが、冒頭の整理券という言葉の意味を悩むきっかけになった。
そもそも海外の乗り物に整理券(と同じ役目の券)があるのか知らないけれど、「整理券」を英語でどう言うのだろう。
「整理する」意味の英単語はいろいろあるらしいが、そのどれか+ticketだと、おそらくどれも通じなそう。日本語としても整理券がちょっと意味が分からないのと同じように。

ナンバーチケットだと「数字が書いてある券」ということだろうか。直感的には伝わりそうだけど、本質は伝わらなさそう。正確な訳語ではないようだ。
じゃあ、整理券を意味する英語は?

今回の宮城旅行で分かった。
JR東日本仙台支社のキハ110系気動車。
正面「整理券」の横に!
「Boarding Vouchers」だそう。
「Vouchers」は「バウチャー(バウチャー券)」として、パック旅行を申しこんだ時、「提示の必要はありませんが、旅行終了までなくさずにお持ちください」といって渡される券の名前で知っていた。この場合は旅行契約の証明書みたいなものか。旅行業界では、ほかにもこれと似ているようで微妙に違う使い方をすることもあるようだ。
「Boarding Vouchers」だと、「乗車証明書」というニュアンスになりそう。なるほど。整理券の本来の目的である乗車駅の証明という本質を突いた名称だ。


となると、JR東日本盛岡支社が整理券の呼称を使わなくなり「乗車駅証明書」としたのも、とても正しいことのようにも思える。
(再掲)盛岡支社の乗車駅証明書発行機。英語はなし
ただやっぱり、乗客には「整理券」が浸透しているし、駅舎にある証明書とまぎらわしいし、盛岡支社だけが単独で変更した必要性は疑問。


ここで、整理券を発行する機械について。
上の2枚、仙台支社と盛岡支社は、券の名前の表示は違っても、機器は同型だと思われる。
仙台支社のものは銘版が見え、レシップ製の「整理券発行機」「LTM02」「MADE IN JAPAN」であった。
レシップ 整理券発行機LTM02
オレンジ色のボディで、天面に取っ手があり、発券口の上の矢印の部分がひさしのように出っ張っている発券機は、全国的によく見かける。特にJRグループを含む鉄道ではシェアが高い(色違いだったり、出っ張ったひさしがないものもある)。
このようなワンマン機器は、バスと鉄道で共通の製品なのが一般的だが、レシップでは、鉄道向けに特化した製品を積極的に製造(対面で接客する運賃箱など)していて、鉄道会社に好まれているのかもしれない。

バス会社でもそれなりに使われている。秋田市営バスが1990年代中頃に試験的に導入していた、バーコードが印字される発行機とそれに対応した運賃箱が同社(前身の三陽電機製作所)製だった。【発券機について後述あり】
ちなみに中央交通は、別の小田原機器製のもので、「整理券機」と呼称する製品。

仙台支社と盛岡支社の発行機は、どちらも新しそう。盛岡は2013年から券の名称が変わったので、少なくともそれ以降の製造ということになる。
鉄道の整理券発行機は、乗客が立つスペースに置かれていることが多い。
701系の整理券発行機はドアの真ん前(写真は秋田支社の車両)
乗降時に荷物がぶつかったり、混雑時に立ち客にもたれかかられたり、バスよりも過酷な環境に置かれているとも言える。ある程度の年数が経つと、塗装がはげることが多いようで、JRさんはお金持ちなこともあるのか、定期的に新品に交換していると思われる。
廃車から取り外して、別の車で使い回すバス会社とは対照的。ちなみに、小田原の感熱紙式整理券機は、正面の「整理券」と表示された板が、経年で劣化して茶色く汚れる傾向があるようだが、レシップでは見たことがない。

レシップの発行機で特徴的なのが、天面の取っ手。小田原など他社の発行機にはないし、使いみちが不明。
中を開けて用紙補充やメンテナンスをする時に使うのだろうか。あるいはとても頑丈そうな取っ手だから、10キロ弱あるという発行機全体を持ち運ぶ時にも使えそうだけど、そもそも持ち運ぶものではない。
メーカーのホームページには、LTM01という、色は違うがよく似た発行機が掲載されていて「取手はオプションです」とのこと。そんなに必要なものなんでしょうか。

また、LTM01には「音声案内(整理券をお取りください)ができます。(オプション)」そうだ。
仙台や盛岡のはしゃべらないようだけど、よく見れば、正面上部左側(整や乗の上のオレンジ色部分)に小さい穴が空いている。そこにスピーカーや音声ユニットを組みこめそう。

JR東日本秋田支社の整理券発行機は、
すっかりおなじみ
これもきれいだから、最近交換されたのだろうか。でも、側面の「整理券をおとり下さい」は薄れている。
仙台や盛岡とよく似ているが、違うのは、正面から天面にかけての上部が、面取りされたように角度がついていること。おそらく音声ユニットは内蔵できないタイプということになろう。
秋田では701系導入時から、外観はこれと同じ発行機が使われ続けている。他の鉄道会社でも見かけ、レシップの整理券発行機といえば、これというイメージ。今はモデルチェンジして販売されていないのかもしれない。【7日追記】秋田市営バスのバーコード付き整理券も、ボディはこれと同一の形・色だったはず。導入時期も一致する。発券口上の出っ張りはなく、平面に同じ矢印が描かれていたかな?
【10月7日追記】秋田車両センターの男鹿線用のキハ40系ワンマン対応車に設置されたレシップ製の整理券発行機の中には、ドアが開閉できるようになる時とできなくなる時(=運転士がドアスイッチを操作した時)に、「ビー」とブザーのようなけっこう大きい音を出すものがある。有人駅の時は鳴らない。
701系のものと外観は同一だが、中にブザーユニットが内蔵されているようだ。
ドアチャイムが鳴らない車なので、その代わりを兼ねているのかもしれない。

【2019年4月22日追記】秋田地区でも、仙台と同型の「Boarding Vouchers」タイプが設置された車両があった。2018年頃に3両編成から2両に短縮・ワンマン対応されたN12編成で確認。将来的にはこれが主流になっていきそう。(以上追記)

JR東日本秋田支社管内の無人駅にある乗車証明書発行機も、これとよく似た色と形だが、メーカーは未確認。
駅の乗車証明書は、ボタンを押した時にその都度印字(たしか片面だけ)して、カットされて受け口に落ちるので、整理券発行機とは完全に同一の機構ではないけれど、共通部分は多そう。


整理券の由来は、「乗客を整理する」ということなんだろうか。
だとすれば、運行側の視点による命名。
それに、「整理券」はどこか軽い印象がして、取らなくてもいいように感じてしまうかもしれない。「Boarding Vouchers」すなわち「乗車証明書」だと、重要度が増す気もする。
だけど、整理券の名は乗客にも広まって定着してしまっているから、今さら「整理券改名運動」などしようとしても、どうしようもない。
整理券方式の交通機関であっても、ICカード普及により、整理券そのものを使う機会は減っていく(カード内に整理券情報が記録されるから)だろう。でも、整理券の名前は永遠に残るかもしれない。

あと、外国人旅行客が増える時代、各事業者(特に地方のバス会社)には、車内外の表示や乗務員の接客マニュアルにおいて、「Boarding Vouchers」を使っていくべきであろう。っていうか「Boarding Vouchers」でホントに通じるのかな? とまだ半信半疑。

翌2019年、東北地方などJR東日本の一部無人駅で稼働開始した乗車駅証明書発行機には、「BOARDING TICKET」と英訳が表記された。「搭乗券」の意味があるそうだが…
※公益社団法人 日本バス協会が2017年に示したガイドラインでも、整理券を「boarding ticket」としている。
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