書道の話題なのだけど、まずは俳句の話から。
書も俳句もまったくの素人で、難癖をつけるようで恐縮です。間違い等があればご指摘ください。
第1・第3月曜日の秋田魁新報 文化面に「岸本尚毅の俳句レッスン」という連載がある。
俳人である同氏が、読者から寄せられた俳句を添削する内容。単純な添削ではなく、切字(切れ字)とか季重なりとか擬音とか毎回テーマがあって、それに沿った俳句が取り上げられる(送ってもすぐに掲載されるとは限らないのだろう)。テーマの引き合いに、芭蕉や一茶はじめ著名な俳人の句が引用されることもあって、興味深い。
読んでいると、言葉選びや語順が大切なのは大いに共感するけれど、ただでさえ17音という縛りがある俳句では、がんじがらめになってしまいそう。句をひらめいた時のインスピレーションというか新鮮さみたいなのが、薄れてしまうこともあるのではないか。などと考えてしまい、僕に俳句は作れなそう。
岸本氏は存じ上げなかったが、全国区で活躍していて、別段秋田とゆかりがあるわけではなさそう。
だから、共同通信社からの配信記事かと思えば、そうでもなさそう。なぜなら、掲載される句の作者は、秋田県内在住者が圧倒的に多いから。ただ、秋田県外、西日本などからの投稿が掲載されることも少なくない。郵送や電子版で購読して投句する人がそんなにいるとも思えない頻度。謎。
連載は2020年4月6日に始まったようで、レギュラー回は107回を数え、時々「特別編」がある(特別編でも107に含まれる回もあるのだけど)。
10月7日付(と次回)は特別編で、「(秋田県)にかほ市が8月に開催した「第40回奥の細道象潟全国俳句大会」に投句された中学3年生の作品を取り上げて添削を試みます。」
掲載された1句、にかほ市内の生徒の作品。
夏の盛りに開催された「席書大会」を詠んでいる。
「席書大会」を見た瞬間、懐かしいというか、すっかり忘れていた言葉に久しぶりに再会した。
ただ、覚えていたのは「席書会」。「席書“大会”」は初めて知ったが、同じものだと考えた。
17音の制約がある俳句では、詠みこまれた言葉が、専門的だったり意味が複数あったりして、作者の意図通りに伝わるとは限らない。そのための工夫が必要だったり、誤解されてもそれでいいと割り切ったりすることはあるようだ。連載では、席書大会について、岸本氏による補足説明があった。
「「席書(せきがき)」とは、集会の席などで、即興的に書画を書くこと。俳句では、その席上で出されたお題で句作することを「席題」といいますが、これと同じ意味の「席」でしょう。高校生や中学生の「席書大会」が行われているようで」
なんか違う。2点において。
・「席書」は、「せきがき」ではなく「せきしょ」と読むのではないか。
・席書大会では「即興的にその場でお題を出されて制作する」と推測しているように読めるが、実際には事前に課題を示されているのではないか。
それに「高校生や中学生の「席書大会」」が、結局、書なのか画なのか、明確にはしていない。これはそのどちらでもいいとの割り切りなのだろう。
僕が記憶していた「席書会(せきしょかい)」について。
昭和末、小学生の時に行われていた催し。中学生以上ではあったかどうか記憶がない。
学校内での開催もあったような気がしなくもないが、秋田市内など一定の範囲内でまとめて行われていたかと思う。希望者が参加する形式で、その募集が学校経由で(学級担任に申しこむ)行われていた。先生や級友たちは異口同音に「せきしょ会」と言っており、「せきがき会」は聞いていない。
内容としては、体育館などに集まって、書道作品を書き上げるもの。何を書くか「課題」は募集時に示されていたような。
新春に「書き初め大会」的に行われていた気がするが、夏休みにもやっていたような気もする。
興味がなくて参加を検討したことすらないので、あいまいな点が多いが、「せきしょ会」は「一堂に会して書をしたためる」催しであるのは、間違いないはず。
現在の秋田県ではどうか。
秋田魁新報社、県書道連盟、県総合公社の主催で、「秋田県新春書初め席書大会」が存在した。2024年で第15回で、秋田県立武道館が会場。幼児から一般人まで参加でき、課題はいちおう示されるが、自由らしい。2022年の第13回は、席書大会が付かない「秋田県新春書初め大会」という名称だったようだ。※
各自で書いたものを提出する方式の書道展の記事に追記しています。
投稿句の舞台かと思われるのは「全県児童・生徒席書大会」。秋田県教育研究会書写部会、秋田県書写書道教育研究会、秋田県高等学校文化連盟書道部会の主催。
地区大会を経て、全県大会があるらしく、全県大会は8月上旬に、小中学生は県立武道館、高校生は秋田市内の高校と、日程と場所を分けて開催。2023年は「課題は昨年と同様」と募集時に告知されていた。
年明けと夏休みということで、記憶にある昭和の席書会と一致する。今は「大会」だし、新春のほうは回数が一致しないけれど。
どちらも「席書」の読みは分からなかった。
あり得るかもしれないのは、書道の席書大会自体、あるいは席書を「せきしょ」と読むのは、もしかしたら秋田(あるいは東北とか東日本とか)限定なのでは? だから、秋田とつながりが薄い人には、正しく理解されなかったのでは?
インターネットで検索した。
報道や学校行事の紹介として、ふりがなを振ってくれたものが多く存在し、知ることができた。
結果、席書(大)会も「せきしょ」も広く分布した。
表記としては、席書大会/席書会とも見られ、内容はだいたい同じで、「せきがき」と呼ぶ場合も少なくはなかった。
どちらかといえば、「せきしょ」のほうが多数かつ広範囲なように感じられた。
せきしょ派
山形県鶴岡市(生活協同組合共立社 生協児童席書大会)、東京都北区(北区中学校書き初め席書会)、静岡市(静岡地区書きぞめ展の席書大会)、札幌市、宮城県気仙沼市、千葉県八千代市、野田市、船橋市、東京都江戸川区、練馬区、小平市、立川市、横浜市、兵庫県尼崎市
せきがき派
東京都中央区、渋谷区、江戸川区、新宿区、江東区、足立区
【11月2日追記】山梨県では1936年から続く「山日YBS席書き大会」が行われていた。
せきしょ・せきがきとも、東京都の例が多く見つかった。
これは、東京都内(23区内が多いか)の公立小学校において、新春に全員参加の校内行事として、席書会を行う学校が多数存在したため。北区のように学校を越えた開催もあるようだし、中学校でやるところもあるようだ。
都内で内容は同じでも、読みは二分されているが、こんな情報を公開してくれた学校もあった。
・北区立袋小学校「袋小だより 2021年2月号」書道担当教員による紹介
「毛筆で書や絵をかく事を「席書き(せきがき)」と古くから呼び、最近ではこれを音読みして、「席書会(せきしょかい)」と呼ぶ事が多いようです。」
【9日補足・学校教育では毛筆が小学3年生から始まることを考慮し、現在の席書会では、低学年は硬筆で行う場合が全国的に多いようだ。】
・杉並区立富士見丘中学校「富士見丘中学校だより 2024.1.31」
「「セキショ」なのか「セキガキ」なのか。東京でも場所、世代によって異なります。それでも、「席書会」は「セキショカイ」、「席書」は「セキガキ」で「会」は付けないでよぶことが多いです。」
と、この催しとしては、現在では「せきしょ」が大勢を占めるかのような見解もあるが、
・足立区立東加平小学校「東加平小 校長ブログ」2022年1月12日
「私が若い頃にいた学校では「せきしょかい」と称していました。3校目くらいから「せきがきかい」と呼ぶようになり、やはりこれが正しいようです。」
との声も(上記、富士見丘中の見解に基づけば、単に勤務校のエリアが変わっただけなのでは?)。
では、もっと上部(?)の組織では。
公益財団法人日本習字教育財団が、小学生以上の会員を対象に毎年1月に(全国6会場ほどで?)「日本習字全国席書大会」を開催。これは「せきしょ大会」。
課題はあるが手本はなし、制限時間20分で、3枚を書いて1枚提出という条件。その意味では「即興的」なのかも。
全⽇本書芸⽂化院は、毎年2月に東京で「全国書初大会」を開催。
事前提出の部門のほかに「書初席書大会」がある。同院による2024年のレポート(https://www.z-shogei.co.jp/blog/20240213/)を見ると、手本あり、紙1枚、時間制限は特になしのようだ。
その中に、
「「書道作品を観客の前で書くこと」を、書道の世界では「席書」(せきしょ)とか「席上揮毫」(せきじょうきごう)と呼びます。」
とあった。
これが答えじゃないでしょうか。
つまり、即興的うんぬんは「席書」という言葉の本来もしくは一般的な意味であって、書道界では、それとは別の意味で用いられる。
そして、本来の「席書」は「せきがき」と読むものであったが、書道界の「席書」については「せきしょ」と読むこともあり、むしろそのほうが一般的。
ということではないだろうか。
投稿句に戻る。
「せきがき」も「せきしょ」も、音数は同じだから、俳句としては基本的に大きな問題ではなさそう。
しかし、連載では、「セキガキタイカイ」を含む「中七から下五にかけての句またがりのリズムが心地よい」と指摘している。イ段の連続が韻を踏んでいるということか。
それが「セキショタイカイ」だと、リズムは崩れてしまい、評価が違うものにならないだろうか。
作者が参加したのが「せきしょ大会」なのか「せきがき大会」なのか、そして作者はどちらの読みで句作し、「せきがき大会」の読みで評価されてどう感じているか。また、「せきしょ大会」だとすれば、岸本氏の評価はどうなるか。ちょっと知りたい気もするけれど、部外者がとやかく言うことではない。
【11月2日追記・次の10月21日の連載では、訂正等はなし。】
ところで、同じ漢字による専門用語なのに、読みは複数あり、どの読みもおおむね公認されているという事例はそこそこある。
・白夜
本来は「はくや」だったが、「知床旅情」のヒットで「びゃくや」が普及。
Wikipediaでは「びゃくや」のみを読みとし、記事中で経緯に言及。
・北前船
本来は「きたまえせん」だったが、1980年代の復元時(
関連記事)に「きたまえぶね」が普及。
Wikipediaでは「きたまえぶね」のみを読みとし、「きたまえせん」の言及なし。
・光合成
経緯は不明だが、「こうごうせい」のほか「ひかりごうせい」とも。
1990年代の高校の生物の教科書には両方が掲載されていたと記憶するし、現在のWikipediaでも併記。中学校の教科書は「こうごうせい」だけだった気がする。
戦中・1940年代生まれの人(専門家ではない。昭和30年代の高校教育の影響か?)で「ひかりごうせい」と言う人はいる。一方、これまで複数の専門家から「光合成」の語を聞く機会があったが、「ひかりごうせい」という人は1人もいなかった。
ネットでは、2010年頃にNHK教育テレビ(高校講座か?)に出演していた講師が、「ひかりごうせい」と言っていたとの情報。
早稲田大学の園池公毅教授は、ホームページ(https://photosynthesis.jp/kotoba.html)で「「光合成」は「こうごうせい」と読みます。「ひかりごうせい」ではありません。」と断言。「岩波 生物学辞典」の、1996年の第4版で「ひかりごうせい」の項しかなかったのは誤りとしている(説明文中や索引では「こうごうせい」の記載あり。第3版以前では「こうごうせい」の項だったように読め、2013年の第5版では「こうごうせい」の項に戻ったようだ)。
時代、地域、使う人のこだわり、いろいろありそう。