広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

おはらい町

2015-01-29 19:25:35 | 旅行記
伊勢神宮内宮参拝を終え、境内の外へ。
内宮前までバスで来た道は、五十鈴川と並行する国道23号線(三重県道12号線と重複)。その国道と五十鈴川の間にも1本の道があって、「おはらい町」と呼ばれる一帯。
国道の旧道である長さ800メートルほどの道路沿いに、昔ながらの趣きの店が軒を連ね、伊勢の一大観光ゾーンとなっている。

おはらい町は江戸時代から鳥居前町として多くの参拝客が来ていたが、1970年代になると国道を通ってバスで訪れ、おはらい町を素通りする参拝客が増えて衰退。
そこから立ち直るべく、地元の人たちが町並みの再生を決意。「切妻・入母屋・妻入り様式」の建物で統一し、行政も石畳や電線地中化をして、かつての光景を復元。再び多くの人が訪れるようになった。
※したがって、見かけは古めかしくても新しい建物も多いようだ。

おはらい町には、彼の「赤福」の本店があり、同社がおはらい町の復興に貢献したようだ。
1993年の式年遷宮の際には、おはらい町の一角に「おかげ横丁」も誕生。赤福が運営する、ある意味“商業施設“(だから各店舗はテナントなのかな?)だが、入場料とか明確なゲートなどはなく、建物の見た目も似ているので、おはらい町と一体化しているも同然。おはらい町とおかげ横丁は混同されることもある。

そんなわけで現在では、参拝を終えた人たちが、おはらい町並びにその中のおかげ横丁をぶらぶらして、土産物を買って飲食するというスタイルがすっかり定着しているそうで、我々もそれにならうことにした。
内宮を出てすぐのおはらい町の入口へ。
えっ!!
ものすごい人波だ。浅草の浅草寺の仲見世なんかに匹敵しそうな。
境内はそれほど人が多くなかったのに、どこから湧いてきたのかと思いつつ、他に道がないので人混みの中へ。
しばらく進むと、
あれれ?
地方都市としては多いほうかもしれないが、ぐっと人が減った。
団体客でもいたのか、入口付近だけたまたま人があふれていたようだ。(バス停や駐車場の位置からして、内宮寄りのほうが人が多い傾向)

タイムスリップしたかのような、統一された落ち着いた街並み。
道路中央を歩く人が多く、というか(狭い道に人が多くて)歩かざるを得ないものの、ここは歩行者天国ではない時間帯も多い
土日休日の10時から16時までが歩行者専用道路で、それ以外は車も通れることになっている。伊勢市長名の「歩行者天国ではありません」という立て札もあったが、小さい木製なので気づきにくい。
この時は車両も通れる日時で、実際、各店舗の納品や宅配業者の車がたまに通った。いずれも、歩行者優先で慎重に運転していたが、ボケッとしている歩行者もいるし、万が一ということがある。もう少し、何か対策がありそうに感じた。

沿道のお店は、赤福以外にも古くからの菓子店が複数、真珠、伊勢茶、工芸品類、その他土産物、飲食店などさまざま。ここだけで、伊勢のお土産は揃うだろう。
ジャスコ発祥地の三重県だからなのか、WAONで決済できる(ポイントも付与)店も複数あった。
そんな店ばかりでなく、
左はお香の店、中央は理髪店
床屋さんがあるのは、ここで生活する人がいる証。

上記の通り、すべての建物に対して外観の基準があるので、
右手前の建物
「五十鈴川郵便局」も同じ外観。
郵便局の前には屋根付きの黒い箱
「書状集箱(しょじょうあつめばこ)」すなわち明治4年の郵便事業開始時のポストを模したもの。広島の宮島郵便局などにも同様のものがあるらしい。

郵便局だけでなく、百五銀行やファミリマートも同様の建物。
ファミマは「伊勢神宮内宮前店」。間口が狭く、看板も控え目で目立たないが、ちゃんと24時間営業。
おはらい町は夜が早く19時には軒並み閉まるそうで、夜間は唯一の明るい店かもしれない。ここが内宮最寄りかつおはらい町唯一のコンビニ。(おはらい町の先の県道沿いにはサークルKがある)


おはらい町の狭い道路は全部伊勢市道だと思っていたら、一部は三重県道715号線。やはり伊勢神宮の重要さを物語っている。
県道なのは、内宮側から300メートルほどの地点(おかげ横丁・赤福本店前)まで。県道としては内宮から見て右に折れて、五十鈴川を「新橋」で渡る。
新橋を背に。左方向が内宮・県道、正面に「これよりおかげ横丁」の立て札、右の行列が赤福本店

新橋の上からおはらい町の裏側が見える(川沿いにも歩道がある)

内宮側から450メートルほどの地点が五十鈴川郵便局。その先も店は続くが、ややまばらになり、通る人もだいぶ減る。
やがて国道23号線と再び合流し、おはらい町が終わる。斜め向かいには猿田彦神社があり、この辺りから伊勢市内行きのバスに乗ることもできる。


赤福本店(の別棟?)の屋根瓦
本店と向かいに別棟がある赤福の店内は混雑してはおらず、10月~4月限定の「赤福ぜんざい」が食べられるのだが、つぶあんだからパス。
折詰め赤福餅も買わなかった。名古屋とか物産展とか、伊勢まで来なくても買える機会があるから。
なお、よく似た競合商品に「御福餅(おふくもち)」というのもあるが、こちらは二見浦に本店があるそうで、おはらい町では購入できないかもしれない。(昨年、秋田のイオンで売っていたのを食べたけど、おいしかった【6月22日追記】2015年6月20日頃にもイオン秋田中央店で販売。8個入り税込み740円で赤福より20円高い。消費期限当日の見切り品を660円で購入。赤福より若干大きく、あんこがあっさりしているような気がした。嫌いじゃない)

「虎屋」という店では「ういろ」が名物。名古屋のういろうと違って「生」なので、1日しか日持ちしないそうで、購入は断念。


昼食をおはらい町で済ませる。
鳥羽の海産物とか松阪牛、洋食などもあったが、伊勢神宮周辺の名物を2つセットで。
左下の「手こね寿司」と右上の「伊勢うどん」
手こね寿司は、マグロの漬け丼みたいなもの。元は志摩地方発祥。
伊勢うどんは、伊勢市で昔から食べられるうどん。麺が極太でもっちりと柔らかく、たまり醤油などからなるタレをかけて食べる。その独特さから好みが分かれるとか。
どっちもおいしかった。
伊勢うどんはこういううどんもアリ。猫舌でも食べやすい。あと、邪道と言われそうだけど、冷やして黒蜜をかけたらくずきりみたいでいいかも?!

付け合わせは、ひじきの煮物と、あおさのお吸い物。どちらの海藻も伊勢志摩の特産。
ヒジキは伊勢独特の加工法があるそうで、そのせいなのかは分からないが、秋田のヒジキより太くて少々固い。


そろそろ、宇治山田駅へ戻って、伊勢を後にする。
10分以下の間隔でバスが運行されているから、バス停に行けばすぐ乗れるけれど、狙って乗りたいバスがあったので、わがままを言って時間調整。続きはこちら
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ポンピングユニット新設?

2015-01-28 23:58:39 | 秋田の季節・風景
以前、秋田市の住宅地で原油を汲み上げる装置「ポンピングユニット」を記事にした。
そのうちの1か所が、八橋(やばせ)にある国際石油開発帝石株式会社秋田鉱業所の裏手。ショッピングモール「パブリ」の裏でもあり、草生津川(くそうづがわ)が流れている。

久々にそこを通ったら、変化があった。
草生津川対岸から
秋にはコスモスが咲き誇る川沿いの「コスモスロード」に面して、ポンピングユニットが1基。
以前はなかった。
2012年10月のストリートビューより
「パブリ」のゲートから左側の空き地だった場所に、今はポンピングユニットが置かれた。
【29日追記】いただいたコメントによれば、2014年春には設置されていたとのこと。
【3月13日追記】現地に河川敷の占有許可の表示があり、その許可期間は「平成24年7月4日から平成27年3月31日」となっていた。

近くへ。
「コスモス広場」
「コスモス広場」という表示が設置され、花壇やベンチなどもできていた。
手作りっぽいもので、コスモスの手入れをしている地元の人たちで整備したのだろうか。

ポンピングユニットは動いておらず、触れないように囲われているがロープだけの簡素な構造。ということは、ここで石油を汲むためでなく、コスモス広場のオブジェとして設置されたのだろう。(汲もうと思えば汲めなくもない場所だろうけど)

道路の向こう、帝石の敷地でポンピングユニットが動いていたほうを見ると、
変わっている?!
以前は一面の草原で、その中でポンピングユニットが2か所にまとまって2基と3基あったはず。
現在は、草原の多くが砂利敷きの駐車場になっており、新たな住宅も建ったかもしれない。それらの奥でポンピングユニットがひっそりと残る形になっていた。
2012年10月のストリートビューより

オブジェのポンピングユニット。左後方に現役の(上のストリートビューと同じ)ポンピングユニットが見える
オブジェは、青い塗装でお尻(?)が四角い箱状の旧タイプのポンピングユニット。きれいに塗装し直されている。
どこかのお古を持ってきたのだろう。(上のストリートビューでは、地面に旧タイプのポンピングユニットの残骸が置かれている。もしかしたらそれを組み立て直したのかも??)

以前の記事で紹介した八橋油田の説明板も、コスモス広場へ移されていた。
ポンピングユニットそのものについては、もうちょっと詳しい説明があってもいいと感じたし、地元の人の手入れには限界があるのか傷んでいるような設備もあったけれど、油田と住宅地が共存する地域ならではの場所だ。

実際のポンピングユニットがオブジェになったものは、秋田大学鉱業博物館に続いて2例目ではないだろうか。(八橋運動公園の電話ボックスが昔はポンピングユニット形だったけれど、あれは作り物)
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みち銀閉店後・松の内延長

2015-01-27 23:40:43 | 秋田の季節・風景
告知されていたように、秋田市大町三丁目の「協働大町ビル(旧・協働社大町ビル)」1階の一部にテナントとして入っていた、「みちのく銀行秋田支店」が1月16日で廃止された。

1月14日付朝日新聞秋田版によれば、1972年に前身の弘前相互銀行秋田支店として開店。行員は「かつては十数人いた」が最後は8人だったとのこと。

閉店翌日の17日には、店内の片付け作業が行われていたようだ。

ATMコーナー以外の店内には入ったことがなかったな。

その後、閉店から10日過ぎ、店舗は跡形もなくなったかと思いきや、
22日撮影
今日現在も、シャッターは下りているものの「みちのく銀行」の表示が残り、看板もそのまま。「夜間金庫」も外観はそのまま残っている。
潔く早々に撤去するかと思っていたのに、いつまでこのままなのだろう。

縦の看板・大町四丁目側

出入口上の看板
大町四丁目側の縦の看板では「みちのく銀行」の「行」の4画目の横棒がなくなっており、出入口上の横の看板では同じ横棒が外れかかって傾いている。
閉店が決まっていたから手を付けなかったのだろう。
※その後、看板が撤去された(リンク先後半)


ここで、銀行の左隣にある、ビル全体の出入口に注目。
1月22日の撮影ですよ
1月22日なのに門松が立っている!
先日の伊勢の記事で触れたように、門松を立てておく期間である「松の内」は、地域によって1月7日までか15日までのどちらか。(本来は15日までで、短縮されて7日になったそうだ)
秋田では7日までが一般的か。
1月20日を過ぎても門松を出しておく風習など、聞いたことがない。

この門松、四角い箱状の枠というか鉢なのが、秋田では珍しい。
門松の主役であろう3本の竹がかすむほど、周りに花などが飾られているのも特徴的。しかも、3本の竹は作り物で本当の竹ではないようだ。豪華なんだか安っぽいんだかよく分からない門松。

1月22日の時点では、向かって左側の門松を中心に、周りの笹などの葉っぱ類がしおれて、くたびれているように見えた。
単なる家や企業の門松ならまだしも、ここは新年会の会場としても使われる。一般的な“期限”を過ぎて、枯れかけたような門松を置いておくなんて、いかがなものだろう。
門松って、造園業者や生花店などに依頼すれば、制作・設置から撤去までトータルで面倒見てくれるのだと思っていたけれど、違うのだろうか。


じゃあ、協働大町ビルの“松の内”はいつまでなのかと思っていたら、26日昼から27日午後までの間で、やっと撤去されていた。
寒中のクリスマスツリーは近年は解消されている。今シーズンはクリスマスツリーをやや強引に改造した“正月ツリー”が登場したが、それは正月が終わったらちゃんと撤去された。
今度は「松の内の延長」ですか。※いずれも設置者は異なります
門松は日本の伝統文化だが、それを飾っておく期間も伝統の一部のはず。


2010年に各所の門松を紹介した時、ここの門松も出ているが、今年はその時より豪華になってはいるけれど…
(再掲)2010年の門松。いつ撤去されたかは不明

※翌2016年の大町ビルの門松はこの記事後半。
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木が倒れた後

2015-01-26 22:49:37 | 動物・植物
秋田市中央部の某所
建物の前に木が生えている、どこにでもありそうな風景にも見えるけれど…

木が建物に倒れかかっている!

根が浮き上がってしまっている

何らかの原因で木が根こそぎ倒れ、その先に建物があったわけだが、倒れたのは昨日今日ではない。
上の写真の枝ぶりを見ると、それぞれの枝がちゃんと上を向いているのが分かるかと思う。幹も全体的に上向きに反っているようにも見える。
木が倒れた直後ならば、こうはなっていない。倒れた後も、一部土とつながった根から水や養分を吸収して木は生長を続け、重力に逆らう方向に正しく伸びていることになる。
幹から下方向に枝がないので、倒れかかった後で、下側の枝を払ったのかもしれない。

2012年10月撮影のGoogleストリートビュー
2012年10月の時点で、既に今と同じ状態になっている。


【29日訂正】いただいたコメントによれば、かなり以前から倒れていて、しかも「ナニコレ珍百景」にも出たそうです。下記の推察は撤回します。(20年以上前の台風で倒れたそうなので、1991年9月の台風19号かもしれません)
おそらく、2012年4月3日から4日にかけての強風で倒れたのではないかと思う。
千秋公園内や周辺において、同一線上にあった複数の木が同じ方向に倒れる被害が出たが、実はこの木も、そのほぼ延長線上に位置し、倒れた方向もほぼ一致する。


この木は、千秋公園二の丸で東屋に倒れかかったのと似た針葉樹で、根張りは浅いようだ。そのために倒れたのだろうが、幹の途中で折れずに済んだので、倒れた後も水を得られていることにもなろう。
何よりもこの木が幸運(?)なのは、木の所有者と同じ所有者の建物に倒れかかり、さらに撤去されず残されたからこそ、生育し続けられているのだ。所有者がおおらかなのか、撤去費用を出したくないのかは分からないけれど。
仮に、吹いた風の向きが少し違えば、道路上や隣の土地に倒れるなどして撤去を余儀なくされただろうし、同じ建物に倒れても屋根を突き破るなど物的被害が生じればどうなっていたか分からない。

何年もこの状態では、屋根への悪影響が出そうな心配もあるが、いつまで続くだろうか。
その後、このようなことになった。(リンク先後半)

※秋田市内にほかにも似たような木があった
コメント (4)
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異所同名・同所異名バス停

2015-01-25 18:12:42 | 秋田の地理
秋田市にある「茨島(ばらじま)」バス停の続き。
前回の国道13号線上とは別の場所にも、「茨島」というバス停が存在する。”異所同名”といったところ。
13号線側の茨島バス停から茨島交差点を新屋方向へ左折した、県道56号線(広義の新国道)側にある。
 
上り側/下り側(2009年撮影なので、現在は表示板が若干変更されている)
国道の茨島と同じく、羽後交通と(市営バスから移管された)中央交通のポールが並んで立つ。上り側はぴったり寄り添って、下り側は微妙な距離を置いて。
しかし、羽後交通のポールには「茨島」とあるものの、中央交通のポールには「ハローワーク秋田前」とある。
一部地図サイトでは「茨島ハローワーク前」と表示されるものもあるが、そうではなく、場所は同じながら、バス会社ごとにバス停名が異なっている。

羽後交通は急行本荘線が通り、乗降とも可能。本数は毎時1本あるかないか。
(再掲)急行本荘線
中央交通は、大町経由新屋線と本数がわずかな新港線、茨島牛島環状線が通る。いずれも秋田市営バスからの移管路線。
新屋線も、今は本数が減ってしまって毎時2本程度。※新屋線のうち卸町経由用のハローワーク前は別の場所にある。
【2016年2月25日追記】2016年10月から、卸町経由新屋線の経路が変更(形式上は廃止→新規路線開設)されることになり、ハローワーク前を通らなくなるので、卸町経由用バス停は廃止されることになる。

このバス停は「茨島」の名称よりも、新屋線の「ハローワーク前」として知っている人のほうが多いかもしれない。
各バス停の位置関係

同じ場所に複数のバス会社のバス停が存在し、バス会社によってバス停の名前が違う“同所異名”のケースは全国的にたまに見られる。鉄道駅でもたまに存在する。
現在の秋田市内では、同所異名バス停はここともう1か所だけではないだろうか。

もう1か所は、ここから少し北に進んだ所。市営バス時代にさかのぼる。
(再掲)
羽後交通(高速湯沢、急行角館、急行本荘と秋田市内に来る全路線が通っていたはず)が「長崎屋前」で、市営バス(割山線上りと新港線)は「旭北錦町」。
中央交通は、長崎屋バスターミナルの中に入るので、路上にはポールがなかった。
【2016年11月21日追記】路上ではなくバスターミナルの中のバス停名について。
中央交通としてのバスターミナル内のバス停名は「長崎屋バスターミナル」だそうだが、羽後交通急行本荘線は、ターミナルの中に入っても「長崎屋前」という名称。こちら側も微妙に違うのだった。

これは、羽後交通は高速バスを共同運行しているよしみもあって、中央交通に合わせたバス停名にしたこと、競合関係にあった市営バスとしてはライバルの息のかかった(中央交通が所有する土地である)「長崎屋」の名前を使いたくなかったのかもしれない。
※ただし、長崎屋ができる前にここが車庫だった頃は、市営バスも「中央交通前」というバス停名だったことをうかがわせる表示もあった。

新港線と割山線が中央交通に移管された後も、「旭北錦町」はそのまま残った。
しかし、割山線の平日朝6本以外はすべてバスターミナルの中へ入るようになり、旭北錦町で乗降できる便数が激減した。
南高校前や弘前バスターミナル(前)のように、構内と路上に同じ名称のバス停が共存しているケースがある。移管後の長崎屋バスターミナルと旭北錦町も同じような関係ではあるが、名前が違っているのは、区別しやすくて親切。ということにしておきましょう。


さらに市営バス時代は、同所異名バス停がもう1つあった。
中央交通の長崎屋経由大川反車庫行き(「中央交通線」という路線名らしいが…)の路線において、長崎屋バスターミナルの隣のバス停「中央交通本社前」である。
市営バス時代は同経路の「大川経由交通局線」もわずかに走っていた。長崎屋同様、市営バスとしてはライバルの本社前を名乗れないから、「川元山下町」という名称だった。


話を戻して。
「ハローワーク前」と「茨島」は、どうして名称が異なるのか。以下は、広報あきたやWikipediaの記述を基にした推測です。
まずは異所同名の理由。
羽後交通で「茨島」なのは、13号線の高速湯沢線側と同一停留所とみなしているのかもしれない。
路線が分岐したすぐ先に、同一名称のバス停が分散設置されるケースで、秋田市内の旧市営バスや中央交通の路線では、「山王十字路」や「豊町」などの例がある。(「手形東町」は分岐ではないが離れた場所に分散している。ちなみに「神田」は外旭川と太平という全然別の場所にあり、それは他人の空似?)

ただ、急行本荘線側は「茨島」という名称では、大雑把な命名に思えないでしょうか。
高速湯沢線側では、茨島の次は大野口までバス停がないので、「茨島地区唯一のバス停」という意味で「茨島」で差し支えない。
一方、急行本荘線では、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目と「茨島」が付くバス停が3つも続く。だったら、この「茨島」は「茨島一丁目」もしくは「茨島二丁目」でないと、おかしくないでしょうか?
その理由は、「新屋線のバス停がハローワーク前になった経緯(同所異名の理由)」と「羽後交通本荘線が茨島-三丁目-四丁目という順番になった経緯」に分けて、歴史をさかのぼれば見えてくる。

まずは前者。新屋線のバス停名。
新屋線は、秋田市の路線バスとしては最古の路線の1つで、交通局の前身である民間企業「秋田電気軌道」時代の1923年に運行が始まっている。(したがって新屋線は民営→市営→民営と変遷している)
また、「茨島」という地名は、かつては「茨島町一~ニ丁目」が存在し、1964年以降の住居表示で柳原新田、牛島などの各一部と合わせて「茨島一~七丁目」となっている。
新屋線の運行開始当時は、今の茨島一帯は田んぼで、後に工業地帯となり、さらに住宅地も形成されたのだろう。だから、当初から現在と同じ位置・数のバス停があったわけではないはずだ。

実は新屋線にも、昔は「茨島」というバス停が存在した。場所は現在のハローワーク前の位置だったと思われるので、昔は2事業者そろって「茨島」だったはず。(急行本荘線の運行開始時期が不明なので確証は持てない)

新屋線から「茨島」というバス停がなくなったのは、1968年10月20日。「経済大学前」に変わった。
経済大学とは、現在は下北手桜にあるノースアジア大学。
1964年に秋田経済大学として茨島(現在の茨島体育館などの場所。ハローワークの場所も?)に開学したのだが、4年遅れてバス停名が変わった。
その後、経済大は1983年に秋田経済法科大学に名称変更し下北手の現在地へ移転したので、バス停名は「茨島二丁目」に変わった。

さらにその後、川尻? にあった秋田公共職業安定所が、現在地・茨島一丁目に移転して来た。その正確な年は分からないが、1988年発行の市営バスの冊子時刻表に職安の最寄りバス停が「茨島二丁目」とされている。その後、1990年に職業安定所の愛称が「ハローワーク」となったので、(時期は不明だが)バス停も「職業安定所前」→「ハローワーク秋田前」となって現在に至っている。
【2019年10月9日追記】茨島のハローワークの建物が建てられたのは1985年だったことが分かった。したがって1988年時点では移転済みのはず。だいぶ遅れてバス停名が変わったことになる。
市営バスの側面行き先表示(方向幕)は、最後まで一貫して「職業安定所」表記
茨島→職業安定所というのが、地理的にはダブっているし、順番も逆のほうがいい(秋田駅側から行けばハローワークが茨島の最初の地点だから)気がする。LED化・系統番号付与された今もそうだっけ?
移管直後に見られた中央交通の自前車両の小型幕は「ハローワーク」となった
市営バスも以前の中央交通も、秋田大橋(バス停としては「秋田大橋前」)を単に「大橋」としているのが大雑把だが、今は「秋田大橋」になってる?
※市営バスから譲渡され、市営時代の幕をそのまま使い続けた車両では、移管後も「職業安定所」のままだった。現在はすべてLED化され「ハローワーク」に統一された。

つまり、新屋線のバス停は 茨島 → 経済大学前 → 茨島二丁目 → 職業安定所前 → ハローワーク秋田前 と名前が変遷してきた間も、羽後交通はずっと「茨島」で通してきたことになる。これが同所異名の理由。


そして後者。三丁目と四丁目もあるのに、なぜ「茨島」は「茨島」なのか。
急行本荘線は「急行」と名乗りながら、新屋線と重複する区間(茨島~日吉神社前)では9停留所のうち、秋田大橋前を除く8停留所で乗降を扱っている。(大橋前がないのは、隣の三菱マテリアル前と近すぎるからだろうか。たしかに大橋架け替え後は一段と近接してしまっている)【2月1日訂正】三菱マテリアル前と秋田大橋前を除く7停留所で乗降を扱っている。
しかし、たしか1990年代のどこかまでは、この区間でも新屋線よりかなり少ない一部のバス停にしか停まっていなかった。(遅くとも2000年には現在のようになっていた)その頃、茨島の次は、すっ飛ばして新屋支所前(現・日吉神社前)まで停まらなかったはず。

つまり、以前は急行本荘線で茨島地区唯一のバス停が「茨島」だったので、その名称でもおかしくなかったのだ。(新屋線のハローワーク前との整合性とは別として)
元々は「茨島」1つだけだった所に停留所が増えてしまった結果、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目という違和感のあるバス停配置になってしまったのだった。

2009年の新屋支所前→日吉神社前や一昨年の美短入口→美大前の時は、中央交通も羽後交通もほぼ同時期にバス停名を変えている。
再掲)同じ路線上でちゃんと同所同名になっているものもあるのに
「茨島」も、本荘線のバス停増設時に「ハローワーク前」(もしくは「茨島一丁目」なり「茨島二丁目」なり)に変更すれば良かったのに、機会を逸してしまっているのだろうか。
【2016年10月14日追記】急行本荘線では、由利本荘市内で「ハローワーク本荘前」というバス停があるそうだ。もし、茨島を改称するのなら「ハローワーク秋田前」にしないとまぎらわしくなる。



前回も含めてまとめると、現在の「茨島」バス停は、
・[異所同名]国道13号線側に中央交通と羽後交通、県道56号線側に羽後交通と、(羽後交通としては)2か所に存在。
・(13号線側の)中央交通は片道だけの南高校行き新港線用で、もう片側はポールはあるもののバスは来ない。
・13号線側の羽後交通は、高速バス湯沢線の乗車専用/降車専用。共同運行の中央交通も使用。
・[同所異名]県道側は羽後交通急行本荘線用だけが「茨島」を名乗る。同じ場所の中央交通と統一されていない上、本荘線の停留所が増えたため近隣停留所ともちぐはぐな名称になってしまっている。


ところで、県道の上り(秋田駅行き)側「ハローワーク前」および「茨島」は、かつてはログハウス風の待合所があった。
現在は、冒頭の写真のようにポールだけが立つ吹きさらしのバス停。(パチンコ屋があるので、その気になればどこかで屋根や風除けはあるが…)

公道上ではなく、パチンコ屋の敷地にもまたがって設置されていたはずで、そのパチンコ屋の建て替えの時だったか、数年前に撤去されてしまったのだ。
近くの茨島三丁目や三菱マテリアル前では、近隣企業有志によるものと思われる待合所がある。いちばん新しくてきれいだったハローワーク前だけが、なくなってしまったのだ。
ここはハローワーク来所者や近くの専門学校の学生の乗車が多いのに。(待合所があったらあったで、全員を収容できない可能性もあるが…)
市営バス時代は、中に壁掛けタイプのバス接近表示(バスロケーションシステム)もあった
【2021年10月3日補足】これは2代目のバスロケ。初代バスロケ時代だった、1987年の映像を見たところ、待合室はなく、路上に自立式のポール(接近表示の標準タイプ)が設置されていた。
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伊勢神宮内宮

2015-01-22 20:49:14 | 旅行記
伊勢神宮内宮(ないくう)前へ到着。※内宮は正式には「皇大神宮」。
長さ101.8メートル、幅8.42メートルの「宇治橋」で五十鈴川を渡って境内へ。

宇治橋は、第二次大戦後は式年遷宮の4年前に架け替えることになっている。今の橋は既に5年ほど経過しており、新しさは感じない。
隣の土地に新造してから遷宮・解体するお社と違い、宇治橋は同じ位置で架け直す。架け替え工事中は下流側に仮橋を設置するようだ。
五十鈴川上流方向。左側の岸が境内。右奥の日の丸が立っている周辺が駐車場
宇治橋の上流側の川の中には、流木が橋本体に衝突するのを防ぐ「木除杭(きよけぐい)」が並ぶ。

橋の両岸側に鳥居がある。(写真はこの記事最後にて)
鳥居は2014年10月に新しくされたばかりで、ピカピカ。
遷宮から1年遅れるのは、お社の遷宮で発生した廃材(内宮と外宮の両正宮から)を再利用するためだそう。20年前の材木になのにピカピカなのは磨いたりした後で鳥居にするのだろうか?

宇治橋を渡ると右に曲がって、「神苑」へ進む。
外宮では左側通行で、行き来とも同じ道だった(出入口・参道は2つ)。
一方、内宮では宇治橋から神苑付近は右側通行で、あとは行きと帰りで別ルート。時計回りで1周する形。【2024年7月13日追記・外宮と内宮で、通行の左右が違うのは、それぞれで御手洗場の位置と動線を考慮したことが、理由の1つとのこと。理にかなっていて納得できる。】
神苑。左右が大正天皇御手植えの松かな

神苑の先にトイレ。ここより先にはもうない。
さらに先に手水舎があり、昨日の外宮と違って多くの人が浄めていた。
だが、我々は素通り。
そのすぐ先が、五十鈴川の川原へ下りていける「五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)」。そちらで五十鈴川の水を使って浄めるのだ。多くの神社において、手水舎ができる以前は、これが本来の御手洗の姿だったのだろう。
「五十鈴川御手洗場」
石が敷かれた数段の段差がある緩い坂。幅はかなり広い。ひしゃくなどはない。
上流方向 下流方向
川の水は汚くはないが別段きれいでもない。さほど冷たくもなかった気がする。
以前来たことがある同行者は、「昔はもっときれいで感動したはずだけど…」と言っていた。

五十鈴川の底には、
小銭が落ちてる
ここに賽銭を投げ入れる人がいるようだ。少々目立ちにくいが「五十鈴川に投銭しないでください」という立て札があるのだが。(そもそも単なる手洗い場に対して賽銭すると何かいいことがあるのだろうか? トレビの泉とかの影響?)

外宮同様、周りの樹木は常緑樹が多いが、対岸の川原には葉を落とした落葉樹が目についた。
秋田では当たり前の落葉樹が、ここでは異質に見えてしまう。

宇治橋を渡ってからここまで300メートルほど。
ここで参道は(川原に下りないルートから見て)左に曲がる。この角の前後に鳥居が2つ。
祈祷やお守り授与をする「神楽殿」、別宮への分岐などを過ぎて、幅広い参道が続く。この辺りで行き帰りのルートが再び重なる。
神楽殿では外宮同様、破魔矢を求める人が多く、おみくじはない。
おみくじがないのは、「伊勢神宮に訪れた日は、誰もが吉日だから」という理由と、「伊勢神宮で個人的な吉凶を占うのははばかられるから」という理由があるらしいが、どちらも当たっているように感じられる雰囲気だ。(ただし神楽殿周辺は一般的な神社と同様の光景で、おみくじがあってもおかしくはない雰囲気でもある)
参道を進む
外宮同様、大木を含む木々に覆われた山の中の道。
参道の外は林
上の写真で手前の木に注目。
果実がなっている!
ミカンほどの大きさの黄色い果実が何個か実っていた。
カンキツ類なのは間違いないけれど、野生ってことはなさそうだから、誰かが植えたのか??
この1本しか見つけられなかった。

宇治橋を渡ってから650メートルほど、のんびり歩いて20分ほどで参道は突き当り、その左手に正宮がある。
左の階段は参拝後の出口。入口は奥
外宮とは参道から見て左右が逆だが、似たような位置関係。今までテレビや写真で見ると、外宮も内宮も参道を歩いてくると正面に正宮があるかと思っていたが、横にあるとは少々意外だった。
また、遷宮前の正宮があった「古殿地」は、外宮とは逆に奥側。外宮と違って、間に木立があってあまり見えないようになっていた。
よく見るアングル。左から来て、右が行き止まり・古殿地
撮影できるのはこの石段の下まで。
※正宮は階段の上にあるため、右隣の古殿地側にも同様の階段があるということらしいが、間に木があって見えない。

人出は写真の通り。昨日の外宮よりは多い。
混雑時は、この階段が人でびっしりでかなり待たされたり、鳥居の脇から入れる急ぐ人向けコースが設けられたりするらしいが、この時は極めてスムーズ。
すぐに上がれて、待たずに(正確には1分くらいは待った)参拝できた。


外宮同様、内宮の敷地内にも、別の神様をおまつりした「別宮」があるので、参拝。やはり階段と坂で上り下りする位置にある。
途中には、
高床式倉庫のようなもの?
「御稲御倉(みしねのみくら)」という、これも御稲御倉神という神様をおまつりする神社なんだそうだが、特に参拝できるような設備・構造ではない。(別宮は立派なお社の造りになっている)
なんでこんなに小さいのか、参拝できる構造でないのか、とかいまいち分からない。勉強不足です。

すぐ近くに、そっくりな建物があり、そちらは「外幣殿(げへいでん)」という、お宝を収める所。こっちは倉庫的なもののようだ。
左奥が御稲御倉、右手前が外幣殿
どちらも遷宮に合わせて新しくされたようだ。


神楽殿の近くまで戻り、ちょっと離れた所にある「風日祈宮(かざひのみのみや)」という別宮へ。
距離としてはそんなにないが、参道から別れた道を進み、橋で川を渡った所にある。
橋は宇治橋を小さくしたような(長さ45.6メートル、幅4.6メートル)「風日祈宮橋」で、渡る川は「島路川」。

島路川は、この橋の下流=五十鈴川御手洗場のすぐ上流部で、五十鈴川に合流するのだが、直角に近い角度で合流するため、橋や御手洗場から見ても合流点であることが分かりにくいようだ。
橋を渡って、右に曲がった右側に風日祈宮がある。やはり道は行き止まり。
真新しい風日祈宮。裏手が島路川、左のほうに五十鈴川
ここで貴重な光景を見られた。遷宮間もないため、以前の風日祈宮がそのまま残っていたのだ。
新旧風日祈宮。色がぜんぜん違う
古いほうでも20年前のものだから、そんなに古く見えないと思っていたが、実際にはだいぶ風格が出ている。
むき出しの木材だとこんなに違ってくるのか
ちょうど以前の風日祈宮の中から、巡回中の警備の衛士が出てきた。神様はいらっしゃらない“空き家”ということなんだろうが、出る時には一礼をしていた。

正宮の人出と比較すれば、風日祈宮まで参拝に来る人はちらほら程度で少ない。
距離は大したことないのに、道をそれて来ようとは思わないのだろうか。せっかくなんだから来ればいいのに。


あとは、行きの参道の1本山側の道で宇治橋へ戻る。
途中、ちょっとした人だかりが。
白馬!
神様が乗る「神馬(しんめ)」がいる「御厩(みうまや)」。※掲示では神馬でなく「御料御馬」となっていた。
外宮、内宮とも皇室から贈られた神馬が2頭ずついて、このようにタイミングによっては参拝者が見られる所に出ている。(外宮の御厩は、我々が通らなかった場所にあった。)月3回ほど、朝に正宮へ参拝する姿も見られる。

この時いらしたのは「空勇(そらいさむ)号」。
アングロアラブ種で、1993年宮内庁御料牧場生まれ、2011年に内宮へ寄進された。
馬自体、近くで見た経験は少ないけれど、白馬は初めて見たかもしれない。

若干せわしなさそうにも見えたが、参拝者に見られたりカメラを向けられても、逆にこちらを眺めるなどまんざらでもなさそうなお顔。

ただし、掲示では投銭、フラッシュ撮影、食べ物を与えるのはしないようにとしているのに、フラッシュをたく参拝者がいたのはいかがなものか。数分の間で2~3回は見かけた。近くに複数の神社関係者(警備担当ではないが)がいたが、特に注意はしない。
五十鈴川の投銭にしてもそうだし、正宮の撮影についても若干感じたが、ここは掲示が小さくて少なくて、気づかない人は気づかないこともありそう。
おおらかでいいのかもしれないが、川や動物相手のことだし、外国人旅行客だっている。もう少し、はっきりと言ったほうがいいのかもしれない。
と、恐れ多くも苦言を呈します。
(でも考えてみれば1300年前から続く伊勢神宮の注意書きに「フラッシュ撮影」なんて言葉が入ること自体、ある意味画期的かも)

境内では、神の使いであるニワトリ(神鶏)も放し飼いにされている。チャボや尾長鶏もいるらしいが、馬の近くを歩いていたのは、
白い鶏(白色レグホンとか?)


ちょうど1時間で、宇治橋へ戻った。歩行距離としては2キロ程度だろうか。やはり外宮より広い。アップダウンや林の様子は、両宮でそんなに違わない。
新しい鳥居がきれい
天気が良くなってきて、晴れ間と青空が出た。
昼近くなり、人出が増えてきたようだ。やはり、できるだけ早い時間がじっくり参拝できるようだ。


外宮同様、そんなに肩肘張って格式張った雰囲気ではないが、何か清々しく落ち着いた気持ちになる場所だった。
伊勢神宮を参拝して、この国に生まれて生きていることに縁や感謝を感じ、我が国の長い歴史の中で、世の中は変わっても変わらずに受け継がれているものがあることを実感した。
神宮におみくじがない理由2つを上で述べたが、たしかにそんな個人的なことは置いておいて、もっと大きなものに触れられたような気がした。
【23日追記】「伊勢参りに行ったから、いいことがありそう」などではなく、「伊勢参りに行けたこと自体が、いいことだった」というような、感謝の気持ちが強かったかもしれない。


この旅行の大きな目的は、これにて達成。(本来なら、周辺に多数ある別宮を始めとする神社にもお参りするべきですが、割愛させていただきました)
あとは、お腹を満たして、お土産を買って、やっぱり鉄道・バスとか街中のささいな風景とかも…ということで続きます
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セブンのシベリア

2015-01-21 23:05:22 | ランチパック
一昨年の映画「風立ちぬ」内で登場したこともあってか、お菓子の「シベリア」が少々ブームになった。
ヤマザキやたけや製パンでも製造している(いた?)そうだが、ここ数年の秋田県内のスーパーでは、隣の青森県の工藤パン製のシベリアをよく見かける。※この記事後半参照

最近でも売られてはいるが、ブームは落ち着いたかと思っていた。
ところが1月20日から、セブン-イレブンでこんなものが発売された。
しっとりシベリア 8%税込み160円 182kcal
製造は、他のパンや惣菜と同じく宮城県名取市のフジフーズ。要冷蔵、消費期限は2日?

公式ホームページによれば、「福島、宮城一部、秋田」の店舗限定販売。
「東北でなじみのある羊羹をカステラで挟んだ「シベリア」を、ホイップクリームを使い洋風に仕上げました。」とある。

シベリアって「東北でなじみのある」ものだろうか?
たしかに、現在では西日本方面よりも東日本のほう(むしろ東北より関東?)でより知られているようではあるが、秋田ではそれほどでもない気がする。
東北での認知度向上は、昨今の工藤パンの功績が大きいのではないだろうか。

包装では断面図で説明
一般的なシベリアに、さらにホイップクリームを1層挟んだもの。
実物はホイップクリーム層は薄い
形状は長辺が10センチ×2、短辺が6.5センチの二等辺三角形。
セブン-イレブンで売っている各種ケーキ類(フロマージュとか)と同じサイズだと思われるので、製造ラインや包装を共通化しているのでしょう。

工藤パンなど一般的なシベリアでは、スポンジの断面と表面で色が違い、表面が焼けた色になっているものだが、これは表面も断面と同じ色。
製造技術の都合なのか短辺側だけようかんが分厚くなっている
原材料欄は「こしあん、卵、砂糖、…」の順なので、あんこがいちばん多いようだ。


食べてみると、たしかにしっとりしていて、軽く食べられる。(セブン-イレブン秋田市進出時に盛んに売っていた「濃厚フロマージュ」とは対照的)
スポンジは普通のスポンジケーキのようで、ようかんは水ようかんのよう。
原材料にはちみつが使われており、その味が分かる。クリームよりも存在感がある。
はちみつとあんこの組み合わせは意外で悪くないけれど、ケーキっぽい。
工藤パンのシベリアは「和生菓子」扱いだったけれど、これはもう「洋生菓子」かと表示を見ると、
やっぱり「和生菓子」

一般的なシベリアをより現代人受けするものにした感じだろうか。
「あんこの入ったケーキ」が嫌いじゃなければ、食べてみてもいいかもしれません。※繰り返しますが福島、宮城一部、秋田限定商品です。

なお、ヤマザキでは、これと似たようなものでもっとホイップが多いものを、以前から「生シベリア」として製造している(いた?)ようだ。

【5月10日追記】その後、2015年5月14日から福島県のセブン-イレブン限定で「しっとりケーキで羊羹はさみました」が198円で発売。
見た目はこのシベリアに似ているが、クリームがやや多く(厚く)、2個1組。工藤パンのシベリアのような形状と包装。1食あたり281kcal。
ホームページには「ふくしまデスティネーションキャンペーンの記念商品です。こしあんを調理して作った羊羹をカステラでサンドした「シベリア」というお菓子をイメージしました。羊羹との相性を考えて無糖の生クリームを合わせることで口当たりも良く仕上げました。」とある。
【5月22日追記】5月22日は、秋田のセブンイレブンで「しっとりケーキで~」が売られていた。ホームページの写真よりクリームが薄く、この記事のシベリア並み? ホームページの新商品情報には出ていないが、たしか「新商品」シールが貼ってあった。
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宇治山田から内宮へ

2015-01-20 23:41:49 | 旅行記
外宮(げくう)参拝の翌朝、伊勢神宮内宮(ないくう)へ。
※この記事では内宮への行き方を紹介します。内宮の中は後日別記事にて。

内宮は徒歩だけで訪れるには遠い。
公共交通機関のアクセスとしては次の2つが挙げられる。
※いずれも2015年1月時点の情報です。変更になる場合があるので、各自、都度ご確認願います。また、混雑期は道路渋滞も考えられ、どうなっているか分かりません。
・近鉄「五十鈴川(いすずがわ)」駅下車
五十鈴川駅は宇治山田から1つ鳥羽寄り。伊勢インターチェンジやイオン伊勢店の近くにあり、内宮までは2キロほど。
三重県道12号線(一部国道23号線と重複)を道なりに進めばよく、ちゃんとした歩道があるようなので、天気が良ければ歩いても問題なさそう。
駅前から内宮前へ向かう路線バスも昼間は毎時2~4本あるが、後述の宇治山田・伊勢市駅方面発着のバスを途中乗降する形なので、車内が混雑していれば乗り降りが大変そう。
五十鈴川駅近くに「月讀宮(つきよみのみや)」という、内宮の敷地外にある別宮があるので、そちらにお参りする時は、便利。【21日追記】伊勢神宮と直接の関係はないようだが、内宮近くには「猿田彦(さるたひこ)神社」もある。こちらは内宮から徒歩で来られるし、バス停もある。
五十鈴川駅近くにはイオンがあるので、内宮には行かないイオン経由のバスを使ったり、空き時間に買い物したりという使い方も考えられるかもしれない。

・JR・近鉄「伊勢市」駅または近鉄「宇治山田」駅または外宮前から三重交通の路線バス
宇治山田-伊勢市-外宮-内宮を結ぶ路線バスが多数運行されている。
経由地は上記五十鈴川駅前を通る「徴古館経由」が毎時3~4本と、通らない「庁舎経由」が毎時2本、ほかに途中停車しない直行便(黄色い「EVバス」)などもあるが、単に伊勢市中心部から内宮へ行き来するだけなら、どれに乗っても料金は同じ430円(フリーきっぷ対象エリア内)で所要時間もほぼ変わらないようだ。
また、鳥羽方面をも結ぶ「CANばす」という青い車体のバスも利用できるが、行き先に注意。(不安なら乗らずに一般路線を使うのが無難)
ただし、路面電車っぽいデザインの「神都バス」が利用できるとしている情報もあるが、現在は路線バスではなく、事前予約の観光バス扱いに変更されている(2014年10月から)ので注意。

合計すれば伊勢市内-内宮は、昼間は時刻表ではおおむね10分間隔の運行だが、状況により増発便(「臨時」とされていた)を臨機応変に出していたので、ほとんど待たずに乗れた。
宇治山田駅、伊勢市駅、外宮前、内宮前の各乗り場には、バス会社の案内員が出ているし、あまり心配しなくてもいい。だから、事前に時刻表を調べなくても大丈夫だろう。
※朝や夜は本数が少なく、案内員がいないかもしれません。また混雑時はバスが足りなくなるかもしれないし、道路が渋滞して遅延するかもしれません。

ということで、通常時の内宮参拝は、バス利用がベストだと思う。
近鉄のフリーきっぷを使用すれば、鉄道もバスも乗り降り自由。状況や気分で選べるし、小銭の準備もいらないので使うべきです。(三重交通バス単独のフリーきっぷもあるが、名古屋などから往復するのなら、近鉄のフリーきっぷのほうが割安)


宿を後に、鳥羽から近鉄の普通電車で伊勢市へ。
バスで内宮へ向かうには、宇治山田駅で降りても伊勢市駅で降りても違わない。
宇治山田駅のほうがコインロッカーが多そうだし、路線バスも先に通るので座れるのではないかと踏んで、宇治山田駅で下車。時刻は10時前。

ここで、宇治山田駅の駅舎について。
前回も触れたように、「宇治山田」とは外宮と内宮の所在地のかつての町名(および合併直後の市名)にちなむものであり、京都の宇治とは関係ない。
1931(昭和6)年の開業時からの、鉄筋コンクリート3階建て、幅120メートルの堂々たる駅舎。登録有形文化財。
もうちょっと離れて撮影するべきでした…
クリーム色のテラコッタ・タイルが印象的で、細部の装飾が凝っている。

前回の伊勢市駅に続き、ここにも関西式門松
伊勢市駅JR側よりも立派な門松が置かれていたが、タクシー乗り場に面しており、正面からは見られなかった。

正面の避雷針も凝っている。後方の「近鉄」の塔屋(元は火の見櫓として使われたらしい)にも避雷針

1階には、コンコースや土産物・飲食店やファミリーマートなどからなるちょっとしたショッピングゾーンがある。
モダンレトロな広いコンコース。駅窓口はこの右側(駅に入って正面)
広いコンコースは修学旅行などの団体客の利用を想定しているのかもしれない。
貴賓室があり、皇族や要人が伊勢に来る時は、伊勢市でなく宇治山田駅を利用するそうだ。

あとは、建物の大きさのわりには客が立ち入れるスペースは少ない。待合室とかベンチの類も、多くなかった気がする。
ホームは高架で、上の写真正面奥の階段を上がると改札口。(その階段の裏が店舗)
改札内から改札口。奥の階段を降りるとコンコース
通常使う改札口は1か所だけ。天井は低く、外観とは違った印象を受ける。


宇治山田駅を出てすぐにあるバス乗り場に行くと、ちょうどバスが入って10人ほどが乗り込むところ。
「庁舎前」経由内宮前行きの定期便で、大型ノンステップのいすゞエルガ。
案内員が「内宮行きはこちらです。間もなく発車しますので、整理券を取ってご乗車ください」などと案内している。

どうも、発車まで時間がある時は、乗り場の案内員に対して運賃を支払う(=乗車券を買う?)ようで、発車間際は一般的な整理券方式の車内精算になるようだ。
そのバスの全員が車内精算済みの直行便なら、到着時は中ドアからも下車させるようだ。(詳細不明)
反対に、バス1台の乗客全員まるまる乗り場で精算できないこともあり、案内員が運転士に「皆さん精算がまだですので(車内精算を)よろしくお願いします」と伝達する場合もあった。

次の伊勢市駅前でもぞろぞろ乗ってきて、さらに次の外宮前で数人乗車。通路に人がちらほら立つ状態になって内宮へ向かう。
一般路線バスなので、途中で地元の人が2人くらい下車。
片側2車線の県道32号線を快調に進み、国道23号線に曲がってあっと言う間に内宮到着。宇治山田駅から15分ほど。
内宮前バス乗り場
内宮前のバス乗り場はバスの待機場を兼ねていて、常に2~3台が停まっていた。

内宮に来ていた三重交通の路線バスは、いすゞエルガのノンステップばかり。四日市などでは見かけた同型・異メーカーである日野ブルーリボン2さえ見かけなかった。(1台だけ臨時便で三菱エアロスターが来ていた)
輸送力からすれば大型車が必要だし、ドル箱路線だから新車を積極的に入れるのは分かるが、いすゞばかりなのは、三重いすゞが三重交通の系列ということもあるだろうし、ひょっとしたらいすゞ自動車の社名の由来である、内宮前を流れる五十鈴川へ敬意を表してだろうか。

自動放送の車内アナウンスは、かつての秋田市営バスのテープ式放送と同じ人、アイドリングストップ時の音楽はかからなかった気がする。【21日補足・訂正】要所では英語の車内放送もあった(日本語とは別の声)。アイドリングストップの音楽は、アイドリングストップをする機会がなかったので不明。
※三重交通についての以前の記事
※三重交通のバスについては、後日別記事にて

「お伊勢参りは外宮から内宮へ」
参拝のならわしを記したラッピングバスがあった。

車体に広告主名は表記されていないが、伊勢商工会議所のホームページによれば、伊勢商工会議所と伊勢市が「外宮誘客事業」として2009年から2台に広告しているそうだ。
伊勢市街地である外宮への観光客誘導が目的なのか。でも、「外宮から内宮へ」だと外宮に先に来てもらわないといけないから、内宮行きのバスにラッピングしてもあまり意味がないような気がしなくもない。むしろ、三重交通さんのいい宣伝になっていそう。

三重交通独特の後部屋根上の広告パネル(上記以前の記事参照)は、この車では枠が撤去されて、棒状の台座だけが残っている。


バス停の先で、
国道23号線の終点
愛知県豊橋市から続く、177.0キロの国道23号線がここで終わっていた。
交差点ではなく、神社の前で国道が終わるというのが、伊勢神宮が重要な場所であることを物語っている。外宮のそばには三重県道が何本もあったのと同じように。

国道が終わった先は、内宮の駐車場への通路かのように見えるがそうではなく、県道12号として五十鈴川沿いに奥まで続き、かなり狭い山間の道になっている。


バス停を降りて左側が、参拝客目当ての店が軒を連ね、一大観光ゾーンとなった「おはらい町」(これも一部は県道)。
そしてほぼ正面が、
伊勢神宮内宮
五十鈴川に架かる「宇治橋」を渡って伊勢神宮内宮へ進む

ならわし通りに外宮を参拝してきたのかは知らないけれど、観光バスがたくさん出入りしている。昨日夕方の外宮よりは、人出が多いようだ。内陸のためか鳥羽よりは風が強くなく、気にならない程度。
続きます
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外壁

2015-01-19 21:09:44 | 秋田の季節・風景
見慣れた建物が解体されてなくなると違和感を覚えるが、建物はそのままでも、その外壁の色や構造が変わっただけでも、ちょっとした違和感につながる。
秋田県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎や秋田銀行本店は十数年(数十年?)前は、現在と少し違う塗り分けだったはずで、改修後は見慣れるまで時間がかかった。(今はなじんでしまって、かつてどういう外壁だったか思い出せなくもある)今はなき秋田ニューシティも、最初は肌色の外壁で、後年は白くなっていた。
秋田市立東小学校では、2012年の工事により、以前は統一されていた外壁が、一部だけ全然違う色になってしまった。
以前と同じくするか別にするかはケースバイケースなんだろうけど、最近は建物の寿命が伸びたり、耐震改修工事に便乗してリニューアルされたりで、「建物は同じだけど見かけが変わる」ことが増えた気がする。


昨年後半から年明け頃にかけて、秋田市内のいくつかの建物の外壁に足場が組まれた。営業をしながらの工事なので、解体ではなく改修なのは間違いない。所有者・管理者が違う無関係の建物だから、偶然、それぞれの外壁更新工事が重なったことになる。
となると、外壁の色が変わってしまうかもしれない。いずれも存在感があり、(良くも悪くも)地域の風景に溶け込んでいた建物だったので、どう変わるか興味を持った。

まずは、
2014年6月
保戸野鉄砲町の新国道沿いの秋田中央郵便局(かんぽ生命秋田店併設)。
新国道が緩くカーブした場所に、横に長い局舎があって存在感がある。
昨年初夏頃、外壁に足場が設置され、最終的に全面が覆われた。

できてから30年建つので、リニューアルされるのかと予想。
その後、足場が部分的に取れたと思ったら、同じ場所にまた組まれたり(?)して、12月には足場がすべて撤去されたようだ。
結果的には、
前と同じ ※色が違うのは、カメラと光線状態の違いです
なーんだ。

ちなみに、かつてはここに秋田市交通局(寺内字蛭根へ移転→現・中央交通臨海営業所)があった。
郵便局はかつては「秋田郵便局」として大町四丁目(ドコモビルの隣の駐車場)にあり、1984年に現在地に移転、1987年に「秋田中央郵便局」に改称された。

余談だが、かつてNHK教育テレビで「はたらくひとたち」という、小学校2年生向け社会科の学校放送番組があった。※当時は生活科がなく、小学1年生から理科と社会があった。
1960年代から放送されていた「はたらくおじさん」シリーズの後継番組(キャラクターを一新。製作も大阪放送局から東京に移行?)として1984年に始まり、ケンちゃんとフムフムがさまざまな職業の現場を見学する番組だった。
その1984年度の郵便の回で、できたばかりのこの建物(当時は秋田郵便局)が登場したはず。
ケンちゃんがおばあさん宛てに手紙を投函し、それが届くまでを追跡するという設定で、おばあさんは五城目町(五城目郵便局の配達エリア内)に住んでいたかと思う(テロップやナレーションでの明示はなかったが、局舎の表示等から判断できた)。郵便物の中継地点として、秋田局が出たわけだ。
郵政省(当時)としては、新しい局舎を映してもらいたかったのだろう。


中通のみずほ銀行秋田支店も、
11月に壁が覆われた ※店の前の2本のイチョウの黄葉の度合いの差が著しい
これは1か月くらいで工事が終わり、きれいになっただけで以前と同じ。あまりに変わらないので、写真はありません。


卸町のラウンドワンスタジアム秋田店は、
ストリートビューより
開店以来の黒とオレンジ色の外壁が、
黒が減って、ベージュと赤にリニューアル
以前の塗装は圧迫感があったが、新しいほうが明るくていい。
全国的にこの外装の店が増えているので、全社的に塗り替えが進んでいるのだろう。


【2021年4月11日訂正】秋田県庁の第二庁舎でない、昔からの建物のことをここでは「正庁舎」と表記しています。勘違いしていたのですが、「正庁」というのは、正面の大広間の意味(デジタル大辞泉)があり、建物ではなく部屋の呼び名だったので、不適切でした。
秋田県庁ホームページの案内図では、この建物を「秋田県庁(本庁舎)」と表記していますが、当ブログでは「第二庁舎」と統一感を持たせるため「本庁舎」と表記したいと思います。以下、正庁舎を本庁舎と読み替えてください。
最後に、
11月頃の秋田県庁正庁舎
短辺の東西面が、足場で覆われていた。
工事前 工事後
色はほぼ同じだけど、若干違っているのがお分かりでしょうか。
工事前は等間隔で横方向にラインが入っていたのが、工事後はなくなった。

それだけでなく、壁をズームアップすると、
工事前 工事後
工事前は細かい正方形のタイルが貼られていたのが、工事後はツルツルになっている。
【2016年4月17日追記】以前の印象が強いので、工事されたことを忘れていて無意識に庁舎を見ると、色あせたと感じてしまう。

以前は45ミリ角の「モザイクタイル」だったものが、「吹付けタイル」に変更されたようだ。
「吹付けタイル」とは、タイルと同様の素材を貼るのではなく吹き付ける工法により、外壁を仕上げるもののようだ。タイルを1枚1枚貼って、後々剥がれ落ちたのを補修して…といった手間が省けるのだろう。
モザイクタイル
モザイクタイル1枚1枚の微妙な色の違いや目地のアクセント、日光を受けてきらりと輝くのは、もう見られなくなるものの、従来の庁舎の印象をできるだけ変えたくないという、秋田県の配慮だったのだろうか。
思い切って、全然違う色に塗り替えてみたら…どうなるかな?
コメント (3)
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伊勢神宮外宮

2015-01-18 10:23:10 | 旅行記
伊勢市に到着。さっそく伊勢神宮外宮を参拝する。
※基本的に日が落ちた後の時間帯は参拝できないが、正月は延長される。参拝時は事前に確認を。

伊勢神宮は、おまつりする神様が異なる「外宮(げくう)」と「内宮(ないくう)」の2つからなり、外宮→内宮の順に両方を参拝するのがしきたり。※正式には外宮は「豊受大神宮」、内宮は「皇大神宮」
本来なら、二見浦(ふたみがうら)でみそぎをしてから参拝がルートなんだろうけど、そこは勝手ながら省略させてもらう。(みそぎは別として二見浦にも行ってみたかったのだけど、交通機関や一人旅ではないので制約もあって…)
外宮と内宮は直線で4キロ弱離れていて、公共交通機関利用者は内宮へはバス(またはかなりの徒歩)でないと行かれないが、外宮は駅からすぐ。

外宮の辺りは「山田」地区と呼ばれ、内宮は「宇治」地区。かつては山田町と宇治町だったのが合併して「宇治山田市」になり、1955年に伊勢市に改称された。近鉄の駅に「宇治山田」があり、京都の宇治を連想してしまうが、別の宇治だったのだ。

※以下、我々のような訪問者のことは「観光客」とすべきなのかもしれませんが、目的は伊勢参りであるはずなので「参拝客」と表記します。


近鉄とJR東海が共用する伊勢市駅の南側改札口(JR管理だが近鉄利用者も同じ改札口を利用)を出る。
駅にはコインロッカーや手荷物預かりもある。コインロッカーは分散していて、気づきにくい場所にまとまってあったので、よく探しましょう。
伊勢市駅(南側)。駅舎は2013年に新しくなったようだ
駅正面には門松が立てられていた。
伊勢だからというわけではなく、日本の西側(過去には静岡や九州で見た)では、駅の出入口にも門松が置かれる。役所などでも正月飾りをする所もある(テレビで鹿児島市役所を見た)そうだ。
一方、秋田など東日本方面では、民間のオフィスでは設置する所が多いが、駅とか役所では正月飾りはあまり見かけない気がする。秋田駅ではみどりの窓口やびゅうプラザ前に、やや控え目に設置される。橋上駅という構造や雪対策なのか、地域性なのか。

地域性と言えば、門松の細部も違う。
伊勢市駅の門松
背後の松が大ぶりで、根元にハボタン、鉢の周囲を竹で囲むという、関西式の門松。
3本の竹の切り口に節が入って笑顔のように見えるのも、秋田ではあまり見ない(皆無ではない)はずで、西に多い気がする。
3本の長さ(高さ)が全部違うのも、どちらかと言えば西寄りだろうか。(後ろの1本だけ高くて、手前の2本が同じ長さで揃うのが東タイプ?)

正月飾りを撤去する日(「松の内」の解釈)も地域差があり、7日と15日で分かれるが、伊勢では7日に撤去していた地元企業を見かけた。関西方面は15日までが多いと聞いていたが、伊勢は7日なんだろうか。
ちなみに、伊勢ならではの風習として、しめ飾りは通年掛けておくという。

駅の正面に鳥居があって、くぐってまっすぐ450メートルほど進めば、外宮の正面に着く。
ここをまっすぐ

振り返って伊勢市駅

伊勢市駅周辺には、1990年代まではジャスコ(三重はジャスコ発祥地ではあるが、伊勢周辺は元々の地盤ではないようだ)や三重交通系列の百貨店、それに商店街があって、地元の買い物客でもにぎわったと言う。現在は、他の地方都市同様、市街地衰退・郊外移転が進んでしまった。
ただし、市役所などもこの近くだし、何より伊勢神宮参拝客が訪れ、今もけっこうにぎわっているように見えた。

駅前広場に既にのぼり旗が立っているが、伊勢市駅と外宮を結ぶ道は「外宮参道」と呼ばれる。
土産物、真珠の店、飲食店、宿など参拝客目当ての店も並ぶ、いわゆる門前町(神社の場合「鳥居前町」を用いるらしい)の商店街的な一帯。
レトロでモダン建物も
「赤福」の飲食もできる店舗もあるが、まだ新しそう(2012年開店)な「特設店」というもの。本店は内宮のほうにある。(提供される品は同じようだ)
伊勢神宮の鳥居前町の商店街としては、内宮の「おはらい町」が有名。そちらのほうがより参拝客向けに特化し、雰囲気が和風という違いがある。

「外宮参道」がそう呼ばれるようになったのは、2006年と最近。(それ以前はどう呼んでたんだ? ただの「参道」?)
道路管理者は伊勢市でなく三重県で、参道のみからなる延長391メートルの三重県道21号線に指定されている。
このすぐ西隣は、車が多く走る車線の多い道路で、そちらは松阪から鳥羽へ至る県道37号線の一部。

外宮参道は、元日などは参拝客であふれるのだろうが、この時はちらほら。
平日の夕方とは言え、新年早々にこの程度だとは予想外で、混雑を覚悟していたから少々拍子抜けした。

外宮参道には、銀行など地元の人向けの店も多い。
また、一見すると歩行者天国っぽいが、一般車両も通行できる(外宮から駅への一方通行)。
さらに、歩道と車道の境が目立ちにくく(ブロックの色が違うだけで、白線も縁石もない)、そこに路上駐車する車もいて、歩行者がそれを避けて車道部分へ出ざるを得ない場面もあった。
「コミュニティ道路」であり、歩行者天国とすることも想定した設計のようだが、少なくとも通常時はこれではかえって危険だ。
秋田市の仲小路も同じような状況だが、外宮参道は道幅がより広くほぼ直線なだけに、さらに危険なようにも感じられた。
※場所や期間によっては、車両が入れない部分もある。また、途中に信号機も複数あり、歩車分離だったり押しボタン式だったりするので、横断時はよく確認を!

さらに拍車をかけたのが、
「交通規制」
伊勢警察署長名義の「交通規制」の大きな立て看板。
最初、遠くから見た時、「自転車及び歩行者専用」の道路標識の巨大な図柄が目に入り、「この通りは歩行者天国なんだな」と思って歩くと、前方から車が走ってくるし、路上駐車もしていて驚いた。
改めて看板の下の文字を読んでみると、規制の日程と時間が表示されていた。それによれば、この規制は1月3日の17時ですべて終了している。それ以降は、終日車両が通行できることになる。

ところが、この時は1月6日。規制終了から3日も過ぎている。
3日前に終わった規制が、まだ有効かのように誤認しかねない看板を立てておくのは、あまりにのんびりしすぎている。
日本語を読めない外国人だって通るだろう。標識の図柄だけ認識して、歩行者天国と勘違いして真ん中を歩いて事故にでもなったら、どうするんだ。

看板の撤去が直ちにできないのなら、シートをかけるとか、横向きにして見えないようにすることぐらいできるはずだ。
秋田県警でさえ、花見や竿燈まつりの交通規制の看板(もっと小さいけど)は、規制時間外は隅に寄せて見えないようにしている。
はっきり言って、三重県警の怠慢だ。(余談だが、この時ローカルニュースにおいて、暴走族対策で高速道のサービスエリアを予告なしに閉鎖したとして、三重県警と中日本高速道路会社が批判されていた)

警察がやれない・やらないのなら、道路管理者である県、観光やまちづくりに関わる市、毎日目にするであろう近隣住民などが気付いて警察を動かすこともできるはず。伊勢に限らず全国どこでも、特に警察に対して萎縮するのか関わりたくないのか、このようなケースがままあるのだが…
今回はとてもいい旅ができたけれど、これだけは引っかかったので、苦言を呈させていただく。(関係各所へは伝達済み)


外宮参道を抜けて、幅の広い道路(これは県道32号線。外宮一帯は県道が多く、それだけ重要な場所ということか)を横断すれば、外宮の敷地。信号は押しボタン式。内宮への路線バス乗り場も、この付近にある。
夕日の中の外宮

雨が上がって、外宮の向こうに夕日が沈み始めた頃。
雨は多く降ったらしく、水蒸気が上がってもやのようになって幻想的で神々しい。

すぐに境内だが、その手前の駐車場のところにトイレがあり、「これより先にはトイレがない」とのこと。
橋を渡って境内へ。ここは左側通行(内宮は右側通行)。

左手に「勾玉池」という大きくてきれいな池。舞楽の舞台があり、初夏はハナショウブが咲くそうだ。
そのほとりに、資料館や休憩所である「せんぐう館」が2012年に開館した。池がきれいに見えるに違いなかったが、最終入場時間(16時?)を過ぎていて入れなかった。

自家用車や観光バスで来た人なんだろうか、駅~外宮参道よりは人が多くなったが、それでも予想より少なく、「まばら」と表現できるほど。
道はうっそうとした林の中で曲がっていて、タイミングによっては周りに誰もいなくなる。

橋から200メートルほどで、裏手の出入口からの道(北御門参道)も合流。(今まで進んだのが表参道)
そこに「神楽殿」という社務所みたいな建物があり、祈祷やお守りなどの頒布をしている。正月だから破魔矢を買い求める人が多い。おみくじはないのかな?【20日追記】お神酒の授与所もあった。
帰ってから案内図を見て気づいたが、神楽殿の裏手・北御門参道側を少し戻ればトイレがあるようだ。

その先で参道は突き当り、右手に豊受大御神をまつる「正宮」に到着。


 
正宮の前は広いスペースがあり、周りを針葉樹を中心とする巨木が囲む。左側には、勾玉池の上流に当たるであろう池。
混雑時は、参拝前にここで何十分も待たされるのだろう。

正宮内は写真撮影禁止。もっとも、板垣で囲われていて、直接正宮本体の建物やご神体を見ることはできない。
相変わらず拍子抜けするほどの人の少なさで、すぐに参拝できた。
一般的な神社のような鈴はない。賽銭箱もないとのことだが、それに相当するスペースはあった。
そんなわけで、皆さんじっくりと祈っていた。少ないとはいえひっきりなしに参拝者がいるから、神様にしてみれば聞くのは大変だったかも…

混雑対策なのか、正宮の入口と出口は分離されていた。「出入りする時は鳥居で一礼」というのが作法だが、出口側には鳥居がないので、戸惑った。

正宮の手前(正宮に向かって右隣)に、しめ縄で囲われた空き地があった。
左奥が正宮
ここは式年遷宮の前に、(先代の)正宮があった場所。
遷宮のたびに交互に建て替えるので、次の遷宮で正宮が建つ場所でもある。「御敷地」「古殿地」と呼ばれる。


伊勢神宮敷地内や周辺には「別宮」といって、ほかの神様をまつるお宮がある。外宮敷地内には別宮3宮とさらに別に神社1つがあるので、こちらも参拝。
別宮は式年遷宮後、順次新しくなっている。
正宮からは池を渡って山の上に登るような位置にある。石段になっていて、雨上がりでもさほど汚れたり滑ったりはしないものの、体力や靴にはそれなりに配慮が必要。
あと、お賽銭の準備も。両替機などはないので…

橋代わりに緑色の大きな岩?【19日追記】これは「亀石」と呼ばれる由緒正しい岩だそうだ
木も立派だけど、立派な石も多い。石段の石さえ美しい。
【19日追記】上の写真の「亀石」は踏んづけられているけど、もっと小さな石でしめ縄で囲まれたも「三つ石」もあった。“パワースポット”とされて、手をかざす人もいる
階段の外側は、谷になっていて、うっそうと木々が茂る。暖地らしく常緑の照葉樹が多い。

来た道を戻る。帰り道は団体さんと一緒になった。
団体さんが来ると、一時的に参拝は滞るようだ。

最近のパワースポットブームの影響か、以前よりも神社参拝の作法は一般に浸透している。
今回も、鳥居をくぐるたびに一礼していた人がいたし、正宮では誰もが二礼二拍手一礼をしていた。
伊勢のガイドブック類では、伊勢では特に身なりや作法をしっかりするようにとあるものもあって身構えていたが、実際にはそれほどでもないようだ。
我々がせんぐう館近くの手水舎で浄めていた時、他の参拝客は素通りだったし、「神社庁支部」とかいう腕章を付けたおっさん数人組など、おしゃべりしながら頭も下げずに鳥居をくぐっていたし…
要は気持ち次第でしょうか。


外宮内に30分ほどの滞在でひととおり周ることができた。
うっそうとした木々の中、要所要所に警備員を立派にしたいでたちの神社職員が立っているなど荘厳で神聖な場所であることも感じたが、一方で落ち着いた気持ちにもなれた。
さらに雨上がりの清々しい自然の中で、気持ちも清々しくなった。

外宮は伊勢市街地にあると聞いていたので、各地の城跡の公園(秋田市の千秋公園とか)のような広大だけど平坦な場所かと思っていたが、けっこう山深いのに驚いた。「高倉山」という標高117メートルの山だそう。
敷地の面積としては内宮の10分の1ほどだという。参拝者が立ち入れる面積は、そのごく一部なのだけど。

神社どうしを比較するのはナンセンスで失礼かもしれないけれど、出雲大社はお社(やしろ)そのものが大きくて立派で、伊勢神宮(この段階では外宮だけ)は建物のみならず敷地全体に存在感があり威厳を示しているように感じた。
宮島の厳島神社も、海という自然と一体化した島全体が神聖な場所という印象を受けたが、伊勢神宮はそれをさらに上回るような。


この後は、近鉄で鳥羽まで行って宿泊。
伊勢市周辺にも宿はあるが、温泉は少ないし、価格や食事などの選択肢は狭い。二見浦や鳥羽まで行けば、いろいろ選べるし、フリーきっぷで足代もかからないので、鳥羽を選んだ。
近鉄ホームから伊勢市駅北側の駅前
伊勢市から鳥羽方面へは、特急と別に普通列車が毎時2本程度運行されている。2両編成のワンマン運転で、所要時間は15分ほど。
途中は山あいの風情の無人駅もあり、駅前で温室の中で灯り点いているのが見えた。電照菊だろうか。
急に海沿いに出て、鳥羽到着。

日程上、鳥羽には泊まっただけも同然だったので、割愛します。いつかじっくり訪れてみたい。
温泉は場所によって泉質が異なるようだが、泊まった宿は、海沿いには珍しい、ほぼ無色透明無味無臭のアルカリ泉。青森の大鰐温泉に似たような、いいお湯だった。

天気は回復傾向なものの、夜から風が強くなって、海面を細かい波が走る。ひっきりなしに北風が吹き、秋田の吹雪とはまた違うが、体感では思っていた以上に寒い。
翌朝に内宮を参拝する



ネット等で拾った情報も含めて外宮参拝の注意事項などをまとめておく。
・伊勢市駅のJR側・南の改札口を出る。(近鉄ホームからはやや遠い)
・近鉄の宇治山田駅から外宮も遠くはないが、道が分かりづらい。
・伊勢市駅のコインロッカーは分散設置。よく探しましょう。(ただし混雑時は埋まりそう)
・参拝は朝や夕方が空いていて狙い目。参拝できる時間は事前に確認。
・外宮参道では車に注意。
・賽銭用の小銭は多めに。
・ある程度歩くので靴や体調に注意。(正宮だけを参拝するのなら段差はほとんどない)
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解体/竹半/改札天井

2015-01-15 23:48:25 | 秋田の季節・風景
秋田駅周辺3つの話題。
●秋田駅前ビル解体
区画整理事業で道路ができるため、解体されることになっていた「秋田駅前ビル」。※前回の記事
11月にテナントが退出し、12月に足場が組まれて中身が出された。
 ※右側のフォーラスは解体されません

年明けから、ついに外側の解体が始まった。
リボン会館跡地側から
先に解体されて更地になった、リボン会館跡地に機械が入ってそこから壊しにかかっている。
広小路から。奥が駅

※その後はこちら。解体された跡地に、新たな「秋田駅前ビル」が建つことが分かった!


●竹半移転
通町から仲小路へ移転して、今日オープンした「竹半スポーツ」。
竹半スポーツ、サンパティオ大町とも、今日現在ホームページは更新されていない。
今日の秋田魁新報に掲載された広告によれば、25日までオープニングセールで野球用品40%OFF、その他30%OFF。所在地はカッコ書きで「※仲小路のくらたビル」としている。
千秋公園・広小路を背に。右がなかいち、左手前が明徳館ビル(明徳館高校)、左奥がくらたビル
この項の写真は12日の撮影。開店準備作業が行われていた。

2階の大きな窓に「TAKEHAN」のロゴは出ている。
しかし、外壁がそのままだったり、3階以上の美術作品がそのままだったりするのはいいとしても、壁面や屋上には「お菓子のくらた」のロゴが残る。これでは、お菓子屋さんと勘違いして入店する人がいそう。
【17日追記】開店時には、店の前のガラス(上の写真で1/15OPENと出ている付近)に沿って、届けられた生花が並んでいたとのこと。
【4月5日追記】4月5日時点でも「くらた」表記はそのまま。上の写真で「1/15OPEN」とある部分の上の壁に「TAKEHAN」のロゴは表示された。
※屋上の「くらた」は2018年11月まで残っていた。この記事後半参照。壁面はそのまま。

2階ではくらたの喫茶店時代の什器を再利用して、スポーツ用品を陳列しているように見えるものもある。(準備段階の仮置きかも?)
時間がなかったこともあるのかもしれないが、できるだけ費用をかけずに移転したかったようにも感じられる。
見るからに店舗面積が狭くも感じるが、報道によれば「店舗面積を縮小して専門性を高め」る意図で移転したのだから、それは当然。

屋上の「お菓子のくらた」看板について。
「二〇世紀ひみつ基地」に今日アップされた「「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-1024.html)」の写真によれば、2003年7月の屋上の看板は、現在と異なるデザイン。上下で分割されていて、上が白地に青文字で「お菓子の」、下が反転した「くらた」。
自分で撮影した写真によれば、2010年春の段階では、現在のような「く」状のデザインになっていた。

※続き(移転して空いたサンパティオ周辺の変化)はこの記事

【2018年5月26日追記】くらた跡の竹半は、2018年5月13日をもって閉店した。
店頭の掲示や公式サイトでは「移転・リューアルの為」「一時閉店」となっているが、移転先は記載されておらず、閉店後の販売や連絡先は保戸野原の町の事務所となっている。
公式ツイッターには「新しい移転先、開店時期については決まり次第ご連絡致します!」とある。
【2018年6月7日追記】閉店した跡には、貸し物件の表示が出された。この記事に写真あり。
【2018年7月19日追記】2018年7月19日付秋田魁新報に竹半の広告が出た。「新店舗アトリオン 地下1階」「8月1日 水 リニューアルOPEN」とのこと。同日時点で公式サイトには情報なし。
わずか200メートルほど移動することになるが、アトリオンの中に、こういう物販系の店が入るのはアトリオン30年の歴史の中でも少ない。
※さらにその後、2020年6月でアトリオンの店は閉店。保戸野へ移転することになった。


●改札口工事
最後は新しい話題。
1月10日から、秋田駅中央改札口で工事が始まった。
秋田駅長名の掲示
工事自体は昨年12月15日から今年4月29日。そのうち、1月10日から4月19日は、「中央改札に作業足場が設置されるため、一部自動改札がご利用できません」とのこと。
改札の外から見て、在来線側は左から3台目の出場専用、新幹線側は左端の入場専用と右端の出場専用の計3台の改札機が使えなくなるようだ。
掲示では、ご丁寧に足場設置イメージ図が出ていて、改札口前に柱が乱立するように見える。
工事開始直後の時点では、
新幹線側にでーんと足場
たしかに、新幹線側2台は足場が立ちはだかっていて通れない。乗降客は、足場の間をくぐる形で入出場することになる。

横のNEWDAYSの展示スペースも少々影響を受けている。
しかし、在来線側は足場が設置されていない。予想図のように一度に足場を複数立てるのではなく、順次移動しながら工事するということなのだろうか。
【17日追記】写真は13日撮影。その後、15日頃までには、改札口外のNEWDAYSの前方向に足場が延長され、柱の数が増えた。徐々に拡大していくということだろうか。【19日追記】18日頃には、横方向に拡大して在来線側にも延長。

在来線改札内から
駅舎の天井のカーブに合わせた階段状の足場になっている。

このほか、みどりの窓口内や改札内の各ホームへ降りる階段では、
天井に青いネットが張られている(中に足場があるのかな)
【21日追記】みどりの窓口隣の待合室、自由通路側トイレにも、同様にネットが張られている。
この影響で吹き出し口が支障されて暖房が使えないらしく、みどりの窓口や待合室には、石油ストーブ(いわゆるブルーヒーター)が複数台置かれている。待合室のテレビも撤去されている(工事に伴う一時的なものである説明書きあり)。
なお、自由通路のトイレ自体は2013年夏頃にリニューアルされている。

この工事は、掲示によれば「天井耐震補強工事」。
駅舎自体は耐震基準を満たしているはずだが、東日本大震災時の体育館などの天井板の落下を受けての補強ということだろうか。
秋田駅中央改札口では、雨漏り(この記事後半)も見られた。あと、奇妙な表示が見られる発車標もある。その辺りはどうなるでしょう。

※続きはこの記事中ほど
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年末年始のテレビ

2015-01-14 23:58:19 | その他もろもろ
年末年始のテレビ番組から。
●初詣報道
恒例となった、NHK各局の初詣報道の比較。※昨年の記事
秋田局では、今年はやらなかった気がする。他にも、ネットで見る限りでは長野局、宮崎局、沖縄局などいくつかは初詣のニュースがアップされていなかった。
そうした局では、秋田のなまはげのような、各地ならではの行事を報道している。
※最近知ったけど、沖縄のNHKの放送局は「那覇放送局」ではなく「沖縄放送局」なんだ。所在地の市名でない曲名を名乗るのは、沖縄局だけだそうだ。2006年まで豊見城市に局舎があったからなのか、米軍統治下の「沖縄放送協会」の名残なのか。

では、一部局の過去3年の参拝の描写を並べて比較してみます。
※たまたま2013年からの記録が残っている局で、各年の原稿の中から同じ光景の描写に相当する箇所を抜粋したもの。県域局と拠点局で同じ場所が報道(京都局と大阪局両方で伏見稲荷等)され、それぞれで言い回しが若干異なっているものもあったが、その場合は取材を行った(直接原稿を作成した)であろう県域局のものを優先。

青森局(善知鳥神社)
2013「さい銭を投げ入れてから、静かに手を合わせたり、絵馬に願いごとを書き入れたりして、ことし1年の幸せを祈っていました。」
2014「さい銭を投げ入れたあと、拝殿の前で手を合わせてことし1年の家族の健康や商売繁盛などを祈っていました。また、境内では、縁起物の熊手や絵馬がついた破魔矢などを購入したり、おみくじを引いたりする人たちの姿も見られました。」
2015「さい銭を投げ入れたあと、拝殿の前で手を合わせて、ことし1年の無病息災や商売繁盛などを祈っていました。」

山形局
2013(鶴岡市・荘内神社)「順番にさい銭を投げ入れ、それぞれ新年に向けた願いを込めて手を合わせていました。」
2014(護国神社)「順番にさい銭を投げ入れ、新年の願いを込めて手をあわせていました。」
2015(護国神社)「さい銭を投げ入れては手を合わせ、家族の健康やことし1年の幸せを願っていました。」

千葉局(成田山新勝寺)
2013「線香の煙で身を清めたあと、次々に大本堂に上がってさい銭を入れ、手を合わせてことしがよい年になるよう願っていました。」
2014「線香の煙で身を清めたあと大本堂へと進み、さい銭を投げ入れて新しい年への願いを込めて手を合わせていました。」
2015「線香の煙を手であおいで身を清めたあと、大本堂でさい銭を投げ入れ、この1年の願いを込めて静かに手を合わせていました。」

静岡局
2013(静岡浅間神社)「訪れた人たちは次々にさい銭を投げ入れて無病息災や家内安全を願っていました。」
2014(富士山本宮浅間大社)「大勢の家族連れや若者らが訪れ拝殿の前に設けられたさい銭箱に次々とさい銭を投げ入れ、家内安全や無病息災など手を合わせて祈っていました。」
2015(袋井市・法多山尊永寺)「集まった家族連れや若者がカウントダウンをして午前零時になるとは一斉にさい銭を投げ入れて1年の無病息災を願いました。」

京都局(伏見稲荷大社)
2013「順番にさい銭を投げ入れては手を合わせて商売や仕事がうまくいくことや家族の健康などを祈っていました。」
2014「順番にさい銭を投げ入れて商売繁盛や家族の健康を祈っていました。」
2015「順番にさい銭を投げ入れては商売繁盛や家族の健康を祈っていました。」

松江局
2013(出雲大社)「さい銭を投げたあと、かしわ手を4回打つ、出雲大社独特の方法で手を合わせ、1年の幸せを願っていました。」
2014(出雲大社)「さい銭を投げたあと手を4回たたく出雲大社独特の方法で、ことし1年のそれぞれの願いを込めて、手を合わせていました。」
2015(八重垣神社)「訪れた人たちが良縁や家内安全などを祈っていました。」

高松局(金刀比羅宮)
2013(金刀比羅宮)「さい銭を投げては、手を合わせて幸せな1年を願っていました。」
2014(金刀比羅宮)「さい銭を投げ入れ、この1年の願いや決意を込めて手を合わせていました。」
2015ネットには未掲載

福岡局
2013(愛宕神社)「参拝の順番になると、丁寧にさい銭を投げ入れては、新年への思いを込めて手を合わせていました。」
2014(太宰府天満宮)「初詣のために用意された大きなさい銭箱にお金を投げ入れ、それぞれの願いを込めて手を合わせていました。」
2015(太宰府天満宮)「新しい年を無事に過ごせるようにと願う家族連れや合格を願う受験生など、大勢の人が参拝に訪れました。」

大分局(宇佐神宮)
2013「さい銭を投げ入れたあと、拝殿に向かって手を合わせ今年1年の無事や健康を祈っていました。」
2014「さい銭を投げ入れたあと、拝殿に向かって手を合わせことし1年の無事や健康を祈っていました。」
2015「さい銭を投げ入れたあと、拝殿に向かって手を合わせことし1年の無事や健康を祈っていました。」

長崎局(諏訪神社)
2013「拝殿ではそれぞれさい銭を投げ入れゆっくりと目を閉じながら手を合わせ、願い事をする姿が見られました。」
2014「拝殿では参拝客が次々とさい銭を投げ入れては目を閉じて静かに手を合わせ、願い事をしていました。」
2015「さい銭を投げ入れて手を合わせ、新年の願い事をしていました。」

大分局などは3年連続でほぼ同じ。記載部分以外の内容も、インタビュー以外はほとんど同じ「使い回し」。
前も書いたけれど、日本人に伝えるニュース、しかもテレビという映像で伝えられる媒体なのだから「賽銭を入れて手を合わせる」なんて手順の説明はいらない。仮に伝えるのなら、神社ならば「賽銭を入れて、鈴を鳴らして、2回礼をして2回柏手を打ち、手を合わせて祈った後、1度礼をしていました」と正確に表現するべき(かどうかは分からない…)。
調査してもいないだろうに「今年1年の幸せを願って」いるのかどうかは分からない。(「昨年無事に過ごせたとの感謝」も初詣の大事な目的だと思うのだが…)
公共放送NHKでは、「多くの参拝客が訪れていました」といった事実の描写だけで充分だと思う。せいぜい松江局や長崎局程度の表現でいいのではないだろうか。

※翌2016年はこの記事後半。


●新春テレビ体操
正月(元日だったかな)に、NHK総合でテレビ体操の新春特番をやっていたのを、ちらりと見た。
いつもはローテーションで出演している、指導者とアシスタントが総出演。
さらに、ピアノ伴奏者も3名が出演。
グランドピアノ2台とシンセサイザー1台で「ラジオ体操第1」を演奏するという、豪華なようなよく分からないような体操だった。
【2016年11月28日追記】この時の奏者の1人に、幅しげみさんがいらした(シンセサイザーを担当していた?)。幅さんは、1980年代中頃には、「おかあさんといっしょ」のスタジオで子どもたちを座らせてお兄さんお姉さんが歌うコーナーで電子オルガン(エレクトーン)の演奏もしていた。


●特急乗り継ぎ旅
テレビ東京の路線バス乗り継ぎ旅シリーズ。
テレ東系では、1月3日に第19弾となる大阪から金沢の旅が放送されたとか。いずれ、岩手放送かBSジャパンでやってくれるでしょう。

バス旅の人気に気を良くしたのか、テレ東では、さまざまな交通手段による乗り継ぎ旅も製作し、系列局外でも放送されている。
道の駅駅伝、高速バス、航空機(空港巡り)、トラック(ヒッチハイク形式)、軽トラ(自分で運転)、タクシー(1台を乗り通す)、漁船(自分で操船)等々、よく考えつくものだ。そのうち「駕籠(かご)」「トライアスロン」とか出たりして??

昨年12月13日にテレ東系で放送された「列島縦断3200km 特急乗り継ぎ旅」が、IBC岩手放送で1月4日13時から2時間の枠で放送された。
鹿児島中央から稚内までを5日かけて、在来線特急列車だけで移動するというもの。バス旅と違って乗るばかりでなく、途中で観光することも多かった。
新幹線はもちろん、原則として在来線普通列車も利用できない。なお、第3セクター鉄道の特急(北近畿タンゴ鉄道)や寝台特急(サンライズ出雲)は、特急として認められていた。(今回ルートにならなかったが、制度上は在来線特急であるミニ新幹線区間のつばさやこまちはどう扱われるだろう?)
旅人は田中要次、八木さおり、中村昌也。

新幹線が延びた現在では、在来線だけで日本を縦断するとなれば、コースは限定される。
ただし、関門海峡で普通列車(特例)と徒歩を使ったほかは、遠回りすればすべての行程が特急でつながった。

気になったのは、「サンライズ出雲」に出雲市18時55分→姫路23時33分だけ、個室寝台に乗ったこと。
まず、一夜を明かさないのに寝台料金がもったいない。
それに、座席と違って寝台は整備が必要だからその部屋はその運行ではもう使用できず、姫路・三ノ宮・大阪から東京方面まで乗車する客の乗車機会を奪ってしまったことになる。(まあ、当日の予約だったし、他の部屋は空いていたようだけど)
いっそ東京まで乗ったらとも思ったが、それだと先がつながらなくなるものね。


東北地方を特急で進むとなれば、秋田を通るしかないのは想像が付いた。新潟から青森へ、いなほ→つがるのルート。
「いなほ5号」で秋田着16時13分、乗り換えて「つがる7号」で秋田発17時31分という計画。

秋田市での1時間強の待ち時間になるが、田中要次さんが「どこかに行ってお茶でも飲もう」などと言い出し、土崎のポートタワーセリオンへ向かうことにする。
※市の所有となった現在は「秋田“市”ポートタワー セリオン」が正式なようだが、番組では「秋田ポートタワー セリオン」と表記。指定管理者や秋田市も含めて、誰も正式名は使っていないんだけど…
※現在、セリオンは改装工事中なので訪れる方は要確認。

秋田駅西口から「勝平タクシー」に乗車。
平日(11月21日・金曜日?)のロケだったようで、その時間の新国道となれば、当然渋滞に巻き込まれた。
セリオンでお茶を飲むヒマはなく、展望台で雲が多い夕焼けを眺めて秋田駅へ取って返す(おそらく同じタクシー)。

西口に着いたのが、発車直前(3分くらい前?)。
中央改札口から入ったようだが、つがる7号は遠い8番線からの発車で、ギリギリで乗り遅れてしまった。

この部分の映像と音声について。
映像を見ると、新幹線ホーム(11・12番線)を走っているように見えた。7・8番線と同一平面上でつながっているのだが、新幹線改札口をどうやって通ったのだろう。「きっぷは車内で買うから」と新幹線改札から入れてもらったのだろうか。
また、発車ベルが聞こえるのだが、電子音のベルのような音。
秋田駅の発車はベルではなくメロディで、目黒駅などJR東日本エリア内で広く使われている、東洋メディアリンクス製「Water Crown」という曲。マイクで拾えなかったので、それっぽい音を入れたのだろうが、演出の範囲内ということか。

仮にタクシーを降りて逆方向の階段を上り、北側の「メトロポリタン口」から入れば間に合ったかもしれないが、初めて秋田駅に来た人には難解。
もしくは、秋田駅-土崎駅を普通列車で移動し、土崎駅-セリオンをタクシーで移動すれば、渋滞には巻き込まれなかっただろう。移動も含めて土崎に37分滞在できる。(番組ルール上許されたのかは知らないが、元の秋田駅に戻るんだからいいのでは?)
あるいは、セリオンのエレベーターがもうちょっと高速だったら、間に合ったかも。

ということで、後続の19時29分発「つがる9号」に乗ることにし、中通四丁目、JR東日本秋田支社脇というかホテルアルファーワンの裏の飲食店街にある「美味の店 町家」で、きりたんぽ(鍋でない串)やハタハタを食べる。

この秋田での失敗で、田中さんは他の2人から責められることになった。
田中さんは写真を撮るのが上手なのだが、こんなエピソードが。
天橋立で「股のぞき」の状態で写真を撮ろうと苦労し、「そんなことしなくてもカメラを逆さにすればいいのでは?」と言われるも、リアルな状態で撮ることに意味があるといった趣旨のことをおっしゃった。ところが撮影した画像を見ると、カメラが気を利かせて画像を上下反転させてしまっていて、あの苦労が意味のないことになっていたという一件がおもしろかった。(手動で再度反転させれば、期待通りの画像になるでしょう)


●日本版ポワロ
1月11日・12日に、フジテレビ開局55周年特別企画のドラマ「オリエント急行殺人事件」が放送された。
アガサ・クリスティーのポアロシリーズの作品を、三谷幸喜が昭和8年の日本を走る架空の「特急東洋」を舞台に翻案したもの。
11日(と12日の結末)は原作に忠実に、12日は犯人側の視点から描くオリジナルの内容。

僕はドラマも映画もほとんど見ないけれど、「名探偵ポワロ」や「古畑任三郎」など三谷幸喜作品の一部は好き。
古畑以来のミステリー物の三谷作品ということで、楽しみに見た。
「オリエント急行~」は、本家名探偵ポワロシリーズ(シリーズ自体がNHKでは昨年完結)では、2010年製作・2012年NHK放送で映像化されており、見たはず。

まず、撮影に使われた蒸気機関車は、JR東日本「SL銀河」の「C58 239」。
C58は昭和8年当時にはまだ登場していない形式だとか、史実と比較すればツッコミどころはたくさんあったが、そこにツッコんではいけない。舞台そのものが架空の世界なのだし。

エルキュール・ポアロは、勝呂武尊(すぐろたける)とされ、野村萬斎が演じた。
原作の使用はイギリスの著作権者の承諾を得ており、萬斎さんのキャスティングも好意的に受け入れられたらしい。
NHKでやっていたデヴィッド・スーシェ演じる小太りのポワロのイメージからすれば、萬斎さんは細身だし若い。
【17日追記】三谷幸喜による朝日新聞連載エッセイ「三谷幸喜のありふれた生活」で、萬斎ポアロの風貌について述べられていた。
連載735回。秋田では17日付けに掲載されたが、夕刊発行地域では15日夕刊掲載?
原作には「ポアロが太っている描写はどこにもない」上、頭が禿げているかどうかも分からないそうで、「我らが野村萬斎ポアロも、決して原作から遠いわけではないのです。」(以上追記)
萬斎さんの話し方は、ものすごくポワロ(というか熊倉一雄さんの吹き替え?)を意識したモノマネのようにも感じるもので、どことなく本業の狂言っぽくも思えて、最初は笑ってしまった。

でも、古畑任三郎だって、20年前の最初はそんな受け止め方だったかもしれない。
古畑だって「和製コロンボ」とも言われ、「刑事コロンボ」からトリックやエピソードを拝借しているものが多い(あちらの承諾は得ていないだろうけど)。
田村正和といえば古畑任三郎になったように、野村萬斎といえば勝呂武尊となるような、続編を期待してもいいかもしれない。

松嶋菜々子、二宮和也、八木亜希子(元フジテレビアナウンサー)、富司純子、西田敏行など共演者もそうそうたる面々。
両日とも、見応えがあっておもしろかった。

【2016年1月25日追記】2016年1月に、NHKBSプレミアムで1974年のイギリス映画「オリエント急行殺人事件」を見た。監督・シドニー・ルメット、ポワロ役・アルバート・フィニー、字幕。
テレビ版のポワロよりも、少々嫌味な性格にされていた。そして、全体の雰囲気が、上記の日本版ドラマにとてもよく似ていたように感じた。

※期待通り続編が作られ2018年4月14日放送。「アクロイド殺し」を原作にした「黒井戸殺し」。


●あぐりさん
その野村萬斎(二世)の名が広く知られたのは、1997年のNHK連続テレビ小説「あぐり」。
ヒロイン・望月あぐり(田中美里)の夫、エイスケを演じた。
ちなみに「オリエント急行~」に出ていた草笛光子は「あぐり」にも出ていた。(さらにちなみに鈴木砂羽、関口知宏なども「あぐり」で初めて知った)

昨今の朝ドラはぜんぜん見ないけれど、個人的に歴代でいちばん好きでおもしろかった朝ドラが「あぐり」。
毎日欠かさず見たし、偶然だけど原作本まで読んだ。
なんとなく全体が明るく楽しく、かといってドタバタしない流れだったし、特にエイスケさんの個性が光っていた。

原作は、美容師・吉行あぐりさんの自伝エッセイ「梅桃(ゆすらうめ)が実るとき」。
あぐり(本名・安久利)さんは吉行和子、吉行淳之介などの母で、日本最高齢の美容師免許所持者だったのだが、今年1月5日に107歳で亡くなった。
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さらばNaランプ

2015-01-13 23:47:31 | 秋田の季節・風景
いくつかの変化が生じている、秋田市中心部の千秋トンネル
1か月ほど前には、開通以来設置されていた送風機(ジェットファン)が撤去された。
その後、12月中頃から、トンネル内の照明をLED化する工事が進められている。
正月の千秋トンネル保戸野側
上の写真では、右の南側は天井際壁面にナトリウムランプが灯っていて、これは従来通り。
左側は、壁面の低い位置に照明が灯っている。これは仮設の照明。ナトリウムランプは撤去済み。

工事は片側ずつ行い、先に北側(保戸野から手形へ進む車線側)から施工。
手順としては、仮設照明を設置、既存のナトリウムランプを消灯して撤去(&配線穴にカバー)、LED照明の台座と灯具を設置という流れらしい。
各作業は、プレハブ事務所がある手形側から可動式の足場を動かして進めている。
顔の近くに仮設照明があるので、ちょっとまぶしい

正月の段階では、ナトリウムランプ撤去跡にLED照明の台座らしき金具が設置されていた。
赤で囲ったのがナトリウムランプ跡。中央の円は配線をふさいだ穴だと思われる
さらに一部では、
これがLED照明?
トンネル中央部にグレーの弁当箱のような物体が数台設置されていた。これがLED照明のようだ。
箱の中身にLEDと思しきものが見えるが、配線や回路がむき出しで場所を取っていて、思ったより不格好。
明るさなど効果を検証するために、いちばん暗いトンネル中央部に試験的に付けてみたということだろうか。

調べてみると、トンネル用灯具は、パナソニック、東芝ライテック、岩崎電気などが製造しているが、どこも似たような弁当箱状。
千秋トンネルのは、LEDの配置からすれば東芝ライテック製ではなさそう。


そして今週。(先週は見ていません)
最初と同じ保戸野側
正月まで工事されていた左の北側は、高い位置に白い照明が点灯している。LEDが設置され、稼働したのだ。
南側
今度は南側のナトリウムランプが消灯し、仮設照明が点いている。北側よりは少し高い位置になっているのは、まぶしいと苦情があったのか(作業する人もまぶしそうだし)。手形側からナトリウムランプの撤去が行われていた。

いざ、LED照明のトンネル内へ。
2つおきに点灯
ナトリウムランプ時代と同様に、一部の灯具だけが灯っていた。
よく見ると、
 
灯具は2種類あるようで、大きさと角度が違っている。
この時点灯していたものはやや下向きでやや小さい灯具なので、これが歩道用、消えていたほうがやや横向きで大きい車道用ということだろう。
消えているほうは横長で、LEDにレンズや反射鏡のようなものが付いている。

点灯しているLEDは、真下から見るとまぶしくて直視できない。
街灯(防犯灯)のLEDを4~5本まとめて並べたような感じ。

LEDの特性上、場所によって明るさに少しムラはあるが、明るさとしては充分。本が読めそう。
今のところは、車道部分は従来より暗い感じもするが、車道用が点灯すれば当然明るくなる。(秋田市ではトンネル内ライト点灯を呼びかけているが、無視する車も少なくない)
【14日追記】照明の「台」数で比較すれば、ナトリウムランプ時代より少なくなっているが、灯具の大きさ・明るさ・消費電力・価格が違うので一概には比較できない。ただ、LEDはナトリウムランプの半分程度の消費電力で済むらしいし、送風機撤去もあって、全体で相当の消費電力節減にはなっていると考えられる。
【21日追記】車道照射用と思われる灯具は、入口である保戸野側から途中までだけに設置(出口側にはなし)されていた。昼間にトンネルに入った車の運転者の目が、中の暗さに慣れる(暗順応)のを補助する目的なのだろう。歩行者用は全域に等間隔に設置。【30日追記】末尾の追記の通り、入口から全長の61%付近の地点までに設置されている。
【2月20日追記】2月中旬頃は引き続き何らかの工事(配線など?)が行われ、今まで消えていた車道用の照明も点灯しているのに遭遇した。かなり明るい。


改めて思い返せば、ナトリウムランプの頃は、薄暗いオレンジ色一色の世界で、トンネル内独特のどこか重苦しい不気味なような感覚に包まれていた。
LED化された今は、外と変わらない色のある世界で、少し気分が軽くなった気がした。
(再掲)ナトリウムランプ当時

LED化後。壁はこんな色で、柵はこんな色だったのか(しかも途中で違っている)と新たな発見
これなら、心霊スポット疑惑も払拭されるかもしれない。(むしろ手形側の切り通しのほうが“出そう”な雰囲気だけど…)


送風機と同様、おそらく開通時から36年間活躍していたナトリウムランプも姿を消した。
昼間に街中で、歩行者がこれほど長い距離のナトリウムランプだけ(他の照明が混在しない)の灯りの下を歩けた場所は、そう多くはなかったのではないだろうか。
小学生の時、学校行事で千秋公園への行き帰りにクラスで列になってトンネルを通った。「服の色が変わった」「白い紙がオレンジ色になっちゃった」「顔色が悪いよ」「君もだよ」などとふざけ合っていたものだが、そんなことはもうできくなる。

設置されていたのは、おそらく「低圧ナトリウムランプ」というもの。
単色ではあるが、コントラストが高くなるので視認性は高く、霞んでいる時も見通しが利き、虫が集まらず、寒さに強いといったメリットはあるという。(Wikipediaより)
【2019年10月15日追記】蛍光灯など照明器具の中にある「安定器」に有害なPCBが含まれていた時期があり、現在、その廃棄や保管の方法が定められている。低圧ナトリウムランプにもPCB安定器が使われていたことがあったが、千秋トンネル建設の少し前の時期にPCB不使用に切り替わっているそうなので、おそらく問題なく処理できたと思われる。
 
おつかれさまでした。


ところで、明徳小前へ上がる坂の下と歩道の間の空きスペースに建てられているプレハブの工事事務所前には、
例の緑看板
道路工事でこの看板が設置されているのって、初めて見た。「照明灯を新しくしています」看板があるのだし、不要なような気もするけれど、いまいち設置基準が分からない看板だ。

※その後、1月24日までには南側のナトリウムランプがすべて撤去され、LED用の配線が施された。1月29日には南側でもLEDの設置が完了した。北側同様の設置方法で、車道向きは消灯・歩道を照らすLEDだけが点灯している。仮設照明は消灯したが残っている。
【1月30日追記】トンネル内に密に等間隔に並ぶ95本の柱に、トンネルの点検時にチョークで番号が振られていた。それを元に、車道用と思われる、入口側から途中までにだけ設置され、現時点では消灯している灯具が何番の柱付近まで設置されているか、検証した。その結果、北側は1番から58番付近まで、南側は95番から37番付近まで、すなわちどちらも入口から柱58本分=全長の61%の所まで設置されていることになる。

※千秋トンネルについての次の記事
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秋田から伊勢へ

2015-01-12 18:14:32 | 旅行記
そんなわけで、伊勢へ出発。
天気予報では、初日は全国的に雨がち、2・3日目は西高東低の冬型なので向こうは雨の心配なし。
旅立ちの朝の秋田は曇っていて暖かい(プラス2度ほど)。時系列予報によれば向こうでも雨に当たらなそうと好意的に予測して、傘は持たずに出発。
駅までは始発の路線バス。6時台だから朝の渋滞前だし、この日は路面の雪や氷もないから、定刻で来るかと思ったら、5分も遅れて来た。
積雪時のラッシュ時ならば遅れるのも雪国の宿命だと理解というかあきらめなければならないが、この状態でこんなに遅れるとは、やっぱり抜本的なダイヤ見直しが必要なのではないだろうか…
時刻表上は次のバスでも間に合うのでそっちに乗ろうかと思っていたが、この調子では危ないところだった。早いバスにして良かった。

秋田駅12番線の毎度定番のアングル
こまちの2番列車で秋田から東京まで4時間弱。
いつもなら大宮か上野で新幹線を降りて在来線へ乗り換えて、特急料金を浮かせるけれど、今回は同行者がいるためそうもいかず、久々に東京まで乗り通す。

内陸部の大曲に来ると、雪が多い。毎年そう感じてしまうので、例年との比較ではなく見た実感としての多さだ。
岩手県に入ってすぐ辺り?
岩手県に入っても、やや減るが雪は積もっていて、盛岡市も秋田市並みの積雪量のようだ。
仙台の手前で雪はなくなった。

この日は、帰省の戻りは一段落し、向こうの学校の冬休み最終日、かつ仕事始め直後というためか、車内の客は少ない。1番列車は通過するため朝イチのこまちとなる角館、田沢湖、雫石からもあまり乗ってこなかった。
小さな子ども連れは何組か乗っていたけれど、みんなかなりおとなしい。朝早いからか、最近の子はそうなのか。
E6系の乗り心地・座り心地も良好(最初は印象が悪かったのに…)で、気がつけば東京。快適な旅の始まりとなった。


今回は(今回も?)東京は素通りして、30分ほどの待ち時間で早々に東海道新幹線へ。
新幹線改札を出て駅弁屋「祭」で昼食を買ったけれど、昼前だからか店内はてんやわんや。恐れをなして適当に選んでしまい、やや失敗。

名古屋まで行くわけだが、以前も触れたように「のぞみ」は車内の雰囲気が殺伐としている上に指定席料金が高く、自由席は3両で混雑する。さすがに「こだま」は時間かかるので、間を取って(?)「ひかり」の自由席。
名古屋までなら所要時間は「のぞみ」とほぼ同じで、「ひかり」は自由席が5両あるので、始発駅の東京なら確実に着席できる。

この日も、「のぞみ」の自由席は長い列(でも全員座れる程度)なのに、3分後の「ひかり」は各車両10人くらい。
しかも車両は最新(2007年登場)の「N700系」。
E6系よりは不格好? これは真っ白だけど鼻先が黒くなっていた車両もあった
初乗車のN700系はE6系と類似する点も多く、快適。(新幹線の旅については後日別記事にて

この「ひかり」は新大阪行きで、停車駅は品川、新横浜、小田原と名古屋から各駅。
すなわち、名古屋までなら「のぞみ」との違いは小田原に停まるだけ。東京で3分先行する博多行き「のぞみ」より、5分遅く名古屋に到着するだけ。ちなみに新大阪には20分違いで到着。
こちらの車内では、子ども連れが数組。空いている「ひかり」をあえて狙っている人もいそう。こちらの子どもたちも、比較的おとなしい。ゲーム機をいじっていたからか。
「のぞみ」が停まらず、「ひかり」が2時間に1本の速達列車である小田原からも、乗ってきた人はそんなに多くない。

「ひかり」乗車は久しぶりだったけれど、楽しみにしていたことがあった。
たまに乗る「こだま」では廃止された、車内販売のスジャータのアイスクリームである。
JR東日本エリア(NRE。在来線でも売っている場合あり)では「青森県産りんごアイス」を限定販売しているように、東海道新幹線(ジェイアール東海パッセンジャーズ)限定のアイスもあるという。
「愛知・静岡県産メロンアイス」と「神奈川・静岡県産みかんアイス」。(メロンは9月から10月くらいしかないらしい)

車内販売のアイスは、東日本では昔は保冷箱とかカゴに入れて単独で売りに来ていたものだが、最近はワゴンに小さい保冷箱をくっつけていっしょに売っている。(ただし、頼んだら積んでいなくて、取りに戻ってくれたこともあった)
東海道ではどうかと様子見。1度ワゴンが回ってきたものの、保冷箱は積んでいなさそう。次来たら聞いてみようと思ったのに、いつまで経っても来ない。
やっと来たのが三河安城駅通過中。名古屋到着の10分前である。ガチガチの車内販売アイスを食べるのは無理なので断念。帰りは「こだま」に乗ったので、限定アイスはまたの機会に持ち越しとなった。

その頃、車掌によるこんな放送が入った。
「先ほど、三河安城駅を時間通りに通過いたしました。あと9分で名古屋到着です。お降りのお客さまは…」
そうそう。のぞみやひかりでは、こういう案内が入るのだった。(タモリさんが言っていたんだっけ?)

東京から名古屋までは、時折窓に雨粒が付き、ほとんどどんよりと暗い曇り空の中だった。
浜名湖
富士山は見えるはずもなく、茶畑やミカンの木は雨に霞み、浜名湖は空と同化した暗い色。

印象的だったのは、東京駅を出てすぐ「ドクターイエロー」とすれ違ったことと、小田原の手前(平塚市付近?)で
虹が出ていた!
だいぶ太く、両端まで良く見える虹だった。

秋田を出てから6時間と3分で名古屋まで到達。個人的にはけっこう早く感じられた。


ここで近鉄に乗り換え。名古屋も素通りして伊勢へ急ぎたいところだが、きっぷを買わないといけない。
JRの名古屋駅と近鉄の「近鉄名古屋」駅は隣り合っていてつながっている(名鉄や地下鉄も)が、きっぷ購入のためいったん外へ。
以前通ったことがあったので、近鉄百貨店の下である駅の場所は分かっているが、入るのは初めて。

事前の調べでは、百貨店の1階が正面改札で、地階にも大きな改札があり、どちらでもきっぷは購入できる。
道案内もあって分かりやすいが、行きも帰りもどうがんばっても地階の改札にしかたどりつけなかった。
ホーム自体が地階にある行き止まり構造の地下駅なので、改札と列車がすぐそばなのは便利ではあるが、上の中央改札も見てみたかった。
外側から地下改札。左が窓口、右が改札口ですぐにホーム
窓口が混雑していたら乗り遅れるかと心配していたが、待たずに買えた。
連休などは混むのかもしれないが、すぐ近くに近畿日本ツーリストもあるので、そっちで裏ワザ的に待たずに買えたりするのかな?

近鉄ではネット予約の特急券以外は、クレジットカード決済できない。
自動券売機では「PiTaPa」以外のIC乗車券も使用できず、よそ者は現金決済オンリー。

「伊勢・鳥羽2dayフリーきっぷ」を購入。
JRのよりやや大きい、横長で裏が白いきっぷ3枚と観光施設割引券と案内を兼ねた厚手の紙が渡された。JRの企画乗車券のように「ご案内」とか「アンケート」が何枚も出てこなくてすっきりしている。
横長裏白だから自動改札は利用できない。
 
3枚の切符の内訳は、「名古屋→フリー区間最初の下車駅(行き)」「フリー区間内の鉄道 兼 フリー区間→名古屋(フリーパス&帰り)」「バス用フリーパス」の構成。
名古屋からの券は最初に降りる時に渡してしまうこと、フリーエリア内と帰りが同じ券なので紛失しないこと(他社でもよくある方式)、フリーエリア内でも鉄道用とバス用は違う券なので間違えて提示しないことに注意。

特急券はもちろん窓口でも買えるけれど、じっくり席を選びたかったので、自動券売機で購入。
JRグループと同型のタッチパネル式(いわゆる「MV」端末)でシートマップ(座席表)を見ながら自由に席を選べる。
昔からの壁にムリヤリ新型券売機を埋め込んだらしく、設置位置が高すぎるところに、画面が上向きに傾斜しているから、液晶の視野角の外から見上げるような形で操作しなければならず、扱いづらかったのはなんとかしてほしい。
直近の列車で、空席が多そうな号車の海側を伊勢市駅まで確保した。

ここまで、新幹線を降りてから20分弱で完了した。特急発車まであと15分ほど。
余裕を持って段取りできて、あとは乗るだけなのでひと安心。


さて、僕が近鉄に乗車するのは今回で4度目のはず。
最初は高校の修学旅行で京都から奈良まで特急、あとは名古屋~津付近の2度の旅行で普通列車。【2月19日追記】忘れていたけれど、そのうち2010年には線路の幅がとても狭い「ナローゲージ」である四日市の内部・八王子線に乗った。同路線は、2015年4月から近鉄から離れて、公有民営方式による「四日市あすなろう鉄道」となる。(以上追記)
秋田にいては縁のない近鉄だけど、子どもの頃「特急ものしり百科」の類で読んだ、2階建てでオレンジ色に紺(ネイビーブルー)のラインが走る「ビスタカー」は、国鉄とは違う個性的な特急として印象づけられていた。
高校の修学旅行では賢島行きビスタカーの2階席だったけど、夜で何も見えず…
したがって、意識して近鉄特急に乗るのは、今回が初めて。

近鉄の特急について。JRなどとの大きな違いは「こまちx号」といった、愛称や号数(列車名)が付与されないこと。「○時○分発で○○まで」と予約する。
列車名を意識しなくても済むほど特急が系統立てて多数運行されているということであり、考えてみれば別に列車名などなくてもいいけど、JR方式に慣れた者にはちょっとしたカルチャーショック。
なお、「ビスタカー」とか「アーバンライナー」とかは、列車(ダイヤ)に対する愛称ではなく、車両に対する愛称。「しまかぜ」のように、実質的には列車名と同等に扱われている場合もある。

名古屋から伊勢方面へは、昼間は毎時2本の特急が運行されている。「名伊特急」と称されるようだ。
原則として名古屋毎時10分発の賢島行きと50分発の鳥羽(賢島より手前止まり)行き。

使われる車両タイプはいろいろある。一部時刻表や公式サイトの空席案内では識別できるのだが、列車名がなく、所要時間は同じなので、最初はこの違いがよく理解できなかった。
まとめると、伊勢方面では、現在次のタイプが走っている。
・しまかぜ
全席がグリーン車に相当する「デラックスシート」かそれ以上という、話題の豪華列車。1日1本で他の特急とは別のダイヤ。
・アーバンライナー、伊勢志摩ライナー
グリーン車相当の「デラックスカー」と普通車「レギュラーカー」がある、比較的新しい車両。
アーバンライナーと伊勢志摩ライナーで外観や内装は異なるが、結局はそんなに違わなさそう。
・ビスタカー
かつての近鉄のフラッグシップ車両。デラックスカーはないが2階建て席がある。
・無名
平屋のレギュラーカーのみの車両。
運転本数としては無名が最多で、それ以外が1時間に1本あるかないの頻度。

ホームに入る。あまり新しい雰囲気ではない。お菓子などの専門売店がいくつかあり、キオスク的存在の小型のファミリーマートがある。
発車10分前、車内整備が済んだ状態で列車が入線
今回乗る車両は無名の一般タイプ。印象にあるビスタカーと同じ顔だが、2階建て車両はない。
形式表示など見ないでしまったが、1970年台後半に登場した「12400系」の一族らしい。
子どもの頃本で見て修学旅行で乗ったビスタカーの30000系(今も現役)と同時期の設計・製造で、共通点が多いようだ。車内は太陽のような明るいイメージで「サニーカラー」でまとめられたことから、「サニーカー」とも呼ばれたそうだ。(現在の車内はリニューアル済み)
車内
時代を感じさせる車内。
国鉄特急を知る者としては、それと通ずるものもあり、初めて乗ったけど懐かしい気分になった。

15分前の購入時はガラガラだったはずなのに、ビジネスマンなどがけっこう乗り込んできた。直前の予約が多いようだ。

席に荷物を置いて、発車まで時間があるので先頭に行ってみると…
むむっ?!
後ろ4両はビスタカー顔の12400系で、その前2両だけは塗装は同じだけど丸っこくて屋根が高い、新しめの車両が連結されていた。

1992年登場の22000系、愛称「ACE」。(元々は「エーシーエー」らしいが、「エース」も公式に使われる)
アーバンライナーと同時期の製造で、その汎用版という位置付けらしい。

近鉄の無名の特急は、編成を組み替えて臨機応変な車両運用をしており、今回のように旧型と新型が混結することもあるのだった。新型のみのものも目撃した。
外から見ると、ACEのほうが車内もきれいそうだし、空席も多い。改札口から遠くて敬遠されたのだろうが、こっちにしておけば良かった!(帰りも、照明や荷棚はリニューアルされていたが、古い車両でした…)

近鉄はレール幅は新幹線と同じ標準軌だけど、車体幅は狭軌並み。ミニ新幹線みたいな感じか。天井は高い気がした。
座席は、今どきでは珍しくなった、リクライニングさせなくても違和感のない背もたれの座席(今の座席は、各自少し倒して座る前提で前のめり気味がデフォルトのものが多い)。リクライニングは途中でも止まる(フリーストップ)けど、座面が連動して前に出る。
肘掛けには布が張られ、座席間にはなし。テーブルは肘掛けに小さいものが収納されており、前方の背もたれには網袋のみ。
2列連続の窓の構造や位置関係とか座席の座り心地は、485系など国鉄特急に似ている。
最高速度120km/hの走りも、北陸本線や常磐線を485系電車で走っているのを連想させられるような、力強く懐かしいものだった。
車内に独特の「ニオイ」が漂っていた。イヤな臭いじゃないけど、好んで嗅ぎたくもないような、どこか懐かしいような。「近鉄臭」?(帰りの同型車ではしなかった)

車内販売は土休日の一部列車のみで実施。この車両は自販機もない。
車掌はJR東日本と同様の発券状況が分かる端末を持って巡回するので、(正しい席に座っていれば)車内検札はなし。

名古屋駅ホームでは、発車前にウエストミンスターチャイムと「ドナウ川のさざ波」というメロディが流れる。
名古屋を出て10分。
三重県境の木曽川を渡る
以前訪れた国道1号線尾張大橋がすぐ下流側を並走。
さらに2分ほどで、
長良川と揖斐川を渡る(以上が「木曽三川」)
同じく以前訪れた伊勢大橋は約1.4キロ、長良川河口堰は約1.8キロ下流に位置するが、雨に煙っていた。すぐに桑名着。

近鉄特急では、方面によっては途中の停車駅パターンを「甲」「乙」2タイプ用意し、「名伊甲特急」などと呼ぶ(一般人にどの程度認知されているかは知らない)。
今回乗ったのは、停車駅が多い乙特急で、伊勢市までは、桑名、近鉄四日市、白子、津、松坂、伊勢中川に停車。(甲特急では津だけ)
「白子(しろこ)」は初耳の地名だが、鈴鹿市。市役所などへは近鉄の別路線に乗り換え。

桑名や四日市で降りる人は少なく(JRの快速を使うのか)、白子、津、松阪でだいぶ降りて、乗り込む人は少なく、車内は空いた。
これは確実にタモリさんが言っていた(テレフォンショッキング内)が、以前、津へのアクセスの主流が近鉄であることを知らずにJRで向かったら、津駅で降りたのはタモリさん1人だけだったとか。(南紀方面への特急を使ったのかな。快速だったらさすがにそれはない)
【13日追記】そう言えば、以前津市を訪れた時、街中の観光案内が足りなく、観光地である伊勢を控えているのにいかがなものかと苦言を呈した。でも、鉄道で伊勢・鳥羽方面を訪れるとすれば、距離や宿泊施設の分布からすれば津で降りる必要はなく、基本的には素通りする街なのだった。

津から先は、初めて足を踏み入れる土地となる。
木曽三川や四日市の工業地帯を過ぎれば、あとは特に目を引く車窓風景はなかった。海側の席でも海は見えないようだ。
極端な田舎でも極端な都会でもない、住宅地と田畑が繰り返されるどこにでもありそうなものだが、初めて来たこの町でも、誰かが毎日の暮らしを送っていると思うと、旅情がかき立てられる。

松阪市の「伊勢中川」駅は、名古屋、大阪、宇治山田(鳥羽・賢島)方面の3路線が分岐する、近鉄の要衝。特急列車どうしの接続が取られ、乗務員が交代する。
びっくりするのが、左右両側のドアが開き、どちらからも乗り降りできること。(階段を使わないで乗り換えられるのは、どちら側ですという案内はある)行き帰りとも、右側のドアが先に開くとの案内があった。
JR以外の私鉄の一部では、ホームの構造上両側のドアが開く場合はあるが、乗車用と降車用で左右を分離するのが多いはず。そうでないのは初めて経験した。

伊勢中川の手前では、
本日2度目の虹
東海道の虹よりは細いけれど、青空に高くアーチを描いていた。

名古屋から1時間20分、秋田を発ってから7時間56分で伊勢市駅に到着。短くはなかったが、疲れはない。(大昔に秋田から歩いて伊勢参りしていたのに比べれば、ものすごく高速でラクだとも言える)
天気は良くなかったけれど2度も虹を見られたし、伊勢の街は雨上がりで日が差して、何やら幸先が良さそう?!(少なくとも傘を持ってこなくてギリギリ正解だったのにほっとした)

伊勢市駅のホームに降りると、すぐに改札口があるが、伊勢神宮へ行く場合はここを出てはいけない。
長い跨線橋を渡って、反対のJR側(南側)の改札口を出たほうが近いから。改札口も共用なので、JR東海の駅員に近鉄のきっぷを渡して出場。
このアングルではJR専用の改札口っぽいが、近鉄もここから出入りする。近鉄の券売機などは後方に控え目にある
今日のうちに外宮参拝をしておく

※近鉄のついてはこの記事も参照
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伊勢参り計画

2015-01-10 23:58:53 | 旅行記
日本人ならいつかは行かなければと思っていた伊勢神宮。
だけど、なんとなく踏ん切りが付かず、というか積極的に行く気にはなれず、いつかきっと行こうと考えるくらいだった。

ところが、成り行きでお伊勢参りに行く機会を得た。
同行者がいるのでいつもほど気ままではないし、20年ごとの式年遷宮も終わった(遷宮は2013年、その翌年である2014年はご利益が増す「おかげ年」とされた)とは言え、まだ正月気分の頃なので混雑しそうなのは気になったけれど、これも縁、出かけてきました。

結論としては、思った以上に良い旅ができました。
というわけで、これから旅行記をアップします。今回は計画編。

旅行に先立って、ネットで情報収集。(←成り行きで行くことになったのに、計画は自ら進んで立てるという…)
他の観光地なら、ガイドブックには載っていないトクだったりマニアックな情報がネットで得られるものだが、伊勢に関しては、ガイドブックでも分かるごく基本的なものが多かった気がする。
時々拝見している鉄道旅行好きな方々のホームページなどでも、JRでのアクセスは不利(後述)なエリアであるためか、伊勢旅行記は多くはなかった。
そんなこともあって、ここでは初めて伊勢を訪れようとする方々の参考になるような情報も載せておきたいと思います。
※2015年1月現在の事実と経験に基づくものであり、今後変更になる可能性があります。

秋田から伊勢へ旅行する人は、修学旅行で行った人(高齢世代?)もいるようだし、職場旅行などで行く場合もあるが、総数では行ったことがある人はあまり多くなさそう。
後述の通り名古屋まで行ってしまえば、後は単純で時間がかかる行程ではないのだが、心理的には遠いのだろう。
一部旅行会社では、秋田発のツアーやパックも出しているようだが、制約もある。自分でそれぞれ手配しても価格的にはそんなに違わないし、現地での融通も効くので、そうした。
結果としてはツアーより安く付いたと思うし、じっくり参拝できて良かった。


巨大な紀伊半島の東側にある伊勢へ公共交通機関で行くには、名古屋、京都、大阪から入るのが一般的。京都と大阪からは、近畿日本鉄道(近鉄)を利用。北・東日本からは、名古屋から入るのが効率的

名古屋までは新幹線、飛行機はじめお好みで行くとして、名古屋から伊勢までは、近鉄のほかJR線(3セクの伊勢鉄道経由)があり、ほぼ並走している。(※以前津へ行った時の記事参照)
約100キロの道のりで、所要時間は近鉄もJRも約1時間半で互角なのだが、JRは2人掛け座席の指定席があるものの、ディーゼルカーの快速で見劣りする。列車本数も毎時1本と近鉄の半分。
また、JRの乗車券の運賃は距離が長いほど割安になるものの、近鉄では鉄道の往復と伊勢周辺の路線バスでも使えるフリーきっぷを発売しており、それを使ったほうがトータルでは安くて便利。(JR側でもフリーきっぷを出してはいるが、バスではなくタクシーしか使えないなど、使い勝手が良くない)
したがって、名古屋から伊勢までは、JRをあえて利用する理由はないので、近鉄を利用することにした。(近鉄に乗ってみたかったという理由もあります)
近鉄は特急並みの速さで乗車券だけで乗れる「急行」もあるが、「特急」利用が一般的。特急は全席指定

近鉄のフリーきっぷについて。
伊勢神宮参拝向けの企画乗車券は、期間限定でよりおトクなものが出ていることがあるので、都度、ホームページ等で要確認。
今年1月初旬に名古屋から往復するには、次の3つがあった。(いずれも名古屋発・8%消費税込みの価格)
有効日数やフリー区間の範囲、受けられる特典(各種施設の入場割引のほか、伊勢神宮で置物がもらえたり、赤福3個もらえたり)が異なるが、それを別にして以下のような違いがある。
・伊勢神宮初詣割引きっぷ 4700円【発売終了・1月いっぱい利用可】
2回分の特急料金込み、12月中の購入が必要
・伊勢神宮参拝きっぷ 5900円【3月いっぱい利用可】
往復の特急料金込み、利用前日までの購入が必要
・伊勢・鳥羽2dayフリーきっぷ 3920円(下記の通り特急券を買い足せば計6560円)【通年発売】
特急料金は別途、利用当日購入可

4700円か5900円のを使いたかったが、利用当日は買えない。今回は日程的に前日に名古屋入りはできない。
全国の近畿日本ツーリスト、JTB、農協観光などでも購入できる(手数料がかかる店もあるらしい)のだけど、今回は秋田-名古屋のきっぷはJR駅で、宿泊はネットで予約したので、近鉄分だけを代理店で頼むのは気が引けた。

ということで、3920円の「伊勢・鳥羽2dayフリーきっぷ」しか選択肢がなく、乗車直前に近鉄の駅で買うことにした。往復の特急券と合わせれば、6560円。
単純に名古屋から伊勢神宮参拝だけして戻るとすれば、外宮-内宮のバス代を含んでも正規料金で6400円(片道 近鉄乗車券1450円+近鉄特急券1320円+バス代430円=3200円)だから、モトは取れない。
鳥羽や二見ヶ浦など近隣の観光地へも足を伸ばす場合などに使うべきフリーきっぷだが、今回の行程ならモトが取れると判断。※地名についての詳細は後述

近鉄の特急券も一部旅行会社で手配できるほか、ネット予約ができる。ネット予約はチケットレスでポイントも貯まるが、次にいつ乗るのか分からない。
乗車直前でも満席にはならないらしいし、秋田からの遅れなど突発的な事情で予約列車に間に合わない可能性もあるので、これも当日現地で購入することにした。


伊勢周辺のどの駅で乗り降りしてどう動くか。
伊勢神宮は「外宮(げくう)」と「内宮(ないくう)」と呼ばれる2か所に分かれている。
外宮→内宮の順番に両方を参拝することが基本とされており、お伊勢参りをするのなら、最低限ここは外せない。
伊勢神宮外宮は、伊勢市駅(近鉄・JR)下車、徒歩
伊勢神宮内宮は、宇治山田駅(近鉄)・伊勢市駅・外宮から路線バス
近鉄では五十鈴川駅を内宮の最寄り駅としているが、徒歩ではやや距離がある。バスはあるが、それだったら宇治山田や伊勢市駅から乗ったほうが便利。

路線バスは、宇治山田駅-伊勢市駅-外宮前-内宮前の経路で、臨時便も含めて頻発しており、経路が違うものもあるが基本的にはどれでも構わないので、あまり悩まくてもいい。
近鉄はすぐ近くに伊勢市駅と宇治山田駅2つがあって、どちらも特急が停まるので紛らわしい。基本的には伊勢市駅を利用するのが無難だと思う。
ただし、伊勢市駅は外宮と反対側の離れた位置にホームがあり外宮側改札口へは長い跨線橋を渡る必要がある。また、宇治山田駅は趣きのある駅舎であることと、内宮行きの路線バスが宇治山田駅前始発なので座れる可能性が高いので、宇治山田駅を利用してみる価値もある。

さらに周辺に散在する神社や、夫婦岩がある二見浦(ふたみがうら)も伊勢市内だし、隣の鳥羽は海に関する観光地や宿泊場所が多い。ちょっと足を伸ばせば賢島(かしこじま)など志摩地方も視野に入る。※賢島方面は近鉄路線(JRは鳥羽止まり)だけだが、フリーきっぷエリア外のものがある。
二見浦はJR二見浦駅(駅名の読みは「ふたみのうら」・JRだけで近鉄は通っていない)下車か、伊勢市内から路線バス(フリーエリア内)。
伊勢市内-鳥羽はJRと近鉄、本数は多くないが路線バスもある(近鉄とバスはフリーエリア内)。

ということで、東京で秋田新幹線と東海道新幹線を乗り継いで名古屋へ行き、近鉄特急で伊勢へ。鳥羽と名古屋に1泊し、行きの逆コースで秋田に戻る2泊3日の旅程とした。
実際の旅行記は後日
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