2023年3月の旅行記。ホテルから歩いて、新潟県湯沢町のJR上越線・越後中里駅に到着。直前に、マイクロバスから降りた若者たちが、駅の中へ入り、列車が当分来ないホームへつながる跨線橋を上っていった。
Wikipediaによれば、越後中里駅は1931年開業。現在の駅舎は2代目で1980年にできた。かつては駅員がいたが、現在は無人駅。無人化がいつなのかは不明(1990年代前半との情報も)。2007年までは繁忙期に駅員が来ていた。立ち食いそば屋もあった。
階段を上ったところ
駅入口の隣に「観光案内所」の表示、ドアには「越後中里駅観光センター」の表記。湯沢中里観光協会が入っていて、冬は毎日開いているようだが、この時は9時のオープン前。
駅の中。コンコース。右に閉鎖された窓口
片隅に15人分のベンチがあるほかは何もなく、がらんとしている。かつては多くのベンチやそば屋もここにあったのだろうか。そして、スキー客でごった返したのだろうか。床の模様は、国鉄の遊び心か。
上の写真の枠外・左には観光センターに出入りできるドアがあって、その上。
「駅長さんも太鼓判」
「日観連」加盟の、駅周辺宿泊施設の紹介。電照式かな。
「日観連」は「日本観光旅館連盟」。2012年に「国観連」こと国際観光旅館連盟と合併して「日本旅館協会」になっていた。
各施設の市内局番は7の1桁。現在は787で、2002年までは87だった。市外局番が5桁(02578)だったのはいつだろう。駅舎ができた当時か。
半分以上の施設が、現在も営業しているけれど、太鼓判を押す駅長さんもいなくなって、電話番号も中途半端では… というか、今どき駅に着いてから、しかも電話して予約を入れる旅行客なんていないでしょうね。
左がホーム。秋田ではホーム屋根下に置かれることが多い、除雪機もコンコースに
右の外へのドアは、寒冷地にしては数が多く・幅が広く、これもスキー客対応だろう。
除雪機の上に「トイレ閉鎖のお知らせ」
2022年春で閉鎖されていた。改札内にもなかったはず。
食券券売機タイプの自動券売機を改造した、磁気式乗車駅証明書発行機(秋田地区と同じ)が設置。Suicaはエリア外。
ホームへ。2面3線で、改札すぐの1番線と、橋を渡った2番線が下り越後湯沢方面。3番線が上り。2番線は何本かある折り返し列車などが使うようだ。
「海抜四七〇米」
ホームに面した窓口もあった。首都圏からの乗り越し精算でもしていたのか。
さて、改札内に入って跨線橋へ消えていった集団。写真の通り2・3番線にもいない。
跨線橋は、2・3番線よりも向こう、線路の反対側にある茶色い建物につながっている。彼らはそこへ行ったのだった。
「中里スキーセンター」
レンタル用品や飲食の店が入るようだ。その外は、ホテルから見えた湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。
越後中里駅からスキー場へ直接行き来できるように「東口」がある。1965年にできたとのことだが、センターの建物はそれより新しそう。
無人駅とはいえ、改札内・ホームを自由通路的に使うのは、いかがなものかと思ってしまいそうだけど、公式に認められているのだと思う。【7月1日追記・有人駅当時はどうなっていたのだろう?】
泊まったエンゼルグランディアの送迎バスが、越後中里駅西口に立ち寄るのも、JR利用の宿泊客のためというより、スノーリゾートとホテルの行き来の便を図っているように感じたし。
2・3番線ホーム越しに東方向
なお、駅以外で線路両側を行き来するには、北側に踏切、南側はエンゼルグランディアそばの橋があり、どちらも駅から400メートルは離れている。
また、東口に出て、線路沿いにエンゼルグランディアまでつながる道もあり、西側よりも近道のようだが、今回はよく分からなくて使わなかった(積雪時は通行できないかも)。
跨線橋から南方向。奥の大きな建物がエンゼルグランディア
北方向。線路の間に水のたまった溝がある
跨線橋途中
2・3番線下り口のところに、扉状の板がある。夏場は閉まっているようなので、東口は季節限定ということなのか?
先へ進んで、
越後中里駅東口
気後れして、外に出ないでしまったのだが、人の気配はなさそう。さっきの人たちはもうスキー場へ向かったのか。
昔ながらのステンレスの風呂桶のようなラッチがあった。窓口もある。現在は完全無人らしいが、かつてはスキー場社員がいたような話も。
スキー場の跨線橋より北側の駐車場付近に、青いものが連なっていた。
線路と並行に鉄道車両が10両ほど並べられている。休憩所として使われる「ブルートレイン中里」。1984年からあるらしく、国鉄の旧型客車の座席車。したがって、厳密には「ブルートレイン」ではないし、青の色味も違う。
1番線へ戻って、今は在来線列車でスキーに来る人などいないのだろうなと思いつつ、どこからか来たもう1人(スキー客ではない)とともに数分待つ。
新清水トンネルを抜けてきた下り列車が到着
車掌乗務のE129系2両編成。たぶん水上発長岡行きで、群馬県側からの始発列車(前2本は越後中里始発)。
大して混まないだろうと高をくくっていたら、立ち客が多くてびっくり。
さらにその多く(20人くらい??)が下車して、またびっくり。
降りた客も、車内に残った客の多くも、ウインタースポーツの格好の若者。
昨日、越後湯沢やホテルで見たのは、大学生くらいが多そうだったが、今回はもう少し若く、高校生くらいにも見えた。群馬県内の若者が、越後湯沢へ滑りに来たのだろうか。
降りた客は、階段を上って東口へ向かう人もいたようだが、眼の前にある西口から出る人も少なくなかった。それを見て「そっちじゃないのに…」とつぶやく車内の若者。
前回同様、今なおウインタースポーツもけっこう人気なのではと思わされた。秋田では見られない現象だと思うのだけど。
そんなわけで、着席することができた。
発車した列車は、大きくカーブして雪原(田んぼ)を進む感じがしたが、実際にはそれなりに人が住むエリアで、徐々に越後湯沢の町へ近付いていく。
1988年に、キハ58系気動車を改造したジョイフルトレイン「サロンエクスプレスアルカディア」が火災を起こし、1両が全焼した。これをきっかけに、JR東日本では旧型気動車のエンジンを換装。焼けなかった車両は再改造して、盛岡支社の「Kenji」となって2018年まで活躍した。
その火災は新清水トンネルを出たところで発生し、越後中里と次の駅の間で緊急停車したとのこと。
その次の駅は「岩原スキー場前」。
臨時駅のような名前だが常設駅(※)であり、岩原は「いわっぱら」と読むのが特徴的で、以前から知っていた。※もともとは臨時駅として開業したが、近く高校ができて常設化された。高校は2008年に閉校。
この調子では、スキー客たちがまた下車していくだろうと思ったのだが、誰も降りなかった。
「前」というわりには、岩原スキー場まで歩いて10分以上かかり、越後湯沢駅から無料シャトルバスも出ているそうだ。
というわけで、スキー客たちは、みんな越後湯沢で下車。越後湯沢駅の在来線改札口は、自動改札でなかったのが意外だった。
この後は、新幹線に乗り換えて首都圏へ向かった。続きはまたいつか。
Wikipediaによれば、越後中里駅は1931年開業。現在の駅舎は2代目で1980年にできた。かつては駅員がいたが、現在は無人駅。無人化がいつなのかは不明(1990年代前半との情報も)。2007年までは繁忙期に駅員が来ていた。立ち食いそば屋もあった。
階段を上ったところ
駅入口の隣に「観光案内所」の表示、ドアには「越後中里駅観光センター」の表記。湯沢中里観光協会が入っていて、冬は毎日開いているようだが、この時は9時のオープン前。
駅の中。コンコース。右に閉鎖された窓口
片隅に15人分のベンチがあるほかは何もなく、がらんとしている。かつては多くのベンチやそば屋もここにあったのだろうか。そして、スキー客でごった返したのだろうか。床の模様は、国鉄の遊び心か。
上の写真の枠外・左には観光センターに出入りできるドアがあって、その上。
「駅長さんも太鼓判」
「日観連」加盟の、駅周辺宿泊施設の紹介。電照式かな。
「日観連」は「日本観光旅館連盟」。2012年に「国観連」こと国際観光旅館連盟と合併して「日本旅館協会」になっていた。
各施設の市内局番は7の1桁。現在は787で、2002年までは87だった。市外局番が5桁(02578)だったのはいつだろう。駅舎ができた当時か。
半分以上の施設が、現在も営業しているけれど、太鼓判を押す駅長さんもいなくなって、電話番号も中途半端では… というか、今どき駅に着いてから、しかも電話して予約を入れる旅行客なんていないでしょうね。
左がホーム。秋田ではホーム屋根下に置かれることが多い、除雪機もコンコースに
右の外へのドアは、寒冷地にしては数が多く・幅が広く、これもスキー客対応だろう。
除雪機の上に「トイレ閉鎖のお知らせ」
2022年春で閉鎖されていた。改札内にもなかったはず。
食券券売機タイプの自動券売機を改造した、磁気式乗車駅証明書発行機(秋田地区と同じ)が設置。Suicaはエリア外。
ホームへ。2面3線で、改札すぐの1番線と、橋を渡った2番線が下り越後湯沢方面。3番線が上り。2番線は何本かある折り返し列車などが使うようだ。
「海抜四七〇米」
ホームに面した窓口もあった。首都圏からの乗り越し精算でもしていたのか。
さて、改札内に入って跨線橋へ消えていった集団。写真の通り2・3番線にもいない。
跨線橋は、2・3番線よりも向こう、線路の反対側にある茶色い建物につながっている。彼らはそこへ行ったのだった。
「中里スキーセンター」
レンタル用品や飲食の店が入るようだ。その外は、ホテルから見えた湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。
越後中里駅からスキー場へ直接行き来できるように「東口」がある。1965年にできたとのことだが、センターの建物はそれより新しそう。
無人駅とはいえ、改札内・ホームを自由通路的に使うのは、いかがなものかと思ってしまいそうだけど、公式に認められているのだと思う。【7月1日追記・有人駅当時はどうなっていたのだろう?】
泊まったエンゼルグランディアの送迎バスが、越後中里駅西口に立ち寄るのも、JR利用の宿泊客のためというより、スノーリゾートとホテルの行き来の便を図っているように感じたし。
2・3番線ホーム越しに東方向
なお、駅以外で線路両側を行き来するには、北側に踏切、南側はエンゼルグランディアそばの橋があり、どちらも駅から400メートルは離れている。
また、東口に出て、線路沿いにエンゼルグランディアまでつながる道もあり、西側よりも近道のようだが、今回はよく分からなくて使わなかった(積雪時は通行できないかも)。
跨線橋から南方向。奥の大きな建物がエンゼルグランディア
北方向。線路の間に水のたまった溝がある
跨線橋途中
2・3番線下り口のところに、扉状の板がある。夏場は閉まっているようなので、東口は季節限定ということなのか?
先へ進んで、
越後中里駅東口
気後れして、外に出ないでしまったのだが、人の気配はなさそう。さっきの人たちはもうスキー場へ向かったのか。
昔ながらのステンレスの風呂桶のようなラッチがあった。窓口もある。現在は完全無人らしいが、かつてはスキー場社員がいたような話も。
スキー場の跨線橋より北側の駐車場付近に、青いものが連なっていた。
線路と並行に鉄道車両が10両ほど並べられている。休憩所として使われる「ブルートレイン中里」。1984年からあるらしく、国鉄の旧型客車の座席車。したがって、厳密には「ブルートレイン」ではないし、青の色味も違う。
1番線へ戻って、今は在来線列車でスキーに来る人などいないのだろうなと思いつつ、どこからか来たもう1人(スキー客ではない)とともに数分待つ。
新清水トンネルを抜けてきた下り列車が到着
車掌乗務のE129系2両編成。たぶん水上発長岡行きで、群馬県側からの始発列車(前2本は越後中里始発)。
大して混まないだろうと高をくくっていたら、立ち客が多くてびっくり。
さらにその多く(20人くらい??)が下車して、またびっくり。
降りた客も、車内に残った客の多くも、ウインタースポーツの格好の若者。
昨日、越後湯沢やホテルで見たのは、大学生くらいが多そうだったが、今回はもう少し若く、高校生くらいにも見えた。群馬県内の若者が、越後湯沢へ滑りに来たのだろうか。
降りた客は、階段を上って東口へ向かう人もいたようだが、眼の前にある西口から出る人も少なくなかった。それを見て「そっちじゃないのに…」とつぶやく車内の若者。
前回同様、今なおウインタースポーツもけっこう人気なのではと思わされた。秋田では見られない現象だと思うのだけど。
そんなわけで、着席することができた。
発車した列車は、大きくカーブして雪原(田んぼ)を進む感じがしたが、実際にはそれなりに人が住むエリアで、徐々に越後湯沢の町へ近付いていく。
1988年に、キハ58系気動車を改造したジョイフルトレイン「サロンエクスプレスアルカディア」が火災を起こし、1両が全焼した。これをきっかけに、JR東日本では旧型気動車のエンジンを換装。焼けなかった車両は再改造して、盛岡支社の「Kenji」となって2018年まで活躍した。
その火災は新清水トンネルを出たところで発生し、越後中里と次の駅の間で緊急停車したとのこと。
その次の駅は「岩原スキー場前」。
臨時駅のような名前だが常設駅(※)であり、岩原は「いわっぱら」と読むのが特徴的で、以前から知っていた。※もともとは臨時駅として開業したが、近く高校ができて常設化された。高校は2008年に閉校。
この調子では、スキー客たちがまた下車していくだろうと思ったのだが、誰も降りなかった。
「前」というわりには、岩原スキー場まで歩いて10分以上かかり、越後湯沢駅から無料シャトルバスも出ているそうだ。
というわけで、スキー客たちは、みんな越後湯沢で下車。越後湯沢駅の在来線改札口は、自動改札でなかったのが意外だった。
この後は、新幹線に乗り換えて首都圏へ向かった。続きはまたいつか。