広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

おおだて鶏めし

2023-11-26 21:06:03 | 各地お土産・食べ物
秋田県大館市、JR奥羽本線 大館駅の名物駅弁「鶏めし」の製造元「花善」の発売期間限定商品。※花善の弁当は直近では2021年に紹介
花善の駅弁は、大館駅、秋田駅、盛岡駅、新青森駅などの取扱店舗のほか、弘前市や秋田市のスーパーマーケットで常時扱う店もある。秋田市内の「いとく」では、かつては毎日売っていたはずだが、現時点では土日などのみ販売になっているとのこと(11月に新国道店で確認)。11月26日には、期間限定品も売っていた。

忠犬ハチ公の故郷おおだて鶏めし 731kcal 税込み1350円
発売期間は「2023年10月1日~11月30日(予定数に達し次第終売)」とされているので、そろそろおしまい。予定数は1万個という情報もある
「祝」やロゴマークがあるように、10月29日の大館駅新駅舎開業と11月10日の大館生まれの秋田犬・忠犬ハチ公生誕100年を記念した商品。
さらに側面に別に記載されているが、一般社団法人日本鉄道構内営業中央会の「駅弁マーク」制定35周年記念の商品でもある。全国の加盟各社で31種類出たうちの1つ。
そして、恒例の「JR東日本 駅弁味の陣2023」エントリー商品でもある。したがって、東京駅・駅弁屋祭でも売られている模様。

掛け紙は、サイズもデザインも通常の鶏めしと通ずるものがある。絵柄は大館新駅舎。実写でなく完成予想CGかな。紐でなく、手で切れる透明バンドを巻く。
掛け紙を外すと、

2021年でもそうだったが、平べったい濡れおてふきは、いつの間にか付かなくなったようだ。引き続き、割り箸は杉間伐材、つまようじ付き。
掛け紙は、通常版より厚手で、裏面にもモノクロで印刷。「大館駅と花善 124年のあゆみ」と「おしながき ~大館の美味いもの、集めました~」。

容器の上に載せてあるのは、駅弁マーク35周年のしおり(加盟他社と共通)と、大館市立有浦小学校6年生の「大館新駅舎開業応援プロジェクト」のリーフレット。
有浦小プロジェクトは、掛け紙にも「駅」のロゴマークが出ている。弁当の中身を考案したとかではなく、このリーフレットを作ることがプロジェクトの内容のようだ。大館名物の説明や動画への二次元コード、大館駅周辺マップなどを掲載。

弁当の容器は、角型ではなく、まげわっぱをイメージしたかのような、薄い木製の小判型なので、通常版より小さい。フタを取ると…

正体は、鶏めしのおかず違いバージョンということになる。
紅白かまぼこ以外は、地味な感じ。容器の違いもあるし、全体に通常版と比べるとちょっと少なめかと見えてしまったが、その点は食べたら否定された。

鶏めし部分は、通常版と同じ(秋田県産あきたこまち100%)。ただし、インゲンはあるが、栗や紅葉の麩はない。説明するまでもなく、定番の安定したおいしさ。
花善の鶏めしは、ごはんがみっちり詰まっていて食べ応えがあるものだが、この点も変わらず。量は通常版と同じくらいかも。
ごはんの上に載った「鶏肉甘辛煮」も、通常版と同じなので、比内地鶏ではなく「国産鶏もも肉」。これは通常版よりも量が多いかも。

紅白かまぼこの白いところがちょっと茶色いのは、ハチ公100年プロジェクト「HACHI100」のロゴ(掛け紙のオレンジ色のロゴ)。おそらく食用インクジェットプリンターによる印刷。一般的な駅弁のカマボコよりも分厚い。
漬物は、しば漬と「ミズのコブ」と呼ばれ秋田で好まれる、ウワバミソウのムカゴ。

おかず区画。渦巻きの下に隠れているものがあるのでめくって、

容器に入ったのが「中山そばと鶏ササミのごまドレッシング和え」。そば自体の味がおいしく、もっと食べたい。
上が「鶏のから揚げとんぶり入り」。おしながきではとんぶりを「トッピング」とあるが、衣に混ぜたのでは。あまり食感は感じないが、から揚げとしておいしい。
その下が「比内地鶏のハンバーグ」てりやき風で、大きさから肉団子程度。
その右が「枝豆入りシュウマイ」。「花善オリジナルの鶏シュウマイに、大館特産の枝豆を合わせました。」だそうで、店舗では枝豆なしのシュウマイをテイクアウトできるらしい。しっかり味が付いている。
右が「いぶり大根クリームチーズ添え」。いぶり大根とは「いぶりがっこ」のことだけど、いろいろあって、その名を出さないのか。いぶりがっこにクリームチーズが合うとよく言われるが、試すのは初めて。なるほどおいしい。がっこ自体も柔らかくて上質そうなもの(大きめの1枚を半分に折っている)で、これだけで高そう。

下のギョウザかに見えた渦巻きが「かまぶく(りんご味)」。
「茹でたジャガイモ・もち粉・砂糖などを練った巻き菓子。当地・大館ではハレの日に欠かせない一品です。」
秋田県北部の食文化だそうで、近年、イベントや報道でたまに目にするようになった。「かまぼこ」に名前も見た目も似ているが、その代替の意味合いがあるようだ。
僕は見るのも初めて。雲平(山科)とゆべしとかをイメージしていたが、それらに比べると薄っぺら。地域や人で流儀もあるのだろうけれど。食感は見た目通りで、ほんのりリンゴの味。デザートとしてはこのくらいの量でいいのかも。

以上、最初は1350円は高いと思えたが、これだけおかずが充実し、ごはんはいつも通りならば、妥当ではないだろうか。通常版のコストパフォーマンスにはかなわないけれど。一部おかずの通常販売品への抜擢とか、定期的な再販、第2弾などがあってもいいでしょう。
【26日追記】新駅舎開業の10月29~31日には、さらに限定として、同じ中身を本物の曲げわっぱ(小判型ではなく円形。大館工芸社製)に詰めた1個8000円の商品を、(大館駅の開業年数にちなむ)124個限定販売(先着と抽選)で完売したとのこと。


【2024年1月18日追記・その後】
JR東日本 駅弁味の陣2023において、総合評価第1位「駅弁大将軍」に決定。花善として3度目で、業界単独トップ。
食材調達の都合で年末にいったん販売を休止し、2024年1月12日頃から販売を再開。いつまで販売を続けるのかは不明。

花善の鶏めしについての次の記事
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手形山の )❘(

2023-11-16 23:18:25 | 秋田の地理
横山金足線こと秋田県道41号の、手形山と旭川・添川地区の間の区間。前回は手形山大橋と手形トンネルについて。今回はこの区間の沿道に唯一存在する施設について。
※2020年3月訪問・撮影。ツキノワグマが出没し得る(というかクマの生息域に道路を造ったと言うべきか)場所なので、通行時は要注意。

トンネル側から行くと、大橋の直前にそれはある。
所在地は「手形字大松沢」。手形山の下の、秋田高校グラウンド一帯(バス停名にもなっている)と同じ。※前回、山の上は手形山であって手形ではないとしたが、地名としては手形山(の一部)も手形なのであった。
標高はバス停付近が14メートル、ここの道路付近は50メートル。

ここまでは草木が茂っていた道路際の斜面が、金属製のカゴに砕石をいれた「蛇籠/蛇篭(じゃかご)」を積み上げたものに変わった。
以前、秋田駅前のビルで装飾的に蛇籠を置いているのを取り上げたが、本来の用途で使っているのを間近で見たのは初めて。

蛇籠が途切れた先には、もう手形山大橋が見えているが、その間は、芝生というか草が生えた斜面になっていて、頑丈なフェンスで仕切られている。

その斜面には、低木を刈り込んで、何やら記されている。大館市早口駅の「田代」みたいに。
この時は早春で冬枯れの色。夏場は繁茂してごちゃごちゃになる時もあるようだが、基本的には定期的に除草・剪定はされているようだ。

低木で記されているのは、秋田市章と「 )❘( 」のような「水」。
斜面てっぺんに看板も出ているが、ここは「手形山配水場」。秋田市上下水道局(旧・水道局)の施設。

蛇籠の手前には、県道から配水場に入る道もあり、案内の看板(道路管理者管轄ではなく、市が設置したと思われる)も立っている。


再掲
手形山配水場は1967(昭和42)年にできており、県道ができる前からここにあった。古い地形図(後述)を見ると、以前は秋田高校グラウンドの坂の下(明日葉作業所入口バス停)で分岐する道に入って、今、手形山大橋が架かる真下辺りで山を登って、敷地に到達していたようだ。大橋や県道の建設工事時に、そのルートの一部は失われ、新たに県道から出入りする道を造ったのではないだろうか。

そんなわけで、手形山のこと、あるいはその中で手形山配水場がある付近のことを「水道山(すいどうやま)」と呼ぶ秋田市民もいる。
前の記事でも触れたように、かつては手形山が公園や行楽地としても機能していた。その場所は、手形山配水場の隣接地だったようだ。手形山配水場自体も、昔は敷地内(斜面の上など)に自由に立ち入ることができたという。今回の写真を見ると、斜面上の看板の左側には、擬木の柵で囲われた展望台っぽい場所もあるが、今は入れなそう。
コメントいただいたように、1990年代中頃までは学校の遠足先にもなっていたそうだ。思ったよりも遅く、その頃には県道や大橋の建設工事が始まるかどうかの頃のはずで、そうなれば手形山にはアクセスしづらくなる。手形山の行楽地機能の衰退は、レジャーの多様化と維持管理やクマ出没もあると思われるが、県道建設が本格化したことも一因のようだ。

なお、秋田市にはもう1つ「水道山」が存在したとのこと。
千秋公園の北側、明徳小学校の北、千秋北の丸の一角。明治時代から「大木屋浄水場(おごや~)/大木屋浄水場濾過池」が存在したため。
おそらく手形山配水場完成と入れ違いで廃止され、跡地は1980年代以降は私立秋田和洋女子高校の体育施設として使われていた。和洋が秋田令和高校になって新校舎ができた現在は、どうしているのか不明。


手形山配水場の「 )❘( 」を見た時、懐かしい気持ちになった。
子どもの頃、自宅周辺の少し高い建物(あるいは千秋公園のどこかや、もしかしたら平地でも見られるポイントがあったかも)から、遠くの山肌に「 )❘( 」が見えて、「あそこが水道山」と教えられた思い出。ここ何十年も見ておらず、ずいぶん久しぶりの再会。
なのだけど…
昔は秋田市章はなかったし、「 )❘( 」は白かった。もしかしたら、今より少し大きかったかもしれない。

「今昔マップ on the web」より。
今昔マップを運営していた、埼玉大学教授の谷 謙二氏が、2022年8月に病気で50歳で亡くなっていたのを知った。ネットならではの地図の楽しみかたを提供してくださったことに感謝。さらなる充実に期待するところだが、今後のサイト運営はどうなっていくのだろうか。
左は1971年、右は現在。地形図には手形山配水場の名称はなし
上画像右の、赤い線を引いたところが蛇籠と「 )❘( 」がある斜面。その直下が手形山大橋。この向きでは、市街地からは見えづらそう。

ズームして、1970年代の航空写真に切り替えると、
これこそ白い「)❘(」。現在は右図の「◯」の位置
かつての「)❘(」は、今より数十メートル南側に、若干南向きに角度を付けて記されていたようだ。現在の手形山大橋の北端付近に当たり、仮に現在あったとしてもその橋桁で隠れて、遠方からは見えないと思う。
ほかの航空写真も確認すると、1994年5月撮影では存在するが、道路建設中らしき1999年5月には見えなくなっている。
ということで、橋や県道の工事に伴い、遠くから見えることは犠牲にして、県道を通る車の目に留まるように、「 )❘( 」の位置と材質を新しくしたのだろう。


ところで、手形山配水場の役割どころか、“水道山”に何があって何が行われているかを知る秋田市民はどのくらいいるだろうか。
秋田市の主要な浄水場は、雄物川下流にある仁井田浄水場と豊岩浄水場の2つ(他にも小規模浄水場があるが割愛)。秋田市街地には、エリアによって2浄水場どちらかで作られた水が供給される(秋田市サイト ページ番号1008407参照)。しかし、平坦な秋田市全域にはそのままでは送れないのだろう。いったん高い位置にある配水場へ水を上げてから、遠方へ送っている。その1つであり、いちばん歴史があって大規模なのが手形山配水場で、仁井田浄水場の水が配水されている。
秋田市の北部、東部、新国道より東側かつ竿燈大通りより北側の中央地域が、手形山配水場からの供給エリア。

僕は、小学校3年生の社会科の授業(副読本「わたしたちの秋田市」)や社会科見学“市内めぐり”で習ったのを覚えているけれど、大きくなってから引っ越して来た人などは知らなくても当然。でも、自分が飲む水がどこからどのようにして届けられるのか(+使用後どこへ行くのか)は、知っておくべきことだと思う。
2023年10月11日には、そんな思いを強くさせる事態が発生した。
仁井田浄水場にある、手形山配水場へ送水するためのポンプが、配管の水漏れ(?)に起因する水没によりすべて故障。故障は朝に発生し、公表は昼。同日夜には、北部全域と東部の高台、計2万世戸で断水のおそれが生じた。
結局、ギリギリで復旧して、大規模断水は免れた。しかし、突然の断水予告にあわてて帰宅した市民や、予告を受けて翌日の休校を決めてしまった小中学校や秋田高専は、混乱を避けるため無駄な休校を余儀なくされるなど、影響はあった。市の発表の手際が良くはないと感じたし、設備更新が進行中とはいえ、仁井田浄水場もほんとに老朽化していると実感させられた。

さらに10月には、東京大学大学院の研究グループが、秋田市の水道水から高濃度のネオニコチノイド系農薬が検出されたことを発表した。
日本の基準値内に収まっているとして【25日補足・水道法で義務付けがないから検査しない、という理由も示しているようだ】、秋田県も秋田市も問題視していないようだが、ユーザーとしてはうれしい話ではない。浄水場での活性炭処理で除去でき、そうしている自治体もあるそうなので、考えてくれてもいいと思うのだが。【2024年6月22日補足・2024年度に水質検査を開始。】

秋田市は大河川の下流に位置し、雪解け水も豊富なので、水不足になることはない。そんな好条件もあって、何も思わずに水道水を使っていたけれど、もう少し思いを巡らせるべきかもしれない。
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手形山トンネルではありません

2023-11-11 16:59:16 | 秋田の地理
2020年3月末のストックネタから。現在も状況は変わっていないと思われますが、ツキノワグマの出没があり得る場所です。クマ活動期の徒歩での通行は控えたほうが無難です。

秋田駅の北東一帯が、手形(てがた)地区。そのさらに北東にある低山が「手形山」。ちょっとした日本昔話もあるようだ。
手形山は昔は、秋田市近場の行楽地だったそうで、手形山スキー場(1980年頃まで??)もあった。今も、Googleマップには「手形山公園」などと記されているものの、実態としてはほとんど維持管理されていない、山同然になっていると思われる。クマもいるし、一般人が手軽に行楽できる場所ではない。

手形山の南東側は、秋田大学医学部附属病院や手形山団地として、1970年代から開発されていた(関連記事)。
一方、北側では、大学病院方向から来た道路(県道41号・通称横山金足線)が、長らく団地の先で行き止まり(狭い坂道で秋田高校横へ下りるのみ)になっていた。その後、団地の北側に谷を渡るような橋と、トンネルが造られ、旭川・添川地区と行き来できるようになって、現在に至る。

その橋とトンネルがいつ、開通したか。興味がない方面だったので記憶にない。Wikipediaなどネット上にも、なかなか情報が少ない。「2000年頃」みたいな記述はあったが。
やっと見つけたのは、県ではなく秋田市の都市計画年表や当時の「広報あきた」。横山金足線(手形工区)の供用開始は、2001年8月1日(13時開通式、15時供用開始。7月29日に開放イベント)であった。
余談だが、ワールドゲームズ秋田大会の直前であり、同じ年の11月には架け替えた秋田大橋が供用開始(当時は建設省管轄)。

この橋とトンネルを含む区間は、1.6キロ。途中に家や店は皆無だが、両側に歩道があり散歩や運動するには悪くないと思って、3年半前、新型コロナウイルスの流行り始めの頃に歩いてみたのであった。※クマへの注意と、途中に横断歩道がないので道路横断は禁物。


まず橋について。
秋田高校の上にそびえ、市街地から緑色の橋桁が見える。カーブがあり、南~西方向が開けて、秋田市街地が見渡せるものの、曇った風よけ板があるせいで、眺望良好でもない。
「主要地点」の案内標識が設置されていて、その名が「手形山大橋 Tegatayama Bridge」であることは知る人が多いだろう。命名としても違和感はなく妥当。
Wikipediaによれば全長368.5m。

では、トンネルのほう。
南側(手形山大橋側)
出入口は両端とも差異はない。
トンネルもカーブしている
トンネルだったら、その名を入口上部に立派な銘板(「坑口銘板」と呼ぶらしい)で記すこともあるのに、ここにはない。手形山大橋と違って、名称の案内標識さえない。

それでも、手形山大橋と対になるトンネルなのだから、順当に「手形山トンネル」でしょと、秋田市の地理を知る人なら、全員がそう考えてもおかしくはない。
Wikipediaには独立した項目はないが、手形山大橋の項目内にそう記されているし、一部地図サイトでも手形山トンネルとされている。
ところがそうではありません。

北側出入口の、南行き車線側の歩道の壁に、小さな銘板があった。
手形トンネル 1995年3月 延長276m」
供用開始の6年以上前(佐々木喜久治知事時代だ)にできていたのもちょっとびっくりだが、名前は「山」が付かない「手形トンネル」だった!
【11日補足・「秋⽥県トンネル⻑寿命化修繕計画(秋田県建設部道路課 2019年10月)」では、1994年竣工とされている。】

2021年にトンネル内に落書きされたことを伝える秋田魁新報では、ちゃんと「手形トンネル」としている。
恥ずかしながら、当ブログでは、過去に「手形山トンネル」としてしまったことがあった。また、供用開始時期の情報をもたらしてくれた、秋田市の都市計画年表と広報あきたでも、どちらも「手形山トンネル」としてしまっている。

負け惜しみになってしまうが、
・「手形」は平地、その上が「手形山」。したがって、トンネルがあるのは手形山であって手形ではない。
・トンネルの所在地は、両端とも旭川地区の「新藤田(しんとうだ)」。したがって、手形ではない。
・同時開通の橋には名称を示し、トンネルには示さないという対応の違いが理解できない。橋の表示に影響されて、トンネルも「手形山~」だと思いこませてしまう。
秋田県の命名センスの悪さ(秋田市の地理を知らない人たちが決めたのでは?)と、周知不足によるものにほかならない。やはり、秋田県の道路管理体制には、道路利用者や住民への配慮が薄く(=押し付けの傲慢さ)、さらに自分たちの仕事への誇りも欠けている(=やっつけ仕事)のではないかと感じてしまう。
【11日補足・トンネル完成直後に、県側が命名のおかしさに気付き、供用開始時に銘板や標識を設置しないことで、トンネル名をあいまいにするという、“隠蔽工作”を行った可能性もあるかも。】

橋とトンネルの間には、家や店はないけれど、暮らしに欠かせない施設はある。続く
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道徳のフィンガーボウル

2023-11-06 21:07:12 | 昔のこと
2023年10月20日の臨時国会開会式で、新たに就任した額賀福志郎 衆院議長が所作を誤ったことが話題になった。
演壇から議場に向かって「式辞」を読み上げた後、後方に座る天皇陛下へ振り返って一礼後、そのまま降壇するべきところ、階段を上がって天皇陛下の元へ歩み寄り、式辞の原稿を手渡してしまった。陛下は、若干困惑の表情を浮かべた後、立ち上がってほほえんで両手で受け取られた。
卒業式の答辞じゃあるまいし。まして今回のは「原稿」。見た感じ、賞状のような厚手で大きめの一枚紙を、軽く丸めて筒状にした状態。それを渡されても困る。議長が初めてで緊張したと釈明して、それはそうなのだろうけど、衆議院議員を13期もやっていて、知らなかったわけはないでしょう。

あと、演壇後方、階段左右には、4~5人ずつ、何者か知らないけど立っている(議長も式辞以外はその右側で待機するようだ)。その人たちだって、所作は知っているだろうから、階段を上がりかけた議長に「そっちじゃない。こっちへ戻って!」と声をかけて、やめさせることもできたのでは、と思った。
天皇陛下としては、そんなもんいらんと追い返すわけにもいかず、受け取るしかなかったとお察し申し上げる。後で議長が宮内庁長官へ謝罪し、「陛下は気にしていない」旨が伝えられ、まあ一件落着。


この一件を知って、「フィンガーボウル」を思い出した。フィンガーボウルが出てくる、とあるお話。
ある国で、女王主催の晩餐会(食事会? 宴会?)が開かれた。その招待客の1人が、汚れた指先を洗うための水が入った容器「フィンガーボウル」の水を、知らなかったのか緊張したためか誤って飲んでしまった。それを見た女王は、本来の用途を知っているのに、フィンガーボウルの水をためらいなく飲み干した。
そんな内容だっと記憶する。
おそらく小学校4年生=1986年度の道徳の教科書に載っていて、授業で取り上げられた。
「フィンガーボウル」の名と用途を初めて知るとともに、女王が行ったことが果たして正しいと言えるのか、引っかかるような気持ちになったので、40年近く経った今でも記憶に残っている。

当時は道徳が正規の教科扱い(現在は「特別の教科」)ではなく、教科書も検定・無償給与(先日の記事)ではない、副読本のような扱い。秋田市立学校では、学校ごとに教科書を選定していたようだ。母校は道徳教育の研究指定校だったため、毎年、違う教科書を買わされており、どの教科書会社だったのかは失念。

このお話をネットで検索してみると、道徳の授業に限らず、大きなってから(おそらくマナー講習やサービス業界の研修等)知ったと思われる人もいて、そこそこ知られた話のようだ。
Wikipediaの「フィンガーボウル」の項でも言及がある。元となる実際のエピソードがあるとされるが、細部が異なって言い伝えられている。主催者はイギリス国王エドワード8世またはヴィクトリア女王で、招待客は外国人というのが多そう。場所を日本にして、陸軍大将主催の会とするバージョンも存在。イギリス版でも、客の出身はアラブだとかアフリカだとか、いくつかあるようで、そのバラツキ具合からすれば作り話っぽい感じもする。
ネット上の個人の思い出話では、客が「(なぜか招待された)一般庶民」とするものや、女王が「エリザベス女王」、さらに「サッチャー首相」だとするものも。それらは、勘違いあるいは、伝言ゲームのように/時には意図的に、作り変えられたのだと思われる。


そして、令和になっても、道徳の教科書に載っていた。ネットには、授業の展開をまとめた学習指導案が、いくつもアップされている。最近は、フィンガーボウルの説明や食事マナーと合わせて、栄養教諭とともに授業することも行われていた。
道徳教科書の掲載内容に限れば、「人権を大切にする道徳教育研究会(https://www.doutoku.info)」ホームページに、信頼性が高い参考になる情報があった。
同研究会によれば、現時点で3社が、いずれも小学校4年生用に掲載している。あかつき教育図書と日本文教出版は「フィンガーボール」、学校図書が「生きた礼ぎ」のタイトル。※「~ボウル」ではなく「~ボール」表記。この記事では一般的と思われる「~ボウル」も用います。
その他、光文書院の3年生用にも「生きたれいぎ」が掲載されているようだ。「礼」は3年生で習う漢字であるため、3年生向けはまだ「れいぎ」表記なのだと思う。過去も含めて、他社・他学年にも載っていた可能性がある。

出典については、
「“吉沢久子作「生きた礼儀と死んだ作法」”のあらすじである。 この作品が収められているのは、「美しい日々のために:少女の生活設計」(吉沢久子著、三十書房、1953年) 」。
吉沢久子は2019年に101歳で亡くなった、評論家・随筆家。
1965年に当時の文部省が出版した「小学校道徳の指導資料 第2集 第4学年」に「資料 読み物「生きたれいぎ」 」というのがあるらしく、それがこれだとすれば、原典出版直後から、およそ60年に渡って、道徳教育で使われてきたことになる。
教科書会社が違っても、同じ「あらすじ」が掲載されるが不思議だが、文部省が示した資料からの転載ということなのか。

研究会によれば教科書での終わりかたは2パターン存在。
「作法通りに女王がフィンガーポールで指を洗ったなら、その客はどんな思いをしたことか。・・・(ここまでの内容は各社共通) そのあと【日本文教出版】と【学校図書】では、「お客はあとで自分の間違いを知ったとき、女王のとった態度をありがたく思ったことでしょう。」と続き、女王の行動を「生きた礼儀」の手本として評価している。これでは女王のやり方が唯一の正解であるかのように教えることになり、めざす「考える道徳」になっていない。一方【廣済堂あかつき】は女王の行動の評価までは記載せず、考える余地をつくっている。 」。

僕が習ったのはどっちだったか。言われてみれば「生きた礼儀」という言葉におぼえがあるような。「~ありがたく思ったことでしょう。」のくだりがあったような。


フィンガーボールは、学習指導要領における「礼儀」、「礼儀の大切さを知り,誰に対しても真心をもって接すること」をねらいとした教材。
たしかに、女王のやりかたも、客を思いやった行動の1つではある。間違った客は、事実を知った時、女王の対応に感謝はするだろうけれど、そのほかに、女王は確実に自分の過ちを認識していて、そのことで女王に気を遣わせてしまったことを同時に知ることになる。自責の念というか申し訳ない気持ちが生じてしまわないだろうか。さらに、間違いに気付くのが遅れれば、次にフィンガーボウルに接した時は、また飲んでしまいかねない。
自分が間違った客の立場ならば、見て見ぬふりで淡々と手を洗ってくれたほうがいい。「自分の間違った行為を、ひょっとしたら女王は見て(気付いて)いなかったかもしれない」という、“淡い期待”も持つことができ、後悔も軽減される。

間違った客と女王以外の、他の客の立場になってみても、主催者が水を飲んでしまっては、自分はどうすれば…と葛藤することになるだろう。
可能ならば、客が飲みかけた時点で小声で「飲むんじゃないですよ」と止め、できないなら、見て見ぬふりで淡々と手を洗うのがいちばんではないだろうか。

つまるところ、相手を思いやった行動を、その場に応じて臨機応変にすればいいのだけれど、その行動は1つだけが正解ではないだろうし、相手の受け取りかたも1つではない。
37年前は、漠然とした引っかかりが残った程度だったが、今、37年ぶりに思い返してみたら、小学生にも大人にも難しい問題だと感じている。


ところで、お嬢様育ちの芸人(一時期、NHKディレクター)たかまつなな には、牛丼屋に初めて入って、水の入ったコップをフィンガーボウルと勘違いして、指を洗ったという、今回の話と真逆のネタがあるらしい。でも、いくらお嬢様でも、牛丼屋のコップはコップだと思うのでは… そもそも牛丼屋で指先はあまり汚れないだろうし… ネタだから作り話でもいいけれど。
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