広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ひらり 秋田編2

2023-02-25 23:03:32 | 秋田市営バス
1992年の連続テレビ小説「ひらり」秋田ロケの続き。
まず、前回の補足。寒風山の実家の造り酒屋「千秋」について。増田の内蔵でロケしたのかもと思ったが、秋田市新屋表町の「黄金井酒造(現在は営業せず、建物は現存)」で、7月にロケされたことが分かった。秋田市立新屋図書館で現在も、49回で映った小道具の「千秋」ブランドの樽や出演者の写真が展示されている。


第51回。
寒風山の実家を後に、「千秋公園」が15秒ほど。広小路の大手門の堀沿いの歩道を歩くシーン→千秋公園本丸・御隅櫓前の小さい階段付近で、棒切れを振り回してふざけるシーン。千秋公園は単なる観光シーンということになる。
「天徳寺」境内のシーンが2分20秒。寒風山が急に立ち寄ると言い、好きだった同級生との再開・別れ。

今回取り上げるのは、お堀沿いのシーン。
中土橋側からお堀越しに撮影しており、秋田駅側から西に向かって歩く一行へズームする。


現在のほぼ同じ画角
広小路の向かい側、左の建物は、できて間もないアトリオン。
その隣は、現在はホテルドーミーイン秋田。この当時は「マルサン」。分類としては総合スーパーになるのか。関係は不明だが、弘前市にも同じロゴのマルサンが存在した。秋田のマルサンは1994年7月に営業を終え、2004年に解体。
当時の広小路内の他の箇所同様、マルサンの前の歩道にはアーケードがかかっている。暗くてよく見えないが、店頭に商品が並んだり、歩く人がちらほら。
お堀側の道路は、この位置から見る限り、現状と大差ないが、電柱(おそらく電力柱)が立っているのが意外。昔から、ここには電柱はおろか電線がないと思いこんでいたが、これ以降に地中化されたということか。見えないが、歩道路面のブロックは、後に替わっている。

お堀には、おなじみハス。噴水の向こうは、スイレンだと思う。
ハスは西寄りのみに繁茂していて、噴水の影響もあるかと思うが、中央付近の水面が広く見えている。盛夏にはほぼ全面が葉と花で覆われる現在からすれば控えめだけど、当時はこれが普通だった。
2000年代に地下自動車専用道路・秋田中央道路の工事のため、お堀に手が入って、完成後に復旧したら、土がうまい具合に撹拌されたのか、ハスの繁殖力が旺盛になった結果なので。
(再掲)2011年。噴水の位置が変わっている
また、この頃は、このハスが「大賀ハス」だと誰もが信じていた。
2002年頃に大賀ハスではないのではとの指摘があり調べた結果、「漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)」という品種だと思われることが判明。※千秋公園二の丸・胡月池にはホンモノの大賀ハスがある。
広角で撮影

そして、広小路を走るバスが3台登場する。

先頭は観光バス。暖色系に、犬(グレイハウンド)のエンブレム。「帝産観光バス」だ。
阪神淡路大震災で、高速道路が崩落したギリギリのところで難を逃れたバスが知られ、1993年の関西への高校の修学旅行でお世話になったが、本社は東京。この当時、紅葉シーズンに品川ナンバーの車を秋田市内で見かけていた。この時は「東北三大夏まつりツアー」か何かで来ていたのか。

続く2台は、秋田市交通局(秋田市営バス)の路線バス。
2台とも、いすゞ製中型バス「ジャーニーK」だが、窓枠の色は前が銀色、後ろが茶色。

市営バスでは、1986年度導入車から、路線車の塗装を新しくした(この記事など参照)。1986年度は試験的な意味合いもあったのか大型車を少し導入し、1年空けて、1988年度から1996年度まで、中型車を中心に新車を続々と投入した。
10年間の間に、(メーカー側の変更でなく)交通局の意向によると思われる差異もあり、窓枠がその1つ。
1988年度、1989年度導入車(240号車まで)だけが銀色で、(241号車から)1990年度以降が茶色。また、車内の床も、ここを境に板張り/凹凸のある樹脂製に分かれる(1986年車は、窓枠は逆T字茶色で、板張り)。
さらに完全にメーカーの都合だが、いすゞ製では、ここが旧ロゴ(サンセリフ)と現行ロゴの境でもある。

ということで、前は1988年度の221号車・222号車または1989年度の236号車~240号車、後ろは1990年度の245号車~247号車または1991年度の263号車~266号車のいずれかとなる。
後ろの車には、後部の広告板が未設置なので、まだ新しかった1991年度導入車かもしれない。

どの路線で運用されているところか。
前の車は「県庁 市役所 八橋球場.交通局」だと思う。入庫を兼ねた路線なので、本数が多く、時刻は特定不可能。
後ろの車は、

ズームした背景に位置し「荒巻.古野(この)」とはっきり読める。青文字は「牛島 小学校」か「城南 中学校」のどちらかだが、牛島小っぽい?
当時は「上北手線」と呼ばれ、後に短縮と経由地変更され、現在は「南大通り経由日赤病院線」となっている路線。当時のダイヤで牛島小学校経由の駅発は、平日・土曜が10時10分、11時55分、14時18分、17時10分、18時50分。日曜が10時15分、14時20分、17時10分、18時50分。
2022年秋のダイヤ改訂では、平日14時00分発のみ(駅行きは城南中経由)になってしまった。
【3月5日追記・当時の上北手線の本数について】
平日・土曜ダイヤでは、下り駅発11本(牛島小経由5、城南中経由6)、上り古野発13本(牛8、城5)。
日曜祝日ダイヤでは、下り10本(牛4、城6)、上り11本(牛6、城5)。=平日とほぼ同時刻で、昼の1往復と、上り始発1本がない。
平日休日・上下とも、朝7時台から20時前後まで、おおむね毎時1本(昼過ぎに間隔が空く)も走っていた。時刻表では、牛島小学校経由が基本系統とされ、城南中学校経由が印付きの扱いだが、本数は互角。※1988年の時刻表はこの記事に。(以上追記)

ドラマで垣間見た、30年前の秋田市の風景でした。
ひらりのオープニングについて
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原の町バス停上屋撤去

2022-10-17 22:38:56 | 秋田市営バス
前回に続いてバス停シリーズが続いてしまいますが、今回が今シーズン最後。
過去の記事やコメント欄で少し触れていた、愛称「原の町通り」にある神田線・添川線・泉八橋環状線用の「原の町」上り(環状線は八橋回り側)バス停の上屋が、壊れて撤去された話。【18日追記・初回アップ時に抜けていて、後の話がつながらなかった「壊れて撤去された」を追加。】

市営バス時代に設置された、屋根と三方が透明なアクリル板で覆われた上屋。
2005年3月撮影(雪が多い!)
ポールは設置せず、壁面にバス停名や時刻表掲出枠があった。
2代目バスロケに描かれていたのと同じ、市の花さつきが使われていることからして、1990年代半ば以降に設置されたと考える。
原の町のは、上のリンクにある「帝石前」バス停の上屋とよく似ているが、サイズや文字や枠の配置は異なる。
市営バス 保戸野原ノ町
「保戸野原ノ町」とされてしまっているが、正しくは「ノ」がひらがなだし、そもそもバス停名としては「保戸野」が付かない。※1966年までは「保戸野字原ノ町」が存在した。
秋田市交通局では、「からみでん(旧町名・搦田)」バス停を「からみ田」と表記してしまってもいた。なまじ秋田市の歴史や地名を知っている、秋田市職員が配属されていた交通局だからなのか、電話や手書き文字でのやり取りと確認不充分により、誤植されてしまったのか。

通町など、1990年代後半頃には公営交通事業協会からもらった上屋が設置されたが、それは壁がない屋根のみ。冬は北西の吹雪が激しい秋田市では、心もとない時がある。秋田市の気候を知る交通局だからこそ、壁付きにしたのではないだろうか。

それがどう壊れたかというと、
2022年5月
屋根がなくなって、壁だけ残ってしまった。
2022年始の暴風雪によるものだそう。
「市営バス」をはがした跡が残る
経年劣化と汚れで、アクリル板の透明度は落ち、くもりガラス状態。ただ、上の写真右上の1枠だけは、透明な新しいそうな板に替えられている。
時刻表の隣に「お知らせ」
「バス待合所の屋根が壊れた為、後日、解体・撤去します。」考えてみれば、「何を」撤去するのか書かれていない。「屋根を」と受け取ることもできるが、屋根自体はすでになくなっているのだから、残る上屋全体が撤去されるであろうことは察しがつくけれど。
だが、写真のようにツツジが咲く5月になってもそのまま。8月になっても9月になっても。


いただいたコメントによれば、10月12日にアクリル板だけ撤去された。翌13日には柱も撤去されていた。

柱が刺さっていた場所だけでなく、電柱・民地側まで歩道の幅いっぱいを、新たにアスファルト舗装し直している。丁寧だけど、必要だったのか?

跡にはダルマ型ポースがぽつんと置かれた。
仕様は、この夏交換されたものと同一で、台座が金属枠で囲われる。
表示板は、2021年9月に交換されていた向かいの下り側、2021年秋以降に交換されていた、近くにあるもう1つの原の町バス停の秋田高校線御所野行き側と同じ。
なお、もう1つの原の町の、秋田高校行きと楢山大回り線側は、市営バス時代の表示板のまま、支柱と台座だけきれいにされていたが、それは現時点でも変わっていない。


悪天候のみならず直射日光下でも、バスを待つのはつらいもの。上屋はありがたい存在だが、道路環境や地域の理解、費用を考えると、どんどん整備できるものではなく、バス会社や行政が最優先でやることでもないとは思う。でも、本数も減らされ、気候も厳しくなる昨今、もうちょっとなんとかしてほしくもある。
ただ、原の町の場合、ここから乗る人はさほど多くはないとも思う。手前の保戸野八丁や桜町のほうが多そうだけど、やはりそれらにも屋根はない。
そして、既存の他の待合所も老朽化が進んで、いずれはなんとかしなければいけない時が来る。
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バス停表示板更新'21秋以降1

2022-06-14 19:20:24 | 秋田市営バス
秋田市交通局(秋田市営バス)から秋田中央交通へ移管された路線の、ダルマ型バス停の表示板交換シリーズ。
ここ数年、古い表示板を新しくする作業が、気まぐれながら積極的に行われていた。
交換対象は、基本的に市営バス末期、または中央交通移管直後に設置された表示板で、以下の3タイプが中心。※書体についてはこの記事など参照。
・交通局による1990年代後半~2000年頃作成の、カッティングシートによる写研製丸ゴシック体「ナール」もの。
・交通局による2002年頃作成の、透明シールにパソコンの丸ゴシック体(HG丸ゴシックM-PRO?)で印刷したもの。
・中央交通が、2006年の完全移管直後に作成した、カッティングシートのニィス製丸ゴシック体「JTCウインR」のもの。反射素材。
以上3つともローマ字表記があるが、その方式(ヘボン式/訓令式もどき)に特徴があったり、読みを誤っていたりするものもあった。

交換後は、以前のデザインを踏襲した表示板。カッティングシートのフォントワークス製丸ゴシック体「スーラ」、反射素材。表示板交換と同時に、支柱の交換や、台座を塗装することもある。
直近では2021年9月に取り上げたきり(例外で桜町を最近アップ)で、その後コメントで交換された情報をいただいていたが、なかなか現地確認できずにいた。このほど、やっと重い腰が上がったので、一部を紹介します。

今回は、秋田温泉線・仁別リゾート公園線のバス停。秋田駅西口方面から行くと、両路線だけが走る区間となるのが、手形山崎の次の住吉町から。この区間のうち手形地区~温泉入口辺りまでは、ナールを中心に、透明シールも一部残る、市営バス時代からほぼ手付かず(事業者名書き換えは除く)の表示板であった。添川以降はJTCウインRも混ざる。
今回は、住吉町から扇田までを見てきた。コメントによれば、その次の旭川小学校前が2021年11月に交換されていたとのこと【末尾のリンク先も参照】。同じく臨海営業所管轄である、神田線や泉ハイタウン線方面では、不規則にちびちびと交換されたのに対し、ここは一気に交換した。

以下、特記がない各バス停では、支柱の交換と、台座全体のグレー塗装も行われていたので、ここにまとめて記す。
「住吉町」
交換前は、下り透明シール、上りナール。
新しい表示板は、昨年夏更新分と変わらない仕様だが、写真の上りでは、赤と青の部分に、こすれて傷ついたのか白くかすれた箇所があるのが気になった。
そして、ローマ字に違和感。「SUIMIYOSHIMACHI」、「すみよしまち」。
交換前は上下とも「すみよしちょう」だった。
地名の「手形住吉町」が由来のはずだから、市民としては「てがたすみよしちょう」と認識していた。秋田市の旧サイト「秋田市地名小辞典」でも、手形住吉町の読みは「テガタスミヨシチョウ」。桜町と同様の、違和感ある地名の読み表示が、今なおされてしまっている。


曲がって、グランマート手形店横の「手形休下町」。旭川地区方面からバスで買い物に来る高齢者も多いのだから、下りバス停に屋根でもあればいいのだが。
交換前は、下り透明シール、上りナール。住吉町同様、片側ずつ違う。
交換前上り。南向き
↑この反対、北向きは赤い部分がさらに退色し、ドット状にはがれた箇所もあった。
交換前下り。南向き。透明シールに細かいヒビ

北向き。透明シールの劣化は少ない
前も触れたが、日が当たりにくければ、透明シールの耐久性は悪くない。

ところで、南向き面の20年前=設置直後の姿。
再掲)2002年5月29日撮影

(再掲)背後の電柱が同じようなので、その交換直前らしき姿

今回の交換後は、
上り
上りは標準的だけど、
下り
下りは青い部分の面積が下側に広く、その分ほかが下に下がっている。たまに見られる現象だが、どうしてこうなる?
ローマ字は問題なし。そういえば、この区間のバス停名は「手形○○町」は「手形」を省略したバス停名なのに、休下町だけは例外。市営バス時代の命名だがおもしろい。
【7月10日追記】手形休下町上りバス停のポールが置かれている隣の路上に、ロの字型の断面の金属製のものが埋めこまれている。昔のバス停標識(の脚)を撤去した跡ではないだろうか。なお、初代バスロケの脚は円形の断面なので違う。

また曲がって「東中学校前」。ここだけ、今回は手付かず。
下り側は、市営バス時代は樹脂製の”二面体”バス停であったので、移管直後にJTCウインRへ交換され、今回もそのまま。
上り側は、2代目バスロケーションシステムのポールと、上屋があったのだが、何年か前(ストリートビューによれば2012年10月~2015年8月の間)にどちらも撤去され、ダルマ型ポールになっていた。「手形山崎」の上り側と同じような、スーラながら現行より細いウエイトの文字。
上りはまだ新しいので対象外なのは分かるが、ほかでは交換されている世代の下りは交換しなくていいのだろうか。やはり気まぐれ。
2002年7月撮影の上りバスロケ
この段階では、秋田温泉線・仁別リゾート公園線は移管前。楢山大回り線と、いわゆる秋高スクール(御所野~御野場~秋田高校入口)は移管されていたので、下に中央交通の名が表示されている。
秋田駅行きが点灯
バスロケは中央交通へ移管されなかったため、ここのように、バス停を通る一部路線だけが先に移管された場合は、その路線・系統の行(ランプと文字)を隠す処理が行われていた。
上の写真の表示では、移管された2路線の行が見当たらないが、別に隠してもいなそう。どちらも本数が少なく、しかも秋高行きはすぐ終点だから、市営バス時代の最初から表示しなくしていたのかもしれない。また、大回り線では、「秋田駅行き」を点灯させれば良さそうにも思えるが、厳密には経路が一部異なる(手形休下町と住吉町は通らず、秋田大学前を通る)。
※この近くの大回り・スクールのバス停も交換されたものがあったので、続きの記事にて。


東中の角をまたまた曲がって、あとはまっすぐ。
「田中入口」。手形田中の入口ということなのだろうが、現在の地名では、バス通りが手形田中に面している。
交換前は、上下とも透明シール。
交換前下り

交換後。例によって4文字だと文字の扁平さが際立つ


次は「からみでん」。
手形からみでんという地名が由来。上り側は、「からみ田」と表記された2代目バスロケが残っていて手付かず。下り側は透明シールで、交換された。
交換前。赤い部分の青三角は反射シール

交換後
スーラの「て/で」って、へっぴり腰のような不格好なデザインだと思う。スーラは全体で見るときれいなフォントだが、個々の文字に着目するとややクセがある気がする。

ところで、「からみでん」バス停は、違う場所にも存在する。
秋田温泉線・仁別線のからみでんから、「からみでん」交差点を越えた北東側、ファミリーマート秋田高校前店の裏。
秋田温泉線の途中経由違いの系統、「秋田高校入口経由 秋田温泉線」用。下り2本が平日朝に運行されているので、片側のみの設置。
2019年9月までは、外旭川→天徳寺前→からみでん→手形山→大学病院→ノースアジア大学(2015年秋からは秋田駅東口に変更)と運行する路線があったので、その向かい側にもバス停が置かれていた。
2017年7月のGoogleマップストビューでは、上下とも透明シール。その次の2020年8月には、新しい表示板になっていたので、片側撤去時の交換か? その交換後は、
2021年9月撮影
本数が多いほうも少ない方も、同じ古さの表示板だったのに、本数が少ないほうを1年以上先立って新しくするというのが、相変わらず気まぐれ。
だけど、表示板の文字レイアウトは、区別がつかない。気まぐれでないのが珍しい。


元の経路に戻って、からみでん交差点を越えると、この記事最後の「扇田」。
以前は上下ともナールだった。
(再掲)ローマ字は「OGIDEN」、「おうぎでん」
地名の手形字扇田は、秋田市地名小辞典では「テガタアザオウギダ」だから、交通局による間違いかと思ったが、地元では「おうぎでん」と呼んでいるとのこと。
交換後
住吉町~からみでんと違い、表示板だけ交換したようだ。交換前から支柱にはサビがなく、台座も形状が少し違って新しそうなので、そのままにしたのか。
「OGIDEN」を踏襲

新表示板の仕様も安定してきたようで、ツッコミどころが少なくなってきたのが、つまらない。市営バスからの表示板が減っていくのは寂しい。
この近くの別路線のバス停について続く【15日補足・次回は多少おもしろくなるかと思います】。
旭川小学校前など扇田より先のバス停の状況
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やまびこ号・せせらぎ号

2022-01-10 20:31:45 | 秋田市営バス
2022年1月10日は成人の日。成人の日と言えば成人式。
今年4月の民法改正で成年年齢が18歳に引き下げられるので、20歳の新成人を祝うものとしては最後。ただし、来年以降も引き続き、式典は20歳を対象にし続ける自治体が、全国的に多数。
そして、昨2021年1月は、新型コロナウイルス感染症流行により、成人式を実施しない自治体も少なくなかった。今回は、ワクチン接種の普及やそこまでは感染拡大していないところが多く、挙行する自治体が多い。

昨度新成人向けの式典は、延期されていた自治体もあれば、中止されて成人式がないまま終わってしまう自治体もある。
秋田県では、由利本荘市と大仙市で、延期されていた昨年度成人式を2022年1月8日に行った(今年度分は9日開催)。
一方、秋田市は、いったん2021年夏に延期されるも、結局中止。首都圏では実施したところもあったし、オリンピックもやったのに。
対象者には、記念品として、市章とAR A丸ゴシックEの「Akita City」の文字入りアルミ製カードケース(名刺入れ)を、市長メッセージとともに郵送したとのこと(秋田市サイト ページ番号1030627)。住民票登録者だけでなく、電子申請により、過去の在住者と、現在市内へ通勤通学している人ももらえた。

成人式に出ようと思えば出られたのに、出なかった者としては、成人式がなくても何も問題ない思う。
でも、会いたい人がいる人も多いだろうし、毎年あるべきものが、非もないのに自分たちだけなくなったのはかわいそう。小学校や中学校卒業以来の再会で、かつこの後一生会えない相手もいるのだし。



秋田市では、成人式を「新成人のつどい」と称している。来年度以降も20歳を対象とするのは決まっているが、「新成人」でなくなるので名称変更を検討しているようだ。
2年ぶりとなる今回も、例によって、遠方から帰省して参加する人のため、成人の日前日の日曜日に、秋田市立体育館で開催。

コロナ対応で例年と違うのは、秋田市外在住者は要・事前申し込み。さらに県外在住者は、ワクチン2回接種済み/県内滞在後2週間経過し体調に異常なし/年明け後のPCR検査で陰性、のいずれかを条件とした。
さらに、以前は、午後にまとめて1回だった式典を、出身中学校で分けて午前午後の2度開催。
午前は秋田東、山王、土崎、太平、外旭川、秋田北、下北手、泉、将軍野、飯島、秋大附、特別支援学校、市外の中学校。午後は秋田南、秋田西、豊岩、城南、下浜、城東、御野場、勝平、桜、御所野学院、岩見三内、河辺、雄和。
下北手中が例外的で、それ以外は南北で区切った感じ。※今年の人たちは、聖霊中学校はすでに募集停止、県立秋田南高校中等部は開設前。
秋田市のつどいでは、例年、最後に出身中学校ごとに集まるコーナーがあり(市外出身者はアウェイ感しかないだろう)、恩師も来るらしい。今回は密対策でどうか知らないけれど。
2つに分けてしまうと、小学校卒業時に分かれてしまった人どうし、つまり複数の中学校区に分割される小学校出身者や、秋大附属中に進学した人などとは、会えない場合がある。今回の分け方では、山王中と南中に分かれる旭南小学校がそうなってしまう。

報道によれば、今年の秋田市の新成人は2613人、つどいには2013人が出席。説明がなくて誤解を招く報道。2613というのは住民票の数だと思われる。住民票がなくても出席する人もいる(それが許されている)のだから、実際の分母は2613以上になる。
また、テレビでは午前の部のみを取材していて、新聞もそんな感じ。その中で、新成人2名が壇上で決意(新成人の抱負)を述べたことを伝えている。では午後の部は? 動画がネット公開されているので確認したところ、午後も同じ人だった。どうせなら別の人にすればいいのでは?



以上前置き。本題は、秋田駅東口と会場を結ぶシャトルバスのこと。
以前から運行されていて、2014年に記事にしている。開催前後に3便(各定員50名)ずつ設定され、秋田市役所分館前(駐車場)にも停車。うち1便は秋田市教育委員会管轄「秋田市太平山自然学習センター・まんたらめ」の送迎用大型バス「まんたらめ号」が使われていたが、ピストン輸送はできないダイヤで残り2便は見当はついたが未確認だった。

今回も3便運行され、市役所付近では山王大通りの県庁市役所前バス停が乗降場所(行き便ではバス停に市職員らしき人が付いていた)。定員は、55人が先発1台、40人が後発2台。定員が変わっているが、これも見当通り。
午後の1・2便
定員55人の車は、まんたらめ号。
まんたらめ号は、秋田市交通局(秋田市営バス)の空港リムジンや貸切に使われた車両を転用した初代が役目を終え、2020年春頃に新車に更新されている。
新まんたらめ号としては初の新成人送迎。乗る新成人としては、これまでなら小中学校の宿泊研修(いわゆる林間学校)などで乗車したまんたらめ号との再会の場であったが、今回は代替わりを知らされる場となろう。
55名は車種の標準の定員なので、このご時世、空席を設ける密対策はしないことになる。ただ、午前の行き便はたまたま見られたのだが、数人しか乗っておらず、問題ない状態。後2台はたぶん誰も乗っていなかった。写真の午後の行き便も、午前と大差なさそう。
もう少し利用者がいると思ったのに。前からこうだったのだろうか。帰り便は見ていないが、帰りだけ乗る人はいるかもしれない。

残る2台。
「やまびこ号」

「せせらぎ号」
行き便は午前午後とも、まんたらめ号→やまびこ号→せせらぎ号の順の運行だった。
やまびこ号とせせらぎ号は、ナンバープレートが連番で、塗装が色違いで、正面の行灯に「秋田市」と書かれた、まんたらめ号より小さいバス。
日野自動車の貸切・自家用(路線使用例もあり)の中型バス「メルファ」。※ジェイ・バスが製造し、いすゞ「ガーラミオ」との共通車種。2021年秋にマイナーチェンジしているので、その1つ前。

やまびこ号も、以前の車を取り上げていた。これも市営バスの貸切車の転用で、まんたらめ号と同サイズ・おおむね同車齢(1990年代前半製)の大型バスだった。
「社会教育バス」として秋田市教育委員会 生涯学習室が所管。各市民サービスセンター主催あるいは「○○地区高齢者学級」みたいな市民の生涯学習で、市内外への見学の足が主な用途のようだ。郊外部でスクールバス(路線バス扱いのスクールバスでなく、市が送迎する形なのだと思う)が運行されている地域で、専用車の代走をすることもあるとのこと。

せせらぎ号は、当ブログ初登場。
現在は、やまびこ号と同じ扱い。秋田市には社会教育バスが2台あることになり、参加人数によっては2台そろって走る場合もある。
この以前の車は、市営バス由来ではないはずの、貸切タイプの大型バス。たぶん、旧・河辺町が所有していた(根拠は忘れたけど、そう記憶する)。2005年の秋田市編入後も使われたことになるのか???
数度一瞬見ただけでうろ覚えだが、三菱エアロバス・エアロクイーンか日野セレガ(後述)。車体塗装は白をベースに、青や緑が使われたもの。岩見温泉の送迎バスと、デザインに共通性があるような気もした。


旧やまびこ号を最後に目撃したのは2018年。新しいやまびこ号は、2019年10月に初めて目撃していた。せせらぎ号と連番なので、同時購入だろう。秋田市議会の会議録でも、2台を2019年度納車とされている。
その他、会議録によれば、購入ではなく「借り上げ」で「7年間のメンテナンスリース契約」。当時はオリンピック・パラリンピックや環境規制対応のためバス車両の需要が旺盛で、購入だと納車が待たされることを理由に挙げている。ちなみに、まんたらめ号も7年リースだった。
先代の車は1990年と1993年製造である旨の発言があった。やまびこ号が1993年のはずなので、せせらぎ号は1990年か。当時だと、エアロバス・エアロクイーンはもう1世代前のモデルになるから記憶と合わないのでセレガか。セレガは1990年7月に新車種としてデビューした。なお、やまびこ号もセレガ。


メルファは、旧セレガの流れを汲むデザインで、今も他車種のような大胆なデザイン変更がないので、顔付きとしては、先代車両の面影があるが、塗装は大きく変わった。
色違いのボディは、アスタリスクのようなものが側面後方に並ぶほかは無地。側面前方には、斜めにしたフォントワークス「(ニューじゃない)ロダン」で、名前が表記される。文字配置が等間隔ではないような。
後部は無地。後続車にしてみれば謎の白いバス。前に「秋田市」があるだけいいけれど、まんたらめ号や秋田市自然科学学習館のバスでも指摘したように、秋田市章があってもいいし、もっと秋田市のバスであることを明示したほうがいいと思う。

この塗装は、メーカーの標準ラインナップの1つ。やまびこ号が「ライトターコイズ(BUS-8114)」、せせらぎ号が「ライトピンク(BUS-8001)」。
メルファには3つのグレードがあり、用途に応じて設備が異なる。最上位「ロイヤルサルーン」と中位「スーパーデラックス」は、リクライニングシートで、選べる塗装が共通しているなど違いが分かりづらいし、日野自動車のホームページも分かりづらい(いすゞガーラミオを参考)。座席の間隔が違うのか、客席数はロイヤルサルーン(ガーラミオM-III)が35、スーパーデラックス(M-II)は41だから、この2台はスーパーデラックスだと思われる。
昨年撮影。ドアは前にせり出すスイング扉
ただ、現行車種では、ドアがロイヤルサルーンはスイングドア、スーパーデラックスは折り戸なのに、この2台はスイングドア(プラグドア、スライドドア)。オプションで変更したのか、前モデルではこうだったのか。
座席の布地は、いすゞの路線バスでも見かける青い柄入り「ネオジャスティスブルー」。メーカーホームページの現行車種には出ていないが、頭が当たる部分にビニールレザーっぽいものが付いていて、2台で色が違う。やまびこ号が濃い赤(外からでも目立つ)、せせらぎ号が青紫。

リース期間は2026年度途中までということだろうか。
これらの秋田市有バスを運転している人たちは、秋田市営バスの運転士だった職員(移管途中~閉局時に交通局から他部局へ異動)もいると思われる。でも、近いうちに、定年退職していく人も増えていくだろう。いずれは外部委託や都度借り上げになったりするのだろうか。

【2023年3月13日追記】やまびこ号とそっくりな(車体色も)バスを、にかほ市が所有していた。側面の「やまびこ号」の位置に「にかほ市」と表記され、ナンバーは26番(たぶん)ほど先に登録。
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元点滅バス停の一点物

2021-08-08 23:56:23 | 秋田市営バス
1年前、秋田市営バス(秋田市交通局)の1つしかないバス停ポールを紹介した。その続き。
県立体育館前割山町は、当初から“一点物”だった。今回紹介するのは、後の改造で一点物になったもの。

新国道(と通称される秋田県道56号)、下りで秋田中央郵便局前の次。
「幸町交番前」
バス停は、「いとく」をメインとする「新国道モール」の前に位置する。秋田中央警察署 幸町交番は、その新国道モール南辺の狭い市道に面し、モールに食いこむような立地。

幸町交番前下りバス停は、台座のある可動式ではなく、路面に埋めこまれたポール。支柱と枠が一体化した金属製。このポールは、秋田市内にそこそこあるが、幸町交番前下りだけバス名称部分が違う。
市町村会館前・下り
バス停名部分が板ではなく、厚みのある黒い箱なのが本来の姿。箱のサイズは、横32.3センチ×縦24.5センチ×奥行き13.5センチといったところ。文字は白いナール(市営バス時代は事業者名も)、事業者名とバス停名の間に赤い線。反対面も同じ。

交通局が1990年代中頃にまとめて設置したと記憶する。過去の記事で「1994年度頃」と自分で書いているが、それだと2代目バスロケと同年になってしまうはず。2代目バスロケよりは若干後だった気がする。
バスロケーションシステム(接近表示)にするほどでもなく、蛍光灯を内蔵した電照式にするほどでもないが、そこそこ乗車があるバス停に設置された感じ。中心市街地にはないはず【2022年1月15日訂正・明田地下道入口(下り)があった】で、新国道や市立病院西口(上り)、川尻十字路(上り・撤去済み)、山王交番前(上下とも)など。埋めこみだから歩道など広い環境でないと設置できない。
(再掲)市民生協前(折り返し待機場、正しくは市民生協入口)

(再掲)中央郵便局前・上り
上の2つの写真のバス停名部分には、文字のライン上に小さな点が並んでいる。赤色のLED。
移管で秋田中央交通とされた部分は、かつては「市営バス」で同様にそこにも埋めこまれていた。
そんなわけで、夜になると、
(再掲)2002年夜の山王二丁目・上り(後に撤去)、市章は光らない
点滅していた。※点灯ではなく点滅。
当時は白色LEDはまだなくやむを得ないが、赤点滅では「電照式」とするには物足りない明るさ。バス停の存在を知らせる効果程度だったはず。
そして、現状では、どれも点滅しなくなってしまった。

今まで意識しないでしまっていた。LEDの電力はどこから来るのか。地中に配線があるのか?
中央郵便局前上りを上から拝見すると、
箱の天面にソーラーパネルが!
↑この面左隅には、コードをつなげるかもしれない端子のような穴があるが、何もつながっていない。中央はネジ。反対向きでは、
端子がなく「KYOCERA」
京セラのソーラーパネル(太陽電池)があった。
調べてもよく分からなかったが、バス停全体が京セラ製というわけではないかもしれない。
2000年に設置される県立体育館前もソーラーだが、それと比べると、パネルが目立たず洗練されたデザインだ。消費電力が少ないこともあるだろうか。

市営バス時代設置の蛍光灯電照式バス停も、移管後いつの間にかどれも点灯しなくなってしまった(買物広場だけは常夜灯みたいなのがぼーっと光るけど)。それらは意図的に電線を切ったのか、電力契約を解約したのだと思う。
ソーラーでは、あえて線を切る意味はないだろうから、バッテリーが劣化してしまったのか。

市町村会館前にはLED粒がない
市町村会館前は、1998年に「自治会館前」から改称されたとのこと。
ということは、新規設置からわずか数年で改称され、光らない板を上張りされてしまったのだろう。「市町村会館前」もナールなので、ぱっと見分からない。

また、社名の上張りの下に緑色が少し見えている。
移管直後は緑色シールで対応し、後からその上に黒地を貼ったようだ。移管途中で2者が一時的に共用していたバス停では、この緑シールがよく使われたが、ここは新屋西線だけなのでいちどに移管したはずなのに、社名は2度貼っている。

山王交番前も粒がない。これは「酒造センター前」で設置され、2006年頃に「八橋南一丁目」、2010年秋頃に「山王交番前」と変遷。



幸町交番前に戻ります。
箱状表示を取り外して金属板を付けたので、一点物になった。
箱を取り付けていた金具を撤去して、ハンダ付けみたいなので金属板を付け直した痕跡がある。
ローマ字なし、フォントはスーラ
形も色も、激減した共用タイプのバス停表示板に酷似している。サイズや上辺のカーブは異なり、こちらのほうが縦長か。
(再掲)市営・中央交通共用表示板

幸町交番前は、以前は「いすゞ前」という名前だった。新国道モールの場所に、秋田いすゞ自動車があった。埋めこみポール設置時はまだいすゞ。
では、その改称に伴って、箱に上張りせず、撤去交換したのか? と予想したが違う。なぜなら、表示板の下に透けている文字を見ると、
「いすゞ前」
「幸町交番前」と書かれた下には、太めの丸ゴシック体で「いすゞ前」、ローマ字なし。事業者名部分は、
今の中央交通の文字も消えてますが…
以前の「秋田中央交通」の上に、少し小さく「秋田市交通局」とある。市章・社章はなさそう。
「市営バス」ではなく、「秋田市交通局」と表示されるバス停は、ほかには知らない。

となると、まだいすゞ前だった時点、かつ市営バス時代のうちに交換されている。時系列でまとめると、
・2001年4月 新港線、新国道経由サンパーク線が中央交通へ移管。
たしかこの後も、千代田町経由神田線はここを通っていたはずで、だとすればそれが唯一の市営バス。=千代田町経由と言いながら、末期は千代田町は経由していなかった。
・2005年4月 千代田町経由神田線が移管。
・2006年4月 秋田市交通局閉局
・2006年4月 秋田いすゞが寺内へ移転(ちなみに工場は1958年から、本社は1961年からここにあった)
・2008年6月 新国道モール開店
ということは、2005年春より前に、板に交換されたのか? 車がぶつかるとかして、表示部分が壊れたのだろうか。
【9日追記】移管途中段階辺りの交換、他にない仕様であることを踏まえれば、中央交通側で作った表示板かもしれない。市章を使うのをためらったり、表示板作成の経験が少なくて、こうなったのかと考えたり…

ここで、このポールの「向き」に注目。
バスの進行方向と平行になってしまっている。これでは点滅したとしても、歩行者も運転士も気付きにくい。上の中央郵便局前も平行だが、撤去前の山王二丁目やその他各所では進行方向(とその裏)に向いていた。
この道路は、21世紀に入ってから、電線地中化・ロードヒーティング設置工事がされている。
その工事の時に、配慮がなくて向きが変えられてしまった可能性もある。幸町交番前の金属板交換も、工事が関係する可能性もあるかもしれない。


ところで、この向かいの上り側。
今はダルマ型で、移管後に設置されたもの。その前は、上りもLED点滅埋めこみ式だったが、撤去されている。こちら側も同様の道路工事が行われていたが…

Googleストリートビューでさかのぼると、2015年夏では今と同じ。その前2012年10、11月では、
これだった!(赤枠は違うアングルから合成)
工事は終わった状態で、埋めこみ式が直角向き。
不鮮明だが表示は、板だが、下り側とはまた違うもの。

上辺も平らな正方形に近い四角形で、ダルマ型円形表示板(いわゆる市営バスタイプ)と同じ3色塗り分け。社章は社名の上ではなく前。バス停名は細い文字でローマ字があるようだ。下り側よりは新しそうかな。
上り側も、壊されたのか、もしくは歩道が狭くなっている部分だからジャマだとかで撤去交換されたのか。


何度か触れているように、幸町交番は近いうちに泉外旭川駅前(泉側)へ移転する。更地は確保されているが未着工。
そうなれば、このバス停名を再び変える必要がある。
中央交通では、原則として今は施設名を新たなバス停名に使わない方針にしているそうだけど、「千代田町」「高陽幸町」等周辺の地名は他路線のバス停で使っている(別に重複しても構わないとも思うが)。「新川向」だと1つ隣の交差点だし…
その時、一点物表示板はどうなるか。【10日追記・支柱の途中付近に衝突されたのか、わずかに傾いているのも気になる。】
【2022年8月31日追記】幸町交番前バス停は、2022年10月から「高陽幸町交差点前」となることになった。変更後の状況
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神田線 平成史

2021-02-23 17:44:06 | 秋田市営バス
2019年秋で廃止された、秋田市の秋田駅西口と土崎駅前を、外旭川地区を経由して結ぶ路線バス「神田土崎線」。
秋田駅と外旭川の間は、「神田旭野(団地)線」が多数走っているので、実質的にこの時の廃止とは、外旭川病院前~土崎駅の区間をバスが走らなくなること。「神田土崎線」という「路線」扱いするべきなのか、神田線の1つの「系統」扱いするべきなのか難しいところ。
個人的には、「神田線」と大きくくくるべきであって、土崎線は系統レベルかとは思う。しかし、1954年の運行開始時は、この系統しかなかったはずであり、元祖で本家の神田線という意味では、軽視したくもない。
2年前に経路や廃止直前のダイヤを記事にしたが、今回は遅ればせながら、記憶と資料が手元にある、昭和末から廃止までの(平成の30年間が中心)歴史を振り返ってみる。

ここでは、元祖神田線である土崎線と、現在の主系統である旭野団地線を主に取り上げる。
そのため、現在はマイタウンバス化された「笹岡線」については触れないことにするが、1988年春から2011年3月まで、神田線の1系統「神田笹岡線」として秋田駅まで来ていた(それ以前とマイタウンバス化後は、外旭川地内~笹岡~土崎方面で運行)。泉外旭川駅開業によって、変化があるのだが、開業後にまた。

略図。赤い線(実線も点線も)が神田土崎線の経路。一方通行や直接関係しない路線・系統は省略

神田線の運行開始は、1954(昭和29)年1月らしい。当時は外旭川村で、同年10月に秋田市に合併されている。当時は、秋田と土崎の直接の行き来には市電があったし、外旭川は農村だったから、外旭川止まりの系統はなく、秋田と土崎(すでに秋田市と合併済み)の2つの町と外旭川を結ぶ路線だったのではないだろうか。
昭和40、50年代になると、外旭川地区の宅地化が進み、対秋田駅方面の需要が増えて、外旭川止まりの系統ができたのだと推測する。
【24日追記】神田線沿線には、秋田大学教育文化学部附属学校(原の町~保戸野八丁)以外には、児童生徒の多くが通学にバスを利用する高校のような学校はない。したがって、乗客に占める沿線在住の住民の割合が高い路線だと思う。そんな性格の路線において、これほどの本数があるのは秋田市では珍しいのではないだろうか。


まずは昭和末以降の(記録でなく)記憶をたどる。
・初代バスロケーションシステムの接近表示器(1981年12月運用開始?)には、土崎行き、卸売市場経由土崎行き、卸売市場行き、さらに八柳二区(現・八柳三丁目)行き、それぞれにランプがあったか。
・1983~1984年頃に見られた方向幕(行き先表示。旧型表示器は内容が異なったので、新しい大型の表示器)は、「神田・土崎」「卸売市場 神田・土崎」「神田・卸売市場」。八柳二区行きなどほかの幕は見たことがなかった。
卸売市場経由の方向幕のイメージ ※書体やバランスは実物と異なる
・その後、1986~1988年辺りになると卸売市場行きに代わって「神田・旭野団地」が登場。バスロケ表示は機器更新まで変更されなかったはず(卸売市場行きのランプで代用?)。
また、それと同時期か少し後、全路線で方向幕の内容を見直したタイミングだと思うが、「神田・土崎」が「神田・土崎駅」に変更。
末期の「神田.土崎駅」(以前の掲載写真の別カット)。休日朝で誰も乗ってない。2002年9月
以前記事にしたように、秋田市営バスでは、同サイズの方向幕でも、文字の区切りや割り付けに少なくとも2種のバリエーションがあった。廃車の流用や途中での交換もあったようで、同じ車でもいつの間にか変わっていることもあった。
これは「神 田・土崎駅」。夕方便なので乗客は多い。2002年8月
土崎発秋田駅行きは、他系統(卸売市場発や旭野団地発)と共用の「神田・秋田駅」。卸売市場経由は土崎駅行きと同様「卸売市場 神田・秋田駅」。ちなみに「天徳寺・秋田駅」も使えなくはないが、基本的に添川線用。

・卸売市場止まりがなくなって、旭野団地止まりに代わった後も、土崎線には、卸売市場を経由する便が存続。
曜日などによっては、卸売市場に代わって旭野団地を経由する便もあり、その方向幕は「神田・土崎駅」「神田・秋田駅」で代用(「旭野経由」とかの紙掲出?)。
そしていつの間にか、卸売市場経由が消滅。

・いつの間にか、土崎線は激減し、2019年秋に完全廃止。

そんな流れと記憶するが、細かくは覚えていない。神田線は身近な路線ではあったが、どこ行きでも変わらない環境だったこともあって。
秋田市中央卸売市場は1975年開設。※現在は花き部門のみ存続し、青果・水産は2012年に秋田市公設地方卸売市場に転換。
旭野団地行きと言うが、実際にはその次の「外旭川市営住宅前」が起終点(2017年からは団地内を周回し回転地終点)。外旭川市営住宅は1981年に最初の棟が完成。
卸売市場周辺には、今もさほど住宅はないので、1980年代にたくさんバスが乗り入れる(折り返し便と経由便)必要はなかった気もする。時間帯によっては市場へ通勤する人はいたかもしれないけれど。1980年代中頃では、市営住宅の道路や周辺整備がバスが入れる状態でなく、とりあえず秋田市役所内で融通が利く、卸売市場を折り返し・待機場所として使ったのかも。【24日追記・当時は、今ある広い道路多くが未整備で、ルートやバス停位置も今と若干異なったので、卸売市場で乗降して田んぼの中(?)を突っ切るのが、市営住宅への近道という意味もあったかも。】
卸売市場も市営住宅もなかった頃は、秋田駅~土崎駅の路線は、どこにも立ち寄らず、直行していたのだと思う。


今度は、昭和末以降の時刻表から、上記の記憶を裏付けるべく、神田線の変遷を拾ってみる。
【3月2日コメントの情報から追記】1987年4月
・系統図(路線図)に「卸売市場前」と「旭野団地」が表記。起終点なのか途中経由地なのか等詳細は不明だが、この時点で旭野団地へバスが乗り入れていた。(以上追記)

1988(昭和63)年3月29日改正
※当時は平日/休日ダイヤが同じで、一部便を休日運休とする形式。
・昼前~夜は曜日問わず同じ本数運行。日曜祝日運休となるのはわずかで、秋田駅発は朝1本、秋田駅行きは朝6本(うち1本は土曜も運休)だけ。秋田駅発では土曜日のみ13時00分発が増便。
・土崎着発のうち、秋田駅発10時10分、土崎駅発14時55分の上下1本だけ旭野団地経由、ほかは卸売市場経由。=無経由の土崎線はない。

昼間は土崎駅着発毎時1本、旭野団地着発毎時2本が基本。=卸売市場止まり、八柳二区止まりはない
昼間の秋田駅発は、土崎行き毎時10分、旭野団地行き毎時30分、50分発で統一(ほかに添川線が毎時40分、笹岡線などイレギュラー便も)。=神田線だけできれいに20分間隔。

・冊子時刻表で途中バス停も出ているので「神田」における平日朝の秋田駅行きは、
6時28、53。7時03、13、18、23、35、36、45、53。8時05、25、45、58。
→現行(2020年秋改正)の八幡田二丁目では、6時47。7時07、17、27、42。8時00、17。=半減しているが、秋田市内全体で見れば、現状では多い方でしょう。

・自衛隊入口始発秋田駅行き便(旭野団地経由せず)あり。7時25分(日祝運休)と7時43分(毎日)の2本。市場入口始発7時40分(日祝運休)もあるが、後述の野村始発の注記漏れかも?
→一方通行の関係で、上り便のみ新国道の自衛隊入口を通る。土崎駅発も毎時1本あったわけで、新国道経由駅行きと誤乗する人はいなかっただろうか。駅までは神田線では遠回りで運賃も高くなる。


以降は冊子でなく、大判1枚もので、始発バス停の時刻のみ掲載。
1988年12月21日改正
・「神田線」として一括掲載。上りの始発は「旭野団地発」を掲載しているが、土崎駅始発は当然土崎駅の初時刻だろうから、まぎらわしい。
・昼間の基本の秋田駅発時刻が変更。土崎行き毎時00分、旭野団地行き毎時15分、45分(添川線30分)に。
→土崎行きが毎正時(00分)発なのは、それが元祖神田線だからこそのステイタスだと思っていたけど、昔からというわけではなかったのか。でも、これが大幅減便時まで定着することになる(休日は次改正から)。神田線としては15分の次が30分空いてしまうが、添川線と合わせて天徳寺前まではきれいに15分間隔かつ覚えやすいダイヤで、とても便利だった。
【23日追記・以下、秋田駅『行き』の時刻については取り上げませんが、秋田駅発のような等間隔のダイヤではなかった。】

・前改正で市場入口始発かのように記載されていた便は、「野村」始発7時38分(日祝運休)に。
→野村バス停の場所が不明。当時は外旭川アンパスはまだなく、バスが通れる道といえば帝石踏切の道路くらい?
いずれにせよ、外旭川から秋田市街地への登校・出勤需要が旺盛だったようだ。
【24日追記・野村バス停について、コメントの情報などから補足】当時の地図や冊子時刻表によれば、やはり帝石踏切の反対(新国道)側に「野村」、さらにこちら側に「堂ノ前」バス停があって、八柳二区につながっていた。これらは、堂の沢県庁線(当時は駅~県庁~面影橋~堂の沢~自動車会館前~八柳二区~神田~斎場前~八幡田。後に自動車会館発着に短縮)が使っていたバス停。
堂の沢線で野村の1つ手前は、新国道の日産サニー前(現・日産サティオ前)だったようだ。つまり、野村始発神田線は、帝石踏切の通りの全バス停から神田経由で駅までの輸送を担っていたことになる。新国道経由では少し遠い人たちへのきめ細かい配慮だったようだ。(以上追記)


1989年4月4日改正
・ここから平日/休日ダイヤを分離した2本立てに。ただし土曜日は平日扱い。
休日ダイヤでは、旭野団地止まりは毎時1本に。土崎駅着発は平日と同じ毎時1本(自衛隊入口始発1本もあり)。
・日曜祝日の昼間は10分土崎、(添川線30分)、50分旭野に。
神田線全体として平日毎時3本、休日毎時2本に。休日の旭野団地系統がほぼ半減。天徳寺前まで20分間隔、神田線としては10分の後は40分空く。休日ダイヤはこれが定着。
 
1990年12月15日改正
・時刻表が土崎線と旭野団地線に分割。表記は「神田線(土崎駅前)」「神田線(旭野団地)」。
→分離時期が思ったより早かった。自衛隊入口、野村始発便は旭野団地欄に。旭野団地は経由しないのだから、土崎欄のほうが良かったのでは?

・土崎線の休日は、卸売市場経由に代わって全便旭野団地経由に。
→前年に旭野団地止まりが半減された代替ということか。

・平日に旭野団地(外旭川市営住宅)17時20分始発 卸売市場経由秋田駅行き設定。
→通勤帰宅の足?


1992年4月1日改正
・時刻表表記が「卸売市場経由神田線(土崎駅前)」に。
→基本的は卸売市場経由ということなのだろうけど、土日は通らない。

1992年12月15日改正
・時刻表表記が「神田旭野線」「卸売市場経由神田土崎線」に。
→「旭野団地」という言葉自体、由来がよく分からないが、さらに略して「旭野」にする違和感。これも思ったより早い時期。


1993年4月1日改正
・土曜日も休日ダイヤ適用に。
ただし、土崎線は土曜日は1往復が旭野団地経由、残りは卸売市場経由という、平日並みの扱い。日曜祝日は全便旭野団地経由。
旭野団地止まりは、駅発毎時20分が土曜日のみ運行。土曜日の駅発は土崎10分、旭野20分、(添川30分)、旭野50分とアンバランス。
自衛隊入口、野村始発、旭野団地始発卸売市場経由は、土曜日も平日と同じく運行。
→公立学校は第2土曜だけ休み(1995年から第4土曜も)だったし、まだ土曜は完全な休日ではなかったようだ。

1993年12月15日改正
・自衛隊入口、野村始発便に「旭野団地は経由しません」の注記。以降、あったりなかったり。

※この間目立った変化なし※

1996年3月28日改正
卸売市場経由がなくなる。
・表記も「神田土崎線」だけとなって経由地の表記なし。直通になったのか?
・野村始発が廃止。自衛隊入口始発は平日と土曜2本、日曜祝日1本のまま存続。

※1997年の時刻表は保存していないので不明※

1998年11月1日改正
・旭野団地止まりの土曜日のみ運行の毎時20分発が廃止。土曜も日曜祝日と同本数に。
→公立学校はまだ隔週土曜休みだった(2002年から毎週)。供給過剰だったのか。
・自衛隊入口始発は平日と土曜の1本だけに。
 
2000年4月1日改正
・秋田組合総合病院(現・秋田厚生医療センター)移転に対応。
土崎線が大幅減便。平日は朝と夕各1往復の計2往復、土日は朝1往復。
旭野団地線は土崎線分をある程度増発、一部を病院延長(当時は市営住宅には入らず、旭野団地通過後直行)。
平日昼間も毎時2本(駅発15分、45分)となる時間ができる。土日は毎時20分が復活し、旭野団地までは改正前とほぼ同本数。
→病院移転だけでなく、利用実態と中央交通移管を見据えた、適正化やリストラの意味もあったのだろう。

・自衛隊入口始発の土曜廃止。平日のみに。

※この間時刻表保存なし。以降保存なし多し※

2005年4月改正
市営バスから秋田中央交通へ路線移管。
この時点(移管初年度は市営バス時代を踏襲することになっていたはず)では、秋田駅~土崎駅(笹岡線除く)は、秋田駅発平日2本(7時00分、17時00分)、土日1本(7時05分)、土崎駅発平日3本(7時50分、14時30分、18時00分)、土日1本(7時45分)。ほかに自衛隊入口発平日7時35分(土崎線の欄に記載)。
→いつの間にか平日土崎駅発14時台が増便されている。廃止前に新国道で見たかけた時はほぼ誰も乗っていなかった。附属小学校の帰宅用としては使われていたはずだが、別に旭野団地発でも構わないのに。
旭野団地線(組合病院行き含む)は、平日毎時2~3本、休日毎時2本程度。

※以降旭野団地の本数やバイパス経由については省略※

2009年4月改正
・2005年とほぼ同じ。自衛隊入口始発も存続(この後いつ廃止かは不明)。

2011年春の次の改正~2014年3月の前の改正の間
・土崎線 平日夕方の1往復廃止

2014年3月
・土崎線 土日廃止

2016年9月
・土崎駅発14時35分廃止。朝の1往復のみに

2019年9月
完全廃止。

神田土崎線廃止により、ほそぼそと続いていた、外旭川と土崎を結ぶ公共交通機関がなくなってしまった。外旭川は、秋田市の地域分けでは、土崎を中心とする「北部」地域になるのに。秋田市役所などのある山王へもバスの便はない。(線路を越えて新国道へ出れば、土崎も山王も行くことはできますが。)
そして来月、泉外旭川駅が開業。外旭川と土崎を鉄道で行き来できるようになる。秋田駅へも早く、(市民の高齢者以外は)安く行くことができる。通学を中心とした神田線の利用動向がどう変わり、それが数年後のバスダイヤや外旭川の町にどう影響するだろうか。さらには、イオンタウンやサッカースタジアム計画も。
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公営交通バス停上屋

2021-01-28 20:30:24 | 秋田市営バス
通町下りバス停の続き。今回は過去へさかのぼって。
現在
上の写真の通り、上屋の梁というか、屋根の下の道路と平行な部分には、秋田市章のほか、「財団法人日本宝くじ協会 協賛」「社団法人 公営交通事業協会」と表示されている。

市章や「公営交通」は、今となっては場違いだが、ご記憶の方も多いように、2000年度までは、通町を通る全路線を秋田市交通局(秋田市営バス)が運行していた。2001年度から段階的に中央交通に移管され、2006年度から全路線中央交通。
市営バス時代に設置された上屋ということになる。
それに通町は、1990年代後半に道路拡幅・再開発が行われ、現在の街並みになった。それ以降に設置されたことになる。
ちなみに、拡幅前には、小さめで(たしか内部に椅子や接近表示器も備えた)壁付きの上屋というか待合所があったが、おそらく民地内に設置。歩道はとても狭かった。

県立体育館前下りのソーラー照明付きポールの記事で触れているが、この上屋は公営交通事業協会の「モデルバス停留所施設 設置事業」で設置されたらしい。
全国の加盟事業者にも設置されていて、ほぼ同じ上屋が全国的にあるようだ。近年も継続していて、仙台市交通局には2015年度に設置されていた。通町のと色も形もよく似ているが、屋根は平らで、全体にやや細身な印象。同局ホームページには「宝くじの収益金により社団法人公営交通事業協会を通じ寄贈されたものです。」とある。


公営交通事業協会ホームページによれば、秋田市交通局にこの上屋が設置されたのは1992、1996、1999年度。通町はそのどれかになるけれど、拡幅の時期からして、通町は1999年度設置だろう。
各年度に複数設置された可能性もなくはないが、知っている限りでこの上屋があるのは通町とあと2か所。それぞれ細部が異なるので、違う年に設置された可能性が高く、各年度1つずつではないだろうか。

残りの2か所は、市立病院西口上りと新屋西線側の豊町上り。そちらを見ておく。
2018年撮影。市立病院西口
市立病院裏の通りは、道路改良工事が行われた。写真はほぼ完了した頃。
微妙な距離を置いて、交通局末期に設置された、埋込式・赤色LED点滅のポールが立つ。

2019年撮影。豊町
こちらはダルマ型で、移管直後に交換された、JTCウインRの表示板。

3つの上屋は梁に表示された内容が、それぞれ多少違う。書体はいずれも写研「ゴナ」かな。
冒頭の写真の通町の内側(歩道向き)では、市章が緑(公式な市章のカラーである若草色)、やや小さめで「通町」のみ。右に宝くじと公営交通協会名。そして梁中央部が、幅は同じで少し凹んでいる。
裏の外側(前回記事に写真あり)では、左が宝くじ・協会。右に内側と同じくらいの「通町」。中央には大きな文字で「ここは大町一丁目2番」と所在地表示。
なお、通町と他の2つでは、屋根の支えや透明板の色が違うが、後述。

市立病院西口
内側は市章が白。右に宝くじ・協会。
中央のくぼみがなく、幅いっぱいに通町より大きな文字で「次は/市町村会館前」「ここは市立病院西口」。
外側は通町と同じだが、所在地は「ここは川尻総社町6番地先」と微妙に異なる書き方。

豊町は、内側は市章白、文字は通町程度の小さい文字で上下に「豊町」「次は新川橋」。中央には枠の下に飛び出た「枠」というか「額」みたいなのがある。
外側はやはり所在地のみ異なり、わずかに小さい文字で「ここは新屋豊町地内」番地なし。
2012年12月撮影ストリートビュー。縦に圧縮されて写っている。「地内」右下に何か書いてあるように見えるのは、Googleの著作権表示
上のストリートビューでは、外から見て右側(バス進行方向先方)の屋根の上に、何かが飛び出ている。2015年8月のストリートビューではなくなっているが。
これは記憶にあった。
記憶になかったが、昔の通町でも…
2002年3月撮影
豊町と同じ進行方向先方側に、丸いアナログ時計が飛び出ている。
豊町、通町とも同じ時計のようで、両面、蛍光色の文字盤と針で、ソーラー駆動。

僕はこの頃、下り通町バス停をとてもよく利用していたのに、時計の記憶がない。バスを待つ客の視点では、見えにくい位置ではある。
そして、おそらく通町のほうが先に撤去されてしまった。

市立病院西口に時計が付いていた記憶はないが、実際は不明。
ちなみに全国的には、時計のあるものもあるが、近年のものは元からなさそう。
以上そこそこ違いはあるわけだが、市立病院西口と豊町、どちらが1992年、1996年なのかは特定できなかった。
また、バス接近表示(バスロケーションシステム)が設置されても良さそうなものだが、3か所とも設置されたことはなかったかと思う。でも豊町の額みたいな部分には、取り付けられなくもなさそうだけど…


2001年3月の夜の通町。左上に時計がちょっと写っている
設置から2年くらいのはずだけど、もうサビが出ている。屋根のアーチ状の支えは、他の2つと同じ構造で今と異なり、後年に交換されたことになる(後述)。

この頃のポールは、1986年度に50基設置された「二面体」と呼んでいたタイプ。面積が大きく軽くて風に弱くすぐ倒れる上、プラスチックだから壊れやすい。(過去の記事)改めて上屋と比べると、とても背が高い。
写真の通町のものは、枠は目立った破損はなさそうだが、表示板にはナールらしき活字で「通町」だけなので、オリジナルとは異なる。オリジナルは「市営バス」や「次は~」があり、バス停名は手書きだった。
移管後、ポールごとダルマ型・JTCウインRに交換されたことになる。


移管後の屋根の変化。
2013年6月頃(この記事後半)に、屋根にソーラーパネル4枚と、先方の柱に「秋田県EVバス技術力向上事業 スマートバスストップ(太陽光発電式 自立型バス停) 株式会社アイセス」と表示されたベージュ色の箱、さらに梁中央に小さなLED灯具が設置された。この時までに、屋根が変わっている。
これは秋田県が主導したコンソーシアムが作って、中央交通に委託して走らせた蓄電池式のEVバスに付随した事業。近年はEVバスは行方不明、ここの照明も光ってはいないと思う。
(再掲)設置直後。光ってもこの程度ですが


この上屋は全国共通仕様らしく、風よけの壁がなく、積雪や潮風にも弱そうで、構造と材質が寒冷地・積雪地には向いていないように見える。そのほかにも、各地の実情やバス待ちの風習(?)の違いもあるだろう。
そして、秋田では上屋のあるバス停は減少傾向。老朽化で撤去されたり、道路改良や経路変更があると、新設されないことが多いため。
宝くじさんには、公営交通に限らず、民営交通に対しても同様の支援をしてもらってもいいかもしれない。
※前後する時期に、交通局が独自に設置していたと思われる、壁付き上屋について
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newまんたらめ号

2020-11-17 00:18:58 | 秋田市営バス
秋田市内を走る、観光タイプの大型バス。
オレンジ色一色
2017年にモデルチェンジ・2019年春にマイナーチェンジされて顔付きが変わった、三菱ふそう「エアロエース」。
秋田のバス会社では導入したところはあるだろうか。宮城交通では導入しているが、高速バスの秋田便では見たことがない。

このバスの正体は、
「まんたらめ号」!
いちばん前の側窓の下に、銀色のとんがったものが付いているのは、「FUSO AERO」と彫られた「側面ペットネームプレート」=エンブレム。装着しないこともできる。

「まんたらめ号」が代替わりしたのだった。最初は2020年5月に目撃した。
12年前に記事にしたのですが、「まんたらめ号」とは、太平山麓にある「秋田市太平山自然学習センター」、愛称「まんたらめ」の送迎バスの名前。
「まんたらめ」は、所在地の「秋田市仁別字マンタラメ」に由来し、アイヌ語で「源流、源」の意味。

まんたらめは、かつてあった「大森山少年の家」の後継として、主に小中学生の宿泊研修、秋田ではそう呼ばないが“林間学校”の場となる、秋田市教育委員会の施設。
初代まんたらめ号は、まんたらめ開所の翌2004年度から存在したようで、元は秋田市交通局(秋田市営バス)が使っていた、いすゞ製車両。

1993年に空港リムジンバス(当時は市営バスと中央交通の共同運行)用として導入。交通局のリムジン撤退で、高齢者向け貸切バスなどに使われるも、貸切事業からも撤退。白ナンバーになって、市教委管轄になり、2003年度に市立御所野学院中学校美術部員がデザインした外観になって活躍した。
(再掲)初代まんたらめ号。折り戸なのが路線用の名残り

2代目まんたらめ号は、そっけないデザイン。
「まんたらめ号」以外何もなく、余計に長く感じる

写真では色合いが統一されないで写ってしまっているが、くすんだオレンジ色という感じだけど、鮮やかではある。
トヨタ「アクア」のメーカープションカラーとして、2014年末から2019年まで「オレンジパールクリスタルシャイン」という塗装があったのだが、それに近い。並べると違うかもしれないけど。
秋田市やまんたらめと、この色のと関連性はないと思う。どうしてこの色にしたんだろう。

それに、初代と同じ絵柄を描くのはコストなどで難しかったのかもしれないが、ワンポイントでも何かあればいいのに。
デザインが一新されたヘッドライト周り
LEDヘッドライトやツリ目デザインで、これまでの三菱ふそうの観光バスとはやや印象は変わったものの、そんなにキツイ感じもしないかな。
正面の行灯も、初代同様「まんたらめ号」。

以前も指摘したが、これでは、まんたらめ号の正体が分からない。正体を隠す必要はないし、秋田市民の税金も使って買った=秋田市民の物ではないだろうか。
秋田市の市章とか、「秋田市」か「秋田市太平山自然学習センター」の文字くらい、表示してもいいと思う。
太平山とまんたらめ号。まんたらめの場所はもっと左寄り
マイナーチェンジ前モデルと変わっていないと思われる後部は、何もない、見事にオレンジ一色。屋根も。※初代は後部にも、模様と「まんたらめ号」があった。

これまで、まんたらめ号は、1月の「新成人のつどい」の際、秋田駅から会場の市立体育館までの参加者輸送の任にも就いていた。まんたらめで宿泊研修した人にとっては、再会となる。
今年度の新成人は、年明けにまんたらめ号代替わりを知ることになるかと思いきや、新型コロナウイルス流行により、つどいは2021年夏に延期された。

また、まんたらめでは、学校利用がないタイミングで年数回、一般市民を対象にしたイベントを開催している。事前申し込みや抽選が原則のようだが、大人が参加できるものもある。
その際は、秋田駅東口からまんたらめ号による送迎が行われるようだ。今回も、そうした催しのための運行だった。


12年前に取り上げたように、元市営バスの車両はもう1台、黄色い「やまびこ号」があった。これはまんたらめ号より若干古いと思われる、日野セレガの貸切車。
当初は市教委の中央公民館所属だったが、今は公民館がなくなったから、市長部局の中央市民サービスセンター所管なのだろうか?【2022年1月10日追記】市教委 生涯学習室管轄の「社会教育バス」の位置付け。
やまびこ号は、先立って2019年に代替わりしてしまった。2代目は中型の日野メルファで、水色系の当たり障りのない塗装だったと思う。→この記事にて
秋田市交通局末期の事業縮小にほんろうされながらも、秋田市役所から離れることはなかった2台がなくなった。

【2021年2月25日追記】新しいまんたらめ号の客席の定員は55人らしい。
ちなみに、児童生徒数が多い学校ではまんたらめ号では運び切れない。ピストン輸送ではなく、足りない分は民間バス事業者を使っていた。年度分を一括して、秋田市が入札をしている。児童生徒の金銭負担は不明。
【2022年1月10日追記】まんたらめ号は購入ではなく「7年間のリース契約」とのこと。
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長崎屋経由のライバル 大川経由

2020-10-06 00:45:44 | 秋田市営バス
「山王三丁目」にひっそりと改名された、新国道側の「山王十字路」バス停の続き。羽後交通の話の前に、長崎屋経由の歴史や市営バス時代のことを。

記憶にないが、長崎屋(ドン・キホーテ)の場所には、かつて秋田中央交通の本社と車庫(秋田営業所)があった。長崎屋は1986年開店で、本社・車庫は1985年7月頃に移転したようだ。
移転先は本社はすぐ近く、秋田営業所が工業団地のほうなので通称「大川反車庫」。

現状では、大川反車庫行きの路線は、公式には「中央交通線」と表記され(客はあまり使わない)、県庁経由と長崎屋経由がある。
長崎屋経由は、今も昔も中央交通の本社がルート上にあるので、「中央交通線」という路線名はその名残りなのかなという気はしていたが、県庁経由はそうでなくよく分からなかった。
また、大川反に車庫が移転したのは上記の通り1980年代中頃なので、歴史はそれほどでもないのだろうかとは思っていた。

以前のバス停表示板の記事にコメントをいただき、いくらかは見えてきた。
本社・車庫移転直後の車庫行きは長崎屋経由のみ。県庁経由は今の八橋市民広場・裁判所前が終点で、車庫まで回送していた。これは市営バス側の既得権(ほぼ重複するクリスマス電球とかたけやパン行きを運行していた)の主張というか協議の結果らしい。
その後、市営バスから中央交通への段階的移管が決まると、県庁経由も車庫まで延長されたとのこと。

つまり県庁経由大川反車庫行きは、平成以降に成立したもの。じゃあやっぱり「県庁経由中央交通線」はおかしいし、そもそも分かりにくいし、臨海営業所行きともまぎらわしいし(さらに大昔の八郎潟~五城目の電車線ともまぎらわしい)、いいネーミングではない。


秋田市営バスにも、長崎屋経由中央交通線への対抗なのか、免許維持目的なのか、長崎屋経由とほぼ同じ路線が存在した。
「大川経由交通局線」である。

秋田市交通局が、現在の秋田中央郵便局の場所から、現在の中央交通臨海営業所の場所へ移転したのは1980年だから、これもさほど歴史はない。
駅~交通局の路線は、最後まで残った県庁経由の山王交通局線がメイン。現在の臨海営業所線。
そのほか、違うルートで駅~交通局を結ぶ路線が、朝夕を中心に数本ずつ運行されていた。通町経由やみそのホーム・県庁経由と、大川経由。いずれも、中央交通へ移管される前に廃止された。
通町経由やみそのホーム経由は、中央交通が入りこまない市営バス単独エリア(将軍野線各系統)だったので、車両回送を兼ねた将軍野線の補完目的だったのだと思う。

2009年撮影。幕を回す途中で一瞬現れた「大川.交通局」
交通局から中央交通に譲渡された車両で、交通局時代の方向幕をそのまま使っている車両では、このようにコマが残っていた。【7日補足】上りの幕は「大川.秋田駅」だったはず。(少なくとも秋田市営バスや中央交通では)コマの追加や部分的書き換えはあっても、このように使わなくなったコマはそのまま残しておくのが基本だった。

1988(昭和63)年3月29日改正の冊子時刻表では、

路線名は「大川経由交通局線」だが、下の表の中では「大川町経由交通局線」と「町」が入ってしまっている。「大川」というのがピンとこない路線名だが、そのことからも、途中にある「川尻大川町」を通るのが由来のようだ。

下りが駅発18時25分と19時30分の2本。上りは交通局前発7時10分の1本。日曜祝日は運休。
なお、この後の1枚もの時刻表をたどっていくと、1992年12月で朝1本の上りが廃止され下り2本のみに。そして1995年12月26日改正で下りも廃止されている。

上に通町経由交通局線の上りが写っている。これは朝の運行(下りは夕方)。「みその病院」は今のみそのホーム。「県庁市役所経由」が1本あるが、通町は通らず、面影橋で旧国道から外れて、サンライフ→県立体育館前と運行。


経路も掲載され、今と名前が違うバス停がいくつかある。全体のルートとしては、臨海バイパスに出る交差点の所の「小松製作所前(現・コマツ秋田前)」までが、中央交通の長崎屋経由と同じ。
中央交通は左折して、すぐに右折して、プライウッド→たけや製パン→車庫。
大川経由交通局線は右折してひたすら直進。今は臨海経由新屋西線が片道だけ通っている、山王臨海町バス停を通り、秋田朝日放送本社前を経て臨海十字路を越えれば、以降は県庁経由交通局行きと同じ。【臨海経由新屋西線は2022年9月で系統廃止。】

細かな停留所名。

注目は中ほどの 大町二丁目-山王十字路-旭北前-旭北錦町-川元山下町-山王五丁目
「旭北錦町」と「川元山下町」が、市営バスならでは。
中央交通での「長崎屋バスターミナル」と「中央交通本社前」に対応する。さすがにそれらを名乗るわけにはいかないでしょうね。
川元山下町は市営バス撤退で消滅したはず。旭北錦町は現在も片側だけあり、平日朝の5本だけ、川尻割山線の駅行きが停まる。長崎屋バスターミナル向かいの路上にあるバス停。
(再掲)市営バス時代。現在は電照式は撤去
市営バスでは新港線も含めて、両方向ともバスターミナル内に入らず、旭北錦町で停車していた。移管後は中に入るようになったが、朝の割山線はスムーズな運行をするためか、入らずに旭北錦町を使っている。

そして「旭北前」。
前回の通り、今は新港線専用で長崎屋経由は無視するが、大川経由は停まっていた。やはり旭北前=市営バス専用で、その名残りで、今も変則的なのだろうか。(割山線には、別の場所に旭北前がある)

「山王十字路」は1つしか記載されておらず、どういう扱いだったかは分からない。

中央交通長崎屋経由中央交通線のライバル、市営バス大川経由交通局線。残念ながら勝ち目はなかったようだ。ネット上にも記録は皆無だと思われるので、ここに記録しておきます。



さて、上の旭北錦町の再掲写真。市営バスの電照式バス停が写っている。
初代バス接近表示付き(で後に単なる電照式に成り下がった)にそっくり。しかし、これに接近表示は元々搭載されず、最初から電照式だった。上部のバス停名の表示板が、このサイズで黄緑色なら元バスロケ、白なら元から非搭載と見分けることができる。
ただし、登町上丁は黄緑色だが非搭載。これは板のサイズが異なる。サイズと色両方が識別のポイント。

白い表示板の電照式は、今は東通仲町しか残っていないと思う。旭北~旭南一帯にはちらほらあったのだが、電線地中化工事などでどれも撤去された。新港線側の川元小川町もかつてはそうだったし、山王三丁目になった山王十字路もそうだった。その下り側表示板。
(再掲)2009年撮影
ほかは手書き文字で、上段の社名だけが活字なので「市営バス」を書き換えたと考えられる。
そもそも、中央交通ではこのタイプは設置していないと思うし、隣の旭北錦町の市営バスのものと同型だったから、これも交通局設置だったものが、移管されたはず。

下段に「次は 中央交通前 です」とある。
「中央交通前」とは、現在の長崎屋バスターミナルのこと。これが設置された時期は1980年前後だろうから、おかしくない。
でも、市営バスのバス停なら「次は旭北前です」でないとおかしいし、仮に旭北前がなかったとしても、中央交通前でなく「旭北錦町」でないとおかしい。

上の時刻表の発行時期とは10年近くずれがあるので、その頃は状況が違ったとか、あるいは単に時刻表が間違っていたとか??
向かいの上り側も、同型の電照式だったと思うが、写真がないのが悔やまれる。「次は」はどうなっていただろう。

2009年末~2010年始に歩道の融雪工事が行われ、この電照式は撤去された。以前も少し触れた
(再掲)2010年1月撮影 下り側
新品のダルマ型が置かれた。当時としてはきれいで目新しい仕様で撮影したのを覚えている。
色合いや、フォントがスーラであり、現在につながる表示板の初期だったはず。板の断面が白く、金属ではなくプラスチックかなと思ったがどうだったのか。
背後の鉄塔は、長崎屋BT向かいの東北電力

その後、
2017年1月
バス停名が太いスーラに変わっていた。おそらくこれに上貼りして「山王三丁目」にしている。

2019年9月撮影 上り側
分かりづらいが、上り側は2019年時点でも細いスーラ。その表示板は曲がってしまっている(プラスチックではなさそう)。現在は、平らな板で太いスーラの上に「山王三丁目」を貼っているので、これ以降に交換(ということは今年初めの竿燈大通り側と同時?)され、山王十字路としては短期間だったことになる。

上りは羽後交通のほうも曲がってしまっている。上りは英字がない古いタイプ。下りは英字入り。羽後交通について後日
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割山町の謎バス停

2020-07-11 23:49:35 | 秋田市営バス
秋田市営バスに何タイプかあった、ほかに同種のものがない“1点モノ”バス停の続き。※前回は県立体育館前のソーラー照明付

秋田駅西口を出て勝平地区へ向かうバスは、県庁前または大町を通り、川尻の若葉町交差点で国道7号(臨海バイパス)を越え、新川橋で秋田運河を渡って、勝平地区へ入る。最初のバス停が「豊町」で、そこで3方向に分かれる。
東から船場町経由川尻割山線、新屋西線、商業高校グラウンド前経由川尻割山線で、それぞれ別の位置に豊町が分散している。
商業経由は1978年に秋田商業高校が移転したのより後で運行が始まったはず。新屋西線が通る新屋朝日町の道路は30年ほど前に新しく開通した。
したがって、船場町経由がいちばん古いバスのルート。新屋西線もかつては船場町経由だった(朝日町経由になったのは、県庁経由は1992年4月から、本数が少ない臨海経由は2019年秋から)。

その船場町経由のルートは、豊町、割山町、船場町とバス停が続く。1点モノがあるのは「割山町」。勝平と同義の広域なエリア名としての割山でなく、町名としての「新屋割山町」が由来。
上り側バス停。大型バスが行き交うには狭い道
割山町は上り側と下り側がやや離れた位置にある。上り側は民家の軒先みたいな所にあり、ポール自体も雨風から守られている。


ベンチというか縁台のようなものも置かれる

どうでしょう。このバス停のポール。少なくとも秋田ではここにしかないはず。
円形の表示板は、一般的なダルマ型のものと同じだが、その支柱は金属パイプで枠のような形になって、上部は半円状にカーブし、裾は絞られて1つにまとまって台座にささっている。時刻表枠は金属板2枚(片面にしかはめられないようになっている)。台座が台形なのも秋田では珍しい。
他の各種バス停と比べて、幅は広め。県立体育館前のと同じか若干広そう(時刻表の紙のサイズは同じなので、目安になります)。
全国的にある「すずらん型」と呼ばれるバス停に似ているが、各地で多いものは、時刻表枠は白い樹脂製であるなど、もうちょっと軽そうな雰囲気がある。
このような製品も存在する(した)のか、あるいは円形表示板にジャストサイズなことからすれば特注品か。
枠は都会的でスタイリッシュだけど、表示板が昔ながら&見慣れたものなので、アンバランスな印象を受ける。

表示板 ※点々は雨粒の水滴です。
支柱には、真上と左右の計3か所で固定。左右は、黄色と赤の境目とぴったり重なっているから、やはり特注かも。
表示板は、3色、ナール書体、ローマ字入りと、秋田市交通局(秋田市営バス)が2000年前後頃に設置・更新していた仕様。それが中央交通へ移管(ここは2002年春)されて、今に至る。

実は移管直後・2002年4月にも撮影していた(どうせなら市営バスだった3月中だと良かったですが…)。
上の写真と同じ面

ひさしはカラフルで、自販機と奥には公衆電話がある
バス停がある場所は、かつてはお店だった。「たんけんぼくのまち」でチョーさんが住み込むおじさん・おばさんの店みたいな、食料雑貨店のような。
当時は軒より外に出されており、ベンチは別の場所だったのか写真には写っていない。


ここで、下り側バス停も見ておく。上り側から見て秋田駅寄り、自動車教習所の向かいにある。
左手前が下り。奥の白い車付近が上り
風で倒れてしまったのを見かねたのか、自動車整備屋さんの看板の柱に、ダルマ型バス停(の支柱)がくくりつけられている。でも、表示板が道路に対して平行向きになってしまって、見落とされそう。
下り側は、ごく一般的なダルマ型。表示板は、
市営バス設置のナール。表面に細かい傷がたくさんある
表示板は上りと下りで同じ。かと思いきや違う。
ローマ字。上りは「WARIYAMA CHO」、下りは「WARIYAMA MACHI」。

秋田市役所のサイトには、新屋割山町の読みは「アラヤワリヤママチ」とされている。
実際とバス停表記とで「ちょう」か「まち」が違ってしまう例は、市営バス時代も中央交通移管後もたまにある。上りと下りは、別々に製作されたのだろう。
そう言えば、船場町経由の経路上で、ナールの表示板なのはここだけ【13日補足・商業経由と再び合流する「勝平二丁目」は片側がナール】。ほかのバス停は、移管直後に中央交通が交換したJTCウインRフォントやシール貼りが多いから、市営バス時代は手書き表示板(か後述の二面体)だったのだろう(船場町上りは初代バスロケを撤去、豊町上りは初代バスロケのまま)。


こんなバス停ポールが、どうして1つだけ置かれたのか。まったくの憶測。
昔取り上げたように、市営バスでは一時期ダルマ型でない、可動式・非電照式ポールを置いたことがあった。「二面体」と称するらしい、プラスチッキーなものが1986年度に50基設置された。
(再掲)二面体バス停。初代バスロケを平らにしたようなデザイン
ところが、風が強い秋田市にあって、軽くて表面積が広いので風を受けて倒れやすく、衝撃で壊れやすいという欠点が露呈。1991年の台風19号などで軒並み倒れて、無傷のものはなく、増備もされなかったはず。結局、再びダルマ型が設置されるようになり、それがナール・ローマ字入りに発展していった。
このことを踏まえれば、「二面体に代わる新たなバス停」としての試作品が、これだったのかもしれない。表示板だけは従来品と共通化するという条件(ネジ穴は違うが)で。
でも、コストや幅、既存ダルマ型バス停との互換性(台座・支柱が違うので表示板のみの交換ができない)といった問題があって採用は見送られ、ダルマ型が復活することになった。ということだったりして?【12日追記・というか、「台座・支柱・表示板を一括して更新する」という考えから、「台座や支柱は使い回し、表示板だけを新しくする」ように方針転換したのかも。】【12日さらに追記・そして、バス停名を活字かつローマ字入りにしたのも、ひょっとしたらこれが最初の試作ということもなくはないかも。とすれば、それは本格採用されたことになり、中央交通移管後、現在でもフォントを替えて引き継がれていることになる。】(根拠のない憶測です)


船場町経由の系統自体、いずれなくなってしまいそう【13日補足・勝平交番前(船場町のもう1つ先)~豊町間を西線と同じ朝日町経由への変更、あるいは系統自体の廃止もなくはないと思う】な予感もする。頑丈な作りの上、軒下で状態は良好だけど、いつまで残るか。
別の1点モノバス停について、続きます
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県立体育館前の謎バス停

2020-06-14 00:06:22 | 秋田市営バス
先日、秋田市山王大通り周辺のバス停の表示板交換を取り上げた。その番外編。
交換対象外ながら特徴的なものだとちょっと触れていた、「県立体育館前」停留所。

文化会館・八橋球場前と山王交番前(寺内方面は分岐して秋田市保健所・サンライフ秋田前)の間が、県立体育館前。
県立図書館の最寄りということもあってか、利用者はそこそこ多い。運賃境界で、駅方面だとここから値上がりするので、文化会館前で乗り降りしたほうが安いから、そうする人もいるけれど。
また、羽後交通の急行秋田・本荘線は、県立体育館前が起終点。先日、本荘から到着した空っぽの急行バスを目撃したが、きちんといったん停車してから、営業所へ回送して行った。
上り側には、市営バス末期設置と思われる、上屋(椅子なし)がある。

以前触れたように、かつては、羽後交通のポールと、中央交通用としては上下とも共用タイプが置かれていた。2009年5月ではそうだった。移管後作成と思われる、スーラ書体・ローマ字入り(下に写真あり)。
その後、2012年10月までの間に、共用タイプが撤去された。その後、現時点までは、
上り側
上りは順当に円形表示板に交換。細いスーラを縦長にして、ローマ字入り。中央交通がスーラを採用した初期の仕様。
なお、羽後交通はローマ字なしで以前の楷書体(羽後交通の書体についてもいつか)。


そして下りは、
こんなものが!
見慣れぬ、ソーラーパネルが付いた、薄い埋めこみ式ポール。
2009年5月では、羽後交通との間に共用タイプがあった
このようなケースでも他のバス停では、共用タイプの代わりに円形表示板を置いて、ポールが林立し続けるのが、中央交通のよくあるパターンなのに、ここはすっきりと既存ポールへ集約。でも、そのポールが謎。

このポールの正体。
かつては、事業者名部分に「市営バス」だったか「秋田市営バス」だったか表記されていた。今はシール貼りしている。この青地白文字のシール上辺には、社章の下が少しだけ見えている。移管された円形表示板に上貼りした、社章・社名シールの社章部分をカットして貼ったのだろう。
共用タイプが中央交通専用だったことも合わせて、元は市営バス専用のポールだったことになる。
2009年。元は各社1本ずつだった



真横。右が謎ポール。傾いてしまっているけど、薄い

これは現在の写真、上とは反対面。以前より傾きが大きくなった?
上の写真の下の青い部分には、
「(財)日本宝くじ協会協賛/(社)公営交通事業協会」
交通局の自費ではなく、そこから補助してもらったのだろう。市営バス時代には、同じ組み合わせでバス停上屋がいくつか設置されていた。通町、豊町、市立病院西口など。その事業のバス停ポール版か。

一般社団法人公営交通事業協会ホームページに「モデルバス停留所施設 設置事業」として紹介されていた。
「宝くじ助成事業として昭和62年度から平成3年度まで実施していた案内板に引続き、平成4年度からモデル・バス停留所施設設置事業として上屋の設置を実施している。さらに平成7年度からソーラー照明付き標識の設置も実施している。」とのこと。
ソーラー照明付バス停標識の写真も掲載されていて、これと同一。
年度別の設置事業者も掲載されている。秋田市では、上屋が平成4、8、11年度におそらく1つずつ。標識は平成12年度だけなので、県立体育館がそれで2000年度設置と考えられる。※上屋についてはこちら
【2023年8月29日補足・2021年5月時点で、徳島市の「徳島中央公園・鷲の門前」バス停(その数年前まで「公園前」の名)に、同型と思しきものが設置されていた。】

表示部分とソーラーパネルの間に、バッテリーなど入っていそうな厚めの箱があり、そこも銘板があった。
「太陽電池表示灯」
「テック大洋工業株式会社」の「TB-611Z」。
製造年月は消えて見づらいが、「10」月らしき痕跡があるので、2000年10月製か。


「テック大洋工業株式会社」について。
東京に本社がある、ベンチ、案内板、照明といった公園設備などのメーカーで、ソーラーや風力を使うものも得意なようだ。
事業所(工場?)は2つあり、静岡県三島市と秋田県大館市。
ホームページの商品紹介>クリーンエネルギーのところに、簡単に「太陽光発電バス停留所標識」が紹介されている。これも県立体育館前と同一らしき写真で、上に「市営バス」、下に宝くじと協会の名が記されているようだ。それなのに「佐賀バス」と実在しない事業者名のキャプション。「佐賀市交通局(佐賀市営バス)」じゃないでしょうか…


「ソーラー照明付バス停標識」だから、どこかが光るはずだが、ライト類は見当たらない。
また、秋田市交通局から中央交通へ移管された、他の電照式バス停と同様、今はおそらく点灯しなくなってしまった。電力供給は不要ながら、20年も経てばバッテリーの劣化などはあるだろう。

移管から3年後、2009年春の段階では、まだ光っており、写真を撮っていた。

赤ではなくオレンジ色のLEDが入っているのだろう。時刻表を貼る面全体が内側から穏やかに光っていた。
当時は横にサンクスがあって明るいが、この程度の照明でも時刻表がいくぶんは見やすくなるだろう。

真っ暗な道なら、バス停の存在と時刻表確認に効果を発揮しそうだが、街灯代わりにはならないだろう。
秋田市交通局では、末期に「市営バス」とバス停名の文字が赤色で点滅(ソーラーでなく電力供給【2024年8月25日訂正】ソーラーパネルがあった)する埋めこみ式ポールを設置していたが、時刻表部分は照明なしだった。このタイプの方が意味はあるかな。
でも、今は弘南バスのようにLED懐中電灯みたいなので代用はできそう。ちょっと昔の、公営交通ならではのアイテムなのかもしれない。

それにしても、秋田市交通局では、どうしてこれをここに設置したのだろうか。
おそらく公営交通事業協会から、1本割り当てがあるから、場所を決めろと言われたのだと思うけど。
下り方向では、前後の各バス停は、既に何らかの電照式(バスロケ、バスロケもどき、LED点滅のいずれか。どれも現存)になっていたが、ここだけそうでなかったからという理由かもしれない。

今は点灯せず、脚が曲がり、ソーラーパネルの天を向いた3本の角(ツノ)みたいなのの1本も曲がってしまっている。しかもパネル下辺にはコケが生えている。

※この角の役目って何? こういう小型太陽光電池にはたまにあるみたいだけど。なお、点灯していた時代も曲がっており、動作への影響はなかった模様。
公営交通事業協会からの贈り物という、市営バスならではのバス停で、かつ秋田市では“1点もの”という存在。このまま朽ちていくのか。

ちなみに、市営バスでほかの1点ものバス停といえば、
(再掲)「築地下丁」下りの小型電照式

(再掲)撤去済み・「木内前」の天井吊り下げ・両面の2代目バス接近表示(方面別に4台あったけど)
あとは、電柱に巻き付く上り「自衛隊入口」、未紹介だけど、古くて新しい(?)デザインの船場町経由の下り「割山町」も。
微妙な違いとか同型が撤去されて残り1つになってしまったものとしては、いずれも電照式の上り「登町上丁」、上り「東通仲町」などが挙げられる。機会があればいつか。※続きは割山町
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共用表示板消滅?

2020-05-04 23:57:35 | 秋田市営バス
秋田市内にある秋田中央交通のバス停は、台座からパイプが出た上にバス停名の板が付いた、いわゆるダルマ型だけでも、いくつかのバリエーションがある。
これは、秋田市交通局(秋田市営バス)から譲受した路線・バス停があることと、中央交通の方針が行き当たりばったりで揃えようという意識が感じられないことが原因だと思う。

以前の繰り返しだが、大きく3タイプに分けられる(呼び名は当ブログが勝手に付けたものです)。
・「バスで行こう」タイプ
移管以前から中央交通が設置していたもの。パイプは細めの逆U字形(台座は2か所にささっている)で、表示板も逆U字形。白、オレンジ色、青で、「バスで行こう」の表記あり。
近年は新設はされていないと思われ、路線廃止や更新で減っていく一方。

・市営バスタイプ(円形タイプ)
市営バスが古くから設置していた。典型的なダルマ型で表示板は円形。表示板は、市営バス時代は黄緑・黄・赤に塗り分け。
中央交通移管時には、そのまま譲渡されたものが多いが、上段が黄緑から青(紺)に変わった。
さらに移管後、中央交通が新たに設置・更新するバス停では、かつての市営バスエリアかどうかに関わらず、このタイプが原則となり、市営バス時代よりも数が増え続けている。
市営バス時代も移管後も、色あいや文字、英字の有無などバリエーションが豊富。

・共用タイプ
市営バスと中央交通が競合していた区間で、両者のバス停ポールを統合して共用する目的で、平成初期頃に登場したもの。まれに市営バス単独区間にもあった。
市営バス円形タイプとは表示板の形状が異なり、上辺がカーブしたほぼ四角形。
(再掲)共用として使われていた当時
中央交通移管後しばらくは、市営バスの名称を消して、そのまま使用。再利用なのか新たに設置されたケースもあった。
しかし、近年は円形表示板への交換が進み、減少の一途。


さて、2018年頃からは、市営バス時代から使われていた表示板が、円形の新品に、断続的にまとまって更新されている。
新しい表示板は、黄色い部分が反射素材、バス停名はローマ字入りで、日本語はフォントワークス製丸ゴシック体「スーラ」の太い文字(過去には細いスーラだった時期もあった)。近年では、文字配置が均等割り付けでなく中央に詰めて表示しており、2~3文字のバス停ではこれまでと印象が違った。

更新される箇所は、単純に表示板の痛みや新旧ではない。
臨海営業所担当路線よりも秋田営業所担当路線で盛ん(※)で、かつ円形表示板よりも四角い共用タイプを先に交換している印象だった。
※臨海営業所は業を煮やしたのか、昨年末に既存ポールに反射テープを貼った

昨2019年の更新は少なかった印象。寺内経由の旧国道の一部(幕洗川上りなど)で行われた程度の模様。
2020年に入ると、やや活発化した。コメントによれば、1月早々に牛島経由の旧道、牛島東一丁目~二ツ屋下丁の共用タイプが更新。
牛島方面の円形への更新は、駅から遠い側、国道13号に出た大野口が2018年秋に更新済みで、手前の旧道区間が未更新であった。
大住団地線が旧道経由から13号経由に変更されたように、いずれほかの旧道経由全便を国道へ振り替えるつもりで、(更新しても無駄になるので)残しているのかと思っていたが、それは思い違いであったようだ。

それでもなお、牛島東一丁目より手前、楢山の一方通行区間付近が共用タイプのままであった。
一方通行で上りのみの「登町」
緑の部分の下には「秋田市営バス」の文字が浮き上がっていた。この裏面は白い中央交通の社名は消えてしまっていた。
それも2月中旬頃。
円形に更新。引き続き太いスーラ中央寄せ
ここは表示板のみの交換ではなく、余っていた時刻表掲出枠の撤去なども行われ、向きが変わった(沿道の家屋の工事も関係するかも)。

1つ手前、かつては「松戸(まつと)眼科医院前でございます」と広告放送が入っていた(医院は数年前に閉院)、「楢山共和町」も、
共用から円形に
共用タイプの写真を撮っておけば良かったのだが、ここで「楢」の文字について。
JIS規格とかパソコンのOS、フォント自体のデザインもあるみたいだが、「楢」や「樽」の右上の形は2種類ある。上の写真のような外に開いた2つの点になっているものと、そこが漢数字の「八」みたくなっているのと。共用タイプの写研ナールでは八のほうだった。
以前、スーラでは、「八橋」の「八」が、カタカナの「ハ」のようなのと、2画目が横方向から始まっているもの、2種類あるのに気付いた。横棒があるのが現行のスーラだった。
「楢」はスーラでは2つの点のものだけのようだ。


新国道と並んで、市営バス・中央交通の競合区間の典型であった牛島経由からも、共用タイプが消えた。
そのほか未更新の共用タイプは、上り一方通行の中央通りと、竿燈大通り~山王大通りだけと思われる(郊外や市外の意外なバス停で、ぽつんと残っていたりするかもしれない【この後、2021年時点でも天王グリーンランドは共用タイプが残る】)。【14日訂正】コメントいただいた通り、大川反車庫付近にはまだ共用タイプが残っていた。【22日追記】山王大通りより先、車庫側でも共用タイプが交換されていた。今回の一連の記事の最後でアップします。
結論を言えば、今回、この区間にあった共用タイプ表示板すべてが、そのまま円形表示板に交換された。

ただし、この中央通り~山王大通りでは、共用タイプの使い方がやや違っていた(と思う。市営バスにしか興味がなかったので、記憶があいまいですが)。
秋田市の路線バスのほとんどが通る区間だけに、時刻表が多くなるためか、共用化せず各社それぞれが設置していた。市営バスは電照式を多く設置していた。中央交通では交通公社前(現・川反入口)と大町二丁目の下りは、市営バスの大型接近表示ポールに間借りしていた(接近表示は非対応)ものの、その他各バス停では、独自のポールを置いていたはず。
もともとは「バスで行こう」だったかもしれないが、いつの間にか、中央交通用として共用タイプ表示板が置かれていた。
市営バス廃止後は、時刻表もまとまったのだから、ポールを整理してもいいはずなのに、持て余しながら多くが撤去されずに残っている。
また、広告の関係なのか、近年になって共用タイプが新たに設置されたところもあった。

中央通り~山王大通りで今回、交換された停留所を挙げると、
中通二丁目(上)、中通一丁目(上)、大町二丁目(上)、山王十字路(竿燈大通り側上下)、県庁第二庁舎前(上下)、文化会館・八橋球場前(上下)、山王交番前(上下)、臨海十字路(上、大川反車庫行き側下)
の13枚のはず。

うち、市営バスがあった頃から使い続けられていた表示板は、山王十字路、文化会館・八橋球場前、臨海十字路の6枚だけだったと思う。
それ以外は、中央交通移管後に、名称変更などで手が加えられ、市営バス時代と同じ板面ではなくなっているはず。フォントも市営バス時代のナールではなく、スーラだったものもあった。
なお、かつては交通公社前(上)と、県立体育館前(上?、下)も共用タイプだったが、交通公社前は川反入口への改称時に交換済み、県立体育館前も何らかのタイミングで上りは円形に交換、下りは(珍しく)撤去されている。

一方、この区間内でも上記13枚以外、共用タイプでないものは、種類を問わず手付かずでそのまま残った。
したがって、元バスロケ、バスロケっぽい見せかけだけど非搭載の「バスロケもどき電照式」、赤色LED点滅式、裁判所前の埋めこみ式「バスで行こう」、かなりレアな県立体育館前下り(いつかアップしたいですが…)も、共用タイプ以上に傷んでいるものもあるが、引き続き活躍している。このことからも、やっぱり中央交通が共用タイプを駆逐したくてしょうがないように思えてならない。
県庁第二庁舎前(上)、手前はバスロケもどき電照式。ここに2本のポールは過剰

臨海十字路バス停は、上り側は1か所で、下り側は経路が分岐する先にあるため3か所に分散している。交換されたのは上りと、下りは秋田営業所管轄の大川反車庫行きのみ。
両営業所担当便とも停まるJAビル前の上り
臨海営業所担当路線の2本はそのまま。その1つは、平日1本の臨海経由新屋西線用で、「サタナビっ」でバス停名が書いてないと指摘されて交換された比較的新しいもの。
北側の臨海営業所方向の下り
本数がある臨海営業所線側は、市営バス時代の円形・ナールの表示板で、支柱はサビサビなのに、そのまま。このことは、やっぱり秋田営業所を優遇しているように思えてならない。
市営バス時代設置のナール
上の写真で、下段の赤い部分に「秋田中央交通」が浮き出ているのは、移管の途中の段階で、臨海営業所を市営バスと中央交通で共用していた時期があって、円形表示板を暫定的な共用表示板として使っていた名残り。
以前、「梅」の字形で、「母」の右下が突き出さない、ナールの独特の文字の形に気がついたが、もちろん「海」も同じ。

ごちゃごちゃと長くなってしまったので、いったん区切らせてください。
この区間には、少し珍しい表示板が複数あるので、後日改めて
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神田土崎線・補足

2019-11-25 00:15:48 | 秋田市営バス
2019年9月で廃止された、秋田市の路線バス「神田土崎線」(廃止区間としては外旭川病院前~土崎駅前)。
前回までは、廃止時点での秋田中央交通による運行形態を紹介した。今回は補足など。

●上下分岐点
前々回の将軍野南四丁目~将軍野郵便局前/護国神社裏参道 間の上下経路の分岐点。別アングルの写真を2つ。
下りの一方通行区間に入ってすぐの地点から振り返って。上りは右から来て奥へ右折
やはり中型バスが通るとは信じられない狭さ。

上の分岐点から新国道方向。上りが奥から左へ
奥に信号機付き交差点が2つある。いちばん奥が新国道の「高清水公園」交差点でそこを左折してこの道に入る。
手前の交差点より手前左側のポストがある所が将軍野郵便局。ここにはバス停がない。


●鳥屋場の補助標識
旭野団地系統と分岐した直後、外旭川病院前~鳥谷場 間の道路標識の不思議。
地理院地図をモノクロ化して加筆。赤い線が土崎線ルート
病院前を左折して200メートルほど南北方向の住宅街の道を走る。その区間に、より小さい道と交わる、2つの小さな十字路交差点(上の地図のCとB)があるのだが、そこにこんな道路標識が設置されている。
Cの交差点。少し右にカーブした先が病院前交差点
「指定方向外進行禁止」の道路標識に、「大型等 路線バスを除く」の補助標識。
Bの交差点も含めて、両方向に同じセットで設置されている。【27日補足】「大型等」は2007年の法改正でできた区分なので、その後に設置(更新)されていることになる。

大型自動車は狭い道へ右左折できない規制。ただし、路線バスなら曲がっていいことになっている。
現在はそのようなルートの路線バスは存在しない。
こういう特例が適用されるからには、設定当時にはそのような実態があって、なくなった今もそれが解除されずに残っているのかと思ってしまう。そうだとしても、2つの交差点で連続してそうなっているというのは、ちょっと考えにくい。また、小さい道に入ったところで、その先のルートが考えづらい。昔もこのルートのバスはなかったと思われる。
どうして存在しない路線バスが、曲がれるようになっているのだろう。

そして、踏切方向へ右折する、地図Aの交差点には「左折のみ」の指定方向外進行禁止に「路線バス マイクロを除く」。
ここでは、神田線が特例で右折できていたことになるが、マイクロも対象となる。

○補足・鳥屋場バス停
上の地図には「旧ルート」を示しておいた。
旧道経由の記事で触れ、またコメントもいただいたように、昭和末~平成初期辺りまでは、外旭川病院周辺の道路が未整備かつ外旭川アンパスもなかったため、まっすぐに通ることができ、かつそうするしかなく、卸売市場入口通過後、鳥屋場までがこのルートをであった。
バス停は土崎線は、卸売市場入口-八柳二区(現・八柳三丁目)-鳥谷場の順。
旭野団地線は、地図Aの交差点を右折し、旭野団地方面へ向かっていた。右折してすぐのところに、土崎線用とは別に鳥谷場バス停が置かれていたとのこと。


●市電との関係は?
調べればもう少し分かるかもしれないが、分からないのが、神田線と秋田市電との関係。どちらも秋田市交通局が運行していて、特に上下で経路が異なる区間では、その上下線の間のごく近い距離を並行していた。さらに新国道経由のバスも並行していた。

歴史的には、神田線の運行が始まった1954年には、すでに市電は走っていた。市電は1965年末で運行終了。
新国道経由については、もともとは秋田中央交通がバスを運行しており、市営バスはその後で参入。結局は2社のバスが市電と競合し、市電廃止を助長してしまったと認識している。(秋田市交通局にとっては、中央交通と自らの市電との間でジレンマだったのだろう。)

神田線と市電は、バス停で向山~港中央四丁目(当時は別名称だったものもある)、電停(現在の類似名称のバス停とは無関係)では八柳~将軍野~自衛隊前~竜神通~土崎(終点)辺りで競合していたと思われる。
自衛隊通りから北方向の「自衛隊前」電停跡。左の広い歩道がホームの名残り
上の写真では、1本左が新国道・自衛隊入口交差点、1本右が一方通行のセブン-イレブンの交差点。
当時の交通事情から想像した、推測や疑問。
・昔は、神田線は上下で経路が分かれていなかったのではないか。つまり一方通行区間が対面通行で、上りも新国道に出ていなかったのではないか。【27日補足・新国道のバス停間隔・数が下り側とそろっていないし、誤乗のおそれや(憶測だけど)当時の路線免許認可などからそんな気がした。】
・神田線と市電との乗り継ぎなどは?
市電と神田線を乗り継ぐ人は、経路からしてあまりいなかったかもしれない。乗り継ぐにしても、どの停留所でも100メートルくらいは歩かないといけなかったし、乗り継ぎ割引制度などもなかったかも。※市電廃止直後は、市電の定期券で市営バス新国道経由に乗車できたと聞いた気がする。
市電が運行できなくなった時、振り替えで神田線に乗れたりはしたか。
振り替え制度はなくても、裏技的に、市電や新国道経由のバスが走れなかったり、混雑したりした場合、神田線に乗って土崎駅~向山もしくは秋田駅~向山以遠~土崎駅を行き来する人はいなかったか。

●市営バス時代 2002年4月のバス停
(再掲)向山上り側
17年前は、
左側のビスがサビているのは変わらず
事業者名が変わり、板が変形し、色があせ、「MA」がはがれた。

鳥屋場は、廃止時点では、上りが市営バス末期設置のワープロ印字ローマ字入り透明シール、下りは移管直後に中央交通が設置したJTCウインRであった。
2002年は、
たぶん上り

たぶん下り
当時でサビが浮いていた、手書きだった。筆跡が似ているから、同時に作られたのか【27日補足・「鳥」の右側3つの点の向きは違う】。
上り側はその後、移管前に更新されたことになる。

旭野団地系統の外旭川市営住宅前(後にJTCウインRに【下の追記参照】)も、この当時は同じような手書きだったから、鳥屋場といっしょに設置された可能性がある。外旭川市営住宅ができたのは1981年、旭野団地系統はその1985年前後に運行が始まったはずだから、その時か。
【25日追記】市営住宅前は、現在は上りが透明パソコンシール、下りがJTCウインRと、鳥谷場と同じ関係。市営バス末期に、乗る(降りるのでなく)客が多い側だけ、リニューアルしておいたのか。

なお、鳥屋場の位置は、廃止時点は上下が向き合っていた。しかし2012年10月や2017年8月のGoogleストリートビューで確認すると、上り側が1軒ほど踏切寄り(手前側)の空き地(駐車場?)の所にあった。40キロ制限の標識がついた電柱も、ほぼ同じ位置で移設されていた。※今は空き地に何か建ったの可能性があるが未確認。

この後は、ここ30年ほどの神田線のダイヤの変遷を、まとめてみたい
2002年9月撮影。市営バス276号車による下り神田土崎線
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神田土崎線の記録2

2019-11-13 00:19:24 | 秋田市営バス
廃止された神田土崎線の道をたどる前回の続き
外旭川から将軍野へ、狭い一方通行路を抜けて来た下り便は、自衛隊通りを越えて、土崎へ入る。
引き続き、新国道の2本北隣(奥羽本線寄り)の狭い一方通行を進む。「ゾーン30」規制区間になり、路面にカラー標示などが施されている。
奥に秋田港のポートタワーセリオンが見える
将軍野南三丁目から300メートルで「港東一丁目」。
ここにも酒屋

これまでと同じく、沿道には古くからありそうな家が並ぶが、左に秋田市土崎南児童センター(の側面)があって、その先に、
笹薮? 林? の中にバス停
ここから土崎港東から土崎港中央に変わる。右側の団地風のものは住友ベークライト秋田寮。
唐突にうっそうと茂る林が出てきて、秋田城跡歴史資料館前(関連記事)にちょっと似た雰囲気。あちらは高清水の自然の丘だけど、こちらは見性寺というお寺の土地。平地だし、林の厚さはさほどでもないようだけど、お寺の建物が道路からほぼ一切見えず、ぐるりと木々に覆われているようだ。
反対側から。林が途切れた先の建物が児童センター
港東一丁目から320メートルのこのバス停の名は、
「土崎南小学校前」
小学校“前”というけれど、小学校は?

児童センターがある場所が、秋田市立土崎南小学校の敷地の隅。
児童センターと民家で隠れていてよく見えないが、その向こうがグラウンドで、さらに向こうが校舎。校舎は1本新国道寄りの道路、つまりかつての路面電車の通り(ここは併用軌道だったらしい)に面している。(関連記事
位置的には「土崎南小学校“裏”」では? いや、そうとも言えない。
現在の土崎南小の校舎は1985年にできた。古い地形図を見ると、それ以前の校舎はバス通り・今のグラウンド側に建っていたのが確認できる。
そして、土崎南小学校は1961年開校。それ以前は、この場所に市立土崎中学校があって、その校舎を転用。土崎中は土崎駅の裏の現在地に、秋田市立学校初の鉄筋コンクリート造校舎として移転。
さらに以前には、1901年にできた秋田県初の火力発電所があった(いつまで稼働していたのかは不明)。
ということは、1954年運行開始の神田線では、当初は「土崎中学校前」というバス停だったのかもしれないし、旧校舎の位置を踏まえれば土崎南小学校“前”で当然だったことになる。

バス路線に戻る。
見性寺のお隣もお寺で、そこに次のバス停。南小前から140メートル。
電話ボックスとともに
以前、表示板のナールの文字デザインを取り上げた「嶺梅院前」。お寺の名が「嶺梅院」。
進行方向逆側から。山門に向かって左がバス停
上の写真では奥からバスが来て、横断歩道手前にバス停。
山門前が丁字路交差点で、北(写真左)から同じくらいの幅の道がぶつかる。一方通行はここで終わり、他の2方向は対面通行。
北方向へ曲がると、ナイス土崎店裏、土崎幼稚園角を経て、秋田北税務署前・オーバーパス下の交差点。土崎駅へ行くのなら、ここを曲がったほうが近いけれど、神田線は直進する。(現行の土崎駅~厚生医療センターの路線は、幼稚園~オーバーパスの部分は、この狭い道を通っている。)

1988年のポケット時刻表では、このバス停は「嶺梅院前」ではなかった。
「組合病院入口」という名称だった。
(個人的には当時はほとんど来なかったので知らないが)ナイス土崎店の場所には、秋田組合総合病院があった。2000年に現在の飯島へ移転し、2014年に秋田厚生医療センターに改称。
ということは、「嶺梅院前」に変わったのは2000年だろうか。
市営バスでナールの表示板を作っていたのは、1999年の泉地区の住居表示実施の頃だから、同時期ととらえることができ、つじつまが合う。その数年後にはパソコンシールに変わる。

組合病院の玄関がどこだったのか知らないけれど、バス停から組合病院までは、おそらく200メートルほど。次の次の土崎小学校前のほうが近そうな気もしたけれど、わずかにこちらのほうが近く、「組合病院入口」でも間違いではなかったのだろう。
対面通行になっても相変わらず狭い道

嶺梅院前から240メートルで、小さな十字路に出る。
バスは直進できなそうなさらに狭い道で、左右の道はちょっと広い。ここを右折して北進。
ここで、久々(下りでは1.3キロ)に上下が合流。曲がるとすぐに、
「港中央四丁目」。路面の赤い線が下り経路、奥の↓が上りバス停
狭い道のわりには、両側の路側帯に点字ブロックがある。組合病院のほかいくつかの医療機関があったからか。
土崎南小学区では「ゾーン30」だったが、ここは土崎小学区に入ったようで「思いやりゾーン30」。
港中央四丁目は上り側にもあるが、50メートルくらい離れた、合流/分岐する交差点を越えた先。
上り側。下りはカーブミラーの所から出てきて↓がバス停
表示板は下りは引き続きナール、上りは久々に移管直後の「JTCウインR」。

250メートルほど進むと、商店街、ナイス・幼稚園、税務署・オーバーパスの各方面の道と交わる、五叉路(交差点名なし)。
下りは右から左へ抜ける
五差路を直進。ナイス・幼稚園の道(上の写真で奥右のポストの所)を通る、土崎駅-秋田厚生医療センターの路線も通る道なので、ここからは現在もバスが通る。

すぐに左が市立土崎小学校。港中央四丁目から290メートルで、
「土崎小学校前」上り
上下が向かい合うが、下りがJTCウインR、上りがナール。
土崎小は、道路沿いに南(五叉路側)からグラウンド→校舎・門と面しているが、バス停があるのは、グラウンドの校舎寄り。「前」といえば前だけど、ちょっと微妙な位置。
神田土崎線は、土崎小、土崎南小、外旭川小(神田)、保戸野小(すわ町)と4つの市立小学校と秋田大学附属学校のそばを通っていた。

土崎小の前を過ぎて、土崎小学校前から220メートルで、
「港中央六丁目」下り。時刻表は神田土崎線、厚生医療センター始発とも、土崎駅行きだから1つの欄にまとまっている。次が終点のここから乗る人はいないでしょうけど
向かい合う上下ともナール。
200メートル直進すれば県道161号に突き当り、右折して50メートルで土崎駅前のロータリーに到着。


新国道を通るため省略してしまった上りを簡単に。
港中央四丁目から間に信号を1つはさんで220メートルで、新国道に出る交差点。
新国道を1.2キロ東進して、護国神社裏参道バス停の「高清水公園」交差点で左折、190メートル北進して右折して、合流。
高清水公園交差点。奥から来て右方向へ曲がっていた。向かいの角にあった野菜の苗をいっぱい並べていた店? が更地になった

以上、廃止時点での神田土崎線の経路の記録。
市営バス末期を中心とした、昔の神田土崎線についてはいずれまた。※ここまでの記事の補足をまとめた続きはこちら

※考えてみれば、これまでの「将軍野○n丁目」「港○n丁目」の各バス停は、昭和40年代の住居表示でできた町名だから、神田線運行開始当初は違うバス停名だったのだろう。あるいはバス停そのものがなかったものもあるかもしれない。
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神田土崎線の記録1

2019-11-11 00:04:50 | 秋田市営バス
秋田市のバス路線「神田線」の、2019年秋の変化の記録シリーズ。前回までは神田停留所付近の旧道経由の廃止を取り上げた。
もう1つの大きな変化として次に紹介するのが、秋田駅西口と土崎駅前を神田経由で結んでいた、いわゆる「神田土崎線」の系統廃止。※「路線廃止」か「系統廃止」か悩ましいところではあるが、個人的には土崎線も旭野団地線もまとめて「神田線」という同じ路線だと思っている。そのため、当ブログでは系統の廃止ととらえさせてもらいます。

神田土崎線の運行区間のうち、秋田駅西口~外旭川病院前間は旧道経由旭野団地線と同じで、前回までと重複するので取り上げない。
その先、外旭川病院前~土崎駅前が神田土崎線だけの経路。
したがって、「神田土崎線の廃止」は、「神田線が外旭川地区内(+秋田厚生医療センター)で完結するように短縮された」とも言える。
神田土崎線は、秋田市交通局が1954年に神田線を運行開始した当初の運行区間・経路に近い、いわば神田線の始祖。ここ数十年は本数が激減し、代替路線もあるので、廃止されるべくして廃止されたのではあるけれど、神田線の始祖がなくなったという意味で、神田線にとって1つの節目とするべき変化ではないだろうか。感傷かもしれないけれど。

今回は、廃止直前、秋田中央交通が運行していた神田土崎線について、記録しておきたい。※本数や途中経由地など昔からこの形態ではなかったことをご承知おきください。
市営バス時代については、また改めて。

一部繰り返しになるが、神田土崎線は、西口~通町~天徳寺前~(旧道)神田~八柳・卸売市場入口~外旭川病院前までは、旭野団地系統と同じ。旧道でない天徳寺バイパス経由の土崎線は設定されたことはない。
外旭川病院前の交差点では、旭野団地線が右折するのに対し、土崎線は左折し、ここから我が道を行く。地図に赤い線で示す。
地理院地図をモノクロ化して加筆。オレンジ色は旭野団地線。青は他路線(一部略)
すぐに奥羽本線と草生津川を渡り、外旭川から将軍野へ入り、西へ進む。
途中から一方通行になるため、上下で経路が分かれる。上り秋田駅行きは、港中央二丁目から護国神社裏参道まで新国道を走行。
下り土崎駅行きは、踏切・橋からの道をそのまま直進し、新国道の2本北の一方通行路を進む。
自衛隊通りを越えさらに西へ。上下が合流するのが港中央四丁目。北進して土崎駅へ向かう。

外旭川病院前~土崎駅前の距離は、地図計測で下り3.1キロ、上り3.5キロ。
神田土崎線全線の秋田駅→土崎駅(下り)は9.3キロ。廃止時の所要時間は下り29分、上り33分。通し運賃は480円。
参考までに、秋田駅→土崎駅を新国道経由土崎線では8.4キロ、県庁・寺内経由土崎線では8.8キロ。どちらも所要時間25分、運賃460円(消費税8%当時)。
神田経由は時間も運賃もだいぶかかるかと思っていたが、それほどでもない(一時期あった神田笹岡線は、もっとかかっていた)。
なお、JR奥羽本線では営業キロ7.1キロ、6~7分、200円。

廃止時点では、平日のみ、上下とも朝に1本ずつ=1往復だけ運行。
ダイヤは以下の通り。旧道区間も含めて【11日訂正】外旭川病院前~土崎駅前の廃止区間は全バス停の時刻を掲載しておく。下りのカッコ内は秋田駅からの運賃。
秋田駅西口7:05→通町7:09(170円)→すわ町7:12(170円)→桜町7:15(220円)→天徳寺前7:16(250円)→水口7:17→笹岡入口7:18(300円)→神田7:19→吉学寺入口7:20→八柳三丁目7:23(350円)→外旭川病院前7:24→鳥谷場7:25(390円)→向山7:26【15日訂正・この位置に「将軍野南四丁目」が抜けていました】→将軍野郵便局前7:27→将軍野南三丁目7:28(420円)→港東一丁目7:29→土崎南小学校前7:30→嶺梅院前7:31→港中央四丁目7:31(460円)→土崎小学校前7:32→港中央六丁目7:33→土崎駅前7:34(480円)
土崎駅前7:55→港中央六丁目7:56→土崎小学校前7:57→港中央四丁目7:58→港中央二丁目7:58→港南二丁目7:59→自衛隊入口8:00→護国神社裏参道8:01→将軍野南四丁目8:03→向山8:03→鳥谷場8:03→外旭川病院前8:04→八柳三丁目8:05→吉学寺入口8:07→神田8:07→笹岡入口8:08→水口8:09→天徳寺前8:11→桜町8:12→すわ町8:16→通町8:19→秋田駅西口8:28
外旭川病院前~土崎駅前のうち、土崎駅前-港中央六丁目-土崎小学校前の3停留所は、廃止されない土崎駅前-自衛隊前-秋田厚生医療センターの路線(いちおう神田線の1つの扱いだった200系統)が使うため、10月以降も存続(土崎駅前は、駅発着の新国道経由・寺内経由も使用)。
新国道に出る上りの港中央二丁目→護国神社裏参道も、新国道経由各線が通るからもちろん存続(例の電柱に巻き付いた自衛隊入口も)するので、以降省略します。
【11日追記】中央交通移管後、秋田市内路線で系統番号表示が始まった時は、神田土崎線に「201」系統が付番された。同一路線内での系統の番号順の法則はよく分からないが、「その路線の基本に、より近い系統ほど若い番号」のようなところがある。川尻割山線で商業高校経由が701で、本数は少ないが歴史がある船場町経由が700であるように。神田線の場合は、歴史が浅く、神田と縁がない、土崎駅-秋田厚生医療センターの短距離路線が「200」になってしまった点はよく分からないが、旭野団地発着各系統(202以降)を差し置いて201なのが、神田土崎線の歴史を示している。
また、車両正面の行き先表示の文字は、市営バス時代は単に「神田・土崎駅/秋田駅」といった表示(後日)だったが、移管後にLED行き先表示が採用されると「向山」経由とも小さく表記されるようになった。向山の知名度がどうか疑問だが、一方通行区間でない停留所から選んだのだろう。
なにせ見かける機会が少ない路線だったので、記憶があいまい。(LED化後・系統番号付番前も向山が出ていたか? 系統番号表示後は、他には天徳寺や神田が表示されていたか? など)とにかく「向山」は表示されていて、ちょっと意外だった。

【11日追記】市営バス時代~廃止時まで、朝の神田土崎線の下り便は、ほぼ時刻が変わっておらず、永らく下り神田線全体の中で第2便を務めていた。
第1便は、神田笹岡線があった当時は、その笹岡経由土崎駅行き。笹岡線廃止後は代替で旭野団地線に代わり、廃止時点では6時50分発バイパス経由厚生医療センター行き。秋大附属学校の通学にはまだ早く、客は少なかったはずで、10~15分間隔で続行するのは、効率が悪かったかもしれない。
神田土崎線の廃止分の増発はされず、旭野団地線初便が6時55分発となった。→2023年10月ダイヤ改正で、6時55分発が6時50分発に再び変更。(以上追記)


では、外旭川病院側から経路をだとってみる。
外旭川病院前バス停通過後の交差点。向かい側右が病院
旭野団地線(外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター方面)はここを右折。
土崎線は左折。やや狭い道の比較的新しい住宅地の中を200メートルほど進む。ここまでは新興住宅地として昭和末に整備されたであろう新しい道。神田線初期からあったわけではない。

信号のない実質丁字路で、センターラインがないほど狭くて古い道にぶつかり、右折。
この道の左方向は、外旭川アンパスの県道の道を越えて、卸売市場入口の交差点まで一直線。前回も触れたように、これが昔からある道路で、もともとの神田線のルートだった。
曲がるとすぐ「鳥谷場(とりやば)」バス停。所在地の外旭川字鳥谷場が由来。外旭川病院前から250メートルほど。
上り進行方向の視点。奥にアンパスの柵が見える。上の写真の赤い線の左方向が外旭川病院
鳥谷場は上下が向かい合う。ポールはどちらもサビサビの古いもの。【この記事も参照
 
表示板は上りが市営バス末期設置のワープロ印字ローマ字入り透明シール、下りは移管直後に中央交通が設置した「JTCウインR」フォント。
【25日補足】鳥屋場の位置を2012年10月や2017年8月のGoogleストリートビューで確認すると、上り側が1軒ほど踏切寄り(手前側)の空き地(駐車場?)の所にあった。40キロ制限の標識がついた電柱も、ほぼ同じ位置で移設されていた。※今は空き地に何か建ったの可能性があるが未確認。

すぐに八柳踏切で奥羽本線を渡る。
渡ってから振り返った上りの視点。道路標識は蒸気機関車柄だが、反対側は新しい電車柄
さらにすぐ、カーブした八柳橋で草生津川を渡る。
上りの視点。奥が踏切。その奥に太平山
上の写真で、左隣(上流)には奥羽本線の橋、右隣には同じくらいの道幅の市道の向山橋が架かる。向山橋はもともとは市電が通っていた橋(道路併用ではなく鉄道専用)がルーツ。さらに下流側が新国道(という名の県道56号)の草生津川橋。

今は草生津川が外旭川と将軍野地区の境。橋を渡ると将軍野南。
奥羽本線と新国道の間を進む。ここから道はさらに狭く、時折緩いカーブも現れる。新興住宅地ではない家並みが続く。
鳥谷場から340メートルで「向山」。
ここも上下が向かい合う
ここから先の各バス停は、鳥谷場ほど支柱が錆びておらず、表示板は市営バス時代設置の「ナール」フォントが続く。
向山上り表示板
現在は「将軍野向山」という町名があるが、線路の向こう側でバスは通らない。住居表示実施以前は、この辺りも外旭川で「外旭川字向山」だったようだ。

280メートルほどで「将軍野南四丁目」。上下が少しズレて、下りが酒屋の前、上りが美容室の角にある。
下りは「酒」看板と電柱の間
さらに進むと、
小さな交差点。直進方向はここから一方通行
ここで上下でルートが分かれる。
新国道「高清水公園」交差点を曲がってきた上りは、上の写真左から手前へ右折する。
土崎駅行きの下りは、こちらから奥へ直進して一方通行路へ。なのだけど、一方通行路は横断歩道の線が3本しかない。これまでも充分狭い道だったが、中型バスでここを通るのは、相当大変ではないだろうか(実際に乗ったり見たりしたことがないので、本当にこれで正しいのか信じられない)。

下りルートを進む。この先はいくぶん道幅は広くなり、新しくはない住宅地が続く。
将軍野南四丁目から140メートルで「将軍野郵便局前」。
顕彰碑の前
郵便局前とは言うものの、郵便局は少し離れている。一方通行に入る交差点を新国道方向へ左折した所。上り便は前を通るのだが、バス停はない。

過去の地形図を見てみると、2006年には現在と同じ場所にあるが、1985年、1971年は違う場所に郵便局があった。移転していたようだ(地図記号だけなので局名は断定できない)。
以前の場所は、将軍野郵便局前バス停から土崎方向へ1~2軒目辺り。今も新しくはない建物が建っており、民家を使った簡易郵便局とかだったのだろうか。いずれにしても、昔はまさに「郵便局前」で、それがそのまま残っていたことになる。
【12日追記】いただいたコメントからGoogleストリートビュー(2012年11月と2015年8月)を確認してみると、ここ数年でも、郵便局前バス停が若干移動していたことが判明。
バス停は、2015年では現在の位置だが、2012年には1軒土崎駅寄りの家とさらにその隣の家の間にあった。
また、バス停と直接の関係はないかもしれないが、顕彰碑の裏にある白い建物は、かつては教会だった。廃止時にバス停があった電柱の左側から入るようになっていて、2012年には「日本キリスト教会 秋田北教会」という看板があった。

【11日追記】全バス停名が表記されている、1988年の秋田市交通局の冊子時刻表では、将軍野郵便局前が上下両方に存在するような書き方。誤記かもしれないが、かつては上り側にもあったのかもしれない。

ちなみに秋田市で郵便局名がバス停になっているのは、秋田中央、土崎、新屋の大所(ただし新屋は西部公民館廃止、秋銀新屋支店移転の後、最近の命名)のほかは、中通六、桜(簡易局)くらいか。

220メートルで、「将軍野南三丁目」。

ここまで住宅地の裏道といった趣の道を進んできた。沿道はたまに酒屋が点在する程度で目立った施設も、信号機もなかったが、ここで、
セブン-イレブンと久々に信号機。左が自衛隊入口交差点方向・右が将軍野踏切~自衛隊
自衛隊通りと交わる交差点。自衛隊通りが将軍野と土崎(土崎港東)の境界。
自衛隊通りは、通町寺内経由と県庁寺内経由の将軍野線が通り、この交差点そばには「将軍野南五丁目」バス停がある。秋田駅から南五丁目までは410円、神田線の南三丁目までは420円でその先460円だった。

セブン-イレブンの看板横の道路標識では、「一方通行終わり」が示されている。しかし、交差点を越えた直進方向も道幅は変わらず、「一方通行」の標識がある。「終わり」はいらないのでは?

画像が多く長くなってしまったので、いったん区切ります。土崎地区について、続く
コメント (5)
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