広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

土淵川で確認と発見

2017-08-31 23:56:23 | 津軽のいろいろ
毎回話が飛んで恐縮ですが、7月下旬の弘前の続き。
弘前市石川を後に、弘南鉄道大鰐線で弘前市街地へ。
6人ほどしか乗っていない電車は、懐かしい天井の扇風機と窓からの風が心地よかった(もっと気温が高い日ならばサウナだけど)。

終点中央弘前まで行かず、弘前学院大前(旧・西弘前)で下車。
弘前大学裏手の土淵川沿いを歩いて、2つのことを自分の目で確認したかったから。

この辺りに住む/住んでいた者にとっては、土淵川は身近な存在。川幅のわりに深い護岸で固められている区間が長いものの、独特の風景には懐かしさを覚える。
ただ、僕は北・下流側の土手町の蓬莱橋~弘高下駅付近は、川沿いを通ることがあったが、大学や家に近い桔梗野・西ヶ丘町付近は、ルート上遠回りになってしまうので通る機会が少なく、明確なイメージはなかった。

西弘前からすぐ、枡方交差点からまっすぐの県道130号線に架かる橋(昔サンクスがあったところ)は「弘盛橋」というらしい。
この橋を境に、上流側はリンゴ畑などが多い郊外の風景、下流側は住宅街を抜ける街の風景と趣が変わる。「子供の森自転車道」というのは、ここから上流側の右岸(線路・城南側)の道を指すのかな。

下流側へ。車は通れるが、通行量は少ない。
いかにも土淵川という光景
この辺りでは、思っていたより護岸が深くない。

確かめたかったことの1つは、キショウブ
2000年代中頃【2018年6月17日補足・1990年代後半との情報もあり】から、近くに住む高齢男性が、美化のために土淵川の弘盛橋から寒沢橋まで約1キロ【2018年6月3日訂正】約350メートルに、キショウブを植えているという。
陸奥新報では、2015年と2016年に報道され(2017年は、少なくともサイトには未掲載)、花の盛りには水面近くが一面黄色になった写真をツイッターなどに投稿する人もいた。

キショウブは、本来日本に自生しない外来の帰化植物。繁殖力も強く、既存の生態系に影響を及ぼす可能性があり、環境省が「総合対策外来種」の3つのうち上から2番目の「重点対策外来種」に指定している。
土淵川は護岸で固められ生態系といえるものもないかもしれないが、種や根が流れて、下流・合流先の岩木川、さらには十三湖や日本海にまで影響を与えてしまう恐れもある。少なくとも、河川という開かれた場所にキショウブをわざわざ植えるのは適切ではないと考える。
地元ではおおむね好意的に受け入れられているようで、よそ者が口を出すのもどうかとは思っていたのだが、気になっており、とりあえずは現地を見てみたかった。

花は終わっていたが、キショウブと分かる葉が繁茂していた。
元から中州状、あるいはわずかな岸辺に植えたようだけど、植える以前・僕が住んでいた頃はどうなっていたんだっけ? 雑草が生えていたのかな。
おひとりで植えたとすれば、相当な苦労だったのがしのばれる。(だからこそ、これほどまでになってから、やめろとは言いにくい)

確かめたかったこと2つ目。
「フェリースマンション」
この方向からは見覚えがない光景だけど、ピンク色の大きなアパート自体は印象にある。
そして、ここを、今年7月に放送されたNHK BSプレミアムの「にっぽん縦断こころ旅」一行が通った。
番組では、写真奥の下流側から来て、マンションの角を左折(写真奥を右方向)し、寒沢スキー場(坂)、踏切、弘前大学と進んだ。
マンション・曲がり角を通り過ぎてから振り返る
↑上の写真が、番組で流れたアングルであり、僕自身も見覚えがある光景。20年前と変わっていない(はず。たぶん)。

曲がった先の光景

中央部をトリミング。弘大生が通り、坂の上に理工学部2号館がそびえる
この光景もテレビで流れたけれど、僕はこの方向に歩いた記憶はほとんどない。
初めて通った場所でないけれど、ごくまれに、下流側から弘盛橋方向に川沿いを通ったということのようだ。

再び川沿いを下り、寒沢橋を過ぎる。
黄色い花はキショウブではなく、キク科植物
川沿いの光景も、川の雰囲気も、あまり変わらない。
ただ、川の中の植物は、キショウブがなくなり、黄色いキク類やガマ(写真手前に蒲の穂が出ている)などが雑多に繁茂している。
キショウブが植えられているのは寒沢橋までで間違いなかった。(キショウブが植えられる前は、上流側もこんな状態だったのだろうか)

また、見た限り、下流側ではキショウブは見当たらなかった。今のところは、植えられた区間より下流側へ大きな影響は出ていないということになろう。
とりあえず、土淵川での目的は達成して自己満足。
※この区間より少し下流側を以前記事にしています
翌2018年の開花期の状況


ところで、上のピンク色のアパートのところで、川沿いに看板が出ていた。注目。
カッパ
「川をきれいにしましょう」「美しい 心が育つ きれいな川で 青森県」とあり、イラストのカッパが持つ竿に「ゴミを すてないで!! 川は泣いています」。
カッパにはへそがあり、竿にはトンボがとまっていて、川の中では赤い生物が泣いている。
赤い生物
これって魚? 口の辺りが大きく開いて、なぜか白い。謎の生物。


別の場所には、
魚(小さいのはドジョウ?)
「川はみんなのものです。 ふるさとの川を守り 美しい川にしましょう。 青森県」
上のカプセル型の部分には何か書いてあったのが色あせたらしい。
カッパとは、書体や状態が異なるので、別のタイミングで設置されたことになろう。
【2020年5月3日追記】昔の書体(フォント)についての興味と知識が多少ついたので、補足。カッパの「川をきれいにしましょう」は道路の案内標識でおなじみの写研「ナール」。「青森県」もナールかもしれない。「美しい 心が育つ きれいな川で」は、おそらくモリサワの丸ゴシック体のどれか。昔のバスの行き先表示やテレビのテロップなどで使われていたものと同じか類似のフォントで、デジタル化はされていない。
魚は「川は~しましょう。」がナールで、「青森県」はモリサワか?(以上追記)


というか、この看板、見覚えがある。
ひどい状態ですが
秋田市の旭川にも設置されている。
旭川のものは、落書き(他の場所では破損も)されている上、土淵川の「青森県」の代わりに「秋田県」とあるものが消えている。
土淵川同様にカプセル型が色あせているが、うっすらと判読でき「川をきれいにしましょう」と土淵川のカッパと同じ文言。また、水と枠が青く塗られているが、土淵川では元からないのか色あせたのかない。
旭川の看板は、少なくとも30年ほど前、昭和末期には設置されていたと思う。魚の妙に明るい目が印象にある。

文章は土淵川が活字で、旭川は手書き。イラスト部分は、両者でまったく同一。
土淵川も旭川も、一級河川の支流であり、国から県に河川管理が委託されている。建設省(設置当時)が主導して、同デザインの看板を手配したのだろう。
※落書きだらけの看板からも分かるように、秋田県(組織としての秋田県庁という意味)の河川管理は、必要最低限のことしかやっていないようで、どうも心がこもっていない(道路管理もだけど)。豪雨が目立つ昨今、この調子では、どこかに抜かりがあって何か起きてしまわないかと、流域住民としては気がかり。青森県はいかがでしょうか。
【9月1日追記】各県共通で同じ看板にしてコストを削減したのかもしれないが、土淵川にしても旭川にしても、どうせなら川の名称を看板に記載(一級河川本流にある青い看板のように)すれば、意義や注目度が高まるだろう。また、管理者の連絡先も記載すれば、住民との関係が緊密になり、事故や不具合を未然に防ぐことができる場合もあると思う。
青森県も秋田県も、県庁の本庁に「河川砂防課」があるが、各河川を実際に管理するのは、地域ごとの出先機関に設けられたセクション。土淵川では「中南地域県民局地域整備部『河川砂防施設課』」、旭川では「秋田地域振興局建設部『保全・環境課』」というもので(たぶん)、一般県民にはとても分かりにくい。しかも、たまに組織再編で名前が変わったりするし。(以上追記)

なお、カッパの看板は旭川では見たことがないが、他の河川を含めて秋田にもどこかにあるのかもしれない。
また、ネットで調べると、宮城県にはカッパの看板があり、土淵川と文章は同じものの、イラストは同一ではない。
※岩手県では、昔旭川にはあったダム放流についての看板があった。

※岩手県には、このシリーズで別のイラストの看板もあった。この記事後半。
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新庄駅と周辺

2017-08-30 00:33:21 | 旅行記
東北小回り旅。まずは、山形県新庄市。
湯沢より先の奥羽本線に乗ったのは、15年ぶり【9月3日補足・それより後に、新庄駅へ陸羽西線経由で来たことはあったので、新庄駅は10年ぶりくらい?】くらいだったかもしれない。山形県に入ってから新庄まで(真室川などを通過)が思ったよりも長い。かつては特急が走っていたこの区間も今は普通列車だけ。もうちょっとなんとかできないのかね。

奥羽本線、陸羽西線、陸羽東線が乗り入れる新庄駅は1999年末の山形新幹線延伸時に、駅舎が新しくなった。
奥羽本線が分断された代わりに、すべてのホームに階段を使わずに行くことができるという、バリアフリーな構造になった。
特徴的なホームの構造はよく覚えていた。駅舎内は記憶になかったが、改札を出たらなんとなくこんな感じだったなと思い出した。

【9月3日追記】新庄駅での山形方面との乗り換えは、(新幹線優先であることもあり)待ち時間が長い。一方で、在来線3方面の乗り換えは、比較的短時間に設定されている。
直近で新庄へ来た時は、陸羽西線から陸羽東線の在来線どうしの乗り換えだったので待ち時間が短く、改札を出なかったはず。駅舎内や外を見るのは、だいぶ久しぶりだったはず。

改札を出て右側に、自由通路につながる階段【9月1日補足・改札前は2階まで吹き抜け】があって、1階右は観光案内所・物産販売などの施設「ゆめりあ」。規模や雰囲気としては、田沢湖線・秋田新幹線の田沢湖駅に似ている。
階段の上から。下左が改札口

改札口は自動化されていない。
新庄駅改札口
発車標は方面別にそれぞれ3行表示できるが、いずれも2行目で「本日も、JR東日本新庄駅をご利用いただきありがとうございます。」とスクロール表示していて律儀(?)。

山車が飾られていた
8月24~26日に開催される「新庄まつり」のもの。
秋田市の土崎港曳山まつりなどとともに「日本の山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録されて初めての開催である今年は、より盛り上がったようで、臨時列車も例年に増して運行された(秋田では初運行された)。

「ゆめりあ」の物産販売は、なかなかの品揃え。駅弁は昔は改札内(?)で山形駅の業者が販売していたが、今はないようで、物産店で地元惣菜店による弁当やおにぎりセットみたいなのが数種類売られていた。
コンビニは左側にNEWDAYS(秋田よりもオリジナル商品が充実。【9月1日追記】地方駅によくある規模のNEWDAYS。ちなみに山形駅は駅ビルの目立ない場所に小さいのが1店で、新庄のほうが大きい)、ちょっと離れたところにファミリーマートがある模様。10分ほど歩けば、地元スーパー・郷野目ストアとヨークベニマルがある。
新庄駅外観
駅舎と駅前広場の間が、ぐるりと仮囲いで囲まれていたものの、工事らしきものはされていなかった。新庄まつり直前でお休みしていたのかもしれない。
仮囲いのせいもあるのか、少々殺風景な駅前だった。


さて、新庄の街。乗り換えの1時間弱で、少し歩いてみた。
過去に来た時も歩いた記憶はあるのだが、具体的にどうだったかはほとんど記憶にない。
そういえば、こんな感じだったような…
お店はそれなりにあり、地方都市としてはそれなりといった感じ。まっすぐの通り左側を少し進めば、郵便局あり。
※商店街について少々続きあり。

左側の道へ入ってみた。
昭和38年10月竣工という「中央公園」
名前のわりには、いわゆる児童公園・街区公園。なお、駅の反対側には「最上中央公園(愛称・かむてん公園)」という大きい公園があるらしい。
一般的な遊具に混じって、奥にユニークな構造物。
鉛筆型のトイレでした

雨が降ってきたので、駅へ戻る。
そういえば、路線バスはあまり多く走っていなさそう。
新庄駅の乗り場も小さかったし、山形交通(山交バス)の車も1台しか見かけなかった。だけど、
ポールは3種類
左が山交バス。
中央が「しんじょう市営バス・かむてん号」用。「かむてん」とは伝説の天狗をモチーフにした、新庄市公式イメージキャラクター。山交バスの廃止代替として、10年前から白ナンバーのワゴン車で運行しているとのこと。
右は、越境運行している大蔵村村営バス用。肘折温泉への山交バスが今春廃止されており、その代替。山交バスの大型バスが狭い温泉街をたくみに走り抜けるのも、過去の風景になっていたのか。ちょうど村営バスが走っていて、無地の塗装のマイクロバスだった。

再び新庄駅へ。
標識と消火栓
「止まれ」が大小2枚。
秋田市のよりは太く、口が2つある消火栓の表示板には、何かのマーク。新庄市の花・アジサイと木・モミだそうで、マンホールにもデザインされていた。

補助標識「自主規制」
ロータリーを時計回り一方通行させるためのようで、出口側の進入禁止も「自主規制」。ロータリーは公道ではないせいで、目の前に交番もあるが、従わなくても違反として取り締まりはできないのだろう。だけど、皆さん守っていた。

続きはこちら
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夏の東北小回り

2017-08-28 20:02:53 | 旅行記
青春18きっぷ2回分で、小旅行。
4県をひと回りする奥羽本線(通称・南線~愛称・山形線)→仙山線→仙石線→東北本線→田沢湖線→奥羽本線(南線)、乗り換え駅名では秋田→新庄→山形(宿泊)蔵王→山形→仙台→本塩釜(徒歩)塩釜→小牛田→一ノ関→盛岡→大曲→秋田のルート。

いずれもこれまでに乗車した経験がある路線ではあったものの、10年以上ぶりなど久々に乗る区間がほとんど。
行程上、各地をじっくり見ることはできず、乗車している時間のほうが長く、しかもここまで普通列車に乗り続ける旅行も久しぶり。
どうなるかと少々心配だった(←自分で計画したクセに)けれど、新幹線に逃げる(通称新幹線ワープ)こともなく、計画通りのルートをたどることができた。
青春18きっぷや北海道&東日本パス利用者が大挙して乗りこむ列車にも当たらず、車内もおおむね快適。同じ東北地方でも、土地土地で風景が異なるのが改めて分かり、車窓も楽しめた。
鉄道の旅はいいものだし、自分は鉄道に乗るのが好きなんだと、改めて実感した。


今回、狙ったわけではないが、いろいろな車両に乗ることができた。
考えてみれば、JR東日本が東北地方で運行している普通列車用電車(本来の意味での“電車”。気動車などは除く)のうち、ほぼすべての形式・区分番台に乗車している。乗ってないのは、男鹿線EV-E801系、第3セクターから乗り入れる車両のほか、秋田と仙台の少数派701系100番台、それにE721系0番台くらい。
乗ったのは、秋田地区の701系0番台(秋田→新庄、大曲→秋田)のほかには、
701系5500番台(新庄→山形)
山形新幹線区間の普通列車用。701系後期版の広い線路幅版。オールロングシート。テールランプが目立たないので、すっきりした顔。
クハ700の床下では、ブレーキを緩解するときに「チー」とエアの音がした。他の番台では聞こえなかったはず。

719系5000番台(蔵王→山形)
同じく山形新幹線区間用。秋田に転属してきた719系の広い線路幅版で、座席は独特な集団見合い式。

E721系1000番台(山形→仙台)
701系の後継車E721系の最新版。719系の代替として2016年秋~今春にかけて導入された4両編成で、まだ新車の香りがした。

205系3100番台(仙台→本塩釜)
飛び地の直流電化路線である仙石線向けに、山手線・埼京線の205系を土崎工場で改造。座席が特殊な車両に当たった。

そして、まさかの
719系0番台(塩釜→小牛田)
仙台での定期運用がまだ残っているらしく、運良くそれに当たった。外観も車内も、5000番台と酷似。

701系1500番台(小牛田→一ノ関)
座席の布地が719系と同じなんだ。

701系1000番台(一ノ関→盛岡)
秋田の次に導入された、東北本線対応版の初期型(その後期型が1500番台)。
盛岡のは帯も座席も青紫色(岩手県花のキリの花がモチーフ)で、落ち着いていて好き。
乗車時間は長く(そのせいか冷房が効きすぎて少々寒かった)、さらにだんだん混雑してきて、少々退屈だったけど。

701系5000番台(盛岡→大曲)
線路幅の広い田沢湖線用。5500番台とは、一部機器やトイレのほか、ボックスシートもある点が異なる。
帯の色は、秋田地区のピンクと盛岡地区の青紫を合わせたということなんでしょう。
正面貫通扉に「N5008」と番号を表記しているのが、秋田支社ならでは。

特徴的な車両や風景については、後日また。※次の記事


7月下旬の大雨で、路盤や柱が流出して不通になった区間も通過。
羽後境-峰吉川間とのことだったが、峰吉川駅のすぐそば。向こうの道路は県道244号線か。もっと山奥かと思っていた。
行きに撮影。見えている線路が新幹線用。右が峰吉川駅方向
まだ工事が続いていて、徐行運転していた。
ほかの区間でも、木がなくなって山肌が露出した箇所が、小規模なものを数か所確認できた。

先週後半も大雨になり、大仙市で再び雄物川が氾濫したが、鉄道への物理的被害はなかった。
実は、旅行最後の田沢湖線と奥羽本線では、その大雨の影響で1時間以上遅れた。だけど無事に帰着できてよかったと秋田駅を出たとたん、土砂降りになって、びしょ濡れになったのはツラかった。


最後に、以前から気になっていた、市街地におけるセミの種類。
秋田市では昔からアブラゼミだけど、都市によっては他のセミと勢力争いが繰り広げられ、東北地方でもアブラゼミがほとんどいない町もあるという。今回、セミの声を聞くことができた駅での状況。
新庄駅はアブラゼミ。山形駅はミンミンゼミが優勢ながら、アブラゼミもけっこう聞こえた(ちなみに山形市の蔵王温泉ではミンミンゼミ)。一ノ関駅はミンミンゼミ。
ミンミンゼミなんて、秋田市では聞いたことがない。(迷いこんだらしきセミが鳴いているのは1度だけ聞いた)
ミンミンゼミは森林を好むセミながら、東日本太平洋側では都市部にもいるとのことだったが、実感できた。
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石川の円筒分水

2017-08-27 23:53:58 | 津軽のいろいろ
間が空きましたが、7月下旬の弘前市石川地区の続き。
弘南鉄道大鰐線石川駅を基準にして南側の大仏公園西(弘前市街地)側のJR奥羽本線石川駅方面に続いて、線路を渡らない北~東・大鰐町方向を最後に紹介。

大鰐線石川駅から北へ進み、押しボタン信号のある所で県道260号線へ出て右へ。
石川公民館、「大仏餅」のお菓子屋さんを過ぎると、道がカーブし、また押しボタン信号、そこで平川に架かる橋を渡る。前の押しボタン信号から200メートルほど。

「御幸橋」と表示板が出ていた。旧羽州街道だけに、なにか由緒があるのだろうか。
新しくはなさそうな橋で、歩道は線路がある上流側のみ。
上流側のたもと。奥に弘南鉄道大鰐線、清掃工場(中央)、大仏公園(右)
ガードレール(柵かな)がリンゴのデザインなのは、青森県ではよく見かける。赤と緑が多いようで、黄色いのは珍しいかもしれないけど。
橋の出入口というか道路との境目の「親柱」に注目。この形は…
モチーフは2つ
全体として青森県の形になっている。さらに、中央の陸奥湾がリンゴの形になっている。

親柱は4か所とも、高さが低い津軽半島側を内側(道路側)にしており、橋の外から見て左側は鏡像の青森県。
そういえば、竣工年などの表示板が見当たらなかったが、親柱の外側に付いていたのかもしれない。【2024年6月28日追記・2024年6月26日アップの「弘前経済新聞」サイトで、この親柱を取り上げたX(旧ツイッター)の投稿が話題になっていると取り上げていた。それによれば「1983(昭和58)年度に完成」。デザインの経緯は分からないとのこと。】

青森県でなければできない親柱だ。他の橋にもあるだろうか。あるとすれば、市町村道では意味が薄そうだから、県道かな。


橋の対岸も家が多い。駅側よりは小規模な集落のようだが、市立石川小学校と市立石川中学校はこちら岸。
旧道である県道と国道7号線の交点、東北自動車道大鰐弘前ICもある。国道には道の駅ひろさきもあり、弘南鉄道石川駅からは徒歩圏内。道の駅の裏は平川市との市境で、日帰り温泉「花の湯」もある。なお、国道や東北道は石川地区では平川を渡らない。

御幸橋を渡ると、道は大きくカーブしていて、見通しが悪い。県道41号線と合流する箇所(41号線終点)もあって、そこに信号機のない横断歩道があり、横断するにはちょっと怖い。少し先には横断歩道橋もあった。
小学校、中学校とも、橋の歩道とは逆側に位置するので、駅側の集落から登下校する児童生徒は、必ず2度、県道を横断しないといけない。学校側にも信号機を設置するとか、将来的には橋の下流側にも歩道を設置したほうがいいかもしれない。

ここを歩くのは、以前道の駅に来た時に続いて2度目。今回は目的地は違うものの、とりあえず同ルート。
県道にしては狭く交通量が少ない41号線へ左折し、すぐに右の市道へ。「石川小学校はこっち」の案内看板に従えばいい。家の間にリンゴ畑も見えてくる。そこにバス停。
「石川学校前」
前回から登場している、弘前~大鰐~碇ヶ関の路線のバス停ではない。そちらはずっと県道260号線を走り、歩道橋のところに「石川中学校前」というバス停があるようだ。

こっちは、1日3往復だけの「弘前~平賀線(大坊経由)」という路線用。ポールは、弘南バスお得意の片側のみの設置。
この路線、地図や全バス停名を見ても、僕の弘前の地理感覚では理解できない、複雑なルート。バスターミナル~松森町角~取上~門外は大鰐方面と同経路だけど、その先がちんぷんかんぷん。石川学校前の次の次のバス停「薬師堂北口」が終点。いったん弘前市から平川市平賀へ出て、再び弘前市(石川)へ戻ってくるルートらしい。石川地区~弘前バスターミナルの運賃では、大坊経由のほうが100円も高い。【大坊経由の路線は2018年9月で廃止され、予約式乗り合いタクシーになった】

小も中も付かないバス停名「石川学校」は、今の感覚では違和感。ただ、秋田でも、郊外ではたまにある命名。
小学校と中学校を一体化したともとらえられるが、それよりも、戦後に石川中学校ができる以前から存在した石川小学校を指して、単に「石川学校」としていたのではないだろうか。戦前を知る人は、そんな呼び方をすることがあったものだ。

バス停の先に、石川小学校。そこそこの規模で、古めの弘前市立学校らしい校舎。道路沿いに、
「二宮尊徳先生之像」薪を3束も背負っていてだいぶ多いような…
二宮金次郎像は、秋田市の学校では見たことがないが、弘前市内ではちらほら設置されているらしい。
この記事中ほどで大成小学校の石像を紹介している。大成小のものは新しそうな石像だったが、こちらは台座も含めて歴史がありそう。
台座裏側を見ると、「昭和十七年十二月八日」「寄附者 金崎清作」と彫られていた。

小学校に用があるわけでもなく、さらに進む。
ラーメンがおいしいらしいマルヨ食堂があって、ガソリンスタンドの角が国道7号線との交差点。水路が集まっていて、水が勢いよく流れている。
茂みの向こうが目的地

ガードレール沿いに細い道に入った所にある

円筒分水!
秋田市外旭川のものを紹介したことがあった、農業用水を一定の比率で配分する設備。
10年ほど前、円筒分水の存在を初めて知ったNHKBS「熱中時間 忙中"趣味"あり」で取り上げられたのが、弘前市石川のこの円筒分水だった。
外旭川の円筒分水を見たはいいけれど、他のものも見てみたいし、なじみのある弘前、しかもアクセスは悪くないから、行ってみたくて、大仏公園とともに今回訪れたのだった。
ここは「庄司川幹線水路分水工」という名称だそうで、Googleマップにも登録されている。

※以下、円筒分水の素人の感想です。
テレビで見た時は、もっと田舎というか奥地にあるようにも見えた気がするが、国道とガソリンスタンドのすぐそばとは意外。円筒分水より道路のほうが少し高い位置にあり、見下ろせるのはおもしろい。
サイズとしては、外旭川のよりは大きく、直径が1.5倍くらいか?? でもテレビで見た時よりは小さく感じたような気もした。円筒分水全体としては、中規模といったところなんだろうか。

外旭川のとは構造が違う。輪が1層多く、2番目の輪から3番目の枠へ、水が滝のように流れ落ちている(外旭川のは、流れ落ちず、壁に穴が開いていた)。

田植え時期ほどではないものの水を多く必要とする時期だったはずで、盛大に水が分配されていた。
知識がないので、念願かなって来たはいいけれど、落ち着けば感想はこの程度。でも来てよかった。外旭川同様、冬の水が少ない時に見れば、構造がよく分かるかもしれない。

円筒分水の横に石碑があった

「顕彰碑」「水ぬるむ 庄司川原に佇みて 君の偉業を まのあたり見る」
農村部ではたまに見かける、人物の功績を称える顕彰碑。
「田中弘氏」を称えるもので、「弘前市長 福士文知」と「平賀町(現・平川市) 成田??」の連名。福士弘前市長は、1976~1992年の在職。平賀町は「町長」ではない。
裏面は見ないでしまったので、建立年は未確認だが、ネット上には1989年との情報が。円筒分水より後に建てられたということのようだ。
田中弘氏が何者か知らないけれど、1人でこれを作ったとすれば、たしかに功績は偉大だ。


大坊経由弘前行きのマイクロバスが通過
道路の食堂とガソリンスタンドの間から円筒分水を見ると、水門の手すりに何かある。上の写真オレンジ色矢印部分。
逆さまの色あせた看板が
「うわあああああ」「おちると死にます。」「石川小学校PTA」「ここではあそばない。」とある。
円筒分水愛好家には有名な警告看板。このくらいインパクトがあったほうがいいのかもしれないけど、この状態では…

このシリーズの警告看板は弘南鉄道大鰐線石川駅にもあり、鉄道愛好家にも知られていた。今回撮影した写真で確認すると、
こちらは健在
駅舎からホームへの構内踏切の横に、きれいな状態であった。
「線路やホームでふざけていると、最悪の場合、死にます。」だそう。
JR石川駅にはあったかな? JRの設置許可が下りなかったりして…


弘南鉄道大鰐線石川駅からは1キロ、道の駅ひろさきからは400メートルと、アクセスがいい円筒分水。外旭川のようにクマが出没することもないだろう。落ちないように注意の上、興味のあるかたはどうぞ。

弘前市街地の話題は後日また
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ウバユリ/キツネノカミソリ

2017-08-26 23:46:17 | 動物・植物
秋田市中央部の城址公園である千秋公園には、あまり人が訪れない林のようなエリアもある。
市街地とは思えない豊かな自然の中で、いろいろな動植物が棲息し、これも千秋公園の魅力であることを、以前から紹介してきた。
今回は、そこで咲く2つの夏の花について。

まず、現在は花が終わってしまったもの。梅雨明け頃・7月下旬に咲いていた。
千秋トンネル・手形側。左上に咲いている
千秋トンネル手形側の道路は掘割(切り通し)で、上空はうっそうと木々が茂る。アブラゼミに加えて、秋田市街地では珍しいヒグラシの声も聞くことができる。彌高神社の裏手の斜面に当たり、人は立ち入れないほぼ手付かず(管理はされているようだけど)の林。その中。



つんと飛び出た茎に、細長いラッパ状の地味な色の花が四方に咲いている。防災行政無線のスピーカーを連想させる咲き方。
薄暗い林で、地味だけど存在感を放つ花が唐突に咲いているのは、どこか薄気味悪い雰囲気がしなくもない。

以前、千秋公園の別の場所(西側斜面)で咲いているのも見たことがあった。
「ウバユリ」というユリだと思っていたが、改めて調べると、ウバユリは関東以西の分布。北には変種の「オオウバユリ」が分布するそうなので、これもオオウバユリだろうか。(でも写真などで比べると、ただのウバユリっぽい雰囲気もしなくはない)

ユリ科ウバユリ属に分類される。
鮮やかで豪華な一般的な「百合の花」はユリ科ユリ属なので、若干遠い親戚といったところ。
花の咲き方も独特だけど、葉もユリらしくない(というか単子葉植物らしくもない)、大きくて広いもの。この葉が、花が咲く頃には枯れていることが多いので、「葉がない」→「歯がない」→婆さん→姥の連想で「ウバユリ」になったそうだ。姥にも、植物にも、失礼でかわいそうな命名。
属は違っても、鱗茎を食用にする「百合根」はあり、アイヌの人たちには重要な食料とされ「トゥレプ」と呼ばれたそう。

千秋公園のウバユリは、花が咲いても葉は青々としていた。
オオウバユリは1本につき花が10輪以上も付くこともあるようだが、ここでは4~5輪程度(このことからすれば、やはりただのウバユリ??)。

お盆前には花がすべて終わり、後には果実ができている。まだ葉はしっかりとある。
横向きだった花と違い、果実は上向き
種もけっこう実るようだ。


もう1つは、現在咲いている花。
西側の本丸から二の丸裏にかけての道
斜面にオレンジ色のユリのような花がぴょんぴょんと出て咲いている。
葉はない
ヒガンバナ科(分類法によってはユリ科)の「キツネノカミソリ」という植物。
ヒガンバナと同じように葉がない状態で花だけを咲かせるが、葉を出す時期はヒガンバナが花後なのに対し、キツネノカミソリは早春から夏前。どちらも有毒。
「キツネノカミソリ」の名は、葉がかみそりのような形なのにちなむそうで、今の季節では分からない。「キツネ」は花の色からの連想あるいは、変わったライフサイクルを狐につままれたのに例えたのだとか。
秋田市ではヒガンバナはギリギリ生育できる北限のせいか、あまり見かけないけれど、キツネノカミソリはより耐寒性が強いようだ。

千秋公園のキツネノカミソリは、茶室の日当たりのいい斜面に咲くのは、ほぼ毎年NHKが「季節の風景」で紹介するなど、それなりに知られている。
上の写真は、茶室からつながる斜面であり、若干陰にはなるが、そこそこ日が当たる。そういう環境を好むのかと思っていた。

さらに歩いていると、
分かりにくいけど、全面に点々と
より木が茂り、笹やミズヒキなど草木が生い茂る斜面にも、キツネノカミソリが咲いていた。これは知らなかった。
なるほど。他の草が芽吹く前に葉を出すキツネノカミソリだから、夏場の日当たりはあまり重要じゃないのかも。
日陰のキツネノカミソリ
日当たりのよりも、日陰のほうが、やや大型に見えた。
それに花茎の色は、日当たり(たしか茶室のも)のは花と同様に赤みがかっているのに対し、日陰のものは緑色。図鑑などでは緑色が一般的のようだ。
秋田市内のお寺の庭(日当たり良好)に植えられているキツネノカミソリは、小柄で赤い花茎だった。
環境によるのかもしれないし、遺伝的に違う群落なのかもしれない。
そういえば、ヒガンバナも花茎の色は赤と緑がある。ヒガンバナは種ができないので、遺伝的な差は小さいと思うが、キツネノカミソリは種ができる個体とできない個体があるそうだ。 
【28日追記】写真撮影から1週間経たない28日には、日向・日陰ともキツネノカミソリはほとんど散ってしまって花茎だけになっていた。意識しないと花が咲いていたとは分からない。キツネノカミソリの花期は短いようだ。


千秋公園表側では、今年もハスが見事。その反対側では、ひっそりと咲くほかの花もたくさんあるのです。
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仲小路にセブン

2017-08-22 23:52:10 | 秋田のいろいろ
秋田市ではそれなりに名前が知られた「松屋」という婦人服店が、2017年春に自己破産した。店舗は秋田市内に6つ、大仙市に2つ、山形県の酒田と鶴岡にも1つずつあったようだ。
その本社や本店は、秋田駅西口から真西へ500メートルほど、仲小路沿いにあった。
2013年4月駅側から撮影。奥の突き当たりがエリアなかいち。左角の店は「マツヤエレガンス」とある
駅から来て左(南)側の角の建物「武藤商事ビル【ビル名称については末尾追記参照】」に本社と「マツヤ本店」、隣接して別に「マツヤエレガンス」という店もあったらしい。


最近、武藤商事ビル1階角のマツヤの店だったところで、工事が進んでいた。

外壁の一部がレンガ調になり、なによりも2階の飲食店の窓には、
「セブンイレブン秋田仲小路店8月31日(木)7時オープン」
なんとここにセブン-イレブンができるのだった!
ホームページやチラシでも従業員の募集が行われている。

この周辺のコンビニといえば、仲小路の駅寄り、大屋根下の金座街ビルのサンクスまで200メートルほど。
キャッスルホテルや三宅ビルのローソン、市民市場のサンクスとセブンはもう少し距離がある。

コンビニが意外に少ない場所だし、寂れても中心市街地だから、需要はありそうではある。
しかし、車社会の秋田では、コンビニに駐車場は必須。なかいちのファミマや、市民市場入口交差点角に昔あったローソンが撤退してしまったのは、駐車場がないことが大きかったのではないだろうか。
金座街ビルのサンクスと三宅ビルのローソンは駐車場がなくてもやっていけるようだけど、駅のすぐそばだからだろう。
それと比べると、この場所は、人通りは減るだろうし、通学の高校生はあまり通らないはず。仮に車だとしても、仲小路は一方通行の狭い道で、通行量は多くない。
秋田では数少ない、狭い道に面した、既存のビルに入居するセブン-イレブン。店舗面積も少し小さい気もするけれど、どうなるだろうか。


ところで、Googleの地図で検索すると、
既にオープンしているかのような情報
気の早いユーザーが登録したということだろう。

【29日追記】その後29日に通ると、壁に看板や表示が一部設置されていた。「2階にイートインスペース」がある旨の表示もあった。
【9月1日追記】
31日から9月2日まで、おにぎり50円引きなどの記念セール、nanacoポイント2倍(9月いっぱい)が行われ、商圏調査(来店元の住所、性別、年代)を兼ねて「セブンプレミアム チーズ味のカリカリコーン(108円)」をもらえる無料クーポンが新聞に折りこまれたので、行ってみた。
店の前やアトリオン駐車場(仲小路側)の前にスタッフが立ってチラシ(折りこみを簡易にしたもので同じクーポン付き)を配っていた。

出入り口に道路とけっこうな高低差(1段よりも高い)があり、その階段がおかしな配置になっており、出入りする時に転んだり踏み外したり、角に向こうずねをぶつけたりしそう。冬場のこともあるし、要改善では?
そこに立つスタッフも愛想がない。「ありがとうございます。足元にご注意ください」くらい言ってもいいのに…
※この店はちょうど角が出入口だが、マツヤ時代は向かって右側・なかいち寄りが出入口だった。出入口が移動した関係で、階段も以前とは別の配置になったようだけど、抜本的な段差の改善にはなっていないことになる。→ドアの真正面に階段がなく(段差が大きい)、左右からしか行き来できないというのが、おかしく危ない。だったら、ドア正面の段差部分に手すりを設置して通れなくするべきでは?

そして店内が狭い。秋田のセブン-イレブンではいちばん狭いだろう。レジの配置はカクカクしていて、ちょっと戸惑った。
人が多くて(客よりも店員が)イートインスペースは見忘れた。セブン銀行ATMは、たしかいちばん奥。
まあ、狭いのを除けば、他と変わらないセブン-イレブンかな。

【10月27日追記】10月27日に外から見て見つけた、その後の変化。
まず、入口の階段に向かって右側の一部に、手すりとチェーンが設置された。これで転落などの危険は減ったけれど、段差は避けられないわけで、状況によってはバランスを崩したり転んだりする人がいそう。
壁面表示によれば、トイレやコピー機は2階。

【2022年2月17日追記・セブン閉店】いただいたコメントによれば、秋田仲小路店は2022年3月で閉店とのこと。
【2024年3月31日追記・武藤商事ビルの名称】セブン開店と同時期(2017年7月~2018年7月の間?)に、「シロガネビル」に名称が変わったようだ。
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西線迂回/ルート検索

2017-08-20 19:06:01 | 秋田の地理
秋田のバスの話題2つ。まずは、勝手にお知らせ。
8月22日から11月まで、新屋西線が雄物川(放水路)を渡るところで迂回運行する。
秋田市の道路工事によるもので、バス停の変更などはないが、遅延発生は避けられなさそう。
【その後、迂回期間が12月末まで延長】


知ったのは8月18日号「広報あきた」。「市役所からのお知らせ」コーナーに「市道船場町1号線が全面通行止めに」と掲載。
「新たに歩道を設置する道路改良工事を行うため」
「8月22日(火)から11月30日(木)(予定)まで、終日、通行止めになります。歩行者も通行できません。」
「路線バスは秋田大橋を迂回します。ご了承ください。」
とのこと。

新屋西線に運用される臨海営業所の車両の車内にも告知が出ていた。
8月22日から11月末(予定)で、バス停の変更(移動)はなしといった内容。

Googleマップに加筆。赤が工事箇所、オレンジ色が新屋西線の経路
雄物新橋の右岸・勝平地区側では、道路は橋から堤防上に坂を上る構造。
左岸・新屋地区側から渡ると、堤防に突き当たって左右に分かれる。右(東)側の狭いほうが県道かな。
今回は、左側のほうが通行止めになる。

新屋西線は、本数が少ない臨海経由は、東側の船場町を通るので、工事区間は通らない。
主流の無印新屋西線(栗田神社前経由)と新屋県営住宅経由は、朝日町・勝平消防出張所前から今回の工事区間経て、雄物新橋を渡る。

普通乗用車なら、東側から堤防と雄物新橋を行き来するだけで迂回できるはずだけど、鋭角の交差点であるため、バスでは厳しいのだろう。

秋田駅側から来て勝平消防出張所前通過後、堤防上の道路を秋田大橋まで東進、秋田大橋を渡って、対岸の堤防を西進、雄物新橋たもとで本来のルートへ復帰ということだろう。過去にも、雄物新橋の工事なんかで、10年に1度くらいはこんな迂回運行がされていると思う。

車内のほか、おそらく沿線バス停には告知は出ていると思うけれど、バス会社ホームページには告知がない。遅れが発生するからには、もう少し積極的に告知するべきだと思う。

【25日追記】23日付で、バス会社のホームページに「新屋西線 迂回運行のお知らせ」として掲載。「終日迂回運行しております。迂回により遅延が生じております。」といった言い回し。
日付をごまかさず、「~しております」と現在形で表記したのは素直ではあるけれど、だったらもうちょっと早めに知らせてほしいものです。

※その後、11月16日付で中央交通サイトに告知が出され、工事・迂回が12月末まで延長されるとのこと。秋田市による工事が遅れているということなんだろうけど、秋田市ホームページには記載がなさそう。積雪期と重なってしまう。
【12月23日追記】さらにその後、延長された期間よりはやや早く工事が終わったようで、12月20日・水曜日17時台の便から、通常ルートに戻った



秋田魁新報でも報道されたが、「グーグルマップ」のルート・所要時間検索に秋田中央交通の路線バスが対応した。
国際教養大学地域研究連携機構がGoogleと連携して実現させたもので、県内の路線バスが対応したのは初。将来的には全県の路線網に対応させたいとのこと。中央交通ホームページでは告知なし。

鉄道の経路検索も同じことだけど、地図を見て、バス停の位置と路線網を把握しながら調べるのが好きな者としては、なんかコンピューターに操られているようで、使いたくない。
でも、人工知能に囲碁や将棋をさせると、人間では思いつかない手を提示してくることがあるそうだけど、経路検索でもそんなことがあるとすれば、ちょっと使ってみたいかも…


とりあえず、やってみた。
地図上で出発地と目的地を示しても検索できるが、パソコンのGoogle検索で地名や施設名などを入力して「○○から××」と検索しても、ルートが検索できる。(できないこともある)
今すぐでなく、任意の日時を指定することも可能。バス時刻の平日/土日にも対応している(年末年始の特別ダイヤはどうかな?)。

ちょっと意地悪して「外旭川市営住宅から西部市民サービスセンター」で検索。
乗り換えが必要になるし、秋田市役所の機関名は「西部市民サービスセンター」なのに、バス停名は市民が抜けた「西部サービスセンター」になってしまっているのだけど…
検索結果。路線名や系統番号も表示される
ルートとしてはまあ適切。
遅れがちな中央交通の路線バスにおいて、通町での接続が7分しかないのが、少々心配だけど。
最後の降車バス停は、西部市民サービスセンター敷地内のバス停「西部サービスセンター」ではなく、1つ手前の「日吉神社前」で降りて170メートル歩けという、不可解な指示。
バス停名に従って「外旭川市営住宅から西部サービスセンター」で検索しても、結果は同じ。バス停の名称よりも、その位置情報のほうを優先して検索しているということか。


通町乗り換えの新屋線まで時間が空いている場合は、神田線で秋田駅まで乗って新屋西線に乗り換えたり、秋田駅でJR羽越本線に乗り換えて新屋駅まで行くように提示されることもある。(時間さえ合えば、JRが速くて安い)
第二、第三の候補として、外旭川市営住宅から1キロ以上離れた、高野二区や将軍野東一丁目からバスに乗るルートも。高野二区から新国道経由で山王十字路、新屋西線に乗り換え(これは思いつかなかったが、なくはないルート)、将軍野東一丁目から将軍野線で通町乗り換え(逆方向の遠回りでこれはないでしょう)。
さらにJR土崎駅まで2.4キロ・33分歩いて、奥羽本線~羽越本線というものも出た(この発想もなかったけど、実行する人なんているだろうか)。
神田線がない時間では、高野二区から交通公社前まで行き、大町通りから新屋線乗り換えというのも出た。これも遠回りではあるが、交通公社前と大町通りという、近いけれど名称は異なるバス停どうしの乗り換えも提示するとは、なかなか賢い。これもバス停名ではなく、バス停の位置情報を元にしているということだろう。(逆方向なら、赤れんが館前のほうが道路横断がなくて近いけれど、その点はどうなるだろう)
もちろん、平日にわずかに運行される、高野二区から新屋へ直通の新港線も、忘れることなく表示された。


地理やバス路線に不慣れな人には便利で助かるサービスなのは間違いない。
でもやっぱり、頭から信じこんでしまうのも、なんか怖いとまでいかなくても、ムダの多いことになりそうでもある。【30日追記】下記の通り運賃は表示されないので、とにかく「指定場所のいちばん近くから、いちばん早く出る」バスを“金に糸目をつけずに”検索していることになる。その結果、バスを利用する人の感覚(金銭感覚)からすれば、かけ離れたルートになることも少なくないようだ。鉄道の乗り換え検索では、時間優先/安さ優先を選べるものが多いが、このシステムでもそれが装備されれば、より利用者の立場に近いものになるだろう。

秋田市外でも、中央交通直営路線は対応しているが、秋田市内のマイタウンバスのような自治体が運行主体・中央交通系列に運行委託しているものは非対応の模様。
運賃表示も非対応。

ついでにGoogleさんに要望。地図上にバス停のマークだけでなく、バス停の名称も表示していただけると、とても助かる。それを元に、路線図やバス会社のサイトで詳しく調べられるので。
丁目・番地の対応(色分けなど)とバス停名称については、やっぱりマピオンなど日本の地図サービスに分がある。バス停名は欧米でも使うだろうけど、あちらの方々は不便には思わないのだろうか。

もっと使いやすいと思う時刻検索サービスがあった!

※その後、2018年10月15日のNHK秋田の報道によれば、2018年9月から、国際教養大によるGoogleマップのバス検索が拡大された。
「県内の3つのバス事業者と、コミュニティーバスや乗り合いタクシーを運行する16の市町村からデータの提供を受け」たとのこと。
地図上にバスの経路も表示され、2018年10月の中央交通の一部路線の経路変更にも対応している。
でもやっぱり、なんかGoogleって見づらく分かりづらいように感じられてならない。
※上記は、2018年11月25日付秋田魁新報社会面でも報道。運賃も表示され、予約式のものは連絡先も分かるとのこと。
また、東北地方他県への導入を進めているほか、バスにGPSを設置したバスロケーションシステムの導入も検討していく。

Googleで路線検索する時の注意点
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29羽のカワアイサ+1

2017-08-18 00:22:11 | 動物・植物
秋田市中央部を流れる旭川、保戸野と千秋地区。
手前右
護岸の水際の乾いたところに、鳥がいる。
ずらり
左端にアオサギが1羽。あとはカモのような鳥が29羽。
29羽は、ずっと前に紹介したことがあった、カモの一種「カワアイサ」。
以前は冬だったので雌雄で色(柄)が違ったが、夏は雌雄とも同じ。冬の雌と同じ色。

本州においてカワアイサは、図鑑上では冬鳥であり、「川アイサ」というわりには海にいることもあるようだけど、この通り夏に川にいるのはまぎれもない事実。
少なくとも10年以上前から、夏場はこのように、朝にどこかから集団で泳いできて、この辺りに上陸して過ごし、夕方に揃ってどこかへ泳いで帰る日々を送っている。
立つ者、座る者、目をつぶる者、口を開ける者さまざま
カラスがよくやっているけれど、鳥類も犬と同じように暑い時に口を開いて体温調節するようだ。この時のカワアイサは、数羽が口を開けていた。

カワアイサのメンバーは毎年(あるいは日々)増減を繰り返していて、昔はせいぜい十数羽だったと思う。毎年数えているわけではないけれど、29羽もいるのは初めて見た。


そして、カワアイサから微妙に距離を置いて、1羽のアオサギ。
カメラ目線。ちょっと警戒させてしまった
よく見かけるアオサギよりは体が小さいし、色もちょっと違う。今年生まれた幼鳥だろうか?
アオサギはこんな格好で川の中の魚を狙うけれど、この立ち位置では、水面まで距離があって無理がありそう。休憩中かな。

アオサギとカワアイサ、大きさは違うし、ここでは数ではカワアイサが優勢。だからケンカにならないのか。
互いに食うか食われるかの関係ではないけれど、カワアイサも魚を好むから、食べ物では競合する(餌の捕り方は違う)。
これほど近くにじっとしているということは、さほど意識していないのか、相性は悪くないようだ。
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広面やきそば?

2017-08-17 00:19:50 | 秋田の季節・風景
秋田市立広面(ひろおもて)小学校では、グラウンドやプールの改修工事が行われている。
現在、プールは存在しない状態になっており、授業は近くのスイミングスクールの屋内プールを借りているらしい。
グラウンド越しに広面小校舎。校舎は築40年超だが数年前に改修済み
上の写真はグラウンド沿いの道路から撮影したもの。以前のここを知る人が見たら、ずいぶんとすっきりしたと感じるはず。というか以前ならあり得ない光景。
以前はグラウンドと道路の間に、フェンスとネットとけっこうな本数のあまり大きくない木があったのが、きれいさっぱり取り払われてしまった。グラウンド工事のジャマだったのだろうけど、後で新たに設置し直すのだろうか。年季の入った掲揚塔【9月7日補足・1977年10月付で校舎落成と創立100周年を記念して、地域の人から寄贈された旨の表示板があった】は残っていた。
奥に秋大医学部と太平山が見える

それはいいとして、工事現場と道路の境にあるもの。
仮設の柵(「単管バリケード」だそう)が置かれていて、その脚がキャラクターの形になっている。
カエルとかキリンとか動物のものなら、今や珍しくもないけれど、これはナニモノ?
ずらずらと
どっかで見た記憶がある。
頭に目玉焼きみたいなのがあって、ヘラを持っている。
とすれば、茶色い髪の毛はソースをからめた麺、赤い花は福神漬。
そう。横手やきそばのキャラクターだった。
名前は知らなかったが、調べたら、横手やきそば研究会による横手やきそばキャラクター「やきっピ」。

なるほど。今はご当地キャラの単管バリケードもあるのね。
と納得しかけたけれど、横手やきそばは秋田県横手市のご当地グルメのご当地キャラ。
ここは秋田県内ながら秋田市である。どうしてここにこれがいないといけないの?
横手と秋田市、広面との間に何か関係があるの?

施工業者が横手の会社だったらまだ話は分かる。工事看板を見忘れたけれど、駐車していたトラックからすれば、秋田市の業者。
夏休み明けにどうなっているか分からないけれど、広面小の児童たちはこれがやきっピであることを知っているだろうか。悩ませてしまうかもしれない。
横手やきそばの宣伝をしたいのなら、「横手やきそばキャラクター・やきっピ」とか書いてくれないと。
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個人情報の落とし物

2017-08-09 00:44:20 | 秋田のいろいろ
道端の電柱や塀などに、キーホルダーや冬場なら手袋なんかがが載ったり引っかかったりしていることがある。誰かが路上に落とした物を、誰かが見つけて拾ってそうしたのだろう。
遺失物法では、拾った人は落とし主へ返すか警察へ提出しなければならないわけだが、キーホルダーや手袋でそこまでするのははばかられ(落とした人も警察へ遺失物届を出してまで探す可能性は低い)、かといってそのまま放置して汚れてしまうのも忍びなく、汚れにくくかつ目につきやすい場所へ動かしておこうという、親切心によるものなのは、理解できる。運良く落とし主に戻るかどうかは分からないけれど。

では、落ちているのが中身が入った財布だったら。
落とした人は困って探すのが普通。
でも、キーホルダーと同じように目立つ場所に移動させただけのものがあったそうだ。見つけて動かした人が中身を開けて見ることを躊躇したとか、警察が遠いもしくは急いでいるとかだったのだろうか。
その財布は、通りがかりの別の人が改めて拾って、落とし主へ連絡して無事返還できたのだけど、目立つ場所に移されたことによって、悪意ある者に見つけられて盗まれてしまう危険【9日追記・つまり親切心があだになる】もある。やはり、遺失物法通りに返還または提出するべきであろう。


秋田市内で見つけた落とし物2つ。
バス停のポール
時刻表掲出枠の裏側、支柱との間のすき間に何かはさまっていた。
拡大
ソフトケースに収まった水色の紙が、ケースごと半分に折られていた。
秋田市民の高齢者が1回100円で路線バスに乗車できる「高齢者コインバス資格証明書」だ。※発行年度によるのか別の色のものもある。また今年度後半からサイズが小さくなる予定。

バスから降りた人が落としてしまい、見つけた人が拾って折ってはさんだのだろう。
だけど、こんな目立たない場所に押しこまれてしまっては、仮に落とした人が探しに来たとしても、発見できないかもしれない。
証明書がないと100円でバスに乗れないわけだが、手続きをすれば、容易に再発行してもらえるはず。だから、そもそも、落とした人も探そうともしないかもしれない。

ところで、この証明書には、利用者の顔写真、氏名、住所、生年月日が記載されている。
市では「この証明書に、身分証明書としての効力はありません。」としているけれど、これだけの個人情報があれば、振り込め詐欺など「犯罪の情報源としての効力はあります」ということにならないだろうか。
これを踏まえれば、落とした人は気が気でないかもしれない。

落とした人は気にしていないか気にしているか知らないけれど、発行元の秋田市役所へ届けたほうが無難と判断。秋田駅東口の市の出先機関・駅東サービスセンターへ持っていったら、受け取ってくれた。
折れ目や汚れ具合からして、この状態であったのは1日や2日ではなさそうだった。

落とさないのがいちばんだけど、犯罪の情報源になりにくいよう発行する側の配慮も必要かもしれない。記載は「生年のみ」、「住所に番地は表記しない」といった個人情報の“減量”、クレジットカードのように「拾得した方は秋田市役所へご連絡ください」といった文言の記載をしたほうがいいようにも思う。
【21日追記】健康保険証も顔写真はないほかは同じような情報量だけど、医療機関の窓口で月1回の提示で済むから、落とすリスクは少ないし、落としても本人へ戻る可能性が高いと思う。荷物を持って、屋外の路上のバス停で何度も出し入れするコインバス証明書のほうが、“危ない”はずである。
また、バス降車時に運転士が確認するのは、証明書の顔写真(と発行者の市長印)だろう。その他の情報は、運転士としては確認のしようがない。それに、証明書発行時に秋田市(秋田市長)が住所・生年月日等個人情報を確認して、記載内容が正当であることを認めて、市長印を押しているわけである。こうしたことからしても、やはり生まれた月日や住所まで記載する意味はないと思うだけど…
なお、証明書の「発行機関名および印」欄には「秋田市長(印)」だけで、「穂積 志」の名はない。有効期限がない証明書だから、市長が交代することを見越しているのだろう。
【2023年9月14日追記】2022年秋からは、コインバスがICカード化された。もちろんカードには個人情報は記載されない。


次は、道路沿いの柵というかフェンス。
左上の赤い矢印
写真では分かりにくいけれど、小学校の名札。
安全ピンの針先が、フェンスのすき間に差しこまれていた。表向きになっており、学校名、学年とクラス、フルネームの氏名が、歩いて通るだけで判読できる(サイズからして自転車や車では判読不可能)。

学校名と場所からすれば、登下校あるいは遊んでいる時に落としてしまい、通りがかりの人が見つけて(以下同文)…ということだろう。
落とした児童は、毎日は通らない場所なのか、高さからして気づかないのか。
名札は学校指定の文房具店で購入できるから落としても困っていないだろうけど、これでは「さらし者」状態。

実は、何か月も前にこの状態なのを発見しており、学校へ届けたほうがいいと思っていた。
だけど、僕の通行ルートからすれば学校へ行くのは遠回りになるし、学校が開いている時間に通る機会もなかった。(学校へメールして「あそこにあるから回収に行け」と依頼するのも、なんか余計すぎるお世話のような気がしたし…)
先日、意を決して、自ら回収して学校へ届けることができた。

届けるため、名札をフェンスから外して手に取る。
名札本体の表面は、青や黄色の細い糸で枠・学校名などの文字・校章が刺繍された白い布。クラスや氏名は各自記入する方式。秋田市立の多くの小学校で昔からよく見かけるタイプで懐かしい。
拾った名札は安全ピンは開き切ってしまい、少し錆びて名札本体の布が一部茶色くなっており、布は吸湿と乾燥を繰り返して油性ペンの文字が少しにじんでいて、名札として再使用は厳しそう。
ふと、名札を裏返すとびっくり。昔の裏面は布の裏側が見えていただけだったが、この名札は別の紙が入っていた。
こんなもの(千代田ネーム工芸社ホームページより)
「血液型記入カード」なるもので、血液型のほか、保護者氏名、住所、電話番号の記入欄があり、落とし主はすべての項目が記入されていた。
また上記の繰り返しになるが、これもまた犯罪の情報源になり得る。表面の比ではない。

とすれば、落とした人(児童本人や保護者)は、気が気でないかもしれない。
気にしていないか気にしているか知らないけれど、やはり届けて正解だったと、自画自賛。【10日追記】とともに、もっと早く届ければ良かったと後悔。

それにしても、血液型カード。
子どもの安全とか個人情報保護が昔より厳しく叫ばれている現在、昔はなかったこんなものが存在しているとは!(昔もあったのかな?)
「千代田ネーム工芸社」とあるから、名札のメーカー側で作っている。
秋田市で一般的なこの規格の名札は、小学1年生が付ける縦長でケースのカラーバリエーションがある名札も含めて、同社の製品だった。【9日追記】プラスチックに彫る名札や、体育着のゼッケン式名札なども製造販売しており、2017年版カタログには秋田市立飯島小学校のゼッケンが掲載されている。
最近は、登下校時は裏返して氏名を隠せる名札も発売していると聞いていたが、それも同社の製品。こんなカードはそれとは対極にあると言えよう。同社の方針が理解できない。
そもそも、血液型は記入したとしても、ABOだけでなくRh型も記入しないと意味がないだろうし、万一輸血する時は改めて検査してから行うはずで、意味は薄いと思う。

保護者氏名や電話番号については、我が子に何かあった時、一刻も早く連絡してもらうために記入するという考えもとてもよく分かるし、嫌だったら記入しなければいい(学校側で強制してはいないだろう)のだろうけど。

【9日追記】そういえば、どうしてこの名札って布なのだろう。名前部分も刺繍するのなら分かる(耐久性や文字のきれいさ)けれど、枠だけ刺繍で名前はペンで各自記入する方式なら、布である必要は考えつかない。
それなりにコストがかかりそうだし、自分の過去の経験からして記名する時には、ペンの種類によっては布がインクを吸収してにじんでしまう(拾った時ににじんでいたのはこのせいかも)。昔は、わんぱく・おてんばな子が激しく遊んだり誤って洗濯したりしてしまった時、それに耐えられる性能が求められていたのかもしれない。
今だったら、厚手の紙にフルカラー印刷(印刷屋なりレーザープリンターなりで)したとしても、もっと安くかつきれいにできるのではないだろうか。どうせ1年間しか使わないのだし、企業や役所の名札だって紙製なんだし。
今さらなぜ布製なんだろう。



コインバス資格証明書も名札の裏も、財布ほど重要ではないが、キーホルダーほど軽視できるものではないと思う。
そんな落とし物が長期間放置されていた、すなわち個人情報が長期間放置されていたというのはどうなんだろう。「小さな親切 犯罪の情報源(せっかくの親切心があだ)」は極端でも「小さな親切 落とした人には伝わらない(せっかくの親切心が伝わらない)」状態である。
落とした人(もしくは発行元など)に連絡・提出すれば、「あなたの個人情報はここにあります。悪用されていません」と伝えることができる。それをするべきだと思う。「小さな親切 大きなお世話(自己満足の親切心)」のような気もするけれど、自分が落としたことを考えると、そうしてほしい。自分の個人情報が、どこかでさらされ続けているかもしれないと思うと…
いかがだろうか。

【17日追記】コインバス証明書の記載事項見直しと拾ったら届け出る旨の注記については、秋田市役所へ提案しておいた。返信は要望しなかったのでどうなるか分からないけれど、忘れなければ今後に注目。【2023年9月14日追記】結果を確認しないまま、ICカード化されました。


【10月24日追記】上記2題とは無関係だけど「個人情報の落とし物」つながりで思い出したこと。
JRの定期券は、利用者の氏名(カタカナ)、性別、年齢が券面に記載されている。また、購入時の申込書には「拾得時の連絡をご希望の場合は、電話番号をご記入ください。」という欄がある。(さらに通学定期の場合は、学校名もJR側が把握している。)したがって、落ちている定期券を拾って、駅(または警察)へ提出すれば、落とし主に戻る可能性はきわめて高い。
近年、ツイッターにおいて、主に若い人が「【拡散希望】イソノナミヘイさんの定期券拾いました。あさが丘駅へ届けました。」など、定期券面の写真付きで投稿し、それが拡散されているのを見ることがある。
駅へ届けたのなら、イソノナミヘイさんが申込書に電話番号を書いていれば、ツイッターなど使わなくても返却されるのだから、写真付きでネットにアップするのは、無駄。氏名・性別・年齢、さらに自宅や勤務・通学先を推測させる可能性がある定期券利用区間までネット上に“さらす”のは個人情報やプライバシー保護の観点から褒められることではない。
申込書に電話番号を書いていないのなら、落とし主は「連絡されたくない」(=そっとしておいてほしい?)ことになるのだから、大きなお世話であって余計にやるべきではないことだ。下手すれば後で訴えられるかもしれない。
投稿する人の「一刻も早く、探しているであろう落とし主に伝えて安心させたい」という思いは分からなくもないけれど、その裏側には危険もはらんでいることを忘れてはならない。
ネット上に自分の実名など絶対に載せてはいけないと言われていた時代(20~15年前)からネットを使っている者としては、フェイスブックのような最近のネット上で実名が使われるサービスには、違和感を抱いているのだけど、それは使う人の自由。だけど見ず知らずの他人の実名まで勝手にネットに載せるのは、違和感以上のものを覚えずにはいられない。
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石川駅と石川駅

2017-08-07 23:55:00 | 津軽のいろいろ
大仏公園のある、弘前市石川の鉄道事情。
前回触れたとおり、石川地区はJR奥羽本線と弘南鉄道大鰐線、さらに県道260号線を弘南バスも通っている。合わせれば毎時2本は運行されているので、地方都市の郊外としては意外にも利便性は高いと言えるかもしれない。

このうち、「石川駅」は、JRと弘南鉄道それぞれの駅が異なる場所に存在する。石川駅は2つあることになる。
JR奥羽本線は大鰐温泉-石川-弘前、弘南鉄道大鰐線は(大鰐側)-石川プール前-石川-義塾高校前-(中央弘前側)と駅が並ぶ。石川プール前駅は、所在地は石川ではないようだが、市のプールの施設名からして石川が入っている。広義には石川に含まれるのだろう。JRの石川駅にいちばん近い弘南鉄道の駅は、義塾高校前駅。

大仏公園のほか、石川地区の中心部、道の駅ひろさき、円筒分水へ行くには、弘南鉄道の石川駅が近い。
今回も弘南鉄道の石川駅へ降り立ちたかったのだけど、大鰐での秋田方面のJRからの接続があまり良くなく、それならばとJRの石川駅で降りて歩くことにした。

秋田9時45分発大館行き普通列車は、大館から8分の待ち合わせで弘前行き普通列車に接続。弘前行きは「毎日運転の臨時列車」扱い。
大館行きは2両編成ワンマン運転で、大館1番線着。
弘前行きは2番線発で、それなりの乗客が跨線橋を渡って乗り継ぐ。こちらも2両編成ながら、車掌が乗務。

石川到着。私立東奥義塾高等学校の最寄り駅なので、夏休みに登校する/したであろう生徒が、何人か降り、それ以上が乗りこんだ。
JR石川駅ホーム。列車は後部側
石川駅はホームが3本。下り列車は駅舎と直接つながる1番線に入る。
駅舎・出口のある側は、住宅が並び、東奥義塾高校や弘南鉄道大鰐線がある。反対側は田んぼが広がる。

JR石川駅は、1916年に開業している。この区間の奥羽本線は1895年開通だから、少し後。1971年までは有人駅だったそうだ。(現在も、弘前から駅員が出張する場合があるかも)
1987年には、東奥義塾高校が近くに移転(それ以前は弘前公園向かいの現在観光館のところにあったそうだ)してきている。弘南鉄道の義塾高校前駅は、その時に開業。

この駅に降りたのは初めてのはずだけど、そうじゃない感覚にとらわれた。
これまで秋田と弘前の往復で何回も車窓から見ているし、この駅から大鰐温泉方向(長峰まで)は単線であるため、行き違い待ちで長く停まる場合もある。弘前の1つ隣の駅ということもあり、記憶に残っているのだろう。
でもやっぱり初めての駅。駅の外へ出られる通路を見つけたのだけど…
左に「ここは通路ではございません。駅舎をご通行ください。」
ここを通ってもまったく問題はなさそうなのに。おそらく、外側に車が停まっていれば危険なのと、きっぷ回収箱(場合によっては駅員の集札場所)がないというのが理由だろう。
正式な出口はそのちょっと先。
階段は跨線橋、右が駅舎
写真を撮り忘れたけれど、跨線橋は屋根付きの立派なもの(積雪地では標準的とも言える)。
駅舎を通って外へ出るには、連続した2つのドアを通るだけ。その間に別棟みたいな配置の待合室がある。
ホーム側の屋外にあるのが一般的な「きっぷ入箱」(回収箱)は、駅舎の中にあった。Wikipediaによれば自動券売機があることになっているが、見忘れた。あるとすれば、食券券売機風のものがここにありそう。
左のドアが駅の外、奥が待合室、ホームは右

JR石川駅外観
右側の建物がホームにつながる部分。左のコカ・コーラの自販機がある大きい建物が待合室と物置。
その向こう、マイクロバス(弘前市内のクリニックの送迎)との間が、さっき通行禁止だった部分。
駅舎内外とも、比較的最近、リニューアルされた雰囲気。いつ建てられたのかは不明。
なお、公衆電話あり。トイレはないとの掲示あり。

駅前には、それなりに人家があるものの、前の道路はほとんど車は通らない。それもそのはずで、この道の弘前方向はすぐに行き止まり。反対側は、
大鰐方向の道
行き止まりと反対の大鰐方向はちょっとした坂道で、途中で東奥義塾高校や弘南鉄道義塾高校前前駅への道が分岐する(というかそちらがメインの道で、JR石川駅の道のほうが分岐するのか)。JR石川駅と弘南鉄道義塾高校前駅を行き来するには、地図上で見るよりも遠そう。

【14日補足】駅前ががほんと広いことからすれば、もしかしたら昔は貨物を扱っていて、リンゴなどが運ばれていったのかもしれない(憶測で根拠はありません)。道路沿いには、新しい家に混じって、歴史がある立派な造りの家もあり、坂道とともに風景に独特なアクセントを与えている。


JR石川駅から弘南鉄道石川駅を目指して、大鰐方向へ歩く。
2つの石川駅は、直線で1キロ強離れている。JRのほうが北・弘前市街地寄り。
道のりでは、最短では1.5キロほどのルートがあるようだが、リンゴ畑の中の細い道などで分かりづらいかもしれない(冬なら除雪されないかも)。今回は、他の訪問場所の都合もあり、1.9キロと遠回りながら確実ないったん県道260号線へ出るルートを歩いた。

くねくねした道を歩くとすぐに、
左に踏切、上に高架
「石川踏切」でJR奥羽本線を渡る。線路はまだ駅構内という位置づけのようだ。
その先では、高架というか橋になっている弘南鉄道大鰐線が、奥羽本線をまたいでいる。
JR、弘南鉄道とも車窓からは何度も眺めている光景だが、道路から見たのは初めて。

踏切を越えると、平坦になりしばらくまっすぐ。
サークルKがある丁字路交差点で、県道260号線に出るので、右折。
奥が大鰐方向、右が踏切方向
県道は旧羽州街道。旧国道7号線でもあるのだろう。歩道がない道路に、お店、元お店、金融機関、駐在所などが立ち並び、石川地区の中心地だったことがしのばれる。裏には日帰り温泉もある。いくつかある弘南バスのバス停は、下り(碇ヶ関方面)側にしかポールが置かれていないようで、弘前方面へはその向かい側で適当にということだろう。

しばらく歩くと石川郵便局、「中央石川」バス停があり、その先に押しボタン式信号。そこを右折すれば、弘南鉄道石川駅。
振り返って奥がJR石川駅方向、左が弘南鉄道石川駅方向。バスがいる所が中央石川バス停
大仏公園への誘導表示はたくさんあるが、弘南鉄道石川駅はこっちという表示類はなかったはず。あってもいいだろうに。
曲がらずに県道を進むと、すぐに平川を渡る。こちらは後日。

曲がった道は、家が立ち並び、緩くカーブしていて先は見えないが、道なりに進み、弘前市石川児童館の先で右に大きくカーブして、
弘南鉄道石川駅到着
道は駅を回りこむように左へ曲がり、踏切を渡る。大仏公園へはその先を左折。

弘南鉄道石川駅舎
JR石川駅と比べると、大きくて多少立派な構え。でも、古く、見かけほど大きくもない。
窓口跡などもあり、かつては有人駅だったことが分かるが、現在は無人駅。こちらの石川駅も公衆電話あり・おそらくトイレなし。自販機はこちらはダイドー。
ホームは行き違い可能な島式1面2線。駅舎とは構内踏切を渡る。ワンマン運転なので、乗降ともいちばん前のドアから。
ホームから。構内踏切のすぐ隣が道路の踏切。その向こうはリンゴ畑

それにしても、弘南鉄道石川駅の駅舎は、正面側に台形を逆さにしたような壁状の飾りが付いている独特の形状。既視感があるのだけど、その理由はこれ。
弘南鉄道大鰐線弘高下駅
同じ路線によく似た構造の駅舎がもう1つ存在し、それを見慣れていたから。ただ、比較すると、台形の角度など細かな造りは異なる。

弘南鉄道大鰐線は、1952年に「弘前電気鉄道」として開業、1970年に弘南鉄道に譲渡されている。
石川駅も弘高下駅も1952年から存在するので、当時の駅舎が使われ続けているようだ。

「いしかわ」駅名標
大鰐線の駅ではたまに見られる、ホーローの駅名標も、弘前電気鉄道時代からのものだろう。
だけど、「  いしかわ」と上に2文字分の空白がある。うっすらと見えるが「しん」が消されている。

そう、弘南鉄道石川駅は、かつては「新石川」という駅名だったのだ。
1986年に新石川から石川に駅名が変更されている。同時に「弘南大鰐」駅も大鰐(当時は奥羽本線も大鰐駅)に変更されている。
奥羽本線の駅名に合わせたということなんだろうか。しかし、1991年には奥羽本線のほうが大鰐から大鰐温泉に改称されてしまい、再び駅名が違うことになった。
石川のほうも、奥羽本線の石川駅とは大きく離れているのだから、かえってややこしくなってしまったと思う。新石川を使いたくないのなら、「本石川」とか中央弘前駅やバス停にならって「中央石川」にしたほうがよかった気もする。
2008年の西弘前→弘前学院大前、城南→聖愛中高前の唐突な駅名変更もあったけれど、弘南鉄道は駅名をもっと大事というか慎重に考えるべきではないのだろうか。
【9日追記】弘南大鰐にしても新石川にしても、「弘南じゃない大鰐」「新じゃない石川」が存在することによる駅名であり、それは国鉄の駅。だから、国鉄の駅名ありきの駅名であることに嫌気が差したのか、あるいは国鉄と対等な立場なんだと主張したくて、駅名を変えたのかもなどと妄想。でも、大鰐駅については、弘前電気鉄道時代は「大鰐」だったのを、弘南鉄道が譲受時に「弘南大鰐」にしている。

駅舎正面のオレンジ色(だいぶ色あせた)の表示は、左端に「弘南鉄道」と小さく書いて「石」「川」「駅」となっている。弘高下には「弘南鉄道」はない。
おそらく、かつてはここに「新」があって、変更時に代わりに「弘南鉄道」としたのだろう。
【9日追記】コメントで指摘いただいたように、構内踏切の上の白い表示は、右側に1文字分を撤去したような痕跡がある。「新」を抜いて左に詰めた可能性がある。


自販機の裏、公衆電話の横には、
水飲み場?
ハチが飛んでいて近寄れなかったので、水が出るのかは不明だが、水飲み場らしきものが。蛇口は回転しなくて水は飲みづらそう。手洗い場とか流しかな?
蒸気機関車が走っていた駅では、すすで汚れた顔を洗う流しがホームに並んでいたそうだけど、ここでは単なる衛生面での設置か。
裏面
だいぶ欠けたりはがれたりしてはいるものの、タイルがランダムにはめられたレトロな雰囲気。

これとよく似たものが、弘前と黒石を結ぶ弘南鉄道弘南線の運動公園前駅にもあった。
(再掲)運動公園前駅の流し
全体の破損が激しく、蛇口が回せなくなっているが、タイルの色が違うだけでそっくり。

弘南線は、弘前電気鉄道とは無関係な元からの弘南鉄道の路線であるし、運動公園前は1977年開業。
石川駅の流しは、駅開業時からあったのかと思ってしまうが、ということは昭和50年前後に弘南鉄道によって設置されたのだろうか。

石川の町の話題はいずれまた

【14日補足】2つの石川駅を徒歩移動する場合、少なくとも県道経由では目立った危険はなさそう。ただし、歩道がなく一部カーブもあるので、車に注意することと、特に夜間は安全・防犯面の注意は必要。
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竿燈2017

2017-08-05 00:21:45 | 秋田の季節・風景
東北は8月2日に梅雨明け(平年+5日、昨年+4日)。【9月3日】9月1日、気象庁は東北地方の梅雨明けの時期を特定できなかったとした。2009年以来の事態。
今のところ、天気は晴天、昼は30度前後まで上がるが、夜には涼しくなって過ごしやすい。
3日からは秋田市で竿燈まつりが始まった。初日の模様を簡単に。※昨2016年の記事





おぼろ月が出て、時折弱い風が心地よく吹く。その風でバランスを崩す竿燈、崩さない竿燈。

例年、初日は観客が少なめの傾向があるけれど、今年はいつもの初日より多い印象。
有料観覧席も盛況
中央分離帯の有料観覧席ではない歩道側では、いつもならスカスカの場所にも、それなりに人がいたし、通路部分を歩く人も多く感じた。
歩道の通路部分は右側通行で立ち止まるのは禁止とされるのだが、それを知らない客も多い。そういう人がいても、毎年のことながら警察官や警備員によって、積極的に声をかける人とそうでない人がいる(というか見えているはずなのに黙っている警察官・警備員が少なくない)。もう少し徹底してもいいと思う。万が一のために。

今年の竿燈は282本。恒例の微増(昨年+2)で過去最高。
スポンサー竿燈といって、町内ごとの竿燈会に、企業のロゴ入りの竿燈を上げてもらって広告するものがある。(別に各職場が直接参加する職場竿燈もある。慣れないと識別は難しいかも)
これまでスポンサーになっていなかった企業、さらには聞いたことがない企業や店によるスポンサー竿燈がちらほら見られた。これが本数の記録を更新している原因であり、ちょっとは景気が良くなっているという現れなんだろうか…
秋田朝日放送(AAB)のスポンサー竿燈
はんてんもAABのロゴ入りだけど、旧ロゴのまま。ロゴ変更は2012年、けっこう長持ちするようだ。


今年の会場は、ちょっと雰囲気が違うような気がした【5日訂正】街路灯は少なくとも2015年から点灯していました(過去の記事の写真にしっかり写っている)。今さらながらの勘違いだったので、この項目を取り消します。
その理由
竿燈はろうそくの灯りが重要なお祭りだからということか、これまでは会場内では、信号機が消灯(他の祭りでは点滅になることが多い)するばかりか、街路灯も消灯していた。
それが、今年は点灯している。
昨年は、初日は消灯していたものの、たしか後の日では点灯していたという話を聞いた気がする。


ここの街路灯は、竿燈の提灯を模したもので、2015年にLED化されている。
電球時代は、1基につき2灯あるうちの片方だけが点灯していたが、LED化後は2灯とも点灯し、竿燈中も同様。

消灯していた当時、会場末端の歩く人が多い部分では、暗すぎてやや危険に感じたこともあった。その対策として点灯させたのかもしれない。あと、写真を撮影する時には、街路灯の灯りで人物が多少明るく写せるようになる場合があり、便利といえば便利かもしれない。個人的にはさほど目障りではないと思う。


「継ぎ竹」といって、竿燈本体の下に竹を継ぎ足して接続し、より高く揚げるものがある。何本も継いで、竿燈がしなるのも見どころの1つ。
失敗すれば破損してしまう恐れもあるので、日程後半・特に最終日は、多少ムリをして多く継ぐ傾向にあるけれど、
初日からだいぶ継いでいるところも

左の子ども用「小若(こわか)」もなかなか

【17日追記】2017年の人出は計131万人。昨年より1万人減で、実行委員会によれば、7月下旬の記録的大雨で、県内客が伸び悩んだためだという。
初日の会場を見た限り、例年よりはやや多い気がしたし、日程後半が土日だし、そもそも大雨の被害地域から竿燈を見に来る人なんてそんなにいる(理屈上1万人は来ていたことになるけれど)もんだろうか。

翌2018年の模様
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大仏公園のアジサイ

2017-08-03 00:26:21 | 津軽のいろいろ
かなり久々に青春18きっぷを購入。まずは弘前へ日帰り。
大した目的はない旅だったけれど、以前からちょっと行きたかった季節限定の場所へ。

それは弘前市石川「大仏公園」のアジサイ。大仏は「だいぶつ」でいいんだよね。
JR奥羽本線や弘南鉄道大鰐線に乗って、大鰐と弘前を行き来すると、車窓にゴミ処理場(南部清掃工場)の四角い煙突が見える。その近くの丘。
戦国時代に南部氏が城を築いたが、津軽氏によって落城。現在は公園になっていて、桜とアジサイの隠れた名所になっている。城の名前としては「石川城」や「大渕ヶ鼻城」。
公園の東を平川が流れ、北を弘南鉄道大鰐線と県道260号線と国道7号線、南を奥羽本線が走っている。

何年か前、なぜか秋に訪れたことがあったから、土地勘はあった。
公共交通機関でのアクセスは比較的良好。いちばん近いのは弘南鉄道の「石川」駅、次が県道を通る弘南バス(弘前バスターミナル・弘前駅~)大鰐・碇ヶ関線の「中央石川」バス停(かな?)。
奥羽本線の「石川」駅は、弘南鉄道石川駅とはぜんぜん別の場所(「義塾高校前」駅の近く)だけど、歩けないことはない。今回は列車時間の都合上、JR石川駅から歩いた。この辺りは後日また

県道や弘南鉄道石川駅からは、地元の方々が設置したのか「大仏公園はこっち」の看板が要所要所にあり、迷うことはなさそう。駅舎内にも地図が出ていた。
弘南鉄道石川駅近く。奥左右は奥羽本線
上の写真では、弘前市が設置したと思われる道標も設置されているが、距離は「0.8km」となっている。もうちょっと近いと思うけど…
踏切を渡って道路が少し回り込んでいてやや遠回りだけど、弘南鉄道石川駅からは500メートルほど。
途中に昔はなかった駐車場が増設されていた。
「大渕ヶ鼻城跡」の標柱。すでにアジサイがちらほら
入口はいくつかあるが、駅から近いのがこの北側。
右には「津軽遺産」という札がかかった大木。詳細は不明。たぶんカツラの木。

公園内に入るとグラウンドのような広場があって、奥に丘。

丘を見ると、ふもとから上のほうまで青いものが点々と。なるほど、丘の部分にアジサイが咲いているのか。
丘の東(上の写真では左方)に「展望広場」という一角があるが、そこにはアジサイはあまりなかった。展望広場からの眺め。
田んぼとリンゴ畑の中に清掃工場、平川、奥羽本線。この左には弘南鉄道も見える
南~西には「石川三十三観音」として石仏が点在していて、そこにはたくさんのアジサイ。
斜面部分には何本もの小径があり、そのほとんどにアジサイが植えられている。
青い花が多い

ピンクの花も。ここは坂がきつかった

ガクアジサイもところどころ

白くて大きい装飾花が涼しげ。秋田市の千秋公園にもこのタイプがある

階段をふさぐかのようにアジサイ
坂が急だったり、アジサイがうっそうと茂る箇所もあった(花粉や虫が飛んでいたり)ので、散策には多少の覚悟はいるかも。
蒸し暑い中、暑さをしばし忘れさせてくれるアジサイの花々だった。あくまで「忘れた」のであって、実際には坂の上り下りで汗びっしょりだったのですが。

大仏公園のアジサイは約2500本とのこと。これから木がもっと大きくなれば、より見応えが出るかもしれない。
公園内が、自然を活かしつつもしっかりときれいに手入れされていたのにも、好感が持てた。
旅行客が、例えば弘前城よりも優先して訪れるべきほどの場所ではないけれど、これほどアジサイが見られる場所は多くない。僕はアジサイが好きだから、行ってよかった。

7月中は「大仏公園あじさいまつり」が開催され、7月9日にはコンサートなどベントも実施された。(それ以外の日は俳句募集とクイズ程度)
8月に入ってもしばらくは見頃が続きそう。小一時間あれば、園内をひと通り見られる。ちなみに公園内には水飲み場はあるものの自動販売機はない模様。弘南鉄道石川駅にはあった。

【5日追記】大仏公園の中では、アブラゼミが鳴いていた。セミはその土地ごとにすみ分けた種がいるそうで、秋田市街地はアブラゼミ、大仏公園と似た雰囲気である千秋公園の中では、ヒグラシとアブラゼミが共演。弘前市街地がどうなのかは分からない。


ところで、斜面途中を横に伸びる道を歩いていたら、アジサイの中に…
フタされた横穴!
「ナニコレ珍百景」でも取り上げられていたが、ここから弘前城へつながる秘密の抜け穴があるという伝説があるそう(穴自体は実在する)。ひょっとしてこれのこと?!
あるいは防空壕の跡か何か?!(秋田市の千秋公園にはこんな感じの防空壕跡があったはず。現在は埋められた)


大仏公園下の奥羽本線近くには「大仏院」という小さなお寺や、少し離れた高いところに「文学の丘」なるものもあるそうだが、詳細は不明。
それらと反対側の国道添いには「道の駅ひろさき」や円筒分水もある。石川地区はなかなか見どころがある場所かもしれない。※後日続きます
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やっと県庁前にも

2017-08-02 00:11:48 | 秋田のいろいろ
秋田市の「県庁市役所前」下り側(秋田駅西口から来るほう・県庁正庁【2021年4月11日訂正】本庁舎前)のバス待合所は、県庁も関与し、既存の骨組みを残して、県産木材を使ってリニューアルが行われていた。
2016年8月2日から供用されたものの、時刻表が掲出されるだけで、ここがバス停であることを示す表示が一切ない状態が長く続いていた。リニューアル前には、待合所内に小さい短冊状の表示があったのに。
これとほぼ同時期に、向かい側の秋田市役所庁舎の移転にともなって待合所が新しくなった上り側では、しっかりとした表示板が設置されたのと対照的。
法令で義務付けられたことをやっていないようにも感じられ、何よりも不慣れな人も利用するバス停がこれでは不親切。

ところが、10日ほど前にコメントで教えていただいたように、このほど、やっと県庁側にも表示が設置された。おそらく7月中旬のどこかで取り付けられた。

屋根の側面というか上部の白い部分に、同色の地に黒で印字した板による表示。歩道からまっすぐの東西、向かい側から見える北の3面。

いずれもバスのりばを示すJIS規格のピクトグラムと「県庁市役所前バス待合所」の角ゴシック体の文字。
北面は1行表示で、東西面は幅が狭く「前/バ」で改行した2行。


一見すると、地色と文字色は逆だが、市役所側のと似た表示。ピクトグラムは同じだし、文字もどちらもイワタ社のユニバーサルデザイン角ゴシック体のようだ。
(再掲)市役所側の表示 ※県庁側と画像サイズの比率は異なります。
しかし、市役所側が「バス乗り場」としているのに対し、県庁側は「バス待合所」と微妙に違う。
それに、市役所側にある英字やバス事業者名はない。
バス会社が設置したのか、県庁が設置したのか知らないけれど、市役所側を意識しつつも、あえて合わせなかった(合わせたくなかった)のではないかと、勘ぐってしまいたくなる。

1年経ってやっと設置したのは、どういうつもりなんだろう。どうせなら、表示板も木材で作ったらおもしろいのに。ないよりはあったほうがいいから、これはこれでいいけれど。

それにしても、法令としてはこれでいいのだろうか。
監督官庁がどう解釈するか次第なんだろうけど、「旅客自動車運送事業運輸規則」第五条2(掲示事項)では、「路線定期運行を行う一般乗合旅客自動車運送事業者は、次に掲げる事項を停留所において、公衆に見やすいように掲示しなければならない。」として、「一 事業者及び当該停留所の名称」「二 当該停留所に係る運行系統」「三 前号の運行系統ごとの発車時刻」等を挙げている(一部省略)。
すなわち「1.バス会社名とバス停名」「2.路線名や行き先」「3.時刻表」と解釈できる。

昭和30年代の東京近郊を舞台にした映画「となりのトトロ」のバス停には、ダルマ型ポールの円形の表示板に「七国山行/稲荷前/東電鉄バス」と表示されており、文句のつけようがない。
羽後交通のバス停でも、
(再掲)
いずれも表記していて、文句のつけようがない。(県庁市役所前にも羽後交通は停まるが、ポール自体がない)

しかし、かつての秋田市営バスとか弘南バス、それに秋田中央交通などでは、バス停自体には運行系統は基本的に表示されていない。
県庁前では、それに加えて、バス会社名もない。
いちおう、時刻表の片隅には、バス会社名と行き先が印字されているけれど、そんな小さい文字でいいもんなんだろうか?

あと、法令では「事業者の名称」とある。文字通りに受け取れば、「東京都交通局」「秋田市交通局」「羽後交通株式会社」が事業者名なんだろうけど、実際の表示は「都営バス」「市営バス」「羽後交通」だから、解釈としては「事業者を識別できる通称」程度でいいのだろう。【2日追記】「青森市企業局交通部」のバス停も「市営バス」。



この近くの無関係の話題。
東北六魂祭の心霊写真騒動の舞台となった建物は解体され、隣接する山王胃腸科の駐車場になった。
山王胃腸科は奥に新しい建物ができ、通りに面した解体された建物西隣にある、医院の古い建物には足場が組まれていて、解体されるのかと思ったら、
きれいになった!(左が旧医院・右奥が新医院。手前の駐車場が心霊写真の現場)
新しい建物とつなげられ、外壁が新しい建物と統一感のある色に変わっていた。解体された建物にあった調剤薬局もこの中に入ったらしい。
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