広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

令和の書体と合字

2019-04-30 23:52:17 | その他もろもろ
ついに平成が終わり令和へ。
軽い大みそかみたいな、不思議な気分。
平成の思い出でアップしたかったこともあるのですが、それはいずれまた…

新元号が「令和」と発表された4月1日には、秋田市のイオン土崎港店の店頭に、その告知が張り出された。
(再掲)
その後、4月下旬に行くと…
張り紙が替わった
掲示位置や紙のサイズと文字の配置も同じだが、書体が替わっていた。
以前は太い楷書の毛筆書体、今は太い明朝体。「れいわ」のふりがなは毛筆のまま。

1枚だけでないから、破れたとかではなさそう。
作り直した理由として考えられるのは、例によって「令」の下・最後2画が“「マ」か「卩」か”問題。
繰り返すが、手書き文字としてはどちらも間違いではないが、教育現場では「マ」であり、多くの毛筆フォントでも「マ」であり、これまでは手書きでは「マ」が一般的だったはず。「卩」は明朝体やゴシック体といった活字体のデザインであった。
ところが、4月1日の発表時の額の書は「卩」。
それを見た国民の中には、新元号「令和」は「卩」と書かなければいけないと、勘違いして思いこんでいるのか知らないけど、「卩」と書きたがる・表示したがる人が少なからず存在してしまっている。

イオン土崎港店の当初の楷書体は「マ」だったので、それを嫌ったものの(当初はありあわせの楷書体を使い)、「卩」の毛筆系のフォントはなかったので、太い明朝体で印刷し直したといったところではないだろうか。


次に老舗フォントメーカーの1つ「モトヤ」。
同社が4月23日に「「令和」発表記者会見での「令」の字形対応無償フォント提供のお知らせ」をリリースした。
これまでは「マ」でデザインされていた同社製の楷書のデジタルフォント3書体において、「卩」で表示できるようなアップデートを配布するというもの。
「無償」とあるが、アップデートが無料ということであり、有料の元のフォントは必要。
ちなみに、同社の教科書体と一部楷書体では、本対応はしない(マのまま)。

リリースには「記者会見で示された墨書の「令」の字形について、こちらの字形を印刷物に使用したい等の要望が数多く寄せられています。」とあり、それに応えたもの。
「令」だけでなく「「令」を部首に含む」21文字(または25文字)も「卩」になるそうで、つまり冷、玲、怜等々だろう。

アップデートの仕組みが書かれていないし知識もないので分からないが、これを適用すれば「マ」と「卩」が共存して使い分けられるということなのか、「マ」は表示できなくなり強制的に全部「卩」ということになるのか、どちらなんだろう。
前者ならともかく、後者だったら「マ」を使いたい人にはいい迷惑だ。
ちなみに、モリサワ、フォントワークス、字游工房といった他の国内著名フォントメーカーのホームページを見る限りでは、今のところ追随の動きはなさそう。
【2020年3月7日追記】このモトヤの「卩」のダウンロードは2020年3月いっぱいで終了。ダウンロード済みのものは、引き続き使える。
ホームページでは「新元号の発表以降、お客様からの要望にお応えする形で無償フォントの提供を行ってまいりましたが、ダウンロード開始から約1年が経過し、社会的役割を果たしたものとして終了する運びとなりました。」としている。
つまり、記者会見に便乗した一過性のブームに対応したということだったのか。(以上追記)

返す返すも、発表時には配慮して揮毫してほしかったし、「卩」派の人たちには考え直してほしい。




ところで、日本語の活字には、合字というのか組み文字というのか、1文字分のスペースに複数の文字を組み合わせて、記号のように扱われるものがある。「メートル」「ヘクタール」「株式会社」等。
共通規格の文字コードが割り当てられていて、フォントや機器(パソコンのOSなど)が違っても、基本的には互換性がある。
明治から平成までの各元号についても、2文字を横に並べて半角文字のようにしたものが設定されていた。

昔のワープロ専用機では「区点コード」と呼んだJIS規格の流れを汲んでいるのだと思うが、今のパソコンでも表示できる「シフトJIS」では、
抜粋
1992(平成4)年に「ヘクトパスカル」に取って代わられた「ミリバール」なんてのが残っている。
シフトJISでは、明治、大正、昭和は順に並んでいて、「平成」だけ1つ上の行に置かれている。
これは、昭和の時点で「昭和」まで設定済みであり、「平成」を追加する時に前後に空きがなくて、ここにしたのだろう。

「令和」の合字はできるのか。
シフトJISでは不明だが、「Unicode」規格では、既に置き場所が決まっているとのこと。
抜粋
Unicodeでは、平成、昭和、大正、明治ときれいに逆順に並べ替えたようだ。
でもここでも「令和」の場所はなかった。8行も上の、マル囲みカタカナの次の位置が「令和」になるとのこと。(「〇ン」がありそうな場所だけど、ないみたい)

あとは、各フォントのメーカーやデザイナーが、その場所に入れるべき合字を作ってくれるかどうか次第。
作られた暁には、パソコンのフォントでもアップデートが来るのだろうか。


今回、文字コードを確認するに当たって、久々にMicrosoft IMEを使ってみた(Google日本語入力では文字コード表を表示できないようなので)。
ついでなので「れいわ」で変換すると、
候補の最初に「令和」が出た!
ここ1か月以上、Microsoft IMEはまったく使っていなかったはずなのに、いつの間にか新たな変換辞書を獲得していたようだ。
Microsoft IMEでは、変換キーを押さなくても、スマホのような予測変換が出てくるが、それにも「令和」はあった。ただ「あした」「らいねん」では、「平成31年5月1日」「平成32年」だった。

このパソコンで通常使っているGoogle日本語入力では、現時点で「令和」非対応。いつから変換できるのか、このまま使い続けてみよう。

ということで、ありがとう・さようなら平成。令和が良い時代でありますように。

【8月16日追記】8月16日に、Google日本語入力で「れいわ」や「らいねん」「きのう」等で令和に対応しているのに気付いた。「ことし」では「平成三十一年」「平成31年」「令和元年」が候補に出るが、「平成1年」はなし。合字も対応。
Windows、Macとも7月下旬頃に配布が始まったアップデートで、対応したとのこと。ネット上には「やっと」という声が多数。
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川と岸と木

2019-04-26 00:32:17 | 秋田の季節・風景
24日夜から雨が降って、秋田市内のソメイヨシノは散ってしまったものが多い。
保戸野街区公園
ソメイヨシノの後には、控えめながら個性的でそれぞれ美しい、他の桜が花を咲かせる。
秋田市内の斜面や川沿いには、真っ白い大きな花の桜がちらほらあることを、何度か取り上げた。今年も咲いているのだが…
楢山のイオン秋田中央店・東部ガス裏手の旭川(太平川合流点手前)左岸にも1本あったのが、
冬の間に伐られてしまった

再掲)2016年
根が護岸に影響を与えるとして、河川管理者の秋田県が伐ったのか、あるいは岸の市道のジャマだとして、道路管理者の秋田市が伐った(もしくは県へ依頼した)のか。

ただ、上の写真奥に写っているように、川の中の中洲状のところに生えている大きな木は、そのまま。別の場所では、河川愛護の看板が倒れてしまってそのまま。
街の中を流れる川は、自然任せにはできず、人の管理下に置かなければならないのは仕方ないけれど、そのバランスとかほんとうにやるべきことができているのかとか、どうなんでしょう(末尾へ続く)。


話変わって、イオンの向かい側の太平川と猿田川の合流点付近。
※旭川、太平川、猿田川とも一級河川の支流なので、法により国から委託されて県が管理。
3月中旬。手前右が猿田川
上の写真向かい側、楢山地区の太平川右岸で工事中。300メートルほどにわたって、ごろごろとした岩のような石を、積んでいる。
太平川は旭川ほどびっちりと護岸が固められておらず(水中部分だけ?)、土の斜面だった。その斜面の下側の一部(平常時の水面の少し上まで)を、こういう形に変えるらしい。
上のほうは土も入れ替えたのか従来とは違いそう

現地。岸の歩道は通行可
工事看板は「河川の改修工事を行っています」として「県単河川改良工事(自然災害防止債)」。男鹿の石屋さんが受注している。
なお、この看板では発注者名が「秋田地域振興局」から始まっていて、秋田県庁の組織(=地域振興局が県庁の出先機関であること)を知らない人には、これが県の工事であることが極めて分かりづらい。発注者名欄には「秋田県」を入れる決まりになっているはずなのだが…
このような工事が「自然災害防止」になるのだろうか。そもそも、ただ積んだだけのように見え、固定されていないので重力や水の流れで崩れてしまわないか、心配になる。素人には分からない。

よく見ると、石を積んだ上の部分が、ある程度の幅で平らになっていて、土がむき出しだが、そこも道のように見えなくもない。
この時は工事そのものはお休みだったが、工事関係者が来ていて、その現場を眺めていた通りがかりのおじさんが、タイミング良くそのことについて質問していた。
「歩いてはいけないわけではないけれど、充分気をつけて…」的な微妙な回答をしていたようだ。

看板では工事は4月19日までとなっている。それ以降、看板はなくなったが、ロープはまだ張られていて、入れそうでいて入れないような微妙な雰囲気。
桜の咲き始め。下は道っぽいけれど…
新たなアングルで花見ができるかと思ったが、かなわなかった。


最後は再び旭川に戻って、さかのぼって、五丁目橋。
昨年5月の大雨の増水で流されてきた流木(葉がついた状態の折れた大きな枝)が引っかかって留まり、そのまま葉を茂らせていたが、冬には枯れてしまっていた
4月に入ると、
 

なんと葉が芽吹いている!!
生け花状態でこうなるとは考えづらいから、ある程度根が伸びていて、ここの川底に根付いているのか。
でも、柳など水に強い木ではあるのだろうが、ずっと水に浸かったままで冬を越して新芽を出すとは、すごいど根性。
この分では、あと何年かすれば、このままここで大木になったりして。河川管理としてはこれでいいのでしょうか。
その後、夏までに撤去されてしまった。


そういえば、太平川の上流、横森地区では、地域住民が植えたソメイヨシノが老朽化し、扱いに困っていることが、先日の秋田魁新報で報道された。町内会側では、昔、秋田市へ管理を委託したとしているが、市はそんな記録はないと主張。そもそも、河川敷としては、国の土地で県の管理だし、ということで宙ぶらりんになっているらしい。
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草生津川の上の桜

2019-04-25 00:18:31 | 秋田の季節・風景
秋田市のローカルな桜の名所の1つ、八橋~寺内の草生津川。こちらも今年もきれいに咲いている。

秋田放送本社の屋上カメラからも、そのピンク色の帯を映すことができる。
その映像を見ると、あたかも草生津川の桜並木が山の斜面へ駆け上がるように続いている場所があるのに気がついた。上の写真にも写っている。
拡大
実際にはそれなりに距離(200~300メートル)があり、岡の上近く(海抜30メートルほど)に何本かソメイヨシノが生えているようだ。

岡は、草生津川の西側にある高清水丘陵の東斜面ということになる。
旧国道と新国道の間、草生津川から東斜面の上までが、「寺内児桜(こざくら)」。
ほとんど土地勘のないエリアだけど、川岸~斜面ふもとだけでなく丘の上にも住宅があるようだ。

現地へ行ってみたのだけど、詳細にはレポートしません。
桜の根本までは近づけなかったし、反対に草生津川の桜並木を見渡せるような場所もなかった。(ちょっといい場所はあったので、それについてはいずれ)

こんもりと花をたくさん咲かせており、本数のわりにボリュームがある木が多かった。どれもソメイヨシノなので、人為的に植えられたものだと考えられる。
民家の敷地内にありそうな木もあったが、民家から離れた沢のような斜面に生えて管理されていなそうな木もあった。山の土の栄養と日当たりの良さで、見事に枝を張って花を咲かせているのだろう。
「児桜」の地名は、江戸時代の紀行家・菅江真澄が「児桜というめでたき花」があると記したのが由来だそうで、昔は「ちござくら」と読んだらしい。もしかしたら、それにちなんで後年、ソメイヨシノを植えたのかもしれない。


千秋公園の西斜面。御隅櫓の下のあずまやからも、草生津川は見えないものの、
児桜の斜面の桜は見えた
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千秋公園の桜2019

2019-04-23 22:21:56 | 秋田の季節・風景
最近は暖かくて天気が良く、東北地方ではソメイヨシノの開花が一斉に進んだ感じ。
秋田市では4月16日に開花(平年-2日、前年-1日)、20日(平年-2日、前年同)に満開。

そんな中、先週末はいい気候になり、秋田市中心部の千秋公園は花見客で大にぎわい。駅前~広小路は人がゾロゾロ、路線バスも混雑していた。
ただ、千秋公園の桜は老木でさほど手入れされていなかったため、これまでは1年おきに花つきの良し悪しが繰り返される傾向にあった。昨2018年は「良」だったので、今年は大したことないだろうなと高をくくりつつ、遅ればせながら23日昼に行ってみた。

今年初の黄砂が観測されたそうで少々かすみ気味ながら、晴天で暖かく、人は多い。
二の丸広場、奥上が本丸
意外や意外、花つきがいい。しかも、ちょうど満開。
昨年よりも良いと思うし、近年でベストかも。

運良く鳥に食われなかったのか、募金を元に手入れがされたのか、角館や弘前にかなうわけはないけれど、これなら“花を見る花見”ができる。
市内の他の場所では、葉がたくさん出てしまう「てんぐ巣病」に感染するソメイヨシノがちらほらあるが、千秋公園では見かけなかった。それなりにメンテナンスはされていそう。

【24日追記】上の二の丸広場の写真では、芝生にすき間があって人は多くない。二の丸広場の芝生は、桜までの距離があり“花を見る花見”よりも、単なる宴会のほうが向いた場所。この時は、歩いたり、本丸の桜の下のベンチなどで少人数で飲食したりして、純粋に花を楽しむ人のほうが多かった。
上が本丸

本丸へ上って。
恒例の桜のトンネル
枝ぶりがやや貧弱なこともあり、今年の千秋公園の中ではイマイチかも。まあ、それなりには咲いている。

恒例の本丸から二の丸広場方向
↑公園外の奥では、循環器・脳脊髄センター(旧・脳研)の新病棟やABS新社屋のアンテナが新たに見えるようになった。

同じく本丸から。
太平山の残雪はわずか
手前も奥も密に桜が咲いている。おまけに向こうの手形山もほんのりピンク色。

天気が良ければ、千秋公園ではあと数日は楽しめそうだけど、明日から天候は崩れそう。
なお、楢山~牛島の太平川では、場所によっては散り始めた。次の週末は、もう間に合わないか?

翌2020年の千秋公園の桜
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新駅着工の準備

2019-04-21 23:54:03 | 秋田の季節・風景
秋田市北部と中央部の境、泉地区・外旭川地区秋田貨物駅周辺のJR奥羽本線への、新しい旅客駅の設置が今年初めに認可された。
今年着工し、2021年春開業予定。駅名は未発表。

新駅の具体的な場所については、案がいくつかあったが、線路で言うと秋田貨物駅の秋田駅寄り、道路で言うと菅野地下道の上に決まった。
この場所にかつて(1993年まで?)は、「秋田機関区」や「秋田運転支所」と呼ばれた鉄道施設があり、その跡地の土地をはさむ形で、奥羽本線の上下線が離れて通っている。
運転支所跡地の一部では、建物を解体してソーラーパネルを並べた秋田泉太陽電池発電所が2016年から稼働している。
秋田貨物駅寄りには、使っていなさそうな大きな建物が残されたまま。そこに駅ができそうだから、いずれ解体されると思っていた。
(再掲)上り電車後部から撮影

いつの間にか、
逆光ですが上と同じ付近の自転車道から撮影。咲いているのは梅

逆側から
上り線沿い・外旭川地区側に重機が入っていて、その面から建物を解体しているようだ。
貨物駅を出発したばかりの貨物列車がかすめる
本線ギリギリのようにも感じるが、安全な距離は保たれているということなのか、今のところ列車見張員がいたり、通過列車が減速したりすることはない。工事を請け負ったのも、秋田市内でおなじみの解体業者。

解体されているのは、壁が薄っぺらそうで天井が高い、車庫のような建物。高さからして、車体を吊り上げる点検作業でもしていたのか、中にまだそういう装置が残っているかと想像していた。
現時点では、本線側の壁が取り払われた。枯れ草などでよく見えないが、中に物は残されておらずガランとしていそう。
【25日追記】通過する列車内から見たところ、内部は鉄板が敷きつめられたように見え、ともかく何もなく真っ平らになっていた。
【5月1日追記】大型連休で工事停止中の時は、平らな一角に、駅の待合室にあるような木製のベンチ(1人ずつ区切られて背もたれと座面が一体化したタイプ)がまとめて置かれていた模様。
やはり内部も天井は高い

逆光じゃないともう少しよく見える?

白っぽいものは、解体工事関係の箱
残されていた建物は、かたまっているが、いくつかの棟に分かれている。
(再掲)Googleマップ航空写真に加筆
上の航空写真で、マル1、マル2一帯が、現在は太陽光発電所。
「残」とある建物のうち上側が解体中。下のほうはほぼ手付かず。

線路の反対・泉菅野側から。
手前の線路は上り本線
上の写真で左側の建物が解体中なわけだが、こちら側からはそうは見えない。右側の建物は、ネットのようなものがかかってはいるが未解体。
手前には、解体工事用と思われる仮設トイレやプレハブの現場事務所が建てられている。

残りの建物も今後解体され、それが終われば、駅が着工ということになるのだろう。

解体されるであろう建物と菅野地下道
菅野地下道は車も通る、市道の古いアンダーパス(過去の記事)。駅建設時に廃止され、駅の一部に転用される予定。【22日補足】市道として廃止され、車が通れなくなる。線路の下は自由通路になる計画なので、歩行者は引き続き行き来可能。
線路をくぐる道路が1つなくなることについて不満の声も出ているが、道幅が狭くカーブもあり、車がすれ違うのもままならず、歩行者はこわごわ通るアンダーパス。地下道建設時より線路のある部分は減って(宅地になった)いるのに、地下道はそのままなため無駄に長いこともあり、このまま道路として使い続けるのも適切ではないとも感じる。
急カーブした外旭川側。ここは埋められて駅前広場になる?

泉菅野側。上は昔は線路があったであろう遊休スペース。ここも駅前広場になるはず
※外旭川側の自転車道と線路の間には、水路や溝があります。地下道の安全と合わせて、見学の際はご注意を。

※その後、2019年7月初めまでに、解体はほとんど進まず、線路際に壁とサッシ窓らしきものが取り付けられたような雰囲気。単に解体するのではなさそう。詳細は後日。
※2019年8月19日から、工事のため菅野地下道が完全通行止め(歩行者含む)となる。2021年3月には歩行者は通れるようになるが、車は永久に通らなくなることになる。
※上記2点の続きは、こちら
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期日前投票宣誓書

2019-04-19 00:22:29 | 秋田のいろいろ
統一地方選挙で、21日投票の秋田市議会議員選挙が行われている。
秋田市の期日前投票については、2009年に取り上げたが、現在もおおむね同じ。

以前は不在者投票制度しかなかったところに、要件を緩和したより簡易な期日前投票の制度ができたのが2003年。
秋田市に限らず秋田県は、全国的に見て期日前投票の割合が多い。
市街地や商業施設に時間を延長した期日前投票所を設けるなど各市町村が積極的なことと、「(投票日当日の地域ごとの)投票所でご近所さんに会って、誰に投票したか詮索されたくない」と考える有権者が多いからという説もある。


期日前投票をするには「宣誓書」を提出しないといけない。
宣誓書には、当日投票できない理由を示す欄がある。「真実であることを誓います」などの文言もあり、初めて見る人は、期日前投票後にその理由がなくなってしまったら(例えば仕事や外出の予定がキャンセルされたら)どうしようと、身構えるかもしれない。
でも大丈夫。
宣誓書は「当日投票できない“見込み”であること誓う」もの。「見込み」だから、後でそれが解消されても構わない。
適当に仕事か外出の欄辺りにマルを付けて期日前投票しても、問題はないだろう。棄権するよりも。


さて、投票所入場券は、市町村によってだいぶ違いがあるようだ。
圧着ハガキもしくは封書、かつ切り取り式になっていて、1通で同じ世帯の複数人分が届くところもある。
秋田市では1人につきハガキ1通で、宛名面が入場券、通信面が期日前投票の案内と宣誓書という構成。期日前投票に力を入れているということか。(1通複数人方式でも宣誓書を兼ねている自治体もあるそうだ)
今回の秋田市の通信面
2009年の写真を見ると、通信面を縦長に使っているが、いつの間にか横長に変わっていた。
今回、期日前投票をしようと、宣誓書を記入してから改めて眺めると、気がついた。

理由の欄が5項目あるのだが、番号は1番から6番まで。4番が飛んでいる!

単なる誤植ではなさそう。
秋田市以外の市町村でも、同じ並びで4番を飛ばしているところが少なくないのだった。
何番はこの理由と、常に組み合わせが決まっていて、今回の選挙では4番に該当する人が存在し得ないから、項目ごと削除したのかと思った。
その4番は何?

調べてみた。
この番号と内容は、期日前投票の事由を定めた、公職選挙法48条の2の第1項第1号から第6号と対応しているのだった。
つまり条文の第4号が何か、ということになる。

「四 交通至難の島その他の地で総務省令で定める地域に居住していること又は当該地域に滞在をすること。」

なるほど。秋田には島はないし、「その他の地」とするほど「交通至難」な場所はないだろう。
もし、秋田市民が投票日にそういう島や地域に滞在していたとすれば、それは仕事、冠婚葬祭、旅行など、他の項目の理由になるだろうし。
ちなみに、山形県でこの項目に該当するのは、酒田市飛島だけとのこと。
今回の選挙に限らず、秋田市では、4番はあり得ないのだった。秋田県内他市町村、さらに全国の大多数の市町村でも同様だろう。

秋田市のように、法の条文と対応させて4番を欠番とする自治体も多いものの、別にアイウやABCを割り当てたり、数字や記号なしに印を記入する空欄を設けたりしている自治体もあった。


ところで、条文では「一 職務若しくは業務又は総務省令で定める用務に従事すること。」とあるが、宣誓書にそのまま転載している自治体は、おそらくない。どこも、分かりやすく簡潔な表現にしているが、表記はまちまち。※以下、ネットで画像検索したもの。古いもので現在は変更された可能性あり。
秋田市、新潟県長岡市、愛知県武豊町では「仕事・学業・冠婚葬祭」これが多数派か。
長野県諏訪市の「仕事、学業、地域行事の役員、本人又は親族の冠婚葬祭、その他」のようなのも多い。
茨城県日立市は「仕事・学業など」、神戸市は「仕事等/出勤、出張、本人又は親族の冠婚葬祭に従事」と、簡素だったり詳しかったりするものも。

3番目では、健康状態を理由とするように受け取れるが、条文では留置場や少年院等に入っている場合も含まれる(禁固刑以上は選挙権が停止されるから、刑務所は含まれないはず)。
宣誓書でそのことに触れた自治体は、かなり少ない。該当者は少ないだろうし、健康状態といっしょにされてしまうことへの配慮があるのかもしれない。

秋田市のように、項目を選ぶだけで、文字を記入する必要がない自治体は多いが、文字を書かせる自治体もある。
「その他」があったり、4番目の交通至難の島その他の地がどこなのかを具体的に書かせたり。それは分かる。
2番目の旅行や外出の目的地が、当該市町村以外なのか、市町村内であればどこなのかを選択・記入させる自治体もある。

全国的に見て「厳しい」と感じたのは千葉市。今年4月7日の選挙用の記入例がサイトにあった。
千葉市の宣誓書記入例より抜粋
5項目を選ぶだけでなく、その中でさらにどれに該当するかを選ばせられる。
1番目なら、仕事、学業、地域の行事の役員、本人又は親族の冠婚葬祭、その他のどれかにマルを付けないとならない。
上記、2番目の目的地も書かされるが、注記欄に「住所の属する投票区の区域外に外出・旅行・滞在することを要します。」だそうだ。隣近所なら認められないが、隣の隣の町くらいならいいということになるか。

ここまで厳密に理由を示させる必要があるのだろうか。このくらい厳格にやるのが本来なのかもしれないが、他の多くの自治体ではやっていないのに。
期日前投票を、あるいは選挙の投票そのものをしたい有権者の気持ちをそいでしまうと思う。問い合わせ対応や確認といった事務作業も増え、期日前投票所の混雑につながるかもしれない。
こんな状態では、千葉市の期日前投票率は、高くないのではないだろうか。

2021年の秋田市の投票所入場券・宣誓書
2023年に秋田市の宣誓書が少し変わり、千葉市も変わっていた
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続・平成最初の思い出

2019-04-17 22:34:21 | 昔のこと
本題の前に。令和決定から半月。そして改元まであと半月。
業界によっては大忙しかもしれないけれど、世間一般ではとりあえずは落ち着いたかな。Google IMEは、まだ「令和」と変換できない。
平成が終わるという実感は、ないようなあるような、中途半端な気持ち。
「平成」まんじゅう?
「平成 ありがとう」の焼き印が押されているようだが、読みづらい。
上のまんじゅうは、青森県の工藤パンが3月から発売中の「ありがとう平成酒まんじゅう」。白と紅があるが、中はどちらもこしあん。
秋田県内のスーパーでも、1個130円くらいで売っていることがある。※詳細はこちら

前回の記事で触れた、令和発表時の官房長官の額の持ちかたのせいでわずかにフライングしてしまったこと、「令」の書きかたについては、マスコミやネットでもそれなりに取り上げられた。
最初に音だけを伝えた時、手話通訳(ここでは指文字ということか)が誤って「めいわ」としてしまったことも分かった。事前に知らされてなかったからやむを得ない。菅官房長官にしては、かなりはっきりと言えていたと思うけど。

個人的には、手話通訳よりも、返す返すも残念なのが「令」の書きかた。
令和発表後、各地の書道イベントや人文字等々で、「令和」を書くことが行われた。そのうち、おそらく少なくとも過半数の人が「卩」としていた。小学生でも、ゾウとかアシカの芸でも。
文化庁では「マ」でも「卩」でも正しいという見解だそうだが、それは文化庁。
(文化庁も文科省の外局だけど)文部科学省管轄の学校教育の現場では、これまで手書きの楷書では「マ」が原則で、それが定着していたのに。
実質的に発表時の額の文字の、「卩」の「令和」の“お手本”になってしまっている。「卩」にするよう強制するような事態には今後もならないだろうけど、混乱や誤解を呼ぶ。「マ」で発表してくれていれば、こんなことにならないのに。


ところで、あの額にはガラスが入っていないそうだ。
フジテレビによれば、実は「平成」の時も同様。ガラスがあると反射して撮影に困るという、報道関係者の意見を、政府担当者が事前に聞いていたとのことで、今回も踏襲。


「令和」を提案した学者が誰なのかは、すぐには(数十年は)明らかにされないと思っていた。平成の時がそうだったように。
しかし、発表の翌日だか数日後には、各マスコミが提案した人を報道。本人は否定しながらも、実質的にその人で決まりのようだ。
さらに、最後まで残った、残り5つの元号案まで明らかになった。
情報公開といえばそうだけど、元号へのリスペクトみたいなのはいいの? と思わずにはいられない。

あと、政治的意図がどうこうとかいうのも、なくはないと思うけど、考え過ぎのような気もする。(上記と矛盾するけれど)たかが漢字2文字、西暦だってあるのだから、素直に受け取ればいいのでは。


海外の反応も意外だった。
オーストラリアに「REIWA」と書いて「リーワ」と読む不動産団体があり、そのサイトに日本からのアクセスが急増。REIWA側も好意的な反応を寄せてくれたそうだけど、元号の仕組み自体知らなかっただろうから、驚いたことでしょう。
イタリアでは、元号決定の過程が、ローマ法王を決める会議「コンクラーベ」と通じるものがあるとして伝えたそうだ。言われてみればそうかも。
チベット語で「希望」を意味する語と音が似ているという話もあった。
外国のみなさんも、思ったよりも元号に理解を示してくれているようだ。


各所での元号予想では、愛知の居酒屋のキャンペーンで的中させた人が1人いたらしい。
秋田魁新報くらし面の投稿欄「えんぴつ四季」には、投稿者が(正月に帰省した?)孫たちと元号予想したところ、中学生だか高校生の孫が「“玲”和」を示したとの話もあった。

既に名称に「令和」を入れた企業が31社登場したとか、青森県では、統合で2020年開校予定の県立高校の名称候補が「黒石高校」と「令和黒石高校」になった(6月決定予定)という話も。今後、いろいろな令和なんとかが登場することだろう。
【6月6日追記】青森は結局「黒石高校」に決定。一方で、秋田市の私立の秋田和洋女子高校が、2020年度から移転・共学化の上「秋田令和高等学校」となることが発表された。秋田では県立平成高校もあり、2つの元号の高校がそろう。また、東京都では2020年度に中野区立の2小学校が統合して「令和小学校」ができる。

続きはこちら



ここから本題。途中だった、平成が始まった1989年1月の続き。
秋田の学校の冬休みは長い。
現在の秋田市立学校は2学期(前後期)制だが、当時は3学期制であり、夏の暑さがさほど厳しくなかったこともあり、今よりもさらに冬休みは長かった。

1989年は成人の日(当時は15日で固定)が日曜、16日が振替休日。17日・火曜日が最初の登校日=3学期始業式。※日付や曜日は忘れていたけど、当時の資料で確認しました。
昭和天皇崩御・平成改元後、1週間の「歌舞音曲の自粛」も終わって、ほぼ普通の暮らしになっていたのではないだろうか。記憶はないけれど。
秋田市は引き続き雪が少なく、少し降った程度でほとんど積もっていなかったようだ。気温は朝はマイナスにはなっていた。記憶はないけれど。

登校後、教室で学級担任の先生が「間もなく卒業するあなたたちは、『昭和最後の小学生』であるとともに、『平成最初の中学生』でもある」ということを話されたのを覚えている。そう言われると、自覚というか記念すべき巡り合わせだという感慨がこみ上げた。
体育館での始業式では、校長先生が、年明けの一連の出来事について、何らかの話をされたのは確かだが、内容は記憶していない。全員で黙祷みたいなのはしなかったはず。寒いから手短に済ませたかも??
教頭先生による開式・閉式の言葉で、「昭和63年度3学期始業式」と言ったことに対し、「平成じゃないの?」と疑問を示したクラスメイトがいたはず。前回の通り「平成元年度」は存在しなかった。(「令和元年度」は存在するらしいのが、いまだによく分からない。)

その後、3学期の学校生活も、卒業式も、崩御・改元の影響は特になかったのではないだろうか。「平成最初の○○」で何かやるということもなかったはず。卒業に向けて、いろいろなことに追われていたのかもしれない。
家庭科の調理実習でサンドイッチを作って、その時に生まれて初めてブルーベリージャムなるものを食べて、おいしさに感動したのがこの時期。それまではイチゴジャムとマーマレードしか知らなかった。

冬休み明けから学年末・卒業まで(=当時の3学期)は短い。
土曜日も学校があった当時、3学期に学校に来る日は50日と少し(52日とか54日とか?)しかないと、誰かが話していた。卒業する6年生はさらに短い。
そんな中、突如、休校日ができた。2月24日・金曜日。
昭和天皇の葬儀に当たる「大喪の礼(たいそうのれい)」が執り行われ、全国的に学校や仕事が休日になったのだった。
学校が休みになるのはうれしかったが、残り少ない小学校生活が減って少し惜しい気持ちもあった。当日は、テレビで厳かな儀式のようなものを見た記憶が少し。

あとは、恩赦や特赦というものを初めて知って、ヘンな制度があるんだなと思った。
今上天皇の「即位の礼」で、学校がまた休みになって、テレビで儀式を見た記憶もある。ただ、それは1990(平成2)年11月12日の「即位礼正殿の儀」と1年以上後。(この日は月曜日だったので、連休になったようだが、その記憶はない。)

昭和天皇崩御、平成への改元に関する、直接的・具体的な思い出はこんなところ。
同時期には、消費税導入とアメリカ大統領選挙・ブッシュ(父)就任という、大きな出来事があった。
100円のお菓子が103円(最初は税率3%)になる、レーガンさんしか知らなかったアメリカ大統領が代わると、出来事そのものは当時も意識していていた。でも、それが昭和天皇崩御・改元と同じ頃だったという結びつけた記憶は、あまりないのが不思議。
卒業・中学校入学と、自分自身の環境が大きく変わったことで手一杯だったのか。



その後の「平成」について。最初は違和感が大きかった「平成」も、すぐになじんでいった。
個人的には「成」の書き順を間違っていた(1画目で横棒を書いてしまっていた)ことに、平成になったおかげで気がついた。

当時、ワープロ専用機では平成を変換できず「平静」しか出てこなかったことを前回触れた。僕はそれまで「平静」という言葉を知らなかった。大人の世界でも、それまではあまり使わない言葉だったのではないだろうか。
しかし、平成に入ると、平静という言葉の使用頻度が上がったように感じられた。例えば、平成3年の湾岸戦争の現地レポートで「現在の街は平静を保っています」とか。
平成に便乗して「平静」のほうも知られるようになったかもしれない。

便乗といえば、上記の「令和」を入れた企業や学校名のような、元号を借用したものが、平成の時もあった。今は忘れ去られたか記憶だけに残ってしまっているものもあれば、定着しているものある。
改元3か月後の千秋公園の花見の屋台に「平成焼」なるものがあった(詳細不明)。
平成6年には、秋田県横手市(当時は平鹿町)に「県立平成高校」が統合により開校。
平鹿と平成の関係性が薄いと当時思ったし、今思えば平成になって6年も経ってからで遅い気もするが、全国で「平成」が付く小中学校や大学は多くあるものの、高校は、埼玉県の私立高校とここしかないようで、個性的ではあったかもしれない。

平成を名乗る作品やグループもいくつかあった。めぼしいものを挙げる。
・「平成天才バカボン」平成2年 フジテレビ(「天才バカボン」3度目のアニメ化。主題歌は嘉門達夫)
・「たけし・逸見の平成教育委員会」平成3年 フジテレビ
・「平成イヌ物語バウ」平成5年 テレビ朝日(漫画「バウ」のアニメ化)
・「平成狸合戦ぽんぽこ」平成6年 スタジオジブリ・高畑勲監督のアニメ映画

・「平成ノブシコブシ」平成12(2000)年結成の2人組芸人。有名になったのは2006年頃。
改元を控えて、メンバーの破天荒な吉村氏の発言によれば、平成になっても「昭和のいるこいる」であるように、自分たちもそのままでいくことにしたとのこと。言われてみればそうだ。【18日補足】平成ノブシコブシは、タカアンドトシが名付け親。昭和のいるこいるをヒントにしたとも言われているそうだ。
・「Hey! Say! JUMP」平成19(2007)年結成のジャニーズグループ。「メンバー全員が平成生まれ」という意味もあるそうだ。

平成改元時には、岐阜県に「平成」と書いて「へなり」と読む地名が、偶然存在した(調査しきれなかったようだ)のが唯一だったが、その後、新たに元号にちなんで「へいせい」と読む地名が、各地に複数登場。
企業もいくつもできたが、明治製菓、大正製薬みたいな超有名企業は、今のところなし。
・「平成」駅 平成4年開業。熊本市のJR九州豊肥本線。前年に命名された町名が由来。
・「平成筑豊鉄道」 平成元年4月設立、10月開業。福岡県の第3セクター。
もともと1989年1月7日が社名発表日で、公募の中から選ばれることになっていたのが、急きょ、新元号を使うことにしたそうだ。


最後に、文字を画像データでご覧いただこう。文面でなく書体(フォント)に注目。
上は明朝体、下はゴシック体
どちらの書体も、特にひらがなが、特徴的なデザイン。(意識せずに)日常で目にする機会も少なくないはず。
これが「平成明朝体」と「平成角ゴシック体」(画像はアドビの平成明朝W3と平成角ゴシックW5)。総称が「平成書体」。

平成の初めに、NECのワープロ専用機「文豪」のテレビCMで存在を知ったが、名前だけの認識。平成10年前後にパソコンが普及すると、MacintoshのOSや年賀状ソフト類にバンドルされたり、比較的安価で市販されたりして、ぐっと身近になった。
でも、複数のメーカーから平成書体が出ているようで、他のフォントとは扱いが違いそうで不思議だった。
調べてみると、その誕生やデザインには、昭和末から平成初期のコンピューターの発展と関わる、独特の経緯があるのだった。後日改めて。
コメント (3)
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旧交番・塀・秋工門 その後

2019-04-16 00:34:49 | 秋田の季節・風景
以前取り上げた、秋田市中央部の話題の続き。たまたま秋田県関係機関3題ということになります。
●旧大町交番 ※直近の記事
2017年12月に、川反にある秋田中央警察署大町交番が数百メートルの距離で移転した。旭川を背にする旧交番の建物について。
2018年10月
2018年になって、しばらくは建物が残っていた。
分かりづらい移転案内が張ってあり、ガラスは中が見えないようにされているが、赤い表示灯みたいなのは残っていた。
ひさしの文字は、
なんとも…
雑にはぎ取られ、クラフトテープを貼って隠したつもりが、雨ではがれ、みっともない姿をさらしていた。

12月になると、
12月末。旭川対岸から
解体工事が始まった。
現在
砂利が敷かれた更地になって、鍵付きフェンスで囲まれた。岸のケヤキはそのまま。
この並びでは、空き地だか駐車場だかから、酔っぱらいが川に転落する事故が発生したことがあった。それを踏まえてか、単なる空き地としては厳重な対応。
おそらく、売却されるのだろう。

【2021年9月23日追記】2019年9月のGoogleストリートビューでは、特に変化なし。
2020年10月のストリートビューでは、11月9日に一般競争入札を行うという「売地」の看板が立っていた。秋田県河川砂防課が連絡先。面積127.01平方メートル、価格601万円。
2021年9月時点では、不動産会社名の「売物件」看板が立つ。
【2022年8月1日追記】その後、民家が建って、入居している模様。周りは飲食店ばかりで、ほかに住んでいる人はいるだろうか。(以上追記)


●コンクリートブロック塀 ※直近の記事
2018年に緊急の対策が始まった、危険な塀。
以前紹介したものは、多くが現在も変わらない。工事計画が決まり次第お知らせすると書いてある、秋田大学附属学校もそのまま。

ただ、秋田県管轄のところは、対策が取られている。
(再掲)県立秋田北高校

現在
塀の高さが低くなっているが、塀自体は古いまま。上から2段くらいを撤去したようだ。
ナマズの掲示もなくなったから、これで倒壊の危険はなくなったということなんだろうか。少なくとも圧迫感はなくなった。

ほかの県立高校や県警管轄の塀でも、同様に塀はそのままで低くする対策が行われている。


●秋工校舎周辺 ※直近の記事
県立秋田工業高校の校舎が新しくなり、校舎周辺の外構整備が続いていて、それも終わったようだ。
雪で分かりにくいですが今年1月
以前は、伝統的な「門」に縦書きで校名表示があったのがなくなり、コンクリートの塀状の門ができた。そこに横書きの箱文字で、英語併記の校名表示。
(再掲)以前の正門

正門に向かって左(西側)には、以前は自転車置き場、小さい体育館や部室みたいなのが建っていたのがなくなって、
グラウンドになった
最近の秋田県立高校は、校舎改築時に屋外運動場を増設することが多く、秋工でもそうしたようだ。学校によっては人工芝のところもあるが、ここは天然芝か?
【16日補足】秋工には、線路側の川沿いに野球場、踏切寄りにグラウンドがあり、それらも残っているので、これで3つめの屋外運動場ということになろう。

西端から正門方向
旧正門の左側には、あまり高くないブロック塀がある。
それも、今回の整備の一環で3段ほど削られた。そして、その内側に金属パネルの囲いが設置された。残されたブロック塀は、3段ほどの高さで、存在意義がないような…【16日補足】高さからして、腰掛けたり、子どもが平均台代わりにして遊んだりはできそうだが…
上の写真左側の曲がった角のブロック塀は、削らずに残しているのも中途半端。
【16日追記】新グラウンドのネットと、金属パネルの間(=新グラウンド外周)には、舗装された通路状のものも作られた。ランニングコースってことかな。

以前は正門から入ってすぐ左にあった、昔の校舎をモチーフにした同窓会館は、
左奥に新たに建築

明るく開放的な学校構内になったようにも見えるが、そっけなくも見える。
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レア標識+英語入り

2019-04-13 21:01:12 | 秋田の季節・風景
秋田市内の久々に通る道路(手形山県営住宅の南側、蛇野へ下りる道の入口)にて。
これは!!
見慣れぬ道路標識。しかも新しい。

「徐行 SLOW」
「徐行」の規制標識。
運転免許証を持つ者なら、知っていなければならないし、施設構内の通路などではたまに見かけるが、公道上では絶対数が少なく、初めて見たかもしれない。
しかも、少しずつ増えている「止まれ STOP」と同時に登場した、英語併記版。
これは“伝説の(幻の)道路標識”かも。

それにしても、徐行の標識のイメージがおぼろげながら、それとはどこか違うような気もした。
それもそのはず。英字を入れた際、枠の赤い線の太さが細くなっていたのだった。
1辺80センチの標準サイズの板の場合、赤枠の幅が従来8センチだったのが、5センチに変わった。そうやって中央部の白い部分を広くしないと、英字が入らなかったようだ。
国土交通省ホームページより抜粋。色合いの違いは誤差でしょう
「止まれ」では、「STOP」が入った分「止まれ」の位置が上へ移動しただけで、他のデザインは変わっていない。

線が細くなって赤い面積が減り白が増え、英語も入ったせいか、戦後すぐの標識のような雰囲気が少し漂うような…あるいは非公式の“表示”っぽいような… でも、反射素材でまだピカピカの、現行の正式な道路標識です。


徐行の標識は、警察(公安委員会)と道路管理者のどちらでも設置できる。
これは、
支柱に「秋田市」(文字の向きがヘン?)
ここでは、道路管理者設置だった。

以前はどうだったか、Googleストリートビューを見ると、2015年10月まで「道路の整備を行っています」の看板が立っていて、一部は未舗装だった。徐行標識はなし。
現在は全区間舗装され、さらに沿道のかつて畑だった一部が月ぎめ駐車場になった。

英字入り標識は2017年度に登場したから、道路整備完成からしばらく経ってから、新たに設置されたと考えられる。ツイッターによれば、遅くとも昨2018年11月時点では既に設置されていた。
ちなみに、秋田県警の「止まれSTOP」は、2017年7月に初設置(参考記事)された。
【9月20日追記】徐行標識の裏面には、県警管轄の標識と同様に、設置業者名と設置年を記したシールが貼られていた(県警と同じ業者だから、市が指定したのではなく、単にいつものクセで貼ってしまったのか?)。「H29」=2017年だから、制定後早期に設置されたことになる。

この道路の反対向きには、対になる徐行標識は見当たらなかった(厳密には、徐行区間を示す補助標識を併設しないといけないらしいが、それもない。ただ、本件のように道路管理者が設置する時は、あいまいにされることもあるようだ)。
周辺の環境も踏まえると、交通量が多めで幅が広い県営住宅側から駐車場に入る車に対して、途中の狭い道での注意喚起のための徐行規制なのかもしれない。

英語併記を決めた時の警察庁の発表によれば、全国に「止まれ」は170万本あるのに対し、「徐行」はわずか1000本(うち東京都内に140本)。
“伝説の徐行標識”としても、大げさではなさそうだし、現時点では英語併記はかなりレアかも。

【2020年2月6日追記】公道ではないので厳密には異なるが、秋田市内の公的な目立つ場所に英語併記の徐行標識があった。
山王の県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎正面。前の県道(山王大通り)から庁舎敷地(車寄せ方向)へ入る車に向けて、道路際に以前からあった徐行が、英語併記に替わっていた。Googleストリートビューによれば2017年7月には古いもの、2018年7月には新しくなっていた。裏面のシールはなし。

※秋田市内でさらに徐行を2枚発見。英字なし。
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大釈迦峠の草だんご

2019-04-11 00:26:57 | 各地お土産・食べ物
「草だんご」だと言うお菓子をいただいた。
特製 峠の草だんご 6個入り
「峠の茶屋」との表記もあり、どこなく、山形県の「峠の力餅」に似た雰囲気。
峠の力餅は白い大福で、これは「草だんご」とあるから中身は違いそうだけど。

で、どこの「峠」なの?
掛け紙を広げると
「特製」の地が青森県の形。(秋田・岩手県側にカプセル型に侵略している)
右下の茶屋のイラストの看板には「名代 峠の茶屋 津軽そば」とある。
製造者欄を見ると「小巾亭」「青森市浪岡大字大釈迦(だいしゃか)」。
※「大字」の位置がおかしいような(大字浪岡大釈迦ではないか)と思ったが、これで正しいようだ。弘前も含めて青森県では「大字」を付ける地名が今も多いみたいだけど、複雑。

青森市と弘前市の中間に位置するのが、旧・浪岡町。
人の流れとしては、対弘前市よりは対青森市のほうが優勢のようで、紆余曲折あって青森市になったようだが、地理的には、青森市鶴ヶ坂との間に大釈迦峠がある。
峠は知っていたが、そこにこんな団子があったとは!

製造元の「小巾亭」も存じ上げなかったが、「こぎんてい」と読む、そば屋。
ネット検索すると、浪岡でない青森市街地に2店舗を構える小巾亭が出てくる。
浪岡大釈迦のほうは「峠の茶屋」という店舗名で、やはりそば屋でもあるようだ。
青森市内の店と大釈迦の店は、無関係ではないようだ。ただ、同一会社による別ブランドなのか、それとも関係はあるものの別会社なのか、詳しい関係は分からなかった。

ネット上の情報では、峠の茶屋は前から国道7号沿いにあり、2004年に大釈迦バイパスが開通するとそちらに移転したらしい。
草だんごは、そば以上に有名な看板商品らしく、立ち寄って買い求める人が多く、時間が遅いと売り切れるとか。

プラスチックパックに6個入り
わりと大きめで、やわらかそう。
草餅の上から、茶色いきなこをまぶしている。
中はつぶあん
より正確にはだんごより「大福」かもしれないが、この辺は全国どこでもあいまい。

思ったよりヨモギの味が弱い。むしろきなこの味が強く、香ばしくて、それはそれでよし。
あんこは甘すぎずいいあんばい。
もちろんきなこがパラパラこぼれ落ちるのは避けられないが、思ったほどは落ちなかった。

驚いたのは、餅の食感。餅らしくない。
もち米/うるち米(だんご粉)の違いにもよるけれど、普通の餅類はびろーんと伸びたり、もちもちと弾力のある歯ごたえがするもの。
ところがこれは、ほとんど抵抗なく歯が通って、切れてしまう。上の断面写真も、つまようじでカットすることができた。「ペースト状」と表現すればいいのか。
原材料名欄は「もち米粉、うるち米粉、…」となっている。
【11日追記】そば店ということで、「そばだんご」が頭をよぎったが、原材料にそば粉は出ていない。

ネット上では、この草だんごについて「餅がやわらかい」と好意的に表現している声が複数あり、受け入れられているのだろう。
餅好きとしては、これはかなり特殊な餅(もしくは大福)。「やわらかい“餅”」と表現していいのか、“餅”としてどう評価すればいいのか、迷う。まずくはないけれど。
【11日追記】山形の峠の力餅は、おいしいとはいえ、ごく普通の大福。対して峠の草だんごは、かなり個性的なものなのは確か。
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道標の背が伸びた?!

2019-04-09 23:45:09 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口、自由通路ぽぽろーどを下りて、大屋根(アーケード)を抜けて、仲小路を進むと、ゆうちょ銀行秋田支店(旧・秋田貯金事務センター)があり、最初の信号機付き交差点。
そのゆうちょ銀行向かい(駅寄り)の一角、北都銀行秋田駅前保険相談プラザ(支店を建て替えたもの)と秋田信用金庫秋田駅前支店があった場所で、17階建てのビルの建設が進んでいる。北都銀行が関わる「秋田版CCRC事業」。2020年秋入居開始とのこと。

その工事現場の風景。
(再掲)工事前。向かいがゆうちょ銀行
上の写真の枠外左手前が、今ビルが建てられているところ。
最近の同じ場所
工事現場の仮囲いが設置されている。

この角に秋田市が設置した、道案内の看板(道標。昨年の関連記事)が立っている。
工事の囲いと重なってしまい、囲いの中に入ってしまった。

道標自体は、表示板が少し傷んだり傾いたりした、以前と同じもの。だけど、
背が伸びた?!
従来の位置では、仮囲いの板よりも道標が低くて隠れてしまうため、囲いから飛び出るように設置し直したのだ。

見上げる道標
一般的な道標と比べると、かなり高い。
だから、気づかなかったり、視力によっては遠くて読めなかったりする可能性がゼロではないけれど、あまり問題はないかな。ないよりはあったほうがいいし。
支柱に所在地が表記されているのは見えなくなってしまったけど、それはなくてもいいでしょう。
囲いの板が白くてスペースがあるのだから、「千秋公園はこちら」「市民市場はこちら」と直接書くという手もありますが…
反対側から

以前より背が伸びたことを知ると、どうやって高くしているのか気になる。
茨城納豆の非公認キャラ「ねば~るくん」が、どんな仕組みで背が高くなるのかと同じように。

工事がお休みの日に、のぞかせてもらうと…
“浮いて”いた!
支柱が地面に接していない。支柱を仮囲いのパイプに接続して固定していたのだった!
浮かせるに当たり、おそらく支柱を途中で切断しているはず。ビルが完成した後には、再設置できるのだろうか。

【2020年10月28日追記】2020年10月5日にビル「クロッセ秋田」が、部分オープン。その直前、仮囲いが撤去された時に、高い道標が撤去された。ブルーシートで包まれて、現場内に寝かされた後、姿を消した。道標は廃止されたのかと思っていた10月28日、以前と同じ道標が、ほぼ同じ位置に再設置された。なお、工事前も再設置後も、場所としては公道上歩道部。工事に伴ってブロックがはがされたので、同時に取り外されたようだ。
また、コメントで教えていただいたが、この柱には「中通二丁目四」と記されているものの、設置地は二丁目5番地で一致していない(仲小路をはさんだすぐ隣が4番地だから数メートルのズレではある)。以前のまま再設置したので、直っていない。
コメント (9)
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寺内~野村の道

2019-04-08 23:21:39 | 秋田の地理
3月末、秋田市内で2つの道路が新たに開通した。今回はそのうち「外旭川新川線」の「寺内工区」。25日5時50分ごろ開通。

以前から何度か紹介していた、秋田市中央部から北部の南側である、八橋から寺内地区内を南北に貫き、草生津川左岸(東岸)を並行する道路で未開通だった、北寄りの区間。
2015年春に、三千刈橋・秋田基準寝具工場~新国道(県道56号)の東京靴流通センター・ネッツトヨタ・日産サティオの無名交差点を結ぶ道路と交わる所まで開通していた。この時開通したのも寺内工区の一部で200メートル。

その北側の483メートルほどが通すれば、新国道の高野(こうや)一区バス停そばの「野村」交差点と接続する。
それにより、ここ7~8年かけて順次開通していた、約1.7キロの草生津川沿いの道が全通するばかりでなく、臨海バイパス・川尻若葉町(新川)から横山金足線・外旭川字小谷地までを結ぶ、5キロの外旭川新川線全線開通となる。臨海バイパス~児童会館~面影橋~やばせ橋~野村~外旭川アンパス(奥羽本線)~横金線で、さらに北進すれば秋田北インターチェンジにもつながる。野村から北は、市道でなく秋田県道72号。
外旭川新川線が計画されたのは昭和29年だそうで、半世紀を超える壮大な計画であるが、今のところ、秋田市民が、これを一連の道路として意識することはまずないだろう。
でも、これまでは、山王十字路~新国道という秋田市内有数の混雑の道路を通るしかなかった、山王周辺と外旭川・土崎辺りの行き来には、新たなルートが確立されたことになる。

寺内工区(2015年開通区間も含む?)は総事業費20億、うち工事費3億6千万、残りが用地補償費。幅員18メートル。
未開通状態のGoogleマップに加筆。上の赤丸が野村交差点、下の赤丸が2015年開通区間北端

開通区間を南側(上の地図下の赤丸)からたどる。※開通前と開通後の写真が混ざっています。
開通前、2015年開通区間の北端から
工事中で封鎖されたバリケードの先にも、これまでと同じような新しい道がまっすぐに、北へ伸びる。
この時点では、既開通区間北端は「止まれ」だったが、今は解除されたはず。信号機は設置されず。

工事中でも、舗装が終わった部分は、歩行者は通れた。
住宅や事業所ばかりで土地勘がない場所であり、できたばかりの道路だから当然ではあるが、沿道にめぼしいものはほとんどなく、特徴もおもしろみもない道。
左奥に歯医者。この道路よりは先にできていたようだ
新規開通区間では、既存の東西方向の道3本と交わる。いずれも細い生活道路で、信号機はなし。横断歩道も1つだけだったか。
開通後。白線が引かれると道路らしく見える
2本目の道路との交点近くでは、左から南北方向の狭い道が寄り添って来て並行する。

上の開通前の地図の2つの赤丸で分かるように、草生津川と既存道路の線形の都合上、新しい道路は一直線にはできなかった。
2本目との交点の先で、左(川方向)に緩くカーブし、その先に野村交差点の信号機が見えてくる。
3本目との交点を過ぎると、既存の道とぴったりと並走。
間にひっくり返った三輪車
やがて、既存の道よりも若干高くなって、今度は右にカーブ。
野村交差点の手前
野村交差点手前では、草生津川もすぐ横。高野橋から出てくる道と交わる。新しい道路をはさんで反対側には既存の道はなく、交差点が近いため、北行き車線としか出入りできない(だから上記3本には含めませんでした)。
この辺は、川と既存の道路の関係もあって、ややごちゃごちゃした配置。

さて、「野村」交差点のこと。今や秋田市内ではわりと知られた大きな交差点だけど、それはここ20年くらいのはず。外旭川アンパスが開通した1993年に、交差点としても新設されたのではないだろうか。
由来は、所在地の外旭川字野村。バス停名などにはなっておらず外旭川の中ではマイナーな小字だし、線路のこっち側が外旭川というのも、意外。
開通区間北端=野村交差点。左右が新国道

向かい・アンパス側から新規区間を見る。開通区間のカーブはきつく先が見えない
今回の開通により、誰が見ても十字路となった野村交差点。
これまでは、アンパスからの道路が突き当たる丁字路交差点だったかと思いきや、これまでも南側に小さな道があって十字路だった。

開通区間側はカーブと交差点が近接しており、少々不整形で苦しい形状の十字路。予告灯ではないけれど、カーブ側から視認しやすくする補助用の信号機も設置された。
また、新国道を山王方向から来て、新規開通区間へ左折する時は、角度がけっこう急。
開通前。交差点北側から
ちなみに、新国道側の信号機は、今回フラット型に更新されただけでなく、設置位置も変更された。
従来は、信号機を背中合わせにして正面に1台・右手前に1台見えるようにしていたのを、背中合わせでなく、正面の左右に1台ずつとなった。
桜の横金線でも、そのように更新された所があり、秋田県警ではある程度大きな(幅の広い)交差点の設置方法を変えたようだ。アームや工事のコストはかかるだろうけど、視認性からして妥当でしょう。※茨島交差点特に大きな交差点は従来から実施。

新規開通区間と直接関係ないが、アンパス側から来て野村交差点へ入る車について。
従来からこの側は、車線(進行方向別通行区分)が3つに分かれていた。新規区間開通前は 左折/左折/直進&右折 の区分だったのが、開通後は 左折/直進/右折 に変更された。さらに、信号機に右折と左折の矢印信号も追加(従来は時差式)。

魁の報道などによれば、開通直後は直進に変更されたことを認識せずに、中央車線から左折しようとする車が見受けられたとのこと。
また、青信号より先に左折矢印が出る(赤→左折→青の順)ため、青信号になった直後に、(信号を見ずに、前車の尻しか見ていない)左折車が、東側の横断歩道を渡ろうとする歩行者を妨害する場面もある。これは同様の信号サイクルである古川添(太平大橋→牛島)や通町橋(中央警察署→通町橋)でも見られる現象。注意していただきたい。


最後に、新しい道と交わる既存の細い道について。大きさからして、既存の道側が「止まれ」なのは想像に難くない。
実際にそうで標識もあるのだけど、守らない車も少なくなさそう。
標識と「トマレ」の立て看板

標識も「トマレ」も前後2つずつ【ここには2020年に信号機が設置された。この記事後半】
「トマレ」は、おそらく地元町内会辺りが設置している雰囲気。全部の止まれにあるわけではないし、警察や道路管理者にしては乱暴な「トマレ」(切迫感が表れている?)だし。
上の標識がダブル設置されている所。手前は電柱に設置。先方のは、
また出た! 仮の止まれ
以前紹介した、破損の代替の仮設止まれは、水タンクで固定していたが、こちらはタイヤと土のうで固定。秋田中央警察署と秋田臨港警察署の違いということかな?
電柱では手前すぎて認知されづらいため、いずれは、仮設の場所に本格設置するということだろうか。

別の場所。
ごく普通の「止まれ」
同じ場所を開通前に撮影していた。
標識は設置済みだが隠されている
開通前の隠された標識と、現在の標識が違っている。開通してまだ2週間なのに。
支柱の根本の処理が前後で違うので、さっそく車がぶつかって壊されたのだろう。
標識自体も別物。隠されたものは小型サイズで「STOP」入りだったのに、今は英語なしの通常サイズ。つまり中古品。
新品の止まれ標識自体が壊された可能性もあるが、小さすぎて視認性に難があると判断して、あえて大きい中古に取り替えたのかもしれない。

この反対側の止まれを写真で確認すると、現在も小型が設置されているが、当初よりも設置位置が低くされているようだ。
となると、ダブル止まれのところも電柱の止まれが新品じゃないので、開通早々に大型に交換された可能性がある。
小型STOP入りが使われている場所もある
法令では、「止まれ」も小さくすることは認められている。でも、駐車禁止より小さい止まれなんて… 見栄えよりも安全でしょう。

これまで行き止まり同然だった草生津川沿いの道路は、やっと本来の形になった。昼間は、信号のタイミングによっては車が途切れることも多かったが、朝夕は通行量が増えたはず。通行量が増えたとはいえ、新規開通区間沿道では狭い道を通る車が減り、歩道が広くなって、安全になるだろう。
一方で、止まれを無視する車のほか、野村交差点を避けて開通区間から脇道へ逃れて新国道に出入りする車もいそう。節度ある運転をしていただきたい。

もう1つの新しい道については、いずれ
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いちじくまんじゅう/うさぎ大福

2019-04-07 23:47:45 | 各地お土産・食べ物
本荘のお菓子2つ。

まず、おなじみ吉野屋菓子舗。由利地域がほぼ北限とされ、特産であるイチジクを使ったお菓子がいくつかある。
たまに新作も出て、昨年秋(リンク先後半)には「いちじくゆべし」に遭遇。
その時はなかったはずのものを3月に発見。ありそうでなかった、
いちじくまんじゅう
イオンスーパーセンター本荘店や、カダーレ内にある「由利本荘市物産館 ゆりぷらざ」で、1個150円前後でバラ売り(脱酸素剤入りの透明な袋入り)。
外観は、薄茶色の皮の普通のまんじゅうのてっぺんにイチジクの甘露煮(?)の破片が載っている。

こういう果物系あんこのまんじゅうは、白あんベースが多い。これも原材料に「白あん」がある。
ところが、割ると、
あんこが黒い!

食べると、イチジクの味がいいあんばい。あんこには、つぶ状のものが混ざっている。でも、イチジクの種ではない。
原材料欄によれば「クルミ」。見えるかどうかくらいまで細かく砕いているようだ。ほかに「醤油」も入っていた。
白あんなのにあんこが黒く見えるのは、イチジクのせいなのか、醤油のせいなのか。絶妙の味は、クルミと醤油の効果もありそう。

そっけない包装で安くはないけれど、かなりおいしい。



カダーレのゆりぷらざで、白いトレイ4個入り200円で売っていた、
商品名不明の餅菓子
日持ちは3日。ただし、翌日には餅が若干硬くなった。

製造者は市内の「高正菓子店」という初めて知ったところ。
羽後本荘駅のすぐ裏側にあるが、店を構えているわけでなさそう。「かりんとう」がそこそこ有名らしい(県内ではけっこう有名な「あつみのかりんとう」は、にかほ市金浦の別物)。

楕円形の大福っぽいけれど、真っ白い餅に赤い目と緑の耳が描かれた、かわいらしいウサギの形。
中はこしあん。原材料名は「赤あん、白あん」。
「もち米」とあるから、だんご粉や上新粉ではない餅。最後に「とりつけもち」と記載されていたのだけど、それは何?

餅はもっちり、あんこはどっしりとした、素朴な大福といった感じ。大福にしては小さめだから、食べやすい。
あんこは思ったほどは甘くないが、甘い。塩味は感じず、個人的には好きなタイプの餅菓子の1つ。

本荘といえばかしわもち。高正菓子店でも製造するのかな?
高正菓子店のおはぎがあった。
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本荘のバス3台

2019-04-03 23:57:57 | 秋田のいろいろ
先日、由利本荘市のカダーレ付近をうろうろする機会があり、羽後交通本荘営業所の特徴的なバス3台を見ることができた。車両の経歴等はネット上の情報を参考にさせてもらいました。
手前の車
今年2月、羽後交通が新車の中型ノンステップバス、いすゞエルガミオを3台購入し、3台とも本荘に配置された。後ろ姿だけ掲載していたが、その後、本荘-秋田の急行バスで、けっこうな割合で充当されているのを見かけている。他車と比べて、運用範囲がある程度限定されているのかもしれない。
秋田200か13-88~13-90。

本荘に中古でない新車が入るのもかなり久々。
上の写真で後ろに続くエルガミオは2003年頃新車導入の「か302」。2010年には蛭子・太川・中山エミリが乗車。
本荘の路線用新車は、この後に日産ディーゼルが2台入っただけで、その次が今回の3台かな。

この写真では分からないが、装備など。
つり革は三角形(302もそうなので、羽後交通では標準のようだ)。※車載機器等についてはこの記事中ほど。
タイヤホイールは伝統の赤。

LED式行き先表示器はオージ製。横手などに、何年か前に導入されていた車では、側面の矢印が左向きに固定されているレシップ製だったが、都営バス中古の導入辺りから、メーカー変更。
オージのLEDは、秋田中央交通でも採用していて、経由地の矢印が左右両方向きに変えられ、周囲の明るさに応じた調光機能が標準装備。
ただ、私見としては、オージは文字が細いのと、中央交通だけかもしれないが、LED装置を後付けした車の一部において調光機能がうまく作動せず見づらい車、経年でLEDのドット落ちが激しい車が散見され、あまりいい印象がない。(レシップを採用する弘南バスでは、ドット落ちしたと思われる部分を、基盤ごと交換していると思われ、メンテンスが行き届いている。表示機メーカーでなく、バス会社の問題かもしれないが)。
中央交通の側面LEDは、「短冊」と称される縦書きの経由地が4行(矢印3つ)表示できるタイプ。都営バスや小田急バスでは、オージ製でも5行・矢印4つの別タイプを使っている。羽後交通のも5行タイプで、中央交通よりも高級品だ。
正面・後部のものも、表示面積は同じでも、英語などより細かくできるドット数が多いものと、中央交通採用の少ないもの2タイプがある。羽後交通のがどっちかは不明。

車内には、本荘営業所としては初の液晶式運賃表示器もある(これまでは運賃表示器自体がなく、紙の三角表)。整理券も感熱紙かな。


ところで、以前記事にしていたように、羽後交通では東京都交通局中古のいすゞエルガの大型ノンステップバスを導入していた。
車内の通路は後ろまで全面ノンステップというちょっと珍しいタイプで、横手に1台、本荘に2台配置。
本荘の2台は、急行で秋田市まで出てくることがあったが、最近は見ないと思っていた。
ネットの情報によれば、か12-14は、本荘営業所所属ながら、象潟のローカル路線専属になっているとのこと。先日、象潟駅近くの象潟案内所内に駐まっているのを見かけた。
12-16のほうは、2017年秋までは確かに走っていたが、その後、故障したらしく運用離脱。廃車になってしまったようだ。
ということで、秋田市内に来る羽後交通のノンステップバスとしては、2台減・3台増。


由利本荘市・本荘市街地の循環バス「ごてんまり号」。
「ごてんまり号」は路線名かと思っていたら、そうではなく、専用塗装で循環バス専属の車両の名称なのだった。ごてんまり号とは逆回りコース専属の、青い日野リエッセは名無し。命名してあげればいいのに…
ごてんまり号は、以前は、2003年製の中型短尺ノンステップの三菱エアロミディ「か379」であったが、一般路線バス塗装に塗り替えられたことを昨年紹介した。
代わりの2代目のごてんまり号を、やっと見ることができた。
2代目ごてんまり号
小型ノンステップの日野ポンチョ「か12-58」になって、塗装は基本的には同じ。
(再掲)初代。正面の文字やごてんまりの数が違う

中央交通のナンバープレートと照らし合わせれば、2017年春頃の登録。
新車ではなく中古。秋田市のぐるる用ポンチョと、車体形状・サイズやドア配置は同じ(ロング・2ドア)ようだが、型式は古い。
2010年製で、愛知つばめ交通で「みよし市さんさんバス」に使われていたとのこと。もう1台が大曲に配置された。


最後は、予備知識なく遭遇して、びっくりした車。ネットにもあまり出ていない。
秋田200あ238。正面にも「羽後交通」、行き先表示は板
バスというよりワゴン車、っていうかトヨタハイエース。
閑散地域のコミュニティーバスでは、こんなワゴン車やジャンボタクシーを使っているのは珍しくない。それらはタクシー会社であったり、バス会社であっても大きいバスとは塗装が違ったりして、そういうもんだと思えた。
でも、これはどう見ても羽後交通一般路線バスの塗装で、その忠実度がある種の違和感を呼ぶ。「羽後交通」も正式な書体だし、バス協会の会員章とCOOL CHOICEのステッカーもちゃんと貼っている。

大きいバスと比べたら、前面と側面で塗装がズレているけれど、この車体ではこうするしかないのでしょう。苦労と律儀さがしのばれ、嫌いじゃない。
タイヤホイールも赤にしたらさらに律儀だけど。
後部はきれいに羽後交通塗装。後ろにも表示板があるのもまた律儀
車種としては「ハイエースコミューター」。【5日補足】カタログ上は14人乗りとなっている。実際に客が何人乗れるのかは不明。
本荘の郊外のほうへ行くコミュニティーバス「子吉線」用として、2017年秋頃【6日補足・子吉線は2017年10月に新規運行開始】に新車で導入したようだ。

コミュニティーバスは、予約式でないものであっても、よそ者がふらりと出向いて乗車するには、心理的にいろいろとハードルが高い。そんな時、大きい路線バスと同じデザインなら…それでもやっぱり戸惑うな。※2024年5月の変わらぬ姿(屋根の状況が分かる)がこの記事最後に。
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新元号は令和

2019-04-01 23:59:36 | その他もろもろ
5月からの新元号は「令和」に決まった。※平成への改元時の思い出
NHKに出ていたしょこたんも言っていたけど「令」は、事前予想でもほぼ出ていなかったようで、目新しい。ら行で始まることと合わせて、斬新に感じた。
「ご令嬢」の「令」に「和」、出典が万葉集と、品があって落ち着きがあるような印象がする。
一方、「昭和」に通じるような(賛否あるかもしれないですが)響きもあって、平成の時ほどの違和感はない気もする。今回は改元することの事前の“周知期間”が長かったし、自身2度目の改元ということもあるけど。
明治大正昭和平成令和と続けた時のリズム感もいい。
「新元号 令和」の張り紙
良い元号だと思う。令和の世が、良い世の中であることを願います。


以下、恒例の些細ないろいろ。
冒頭の「新元号 令和」の掲示は、
午後のイオン土崎港店
秋田市土崎のイオンでは、店の入口各所にこの紙を張り出していた。この店、先日は発煙騒ぎがあったけれど、昭和から3時代にわたって営業することになる。
令和に決まったことは、既に知っている人が多いかもしれないけれど、周知とお祝いの意味では、いいかも。
全国的にイオンでは、他にも掲示した店があったようだが、イオン系でも秋田駅前のオーパ、その他フォンテ、西武、木内、JR秋田駅などの前には、別段なさそうだった。【追記】2日時点ではイオン秋田中央店にも掲示はなかった。
関東のイオンでは、記念割引券を配ったそうだけど、それは秋田ではなさそう。


菅内閣官房長官の発表は、皇居での手続きの関係で、予定より11分ほど遅れた11時41分であった。
そのテレビ中継について。NHKを発表の前10分ちょっとから発表直後までしか見ていないので、その限りで。
民放各局もそのようだったが、専門家などゲストを招いて、平成を振り返るなどの前座があったようだ。生前退位のおかげで明るい雰囲気だけど、余計なものが多いとも言える。

NHKは平成の時は、緊急ニュース扱いでテレビ・ラジオ同時放送だったと思われるが、今回は別々。
NHKのラジオは野村正育アナウンサーとゲスト(番組表より)。
テレビは、瀧川剛史アナウンサー(3月までニュース7サブ、4月から同メイン)、岩田明子解説委員、それに中川翔子、さらによく知らないゲスト。
「臨時ニュース」と呼ぶべき番組にしょこたんが出るとは、すごい。
よく知らないゲストが、「平成の時は、新元号も大事なことではあったものの、こんなに注目されなかった」的なコメントをしていたが、それは違う。以前の記事の通り、平成も令和も、僕はドキドキして見守りましたよ。

菅官房長官の発表は、小渕氏による平成発表の時と、全体の手順としてはきわめて似ていた。(見る側としても、事前に予習しておいてよかった)
違いとしては、座るか立つか、手話通訳がいるか等々。当然ながら、全体として今回のほうがずっと手際が良かった。

重大アイテムである書の額。平成の時は、紙箱に入ったのを紙袋に入れていたのか、ガサゴソやっていた。小渕氏は、額の文字を見せないように、とても慎重に扱っていたのは印象的だった。
今回は、額が持ちこまれる流れがスムーズだった。
ただ、菅氏の置き方はいただけない。小渕氏ほど気を遣っていたようには感じられなかった。
NHKより
上の写真は発表直前。右から額を渡され、机上に伏せて置こうとしているシーン。
額の上部をこちらに向けて浮かせて持っているので、文字が見えてしまっている。
拡大
リアルタイムで見ていた僕は、「令」が「分」に見えてしまい、「 『分なんとか』か?!」と思ってしまった。
4K8Kでなくてもフルハイビジョンの大画面テレビなら、発表前のこの場面で「令和」だと分かってしまったかもしれない。
カメラのアングルや、前回と違って立っていたこともあるとは思うが、もっと慎重に扱うべきだったかも。

といっても、それから7秒ほどで発言により「れいわ」であること、さらに3秒ほどで額が示されて「令和」の文字も明らかにされた。置く時にフライングで知ることができたとしても、たった10秒。

会見場の左側には、手話通訳者がいて、NHKでは画面左・時刻の下にワイプで表示。
その結果、
新元号が隠れてしまった
これはNHKの失敗。平成の時と同じく、向かって左側に掲げたのだから、こうなることは予想できた。ワイプ位置かカメラワークを工夫すれば回避できたのに。

その後、画面上部にテロップ。
新元号は「令和」 官房長官が発表
ラムダシステムズの「マール体」というフォントだそうで、ニュース速報の扱いのようだ(「NHKニュース速報」のタイトルや、サイン音は出なかった)。
平成の時はこのようなものは出なかった。当時は、技術的に難しかったせいもあるし、「臨時ニュースを放送している最中に、その内容に関してのニュース速報を重複して入れる」という習慣がなかった。
ここ10年ちょっとだと思うが、例えば大相撲中継とか高校野球中継の最中に、重ねてニュース速報で「大相撲××場所は○○が優勝」と速報するようになってしまった。見ていれば分かることだし、(今回はなかったが)速報のタイトルを見て、何か別に重大事件でもあったのかと、無駄に身構えてしまうので、やめてほしい。

それにしても早かった。額を掲げてから字幕が出るまで、5秒(額を置く時のフライングを見たとしても15秒)。
あらかじめ文章を作っておいて、元号2文字だけを入力したのだろうけど、辞書登録されていない読みで、誤変換は許されないから、緊張したことでしょう。

その9秒後=額が示されてから14秒。画面下にテロップ。
新元号は「令和」
これは速報でなく、ニュース番組としての字幕。
派手な毛筆立体文字にでもなるかと思ったが、普通のゴシック体(フォントワークス「ニューロダン」シリーズ)。元号部分はふりがな付きで赤文字。
ただ、バー状の背景の両端に、細かい金色の四角い粒(?)がきらきら飛んでいる。
強いて言えば、「れいわ」のふりがなは、「令」に対して「れい」、「和」に対して「わ」でなく、均等に振っているのが気になる。そういう手法もあるけれど。

平成の時は、額提示から字幕表示まで30秒かかったから、令和では半分以下に短縮された。写植からコンピューターへ、30年の変化の成果。
でも、5秒のニュース速報と比べると、ちょっと時間がかかった。ふりがなの手間?

瀧川アナが「平成に代わる新しい元号は、令和に決まりました。」とナレーション。
平成の時は、ラジオと同時だったためか「平和の平、成功の成。平成です」と文字の説明があったが、今回はなかった。
その頃、NHKのラジオでは「ネンレイのレイに、平和の和」と説明してしまったらしく、「齢和??」と思ってしまった聴取者が多数いた模様。後の訂正で「命令の令、令を下すの令」としたそうだ。「命令」というのも言葉のイメージとしてちょっとかな。令嬢、令室とかだと伝わりにくいし。
平成は例えやすい漢字だったから良かったけど、「令」だと、誰にも伝わってかつイメージが良いうまい熟語や訓読みがなかったから、お気の毒。

期待した「ピンポンパン…」のチャイムは鳴らなかった。
ゲストもいたのに、発表の瞬間のその反応をワイプで映し出すということもなかった。NHKニュースの流儀なんでしょうけど、ゲストとして呼んだ以上は見てみたかった。
テレビについては以上。


戻って、「令和」の額の「令」の文字について1点。
令の下、最後の2画が「卩」のようになっている。

書道にはいろいろな書き方あって、それでいいのでしょう。活字体もそうなっている。
一方、教育現場で教えられる「令」は「卩」ではなく、「マ」となっている。活字でも教科書体や、学参書体ではそうなっている。冒頭のイオンの掲示もマ。

この額の書の影響で、「卩」で書いてしまう子どもが増えてしまわないか心配。
試験で「卩」と書いて、それでも間違いでないとされればいいけれど、誤答扱いにされたらかわいそう。「冷」など、同じパーツの他の漢字学習にも影響しかねない。教科書体や学参書体まで作って配慮しているというのに。
元号に使う漢字は、常用漢字の範囲内だったか、誰でも知る漢字にすることが条件だったはず。発表時には、標準の字体で書くことを配慮するべきだったのでは。
書いた人にしてみれば、ただでさえプレッシャーの中、直前までどの文字になるか知らずに、短時間で「令和」を書けと言われたわけで、こう書くしかなかったのかもしれないけれど。


ところで、元号の各漢字は小学何年生で習うか。学習指導要領「学年別漢字配当表」より。
「令」:4年、「和」:3年、「平」:3年、「成」:4年、「昭」:3年
小学校中学年に集中しているのが興味深い。次の元号予想の参考になるかも。

ところで昭和の「昭」という漢字。昭和以外の場面では、あまり使うことがない。
歴史の学習では使いそうだけど、さらに何十年か経ち、3つ前・4つ前の元号になれば、小学校で習う漢字(通称・教育漢字)から外されてしまうかもしれない。
※俵、蚕など、こんにちではあまり使わない漢字でも、今なお教育漢字に含まれているものもあるにはある。


前回も触れた、電子機器のかな漢字変換システムの対応状況。
各自で単語登録したり、学習機能で覚えさせる手もあるが、どうせなら変換キーで一発で「令和」にしたい。
平成改元時に主流だったワープロ専用機では、おそらくどの機種もバージョンアップ・アップデートという概念はなく、製造後に途中で変換辞書を書き換えることはできなかったと思う。「平静」しか出ないまま、使い続けた。
ところが今は、インターネットにつながったパソコンやスマートフォンの時代。途中で辞書のアップデートがあったり、意識しなくても新たな単語や用例を拾ってくる(仕組みがよく分からない)ようになった。
ジャストシステムのATOKでは、4月18日から令和対応アップデートモジュールを配布。
いつの間にか、勝手に用例が更新されている(?)、Google日本語入力は、WindowsもAndroidも、今のところ変換できない。
Google日本語入力Windows版
「らいねん」で変換しても「平成32年」。



令和の陰で存在感が薄かったけど、今日から新年度(ネット上のエイプリルフールも今年は静かだった)。
今年度・2019年度=「令和元年度」、ではない。
4月の現段階ではまだ「平成31年」だから、「平成31年度」。各機関のホームページでも「平成31年度 入学式」などとしている。

問題は5月以降。おそらく、5月以降も、年度としては平成31年度であって、令和元年度は存在しないということになるかと思う。
昭和から平成の時は、昭和63年度は平成元年3月まで、平成元年4月から平成元年度。昭和64年度は存在しないが、そもそも4月の時点で昭和64年ではなかった。改元が1月だったことで、その辺はきれいに移行できていた。
今回は多少混乱するかも。
勘違いして「令和元年度」とやってしまう人や組織も出そうだけど、それは間違いなのか、それぞれの判断として許容されるのか。国が指針を示してもいいと思う。
【3日追記】国の平成31年度予算については、5月以降「令和元年度予算」とするらしい。じゃあ、令和元年度が存在するの???

あと、令和の最初の年を「1年」とするか「元年」とするか。
平成の時は元年が圧倒的多数だった。日付スタンプや通帳印字などは「1」年表記だったけど。
これは戸籍や登記の現場に対して、「新元号の初年は「平成元年」と記載する。」とする通達を法務省が出したのが、拡大解釈されたせいのようだ。「1年」がダメな理由は考えつかないから、制限がない場面ではどちらでもいいはず。

組織にはそれぞれの都合で統一する必要はあるだろうけど、少なくとも個人で表記する分には、令和元年でも令和1年でも、どちらも正しいと言えよう。【2日補足・役所への提出書類では「元年」と書くように指導されたり、「1年」と書くと役所の権限で修正される可能性がある。】
「元年」のほうが重みがあって座りがいい印象はするかな。ただ、略して書くのに「R元.5.1」とするのもヘンだから、そこは「R1.5.1」。センス良く使い分けましょう。


平成の時も令和の時も、どんな結果になっても、自分にはほぼ影響がないのに、まるで自分の一大事のように緊張した元号発表であった。
外国の人にしてみれば、西暦と別に年を振り、それがある時からリセットされるなんて、理解してもらえないか、とても不思議な風習のように見えてしまっているのでしょう。日本人としては、元号も悪くないものだと思えた、令和発表であった。
続きはこちら
※イオン土崎港店の表示や文字の書き方・パソコンでの対応についての続きはこちら
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