広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

遠足か社会科見学か

2018-05-29 00:25:06 | 秋田のいろいろ
1983(昭和58)年5月26日の昼、秋田県沖を震源とするマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生した。秋田県ではこの日を「県民防災の日」として、今も訓練や犠牲者の追悼が行われている。
しかし、35年も経って全国的には知らない/忘れた人も多いだろうし、26日の秋田魁新報によれば、(高齢化が著しい中でさえ)秋田県民も4人に1人が地震を経験していない世代になったそうだ。

この地震で秋田県、青森県、北海道で104人が亡くなっていて、うち100人が津波によるもの(秋田県では83人中79人)。
当時は日本海側には津波は起きないという俗説があったそうだし、警報発表やその通知体制が未熟だったこともあるのだろう。(一方で昼どきなのに火災が1件も起きなかったのは、消火意識が徹底されていたからとされている。)
中でも、学校行事で男鹿市の海岸を訪れていた、合川町立合川南小学校(現在は市町村合併と学校統合により北秋田市立合川小学校)の児童のうち13人が、津波で亡くなったのは、衝撃であった。

合川南小学校の教訓と慰霊は、現在も現地や統合後の学校で継承されているし、当時を知る県民も忘れることはない。
秋田朝日放送ニュースサイトより
1992年開局で地震当時は存在していなかった、秋田朝日放送(AAB)でも、おそらくテレビ朝日が保存する当時の映像も使って、しっかりと報道している。
上の静止映像は、今年の遺族による慰霊の模様で、赤い水筒は遺品とのこと。


さて、例によって些細なことで申し訳ないのですが、このことを伝える報道について。
上記では、あえて「“学校行事”で男鹿市の海岸を訪れていた」と表記したのだけど、当時を知る皆様は、それがどんな「行事」だったか、ご記憶だろうか。

上記のAABのサイトにもあるように「遠足」だと思うかたが大多数だと思う。僕もそうだった。
ただ、今年まで全校(全学年)で同じ場所に訪れていたのかと思いこんでいたが、実際には4年生と5年生だったとのこと。

報道でも「遠足」で来ていたとするのが圧倒的多数。2018年でも民放各局、確認した限りの地方紙・全国紙各社が「遠足」としている。
そんな中、唯一の例外があった。
それが、NHK秋田放送局。
「社会科見学の途中」
「社会科見学の途中」とするのは、今年に始まったことでなく、昨年かそれ以前に気づいた。
今年は3月5日の「(東日本大)震災7年を前に(男鹿市の)保育園で防災教室」というニュースの中でも、「社会科見学の途中」としていた。
2013年5月24日の「NHKニュースBOT」ツイッターより
また、2013年には「社会科見学の途中」としている原稿と、「遠足で」としている原稿の2つが存在したようだ。その頃が“転換点”か。


遠足と社会科見学。
時代や地域によって解釈は異なるのだろうが、一般的には「遠足」はレクリエーション的要素が強く、「社会科見学」は施設見学に重きを置く行事だろう。遠足=社会科見学ではない。

合川南小では、2つの学年だけとはいえ、カリキュラムが異なる学年の合同で社会科見学をするのは、考えにくいし、合川から男鹿まで来て何を社会科見学するのか想像できない。水族館とか地形を見に来たのだとすれば、それは「“社会科”見学」ではないのではないか。

「遠足」が死語になって通じないから、NHKの判断で言い換えたのかとも思ったが、今も充分通じるだろう。言い換えだとすれば「校外学習」「校外活動」辺りにしたかったのを、言い換え間違えたのか?


北秋田市のホームページを見ても、合川南小学校は「遠足」で訪れていたとするものが圧倒的。
ただ1つだけ、「社会見学中の合川南小学校の児童が遭難」との記述があった。
2005年3月発行の旧合川町の「広報あいかわ」最終号(No.560)の「合川町50年を振り返って」という年表内の記載。
ということは、合川町の沿革史のような記録の一部には、何らかの理由で遠足でなく「社会見学」と記載されているのかもしれない。
また、2014年に北秋田市の市議会議員が「北秋田(旧合川南小学校)社会見学の小学生達が」とツイートしている。
これらは、NHKの「社会“科”見学」ではなく「社会見学」。両者は微妙にニュアンスが違うとも言えよう。


いずれにしても、35年前も、現在の北秋田市やNHK以外の報道各社も「遠足」としているのに、現在のNHKだけがなぜか遠足とは呼んでいないのが現状。
北秋田市に尋ねたり、NHKに質問すれば解決するのだろうが、そこまでするのも気が引ける。でも、気になる。

この程度のことは、誤って継承されたとしても大勢に影響はない。
だけど、どうせ残すなら極力正しくするべきだと思う。あえて違う言葉に置き換える意味はない。“セリオンタワー”と同じように。

NHKの地方局では、初詣のニュースのように、毎年ほとんど同じ原稿だったり、秋田公立美術大学附属“高校”のように、過去の誤りを繰り返したりするケースが散見される。社会科見学も、何らかの理由で使い始めた言葉で、以降、考えずに使いまわし続けているだけのような気もしなくはない。
若手が多かったり転勤があったりして、記者がその土地のことを充分に知らずに、過去の例に従ってしまったり、間違いを見落としたりしてしまう事情もあるのだろうが、視聴者としては受信料を払って、一定の信頼を寄せる放送局なのだから…

【2021年5月26日の報道について追記】
2021年もNHK秋田放送局はかたくなに「社会科見学」。民放3局と秋田魁新報は「遠足」。
26日付魁のコラム「北斗星」では、合川南小の一行が、加茂青砂海岸を訪れる前に、秋田県庁を見学していたことが述べられていた。(北斗星内では、一般的な学校行事として「社会見学」が軸の話で、「遠足」のフレーズは出てこない。)
このことが、NHKが社会科見学を使う理由かもしれないが、それだったら、我々の昔の遠足だって県立博物館とか蚶満寺とかを見学したが、遠足は遠足。

その後、新たな事実も判明した2023年の記事





日本海中部地震の自分の記憶。
当時も秋田市にいた。秋田市は震度5(現在と異なる震度階級、測定地の気象台も現在と別の場所で、人による観測)。

小学校に入学したばかりで、体調不良で学校を休んだ日であった(当時は虚弱だった)。
いくぶん体調が良くなって、起き上がってぼーっとしていると、突然ものすごく揺れた。【29日追記・幅が大きく、短い周期の横揺れと記憶している。】それまで地震というもの自体、はっきりと認識したことはなく、何が何だか分からなかった。
その後に経験したどんな地震よりも激しい揺れ(小さかったとか体調が悪かったとか、そういう理由ではないと思う)で、まさに動けなかった。【6月2日追記・恐怖とか身の危険にまで考えは及ばず、とにかく揺れに戸惑うことしかできなかった。】大人も近くにいたけれど、やはり動けない。

揺れが収まり外を見ると、近所のおじさんが家から道路を渡った駐車場へ飛び出していた。我が家では家具が倒れるといったことはなかったはず(考えてみれば不思議。向きなどが幸いしたのか)。
停電もなく、テレビのニュースを見ていると、市郊外に住む知人のおじさんが血相を変えて訪問。外出先で地震にあって逃げこんで来たのだった。
すると、また、揺れた。大人が「ヨシンだ」と言う。「余震」を知った。
11時59分の本震後、当日中に最大震度3(秋田市)の余震が何度も起きている。

秋田市では、市中央部でも塀が倒れたり、百貨店「本金」のタワーが倒壊して死者が出たりしたそうだが、当時の記憶はない。
覚えているのは、どこかの道路に大きな亀裂が入った写真と、やはり合川南小学校の津波被害。

あと、身内が借りていて地震発生時に無人だったアパート4階の室内では、側面を壁に寄せていた食器棚の角が、石膏ボード(?)の壁をこするように動いたらしく、長さ10センチほどの穴が開いた。穴が開いたことで(穴にひっかかって)、食器棚が倒れるのを食い止めたのだろう。

その後、学校では、定期避難訓練以外に明確な防災教育を受けた記憶はないけれど、合川南小のできごとだけはしっかりと刻みこまれた。
通っていた小学校では、3年生の遠足で男鹿方面へ行くのが恒例で、地震前は男鹿水族館へ行っていたのが、地震後は海岸へは行かなくなって、寒風山へ変更されたはず。ただ、4年生では、山形の十六羅漢や象潟海岸へ行ったから、直接的に海を避けていたというわけでもない。
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本荘の餅菓子

2018-05-27 00:45:22 | 各地お土産・食べ物
かしわ餅に続く、由利本荘市の餅菓子の話。
旧・大内町エリア、JR羽越本線・羽後岩谷駅に隣接した、国道105号線の「道の駅おおうち」の「農産物直売所 ひまわり」に立ち寄った。
農産物のほか、地域の人たちが作った惣菜なども売られていて、ずっと前に取り上げた(リンク先末尾)ように、普通の赤飯と甘い赤飯の2種を売っている。現在も変わらず。

季節もので笹巻きもあったけれど、鮮やかな緑色の商品があった。
ロールキャベツにも見える
一瞬、高菜でごはんを巻いた紀伊半島方面の「めはり寿司」かと思ってしまったが、カシワの葉だ。葉は表面を外側にして巻かれている。
これこそ、伝説の「山から採ってきた葉で作ったかしわ餅か?!」と購入。
作った人の個人名でPOSに登録される仕組みのようで、線路の反対側の大内三川地区の方の製造。4個257円。

保存したカシワの葉と違い、光沢があって柔らかいのは、若葉ならでは。葉に穴が開いているのもあるのは、お手製ならでは。葉を開くと、
ん?
餅が粉をふいてる??

パッケージのシールをよく見ると、

なんとこれは「かしわ餅」でなく「かしわ大福」なのだった!!

全国的にも、かしわ大福なるものはなさそう。どうせならかしわ餅にしてくれれば、“伝説のかしわ餅”になってよかったのに、どうして大福化してしまったのだろう(作る手間とか?)。
大福にしては珍しい楕円形だけど、中はこしあんのよくある大福。
餅はやわらかく、あんこはやや塩味で大福としてはおいしいけれど、かしわ餅では感じるカシワの香りはしなかった。葉が若いせいなのか、製法なのか。
上が勇助堂、左が吉野屋のかしわ餅。明らかに色が鮮やか
※2024年の旧暦端午の節句前には、かしわ大福はなかったようだ。笹巻きについて


同じ方が作ったこんな餅も。
ウミウシとか?
「ごま大福」なるもの。103円。この方は大福作りが得意なのかもね。
表面がびっしりゴマで、餅生地にもゴマが練りこんであるようだ。中はこしあん。
大福としてはやや大きく、長い。
もっちりとして厚さを感じ、あんことゴマとのバランスも良くて、おいしい。粉がなく、ゴマが落ちるようなこともなく、手や周りを汚さず食べやすいのもいい。



ついでに、4月に本荘地区で買ったものも。
イオンスーパーセンターで、今、吉野屋菓子舗のかしわ餅が並ぶ場所にあったのが、同店の
道明寺
桜餅というものは、クレープ状の長命寺タイプと、おはぎ状の道明寺タイプがある。
秋田では、単に桜餅といえば長命寺タイプ。道明寺タイプも珍しくないが、桜餅よりも「道明寺」と呼んで区別することが普通。

吉野屋の道明寺のパッケージのシールを見ると、
導明寺?!
「“導”明寺」となっている。
道明寺は、道明寺というお寺で考案された、「道明寺粉」を使って作るから、そういう名前。寺院の名称がそうである以上「道明寺」であって、「導明寺」は間違いでは?
調べると、全国的に「導明寺」として販売する菓子店が散見される。
粉を「導明寺粉」として売っている業者があって、それを使っているからというのが理由らしい。
じゃあ、お菓子屋さんとしては間違っていなくても、同じ理屈で粉屋さんが間違っているのでは? ということになる。何か別の理由があるのでしょうか…


かしわ餅は見かけなかった、由利橋近く日進堂の商品。5月でも売られていたと思う。
だんご
あんこで包んだ3色串団子。

ごまあん、白あん、こしあんという組み合わせは初めて見たかも。
2022年でも変わらず売られていた(リンク先後半)。


本荘のパンの話をいずれまた。
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柏餅の街・本荘?

2018-05-24 00:23:18 | 各地お土産・食べ物
端午の節句の和菓子「柏餅(かしわ餅)」。
一晩明けた5月6日以降は、扱う店がほとんどなくなって、とたんに入手困難になるのが一般的。
他の季節・行事限定のお菓子の多くも似たような状況で、それが季節感を大切にする日本の文化ではあるのだろうけど。

ところが、通年は無理にしても、5月下旬の現時点においてなお、多くの菓子店でかしわ餅が手に入る土地がある。
秋田県由利本荘市(旧・本荘市エリア?)である。

本荘では、ひなまつりやお盆などのように、月遅れで端午の節句をやるというわけではないはず。【2022年6月3日補足・旧暦の5月5日は比較的重視されるようで、その日までは扱う店が多いようだが、それ以降でもしばらく売る店があるようだ。】
ただ単に、少し遅い時期までかしわ餅を作って売っているだけだと思う。


このことに関して、こんな話を複数の筋から聞いた。
「本荘では、カシワの新しい葉が出る頃、山へ葉を採りに行って、それでかしわ餅を作る。」
今はともかく昔は、お菓子屋さんも一般の家庭も、そうしていたのだとか。

西日本方面ではサルトリイバラの葉を使うそうだけど、秋田ではその名の通りカシワの葉を使う。
ところが、新暦の5月5日の秋田では、まだ新芽が開いていない。だから、端午の節句は終わってしまったけれど、“天然物”の葉で“旬”のかしわ餅を作ろうということなんだろうか。

本荘と多少のゆかりがある我が家は、そんな話を知っているものの、なかなか食べる機会はなく、また最近は他地域同様輸入もののカシワの葉っぱを使ったかしわ餅が多くなっているらしく(そして民家では作らなくなって)、伝説めいた話になっていた。

このほど、久しぶりに本荘のかしわ餅を、複数食べることができた。葉っぱは新しいものではないような気がしたけれど。
2018年の今も、5月23日でも本荘ではかしわ餅が間違いなく売られているのだ!


※僕は餅&こしあんが好きなので、かしわ餅は大好きです。と言っても、本当のかしわ餅がどういうものかは知りません。

由利橋近くの「勇助堂」。
昔はみそあんなどもあったらしいが、今はこしあんだけだそう。
地元の菓子店の組合(?)のツイッター@annkoyadesuによれば、2014年には草餅のかしわ餅も製造されていて、6月5日頃まで販売との情報あり。
外観は一般的

あんをはさんだ平たい餅を半分に折っているようだ
大きさは今どきの菓子店のかしわ餅としては、標準サイズでしょう。
餅の分量が若干多め、餅生地が軽めでふわっとした感じ。あんこは甘すぎず、しょっぱくもない。


飛鳥大橋近く、イチジクのお菓子が有名な「吉野屋菓子舗」。
本荘周辺ではスーパーにも納入されており、イオンスーパーセンター本荘店では、産直コーナーでなくパン・和生菓子コーナーで、3個入りと5個入りのパックを置いていた。
パック入りのせいか、葉っぱ表面が汗をかいている


やはり標準サイズだけど、丸めて作ったようで形状はコロンとしている。
こちらは餅が濃密な食感。あんこは甘すぎず、しょっぱくもない。
こちらは原材料名表示を確認でき「餅粉(国産)、練りあん」のみ。賞味期限は2日間のようだけど、「純餅米粉使用の為、早く固くなり易いので」早く食えとの注意書き。
かしわ餅は、うるち米の粉(上新粉)を使うのが標準的のようだけど、これはもち米だから食感が独特なのかな。

ツイッター@annkoyadesuによれば、吉野屋菓子舗では、新しい葉を使うこともあり、その在庫がなくなるまでは製造を続けるそうで、2014年は「6月一杯ぐらいは、作る」とのことだった。


結論としては、どちらもおいしいけれど、秋田市のかしわ餅と比べても際立った違いは分からなかった【24日補足・それぞれ同じじゃないのは分かるけれど、甲乙つけ難いということ】。これらと秋田市のいくつかの店のかしわ餅から、1個だけ選んで食べろと言われたら、迷う。
なお、飛鳥大橋近く川口の「かまた菓子舗」の前には「かしわ餅」の表示が掲出されていた。イオンスーパーセンターでは、「日進堂菓子舗」の団子なども扱っているが、そのかしわ餅は置いていなかった。

【24日追記】葉は、勇助堂が裏面を外側、吉野屋は表を外にして包んでいる。みそあんなど複数種を製造する菓子店では、葉の裏表を変えることで識別しやすくする店もあり、見栄え以外には裏表どっちでも違いはないのかもしれない。でも、植物学的には裏表でロウ物質のクチクラ層や気孔の数が違うだろうから、保存性や汗のかきやすさに何らかの違いが、実はあったりして?!


由利本荘や隣のにかほでは、イチジクの甘露煮が著名で、最近は「シュークリームロード」と銘打ったキャンペーンも定着。
かしわ餅については、別段そういった取り組みも名物だという話もないようだけど、端午の節句後にもかしわ餅を売る街なんてほかにあるだろうか(全国的には、店単位でちらほらあるみたいだけど)。「本荘はかしわ餅に思い入れがある街」と言えるのではないだろうか。
【30日追記】秋田市のたけや製パンでは、5月下旬時点でもかしわ餅を作ってはいるようだ。ただ、それを発注して販売するスーパーなどは、とても少ない。

あと、本荘では笹巻き(全国的には「ちまき」)もわりと食べられるようだ。巻き方がちょっと独特なのかな。
本荘の餅菓子について、続きます
本荘のおはぎについて

※参考までに2021年の秋田市内のスーパーの惣菜コーナーの柏餅
2022年5月3日の本荘の柏餅状況。やはり柏餅の街だと確信した。
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そこまで言うの@ローカルTV

2018-05-22 00:29:17 | 秋田のいろいろ
放送では、言ってはいけないことがある。差別用語など明らかにまずいものもあれば、スポンサーへの配慮など視聴者としてはそんなに気を使わなくてもいいのにと感じるものまで、さまざま。
大したことじゃないけれど、ローカル番組で「えっ?! ここでそんなことまで言うんだ!」と驚いた発言が2つあった。


秋田市などで加入・視聴できる秋田ケーブルテレビ(CNA)のウリの1つが、秋田県には系列局がなく視聴できないTBS系のテレビを視聴できること。有料になってしまうけど。
CNAでは、開局当初はテレビユー山形を区域外再送信(区域外再放送)していたが、後に技術的な問題(季節よって受信しづらくなる)からIBC岩手放送に替えている。

加入者としては、TBSの全国ネット番組が見られることがいちばん大事だけど、他県のローカル番組・ローカルニュースが見られることも副次的な楽しみ。
つまらないと思う人もいるかもしれないけれど、見てみればなかなか興味深い。花巻のマルカンデパートの食堂の廃止から復活の件とか。
隣の県ならば、知人がいるとか行ったことがあるとか何らかのゆかりはあるものだし、秋田と同じ課題を抱えていたり(そしてその対応が違う)とか、無関係の話でもないこともある。

IBCで土曜朝に放送しているローカル情報版組が「じゃじゃじゃTV(ティーヴィー)」。TBSでは「王様のブランチ」を、秋田朝日放送では「サタナビっ!」をやっている時間帯。
サタナビっ!があまりおもしろくない時や、サタナビっ!より放送終了が30分遅いので気が向いた時など、たまに見る。
すると、お便りコーナーやプレゼント当選者に、「秋田市」在住の人がけっこういる。同じ考えのCNA加入者はそれなりにいるのだと思っていた。

区域外再送信には、再送信される側(IBC)の同意が必要ではあるが、本来の放送エリア(岩手県)の視聴者に対して、そのことは知らせないのが普通。別に教える必要がない。
だから、じゃじゃじゃTVの岩手県の視聴者にしてみれば「電波が届きそうにもない、山の向こうの秋田市の人がどうして見てるんだ?」と疑問を持っていそう。
IBCとしては、再送信を承諾した以上、視聴者を差別するわけにもいかないから秋田の人も読み上げたり当選させたりしているけれど、本心では「岩手県民向けの番組だから、岩手県民に当ててやりたい」と快く思っていないのかもしれないな、などと思うこともあった。


ところでこの番組では、司会者の後ろに透明な板が置かれ、生放送中に地元のプロ画家が、その日のお便りテーマを題材にした漫画仕立ての絵をかきあげる。水森亜土方式だけど、輪郭線があらかじめ書かれているなどの点は違う。
19日の放送では、「○○様限定」とかいうテーマで、最後のコマが「いわて県民様限定 じゃじゃじゃTV!!」。他県民が、岩手県外では見られないじゃじゃじゃTVをうらやましがっているイラスト。

でも秋田県民の一部(青森や宮城もそうか)も見られるんだよね…と思った瞬間、メイン司会の2人のIBCアナウンサーがこんな発言をした。
このテレビは、秋田ケーブルテレビで秋田市方面でも放送されておりましてね
「けっこう見てくださっているようですね」
「FAX・メールも時々いただきますんでね」
この後、大雨で秋田新幹線が止まっていることにも少し触れて、番組が終わった。

秋田で再送信されていることを、ケーブルテレビ局名も含めて言うとは驚いた。
区域外再送信のいち視聴者としては、別段取り立ててくれなくても、こっそりとのぞき見させてもらうような気持ちで見るので充分だと思う。本来は岩手県内向けの放送局・番組なんだし。【23日追記】CNAでの視聴者としては、IBCの局アナが、放送中もそのことを認識してくれていることが分かって、少々うれしいのも事実。
ただ、秋田市でも見られているということが岩手県内に広く知られれば、CMの価値が上がって、広告を出す企業が増えたり、秋田の人が岩手を訪れたりと、IBCや岩手にとって多少のメリットはあるのかも。
【22日補足】直接的には、イラストの「岩手県民限定の番組」という表現について、より正確さを期して補足しつつ、大雨被害にも配慮した発言ということかな。

【2023年3月25日追記】上記の発言をしたのは、菊池幸見アナウンサー。2023年3月25日の放送で番組担当を降板した。最後の回のエンディングで、岩手を元気にするという番組コンセプトを忘れないでなどひと通りのあいさつをした後、最後の最後の余った時間を埋めるかのように、「この番組ね、秋田の人も見てるんですよ。けっこうね。だから私、秋田に飲みに行った時、すんごいモテました。」と発言。最後でも秋田に気を遣ってくれた。



もう1つは、NHK秋田放送局の夕方の「ニュースこまち」。4月の中頃、桜が咲く直前の中継コーナー。
中盤の気象情報コーナーに続いて、秋田地方気象台のソメイヨシノ標本木前からの中継。

気象コーナーでは、村木気象予報士が「開花日は17日かな」との予想を示した。
中継では、若手アナウンサーがフリップ(※)を出し、ウェザーマップ、ウェザーニュース、日本気象協会の開花予想日を示した。フリップには社名も表示され、上から順に左記の順。
【22日補足】※昔は民放では「フリップ」、NHKと日テレ「笑点」では「パターン」と呼んでいた。今はNHKでもパターン【24日訂正】フリップかな?

NHKでは、特定の企業名や商品名は出さないことになっているが、最近のバラエティ番組などはだいぶ緩く(いい加減に)なっている。昔は歌番組の歌詞の「ポルシェ」「クレパス」なども言い換えさせられるほどだったのに。
【26日補足】2018年時点の全国放送のバラエティ番組では、「歩数計」について触れるナレーション(ベテラン局アナが担当)と字幕において、特定の企業の登録商標である「万歩計」としていた。「ゴールデンウィーク」とは絶対に言わず「大型連休」を使うほどの放送局なのに、どうして万歩計は使っていいのだろうか?
開花予報の場合、気象庁は発表しなくなっているし、大手3社を並べて表示することで公平だし、こういう使い方なら、別段問題ないというかむしろ適切(“出典の明記”として)だと思った。

でも、その中でアナウンサーが、
村木さんの所属しているウェザーマップでは、17日と予想しています」
といった内容の発言。これはびっくり。
発言の通り、村木予報士はウェザーマップ社の人だけど、そのことを放送で言及することはこれまでなく、NHKの職員だと思っていた視聴者もいるだろうし、聞いても意味がわからない人もいただろう。

気象予報士制度や民間気象会社ができる前~黎明期では、NHKでも「日本気象協会 倉嶋 厚」といったテロップを出していたが、それ以降は、民放も含めて、気象予報士の所属会社やデータの提供会社は示さないことが圧倒的に多くなっている。ネットで調べれば(特に予報士の所属は、個人や会社の公式サイトに載っている)分かるけれど。タレントの所属事務所と同じことと思えば、そんなもんか。
また、NHK「バラエティー生活笑百科」では、吉本興業の「吉本」は言わない。「事務所」とか「新喜劇」といった表現をする。【9月22日追記】でも「米朝事務所」は言っていた。

したがって、「村木さんの所属しているウェザーマップ」発言は、NHK民放問わず、気象予報士の所属は放送上では示さないのが一般的なのを破ったことが意外で、それはいいとしても、NHKとしてこの場合に伝える必要がある企業名だったとは思えない。後者のほうは、NHKの存在意義とは相容れないように感じる。
このアナウンサー、後で怒られなかったかな…(NHK内部で問題視されなかったとすれば、それはそれで問題では?)


ちなみに、示された3社の開花予報日はそれぞれ別の日。
うち、ウェザーマップは17日。つまり直前のコーナーでの村木予報士の予想と同日。
僕は、村木予報士の「17日」は、村木さんが個人的にデータを解析して【22日追記・そして自ら桜を観察して】導き出した日付だと思っていた。つまり予報士個人とその所属する会社の予想日が、たまたま同じ日になったのだと認識したのだけど、もしかしたら、実は村木予報士の予想日は、所属会社のデータそのままなのかもしれない。
いずれにしても、秋田市では17日に開花して、予想は的中した。
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奥羽北線上りの思い出 と要望

2018-05-17 00:51:18 | 昔のこと
下りに続いて、奥羽北線上りの思い出。
現在のダイヤで、弘前から秋田までの普通列車(大館乗り換えを含む)は、弘前発時刻で、
6時25分(特急廃止代替の快速)、7時52分、9時03分(大館で1時間待ち)、11時24分(大館50分待ち)、14時51分、17時29分、19時22分
の7本。


20年前。
上りも大筋では昔からのダイヤが受け継がれていると言えるのだが、下りよりは変わった点が多い。
当時は、8時(大館での待ち時間あり※)、10時(※)、14時、17時、19時前と、普通列車は5本。
※10時台の列車は当初はなく、1998年頃? に新設された。その代わり、8時の列車の大館での待ち時間が、それ以前よりさらに長くなった。
以下列車ごとに。

8時の列車は、青森から来る3両編成。
弘前で通勤通学客を降ろし、次の石川で東奥義塾高校、その次の大鰐温泉で県立大鰐高校(弘前南高校大鰐校舎を経て、2013年閉校)の通学生が下車してしまい、ガラガラで秋田県へ入る。
秋休み前に、薄く霧が立ちこめた黄金色の田んぼに朝日が差す、幻想的な車窓に見とれたこともあった。
大館に着いてからが、まどろっこしい。当初は、車両はそのまま秋田へ向かうものの、30分ほど停車してダイヤ上は別列車扱い。弘前からの客はそのまま車内に留まれた。秋田着は11時。
秋田近くの駅、八郎潟とか大久保とかだったと思うが、行商のおばさん風情の人が荷物をたくさん背負って乗りこんで来たことがあり、今どき(当時)鉄道で行商する人がまだいたんだと、驚いたことがあった。
1998年頃には、大館での待ち時間が1時間半ほどになって、たしか車両はいったんホームから引き上げられた。大館からは快速になったものの、秋田着は11時45分と前より遅い。
下りは秋田→大館が快速のダイヤが2本あったが、上りで大館以南が快速につながるダイヤはこの1本だけだった。


10時台は2両編成秋田行き(秋田からそのまま新屋行きになった気がする)。秋田着は13時前。
弘前から秋田まで、全区間ワンマン運転で、かつ大館や東能代で運転士の交代もないという、運転士は大変そうな運転形態(他のダイヤではなかった)。時間的に混雑しなかったと思うが、運転開始が卒業近い時期だったこともあり、乗車機会は少なかった。


午後は、現在も基本的に同じ。
14時台は、2両編成で弘前から大館までワンマン、秋田着が17時前後。
平日の大館以降は高校の帰宅時間帯に当たって立ち客が出るが、彼らは短区間で降りるからまだいい。
この列車は、下りの秋田発11時台と同様、村上発新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」にスムーズに接続するため、シーズンには青春18きっぷ利用者が多かった(最盛期には、高校は長期休みではあったが)。
さらに東能代から先は、秋田市から出張や用事で来て帰るような人や、秋田新幹線に乗り継ぐ人も乗りこみ、秋田に近づくにつれてどんどん混雑していくのが常だった。
だから、積極的に乗りたい状況ではなかったが、夕食前の時間に秋田に帰れる点ではうれしい列車。金曜日午後の授業が休講になって帰省する時、午前中に用事を片付けてから帰省する時(朝イチでは早すぎるからという理由もある)、秋田から日帰りで来て思いのほか用事が早く済んだ時など、わりと利用した列車でもあった。
この列車で、混雑を避けるワザ(?)とJRへの要望については、後述。
【2020年2月26日追記】入学試験(二次試験)が終わって、帰りに乗ったのもこの列車だった。土曜日だったが、弘前出発時点ではけっこう混雑して立っていた記憶(だけ)がある。


17時台は、秋田着20時頃。当時はそのまま羽越本線に入る酒田行き。一時期、列車番号が「666M」とゾロ目だった。
当初は3両編成、1997年春からは後ろに2両をつないだ5両編成(秋田で切り離し)。時間的には、弘前から大館へ帰る学生や買い物客(けっこういるもんだと思った)、秋田県内では部活帰りの高校生の利用が中心(さほど多くない)。立ち客が出るほどではなく、中でも5両編成当時の前寄り2両辺りは、大館から秋田まで1両貸し切りということもあった。現在は3両編成で秋田止まりのはず。【6月17日追記】2018年6月9日時点では2両編成で運行されていた。この春のダイヤ改正からだろうか、このダイヤも短縮されてしまった。乗ったのは土曜日だったのでちょうどいい乗車率だったが、平日は混雑しないだろうか。

上り17時台は、下り13時台秋田発と同じく、ストレスなく淡々と移動できる列車だった。
金曜日に4コマまで授業があって帰省する時は、テキパキと行動してこの列車で帰ることが多かった。在学中や卒業後とも、弘前へ日帰りして戻る時にも、よく利用した。

当時は寝台特急「日本海2号(列車番号4002)」があり、この普通列車が鷹ノ巣に長時間(10分くらい?)停車中に、追い抜いていた。
日本海も、鷹ノ巣でドアを開けて乗降を扱った後、先に発車する。寝台特急のような客車列車では、車掌から運転士に対し、ドアが閉まって発車して良いことを伝える手段が限られている。大きな駅ではなんとかできるらしいが、鷹ノ巣では無線を使ってやり取りするしかなかったようで、普通列車の運転席(の無線機)越しにも「上り4002列車、発車!」などとJR西日本の関西なまりの車掌と、秋田なまりの運転士の通話が聞こえていた。


18時台は2両編成ながら、全区間車掌乗務。秋田着は22時前。
大館から追分までの区間では、この列車が最終。そのせいか、思ったよりも乗っている感じではあった。
秋田に帰ってからの当日中の時間的余裕がないから、ほとんど利用しなかった。
現在は、寝台列車(たしか碇ケ関で追い抜いていた)が廃止された影響か、弘前発が30分ほど遅くなり、秋田着時刻はほぼ変わらない。下り始発同様、寝台列車がなくなった分、足が速くなっている。


以上が、昔の弘前→秋田の普通列車の概要と印象。改めて思い返せば、当時の普通列車は上りも下りも全列車に乗ったことがあったようだ。我ながら感心。
下りと比べて、上りは時間帯の偏りが大きかった。特に午前が不便で、弘前から秋田へ普通列車だけで日帰りすることは、厳しかった。秋田には昼前から18時過ぎまで、6時間しか滞在できなかった(特急「白鳥」を往復とも使えば、12時間弱滞在)。
逆方向の秋田から弘前日帰りでは、普通列車でも9時から19時前まで、10時間滞在できた(寝台特急の座席を復路に利用すれば11時間強くらい)。

どうしても、朝できるだけ早く弘前を出て秋田へ行きたいのなら、6時40分発の特急「白鳥」があった。自由席特急料金1300円(消費税5%当時)の負担もあるし、当時は3両の自由席はけっこう混雑したような印象(先入観かも?)もあって、たぶん1回しか乗ったことがない。

そこで妥協策。
実は朝7時ちょうど頃弘前始発の、花輪線回り盛岡行き快速「八幡平」があって、まずはそれに乗る。大館までは奥羽本線を各駅停車。
下りで秋田を18時半過ぎに出る大館行き快速から乗り継ぐ弘前行き普通列車は、花輪線の気動車(キハ58またはキハ52の2両編成)を使っていたとしたが、この列車はその翌朝の折り返し。
後に、花輪線内も各駅停車になり、車両もキハ110系になったものの、2017年春のダイヤ改正で電車化されるまで、奥羽線内も気動車運用だった。
2000年撮影。今より帯色が薄い701系電車と盛岡色のキハ58形気動車
大館で降りて30分待てば、花輪線・鹿角花輪から、急行「よねしろ」秋田行きが来る。秋田着は10時頃。
急行料金はおそらく950円(現在は980円)。大館-秋田は104.2キロで、弘前-秋田と同じ料金区分になるため、差額350円は急行と特別急行の違い分だけということになる。
そこでもうひと手間。
急行は秋田の1つ手前・土崎駅にも停車していた。大館-土崎は97.1キロだから、急行料金は1つ下の区分で730円(現750円)。しかも、土崎駅で数分待てば、八郎潟始発の普通列車(現在は廃止)が来て、秋田着は数分遅いだけ。
秋田着が白鳥より1時間半ほど遅く、追加料金は特急より570円安い。

8時台の普通列車乗り継ぎがあった当時は、それより1時間早く着くだけに700円は高いと思っていたので使ったことはなかったけれど、後にその列車での秋田到着がさらに遅くなり、しかも卒業研究などで時間的余裕が減ったこともあって、このよねしろの利用価値が増して、2~3回利用した。
2001年撮影。急行よねしろ用キハ58 1502(臨時快速運用時の写真)
そうそう。急行「よねしろ」もキハ58系で3両編成ながら、リニューアルした車両が使われていて、冷房付き、2人掛けリクライニングシートという、特急並みの装備。全車自由席。【2023年11月9日補足・車両型式としてはキハ58形×2両+キハ28形×1両。キハ58は、キハ28から電力供給を受けないと、冷房を使うことができない。】
当時の特急の特に自由席車両の多くは、リクライニングがONかOFFかしかできない簡易リクライニングで、正面のテーブルがないものもあった(かもしか用485系など)のに対し、よねしろはフリーストップリクライニング、前テーブル付きと、むしろ上回っていた。
急行よねしろの座席。窓も開く
キハ58の製造番号「23」というごく初期の車両も使われ、奥羽本線ではけっこう飛ばしていた。たしか車内販売も乗っていたと思う。

なお、下り急行よねしろは、大館から弘前方面への接続はなく、上りよりも混雑しそう(←先入観)なこともあって、利用したことはない。
その後、急行「よねしろ」は、2002年12月(東北新幹線八戸開業時)に、車両は同じながら無名の快速列車になった。さらに2008年3月に大館で別列車に分断しキハ58系引退、2016年春のダイヤ改正で各駅停車化されている。
今ではできない、架線下の国鉄型気動車乗り継ぎであった。


最後に、弘前発14時台の列車の秋田側(17時前後)での混雑について。
今もごくたまに乗ることがあるが、混雑は変わらない、というか20年前より少し増した気がしなくもない。
ムーンライトえちごはなくなって、乗り継ぎ客はいなくなったとはいえ、数少ない長距離列車なので、青森県内や秋田県北部から乗り通す客が集中してしまう。
キャリーバッグが普及して持ちこむ人が増えて床(通路)に置くので、相対的に車内スペースが狭くなったことや、秋田県の高等学校の学区制が2005年に廃止され、能代から八郎潟辺りまでやや長距離を通学(帰宅)する高校生も見られるようになったことが一因かもしれない。
【6月17日追記】加えて、ダイヤ改正後ごとの微妙な時刻移動によって、17時ちょうどとか17時15分とかで終わる企業や部活動の帰宅者の乗り具合が違うことも、混雑の変化につながっていそう。

この列車の混雑が激しくなる東能代駅では、後続普通列車は1時間後までない。
しかし、八郎潟駅まで来ると、数十分後に八郎潟始発の秋田行き普通列車がある。現在のダイヤでは18分後だが、20年前もだいたいそんなところ。昔は、秋田から奥羽南線に入る新庄行きだったこともある。
しかも、3両編成。
そんなわけで、20分前に列車があるのに後の列車を選んで乗る人は多くはないし、乗るのは事情を知った身軽な(荷物が少ない)人ばかり。追分まではとてもガラガラで、土崎から乗っても座れるかもしれない。
したがって、弘前からの列車を八郎潟駅で降りて、始発に乗り換えれば、秋田着は少し遅くなるものの、最後の30分ほどの最混雑は避けられ、気分的にかなりラク。これが裏技。


となると、JR東日本に提案したくなる。
弘前始発列車は、大館までワンマン運転だから3両以上に増やすことはできないという、システム上の制約は理解する。
じゃあ、八郎潟駅始発の列車を、弘前発より先に走らせて、八郎潟から秋田までの乗客を空いている短距離列車に誘導してはどうだろう。弘前発の列車の混雑もいくぶん緩和され、多くの乗客にとって多少なりともストレスが減るはず。

ちなみに、秋田駅に17~18時台に着く、奥羽北線・男鹿線(追分から合流)の列車とその編成は次の通り。
1つ手前の土崎駅の「どこトレ」画面に、各列車の始発駅を加筆
八郎潟始発のさらに直後には、男鹿線からの列車もある。以前は3両だったのが、今春からEV-E801系になって2両になったけれど、弘前発ほどは混雑しないはず。1時間後の男鹿線など5両編成。
八郎潟始発が無理ならば、追分からの男鹿線を先行させることもできなくはなさそう。

数年前、このことを実際にJR東日本に要望してみたのだが、「増結は難しいです」というトンチンカンな回答(増結は難しいでしょうから、運行順を入れ替えてはどうかと言ったのだけど)をいただいた。
まあ、3両編成を減らして2両編成が増えている昨今、その程度の混雑は我慢しろということなんでしょうね…
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ぐるるにポンチョ!

2018-05-14 00:36:43 | 秋田のいろいろ
5月13日・日曜日から、秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」に、新車の日野ポンチョ「13-44」導入!!
詳細は後ほど。
ここまでを「【速報・画像は後で】ぐるるにポンチョ!」のタイトルで、2018-05-13 16:11:57にアップ。以下、14日のタイトルと投稿日時変更時の追記。


少し前に情報をいただいていたように、13日の始発から秋田市中心市街地循環バスに新車が入った。
日野自動車のノンステップ小型バス「ポンチョ」。
全国的にコミュニティバスを中心に普及しており、秋田県内でもにかほ市の超神ネイガーラッピングや由利本荘市のごてんまり号など、中央交通系列では潟上市のマイタウンバスに導入済みだそうだが、秋田市内ではこれが初ポンチョ。
ぐるる用ポンチョ「13-44」
ポンチョは、長短2種と、ロングタイプでは1ドアと2ドアのラインナップがあり、これはロングボデー2ドア(型式は2DG-HX9JLCE【←公式サイトに記載されたのでこれで確定】、税込み1800万円?)。


ぐるるは、日赤病院跡地の再開発「エリアなかいち」オープンに合わせて2012年7月21日から、秋田市が主体となって、秋田中央交通に運行委託している、運賃100円均一のバス。※中央交通が自主的に運行しているのではなく、赤字分が市から補填されている。

1日当たり2台の車両が必要で、当初から小田急バス中古の1999年製いすゞエルガミオの短尺車2台(834と835)が、専属で使われている。当初は一般路線バスと同じ塗装だったのが、2013年7月から(ぐるる命名もこの時)は公募された専用塗装になった。2台はどちらも水色っぽい青ベースながら、それぞれ別デザイン。
予備車として、一般路線バス塗装の日野リエッセ「129」(2001年式自社発注。男鹿【15日訂正】五城目営業所路線車から抜擢)も用意され、平均すればけっこうな頻度(週に1~2日以上)で2台のうちどちらに代わって走っていた。
以上、3台がぐるるのレギュラーだったところに、新車が入った。
13日のもう1台は835が運用されたように、834と835は引き続き使われるようだ。129については後述。


新車が入ると知った時、まず気になったのが外観。
新たなデザイン募集なんてしていないはず。834、835どちらか片方だけを踏襲したら不公平だし。
上の写真では、835をベースにしたデザインに見える。ただし、835の側面後部に描かれている沿線施設のイラストと名称は省略されている。
でも、後ろから見ると、
後部は834と同じ大きな雲
【14日追記】バックモニターのカメラが、突き出た棒の先に設置されているのが不格好だし、雪が積もりそう。
運転席側側面は、
834と同じだ
正面とドア側側面(愛好家などは「公式側」と称する)は835、後部と運転席側側面(非公式側)は834と、両車のデザインを折衷というか分け合ったデザイン。考えたね。
834と835は、青色の色みが微妙に異なり、834のほうがより水色っぽい気がしているのだけど、1344ではどうなっているのかよく分からない。

上から見ると
834は大きな白い雲が描かれていて、屋根上と冷房機側面にもちょっとだけかかっていた(この記事末尾)。
1344では、冷房には描かれていないが、やはり屋根はちょっとだけ白くなっている。

個人的には見慣れたデザインをベースにしているためか、さほど斬新さとかインパクトは、さほどないような気がした。バスにしてはほっそりしているとは感じる。
運行事業者名である「秋田中央交通」の文字がどこにも見当たらないのだけど、いいのでしょうか…
【26日追記】コメント欄の通り、この後間もなく、両側面最後部の窓ガラス下部(実際には黒く帯状に塗りつぶされた部分で、車内からは文字は見えないはず)に社名が表示された。一般路線バスより若干大きめの白文字で、同じ丸ゴシック体。運転席側は前方から後方に向けて「通交央中田秋」となっていて、一般路線バスでもなくはないが最近では珍しい書き方で、統一感がない同社ならでは【6月7日訂正・最近の一般路線バスでも、同じ書き方でした。すみません。】。


行き先表示器は、フルカラーではなくオレンジ色LED。正面と後部は、ポンチョ専用品だろう。小さいながら「中心市街地循環バス」と表示。
側面
側面は、中央交通の中・大型一般路線バスと同じもの。オージ製で、上段に横書き1行、下に矢印付き縦書き4行表示。
ただ、ぐるるでは、上段に走行中は「中心市街地循環バス」と固定表示、入口ドアが開いている間は「このバスは中心市街地循環バスです。」とスクロール表示するだけで、縦書き部分は消灯。もったいないし分かりにくい。「通町→北都銀行前→南大通り→秋田駅西口」とか表示すればいいのに。データを入れるだけでしょ。【末尾の追記参照】


乗ってみた。
ポンチョは9年前に鳥取市で乗って以来。ポンチョは、いちばん後ろの席だけ2段高くなっていて、他の客席はフルフラットのノンステップ。鳥取では、最後部の高い席に座った。今回は初めての低い席。

1344は、ノンステップエリアは、運転席側に前向き1人掛け5席(うち前2席が車いす・ベビーカー設置用折りたたみ式、その後ろ2席が優先席?【23日訂正】運転席側前向き席は、前から3列目の固定式1席だけが優先席の色)、ドア側に優先席扱いのロングシート3席。最後部が4人分と数えるようなので、着席定員は12名。鳥取で乗ったのと、同じ配置だと思う。
現在、メーカーのホームページにはこの仕様は掲載されておらず、長尺2ドアでは、ドア側も前向き2人掛け【14日訂正】1人掛け×2席の計11名とされている。
【6月18日追記】中央交通ホームページによれば、座席12名、立ち席21名。

座席の布地は、日野でよくある、ごわついた水色ではなく、中央交通のいすゞエルガミオでおなじみの直線のランダムな柄入りの青系の「キサラブルー」と優先席はその色違いの水色系。
この車だけでなく、ポンチョ全部がそうなんだろうけど、座席はいまいち。間隔は狭いし、背もたれは柔らかいけれど垂直に近くて、きゅうくつ【15日補足・折りたたみでない座席での感想】。体格のいい人や、膝を曲げづらい高齢者なんかは座りにくいかも。
しかも背もたれが低い(昔市営バスにあった、小型レインボーみたい)ので、前の席の人の首筋に鼻息をかけてしまいそう。
【29日追記】全タイプの座席に座ることができた。最後段の高い席も、横向き優先席も、やはりイマイチ。前方右の折りたたみ席は、中大型バスのものとほぼ同じ座席のようで、背もたれが適度な角度で柔らかめ(というか普通)でまだマシに感じられた。
【6月6日追記】最後段の高い席は、足元はきゅうくつだけど、背もたれは一般的なもの(エルガミオなどと同じ?)で、マシ。また、この席の運転席側窓際には、白くて天面が傾斜した箱がある。メーカーによる「座るな、物を置くな」とのシールが貼ってあるし、肘掛けにも中途半端。でも、この席は窓が大きくて、なかなか楽しい席とも言える。(以上追記)
つり革が少々、縦方向のオレンジ色の棒はたくさん設置。

リエッセと同じ、長さ7メートル、幅2メートルだけど、天井が高くて視覚的なきゅうくつさはない。視点はかなり低く感じ、感覚としては普通自動車並み。
一方、ドアと前タイヤの位置関係から運転席隣にデッドスペースがある分、前後方向は短く感じる。

昨年のモデルチェンジでMT仕様は廃止されたそうなので、オートマ。これまでの日野のAT車は変速のタイミングやショックが不自然なことがあったけれど、これは感じなかった。
路面が近いせいか、ごろごろという音や振動は若干感じたものの、走行音も静か。
【23日追記】このポンチョは、シフトレバーをニュートラルとドライブの間で切り替える時に、グッと若干動くような衝撃がある。普通乗用車でいえばブレーキをしっかり踏まないで、NからDに入れた時みたいな感覚だけど、このポンチョは複数の運転士が操作していつもそうなるから、そういうものなのだろう。
今のバスは安全装置として、ギアをニュートラル位置にしないとドアが開かない「アクセルインターロック」が搭載されているので、バス停に停まるたびに、その衝撃を感じることになる。座っていたら完全に停まるまで立たず、立っている時はしっかりつかまるよう、注意しましょう。
【6月21日追記】シフトレバーは、秋田市交通局が1994年に導入したレインボーはじめ、日野製オートマ車で代々変わらない形状のようだ。

ぐるるのような、市街地の短距離乗車では、これで充分でしょう。
宮崎などでは、50キロほどの長距離路線にポンチョを使っているそうで、それは乗り心地の面ではどうかと思えるけれど…


車載機器は、整理券や運賃箱は中央交通標準の小田原機器製。整理券は、834・835とは逆で、入って右側に設置。
運賃表示器は、メーカーは確認できなかったが、黒い枠の液晶2画面タイプ。グレーの枠だったレシップ製の新しい機種かもしれない。弘南バスで導入している。
この運賃表示器は、消灯したままで、やはりもったいない。弘南バスの土手町循環100円バスでは、5か国語で次のバス停名などを案内しているのに。これだってデータを入れるだけで(外国語はちょっと大変かもしれないけど)できるでしょ。【末尾の追記参照】

ドアが開閉する時は、「ピンポン」「ドアが閉まります/開きます」さらに「ビー」とブザー音まで鳴るらしく【16日追記・入口/出口それぞれのドアで鳴るようで、2つを同時に開閉した時は微妙にずれて同じ音が出るようだ】、なんかうるさい。
【29日追記】他の車種も含めて、ワンステップやノンステップバスの運賃箱は、客席(通路)部分よりも1~2段高い運転席と同じ高さに設置されるのが普通。ポンチョでもそう【6月10日補足・運転席よりは1段低い段、客席からは1段高い(高さとしては1.5段分くらい)位置に設置】だが、前輪とドアの位置関係上、通路からやや奥まった位置に投入口がきてしまう。それに、中大型車と比べて、運転席が床からより高い位置にあるのかもしれない。そのため、背の低い人や腰の曲がった人は、運賃箱に投入しづらい場合がある。弘南バスのマイクロバスでも似たようなものだけど、運賃箱の位置とか運賃箱自体の構造に一考の余地があるかも。


バスの車種の淘汰が進み、バリアフリーも求められ、選択肢が減って、消去法ではポンチョがぐるるに最適なのだと思う。
でも、834・835は19名が着席できた(リエッセも同じくらい)のが、7名も減った。
ぐるるは、平常時はそれでも収まることが多そうだけど、最近は全席(19席)が埋まるくらい観光客などが乗りこむこともあった。
今年2月の第25回秋田市地域公共交通協議会の議事要旨によれば、ぐるるは「損益分岐点となる乗車人数が1便あたり14人に対し、実績は7.4人」「利用者数の推移として増加している」。
現状では全員座れるけれど、ポンチョで立ち客が出ないと採算が取れないということになる。
高齢者も乗るので席は多いほうがいいから、ある意味バリアフリーと相反するし、歩ける人は、混雑するのなら、市街地の短距離だから歩こうとなってしまうかもしれない。

ぐるるの車両は、これまでは中央交通が保有していたものを使っていたわけだから、秋田市からの直接的な金銭補助はなかったのだろう。
今回も、中央交通が自前で買った(バリアフリー関連の補助金は出るかもしれないけれど)ということなんだろうか。現状赤字なのに。


一般塗装の予備車129は、秋田営業所配置のまま一般路線専用へ移るようで、先週末の時点で既に小型車路線での運用に入っていた。【この後、5月20日には再びぐるる運用に就いた。】
その前、この1か月ほどは、ぐるる運用に入らない日のほうが少ないほど、よく走っていた。ぐるるとしての最後の活躍だったのだろう。ATの変速ショックはあったけれど、2人掛けが多く柔らかめの座席は嫌いじゃなかった。
でも、ぐるるに不慣れな人には、129はまぎらわしいことこの上なかった。パンフレットでは青いバスの写真が出ているのに、
こんなバスが来たら…
「循環バス」だけの行き先表示(しかも正面はガラスが着色)、色あせた前掛け(バスマスク)と小さな紙の掲示程度で、戸惑う客を何度も見かけた。それどころか気付かないで乗り損ねた人もいたかもしれない。【14日追記】反対に、一般路線バスを待つ高齢者などが、間違って乗りこんでくるのにも数回遭遇した。最近は慣れたのかなかったけれど。
最近の運転士さんは、車外スピーカーで肉声で「ぐるる循環バスです」と言ってくれていたけれど、抜本的には、予備車といえども視覚的に分かりやすくぐるるであることを示さないと不親切だと、秋田市へ意見を伝たことはあった。
ポンチョ導入で、とりあえずは解決か。【21日追記】20日・日曜日は再び129がぐるる運用に入っていた。この日のもう1台は未確認だが、ポンチョの整備日だったのかもしれないし、834を1週間ほど見ていないので時間がかかる整備中なのかもしれない。このように専用車の整備が重なった場合はそうせざるを得ないか。
差し当たっての課題は、側面の経由地表示と車内での文字の案内だな。【末尾の追記参照】


1日当たり2台が稼働するぐるるは、どちらの車両がどちらの運用に入るかは固定されておらず、法則もない。
でも、昼間は2~3周ごとに交代(時刻表で★印は買物広場で乗り換えになると表示があるダイヤが節目)し、原則として買物広場で待機する(まれに秋田駅西口待機、ごくまれに車庫へいったん戻ることもあるようだ)ので、乗ろう・見ようと思えば、さほど難しくはない。【21日追記】もちろん、運悪く、その日に点検整備等のため運用を離れていたらムリですが。
1便当たり14人に向けて、ご利用を。

【6月18日追記】最近の中央交通では、新車を導入すると、わりとすぐにその旨を公式ホームページで紹介していた。
今回のポンチョはその気配がなく、代わりに秋田市交通政策課のホームページで紹介された。費用の出どころなどの理由でそんなもんかと思っていたら、ひと月経った6月14日に中央交通のホームページにも掲載された。また、15日付の秋田市の広報誌「広報あきた」でも、写真入りで軽く紹介。
市のサイトも中央交通のサイトも、5月14日から運行開始としているが、当ブログの通り実際には13日から走っている。
掲載された写真は、長崎屋バスターミナルの車路中央部にぽつんと駐めて「中心市街地循環バス」を表示した状態で撮影。

2020年になってやっと、行き先表示や車内の液晶ディスプレイが活用されるようになった。
※2021年9月にさらに新車が入ったが、ポンチョではなくエルガミオになった
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青つばめバス

2018-05-13 00:28:45 | 秋田のいろいろ
秋田駅前に、青い貸し切り(観光用)バスが2台いた。

遠目には、模様や大きな文字のバス会社名は分からず、青一色。こういう単純なデザインのバスは、新興の貸切専業事業者のものだな。と思いつつ、小さな字の会社名を読むと「JR BUS TOHOKU」!?
(国鉄バス→)JRバスといえばツバメマーク。ジェイアールバス東北(以下JRバス東北)では真っ赤な「びゅうバス」、E5系はやぶさバス、E6系スーパーこまちバスもある(過去の記事)けれど、こんなバス初めて見た。

そう思えば、単なる青一色ではなく、ちょっと光沢感というか高級感がある。
さらに角度を変えると、真っ青だと思っていたボディ側面に、
大きなツバメマークが!
角度や光線によって、ツバメが浮かび上がるようだ【掲載写真は肉眼と同程度、ツバメマークが見えている状態でアップしているつもりですが、ディスプレイによっては見えづらいかもしれません。】。大きさとしては従来塗装の高速・貸切車のものより大きいツバメだけど、いかんせんこの色では…
(再掲)一般的なJRバス
車種は日野セレガだが、側面前部の銀色のアクセントピラーは、共通車種であるいすゞガーラのように窓下で止まっていて(JRバスなどでわりと多い仕様変更)、しかも上のほうが青とのグラデーションになっている。
正面と後部に「JRバス東北」と表示された表示器は白色LED(フルカラー?)。(白色表示の実物は初めて見たかも。秋田のバス会社はまだ導入していないはずなので…)

この時は「ぱしふぃっくびいなす」のクルーズ客を、どこかの観光地からホテルメトロポリタン秋田まで送迎していた模様。
でも、JRバス東北秋田支店に、こんな車はなかったのでは?

ナンバープレートを見ると、青森ナンバー。どういう旅程なのか知らないけれど、わざわざ青森支店から来ていた。
2台はナンバープレートも、車両称号(社番)も連番で、称号は「S647-16411」と「S647-16412」。2016年に新車で導入したスーパーハイデッカー車ということが分かる(とのこと)。


実はふと頭をよぎったのだが、後で調べたら、このバスの本来の用途が分かった。
豪華団体専用列車「TRAIN SUITE 四季島」の、下車観光用。四季島専用ではなく、今回のようにその他の貸切にも使う。
車体デザインや装備は、地域ごとに運行を担当する各バス会社によって異なり、この青いものはJRバス東北とJRバス関東。東北では仙台にもある。
E6系などと同じ「KEN OKUYAMA DESIGN」がデザインし、車内は本革シートが36名分。
可動式ヘッドレスト付きのゆったりした座席っぽい
写真では、正面フロントガラス下に緑色の「JR」マークがあり、後部にもあった(ボディは後ろも青一色)。しかし、四季島のツアー時は、ここが四季島のロゴマークに変わる(物理的に付け替える方式か?)らしい。
青森ではある程度定期的に見られる車両で、弘前駅前にも入るようだ。でも、ネット上にもあまり情報はないし、秋田にはなかなか来ないであろうバスに遭遇できて良かった。

と言いつつも、個人的には、四季島にはどうしてもいい感情を抱けない
そのせいもあるのだけど、JRバスだったらもっと堂々とはっきりとツバメのマークを見せてほしいと思う。外見上、これがJRバスとは分かってもらいにくいし、四季島の豪華バスとも分からなくて(それが狙いなのかもしれないけれど、LEDには「四季島」と表示されるみたいだし)、もったいない。

【13日追記】この記事のタイトルは、実際に見た印象から「青つばめバス」とした。
実は、別に「青いつばめ」と呼ばれるJRバスも存在するそうだ。国鉄バス時代の、水色っぽい旧塗装のことだそうで、JRバス関東のその復刻塗装の車を見たことがある。
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秋大のカラタチ

2018-05-11 00:30:09 | 秋田の季節・風景
ごくたまに、秋田大学手形キャンパスの正門から手形山方向へまっすぐの通路を、裏側の門(東門と呼ぶらしい)まで通り抜けさせてもらう。
(再掲)秋田大学正門。まっすぐ広い通路が東へ伸びる
昨年の秋だったか、その通路に面した校舎の前に植えられている木の存在に気づいた。

東門近く、北側の「一般教育棟1号館」の前。
現状
松のほかに、背が低い木が、間隔を置いてそれなりの本数ある。
この木
その低木は、現在は、葉っぱが少なく、白い花が咲いて(終わりかけ)いる。そして緑色の枝はトゲトゲ。以前見た時は、小さな緑色の球形の果実がまばらについていた。

カンキツ類の「カラタチ」である。
秋田のような寒冷地では、地植えのカンキツ類の木を見ることはまれなので、まずは存在自体に驚いた。そして、それが大学という公的施設の敷地にあることにも。

カラタチは、北原白秋・山田耕筰の「からたちの花」、島倉千代子の「からたち日記」では知っているが、植物については恥ずかしながら知識がなかった。トゲがあって白い花が咲くこと(これはカンキツでは珍しくないし、~の花の歌詞にもある)のほか、他のカンキツ類を栽培する時の台木に使われることや、オレンジとカラタチを細胞融合させて作った雑種、その名も「オレタチ」を知っていた程度。秋大のカラタチを見た時、カンキツ類といえば常緑のはずなのに、葉が落ちているのは異常なのではないかと思っていた。

調べると、カラタチはカンキツには珍しく落葉樹で、耐寒性が強いとのこと。基本的に、広葉樹は落葉樹のほうが耐寒性がある傾向だから、なるほど。【11日追記】ソメイヨシノなどと同じく、春に葉が出るより先に花が咲くというのも意外だった。そのことを知ってからも、鋭いトゲの中に白い小さい花が咲くという光景も、意外というかどこか異様にも感じてしまう。
鋭いトゲが侵入者を阻むので、かつては生け垣によく使われたとのこと。果実は最終的には黄色くなる。【11日追記】「~の花」では、花やトゲのほか、「からたちは畑の垣根よ」「からたちも秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ」とも歌われており、カラタチの形態や生態を的確に描写した歌詞だ。落葉についても言及してくれれば良かったのに…



もう1つの謎。なぜ秋大にあるのか。実のなる木なんて、管理上面倒でしょうに。
農学生命科学部のある弘前大学でさえ、附属農場を含めてもカンキツ類の木はないはず。ただ、津軽の気候では寒すぎるかもしれない。ネット上には、角館や岩手県辺りがカラタチの北限との情報(この手の北限はアテにならないこともあるけれど)もあるので。
どこか不自然な樹形なような…
答えが秋田大学のホームページ「手形キャンパスの見どころ(その1)(http://www.akita-u.ac.jp/honbu/info/in_press.campus_guide-1.html)」に、明確に記載されていた。
まず、本数は「11本」。5~6本くらいかと思ったら、そんなにあるんだ。

「本学の正門から東門に抜ける道路はかつて公道であり、その道路の生垣としてカラタチが植えられたという経緯があります。」とのこと。「道路」というと一般には公道を指すから「通路」のほうが適切では?
へえー。この通路が元公道だったとは初めて知ったけれど、形状や配置からすれば分からなくもない。
公道と大学敷地の境目にカラタチの生け垣を作ったというわけだが、生け垣の手入れが大変で、今は若干不格好な1本立ちになったということかな。
※枝の位置が高く、自転車置き場があって木のすぐそばには近寄りづらいこともあって、観察や写真撮影はややしにくい環境。勝手に見せてもらっているのになんですが。


改めて注意してみると、秋田市中央部の民家で、庭にカラタチを植えているお宅を2か所発見。いずれも生け垣ではなく、1本だけながら、秋大のよりもこんもりとした大きな木。(うち1軒は、もうすぐ建物を解体するようで、今後が心配。)
花とともに新しい葉が開き始めている
この3か所とも、現時点では花が散りつつある。秋田市では5月初旬、ソメイヨシノが散った直後、リンゴの花よりちょっと早いタイミングが、カラタチの花期のようで、思ったよりも早めに咲くもんだ。今年は最盛期は逃してしまったので、来年は昔からあこがれていた「みかん(じゃないけどその仲間)の花の香り」を確かめたい。
寒冷地で見られる、数少ないカンキツ類であるカラタチを、今後も観察してみよう。※続きはこちら
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昭和のWラジカセMR-W10

2018-05-09 00:28:46 | 昔のこと
音声を録音再生するカセットテープ(正式な規格としては「コンパクトカセット」)。今も、高齢者(歌を聞いたり、お稽古ごとなど)や愛好家には親しまれているようだけど、一般的にはすっかり過去のものになってしまった。その全盛期、昭和末期の機器の思い出。

カセットテープの録音再生によく使われた機器は、テープレコーダー(カセット録音再生装置)にラジオ受信機が一体化して持ち運びできる「ラジカセ」。
ラジカセにも時代ごとに傾向があって、昭和50年代初め頃は、今から見れば無骨で頑丈なもの。ステレオでなくモノラルのものも多かった。
昭和50年代後半頃には、小さくカラフルでおしゃれなボディが普及。ステレオ化はもちろん、カセットテープを2つセット(ダブルデッキ)して、片方からもう一方へダビングできる「ダブルラジカセ」も広まった。
平成に変わる前後には、CDプレーヤーも搭載したCDラジカセが登場。バブル期ならではの重装備と仰々しいデザインで、21世紀では「バブカセ」と称して収集する愛好家もいる。


さて、半年ほど前、秋田市内のとある閉店した店(?)の前に、ラジカセが放置されているのを見つけた。
道路ギリギリのところに置かれていたのを幸いに、勝手に撮影させていただいた。しかも、後からまた通ると向きが変わっており、裏面も確認できた。※以下、つま先くらいは敷地に入っているけれど、手は触れていません。
昭和のラジカセ!
上記、昭和50年代初めのものよりは洗練され、後半ほどおしゃれではなく、その中間頃の製品っぽい。
スピーカーが大きく、「竹の子族」が踊る時に音楽を流していたラジカセがこんなのか。

天面のラジオのチューニング目盛りの透明カバーが濁っているほかは、外見上の破損はない。ひさしがあるとはいえ屋外に放置では、きっと動作はしないだろうけど。
濁った部分の中に、メーカー名の表示があって「SANYO」とある。今はパナソニックに吸収されてしまった、三洋電機(創業者が松下幸之助の義弟でもある)。ロゴマークは末期の「N」の縦線がはみ出て割れたものではなく、1986年まで使われていたという旧ロゴマーク。


このダブルラジカセ。見覚えがある。
小学校に備品としてあったのが、間違いなくこの機種だ。
当時通っていた小学校では、テレビは各教室に1台あったものの、ラジカセはそうではなく、自前でラジカセを用意したり、音楽の授業にポータブルレコードプレヤー(ナショナルの赤くて横長のやつ。やはり自前か?)を使う先生もいらした。
そんな中、クラスや学年で必要に応じて都度借りる、学校共有のラジカセがこれだった。竹の子族じゃないけれど、屋外での学校行事(大森山少年の家での宿泊研修など)に持っていくこともあった。
1度、持ったこともあって、大きいだけにけっこう重いなと感じた(見た目通りの重さとも言える)。

改めて細部を観察させてもらい、ラジカセの記憶と重ねてみる。
まず、裏面の表示。
製造番号は消えてしまった?
上の旧SANYOロゴは懐かしいけれど、下の明朝体の「三洋電機株式会社」は見覚えがない書体。
当時は当たり前だったであろう「日本製」。昭和最末期頃から、安い機種は東南アジアなど海外で製造されるようになり、やがて多くの家電がそうなっていく。
型番は「MR-W10」。大きいわりに消費電力は12W。でも乾電池は単一型×8本!(持って重かったのはこの分も大きそう)
正面から見て右面は未確認だが、他の面には、電源コード口が見当たらない。電池ボックスの中から出ていたような気もする。でも、それだといろいろと不都合そうだけど…【追記参照↓】
【2022年5月7日追記・電源コードについて】
MR-W10の電源コードは、本体側はつながったまま抜き差しできないものだったようだ。ケーブルを折りたたんで、本体・電池ボックス内の右側にあるくぼみに収納する方式らしい。扇風機では同じ方式のがあるが、ラジカセでは初めて知った。
1970年代辺りでも、家庭用ラジカセの電源コードは、本体側も抜き差し可能な、いわゆる「メガネケーブル(2020年代でも各種家電で珍しくない)」が採用されていたはず。MR-W10は大型だからか、メーカーの方針か、珍しいのではないだろうか。
なお、1980年代にコンパクト化されると、しばらくはACアダプター(本体を小さくした分、コードは巨大化した)が主流になったが、平成に入る頃には、再びメガネケーブル主流に戻ったと思う。(以上追記)
正面には「MR W 10」と見覚えあるロゴ

ネット上には、この機種の情報は断片的なものがちらほら。
正確な製造時期は分からなったが、1982年頃ではないかと推測される方もいらした。
また、例えばMR-W20みたいな明確な後継機種はなさそうだが、「WMR-D6」という機種があり、ネットオークションでちらほら取り引きされている。ボディが黒く、ボディ形状やボタン類の配置はMR-W10とそっくり。後述のミキシングマイク端子がD6は2つ(ステレオ)、W10は1つという違いはあるようだが、他の違いは不明。
サンヨーでは、同時期にコンパクトでカラフルな「おしゃれなテレコ」を発売していた(うちにもあった)。その1つで大ヒットした(のだそう)ダブルラジカセ「MR-WU4」は1982年に4万6800円で発売されたそうだ。MR-W10は、機能としてはあまり変わらなそうだけど、いくらだったのだろう?


ボディはカキッとした箱型で、スピーカーが大きく、天面にはラジオのダイヤルとバンド切り替えスイッチしかない。小さいラジカセでは天面にこそボタンやスイッチが多いのと対照的。
スピーカーが大きいから前面にスペースが大きく、前に操作部分を集中させたということかな。

後のラジカセでは、スピーカー周辺全体を網や布で覆うデザインも出たが、これはスピーカーのコーン部分だけに明確に網。当時としてはこれが普通でかっこよくもあった。
スピーカーは大きいのと別に、小さいものもある。「ツイーター」という高音部用のスピーカーか。語源はツイッターと同じだ。

左右スピーカーのそばに、横長の金属板がある。左右とも「マイク」と書かれたスリットがある。内蔵マイクである。
当時のラジカセでは、本体だけで周りの音を録音できるのが当たり前で、それ用。左右にあるから、ステレオ録音できる。後の廉価機種では、スピーカーはステレオでも内蔵マイクはモノラルだったり、マイクが省略されるものも。

そのスリットの隣は左右で異なり、左は「電源」ボタン。
後~現在の音響映像機器からすれば当たり前だけど、当時のラジカセで電源ボタンがあるのは珍しいかも。ラジカセというものは、電源ボタンなど意識せずとも、いきなり再生ボタンやラジオスイッチを入れれば、音が出るものが普通だった。小学校で使った時、電源の存在を知らずに操作ボタンを押して動かず、戸惑う先生もいらした。

右は「ミキシングマイク」という穴。これは外部マイクロホンをつなぐ端子。ミニプラグではない大きいプラグ(ヘッドホン端子も)。「マイクミキシング」という回転ツマミもあり、そこで調整してカラオケやナレーションを録音する用途なのだろう。当時でも家庭ではあまり使わなかったかな。拡声器のように、マイクでしゃべった音を同時にスピーカーから鳴らすことはできなさそう。
別に裏面には、左右に分かれたミニプラグの「外部マイク」端子もあり、外付けマイクでより高音質にステレオ録音することもできた。

カセットデッキや操作部。

コンパクトカセットというものは、テープが露出する側を下にするのが正しい向きらしい。しかし、普及型のラジカセでは、上下逆さまにセットするのが圧倒的多数だった。上記の通り、天面にスイッチを置き、それを押しこめばヘッドが下降するというシンプルな構造にするためだったのか。
しかし、MR-W10では、本来の向きにセットし、操作ボタンはその下。ピアノの鍵盤のように押し下げるボタン。

ダブルラジカセでは、左右にテープデッキが並び、片方が再生専用、もう一方が録音再生両用というのが普通で、それぞれ「デッキA」「デッキB」と呼称するものが多かった。
MR-W10はA・Bなど呼称はなく、「再生」「録音/再生」とズバリ表示。
デッキの間には、音の大きさ(再生だけでなくおそらく録音時も)に合わせて、棒グラフ状にLEDが縦に点滅する「レベルメーター」。これは上位機種ならではの装備。
FMステレオ、録音中、電源入、バッテリーの表示もここで行なうが、きれいに日本語表記でそろえている中、「電池」じゃなく「バッテリー」なのがおもしろい。電池で駆動している時に点灯し、消耗すると薄くなるのかな。

各デッキの操作ボタンは、左から(録音・)再生・巻戻し・早送り・停止/イジェクト・一時停止。
テープの入れ方が上下逆であるせいかのか、なじみのある配列と左右反対。(上下逆にセットするサンヨーのおしゃれなテレコでは、ボタンもこれと逆順だった)
停止ボタンとイジェクト(テープ取り出し=フタオープン)ボタンを兼ねるのはごく一般的だったが、当時は特になじみがないであろう「イジェクト」と英語表記しているのもおもしろい。
録音ボタンは、メーカーや機種によっては、再生ボタンも同時に押さないといけないものもあったが、これは1つだけでいい(連動して再生ボタンも下がる)ようだ。フタに「ONE PUSH RECORDING」とあるから。

そして、巻戻し・早送りボタンの上に書いてあるものが、左右のデッキで異なる。【12日補足】これは、再生ボタンを押している状態で、重ねて巻戻し・早送りボタンを押した時に動作する機能を示している。メーカーや機種によっては、同じ操作をすると、再生ボタンが勝手に跳ね上がって解除され、単に巻戻し・早送りになるものもあった。
再生専用のほうは「AMSS」、録再側は「レビュー」と「キュー」。
AMSSはフタとロゴ部分に「AUTOMATIC MUSIC SELECT SYSTEM」とある。これ、おしゃれなテレコにも付いていて、記憶がある。要するに曲の頭出し機構。サンヨー独自のものなんだろうか。
早送り・巻き戻し中に曲間の無音部分を検知して、そこを曲の頭とみなしてそこから再生するもの。おしゃれなテレコでは、デジタルで9曲前または先まで指定して送れたが、それがないMR-W10では1曲ずつだったのだろう。
レビューとキューは「CUE & REVIEW」。これはたいていのラジカセでできた気もする、再生状態で巻き戻し・早送りすると、きゅるきゅると音がして、なんとなくテープの位置が分かるというもののこと。たぶん。


録再デッキの上には3桁の数字と「テープカウンター」。テープの進みに合わせて、000から999までの間で増減して、黒いボタンを押せば「000」にリセットされる。【12日補足】秒に連動するなど精密なものではなく、テープ部分と歯車でつながっていて、その回転に応じて数字の表示板が動くという、アナログなしかけ。
今のCDや録画機器では、何時間何分何秒と具体的に、曲や番組、あるいはディスクのどこを再生しているのかが分かるが、当時のカセットテープではそれがなく、その代わりのアイテム。【12日補足】後の廉価機種では、カウンターを省略するものもあった。
基本的には、録音を始める時に000にして、録音が終わって最初に戻って聞く時に、000を目指して巻き戻すという使い方。多くのメーカーで採用していたと思うが、カウンターが動く速度は統一されていないから、曲の頭出し用途には向かない。
MR-W10は右側だけにカウンターがあるから、やはり再生用ではなく、録音用だったのだろう。


上のツマミ類。右のマイクミキシングは上述。
「音量」はもちろんボリューム。普通は0から10までだろうに、10倍の100までが珍しい。そして、0から60までに「オートラウドネス」とある。これもおしゃれなテレコに付いていた。たしか、低音部や高音部の音も聞き取りやすいように、自動的に(というか半ば強制的に?)調整する機能。
「バランス」は、左右のスピーカーの音の配分調整。後年の廉価機種では省略されているが、今もテレビなどでおなじみ。これは左右とも1から10。
「音質」は数字なしの低から高。バブル期頃には、「グラフィックイコライザー」といって、低音から高音までをいくつかに分け、それぞれの強さを調節できるものがあった(今のテレビでは、低音と高音2つに分けている)が、これは1つ。再生するテープによっては、高にすると「サー」というノイズが気になるんだよね。
この3つは、当時のラジカセでは標準的。

「切替」という、3点スイッチ。
上から「マイク録音」「ラジオ」「ダビング/テープ」とある。これは独特で、小学校の時、電源ボタンとともに戸惑う先生がいらした。
なぜなら、マイク録音が独立したモードになっているから。内蔵マイクで録音する時は上にして、それを確認するため巻き戻して再生する時は、下に切り替えないといけない(さらに録音し直す時は、また上にしないと)。下の位置で録音ボタンを押しても、マイクは働かず無音が記録されてしまう。また、上の位置では、再生ボタンを押してもテープは進むが音は出ないと思われる。

ちなみに、ラジオの電波帯を切り替えるツマミは、天面のダイヤルの横。「FMモノ」「FMステレオ」「AM」の3区分。FMでも強制的にモノラルで聞けるようにしてあるのは、電波状態によって使い分けるためか。
当時は、FMの右側に延長してテレビのVHF1~3チャンネル(もちろん地上波アナログ)の音声を聞ける機種もわりと存在し、これも対応。テレビ音声はモノラル限定かな。昭和最末期になると、別バンドでVHF12チャンネルあるいはUHFまで対応とか、テレビ音声もステレオ・副音声対応、という機種も出ていた。
それから、写っていないが向かって左側面に2段切り替えの小さなスイッチがある。「ビートキャンセルスイッチ」だと思う。AMラジオでは、条件(周波数が近い局がある時など?)によっては雑音が入ることがあり、スイッチを切り替えることで、雑音を少なくできたそうだ。


以上、当時のラジカセとしては必要十分な機能だったと思う。
思いつくもので、MR-W10が装備していないのは、スリープ機能とテープポジション切り替えくらいか。
スリープとは、オフタイマーのことだけど、当時のラジカセは、後年のラジカセのように時計が内蔵されているものではない。オフタイマーを働かせたい時間の長さのテープをセットして、スリープモードにして再生状態にすれば、ラジオが作動し、テープが末端まで来れば停止してラジオも止まるというシロモノ。カセットテープの長さを利用した、ラジオ専用のオフタイマーだったのだ。
テープポジションは、カセットテープの磁性体の違いへの対応。ハイポジションとかメタルポジションとか高音質なテープが数種類したが、機器側での対応が必要で、切り替えスイッチがあった機種も存在した。

ほかには、テープの裏表を入れ替えなくてもいいオートリバースや、倍速ダビングなんかは、一般化するのはバブル期以降頃か。ダビング時に両デッキが同時に動き始めるシンクロダビングもなさそうだけど、それもまだ早かったのか。


このラジカセ、いつの間にか姿を消してしまい、現在はもう見られない。懐かしく貴重なものをありがとうございました。

【9日追記】昔は、特定の家電メーカーの製品だけを売る“町の電気屋さん”が多かったが、それが減って家電量販店が増えつつあったのが、バブル前後。
サンヨーを扱う町の電気店というのはほとんどなかったはずで、総合スーパーや家電量販店が勢力を拡大するとともに、知名度やシェアを増したメーカーだと思う。もちろん、おしゃれなテレコなどサンヨー自身の製品開発の努力もあっただろうけど。
また、当時の秋田市立学校で購入する電化製品・音響機器は、松下電器(ブランド名ナショナル、現・パナソニック)か日本ビクター(現・JVCケンウッド。当時は松下系列)がほとんどで、東芝や日立でさえ、まず購入されなかったと思う。それなのに、わざわざMR-W10を選んだのが興味深い。他社で代替製品がなかったのだろうか。
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郵便局のこいのぼり 他

2018-05-06 14:07:24 | 秋田の季節・風景
端午の節句に欠かせないアイテムの1つ、こいのぼり。最近は子どもの数も、広い土地の家も少なくなって、昔ほど見ることはなくなってしまった。
ところで、秋田市保戸野、新国道という名の県道56号線に面する、秋田中央郵便局。
北側から

南側から
新国道に面した3階建ての建物の屋上に、風になびくものがある?!

建物中央部に2本
そう。こいのぼりが2組、揚げられている。
元から建物に付随している掲揚塔を使って揚げているようだ。位置的に郵便局前の歩道からでは、見上げても見られない。少し離れたほうが見える。
2組は別のこいのぼり
2組は別のこいのぼり。正面から向かって左は吹き流し(上の写真では絡まっていて見えない)と黒、赤、青。右は吹き流しなしで3匹とも黒く、(写真では見えないが)てっぺんの大きいのは顔の前に赤文字で「祝」とある。

そういえば、昨年以前も揚がっていた気がするけれど、どうして郵便局でこいのぼりを揚げるんだろう。局長の自宅を兼ねた特定郵便局なら、子どもがいて…ということがあり得るだろうけど、ここは中央郵便局。同居するかんぽ生命保険秋田支店【6日訂正・同支店は昨秋、竿燈大通り沿いのビルへ移転していました】の学資保険の宣伝とか?

調べると、盛岡中央郵便局では、屋上から下の駐車場へ数本の紐(ワイヤー?)を渡して、何十匹ものこいのぼりを揚げている(今年やったかは不明)。隣の県の中央郵便局として、秋田でも小規模にマネしたんだろうか。


郵便局の建物は、裏側の棟のほうが背が高く、郵便局裏手・ほどの保育園側からも見えない。したがって、イベントなどで交流がある、保育園のためにこいのぼりを揚げたというわけではなさそう。
その、ほどの保育園(秋田市保戸野保育所を民間移管)が、同じ場所で改築(解体・新築)されていることを、以前紹介した
(再掲)解体前の旧園舎。左が郵便局の裏側の棟
今春、新しい園舎が完成したようだ。既に仮園舎も撤去されている。
わりと落ち着いた色合い
以前は道路の角まで敷地いっぱいに園庭だったのが、現在は道路に沿って駐車スペースが造られた。建物は以前より2階部分が増えた感じ。2階を増やして土地を捻出し、駐車場を新設したということかな。
道路形状の都合上、やや窮屈な正面(この奥が郵便局の裏)
ここの運営法人は、箱文字で名称を表示するのがお好きなようで、旧園舎と同じ(市から譲受後に設置していた)ような「ほどの保育園」の箱文字は、白地に銀色文字で目立たない。

ところで、2つ上のくもり空の写真は5月4日、1つ上の青空は5日の撮影。ちょっとした違いにお気づきだろうか。
やはり保育園だけに、園庭にこいのぼりが揚げられているけれど、そこ。
4日の写真では、吹き流しと真鯉の2本なのに、5日には吹き流しだけになっている。
4日
4日に見た時にも、物足りないこいのぼりだなと思っていたのだけど…

4日は風が強かった。それに連休中は園もお休みだろうから、連休前から揚げっ放しっぽい。ということは、飛ばされた?
園舎正面を見ると…
左側のスロープの手すりに!
手すりに3匹のこいのぼりが絡んでいた。飛ばされたのを見つけた近所の人などが、回収してくれたのかな。
【2019年5月6日追記】翌2019年は、天皇即位に伴う10連休。郵便局では変わらずこいのぼりが上がったが、保育園では少なくとも連休中は上げなかった。前年の反省と長い連休への対応なのでしょう。


もう1つ。
中央郵便局(建物本体)とほどの保育園の間には、独立して塀で囲われた土地があって小さい建物があった。郵便局の診療所的存在のものだった。その敷地で竿燈の練習もしていた。
それが、解体された。
右がほどの保育園、奥があきぎん体育館の裏面


「日本郵便株式会社 東北郵政健康管理センター 秋田分室」という名称だったらしい。
門柱の表札は撤去されてしまったので、秋田分室自体がどこかへ移転または廃止ということだろうか。恒例ながら跡地はどうなるか。
【追記】12月27日時点では、更地になって柵で囲まれ、郵便会社管理地の看板が立っている。2019年5月初めまでには、郵便局の駐車場となったようで、アスファルト舗装されて枠線が引かれ、赤いワゴン車が並んでいた。門柱などは残存。


さらについでに新国道を北へ進んだ、八橋鯲沼町のカーディーラーと金融機関などの複合施設「日産ラ・カージュ(正式名称・秋田日産コンプレックス)」。昨年後半に部分的に解体されていた。それも春までにひと段落ついた模様。
再掲)解体前

現状
交差点角の北都銀行があった部分は、アスファルト舗装された。駐車場っぽい雰囲気【下記追記参照】。
その角を介してつながっていた、南から西(裏)のオフィス部分と秋田新国道郵便局は完全に別棟に分離された。
右の郵便局は独立。日除けか目隠しか白い仕切りが設置された
【7月19日追記】白い仕切りは、新国道から見て奥側を囲うように設置されており、分断されて別棟になった側(駐車場を含む)との行き来はできなくなった。郵便局には新国道側からしかアクセスできなくなったことになる。
【2019年1月5日追記】北都銀行解体後舗装された部分は、駐車場でなく中古車の展示場になっていた。
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桜町と八丁の桜

2018-05-02 00:18:45 | 秋田の季節・風景
散ってしまうのが惜しいので、桜の話題をもう1回。秋田市中央部・保戸野地区のソメイヨシノ以外の桜。
以前にも取り上げたように、ソメイヨシノより少し遅れて、川沿いや小高い丘の斜面などで、真っ白い桜が咲く。品種名は分からないし、全部が同じでもなさそうだけど、これらも美しい。
先週末。秋田工業高校・秋田北高近くの旭川沿い(対岸奥にはソメイヨシノ)
奥の太平山はPM2.5のせいか、霞んでいる。雪はほとんど消えた。
この白い桜は、今は散ってしまったかもしれない。
【6月7日追記】↑この桜には、5月下旬頃になると、小さくて赤黒い果実がたくさん実っていた。
※この桜は紅葉がとても遅い。2019年の状況はこの記事最後にて。
【2020年4月23日追記】2020年のこの桜は、ソメイヨシノ満開終盤の頃に、既に咲いていた。同時期に千秋公園斜面などの白い桜は咲き始め程度だったので、この桜は他の白桜より早めに開花するようだ。また、保戸野鉄砲町街区公園(通称みどり町公園)には、ソメイヨシノがないが、これと似た早めに咲く白桜が6本ある。


奥羽本線沿い、泉地区寄りが保戸野桜町(ほどのさくらまち)。
1966年にできた町名で、それ以前は泉だった。「桜町」の由来は「角川地名大辞典」によれば桜並木があるからだそうだけど、現在桜町にある桜並木といえば、天徳寺地下道の取り付け道路だけのはず。そこを指すのだろうか?
並木とは言えないけれど、保戸野桜町の桜はほかにもあって、
保戸野桜町街区公園
セブン-イレブンの裏手に、いわゆる児童公園があって、桜が複数種・複数本多く植えられている。
今はソメイヨシノは終わって、淡いシダレザクラや濃淡の八重桜が見頃。
「桜町」にちなんで、いろんな桜を楽しめるようにという、配慮なんだろうか。
園内の通路などの整備が昨年度辺りに実施された
でも、木は小さめだし、若干まばらだし、物足りないような気もしなくもない。


セブン-イレブン前の道路を渡ると、保戸野八丁。その細い道へ入ってすぐのところにも、別の公園「保戸野八丁街区公園」がある。保戸野地区は、街区公園の配置に相当な偏りがある。
桜町より若干広い?
桜に関しては、八丁街区公園のほうが見応えありそう。
たくさんあってきれい。「角館の枝垂桜」という表示がある
同タイプの形のいいシダレザクラが、外周を囲むように植えられている。まだ散ってはおらず、いい感じで、この下で花見ができそう(一角はゴミ集積場ですが)。

実は2011年の記事で、ここを紹介している。
(再掲)上と同じ位置
7年前と今年で、木の枝ぶりはほぼ同じなのに、花の色がかなり違う。
2011年の写真は、左後方に1本だけソメイヨシノらしき桜が咲いていて、その色と比べると濃いピンク。
現在は、ソメイヨシノは散っているわけだから、2011年よりは遅い段階と考えられる。ということは、このシダレザクラは、花色が淡くなってから、散るということなのだろうか。弘前のシダレザクラも、もしかしたら同様なのかもしれないけれど、シダレザクラをそこまで注目したことがなかった。

一般社団法人田沢湖・角館観光協会によれば、5月1日現在、角館の武家屋敷のシダレザクラは「花吹雪」。
角館は秋田市よりは遅いはずなのに、八丁の同じシダレザクラがまだ散っていないというのも、よく分からない(風が吹けば落ちちゃうのかも)。

そんなことはともかく、淡くなったといってもソメイヨシノ並みの色合いで、充分見られる。
連休後半でも、ギリギリ大丈夫では? 天候次第か?
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