広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

AEON再設置/木内週3休

2017-12-29 00:10:57 | 秋田の季節・風景
つい先日(リンク先中ほど)、秋田駅前の秋田オーパの屋上に、「AEON」の看板が取ってつけたように設置されたことを取り上げた。
(再掲)

ところが、12月25日。
ん?

AEONがない!?

AEONの表示がなくなっており、その跡と左右にかけて、足場か仮の囲いのようなものが組まれていた。
表示は12月15日頃までは確実にあった。設置して1か月経つか経たないかのうちに、なくなってしまうとは?
25日頃は、秋田市では年に何度かある、強い風が吹いていた。まさか風で飛ばされた?
いや、設置間もないのだし、それはないのでは。仮に風で飛んだのなら、風向からすれば下の道路に落下する可能性が高いが、それならニュースになるだろうに、聞いていないし。

この後、たしか27日までは、同じような状態だった。風は収まり、いつもの冬並みに雪が積もった。
28日には、
再設置!
再び「AEON」が設置されていた。

ただし、以前とは少し違う。
まず、設置位置が、以前は中央のやや右寄りと、なんか中途半端だったのが、右端になった。
(再掲)以前の表示

現在
また、看板自体なのか、ロゴ部分なのか、どちらかの左右の幅が、以前より少し短く(狭く)なった。ロゴと余白のバランスが違って見える。

何の目的があったのか、よく分からない移設だった。
考えつくのは、この左側にほかの看板類を追加設置する予定だとか、でなければ最初に設置した表示に何らかの問題があったとかだろうか。



広小路を西へ進んで、元百貨店・現衣料品店「木内(きのうち)」。
2015年末辺りから、木曜日に加えて水曜日も定休日としていた。
現在の掲示
左は、12月26日から1月1日まで休むという掲示。
2015年末は12月28日からの5連休だったのが、今回は7連休。

そして、右。コメントでも教えていただいていたが、
2018年定休日 水木日
「2018年定休日」とあるからには、来年1月以降ということなんだろうか、水木に加えて日曜日も定休日とするとのこと。

まあ、現状では別に驚かない。3連休じゃないのが意外、と言っては失礼か。
高齢女性が主な客層の店だから、平日のほうがバスの便が良かったり、通院や所要のついでに来たり、家に家族がいなかったりして、来店しやすく、日曜はかえって来店客が少ないのかもしれない。
一方、水曜日も定休日になったことには、ちょっと不便になったと言っている人もいるそうだ。

ただ、このままでは、木内さんは最終的にどうなってしまうのか、もっと別の活用方法もあるのではないか、など考えさせられてしまう。
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泉中体育館リニューアル

2017-12-27 00:00:03 | 秋田の季節・風景
今年8月前半、秋田市立泉中学校の体育館の前を通ると…
工事中
校舎(この記事に写真あり)とともに1981年の開校時から使われ続けてきた体育館。
外壁の色あいは、校舎とは似ているようで同じではないが、秋田市立学校としてはありがちな配色(校舎のほうが秋田市では珍しい配色)。
屋根は当時としては一般的な切妻屋根。雪が積もると下は危険

この時の体育館は、
中がスカスカ?
工事で足場が組まれつつあるだけでなく、窓や一部の壁が取り払われていた。
2015年8月撮影Googleストリートビューより着工前の姿
工事看板は、道路から離れた校舎壁沿いにあって読みづらいが、なんとか解読すると「大規模改造」が行われるようだ。
ストリートビューで分かるように、屋根がサビていたりしたから、手を入れるのだろう。
でも、大規模改造といっても、まるで解体でもしそうな工事方法のようにも見えた。

やがて、8月末には、
写真は9月初め
全面が足場と網で覆われてしまったが、以前よりもさらにスカスカした。
角度を変えると、
空が見える!
壁を全部取り払い、屋根も全部はがしてしまっていた。
この段階では、骨組みと基礎部分だけが残る状態。体育館の中には、重機が入っていた。
別の日。別の重機がいた
骨組みだけの状態がしばらく続いた。
11月初めには、
屋根が付いて
11月下旬には、
壁も付いた

そして、12月下旬頃。
新しい屋根や壁が姿を現した!!


骨組みを活用しながら、それ以外は全面的に更新したということのようだ。こういう手法を住居で行なう場合は「スケルトンリフォーム」と呼ぶそうだが、体育館でもそう呼ぶのだろうか。

外観の色はオフホワイト(?)とグレー系になって、イメージが変わった。校舎とはさらに統一感がなくなったが、隣接する道場(?)とは統一感が出た。
一方、建物のシルエットは骨組みが同じだから当然として、窓の配置まで以前とそっくり。
以前のデザインにとらわれずに、まったく違うものにすることもできそうなのに、そうはならなかった。
工事したことを知らない、以前の体育館を知る人を連れてきても、単に外壁や屋根の塗替えをしただけだと思ってしまうかもしれない。(内部は、大きく変わっているかもしれない。)

ここまで大規模に改修するってのは、骨組みも含めて全部解体して建て直すのと比べて、工期や工費にどのくらいの差があるのか分からないけれど、それなりに節約にはなるのでしょう。別の場所に建て直すにしてもその土地がないだろうし、授業や行事への影響も考えると。
屋根の形状は変わらないから、落雪の危険は引き続き残る。

工事看板によれば工期は2月頃までとなっているので、内装などはまだ終わっておらず、卒業式前に完成といった段取りか。
今年度、泉中学校以外のいくつかの秋田市立学校でも、体育館の大規模改造工事が行われているので、同じような光景がほかでも見られることだろう。


ところで、冒頭の窓が撤去された状態の時、体育館の中にあったものが外へ運び出されていた。
こんなものも
ステージの横辺りに掲出されていたであろう、「秋田市記念市民歌(関連記事)」の歌詞。リニューアル後の体育館では、どうなっているだろうか。
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懸賞応募は年賀扱いで節約?

2017-12-26 00:13:44 | その他もろもろ
みみっちい、ケチな話です。
今年6月、はがきの郵便料金が52円から62円に値上がりした。
消費税率改定にともなう端数の値上げを除く、10円単位の値上げとしては、1981年の40円、1994年の50円にそれぞれ値上がりして以来。
僕が物心ついて「はがき料金」を認識したのは40円から。菜の花とモンシロチョウの40円切手も覚えている。

今回の値上げで特徴的なのは、年賀はがき(とりあえず2018年分は)に限って、52円に据え置くこと。
年賀状の期間は、同じはがきなのに2つの料金が共存することになる。1966年までもそうだったらしいが、ここ数十年ではなかったことだ。
しかも「年賀はがき」の定義を誤解している一般人も少なくないようで、それなりに混乱が生じるかもしれない。
ちなみに、ここ数十年の10円単位の値上げは、年賀扱い終了後の1月下旬に実施したことが複数回ある。そうした混乱を防ぐ意図があったのかもしれない。


基本的なことで問題となるのは、52円の対象となる「はがきの種類」と「適用される期間」。
これは、昨年までの「年賀郵便扱い」と同じことなのだが、それ自体を知らない人も少なくない。

日本郵便のホームページには「年賀はがきについては、12月15日から翌年1月7日までの間に限り、これまでと同様に52円で差し出すことができます。」。はがきの種類は「日本郵便が発行する年賀はがき」と「私製の年賀はがき」、適用期間は「1月8日の最初の取り集めまでに郵便ポストに投函されたもの」とある。

「日本郵便が発行する年賀はがき」とは、いわゆるお年玉付き年賀はがきのこと。
中には、52円の対象となるのはお年玉付きだけだと思っている人もいるが、そうではなく、宛名面にはっきりと赤文字で「年賀」と記入すれば、通常のはがきでも、あるいは厚紙に切手を貼ったような私製はがきでも、対象となる。
※私製はがきでは、紙のサイズや「郵便はがき」の文字を入れるといった決まりもあるので、作成時は各自確認してください。
ちなみに、お年玉くじをケチったちびまる子が、「年賀」と記入せずに通常はがきで年賀状を投函して、年内に配達されてしまい、丸尾君に指摘される話があった。

期間については、ポスト(投函口2口タイプ)や郵便局窓口で「年賀郵便」として分けて集めている間。
ただ、僕は今まで、1月7日の最後の収集回まで、つまりポストから集めて郵便局で1月7日23時59分までに処理が始まる分までが対象だと思っていた。
しかし、実際には、その1回後、1月8日の最初の収集が期限だそう。
ポストの「年賀郵便(はこっちに投函)」のシールをはがすのが、1月8日の初回収集だということなのか。
2018年は1月8日が祝日だからポスト収集回数が少なく、昼以降が初回収集となるポストもあるだろう。ちょっとだけ猶予が伸びる。

以上で、普通に年賀状を出す人が抱くであろう、基本的疑問は解消されたはず。だけど、もうちょっと突き詰める。


余ったお年玉付き年賀はがきの使いみちの定番は、(お年玉の当選確認後)懸賞応募用。
通常はがきに交換するには手数料がかかるから、そのまま使う。過年の年賀はがきであっても、料金を満たしていれば(不足分の切手を足せば)、通常はがきと同じく使える。(懸賞で余りものの年賀はがきを使うと当たらないなんて噂もあるけれど、それは受け取った側・懸賞元の問題なので、別の話)
2018年の年賀はがきでも、1月8日以降も10円足せば問題なく使える。


さてさて、さらにここからが、ケチな本題。
この制度を利用(?)すれば、本来の意味での「年賀状」ではないはがきでも、期間中なら「年賀」と朱書きすれば52円で出せるのではないかという、ケチな疑問が思い浮かんだ。
具体的には、懸賞の応募とか、書籍の読者アンケートとか、ダイレクトメールとか、あまりにもケチすぎるけれど旅先からの絵葉書や、各種あいさつ状、出すべきではないけれど不幸の手紙や脅迫状などなど。

仮に可能だとしても注意点がある。年内に投函したものは1月1日以降の配達になり、年明けに投函したものでも、通常扱いよりは配達がやや遅れる可能性があるといった、制約が生じることを踏まえておかないといけない。
懸賞応募なら、「12月31日必着」には使えないし、消印が押されない場合もあるので「12月31日消印有効」みたいな懸賞には使わないほうが無難だけど、1月末締め切りなどなら使えそう。いや、使えると思う。


ツイッターで調べてみると、多少、話題になっていた。
おひとり、雑誌か何かのアンケートはがき(料金差出人負担)に、「年賀」と朱書きして郵便局窓口へ持っていき、52円を支払って証紙(赤印字の切手代わりのシール)を貼ってもらったという投稿が、写真入りでアップされていた。
郵便局へ問い合わせて、問題なしと回答をもらったとの投稿もあった。
やっぱり大丈夫?

ところが、一方で、年賀はがき(しかも2018年用お年玉付きらしい)で懸賞に投函したら、「料金不足」として返送されたという投稿が複数あった。
しかも、「年賀の挨拶に関係ないので普通郵便扱いにする」と理由づけられて差し戻されたという声も。これはおかしい。

まず、(大きな組織ではままあることだが)郵便局や担当者によって見解や対応が違うというのはいただけない。問い合わせ窓口へ電話したら、担当者によって可能という返答とダメという返答がされたという投稿もあった。
しかも、上記の通り、日本郵便のサイトには、52円の対象となるはがきの条件に、年賀のあいさつをしないと認めないなどとはひとことも書いていない。書いていないことを口実にする(客に対して最初の時点では提示していないことを、突き返す時だけ後出しで持ち出す)のは、それだけで言っている側に不利なのに。
通常扱いにおいて、懸賞用とそれ以外用を区別していないのに、年賀扱いの時だけ区別するというのならば、なかなか強引な話ではないか。

それ以上に問題だと思うのは、日本郵便側が「年賀の挨拶に関係ないので普通郵便扱いにする」としたこと。そういう見解を出したということは、日本郵便側が、その人のはがきの文面を見たということになる。
文面が隠されていないはがきであっても、「信書」に該当するはず。年賀状だって懸賞応募だって、信書。
郵便物を扱う側が、信書を見たり読んだりすることは、検閲禁止とか信書の秘密の点から、日本国憲法や郵便法か何かに抵触するのではないだろうか。

屁理屈だけど、「年賀の挨拶に関係ないので」と理由づけて62円を取る郵便局では、不幸の手紙や脅迫状を年賀扱いで投函した人にも、10円を請求するのか。
あるいは、年賀状で宛名だけ書いて、本文を(印刷時のトラブルと確認不足で)白紙で送ってしまうという、そそっかしい人がまれにいるけれど、その人も「年賀の挨拶」はしていないから、やはり請求されるのだろうか。

一方、懸賞応募でも、片隅に「あけましておめでとうございます」とでも書けば、懸賞応募と同時に「年賀の挨拶」をしているのだから、文句はつけられないだろう。この手はいいかも。(受け取った懸賞元の心証も良くなって、当ててもらえるかもね。)

以上、懸賞応募など年賀状以外の目的のはがきでも、条件(表示と期間)を満たせば年賀はがき扱いとなり、52円で送ることが可能だと考える。【27日追記】言い換えれば、懸賞応募だから年賀でないとする根拠が見当たらないし、仮にそうするにしてもその判断を行なうには、憲法や法律に反すると考えられる。
※保証はしませんので、実行するなら自己責任で。



ところで、日本郵便のホームページでは、52円の年賀はがきは、(当該料金を追加しても)速達や書留扱いにはできないとある。【26日追記】これは値上げ以前から同様の扱いだったのかもしれない。年賀郵便の配達方法と速達は相反するから。
往復はがきではどうなるのか不明。そもそも「往復年賀はがき」ってあり得るのか?【27日追記】往復はがきの年賀扱いはできない。末尾の追記参照。
2019年以降の年賀はがきはどうなるのかは、まだ分からないようだ。消費税率10%化も控えているから、2020年には必ず値上がりするだろうけれど。

2018年の年賀はがき料金を据え置いたのは、年賀郵便では採算が取れているという理由だったはず。
そんな中、今回も(過去の記事)、寒い街角で郵便局社員が年賀はがきを出張販売しているし、相変わらず社員に販売ノルマもあるようだ(自爆営業はどうなのかな)。【26日追記】そんな苦労が功を奏しての据え置きなのか、無意味な努力なのかは分からない。
しかも今年は、宅配便他社の値上げで日本郵便の扱い量が増えて大変だそう。
そのてんやわんやの余波か、期日指定されたV6ファンクラブの会報を期日前に配達してしまって、メンバーの結婚がフライングで発覚してしまった。「とくダネ!」で小倉さんが言っていたそうだけど、年賀郵便のコミュニケーションパートナー(CMキャラクター)は同じジャニーズの嵐ってのが、皮肉。

出すほうとしては、安いのはありがたいけれど、年に1度の正月の@10円くらいなら…という気もしなくもないし、販売や営業のやり方を工夫すれば、効率化できそうな気もしなくもない。


【27日追記】
郵便の決まりをまとめた「内国郵便約款」なるものが存在した。
その第13節で「年賀特別郵便」について定めている。以下、抜粋。
第146条
2 年賀特別郵便の取扱いは、次に掲げる郵便物につき、これをします。
(1) 第一種郵便物(郵便書簡及び料金表に規定する定形郵便物に限ります。)
(2) 通常葉書
(3) 点字郵便物(料金表に定める定形郵便物の大きさ、形状及び重量に準ずるものに限ります。)
なるほど。話がそれるが「第一種郵便物」、つまり封筒でも、年賀扱いにできるのか。だから、封書料金分の年賀切手も発売されているのか。
今回の問題は「(2) 通常葉書」。第3節に戻ると、
第20条 郵便葉書は、第二種郵便物とし、通常葉書及び往復葉書とします。
つまり、郵便はがきには、通常と往復の2つが存在し、うち通常はがきだけを年賀扱いにできる。

したがって、上記で疑問を持った、「往復年賀はがき」はあり得ないことになる。
そして、懸賞だとか検閲だとかはまったく関係なく、通常はがきとしての条件を満たすものであれば(そして差出人が希望して、表示や期間の決まりに従えば)、他の制限なく年賀はがきとして取り扱うことができる(取り扱わなければならない。扱いを断ることはできない)ことになる。この約款を踏まえても、今回は「(私製を含めて)年賀はがきを52円で差し出せる」ということしか客には示されていないのだから、懸賞用であっても52円で出せないとおかしい。

【30日追記】
一般人、中には日本郵便社員でも、「“2018年用の年賀はがき”でないと52円にならない」、すなわち今年(前回)以前のお年玉付き年賀はがきの余りを使う時は、不足分を足して62円にしないといけないと解釈する人もいるようだ。
その理屈ならば、何年用と決まっていない私製はがきや、52円当時の普通はがきの余りはどうなるのか。社員がそう言うのだとすれば、どこをどう解釈すればそういうことになるのか、理解できない。

【2018年1月5日追記】
年明けに、昨2017年の年賀はがきの余りを使って懸賞に応募した(「年賀」表示等は消しも付け足しもせず本来のまま。文面には祝詞等を書かず)ところ、戻されなかったので、我らが秋田中央郵便局は正当に処理してくれた模様。

【2018年1月7日追記】
1月6日、香川県の高松中央郵便局が、年賀扱いで投函された、懸賞応募など年賀状以外の内容のはがきを料金不足とし、受取人に不足分の10円を請求していたことが分かり、返還に応じる旨を発表した。
投函されたものを引き受けた郵便局は正当に処理しても、それを届ける高松中央局が間違った解釈で余計なことをしたことになる。

7日アップの読売新聞サイトによれば、
「誤請求の件数は調査中だが、数十件はある」「他の郵便局でも同様の運用がされている可能性があり、日本郵便は4日、年賀はがきは全て52円で取り扱うよう全国の郵便局へ通知した。」
とのこと。
「高松中央郵便局では「年賀目的でないものは通常はがきとみなす」と誤って解釈。仕分け担当者が文面を見て追加請求の対象を選別していた」とあるが、文面を見たこと自体を問題視する記述はない。

【2018年2月24日追記】
2019年の年賀はがきは62円とすることが決まった。
52円に据え置いた2018年も、販売数は減少(前年比5.6%減の26億5306万枚)し、分かりにくいとの批判も多かったという。2019年は枚数は減るものの20億円の増収を見こむ。
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ひっそりと移転

2017-12-24 23:50:07 | 秋田の地理
秋田市中央部、歓楽街・川反(かわばた)の中にある秋田中央警察署大町交番が新築移転することになっていた。大町三丁目1番7号から大町五丁目3番37号へ移転。電話番号は変わらず。
数百メートル離れた、大町通り(赤れんが館通り)の第一会館本館とファミリーの間の向かいに6月頃から着工し、徐々に建物ができていた。
12月上旬。右の電柱のところ

見かけ上はほぼ完成

12月中旬には、今までの交番前の赤い看板(関連記事)が撤去され、新しいほうに設置(同じものを移設したのかは不明)されていた。建物の中では、古いほうも新しいほうも照明が点灯。
じゃあ、そのタイミングで、もう移転していたのかと思ったけれど、新しいほうはまだ柵が置かれていて工事中。今までのほうで、まだ業務中の模様。分かりにくい状態。
赤○の所「交番」の看板がなくなっているが営業中。建物の裏はすぐ旭川

先週、12月19日では、古いほうに明かりが点いていたから、移転はまだなのかなと思っていた。

この週末、古いほうの前を通ると、
なんか寂しげなような…
昼間だから中の照明も分かりづらいけれど暗そうで、ひと気もなさそうだから、ついに移転した?
だけど、指名手配のポスターが貼ってあるから、まだ移転してない?

よく見ると、左の掲示板とドアに、小さい紙が出ている。
「大町交番新築に伴い、移転しました」
「移転予定日 平成29年12月18日」とある。「移転しました」と過去形なのに、「移転予定日」なのが一致していないが、とにかく移転してしまっていたのだった。
19日は後片付けでもしていたのだろうか。開所式みたいなのはやらないのだろうか【記事末尾の追記参照】。
旧交番の外側には、不在時に使えというインターホンや、「通報ボタン」という玄関チャイムのようなもの(玄関チャイムは別にある)も残っていた。以前なら中央署へつながっていたのだろうが、ここが交番ではなくなった今、これは機能するのだろうか?

なんか唐突というか、ひっそりと夜逃げするように移転したと思えてならない。
まず、交番というものは、地域住民や地域への来訪者にその存在を知らしめてこそ交番である。住民としては、何かあった時のため「日頃から所在地を知っておくべき施設」の1つが交番であろう。「場所を知られていない交番」「ひっそりと場所を変える交番」ではおかしい。
しかし、現時点では、少なくとも管轄内の一般家庭や企業には、大町交番が移転することは告知されていない。
大町交番では広報紙(パソコン作成)を発行しており、管轄地域内の町内会の掲示や回覧、あるいは警察官の戸別訪問時の配布により見ることができる。移転が決まってからも何号か出ており、目を通しているつもりだけど、そこに「間もなく移転します」といった告知は出ていなかった。管内在住でも知らない人が多そうだ。

近年の秋田県警では、移転を伴う交番の改築が多いが、ほかでも同じような対応なのだとしたら、問題だ。
犯罪に巻きこまれそうな人が「あそこに交番があるから、行けば助けてもらえる」と駆けこんだら、移転してもぬけの殻だったとか、犯罪者が意を決して自首しようと出頭したのに、移転してもぬけの殻だったとか、そんなことが起こらないとは言えない。(移転していなくても、無人のタイミングもあるけれどね。)
秋田県警全体として、告知・周知の仕方を改善するべきだ。


次に、今回掲示された告知が分かりにくい上に、訪問者にとって不親切。そもそも、紙のサイズが小さいし、地図の向きとか内容もおかしいと思うけれど、それ以外にも。
まず、地図もいいけれど、地元の人に対してなら「第一会館本館向かいに移転しました」と文字を示せば、大方が短時間で理解できるだろう。(第一会館川反店と間違う人もいそうだけど)

あと、旧交番から新交番へは、道のりで500メートルほど。一方、秋田中央警察署へは、反対方向に350メートル。
しかも、交番でできる手続きや相談は、すべて警察署でも対応してもらえるだろう。警察官が不在ってこともないだろうし。
だったら無理に移転先へ誘導せず、より近い中央署に行ってもらえばいい。
「秋田中央警察署にもどうぞ」と掲示するべきではないだろうか。徒歩で訪れる人には、150メートルの差は小さくない。まして新交番へ行ったのに不在だったら…
なお、地図にはファミリーマートは掲載されているのに、第一会館は載っていないし、中央署は範囲外。道案内も行なう交番が作った地図にしては、ちょっと…
それと、県警のホームページでは、移転前の所在地のまま。Googleで検索すると、ちゃんと新しい所在地が表示される。

いつも、どこに対しても同じような文句を付けてしまって恐縮だけど、もっと見る人の立場になった、分かりやすい案内ができるのに。しかもそれは難しかったり費用がかかったりすることではないのに。もう少しご配慮を。【25日・県警へ要望はしておいたので、なんとかしてくれることでしょう。】
とりあえず、大町交番管内にお住まいやお勤めのみなさん、川反を訪れるみなさんは、大町交番が移転したことを頭の片隅に置いておきましょう。


ところで、旧大町交番から竿燈大通りに出るところ。
「止まれ/STOP」!
「止まれ」の文字がやや上へ移動し、下に「STOP」が書き加えられた、インバウンド対応の新しい標識に替わっていた。
初めて見たから最近交換されたのかと調べたら、今年7月(全国的に同時期から)から順次設置されているようだ。秋田県内では、今年度中に約70か所に設置されるとのこと。


【2018年1月21日追記】移転先の交番は、建物が駐車スペース分引っこんでいるため、通り沿いに歩いてくる人には、存在がとても分かりにくい。看板も全部は見えない。夜間は看板上の赤色灯が点灯するはずだけど。
また、通りの駐車や客待ちの代行車は、減っているようには感じられない。以上、総合的に見て存在感が薄い交番である。

【2018年1月24日追記】1月24日付秋田魁新報 秋田市地域面で「大町交番開所式安全安心へ誓い 秋田中央署」として報道。
1月22日に22人が出席して開所式を行ったとのこと。旧交番は1979年11月開所。新交番は約600平方メートルの敷地に木造一部2階建て約224平方メートル、土地取得費も含めた総事業費約1億1500万円。所属する職員は所長を含めて11人。

旧交番のその後について
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追加された表示3つ

2017-12-22 00:42:25 | 秋田の季節・風景
追加された表示について3つ。

秋田駅西口側の通路に設置された、大型ディスプレイ。
9月中頃に置かれてしばらく放置状態だったのが、11月に入って映像が映し出され、11月中頃には外観が木に変わるという変化をとげてきた(直近の記事)。
これ以上、変化はないかと思っていたら、11月末~12月始め辺りに、
上と下に!
木の部分に表示が加えられた。
画面上には「Akita City Vision」、下には秋田魁新報と秋田ケーブルテレビ(CNA)の名。
側面には、「「Akita City Vision」の問い合わせ先」として「株式会社さきがけデジタル」の電話番号のシールも貼られた。

12月6日付秋田魁新報 秋田市地域面に「秋田駅ぽぽろーど デジタルサイネージ設置 秋田魁新報社と秋田ケーブルテレビ」という記事があり、これのことが紹介されていた。
魁とCNAの「共同企業体」が設置した「デジタルサイネージ(電子看板)」だそうで、「70インチの大型モニター」「放映時間は午前6時から午前0時まで」。
「1日から運用が始まり」とある。11月中は試験運用だったってことか。
「秋田魁新報社が関わる電子看板の設置は県内8カ所目」だそう。

秋田市役所新庁舎の吹き抜け「市民の座」には9分割のもっと大きい画面があり、それにも同じ「Akita City Vision」とある。
2か月ちょっとかけて、少しずつ変化して、やっとこれで落ち着くでしょうか。
【12月31日追記】12月30日付秋田魁新報に、さきがけデジタルの年末のあいさつ広告が掲載。それにはAkita City Visionが「平成30年4月本格稼働」とあった。春にはさらにパワーアップするということ?!


10月末にフォーラスから名前を変えてオープンした秋田オーパ(前回の記事)。

メインターゲットでない者としては、中はきれいにはなったけれど、それだけみたいな気がしなくもない。
踊り場にあるトイレのうち男性用は、ジャスコ当時からそのままでないかと思われるものだったのが、時代相応のものになった。ただし、以前はずらりと並んでいた(10台程度?)小便器の数が2つに減り、面積もぐっと狭く(減らされた分は機械室とか何か?)なって、少々きゅうくつ。しかも、以前はトイレがあったはずの踊り場で、トイレ自体が廃止されたところもあるようで、数としてはかなり減った。
一方、エスカレーターなどは以前のものを使い続けている(つまりジャスコ時代から?)らしく、それなりに以前の面影も残っている。
メインの若いお客さんたちが、新しくきれいになってよかったと感じて利用すれば、それで充分だけど。

11月下旬頃だろうか、建物外観に新たな表示が追加された。
エレベーターの上の4面の「OPA」の看板とは別に、少し低い建物本体のてっぺんに、正面向きで「AEON」のロゴができた。

写真はないのだけど、工事の囲いが取れて少ししてから、これが設置されるまでの間、8階の窓のところに、この看板よりはやや小さく白と赤が反転した「AEON」のロゴが掲出されていた。
取ってつけたようで、ずっとそのままなんだろうかと思っていたけれど、これが設置されるまでのつなぎだったようだ。

運営側としては「私たちはイオンです」ということなんだろう。
だけど、消費者としては、やっぱり取ってつけたような「AEON」。フォーラス時代だってイオングループだったのになかったし。
地域や世代によって違うだろうけれど、一般的に「イオン」といえば、イオンモールや総合スーパーを連想する。だからオーパもイオン系列だと頭では分かっていても、戸惑う。
しかも、企業グループ名も、モールも総合スーパーも同じ「イオン」なのもややこしいし、マックスバリュに「AEON」と看板があるのを見て混乱していた人もいた。なんでもかんでも表示すればいいってものでもないのでは…【22日補足・ホームセンターサンデーでは折込チラシにはAEONロゴがあるが、店舗外観の表示はないはず】
秋田オーパだって、初めて見た人は、この中にイオンのスーパーが入っているのだと勘違いしてしまうかもしれない。

この直後に、AEON看板に変化が。

話がそれますが、
エレベーターの右隣
OPAリニューアル時から、エレベーターの右が垂れ幕設置スペースになった。
以前は、他の部分と同じく、格子状になっていた部分。
そこがオープン直前には、
開いていた!
ここがドアになっているのだった。非常口?(中央の「OPA」を取り囲む部分も、開きそうな場所がある。以前はここに消防隊進入口があった)


今年の春から、秋田駅近くのオーバーパス「手形陸橋」の拡幅と改修工事の一環として、これまで使われていた北側の車線と歩道が使えなくなった。
その際、車向けには丁寧な図入り看板が設置されたのに、歩行者向けには「使用できません」程度の文字だけ。歩道に付属する螺旋階段2つも使えなくなるし、場合によっては道路横断や踏切へ迂回するなど、大きな移動をさせられるのに、不親切だった。

秋田県庁へもっと歩行者のことを考えてと要望したところ、
右端の看板が追加で設置された
左端の縦長のが当初からの不親切な歩行者向け、少し小さい「橋の架け替え工事をおこなっています」が、線路の真上部分の架け替え工事(JR東日本秋田支社発注扱い)、ウサギ付きの大きい「橋の補修・補強工を行っています」が線路以外の坂になっている部分の補強工事ということらしい。
追加された看板
ふりがな付きでいろいろと書いてあり、上には周辺の地図も(縦位置を横倒ししているけど…)。
着工前にこれをやってほしいんですよね。

なお、螺旋階段が工事後どうなるか知らされていないことについても、それとなく要望に書き加えておいたけれど、それについての回答や説明はなかった。
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2保育園改築

2017-12-21 00:11:17 | 秋田の季節・風景
秋田市内で解体される建物について、時々話題にしている。
他人様のものであり、形あるものはいつかは姿を変えたり消えたりするものであるけれど、街並みの1つとして見慣れていたものがなくなってしまうのは、寂しいもの。どんな建物がどんな姿でどんな用途でいつまで建っていたかを、少しでも記録として残したいと考えている。

気のせいかもしれないけれど、今年は解体される建物がやや多い。
個人経営のお店などのほうが多い感じもし、昨今話題の事業承継とか空き家対策とかかもしれない。
一方で、大きな建物も壊されている。JR東日本秋田支社旧社屋や八橋鯲沼町の旧・日産ラ・カージュの建物などもあるけれど、今回は中央部の保育所2つ。いずれも、園舎が特徴的な建物として、以前当ブログで紹介していたものが、新園舎建設にともなって姿を消した。


まずは、2012年に保戸野保育所として紹介したもの。
当時は、秋田市立の保育所だった。

秋田市内にある保育所は、私立と市立があった。
偶然なのか意図があるのか、私立は「~保育“園”」、市立は「~保育“所”」という名称(他の都市ではそうでないところもある。法律上は公私とも保育“所”)。
雄和・河辺を除く旧・秋田市内だけでも、市立保育園は10園程度あったと思うが、市営バスと同様に民間への移管(秋田市の保育所の場合は「民間移行」と称していた模様)がここ10年ほどで順次進められてきた。
現在は、旧市内では寺内保育所だけが市立のようだ。

市営バスの民間移管とは異なり、保育所の民間移行は1園ごと移管先を募集・選考して決めている。移行後は、名称が少なくとも「~保育“園”」に変えられており、市立時代は漢字だった所在地名をひらがなに変えるところが多い(法人名など他のフレーズが加わることも)。

保戸野保育所も、2014年度から民間へ移行することになり、既に市内で別の園を運営している社会福祉法人による「ほどの保育園」となった。
他の移行園でも同様のようだが、園舎や備品は無償譲渡、土地は市が所有し貸与という形で移行されたようだ。


市立保戸野保育所は、1981年に旭北保育所が移転・改称して開園している。(それ以前のここには、秋田市交通局の庁舎とバスの車庫、古くには路面電車の車庫もあった。)
その時に建てられた建物は、同時期に建てられた市立秋田西中学校の校舎と、大きさは違うもののそっくりな外観だというのを、以前に紹介したのだった。
背後の高いのは秋田中央郵便局。新国道の裏側に位置する
ほどの保育園になってからも、外観はほぼ変わらず。

正面玄関にあった、低くてあまり意味がない門柱っぽいものと金属板の表札が撤去されて、玄関のひさしに箱文字(チャンネル文字)による表示が取り付けられた程度の変化。
正面に向かって左側が園庭。道路の形状はかつての線路や水路の名残か
今年の夏、園庭の遊具や角に小さな棚に仕立てられたノウゼンカズラなどがすべて取り払われてしまった。
7月上旬

奥のドーム状の屋根は、秋田銀行の体育館
やがて、園庭の跡に、
10月初め
プレハブの園舎が建った。
そして、
今までの園舎が解体された ※左奥の低い建物は郵便局の保健センター
解体されたのは小さそうな建物だったのに、意外に奥行きというか道路から見えない部分は広そう。これまで見られなかった、郵便局と秋銀体育館の裏面が見えた。

最近は見ていないけれど、旧園舎の位置に新しい園舎を建設するということだろう。
秋田市から引き継いだ園舎は、移行後3年ちょっとで役目を終えた。旧耐震基準で建てられた、築35年超の建物だし、潮時でしょう。【2018年1月24日追記・ということは耐震面が不充分な状態で、民間へ譲渡したということなんだろうか。だとすれば園児の安全面では、いいことではない。なお、同時期築の小中学校校舎では改修済み】
そういえば、市営バスの路線は、民間移管後3年間は、市営バス時代のダイヤだか本数だかを維持するという取り決めがあったそうだ。ひょっとしたら保育所でもそんなのがあるだろうか。

話がそれるけど、市立時代は、近所のよしみなのか、秋田中央郵便局でポスト愛護とか年賀はがき発売・受付開始時のイベントに、保戸野保育所の園児が駆り出されて参加していた。
ところが、最近は、別の園が参加している(民間移行が境目かどうかは分からない)。
今年の年賀はがき関係イベント(発売も受付開始も?)でも、別の園の園児たちが歌を歌っていたけれど、その曲が「ドレミの歌」とたしか「幸せなら手をたたこう」。選曲理由が分からない…

新園舎はこの記事中ほど。


もう1つ。千秋公園の西側ふもと千秋矢留町の私立園「すくすく保育園」が、2013年に同じ町内で移転した。移転先は、かつて国民生活金融公庫が入っていたビル。
古めかしくいかめしいビルに保育園とは不思議な取り合わせながら、頑丈そうだし有効活用しているのかと思っていた。
(再掲)
ところが今月初め頃、
解体されていた!
気づけば、横や後ろに低層で家庭的な新しい園舎ができていた。そして、いつの間にか「やどめ保育園」という名称に変わっていた。
古いビルは4年ほどの“延命”だった。やっぱり金融機関をそっくりそのまま保育園にするには無理があったのかな。
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学童注意ほか盛岡

2017-12-19 00:03:07 | 旅行記
11月中旬の盛岡の話題(前回の記事)は今回でおしまい。小ネタ集。

2016年2月に青森県八戸市に行った時、「学童注意」の絵入り広告看板を見つけた。
秋田市では、30年ほど前にはあったような気がするが、いつの間にか見なくなっていたので、懐かしかった。

盛岡駅近く、JR関係ビルやイオンタウンがある辺りで…
ここにもあった! ※薄暗くなってから街灯下での撮影のため、色合いがオレンジがかっています。
八戸にあったのと、同一の仕様。片面は上の写真のような古いタッチの絵(これが懐かしい)で、反対面は今風のタッチなのも同じだし、枠や台座が蛍光オレンジ色なのも同じ。
違うのは広告主と、上の写真で枠左側に、横断旗を差すのだろうか黄色い筒があること。

さらに、鉈屋町の近く、市立大慈寺小学校のフェンスでは、
紅葉に囲まれて2枚
左は別デザインで新しそうな「学童注意」。
そして右。色あせと手書きっぽい書体からして古そう。

縦書きは新しいのと同文の「交通事故から子供を守りましょう」。
違うのは、下段が「交通安全 学童に注意」で、絵を囲う枠は「・・・文・・・文・・・」。
イラストは色は別として、新旧で輪郭線はほとんど同じ。確認できた違いは、2人の手の指の線と、女の子の腰のベルト(?)に新しいほうはリボンが付いていること。ボタンも少し大きいかな。
(再掲)八戸にて。新タイプ

30年前に秋田市にあったのは、この古いタイプかも??
盛岡と八戸では同じ広告代理店が手がけているのだろうか。【20日補足】青森県でも弘前では見た覚えがない。旧南部藩エリアで残っているということか。
※さらに南の花巻市にもあった。この記事後半。


盛岡駅前の線路沿いには、JR東日本盛岡支社などJR関連の建物や施設がいくつか建ち並んでいる。秋田駅と秋田支社と同じ関係。規模としては盛岡のほうが大きい。
夕暮れの盛岡支社ビル
JR東日本盛岡支社ビルの前には、入居する企業の一覧が出ていた。
表示灯、京三製作所、日本信号、大同信号
直接的なJR関連企業でなくても、密接な関係にある取引先(の出張所や営業所)も入居している。うち、京三製作所と日本信号は、道路の交通信号機でもおなじみのメーカー。ライバルどうしで同居するってのは、どうなんだろうか…

秋田では、京三製作所は駅前のJR関連の第一建設工業のビルに入る一方、日本信号は距離を置いて山王の東カンビルに入る。また、JRの支社がない青森には両社とも拠点はなさそう。交通信号よりも鉄道向けのほうが重要ということなのか。


盛岡の駅弁販売場所。
今年夏にも触れたように、盛岡駅には北改札口の外と、新幹線改札内・コンコースに、どちらもNRE運営の店がある(新幹線ホームにもあるらしいが、品揃えと営業時間的に使いにくい)。
店の大きさも品揃えも、営業時間も新幹線改札内のほうがまさっているが、どちらでも、盛岡駅以外の業者の製品も扱っている。
店舗名は、改札外は「駅弁屋旨囲門」。旨囲門は、他地域の輸送駅弁を扱う店舗ブランドで、仙台や大宮など東日本管内各地にある。
新幹線改札内は、
「いわてのお弁当」
少なくとも10年前にはこの店舗名だったと思う。かつては白地にオレンジ色の文字(書体は同じ)の看板だったと思うが、いつの間にか黒ベースになっていた。黒ベースになった当初は、上(天井近く)に岩手山がでーんとあったようだ。
看板には「新鮮な いわての 食材たっぷり!」ともある。右側には弁当の中身の写真が3つ出ているが、右側のは「販売中止」とある。

そのわりには、秋田県大館の鶏めしや仙台の駅弁もある。この看板ではそれは伝わらない。
また、ほんとうに岩手の駅弁を食べたいと看板を見て立ち寄った人は、混乱してしまうかもしれない。
これでは看板に偽りあり。こっちの店舗名も「旨囲門」にしたほうがいいのではないでしょうか。
それに、新幹線に乗る人が、改札前の旨囲門で、少ない品揃えの中から買ってしまい、改札を入ってからいわてのお弁当の品揃えを知って、悔やむ事態も起きていそう。外の旨囲門に「新幹線改札内でも豊富に取りそろえています」という表示があれば親切。
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音響式

2017-12-18 00:14:08 | 秋田のいろいろ
今年度から採用されている低コストな信号機の一環として、サイズがちょっと小さくなった車両用信号機
秋田市楢山と御野場に新しく設置された押しボタン式信号機も、そのタイプ。今回は、そのアームに設置された表示板に注目。
「押ボタン式」(表示板のサイズは従来通りか?)
秋田県の信号機を見慣れた人(もしくは秋田県外の信号機をあまり見たことがない人)は、おやっと思うかもしれない。
見慣れたものは、
(再掲)「押ボタン式信号」
押しボタン式であることを示す表示板の「信号」が省略されたのだ。

押しボタン式のほか、時差式、歩車分離式・スクランブル式であることを示す表示板の書式については、各都道府県警ごと、あるいはその中でも設置時期(あるいは気まぐれ?)によって異なり、「~式信号」「~式信号機」そして「~式」などがある。
運転中に視界に入る情報は、極力簡略化したほうが分かりやすいと思うので、今回の秋田県警の変更は理解できる。
ただ、時差式や歩車分離式ならともかく、押しボタン式であることを運転者に知らせる意味は薄いと思う(押しボタン式を軽視して信号無視する運転者がまれにいる。青森県では表示しない)のだけど。


さて、最近、秋田市内の2か所(上とは別)で、既存の信号機にある機能が追加され、供用されている。
その1つ、歩行者横断地下道が廃止・埋められた手形陸橋西側の丁字路「千秋城下町」では、従来からの時差式と歩車分離式に加えて、新たな機能が追加されたので、アームには表示板がずらり。
4枚の表示板
道路管理者管轄で、地下道があった頃から使われていた「千秋城下町」の表示板は地色がやや汚れているが、警察管轄の3枚はまだ新しい。その中でひときわ白く、「~信号」が省略された「音響式」が増設された機能。

「音響式」って分かるでしょうか? 秋田ではやはり見慣れないが、これも都道府県によっては前から使われている。
機能自体についても、実際にはほとんどの人が知っている。歩行者用信号が青の時にスピーカーから音を出す、信号機に付加する装置のこと。
そう、通りゃんせ/故郷の空とかピヨピヨ/カッコーでおなじみのあれ。目が見えない・見えにくい歩行者のためのものだけど、その名を一般の人はどう呼ぶのが一般的だろうか。

と言っても、秋田県警でさえ、その名称をどう周知するかには苦慮していたようだ。信号機の表示板では、
「盲人用信号付」→「視覚障害者用信号付」→「視覚障害者付加装置付」(2000年代に少数?)→再び(2009年頃から)「視覚障害者用信号付」→「音響式」
と変遷している。
 (いずれも再掲)
昔は「盲人用」だった。「盲」は1文字で訓読みすると差別用語になるが、「もう」「盲人(もうじん)」と読めばそうではなく、盲導犬とか盲人会といった公式な名称として今も使われている。
しかし、やはり差別用語を連想させるのか、あるいは単に漢字自体やその読みが分かりにくいのか、現在は「視覚障害者」のほうが一般化している。
しかも先週まで知らなかったけれど、「もう」と「視覚障害」は厳密には異なる概念だそうで、前者には視力が弱い人は含まないのだそうだ。「盲学校」が「視覚支援学校」に改称している(秋田県では2016年度から)のも、そういう判断もあるのだろう。

信号機から音が出るものを警察内部では「音響式視覚障害者用交通信号付加装置」と呼称するそうだ。
秋田県警では「視覚障害者用」に変えた後の一時期、それにならって「視覚障害者付加装置付」としていたが、長ったらしくて分かりにくかったのだろうか、短期間で元に戻していた。
【18日追記】従来は「~付」としていたのも特徴的。「付加装置」だから「追加で付けてます」ということで理屈は合っているけど、理屈っぽいように思えなくもない。
※ちなみに「音響式」でなく振動で青信号を知らせる装置もある。昔(平成初期頃まで?)は秋田市の中央通りにもあって、腰ほどの高さのスタンド式の灰皿のような黄色い筒が立っていて、青信号に連動して頂部が振動していた【18日補足・頂部に指を触れたりてのひらを載せたりして認識するはず】。大阪や和歌山辺りでは今もあるようで、LEDやスピーカーと一体化した新しいものもあるらしい。

そして、今年から「音響式」。(上記の通り、表示板の記載が変わっただけで、モノについては従来とまったく変わらないと思われる)
「音が出る」ことが分かるストレートな意味だし、文字数も少なくて、ベターだと思う。
【18日追記】「音響式」では視覚障害者用であることは伝わらなくなるけれど、我々一般歩行者だって、音が鳴って分かりやすい場合もある。視覚障害者“専用”ではないとも言えるし、表示板で用途が分かったからどうというわけでもないだろうから、別に構わないだろう。理屈っぽく「音響式“付”」としなかったのはよかった!

だけど、押しボタン式と同じく、音響式もあえて表示する必要はないように思えなくもない。音響式でない信号だって視覚障害者は横断することがあるのだし…
【18日追記】一方、歩車分離・スクランブル式や時差式では、表示板設置によって信号誤認や思いこみによる事故を防止する一定の効果がある。過去には、神奈川県で時差式の表示がないことで事故になったとして、裁判になったことがあった。


ということで、千秋城下町交差点は、歩行者信号が青の間、ピヨピヨカッコーの音が鳴る(スピーカーごとに音の種類と鳴るタイミングを変えた「異種鳴き交わし」式なので方向感覚もつかみやすいはず)ようになった。信号サイクルは変わらず。(地下道撤去・交差点改良時にまとめて工事すればよかったのに…)
もう1か所音響式になったのは、楢山登町の登町上丁バス停近く(氷屋さんがあったところ)の押しボタン式信号。「押ボタン式信号」と「音響式」の表示板が並ぶことになった。
「ボタンを押してください」とかしゃべるわけではなく、青信号の間、ピヨピヨ鳴り、点滅時はピーポーピーポーと鳴る。(千秋城下町の点滅時は不明【25日追記】城下町もピーポーあり)


ところで、千秋城下町の上の写真とは反対向きの信号機は、アームが短い。
「千秋城下町」は別の信号機に設置
以前は2枚の表示板が中央寄りにすき間を開けて取り付けられていた。
現在は3枚の表示板がキツキツに設置されている。従来の2枚を右へずらして詰めて、左へ1枚増設したため、すき間がないどころか板どうしが重なっており、右の「時差式信号」の左側の枠線が見えない。


裏側
時差式→歩車分離→音響の順に、端がわずかに重なって取り付けられている。時が経てば汚れやサビがたまっちゃいそう。


秋田県では今後は、時差式や歩車分離でも「時差式」「歩車分離式」と「信号」を略す表示板になるのだろう。
なお、昨年度末に設置された押しボタン式歩車分離式の交差点では、
「押ボタン式/歩車分離信号」
「歩車分離」のほうには「式」がなかった。
今年度以降、これを設置するとすれば「押しボタン式/歩車分離式」なのかな?
【19日追記】千秋城下町は3枚の機能を示す表示板が別々に設置されているのに対し、押しボタン式歩車分離では一体化している(保戸野の既存の歩車分離に押しボタン式を追加したものでは、既存の板を撤去して一体化に交換した)。千秋城下町はそれぞれが独立した別々の機能で、それがたまたま3つ共存しているだけなのに対し、押しボタン式歩車分離は、押しボタンと歩車分離が連動した密接な関係にある機能だから一体化した表示にしたのかもしれない。

【18日追記】ニッポン放送系ラジオ11局が、毎年クリスマスに「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」というチャリティー番組を放送している。「通りゃんせ基金」として募金を呼びかけて視覚障害者のために活用される。その名の通り、当初は音響式信号の設置が目的だったものの、現在はそれ以外にも点字図書や教材など幅広い分野に使われている。
青森放送やIBC岩手放送も参加しており、青森では「RAB通りゃんせ基金」と表示されたボックスが道端に立っている(弘前のヒロロ前とか?)。秋田放送では参加していないけれど、秋田では比較的音響式信号が増えていると思う(少なくとも弘前市よりは)。秋田県が自腹で設置しているということになろう(それが本来のやりかた)。

※その後2024年時点では、「信号」なしの表示板は継続して採用され、既存表示板の更新も進んでいる。文字の太さについて
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フウとエノキの落葉

2017-12-15 00:33:03 | 動物・植物
秋田市は雪がそれなりに積もってはほぼ消えるのを何度か繰り返し、内陸部などでは数十センチの積雪になり、すっかり冬本番。
遅ればせながら、以前の紅葉に続く落葉を2題。

今年、秋田大学医学部附属病院前の街路樹の紅葉が美しいことを初めて知った。
モミジバフウという(モミジやカエデではなく、近縁種でもない)木で、10月末が盛りだった。

その後、11月初め。
落葉が進む
木に付いている葉は、最盛期よりは減ってスカスカ。
道路の一角には、落ちた葉のほかに、
イガイガ
ピンポン玉よりも小さい、トゲというか突起がある球形のもの。モミジバフウの果実である。
プロペラ状の種子が落とされる本当のモミジ・カエデとはまったく違い、このことからも縁遠いことが分かる。

果実が落ちているのは、並木のごく一部だけ。おそらく果実ができる木とできない木があって、できない木が圧倒的に多いと思われる。
モミジバフウは雌雄異株ではない(雄花雌花が別に咲く雌雄異花ではあるようだ)。
憶測だけど、プラタナスの仲間のように交雑種では果実ができない場合があるから、これも交雑種が多いということなんだろうか。

それからさらに1か月後。
12月初め
すっかり落葉した木が多い中、しぶとく葉が残る木がちらほら。個体差なのか、環境の差によるものか、おもしろいものだ。
すっかり落葉したこの木は、
上のほうに何かある
拡大すると、
果実が付いていた
その後の果実が付いた様子など。


もう1つは、土崎の「寺小山」というところにある、大きなエノキ。
昨秋はなかなか落葉しなかった。八橋一里塚のエノキは、ケヤキより先にとっとと落葉してしまうのに、こちらはケヤキよりも遅かった。今年は?
6月。今年も青々と茂る
雪が積もった11月25日。
雪の中、葉を付けている!
青々とした葉ではなく、枯れかけている葉が多いけれど、いちおう葉が茂っている。樹冠の下は雪が積もっていないことから、相当の葉が残っているのがうかがえる。異様な姿にも見えてしまう。
風下側の雪の上には、
落葉
葉には小枝も少し付いていて、落葉と言うよりも枝ごとちぎれて落ちたようにも見える。

雪が消えて、12月初め。
まだ残ってる
ただ、確実に葉は減っていて、枝が見えるようになってきた。その後、12月10日頃には、一部を除いてほとんど落葉していた。

ちなみに、11月末の雪が消えた段階で、仁井田大野にある、こちらも大きな(姿はだいぶ違うけど)エノキは、
すっかり落葉

ということで、八橋一里塚、大野と比べると、寺小山のエノキは落葉が遅いのは確実。他にエノキの木を知らないので推測だけど、黄葉して落葉するのではなく、葉に付いたまま枯れて落ちるというのは、寒さや雪に負けて強引に落葉させられているようにも感じられる。エノキは葉がややテカテカして、どちらかと言えば暖地の木っぽいところもあり、秋田の気候に合っていないようにも見えるけれど、寺小山で何年も育って大きくなったのだから、これはこれでいいのでしょう。
一里塚・大野と寺小山では、完全に同一の「エノキ」ではなくて、実は少し違う(変種)のかもしれない。DNAを調べたら分かる。

線路の向かい側から
男鹿線EV-E801系とポートタワーセリオンとほぼ落葉した寺小山のエノキ。今年から見られるようになった組み合わせ。写真のアングルとしては強引ですが。
エノキは、セリオンどころか奥羽本線が開通する前から、ここにあるのだろう。今年も冬の間しばしお休み(だけど海風が当たって寒そう)。

【2018年11月12日追記】翌2018年は、10月初めまでに台風や低気圧による海からの強風が何度か吹き付け、「塩害」によって紅葉前に落葉してしまう木が多く見られた。海側だけが落ち、反対側だけ黄葉するイチョウなども。大学病院前のモミジバフウも同じような状態。
寺小山のエノキも、立地上風をまともに受けたようで、11月初めの時点で既に多くが落葉し、10日にはほとんど残っていなかった。
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中津川周辺の光景

2017-12-13 23:56:19 | 旅行記
盛岡市の続き。
岩手県庁、盛岡市役所などがある中津川沿いは、いい雰囲気。多くの人たちが、道路代わりに川沿いの堤防を歩いていて、そこからの眺めもきれい。
上ノ橋から下流方向。右は岩手県民会館

前回は和風な火の見櫓(大慈寺地区コミュニティ消防センター)を見たけれど、この付近には、
こんな火の見櫓も
こちらはかわいらしい色に塗られているけれど、歴史がありそう。【下の追記の通り、もともとの色が経年で薄れて、この色だそう】
調べると大正時代頃に建てられた「紺屋町番屋」。保存されながら、今も消防団の建物として現役ということらしい。
てっぺんには鶏(風見鶏)? の飾り
たまたま見つけて、面倒なのであまり近づかずに撮影しただけだったけれど、見えていない反対側が正面。
【2021年11月19日追記】2021年11月18日、ケーブルテレビでIBC岩手放送のローカルニュースを見ていたら「紺屋町番屋 改修工事が最終盤 建設当時の姿に/岩手・盛岡市」が報道されていた。「今年5月から改修工事が行われています。」「建物をジャッキで持ち上げ柱が腐った部分を修復し、基礎を作り直したうえで80センチほど中津川の方向に曳家」。外壁は退色前の濃い色にし、耐火性能は向上。「来年2月にはカフェの入った体験交流施設としてオープンします。」

青森県弘前市でも、元消防団の建物が保存されており、奇しくも「旧紺屋町消防屯所」。

下流側から上ノ橋

上ノ橋。右が下流側
でんでんむしも通る上ノ橋は、高欄(欄干)や照明がちょっと変わった橋くらいの見た目だけど、そうではない。
橋そのものは1935年に架け替えられているが、欄干の擬宝珠は江戸時代から代々受け継がれているもの。現在の欄干本体は、岩手県産のヒバが使われているそうだ。

この橋のたもとでは、1984年の映画「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のロケが行われた。寅さんの舎弟が営む店を訪れるシーンだったのだが、その店として使われた建物は、現在はなくなっている。上の写真の川沿い右にある、グレーのビルの位置。ビルは「ギボーシプラザ」という名前。
写っていないけれど、道路向かい側の建物は映画と同じものが残っているそうで、もちろん橋にも変化はないだろうから、多少は映画の雰囲気が残っていそう。


中津川沿いの道。
一級河川・北上川の支流なので、秋田県の旭川などと同じく、国土交通大臣から県知事へ河川管理が委託されている。こんなイラスト入り看板があった。
「サイレンがなったら川の水が増えてくるので川から出よう。」
新しそう(脚は古いかも?)な看板。
文章では明示されていないが、イラストの内容と「岩手県綱取ダム管理事務所」が設置したものであることから、ダムの放水(放流)時の増水の警告であることが分かる。

近くにはこんなものも。
「危い!!」
これは懐かしい!
おそらくこれと同一の内容が、かつては秋田市中心部の旭川沿いにもあった。旭川ダムの放流についてのものだけど、本文の漢字にふりがなが振ってあって、サイレンを鳴らして止めるのを繰り返す警告方法は同じ。50秒鳴らして10秒止めるという秒数も同じかもしれない。

旭川では、旭川ダムは今もあるのに、いつの間にかなぜか警報装置が撤去され、看板も用がなくなったので撤去されている。
今年、新潟県の二級河川(県管理)で、ダムの放流の増水によって下流にいた人が流されてしまう事故があった。それも踏まえると、盛岡市街地の中津川では警報体制を確立しているのに、秋田市街地の旭川はなくても大丈夫なんだろうかと、改めて不安になってしまった。
【2018年9月28日補足】旭川ダムの運用が変わって、現在は、放流しても市街地では影響がなくなったため、警報装置を撤去しているとのこと。上流側には今もあるらしい。
※長野県の天竜川水系(諏訪湖)の釜口水門の放流の看板について。リンク先中ほど。

魚やカッパの絵入りの「川をきれいにしましょう」は、見た範囲では設置されていなかった。


盛岡市について、さらに少しだけ続きます。
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サッカー場の場所

2017-12-12 00:33:21 | 秋田のいろいろ
スポーツにはまったくと言っていいほど興味はないのですが、秋田のサッカースタジアム構想について。
知識もないので造るかどうかについては置いておいて、造るとすれば問題は場所。それが気になる。

日本プロサッカーリーグ・Jリーグは、上からJ1、J2、J3と3階層になっており、それぞれに属するチームは、結果によっては別の階層へ移される。また、上の階層へ上がれるだけの結果を出したとしても、運営会社の経営状態や本拠地の試合会場(ホームスタジアム)の観客収容人数などの条件(クラブライセンス)をクリアしないと、上がれない。 という仕組みらしい。たぶん。

秋田には「ブラウブリッツ秋田」というJリーグチームがある。
沿岸南部・にかほ市のTDKのサッカー部が母体で、現在は、J3に属し、秋田市中央部のあきぎんスタジアム(正式名称・秋田市八橋運動公園球技場)がホームスタジアム。

今年初め頃からか、ブラウブリッツが使う新しいサッカー場を建設しようという計画が、出てきた。
今のあきぎんスタジアムでは、J2になるためのクラブライセンス(観客席1万席以上など)を満たしていないらしい。
ブラウブリッツは2016年にJ3で4位になって、J2昇格が視野に入ってきたということなんだろうか。

チームの後援組織からの署名が出され、秋田県議会でも議題になった。
経緯はよく分からないけれど、新スタジアムは、秋田県と秋田市が、既存設備の改修でなく新規建設で造るという流れになっていた。
一方、佐竹知事は「造るのはいいけど、民間でもカネを出してもらわないと」といった趣旨の発言を夏頃にして、ちょっと問題になった。


2017年のシーズンが終わり、ブラウブリッツはめでたくJ3優勝を果たす。本来ならJ2へ上がれる成績ながら、そんな事情で来期もJ3残留。
そこで、スタジアム整備の話が盛り上がってきた。
これも分からないけれど、新スタジアムの場所の決定は、県ではなく秋田市が主導するらしい。
現状を踏まえれば、八橋運動公園内に造るのが、いちばんしっくり来るように思えるけれど、秋田市が言うには、八橋はスペースがなく、駐車場が少なく、既存施設の稼働率も高くて廃止するわけにもいかず、ダメだそう。
現段階では、場所からしてまだ検討段階ということのようだ。
【12日追記】新スタジアム完成までの暫定的措置として、運動公園内の秋田市八橋陸上競技場を、ライセンスを満たすように改装して使う計画もある。12日付秋田魁新報によれば照明(の増設ってこと?)、映像設備、ドーピング検査室などが必要になるとのこと。暫定扱いなのは、陸上競技場としての需要が多くて、サッカー専用・優先にはできないということなんだろうけど、改装したのに短期間しか使わないのももったいない。
※この記事の航空写真は、GoogleMapより。どの画像も縮尺は統一。
八橋運動公園の一部。右上があきぎんスタジアム
サッカーの試合では、対戦相手が遠方のチームでも、その地元の人たちが応援に訪れるのが一般的なようだ。プロ野球なんかでも同じだけど、サッカーのほうが全国各地に散らばっていて、移動が大変そう。
だから、交通や飲食・宿泊の便がいい街の近くがいいはず。その点でも八橋はふさわしいのに、八橋以外ならどこかあるかと考えていた矢先、8日に「秋田経済同友会」が、スタジアムのあり方についての提言書を、知事と秋田市長に渡したことが報道された。今ところ、提言書そのものの内容は一般には公開されていないようなので、以下、9日付秋田魁新報より。
提言では、市街地のにぎわい創出のためのコンサートなどイベント会場、防災拠点としての活用、それに芝のメンテナンスの点から、「市街地に可動式屋根」のあるものを、図入りで提示している。
建設地は2万2千平方メートル余りだそう。これは、駐車場を含むのか、あるいは競技場部分だけなのかは不明だけど、競技場と客席だけでそのくらいになるかな?

具体的な場所も示されたそうで、「適地として、市八橋運動公園と秋田大の陸上競技場を挙げた。」だそう。
八橋は、市は無理だと言ってるけれど、それでもやっぱり八橋にしようよと言いたいのは、話としては理解できる。
だけど、「秋田大の陸上競技場」は唐突でびっくり。


新聞には「秋田大の陸上競技場」以上の詳細はないので、以下憶測。
秋田大学の陸上競技場といえば、手形キャンパスの正門前の道路を挟んで斜め向かい。テニスコートと体育館の隣で、歩道が八重桜の並木になっている辺りにある。
所在地としては手形住吉町。周囲は、大学の敷地のほか、学生向けアパートとJRや国関係の宿舎・官舎があり、市立秋田東中学校もある。
秋田駅からは1.5キロほど。
左下が秋田駅東口方面
なるほど。アクセスとしては悪くない。
なんなら、周辺の公務員官舎なんかの土地(老朽化しているのか、空き家になっているのか、そんな見た目の建物も一部にある)も使えば、駐車場など付加施設もいろいろ造れそう。
でも、屋外イベントとは無縁の場所にこういうのができたら、例えば飲食店が少ないとか、周辺の家の迷惑になったりとか、しないだろうか。

そもそもの問題として、秋田経済同友会から秋田大学に対して、話は通っているのだろうか。
「候補」として「提言」する段階とはいえ、秋大は寝耳に水でびっくりしてたりして…【この記事末尾の16日付追記参照】

仮に秋大陸上競技場に造るとしたら、秋大陸上競技場の代替はどこに造るのかという問題も生じる。
向かいに野球場はあるけれど、それ以外に秋田大学の土地で陸上競技ができそうな場所なんて、おそらくない。

それに、この陸上競技場は最近、きれいに整備された。ウレタン舗装の全天候型トラックのようだし、夜間照明もある。(弘前大学の陸上競技場なんて、砂だし、学園町で遠く、たぶん照明もない)
整備間もない頃だったはずの2013年には、Googleストリートビューでトラックを1周できるようになった。
(再掲)
最近、Panasonicが「Beautiful JAPAN towards 2020・47都道府県のアスリートたち」というプロジェクトをやっていて、その秋田県代表として、秋大医学部の陸上競技部員が紹介されている。
テレビCMもあり、この陸上競技場を走っているシーンがある。

そんな場所をなくしてしまうのは、いろいろな意味でもったいない。
県民会館と秋田市文化会館を統合する新しい文化施設建設では、和洋高校の多目的グラウンドを犠牲にして代替校舎が建つことになっているが、それと同じような感じになりかねない。
あくまでも、当事者以外からの「提言」なんだろうし、それをどの程度真剣に受け取って実現の可能性がどれだけあるかは分からないけれど。
陸上競技場を明け渡すことになるかもしれない秋大からの意見表明もなければ、マスコミの追加取材もないし、一般のサッカーファンもあんまり反応がないようだし。【この記事末尾の16日付追記参照】


勝手な意見だけど個人的には、もう1か所、推したい場所がある。
それは、秋田駅東口の北側にある、平面駐車場。
東口のすぐ右はバス・タクシープールで、その上の黄色で囲んだところ
全面が一体化した駐車場かに見えるが、中に公道が通っており、月ぎめ駐車場と時間貸しの駐車場があるようだ。旧ツアーバス系夜行バスが昼間の駐車場として使っていたりするけれど、全面が埋まることなんてあるだろうか。
秋田駅東口2階から。広いけれど、右奥の時間貸し部分は空きが多い
サッカー場として面積的に足りるかどうかよく分からなかったけれど、秋大陸上競技場が適地ということならば、同じ縮尺の航空写真を貼り付けてみると…
赤い枠が秋大からのコピペ
なんとほぼぴったりと収まった!
広さとしては可能なのでは?
(旧)裏口側とはいえ、駅を出てすぐがだだっ広い駐車場というのは、県庁所在地中心駅にあまりふさわしい光景とはいえないし、使い方を工夫すれば、街の発展につながると思う。
陸上競技場を壊すよりも【12日追記・もしくは八橋運動公園の既存施設を壊すよりも】、工事は楽で無駄がないと思うし、駐車場の代替くらいなんとかなる(近隣に立体化するとか)でしょう。
新文化施設の場所選定の時も、ここが候補として挙げられることはあったものの、本格的な検討対象にはならなかったようだ。

なんてったって交通アクセスは良好だし、どうでしょうか。
場合によっては、JR東日本秋田支社さんが、駅周辺活性化の一環として、いろいろ力になってくれるかもしれないし。(JR東日本も関係するジェフユナイテッド市原もJ2だけど)


あとは、大町のニューシティ跡地、産業会館跡地周辺、(新文化施設開館後解体されることになっている)秋田市文化会館なんかは、面積としては少々足りないと思う。ニューシティ隣の日本銀行秋田支店や、産業会館跡地近く隣のみずほ銀行秋田支店などをぶっ壊すとなれば、別だけど。

秋田市が絡む以上、無理なんだろうけど、秋田市以外に造るってのはどうだろう。
ブラウブリッツは秋田市ではなく秋田県全体のチームなんだし、秋田市以上に寂れているかもしれない、ほかの街の活性化になる。例えば、本荘のジョイフルシティ跡、大館のジャスコ跡、男鹿駅近くの海側の土地とか…

新文化施設の時みたいに、またいろいろありそうだけど、ハコモノが冷たい目で見られがちな今どき、建設要望の署名がされるハコモノなんてほかにあるだろうか。造るのなら、後々まで造って良かったと言われるスタジアムを造るべき。

【13日リンク追加】新潟県長岡市には、長岡駅前に市役所とプロバスケットボールのアリーナが一体化したものが造られている。


【16日追記】16日付秋田魁新報社会面に、あまり大きくない記事「秋田大が名乗り スタジアム建設候補地」が掲載。
15日秋大が「スタジアムについて、同大学手形キャンパスの陸上競技場とその周辺を建設候補地として検討するよう求める要望書を、県や市などに提出したと明らかにした。」
経済同友会の提言書で、陸上競技場が適地に「挙げられたことを受け、学内で協議。地域貢献につながると判断し、14日に」学長が提出した。
候補地は約2万8千平方メートル。
学長は「話し合いの推移を見守りながら、さらに詳細を検討していきたい」。
補足として、昨年の法改正により、国立大学法人が用途に関わらず土地を貸し付けられるようになったことに触れている。

ということで、やっぱり経済同友会は秋大に断りなしに候補として挙げていたのだろうか。
それを知った秋大があわてて検討し、いいんじゃないのという決定をしたことになるが、国立大学としてはかなりスピーディーな反応・対応。もしかしたら、裏では同友会から大学へ事前に話が通っていたのかも。
補足の貸付うんぬんがあるということは、土地は秋大保有のままでサッカースタジアムにするつもりなんだろうか。

少しだけ現実味が高くなったことになるが、陸上競技場の代替をどうするのかは分からない。今の陸上部員たちは卒業してしまうかもしれないけれど、陸上部存続の危機なのでは?!
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しったけ以外の秋田弁

2017-12-08 00:18:15 | 秋田のいろいろ
日曜日の秋田魁新報に3ページの「さきがけこども新聞」がある。別刷りや別料金ではなく、通常の紙面の中の3面分が子ども向けという形。【2018年4月からは別刷りになった】
週ごと毎月1回ずつの特集コーナーもあり、第2週は「みんなの声を聞いてみた」という、「県内の小中学生にさまざまなテーマで聞いた声を取り上げ(ホームページより)」るコーナー。


その11月12日付(5面)のテーマは、「秋田弁」であった。
「大館市、秋田市、湯沢市の中学2年生118人が寄せてくれた声の一部を紹介します。」とあり、場所・学年限定ということは、魁のほうから学校を通すなどしてアンケートを依頼したのだろうか。(読者から意見を募集しているような告知もあるけれど)。

「秋田弁を使いますか?」との問いには、よく使う20%、時々使う45%、あまり使わない17%。
保護者が県外出身だったり、県外から引っ越して来た人なんかもいるだろうけど、使わない18%の中には、意識せず端々で使っている人もいるでしょう。


自由記述の問いは3つ。「よく使う秋田弁」と「好きな秋田弁」が興味深かった。(あと1問は「秋田弁を守るには」)

挙げられた秋田弁は、一人称の「おら」など広範囲で通じるであろう言葉や、「やがまし」のような単に共通語の単語を短縮や濁音化したもの(=方言というより「訛り」)など、必ずしも秋田弁とはいえないものもあった。核家族化やメディアの普及の中、それは仕方ない。

一方で、なかなかディープというか、今の中学生がよくぞ知っていたという言葉も多かった。
「すぱね(泥はね)」「とじぇね(寂しい)」「なもかもね(どうしようもない)」「さい(しまった!)」など。
※「すぱね」は「すっぱね」とも。泥はねがかかることは「すぱね上がる」と表現する。ちなみに「すぱね上がってやばちぃ」は「泥はねがかかって汚い」。
※「とじぇね」は「徒然(とぜん)」が語源。
※「さい」は感嘆詞で、県央部では使うが県北では使わないらしい。


質問を見た時、“あの言葉”は絶対に入っていると思ったのだが、意外にもそれはなかった。個人的には喜ばしい。

それは「しったけ」である。すったけ、しったげ、すったげ、しんたけ などとも発音。

「とても」という意味で、「死ったけ」つまり「死ぬほど」が語源である。
「しったけきれい」「しったけおかしい」「しったけ食べた」などと使う。
【10日追記】比較的認知されていると思われる同義語は、津軽の「たんげ」、北海道の「なまら」。
※秋田県外も含めて「したっけ」という方言【9日補足・「しったけ」と「したっけ」小さい「っ」の位置が違います】もあるが、それは「それでは、それじゃあ」といった接続詞やあいさつの言葉。

6年前に記事にしているが、インパクトがあるのか「しったけ」を秋田弁の代表的な言葉として、キャッチコピーなどで使われることがある。
6年前では、テレビとか新聞のローカル版で、「○○(学校名)高校生にアンケート。好きな(よく使うだったかも)秋田弁ランキング」という質問で、「しったけ」が上位に入っていたことがあった。
現在でも、秋田市出身のササキノゾミさんが「しったげ」としてテレビで話すことがある。

個人的には、「しったけ」は、響きが独特だとか、おもしろい(ヒネリがある)言葉だとは、それほど思わないし、あえて「死」を持ち出して表現することでもないと考える。
それに、他の多く単語でも同じことだけど、しったけは秋田県全域で使う言葉ではない。以前秋田大学で方言を研究していた教員が、そのことを指摘していた。今はgooが「全国方言辞典」というのを提供しており、それによれば「しったげ」として「県北沿岸部・県中央部」で使うとある。しかし、両祖父母が秋田県中央部出身である僕の周りでは、ほとんど使わなくてなじみが薄く、県北沿岸・中央で広く使うというわけでもないのかもしれない。
そんなわけで、個人的には「しったけ」には、いや正確には「しったけ」が秋田弁の代表かのように“もてはやされる”ことには、嫌悪感に近い気持ちを抱いている。

今回の新聞は、ランキングではないので、回答にはあったものの編集段階でカットされた(とすれば魁の人も同じ気持ちだったのか)可能性もあるけれど、今は以前ほどキャッチコピーなどで使われなくなった気がしなくもない。6年ほど前は一過性のブームで、今は下火になったということなんだろうか…
【10日追記】しったけは青森(津軽?)の「たんげ」、北海道の「なまら」などと同義と思われる。「なまら」も、北海道ならどこでも使うわけでもなく、世代的には高齢者よりも若い世代のほう(1980年台に流行したとか)が使うそうだ。「しったけ」とちょっと似た境遇かもしれない。

文化である言葉としては「しったけ」も秋田弁の1つであることは間違いないけれど、ほかにもおもしろい秋田弁はたくさんあるのです。今の中学生にも、そのことを(無意識であっても)分かっている人がいることが分かって、うれしかった。
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肴町~鉈屋町

2017-12-05 00:03:13 | 旅行記
先月中旬の盛岡旅行記。
でんでんむしで北上川と中津川を渡って、バスセンター前で降りる。中心街ど真ん中だけに人通りが多くにぎやか。それに引き換え秋田市の中心市街地って…
肴町(さかなちょう)というアーケード商店街があったので、入って歩く。長さがけっこうあり、さまざまな業種の店があって、歩く人も多い。「ホットライン肴町」と呼ばれ、長さ365メートルに約80店舗が営業するとのこと。
通路中央に商品を出して売るお店も
路面や屋根は今風のデザイン(秋田駅西口の大屋根と似ている)だけど、雰囲気としてはどこか昭和っぽく懐かしいような。かつて秋田市大町にあった「名店街」をふと思い出してしまった。

バスセンター側の反対・南側の末端には、
「ホームセンター」という屋号のホームセンター(?)
ここ1店舗しかないお店のようだ。秋田市の「金物の通町山下」みたいな店かな。
アーケード内は、昼間は歩行者専用で自転車も(乗ったままでは)通れないことになっているが、21時から10時までは、北から南の一方通行で車両が通れるようだ。

空き店舗はほとんど目につかなかった。
ここは?
1区画だけ、半透明の壁で覆われたところがあった。その壁の向こうは空き地になっており、かつて店があってなくなったのを隠しているのだろう。
秋田駅前の大屋根とぽぽろーどをつなぐエスカレーター脇には、冬期間だけいかにも仮設の風よけが設置されているけれど、こういうのを常設すればいいのではないでしょうか。
南側の出入口。撮らなかったけど北側はもっと立派でした


帰りは、この隣のアーケードでない裏道的な道を歩いた。

コインパーキングの真ん中に、大きな木が生えている。囲われて看板も立っているので、大切にされているのは分かったけれど、中へ入るのも面倒で、道路から写真を撮っただけ。
すっかり落葉してシダレザクラかと思ったが、シダレカツラとのこと。
盛岡市内のお寺にあるものと、それをここともう1か所に株分けされたものがいずれも国の天然記念物に指定されているとのこと。ここは樹齢(? 株分けされてからってこと?)140年ほどらしい。
裁判所の石割桜以外にも、盛岡市街地で大切にされている木があったのだった。


これまで意識したことすらなかったけれど、肴町から数百メートル南へ行った一帯は、歴史ある町並みが残っているそうだ。
名前だけは聞いたことがある盛岡八幡宮も、この近く。寺町でもある。
大慈寺
秋田市よりは若干紅葉が遅いようで、モミジのほかイチョウもなんとか残っていた。十月桜らしき花も。

お寺の南の鉈屋町(なたやちょう)は、2007年のNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」などのロケ地にもなっている。
狭い道路に沿って、新しい建物もあるものの、町家風の建物がいくつか残っている。
手前は湧き水
どんど晴れは見ていないし、こんなもんかと見ながら歩いていると、はっとさせられた。
これがここだったのか!
町家と同じ造りの火の見櫓。これは見覚えがある。NHKBSの「にっぽん縦断こころ旅」で、一行がここを通ったのを見た記憶があった。
反対側から。中央奥には岩手山がちらり
上の写真で右側にタクシーが曲がって行こうとしているように、丁字路の突き当たりに櫓が位置する。こころ旅では、突き当たって右折していたはず。この時は、ちょうど逆光で撮影できず。

火の見櫓のある建物自体は、「大慈寺地区コミュニティ消防センター」が正式名称らしく、消防施設として現役らしい。そのため、非公開だし、ネット上にも建設年やいわれなどの情報は少ない。
火の見櫓と一体化しているように見えるけれど別棟の建物があり、そちらはカフェなどがある。さらにその裏手には、白壁に黒い屋根の蔵が2棟(江戸~大正築)あり、歴史展示や東日本大震災被災地の産物の販売施設。これらをまとめて「もりおか町家物語館」という施設。
裏側から蔵と火の見櫓
建物自体は歴史があるのは分かるけれど、その中はわりと最近手が入ったような感じ。
聞けば、かつては「岩手川」という酒造会社の工場だったものを市が譲り受け整備して、2014年に町家物語館としてオープンしたそうだ。
さらに調べると、岩手川は2006年に倒産しており、その後、八戸のスーパー「ユニバース」が取得して、市に寄付したようだ。
ということで、もっと南へ下がると、
ユニバース鉈屋町店の店舗がある
さらに南には広い道路と北上川の堤防が並行。堤防は高く川面や対岸は見えない。
ここのすぐ上流が、中津川、雫石川との合流点で、対岸を東北本線・東北新幹線が走る。上り新幹線で盛岡駅を出てすぐに見える川が、この辺りということになる。

【5日追記】スーパーや道路がなく酒蔵として現役だった頃は、また違った光景だったはず。それと現在を比べれば、なくなったもの、変わったこともあるとは思うが、貴重な建物を残し、時代に合わせて活用していることは、素晴らしい。盛岡と八戸、南部の心意気だろうか。
一方、秋田市では、秋田港近くにあった「湊御蔵」をきれいにして開放したのはいいと思っていたら、地元スーパーが建つことになってあっさりと解体され、しかもそのスーパー開店は頓挫してしまったという、情けない出来事があった。秋田(県中央地域?)はまったくもって古いものを残したがらない土地柄。

もりおか町家物語館のホームページによれば、アクセスは盛岡駅やバスセンターから路線バスで「南大通二丁目」降車 徒歩7分とされている。歩く距離は500メートルほど。でも、路線が複雑でよそ者にはちんぷんかんぷん。
今回はバスセンター前から肴町を経て歩いたわけだが、1.5キロほど。盛岡駅から歩くとすれば、2.3キロほど。どちらも地図がないと迷うかもしれない。
東北本線で盛岡から1駅の仙北町駅で降りて、北上川を渡っても1.5キロほどだから、むしろこのルートが分かりやすいかもしれない。


鉈屋町周辺には、ほかにも歴史的な建物がいくつかあるようだが、時間の都合でこの程度しか見られなかった。でも、下調べもせず、人に連れられての見物も、たまには悪くはない。盛岡の新たな姿に触れることができた。
盛岡市内の風景など、少し続きます
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おじさん電車/鳴らさなくなった

2017-12-04 00:02:59 | 秋田のいろいろ
男鹿線から来た奥羽本線・秋田行きに、土崎駅から1駅だけ乗車。
※土崎駅と追分駅では、駅舎内の待合スペースの工事中。内容は不明だが、両駅とも年明けまでかかる予定。土崎駅では、待合スペース・自販機の大部分が使えなくなっているが、そば店は営業中。

近くの席には、土崎より前から乗っていたタラちゃんくらいの歳の男の子と母。
列車が秋田駅ホームに入る頃、男の子が窓の外を指差して「ママ。おじさん電車だよ!」。続いて「ピンク電車も!」。
「ピンク電車」が、奥羽本線・羽越本線の普通列車701系電車を指すことは、容易に察しがつく。車体の帯の色がピンク(濃い赤紫とも言える)だから。

一方、「おじさん電車」って…
思わず窓の外を確認してしまった。
そのタイミングで見えていた車両は、ピンク電車こと701系のほかには男鹿線用キハ40系気動車(ここではキハ40形とキハ47形【4日訂正・秋田にキハ47はありません】キハ48形の便宜的総称)だけ。
キハ40系=おじさん電車と推定。(したがって、今、自分が乗ってるのもおじさん電車ということになるのだろう)
※気動車(ディーゼルカー)であるキハ40系は、正確には「電車」ではありませんが、この点は大人でも一般化しているので、ここでは問題としません。


国鉄設計の古い車体デザインであることは小さい子にも分かって、それがあたかもおじさんのように見えてしまい、「おじさんみたいな古い車両」だからおじさん電車なんだろうか。
(再掲)おじさん電車?
キハ40系も製造から40年が経つ。同年代の自分がそうであるように、もうすっかり“おじさん”なんだな…
と感慨深くなりかけたけれど、別の理由かもしれないと思い直した。
男鹿線の車両には、車両側面にナマハゲの顔が描かれている。
その子は、ナマハゲを知らないか(地元の子のように見えたけれど)、あるいは絵がナマハゲには見えなくて、おじさんの顔と認識してしまうのかもしれない。
「おじさんの絵がかいてある車両」でおじさん電車なのかも。
(再掲)こんな赤や青の顔のおじさんもいないかな…
帯色違い(緑の部分が青)でナマハゲがいない五能線用のキハ40系、あるいは国鉄時代のリバイバル塗装のタラコ色のキハ40系、そして真っ赤と真っ青な車体で側面に白い線でナマハゲが描かれた蓄電池電車EV-E801系を見たら、その子はなんと呼ぶのか、気になる。




ところで、おじさん電車もピンク電車も走る、秋田駅から奥羽本線下り方向(北)へ1.5キロほどのところには、第一新中島踏切と旭川橋梁がある。その先が県立秋田工業高校を内側にした大きなカーブで、泉踏切、秋田貨物駅に至る。
ここを通る列車は、特に危険な場面でなくても警笛(汽笛)を鳴らすことが多かった。
鳴らす場合の位置は、下りでは1つ手前の下中島踏切付近、上りではカーブの途中だったと思う。上り下りとも、橋の手前。
鳴らさずに通過する場合も一定の割合であった。

警笛を鳴らす条件は、鉄道会社ごとに決まりがあるが、秋田近辺の場合、どうも運転士の所属基地によっても違うようだ。
ここを通過する列車を運転するのは、JR東日本の秋田、東能代、大館、弘前、青森の各運輸区とJR貨物(所属基地名は知らない)だろうか、とにかくバラエティに富む。
経験上、貨物列車はまず鳴らさないし、旅客列車では弘前や青森の人が運転していると思われる長距離列車では鳴らさない場合があり、八郎潟折り返しや男鹿線など秋田運輸区の人が運転していそうな列車では鳴らすことが多いと感じていた。

一般的には、トンネルや長い橋に入る直前に警笛を鳴らすことがある。見通しが悪かったり、遮断器や警報機がなかったりといった、注意が必要な踏切の通過前にも鳴らす。これらは、万一、人がいた場合の注意喚起の目的。
この場所では、橋、踏切、あとはカーブも含めて要注意地点なので、鳴らすのかと考えていた。【13日補足】でも、旭川橋梁は、警笛を鳴らしてから渡る橋にしては、やや短いようにも感じられる。
【4日画像追加】(再掲)川の下流・西側から。対岸(右)が踏切、左側手前が工業高校で線路は西へ大きくカーブしていく
第一新中島踏切は、川沿いの道(河川管理用通路扱いか?)が通る、自動車は通れない軽車両・歩行者用の踏切。橋が上下線別に架かっている都合上、踏切部分の上下線間の間隔がやや広くなっていて、渡る距離が少し長い踏切でもある。
さらに、かつては警報機は設置されていたものの遮断機がなかった(第3種踏切)ので、踏切としての危険性が、一般的な踏切より高かったはず。10年ほど前だと思うが、遮断器が設置されて第1種踏切になった。


今年の春から走るようになった、男鹿線のEV-E801系電車は秋田運輸区の担当のようだが、やはり鳴らしていた。運行開始当初は。
ところが、5月頃には、鳴らさないで通過するようになった。そして701系やキハ40系でも、同様。
現時点では、鳴らす列車が皆無になったわけではなく、たまに鳴らしてはいる。先日は、珍しく上り貨物列車が、短く「ピッ!」と鳴らしていた。
でも、総合的には以前より鳴らす列車が減っている。

秋田支社管内では、ワンマン運転の普通列車が駅を発車する際も警笛を鳴らすのが一般的。これも、最近は鳴らさないことが以前より増えた気がしなくもない。
秋田運輸区辺りで方針が変わって、警笛をあまり鳴らさないことにしたのだろうか。

全国的に、大昔はもっと警笛を鳴らしていたが、最近は安全性向上(柵が設置されたり、各種安全装置ができたり)や騒音防止のためか、鳴らす場面は減少傾向。
旭川橋梁の場合、橋のすぐ横の踏切の警報機の音が聞こえて列車接近は分かるし、遮断器が設置されたのなら第一新中島踏切も他の踏切と変わらないわけで、考えてみれば別段鳴らす必要性がないようにも思える。

我が家では、夜など風向きによっては、ここを通過する列車の音が聞こえることがある。
下り最終列車とその戻りの回送、かつてはトワイライトエクスプレスなど、警笛とともに橋を渡るガタンゴトンという音を夢の中で聞いているのだが、警笛の音をあまり聞けなくなったのは、ちょっと物足りない。線路際のお宅ではいくぶん静かになっていいでしょうけれど。
【7日追記】久々に下り最終(701系八郎潟行きワンマン)が、折り返して秋田へ回送していると思われる列車の通過音が聞こえた。短く軽く「ポッ」と警笛を鳴らしてから橋を渡った模様。基本的には各運転士個人の判断なんだろうか。
でも、EV-E801系は明らかに導入当初より鳴らさなくなっている。EV-E801系は、スピーカーから音を出す電笛なので、指向性があって他形式の空気笛よりは騒音になりにくい(横や後ろへは響きにくい)ようにも感じるけれど。一方、EV-801系の列車には、運転士のほかに(ワンマン運転のくせに)車両トラブルや乗降時の乗客案内のためか「指導」の腕章を着けた乗務員が、前の運転台にほぼ必ず添乗している。鳴らさなくなったのは、そんなことも関係しているのかな。
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