広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2015.10バスダイヤ改正

2015-09-29 00:02:22 | 秋田のいろいろ
秋田市内の中央交通の路線バスは、今年も秋にダイヤ改正が実施される。昨2014年は11月だったけど、今回は10月1日付。
ノースアジア大学方面で経路変更や廃止路線があるが、影響は極めて少ない路線だと思われる。(後日また
それ以外では一部路線で系統の廃止や減便を含む変更があるものの、昨年よりはやや小規模に感じられた。(今回は臨海営業所担路線での変更が少ない。新屋割山方面は一切変更なし)
方針としては、昨年以前から見られる、最終便繰り上げ、運行区間短縮、近接ダイヤの統合(削減)をさらに追求したのが見て取れる。
以下、増減があるものを中心にまとめておく。
同日に9つのバス停名の改称もひっそりと行われたこの記事にて。

※以下、間違いや、取り上げない路線でも時刻の移動があるものもあります。利用の際は、各自、公式ホームページや窓口等で確認してください。
※路線名、バス停名は略称や通称(秋田駅西口→駅 等)を用いているものがあります。
※特記なき時刻表示は、「発」時刻。
【29日追記】※直営路線ではないので対象外ですが、秋田市が秋田中央トランスポートに委託して運行している、西部地区のローカル路線「マイタウンバス西部線・豊浜ふれあい号」の豊岩線では、経路が一部変更となる模様。(上り全便が県道ではなく小山集落内を通るようになるらしい。冬期は除く?)

●県庁・寺内経由土崎線(飯島北着発)
平日 上下の最終便(駅21:05、飯島北20:50)を減便。下り最終となる駅20:05を土崎駅前止まりに短縮。
→飯島北まで行く下り最終便は2本前の18:05に。上り最終は土崎駅前19:57に。

土日 朝と昼の1往復ずつを土崎駅前着/発に短縮。

●サンパーク経由将軍野線(秋田厚生医療センター着発)※県庁・寺内経由が基本。平日の下り最終1本と上りの朝と最終1本ずつは、新国道経由(自衛隊入口で新国道へ)
平日 下り最終の新国道経由(駅21:20)を廃止。
→新国道経由サンパーク線の上りが消滅。サンパークまで行く最終は駅20:20(県庁経由)に。
新国道経由(自衛隊入口まで)では、これが抜ける分、駅21:00の次が21:50となる。
自衛隊入口~自衛隊前が同経路の通町寺内経由将軍野線では、駅20:50が最終。
時刻検索では「サンパーク・新国道経由将軍野線」なる独立した路線として扱われているが、今回の告知では県庁経由と同じ時刻表に一体化している。
【10月3日追記】市営バス時代から新国道経由サンパーク線はさほど本数は多くなく、平成初期でも1日に3往復程度だった。

●下北手線(大川反車庫-秋田駅西口-手形山崎-宝川上丁・大学病院経由せず)
平日 午前中1往復減便→1日5往復に。

●築地・横森経由ノースアジア大学線(秋田駅西口発着小型バス)
平日 西口8:30、大学16:30を減便。
→1日2往復に。朝は東口発を増発して代替。

●東口発着横森経由ノースアジア大学線
平日 東口8:30(築地経由減便の代替)、土日大学18:01を増発。
→平日4往復、土日3往復に。

●築地・横森経由桜ガ丘線(秋田駅西口発着小型バス。大平台三丁目でなく梨平着発)
平日 昼(西口11:45、梨平12:15)1往復減便。
→下りは17:20、上りは7:10、17:20の1日1.5往復に。
【10月4日追記】中央交通の告知の書き方が分かりにくくて(わざと?)見落としていたが、土日の築地経由桜ガ丘方面が全廃された。東口発等での代替もなし。
築地経由ノースアジア大学方面や愛宕下橋経由雄和線の土日はいずれも昨年に廃止されており、これで土日に南通築地を通る路線バスは1本もなくなる
築地経由横森方面(=雄和線を除く)の平日も駅西口発3本(14:00ノースアジア大学、16:35ノースアジア大学、17:15桜ガ丘梨平)、西口行き4本(7時台、18時台に梨平、9時台、14時台にノースアジア大学)となり、小型バス路線は風前の灯。(以上追記)

●東口発着横森経由桜ガ丘線
平日 大平台三丁目発13:30を増便。
東口発18:20、大平台三丁目18:30(上り最終)を減便。
→近接して東口発18:30あり。上り最終は17:00に。
廃止される18時台の上りは、1年前に増発された(当時は18:10)はず。利用が少なかったのか。ノースアジア大学18:01発が増便されるのは、この代替?

●手形山団地線(手形山崎・秋田大学前経由大学病院着発)
平日 大学病院8:32(手形山西町経由せず西口止まり)を減便。
→近接して前に8:25(8:21を変更)、後に8:52。さらに8:38発太平線(谷内佐渡経由)あり。

●広面御所野線(東口発着日赤病院経由)
土日祝 時刻移動多数。
東口9:20、御所野10:10、21:20(最終便)を減便。
→最終は20:20に。(牛島経由西口行きは21・22時台にもあり)

●牛島(旧道)経由御野場団地線
土日祝 2往復(13時台・15~16時台)を減便。他に時刻移動多め。

●柳原(イオン秋田中央店前・卸センター入口・南高校前)経由御野場団地線
平日 下り最終の駅17:20減便。
→近接の牛島・御野場経由御所野行きは17:10と30あり。
柳原経由は15:40、イオン秋田中央店まで同経路の卸町経由新屋線は16:15が最終。

●牛島経由大住・みなみ野団地線(牛島西四丁目着発)
平日 上り最終とその前の計2本(牛島西四丁目19:35、20:25)減便。
→上り最終は18:25に。

土日祝 時刻移動多数。
西口17:05、牛島西四丁目16:35減便。
上り最終の牛島西四丁目19:30増便→従来の最終は18:30。休日のほうが最終が遅くなる。

●仁井田御所野線(車庫発着秋田駅西口・牛島・御野場経由)※下りは車庫でなく駅の時刻を表示します。
平日 西口17:45を減便。
→17:30御所野行き、17:42(17:40から変更)御野場行きと近接。

土日祝 時刻移動多数。
夕方に1往復(西口17:00、御所野18:00)増便。

●牛島経由二ツ屋福島線 【10月25日追記】●南大通り・牛島経由日赤病院線
平日 最終便(西口17:05、二ツ屋中丁17:21)を減便。
→最終は西口16:35、二ツ屋中丁16:51。1日7往復(+車庫直行1本)に。
【10月25日追記】中央交通の告知の書き方が悪く、見落としていた。4往復あった土日はすべて廃止。
同時に、土日14時台に1往復(下り牛島東五丁目・牛島小学校経由、上り城南中学校経由)あった南大通り経由日赤病院線(かつての上北手線荒巻・古野行き)も廃止。
これにより、JR東日本秋田車両センターのある牛島東七丁目近辺を通る路線バスも、土日はなくなった。(以上追記)

●牛島経由大野線
平日 大野四区9:50減便。→1日3往復に。

●牛島回り茨島環状線
唯一の一周便、平日西口17:25→三皇神社17:46→西口18:14を、13:30→13:49→14:19に移動。


こんなところ。(作成しながら訳が分からなくなってきたので、正確さに自信がありません…)
まとめてみると、牛島経由の土日の駅行きは、だいぶ時刻の移動がありそう。
現行では、二ツ屋下丁以降でも毎時3本程度になり、25分ほど空く時間帯もある。それがどう変わるか。面倒なので検証はしませんが、利用の際は要確認!
→検証してみました。この記事後半にて。


不可解というかうーんと思ってしまうのは、1本だけの牛島回り環状線の4時間もの前倒し。
利用者を無視したダイヤ移動に思えるが、それだけ利用者がいないということか。
大都会では「免許維持路線」と言って、客がいなくても自社がそのルートで路線バスを運行する権利を確保するために、1日1本とかごくわずかに路線バスを走らせている路線があるそうだが、これもそんなものなんだろうか。
【29日追記】※牛島回り環状線では、朝に三皇神社前始発で1周しない便(=「牛島」でも「環状」でもないですが…)が平日朝に1本ある。逆の大町回り(旧称・秋田大橋回り)は、1周するものが平日の9時台と15時台にある。大町回りの9時台の意義は不明だが、他は小学校のスクールバスを兼ねている。

なお、大町経由新屋線と牛島回り環状線のルートが重複する三菱マテリアル前から先では、移動前も後も、新屋線が20~30分間隔である間に環状線が入っている。
どうせなら、新屋線が1本卸町経由となるため、大町経由が1時間来ない15時台前半に環状線を入れてくれれば、便利なのに…
中央交通さんの事情もあるのだろうけど。
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ストリートビュー一部更新

2015-09-27 22:27:27 | 秋田の地理
Googleストリートビューで、待ちに待った秋田県が公開されたのが2013年9月26日。ちょうど2年前。
2014年8月には大潟村などが追加で公開されていた。

ストリートビューは、一定期間経過後に同じ場所を改めて撮影して更新している。秋田と同時に公開開始された青森県弘前市などでは、1年後の2014年8月に更新された。
秋田でも、再撮影しているかもしれない撮影車を見かけたという話はちらほら聞いていたものの、少なくとも秋田市内は初回公開時の2012年9~10月撮影の画像のままだった。


ところが、最近(ここ数日?)、秋田市内の一部でストリートビューが更新されていた。
具体的には、飯島(線路より西側)、土崎、将軍野、外旭川、八橋、寺内、泉といった北部一帯、茨島、卸町、牛島西、大住、仁井田の西側、御野場といった国道13号線の西側一帯、そして勝平など。
例えば、中心部とか駅東エリアとか新屋などは更新されていない。
確認した限り、更新箇所はすべて2015年8月撮影。撮影からわずか1月で公開という早業。

画像が更新された箇所では、時計のアイコンをクリックすると以前の画像を見られる「タイムマシン機能」が使えるようになる。(まれに手違いなのか以前の画像が見られなくなることもある。今回更新分では、自衛隊・新しいいとくの前が該当)
※Googleマップが「ライトモード」ではタイムマシン機能を使えず、撮影年月も表示されない。

これによって、以前のストリートビューでは空き地だった所が、
マックスバリュ泉店に(特売日だったのか珍しく車がいっぱい)
※画像左上の小窓がタイムマシン機能による以前の画像。

既存開通区間が今年北へ延伸された寺内の道は、
道ができている(延伸区間南端付近)
ただし、延伸区間の中へは進むことができない。逆の北端も同様。
地図ではここは、
道自体がまだできていない(信号から上が開通した場所)
撮影車が入らなかったのか、それとも入ったけど地図データ上は道がないから公開されなかったのか。

また、2013年7月に開通した、新国道~寺町~横町の道。
ドン・キホーテの下がその道
地図に道はできているものの、ストリートビューは途切れ途切れで、その画像は道路ができる前の模様。
この一帯は今回の更新区間ではないことはあるのだろうが、近くまで撮影車が来たのだから、未撮影の区間だけでも撮影・公開できないのだろうか。


Googleさんともあろうものなら、地図のデータと撮影車の走行データをリンクさせ、それを元にルートや撮影・公開区間を選定することは難しくないだろう(難しいかもしれないけれど、できなくはないでしょう)。
大した変化もない道路を、1年や2年ごとに全面的に撮影するよりも、変化があった箇所を優先して撮影したほうが、効率的に思えるのだけど。

その後10月12日までに、秋田市内の更新エリアが拡大されているのを確認。中心部、牛島東、秋田駅東側なども2015年8月の画像になった。ごく一部、9月撮影となっている場所もある。
ドン・キホーテ~寺町の道路もちゃんとした道の形になって公開されたが、寺内の延伸区間は未公開のまま。
線路より東の飯島や新屋(勝平でないほう)は引き続き未更新。
※さらにその後、2017年12月頃までに、秋田市内の幹線道路を中心に2017年7~8月撮影の画像がアップされた。一方で、飯島の横金線、新屋の美大前の旧国道など、幹線道路なのにいぜんとして2012年10月撮影のものだけの場所もある。

※ストリートビューについての続き
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秋彼岸

2015-09-24 20:14:19 | 秋田の季節・風景
土日+敬老の日+間に挟まれた22日が自動的に「国民の休日」+秋分の日からなる「シルバーウィーク」が終わった。
連休最終日・秋分の日23日10時過ぎの寺町
やや暑めながら晴天でお墓参り日和となった秋分の日の秋田市旭北寺町。いつもなら、参拝者の路上駐車が連なる狭い道路は、数台が駐車するのみで広くさえ感じられた。
墓地やお寺の中もいつもよりやや人が少なかった。連休の他の日に分散したということらしい。

「暑さ寒さも彼岸まで」というわけで、秋田はすっかり秋。秋田市内では稲刈りも本格化している。
関東北部や宮城県では、「線状降水帯」による豪雨で大きな被害が出てしまったが、秋田は穏やかな天候が続いている。


遅ればせながら今年の秋田市の夏を振り返っておく。
空梅雨が続き、最後に大雨で梅雨明け。8月上旬は昼も夜も暑い日が続いた。お盆を過ぎると、30度を越えることはない曇りがちの日が多くなった。
熱帯夜に近い気温だったのは11日(24.9度)、真夏日は17日(30.8度)がそれぞれ最後。例年ならば、小中学校の夏休みが終わった8月下旬に、ぶり返したように暑い日があるのだが、今年はそれがなかった気がする。
日照が足りないか心配だったけど、米の出来が平年並み以上のようなので、そこまでではなかったのか。
総じて、秋田では穏やかな夏だったと言える。

アブラゼミの声は8月30日に聞いたのが最後。今週の9月21日には我が家周辺ではとても珍しいツクツクボウシの声を聞いた。
どちらも、過去にも同じ頃に経験しているので、おおむね平年の範囲内だろうか。
秋の虫の声も、あまり聞こえなくなってきた。


歓楽街・川反(かわばた)の旭川の対岸である「土手長町通り」の街路樹のシダレヤナギは、毎年秋に道路管理者の秋田県によって、丁寧な剪定作業が行われる。※この記事後半など
10月に行うことが多かったが、今年は早まって9月8日に五丁目側から開始。
連休中の状況。右奥は「鷹の松」
秋田中央警察署付近の木まで作業を終えた段階で、連休に入った。
あと10本くらいだから連休中にやってしまうかと思ったら、しっかり休んだ模様。別に急ぐ必要もないからね。
例年同様、全部の木の剪定を終えるには2週間はかかる。今年は、弱っていたのか数本の柳の伐採が並行して実施された。
【29日追記】その後、連休明けに再開し、すぐに土日でまたお休み。週明け28日・月曜日の昼前後までに完了した。

最初に剪定された五丁目橋付近(写真手前の木が最南端)
日当たりの良い場所では、紅葉が始まったケヤキやツタもある。
西向きのツタ


ところで、マックスバリュ泉店の開店から20日でちょうど1年。
これまで「開店半年記念セール」なんてのもやってたくらいだから、もちろん1周年記念セールをやるかと思っていたら、やらなかった。(通常と同程度の「お客さま感謝デー」を実施)
しかし、500円購入ごとに抽選券を配り、4枚で1回引ける抽選会を今週末に実施するとのこと。「1周年と1週間記念セール」をやるのかな。
【25日追記】25~27日に「開店1週間記念祭」が開催される。抽選会は27日のみで折込チラシにも1回分の抽選券付き。
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三角沼

2015-09-22 00:07:42 | 秋田の季節・風景
秋田市南部で日本海に注ぐ秋田県最大の河川「雄物川(おものがわ)」。
雄物川は河口近くで秋田運河と分岐する。元々は秋田運河が本来の雄物川(旧雄物川)で、分岐から河口までは「雄物川放水路」という1938(昭和13)年に完成した人造の川。

本流~放水路から運河が分岐する「新屋水門」の改築とその上を通る秋田市道の拡張工事が2009年に行われた
久しぶりに、その近辺を歩いてみた。
水門から運河側
運河へ流れ込む水量は多いが、水はきれいに見える。その向こう岸に、草できれいに覆われた小高い丘ができていた。

以前の記事で少々触れたのだけど、ここには「三角沼」がある。地形図には名称が未掲載で、通称なんだろうか。でも、後述の国交省の整備事業では、当たり前のごとく「三角沼」と呼称されている。
三角沼は、雄物川放水路の堤防の外側、すなわち秋田運河側にあり、運河が袋状になってよどんだ部分。
普通の川なら、永年の浸食で流路が変わって三日月湖(河跡湖)になりかけなのかと思ってしまうけれど、ここはかなり人の手が入っているはず。放水路完成から80年弱でこうなるとは思えないけど、どういう成因なんだろう。
(再掲)西側から見下ろす三角沼。向こうのクレーンがあるのが水門。堤防の向こうが雄物川本流~秋田大橋
所在地は放水路と運河で挟まれた勝平(かつひら)地区の新屋船場町。しかし、船場町の本体は高台にあり、三角沼はその崖下。

実際には「三角」というより「細長い」形状。
Googleマップより地図と航空写真
湖沼がほとんどない秋田平野において、有名なものは高清水公園の「空素沼(からすぬま)」とこの三角沼ではないだろうか。どちらも、危険箇所として小中学校では近づかないよう指導されることが多かったはず。三角沼はブラックバスだったか魚がよく釣れるそうで、中学生の頃は密かに釣りに行った生徒がいたものだ。【22日追記・仁井田の「やぶれ沼」ってのも有名】
僕は釣りはしないし、堤防の道路から見たことしかなかった。崖下であるせいか、工場の裏を流れる運河のイメージからか、危険指定箇所だったからか、薄暗くじめっとした印象があり、好んで近寄りたくない場所であった。


ところが、今回、水門の向こうの三角沼付近が明るく開放的な雰囲気をかもし出していて、誘われるように行ってみた。
地元の人と国土交通省がワークショップを開いたり試行錯誤したりして、三角沼周辺を憩いの場所として整備しようとしていた話は知っていたし、水門工事の時にそれらしき工事も行われていたらしかった。それが終わって、供用されていたのだった。

堤防の道路から車も下りられるようになっていて、10台程度の駐車スペースがある。
上の航空写真でも分かるが、運河と三角沼の間のほぼ四角の土地を一周するように水辺の散策路があり、その中央部が芝生の丘。
丘の傾斜はなだらかで、難なく登れる。頂上はそれなりに平ら。
南・雄物川放水路方向。堤防があるので川面は見えない。中央左奥に美大のシンボルタワー、右奥に大森山

西・三角沼と船場町方向

北・運河下流方向
丘は雄物川放水路の堤防や船場町の住宅がある所よりは低く、別段見晴らしが良いというわけでもない。

この丘、昔からあったのか。造ったのなら無駄なような気がしたけど、こんな看板が。
「水防用備蓄資材」
この丘の下に、水防用資材が埋設されており、災害時にそれを使って水防に使うのだそう。岩ズリが2600立方メートル、土砂が20000立方メートル。
【22日追記】30年以上前の航空写真で確認したところ、丘の場所は草木がほとんどなく地面むき出しの平らな土地だったようだ。

丘は草以外に、
小さなネムノキ
ネムノキが好む環境だから、自然に生えた(実生)ようだ。数本あったけど、このまま大きくなるのかな。
下の園路周辺には、地域の人などが植樹したと思われる桜のほか、大きなネムノキなども。整備前から自生していた樹木を可能な限り残したようだ。
草刈りをしていた人がいたが役所とか業者の人ではなさそう。地元の人が手入れしているのだろうか。

散策路へ。
秋田運河
対岸は三菱マテリアルの裏側のはずだけど、木で隠れて工場の面影は薄い。
運河の水際に下りられそうな階段があるが、ロープでふさがれ「近くであそぶときは川に落ちないように注意してね!」との立て札。
川幅だけ見れば旭川レベルだけど、上記の通り流れは速く、水深もありそう。落ちたら本当に危ない。
長い1本のレール?
このレールは何でしょう? カヌー関係?
【22日追記】コメントで教えていただいた。ソリ競技「スケルトン」のスタートダッシュ練習設備とのこと。レールに車輪付きの板状の物を乗せてソリの代わりとするようだ。

北側の水辺【22日追記】ここが「舟着場」らしい
北側は運河と三角沼の境目のような所。カヌーをこいでいる人がいた。
流木が散在する西側。ここが三角沼本体

敷地南端から三角沼と奥に運河

公園(と呼んでいいのかな?)内は、晴天の休日の昼なのに、犬の散歩やスケボーをしに来た人などが数組いただけ。
秋田大橋上流側の雄物川河川敷
雄物川本体の河川敷では、たくさんの人が凧揚げとかいろいろしていたけど、三角沼はあまり知られていないということか。

道路が近いのに車の音はほとんどせず、静かな場所。火の使用とか制限事項があるのかもしれないけれど、のんびりひなたぼっこしたり、ピクニックしたりにはうってつけ。【22日追記】きれいに美しく整備され、手入れされて維持されており、好感が持てた。この状態を続けてほしい。また、悪臭もしなかったし、かつては三角沼部分で見られた不法係留船も一掃されていた。
これまでの三角沼のイメージがくつがえされた。

仮設トイレらしきものがあり、水飲み場、ゴミ箱、自販機などはなし。そう言えばベンチもほとんどなかったかも。

【2018年4月29日追記】記事をアップした2015年時点でどうだったかは不明だが、少なくともその数年後の時点では、ここは正式な「公園」であるようだ。当初は秋田市が管理していたものの、2017年度頃から国土交通省の管轄になった。公園の名称は、ネットの公的な情報でも表記ゆれが見られ、「勝平三角沼公園」「三角沼河川公園」などがあるが、まあ「三角沼公園」と言えば通じそう。
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車の色は黄色

2015-09-20 00:06:52 | 秋田のいろいろ
秋田市内でこんなタクシーを発見。
濃い黄色~オレンジ色のミニバン
セダンタイプの専用車種が少なくなったのとバリアフリーの点から、最近はこういう車がタクシー用に使われ、「ユニバーサルデザインタクシー」と呼ばれているそうだ。料金はセダン(秋田では小型車料金)と変わらない。
少々古いデータだけど2012年度末時点で、全国で451台、秋田県内では秋田市の4社が計10台を運行しているとのこと。その後も導入が進んでおり、最近はそれなりに見る機会がある。

ユニバーサルデザイン車導入に伴い、車体塗装をセダンとは別のものに新しくするタクシー会社は多いが、こんな黄色いタクシーは今までなかった。
今までこのタイプの車を導入していなかったタクシー会社ということになるが、それは写真の行灯で分かる通り「あさひタクシー」。秋田市ではキングタクシーと並ぶ最大手。


(再掲)あさひタクシーのセダン
あさひタクシーは、青系統の車体色の車が主流(一部は白と黒)だったが、がらりと色が違った。

ユニバーサルデザイン車は、屋根が高い分、社名を示す行灯はセダンよりも小さくしないといけないようだ。
行灯の後ろ側は何も書いてない
タクシー会社によっては、ユニバーサルデザイン車に小さい行灯を前後2つ設置している所もあるが、このあさひタクシーは前にやや大きめの行灯が1つだけ。行灯のデザインはかろうじてあさひタクシーらしさがあるが、側面や後方から見ると真っ白で分からない。
その分、車体の文字を大きくしたようだが、黄色い車体があさひタクシーと結びつきにくい。
後部座席のドアを開けて客待ちしている状態では、側面は前ドアのセダンより少し大きい文字の「あさひ」しか見えないはず。もうちょっと「あさひ」であることが分かるものがあってもいいと思う。


車種は日産「NV200」。今年夏に発売されたタクシー仕様「NV200タクシー」か。ニューヨークのタクシーにも、採用されているそうだ。
そう言えばニューヨークのタクシーもこんな車体色だし、日産のホームページにもこの車体色(塗装の細部は異なる)の写真が載っている。

あさひタクシーでは、ナンバープレート「19-71」(社番108)と、「19-74」(151)の2台を見かけた。ナンバープレートからすれば、最低4台以上はありそう。秋田市内の現行のタクシーにはない、鮮やかな色だから目立つことは目立つ。
【20日追記】似た色合いの車としては、「県都交通」のセダンや東北電力の車両があるが、それらはキツネ色っぽかったりややくすんだ色。あさひタクシーはそれらよりも鮮やか。
だけど、他社も含めてユニバーサルデザインタクシー自体になじみがなく、流していても手を挙げて止めるのを躊躇する客が少なくないという。まして「あさひタクシーの『車のいろは空のいろ』」が市民に定着していたので、この黄色いあさひタクシーがなじむのに時間がかかるかもしれない。

続きはこちら
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市営バスの整理券

2015-09-16 23:59:24 | 秋田市営バス
運賃が均一でないワンマン交通機関の必需品が「整理券」。乗車する駅や停留所(もしくは運賃境界)ごとに数字などが印字され、それを元に後で精算する。秋田市営バスの整理券の話。

路線バスの整理券は、始発点での扱いは事業者によってまちまち。整理券が出ていなかったり、「1」番から始まったり、往復の復路の始発点では大きい数字から減っていったり。
現在の中央交通は「1」から増えていくが、秋田市営バスでは「0」番から増えていく方式だった。※二ツ屋福島線など末端で環状運行する路線の復路は例外。

たまに「始発から乗るから整理券を取らなくていい」とか「フリー乗車券だから(以下同)」と言う人がいる。客としてはそれでいいかもしれない。
だけど、バス会社側で乗車人数あるいは利用実態の調査のために、後で回収した整理券を調べる場合がある。整理券が1枚足りなければ、1人乗っていなかったことにされて、それが積み重なれば乗客が少ないと判断されて減便されるなど客にとって不利な結果をもたらしてしまうかもしれない。
均一料金の秋田市中心市街地循環バスや高齢者コインバス対象者に整理券を取らせているのも、その目的だから、協力しましょう。

あと「定期券だから(以下同)」と言う人もいたが、これも取らないといけない。
定期券区間の手前から乗車して、その分の追加運賃を支払わずに降りてしまう可能性が否定できない。運転士はいちいち誰がどこから乗ったかなんて覚えていないだろうから、整理券こそが正規の停留所から乗った唯一の証明になるのだ。
と言っても、例えばJRの場合は降車駅で自動改札機を通る時は整理券のチェックのしようがないから、実質的には整理券は不要なのですが…

秋田市営バスの始発バス停発車後の車内放送の冒頭で、「ご乗車の際は、必ず整理券をお取りください。お待たせいたしました。ご乗車ありがとうございます。このバスは○○経由××行きです。…」と言っていたのは、こういう思いが込められていたはず。
この言い回しは、音声合成化されて中央交通にも“移管”されている。
どうせなら、発車後ではなく、(JRのワンマン列車のように)発車前のドアが開いたタイミングで言ったほうが意味があると思うけど…
【2018年6月14日追記】その後、2017年秋頃から、実際に中ドアが開いた時、行き先に続いて「ご乗車の際は~」を放送できるようになったようだ。ただ、乗車客が少なくドアが開く時間が短いと、そこまで言わないで閉まってしまう。



大昔の整理券は、再利用するプラスチックの札だったそうで、秋田市営バスも当初はそれだったようだ。
わりとすぐに紙の券に代わり、長らくインクでスタンプ式に印字していたが、1990年代中頃からは感熱紙のサーマル方式が普及して現在に至る。
記憶と記録にある市営バスの整理券をまとめる。

秋田市営バスに限らず、「昔の整理券」といえばこれをイメージする人が多いかもしれない。
事業者によっては、紙の上下に社紋や社名を入れた専用用紙を使っていたようだが、秋田市営バスでは真っ白い紙。
数字は赤紫~濃いピンク色のインクで両面に印字。
片面にだけ青で「整理券/通用当車限/417 秋田市交通局」とある。青い文字は重要視されていなかったようで、インクが薄くてほとんど読めない場合も多かった。「417」の数字の部分は、車両ごとに違う番号だったはずだが、号車番号とは一致しない。※僕は今回まで「適用当車限」だと思い込んでいた。適用ではなく通用でした。
写真では分かりにくいが、中央部の「通用当車限」とある辺りに端から端まで「|||||||」状に凹凸の帯がある。用紙送りのローラーの跡だろうか。
これは、小田原機器製の整理券発行器のもの。
再掲・札幌市営バス)小田原機器製発行器
1985年度頃から268号車を除く1991年度までに導入された全車両と、1992年度の秋田八丈塗装のワンロマ車4台がこの整理券だった。

別にこういうタイプも。
書体が違う。数字以外の文字はどうだったか不明
インクの色が違って赤が強い感じ。やはり中央部に凹凸の帯があるが、長さや幅、深さが上のものとは異なる模様。
1984年度以前の導入車両がこの整理券だった。発券器のデザイン(大きさは同じくらい)も違って、旧型の整理券なのかと思っていた。
でも、同時期に違う色合いのインクが並行して使われていたように見えること、たしか弘南バスではもっと新しい車両でもこの整理券が使われていたことからすれば、小田原機器ではない別のメーカーの整理券だったのかもしれない。
【2018年8月4日追記】「奈良工業」という企業も整理券発行機を作っており、ネット上の趣味のサイトによれば、インクの色合い・書体や、発行機のデザイン(大型で無塗装のような銀色、横書きの「整理券」「整理券をお取りください」の表示)が、市営バスのこのタイプと同じ感じ。奈良工業がどういう企業かは不明だが、インク式だけで感熱紙式の発行機は作っていなさそう。



以前触れたように、1991年度導入の268号車では、1台だけおそらく試験的に感熱紙タイプが導入。
黒い印字や日付、「バスツアーは市営バスでお出かけ下さい」という宣伝文が印字されるのが目新しかった。
【10月3日追記】268号車の整理券は1993年13月頃には、インク式に交換されてしまっていた(自分で記録していた)。印字が欠ける部分があったり、下記の感熱紙式とはメーカーが違ったのかもしれなくて、扱いにくかったのだろうか。

1992年度の新車から、本格的に感熱紙タイプが導入されていく。既存車のインク式を感熱紙式に交換することはなかった。
【20日追記】以下、感熱紙の整理券は各タイプとも裏表とも同一の印字。
1992年度(上記4台以外)と1993年度導入車(小型車も含む)では、


バーコード付き
1992年度と1993年度で整理券のスタイルは同一だと思っていたが、バーコードの書式が違うようだ。

日付と号車番号とともに、バーコードが印字されたのが画期的だった。バーコードは整理券の番号を示していたと思われる。
同時に、新タイプの運賃箱が導入された。運賃箱は運賃表示器と連動していて、投入されたバーコードを読み取って、運賃額を表示、さらに投入された硬貨をカウント(自動計数)するという、当時としては最新鋭であろうシステム。メーカーは三陽電機製作所(現・レシップ)のはず。

ただし、回数券で支払った場合はカウントできず、中で引っかかることもあり、価格も高かったのだろうか。導入は2年間だけに終わってしまった。
一時期、この装置を搭載した一部の車両を用いて、バスカード(磁気カード)の試験がひっそりと実施されていたが、それも結局実用化せずに終わった。
さらに、これらを全車両に設置すれば、利用実態をほぼ完全に把握でき、ダイヤ設定に活用することも可能であっただろう。


1994年度から最後の1996年度までは、
市営バス最後の日付
大きく「整理券」と印字され、バーコードがない感熱紙に代わった。(今の中央交通のもこれだっけ?
【20日追記】これは小田原機器製だと思われる。現在の中央交通のもこれとほぼ同じ。相違点は、車両番号の表示がなく、「整理券」だけ明朝体であること。

市営バス末期には、中央交通へ譲渡した車両とのやり繰りの関係で、車両間で整理券や運賃箱の付け替えが行われたらしい。その結果、
号車番号が「0000」の整理券
号車番号が表示されない整理券や、1つの車両にバーコードがない整理券とバーコード読み取り機能付き運賃箱が搭載されるというちぐはぐなケースもあった。


さらに、ごく短期間だけ使われた整理券も。
初めてバーコードが付いた1992年度導入の一部車両は、当初は違う整理券だった。
272号車
書体は同じだが、レイアウトが違い、番号が2ケタでバーコードが密だったりといった違いがある。
このタイプは、大量に導入された三菱製中型車のうち、後から導入された4台(272~275号車)がこれだった。
さらに、先に導入された3台(269~271号車)では、また違うバーコードの整理券だった。券面のほとんどがバーコードで、「秋田市交通局」ではなく「秋田市」としか印字するスペースがなかったはず。

さらに、269~271号車では、当初は運賃箱も別のタイプが設置されていた。「両替式運賃箱」と表示された銀色のボディで、おそらく両替しなくても自動的に釣り銭が出てくるタイプ。【10月3日追記】日産ディーゼル製の276~278号車もこのタイプの運賃箱が設置されていたようだ。整理券は??

その後、たしか半年もしないうちに、整理券と運賃箱が替わってしまった。【10月3日追記】半年よりは長かったかもしれないが、長くても1年程度だった。
整理券は設定変更や部品交換で対応できたかもしれない。新しい運賃箱は、上部が水色の「自動両替機付運賃箱」。これが最後まで使われた。
いくらなんでも半年で買い換えないだろう。メーカーと協力して最新式の装置を試験導入したとか、メーカーからお試し用に借りた物だったのだろうか。

大きさを比較
インク式の整理券はやや長かった。技術的な限界だったのかもしれない。感熱紙に慣れないうちは、短くて取りにくく感じたことがあった。【17日追記】感熱紙は表面がツルツルしているのに対し、インク式ではややザラザラした紙であり、ローラー跡の凹凸が滑り止めの役目を果たしていたことも取りやすさの違いだったかもしれない。今は感熱紙にすっかり慣れて大きな問題ではないけれど。
【20日追記】市営バス時代に1度だけ、「インク式の発券機に感熱紙のロールをセットしてしまった」車両に遭遇した。インクが乾きにくそうだけど、機器内部で紙が滑るようなことはなかったようで、手触りがちょっと違うな程度にしか感じなかった。(紙は感熱紙のほうが高いだろうから、交通局としては浪費ではあった)
【10月3日追記】上から3つめの「00」の整理券は、紙サイズが5センチ×2.5センチだったようだ。幅2.5センチは他も同じかな。


秋田市営バス亡き後の秋田のバスでは、感熱紙整理券はバーコードなしが一般化した。
高機能な運賃箱は市営バス以外は採用されず、機能としては昔と同じ運賃箱に戻っているのが実情。費用対効果からして仕方ないだろう。
全国的には、地方都市でも高機能なシステムを採用しているバス会社も多い。
静岡のしずてつジャストラインの小田原機器の整理券
現在の整理券のバーコードは、横に長いタイプが主流で、かつての秋田市営バスのようなものはなさそう。
【21日追記】感熱紙式の整理券発券機が老朽化すると、横方向に印字が薄れる場合がある。プリンタの特定のドットが機能しなくなるとそうなるのだろう。かつての市営バスのような向きのバーコードでそれが発生すると、まったく印字されないバーが出現し、読み取れなくなる可能性がある。それを防ぐために、今は向きが変わったのかもしれない。(上記、最初期の269~271号車のバーコードは今と同じ向きだったはず)

ICカード乗車券が使えれば整理券は不要(乗車バス停がカードに記憶されるので)だが、現金で利用する人もいるから、しばらくは整理券が活躍することだろう。

【10月7日追記】2015年時点の中央交通でも、一部ではインク式整理券がまだ使われていた。
2001年に導入された三平バスがそれ。小田原機器製のようだが、上の写真のものよりボディの幅は狭く、カラシ色。数字も異なり、角ばっている。【2018年初め時点でも継続使用】

【2018年3月12日追記】2018年時点で使われている小田原機器の感熱紙式整理券発行機では、中央交通のようなバーコードを印字しない機種でも、「運行ごと・整理券番号ごとに、何番目のバス停で何枚発券したか」を集計した一覧を出力(整理券と同じ紙だから細長くなる)できるそうだ。ダイヤと路線図と突き合わせれば、バス停ごとの乗客数をほぼ把握できる(券を取らなかった人は当然カウントできないし、おそらく同じバス停でいったんドアを閉めて再度開けて乗車させた場合などはずれる可能性もありそう)。市営バス時代の発券機には、集計機能はあったのだろうか。

整理券についてのちょっとした考察
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新・CNA道路カメラ

2015-09-14 20:06:34 | 秋田のいろいろ
半年近く経って今さらですが、今年4月から秋田ケーブルテレビ(CNA)の自主放送・コミュニティチャンネルがリニューアルされた。
従来は、10チャンネル(リモコン番号)で自主編成、12チャンネルで天気予報と道路ライブだったものを、両チャンネルのサブチャンネルをフル活用した4チャンネルに再編。
101chが「デイリーあきた」、102chが「全国CATV局便り」、121chが「スポーツ&カルチャー」、122ch「お天気・交通情報」と銘打たれた。
101~121チャンネルについては、従来の10チャンネルの番組を振り分けたり、県外CATV局の番組を流したりするもので、長期間に渡って毎日同じものが何度も流れている印象。


122チャンネルは、従来と同じく天気と道路ライブカメラの映像ではあるが、1つのチャンネルにまとめられたせいか、画面構成は大きく変わった。

3月までは、秋田市内7か所に設置されたカメラの映像が、北から順に15秒ごとに切り替わる繰り返し。
※南から北に戻る時は、タイトル画面的位置付けでもう1か所のカメラの映像が5秒だけ映ったので、厳密には8か所の映像。
ライブカメラの画像に重ねて地点名や道路の方向のテロップが固定表示されるだけで、その他の情報はなし。

4月からは、1つの画面にライブカメラと天気が同時に表示され、さらにそれ以外の情報をも表示する画面も登場。
おそらく時間帯で使い分けているのだと思うけど、電子番組表やホームページではではどれも「道路LIVE情報」という番組名なので、よく分からない。次のパターンがある。BGMは従来と同じ曲がローテーション。
・「情報伝言板」

画面右上に道路ライブカメラの映像を1つずつローテーション。下に天気予報(天気の表示位置は全画面共通)。
右下には「交通情報」を表示。秋田空港の出発と到着便が表示される。
左側には、コミュニティチャンネルで以前からやっていた、催し物の告知「情報伝言板」の静止画面。

・「写真投稿ひろば」
情報伝言板の代わりに、視聴者から投稿された写真が表示される。

・「交通機関情報」

下段に天気。上を3分割し、そのうち右にライブカメラ1つ。
左には、秋田空港の出発情報と到着情報を表示。
中央には「秋田新幹線」とあり「秋田新幹線こまちの到着情報をお届けする予定です。」とあるものの、4月以来表示される気配なし。(当初は「4月下旬から~」と出ていたはず)
ホームページや番組案内誌のサンプル画面では、秋田駅中央改札上の到着表示と同じデザインっぽいものが表示されていたが、JRとの交渉が不調でしょうか。
(再掲)これっぽいのが収まる予定?
※その後、2015年12月末時点でも、「お届けする予定です。」のまま。その後、2016年4月までに、やっと情報が表示されるようになった

・「道路情報」
7つの道路情報カメラを、4地点ずつ同時に表示。南北の2画面に分かれ、文化会館前は両方に表示。
背景は、秋田市中央部から見たであろう街並みと太平山の山並み。ライブではなくいつも同じ写真。
 
以上。
このシステムの構築や運用は、鳥取県の「サテライトコミュニケーションズネットワーク」というCATV関連のこういうことをやる企業が行っているようだ。


個人的には情報が多すぎてごちゃごちゃして見づらくなったと思う。
1画面の表示時間が長すぎて、目的の画面にたどり着くのが待ち切れないことも多い。

だから、天気予報なんか見る気がしない。
従来は隣県の天気とか天気図なんかも出ていたはずだけど、それはなくなったのだろう。

そして道路情報。以前のようにライブカメラの画像だけが画面いっぱいに表示されることはなくなったが、カメラの解像度が低かったから、小さくなってもその点はさほど問題ない。
7か所のカメラは画面内に表示される文字も含めて変わっていないが、インターバルの5秒のカメラの映像は見られなくなった。新屋のどこかに設置されているはずで、いつか場所を突き止めてやろうと思っていたのに…

ライブカメラの一覧画面ができて便利かと思ったが、そうでもない。逆に従来よりも見づらくなった。
従来は、15秒×7か所だから2分弱あれば、全地点の映像を見たり、目的の地点のカメラにたどり着けた。
ところが、この一覧画面は同じものが2分間表示され続けるから、タイミングによっては従来より長く待たされてしまう。
また、情報伝言板や交通情報などとともに1画面ずつ表示される時は、1つのライブカメラにつき従来の倍の30秒ずつになってしまい、1周に3分半かかり、もどかしい。



残念なのは、道路情報画面の地図。
データ放送の渋滞情報とは別の地図だし、渋滞箇所に色が付いたりもしない。
模式化されているのは分かるけれど、その地図がヒドイ。
北側
道路の配置はともかく、「26」とか「56」じゃあ分からない人もいる。「山王大通り」「新国道」とあれば親切。
問題は鉄道。「奥羽本線」でなければならない秋田駅よりも北側に「羽越本線」と「秋田新幹線」が“延伸”してしまっていて、秋田貨物駅付近が新幹線の“終点”。
秋田駅以南では、秋田新幹線と並走しているはずの奥羽本線はなくなってしまっている。(これは他の地図でもたまにある)

南側
国道7号線がこちら側をまったく走っていないように受け取れるが、まあ地図の範囲外にあるということでしょうか。
線路が引き続きおかしい。
こちらは川もヘン。「秋田運河」と「雄物川」はつながっていなければならないのに、ニアミスに終わっている。
秋田運河は、雄物川から海までを指すのに、この地図では、国道13号、茨島交差点の北を経て、2本の線路まで続いている。ってそれは「太平川」でしょ!
「太平川」を示すのなら「旭川」もほしいところ。(太平川はまず旭川と合流し、その旭川が秋田運河と合流する)
県道56号線・秋田大橋のすぐ上流で羽越本線が雄物川を渡るのに、地図では並走してしまっている。


地図を作るには、空間認識やデザインの知識と能力とセンスが必要である。(国交省がおかしな地図を公開していた過去の記事参照)
今回は下手な人が作ったのかもしれないが、秋田県外の企業が地図を作ったために、線路や川の境目や取捨選択を誤ったのも一因かもしれない。だったら、事情を知るCNA側がアドバイスなり検証なりをしっかりやって、正しい地図にしないといけない。
2016年4月頃までに、鉄道路線のおかしな点は修正された
※そして2016年10月にリニューアルされた。



あと、上の写真で気付いた方がいらっしゃるかもしれませんが、ライブカメラの「明田地下道付近」のアングルがおかしい。
道路っていうより建物ばかり。もちろん「○○方向」の文字は合っていない
本来のアングルよりも70度くらい左側の南方向、明田踏切跡へ至る脇道を写してしまっている。
実は数年前にも同じことがあり、たしか休日が入ったせいか数日間そのままだった。今回は5月16日土曜日に発生したが、当日中(だったか翌朝までだったか)に正しいアングルに戻った。
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続報2つ

2015-09-13 22:36:45 | 秋田のいろいろ
NHKの報道室が支局化されたことについて。

7月28日に開催されたNHK理事会の議事録(8月28日公表 http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/rijikai/27/20150728.pdf)に「報道室の対外呼称変更に伴うNHK情報公開規定、NHK個人情報保護規程の一部変更について」というのがあった。
平成27年8月1日から、全国148か所の報道室の対外呼称を「支局」に統一する
 →和歌山局ホームページでは9月からとなっているのですが…
・現在、支局では、情報公開・個人情報保護の窓口業務を行っていますが、(略)報道室の多くは記者1人の体制で、こうした業務への対応は困難です。また、従来の支局についても、営業拠点の集約により、体制がコンパクトとなることなどから、(略)今後は親局で対応することとします。
などとあり、そのために情報公開と個人情報の決まりを変えたそうだ。

従来の14支局から営業機能をなくすことにより、その業務内容が報道室と同じになるため、報道室のほうも支局という名にしちゃおうということか。
本件の本質は「報道室の(支局への)格上げ」ではなく、「旧・支局の(名前はそのままで)格下げ」ということになりそう。

これは「対外呼称」だそうだが、じゃあ内部呼称はどうなんだろう。報道室のまま?
いずれにしても、公共放送にしては受信料納付者・視聴者への説明が不足している。

【19日追記】前回触れた秋田局「ニュースこまち」火曜日の「報道室特集」コーナーは、「わがまち発見」とかいうのに改称されたようだ。(ホームページは未変更)



保戸野みその通りの街路樹について。

13日付秋田魁新報 秋田市地域面で「保戸野みその通り 改良工事/街路樹伐採で波紋/住民「景観を損なった」/市「やむを得ぬ措置」」として報道された。
新たに分かったことは、
・車道を20センチほどかさ上げして歩道との段差をなくすバリアフリー事業の一環

・根が路面下に広がり、作業に支障を来すことが分かったため、8月中旬から下旬にかけて30本を切り倒した(残ったイチョウは10本=通り全部でなく、今回の工区内でということかも)
・1981年前後に植えられた=道路建設がその頃ということ。もう1年くらい後かと思っていた。

・市道路建設課は「伐採は道路に側溝を設置するためのやむを得ない措置」「(街路樹が大きくなって)電線に触れる恐れがあり、葉も茂って夜間は街灯の光が届きにくかった。住民から安全対策を求める声があった」と説明。
・事前の告知がなかったため、周辺住民からは(略)不満の声が出ている
・市は工事終了後、周辺住民の意見を聞きながら街路樹の植栽について検討する
といったこと。

通りに面して民家が並ぶのだから、当然それらへの説明があったかと思っていたが、それがなかったとは驚いた。
道路建設課が言う、電線に触れるうんぬんは後付けの言い訳がましい。その理由ならば、秋田市じゅうの街路樹にその恐れがあるはずだから、全部伐採しないといけなくなる。
一方で、住民からは不満の声ばかりではないような気もする。「落ち葉の片付けがいらなくなって助かる」「(特にカイヅカイブキがなくなって)明るくなった」という声もあるだろう。
個人的には、伐採してしまった以上、新たに植えるのは無駄だと思う。いつかまた大きくなるのに、その時にまた伐採しちゃうの?(しつこいですが、少なくともカイヅカイブキはもう植えないでほしい)

※工事完成後の光景はこちら
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報道室が支局に?

2015-09-10 20:42:46 | 秋田のいろいろ
NHKは、全国に「放送局」が53局存在する。(道府県庁所在地+北海道6市+北九州)
各放送局の下部組織として、取材や営業(視聴者対応)を行う拠点が置かれてる。
この記事でも触れたように、これまでは次のように区分されると理解していた。
取材と営業両方を行うのが「支局」。かつては放送局だったものが合理化により(番組制作・電波送出機能やアナウンサー配置を廃止して)格下げされた形。建物はかつての放送局の建物を使っていることが多いので、大きい。全国に14。
取材のみを行うのが「報道室」。ビルの1室にいつも同じ記者(契約職員らしい)が1人だけ駐在しているような(?見たことないので想像ですが)ところ。多くの放送局の下に2~3程度ずつ配置されている。(さらに小規模な「通信部」もあるようだ)
※放送局や支局が入る建物のことは正式には「放送会館」と呼ぶらしい。


さて、秋田放送局の夕方の「ニュースこまち」では、隔週火曜日に「報道室特集」というコーナーがある。
秋田局配下にある、大館、能代、横手の3報道室が取材したレポートが放送される。(20時45分からのニュースでも使い回される)
NHK秋田放送局ホームページより
8日は能代からのレポートだったのだが、スタジオのアナウンサー・キャスターが能代の取材拠点を指して「能代支局の~」と言っていた。

「能代“報道室”」の間違いじゃないの?
でも、20時45分も含めて複数回、別々の人がそう言っていた。

じゃあ、いつの間にか「能代“支局”」に昇格した?!
そう言えば、8日では「報道室特集」というタイトル名が言われたり表示されたりはしなかった。記者の氏名にも所属は併記されなかった。

秋田放送局サイト内の「アクセス」のページを見ると、

なんと3報道室とも名称が「支局」になっていた!
つい最近まで「報道室」と言われていたはずなのに、いつの間にか「支局」化されていた。
じゃあ、「報道室特集」は「支局特集」にしないと…

秋田局以外の他の放送局のホームページを見てみると、多くで報道室が支局に名称変更していた。秋田局の独断でやったのではないことになる。
和歌山放送局ホームページ「和歌山放送局のあゆみ」には、いちばん下に、

平成27年9月 県内にある各報道室を「支局」に呼称変更」と明記しており、今月から変わったのが分かった。

ツイッターで検索してみると、新潟局の長岡報道室の表示が7月23日に「支局」に変っていたとか、松江局の浜田報道室が8月1日付で支局になったという情報も見られた。時期は局によって異なるのかもしれない。
新潟局ホームページでは「報道室」のままですが


となると、以前から支局だった元放送局の14支局はどうなるのか。
支局を持ついくつかの放送局のホームページを見てみたが、「支局」のまま。しかも、そろって報道室の存在自体を掲載していない(青森局など昔は出ていたはずだけど)。

ということで、表面上は旧放送局だった支局も、旧報道室だった支局も、どちらも「支局」になったととらえなければならない。(さらに、海外の取材拠点も「支局」だ)
旧報道室は、貸しビルの1室ならまだしも、アパートの1室みたいな所に入るものもあり、それも支局となった。
Googleストリートビューより大館支局が入るビル。秋田放送大館支局がお隣さん(同フロア)のようだ
【12日追記】ストリートビューは2012年10月撮影。現在ABSの支局は別に移転している。そもそも、ABSは「県北支局」が正式名称だそう。どうして看板が「大館支局」なんだ?
一方で、旧放送局だった支局は、大きな建物。
(再掲)弘前支局が入る弘前放送会館
見た感じでは同じ「支局」だとは思えないが、名前を聞いただけではどちらも同じ「支局」。

これまでの支局は視聴者対応をしていたが、旧報道室の支局ではどうするのだろう? やらなそう。
例えば、弘前支局で対応してもらった経験がある視聴者が横手へ引っ越し、アパートの1室の横手支局に「受信料の住所変更の手続きをしたいのですが…」と訪れてしまうことも考えられる。

NHKの内部ではどうなのか知らないけれど、視聴者にとっては紛らわしいだけの名称変更だ。
しかも視聴者にほとんど説明なしに呼称を変更したのは、公共放送としてはいかがなものだろうか。

※呼称変更の事情はこういうことのようだ
コメント (8)
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1台だけ違うバス

2015-09-09 21:12:07 | 秋田市営バス
先日は、同型がなく1台だけ導入された秋田市営バスの路線車両を紹介した。
今回は、同時に複数台導入された中で、1台だけちょっと違った車両たちのお話。

結論から言えば、事故などで車体を破損して修復する際、元々とは違う部材が使われたことが原因だと考えられる。
鉄道車両や一般の自動車でもあり得ることで大した話ではないけれど、個性的な存在であった。記録としてまとめておきたい。

271号車
前回紹介した1991年度は、三菱製中型車両がたった1台だけ導入された。
その反動かのごとく、翌1992年は269~275号車の7台も導入され、新塗装の市営バスでは、同年度内同型車の最多導入記録(?)となった。

269~271号車の3台が10月初め頃、残りが12月頃【16日訂正】11月頃と2度に分けて納車された。271号車のナンバープレートは344で、次の272号車は364と飛んでいることからも分かる。
271号車
上の写真で秋田の路線バスとしては変わった、というか意味がない構造に変更されている箇所がある。それが271号車だけの特徴。

側面の客席窓に注目。

秋田市営バスの中型バスは、上下に2分割され、昇降させて開閉するタイプの窓。
ただし、行先表示器が設置された箇所だけは違い(表示器と窓枠のサイズが合わないし、厚くて昇降できなくなるので)、表示器の下側が左右(進行方向からすれば前後)にスライドする小さい窓になっていた。
秋田市営バスでは、中ドアが入口だったから、そのすぐ右側(後方)の窓に行先表示器が設置され、そこがスライド窓だった。

ところが271号車では、前ドア右「一般乗合 271」表示の上、いちばん前の座席の窓も、その構造になっている。行先表示器はないから、上は固定窓。
同年同型車のみならず、市営バスで唯一の仕様だったはず。
272号車の側面。もちろんいちばん前は上下窓

深い意味はないだろう。
窓・窓枠が破損して交換する時に、あり合わせなのか手違いなのか、上固定・下スライドの部材が設置されてしまったと思われる。多少見栄えは良くないものの、特に不都合はないだろうし。
中央交通に譲渡後もこのまま使われた。(廃車済み)

なお、前乗り方式だった首都圏などで使われた中古車を、中乗りのバス会社で使う場合、行先表示器を移設して結果的にこのような見かけになることもある。


281号車
同じく1992年度。この年は1988年度を最後に途絶えていた大型車も、青い窓など豪華な仕様で導入再開。いすゞ製では279~282号車の4台が導入。
279号車
正面に秋田市の色の若草色(?)で「秋田市営」の行灯があるのも特徴の1つ。
日野製の行灯はやや小さく地色が経年で黄ばんでいたが、いすゞは大きくて白地が保たれていた。※この記事参照

ところが、281号車だけは、
いい写真がないのですが
「秋田市営」の文字が紺色~青色。地色も他は半透明に近いのに、これは不透明っぽい。
上から貼り付けたようにも見える


279号車
行先表示器(方向幕)の蛍光灯と連動して行灯も点灯するようだ。
281号車では、
光らない?!(単に球切れとか、別にスイッチがあって切っていただけかもしれません)

ということで、行灯が破損し、不透明の部材で新たに作ったことになる。
行灯自体に存在意義は少ないし、夜に点灯する必要も低いから、不透明にしたのは理解できるけど、文字の色も変えたのはどうしてだろう。若草色より見やすいといえば見やすいけど。
そもそも、内側から光るから「行灯」であり、光らなければ単なる「事業者名表示」に過ぎない気もしますが。

この4台は中央交通へ譲渡され、行灯の事業者名が書き換えられた。
夜はどうなるか知らないけれど、見た感じでは市営バス時代の281号車と同様の不透明っぽい地に青文字で書かれている。
後に、282号車だった「358」だけは行灯自体がなくなり、外板が下に拡大されたような構造になった。ヘッドライト周りの黒い枠はそのままで、どことなく不格好。


以上2点は、愛好家がホームページで紹介するなどして、知っていた人には知られていたようだ。
以下は、ネット上では見たことがないので、知る人が少ない差異かと思われる。
131号車
以前紹介済み
(再掲)
1995年度のうち1台だけ、正面の市章が蛍光色のような色だった。旗を付ける棒も違った。



249号車
1990年度は、日産ディーゼル製中型車が248~251号車の4台導入された。
富士重工が組み立てていたボディが一新され、前年度導入車まではいちばん古くさく見えたものが、今度はいちばんスタイリッシュに感じられたものだった。※この記事も参照。大型車は前年度に新デザインで2台導入していた。
富士重工も日産ディーゼルもバス製造からは撤退してしまったけれど、2015年時点でも、古くは見えないデザインではないだろうか。

その1台、249号車の正面。
249号車。ナンバーが「200」ちょうど
バスにある程度詳しい人が見ても、違和感はないと思う。
前回紹介した268号車とかそれ以降と比べても、塗装の色味が若干違う程度。

ところが、他の3台とは違う。
250号車
バンパーと一体化した黄色いフォグランプの位置が違うのです。他の3台はヘッドライトの下なのに、249号車だけは横(内側)。

他年度導入分の同タイプでは、フォグランプがヘッドライトの下にあるのは1990年度の中型車だけ。
1989年度の大型車や1991年度以降の中型車・普通型(低床車JP)車は、すべて横。
※直接関係ないが、最終導入の1996年度には、ウインカーに連動するコーナリングランプが設置されている。
251号車。雪が着いて分かりやすいが、後にフォグランプが付く場所が凹んでいる
つまり、全体的に見れば、1990年度の249号車を除く3台のほうが、変わった存在とも言えよう。
249号車にバンパー交換の必要が生じた時には、下にフォグランプがある元々のバンパーは製造中止になっており、その時点の現行タイプのバンパーが取り付けられたと考えられる。

このタイプのボディ末期(2000~2003年の大型車など)では、再びヘッドライト下にフォグランプがあったようだが、秋田県内には存在しないかも。
他メーカーのバスや普通自動車では、フォグランプは下のほうに取り付けられるが多いようだ。


272号車
最後は冒頭と同じグループの272号車。
272号車
僕は実物では気付かず、後に写真で気が付いた。
(再掲・2002年撮影)
正面の車体の色が、ちょうど真ん中を境に左右で微妙に違っている。「272」の書体も左右で違う。

右(ドア側)のほうが色が濃い。「272」は左(運転席側)のほうが本来の書体。

見るからにツギハギの補修をされた車をたまに見るけれど、これはかなり上手にやっている。秋田市営バスの丁寧な仕事ぶりの1つと言えよう。
【10日追記】2005年撮影の272号車では、右ヘッドライトの左にシールが貼られている。これは、三菱の2度目のリコール隠しの発覚を受けて、2004年7月から実施された緊急点検を済ませた車両に貼られた「点検済ステッカー」。
点検内容によるのか色違いの正方形ステッカーが、1台に複数貼られる場合があり、バスではこのように緑と青の2枚セットをよく見かけた。(トラックは緑だけだったらしい)
貼付位置は所有者が指定できたようで、バスでは車内の銘板の隣とか、車外側面の前ドア周辺に貼らせた事業者が多かった印象。秋田市交通局のように正面に貼らせたのは珍しかったと思う。(以上追記)


おそらく、他にも、気付けなかった1台だけ違うバスが存在したことだろう。
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マックスバリュパン3

2015-09-07 20:48:43 | ランチパック等パン類
ご当地の原料を使ってたけや製パンが製造し、マックスバリュ東北の店舗(青森、秋田、岩手、山形、新潟各県。一部店舗を除く)で限定販売される菓子パン。
第2弾が6月から8月まで発売され、間髪を入れずに第3弾が発売された。9月1日から10月31日まで、2種類を各税込み105円で販売。

相変わらず、通常の(=どこの店でも売っている)たけや製品かと誤解されそうな包装で、「マックスバリュ東北限定」とは一言もない。「新発売」シールもたけや通常商品と同じ。
リングりんご 407kcal
「さくっとしたデニッシュ生地をリング状にし青森県産富士りんごのジャムをサンドしました。」
語呂がいい商品名。
説明書きの「富士りんご」は誤り。リンゴの品種名はひらがなの「ふじ」ですよ。
 
たしかにサクサクして、ジャムも適量。生地が少々こぼれるのが難。


デニッシュコロネ 山ぶどう&ジャージー牛乳クリーム 349kcal
「デニッシュコロネ生地にジャージー牛乳のホイップクリームと岩手県産の山ぶどうゼリーを同割にまぜてしぼりこみました。」
ヤマザキ、たけや、工藤パンでは、数年前から岩手県産山ぶどうのジャムなどを使った商品をいくつか出している。これもその1つになりそう。
ジャージー牛乳は産地が記載されていないが、秋田の花立牧場工房ミルジーのとかでしょうか?
 
パンの中のクリームにはゼリーの粒が見えるが、クリームもブドウ色。
ただし、説明文や原材料から判断すれば、クリーム自体には山ぶどうは入っていなさそう。

秋田銘菓「さなづら」を砕いたような山ぶどうゼリーの味が分かる。ジャージー牛乳かどうかは分からないけれど、バランスはいい。
大きめで食べ応えもあって、なかなか。(前に出ていた、別のデニッシュコロネよりも大きい)


さて、マックスバリュ東北パンの第3弾までで、原料が使われた県は、青森と秋田が2回ずつ、新潟と岩手が1回ずつ。山形はまだ。
ということで、次は山形のものが出るかな?
第4弾はこちら
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みその通りの街路樹

2015-09-06 21:06:38 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部の保戸野(ほどの)地区から泉地区にかけて、新国道の東側をほぼ並行して南北に延びる秋田市道がある。
秋田市によって道路愛称が付けられていて、北側2.4キロほどが「泉いちょう通り」、「保戸野学園通り」との交差点を境に南側400メートルほどが「保戸野みその通り」。(以下、いちょう通り、みその通りとします)
※保戸野みその通りは市による初めて命名が行われた1983年度、泉いちょう通りは2004年度の命名。
※泉いちょう通りの北端(新国道との交差点から東方向の部分)700メートルは県道126号線。泉地区だけでなく南側では保戸野地区内も通る。
※保戸野みその通りは、沿道に聖園(みその)学園短期大学とその関連施設があることにちなむ。秋田市内には「南通みその町」があるが、あちらは聖霊短大付属高校が由来。

異なる愛称の2つの道路は開通した時期も微妙に違うが、一直線で見かけはほぼ同じであり、普段意識することはない。
今回はみその通りのこと。
今年度、みその通りでは工事が行われている。

みその通りのような30年ほど前に建設された道路は、歩道部分が車道より1段高い構造が一般的だった。
横断歩道や車が出入りする部分では歩道に傾斜ができてしまい、バリアフリー面や通りやすさには難があった。
状況によっては歩道が波打ったかのよう
それを解消しようと、秋田市では古い道路の歩道部分を車道と同じ高さにして、縁石(歩車道境界ブロック)で区切る構造に改造する工事を順次行っている。その順番がみその通りにも来たようだ。なお、現在、楢山登町でも実施されている。
【2016年11月2日追記】従来の歩道の構造を「マウントアップ」形式と呼び、工事後は「セミフラット」形式になる。セミフラットは、バリアフリー法で標準の歩道とされているもので、完全なフラット形式とは違ってわずかに段差がある。その段差があることで、視覚障害者が歩道と車道を区別できる。


最初の段階では、南端の通町の通りとの交差点からカーブした辺りまでのわずかな区間で工事が行われ、その部分は完了した模様。
交差点方向。開通前はこの辺りで道路が終わっており、北側(後方)はまったく新規に道路ができた

みその通りには、他の通りよりもきれいな花色が多いツツジや、昨年は特に美しく黄葉したイチョウといった街路樹が植えられている。
街路樹は高い歩道部分に植えられていたわけだから、この工事では、街路樹部分にも手が入ることになる。

上の写真の通り、最初に工事が行われた部分では、ツツジもイチョウも残った。
大きさや葉色の不揃いさからしてイチョウは工事前と同じ株で間違いない。ツツジは前より小さくなったが、刈り込まれたのか。


その後、現在は残りの北側のほぼ全区間で工事中。
(再掲)昨秋撮影。今はここから奥が工事中

上の写真の向かい側から現在の状況。上写真左のイチョウが、この写真左手前

短大正門付近から通町方向
以前と比べて、あっさり、すっきりした印象を受ける。
上の写真の聖園短大沿いでは、イチョウとツツジのほかに、カイヅカイブキが植えられていたのがなくなっている。イチョウの間隔は従来のままのようなので、カイヅカイブキが抜けた分、かなりスカスカ。
着工前

現在

聖園以外の一般住宅の部分では、
以前(イチョウの枝が落とされた直後)

現在
イチョウもなくなった!
イチョウの切り株
イチョウは、聖園付近や北端などごく一部を除いて伐採された。おそらく先週辺りに作業が行われ、30本以上はなくなった。


カイヅカイブキとイチョウがなくなった理由。
かつての聖園短大正門付近。ここの右側のイチョウは残った
まずカイヅカイブキ。
上の写真で分かるように、カイヅカイブキは、聖園の敷地前にだけ植えられている。
さらにこの先で東西に交わる「保戸野学園通り」の秋田大学附属学校の敷地前にも植えられている。

これは、教育・福祉施設にできるだけ影響を与えないよう、車の騒音をカイヅカイブキの枝葉に吸収させたり遮ったりすることで緩和する意図があったようだ。
当時附属学校に勤務されていた先生が提案して実現したという話を聞いた。
学園通りは1980年6月10日開通だそうで、みその通りはその数年後の開通だから、こちらが第2弾なのだろう。

騒音軽減になったかどうか効果のほどは分からないが、道路を通行する人にとっては、このカイヅカイブキは少々迷惑だった。
繁茂したカイヅカイブキは壁のようになってしまう。学校の敷地側はブロック塀だから、ここの歩道は両側を壁に挟まれたような形で、薄暗くて陰気臭かった。夜は街路灯・防犯灯の明かりも充分には届かなかったかと思う。
車道から歩道はほぼ見えないため、隙間から横断しようとすれば飛び出し事故になりかねない。
上の写真では、下のほうが刈り込まれているが、昔は下まですっぽり葉で覆われていて、それらの“弊害”が顕著だった。
かつては左側が緑の壁だった
そうしたことで、カイヅカイブキはないほうがいいとなって、撤去に至ったのだろう。よく見れば、聖園の敷地内の塀際にもカイヅカイブキなどが植えられているし、新しい建物は気密性が高いだろうし、道路側の対策はもう不要なのかもしれない。カイヅカイブキがなくなったのは納得できる。(ついでに附属のほうも…【7日追記】主に附属中学校の敷地が道路際だけど、そこは体育館やグラウンドのはずなので、存在意義は低いと思う)


一方、イチョウ。
よく茂っていたが、カイヅカイブキほどの閉塞感はなかった。すべて雄株なので、ギンナン落下が問題でもない。
それでも、上の写真のように周期的にバッサリ切られており、その手間や費用か。
あるいは、高齢化が進んでいるであろう沿道の世帯にしてみれば、落ち葉の掃除も大変だったのかもしれない。イチョウの葉は油分が多いからちょっと面倒。
見る分にはきれいだけど

2008年の黄葉。もう見られない
多くの街でそうだと思うが、イチョウは街路樹によく使われる。
みその通りの周辺でも、同じような立地に同じような方法で同じくらいの樹齢のイチョウが植えられているけれど、そっちはいいの? ということになる。
例えば、北側に隣接する、
泉いちょう通りは?
泉いちょう通りからイチョウがなくなったら、いちょう通りでなくなるよ。

【7日追記】撤去した跡に何かを新たに植えるという可能性もなくはない。変化があれば後日また。※続きはこの記事後半参照。
※工事完成後の光景はこちら
※ここより北側、いちょう通り方向が翌年度工事された
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宿泊割引券

2015-09-03 22:46:08 | 秋田のいろいろ
以前、国の地方経済活性化として各地で行われているプレミアム付き商品券を取り上げた。
全国的には、発売時に並んでいて熱中症になって何人も救急搬送されたとか、発売を委託された金融機関が独断で得意先に優先的に売ったとか、買えなくて役所に文句を言った人に屈して次回優先発売券を渡してしまったとか、騒動があった。


同じ目的でもう1つ行われているのが、割安な宿泊券。
日用品にも使えてしまう商品券よりは経済効果がありそうな気もするが、やはり分かりにくかったり、公平とは言えない点もあると思う。そのお話。

この宿泊券は、多くの県や一部の地域・市町村単位で実施している。「ふるさと割」とか「ふるさと旅行券」とかが共通の呼称らしい。「プレミアム(付き)宿泊券」や、「券」ではなく「クーポン」と称するものも多い。

商品券は、基本的にその地元の住民が地元で買って使うものだから、「その人が住む自治体の商品券」1つだけを調べて買って使えばいい。
でも、宿泊券では自分が住んでいない自治体を旅行先に選ぶ人が多いだろうし、複数の旅行先を比較する場合もある。だから、複数の自治体の割引制度を調べて比較しなければならない。発売日も購入方法も効力も違うのに。

それなのに、全国すべてを一覧して比較できるサイトなどはない。(一覧っぽいサイトもあるが、網羅されてはいない)。さらに、具体的なスケジュールは未定で「○月頃に発売」としている自治体もある。
報道される地元の人は分かるだろうが、それ以外は意識して調べないと分からない。僕も、秋田県のは知っていたが、県外の事情は分からなかった。「秋田県 ふるさと割」などと検索するしか知る方法はなさそう。


宿泊券の効力はほぼ共通で、宿泊料金が半額相当になる。発売される総額・数は決まっている。
ただし、どのタイミングで割引が適用になるか、どうやって手に入れるかは各地でまちまちで、同じ県でも複数方法を採用していたりで、分かりにくい。発売・宿泊可能期間も長かったり短かったり異なる。

入手方法のパターンを大雑把にまとめてみる。※ご利用の際は、各自、調べてください。
○紙の宿泊券を事前に購入するタイプ
1.先着順で購入→各自宿泊予約→宿泊時(または旅行会社)の支払いに使用
コンビニ端末で先着順に発券・購入。宿泊先での精算時(もしくは旅行会社での予約時)に、宿泊券で代金(の一部)を支払う。
2.申し込み・抽選→当選者が購入→各自宿泊予約→宿泊時(または旅行会社)の支払いに使用
事前に申し込み、抽選を行い、当選者がコンビニで発券・購入。使用法は1.と同じ。

○オンラインクーポンタイプ 取得→宿泊予約時に先着順で適用
宿泊予約サイトで「(紙ではなく権利としての)クーポン」を配布。サイトでの予約時にクーポンが適用されて割り引かれる。宿泊予約の先着順なので、クーポンを取得しただけでは使えない場合がある。

多くの自治体で、上記2つを組み合わせているようだ。他にも、
旅行会社で割引販売
旅行会社で、割り引き商品を発売(宮城県)
各自宿泊予約→申し込み・抽選→当選者に割引券送付→宿泊時に使用
宿泊予約を済ませた人を対象に抽選を行い、当選者に割引券を送付(新潟県)
などの方法もある。

旅の目的地の決め方は人それぞれ。
「何月何日にどこに泊まりたい」と何か月も前から決めている人ならともかく、近場などで「来月の前半辺りに、県北のどこかに」と漠然と計画する人には、具体的な宿泊日・場所を決めるの(予約)が後でできる紙タイプがいい。クーポンだと間近に決めた時には使い切られてしまっている可能性が高い。
新潟県のやり方では、宿を予約しても割り引かれない可能性もあり、あまりうまいやり方ではないと思ったが、転売対策か。


では、秋田県と青森県の(紙の)宿泊券を見てみる。
秋田県は「アキタノ旅クーポン」という名称。「旅」以外カタカナ。
・1枚5000円相当の宿泊券を2500円で発売。
・予約は予約サイト経由でも可能だが、事前オンライン決済ではなく現地決済のみ(使い方からすれば当然)。
・他の割引券等との重複利用も可。→予約サイトのポイントを使ってもいいのかな?

秋田県観光連盟が事務局で、第一弾が5月25日に3万枚、第二弾が秋に1万枚を、先着順でコンビニで発売されることになっていた。(使用期限はどちらも2月29日まで)
ところが、5月25日にトラブルが発生。
11分で完売したかと思ったら、アクセスが集中してシステムトラブルとなり、8865枚を発売しないまま終わってしまった。
そこで第二弾は、第一弾の残りと合わせて1万8865枚を、先着でなく事前抽選で発売することとされた。
この業務はJTBが受託したらしいが、「発売方法変更に伴う費用の掛かり増しが見込まれるが、受託業者がこれを全額負担(あきた県議会だよりNo.152)」したとのこと。

第一弾は1人当たりの購入回数・枚数制限がなかったようだが、第二弾では1人1回のみ、10枚までに制限され、申し込みの住所等での重複チェックも実施したとのこと。
申し込みは7月21日から8月6日にハガキとサイトで受け付け。8月25日から当選者に通知し、9月1日から8日までに購入。
購入場所は、代金引換とセブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス。(申込時に指定)
なお、第一弾では秋田県内に店舗がないミニストップでも購入できたが、第二弾では未掲載。ミニストップのチケット端末は、ローソンと同じ「Loppi」だからできなくもなさそうだけど…


青森県は「いくべぇ!青森旅行券」。青森県庁の担当課が窓口のようだ。
「いくべぇ」は、青森県・函館DCマスコットキャラクターの名前。
青森県では「「いくべぇ!青森クーポン」」というのもある。これは予約サイトのオンラインクーポンなのだが、まぎらわしい。

旅行券は、5000円相当を2500円で抽選発売など、秋田の第二弾とほぼ同じ条件。
申し込みサイトなどの雰囲気からして、秋田と同じくJTB(JTB東北)委託か。
明示された違いは、
・宿泊施設での支払いのほか、JTBとびゅうプラザでの対象旅行商品の支払いにも充当可。
・1泊につき1人当たり2枚まで、2連泊まで使用可。
・代金引換での受け取りはなし。ミニストップで受取可。
・他の割引券等との重複利用かどうかは不明。
・チェックイン時に身分証明書を提示し、アンケート用紙を受け取る。
といったところ。

2度に分けて発売するが、利用可能な時期は秋田と異なり区切られていて、第1期に9月から11月に宿泊できる1万5千枚、第2期に12月から来年2月の2万5千枚発売。
第1期は申し込みが7月27日から8月3日、9月1日から通知、2日から10日に購入。(第2期は詳細未定)


というわけで、秋田の第二弾と青森の第1期は、申し込み・利用方法がだいたい同じ。
半額で宿泊できるのはうれしいけれど、並んで買いたくはなかった。だけどネット申し込みなら手間もかからない。ダメ元で両方に申し込んでみた。
いろいろ考えて秋田を2枚、青森を5枚。

秋田県のサイトによれば、第二弾は「応募件数23,932件、応募枚数202,700枚」。秋田魁新報によれば、その6割弱がはがきでの応募。
1人当たり約8.5枚。どういうやり方で抽選するのか知らないけれど、当たらなそうに思えた。

ところが、秋田も青森も運良く当選した!


ということで受け取り。
今回はローソンにした。Loppi(ロッピー)を使うのは、ほぼ初めて。
トップ画面でどこをタッチすればいいか戸惑いそうだけど、事前にサイトの説明を見たので大丈夫。
会員登録等がない場合、当選通知にあった予約番号と登録した電話番号、ひらがなの氏名入力が必要。【16日追記】漢字変換ボタンが表示されるが操作不要。他のコンビニでは名前入力自体が不要なところもあるとか。
レシート状の長い紙が出力され、それをレジに持っていく。
バーコードを読み取られ、その紙にカタカナで署名して、代金支払い。


今回ローソンを指定したのは、Suicaで決済できる(はず)だから。
ビューカードからSuicaにチャージするので、結果的に1.5%分のビューカードのポイントがたまるのだ。

他のコンビニでは、チケット類はクレジットカードや電子マネーでは決済できないことが多いが、ローソンの場合、その商品(チケット)にもよるが可能な場合が多いそうだ。
個別の商品ごとに可能かどうかは店員さんも把握できていないことが多いようで、とりあえずレジを操作して、(電子マネーの場合)選択画面が表示されれば「可能です」という対応をすることもあるようだ。
秋田も青森も、Suicaで決済できた。

レジの奥にあるレーザープリンターから専用用紙のチケットが出力され、専用袋に入れて渡してくれた。
おでんからチケットまで手に入り、コンビニってほんとうに便利な店だなと、今さらながら痛感した。※Loppiは1998年に全店舗に導入されたとのこと。


券面の内容は、秋田も青森もほぼ同じ。居住県名と氏名を記入する欄がある。


さて、この種のもので問題になるのが、ネットオークションなどによる転売。
秋田県の第一弾でも出品が確認されて問題視された。県がオークション運営会社に対策を求めたり、サイトや券面に「転売不可」と表示したりしているが、結局のところ秋田、青森以外も含めて、いたちごっこのようだ。

今回も、秋田、青森とも出品されてしまっている。
この時はアキタノ旅クーポンが18件出品
多くが上限の10枚かそれに近い枚数であり、最初から転売するつもりの営利目的で申し込んで購入した者だと考えられる。
【4日追記】同じ画像・出品者名で10枚ずつ複数を出品している者もいる。申し込み段階から不正を行っていた可能性もある。

オークションのことはよく分からないのだけど、

例えば額面5万円分(発売額2万5千円)を4万円ほどで入札している人もいる。(のかな? )
本来なら半額になるものを、2割引程度でも欲しいのだろうか。格安プランでも探したほうがお得に泊まれそうな気もしますが…

こんなことが行われていては、普通に使おうと申し込んで落選した人は悔しく腹立たしいに違いない。
出品段階での対応が追いつかないのなら、利用された段階でなんとかする(出品者までさかのぼって)べきだ。
【4日追記】1人で5万円分まで買えるのは、ちょっと多いと思う。長期滞在とか大家族でなければ、そんなに使わない。多くの人に行き渡るよう、上限枚数を下げることも必要かもしれない。

青森では「ご使用になる方およびそのご家族の方以外によるご購入は、ご遠慮いただくようお願いいたします。」とホームページに記載した上、上記の通り宿泊先での身分証明書提示が必要で、転売対策としているのだろう。
ただし、券面には身分証明書のことは書かれていないので、現地でトラブルにならないだろうか。


それにしても、どちらも購入できてほんとうにラッキー。ささやかながら秋田と青森の秋から冬の旅を楽しませてもらおうと思う。
秋田の発売は終わってしまったけれど、青森など今後発売される地域も少なくない。もう少し遠くへも行ってみたいけれど、上記の通り、いつどうやって発売されるかの情報収集はこまめにしないといけません。

【9日追記】青森の旅行券うちファミリーマートで発券されたものにおいて、券面右側の利用期間が「2016年11月30日まで」と1年長く表示されていたことが分かり、訂正された。

【9月25日追記】青森県平川市では「ひらかわふるさと旅行券事業」を実施していた。
「市内宿泊施設が企画し、市外在住者を対象に販売する1人1泊12,000円以上の宿泊商品について、商品購入者1人当たり6,000円を助成する事業」。
「券」という名称ながら、実際には各宿泊施設へ直接申し込む方式。
今日現在、対象は3施設だけ。平川市は碇ヶ関温泉郷も抱えるのに、そこは1件も対象になっていない。(いくべぇ旅行券も、碇ヶ関は参加施設が少ない)


【11月5日追記】
山梨県の「おもてなしやまなし!ふるさと旅行券!!」(の紙版)はまた独特。
まず、9月から2月まで使える3割引の「通年用」、12月から2月まで使える半額の「冬季用」の2種類がある。
各5万枚。1人4枚まで、先着順で、セブン-イレブン、サークルKサンクス、チケットぴあで直接発売またはネット予約の引き換え。(総数・1人当たり枚数制限のせいか、11月初め時点では、どちらも売り切れていない)
ただし、決済手数料が1回につき216円、発券手数料が1枚につき108円、それぞれ別途かかる。なんだかなぁ…
しかも、公式ホームページ(公益社団法人やまなし観光推進機構)には、購入者が家族へ譲渡することが可能かどうか、転売が可能かどうか、券面に署名が必要かといった、秋田や青森では明示されていた注意事項も見当たらない。使おうとする側では不安だし不公平にも感じる。そういう意味では、秋田や青森のやり方はベストはないにしてもベターだと思った。
【11月13日追記】山梨はJTB関東に委託していた。秋田や青森はJTB東北なので、受託会社の違いもあるのかもしれない。


【2016年2月7日追記】
一部ビジネスホテルでは、「宿泊料金が通常より高額で、その分、QUOカード等の金券がもらえる」プランが設定されている。
これは、出張等の宿泊費が実費で支給される企業等において、宿泊者がちょっと“儲ける”ことを狙いにしていると思われる。(勤務先にバレた時、不正行為とするかどうかは、その組織次第)
紙のふるさと旅行券はどうだか知らないが、宿泊予約サイトのオンラインクーポンでは、こうしたプランが予約・利用できてしまい、そのことを紹介しているブログ等も見受けられる。
この制度の趣旨からして、ふさわしくないと思う。
予約サイト側の設定や監視で対応できるはずだし、国も本腰を入れて指導していただきたい。(でも、国はどこの省庁が所管しているのか、よく分からない)
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バス停移動/群馬中宍

2015-09-02 21:17:40 | 秋田のいろいろ
秋田のバス関連2題。
2013年10月15日から千秋公園入口と木内前のバス停の乗り場(ポール)が4つから2つに集約された。※この記事後半
そのうち、千秋公園入口で若干の変化が発生中。
手前からホテルドーミーイン、アトリオン。奥方向が秋田駅
秋田駅寄りにある2番乗り場と中心市街地循環バスぐるるのポールが、移動している。
秋田駅方向に100メートル弱動き、ホテルドーミーイン玄関のほぼ真ん前に置かれている。
縁石が少し撤去されている
もともとの2番乗り場付近で県が「電線管を埋設する工事を行っています。」そうで、8月18日から11月30日まで移動するとのこと。(工事も11月30日まで)
右端が元々の2番乗り場の位置
考えてみれば、このバス停から乗る人(降りる人はほとんどいない)って、どこから来るのだろう? 駅前の次のバス停だし、周りはシャッター商店街なのに。
横断歩道から少し離れたのでバス停が今までより遠くなる人はいるかと思われるが、さほど影響はないような気がする。
循環バスぐるるでは、千秋公園入口を「エリアなかいちの最寄り」として案内しているが、この位置では、次の木内前のほうが近い。




以前、秋田の中央交通の車体に表記された社名を話題にした。
いすゞと日産ディーゼルの車(新車で購入し、塗装変更していない車)では、独特の書体のために「央」が「宍」のように見えていた。
その後の新車では、一般的な丸ゴシック体に変わってしまい、「中“宍”交通」が今後増えることはなさそう。

先日、秋田駅前にて。
「CHUO BUS」
寸詰まり版の日野セレガ。フルサイズのセレガと同じボディデザインだけど、短いためかコロンとしてかわいらしく、ちょっと好印象。

全国に「○○中央交通」とか「○○中央バス」が複数存在する。老舗かつ大手では神奈川、北海道、そして秋田かな?
これはどこの中央バスかと思うと、前に「GC」とある。
行灯にも書いてるけど「群馬中央バス」
以前「GFバス」の記事とコメント欄で少々話題にした通り、群馬では「群馬」を「G」とするのが好きなようだ。

群馬中央バスは耳慣れないバス会社だったけれど、1950年設立で群馬県前橋市で路線も貸切もやっている。
そう言われれば、車体の塗装も昨今の新興中小貸切専業バス会社のものとはどこか違って、風格のようなものが漂う(?)。
後部

後部右下に大きめに社名が正式表記されている。
正面の行灯、側面後部下にも、律儀に表示しているのも好ましい。で、その文字。
「群馬中“宍”バス」(モノクロ変換)
かつての秋田のとよく似た書体だ。
(再掲)
微妙に違う。秋田のほうがバランス的により「宍」っぽい「央」のようだ。
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1台だけ導入

2015-09-01 23:30:34 | 秋田市営バス
久しぶりに秋田市営バスの(マニアックな)話題。
バスでもその他営業車でも、同じ型の車を同時期に多数購入することがよくある。「まとめ買いすれば安くなる」という理論だと思われる。

一方、過去にも触れたように、役所では公平性が求められ、日本にバスメーカーは4つだけ(秋田市営バスがあった当時)のため、購入台数もしくは費用を4メーカーに公平に割り振って購入する公営バス事業者も多い。

秋田市交通局では1990年前後では毎年15~20台を入れていたが、その年度内でメーカーの偏りはほぼなかった。
1994年から1996年までは年に10台以下の導入となり、「年ごとにメーカーを変え、その年度内では1~2社に偏って導入」という方式になった。例えば各社から1台ずつ×4社では効率が悪いからだろう。

ところが、まれに、「そのバス会社内にその型のバスが1台しかない」ということがあり、「異端車」として愛好家に注目されたりする。
試作的な意味合いの車両だったり、秋田市営バスの2階建てバス「みはらし号」のような特殊用途といったケース。最近は他社の中古を入れるので、諸般の事情で同型車を1台しか入れられなかったということもある。中央交通のエアロスターのように。

1986年度以降の新塗装の秋田市交通局の路線バスでは、同型車を3~5台(まれに2台とか7台とか)まとめて発注するのが多かったが、中には同時期導入の同型車がなく1台だけの存在だった車が5例あった。それをまとめる。
※小型バスも1年に1台だけ導入されたことがありましたが、それが普通であり、メーカーが同じで差異が小さかったので割愛します。
※ここで言う「同型」とは、型式ではなく「同メーカーで同サイズでスタイルがだいたい同じ」程度の意味合いです。
1986年度208号車(三菱大型)
新塗装最初の年。大型車だけを日産ディーゼル以外の3社から導入。
日野といすゞは3台ずつなのに、三菱だけが1台となった。
3メーカーとも、特殊な窓配置(ガラスの着色はなし)や行灯があることなど、当時としては豪華な仕様だったが、208号車はオプションで角型ヘッドライトも採用された。(日野は標準の丸型、いすゞは標準で角型)
(再掲)
おそらく、当初は行き先表示(方向幕)が、黄緑色地に白文字という見づらいシロモノだったはず。
この年は、貸切用のスーパーハイデッカーを2台(200、201号車)、三菱から購入しており、その分、路線車の導入を減らして公平にしたのか。


1987年度は導入がなく、1988年度からは中型車の大量導入が始まる。路線車としては初めて日産ディーゼル製が入って4社が揃った。
1988年度は17台導入したうち、大型車5台、中型車12台。日野は5台すべて中型、いすゞは大中2台ずつだったが、三菱と日産ディーゼルでは変わった配分となった。
1988年度214号車(三菱大型)
この年の三菱製は4台。3台が中型(215~218号車)で、1台だけが大型の214号車。
(再掲)前年よりスペックダウン装備が簡略化【2日スペックと言うほどじゃないので訂正】し、普通の窓でヘッドライトは丸型
結果的に三菱の大型車は、2年連続して1台だけの導入となった上、これ以後は同タイプは1台も入らず、秋田市営バスにおいて三菱エアロスターは少数派となってしまった。
この2台は外見からして他と異なったため、まさに異端の1台×2だったと言えよう。

以下の3例は、その年度内では1台だけの導入だったが、前後の年にほぼ同型の車が導入されていて、見た感じの違和感はあまりなかった。
1988年度225号車(日産ディーゼル中型)
初の日産ディーゼル製路線車は3台。大型は2台(223、224号車)で中型が225号車1台だけ。
(再掲)ほぼ同一の1989年度導入車両
1988年は貸切の導入はなかったようなので、路線車だけの割り振り。日産ディーゼルについては、初導入なので大型・中型両方を入れて比べたかったのかもしれない。


1989、1990年度は、中型車だけが大量に導入されたため、各社ともまとまった台数が入った。
1991年度は中型路線車に加えて貸切車も導入(257~259号車?)されたためか、また1台だけの車両が2つ出た。
日野は中型路線3台、いすゞは中型路線4台だったが、三菱と日産ディーゼルが中型路線1台ずつ。三菱と日産ディーゼルは、貸切車両も導入されており(おそらく三菱1、日産ディーゼル2)、その分か。
1991年度267号車(三菱中型)
個人的には、市営バスの車両でかなり印象が薄いのが267号車。乗る機会は少なくなかったのだけど。
「267」のフォントが前年度とも翌年度以降とも異なる
同型車が前年には6台、翌年には7台も導入された。それらをどうしても「連番の同じグループの車両」として見てしまい、そのはざまの1台だけで控えめな存在だったのだろう。
以前座席のことを話題にしたが、三菱製は1992年度から座席の形状や配置が変わって、従来よりゆったり(=これまで窮屈だったのがやっと他社並みに)したものになった。267号車が最後の窮屈な座席の車両だったようだ。

1991年度268号車(日産ディーゼル中型)
(再掲)右が268号車
仕様は1990年度導入の4台とほぼ同一。
強いて上げれば、車内の窓枠の下(壁との境)のプラスチックの部材が、昨年まではほぼ平面の硬い材質だったのが、268号車では一部がゴム状でなだらかに盛り上がったものに変わった。ところが、翌年以降はまた元に戻り、ここだけは完全に異端だった。
矢印の部分。写真では分かりませんが
“境遇”としては267号車と同じ存在だけど、個人的には267号車よりも存在感を覚えた。268号車は、市営バスの歴史の中で「節目」と言える車両だと思うから。
翌1991年度の同型車ではさまざまな変化が生じたので、その直前の最後の1台であるとともに、変化のきざしも感じられたのが268号車だった。すなわち、「市営バス最後の~」と「市営バス最初の~」が268号車で見られた。
最後だったのは、「押しボタンが小さい降車合図ボタン」「マニュアルトランスミッションの日産ディーゼル製中型車」「千円札両替が手動式の運賃箱」。
再掲)このボタンで導入された最後が268号車
翌1992年以降、押しボタンは大型のもの、トランスミッションは日産ディーゼル製はオートマチック(1992年の三菱はマニュアルで導入され、それが最後)が採用された。
運賃箱は、それまでは千円札を縦(床と垂直)方向に挿入し、運転士が何かの操作(ボタンを押す?)しないと両替されなかった。【2日追記】運賃箱に「両替ユニット」的なものを外付けしたようにも見えた。
翌年からは、同じ小田原機器製の運賃箱でも、現在と同様に横方向に挿入するだけで自動的に両替されるタイプ(【2日追記】箱本体に両替機が一体的に内蔵されて、外付け感はない)、もしくは三陽電機製作所(現・レシップ。三洋電機とは別)製の高機能(バーコード読み取り、投入硬貨自動カウントなど)な運賃箱が採用されていく。

初の導入となったのは、感熱紙式の整理券発券機。
それまでは、赤紫や青のインクで印刷するタイプだった整理券が、感熱紙に黒色で印字されるタイプになった。
発券した日付も(「秋田市交通局」の文字も?)印字され、現在主流の整理券とほぼ同一。
さらに「バスツアーは市営バスでお出かけ下さい」という宣伝文句も印字された。

当時は、ワープロ専用機の印刷用紙として感熱紙がよく使われていたが、レシート、ATM利用明細、検針票などにはまだ使われておらず、バスの整理券という用途としても、さらに整理券に日付も含めて鮮明に印字されるのが、斬新に感じられた。
【2日追記】インク式では、インクが薄くて判読できなかったり、濃すぎて手に着いたりすることがあったが、それが解消されてサービス向上になった。インク補充の労力削減や日付表示で不正使用を防止するという、事業者側のメリットもあるはず。ただし、券のサイズがわずかに小さく(短く?)なり、取ったり持ったりでわずかな違和感もあった。

市営バスでこれと同一の整理券発券機が採用されたのは、268号車だけ。
翌1992年は、上記高機能運賃箱に対応したバーコードが印字される感熱紙式と、従来通りのインク式が並行導入。末期にはバーコードはなくなったが、宣伝文句がない一般的な感熱紙整理券が採用された。
【10月3日追記】ただし、268号車の整理券は1993年13月頃には、インク式に交換されてしまっていた(自分で記録していた)。印字が欠ける部分があったり、他の感熱紙式とはメーカーが違ったのかもしれなくて、扱いにくかったのだろうか。

【2日追記】267号車と268号車のナンバープレートを見てみると、連番ながら順序が逆転している。
運賃箱や降車ボタンは267号車も同じだった(整理券はインク式)ので、その2点については、267号車のほうが「最後の車両」とも言える。
※整理券や新型運賃箱についてはこの記事参照



以上、一部は試験的意味合いがあったのかもしれないが、もう少しうまく各メーカーで大・中の配分をできなかったかという気もする。
憶測だが、当時は、中央、東、南の3営業所があり、営業所ごとに配置される路線車両のメーカーがほぼ決まっていた。中央にいすゞ、東に日野、南に三菱と。おそらく、この関係で偏った導入になったのではないだろうか。
1993年には南営業所が廃止(新屋案内所に格下げ)され、東営業所は日野、中央営業所はそれ以外の3メーカーという配置になる。そのせいか、以降は1台だけの導入例はない。

一方、同時に多数が導入された一群でも、その中の1台だけが後から異端な存在になってしまったものもある。後日また
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