昨日の続きで、弘南鉄道について。
10月14日の鉄道の日に合わせて、最近(たぶん3年前から)は弘南鉄道でも、「ふれあい感謝祭」というイベントを開催している。弘南線、大鰐線それぞれの車両基地で日程をずらして1日ずつ行われる。
イベントとしては、14日に弘南線平賀駅で行われるほうが大々的なようだが、僕は弘南線にはなじみがなく、あえて行く気にはならない。
13日の大鰐線津軽大沢駅のほうは、実は昨年からぜひ行きたかったのだ。(昨年は都合により行かれなかったし、雨が降ったはず)
会場の弘前市南部にある「津軽大沢駅」には、車両、運行管理、電気、保線などの拠点があり、大鰐線の列車運行の中枢となっている。
駅自体は、市街地から外れた農村集落の中にあり、駅としての規模は大きくない。比較的近くにJR奥羽本線が走る。降りたのは初めて。
駅付近ではほぼ東西に線路が伸び、北西に岩木山がそびえる。線路の北は老人ホームや変電所、県道「アップルロード」があり、その先はずっとリンゴ畑や田んぼ。線路の南には、駅舎と車両基地(「検修所」と呼ぶらしい)など変電所以外の鉄道施設と集落が続く。
現在、大鰐線は昼間は1時間に1本の運行で、大鰐、中央弘前両駅を毎時30分に発車し、約30分かけて終点に向かう。その両列車がすれ違うのが、津軽大沢駅。
いつもはそう利用者が多い駅ではないはずだが、この日は上下両列車からイベント参加者がぞろぞろと降りた。
右がホーム。赤いコーンから左が車両基地であり会場
会場へ向かう人には、スタッフが「入場パス」という、カラーコピーした定期券サイズの紙をくれた。特に効力のある紙切れではないが、来場記念と来場者数把握のため、かと思っていたが、入場パスには「電車利用者以外は入場料150円が必要」という旨が記載されていた。無料イベントじゃなかったのか!(150円は弘南鉄道の駅の入場券と同額だから、入場券代わりということになる)
でも、入場者の区別や、確実に入場料を徴収できたのかは、疑問。
会場にはいくつかテントが張られ、大鰐町の「鰐come」の飲食物などの販売、弘南鉄道と鉄道が廃止になった十和田観光電鉄のグッズ販売、なぜか「ラジ4駆(ミニ四駆みたいなの?)」コース設置、それに休憩用のテーブルがある程度。あとは車両展示。
まずは、ラッセル車と1926(大正15)年製の電気機関車「ED22 1」。
キャラクター「ラッセル君」のモデルでもある。ラッセル君は着ぐるみがいたけどすぐにいなくなった
どちらも近くで見るのは初めてで、ラッセル車は内部の見学もできたようだが、これが僕が来た目的じゃない。
右手前がED22
奥の方に並んでいる電車が、今回の目的。
この3編成
右端が7000系電車、中央と左が6000系電車。
以前も紹介したが、現在の弘南鉄道の旅客車両はすべて1960年代に製造された東急電鉄の中古が1988年頃に譲渡されたもの。弘南線はすべてが7000系、大鰐線も現在走っているのはすべて7000系。※東急としては「“先代(初代)の”7000系」
ほかに大鰐線に2両編成×2本=計4両だけ、6000系電車というのも同時に東急から来ている。元々製造数が少ない形式だったが、日本中で現存するのは弘南鉄道だけ。
1つの台車につき1台のモーターで駆動(通常は2台)するという珍しい方式で走り、車体構造もボディはステンレスなのに骨組みは鉄という黎明期のもの、しかもデザインや走行音が独特であり、異彩を放つ車両。
2006年までは朝(もっと前は夕方も)に快速が運転されていて、6000系はそれがメインの活躍の場。
僕が弘前にいた頃は、乗る機会は一度もなかったものの、何度も走る姿を目にして、走行音を耳にしていて、なじみがある車両であり、大鰐線を象徴する車両と捉えていた。
快速廃止後は、7000系検査時の代走など予備車両として走ることもあったが、大鰐線の減便と6000系自身の老朽化によりその機会さえ減った。
2008年には「さよなら運転」が行われたものの、以降も定期点検は行われて走行可能な状態であり、時たま愛好家団体が貸し切って運行することがあるようだ。
そして、昨年のふれあい感謝祭では、大鰐線で特別に運行され、乗車することもできた。
その時は「走行する機会はこれが最後ではないか」という話もあり、ぜひ行って乗りたかったのだが、上記の通りかなわなかった。
しかし、幸いにも今年の感謝祭でも展示され、さらに乗車できないデモンストレーションながら走行することになり、訪れたのだった。
上の写真の通り、7000系も含めて、展示されている車両は、普段の弘南鉄道での姿とは若干違い、赤や青の帯(警戒色)がない。
これは、東急でのデビュー当時の姿に戻したもの。右の7000系は、さらに違う。
お花やヘッドマークなど装飾付き
ヘッドマークには「祝 弘南鉄道85周年 オールステンレス車両50周年」とある。
「オールステンレス車両」とは、骨組みも含めた全身ステンレス製の車両ができて50周年ということだが、その日本発のオールステンレス車両が、この7000系。
この装飾は、1964年の東急東横線の地下鉄日比谷線乗り入れ開始の祝賀電車のものを模したのだそうだ(「railf.jp鉄道ニュース」http://railf.jp/news/2012/10/16/120000.html より)。
考えてみれば、元々の東急線内のみならず、乗り入れ先の地下鉄日比谷線から譲渡先の弘南鉄道大鰐線まで、7000系の活躍の場は広い。
行き先表示も通常とは異なる。(通常は「大鰐-中央弘前」固定)時々、東急の駅名表示を模したものが表示されていた。
そして、
2編成の6000系
6000系も、東急時代の行き先表示や「急行」表示板付き。
右が6007-6008、左が6005-6006。
6000系の片方はもう走ることができない状態という話を聞いたことがあったが、どちらもパンタグラフが上がっていて、前照灯が点灯していた。
反対側にも回りこんで見ることができた。
こちらはどれも装飾なしだが、行き先は東急のもので、前照灯が点灯
ギラギラ光るステンレス、丸っこい先頭部、側面全部に入る筋(コルゲート)に注目
久しぶりに見た6000系はやっぱりインパクトがある。
前照灯の形、ものすごく控え目な車両番号表示も特徴的
7000系と6000系
行き先表示の「二子玉川園」は、現在の二子玉川駅の2000年までの名称。
「6005」は昭和36年製と表示があり、履いている台車も同年製。
窓から車中を覗いてみた
座席は7000系よりも古そうなデザインだが、端のカーブを描いた仕切りが素敵。
吊り手は7000系と同じく、東急系列の広告があるようだ。
運賃箱などワンマン運転機器は、6005-6006の編成にはなく、6007-6008のほうには設置されている模様。
いよいよ6000系が走行する時間になった。
上記の通り乗車はできず、津軽大沢13:00→千年13:07、折り返して千年13:12→石川13:23、再度折り返して石川13:28→津軽大沢13:32というダイヤ。(列車番号551~550~553)
定期列車が走らない空白時間帯を利用して一部区間(市街地ではなく農村部側の)だけを走る形だが、駅間の所要時間は7000系による各駅停車と変わらない。
12時44分の上下定期列車が到着した頃、展示車両の真ん中の6007-6008の編成が動き出した。
右2編成が定期列車、左に6000系
ちなみにこの時点では、大鰐駅に留置されている7000系1編成を除く全車両が、津軽大沢に集結していることになるはず。
定期列車がいなくなると大鰐方の踏切まで出てきて、
下りホームに入線
定刻になり、独特の走行音を響かせて6000系は走って行った。
折り返して上りホームに到着
見た感じでは、まったく不安を感じさせない安定した走行をしているように見えた。
車で来るなどして、沿線で撮影する人も少なくなかったようだ。でも、車がない人には、追いかけることはまず不可能。津軽大沢駅周辺で見たり撮ったりするしかない。
石川に向かって発車。上部両端の四角いランプは急行であることを示す「通過標識灯」。弘南鉄道では通常使わないが点灯するように整備されているようだ
石川から戻って来る最後は、津軽大沢駅近くのリンゴ畑と線路に挟まれた道で撮影する人が多く、僕も行ってみた。
最後の力走。ぐんぐん接近
ススキを揺らしてステンレスが光る
岩木山と6000系
到着後、再び踏切を閉じて元の展示位置に戻って、無事に運転を終了した。
僕はここで津軽大沢を後にしたが、この後、今度は装飾された7000系を使って、乗車できる特別列車が運行され、大鰐線でのふれあい感謝祭の最後を飾った。(感謝祭は15時終了)
津軽大沢→大鰐、折り返し大鰐→中央弘前(全線通し)と各駅停車で運行し、最後は中央弘前14:50→弘前学院大前14:54→津軽大沢15:03という快速運転。
会場のすぐ外はリンゴ畑
天気も晴れ時々曇りで思ったより良く、走る6000系を見られてとても有意義だった。
6000系がいつまで走ることができるか、先が見えている気もするが、きれいな外観と走行できる状態を保っている弘南鉄道の努力に敬意を表したい。
片隅には6000系の中間車両を転用した倉庫が
【18日追記】東急7000系は、扱いやすさが好まれて今では全国の中小私鉄に譲渡されているが、その第一号が弘南鉄道だったとのこと。
時間つぶしに弘前市立図書館に入ったら、ネコ・パブリッシングから2010年に刊行された「RML弘南鉄道・上下」が置いてあった。それによれば、東急でも異端で少数派だった6000系が弘南鉄道に来た理由について、「当時の東急としては、扱いやすくて重宝な7000系をできるだけ手放したくなかったのではないか」といった推測をしていた。
持て余していた6000系を押し付けたというか抱き合わせで売りつけたというか、そういうことか…
そういえば、廃止になった十和田観光電鉄の冷房付き車両(7000系を改造したもの)はどうしているだろう。弘南鉄道にも冷房車がほしいところだけど…
津軽大沢での注意点としては、トイレと時間つぶし。
駅のそばに小さなトイレというか「便所」がある。まあまあきれいだけど、古い汲み取り式。
駅周辺には、民家(や設計事務所、美容室など)ばかりでコンビニはおろか店もなく、たぶん自動販売機もほとんどない模様。集落をもう少し歩けば多少はあるかもしれないけれど。
バス路線もなく、列車が1時間に1本だけなので、時間つぶしに苦労した。
歩けばJR奥羽本線の石川駅(弘南鉄道の義塾高校前駅のそば)にも行かれる距離だけど、道が遠回りだったりアップダウンがあったり、狭い道を車が通ったりするところもあるので、大変かもしれない。
【21日追記】秋田でこのようなイベントがあれば、どこかから情報を聞きつけた「ババヘラアイス(またはその類似業者)」がやって来るもの。(10月中だったらまだオンシーズン)
しかし、青森だから当然、いなかった。
弘前には、青い小さな屋台で似たようなアイス(黄色一色で、量が少なくて安い)を売る屋台が弘前公園にいるが、あれは公園内だけなのかな?
※青森の話題の続きは
こちら
【2013年10月25日追記】翌2013年の感謝祭でも6000系は走った。
定員40名・特別料金徴収の快速列車として中央弘前→津軽大沢(3000円)、津軽大沢→大鰐(4500円)で運行。(津軽大沢の車庫への出入りは「撮影用」として回送扱いだが、申込状況によっては乗車できるようにするとのことだったが、どうなっただろう)ほかに除雪用の電気機関車ED221も運行された。
【2015年2月21日追記】
2014年秋から津軽大沢周辺で工事が行われ、その影響なのか、この時動かなかった6005-6006が解体されたとのこと。車体部分は台車から外されただけで、壊されずに原型を保っているようだ。