広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田犬バルーン

2018-11-30 00:25:06 | 秋田の季節・風景
しょっちゅうやっていて、地元では実感が少ないけれど、今年9月から11月にJR東日本と県などが「秋田県秋の大型観光キャンペーン」を行っている。デスティネーションキャンペーンよりは小規模なものらしい。
その期間中の秋田駅中央改札口そばの自由通路の光景。
手前右が中央改札口、奥が西口方向
写真左奥(ラウンジとみどりの窓口の前)に大きな何かがいて、改札口を見つめている。
巨大な犬が座っている!

後方から
「秋田犬のバルーン」。※秋田犬は「あきたけん」ではなく「あきたいぬ」と読むのが正式です。
 
9月11日の毎日新聞サイトによれば、高さ3メートル(台座を除くバルーン本体?)、幅1.68メートル、奥行き2.9メートル。
秋田県が主導したのか2016年に東京でのPRイベントのために作ったもので、以降各地で展示しているとのこと。秋田駅に置くのは今回が初めてで、期間中でも他のイベントに出かけて留守だったこともあったようだ。
旅行客など多くの人が足を止めて写真撮影しているけれど、どうせなら、改札口の真ん前に置けば、さらにインパクトがありそう。設置に制約があったのかな。
これが「秋田犬」であることの表示はないかも。秋田犬を知らず(連想できず)に「なぜか犬がいる」と思って見る人もいるかも
ロシアのスケート選手・ザギトワさんが秋田犬に興味を示して飼い始めたこともあり、今年は秋田犬が大ブームと言えるほどもてはやされた。おかげで「あきたいぬ」の読みが全国的にある程度定着したかも。
本場大館のみならず、秋田市など秋田県全域でいろいろと秋田犬施設やイベントができて、それ目当てに県外や海外から来る人も少なくないらしい。【12月17日追記】秋田魁新報によれば、秋田県内の秋田犬展示施設は昨年末5つだったのが、今年は5市町12施設に増えた。
一方で、生き物だから世話も必要な上、見知らぬ人にいじられるのをあまり好まない犬種の秋田犬にはストレスになることもあり、その対策も求められている。

今回の観光キャンペーンは「秋田犬推し」のようで、ポスター類にも秋田犬が使われる。冒頭の改札口前の写真手前に一部写っている。
バルーンを2016年に作っていたのなら、先見の明はあったと言えよう。当時なら、秋田犬よりなまはげにしそうなのに。

でも、個人的には、これを秋田犬とするのは、若干違和感がある。
バルーンで動物を表現するのは簡単ではないのは分かる。パンと張った体なのは、空気で膨らんでいるのだから仕方がない。
これを誰が見ても犬には見えるだろうけれど、秋田犬とはどこか違う。
特に顔
目つき、顔つきが秋田犬らしくなくキツい。鼻の辺りも違うような。秋田犬はもっと穏やかな印象ではないだろうか【30日追記・「キツい」ともまた違うか? とにかくさほど似ていない】。形状は無理でも、ペイントでもう少し自然にできなかったものか。
ということは、これの色とか目を変えれば、他の犬種(垂れ耳や胴長短足種は別として)に変更できてしまうのでは。

「バルーン」だけど、手持ち風船とかゴムボートのような、空気を吹き込んで密閉した方式ではない。
「常時送風式」と呼ぶ、ファンで風を内部に注入し続けることで、形を保つタイプ。中に子どもが入って遊べるバルーンと同じ方式。【12月1日追記】常時送風式の風船の総称として「インフレータブルバルーン」と呼ぶらしい。
だから、近くではそれなりの大きさで「ぶーん」「ゴォー」みたいな音がする。電気代がどのくらいかかるのかは気になる。
秋田犬バルーンの背中
しっぽの下の台座部分に送風機があるようだ。しっぽの右側にある丸い穴は、空気の出口?【12月1日追記】この穴からは、かすかに空気が流れ出ているようだ。送風機の音と比べると、はるかに穏やかな風。
しっぽ付近
しっぽの上の背中には縦に帯状のパーツがある。ファスナーでもあって、たたむ時に開くのか?
しっぽ自体はくるんときれいな形だけど、この体の大きさからしたら、もっと長くないといけないはずで、アンバランス。


この秋田犬は、夜間はいなくなるらしいから、朝に膨らませて、夜にしぼませているはず。17時台ではまだいる。【12月8日追記】朝は7時台ではまだ膨らんでいないとのこと。
できればその場面を見学したいと思っていたが、かなわずに終わってしまう。

まあ、多くの方々が楽しんで見たのだから、意義がある展示ではあった。
そんな中、これからも秋田犬ブームが続くかと思っていたら、今度はなまはげをはじめとする行事の、ユネスコ無形文化遺産への登録決定。再びなまはげの人気が盛り返しそうな予感。
なまはげも秋田犬も(ほかにきりたんぽ等々も)、秋田県内どこでも見られるわけではないけれど、それらが秋田県を代表するアイテムとして広く認知されるのなら、それでいいとするべきなのでしょう。【30日追記】そして、今回登録されたように、なまはげという名ではない類似行事は全国各地にもあるし、登録対象外でも県内各地にあるし、そして全国各地にもあるのだろう。【12月1日追記】ユネスコの方針として、類似は一括して登録する傾向のようだけど、そのように細かい違いを無視してひとまとめにしてしまうのは、いいのか悪いのか。

【12月1日追記】12月に入ると、秋田犬は姿を消した。と思ったら、さらにパワーアップしていた! 後日
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昔の方向幕の書体

2018-11-29 00:26:02 | 秋田市営バス
今年、個人的に長年の課題であった、秋田市のバス停の表示板の文字の書体を特定することができた。
バス関連の書体については、ほかにも、書体を特定したかったのだが分からず、あきらめていたものがあったのだが、それもついに判明!!!
それはバスの車両の「方向幕」の書体である。

方向幕とは、バスの行き先表示のうち、10数年前まではどこでも使われていた、フイルム(幕)に文字を印字して掲出する方式のもの。
現在主流のLED式表示も、正確には「幕」じゃないけれど、広義では方向幕と称することもある。LEDの書体は、今も現役の製品であり、パソコンで使えるフォントを使っていることが多いようだから、ここでは触れないことにします。
(再掲)秋田市営バスの方向幕
問題の昔の方向幕。
今のLEDもそうであるように、文字の配置(経由地の書き方とか)は、バス会社によってまちまちであった。
しかし、その書体は、(少なくとも昭和50年代後半)全国の大半のバス会社で同じフォントが使われていた。それが2000年前後のある時期を境に書体(それも共通)が切り替わった。

最初の書体は、線が太くてしっかりした丸ゴシック体。
変更後の書体は、線が細くて、枠いっぱいにデザインされた大ぶりな(ふところが広いと称する)、「今風」の丸ゴシック体。
(再掲)「弘南バス」左が旧書体、右が新書体
秋田中央交通も羽後交通も弘南バスも、そのような経過だったはず。
ただし、幕のセットは、廃車から取り外して新車に付け替えて再利用することが多く、現時点でも2つの書体が混在している。セットの中でも継ぎ接ぎしたり、部分的に書き換えたりして、同じ車でも混在することもある。
秋田市営バスの末期では、ごく一部の例外(この記事参照)を除き、すべて旧書体であった。※市営バスの方向幕についてはこの記事この記事参照。

全国的に見れば、手書き文字や角ゴシック体を使ったバス会社も存在したようだ。
写研製の丸ゴシック体「ナール」を使っていたところもあったらしく、秋田市営バスで昭和末期に行き先表示が小型の旧車の幕を入れ替えた(新しい大型幕の車と表記を統一)のも、ナールだったかもしれない(1994年頃までに全廃)。【2021年10月2日追記・小型幕車は1987年時点では入れ替え前。1988年度には入れ替わっていたと記憶するので、1987~1988年のどこかで交換したと考えられる。】


主流の新旧2つの丸ゴシック体。
特に市営バスで使っていた古いほうのフォントを知りたかった。他のどこかで見たような気もするし、丸ゴシック体にしてはマジメな雰囲気もあって、好きなデザイン。書体見本の書籍を調べれば分かったかもしれないけれど、ネットでは該当する書体を見つけられなかった。

このほど、ネット上で方向幕に詳しい方々、そして書体に詳しい方々の何人かが、紹介してくれていたのを発見!
モリサワの「見出丸ゴシック体MBD101」または「見出丸ゴシック体MBD31」とのこと。1970年代前半に写真植字機用書体として登場した。
角ゴシック体でMB101、MB31というのがあり、それをベースに丸くした書体という位置づけようのだ。101と31でデザインは似ているが、101のほうが文字がやや大ぶりだったり、線の太さが違ったりする。
昔の東急電鉄の駅名標は、MBD31だったそうだ。
秋田市営バスの側面幕。これは文字が全部正方形のバージョン
生半可な書体の知識を得た素人として驚いたのは、これがモリサワ製品であったこと。
何度か取り上げたように、モリサワはデジタル化への対応というか順応が上手で、写植用書体をパソコンで使えるようにしていて、同社の文字は今も出版物や広告でよく見かけるし、カネさえ払えば我々素人でも使うことができる。
そんなことで、てっきり、モリサワ製写植書体はすべてデジタル化されているのかと思いこんでいたが、デジタル化されていない書体もあるのだった。その1つが、方向幕の書体だった。

ネット上には、これらの書体もデジタルフォントとして発売してほしいという、要望・願望はわずかにある。
そして、角ゴシックのほうはMB101もMB31も、今もフォントとして発売されている。だったら、その丸ゴシック版も…と僕も願ってしまう。出たら買いたい。


MBD101とMBD31、どっちなのかについては、おそらく全国的にMBD101が主流だったようで、秋田の各事業者もそんな気がする。
弘南バスでは、一部の車両や行き先において、線が細いように感じるコマ(コマでは「狼森」「小栗山」、車両では日野レインボーに多い感じ)があるので、それはMBD31かもしれない。
(再掲)この「弘前駅」は細い気がするからMBD31?

【29日画像追加】斜めからの撮影だけど、これは秋田で見慣れた印象だから、太めのMBD101?

【29日画像追加】そしてこれが新しい書体。上2つとはデザインがまったく別


秋田中央交通の急行バス(現在は廃止)の幕。扁平や反転表示も可能
1970年代のモリサワ製でデジタル化されなかったフォントということなので、それ以前は手書き文字だったのが、後に写真植字機を使って印刷するようになったのだろう。文字の縦横比を変えて扁平や縦長にすることも、写植では可能だったそうだ。
当時、写植といえば写研というメーカーがトップで、あらゆる分野で同社の文字が使われた。写研にも似たような太い丸ゴシック体はあるし、「ナール」もある。どうしてバスはこぞってモリサワだったのか。
憶測だけど、紙とか板でなく、薄い樹脂に印刷するという特殊な機器にモリサワしか対応していなかったとか、引き受ける業者がとても少なく独占または寡占状態だったとかだろうか。
そうだとしたら、モリサワ製なら角ゴシック体でも印刷可能なはず。全国で申し合わせたように太い丸ゴシック体だったのは不可解。となれば、バス協会辺りが、標準書体として推奨していたとか??
【29日追記】旧国鉄~JRの車両の表示では、通称国鉄書体と呼ばれる独特の文字を使っていたし、絵入りヘッドマーク(テールマーク)もあったくらいだから、技術的にはモリサワ書体である必要はなかったのかもしれない。ただ、国鉄バスでは、やっぱりモリサワ書体を使っていたようだ。


モリサワ書体はいつまで使われた(=幕が作成された)か。
1990年代後半に弘南バスが大量導入した日野リエッセ(台数からして幕は中古品でなく新規作成と思われる)や、1998年に移転により新しく設定された秋田市営バスの「日赤病院」のコマ、1998年に京成バスが幕張新都心用に導入した連節バスでも、使われている。
京成バスの幕。後にLED化された
2000年に秋田中央交通が初めて導入したいすゞエルガミオでは、新しいフォントだった。日赤病院関係の路線も、中央交通では新フォントだったかも?【29日追記】秋田県男鹿市の男鹿みなと市民病院も、秋田の日赤と同じ1998年開院だが、中央交通男鹿営業所の車の幕は新フォントのはず(開院後、時間が経ってから幕が作られた可能性もある)。
したがって、1990年代末に書体が変わったと考えられ、ちょうど写植からデジタル印刷に替わりつつあった時期と重なる。
では、その新しいフォントは何か。これまで旧書体に気を取られて、あまり興味がなかった。調べてみれば、なんのことはない、例の「スーラ」だったのですが、続きは後日

※この書体らしきものがバス以外のところでも使われていた。この記事後半。

【2020年2月6日追記】三陸鉄道や秋田内陸縦貫鉄道の初代車両といった、昭和末期の第三セクター車両の行き先表示にも、このモリサワの丸ゴシックが使われているようだ。当時、国鉄は自前の書体だったから真似するわけにはいかず、バス(あるいは大手私鉄も使っていたかも)を踏襲したか、制作業者が同じ流れでそうなったのだろうか。
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山内にんじん

2018-11-27 19:55:37 | 各地お土産・食べ物
農業県・秋田。最近は、エダマメだのなんだのいろいろな作物のブランド産地化を目指しているものの、まだ米への依存が強い。【28日追記】さらに各地域で長年受け継がれてきた伝統野菜のいくつかも、近年はある程度広く知られるようになった。
秋田のスーパーでさえ、野菜売り場は関東方面や青森県産・北海道産が幅を利かせており、秋田県産の野菜は産直コーナーに置かれているだけのことも多い。

昨年から(もっと前かも?)、秋~冬に秋田市内のイオンリテール(土崎港店と秋田中央店で確認。イオンスタイル御所野は未確認)で、秋田県産の珍しい野菜を見かけるようになった。
あきた伝統野菜 山内にんじん
産直コーナーに並んでいることもあるが、透明袋に生産者名入りシールでなく、ちゃんとした専用の袋に入っている。
ちなみに、先日の種苗交換会にも出品されていた。

「山内(さんない)」とは袋に地図があるように、秋田県内陸南部・横手市山内地区(旧・山内村)。いものこ(サトイモ)の特産地として有名。ニンジンとは聞いたことがなかった(実は聞いたことはあったが記憶に残っていなかった。後述)。

写真の通り、一般的なニンジンと比べて、細長い。写真のものは太さはそれほどでもなく、普通のニンジンを伸ばしたような感じ。これが標準サイズのようだが、もう少し太いものもあった。

お節料理などに使う「金時にんじん(京にんじん)」を連想する形状だが、色合いは異なる。
金時にんじんは、色素としてリコピンが多いので、トマトやスイカに近い赤。この山内にんじんは、β-カロテン中心と思われる、通常のニンジン(西洋ニンジン)と同じようなオレンジ色。少し濃いオレンジ色か。

そんな山内にんじんとは、どんな味なのか興味はあった。
しかし、値段は1袋に2~4本入って250~300円程度と西洋ニンジンと比べるとやや割高。しかも、どのようにして食べればいいのかが分からず、昨年は買う気になれないでいた。

今年、見切り品で半額になっていたのを発見(しかも現在は西洋ニンジンが高値傾向)。ネットで山内にんじんのことを調べていたので、買ってみた。
結論としては、山内にんじんは、普通の西洋ニンジンと同じように使える。
真ん中の1番長いのが30センチほど。先端はカットされている
ネットによれば、(ダイコンでなく)ニンジンのいぶりがっこがあるけれど、それに使うのが山内にんじんとのこと。「煮崩れしにくい」という情報もあるけれど、たいていのニンジンは、ほとんど煮崩れしないような…
とにかく、漬け物以外にも、生で煮て炒めて等々、何にでも使えるようだ。

ニンジン臭さが強いようなこともなく、甘くておいしいニンジンだと感じた。だから、後日、見切り品でないのを再び買った。


袋には「あきたの逸品」というシールが貼ってある。秋田県がやっている、伝統野菜や特産品のブランド的なものらしい。山内いものこ、三関せり、西明寺栗なども対象。

山内にんじんが出回る時期は、10月中旬~4月上旬。
産地では加工品として、ドレッシング、ジャム、ピクルスなどが作られている。そう言われれば、聞いたことがあった。

山内にんじんは、終戦直後に北海道の在来品種「札幌太」から選抜されて、確立されたそうだ。「山内一尺人参」などとして、ネットで種子を販売する業者もある。
【28日補足】品種や栽培実態からすれば、産地限定の「ブランド野菜」でなく、「伝統野菜」に含まれそう。しかし、使い方としては通常のニンジンと同じなので、伝統野菜の枠にとらわれず、もっと幅広く訴求することができるのではないだろうか。


ニンジンは北海道、青森、千葉産が多く、秋田でも秋田産はまず見たことがなかったが、こんなニンジンがあったとは。
山内にんじんは他県産と充分競争できそうだけど、情報が少ないのが惜しい。認知度も低いし、店頭で見ても食べ方が分からない。金時にんじんの仲間かと思って、買うのをためらう人もいそう。
こんなに大きい袋なのだから、そのスペースを活かして、来歴や調理法を印刷するとか、店頭にPOPを出してもらうとかしたらどうだろう。

そして、カロテノイドやその他栄養成分の分析をすれば、他のニンジンよりも優れた点が見つかるかもしれない(色が少し濃いから、カロテンは少し多いのでは?)。
70年大切に守ってきた山内にんじん。もっと宣伝すれば、もっと知られて、もっと売れるのではないでしょうか。

【12月26日追記】この品種は、下(先)の部分にゴツゴツ・ブツブツした突起が出る場合がある。細い根が出る場所だと思うが、それによって味や食感が悪くなることはないようだ。
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原の町にセブン

2018-11-25 23:42:27 | 秋田の地理
秋田市保戸野原の町、秋大附中東側の道路が狭くてボトルネックだったのが拡幅されて拡げられた辺り、かつて交差点の横断歩道が移設された角=秋田たばこ会館があった角の向かいの変化。
※たばこ会館の跡には、新しい建物が建ち理髪店が(よそから移って)できた。

以前は千秋トンネル通り沿いに細長い月極め駐車場があり、その隣にお琴などの教室を兼ねた民家があった(所有者は同じだった模様)。
(再掲)向かい側の駐車場と右隣りの家
そこに、
街路樹のケヤキも1本なくなった
コンビニが造られている。
11月30日に「セブン-イレブン秋田保戸野原の町店」がオープン。
ボトルネックだった歩道側から。向かい側左のポストは保戸野郵便局

(再掲)コンビニ着工前
保戸野郵便局とは小さい道をはさんでおとなり。

千秋トンネル通りに面した南側が正面で、車の出入口はそちら側(と西・郵便局側の狭い道も?)だけらしい。【28日訂正】店に向かって右側・東面の道路からも車が出入りできそう。ただ、こちら側も横断者の信号待ちスペースや信号柱との関係で、微妙な感じ。
ボトルネックが解消されたとはいえ、交通量が多い交差点で右折レーンもあるので、トンネル側→新国道方向の車線と出入りするのは難しいし危険。周囲に学校も多く通学路であるので、強引に出入りする車が歩行者・自転車とぶつかるなどしないか、その点が不安。

2012年に秋田県に進出(秋田市へは2013年)したセブン-イレブンは、当初は2015年2月までに100店舗を目指すとしていたが、実際には今年2018年8月に100店舗を達成した。原の町店は105店舗目くらい??
計画より遅れたとはいえ、かなり増殖したという実感。

この辺りでは、セブン-イレブンは通町と保戸野桜町の店が、ここからそれぞれ700メートル前後離れているから、あればあってもいい場所かな。スーパーやドラッグストアもないし。
一方、ローソンには痛手になるかもしれない。同じ道路500メートルほどのところに、秋田一号店の1つであった保戸野原の町店など、ローソンが幅を利かせているエリアなので。

ところで、セブン-イレブン保戸野原の町店の所在地。
セブン-イレブン公式サイト新店情報より
公式サイトの新店情報では「保戸野原の町28-1」となっている。周辺世帯へ配布された開店あいさつのチラシでは「保戸野原の町29番地」。
ローソンなどでも同様だけど、これは住居表示ではなく地番を表示していると思われる。建物がなかった場所には住居表示がされないので、開店前の段階ではこうするしかないのかもしれないけれど、地図サイトで検索すると正しく表示されない。
住居表示では、おそらく「保戸野原の町1番1号」になると思われる。
秋田市では市役所に近い側が1番地になる法則があるが、ここは道路形状の関係なのか、ちょっと微妙な場所が原の町1番地。以前月ぎめ駐車場だった角地が1番地のいちばん隅であるものの、建物がなかったので、1番1号は欠番になっていたようだ。

※ところが、セブン-イレブン保戸野原の町店は、2020年8月で閉店してしまった



話が変わって、同じ通りの1ブロック東・鷹匠橋方向の押しボタン式信号の所(こちらは保戸野中町)に、秋田銀行のATMコーナーがあった。
(再掲)
もともとは、「保戸野出張所」という有人の店舗だった。昭和末にできたと記憶していたが1984年の秋田市都市景観賞を受賞しているので、その直前頃にできたと考えられる。
店舗は2003年1月に大町支店に統合されて、建物が解体。箱型のATMコーナーと来客用駐車場、さらに月極駐車場になっていた。
今年4月でATMも廃止され、夏には箱が撤去・駐車場も廃止された。
現在。敷地右手前にATMがあった
現在は全面舗装のまま、立ち入りできなくなっている。
※その後、2019年年明け頃から、モデルハウスが建つような看板が立って、アスファルトをはがすような工事が始まった。

Googleマップに加筆
さらに、また西へ戻りますが、セブン-イレブンができる交差点の対角線上の向かい側、今「貸駐車場」になっている所には、昔は「秋田相互銀行保戸野支店」があった。
秋田相互銀行は、1989年に普通銀行に転換して秋田あけぼの銀行に名前が変わり、1993年には羽後銀行と合併して北都銀行になった。おそらく北都銀行になった直後、通町支店(元羽後銀行)と統合する形で廃止・解体された。
なお、保戸野郵便局は、その頃までは、秋田銀行保戸野出張所の隣の隣くらい、相互銀行保戸野支店の斜め向かい、つまり保戸野中町側にあった。
昔は保戸野地区の“金融街”だったエリア。今は郵便局だけが残り、コンビニができてかろうじて銀行ATMとして使えるという状況になった。
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小屋ローソン?

2018-11-22 00:41:42 | 秋田の季節・風景
コンビニエンスストアの店の大きさはだいたい決まっているけれど、入居するビルのスペースとか、駅売店から転換するなど小さい店もたまにある。
秋田市にあるローソン秋田八橋田五郎二丁目店は、
 こんな小っちゃな小屋と看板!

なわけはなく、
向こうにちゃんとした店
別に一般的なサイズのお店があって、その駐車場内の離れた場所にある小屋の壁面に、看板が設置されているのでした。
厳密には小屋の壁ではなく、片面の小型の看板が自立(固定)している形のようで、夜は明かりが灯りそう。
ローソンでは状況によって低い位置の看板を設置するケースはあるし、他店も含めて移動式の看板もある。でも、こういう設置は珍しいのでは?
というか、物置なのか小屋を置くのなら、店本体の近くに置いたほうが便利だろうに、どうしてこんな所にぽつんと小屋を置いたのかが謎。駐車場形状的にデッドスペースということはあるだろうけど。
あと、小屋の壁に直接ペイントしても良かったのでは?

このローソンは、十字路の角地にある。
2011年に新しく開通した道路の角だが、店はそれより後にできた(少なくとも2012年10月ではアパートだった)。
交わる既存の八橋大通り側から。↓が小屋

やばせ橋側から
店は既存の八橋大通り・やばせ橋側が正面で、高い看板もそちらから見えるようになっている。

新しい道に接続する側・面影橋方面から来ると、高い看板は見えず、この小屋の看板が目に入り、ローソンの存在を知らせてくれる。この看板の先に駐車場への出入口があり、そこにも小さな看板がある。右折だから車では入りにくいけど。
Googleストリートビューより


小さいながら役には立っていそう。


ところで、新しい道の反対(北)方向から来た場合。両面仕様である駐車場入口の看板があるだけで、小屋の壁などに看板はない。ローソンの裏側から入る形だから、もっと分かりやすくすることもできそうなのに。

実はこの1ブロック・300メートルほど手前には、以前から「ローソン秋田八橋田五郎店」がある。
北方向から来る人は、手前の田五郎店のほうを利用するだろうということ、あるいは客を2店で分け合うつもりなのか、田五郎二丁目店の北向きには看板は控えめにしたのではないだろうか。【22日補足】ただし、田五郎店は新しい道から直接の出入りはできず、信号を曲がって古い狭い道から出入りする構造。
【2022年6月21日追記】ローソン秋田八橋田五郎店は、2022年5月で閉店した。2002年オープンだったようで、20年。

【22日画像追加】
Googleマップ航空写真より。赤い丸が小屋(下の面に看板)、オレンジ色の丸が高い看板
写真で見ると、駐車場が広く不整形で、その出っ張った部分に看板付き小屋があるのが分かる。ここに看板が必要なのは納得だけど、やっぱりどうしてここに小屋が必要なのかが理解できない。他にも場所はありそうなのに。【23日追記】コメント欄の通り、小屋がゴミ置き場だとすればその回収作業がしやすく、かつ来店客のジャマをしないなど、総合的な視点では、ここに置いた意味があるかも。
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続・東奥と魁を比較

2018-11-21 00:18:30 | 津軽のいろいろ
青森県と秋田県をぞれぞれ代表する地方紙である、東奥日報と秋田魁新報の比較。
2015年にも比較したが、その後、2017年に魁の書体が変更されている。
2018年9月8日付 東奥日報 第45700号
この日の東奥日報は、西目屋村にある白神山地のシンボルのブナの巨木「マザーツリー」が風で折れたという、ショッキングなニュースがトップ。

テレビ欄を比較。
左~中央が東奥、右が魁
まずは新聞からそれて、土曜日の青森の民放各局の番組について。
秋田と同様に青森でも、多くのテレビ東京系の番組が、他系列局によって放送される。秋田朝日放送はテレ東の番組をほとんど放送しないのに対し、青森朝日放送はテレ東、さらにフジ系の番組もけっこう放送している。したがって、民放3局が競い合うようにテレ東・フジの番組を放送している状態。

フジテレビ系で日曜朝10時に放送の「ワイドナショー」を、青森テレビ(ATV。TBS系)が6日遅れの土曜9時30分から放送。(フジ系では生放送だと思っていたら、収録番組だそう)
フジテレビと一部系列局で土曜12時から放送の「ぶらぶらサタデー」内「有吉くんの正直さんぽ」。秋田テレビでは土曜の13時からだが、青森朝日放送(ABA)が土曜10時35分から放送。
土曜12時台は、青森放送(RAB。日テレ系)が「YOUは何しに日本へ?」、ATVが「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」、ABA「開運!なんでも鑑定団」と、3局ともテレ東。
ちなみにこの3番組。秋田では、いずれもAKTが、それぞれ日曜9時、土曜12時(青森と同じ時間帯)、土曜16時30分から放送。
さらにRABは13時から「世界!ニッポン行きたい人応援団」と、テレ東外国人枠(?)が続く。秋田では、秋田放送で木曜15時54分。
【21日追記】ちなみに秋田の土曜12時は、AABが珍しくテレ東の「和風総本家」を放送、AKTは上記「充電」とテレ東が揃うが、秋田放送はTBS「世界ふしぎ発見!」を放送。さらに、ケーブルテレビで見られるIBC岩手放送でも「和風総本家」を放送していて、AABとIBCで同じ回のこともある。結局、地方局では、土日午後はテレ東や系列外の番組の時間ということか。

土曜日のこのような状況は20年前も似たようなもの。
RABで「古畑任三郎」を2話連続で放送。しかも一部局だけが深夜に放送(AKTでは未放送)したスピンオフ番組「巡査・今泉慎太郎」も直後に放送してくれるという、うれしいような疲れるような編成であった。

話を新聞に戻して。
左が東奥、右が魁
東奥日報は、全体の構成も含めて2015年と変わらず。フォントは「UDモトヤ新聞明朝」をやや縦長にしたもの。
魁は、モトヤの(UDでない)明朝体から、イワタ「ミンゴ」に変わった。

まず、2015年も感じたが、魁以外の他紙のテレビ欄と比較しても、東奥日報はスペースが縦に長く、文字がとても大きい。だから見やすい。
魁は、ミンゴ導入で、自称「読みやすくなる」としていたけれど、どうだろう。個人的には、メリハリがあるようなないような中途半端な文字(あるいは文字間隔・行間隔のせい?)で、うるさく感じてしまう。東奥日報と比較するまでもなく、好きじゃないというか苦手。やっぱり明朝体か、いっそ普通の角ゴシック体のほうがいいのでは?

文字放送(字幕)の番組は、一般的には「字」マークを付けると思っていたが、東奥日報は「文」なのが珍しい。


2紙とも、共同通信社からの配信を受けている。社会面などのニュースは、地元ニュースとの兼ね合いもあり、全文が同一なわけではなく、紙面レイアウトは異なるのが普通。では、連載記事はどうだろう。
現在「平成をあるく」というシリーズがあり、両紙とも9月8日に同じ第35回が掲載された。
左が東奥、右が魁
全体のレイアウトが異なる。
上が魁、下が東奥
意外にも「平成をあるく」のタイトル文字や見出しも違う。各社でデザイン・作成しているのか。
記事本文は、両紙ともまったく同一。
ただし、テレビ欄同様、東奥日報のほうが文字が大きく、1行当たりの文字数も異なる。レイアウトが異なるのはこの影響もある。写真は同じだが、東奥日報のほうがサイズが少し小さく、さらに少しトリミングされているのは、文字が大きい分、写真スペースが狭くなったためだろう。
左が東奥、右が魁
で、やっぱり東奥日報のほうが、本文の文字は読みやすい。
文字の大きさのせいもある。モトヤとイワタの違いもあるのかな。でも、本文の明朝体は、魁のイワタも悪くないと思う。
だけど、今の魁のテレビ欄や見出し用の書体(特に太い明朝体)は、1年経ってもまだ慣れない。モトヤのほうがきれいで読みやすかった気がする。


死亡広告とは別に、市町村への届け出を元に掲載(死亡届提出時に可否を伝える)される「おくやみ」欄。
魁では「おくやみ/謹んでご冥福をお祈りいたします」として、市町村ごとに、名前、年齢、住所、死去日、葬儀の日時と会場、喪主が掲載される。「○○ ××さん(100)/ 山王臨海町1の1=20日死去。葬儀23日午前11時、山王2の4の15、秋田典礼会館セレモ。喪主・長男□□さん」といったように。身内だけで葬儀をした場合など「葬儀は終了」ということもある。
東奥日報。左下が死亡広告、右側中央がおくやみ欄
東奥日報では「お悔やみ申し上げます」として、文字は記事と同じく大きいが、市町村ごとに氏名、年齢、住所のみ。まさに亡くなった事実だけが告知されるのだった。
魁の掲載内容では、知っている人が亡くなったのを見つけて、いつどこへ行けば葬儀に参列できるのかを知ることができる。さらに、喪主の名から「□□さんのお父さんが亡くなったのか」と分かる場合もある。田舎ならではというか…
一方、東奥日報では、亡くなったことを知ったとしても、それだけ。葬儀に行こうと思ったらどうすればいいのだろう…
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弘前の新宿/河川名看板

2018-11-18 00:18:31 | 津軽のいろいろ
9月の弘前の話2つ。
●新宿→弘前駅前
秋田方面から下り列車に乗って弘前駅に入る時(もうホームに入っている頃)、車窓左側に小さなホテルが見える。
駅を出て正面左側に位置するのだが、駅前【20日補足・これは駅舎を出てすぐ、駅前広場付近という意味】からはアートホテル弘前シティの大きな建物にさえぎられて見えないはず。ヒロロ方向へ進むと、駐車場の向こうの裏道に建つ姿が見える。
駐車場越しに
ホテルの名前は「弘前駅前ホテル」と、妥当な名前。今はルートインや東横インができてしまったけれど、駅から有数の近さの宿。

しかし以前は、別の名前だった。
2017年8月撮影のGoogleストリートビューより
「ビジネスホテル新宿」だった。
ここ1年ほどの間に、経営者交代などはなく名前だけを変えたらしい。

泊まったことはなく、昔は(建物が裏通りにあって小さいせいか)名前はあまり印象にないホテルだった【19日補足・表通りはよく通っていたから視界に入っており、建物の存在は認識していた。】が、10年ほど前、弘前の人と会話して存在を知った。
弘前で安いホテルの話題で、僕としてはプリンスホテル辺りを思い浮かべていたのだけど、相手の地元の人は、真っ先に「ホテル新宿」を挙げた。地元では安いホテルとして認知されていたのだろうか。
今は消されたが、ストリートビューの画像にあるように、以前は朝食付きシングル4500円と書かれていた。探せばもっと安いホテルもあるけど。

それにしても、弘前なのに新宿とは、これいかに?
東京の新宿と関係あるのか?
ひっそりと存在する公式ホームページによれば、「最初昭和42年に旅館「新宿」(新しい宿)として創業し、その後、弘前市の駅前再開発計画のため、平成2年10月に「ビジネスホテル 新宿」として名称を改め」。
なるほど。
旅館時代を含めた歴史は51年、以前はどこにあったのか知らないけれど、いわゆる駅前旅館がルーツだったのだろう。
ちなみに、駅との間に立ちはだかるアートホテル弘前シティは1989年にできた(当時はシティ弘前ホテル、その後何度も改称)。

【2022年6月9日追記】再開発以前の旅館新宿は、今とは違う場所にあったとのこと。また、当時は周辺に多くの小さな旅館があり、再開発の立ち退き時にほとんどが廃業したそうだ。この記事も参照。


●手書き川看板
一級河川の本流は、国土交通省が直接管理する。実際の管理業務は、出先機関の各地方整備局の各河川事務所等が行う。(一級河川の支流は、国から委託されて県が管理する)
その国管理の川では、橋のたもとの堤防などに、川の名前を記した大きな看板がある。

秋田県の雄物川では、青地に白文字で片面漢字・片面ひらがな。ローマ字やハングル表記があるものもある。時期によって、色合いや書体は異なる。
再掲
一方、愛知県の木曽川では、
(再掲)地色が緑色
道路の案内標識では、規格が定められているが、川の看板はそこまでではなさそう。

今回、革秀寺のハスを見に行ったけれど、もう終わっていてアテが外れ、早々に市街地へ戻ることにした。バスもしばらく来ないので、岩木橋を歩いて渡った。【19日追記・橋のたもとにアイスクリームというか冷菓屋さんがあるのだけど、涼しくて食べる気にならず】
「岩木川」の看板
雄物川で見慣れたものと基本的には同じだが、文字が手書き。かつて「建設省」だった上に「国土交通省」を貼っている。
上の写真の雄物川も建設省時代からのものだけど文字は活字(写研のナール)。岩木川のほうが古いようだ。
裏は「いわきがわ」
こういう手書き看板って、経年で文字が剥離することがあるが、少々汚れた程度できれいに保たれている。地色も鮮やか。

この岩木川の看板、手書きは別として、雄物川の看板とは大きく違う点がある。それ以外の川を含めても、こういうタイプは見たことがないかもしれない。
それは看板の向き。
一般的には、川の流れに平行、すなわち橋を渡る時に(脇見をしなくても)文字が読めるように設置されている。
ところが、これは流れに対して直角。設置スペースが限られているとか、川や道路が大きくカーブしているといった、向きを変えるべき特別な事情は見当たらない。十字路交差点だから、どちら向きでも無意味ではないけど、珍しいと感じた。
【19日追記】天気が良ければ、対岸に岩木山がそびえる
まあそういうもんかなと思いつつ、調べると、東北地方整備局ホームページ「Q&Aかわ全般」に、看板の基準が出ていた。
「河川名看板は、国土交通省で昭和43年から漢字の河川名でも川表(川側)は漢字、川裏(宅地側)はひらがなとして大きさや形が決められて整備されておりました。」※昭和43年ならば、正確には建設省でしょう。
当初は青地に白文字だったようだが、
「最近ではよりわかりやすく、親しみやすくしたいということで、実際に整備管理している河川国道事務所(昔の工事事務所)の判断で色や形、大きさ等が工夫されたものも」「英語や韓国語で併記したりしている所も」ある。

へえー。「河川名看板」が正式な呼称なのかな。
となると川に平行に設置するが(少なくとも)昔は正式・原則だったようだ。
岩木川の看板は、手書きだからそれなりに古いものと考えられるが、その時点で青森工事事務所(当時)が独自の判断で向きを変えたのだろうか。理由は不明。
上の写真の雄物川の看板も、川の外側向きが漢字表記だから原則から外れる。これも秋田工事事務所の独自判断か。理由は不明。【18日補足・秋田大橋架替え工事で移設されたはずだから、その時に変えられたもしくは変わってしまった可能性も。この記事後半参照】
※秋田の子吉川にも、岩木川と同じ川に対して直角向きの看板があった。
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いまいちの紅葉

2018-11-15 00:07:29 | 秋田の季節・風景
種苗交換会開催中恒例の冬を予感させる悪天候の後、秋田は晴天が多く気温も高めで、季節が逆戻りしたよう。
台風などによる塩害で、今年の秋田市の紅葉はいまいちながら、季節外れの青空の下で見ると、それなりにきれいであった。
1991年9月の台風19号の時は、落葉した後から季節外れの新芽が芽吹いた木もあったが、今回は秋が深まっていたためか、あまりなさそう。ツツジで花が咲いたのはあった。
今はもうほとんどが散ってしまったけれど、10月下旬~11月上旬の市内各所の風景。
10月下旬。保戸野街区公園のイチョウとケヤキ
潮風が吹き付けた左側は、イチョウもケヤキも落葉。残ったほうはそれなりに。
ちなみに、
(再掲)2015年

10月下旬。竿燈大通りのイチョウ並木
右側から潮風。奥のイチョウは、ソメイヨシノがガードしてくれて影響が少ない。
手前のイチョウは右側がやられてしまったが、落ちずに、チリチリに枯れた葉がくっついている。遠目には2色に黄葉しているように見えなくもない。
近くで見ればチリチリ


11月初め。市立中央図書館明徳館向かい・千秋公園入口
ケヤキなどが茂る斜面。南西~南向きのせいか、落葉してしまったものが多い。
(再掲)2010年


昨年知った、大学病院前の通りのモミジバフウも、西側が落葉して、残りの紅葉もいまいち。全体の葉の量が少ない感じ。
場所によってはそれなりに


旭川・二丁目橋の那波家の水汲み場のケヤキ。川側は東向き。
そこそこ秋らしい光景かな
少しさかのぼって、
大町公園橋~一丁目橋付近→ここの2024年秋
一丁目橋の下では、枯れた木が絶妙な体勢でひっかかっていたが、今もそのまま。上の写真では、橋の影で分かりにくい。
いつまで持つか興味があるところだけど、現在、一丁目橋の改修工事が行われている。工事が本格化すればジャマになりそうだから、撤去されそう。※その後はこちら

下った五丁目橋付近の川の中では、増水による流木が引っかかり、生け花状態で葉が茂っていた
下手前。今も緑の葉が!
手前の護岸のツタは紅葉、向かいのケヤキも黄葉している中、ど根性。※その後

翌2019年の紅葉
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佐藤長

2018-11-14 00:12:31 | 津軽のいろいろ
弘前には「佐藤長」というスーパーがある。青森県全体で見れば大手ではないが、弘前周辺ではそこそこ店があって堅実な印象。

佐藤長といえばまず思い起こす店は、1度だけ利用した(ツナが入った惣菜パンを買って、ブルーチップだかグリーンスタンプをもらった記憶=今は配っていないようだ)ことがある「松森町店」。土手町から取上交差点方向へ進んだところにある。
今も健在
昔は外観がこんな黄緑色じゃなかった気はするが、建物は同じ。歩道ギリギリまで建物があり、ガラス越しに狭い店内が見渡せ、窓際で袋詰めするお客と目が合いそうな、昭和のスーパーの作り。

実はここが、佐藤長の創業地らしい。1897(明治30)年のこと。現在の本社は弘前市桔梗野。
他に店舗展開をしたのは1987(昭和62)年の小比内店以降のようだ。1897年と1987年、誤植かと思ってしまうが、90年開いている。
また、1978年(←これも誤植っぽいけど間違ってません。昭和53年)に「佐藤商店」だったのをスーパー佐藤長とし、松森町店ができたので、建物はその時のものではないだろうか。
現在の経営者は佐藤さんだけど名前に「長」は付かない。創業者は「長」が付く名前だったのかもしれないけれど、創業から81年経ってから「長」が出てきたのがおもしろい。

松森町店を見て気になったのが、店頭のロゴ。
縦書きの毛筆の「佐藤長」が味がある
日本語は「佐藤長」、ローマ字は「SATOUCHO」。
僕は昔からこの表記を見ていたから、漢字をそのまま読んで「さとうちょう」。ローマ字は「さとうちょ」だけど、まあやっぱり「さとうちょう」と読むんだろうなと思っていた。

ところが、他の店舗では…
Googleストリートビューより城東店「さとちょう」
漢字表記は見当たらず、ひらがなのみ。しかも「う」が1つ抜けた「さとちょう」。
それから漢字4文字は「生鮮活祭」? 「生活鮮祭」?

小比内店は松森町と同じ表記。店の新旧で使い分けているのか、古い店は今後更新していくのか。

公式ホームページでは、URLは「satoucho.co.jp」だが、本文では「みんなのスーパーさとちょうです。」など「さとちょう」表記。漢字も見当たらない。【14日補足】企業名は「株式会社佐藤長」であり、会社概要などでは漢字表記で掲載している。
この店は、今は「さとちょう」だったのか! ※ここでは「佐藤長」表記を使うことにします。
【14日補足】秋田ではわりとある「石郷岡」姓は、ふりがなとしては「いしごうおか」だが、会話では「いしごおか」と言うことが多い。さとちょうもそれと同じことだろうけど、正式な名称表記をそうしてしまうのが、大胆。

漢字表記がない新しい店舗だけを利用する人の中には、「さとちょう」の由来を知らないお客もいるかもしれない。あ、「由来」じゃなく「漢字表記」か。「長」の出どころが分からない以上、佐藤長の由来は分からない。
【14日表記】かな表記にしてしまって、本来の漢字表記が分からないという点では、「いとく(本社秋田県大館市、津軽にも店舗あり)」も同じ。ちなみに創業者名の姓名を略した「伊徳」が由来。佐藤長では、かな表記にした上、うを1つ抜いたせいで、よけい難解な店名になった気がする。
【15日追記】店舗の看板は「さとちょう」になっている店舗でも、配られるレジ袋ではローマ字で「SATOUCHO」と「う」入りで記されている。


ところで、上のストリートビューの写真の城東店。弘前駅の城東口からすぐのところなので、ここ数年は時間が余るとちょっとのぞくことがあった。
店の造りからして、古い(松森町店よりは新しく、昭和末~平成初期頃?)建物。昔、ここらにマックスバリュがあったので、その跡なのかなと思っていた。
Wikipediaを見ると、たしかにマックスバリュの跡であった。元は「亀屋みなみチェーン」の店だったそうで、2001年に同社が破産した際、マックスバリュ東北が継承した店舗の1つだった。
折しも11月13日から「さとちょう城東店「開店10周年祭」」が開催されているから2008年開店。差し引きマックスバリュとしては7年未満だったことになる。【2021年7月4日追記・コメントで情報をいただいた。マックスバリュは2002年2月~2005年末の4年弱の営業。マックスバリュ時代まで2階建てだった建物を減築して使っているらしい。】

それとは別に以前ちょっと触れたように、2000年前後頃まで、弘前には「ウエル」というイオン系のスーパーがあった。
「ウエルマート」ではなく、ジャスコ本体(後のイオンリテール)が運営していた。
後に、亀屋みなみチェーンをマックスバリュ東北が引き継いだ時に、ウエルも一部店舗が移管(マックスバリュ化?)されたらしい。

そしてマックスバリュ東北に継承されなかったウエルの中には、佐藤長が引き受けた店があるそうだ。
高杉、相馬など郊外にもあり、かつてウエルは津軽にけっこう浸透していたことにもなる。

ほかにも佐藤長では、平賀や尾上のマルエス主婦の店、下北のむつ市のマックスバリュ東北から継承した店もある。
さらに今年8月、弘前駅前のかつてダイエーが入っていた「ヒロロ(旧・ジョッパル)」地階に「ヒロロ店」がオープン。
2013年7月のヒロロ再出発時に、青森市から進出した「ルミエール」が入っていたが、大家と店子の関係でモメて2018年7月に閉店してしまった跡。
城東店と合わせて、弘前駅の東西どちらからも、いちばん近いスーパーが佐藤長になった(ヨーカドーもありますが)。

ヒロロの佐藤長は、改装期間が短かったこともあり、ルミエールのほぼ居抜き。さすがに自動演奏のアップライトピアノはなくなっていた。
レジは、支払いだけが無人のセミセルフレジ(=お支払いセルフレジ。佐藤長での呼称は不明)。レジ袋は無料らしい。
駅前の店だけに、お土産になりそうな地元食品も扱っていて、ルミエール時代と比べても充実していた。
むつ市内に店舗がある関係なのだろう、初めて見る下北方面の地元菓子店のお菓子もいくつかあった。
弘前市内からも「相馬製菓」というところの、
 
「これが津軽の味噌ぱん」と「これが津軽のいも太郎」。別段、津軽ならではということでもないが、素朴な味わいでよかった。
別の店の餅菓子などもあった。

弘前市内産の農産物産直コーナーもあり、9月初めでモモやリンゴが安くいろいろあったから、今頃はリンゴがいっそう充実しているはず。弘前駅周辺では、安く手軽にリンゴを買える店でしょう。

佐藤長のラッピング広告バスについて
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弘南バス2018初秋

2018-11-12 23:51:26 | 津軽のいろいろ
9月の弘南バス。
まず、1年前に取り上げた、生え抜きの三菱エアロミディ。
全国的にも希少になったであろう円形ヘッドライト
1993年製の2台、弘前営業所の「青森22か904(30501-2)」と「905(30502-2)」は、いずれも現役だった。

もちろん1998年製、弘前営業所「12-80(31002-2)」も。
側面に貼られていた青森米の広告がなくなった

後部の広告は変わらず。リアウインドウにも「FUSO」

時たま触れている、「富田大通り」経由の表示方法やどこを指して富田大通りと呼ぶのかについて。
まず、写真はないが、日野リエッセの正面の方向幕では、経由地を分数のように上下で線を入れて表示した「弘前大学/富田大通り 弘前駅」だった。

側面の(看板やLEDでなく)方向幕。
(再掲)弘前駅-富田大通り-弘前大学-松原-小栗山
上の12-80もおそらく↑この表示。ところが905では、
関係ないけど左側・ドア上の照明は撤去されたようで配線が露出している
弘前駅-富田大通り-弘前大学-小栗山と「松原」が抜けている。かなりバリエーションがある。
これらの書き方では、住吉入口~富田三丁目付近を指して「富田大通り」と呼んでいることになる。


弘前市郊外各方面では、10月に一部路線の廃止や統合が行われた。
石川の円筒分水前を通る大坊経由平賀線も廃止、予約型乗り合いタクシー化。
ほかにも乗ったことはないけれど、見慣れた行き先表示がなくなったものも。
たまに見かけた「56 田  代」
「田代経由西目屋村役場・居森平線」が短縮、「西目屋村役場線」となった。
元は「川原平」行きだったのが、ダム建設にともない2014年10月に居森平(いもりたい)行きに短縮されていた。ほかに、上の写真の手前の田代が終点の便もある。
西目屋村役場の次のバス停が田代だそうで、実質的に村役場=田代。

改正後の時刻表では西目屋村役場が起終点のような書き方だが、再編後を反映しているという弘前市の公共交通マップでは1つ先の田代が起終点のように見える。
これまでは居森平発着が片道7~8本・田代止まりが3~4本あったのが、改正後は10往復と微減。


岩木山のふもと、嶽温泉を通る「枯木平」線が再編。
時刻表・市のマップではバス停名が「岳温泉」となっている。マップでは、温泉自体は「嶽温泉」と表記を使い分けているから、バスだけは「岳」なのかと思ったけれど、車両の行き先表示では、
(再掲)こちらは「嶽温泉」
観光客も乗る路線。表記に配慮(=統一と英字表記も必要では)いただきたい。

枯木平線は、これまでは2系統あった。「枯木平」行きと「高岡経由百沢・いわき荘」行き。
マイクロ車の「高岡・いわき荘 百沢」行き。ちなみに幕式では「65高岡 百(いわき荘)沢」
前者は、~新法師~岩木山神社前~百沢温泉前~小森山入口~岳温泉~枯木平で、1日7往復程度。
後者は、~新法師~高岡~岩木山神社前~百沢温泉前~いわき荘前で、4~5往復。ちなみに、いわき荘の先、「百沢スキー場」の運賃が設定されているので、昔はそうだったのかもしれない。
つまり、途中の高岡に入るのはいわき荘系統のみ。一方、百沢は、行き先表示には出ていないが枯木平系統も含めて全便通るらしい。【14日追記】となれば、上の写真のマイクロバスのLEDは「高岡・百沢 いわき荘」のほうが適切では?

10月からは、いわき荘乗り入れを廃止。代わりに枯木平行きが7往復全便高岡を経由するようになった。
また、高岡より手間で他路線も通る「岩木庁舎前」(旧・岩木町役場)止まり4~5往復が新設されたようだ。

改正直前の時刻表は不明だが、数年前では、弘前発の最終は、枯木平行きが18時05分発、いわき荘行きが18時30分発と近接していた。
10月からは枯木平行きは18時05分最終で変わらず、30分発は廃止。
その後、岩木庁舎行きの19時15分発と平日のみ20時10分発があり、むしろ途中までながら最終が遅くなったってこと?(あるいはまた別の路線廃止の代替?)

いわき荘というのは「アソベの森いわき荘」という宿。送迎バスもあるので、路線バス利用者は少なかったのかもしれないが、宿側では9月23日付で「最寄バス停は「百沢温泉前」、下車後徒歩約10分 となります。」と告知している。
しかし、弘前市のバスマップでは、
「いわき荘前」?!
百沢温泉前と小森山入口の間に「いわき荘前」というバス停があることになっている。
系統廃止に伴い、新設(移設)したってこと? どっちみち歩かないといけなさそうだけど。
弘南バスも弘前市も、路線再編の当事者であるはずだけど、どこかちぐはぐというか分かりづらいというか…


路線再編は以上。変更後についてはいつか機会があれば。※この記事中ほど。
人もバスもまばらな夜のバスターミナルを出発する新型レインボー
2016年にフルモデルチェンジした、いすゞ・日野の中型バス。秋田中央交通では2度×2台の計4台しかまだないが、弘南バスは大量とも言える導入(いずれも日野レインボーブランド)。この秋にも入れたようで、もう3度目?【14日補足・総勢10台は越えているでしょう。15台に迫るかも?】
だから弘前市内では、見る機会が増え、乗るのもそう難しくない。秋田ではタイミング悪く乗車できないでいた、2017年のマイナーチェンジ後の車に乗ることができた。違いは分からなかったけど。
代替として、おそらく平成初期の日野レインボーは廃車になっていると考えられるが、台数が多いこともあって、そのことはあまり意識できない。

上の写真の新型車は、「大鰐病院」行きという珍しい系統。
これは、(取上・門外経由)碇ヶ関線の系統。碇ヶ関行きは、弘前バスターミナル発は7時20分の次、8時から18時までは毎時00分発。
最後2本、18時30分(平日のみ)と19時00分発は、途中の大鰐病院が終点。昔は「大鰐南団地」とかいうところまで行っていた。反対方向(大鰐病院始発弘前行き)はなし。
【2019年4月12日追記】「大鰐南団地前」というのは、かつて存在した弘南バスの車庫(名称は変遷し、子会社管理下だったことも)の場所にあるバス停の名称。車庫があった時代から南団地前を名乗っていた。南団地前は弘前から行って大鰐病院前の1つ先で、現在も存続している。車庫廃止によって折り返しの都合などで、1区間短縮されたのかもしれない。Wikipediaによれば、弘南バス大鰐車庫は2009年春で車両配置取りやめ(案内所的存在に?)、2010年春で無人化・閉鎖、2015年12月に廃止。(以上追記)
上の写真の便は、乗客はほとんどいなかった。
そっけなく「大鰐病院」のみ
弘南バスの中型車で使われているレシップ製のLEDでは、最近(居森平以降)新しく設定される表示は、従来の角ゴシック体とは異なる独特な(ユニバーサルデザイン?)フォント。大鰐病院も近年セットされたのか。【14日補足・新車であっても、昔からある行き先は角ゴシック体だから、文字データは既存車と共通の模様】

ところで、同じ日の数時間前、同じ車はこんな運用に就いていた。
「聖愛高校スクール」
その学校の生徒等限定で利用できる路線バスという感じなんだろうか。
秋田市でも、一部小(中?)学校では運行されているが、高校では見たことがない。弘前では、高校で公立私立問わず昔からあった。
一般路線バスとして運行するには成り立たないからなのか、弘南バスが積極的に運行しているからなのか。
これも新しいフォント
聖愛高校は、中学校も併設(1980年いったん閉校・2006年再開)している。でも表示は「聖愛高校」のみ。厳密に中学生は乗れないということなのか、途中休校期間があったこともあり、単に表示し忘れているのか。

さらに蒸し返して恐縮ですが、弘南鉄道大鰐線西弘前・城南駅名改称騒動。10年前に城南駅が「聖愛中高前」駅に変わった。※弘南バスと弘南鉄道は、起源は同じながら、今は関係が薄い別の会社です。
駅名変更を申し入れたのは学校法人側であり、弘南鉄道側は変更により生徒の利用を増やす目論見があったはず。
それなのに、弘南バスにスクールバスを出してもらい、この時は帰宅の生徒がけっこう乗っていた。10年前の流れで「聖愛中高前駅から弘南鉄道を利用しましょう」ではないのですね。
スクールバスは学校の前から乗れ、JR弘前駅前にも行くみたいだし、おそらく運賃も安いとくれば、弘南鉄道に勝ち目はないのも明白。


秋田市では、かつての市営バスも今の中央交通でも、行き先表示は「スクール」のみで済ますことが多い。今のLEDでも。
弘南バスは、LEDでなく幕の車であっても「学校名+スクール」と表示する。全国的には珍しくはない。
特に幕では、その分コマの印刷が必要だし、弘南バスでは手動切り替えだから操作も手間なのに。
2010年撮影「附属スクール」
上の写真は、1989年製の横浜市営バス中古の大型バス・日野ブルーリボン。※過去の記事
弘前には路線用の大型バスは、この形が3台と、別の1台の計4台ほどにまで減っていて、風前の灯。

弘大附属学校のスクールと入出庫を兼ねた小栗山線、学園町線辺りが定番運用で、枯木平行き、岩木山春山スキー、さくらまつりシャトル、さらに菊まつり・雪まつり期間などは土手町循環100円バスに入ることもあって、地道に活躍していた。
そのブルーリボンが、この夏前後に相次いで廃車されたとのこと。まさに平成を駆け抜けた車であった。

これで、ついに弘前から大型バスがなくなるのかと思っていたら、新たに中古で大型(いすゞエルガ)が入ったらしい。初のエルガで、大型としても10何年ぶり? 秋田市でも弘前市でも、中型バスではちょっと不足、大型バスを使いたいという場面があるのでしょう。※大型バスについてこの記事中ほど。
中型では、三菱ふそうエアロミディの中古も入った(自家用でない路線仕様のエアロミディ中古としては初?)そうで、次に行く時のお楽しみ
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AKT前の柵?

2018-11-09 00:05:32 | 秋田の季節・風景
秋田市八橋本町の秋田テレビ(AKT)本社前。
今回はAKTそのものの話題ではありません
AKT前の市道は、プラタナスとツツジかなにかの低木の植えこみからなる街路樹がある。
八橋一里塚交差点~八橋大通りとの交差点まで、全区間の両側で同じ街路樹のようだけど、AKT前にだけ特別な“装備”があることに、最近気がついた。
分かるでしょうか
低木部分を保護するような、緑色の金属パイプによる柵状の物体が設置されているのだ。
 
歩道側・車道側とも、構造物の中央部に1つずつ、秋田市章が取り付けられている。
秋田市章

他の道路でもこのような物体を見た記憶はない。
この道路ができて街路樹が植えられたのは1969年のAKT開局よりは後、1980年代か? ちなみにAKTの現社屋は1992年にできた。
パイプのサビや一部が破損していることからして、新しいものではないけれど、そんなにボロボロでもない。
どんな目的があって、どうしてAKT前にだけあるのだろう。

市章があるからには道路管理者の秋田市が設置したのか、AKT前だけにあるからAKTが周辺環境整備の一環で設置したのか。
ちょうどAKTの正面
※その後、植え込みの花が咲いた写真はこちら


ついでに「花のある美しい街」プランターのちょっとした続き。【9日追記】上記のAKT前の柵も、もしかしたら花のある美しい街キャンペーンと何らかの関係がなくもないのかも?
昭和末以降、秋田市では市章と「花のある美しい街 秋田市」が印刷されたプランターを、町内会などに配布していた。
現在は新規配布はやめようだが、一部の秋田市の施設・公園ではまだ見られるし、それにならって手書きした大型プランターもある。
(再掲)もともとのプランター

現在、ごく一部の複数の秋田市の施設では、こんなプランターがある。
少し違う「花のある美しい街」
板もしくはシートに印字したものを、古いプランターに貼り付けたようで、地色が白い。
プランター自体は、もともとのプランターと似ているから、文字が薄れるなどしたものをリニューアルしたのか。

もともとの文字は写研の「ナール」で、現在はほぼ使用不可能の書体。
新しいものは配置も違うし、丸ゴシック体ながら文字の細部は異なる。ダイナコムウェアの「DF太丸ゴシック体」だと思われる。

古いものを大切に使うのはいいことだけど、屋外に置くプラスチック製品であるプランターの耐久性なんて、たかが知れている。経験上、持った拍子にバキッと欠けそうで怖い。それとも、ものすごく丈夫な特別な樹脂でも使ってるのかしら。
重ね貼りしてまで使い続けるくらいなら、新しく印字したプランターを購入したほうがいいのでは?
あるいは、重ね貼りしてまで、表向きには使われなくなった「花のある美しい街」のフレーズを示し続ける必要があるのか。そして秋田市がそのフレーズに恥じない街であるのか、個人的には疑問を感じなくもない。
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Paris'S 鶏めし

2018-11-08 00:32:23 | 各地お土産・食べ物
ここ何年か、海外で日本の「弁当」のスタイルが人気。特にフランスで。
それに便乗して、2016年にはJR東日本系列のNRE(日本レストランエンタプライズ、旧・日本食堂)が、パリのリヨン駅で駅弁を販売したことがあった。
今年10月30日から11月30日、2度目の販売が行われており、今回はNRE以外に4社が参加。
その1つが、秋田県大館駅の花善の鶏めし。値段は12ユーロ、現在のレートで1500円程度。

鶏めしがフランスで売られることは、秋田でも報道されている。
日本でいつも売られているのと違う容器・構成のようだけど、どうせ異国の話。花善さんはがんばるなと思う程度で、聞き流していた。

何気なく花善のホームページを見ていたら、フランスと同じ鶏めしが、日本でも(秋田でも)発売中なのだった!
11月1日から12月31日まで、普通の鶏めしを普段売る店(スーパーや東京の駅弁屋祭も?)なら、あまり制限なく売っている感じ。8%消費税込み920円。
今年は鶏めしカレーチャーハンしか食べていなかったから、久しぶりだし、話のタネに食べてみよう。

秋田駅中央改札前(改札外・自由通路沿い)の大小2つのNewDaysでは、どちらでも置いていた。
NewDaysのメールマガジンを受信すると、毎週水曜日(祝日等除外日あり)に使える5%引きクーポンが付いてくる。駅弁も割り引きになった。

商品名は「Paris'S 鶏めし」。
掛け紙は、過去の鶏めしや新たにデザインされたものの5タイプあり、毎日ローテーションされる。今回の赤いのは見慣れたデザイン。現行の掛け紙がモチーフ?

箱は細長く黒い(木目模様が入っていて、E3系車内の壁を連想させられた)、がっしりした作りのフタ付き紙箱。通常の鶏めしよりは小さい。右側にある箸袋とちょうど同じ長さ。【23日追記】通常版の容器も、長さは箸袋と同じ程度。したがって、幅(短辺)だけが通常版より短い。
構成
通常版同様濡れお手ふき付き。掛け紙のシフトを示したカレンダー兼社長あいさつの紙も。掛け紙の裏面は、フランス語のお品書き・説明文のようだ。

お待たせしました。
中身
通常版同様にごはんの面積が広く、上に鶏肉の甘辛煮が載っている。
880円の通常版と比べると、ごはんは少ないが、甘辛煮はむしろ少し多いかな。ごはんに対する比率としては多い。
おかずは通常版では見かけないものばかりで、量としては同じくらいか。

ごはんの上のそぼろ卵、インゲン(素揚げ?)、椎茸甘露煮、モミジ形のカマボコ(原材料欄では「飾り麸(蒲鉾)」と回りくどい。昔は本当の麸だった)は、通常版でもおなじみ。
栗の代わりにギンナンが2粒。
あとは里芋煮としば漬。
おかず区画
おかずは、きんぴらごぼうと山菜の水煮(わらび、ぜんまい、姫竹、なめこ、木耳)。

味は、鶏めしはいつもの味。通常版でもそう感じるけれど、見かけよりもごはんが多く、食べごたえはある。鶏肉の甘辛煮がたっぷりでうれしい。
里芋は薄味、きんぴらは濃い味に感じた。まあ、日本では標準的な味。

ごはんとおかずは、プラスチックのトレイに入れられ、トレイごと紙箱に収まっている。だから紙箱の底とトレイの底の間に空間があって、つまり1センチほど上げ底。
容器はコンパクトで、より車内で食べやすいかも。

鶏めしそのものは、大館と同じもの(材料・レシピ)がフランスでも売られていると考えていいようだ。
でも、おかずは、どうしてこれらを選んだのか疑問。
もっと秋田らしいものもありそうだし、山菜とか濃い味のきんぴらとか、フランスのみなさんはどう感じるのだろう。EUの規制などで、原材料は現地調達が多いと報道されていたはずで、制約があったのでしょうけど。

日本で食べるのなら、少し安くて少し多い、通常版がやっぱりいいかな。

※この発売期間中、花善が首都圏での常時販売をやめていたことが分かった。
鶏めしに関する次の記事・2020年の新商品
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今さらホテルハワイの謎

2018-11-07 00:21:33 | 秋田のいろいろ
秋田市に「ホテルハワイ」という地元ホテルがあった。
中心部で3店舗のビジネスホテルを運営していたが、2009年正月に突然営業停止。以降建物は放置状態であった。
今年3月、うち2店舗を大阪の不動産開発会社が買い取り、分譲マンションとホテルができることになり、工事が始まっている。ホテルにする建物は、旧ホテルハワイの一部を活用するらしい。

秋田なのに「ハワイ」とはおかしな名前だけど、元は常磐ハワイ(1966年)的な施設を目指していたため。1967年に通町橋たもとにオープン。
1972年に千秋久保田町の広小路沿いに「駅前店」、1979年に中通五丁目に「新本店」、1983年に中通三丁目に「ラグーン」を開店。中通の2店は、川反近くの池永小路をはさんで向かい合っていた。今年買い手がついたのは中通の2店舗で、新本店跡は駐車場に、ラグーンの一部を解体してマンション、残りがホテルになる。
【2019年10月18日追記】2019年10月17日の報道で、中通の計画が遅れていることが明らかになった。2019年度完成としていたホテルは、2019年8月に2020年度以降に延期され、未着工。ホテル運営会社選定に難航しており、ホテル計画をやめて売却も視野に入れて検討する。分譲マンションは、2018年11月着工予定だったが、施工業者が資材確保できておらず未着工で、業者変更を検討。マンションは遅れてでも建てたいとのこと。
【2019年12月4日追記】その後、2019年12月4日の報道によれば、ホテル計画は中止となった。ラグーン北側建物の老朽化が進んでおり改修が難しいためとしており、12月中にも解体に入り、2020年6月中旬までに終えるが、跡地活用は検討中。ラグーン南側のマンションは引き続き、未着工・業者選定中ながら建設する意向。
【2020年2月11日追記】さらにその後、2020年2月11日の報道で、スケジュールと費用に折り合う施工業者が見つけられないことを理由に、マンション建設を取りやめる方針であることが分かった。これで、中通の計画は全面白紙となった。すでにマンションの契約をしている客もいるという。
現状は、新本店とラグーンの一部は解体済み、ホテルになる予定だったラグーンの一部が解体途中。


通町橋の店は、1979年に地元スーパー「協働社」に売却して「ホテルはくと」に。
さらに協働社が経営破綻して、1999年にフナコシヤへ売却(クルーザーバレー・ホテルはくと)、2007年に建物が建て替えられ、2013年にアパホテルへ売却されて「アパホテル秋田千秋公園」。

経緯からして、ホテルハワイは1970年代のうちにビジネスホテルへシフトしたようだが、秋田としては初めてかつ最大規模のビジネスホテルであっただろう。
不況と県外資本のホテルチェーンの相次ぐ進出の中で、設備が陳腐化してしまい、競争力がなくなったのだろう。

とりあえず、市街地の空きビルの2つがなんとかなりそうなのは良かった。結局マンションとホテルが増えてしまうけれど。あとは旧駅前店がどうなるか。
【2020年1月29日追記】上記追記の通り、2019年になると中通2店舗の計画が停滞していることが分かった。【その後、中止・白紙となった】
一方、駅前店は仙台のマンション開発会社が買い取り、解体・新たにマンションを建てることになった。2021年初め頃までには解体されそう。


さて、旭川沿い土手長町通りの北都銀行本店の並び。ここにホテルハワイの駐車場の1つがあった。場所的にラグーンが近いが、一般向けの時間貸し・月ぎめも兼ねていたようだ。
10月下旬撮影
↑右奥の白い建物がラグーン。正面奥の黒いのは別の新しいマンション。左のイチョウも塩害でチリチリ。

この駐車場の歩道との境には、膝丈ほどのコンクリートの塀というか仕切りがあった。以前から存在は頭にあり、そんなに古そうなものには感じなかった。

改めて見れば、その壁面に「HOTEL HAWAII」とか文字が彫りこまれている。これもなんか頭にあった。

今回の解体工事のため、塀の一部(と右のイチョウ1本)が撤去されてしまったので、本来の表記をGoogleストリートビューで確認。
2012年10月撮影
土手長町通りの向かって左側には「HOTEL HAWAII LAGOON SE」、出入口を挟んで右側は「HOTEL HAWAII 1050」。また左の一方通行路側にも「1050 HOTEL HAWAII」。
右側は今は「HOTEL HA」がなくなって「WAII 1050」
気になるのは「1050」と「SE」。
1050は、おそらく3店舗の客室数の合計。駅前店360+新本店240+ラグーン450。
こんなにしてまで総客室数にこだわるのかという気もするけど。

SEはまったく分からない。Second Edition?


あと昔から謎だったのが、第3店の名前「ラグーン」の由来。
塀の表記によりつづりが「LAGOON」であることが判明した。予想はしていたけれど、高校の地理で習った、八郎潟のような「潟湖」を意味するラグーンのことか。
アメリカ英語では、単に池や沼の意味合いでも用いるらしい。
でも、この辺にそんなものない。なぜ?


もう1つ不思議だったのが、テレビCMのBGM。
廃業直前頃はどうだったか忘れたけれど、少なくとも1980~2000年代初め頃までは、定番ローカルCMの1つであった。宿泊特化ホテルの宣伝をその地元でやっても、効果は低そうだけど。ただ、秋田県内限定でなく、少なくとも宮城県内でも流れていたらしい。(さらに駅などにも積極的に広告を展開していたようだ。)
そのCMでは、「♪ぽぽぽぽぽぽ」というホルンの音楽がいつもかかっていた。
僕はアルプホルン→スイス辺りのアルプスの光景を連想し、「秋田」の「ハワイ」で「アルプス」と、ちぐはぐさを禁じ得なかった。

今回調べていたら、その曲名が判明!
ドイツのリヒャルト・シュトラウス作曲「ホルンと管弦楽のための第2協奏曲変ホ長調」だそう。流れていたのは第3楽章冒頭かな。
だとしても、やっぱり秋田のホテルハワイとの関連はなさそう。【19日追記】いただいたコメントによれば、オーナーはホルンを吹いていたそうで、自身の好みだったのではとの説。
※時期やバージョンによっては、違うメロディーのホルンの曲がかかっていたこともあった。同じ曲の別の部分なのか、違う曲なのかは不明。

結局謎だらけのホテルハワイ。今となってはその答えを知るのは難しい。


確証のない余談。鉄道旅行作家の故・宮脇俊三氏が1978年10月28日に「最長片道切符の旅(新潮社1979年)」で秋田を訪れた際、秋田駅前の大きなビジネスホテルに宿泊している。
ホテル名の記載はないし、「ビジネスホテルは土曜日だから空いている」程度しか書かれていないけれど、当時、秋田駅前の大きなホテルといえば、ホテルハワイ駅前店しかなかったと思われるので、おそらく投宿したのかも。今さらですが。【8日補足・ビジネスホテルではないがビューもメトロポリタンもまだなかったし、秋田第一ホテル(現・キャッスル)は駅前とは言い難い。宮脇先生は駅へのアクセスで宿を選ぶことが多かった。】【2019年2月6日補足・いただいたコメントによれば、やはりホテルハワイに泊まっていたとのこと。】

【補足】2020年2月時点でのホテルハワイ2エリア・3店舗の状況は、
駅前店:建物はそのまま。今後解体→マンション建設予定。※2020年秋のちょっとした話
中通(川反対岸)の新本店とラグーン:マンションと新ホテル計画が持ち上がり、建物はほぼ解体されたが、両計画は頓挫。今後は未定

2020年9月、新本店跡地が隣接地にある「北都ビルディング」の駐車場となる
ことが分かった。
2月に北都銀行グループの企業へ売却されていて、北都ビルの既存コインパーキングを拡張する形で、10月から50台分を供用。なお、北都ビルディングは、元秋田相互銀行→秋田あけぼの銀行本店だった建物で、北都銀行別館と称していたこともあった。

2021年12月、ラグーン跡地の着工見通しが明らかになった。
マンション着工断念後、2020年11月に大和ハウス工業が購入しており、2022年6月着工、2024年8月完成予定の14階建て「プレミスト秋田中通(仮称)」

2022年6月には予定通り着工し、文字入りの塀もなくなってしまった。
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ケララの道

2018-11-06 00:16:24 | 津軽のいろいろ
弘前市富田エリアの続き。
※関連記事はブックマックス・ハウスマックス富田町とその周辺の町名について。必要に応じて参照すると分かりやすいと思います。
地理院地図に加筆
上の地図は、弘前大学文京町地区東側、富野町・大富町・富田町辺り。
縦方向の黄色い線が、バス通りの青森県道127号(富田大通り)。
上のオレンジ色の線は、県道109号線の2008年(一部は2006年?)開通区間。それ以前は、松森町で行き止まりになっていた。新規開通区間は、富田大通り側の焼き肉モーモーの交差点と接続するために、緩くカーブしている。
下の青い線が、富田町と一致する桝形から取上交差点、弘前東高前駅までの道。

弘前市街地は、城下町であり比較的高低差もあるため、まっすぐな道や碁盤の目状の道路配置は少ない。青い線の富田町の道が気持ちいいくらいに一直線なのは珍しい。古い道のようだけど、どうしてここまで一直線なんだろう。
※1912年の地形図で、すでに道ができていたが、取上交差点で突き当たって終わり。その後、1939年では東へ伸びている。この記事後半参照。

今回は、その上(北側)の赤い線の道について。
周りの道と比べてもカクカクしている上、他の道と直交せず斜め方向に突っ切るという、個性的な道。
秋田市でいえば、秋田大学手形キャンパス南東の三吉神社前の道のような、新しい道に対する旧道的な道かと思ってしまうが、ここの場合、富田町の道も新しくはないようなので、由来については分からない。

この道を北側からたどってみる。
赤い矢印が入口
品川町の土手町から続く県道260号の裏道。弘前品川町郵便局の向かいが、その道の入口。他の道と同じ狭さなので、意識しないと見落とす。

最初はこの道(もしくはその裏手の水路)を境に、右が御幸町、左が大富町。古くからありそうな住宅が建ち並ぶ。微妙な角度があって見通しは良くない。
この辺りは比較的道幅があって、破線のセンターラインが引かれた区間もあるし、路肩というか歩行者スペースが充分ある区間も。
道幅が狭くなってきた
上の写真右側の建物がカフェ「ケ・ラ・ラ」(後述)。奥に見える山は、久渡寺山とかかな? 岩木山はこの右方なので、建物に隠れてほとんど見られない。
その先で、右方からの道と交わる。
振り返って。右が品川町から来た道
交わる道は緩い上り坂で、片側が木に囲まれている。弘前厚生学院(旧弘前偕行社)の敷地。

その先は、御幸町から富野町に代わり、さらに大富町も終わって両側とも富野町に。

道はカーブが大きくなったり、また広くなって狭くなったりを繰り返す。
先にハウスマックスが見える。左に入れば富田町の一直線の通り
やがて学生向けアパートが増えてくる。ハウスマックス付近から特に道が狭くなるが、一方通行ではない。

そして、
自転車屋さんの脇で
富田大通りに出る。
右が来た道
向かい側は弘前大学の敷地の南端。生け垣とフェンスの向こうは農学生命科学部の学内圃場なので、出入口はない。
昔、生け垣のすき間からきれいに見える岩木山に向かって、通りがかったおばあさんが手を合わせていたのがここ。
大通りを北へ進めば、弘前富田郵便局や農学生命科学部・理工学部側の門。
品川町郵便局から富田大通りに出るまでのこの道は、およそ800メートル。


僕はかつて、文京町キャンパスより向こう側=南西側(西弘前方面)に住んでいた。
だから、弘前駅へ行き来するルートの1つとして、この道が選択肢にあった。(上記の通り、駅と大学を行き来する時は、門を通り過ぎて敷地端に出てしまうので、遠回りになる)
というか、好んで通っていた。道は狭いけれど車はさほど通らないし、気分的に近道に感じられたので。夜遅くの厚生学院の辺りなど、ちょっと怖かったけど。

地図で見る限り、大学前を通ると少し遠回りになりそうだし、松森町~取上交差点~富田町は一直線で気持ちいいけれど、それよりは斜め方向のこの道のほうが距離が短いと考えていた。実際のところ数百メートルの差だろうし、交通量や気分などもあって距離がすべてではないのだけど。
松森町~桝形の距離を地図上で計測してみると、県道~取上~富田町の直線コースでは1.3キロ。品川町郵便局~この道のコースでは1.1キロと、やっぱりいくらかは短い。
2003年2月。車道部分はしっかりと除雪されている
この道の個人的ないくつかの思い出。
お盆に通った時、御幸町辺りの沿道のお宅の人たちが、路肩で火を燃やしていた。「迎え火」か「送り火」かどっちか忘れたけれど、それだ。
秋田市中央部ではやらない風習なので、実物を初めて見たのがこの道だった。
津軽では珍しくないはずだが、他の道では見た記憶がない。ここの道は古くからのお宅が多く、道幅に余裕があるからだろうか。風情のある光景だった。

今回(9月)、この道を久々に通った。
御幸町側の民家が新しくなったりなくなったり、富野町のアパートがきれいになっていたり、20年前の時を感じさせられたこともあった。
その一方、この道で存在感のある3つの建物は、変わりがなかった。
1つは以前取り上げたハウスマックス。

もう1つは、上の自転車屋さんの1つ手前の写真に少し写っている赤い構造物。
おしゃれ(?)なビル

少々場違いな雰囲気も
20年前もこの姿で存在したと思う。今も車が駐まっているし、建物外観はきれいなので、使われてはいるようだ。
だけど、看板が真っ白(ストリートビューによれば2013年5月時点でも)だし、地図を見ても何の建物かは分からない。

あと1つが、上で出たカフェ ケ・ラ・ラ。
オープンカフェ風デッキがあるなど20年前ではまだ新しそうなカフェだった。上の写真の通り、現在もほぼそのまま営業中。

タイミング良く、9月3日アップの「弘前経済新聞」に「弘前のカフェ「ケ・ラ・ラ」が夫婦経営で25周年 震災で看板メニュー休止も復活(https://hirosaki.keizai.biz/headline/1071/)」が掲載された。
1993年8月25日オープンということになる。
ご夫婦で経営していて、「マスターグラタン」というパンを器にしてメレンゲでフタしたグラタンなどが初期からの人気メニューとあった。

飲食店には疎いけれど、実はケララに1回だけ行ったことがある。1998年か1997年。
ただ、何を食べたか記憶がない。
行きの道中と、何かのセットメニューを頼んで、ドリンクが選べて「ブラッドオレンジジュース」を飲んだことしか覚えていない(存在は知っていたけど、初めて飲んで、思ったのと違う味だった。それ以後、今まで飲んでいないかも…)。
だけど言われてみれば、「ふわふわしたのが載っかったグラタン」を見たような、食べたような記憶もあるような…

そんな思い出の道。なんて呼べばいいのか分からないから「ケララの道」というタイトルにしました。でなければ「ハウスマックスの道」かな。“富田三部作”はこれにて完結。
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カラタチ観察日記

2018-11-04 23:24:05 | 動物・植物
秋田では珍しいカンキツ類であるカラタチの木が秋田大学手形キャンパスにある。その続き。

まず、前回、秋田市内でほかに2か所の民家の庭にカラタチがあるのを知っているが、うち1軒は建物が解体中としていた。その後、解体されていたお宅で、カラタチの木もなくなってしまった。
だから、知る限りでは秋大と民家1軒だけになってしまった(ほかにもなくはないでしょうけど)。

8月上旬
昨年、初めて気がついたのがこの状態。
緑の葉とともに、まんまるなピンポン玉大の果実が着いている。果実の数は、咲いていた花の数よりは少ない。果実の表面は、白っぽく見えベルベットのよう。細かい毛が密に生えているようだ。
葉はそんなに多くなくまばらで、枝とトゲがむき出しの部分も。木の具合が悪いわけでなく、こういうものらしい。

それから2か月。
10月上旬
遠くからでも黄色くなった果実が分かる。

この段階では葉はまだ着いていて、黄色くなりかけた感じ。

さらに1か月。
11月初め
かなり葉が落ち、ほぼ果実だけがぶら下がる状態。
 
果実はピンポン玉大のまま。一見、完全な球だけど、枝と反対側(果頂部)が円形に少し盛り上がっている。
表面の毛は残っている。毛のせいなのか、レモンやグレープフルーツほど鮮やかではない、優しい黄色。
地面に落ちた果実もいくつか
落ちたものを手に取ってみると、毛の柔らかな感触がある。ユズとかカボスなど香酸カンキツ類のような、いい香りがした。
カラタチの実は、とても酸っぱい上に苦く、食用にはならないとのこと。薬用や果実酒にはできる。
秋の西日を受ける

10月上旬
北原白秋は「からたちの花」の4番で果実を「まろいまろい金のたまだよ」と表現した。
まんまるな黄色い玉が空中に浮かんでいるようで、ちょっと不思議な光景。
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