広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

弘南バス2023.6

2023-08-03 20:05:43 | 津軽のいろいろ
2023年6月の弘前(前回の記事)。
今回は弘南バスについて。現地訪問としては2021年12月以来。土手町循環100円バスに2度しか乗れなかったが、新たなものにも遭遇・体験できた。

雨の中、見ただけなのは、
マイクロバスの新車!
弘南バスでは2000年前後から、それまで大型・中型バスが走っていた路線にも、小型バス(日野リエッセ)やマイクロバスを投入している。
マイクロは、三菱ふそう「ローザ」を中心に、2000年代は毎年のように増備されていたのだが、2011年頃を最後に止まっていた。

久々に購入したローザが、この車。写真は「30404-2」号車なので、2022年製か。ナンバーは絵柄入りでない「弘前210あ3」。五所川原かどこかにも、同型ローザがあると、ツイッター(当時)で見た気がする。
なお、この間、秋田市に来ていた、図柄入り「弘前210あ1」のエアロエースは「30401-2」だった。

ローザは2018年に、ツリ目&黒い帯の前面デザインにマイナーチェンジされている。秋田市では、秋田アスレティッククラブ(運営会社は2021年までは三菱マテリアル傘下にあり、その関係で買ったのかもしれないが、他社製も入れている)の送迎バスで見かけるが、マイクロバスとしてはかなりかっこいい。後部はさほど変わらないけれど。
その路線バス仕様(特装車扱いらしい)も、かっこいい。
これまでのローザ路線仕様は、丸っこいボディに、行き先表示が取って付けたように突出していた。
(再掲)旧車体のローザ
現行モデルは、行き先表示が車体と一体化し、周りは黒く引き締まって見える。
行き先表示器自体は大型に見えるが、実際には従来と同程度の小型で、白色LED。白文字表示は、弘南バスの一般路線車では初だろう。

側窓の枠も黒に。側面に行き先表示器はなく、パソコンで印字してラミネートした紙を、窓の内側に掲出するのが弘南バスらしい。経由地を細かく案内できるので親切でもある。
客席の座席は、従来のローザよりは簡易(一般的な路線バス風)に見えた。トランスミッションはMTの設定がなくなったようなので、ATか。


次に、中古で来た中型バス。土手町循環バスで乗車できた。
三菱ふそうエアロミディ、ノンステップ
「31504-2」=2003年製、図柄入り「弘前210あ16」。京都市交通局(京都市営バス)の中古。
近年、弘南バスや秋北バスでは、京都市バスの中古がちらほら入っている。

中型バスだけど、見慣れたそれとはバランス感が違う。短いようで長いような。
ホイールベースや中ドアの配置が異なり、違った印象を受ける。一部の現場や愛好家では「ダックスフンド/ダックス」と呼ばれたとのこと。
製造当時のエアロミディでは、車体長7メートルのエアロミディMJがあったが、それを9メートルまで伸ばしたKK-MJ27HLがこれ。普通の9メートル車よりも、前のノンステップエリアが広い(長い)メリットがあったようだ。

京都市からは1番違いの「31505-2」・図柄入り「あ17」と、2022年秋ころから復刻塗装2台目として「31604-2」・図柄なし「か24」、さらに五所川原営業所に「31603-3」・「青森200か1374」も来たとのこと。


雨の平日昼前。
弘前市街地を歩く人はまばらだったが、土手町循環バスの利用者は多め。地元客が大部分のようだったが、弘前公園への観光客らしき人も2人ほど。そこへ来たのがこの車で、けっこう立ち客がいた。
前乗り前降りの弘南バスでは、どうしても前寄りに客がたまってしまう。ノンステップエリアが長い分、いくらかは中ほどへ分散できているような気もしたが、大差ないかな。座席は、前方のノンステップエリアが1人掛け、高い後方が2人掛け。2人掛け座席は少ない上に、ややきゅうくつに感じられた。

トランスミッションは、公営事業者らしくAT。
エアロミディのオートマと言えば、名古屋市交通局でも見かけたし、何より秋田市交通局(~秋田中央交通へ譲渡)でお世話になった。エアロミディならではのエンジン音に加え、トルクコンバーター式ATによる、ぐぉーという爆音が懐かしい。
秋田市の車は1993、1995年度製だったので、この車は10年程度新しい。その間で、エンジンの排気量が減ったせいか音が軽くなった印象はあるが、三菱らしいオートマの音の流れは汲んでいた。オーソドックスな形のシフトレバーは、秋田市のと形は同じかもしれないが、色が黒からグレーに変わっていた。

ローザやリエッセなど20年前に買った、小型バス・マイクロバスが代替時期に入っているし、バリアフリー化もあって、こういうタイプを入れたのだろうか。弘南バスは三菱ふそうを好む印象があるから、京都以外の同型も入れるようなことがあるかもしれない。
一方で、最近、国際興業中古の大型車・エルガが2台入った(弘前と青森に1台ずつ??)という話もある。五所川原にいた都営【4日訂正・西東京バス?】中古の中型ロングも弘前に移ったらしい。



そして、青森市、八戸市、秋田市などに遅れること約1年。2023年2月25日から、弘南バスでもついに地域連携SuicaによるIC乗車「MegoICa(メゴイカ)」が始まっていた。津軽弁の「かわいい」を意味する言葉(いわゆる「めんこい」)が由来の愛称は公募。
カード券面は、雪をかぶったピンク色の岩木山がポップにデザインされている。頂上が3つに分かれているので、五所川原辺りでなく弘前市から見た形。

弘前市だけではなく、弘南バス全エリアが対象。秋田市のように役所の金銭的支援は受けていないのかもしれない。
弘南バスでは、深浦町とともに「MegoICa体験会」を開催したり、PDF以外の説明ホームページを作ったり、説明動画をアップしたり、宣伝も積極的な印象。PDFを上げただけで、ほかは秋田市役所に任せっきりの秋田中央交通にも見習ってほしい。

あと、昨年導入されたどの地域でも、バス乗車で貯まる独自のポイントのことは「交通ポイント」としか称していなかったと思う。Suica本体のポイント(JREポイント)と区別しづらく、親しみももてない。MegoICaの交通ポイントは「メゴポン」という名前が付いている。そのセンスがどうかはともかく、名前があるのはいい。

土手町循環バスでは、高齢者も含めて多くの乗客がICで支払い。100円バスは、IC化以前は、原則現金払いで回数券もなかったことを考えれば、導入後4か月でかなり浸透している。

車載機器。
乗車用カードリーダーは、秋田中央交通と同じもの。レシップがOEM製造する、JR東日本メカトロニクスの「縦型アンテナ部」だと思われる。
※秋田市の高齢者の場合、青いタッチ部でなく、その上の画面部分にタッチしてしまって、エラーになる人がちらほらいる。
中央交通では、整理券発行機のすぐそばにリーダーが設置される。ところが中央交通では、整理券がドアの右側にある車と左側にある車が混在するため、リーダーも左右まちまちで、惑わされる。

弘南バスの場合(前乗りなので前ドア)、中型バスでは、従来から整理券は左側で統一されていた。カードリーダーは、その反対の右側の、客席との仕切りの板に設置されていた(数台見た限り、全車)。配線が大変そうだけど、分かりやすいかもしれない。

ただ、マイクロバスでは左側。
ローザ32104-2号車。運転席の仕切りパイプに設置?
路線仕様を前提としていない車種なので、運賃箱もなかなか無理のある設置だし、ドアの開き方などで、こうなったのでしょう。

秋田中央交通では、AkiCA導入に際し、旧型が残っていた運賃箱と運賃表示機を新型に交換。整理券発行機は、感熱紙タイプ(バーコード印字なし)への置き換えは済んでいて、交換されなかった。
弘南バスでは、整理券は普通紙・インク式の車両が大部分(2016年の新車から感熱紙)であった。MegoICa導入時に、すべてを、バーコード付きの感熱紙式に交換したようだ。

弘南バスでは、始発の運賃区間では、整理券を出さないことになっていた。運賃表示機も「券なし」から始まる。バーコード印字に合わせて、始発でも券を出すようになった。
100円均一のバスでは、一切整理券を使わなかったが、発券するようになった。運賃表示機も、秋田市中心市街地循環バスのように、「100」がずらりと並ぶようになった。
整理券を取らずに乗りそうになり、運転士に「100円バスでも(整理券を)取ってもらうことになりました」と説明されていた客がいた。


運賃箱は、従来は小田原機器製とレシップ製(藤代車庫の車に多い?)の、古い廉価なものだったが、小田原機器製で、バーコード読み取り&投入された硬貨をカウントできる自動計数対応の「RX-FCM型」に換わっていた。
ボディ上部が弧を描き、現金投入口が出っ張っていない(どこに入れるのか分からない客が多いようで、現金客には運転士が指さして教えていた)、小田原らしからぬデザイン。
ICカード読み取りユニット本体の黒い箱は、秋田同様、短辺の車内後方側にごちゃっと配線が見える形取り付けられているのは変わらなかった。※秋田中央交通は、計数なしのRX-NZS型。

運賃表示機は、弘南バスも中央交通も、従来は、レシップの7セグメントLED式50コマと、レシップの15インチ×2画面液晶の「OBC-VISION"D"」が混在。
中央交通は、一般路線では全車がOBC-VISIONに交換。一方で郊外の廃止代替バスでは小田原機器製の27インチ1画面「BFD型 液晶運賃表示器」が採用された。
弘南バスでは、上記、京都市営の中古では小田原BFD型だった。全交換かは分からないが、総合的には、ICカード導入で小田原機器がもうかったのかな。


秋田では、IC決済時に「ピピッ」のほかに「ピンポーン」という音も鳴り、それが何を意味するのか、またそのことの告知もされないのが気になっていた(この記事など)。
弘南バスの説明サイト・説明書では、「「ピッ!ピンポン」という音が鳴れば、運賃のお支払いは完了です。」と言及あり。
そして、現金で支払った時でも、「ピンポーン」が鳴っていた。整理券番号と投入金額が一致すると鳴るのだろう。
ということは、ICカード側の仕様ではなく、小田原機器製運賃箱の仕様として、支払い手段に関わらず、正当に支払われたことを認識すれば、ピンポーンが鳴るのだろうか。秋田の場合、現金の投入は数えられないので鳴らないけれど。
でも、秋田の場合、ICから正しく引き去られても、鳴らないことがあったような気がするのだけど…

【8日追記】スマートフォンで交通系ICカードの履歴を見られる「みるCa」アプリ(2022年以降のアップデートや最新版Androidへの対応はなく、もう更新しなくなったようだ)で、AkiCAエリア(秋田中央交通、秋田市中心市街地循環バス、秋田市マイタウン・バス)での履歴を読むと、事業者名部分は「3-090E」と表示された。
MegoICaエリア分は「3-0919」だった。

※弘前訪問記の続きはリゾートしらかみ
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弘前駅 Petit Appli 跡

2023-07-04 23:58:26 | 津軽のいろいろ
中央弘前駅前の激変に続いて、弘前駅(JR・弘南鉄道弘南線)の話題。
この記事で取り上げ、そのコメントで教えていただいていたように、弘前駅2階のJR改札口横・改札外にあった小さな売店「Petit Appli(プチアプリ)」が、2022年3月21日で閉店した。その現在。
改札外から
向かって左「待合室」の表示が出入り口。スペースは改札内側に出っ張っているが、一般客は行き来できない。
売店は、待合室の中に間借りというか、待合室と同居していた。閉店1年前に売店がリニューアルされ、入口周辺に赤い装飾や大きな看板が付いたそうだが、それ以前は、現在と同じような、シンプルな外観だったと思う。

スペースのうち、出入り口側が売店、売店の前を通って奥側が待合室。割合としてはだいたい半々、売店のほうがちょっと広い程度だったか。売店としても狭く、待合室としても狭かった。
なお、2021年春には、改札口向かいのびゅうプラザ弘前駅跡に、待合室機能もある「津軽ラウンジ」ができたので、現在は待合室が2つあり、おおむね充分な態勢になった。

待合室に入ってすぐの視点
椅子・ベンチ(17席あるとのこと)は奥のほうにあり、スペース配分は売店があった当時と変わっていないようだ。椅子の配置は、変わっているようで、以前は奥の赤い壁を背にして置かれたものもあった。天井にはNHK総合が映るテレビ。

正面に鎮座する黒い箱は、JR東日本が展開するシェアオフィスSTATION WORKの1つ、1人用の時間貸し「STATION BOOTH」。
このように地方都市でも見られるようになったが、秋田駅(みどりの窓口内2台)も含めて、使う人はどのくらいいるもんだろうか。閉所恐怖症ではないけれど、あまり入りたいとは思わないし、入っている間に、外で何か起きていたら(事件ばかりでなく、ドアを開けたら怖い人がもたれかかっていたとか【5日補足・怖い人でなくても、お年寄りとか大荷物が置かれていたなども、出るのに気が引ける】)…なんて考えてしまう。

売店があった当時は、この位置にはガラス扉の冷蔵庫が置かれ、リンゴジュースや酒なども並んでいた。
BOOTHの手前~左側(スペース全体の左奥)がレジ跡。手前側には、箱入りのお土産菓子などが平積み。末期には市内の店の惣菜も扱っていたそうだが、その状態は知らない。

ベンチ側から出入り口方向
写真奥・自由通路側には、自動販売機が2台置かれた。右はグリコ・セブンティーンアイス、左はJR東日本クロスステーション・acureのイノベーション自販機。秋田駅のと同じで、弘前初設置だろう。
「大きな黒い箱」としてSTATION BOOTHと共通するが、近くで比較すると、やっぱりSTATION BOOTHのほうが大きい。

でも、この場所では、自販機の存在が目立たない。せっかくなら、自由通路に直接面して置いたほうが売れそう。自由通路2階には自販機がないのだし。
ついでに言えば、ここにATM・ビューアルッテを置いたらどうでしょう。一大観光都市であり、Suicaも使えるようになったのだから。

ちなみに、自販機左に出ている掲示は、売店で扱っていた「水上房吉商店のお茶(静岡)」を買いたい人は、向かいのラウンジ内の「BRICK A-FACTORY(土産物+カフェ的な店?)」で予約注文書を配っている旨。
この掲示内では、Petit Appliの名はなく「アプリーズ弘前駅売店」と表記している(実際に、駅ビルアプリーズのホームページ内で紹介もされていた)。


この空間に、売店があった面影はもうないかと思いきや、
自動ドアの内側
ドアの合わせ目に、カラフルなシール。
150cmから190cmまで10センチ刻み
コンビニや金融機関で使われる、強盗の身長を覚えておくための目安。はがし忘れか、あえて残したのか。


最後、待合室の外に戻って。
自由通路に面して2つの箱
左の白い箱は、いわゆる白ポストではなく、弘前市立図書館の返却ポスト。「弘前市立図書館後援会」の寄贈と記される。弘前市街地では、ヒロロにこども向けを中心とした分室はあるようだが、本館は弘前公園の向かいだから、駅で返却できたら便利。

右側の銀色のは、おなじみ駅のごみ箱。透明部分がない旧タイプで、JR東日本のマークはあるが、なんだかぼんやりしている。これ1つだけで、分別せず捨てられるらしい。
ところで、JR東日本秋田支社では2022年11月に、合理化の一環で、駅のごみ箱の一部を撤去した。秋田駅では、同じように自由通路に面した、みどりの窓口前のごみ箱(やはり分別なし)がなくなった。
ここも、駅員の目が届きやすいとはいえないし、JR利用者でなくても誰でも捨てられるし、家庭ごみ投棄を禁ずるシールも貼ってあるくらいだから、撤去しても妥当だと思うのだけど。JRマークがぼやけている=実はJR管轄でないのか?

弘前の話題は続く。次は弘南バスについて
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中央弘前駅前激変・教会のバラ

2023-06-29 22:22:18 | 津軽のいろいろ
ベジチェックに続く、2023年6月中旬の雨の弘前の話題。
中心市街地・土手町の1本裏に位置する、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅。土淵川と並行する線路の行き止まり、雑然とした街並みの中に、古い駅舎が建っていた。
駅前の狭くて坂とカーブがある道路は、拡張されて都市計画道路「山道町樋の口線」が造られ、2022年3月28日に開通していた。※前回は工事中の2021年12月

雨が激しく、全体は見られなかったので、中央弘前駅周辺のみ。
架け替わった境橋(という名前らしい)の上から。左が土手町方向
中央弘前駅前だとは信じがたい光景。
左に少し見えているのがルネスアリー(旧・ルネス街。休館中)、右の平べったいのが駅。中央奥の白いのは弘前パークホテル。
以前は、狭いわりに車の通行が多く、信号機のない横断歩道を渡るのは注意を要した。新しくなって広くなると、通行量と速度が上がって、それが増長されるかと危惧したが、訪問時に限れば、写真の通り、車はさほど通らなかった。ラッシュ時や夜間は分からない。
また、弘前市立病院と統合した、国立病院機構弘前総合医療センター(旧・国立弘前病院)へ向かう、郊外各方面からの路線バスが、朝だけ駅前を通るようになり、「中央弘前駅」バス停が新設された。その場所は、駅と橋をはさんだ対岸側・鍛冶町寄り(上の写真撮影位置の後方)にあった。
※弘前駅前からの路線バスは通らない。従来どおり、土手町循環100円バスで、中土手町または蓬莱橋が最寄り。

横断して駅に近づく。
橋のたもと付近
たしかに駅舎は変わらない。でもその前が激変。見覚えはありながら、初めて見るような眺め。
前はこんなに広々としていなかったのは確実だが、どんなだったっけ?

再掲)工事途中2018年夏

再掲)反対側から2013年秋
そうそう。駅舎の目と鼻の先を、車が行き交っていた。
今は、かつての道路跡が、自転車置き場とロータリー(タクシーや送迎車)となったことになる。新しい道路は、それよりも高い位置に造られて、坂が解消されたようだ。そのため、上の写真のように、駅は少し見下ろす感じで、高低差の斜面には緑のシートが張られた。

当初は、駅舎を建て替えるだとか、もっと大々的な駅前広場を整備するだとかの話も聞いたおぼえがあるが、この程度が、妥当なところだろうか。ただ、中央弘前駅の風情が薄れてしまった(駅舎はかたくななまでに変わっていないのに)のが少々惜しいのと、大鰐線の利用実態や市街地活性化を踏まえると、駅周辺の使いかたに工夫が必要だと思う。

駅を通り越して振り返って、弘前昇天教会から吉野町へ入る小路との交差点から。
左側3軒目が駅
上の写真左側は、旧道路そのままで、ロータリーや駅へのアクセス路に転用されたようだ。
フレーム外左・吉野町方面へは一歩通行出口で進入できないので、ロータリーに入る地点までが対面通行。

再び戻って、
中央弘前駅と弘前昇天教会
教会の正面も、拡張された道路に面しているが、建物・敷地とも拡張前と変化はないようだ。
教会の外周が白い。近づくと、
石垣の上にツルバラ
忘れていたけれど、在住時に偶然通りかかって見たのを思い出した(たぶん)。市内だと文化幼稚園のバラが知られるが、ここはそれほどでもないと思うが、見事。
淡いピンクの花弁と香りに包まれる
花は終わりかけだったけれど、思いがけずいい光景に出会えた。
弘前の話題は続く
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ベジチェック

2023-06-25 18:04:40 | 津軽のいろいろ
千畳敷の花に続いて、弘前市内。
今回は同行者がいて、雨降りで、思うように回れなかったものの、2021年12月以来の弘前。
日頃から書き足している、“弘前で見てみたい・やってみたいことリスト”の中から、天候に関係なくできる「ベジチェック」を体験した。

「ベジチェック(R)」とは、カゴメ株式会社が開発した【8月28日補足・ドイツ「バイオズーム サービス」社との共同開発】、各人の野菜の(推定)摂取量を測定できる装置。カゴメが、全国各地の企業・団体やイベント向けに貸し出している。
それが、2023年2月28日から、弘前市の「健康とまちのにぎわい創出事業」の一環で、弘前市中心部5か所に一定の長期間設置されたことを報道で知った。
※3月1日アップ陸奥新報サイトによれば、設置箇所は「中三弘前店、ヒロロ3階の健康広場、医カフェ、HLS弘前、市役所内のレストランPomme」(注・時間や休業日等の扱いは不明)。現時点で、市の公式サイトにはほぼ情報がなく、カゴメ・ベジチェック公式サイトの設置場所リストにも未掲載。
【7月29日追記・設置場所について別の情報】7月に弘前市が作成した「弘前中心市街地 ENJOY WALKING MAP」の中では、ヒロロ、中三、市役所とイトーヨーカドー弘前店の4か所に設置されていることになっている。

1日の野菜摂取量の目標が350グラムとされるが、多くの日本人が不足している(2019年の厚生労働省調査の平均値280.5グラム)。僕は野菜好きで、けっこう食べているつもりなので、ベジチェックで実証したかった。


ベジチェックは、てのひらの親指の付け根付近を、センサーに30秒【28日・ネット回線の接続状況に左右されるとのこと】当てて測定する。そんなんで野菜摂取量が分かるのかと思いかけたが、カゴメのサイトに仕組みが説明されていた。
簡単にまとめると、皮膚のカロテノイド量を光センサーで測定し、その値から、野菜摂取量を算出する。

カロテノイド(カロチノイド)は、βカロテンなど緑黄色野菜に多く含まれる色素の総称。水に溶けない脂溶性なので、摂取すると体内に一定期間蓄積する。ミカンを食べ過ぎると肌が黄色くなるというヤツ。
【25日補足・カロテノイドは、ヒトの体内でビタミンAに変換される。レバーなど動物性食品やサプリメントからビタミンAを摂りすぎると、過剰症になるおそれがある。カロテノイドは摂りすぎても、それ自体がビタミンAでなく、体内で必要に応じて変換されるため、害はないとされている。変換されなかったものが皮膚を通して見え、それをベジチェックが測定するわけだが、長期的には排出や変換によって少しずつなくなっていくので、継続的に緑黄色野菜を食べましょうということになるのでしょう。】
色素ごとに特有の色があって、色はその色の光を反射するからその色に見える。植物に含まれる色素量は、分光光度計という計器で、特定の波長の光をどのくらい吸収するかを測定して求めたりする(昔ちょっとやった)。
その理屈で、皮膚の色を調べて、そこに蓄積されたカロテノイド量を測定できるというのは、筋が通っていると思う。てのひらなら、日焼けや人種による影響も少なそうだし。

でも、カロテノイドの量を測ったところで、それから野菜の摂取量を導くことができるのだろうか。
カロテノイドは緑黄色野菜に多く含まれる。一方、目標1日350グラムは、緑黄色野菜でない淡色(たんしょく)野菜も含めた摂取量。カロテノイド量だけでは、総摂取量は分からないのでは。
また、極端な話だが、野菜をまったく食べないが、果物であるミカンを大量に食べるような人は、野菜を大量摂取していると判定されるだろう。

この点について調べると、断片的な情報ながらいくらか分かった。
ベジチェックの測定値と、その人の実際の野菜摂取量を調べて、両者に相関関係があったらしい。そうだと言うのなら、そうなんでしょう。摂取量はあくまで推定値であって、淡色野菜ばかり食べるとか、ミカンを大量に食べるというのは、例外なのだろうし。
また、弘前大学医学部とカゴメが共同研究講座を設置し、弘前市岩木地区で行っている大規模な住民健診のビッグデータも関係しているのかもしれない。

【28日追記】野菜摂取後、カロテノイドが血液を経て皮膚に移行するまで2~4週間かかることをカゴメが研究しており、ベジチェックで分かるのは2~4週間前の野菜摂取状況を反映していることになるらしい。いただいたコメントでは、「2週間前」の状態を示すと説明されたとのこと。ネット上で、ベジチェックを借りた団体のサイトを見ると「1、2週間」や「2~3週間前」としているものもある。カゴメのベジチェックサイトでは、特に記載していない。


5か所のうち、ふらりと行って測定するには、中三(なかさん)かヒロロが良さそう。中三へ。
地下食品売り場の入口に、ぽつんと置かれていた。一見、電子マネーのチャージ機か何かのような見た目。もちろん無人で、弘前市民でないと使えませんなどとも書いていなかった【25日追記・料金は無料】。
右下の黒いのがセンサー
ベジチェック本体は、センサー部と10.1インチAndroidタブレットからなり、短期貸し出しではそれをテーブルに置くだけのようだが、ここは看板代わりの表示や呼び込み用ディスプレイも組み込んだ台のような形式。「ちょっとそこのあなた!」などとしゃべるのでびっくりする。

先客のおばさんが、ずいぶん苦労して測定していたのに続けて実施。
アルコール消毒液でてのひらを消毒してからやることになっている。センサー部には直接アルコールをかけないようにとも。
右手に合わせたてのひらの絵があって、親指付け根に黒いセンサーがあるので、当てかたは分かる。「左手でも測定できます」とあったが、それだと、センサーの出っ張りが干渉して、やりにくいのでは?
手を載せて、タブレットの「測定をはじめる」ボタンをタッチするようだが、呼び込みではしゃべるクセに、測定方法については何も教えてくれず、表示を読まないとならない。
手は、(壊れたり痛くなったりしない範囲で)ある程度力をかけて載せたほうがいいかもしれない。力の入れ加減で測定値が変わったりしそうだし、ほくろ、傷・傷跡、深いシワがあるとどうなるのだろう。

触れ込み通り、約30秒。測定が終わっても、特に音などは出なかったと思う。画面に結果が淡々と表示されるだけ。
結果をプリントアウトできれば便利だが、プリンター機能は提供していない。「野菜をとろう」アプリに記録することはできるそうだが、会員登録も必要だそうで、ここでいきなり言われても。

結果は2項目。
「推定野菜摂取量」として6段階、「野菜摂取レベル」として0~12.0。
前者は、野菜を何グラム摂っていますというグラム数のようだ。
後者は、1~3:少ない、4~6:もう少し、7~9:足りています、10~12:たっぷり で、7~8が1日350gの目安。公式サイトによれば、「野菜摂取レベルの平均値は5.5です(カゴメ調べ/22年1月~22年12月)。 」。

結果画面は…
もうちょっと簡潔な内容で、文字が大きいほうが親切では?
「推定野菜摂取量」は「目標量(350g)以上」だから、最高値ってこと?
「野菜摂取レベル」は「9.3」。
「笑美ちゃん(誰?)からのコメント」は「目標量を超える量の野菜を召し上がっているようです。すばらしい!」とお褒めにあずかった。
日頃の“野菜食い”が裏付けられたととらえていいだろう。ひと安心。【28日補足・ここ2か月ほどは、もらいものの青汁も週に数度ずつ飲んでいたので、その影響(効果)もあるかも。】
でも、目標量以上なのに、9.3とは。あと2.7の余地がある。12.0を目指し、もっと野菜を食べればいいのか。それはどのくらい? あるいは9.3あれば12は目指さなくてもいいの? こういう辺りも、分かりにくい。

おもしろくて、食と健康について意識するきっかけにはなる。また測定したい。
弘前の話題は続く


【8月9日追記】8月、セブン-イレブンの首都圏などの14店舗にベジチェックを設置する実証実験が行われている(7月以前から実施中)ことが発表された。セブン-イレブンアプリと連携し、測定すればnanacoポイントがもらえる。
青森県への設置はなく、イトーヨーカドーにも設置されないので、弘前とは無関係と思われる。

【8月28日コメントいただき追記】「ベジメータ」という競合商品が存在した。指先で測定。
アメリカで2008年に誕生。日本では2019年5月にアルテック株式会社が発売、2022年2月からは株式会社LLCジャパンが販売。
「類似品にご注意ください」として、バイオズームの装置が誇大広告としてアメリカで問題になっているとか、てのひらの接触圧力で測定に影響が出る(この点は上記本文でも指摘していた)とか、ヘモグロビンやメラニンも測定してしまうことによる影響、リコピン量は測定できない等々を挙げ、ベジチェック系装置に疑念を呈している。

【2024年11月5日追記・秋田県の状況】2024年度に、秋田県が県民の野菜摂取量を増やすキャンペーンを行った。その一環で、スーパーや企業などでベジチェックで測定するイベントが行われた(日本生命が関与?)。常設ではない。
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弘前ナンバー1は色が違う

2023-05-31 20:49:36 | 津軽のいろいろ
先週、秋田駅前に、
弘南バス貸切車が来た!
ホテルメトロポリタン秋田でお客を降ろした後、広小路を直進して行った。ひょっとしたら、そのまま空で青森県まで戻ったの?

秋田市内でもたまに見かける弘南バスの貸切バスではあるが、遠目でこの車を見た時、なんか違うと感じた。
弘南バスの貸切車は、日野セレガ/いすゞガーラが多数派。この車は三菱ふそうエアロエースなので、その点でまずは珍しい。
そして、車体正面、フロントガラス下の白いスペースが広い。伝統的な塗装では、横方向の帯が正面にも回っているのに、この車はなく、斜め帯。セレガ/ガーラの塗装に合わせた結果かもしれないが、この車体にはなんか物足りない。なお、エアロエースの少し前の小さい車両では、横帯と斜め帯が両方引かれた車両も存在する。

さらに、塗装の色合いがなぜだか違う。※この1台だけ違うのではなく、同車種を中心にほかにも何台かいるようだ。
現行のセレガ/ガーラは、昔と同じ色が受け継がれていると思うのだけど、この車は「濃い」ような。特に、オレンジ色のはずの帯が、赤に近い。
何らかの意図があって色を変えているのか、あるいはかつての秋田市営バスでは、製造メーカーや時期によって、同じ塗装でも色味が異なることがあったけれど、それと同じ現象なのだろうか。
他の車種と比較。
再掲)日野セレガ 52303-2

(再掲)トヨタコースター 21601-2

2001年10月撮影。1987年製いすゞ16204-2。貸切から格下げされ、弘前発五所川原行きの路線で使われていた


そして、ナンバープレートが!
カラー図柄「弘前210あ・・・1」
希望ナンバーではあるが「1」!

2020年5月に始まった弘前ナンバー。弘前市内では、路線バス車両で「弘前210あ」の5~7を見ていたが、1の存在は分からなかった。
では、これが(弘南バスで)最初に弘前ナンバーを付けたバス?

そうじゃない。
社番は「30401-2」。三菱ふそう・令和04年製造の01台目-弘前営業所所属を示していて、昨年買ったばかりの新車ということになる。
以前は同じナンバーを別の車が付けていたのか、この車が入るまで1を空けておいたのか。
【6月2日追記・2022年導入の他の車について】弘南バスでは、2022年に三菱ふそうローザの路線仕様も購入(久々のマイクロバスの新車)しており、その30404-2号車は、図柄なしの「弘前210あ3」を付けているとのこと。

ヘッドライトがツリ目の、現行モデル(2019年から)のエアロエース。※スーパーハイデッカーのエアロクィーンとの見分けかたは、エアコンの場所だそうで、エアロエースは屋根上にある。
弘南バスでは、ほかにも何台かあるそうだが、秋田県内のバス事業者ではまだないかもしれない。秋田市教育委員会が2020年から7年間リースしているまんたらめ号(2代目)は、この顔。
後ろもあんまり見慣れないデザイン

再掲)旧セレガの後部


ところで、この車に先立って、秋田中央交通のバスが2台、秋田駅西口バス乗り場を発車していった。
1台前は路線バスのエアロスター
小田急バス中古。3台あったが、最初の1台は廃車になったとのこと。
弘南バスにエアロスターは今はいないが、青森市なら、青森市営バスでたくさんいる。

2台前は秋田空港リムジンバスの旧エアロバス
これも小田急中古。そういえば、この型は弘南バスでは存在感が薄いような。

中央交通は、そこそこ三菱ふそうを使っているが、弘南バスほど多くない(新車はとても少ない)。
秋田駅前で三菱ふそうが3台続行する(かつ他社製バスも、ついでにタクシーなどもいない)のは、珍しいシーンだった。


ところで、日野自動車が三菱ふそうと経営統合する方針であることが発表された。
検査不正で揺れる日野がトヨタ系列から追い出され、三菱ふそうに吸収されるのが実態か。
となると、日野の製品はどうなるのか、「ジェイ・バス」を折半する日野といすゞの関係はどうなるのか、三菱ふそう側でも何らかの変化が起きるのか。
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なくなったもの'19~'22 青森

2023-01-09 17:42:07 | 津軽のいろいろ
秋田編に続いて、2019年~2020年の間に、津軽を中心とした青森県でなくなったものたち。
消えたものばかり並べ立てて後ろ向きに思われるかもしれませんが、いつの間にかなくなっていたものたちを記録に留め、いつか誰かに思い返してもらえたらと願います。
各報道、多くの皆様のツイッター等を参考にさせてもらいました。掲載順は特に意味はなく、日付順でもありません。

・弘前市 一戸時計店、ミニストップ弘大前店、スペースイン、紀伊國屋書店弘前店 閉店 2018年~2019年
この記事参照

・弘前市 焼肉モ~モ~、Uマート 弘大前店閉店・解体 2020年
この記事参照

NHK文化センター 弘前教室営業終了 2021年3月27日
この記事参照。青森教室と八戸教室は2019年終了済み。


・弘前市「ルネスアリー」 2020年11月までに全テナント撤退、12月休館
2021年末の記事。旧・ルネス街→ルネスアベニュー。中土手町と中央弘前駅前を結ぶ商業施設。
市による中央弘前駅前の道路や広場の整備工事との関連もあって、2018年にリニューアルオープンしていた。その後、コロナを理由に休館。
駅前の整備工事が縮小されて被害を受けたとして、運営企業が市に損害賠償を求めたというニュースも出た。


・「弘前中央食品市場」閉店 2022年3月末
中土手町商店街(一戸時計店の隣)。弘前中央食品協同組合が管理・運営。
1972年3月創業なので丸50年。老朽化と客の減少。

当初は30軒以上の店舗があったが、2012年には9軒、最後は4軒(1軒は3月23日終了)。
4軒は、鮮魚店2店、大学いもが有名な店、弁当惣菜店。いずれも移転して営業継続。


・西弘前「惣菜さとう」閉店 2022年6月10日
弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前(旧・西弘前)の真向かい、西弘商店街にあった弁当店。店主は78歳、体力と材料費高騰により。
安くてボリュームがあり、場所柄、大学生に親しまれた。
店の外側には、メニューを記した紙がびっしり貼られ、「笑ってコラえて」など全国放送のテレビでも取り上げられたことがある。

弘前経済新聞によれば、1990年7月開店。「店を始めて7、8年たった頃にワープロ教室だった場所が空き、イートインスペースとして隣で食堂も始めた」。
広く知られるのは2000年以降のようなことが書かれているが、開店間もない頃に当たる僕の在学中でも、知られていた(もっと古いと思っていた)。僕はほぼ利用しなかったけれど。
当時、弘前大学生協が新入生に配った冊子には記載がなく、別刷りの大学周辺のお店などを示したマップにも、小さく「惣菜さとう」と記されるのみで、コメントはなし。
1994年頃開店かと思われる焼肉モ~モ~は、まだ地図への記載さえなかった。どちらも、1990年代前半に出現し、すぐに親しまれ、30年で消えていった。


【9日22時30分追記・西弘前でもう1店閉店していた】
・「くま吉」閉店 2022年10月23日
惣菜さとうの斜め向かい=弘前学院大前駅の正面と、生協の駐車場入口の間の、長屋風の建物に入っていたラーメン店。
店頭に張り紙しただけで、ひっそりと閉店したようだ。それによれば、「約40年創作ラーメンに拘り」、「マスターが病気」のため閉店。

恥ずかしながら、僕はまったく記憶になかった。
ストリートビューによれば、黄色い看板に「ラーメンハウス くま吉」と書かれ、コック帽をかぶって舌を出したクマの顔と、その背後に北海道らしき図形がデザインされたマーク。そのクマの、高さ1メートルくらいの人形が店頭に出ていたこともあったようだ。
夜に、ひさしを兼ねたオレンジ色の看板が、内側から光るのは、そういえば覚えているような…

店名に表記揺れがあり、食べログでは「くま吉 西弘本店」、Googleマップやホットペッパーでは「くま吉ラーメン」、閉店の掲示では「くま吉」。
2013年のストリートビューを見ると、隣に「居酒屋くま吉」があるような掲示も出ていた(看板はなし)。
ネット上の評価は、おおむね好意的。焼肉定食などごはん物やリンゴソースの焼きそばもあった。ニンニクや辛いのもあって、味は総じてこってり濃いめだったようだ。
また、「昔は向かいの建物」にあったという話も。【9日23時30分追記】惣菜さとうの、狭い道と駐車場をはさんだ隣の建物の1階にくま吉が入っていたことが、大学生協の1995年新入生向けマップで確認できた。当時は2階には、洋風居酒屋「スカットランド」が入っていた。
スカットランドは1983年開店・2005年閉店。2019年のストリートビューでは2階は居酒屋ダイニング、1階は道路側がコインランドリー、奥側に居酒屋。
ということは、在学中はまだこっちにあったのか?
ちなみに、後にくま吉が移転する長屋風の建物の場所には、1995年時点では複数の喫茶店があったようだ。さらに、その建物自体の名称あるいはさらに以前の入居店舗の名称として「西弘食品センター」というのが存在した/する? らしい。(以上追記)


・板柳町「川口あんぱん」閉店 2020年4月末
弘前市内でも購入できた
1713(正徳3)年創業とされる。あんぱんは1880(明治13)年から。
小豆や包装紙などの高騰、嗜好の変化や新型コロナウイルスなどによる業績の落ち込み。最近の売り上げは全盛期の7割近く。


・「ウェルネス伯養軒 青森支店」廃止(東奥日報の報道では「休止」) 2019年9月
仙台に本社があるかつての「伯養軒(はくようけん)」。
2019年時点の青森支店では、青森・新青森駅と盛岡駅の駅弁もしていたそうだが、知る人には知られていたのは野辺地駅の「とりめし」。照り煮ととりそぼろが入ったひし形の容器で、大館の花善の鶏めしとはまた違って、おいしかった。

2023年時点では駅弁は仙台のみになっていて、野辺地とほぼ同一と思われる「伯養軒のとりめし」は存続している。支店所在地も仙台周辺のみらしいが、秋田総合車両センターの社員食堂はどうなっているのだろう?


直接関係ないが、交通新聞社の大判の「JR時刻表」では、2019年9月号を最後に、駅弁情報の掲載がなくなった
時刻表左側の駅名の前に付く、駅弁販売駅を示す、□で囲った「弁」マークと、欄外の商品名・価格一覧。
「JTB時刻表」では継続。
駅弁というものは一期一会で、取り扱い駅であっても必ず売っているとは限らない(コロナで拍車がかかった)。一方で、違う駅に輸送して販売されることも増えた。そして、ネットをもってしても、その把握は難しい。


・十和田市 缶コーヒー「奥入瀬珈琲」販売終了 2019年
十和田湖ふるさと活性化公社。1996年販売開始。当時は「龍泉洞珈琲」などご当地缶コーヒーブーム。
湧き水「奥入瀬源流水」30%使用。市内の喫茶店が自家焙煎したコーヒー豆を独自にブレンド。微糖、190グラム。

年間出荷量は最盛期30万本、近年は6万3千本。
缶コーヒーの製造工場は減少しており、その結果、少量生産に対応できなくなったとして、委託先製造工場での製造が困難に。

十和田市外ではあまり売られていなかったようだが、もらって数度飲んだはず。


・東奥日報 夕刊廃止 2020年9月
秋田魁新報では、仲間の地方紙の夕刊廃止があると、社会面で小さく報道する。
当の魁は2008年9月でやめており、それと比べると、長く持った。


・下北交通 「むつバスターミナル」廃止 2022年5月31日

・【予定】高速船「シィライン」廃止 2023年3月末
青森市~むつ市脇野沢~佐井村(3港)を結ぶ。離島ではないが離島航路指定。
民間航路を引き継いで、2005年に設立された第3セクター。
むつ市と佐井村からの赤字補填終了を受け、廃止。

下北半島には行ったことがなく、惹かれるものがあったが、秋田・津軽側からは特に遠くて機会がなかった。


「かねさ」マルコメ傘下に 2019年~2020年
青森市浪岡に本社があり、秋田など青森県外でも見かけることが多い、味噌メーカー「かねさ株式会社」。
それが長野のマルコメ株式会社傘下に入り、完全子会社となった。
津軽味噌が信州味噌の傘下に、と思うと衝撃的かもしれないが、地元ではどうとらえているだろうか。


・深浦町 「ウェスパ椿山 (つばきやま)」閉鎖 2020年10月末→大部分解体へ 2022年
WeSPa椿山。2008年の訪問記
1995年4月開園、2000年代前半にかけて、段階的に施設を増やした。天然温泉の展望風呂、レストラン、コテージ、ガラス工房、「リゾートしらかみ」を模したスロープカーなどからなる。深浦町が第三セクター「株式会社ふかうら開発(後述)」に運営委託。

閉鎖はコロナによる打撃が理由。その後、2022年6月7日の陸奥新報によれば「経済状況が好転する状況は考えにくく、民間による利活用と再募集、指定管理による利活用も困難と判断」し、多くの施設を解体して「緑地広場などへの花き植栽や遊具などの設置を検討する」。
閉鎖後も、物産館「コロボックル」のみ営業を継続。2021年7月にリニューアルされ、深浦町観光協会も移転して入居。


展望風呂の源泉名は「鍋石温泉」で、この場で湧いていたはず。
展望風呂は透明でしょっぱいお湯だったが、源泉では付いている色を除去して使っていた。
また、町内の深浦観光ホテルも鍋石温泉を名乗っている。2022年6月12日付東奥日報には「(ウェスパ椿山は)閉鎖したが、町内で温泉水を利用している施設があるため、現在も温泉がくみ上げられている。」とある。
その東奥日報の記事のメインは「温泉熱活用 チェリモヤ栽培挑戦/弘大グループ」。
温泉熱を使って、世界三大美味フルーツとされる熱帯果樹「チェリモヤ」の栽培が試みられている。チェリモヤは暑すぎるのもよくなく、青森の気候と温泉熱が適している可能性があり、2024年の収穫を目指す。
実施しているのは、弘前大学の理工学部寄りの施設と思われる「地域戦略研究所」の教員を中心に、農学生命科学部藤崎農場の教員、理工学部の学生、外部の国立研究開発法人国際農林水産業研究センター。

深浦町は秋田県境にあり(2005年までは間に岩崎村があった。ウェスパ椿山は以前から深浦町)、秋田県民にもなじみがある人が多いそうだ。
東奥日報によれば、チェリモヤ栽培に取り組む弘大地域戦略研究所の先生は秋田県出身だそうで、「何度か訪れたことのあるなじみ深い土地。ウェスパ閉鎖を知り、力になりたいと実験を始めた。」。

2020年10月28日付 秋田魁新報「地方点描」ではウェスパ椿山について、「(秋田県沿岸北部の)能代山本地域の観光関係者の間で、(閉鎖の)ショックはかなり大きかった。」「年間来客数約15万人のうち、約半数が本県からだ。県北地域に限らず、秋田市からの来訪が多い。」。


ウェスパ椿山ができた6年後の2001年には、実質「専用駅」であるJR五能線・ウェスパ椿山駅が開業した。当初は「リゾートしらかみ」のみ停車、2002年から全列車停車。
駅前には不老ふ死温泉~十二湖の路線バス(季節運行)や、不老ふ死温泉の送迎バスが乗り入れるものの、ウェスパ椿山がなくなれば、駅の存在意義はなくなったも同然のようにも思う。物産館は残り、観光案内所ができて、深浦町としては深浦観光の拠点として存続させたい意向なのだろう。
でも、ウェスパ椿山がまだ存続していると思って、間違って下車してしまう観光客がいたら、がっかりさせることになりかねない。そもそも、ウェスパ椿山がなくなったのに、ウェスパ椿山駅はおかしい(駅名変更するにしても費用はかかるが)。ウェスパ椿山駅の今後はどうなるか。
あと、駅前には、2006年に茨城から譲り受けた蒸気機関車が置かれている。五能線での動態保存を目指す団体によるものだと思うが、現状では潮風で錆びる一方ではないだろうか。この今後も。【2023年10月7日追記・ウェスパ椿山駅のSLは8620形「78653」号機。余談だが同じ団体が保存している同型「48640」号機は、鰺ヶ沢町役場に置かれた後、2011年に弘前市の弘南鉄道弘南線・新里駅前に移されている。】
それにしても、あれだけの施設がたった25年でなくなってしまうなんて、はかない夢のようだ。【10日追記】“負の遺産”を作らないための潔い決断ともとらえられるが、個人経営でもなく、それなりに規模が大きい公共施設が、たった25年で消えるのは短すぎてもったいないと思ってしまう。


「つるつるわかめ」県外資本に 2020年11月~2021年1月
深浦産のワカメを麺状に加工した商品。青森県内ではよく知られている。
1989(平成元)年に設立された、深浦町の第3セクター「株式会社ふかうら開発」が、1994年に「銭エ衛門カルめん」として発売(知らなかった)、1996年に「つるつるわかめ」に改称。
兵庫県西宮市の水産加工品製造販売業「有限会社比那フーズ」に譲渡、新会社「ふかうら食品株式会社」を設立して、製造販売を続けている。
3セクはウェスパ椿山も失ったことになるが、公園管理業務で存続。

前回取り上げたように、秋田県由利本荘市でも、旧・岩城町の3セクによるプラムワインがなくなった。つるつるわかめ自体が残ったのは良かったが、特産品があるだけでは安泰ではなくなったのか。


・弘前駅売店「Petit Appli(プチアプリ)」閉店 2022年3月21日
弘前駅改札口(2階)に向かって左脇、改札外の待合室と一体化した区画にあった、小さな売店。
秋田駅新幹線改札横の小さめのNewDaysに似たような雰囲気だが、NewDaysブランドではない。2004年末に現在の駅舎ができた時からあったはずで、当初は看板などもなかった。Suicaが使えるようなったのも、NewDaysより遅かったはず。レシートには「弘前1号売店」と記された。2号以降は存在しないと思う。

2021年4月初め、向かいのびゅうプラザ跡地がリニューアルされて店ができたのと同時に、売店もリニューアル。市内の店のカレー、パスタなど惣菜も扱うようになった。
外観が格子状に赤く(リンゴ色?)になって「Petit Appli」の表示も付いた。この頃には、弘前駅ビル「アプリーズ」のサイトに情報が掲載され、駅ビルのテナントの位置づけらしかった。
リニューアルから1年を目前に閉店。

狭いながらも、飲み物、多少のお土産、多くはないが工藤パン商品や弁当、ちょっとした地元のお菓子などはそろっていた。跡はどうなったのか? 待合室が拡張されたのかも?
自由通路で弁当「津軽弁」が売られ、1階にファミリーマートはある。
Petit Appli跡地の2023年の状況


・弘前駅ビル アプリーズ「VIE DE FRANCE 弘前店」閉店 2022年3月31日
ベーカリーのヴィ・ド・フランスは、山崎製パンの系列。
したがって、秋田県ではたけや製パンと関わりがあり、秋田県内唯一の秋田駅ビルトピコのVIE DE FRANCE 秋田店の前を早朝に通ると、材料でも入っているのか、たけやの名入り番重が置かれていたりする。

工藤パンが関わっていると思われる青森県では、2022年初めには3店舗あった。
イオンモール下田にあった「八戸下田店」が2月28日に閉店。隣とはいえ下田町で「八戸」と称するのは、おおざっぱでは?
続いて弘前も閉店。「開店より6年の長きに渡り」と告知されたので、2016年頃オープンか。青森県内では、青森駅ビル「Deli & Bread VIE DE FRANCE 青森店」だけになった。
弘前店跡地は次項にて。

・弘前駅ビル アプリーズ「ドトールコーヒーショップ 弘前駅ビル店」閉店 2022年5月8日
52席。2階、自由通路に面したアプリーズ出入口の横にあり、自由通路から直接出入りできたが、階段・エスカレーターの位置関係から、知らない人は見落とすかもしれない。【10日補足・ドトールは弘前市内にはほかに3店舗(近くのイトーヨーカドー、弘前大学医学部附属病院、さくら野弘前店)ある。】
アプリーズ店内側では、通路をはさんだ向かいがヴィ・ド・フランス。自由通路から入った左右が空きテナントになった。
それらに、2022年8月10日、コーヒー豆と輸入食品の「ジュピター 弘前アプリーズ店」がオープン。

ジュピターは新規開店というよりは、実態としては移転。
ダイエー弘前店が入っていた旧・ジョッパル、ヒロロの地階に入っていた「ジュピター ヒロロ弘前店」が7月24日に閉店。2013年のヒロロオープン時から入っていた。

一般にジュピターといえば駅ビル内だし、ヒロロのジュピターは秋田駅ビルトピコの店と比べると、ひと気は少なかった【10日補足・コロナ前に行われてた、店頭での試飲も手持ち無沙汰に見えた】。だから、ジュピターはアプリーズの空きを狙っていたのかも。
ただ、土地柄、車で来店していた人は多かったようで、駅ビル移転で不便になったととらえる客もいるようだ。また、ジュピター側が「ヒロロ店閉店」のみを告知したため、駅ビルに移転したことを知らず、ジュピターが弘前からなくなったと勘違いしている人もいるようだ。


・「さとちょうヒロロ店」閉店 2023年1月15日
佐藤長。ヒロロ地階の地元食品スーパー。
2013年7月のヒロロリニューアル時には「ルミエール」という青森市のスーパーが入った(弘前市では唯一の店舗)が、2018年7月に大家とモメたようで閉店。
2018年8月にさとちょうがオープンしたが、5年持たなかった。弘前市では入手しづらい市外のお菓子・お土産や、産直農産コーナーでリンゴを安く買えて、時間があれば訪れていたのだけど。

すぐそばにイトーヨーカドー弘前店があるし、弘前駅の反対側すぐに、さとちょう城東店もあるので、なくなっても、買い物難民が出るような問題にはならないかと思う。
ヒロロとしては、食品スーパーが長続きしないことにはなるけれど、ダイエー秋田店→マックスバリュ→ヤマト→空き地のまま10年以上の秋田ニューシティと比べればマシ。
でも、やはり、ジュピターも撤退したということで、ヒロロの地下はガラ空きなのだろう。今後は?

【2024年2月7日追記】佐藤長は2023年に破産。多くの店舗はトライアルへ継承されたものの、「さとちょう」の名前が消えた。


・「コープあおもり黒石店」閉店 2020年6月20日
弘南鉄道弘南線・黒石駅に併設された生協のスーパー。
元々(2010年まで)は、弘南鉄道と関係があるのかどうか分からない「弘南生協(過去の記事)」の店。同様の弘前市の弘南鉄道大鰐線弘前学院大前駅(旧・西弘前駅)併設の西弘店や、松原店は建て替えられている。

黒石駅周辺には、ユニバース黒石駅前店(2006年11月オープン?)があるから、それに負けてしまったのか。
黒石店の建物は解体され、今は更地のようだ。


・さくら野弘前店「アクアリウム渡嘉敷水槽」終了 2021年11月2日
1993年、弘前ビブレとしてオープンした時から、1階中央の広場にあった大水槽。
横10メートル、縦3メートルで4つの水槽からなる。カクレクマノミ、ヒメツバメウオ、ハリセンボンなどの熱帯の魚を中心に展示。
なんで渡嘉敷なのかは知らないが、弘前経済新聞によれば「水槽上部にはクジラの尻尾と波、岩を表現したオブジェがあり、渡嘉敷地方を案内する図や水槽周囲にはシーサーを設置する。」。
陸奥新報によれば「魚は展示終了後、専門業者に引き取られる」。
東奥日報では「津軽地方の子供たちが「水族館」と呼んで親しんできた」。
跡地は2022年3月24日にフードコートのような「アスナロラウンジ」がオープン。

2022年末、ドイツ・ベルリンのホテルの巨大水槽が破裂して、街が水浸しになる事故があった。そこまでではないにせよ、商業施設には、直接的な収入にはならないし、維持管理が負担だったのか。
余談だが、弘前公園の西濠近くに「弘前公園水族館」というのが平成の初め頃まで存在し、今も建物は残っているという。実態は鑑賞魚の販売店だったようだ。


・さくら野弘前店「リコルソ弘前」営業終了 2021年8月31日
「百貨店の中にある温泉」であり「百貨店の中にあるホテル」であった。前者としては昔は諏訪市などにもあったが、今は国内唯一らしい。後者は不明。【9日補足・リコルソ弘前には、百貨店閉店時間帯に外(駐車場?)と直接出入りできるドアはあったはずだが、メインの出入口は4階の売り場に面していた。このことが「百貨店内のホテル」のイメージを強くしていた。例えば、西武秋田店とANAクラウンプラザホテル秋田は建物は同一だが、メイン出入口は完全に分離されている点から百貨店内という印象はない(百貨店とホテルの比率も違うし)。】
1993年の弘前ビブレ時代から存在したが、名称は変遷。リコルソ弘前としては2009年4月から。
結論としては、跡に温泉併設フィットネス施設ができて、日帰り温泉としては存続。ホテル機能がなくなった。

駅からは遠いが100円バスがあり、宿泊料金も手頃だったので、何度か泊まったことがある。ホテル内に入れば普通のホテルだけど、ここがさくら野の中だと思えば、不思議な気持ちにもなった。
部屋からは、弘前の街と向こうに岩木山、下にはさくら野の搬入口が見えた。

【16日追記・ホテル跡は全部フィットネスになったわけではなく、改装して、2月から賃貸オフィス3区画になるとのこと。】


弘前さくらまつり ぼんぼり廃止 2022年
弘前公園の花見を象徴付けるアイテムの1つが、沿道の大きなぼんぼり。2009年の記事
東奥日報によれば「協賛金が原資のため新型コロナウイルス下では実施のリスクが高いことや、桜の木の夜間ライトアップ導入などを理由に決まった。」。
風情がなくなったとか、すっきりしていいとか、賛否両論あるようだが、これ以前に、主催者とぼんぼり業者の間でモメごとがあったらしく、その影響を指摘する声も。


弘前さくらまつり オートバイ曲芸なし 2022年
特徴的な出店もあるさくらまつり。その1つが、オートバイサーカス。
中を見たことはないが、大きなテントからバイクのうなりが響き渡るのが、いつものさくらまつりだった。

東奥日報によれば、少なくとも1934(昭和9)年には行われており、近年は、札幌市を拠点に活動する「ワールドオートバイサーカス」が実施。その「団体団員らの体調不良が理由」。


・平川市碇ヶ関 屋内温水プール「ゆうえい館」閉館 2021年9月末
旧・碇ヶ関村だった1998年12月オープン。JR碇ケ関駅、道の駅いかりがせき、国道7号が集まる場所。
利用者減少と老朽化。

裏手には温泉もあるが、プールの水は温泉ではなかったのかな。
当初は2021年春閉館予定だったが、要望があって夏の半年だけ延長(冬の結露が劣化を進めるため)された。駅や道の駅に行った時目にしているが、泳いでいる人や出入りする車がいつもいたような気がする。以前の秋田市雄和のプールと同じように、もし碇ヶ関村のままだったら、存続していたかもしれない。


・弘前市「桔梗野温泉」廃業 2022年5月初め?
市立第四中学校の隣にあった、銭湯タイプの温泉。
張り紙によれば「設備老朽化の為、また長期に渡るコロナ禍の影響の為」。2022年晩秋には更地に。

1997年の弘前大学「学園だより」で特集されたように、弘前大学周辺に温泉銭湯は複数あったが、廃業や福祉施設転換により、徒歩圏内では桔梗野温泉だけになっていた。それもなくなってしまった。
ほかに、弘前市北部の「三世寺温泉(さんぜじ)」が「諸般の事情により」2023年2月28日で営業終了。


秋田と同じく、青森でもコロナ、老朽化、地方の経済情勢、経営者の事情のためになくなったものが多いと思う。跡地利用など後継が未定のものが目立つのも気がかり。
2022年は1度も青森に行くことができなかったので、今年は…


【2023年4月10日追記】
・弘前市立観光館内「食事処 追手門」閉店 2022年10月31日
弘前公園追手門・弘前市役所の向かいの弘前市立観光館に入っていた飲食店。
店内に入ったことはないが、館内の奥のほうにあって、和風の落ち着いたたたずまいだったと記憶する。
メニューは、うどん、そば、ラーメン、ナポリタン、定食、丼、甘味、酒と幅広い。一般的なものもあるが、ご当地メニューも。「追手門ラーメン(とうもろこしが乗っています)900円 ※ペースト状のトウモロコシのようだ。獄きみじゃないのか?」「けの汁定食1650円」「十和田のバラ焼き定食1300円」「津軽の湯豆腐セット1100円 ※うどんかそばがセット」「けの汁550円」「津軽の湯豆腐800円」「津軽の納豆もち400円」など。貝焼き味噌、けの汁、天ぷら、刺し身などの「津軽御膳」2500円もあったようだ。
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弘前フレンドパーク

2022-07-27 21:56:36 | 津軽のいろいろ
珍名アパートシリーズ。※シリーズ最初の記事。←末尾に関連記事へのリンクがあります。
初の弘前編。※珍名には入らないだろうけど、ハウスマックスは取り上げました。

弘前市内にあるアパート。いずれも立地的に大学生向けではないと思われる。
※以下、特記なき画像はGoogleマップストリートビューより。物件名と築年月は「SUUMO物件ライブラリー」より。
「フレンドパーク」1993年9月築


別の場所。
2棟と、裏手にもう1棟ある。
見えていないのが「フレンドパーク1」、左が「フレンドパーク2」、右が「フレンドパークIII」。
1と2が1998年4月、IIIが1999年3月築。SUUMOでは「III」だけローマ数字。ストリートビューで確認する限り、IIIの壁面などに名称の表示が見当たらない。
2の壁面には表示があって、かつて現地へ行って撮影した(もの好き)。
2009年撮影。「2」もローマ数字で「II」。

以上、弘前には、「フレンドパーク」が付くアパートが4棟ある。無印と1~3は所有者が別だろうか。
SUUMOで検索すると、全国にフレンドパークを名乗るアパートが散在する。計30件。
函館市には、1に相当する無印~「VII」まで7棟。埼玉県加須市には「I」と「II」がある。千葉県木更津市には「2」のみが登録されるが、他の不動産サイトによれば「1」も存在する模様。


秋田県では知らない人が多いはずだが、「フレンドパーク」と言えば…
TBS系で月曜19時台に放送されていたバラエティ番組の名前。
関口宏(と渡辺正行)を司会に、ゲスト芸能人がスタジオに設けられたテーマパークのアトラクションで遊ぶという内容(でいいのかな?)。
なお、Wikipediaによれば、秋田では秋田テレビが「単発で数回放送を行った実績がある。」としている。※秋田の民放局では、秋田放送のほうがTBSとの関係が強い。

僕が青森に行って初めて知って見た時点では「関口宏の東京フレンドパークII」という番組名で、すでに定着していた。その前身として、「ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク」があったとのこと。
無印版が1992年10月から1993年9月まで、IIが1994年4月から2011年3月まで放送。その後、特番が何度か放送され、直近は2021年1月。
Wikipediaによれば無印版は視聴率低迷で打ち切られたらしいが、IIはTBSの人気番組となった。


ここで、SUUMOの30のフレンドパークアパートの建築年を見てみる。
京都に1977年築、福岡に1986年築があるほかは、いずれも1993年以降。
1993年に1つ(弘前の無印)、1995年~1999年に9棟、2000年以降に18棟で、いちばん新しいのは2010年築。
つまり、フレンドパークを名乗るアパートの多くが、テレビ番組名にあやかった命名で、かつ「II」になって人気が高まってから命名されたものが多い、ということにならないだろうか。となると、京都と福岡は自力で「フレンドパーク」を考え出したのだろうか。ある意味先見の明。
ちなみに、上の写真の弘前の壁面ロゴは、番組ロゴとの共通性はなさそう。

そして、「フレンドパーク2/II」を名乗る棟は、木更津が1996年、弘前が1998年、函館が2005年、加須が2008年築。それぞれの1/Iの棟は、加須が前年の2007年築のほかは、2/IIと同時竣工のようだ。
これは、大家さんは2棟アパートを建てることを前提として名前を考え、テレビのフレンドパークIIに目を付けたのだろうか。「2/II」ありきの命名。弘前は3、函館は7まで進んでしまったのは、勢いで…

ただ、「○○フレンドパーク」と「東京フレンドパーク」の地名をそのまま置き換えたアパート名は存在しないのがおもしろい。「フレンドパーク○○」と、後に地名などが付くものはあるが。
別にTBSから文句は来ないだろうし、もっとふざけたアパート名だってあるのだから、「弘前フレンドパークII」でもいいのに。


「関口宏の東京フレンドパークII」は、アパート名になるほど、人気やインパクトがあったテレビ番組だったのだろう。
個人的には好きではなかった。他人が遊んでいるのを見て何がおもしろいかと思ったものだ。でも、そう思いつつ、そこそこ見ていたかも。アトラクションの中身など断片的に覚えているので… でも、一時期(1996年春まで)は裏で「クレヨンしんちゃん」~「邦子と徹のあんたが主役」をやっていたから、そっちを見ていたはずだし…

昨年取り上げた、25年前に来たヘール・ボップ彗星にちなんだアパートは、今となってはその由来を知らない入居者もいると思う。東京フレンドパークがレギュラー番組でなくなった今、同様に名前の由来を不思議に思う人たちが増えていくことだろう。
ほかに、テレビ番組名由来のアパート名なんてあるもんだろうか。
コメント (4)
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弘南 ツバメバス?

2022-04-11 20:43:35 | 津軽のいろいろ
弘南バスで、昔の車体塗装を復活(復刻)した路線バス車両が登場し、4月2日に出発式が行われたというニュースを知った。
ここ20~10年くらいだろうか、かつての塗装を復刻させて走らせるバス会社(あるいは鉄道会社)は珍しくなくなった。ほんとうに車体塗装するものもあるようだが、車体広告と同じく手軽なラッピングシールを貼るものもあるのだろう。

弘南バスの復刻塗装は1台で、中型ノンステップバス・日野レインボー、弘前営業所「52904-2」号車(2017年導入、ナンバープレートは「1088」で当初は青森、後に弘前に交換=東奥日報の報道ではなぜかボカシを入れている)。


今回の復刻。多くの他社がそうであるように、創業何十周年記念とかで、弘南バス側が発案して実行したのかと思った。
実際はそうではなく、ひろさき糖尿病・内科クリニック院長など4人のバス愛好家が「弘南バス昭和ラッピングプロジェクト」を作って、弘南バスとの調整、弘前市内企業からの資金集めを行って実現したとのこと。


さて、今回の復刻塗装について。
(1984年に日帰りしたことはあるが記憶はほぼなく)1995年に初めて弘南バスの路線バスを見て、以降見続けてきた僕にとって、復刻塗装には見覚えがある。
現在は1台もなくなったと思われるが、わりと最近までわずかに残っていたので、「懐かしい」というよりも、旧塗装をまとったことがなかった現行車種のエルガミオ/レインボーがこの姿なのが、「おもしろい」。今回に限らず、復活塗装を見る楽しみは、新車に古い塗装というミスマッチかもしれない。
ただ、ネットの写真で見る限り復刻塗装は、見覚えのある塗装よりは、少し薄く感じる。面積の多いベースの色は、復刻車はクリーム色なのに対し、記憶にあるのは薄いオレンジ色~いわゆる肌色だった。復刻車はタイヤホイールも赤にしている。
ただし、1971年の寅さんシリーズ第5作「男はつらいよ 奮闘篇」に登場した、1965年製のバス(関連記事)とほぼ同じ色合いにも見える。塗装は同じながら途中で色味が変わり、より古い塗装を再現したのかもしれない。


上記を受けて、復元された塗装について、知らなかったことと、ツッコミ。
本件を伝える地元紙サイトの見出しは、東奥日報(Yahoo!ニュース)が「弘南バス レトロ塗装 昭和のデザイン 「ツバメバス」復活」、陸奥新報が「昭和の「つばめバス」復活/弘南バス」。
「昭和の」と「ツバメバス/つばめバス」である。

まずはツバメ。
ツバメのバスといえば、国鉄バス→JRバス。弘南バスにツバメとは初耳であった。
東奥日報では「車体横にツバメマークを配したバス」、陸奥新報では「通称「つばめバス」」「車両側面のシンボル「つばめマーク」」と、こともなげに当然のごとく伝えている。
もしかして…
これ??
ブーメランみたいなデザインで、単なる柄だと思っていた。昔のサランラップやクリネックスの箱でも見られたような。言われれば、ツバメを単純化したように見えなくもないが、長いし、赤いし。
(再掲)JRバス東北
Googleで、2022年4月1日以前を期間指定して、「弘南バス 塗装 ツバメ」「弘南バス つばめバス」で検索しても、それらしき情報は見当たらず。
昭和の弘前や津軽を知る人は知っていることなのだろうか。あるいは、弘南バス社内や、地元愛好家の中だけで通用する話、「通称」どころか「隠語」に近いという可能性もある。


そして、「昭和の」。要は旧塗装が見られた期間のこと。【12日補足・プロジェクト名に「昭和」が入っているので、そのまま見出しにしたということもあるだろう。】
陸奥新報では「昭和時代に運行されていた通称「つばめバス」が約30年ぶりに復活」、「「つばめバス」は40年以上前から1991年ごろまで運行されていた。」。

一方、東奥日報では、「1970~90年ごろに青森県弘前市や周辺地域を走った弘南バスの当時のデザインを再現した車両」「1991年から企業イメージ刷新のため弘南の「K」の字が入った現行デザインに段階的に切り替わり、十数年前には全ての車両が現行デザインとなり、ツバメバスは姿を消した」。

2紙で、旧塗装が見られた期間が異なる。
1991年ごろまでとする陸奥新報。だから、「昭和の」で間違いないし、31年ぶりの復刻である。
東奥日報では、十数年前=2000年代後半頃? までは残っていたことになる。見出しは「昭和にデザインされた塗装」と解釈すればいいのか。【12日追記・東奥日報は、最初の引用部と次の引用部でも、期間が違うように読める。前者は陸奥新報と同じ解釈ができる。】

どちらが正解かは、上記、僕の記憶の通りで東奥日報【12日追記・東奥日報の後者の引用部が正解。前者は間違いと解釈できよう。】。
陸奥新報の取材が足りなかったか、発表した側の説明の下手さや不足もあるかもしれない。

ちなみに弘前市長も出発式に出席しており、「昭和40年代後半の車両のデザインを再現したもので、年配の皆様には懐かしく、若い皆様には昭和レトロを肌で感じることができる、大変貴重なバス」とツイート。これだと、50年ぶりの復活のようにも読めてしまう。

何も知らない人が、これらを読んで、勘違いして後世に伝えてしまうかもしれない。
例えば、実は2000年代に撮影されたものの記録がなくて撮影年不明の、旧塗装のバスが写りこむ写真が発掘されたとする。今回の記事やツイートを根拠として、「1990年以前の撮影と考えられる」などと、誤った結論を導き出させ、そのまま永久に記録されてしまうおそれだってある。もう少し、気を遣って、リリースするなり報道・ツイートするなりしてほしい。



復刻塗装車は、岳温泉~岩木山八合目をピストン輸送する「スカイラインシャトルバス」に優先的に充当され、シーズンオフ(シャトル運休時)には弘前市内で運行するとのこと。スカイラインシャトルは例年、ゴールデンウイークから10月末まで運行されるので、夏の弘前市街地で見かけるのは、難しいかもしれない。
【29日追記】4月28日にスカイラインが開通し、一番バスが走ったことが東奥日報サイトで報道されており、予定通り、この車が運用に入っていた。掲載写真は上から撮影したもので、屋根にも、濃淡2色で三角形などがデザイン(ツバメとは言い難いが)されているのが分かった。


最後に、21世紀以降、2000年代も旧塗装バスが走っていた証拠写真。
2002年4月撮影。1990年導入 三菱エアロミディ 30201-6
復刻よりは色が濃い。エアロミディは他車種より特に濃い? ドア側は、新ロゴのシール、行き先表示板、広告があり、ツバメの一部が隠れる車が多かった。ホイールが微妙な色なのは、時期的にまだスタッドレスタイヤを履いているためかも。

2002年4月撮影。1990年導入 いすゞLR+富士重工6Eボディ 10201-2
弘南バスとしては、いすゞ路線車も、富士重工ボディも少数派。しかもそれが旧塗装なので、珍しくて撮影した記憶がある。鰺ヶ沢まで中型車が行っていたのも、今は昔(今はマイクロでしょう)。【12日補足・運転士が立ち上がっているから、方向幕を回している途中(手動停止式)の可能性がある。たまたま鰺ヶ沢のコマがいい具合に撮影できただけかもしれない。】

2008年4月撮影。1987年導入 日野レインボーCITY RR 56202-2
ホイールは赤ではなく、地色と同じ肌色。
昭和末に、斬新なデザインで全国各地に広まった1つ目(2灯)のレインボーが、弘南バスでは2010年前後まで複数残っていた。このタイプで新塗装はいなかったと思う【12日補足・中古車で転入時に新塗装にされたものはいたが、少数だったと思う。】。土手町循環100円バスの運用に入ることも多かった。
その後部。ドア側側面には東奥日報の広告
さて、土手町循環100円バスは1998年運行開始(当初は小型車)、上の写真に写っている百貨店中三の独特な建物は1995年にできた、撮影場所の中土手町商店街のアーケードは2007年頃に撤去された。
以上を踏まえれば、「1991年まで運行」されたはずの塗装のバスが、いっしょに写っているのはおかしい。あと、土手町循環バスには、市役所の前にも「陸奥新報前(支社などでなく本社)」にもバス停があるのにね。【12日補足・弘前市長は元弘前市職員。陸奥新報の10年以上勤務している社員も含めて、自分の勤め先の前を、旧塗装バスが走っているのが目には入っているはず。】

最後に旧塗装バスを撮影したのは、2009年4月。日本バス協会「「バス」がんばってます!」の緑のバスマスクが付いている。
1990年導入 日野レインボー 50201-2
前面方向幕の周囲が、先代レインボー、エアロミディ、富士重工では黒、新塗装各メーカーでは緑なのに対し、これは青い。
1988年にモデルチェンジされたので、短期間の組み合わせだが、台数は多かったかもしれない。

1989年導入 三菱エアロミディ 30101-9


最後の最後に番外編。
(再掲)2008年撮影。1986年製 日野レインボー 56122-10
路線用でなく自家用・観光タイプのレインボーなので、顔が異なる。中古車か?
この塗装は、色遣いは同じだが、ツバメはいなそう。
これは、弘南バスの子会社「弘南サービス」の塗装ということらしい。

弘南サービスは、貸し切りと、郊外部で路線バスを運行していた企業。路線事業は1988年から2006年までの間のみ(現在は貸し切り専業で存続するようだ)。
写真の車は、路線撤退後、塗装はそのままに弘南バス桜ヶ丘案内所(当時)へ移管されて、弘前市内で運用されていた姿。

【11日追記・ミニバスや貸し切り格下げ車の旧塗装について】
現在のように全路線で小型・マイクロバスが運用される以前(1990年代後半)は、ごく一部の「ミニバス」路線にのみ、マイクロバスが充当されていた。
ミニバスは1980年から導入されたようで、塗装はここで取り上げた旧塗装(復刻された薄いのではなく、写真の濃いほう)の、濃淡を反転させたもの。ツバメ部分が肌色だった。時期によるのか、鹿のイラストを貼り付け「バンビ号」とされたこともあった。

1990年代中頃は、古い貸切車両を路線用に転用することも行われており、小栗山線などでよく見かけ、何度か乗った。車内は貸し切り時代のまま(補助椅子や灰皿は撤去されていたかも)で、塗装はここで取り上げた路線車と同一の旧塗装。
昔は貸し切りも路線と同じ塗装だったのか、格下げ時に塗り替えたのかは不明【下の追記参照】。

【11日さらに追記・貸し切り塗装について】
現在の貸切車は、旧塗装にどことなく通ずるような線と色(白い部分が多いが)に「KONAN BUS」と表記される塗装。1991年に中学校の修学旅行で乗車(青森駅→フェリーターミナル)した時、すでにこの塗装だったと思う。そして、2000年代には、この塗装のまま貸し切りに格下げされた車両があった。
ということは、かつては貸し切りもツバメ塗装で、そのまま格下げしていたということか?
【12日さらに追記】ネットの写真では、1981年製の貸切格下げ車(35618-5)が、2000年時点で現行路線塗装にされているものがあった。塗り替えも行われていたことになる。
【2023年5月31日追記】貸切車のKONAN BUS塗装は、1984年の車から採用との情報がネット上にあった。

【11月28日追記・復刻塗装2台目登場
ネットの情報によれば、2台目が登場。中古(京都市交通局)の三菱エアロミディ・31604-2号車で、絵入りではない緑色のナンバープレート。→同型の京都市営中古について

【2023年1月25日追記・1台目の冬季の充当路線】土手町循環100円バスに入ることがあるらしい。



我らが秋田中央交通は、今年で開業100周年。※会社創業でなく、鉄道路線が開業して100年。
同社らしく、復刻塗装どころか記念イベント等の話も聞こえてこない。別にこの会社の旧塗装なんて、見たくもないし。→と思ったら、2023年に復刻塗装車が出現
あと、秋田市営バスの塗装の復刻を! と願う人もいそうだが、この会社のバスでは復刻してほしくないようにも思う。
中央交通さんは、そんなことに金をかけずに、乗客への案内や接客の充実・向上に回すべきだ。

【21日追記・中央交通100周年事業について】開業日である4月21日付 秋田魁新報 社会面下部に中央交通100周年の広告「100年の歩みは、皆さまとの歩みでした。」が出た。我々市営バスのみの沿線住民・利用者にとっては、20年弱の歩みでしたけれどね… 公の場に姿を見せない代表取締役社長名の文章も掲載(ホームページには文章のみ掲載)。
主催:中央交通、企画実施:秋田魁新報社(連絡先は営業局)で「バスって、いいな」プロジェクトが組織され、「秋田中央交通のバスに乗車した際の、あなたの思い出話」をテーマにした、400文字以内の作文を募集。入選者には「記念品が贈られます」。
バス車内や秋田駅西口乗り場には、100周年関連の掲示などは特になし。いつも利用する乗客に対して「おかげさまで100周年」くらいあってもいいのに。
【28日追記】21日時点ではサイトには作文募集の件は未掲載だったが、28日になって「「バスって、いいな」作文募集中です‼」と掲載。



【23日追記・ちなみに弘南バス】
1931年に弘南鉄道が直営で、バス運行を開始したのが弘南バスの発祥。※現在は弘南鉄道と弘南バスは別会社で、関係性は薄い。
1941年には、戦時統制により、弘南鉄道からバス部門を独立させた上で、現在の弘南バスに相当するバス会社が設立され、今に続いている。
したがって、昨2021年が、弘南バス会社設立80周年、バス運行開始90周年に当たったはずだが、何も実施されなかったことになる。
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逆に進め

2022-03-15 22:35:01 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前の話はほぼ終わりましたが、ちょっとした残り。
前回は弘大正門前の押しボタン信号更新。今回も信号機の話で、行く直前に、ネットで情報を得たもの。
弘前市某所にある、歩行者用信号機(歩灯)
小糸工業(現・コイト電工)製の、電球式信号機のボディはそのまま、点灯部分をLEDにしたタイプ。信号機がLED化された当初は、この方式が多かった(後にボディが薄型化した)。銘板を見ないでしまったが、2000年代中頃製か?

初期のLED信号機の中には、経年で不具合が生じるものも出てきており、秋田県警では交換対象となっているものもある。しかし、小糸の歩灯は耐久性があるのか、秋田市の久保田町交差点に設置されていた同タイプの歩灯は、昨年更新されたものの、手形陸橋の通り(県道28号)の押しボタン信号が連続するところの一部へ転用されている。まだしばらく使いそう。

で、弘前の信号。アームの形やボディ色は独特かもしれないのは別として、エラー・間違いと言える点が生じている。上の写真では分かりづらいので、これは↓

いかがでしょう。
参考に、他の信号機。
これが普通
青灯の人(※)の向きが逆なのです。 ※歩灯の人のシルエットは「人形」と称されることもあるのだが、「ひとがた」と読めばいいのだろうか?
この交差点の1台だけ、逆向き。
人が逆向きでも認められているということはないので、何らかの手違いによるもの。そして、Googleマップストリートビューで確認すると、2019年10月時点では正常だったから、その後に何かがあった。

ここで、青灯のフードに注目。

ひしゃげている。

車が接触するなどして破損し、修理されたと思われる。
その際、信号機本体にも手を加えられ、人の形のパネルというか部品を、裏表逆に取り付けてしまったのだろう。

それにしても、人の向きが違うのは、個人的には違和感があった。ぼーっとバスに乗って一瞬通り過ぎただけで、目に留まり、そうかここだったと思い出したほど。
でも、点灯のしかた、見えかたに関しては、さほど違和感がない。
部分的に若干、暗い感じがする程度?


電球式信号なら、裏表逆にすることも難しくなさそうだが、LEDはそう簡単じゃない気もしていた。LEDの粒が直接見えるタイプでは、あり得ないと思う。このような粒が見えないタイプでは、電球式とそう変わらないのかも。

通行人のどれほどが気付いているか分からないけれど、運用上の支障はないでしょうし、末永くひっそりと残ってくれることを願います。
コメント (3)
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弘大前の押ボタン信号

2022-03-06 23:24:58 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前の続き。※直近はバスの話
間が空いてしまったが、弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)前の青森県道127号(富田大通り)周辺で、道路改良工事などいろいろ変化しているところまで記事にしていた。
それらと関係ない別の変化が、あと1つ生じていた。実際には、2020年12月中旬より前に変化していたようだ。
場所は弘大正門のすぐ横。
2019年末撮影

現在

2019年末撮影

(再掲)現在

押しボタン式信号の一式が、更新された。

ここで前提として、青森県警と秋田県警の信号機の方針の違いについて。
青森も秋田も、車両用信号機は設置される時期によって、電球式横型→(昭和末期頃)電球式縦型→(2000年代)LED式縦型→(2010年代)フラット型や低コスト仕様のLED式、と変化してきた。
最後の現行のフラット型・低コストタイプ世代では、秋田県警は縦型のままなのに対し、青森県警は横型に変更した。

また、小学校の前などによくある、基本的な構成の押ボタン式信号の設置方法も、両県で異なる。弘大前のような、信号が設置されない小さな道(校門等も含む)と、丁字路・十字路を構成する交差点。
(再掲)秋田市の押ボタン信号。小さな市道2本との十字路
↑秋田では、横断歩道の近くに停止線がある進行方向向きでは、交わる道を越えた位置に車両用信号機を設置する(上の写真右端)。したがって、信号柱が3本必要になる。

対して青森では、上記の条件であっても交わる道より手前、歩行者用信号機と同じ信号柱に、車両用も設置する(弘大前の場合、農学生命科学部方向から来る側)。信号柱は2本で済むものの、その向きの車両は、停止線に達するよりも手前で信号機が見えなくなる【7日補足・見えることを確認して位置を決めているとは思うが、運転者の視点の高さによってはなくはなさそう】、もしくは上を見上げないと信号機が見えないおそれがある。それは結果的には、ブレーキが遅れたか、信号無視したかのように見えてしまうことになる。実際、その条件下では、(本来は黄信号だけど)赤信号になった瞬間でも、止まらない(止まれない)車がわりと見受けられる印象がある。

ほかに、青森では車両向けに「押ボタン式」などの表示板を設置しないのも特徴的だが、これは別に構わないと思う。


そんなわけで、今回の更新は、以前と同じ位置に同等品を設置した、単純な更新。押ボタン箱も更新(後述)。
車両用は縦型を経ずに、電球式横型→LED式横型フラット型・低コストタイプになった。コイト電工製。
歩行者用は、
2020年9月 三協高分子製
三協高分子製の信号機は、秋田県ではほとんどないが、青森県は好む。富田大通り周辺では電球式時代から設置例があり、2008年にLED式も設置、新青森駅前にもあった。
電球式と比べると、LED歩行者用信号機はかなり薄くなっているわけだが、三協高分子のそれは他社と比べると厚ぼったく見える。2020年製でも変わっておらず、一瞬、中古品かと思った。



さて、交換される以前に使われていた信号機のこと。以下6枚は2018年撮影。
全国的な傾向として、押しボタン式や県庁所在地以外の信号機は、交換が遅い=古いものが残る傾向がある。また、青森県は秋田県と比べると、LED化は遅いようにも感じる。
したがって、秋田市では、電球式信号さえ残りわずかになり、(電球式の)横型や平成初期製の信号機はほぼなくなっているのに対し、弘前市内ではそれらがまだまだ残っている。
正門の向かい側の柱
車両用・歩行者用とも、金属でなく樹脂=ポリカーボネートでできた信号機。昭和末~平成初期にかけて、青森でも秋田でも多く採用されているが、経年で変色やヒビ、視認性低下が生じる。

ポリカーボネートの信号機は、実は上記、三協高分子がOEM元となって製造し、他の信号メーカーへ供給していた。だから、姿形はそっくりなのに、銘板だけが違うのが基本。
ただし、この車両用だけ、例外。

点灯する面=レンズの質感と色が独特。表面に規則正しくドットが打たれており(他に斜め格子などのものも)、青信号は緑でなく紺色っぽく、黄信号は橙色っぽく、赤信号はエンジ色っぽい。
小糸工業(現・コイト電工)では、車両用の樹脂製は、OEMでなく自社で作っていたそうで、これがそれ(銘板の記録も記録もないがたぶん)。なお、秋田市内でもかつてはちらほらあった。むしろ弘前ではあまりなかったかも。

歩行者用東側(大学側から渡る時に見る)

歩行者用西側。背後は弘大敷地内の桜
当然、いっしょに製造されたものがいっしょに設置されたかと思いきや…
東側銘板。昭和54年8月、小糸工業製

西側銘板。昭和54年9月、松下通信工業製
なんとメーカー違い!
車両用と違い、歩行者用は小糸でも三協高分子からOEMを受けていたそうだ。ただしその数は少なく、全国的に珍品とのこと(=小糸の樹脂製歩灯自体が少ない)。
松下通信工業(現・パナソニック系)は、当時はわりとあったようだ。

製造年月が1か月違い。
最初はオール小糸だったのが、1台が初期不良や早期の事故で壊れて、松下製に替えた可能性はなくはない。でも、工事の準備段階でまぎれてしまうなどして、最初から1台だけ松下製になってしまった、というところではないだろうか。


ところで、この弘大正門前と、北隣の国立弘前病院前の交差点の、1本だけ押しボタン動作となる横断歩道(前回の記事参照)の信号柱、押ボタン箱の上には、とある掲示が設置されている。正門前でも、少なくとも東側は今回は撤去されずに健在、西側はあった位置に「工事中」表示が貼られてしまっており、確認不可能。
けっこう大きいサイズ
なお、大学側は単独の信号柱(=柱ごと警察管轄)。こういう時、秋田県警は信号機と同時もしくは近いタイミングで柱も新しくするのが一般的だが、ここでは継続使用。【7日訂正】両側とも信号専用ではない、電信柱・電力柱を曲がりした設置でした。ということは、ほぼ向き合った絶妙な位置にちょうどよく柱がある、信号機にとっていい場所。
話がそれますが、今回の工事では、黄色い押ボタン箱も更新された。タッチ式だったかは忘れてしまったが、たぶん違ったか。
東側は以前と同じ北向きに設置。西側では上の写真の通り、前は南向き(バス停方向)だったが、更新後はほぼ逆側、正門から出てくる人が押しやすい位置に付け替えられていた。

「この信号は押ボタンを押しても 青になるまで時間がかかる場合 があります。 しばらくお待ち下さい。」
ふりがな付きの石井太丸ゴシック体。1990年代後半時点で設置されていた。

国立病院前の押しボタンは、他の3方向の信号サイクルに割りこんで青になるため、当然、待ち時間は生じてしまう。
一方、単純な押しボタンである弘大前も、たしかに待ち時間が異様に長いことがあるので、表示はウソではない。2021年12月は3分は待たされ、こんなに待たされたことは過去なかったような気もしなくはない。富田大通りの車の流れを滞らせないため、ボタンが押されてすぐ作動ではなく、隣の国立病院前の交差点と同期というか連動しているのだろう。そのわりには渋滞するけど…
秋田市でも、旧・秋田銀行保戸野出張所前、外旭川野村の隣などがそうだが、こういう掲示がなく延々と待たされるだけだから、弘前のほうが親切ではある。
県道が改良されれば(信号柱の移設や更新)、この表示もなくなってしまうかもしれない。


そんなわけで、実に41年にわたって、富田大通りや弘前大学正門を見守った信号機たちが役目を終えた。
ちなみに、秋田大学正門前も押しボタン式信号。こちらは横断歩道が2本あり(歩行者用4台)、緑色のデザイン化された柱と信号機、LED化やタッチボタン化もされている。こちらも県道拡幅があったが、41年の間で3回以上更新されていると思う。

今回は時間がなくて行くことができなかったが、大通りを南に進んだ、市立第四中学校南側の交差点にも、同年代の樹脂製信号機が残っていた。こちらは松下のほか、立石電機(現・オムロン)製のもあったのだが、やはり交換されたか。今後の課題。※2021年12月の弘前の信号機の続き
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弘前マイナーバス路線

2022-03-01 20:27:16 | 津軽のいろいろ
白神山地ラッピングバスに続き、2021年12月の弘南バスから。今回は、存在感が薄い、路線・系統の話。

秋田市でも弘前市でも、たいていの地方都市のバス路線網は、駅・市街地と周辺各地域を結ぶ放射状の路線網がメインであることが多い。駅・市街地一極集中。
ターミナル駅や中心市街地が1つしかないこと、そこを通らずに地域と地域を結ぶ路線は、需要が低く成り立ちづらいのだろう。例外は、郊外と市街地から離れたところにある高校や病院へ向かう系統がわずかにある程度。
しかし、弘前の場合、思いがけない経由地や行き先のバスを見かけることがけっこうあり、街の規模を加味すれば、秋田市よりは複雑な路線網で、少頻度・多系統運行の傾向があると感じる。


弘前駅近く、イトーヨーカドー弘前店1階の弘前バスターミナル。
和徳車庫の中型車

「桝形・金属団地 桜ヶ丘」
金属団地・桜ヶ丘方面といえば、桔梗野経由。この桝形(ますがた)経由はマイナー。

先に、普通の金属団地・桜ヶ丘線について。「桔梗野経由 金属団地・桜ヶ丘線」としたほうが分かりやすいが、弘南バスホームページでは単に「金属団地・桜ヶ丘線」として、桝形経由は別の時刻表=別路線として扱っている。
(下りはバスターミナル始発~)弘前駅~土手町~弘前高校前~桔梗野~緑ヶ丘~南高校前~金属団地~桜ヶ丘案内所 ※現在は案内所が廃止されたので「旧桜ヶ丘案内所」としている。
再掲)絵に描いた「桔梗野」上りバス停は今回も健在だった

桔梗野経由は弘前市内でも運行本数の多い系統で、弘前に住んでいた1990年代後半では、毎時3本くらい走っていた印象があるし、金属団地・南高校に立ち寄らない便(清水地区を直進)もあったと記憶する(←実は少々勘違い。正解は後述)。
写真↓のように大型車も入っていた。この幕は「桔梗野 桜ヶ丘」なので、金団・南高に入らなそう。
再掲)2002年
Wikipediaによれば、桔梗野経由金属団地線(南高経由? 金団止まり?)と桔梗野経由桜ヶ丘線が2003年4月に統合され、現在の形になったらしい。本数が多かった記憶は、2路線分か?
その後、大型車がなくなり、小型車・マイクロバスも入るようになり、近年は減便されて毎時1~2本。


桝形経由以外にも、市街地~桜ヶ丘を結ぶ路線がある。これらは金団・南高は入らない。
「ミニバス緑ヶ丘線」と「城南線」。
弘南バスでは、2000年前後に小型バス(日野リエッセ)、マイクロバス(三菱ローザなど)を大量導入し、これまで中型以上しか運用されなかった路線にも充当するようになった。それ以前は、マイクロバスの数が少なく、運用路線は限定され(かつ中型以上が入ることがなく)「ミニバス○○線」と称されていた。城南線もミニバス城南線だった。
ミニバスの名は現在も引き継がれているが、2013年の記事のように、なぜか城南線はミニバスが抜かれてしまっている。

ミニバス緑ヶ丘線は桔梗野も経由し、通常の桔梗野経由の代替にも使えるのだが、弘前駅には入らない(上下ともターミナル発着)、土手町~市役所~大学病院~弘前高校前と独特の向きで少し遠回りし、緑ヶ丘地内で市営住宅の中を通るという違い。下り4本(うち2本土日祝運休)、上り7本(同)。

城南線は、まったく経路が異なり、ターミナル~市立病院前~住吉入口~弘前大学入口~西弘前駅前~城南~桜ヶ丘。
桔梗野経由とは土淵川の対岸に当たる、弘大文京区地区の裏手=バカヤローカーブを通る。下り7本(うち1本土日運休)、上り5本(2本)。昔はさくら野まで行く便が多かったが、今は1往復のみ。

以上の全系統、さらに桝形経由いずれも、駅~桜ヶ丘の運賃は同額(360円)。
Wikipediaによれば、2014年までは茂森経由桜ヶ丘線も存在した。2010年4月の時刻表では、桜ヶ丘発7時45分、バスターミナル発8時55分の日祝運休1往復。


そして、桝形経由桜ヶ丘線。これは金団・南高に入る。というか、2003年までは桝形経由金属団地線だったようで、桜ヶ丘まで行かなかったのか。
バスターミナル・駅~上代官町~上土手町~中央松森町~桝形~西弘前駅前~西ヶ丘~緑ヶ丘~以降桔梗野経由と同

土手町から取上交差点を曲がってブックマックスの通りを抜け、桝形交差点を直進して、弘南鉄道大鰐線を渡って、桔梗野経由と合流する。全体にシンプルなルートではあるが、細部はクセがある。
土手町では桔梗野経由と逆方向に走る上、下りはバスターミナル(屋内)→弘前駅→弘前バスターミナル前(路上)と、イトーヨーカドー周辺を行ったり来たり。
「桝形」バス停は、交差点の西・文京小学校の前にある。「西弘前駅前」は、商店街にあるミニバス城南線用とは別で、「入口」程度の位置。

1990年代後半の弘前在住当時、桝形経由を見かけることはあったが、乗る機会はないままに終わった。
僕が住んでいたのは、西弘の西側、ミニバス城南線沿線。でも、本数は少ないし、車内は混むし、運賃は(乗る距離が長い分)高いし、ほとんど利用しなかった。
800メートル歩くが、本数が多い富田大通り経由各線を、桝形交差点南側の「三中校前」で乗降することが多かった。
しかし、桝形経由を西弘前駅前で乗降すれば、いくぶん近くて良さそうで、タイミングが合えば乗ってみたかったが、かなわなかった。※実際の歩行距離は600メートルほど。駅からの運賃は、三中校前と桝形が同額(現在210円)、西弘前駅前だと10円上がる。

4コマの授業が終わって買い物などして帰ろうと歩いていると、桝形交差点を越えて文京小方向へ向かうバスを何度も見かけた。時間的には16時台。
当時は、古いいすゞの中型車のほか大型車が入っていた気もするが、21世紀に入って何度か見た限りでは、小型はなく中型車のみ見かけている。

さて、今回の写真の桝形経由桜ヶ丘行きは、ターミナル14時50分発で下り最終便(土日祝運休)。
ということは、何度も見た、16時台の便がなくなっていた!

この便と、折返しの上り桜ヶ丘発17時10分の1往復が、2021年冬ダイヤから減便されていた。
現在は、下りはターミナル7時40分(毎日運行)と14時50分の2本。上りはいずれも土日祝運休で、7時35分発弘前営業所(小栗山)行き、15時40分、19時00分の3本。

2015~2016年の夏ダイヤでは、
バスターミナル発7:40(毎日。他は日祝運休)、14:50、16:25。桜ヶ丘発7:35義塾高校行き、15:40、17:10、19:00。

元から本数は少なく、著しく減っているわけではなさそう。東奥義塾では、今は別のバス会社に委託してスクールバスを走らせているようなので、朝の通学便は小栗山止まりに短縮されたのだろう。

昔の16時台も、今回の14時50分も、乗客は多いとは言えない数。需要がないのか、ダイヤ次第では(昔の僕のように)利用したい人もいるかもしれないが、本数が増えることもなさそう。
同じルートで、南高校のスクールバス(生徒限定の路線バス)も設定されているらしいので、その関係での免許維持路線的な位置付けもあったりするのかも。

【2022年3月31日追記】この次の夏ダイヤ、2022年4月からは、桜ヶ丘発19時00分発が減便となり、上下とも2本ずつ、上り弘前駅行きは1本になった。



もう1つ。実物は初めて見た。
弘前営業所のリエッセ

「(清原)(安原)弘前営業所」
経由地を青文字にした上にカッコでくくるのがよく分からないが、「弘前営業所」行きがレア。
なぜなら、弘南バスでは、弘前営業所行きを、通常「小栗山(方面)」行きと案内するから。
(再掲)富田大通り経由弘前営業所行き
これは、弘前市内に本社や車庫が複数ある弘南バスにおいて、客に対して「弘前営業所」では分かりづらいという配慮だと思われる。秋田中央交通の秋田営業所行きを「大川反車庫行き」とするのに似ている。
また、小栗山とは、富田大通り経由で弘前営業所の1つ手前のバス停。これは秋田の割山線(秋田市営バス時代から)で、南浜町(南浜回転地)行きを「運転免許センター方面行き」としているのと同じ。


では、この路線はなぜ、小栗山行きでないのか。
ちゃんとした理由がある。
ひろさき公共交通マップに加筆
公共交通マップでは広域図と市街図の境界(緑の直線)で分かりづらいのですが、太い薄ピンクの線が富田大通り経由小栗山線、右側の細い濃いピンクの線が清原安原経由。

富田大通り経由は、大通りを南下して、弘南鉄道小栗山駅近くの踏切を渡って、小栗山、営業所。
清原安原経由は、それより東側のルートで、松木平駅近くの踏切を渡る。つまり、小栗山バス停を通らない。
しかも、踏切を渡ってすぐ曲がれば営業所が近いのに、反対方向へ曲がって、松木平地区をぐるりと回って営業所に入る。なかなか個性的な路線。

小栗山行きとしないのも納得できるが、側面の経由地付き行き先表示(看板式ではなく珍しく幕式)では、
「弘前営業所(小栗山)」
側面は往復兼用で、 弘前駅(ターミナル)-柴田幼稚園前-清原-清水森-(小栗山)弘前営業所。安原が出てこない。
時刻表では「清原・安原~小栗山線」とされている。小栗山がなければないでまぎらわしいから、やむを得ないのかも。富田大通り経由などとは逆に、駅/ターミナル→営業所方向が上り扱い。

【1日追記】弘前営業所の所在地は、松木平かと思っていたら小栗山だった。だから、「小栗山」は弘前営業所の所在地を表示しているととらえることもできる。コメントのように、かつての秋田市営バス北営業所を「飯島」、南営業所を「新屋」と案内していたように。ただ、別に「小栗山」バス停があることを踏まえれば、微妙というか難しい。大した問題ではないけれど。

富田大通り経由と比べ、清原安原経由は遠回りしていそうだが、駅~営業所は、所要時間は富田大通り経由が30~35分、清原安原経由は35分、運賃は340円と同じ。
便数も思ったより多い。ターミナル発は7、10、14、15、17時台(毎日運行)の5本。営業所発は7、8、9、11(土日祝運休)、13、15(土日祝運休)の6本。

写真はターミナル15時15分発の便だが、イトーヨーカドーでの買い物帰りと思しき母さん方が、けっこう乗った。
その前の14時15分発も同様だった。これは三菱ローザで、LED表示でも「弘前営業所」だった(側面も正面と同じ)。

路線名である清原地区と安原地区は、他の路線も通る。その先の、農村部で在来トウガラシ・清水森ナンバの産地の清水森地区~松木平地区ではこの路線単独区間。その辺りの住民の需要(対駅だけでなく、安原のスーパーなどへの利用も含めて)があるということか。そう考えると「清水森・松木平経由」と称したほうがふさわしいのではないか。
【3日追記】この路線は、かつてはバスターミナルをはさんで反対側の神田線とつながった路線だった(のが分割された)とのコメントをいただいた。

秋田市のような、高齢者の路線バス料金優遇が行われていない弘前市ではあるが、買い物のしやすさ、運賃以外も含めた総合的な高齢者の移動のしやすさという点では、秋田市よりも便利で活気があるようにも感じてならない。
100円でバスに乗れても、乗りたいルートやダイヤがない、乗って買い物に行ける店が少ないでは、人もバス路線も街も衰えてしまう。


弘前では、4月に新中核病院ができて、郊外からのバス路線が乗り入れるというし、やはり利用減・乗務員不足は問題になっているだろう。レアなバス路線は今後どうなっていくだろうか。

※弘前の次は信号機の話
※この次の訪問時の弘南バスの話題は2023年6月
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白神山地ラッピングバス

2022-01-30 23:05:54 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前。※前回の記事
今回は弘南バスについて。※弘南バスの前回記事は2020年11月

車体全面を使ったフルラッピング広告は多くない弘南バス(部分的なラッピングは多い)にしては、珍しく、
水色ベースのフルラッピングで、手が込んだデザイン
金属団地・桜ヶ丘線に入っていた弘前営業所 53006-2号車。弘前ナンバーに更新済み。

「世界自然遺産 白神山地」「「暗門白神号」バスで90分!」「ようこそ! 白神の玄関へ」「世界自然遺産登録 2023 30th anniversary」などと書かれ、ブナの葉が散らばり、クマ、サルなどのシルエット。
後部にはクマゲラ

2023年の白神山地の世界遺産登録30周年を知らせるラッピングのようだ。気が早い気もするけれど、当時大きく話題になったことを記憶する者として、あれからもう30年とは感慨深い。

ネット上には、このラッピングバスの情報も、とりわけ写真はとても少ない。
2021年6月4日アップの陸奥新報サイト「白神山地PRのラッピングバス運行/弘前」によれば、
弘前市と西目屋村、観光関係団体などでつくる「白神山地活性化実行委員会」が企画した「白神山地PRラッピングバス」。ようこそなどと書いてあるが、住民の機運醸成が主目的のようだ。
2020年運行開始が1台、2021年運行開始(新聞記事はこちら)が1台の計2台があるとのことだが、デザインが違うのかは不明(陸奥新報の写真は本記事上の写真とデザインが違うが、運転席側側面なので判断できない。ナンバーは小さくて読めない)。2021年開始のラッピングは「来年3月31日まで」とあったから残り期間わずか。わずか1年とは短い(2020年開始のほうがいつまでかは不明)。

車体後部、ナンバープレート周りにいるキャラクターは、同実行委員会が募集した「白神山地マスコットキャラクター」。黄緑の丸いのが最優秀賞の「ブナッキー」、緑の髪の毛が会長特別賞の「ぶなみちゃん」らしい。ほかに優秀賞のゲラゲラ、ぶなりん・くまげっちも存在するが、ここには見当たらない。
乗車したところ、車内装飾などは特になかった。
秋田県にもまたがる白神山地。秋田県側では“機運醸成”に何かやらないのでしょうか。

弘前市内の運転本数が少ない系統について、続く
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土手町周辺2021.12

2022-01-19 20:35:28 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前。前回のNHK弘前支局から南へ移動して、弘前市随一の繁華街・土手町周辺。
土手町でも、ひときわにぎわう下土手町(したどてまち)に、スクランブル交差点がある。1972年8月31日13時にスクランブル化された、青森県内初のスクランブル交差点(2013年10月16日陸奥新報「まちネタ散歩!陸奥新報・まちの交通事情=8」より)だそうで、今も弘前市内ではほかにはないか?? 音響式信号は、青森県ではよくある(十和田湖の乙女の像との連想?)「乙女の祈り」のメロディー。
例によってド逆光。奥が東・中三~中土手町方向
一方通行路があることもあるが、全体的に秋田市の広小路・木内前のスクランブル交差点にどこか似ている(1974年頃スクランブル化【19日訂正・1974年は音響式設置。スクランブル化の時期は不明。日本初のスクランブル交差点が1969年設置なので、1970年代前半~中頃かと思う。】)。木内前は、今見れば、往時のにぎわいがうそのようだし、こんなちっぽけな交差点だったのかと思ってしまう。
下土手町のスクランブル交差点は、木内前よりは少し大きく、減ってはいるがまだ人通りがある。上の写真の右後方には、百貨店・かくは宮川→ファッションビル・ハイ・ローザがあったが、1998年に閉店。屋台村を経て、マンションが建った。
僕の弘前在住時は、ハイローザ最末期だったわけだが、下土手町にあまり立ち寄らなかったとは言え、自分でも信じられないほど記憶がない。当時の外観の写真を見ても、なんとなくそうだったかな程度。

しかし、上の写真正面は、わりと記憶にある。名前は知らなかったし、入店したこともないけれど、薬屋で、歩道の角に面してPOPや日用品などを並べていた。
大手ドラッグストアチェーンが未進出であった当時、イトーヨーカドー弘前店向かいにあったスーパードラッグアサヒ弘前店とともに、活気がある薬局に見えた。こちらはアサヒよりも、大きくてごちゃごちゃしておらず洗練されていた印象。
今もほとんど変わっていないはず【追記参照】
このお店は「菊池薬局」。外壁の角2階部分に、古そうな金色の看板が掲げられている。
【19日追記・弘前市立中央公民館の2021年9月27日のツイッターより補足】2000年代に撮影されたという、菊池薬局の写真がアップされていた。壁の色は白で、金看板が掲げられておらず、そこも窓になっていた。背後の朝日会館(後述)の屋上のサインも別デザイン。

Wikipediaにも項が立っている。菊池薬局は屋号で、社名は「菊池薬店(やくてん)」。1906(明治39)年創業。土手町が本社・本店で、樋の口のイオンタウンなどに支店もある。本店の以前の建物には、角にあるのと同じような看板が20枚以上並んでいたそうで、今は弘前市立博物館に収蔵。
こう聞くと、連想させられるのが、秋田市の「佐野薬局」(株式会社サノなど)。1886(明治19)年創業【20日補足・ルーツは江戸時代初期までさかのぼるようだ】で、通町商店街の店舗には、昔(道路拡張前)も今も、金色ではないが古い看板がたくさん並んでいる。【20日追記】菊池薬店はかつては医薬品卸売もやっていたそうだが、業界の動向を見据えて1990年代頃に撤退したとのこと。サノのほうは分社化して継続している。

余談だが、菊池薬局の東隣(写真向こう側)には、かつて工藤パンの店舗(喫茶店? レストラン?)があったそうで、1986年撮影の写真では「ユ藤パン」の看板が写っている。

写真を撮らないでしまったが、菊池薬局の裏、南側(写真右方向の道路に面する)には「朝日会館」がある。所在地は親方町で、薬局との間には駐車場と小さいビルがある。
ボウリング場、サウナ&カプセルホテル(男性専用だが天然温泉)、パチンコ屋、立体駐車場などからなる、5階建てほどの大きなビル。弘前市中心市街地では大規模かつ老舗のアミューズメント施設。築年数は不明だが、かなり古そう。

昨年【19日訂正】2021年2月、菊池薬局と朝日会館の土地に、複合ビルが建つ再開発計画が明らかになった。菊池薬局会長を理事長とする、下土手地区市街地再開発準備組合が設立された。具体的な着工・完成時期は未定で、店舗、20階建ての住居、駐車場からなるビルが建つ。
スクランブル交差点のこちらの角も光景が変わり、朝日会館の代替施設はできないのだろう。大学生の遊び場の1つがなくなり、温泉は入居者専用にでもなってしまうのか。


中土手町。
土淵川に架かる蓬莱橋。向こうが下土手町、右は中三
一方通行2車線の片方をふさいで工事中。工区内にある土手町循環100円バスの蓬莱橋バス停は休止。

2015年に、蓬莱橋から川沿いをさかのぼり、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅へ至る遊歩道ができた。
その入口を示す、「←中央弘前駅」の看板が、共通の軒先みたいなのに取り付けられた。


中央弘前駅前。駅とルネスアリー(旧・ルネス街、ルネスアベニュー)が向き合い、坂になった狭い道路が通っていたのだが、
何もない
都市計画道路「山道町樋の口線」の工事。前回触れた、富田大通り・住吉入口バス停の交差点へつながる。

2018年夏では、ルネスの一部が解体されたものの、道路の形は変わっていなかった。
現在は、道路自体も以前とは違う線形になりつつあるようで、何が何だか分からない。橋【2023年6月29日補足・境橋】も架け替えたのか、広くなっていて、一部は車両が通り、残りは工事中。
唯一変わっていないのが、逆光と工事で撮れなかったが、教会と中央弘前駅。これらは道路完成後もそのまま。
なお、ルネスアリーは、工事とコロナのためなのか、2020年11月で全テナントが撤退して休館中。また、駅前広場の整備計画が縮小され被害を受けたとして、2021年8月に運営会社が市に損害賠償を求めたという報道もあった。どうなるか。

中央弘前駅では、裏手の吉野町緑地・弘前れんが倉庫美術館へ、駅舎とホームを通り抜けて行き来できる自由通路にする社会実験が行われていた。電車乗降者の動線とは仕切りによって区切られており、緑地側~電車乗降の場合は、いったん駅舎内へ入る(1度改札口を通る)必要あり。社会実験は2021年12月25日までで、今はやっていないが、今後は?【2022年4月16日から常設されることになった】
中央弘前駅前の道路拡張の続き(開通後)


バス時刻が気になってバタバタしてしまって中途半端ですが、以上、土手町周辺の現状。弘前の話題は続く
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NHK弘前の今

2022-01-17 17:10:15 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前。※前回の記事
2010年に記事にしているが、弘前公園のすぐそば、弘前文化センター(文化会館・中央公民館からなる、弘前市の施設)の向かい、県立弘前中央高等学校の隣に、NHKがある。
名称は「NHK(日本放送協会)弘前支局」。
※この日は12月らしからぬ快晴で、陰影や逆光が激しく、撮影に難儀しています。
外壁は淡いピンクにも、グレーにも見える色合い
NHKの国内の拠点は、かつては大規模な順に放送局、支局、報道室があった。
報道室は記者が駐在する取材拠点のみ、支局はそれに受信料など視聴者窓口があるもの、放送局はさらにアナウンサーなどもいて番組制作や電波の送出もする、といった違い。
全国的に支局の数は少なく、県庁所在地でない主要都市にまれにあり、青森県では八戸支局もあった。昭和末までは放送局だったものを、合理化で格下げした組織。

ところが、2015年8月。それまで報道室だったものも「支局」と呼称することになった。同時に、それ以前からの支局では、視聴者対応をしなくなった(後述)ようで、つまり「報道室の支局への格上げ」ではなく、「旧支局の旧報道室相当への格下げ」=さらなる合理化が本質だった。

Wikipediaによれば、現・弘前支局は、1937年に弘前放送局として開局。東北では仙台、秋田、山形に次ぐ4番目で青森局より先。
1967年に現在の建物「弘前放送会館」が完成。1975年にアナウンサーや制作スタッフの配置がなくなり、1988年に弘前支局へ改称。
1986年には、関連会社・株式会社エヌエイチケイ文化センターによる「NHK文化センター弘前教室」ができた。2階部分らしいが、放送会館はNHK本体所有だろうから、テナントの位置付けだったのか。

弘前放送会館は、今の秋田市役所の位置にあった、旧・秋田放送会館(秋田放送局)を少し小さくしたような建物。紅白の高いアンテナがそびえ、古い県域放送局とほとんど同一の見た目。旧秋田局は1964年完成なので、3年違いなこともあるが、昔のNHKの地方局は、たいていがこんな平べったくて、高いアンテナが飛び出たものだったはず。
アンテナには、リモコンカメラ(お天気カメラ)も設置されていて、東北ブロックでは定番のアングルである弘前公園や岩木山を見せてくれる。
天カメは公園じゃない方を向いていた

そんなわけで、当初とは役目が変わったものの、取材拠点とカルチャーセンターとして、平成から令和を迎えた弘前放送会館。
現在も、外壁には、向かって左の卵マークの下と、右の車の出入口の2か所に、NHK文化センターの表示がある。建物中央の玄関の自動ドアのガラスにも、文化センターの表示。自動ドア上には古めかしい角ゴシック体で「日本放送協会弘前放送会館」とある。

しかし、「弘前支局」の表札的なものはなさそうだった。

写真のように、正面玄関にはカーテンが引かれていて、張り紙が2枚。【17日追記】以前は、ガラスに番組ポスターやカルチャー教室の告知が貼られたり、カーテンの間に「おかあさんといっしょ」の着ぐるみ人形劇のミニ人形が並んだりしていたのはなくなっている。
左は「NHK弘前支局では、2021年3月31日をもちまして、窓口でのお客様対応を終了させていただきました。」。NHKは報道ではいまだに和暦を使うのに、ここでは西暦か。ということは、2015年以降も、昨年度までは視聴者対応をまだ支局でやっていたのか。

右は、

「<弘前教室3月営業終了のお知らせ>(←ヘンな言い回し)」「~35年間ありがとうございました~」「NHK文化センター弘前教室は、2021年3月27日(土)をもちまして、すべての講座を終了し、営業を終了いたしました。」
文化センターも廃止された。これにより、今の弘前放送会館は、取材拠点である弘前支局だけが使う建物になったのだろう。
「弘前支局」の表札はなかったが、車両出入口には、
「部外者の駐車はお断りします 弘前支局」

新型コロナウイルス、地方人口減少、そしてNHKの合理化が求められる中、(受信料とは切り離されるのだろうが)文化センターの縮小も当然だろう。青森市、八戸、鶴岡、いわきなどの教室もなくなった。
ところで、NHKのアナウンサーだった山本和之氏は弘前市出身。昭和末には「NHK特集 地球大紀行」や定時ニュース(土日昼とか?)で全国放送に出演していた。2011年度で60歳(NHKは役職定年や嘱託制度があり、60歳で辞めるとは限らない)になり、その前後で、弘前支局長に就任。東北ブロックのニュース(誰だかが、支局を訪問したという話題の映像)に姿が映ったことがあった。
さらにその後、NHK文化センター弘前支社長に就いたとのこと。弘前撤退の最後まで支社長だったのだろうか。


今となっては取材拠点だけである(新しい定義の)支局に、この建物は大きすぎるだろう。まさに合理化して、土地を売却すべきではないか。お天気カメラを移設して。
弘前放送会館の玄関すぐ横には、上り「文化センター前」バス停があった。名前の由来は市の弘前文化センターのほうだろうけど。土手町循環100円バスや花見のシャトルバスも停車し、NHKのひさしがあって待つのにいい場所だけど。

東側から。奥が弘前公園、左の市文化センターは改装工事で休館中
↑ここの交差点は、丁字路を2つ互い違いに隣接させたような変則交差点で、前後の道路には角度が付いている。秋田市の旧・大工町(保戸野・旭北・大町の境)の、昔「六道の辻」と呼ばれた所にちょっと似た構造。

上記の通り建物としては昔のNHK地方局らしいものだが、立地は少し変わっているかも。建物の周囲のスペースに余裕がない。左(西)隣はすぐ中央高校のテニスコートだし(冒頭の写真にフェンスが写っている)、右隣はすぐタクシー会社のビル(桜商事ビル・さくら交通本社)。裏手に駐車場があるようだが、それは支局名の赤札が下がっていた、会館の1階を抜けてしか出入りできなそう。大きい中継車などは通れなかったかもしれない。

弘前の話題は続く
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国立病院~弘前大正門の変化

2022-01-15 19:51:14 | 津軽のいろいろ
2021年12月の弘前。前回の弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)の裏・西側の変化に続いて、2021年に新たな動きが複数生じた、キャンパス東側・富田大通り(青森県道127号)の正門周辺について。

正門の北側(土手町方向)は、県道の線形が特徴的で、沿道の店や施設にも印象的なものがあり、弘前大学周辺の光景として、関係者にはなじみが深いことだろう。
Googleマップ航空写真に加筆。黄色いのが富田大通り
↑この航空写真は2021年12月に公開されていたもので、焼肉モ~モ~は解体前。年明けに新しい画像に更新されて、新しい建物が写っている。

まずは、上の航空写真の北・土手町方向から、正門に向かって、富田大通り沿道の以前の状況をまとめておく。
2008年(一部2006年)に新規開通した県道109号との交差点。109号はここが起点で、松森町方向へ抜ける。
ここから南の富田大通りは南東方向へ角度が付いていて、土手町から来ると、ここが突き当たりのように見える。そこに焼肉モ~モ~やスーパーがあったのだが、2020年に見たように閉店・解体され、ドラッグストアが新たに建てられた。

モ~モ~の隣には酒類のディスカウント店(?)「酒ショップ サン」があった。
モ~モ~やサンの一帯は、もとは全部弘前銘醸の工場だった。サンは弘前銘醸自身が運営している。スーパーの建物は1986年(モ~モ~は後年オープン)、サンは1994年にできた。サンから大学側には、今も弘前銘醸の事務所やレンガ造りの工場がある。
この区間は車道も歩道もほかより狭く感じられる。歩道と弘前銘醸との境には赤れんがの塀が続き、それに主に医療機関の広告看板がびっしり付けられている。

県道は弘前銘醸の敷地を過ぎないうちに、また真南へ方角を変える。少なくとも明治時代からこの線形だったが、これも城下町特有で弘前に多い、カギ型道路(桝形)の1つなんだろうか。
この突き当りには、古くて低層の建物と、背後に新しい高層の建物が見える。国立病院機構弘前病院(以下、国立病院)である。
前回の分譲地の看板でも触れたように、弘前大学医学部附属病院とは別で、厚生労働省所管の旧・国立病院の1つ。起源は陸軍病院までさかのぼり、この土地で120年以上続いている。今年4月には、弘前市立病院と統合して、この場所が新中核病院「弘前総合医療センター(仮称)」になる。4月なのにまだ仮称でいいの?

この国立病院前の交差点が、なかなか複雑。
県道に角度が付いている上、交わる市道がまた独特な角度で2本(うち1本は一方通行入口)と、病院の出入口も加わり、五叉路。一通があるので、実質的には変形四差路。
信号機のサイクルも独特。国立病院から出る側の車両用信号機は感応式。それと同時に青になる、富田大通りの南側を渡る歩行者用信号機は押しボタン式で、タイミングにより待ち時間が長い。【この記事最後のほう参照】

国立病院前を過ぎると、多少カクカクするが、ほぼまっすぐ南下。西に弘前大学の敷地が続き、東には小さな店が点在する。道幅は多少広くなる。

以上が、この区間の概要。
続いて、北から順に2021年12月の状況。逆光や工事で、写真が撮りづらいアングルがあり、分かりづらいかもしれません。
メガ富田店と岩木山。右が土手町方向
県道109号との交差点の信号機は、これまで電球式(車両用は縦型)だったのが、(モ~モ~が解体途中だったであろう)2021年1月時点で、LED式(車両用は横型)に更新された。
建物は、モ~モ~と新しいメガで一見大差ない。しかし、モ~モ~は交差点角ギリギリに建っていたのが、メガは引っ込んで、角も駐車場になった。角から車の出入りは不可。

ドラッグストア「メガ」は、スーパーマーケット「カブセンター」「ベニーマート」も経営する、紅屋商事の店。紅屋商事は本社は青森市だが、「弘前本部」というのが弘前市内にあり、どうも実質本社のようだ。
メガは秋田市内にも以前から2店舗あり、2020年9月には八橋(泉との境)に「メガ新国道店」をオープンさせた。富田店は2021年9月17日オープンと1年違いなこともあり、建物の外観がそっくり。

駐車場をはさんだ南に、酒ショップサンがあった。
(再掲)2020年11月
歩道ほぼギリギリまで建物があり、白い2階建てほどの高さ(天井が高い平屋?)で、酒をいろいろ売っているのだからそれなりの大きさ(広さ)があった。それが、
小さく黒くなった!!
上の写真ではメガの建物が見えているが、サン時代はモ~モ~の建物は見通せなかったはず。
陸奥新報の報道「弘前銘醸「街の酒店」で再出発」で知っていたのだけど、2021年11月22日に「弘前銘醸 ハチドリ酒店」として新装開店(と報道しているが、建て替え・リブランドでしょう)した。
・赤れんが倉庫をイメージして外装、内装に所々レンガを使いシックな雰囲気に。
・従来通り県内の地酒やシードルをほぼ全銘柄そろえる。
・買った酒をその場で楽しめる「角打ちコーナー」を新設。
・有料試飲、量り売りも始める。
上の写真で、フェンスから手前(南)は月極駐車場だが、以前からそうだった。その南が、今の弘前銘醸本体の敷地。振り返ると、
縦書き「焼肉モ~モ~」の看板。あえて残しているのか?
ここまで来ると、れんが塀の広告、仕切りもなく色を塗っただけの狭い歩道、国立病院の(主に古いほうの)建物と、弘大が近いことを感じさせるものに囲まれ、懐かしくなるとともに、身が引き締まる。

少し進む。
左の車が出てくる所が国立病院の門。右が弘大正門方向
向かい側、病院の門の右・大学方向の県道沿道で工事中。建物がなくなり、以前よりも奥の病院の新しい建物がよく見える。詳細は読めないが「道路を広げています」の工事看板。
国立病院から弘大正門の向かい側にかけては、県道に面してギリギリに、古い木造や低層ビルの建物が連なっていた。昔は学生相手のお店だったっぽいものもあるが、今は、営業していないもののほうが多い。在住当時の僕はこちら側はさほど歩かなかった(遠回り、信号待ち等の理由)のだが、特に今工事されている国立病院寄りは古く雑然とした建物が連なっていた印象。

Googleマップストリートビューでさかのぼれる2013年5月以降の建物の状況を、国立病院側から。
1.建物全体が「七福薬局」の看板と化した、古くて小さいおそらく空き家。→昔は工藤パンの看板などがある青果店みたいな、コンビニ的な商店だったか??
2.空き地
3.焦げ茶色の2階建てビル。1階はヒーリングショップ、空き店舗。2階は整骨院?、「弘前大学アイバンク」の小さな看板も
4.奥まった所にあるアパートの駐輪場。→昔は別の何かがあったかも
[教育学部附属特別支援学校方向への市道分岐]→後述のハウスマックス方向にもつながるが、1度も通ったことがない
5.平屋の店だったような空き家。→2014年6月時点で解体、2015年8月には市道側に続く月決駐車場の一部と弘前学院大学の看板スペースに
6.一部2階建ての長屋のような建物。→居酒屋、炭火焼きなど3店舗
[弘前大学前下りバス停]
7.アパート
ハウスマックス方向への市道分岐]
8.みちのく銀行ATM跡→今は看板スペース
9.不動産屋と美容室の入る2階建て
[押ボタン式信号]向かい側に大学正門・上りバス停
Googleストリートビューより。1と6

今回工事で解体済みまたは解体途中だったのは、1から6にかけて。3のビルは一部残る? 5の学院大の看板は残っていた。
下りバス停から解体途中の6
6の長屋は、近年は看板や店構えは比較的新しそうな飲食店だったが、昔は場末の居酒屋みたいな古い酒場みたいな風情だったような気がする。
炭火焼き店は2021年6月に「道路拡張の為、店舗が解体される事になりました。」として閉店、10月に城東へ移転。

解体された区間の向かい側、弘前銘醸~大学敷地側では、コーンと工事看板(向かい側とは別?)が置かれていたが、目立った工事はされていなかった。
「道路を広げています」2022年3月25日まで

弘前総合医療センター発足後にかけて、敷地内で建物の建て替えなどが続くようだが、その前の道路の風景も変わることになりそう。
ここと直接関係はないが、富田大通りの土手町寄り、住吉入口バス停付近での拡幅工事が行われていることを昨年取り上げた。今回はバスに乗ってぼーっとしている間に通り過ぎてしまい、よく分からなかったが、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅前(大規模な工事中だった。後日)方向の新しい道路とつながるらしく、こちらも激変か。

また、報道によれば、弘前総合医療センター発足に合わせて、朝の一部路線バスが病院に乗り入れる。(おそらく岩木や相馬方面などから)中央弘前駅前→(富田大通り)住吉入口→医療センター。
ほかに、弘前駅~医療センターは特別運賃を設定する。今は駅から徒歩圏にある市立病院の代替ということで、手厚い対応がされるのか。
今は、弘前大学前バス停が「国立病院機構弘前病院へご用のかたはこちらでございます」で、微妙に歩かされるのだが、駅からのバスも病院内に入るのか? 現行は運賃が初乗り170円の末端だが、100円にでもなるのか? 病院で乗降すれば誰でも安いのなら、弘大関係者も乗りそう。
【16日追記】4日の弘前市長記者会見で内容が発表されていた。現時点では文字起こしが未アップで動画のみ公開のため、面倒で見ていないが、運賃低減は患者と付き添い1名が100円になるということらしい。

弘前大学前上りバス停から工事区間・国立病院方向。信号柱左が大学正門
もう1つ変化。大学正門前の押しボタン式信号の信号機一式が、更新された。2020年12月頃とのこと。以前の信号機は、1979年製造だったので40年以上の活躍だった。いずれ別記事にて

弘前の話題は続く
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