広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

土崎駅の新ベンチ

2025-02-16 23:27:23 | 秋田のいろいろ
秋田市のJR奥羽本線・土崎駅改札外の待合室の話。
現在の配置。上が北・青森方向
駅舎の改札口より北側のすべてのスペースが、そば屋と待合室。改札口があるスペースとの間は、アルミサッシで隔てられている。
自動販売機があるところは、2011年夏頃まではキオスクがあった。
2018年春のリニューアル時に、ホーム側の壁際に、木製のベンチ(というか座れる板)が造り付けられた。
2021年春頃には、その木製ベンチの向かいとそば屋の間に、盛岡支社のキハ40系気動車の廃車発生品と思われる、ボックスシートがベンチ代わりに設置された。
それらがない南側のスペースには、座面と背もたれが木製の3人分1セットのベンチが置かれている(秋田支社の駅ではわりと見るもので、コクヨ製??)。ボックスシート設置前はその場所にもそれが置かれていたし、そのほかにも時々配置が変わることがある。いつの頃からか、テーブルも1つ置かれるようになって、勉強したり、そばを食べたりする(公認か黙認か知らないが、店の人はとがめない)のに使われる。

ちなみに以前は配置が違った。
自分でも記憶がおぼろげだが、2011年の記事などを参考に。
(再掲)2011年、自販機から改札口方向
昔はスペースの区切りが異なり、図左下・南西の一角だけが仕切られていた。そば屋とホーム側は、改札口と同じ空間であった。冬は、今と同じ位置に仕切りが仮設されたような気もする。遅くとも2014年3月には今と同じ、常設アルミサッシの仕切りになった。


昨2024年の晩夏~秋頃、変化が生じた。
2024年末、南側から。右後方が改札口
南西の一角のベンチが新しくなった。テーブルは以前と同じ。南東側のベンチは変わらず。

2024年12月上旬

2024年末
写真を比べると分かるが、2024年12月中頃に若干の変化。
新ベンチは4人掛けが3つ導入された。当初は、テーブルの南北に向き合って1つずつ、残る1つは、北側のそば屋との境の壁際に置かれた。
12月中頃に、壁際のベンチが、テーブルの西側に移動され、テーブルをコの字に囲う置きかたになった。西側はきゅうくつだし、北側はベンチがなくスカスカ。

それにしてもこのベンチ。
まずは見た目。

第一印象は、全体的に見るからに硬そうで、かつ安っぽくて、プラスチッキー。
背もたれが低く円筒形。肘掛けも低くて、用をなすのか。
座面に穴があるのは軽量化のためだと思うが、どういうつもりか、両端の席は「×」形の穴、つながった中央2席は縦方向に切り込みが入ったスノコ状で、中央にカプセル形の穴という、凝っているが視覚的にうるさいデザイン。
肘掛けや脚のグレーはまだしも、座面と背もたれは、くすんだような安っぽいような青色で、木質化された待合室において、浮いている。
【17日追記・1989年からしばらくの間、三洋電機(サンヨー、SANYO)が「ROBO」という、子ども向けだが本格的に使用できる家電製品シリーズを発売していた。このベンチと、デザイン(色づかいはROBOのほうが派手)や質感が似ていると思う。】

座ってみたら、見かけ通りの座り心地。【17日追記・きしむようなことはなく、耐荷重性に関しては、見た目よりありそう。】
背もたれが心もとなく、座面はやや低く感じる。
従来の木製ベンチも硬いし(背もたれは高めでカーブしていてフィット感はある)、壁の固定ベンチは背もたれすらないが、それらより座り心地は悪いと思う。「座る」というより「腰掛ける」感じ。

Googleレンズで画像検索したら、正体が判明。
大阪の施設用家具の専門メーカー「モリマーキンキ株式会社」の、ストリートファニチャーKB-74シリーズ、「KB-7406AN」と思われる。メーカーホームページ掲載の税別価格は18万5000円だが、税抜き11万6550円で売るサイトも。
脚のデザインや、途中の肘掛け、座面のデザイン(4人全部同じものも)違いで全6種ある。価格は似たりよったりだが微妙に違い、肘掛けがないほうが高いものもあるなど、基準がよく分からない。色違いはなく、サイズはすべて同じ。幅1970、座面高さ380、奥行き520、背もたれ高さ650(cm)など。プラスチック部分は(再生?)高密度ポリエチレンで、屋外使用可。

製品自体が悪いのではない(カラーバリエーションはあったほうがいいと思うが)。こういうベンチが向いた場所もある。しかし、屋内の、土崎駅の待合室には、適切ではない選択ではないだろうか。
駅の待合室は、そう長居するものではないし、(駅に限らず公共の場では)居座ったり寝たりされないよう、あえて座りづらい椅子を設置するケースも増えている。
しかし、土崎駅ではそのような問題となる事例はあるようには思えない。それに秋田駅などでは、反対に座り心地の良いソファを置いた待合ラウンジができている。ベンチを更新するにしても、違う選択ができないのか、そもそも更新の必要があるのか。
JR東日本に対して、座り心地と見た目に配慮した選択ができないのか、今後、残りのベンチを更新するのなら配慮してほしいと、要望を送った。上記、ベンチの置きかたが変わったのは、ちょうどその直後だが、たまたまか。その後、年が明けても変化はない。今後はどうなるか。

【22日追記】残る3人掛け木製ベンチは、2脚だけ。背もたれに小さい穴がたくさん並んでいる。
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JRダイヤ改正2025秋田

2025-02-13 22:58:40 | 秋田のいろいろ
JRグループダイヤ改正が、今年も2025年3月15日・土曜日に実施される。例によって、JR東日本秋田支社エリアを中心に、JR発表以外の情報も元に、まとめる。
昨2024年のダイヤ改正
※誤りや勘違いがあり得ます。利用の際は公式な情報を確認してください。

秋田支社管内は2022年以降、総合的には大きな変化がないダイヤ改正が続いていた。今回も同様といえる。廃止も増発もなし。
羽後本荘7時01分始発の秋田行きが、6時51分発になる(秋田で男鹿行きに接続)ような変化はある。

●秋田新幹線「こまち」号数変更
連結相手の「はやぶさ」増発の影響で、ほとんどの便で列車番号がずれて変わる。
本数や時刻は変わらないが、予約時は注意。


●普通列車 編成両数変更
奥羽本線・羽越本線・津軽線の普通列車用701系電車は、2両編成(2両で1組)と3両編成(3両で1組)があり、どの便にはどちらが走るか決まっている(組み合わせて4両以上で走る便もあるし、突発的に変更されることはある)。※関連記事
2016年以降、3両編成で運行されるダイヤが、少しずつ減る傾向にあった。
車掌が乗らないワンマン運転は、2両編成のみが対応するので、ワンマン化を推進する意向はあるようだが、車掌が乗っても2両に減車されたものもあった。
今回の改正では、すでに2両運転の列車がワンマン化されるものがいくつもある。
さらに編成変更は、
・奥羽本線 青森~弘前~大館で、2本が2両→3両に、5本が3両→2両に。
・羽越本線 秋田→酒田、酒田→吹浦、酒田→秋田の各1本(秋田を出て、酒田で夜間滞泊して秋田に戻る、一連の運用と思われる)が3両→2両に。※酒田→吹浦はワンマン化。
羽越本線は2023年改正の資料で、3両編成は7時前の酒田発秋田行き、18時台の秋田発酒田行きだけであることを知った。今回の資料によれば、酒田発の3両は、始発の5時半に変わっていた【20日訂正・見間違い・勘違いでした。変わっていません】。それらも2両になるとなれば、羽越本線で3両編成の運用がなくなるのか?【20日追記・コメントいただいた通り、朝の秋田~新屋の区間便は3両編成とのこと。かつては4両、さらに前は2両編成×3本=6両だった。】

レール幅が違うので、上記とは別の編成(701系5000番台)だが、
・田沢湖線 4本(盛岡→大曲1、田沢湖~大曲3)が4両(2両編成×2)→2両に。
その1本は盛岡→大曲通しでワンマン運転に。県境の赤渕~田沢湖でのワンマン運転は初めてとのこと。
これまでワンマンがなかったのが意外。1駅だけど18.1キロある山間部だが、別に支障はないはず。


●GV-E400系電気式気動車 運用範囲変更
キハ40系気動車時代も同じだったが、五能線と津軽線末端の蟹田~三厩間が、メインの運用範囲。
ほかに、秋田の車両基地との行き来を兼ねた営業運行(いわゆる送り込み運用)がある。奥羽本線の秋田~東能代で2往復(2両編成、1両編成各1往復)、弘前~青森で1往復(2両編成)、津軽線の青森~蟹田で1往復(1両編成らしい)。
2022年8月の大雨被害により、蟹田~三厩が長期運休となり、弘前~青森~蟹田で気動車の運行が必要でなくなってからも、この体制が続いていた。

今改正で、弘前~青森、青森~蟹田が、701系2両編成に変更。
蟹田~三厩の復旧断念・廃止が確定的になったことと、後述の奥羽本線運休区間の車両運用との関係があるのだろう。


今回は駅の無人化は判明していない。労働組合の情報から、
●五能線・五所川原駅 日勤化
五所川原駅は、現在は 始発~15:30、16:10~18:20、19:20~終電 の営業。
日勤化ということで、早朝・夜間は無人になると思われる。


2025年3月時点での変化は以上なのだが、2025年5月頃に次の変化がある。【22日追記・20日に、4月25日に決定したことが発表された。】
2024年7月の大雨による大きな被害で運休が続いている、奥羽本線の山形・秋田県境、新庄~院内間の運転再開。
電化設備を撤去する“非電化化”で運転再開され、GV-E400系が運行することになっている。したがって、新庄~院内から701系は撤退。

詳細は明らかになっていないが、GV-E400系は秋田の五能線用と共通運用と考えられる。五能線と同じく、秋田の車両基地との行き来では、秋田~院内での送り込み運用もあるだろう【22日追記・1往復設定された】。
3月で、青森側のGV-E400系の運用が減るのは、こちらに回す意図もあるのだろうし、代わりに701系を回せるのも、運休区間分、車両が余っているからだろう。
なお、GV-E400系のほうはやや不足するらしく、新潟にいた両運転台のGV-E400-8が、秋田へ転属したらしい。

となると、701系の運用に、一定数の余剰が生じる。
使いどころはないだろうから、来年度以降、まとまった廃車が出ることになるのではないだろうか。【14日補足・まとまったというほどでもなく、数本かも。山形新幹線延伸に伴い、山形~新庄から秋田の701系が撤退した時、余剰になったのは2両×5本だった(仙台へ転属)。今回はそれより少ないと思われるので。】


来年度以降の別の話題として、土崎~秋田港(という名の貨物駅)の奥羽本線貨物支線。※秋田臨海鉄道とつながってはいるが、秋田港駅まではJR貨物の路線。
クルーズ船入港時に、下船観光する人の輸送列車が秋田~秋田港で運行されている(2024年の運行風景)。ところが、支線の本来の用途である、臨海鉄道に乗り入れる貨物列車が2021年で廃止されてしまい【17日補足・秋田臨海鉄道は廃止・会社解散済み】、年に数えるほどのクルーズ列車専用路線となっていた。
昨年秋、JR貨物による路線管理は2025年度までで終わり、以降も運行を続けるには、秋田県、秋田市、JR東日本が約8億円で取得し、毎年7000万円の維持管理費用が必要になるため、どうするか県が検討中であることが報道された。そして、昨日・2025年2月12日の秋田県議会で、それは困難であることが明らかにされた。
クルーズ列車、貨物支線とも、来年度いっぱいでなくなる。これまでの運行実績では、2025年内(11月辺り)がラストランになるかもしれない【22日追記・20日付秋田魁新報コラム「北斗星」では「最後の年は4月から11月まで運行の予定。」と明記】。




その他、秋田以外で目に付いたこと。
●大船渡線 車両変更
キハ100形気動車からキハ110系気動車へ変更(2025年1月から順次)。
※盛岡支社リリースでは「キハ100系」としているが、実際はすべて同型のキハ100形。

デザインはそっくりな両形式だが、車体長が違う。キハ100は一般的な鉄道車両より3.5メートルほど短い。
変更の理由は分からない。そんなに乗客が増えたということでもないだろうし(最終1往復が減便される)。

大船渡線は、1990年に初めて製造されたキハ100が最初に投入された路線であり、北上線と共通運用されている。北上線では引き続きキハ100が走る。
なお、盛岡支社管内では、2025年度後半にディーゼルハイブリッド式の新車両が釜石線に導入予定。


●特急「あずさ」白馬止まりに短縮
1往復が、松本より先、大糸線に乗り入れて南小谷(みなみおたり)駅まで行っていたのが、途中の白馬(はくば)止まりに。下りは新宿発8時ちょうどの「あずさ5号」。
2016年に南小谷→松本を乗車したが、南小谷から白馬まではガラガラだった。登山・観光シーズンは違ったのかもしれないが。


●JR東海 静岡地区211系電車運用終了?
国鉄時代末期からの車両が置き換え。訪問時に何度も乗った。
代替は、新製のロングシートの315系電車ばかりではなく、名古屋から313系の転換クロスシート車も転属とのこと。先に313系8000番台が転属していて、転換シートの異端車になるのではと考えたが、そうならなかった。どっちの座席に当たるか運次第だが、転換シートが増えたのはうらやましい。


●滋賀県 米原駅 駅弁撤退(2025年2月末)
「湖北のおはなし」など、丁寧な作りの駅弁で知られた事業者「井筒屋」が、駅弁から撤退。
2009年など2回しか食べたことがなかった。東海道新幹線「こだま」の長時間停車を利用して、ホームの売店で買おうとしたら、全部売り切れていて買い損なったのが、最後だった。日本最古の養鱒場がある土地ならではの「元祖鱒寿し【14日追記・2022年頃で発売終了とのこと】」なども食べたかった。
【14日補足・撤退理由について】撤退する理由や思いは、ホームページに掲載されている。世の中が、駅弁事情が変わる中で大変だったのだと同情したくはなるが、その一方で、かたくなすぎる、あるいは頑固すぎるのではないかとも思ってしまった。ネット上で誰かが「時代についていけなかった」と投稿していたが、そうかもしれない。いろいろ事情はあるのだろうし、遠方の部外者は知らないこともあるだろうけれど、複雑な心境になる。


●JR四国 パターンダイヤ、タクトダイヤ
全域でパターンダイヤを導入または時間拡大。パターンダイヤとは、毎時何分発と時刻がパターン化されていて、覚えやすく利用しやすいダイヤ。

徳島駅で拡大される、タクトダイヤは初めて聞いた。JR四国の造語か?
これは、パターンダイヤどうしの方面を組み合わせることで、接続を良くして、乗り換え利便性が向上するもの。

JR四国は厳しい経営状況と聞いていたし、徳島市以外の3県庁所在地では私鉄が運行されている。だから、JRはローカル輸送に消極的だと思いこんでいたが、このような積極的な取り組みがされていた。

ひるがえって、JR東日本・秋田駅周辺。
秋田新幹線に接続することを優先したのか、パターンダイヤではない(昔の男鹿線はパターンダイヤっぽかったが)。秋田駅での接続など、昼間はないも同然。
秋田市では、路線バスの大再編を計画しているが、もっと鉄道も活用するべきだと思っている。その時、パターンダイヤ・タクトダイヤになっていれば、とても利用しやすくなる。四国が参考になるのではないでしょうか。
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なくなったもの'24 秋田2

2025-02-03 23:10:27 | 秋田のいろいろ
2024年に秋田市を中心とする秋田県からなくなったもの。前半に続いて、7月以降。

・東北電力「秋田火力発電所」廃止 2024年7月?
秋田市北部・飯島地区の海辺。燃料は石油。
1970年8月に運転を開始し、発電機の増設、交代を経て、最後に残った4号機が2024年7月1日付で廃止。東北電力のリリースでは、発電所としては2024年10月頃を目途に廃止するとしているが、一方で「7月1日をもちまして全設備が廃止」とするページもある。
2025年度から施設が解体され、跡地は、子会社による風力発電用風車のメンテナンス技術訓練所になる予定(すでに稼働?)。

秋田市民にとって秋田火力は、生活に欠かせない電力の産地というだけではなかった。
市の南部や中央部から北を望めば、紅白の煙突が目に入り、天気が良ければその向こうに男鹿半島の山並みが見えるのが、見慣れた風景。
2008年再掲)平和公園から外旭川・飯島の水田越しに
煙突は最大で3本。2003年の1号機廃止後は上の写真のように2本、4号機だけになった最後は1本。

社会科見学(僕は小学校3年生・市内めぐりで行った)の定番でもあった。
それに、敷地内に「グリーンパーク」というのもあって、自由に利用できた。芝生のほか、噴水、遊具、フィールドアスレチックがあったらしい。僕は幼稚園と家族で行った記憶はあるが、名称と芝生(と噴水も?)しか記憶にない。
発電所の全設備廃止にもれず、グリーンパークも「閉鎖」したことを東北電力が告知している。
2024年10月。「土崎駅東西歩道橋 港ウイロード」から。煙突が残り1本になり、風力発電の風車が林立するようになった


フォンテAKITA 地下フードコート「Le maman 8・8(ラ・ママン)」閉店 2024年7月中旬以前
秋田駅前、イトーヨーカドー秋田店があった商業施設。ヨーカドーとしての開店当初は、別の店が入っていたような話もある。
ラ・ママンはいつからあったのか、どこが経営していたのか等、詳細は不明。そもそも、そういう店名だとは閉店まで知らなかった。たこ焼きや麺類の店が、壁際に1列に並んでいたが、どれも同経営だったことになる。

近年は、以前より客席が狭く・少なくなっていて、客は多くはなさそうだったが、高校生や高齢者などの憩いや時間つぶしの場所だったはず。秋田駅周辺でこのスタイル(違うジャンルの食べ物を1か所で買える)の店は、ほかにはないだろう。

麺類の1つに「おしゃれそば」があった。チャーシュー、メンマ、山菜、蒲鉾が載った蕎麦で、柳家喬太郎師匠が食べたことがあり、落語の枕のネタにしていたとのこと。


道川海水浴場閉鎖 2024年から
由利本荘市岩城(旧・岩城町)。由利本荘市管理で、市ホームページによれば所在地は由利本荘市岩城内道川烏森。JR羽越本線では、道川駅と岩城みなと駅=道の駅岩城の中間辺り。
昭和40年代以降、離岸堤建設により砂が堆積。入口から波打ち際まで50mだったのが、今は200m。4棟あった海の家も、2020~2022年に解体。

子どもの頃、行ったことはあったはず。当時は、秋田市とその近郊には海水浴場が多く、特に南方向では、浜田浜、桂浜、下浜(ここまで秋田市)、道川と、海水浴場が連続していた。これらの中で、今もやっているのは下浜海水浴場だけか。

余談だが、昔、若者の間で、秋田市周辺の海水浴場の名を英語化して呼ぶのが流行った(?)ことを、近年知った。おそらく昭和末・バブル期辺りのことで、漫談「五城目のトメさん(関連記事)」が出典という話も。
秋田市の北、潟上市で今もある出戸浜は「アウトドアビーチ」、下浜は「ダウンビーチ」と、漢字を直訳している。
ちょっとひねって、浜田浜は「ビーチイズビーチ」。「浜だ。浜」か。
そして、桂浜は「アデランスビーチ」。「鬘(カツラ)浜」。その頃は、アートネイチャーの知名度は今ほどはなく、かつらといえばアデランスだった。
で、道川は???


・秋北バス「駅前ステーション」廃止 2024年8月
大館市御成町一丁目。秋北バス本社併設の、バス乗り場と待合室。JR大館駅のすぐそばにあり、バスは大館駅前発車後、一方通行の裏道を通って、駅前ステーションに入っていた。
駅前ステーションという独特の名称だが、花輪駅前バス停も、以前は「花輪駅前ステーション」だった。
また、大館市内には別に、ホテルクラウンパレス秋北の下に「秋北バスターミナル」もあったが、2013年廃止済み。

大館駅舎が新しくなり、駅前の整備も完成したため、2024年8月8日をもって駅前ステーション乗り入れをやめて、大館駅前へ集約。
連動して、駅前ステーション待合室にあった、味わいのある「秋北食堂」2024年8末月末で閉店。生姜焼き定食、とりもつ、馬肉が有名だったそうだ。
この店は、元は近くで「ありうら食堂」として営業していて、2013年に移転して秋北食堂になったもの。それ以前は、別の旧・秋北食堂があったらしい。

【5日追記】2024年10月に開催された「第52回 本場大館きりたんぽまつり」の期間中限定で、シャトルバス発着場として、駅前ステーションが復活したとのこと。


・イオン土崎港店「未来屋書店 土崎港店」閉店 2024年8月31日
イオン土崎港店の正面に向かって左側、駐車場に飛び出すように増築された平屋部分にあった。2025年始時点で後継の店舗は入らず、空いたまま。
2020年以降、土崎港店の敷地が拡大していて、何らかの新たな動きがあるのではと予想しているが、今のところ変化はない。本件も関連するか。


・有楽町「プレイタウンビル」解体 2025年夏頃完了
秋田市南通亀の町、というよりは通称「有楽町」。かつて、県道28号沿いに映画館が建ち並んでいた。
21世紀に入った頃からだろうか、映画館は次々に消えて、他の建物になっていき、最後まで残ったプレイタウンビルも姿を消した。解体時の報道では「プレイタウンビル」の名称だったが、1977年だという竣工時の情報では「有楽町プレイタウンビル」となっている。
中に入る映画館は出入りがあった。最後が2003年開館の「シアタープレイタウン」で、2012年12月24日閉館。以降、1階の飲食店などは営業していたが、最終的には空きビルになっていたのか。2023年春頃から2024年夏頃にかけて、じっくりと解体工事が行われた。
2023年3月。車は解体工事関係者と思われる

南から。すぐ先が五丁目橋交差点

北から

2024年5月、旭川対岸からビル裏側

2024年8月
2023年3月10日の秋田魁新報の解体を伝える報道では、2024年夏完成を目指して「複合型マンション」ができるとのことだった。しかし実際には、更地になって舗装されて、半分は時間貸し駐車場、もう半分ははす向かいにできたホテル(これも映画館跡)の駐車場となった。


・秋田大学医学部附属病院 「レストラン はすの実」閉店 2024年9月末
2025年始再開予定で後継の募集をしていたが、まだ開店していないはず
【2025年2月14日追記・後継店舗決定
秋田市内のホテルなどで日本料理店を展開する「株式会社 水屋光琳(みずやこうりん)」が入ることになったようだ。同社ホームページでは2月4日から従業員を募集している。
2025年3月10日(月)プレオープン」で「レストラン光琳 秋田大学病院店」という名称らしい。(以上追記)


・「ハッピー・ドラッグ秋田泉北店」閉店 2024年10月29日


・秋田市消防本部 土崎消防署「寺内出張所」「将軍野出張所」廃止、新「寺内出張所」に統合・移転 2024年11月26日
旧国道(関連記事)の寺内児桜一丁目にあった旧・寺内出張所と、将軍野踏切そばの土崎港東四丁目にあった将軍野出張所が統合・移転し、新国道「野村」交差点そばの寺内字三千刈に新・寺内出張所ができた。

寺内は以前からあったものが1986年3月に改築、将軍野は1973年11月に新築・新設されている。
廃止直前の旧・寺内出張所

どこかかわいらしい「出動」表示灯

将軍野出張所。ここは出動表示灯がない
↑手前隣にあった花屋は、2020年8月から2022年9月の間に解体された。
ぎこちない表示


元「焼肉レストラン 南山(なんざん)」の建物解体
・「キプロスビル」解体 ※跡地は時間貸し駐車場として営業開始。

以上のものが2024年まで存在したことを、ここに記録しておきます。
最後に記しておきたいのは、なくなりかけたけれど、それをなんとか逃れたものも、いくつかあったこと。秋田100キロチャレンジマラソンや北秋田市の「もちっこ市」は、主催者団体の高齢化などで継続が困難になったものの、新たな主催者が引き継いだ。秋田市通町商店街の菓子店「高砂堂」は店主が亡くなったが、その夫人やのれん分けした店(旭南高砂堂、モン高砂堂)の尽力で、再開。


青森・津軽のなくなったものについて、また後日。
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なくなったもの'24 秋田1

2025-02-01 23:04:22 | 秋田のいろいろ
2023年に続き、2024年に秋田市を中心とした秋田からなくなったものの記録。長いので2回に分けます。今回は6月までで、たまたま、すべて秋田市内。
※なくなった日付があいまいなものについては、実際には6月以前とするべきなのに、続きの後半に掲載してしまうかもしれません。

・日本料理店「三四郎」閉店 2024年3月31日
ふぐ料理で知られる。秋田市大町二丁目の旭川沿い、かつて幸橋(さいわい橋、現在は隣に大町公園橋)が接続していた、新秋田ビル(過去の記事)の地下1階に入っていた。
2025年1月時点でも看板は残る。「関西割烹 三四郎」表記も
3月27日の魁によれば、銀座の日本料理店「出井(いづい)」で修行した北秋田市出身の店主(78)と、秋田市出身の妻(76)が、1978年に開店。店主が柔道経験があり、柔道小説「姿三四郎」にちなんだ店名。客足の減少、高齢となり後継者がいないことから、閉店。

上の写真中ほどに、中が障子になったショーウィンドウが見える。今は撤去されたが、そこに掛け軸のようにメニューを掲げていた。まだ掲示されていた2024年5月のGoogleマップストリートビューによれば、右から順に、鶉(うずら)の飛龍頭(ひろうす)、すっぽん料理、三四郎角煮、ぞうすい、ふぐ料理、蟹甲羅揚、野菜会席、美味三昧。2020年以前は、項目は同じで、順番が違っていた。

広小路~名店街、川反という、かつての秋田市のにぎわいのまっただ中にあったことになる。何もなくなったここ十数年、よくぞここまで続けられたと思ってしまう。
大町公園橋から。広小路・旭川側にも看板が残る
新秋田ビルに、今も入居するテナントってあるのだろうか?

【4日追記・画像追加】冒頭の写真は、ビル北端(通町寄り)のドア。昔はここが幸橋とつながる通路だった(ドアがなかった?)。反対の南端(竿燈大通り寄り)にもドアがあって、そこに三四郎のネオンサインがあるのを発見。
フグの絵入り。屋内には行灯も
そういえば、光っていたのを見たような記憶があるようなないような。何色だったかは記憶にないけれど。Googleマップストリートビューを見ると、いちばん古い2012年10月の画像が、薄暗くなりかけた時間帯の撮影だったようで、点灯時の様子が奇跡的に記録されていた!
全部緑色
三四郎とは関係ないと思われるが、2012年にはドアのガラスに茶舗「辻吟」のロゴが出ている。2015年にはなくなっているが、昔はここにも店舗があったのだっけ? それと、2012年も現在も、ドアの左に「VIA大町」と表示があるのは何者?(以上追記)


・地方職員共済組合秋田県宿泊所「ルポールみずほ」閉館 2024年3月31日
秋田市山王四丁目、秋田県庁裏。宿泊16室、宴会場6、レストランがあり、県職員でなくても利用できた。

共済組合が1980年に「みずほ苑」としてオープン。1996年から県所有に(運営は組合秋田県支部)。2005年にリニューアルして「ルポールみずほ」に。
2023年7月の大雨で、地下の電気設備が故障し、復旧費が高額になることから、再開を断念。今後の活用は県が検討。

なお、19~’22で取り上げたように、山王五丁目にあった、同じく1980年にできた警察共済組合秋田県支部宿泊保養施設「ふきみ会館」は、2020年で営業を終え、解体された。


・「秋田予備校」生徒募集停止 2024年度から
秋田駅近く、中央通りから入った秋田市中通四丁目にある、秋田県内唯一の予備校。大学受験科と高校受験科がある。1954年設立。
2024年末
3月18日の魁によれば、大学受験科は「1990年代の最盛期は、年間約200人」、高校受験科は「1980年代後半のピーク時には(略)年間250人ほど」の在籍だったが、「大学受験科は2023年度、25人ほどの在籍」「高校受験科は2020年度に3人を受け入れたのを最後に休止」。
募集停止の理由として人口減少・少子化は直接挙げておらず、入試の多様化と受験科目減少のほか、「情報」科目など教員側の対応困難としている。
「閉校はせず、新たな教育関連の事業を模索する予定」。

21世紀に入ってからだと思うが、広面の城東十字路近くで、現役生向け(高校受験のみ?)専門の進学塾もやっていた。魁ではその言及はないが、そちらも閉鎖されている。
設立者は、後に国学館高校などを運営する、学校法人敬愛学園の理事長にも就いた(敬愛学園高校だったのが国学館高校に改称したのが1979年。その頃?)人。高校と予備校は、長らく別法人だった。2010年前後に、高校側の法人に予備校が吸収合併されたようだ。現在は、設立者の子息が理事長。

ところで、秋田予備校の裏というか横には、旧・社会保険庁の「あきた社会保険センター」という施設があった。いわゆるカルチャースクール・カルチャーセンター。
2009年の社会保険庁の廃止に伴い、学校法人敬愛学園へ移譲されて「あきた文化保健センター」として存続したが、2022年末で事業停止している。
敬愛学園としては、中通四丁目に、空いた建物や土地がまとまってできたことになる。
独特の毛筆文字のロゴ
広告などでは横書きされることが普通で、校舎のひさしも横書き。文字のセンターをそろえた配置。

30年前の我々の頃は、高卒後、大学に入るために浪人するとなると、自宅で自学自習(「宅浪」という言葉はすでにあったか?)するか、仙台や東京に出て大手予備校に通うか、それらでなければ秋田で予備校に通う=秋田予備校に入る、のどれかだった。3つの割合は知らない。
そして、今・2020年代ではそうでもないのだろうが、少し前まで、秋田県に限らず地方では、中卒後、高校へ入学するために浪人する人が、それなりにいた。秋田県では、併願先となる私立高校が少ないこともその一因だが、地方では公立高校志向が強いため。
秋田では、その受け皿が、秋田予備校だった。30年ちょっと前の我々の頃は、高校の中でも進学校に入るために浪人する人がほとんどだったはず。
ちょうど今、秋田魁新報で連載中の「シリーズ時代を語る・友川カズキ(肩書きはアーティスト)」の1月8日付第6回によれば、同氏も秋田予備校OB。
県立能代工業高校でバスケットボールをしたいと、八竜町(現・三種町)の中学校から受験するも不合格。予備校に通わせてほしいと父にお願いし、あっさり認めてもらい、秋田市土崎に下宿して通い、無事、翌1966年に能代工業高校建築科に入学した。「団塊の世代ですから、予備校には浪人生が結構いてね。教室はすごい熱気がありました。」と回想。
秋田市外から、そして進学校ではなく実業系高校に入るために、予備校で浪人する時代があったとは知らなかった。

2020年(?)まであった、高校入試の解答速報番組や、大昔にあった高校合格発表番組では(おそらく)、進学塾などとともに秋田予備校がスポンサーの1つであった。

そのテレビCM。近年はシンプルな内容だったはず。その少し前は「捲土重来」という語を使っていたか。さらに前(1990年代~2000年代とか???)は、とても印象深いCMだった。
うろ覚えだけど内容は、
立派な部屋の立派なデスク(の椅子)に年配の男性が座り、カメラに向かって語る。
それなりの長さだったはずだが、インパクトがあったのは、
「秋田予備校は、東京でも有名ですよ」(細かな言い回しはうろ覚え)。

他の人たちも印象に残っていたようだ。
2000年代、ブログ全盛期に「バトン」なる風習(?)があった。「○○に100の質問」みたいな、テーマに沿った質問リストを、各ブロガーが回答するというもの。
その1つに「秋田人チェック」があった。その中に「「東京でも有名ですよ」の秋田予備校のCMは半信半疑だ。」があった。
【4日補足】発言は「秋田予備校(の教育方針や実績)は、東京(の教育関係者の間)でも有名ですよ」というニュアンスだったかと推測する。だが、多くの視聴者には、その真意が伝わらなかった。

「東京でも有名ですよ」の発言者は、肩書きと氏名が字幕で出ていた。東京理科大学の先生で、長野 東という方。
小耳にはさんだ話では、数学が専門で、秋田予備校に特別講習だか講演だか、そんなので来ることがあったとのこと。
改めてネットで調べると、科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)に、「訃報 故 長野 東先生を偲んで(日本数学教育学会 名誉顧問 池田文男)」があった。
それによれば、長野氏は、2021年6月4日に93歳で亡くなっていた。
愛媛県生まれ。愛媛県や東京都の小学校、中学校、高校での算数数学の教員を経て、1987年に東京理科大学理学部専任講師となり、数学教育を担当。並行して、日本数学教育学会の活動に尽力。
科学研究費助成事業データベースによれば、1998年度時点(70歳頃)でも、東京理科大講師。


【3日項目追加】・JR東日本クロスステーション「イノベーション自販機」順次廃止 秋田駅は2024年5月


・「青山薬局 秋田駅トピコ店」閉店 2024年5月15日
秋田駅ビル・トピコ2階(クロネコヤマトの隣)にあった調剤薬局。平日と土曜午前に処方せん受付。
トピコホームページでは「全国でも珍しい駅ビルにある利便性のよい調剤薬局で、 店内には充実した一般医薬品が並びます。」とあったが、調剤メインで一般医薬品はそんなになかったはず(一般的な調剤薬局のスタイル)。
中通六丁目に「青山薬局 中通店」があるので、そこの経営だったのだろうか。
【2日追記】トピコと中通の青山薬局は、潟上市の「株式会社トップオブビュー」が経営していた。潟上市で「まこと調剤薬局」も経営。
なお、2020年頃まで、大町五丁目(大町五丁目交差点そば、旧・第一会館本館の隣)に「青山大町薬局」があった。それは「有限会社青山大町薬局」経営だったが、関係はあったのか。(以上追記)
秋田駅周辺の他の調剤薬局は、東口のアルヴェなどにある。


・「中通生協本店」店頭販売終了=閉店? 2024年5月31日
南大通りから中通総合病院のほうへ曲がってすぐ、病院手前の向かい側に、こぢんまりとした店があった。所在地は南通築地(道路の向かい=病院側は南通みその町)。
2019年再掲)左向こうの建物。左が南大通り・手前右が総合病院
中はよく見えず、入ったこともなかったが、スーパーのような雰囲気。
2024年3月の定休日
「CO・OP中通生協本店」と表示があり、営業時間は平日 9時30分~18時30分、土曜 同~13時30分。入口が別の「中通生協クリーニング」も併設。
ドアの張り紙

中通生協は「中通生活協同組合」で、本部もここにある。
※生協は「消費生活協同組合」の略だと思っていたが、少なくとも現在では、正式名称に「消費」が付かない生協のほうが主流のようだ。
秋田県内唯一の「職域生協」。中通総合病院などを運営する、社会医療法人 明和会の職員のための生協ということだろう。病院内の売店・食堂(誰でも利用可)も生協運営のようだ。

「本店」は、売店よりも品揃えがある、購買部のような位置付けだったのか。
掲示には「本店の店頭販売を終了致します。」とあったから、注文販売など別の形では継続しているのか。
また、掲示には「居住組合員の出資金に関するお問合わせ」とも。居住組合員とは、職員でない近隣住民も加入でき、本店で(正式に堂々と)買い物できたということだろうか。大学生協でも地域住民が組合員になれるところがあるように。

閉店の理由は不明。ここは2023年7月の大雨は、浸水したかどうか微妙な辺りかと思われるが、大雨以降も営業していたのだから関係はないか。


・「くめかわクリーニング」消滅 2024年6月末


7月以降について続く
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なくなったもの'23 秋田

2025-01-29 23:02:23 | 秋田のいろいろ
毎年アップしたいのだけど、できずにいた「なくなったもの」シリーズ。
前回は2019年~2022年。その後、新型コロナウイルス感染症の流行(コロナ禍)が、名目上・形式的には落ち着いて、経済活動は再開したものの、物価上昇や人手不足になった。地域の衰退や後継者がいないという課題も顕著になった。そんなことで、コロナを乗り切っても、今になって力尽きたものもあったように感じる。
まずは、2023年に、秋田市を中心とした秋田県内から姿を消したものを記録します。体調が悪かったせいか、あまり記録・記憶できていない気もしますが… 2024年版、津軽版もいずれ。
挙げるのは、個人的に印象に残ったものです。必ずしも利用したことがあるとは限らず、思い入れは少ないものもあります。秋田魁新報等、報道を参考にしたものもあります。

・由利本荘「子吉川いかだ下り大会」コロナで2020年以降中止、2023年に再開断念決定
由利本荘市内の建設会社などでつくる実行委員会が、1990年から2019年まで30回開催。
梅雨時だけど7月前半頃の開催のようで、タイムではなく手作りいかだの独創性やチームワークなどを競うルール。ローカルニュースで見た覚え。


・「ホテル大和(だいわ)」営業終了・破産 2023年3月27日
秋田市土崎地区の市街地、土崎港中央一丁目の旧国道沿い。建物は派手ではなくそこそこ大きく、新しい印象はなかったが、地元の各種団体等会合の会場としても使われていた。客室数約30。
食堂「味の大和」→1957年に大和旅館→1970年に新築しホテル大和となった。

2023年3月27日に突然、営業終了し、ホームページでの事後告知。破産申請準備へ。
新型コロナウイルス感染症により、宴会、宿泊が減少したことと、県外資本ビジネスホテルとの競争激化による。


・「株式会社栗駒フーズ」事業停止・自己破産 2023年3月26日
湯沢市皆瀬の乳製品メーカー。温泉熱(地熱)による殺菌が売りで、高級志向。矢口高雄による、栗駒山を背景にしたツキノワグマの子のキャラクターが、商品に描かれていた。
横手市の秋田ふるさと村などにソフトクリームなどを扱う直営店があり、のむヨーグルトは秋田市内のスーパーでもよく見かけた。秋田県外にも流通していたそうで、酪農が盛んとはいえない秋田県において、成功していると思っていた。

第3セクターかなと思っていたが、酪農家7人が、当時の皆瀬村や国の指導を受けて設立した企業のようだ。1987年10月設立、1988年4月から営業開始。売上高は2003年の約2億7800万円がピーク。
量産体制確立できず、生産効率の悪さから赤字決算、債務超過。大手との競争もあり、近年の売上高は数千万円。
直営店は、事業停止時点では、工場、秋田ふるさと村、カウベル材木町店(湯沢)で、以前は(ふるさと村のほかにも)横手市、大仙市、由利本荘市にもあった。


・「本荘製餡協同組合」解散 2023年4月30日
どういう組織なのか、はっきりとは知らないが、由利本荘【30日補足・にかほ市も含む?】のお菓子屋さんにあんこを供給していたのか。お菓子作り教室を開くこともあったようだ。所在地は、本荘大橋そばの由利本荘市観音町。
本荘名物(?)・柏餅の中にも、このあんこが入っていたのだろうか。そして今は、各お店ごとに、あんこを調達しているのだろうか。

この組合の存在を知ったのは、ツイッター(現・X)アカウント「由利本荘のあんこ屋で〜す!」。(業務内容についてよりも)本荘のことをいろいろと、積極的・意欲的に発信してくれていた。
投稿によれば「57年の長い間」とのことなので、1966年設立だったのか。


・「東雲羊羹(しののめようかん)」の熊谷長栄堂 閉店 2023年6月末
1837年創業、186年の営業。翁飴本舗・桔梗屋(秋田市の別店舗の翁飴)やセキトの餅類などと並ぶ、能代市の銘菓。
製法は一子相伝。他のお菓子は作らず、羊羹専業だったようだ。小(100g)・中・大(360g)とあり、1本270~1000円。
閉店間近の<小>(賞味期限2023年12月21日)
原材料は「製あん(国内製造)、砂糖、寒天」。
100g当たり291kcal、たんぱく質3.5g、脂質0.2g、炭水化物68.7g、食塩相当量0.01g。
 
アルミ包装したものを紙箱に入れているが、わりと最近まで箱がなく、箱と同色の経木柄のアルミ包装に、箱の中央部と同デザインの短冊状の紙を載せて、紐でしばっていたはず。中、大はまた別の、文字(書体も小とは別)だけの包装だったようだ。

店舗は市街地でなく米代川対岸の向能代上野にあったそうだが、駅売店やリゾートしらかみの車内販売(小300円?)などで購入できた。大昔は、駅ホームで立ち売りしていたとか(大館のあけがらすや新津の三色だんごも同様)。

2014年に7代目が亡くなり、2人の弟が引き継いで2015年3月に再開。下の弟が2022年12月に亡くなり、機器の故障も相次ぎ、継続困難に。残る代表は88歳、高齢の従業員が10人。

【2月6日補足】能代市には、東雲羊羹と包装のサイズがよく似た「北限の檜山茶入 茶ようかん」など(桧山なっとう羊羹もあるらしい)もあるが、製造元は違う「茶誠堂」なので、もちろん引き続き販売中。


手形陸橋下の自転車店 閉店 2023年7月14日=大雨前日

2024年前半版へ続く
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行き先表示再変更'24.12

2025-01-23 23:09:25 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通の路線バスの行き先表示は、終点や経路の変更がないのに、思い付いたように、表示内容が変更されることがある。容易に変更できるLED式表示の特性を活かして、より分かりやすく変えるのならいいけれど、あまりコロコロ変えては乗客を混乱させるし、果たして変更する必要があるのかと思ってしまうものもある。

2024年10月2024年12月の変更を記事にしていた。12月には、ほかにも変更があったことを、コメントで教えていただいた。
※ここで取り上げる表示は、秋田駅西口発車時点のもの。バスの進行に応じて、表示内容が切り替わるので、地点によっては違う表示になります。
※雪が降る中、スマートフォンで遠くから撮ったため、不鮮明な写真があります。

それは、牛島経由御野場団地線下り。
2024年10月に変わったばかりなのに、わずか2か月でまた変わった。この3年の間で、3度変わった。※変遷は10月の記事参照
(再掲)2024年10月
「御野場団地」を2行に分ける、斬新な表示。
12月からは、
相変わらず縦方向のドット欠けが目立つ297号車。2か月の間に車椅子マークが消えた
「御野場団地」は1行に戻って、前の「牛島東五丁目」が2行になった。入れ替わった。
(再掲)


後部の小さい表示器も、同様の変更。
(再掲)10月

横方向の筋はカメラの事情によるもの

白色LEDでも同じ表示だが、ドット数の違いか微妙に違うような
↑2022年に1台だけ新車購入した1582号車。ぐるるの1522と同型。2023年購入の2台(1639、1640)はマイナーチェンジされて、トランスミッションやドライバー異常時対応システムが異なる。

御野場団地が2行だった時は、大切な情報であるはずの行き先が、経由地より小さいのはどうかと感じた。だから、経由地の牛島東五丁目のほうを2行にした新表示のほうが、適切ではないかとは思う。
それでも、「丁目」や「団地」が必要なのか。「牛島東5・御野場」で通じるし、文字が大きくなって視認性が高まるのでは。御野場と御所野の誤読を避けたいのならば、「おのば」とひらがなにしてもいいだろう。


牛島東五丁目を通る他の路線の、車両正面の表示については10月も12月も変更なし。
仁井田御所野線は上段に小文字で、二ツ屋福島線は1行で圧縮した縦長の文字(10月の記事に画像あり)で、「牛島東五丁目」を表示。

後部は、仁井田御所野線は、1行で「イオンモール秋田」のみで変わらず。二ツ屋福島線は、
「牛島東五丁目」が御野場団地線と同じ2行に!
いつ変わったか知らないが(12月?。2022年10月では横長文字で2行に「牛島東五丁目・(改行)福島下丁」)、後ろだけ変更というパターンもあるのか。
こうしたのなら、仁井田御所野線のほうにも、前も後ろも東五丁目を入ればいいのに。「イオンモール」を半角にすれば収まりそうだし、東口発では10月から「イオンモール秋田」が2行になった。それを流用して、2行表示を2つ並べたら…、スペースが空きすぎるか。

さらに、東五丁目は通らない大住・みなみ野団地線。
正面は従来通り、上段に小文字で「イオン秋田中央店」、下段に小さめの大文字「大住団地・牛島西四丁目」と1行に表示。いつの間にか後部だけ、
「牛島西四丁目」が2行に
この路線は「大住団地線」のほうが通りがいいし、牛島西四丁目バス停は牛島西四丁目に存在しない(2019年から)という、いい加減というか恣意的な終点だから、このほうが分かりやすい。どうせなら前もこうしたら。

次はいつ、どう変わるか。
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うえたショッピングガイド

2025-01-20 23:15:44 | 秋田のいろいろ
近年、折り込みチラシを減らしたりやめたりするスーパーマーケットがある。
秋田生鮮市場保戸野店は、毎週金曜日に入れていたチラシを、昨2024年辺りから月2回に減。イオン東北、特にマックスバリュ系は、ホームページでのみ配信するチラシが増えた。コスト削減、新聞購読者が減っていることなどが理由か。
もともと折り込みをしないスーパーもあるし、イトーヨーカドーは今もしょっちゅう入れているようで、さまざまだけど。

我が家には、年に数回しかチラシが入らないスーパーがある。年末と初売りと、たしかお盆。
2024年末と2025年始のチラシ
やや厚手の紙に、片面は3色刷り、もう片面は青一色の印刷。イラストは入るが、写真はなし。


青一色、写真なしという点では生鮮市場もそうだが、あちらは単調な印象。こちらのほうがメリハリがある。そして、懐かしい印象も受ける。昭和~平成初め頃の折り込みチラシは、こんなものがけっこうあったような気がする(現在と大差ない、カラー写真入りチラシも存在はした)。
そう感じさせる原因は、色や全体のデザインもありそうだが、何といってもタイトルやロゴか。

チラシ本文は、モリサワのデジタルフォントが多用されているから、パソコンで作ってはいそう。昔ならば、本文も手書きが普通だったはず。
「歳末特別 超特価」「初春 食品大会」「食品大市」は、レタリングというのか手書きのデザイン文字っぽい。




このチラシの発行元は「うえたストア」。利用客には単に「うえた」と呼ばれるはず。
経営者が上田さんで、本社は横手市大森町(旧・大森町)で、店舗は大森店と秋田市の外旭川店の2店。
以前は、秋田市内だけでもほかに店があり、泉ななかまど通り(東端に生鮮市場がある)の西寄りに保戸野店があった(他にもあったかどうかは忘れた)。

外旭川店の場所の過去の航空写真を見ると、1979年にはまだないが、1984年ではすでに部分的にバイパスができていて、うえたの店舗も存在しているように見える(その後、増築や駐車場拡張がされたようにも見える)。
外旭川地区では、もっと回数多くチラシが入るのか。あるいは下に「チラシコスト削減してさらにお安く!!」とあるので、そもそも年数回しか作らないのか。

「UETA」のロゴは今風、というより平成初め頃風のデザイン。
太く直線的な「うえたストア」のロゴは、昭和40年代? みたいなデザイン(会社設立は1950年)。「うえた」だけだと、知らない人は悩んだ末に「ラネナZ」とか読まれそう。1958年頃制定だという、国鉄の「JNR」マークにもどこか似た雰囲気。

うえたの折り込みチラシには、名称というか愛称がある。
「うえたショッピングガイド」
昔からこの名だったと思う。これも昭和っぽいネーミング。
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マックスバリュ泉店 閉店

2025-01-05 14:15:14 | 秋田のいろいろ
【gooの不調につき、画像やリンクは復旧後に追加します。】

年末年始の連休の最終日・1月5日。我が家への新聞折り込みチラシは3枚。 ピザーラと阪急交通社と、イオン東北・マックスバリュ(MV)泉店。
MVのチラシは、通常は、各店舗(食品スーパー級のイオンスタイル茨島・広面も含む)共通のカラー印刷。 今回は、泉店単独で、黄色い紙に黒一色の印刷。有効期間は5日から13日まで。
【16日画像追加】
マックスバリュ泉店―10年間のご愛顧に感謝して―
閉店売りつくしセール


裏面には、「 2014年9月19日に開店して以来10年3カ月の長きにわたり、地域の皆さまも育てていただいたマックスバリュ泉店は、2025年1月31日をもちまして、閉店させていただくことになりました。 」。【30日補足・31日は18時00分閉店。】

掲載商品は生鮮食品ばかりで、売りつくすには早すぎる商品ばかり。
購入客には、泉店のみで1月29日まで、秋田市内のイオン東北各店(総合スーパーも含む)で2月末まで【14日訂正・2月中に使える=1月中は使えない】、それぞれ任意の1日に使える5%引き(税込み1000円以上対象【2月16日追記・支払い方法はイオンカード、電子マネーWAON、イオンのスマホ決済限定。名称は「秋田市内店舗 限定パスポート」】)「ご愛顧感謝パスポート」をくれるという【14日・2つが裏表になった1枚もの】。
iAeonアプリで泉店をお気に入り店舗に登録しているユーザーには、泉店対象のアプリクーポン(上記と同条件)も配信された。

所在地は、新国道(と通称される秋田県道56号)とJR奥羽本線・泉外旭川駅の中間付近の住宅街の中、泉北(いずみ きた)一丁目。
開店前、スーパー激戦区への出店として記事(2011年)にした。開店からしばらくした頃は、なんか客が少ないように感じた時があったが、今は安定していそうで、すっかり定着したなと思っていたところへ、突然の閉店告知。1月2日に行った時は、そんなそぶりはなかった(初売りひと段落のタイミングで告知したのでしょう)。【5日追記・2024年秋頃に、冷凍食品の一部商品を、泉店に限り現品限りで扱い終了との掲示が出ていた。今にして思えば閉店に向けた動きだったのだろう。】
驚いたけれど、なくはないかな、とも。

泉店から直線で南西へ2キロ、道のりで2.5キロほど離れた山王七丁目、山王大通りの秋田放送(ABS)跡地に、今年3月に「イオンスタイル山王」がオープンする。MV泉店を、実質、移転させるということだろう。今日のチラシでは、山王への言及はなし。
泉スーパー競争に負けて退くということかもしれないが、存続させたかったけれど、昨今の人不足で山王新店の人員を充分に確保できず、やむなく泉店を閉店という意味合いもなくはないかも。山王のほうが、周りにスーパーがなくて、場所的にはいいようには思える。

泉店閉店により、買い物難民になる人はあり得ない。スーパー激戦区だけに、ジェイマルエーとグランマート、さらにドラッグストアやコンビニがすぐ近くにあるから。
どうしてもMV、あるいはイオン系スーパーでないといけないという人は、不便になる。北はイオン土崎港店、南はイオンスタイル山王までないので。
ちなみに、MV泉店そばの、ウエルシアグループ「ハッピー・ドラッグ秋田泉北店」も、2024年9月に閉店(実質、秋田土崎東店へ移転)している。イオングループながらMVとは運営会社が異なり、敷地が隣接している等ではないので、直接的な関係はないと思われる。

開店時には、泉の線路向こう、外旭川へのイオンタウン建設計画が明らかになり、是非について議論が交わされていた。イオンタウンができたら、MV泉店は近すぎて共存できるだろうかと思っていた。その10年後、イオンタウン計画はいっこうに進まず(やるにしてもやらないにしても、早く決めればいいのに)、泉店だけが消える形になった。
【16日追記・リンク追加】泉店出店計画が明らかになったのが2011年。その後、なかなか着工せず、その間に2012年に外旭川イオンタウン計画が浮上。2014年に泉店が開店。開店時にはアドバルーンが上がった

MV泉店の敷地内には、クリーニング店、美容室、コイン精米機【5日訂正・コインランドリーもあった。クリーニングは2024年閉店。】があるが、これらはどうなるか。
【27日追記】オムロンの巡回・お掃除ロボットもいるが、閉店後はどうなるか。


個人的には、泉店にはお世話になった。
近くはないが、最寄りのイオン系列のスーパー。「イオングループでないといけないという人」なので。
秋田市内の他のMVと比べて、品揃えが若干少ない(グリコ「神戸ローストショコラ」は、他店では3種なのに泉は濃厚ミルクのみ【14日訂正・「芳醇カカオ」を扱わず、2種のみ】。森永乳業「クラフト切れてるチーズ」が、2024年途中までノーマル1種のみ等)部分もあった。一方、以前はバナナ、糸こん、今はカニカマなど、他のMVよりも安い価格設定の商品があって、日常の買い物には充分事足りた。
開店以前、泉地区(泉小学区)のうち、泉南(いずみ みなみ)や、せいぜい泉中央までは身近だったが、泉北へ行くことはほぼなかった。開店後は、運動がてら歩いて行き来することで、格子状になった泉地区のほぼすべての道を知ることができた。住宅ばかりの同じような風景なので、ここ数年は飽きてきたところだった。
まれに路線バス・泉ハイタウン線でも行ったものの、乗降とも、最寄りバス停が微妙な位置にあって(店側は2023年秋までは泉北二丁目。泉駅前広場止まりにされて以降は、泉北三丁目か駅前広場かどちらが近いのか分からない)、あまり意味がなかった。

閉店後、泉北へ行くことは、またなくなってしまうだろう。 我が家からは、MV泉店もイオンスタイル山王も、距離はほぼ同じ【15日補足・山王のほうが若干近いか】。昨日まで、3月以降は泉と山王をどう使い分けようと考えていた。山王ができるのなら、泉店はなくてもいいということになってしまいます。

【14日追記】5日折り込みのチラシ期間が終わった14日には、新たな折り込みチラシはなし。また、5日以降、各店舗共通のチラシでは、泉店は対象外とされている。

【31日追記・閉店当日
閉店告知後2度目のチラシは、「閉店売りつくし 最終弾」として閉店当日の折り込み。今回も黄色い紙に黒印刷。ダイエー弘前店でもそうだったが、閉店チラシはこの色なのか。
 
「最終在庫処分」で全品10%OFF。
「今後は「最寄りのイオン、マックスバリュ、イオンスタイル各店舗」をご利用賜りますようお願い申し上げます。」とあるものの、イオンスタイル山王についての言及はなし。

15時頃に行ってみたところ、かなり売りつくされていて、空の棚のほうが多かったが、それなりに買うことができる商品も。
米はあきたこまちの小さめの袋がたくさん。酒も残っていたか。青果、パスタソース、カップ麺・袋麺、お菓子、チルド飲料・ヨーグルト、パン、洗剤・入浴剤などは物によっては残っていた。惣菜は多少。弁当はおにぎり以外はなし。インストアベーカリーは閉店状態。精肉、泉店だけ安いカニカマや豆腐や麺類など冷蔵日配品、卵などはほぼ売り切れ。
ほしかったキッチンペーパーは、2週間ほど前に売り切れていたのが、1週間前に再入荷したが(でも買わず)、また売り切れていた。

売り場に出ている従業員はいつも並みの人数で、残った商品をまとめて陳列したり、後片付けしたり。客はいつもよりやや多い感じだが、レジに行列ができるほどではなかった。
10%引きのレシートの表示は、20日・30日の感謝デーと同じ「一般割引」。ご愛顧感謝クーポンの5%引きでは「泉店ご愛顧感謝クー」表記。
チラシには「ご愛顧感謝パスポート配布中」とある。実際には、もう配りつくしたのか、ここ1週間ほどは配っていなかったようだ。

【2月16日追記】「秋田市内店舗限定パスポート」を使ったレシート表記は「会員様割引」と、20日・30日と同じ。

【21日・イオンスタイル山王について】2025年3月18日プレオープン、20日9時オープン。直営売り場は1階で、2階は無印良品、ケンタッキーフライドチキン、サイゼリヤなどテナント。直営売り場は、茨島や広面のように24時間営業かと思っていたが、7時から22時の営業(24時間の必要はないと思うし、人手不足の影響かもしれない)。
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南山・キプロス その後

2024-12-16 23:03:38 | 秋田のいろいろ
2024年秋に解体が始まった、秋田市中央地域の2つの建物のその後。

保戸野千代田町。元「焼肉レストラン 南山」だった「中国料理 甜甜酒楼」の建物
10月下旬

11月中旬
更地になった。
隣の建物に足場と囲いがかかったが、外壁か何かの工事のようで、中は営業中。

現在はロープで囲われている

北側から。電柱付近から奥にかけて建物があった
交差点と反対の北側にあった駐車場も更地になったので、けっこう細長く広い土地ができた。
北端から
現時点では表示などはない。何になるか。


大町四丁目。川反通りの1本西、大町通り・赤れんが館通りの飲食店テナントビル「キプロスビル」。名称の由来も前回の記事参照。
11月下旬

現在
解体後、通りと反対側に隣接していた「キプロスビル月極駐車場」とともに、全面がアスファルト舗装された。隣の塀(敷地内側は駐車場への通路だったようだ)に落書きがされているが、2024年5月のGoogleマップストリートビューではまだない。
駐車場になるのだろうか。
写真左・大町通り向かいの角地も駐車場

追記または続編にていずれまた。
【追記】キプロスビル跡地は、2025年1月15日時点でまだ工事中だが、「三井のリパーク」の看板が設置時済み。時間貸し駐車場になるようだ。
1月25日より前に「秋田大町4丁目第2」として営業開始。キプロスの名は消えた。
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秋田いすゞの意外な中古車

2024-12-12 22:57:40 | 秋田のいろいろ
秋田市の街なか、秋田ニューシティ跡地にできてしまった、秋田いすゞ自動車 中古車センター。中古に限らず、新車の仮置き場としても使われるらしく、クロネコヤマトの集配トラックが何台も並んでいた。11月上旬の続き。
11月下旬
左奥、日本銀行秋田支店側に3台見えているクロネコトラックは、この直後に納車されたようだ。今日時点では新たなトラックは来ておらず、大量購入もひと段落か。その他、車の入れ替わりも多い。

前回はいちばん奥にあった、2台のナンバー付き平ボディの新車エルフが、少し前=大町通り側に移動。今日時点では、いちばん前、大町通りからすぐの位置まで出てきた。売れないの?
その後ろの新入り2台に注目。
塵芥車、ごみ収集車。ナンバープレートなし
2006年~2023年までの先代エルフ(2023年に秋田市公園課が購入した、同型と思われる収集車)。
ボディ(ごみを収める箱)は薄いグレーで、ナナホシテントウと「Eco Life Service」の文字が控えめにデザインされる。秋田協同清掃株式会社の収集車。「秋田市清掃許可車」の表示も残る。外観はきれいではあるが、テントウムシの赤などは色あせたようにも見える。
いすゞのトラックとしてはまだまだ走れるのだろうけれど、ごみ収集車の性質上、内部の腐食など劣化はしていそう。「ごみ収集車の中古車」というのは成り立つものなのだろうか。
この陰に、同型がもう1台いて、今はどちらもなくなった。

さらに後ろ。中古車センター初と思われる、バスがついに登場。
ナンバープレートあり
中型観光・自家用・送迎バス「ガーラミオ」。現在は日野メルファとの共通車種だが、それ以前、1999年~2004年の初代モデル。窓が大きく感じる。
シルバーのボディで、行灯と側面前寄りにロゴマークと「AKITA BANK」【12日補足・後部、この車種で特徴的な左右2分割のリアウインドウの間にも、表示があった】。株式会社秋田銀行の中古。

このバスの用途は知らないが、以前、秋田市内のどこかを走っているのを見たことがあった。
とてもきれいだが、少なくとも20年モノ。次は誰の手に渡るのか。今日時点でも、そのまま。


どちらも、秋田では著名な企業。秋田いすゞの経営者である辻家との関係(おつきあい)もあって、いすゞの車を購入し、中古として売ったのだろう。
だけど、寂れたとはいえ街のど真ん中に、企業名を記した車が、雪に埋もれて放置されている(ように見える)のは、手放した企業としては、どういう心境なんだろうとも思ってしまう。

【その後について追記】この翌週・12月16日の週には、平ボディエルフの1台がいなくなった。秋田銀行バスはそのままで、大町通り寄りに1台が残っているので、その間にスペースが生じた。
と思ったら、その週末には、空いていた場所に3台が入った。うち1台はナンバープレートのない秋田協同清掃の収集車。
その翌週=年末28日には、清掃車が抜けた。2025年1月の写真はこの記事中ほど。
2025年1月23日までは大きな変化なし。1月27日には、秋田銀行のバスがなくなり、再び、日本銀行側にクロネコヤマトのトラックが3台縦に並んだ。1月28日には、ヤマトトラックが4台追加され、計7台が3列に並んだ。1月28日~2月16日の間に、平ボディエルフがいなくなった。2月21日にはヤマトトラックが1台だけに(前日までは複数台いた?)。
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行き先表示の変化'24.12

2024-12-08 22:35:16 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通の路線バスの車両のLED行き先表示の内容(経由地の取捨選択、文字の配置など)は、ダイヤ改正の折などに変更されることがある。2024年10月にも実施され、「御野場団地」と「イオンモール秋田」を上下2行に分けて配置するという珍しいものに変わった。このタイミングで、この配置にあえて変更する必要があるのかなどと考えていた。→御野場団地線は12月に再度変更されていた
その記事へのコメントで教えていただいたが、同時に、泉ハイタウン線下りの、通町二区通過後の表示も変更された。
ドット欠けあり、左右が狭くぱっつんぱっつんの1254号車
変更前はどうだったか定かではない(泉ハイタウンのみ?)が、1行の「泉ハイタウン・」に続いて「泉駅前(改行)広場」と2行。

泉ハイタウン線は、かつては、「泉ハイタウン団地前」バス停を通り、秋田貨物駅入口が下りの終点であった。2023年10月改正で、泉外旭川駅の泉地区側駅前広場「泉駅前広場」起終点に短縮。泉ハイタウン団地前~秋田貨物駅は廃止された形。したがって、「泉ハイタウン」は通らなくなったので、本当なら路線名から変更する必要があるし、通りも行きもしない地名(バス停名)を大きく掲げているのは、いかがなものだろうか。
神田線のように、路線名の由来の地名を通らなくなったら、表示から外されたものもあるし、川尻・割山線のように、通っていても表示されなくなったものもある【10日補足・船場町経由は「船場町・免許センター(11月確認。下の写真参照)」、商業高校グラウンド前経由は「商業・割山・免許センター(12月に確認)」と、割山の有無が違うようだ】。相変わらず、整合性・一貫性・統一感がない。だったら、「泉ハイタウン」を表示する必要はないと思う。
しかも、仮に泉ハイタウンを通るとすれば、ルートとしては泉駅前広場のほうが手前なので、表示順が入れ替わっていることになるのも、気に食わない。

では、始発の秋田駅西口から通町二区までの表示は、
2023年11月撮影
上段小文字「通町・聖園短期大学」、大文字「泉ハイタウン」。
正しい行き先である「泉駅前広場」は表示されず、泉外旭川駅開業以前と同じ。まあ、駅~通町からバスで泉外旭川駅へ行こうとする人はまずいないだろうけれど、じゃあなんで通町を過ぎたら、表示するのか。

ところが今月からは、
上と同じ1501号車
「・泉駅前(改行)広場」が追加!
「泉ハイタウン」は、「ハイタウン」が半角になって、全体にやや小さくなった。


今月は、他の路線でも行き先表示が変わったものがある。
改築された市立秋田総合病院の外構工事も完成し、川尻割山線と新屋西線が、病院敷地内に乗り入れるようになった。加えて、病院玄関の配置が変わったため、割山線側のバス停名が「市立病院前」から「市立病院東口」に変更。それに合わせて行き先表示も変更。
変更前の船場町経由川尻割山線。「市立病院」が現在は「市立病院東口」になった
そのついでに泉ハイタウン線に「・泉駅前(改行)広場」を追加したということだろう。

だけど、泉ハイタウン線自体には、経路やバス停の変更はない。どうして10月に中途半端に変更し、残りをわずか2か月後に変更したのか。ほんとに気まぐれ。
そして、2024年12月に変更された表示は、さらにほかの路線でもあるのだろうか。

2段の「泉駅前(改行)広場」は、駅から通町二区までと、通町二区以降では経由地の小文字の有無が違うため、使用できるドット数が違うわけだから、両者のデザインも違う。
御野場団地同様、各文字はほぼ正方形
イオンモール秋田同様、扁平な文字だが、全部漢字でやや苦しい
こういう変形した文字は、単純な入力ではできず、手作業(おそらく表示器メーカーへ発注)が必要だと思うが、それぞれ作成したのだろうか。
御野場団地、イオンモール秋田でも述べたが、2行に表示する意味があるのか。文字が小さくて見づらいのではないか。もっと視認性が高い表示方法がありそうに思うのだが。
例えば、「ハイタウン」を2行あるいは半角よりもっと縦長にして、それで空いた部分に「泉駅前広場」をもっと大きく表示するとか。
苦労して作ったのは分かるし、趣味的にはおもしろいけれど…


泉ハイタウン線の行き先表示は、これまで何度も変わってきた。
末端部が環状運行していて、さらにその当時の終点「秋操駅入口/秋田貨物駅入口」が分かりづらいことはあったにせよ。
秋田市交通局(秋田市営バス)が「泉・保戸野線」として運行を開始したのが1992年。その後、「泉・秋操線」となった。下り終点は「秋操駅入口(あきそうえき~)」という名称。方向幕の行き先表示はずっと変わらず。
再掲)市営バス時代はまったく違う表示「通町 泉道田 操車場駅」
↑「操車場駅」というバス停は当時も存在しなかったし、この車では「通町」と「泉道田(いずみ どうでん。現・泉北三丁目)」が通過順と逆に表示されていて、これはこれでツッコミどころが多い。しかも文字は手書き?

2006年春に中央交通に移管され、LED表示になった時点では、住居表示実施で消えた泉道田を省いた「通町 操車場駅」だったはず。
翌2007年春に、路線名が泉ハイタウン線、下り終点が秋田貨物駅入口に改称された。
(再掲)「通町 泉ハイタウン」

2011年10月に系統番号付与+厳密な行き先(終点)表示が実施された当初は、
(再掲)「通町 秋田貨物駅入口」
他路線も含めて、厳密な行き先表示が不評だったのか、その後、一部が変更された(それでも今なお要改善だと思うのもありますが)。2012年4月に変更された。
(再掲)2013年「通町 泉ハイタウン」
泉道田が消えて以降、ここまで上段小文字の経由地は「通町」のみ。
上のほうの2023年11月の写真の通り、今回の変更直前の表示では、上段小文字の経由地は「通町・聖園短期大学」。「聖園短期大学」が加わったのはわりと最近のはず(2023年秋???)。
正式な学校名は「聖園学園短期大学」、バス停名は「聖園短期大学前」。
聖園(みその)短大は、ぱっと見、「聖霊(せいれい)短大」と見間違うことがある。新国道経由の高野二区が最寄りの。この表示だと、そちらのほうに行くのだと誤解・誤乗してしまう、地理不案内もしくはそそっかしい人がいないとは言えないかも。「(保戸野)千代田町」や「秋操近隣公園入口」なども表示したほうがいいように思う。

変更が容易なのがLED表示器の利点ではあるが、変更のやりかたによっては、乗客を戸惑わせることになりかねない。ドット欠けや輝度の調光機能の不具合も、条件や視力によっては困ることになる。乗客の立場での案内を心がけてください。
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行き先表示の変化'24.10

2024-11-18 21:05:29 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通の秋田市内の一般路線バスでは、毎年10月のダイヤ改正時に、車両の行き先表示の内容を改めることがある。経路変更などはないのに表示する経由地を入れ替えてみたり、経由地・行き先は同じで文字の配置だけ変えてみたり、そもそも変えることに意味があるのか疑問だったり、試行錯誤ならまだしも気まぐれに思えてしまうこともあった。大雑把だった昔に比べれば、特に初めて乗るような客にとっては、親切ではあるのだろうけれど。
2024年10月のダイヤ改正でも、いくつか変化があった。
※現在の行き先表示は、バスの進行に合わせて、途中で表示が順次変わっていきます。この記事で取り上げるのは、下り始発である秋田駅西口/秋田駅東口時点での、車両正面(と一部後部)の表示です。

牛島経由御野場団地線。
牛島旧道経由各路線の下りは、古くから「牛島」と表示されていた。ところが、2022年改正時の変更において、「牛島東五丁目」と途中バス停名を表示するようになった(牛島小学校経由日赤病院線は除く)。
ピンポイントで明示するとともに、同改正において、東五丁目は通らない城南中学校経由日赤病院線の下りがなくなって、牛島旧道経由下りは全便が東五丁目を通ることになったことも、変更の理由だろうか。

御野場団地行きでは、2022年9月までは、1行で「牛島・御野場団地」と表示。
(再掲)
2022年10月からは、
(再掲)
「牛島東五丁目・(改行)御野場団地」と上は左寄せ、下は右寄せで、同じサイズの文字2行という、珍しい配置となった。見慣れないものの、見やすくて悪くないと思っていた。

それが2024年10月からは、
縦方向に筋状のLED欠けが多い297号車
文字配置が変更。

「牛島東五丁目・」を文字幅をやや圧縮した縦長で、上下方向に対して中央に配置。
続く「御野場団地」は、それより小さい、ほぼ正方形の文字で「御野場(改行)団 地」。1つの終点バス停名を上下2行に分けるという、今まで以上に珍妙な表示。

ただし、昔にさかのぼれば、2行分割表示はあった。秋田市交通局(秋田市営バス)のフイルム印字の方向幕では、「卸売市場」「城南中学校」「牛島小学校」など、途中経由地を青い文字で、枠の左側に表示するものがあった。
再掲)卸売市場経由神田線のイメージ

後部の小型表示器でも、
(再掲)2022年10月

現在
前部と同様に変更。

これでは、行き先である御野場団地よりも、牛島東五丁目が目立ってしまうのでは。牛島東五丁目も重要ではあるが、御野場団地も重要な情報。大昔の方向幕のように「団地」なしの「御野場」にすれば文字が大きくできるはずだが、それだと「御所野」と誤読されてしまうのをおそれているのか。
この後、2024年12月に再度変更。末尾のリンク参照。】

考えてみれば、この秋から牛島旧道経由は、御野場団地線のほかは仁井田御所野線と二ツ屋福島線、計3路線だけになった。仁井田御所野線は、今改正で車庫発着から駅西口発着に短縮されたので、その部分は変更されたはずだが、大きくは変わっていないかな(未確認【20日追記】上段に小文字で「牛島東五丁目・ニュータウン御野場」、下に小さめの大文字で「イオンモール秋田」)。
二ツ屋線は変更なし。
(再掲)2022年変更直後
「牛島東五丁目・福島下丁」を1行で、縦長文字で表示。なお、後部は2行表示。
今回の御野場団地線の変更は、見た目をこちらに近付けたのだろうか。だとしても、そうする必要があったのか。「丁目」を小さい文字にして上下に配置するとか、改善の余地があるのでは。

ところで、御野場団地線には、平日2本だけになってしまったが、卸センター入口・国道13号経由、いわゆる柳原経由もある。その下りの表示は、
上段小文字「イオン秋田中央店」、小さめの大文字「南高校・御野場団地」
こちらは以前と変わっていないようだ。牛島旧道経由と統一感がない。「南高校・御野場団地」は、縦長にするなどして、もっと大きくできそうですが。



秋田駅東口発の下り広面御所野線。
2013年春時点では、
(再掲)小さくて見えないですが
上段小文字「日赤病院・イオンモール」、小さめの大文字「中央シルバーエリア」。

2022年9月では、
小文字「日赤病院・イオン御所野・イオンモール」、小さめの大文字「中央シルバーエリア」。
2022年10月以降、どうだったのか覚えていない。「イオンモール秋田」を下に移動して大きくして、同時期の御野場団地線のように、2行の上左寄せ・下右寄せだったっけ???

現在は、
上段小文字「日赤病院・イオン御所野店」、大文字「イオンモール秋田・中央シルバーエリア」
「イオンモール秋田」が御野場団地と同様に2行になった。「ン」がちょっと「ソ」っぽく、「イオンモール」より「秋田」のほうが大きい。
秋田市から他のイオンモールへ行くバスは、まずあり得ないのだから、正式名称にこだわらず「イオンモール」だけでいいと思うのだが。何度も文句を付けてしまいますが、「秋田厚生医療センター」も同様に、面積を消費して、ほかの経由地を追い出してしまった。一方で、「日赤病院」「大学病院」「市立病院」「南高校」「商業」「新屋県住【12月5日訂正】栗田県住」などは、通称や略称で表示していては、整合性・一貫性・統一感がない。
それに「イオン御所野店」は、2016年から「イオンスタイル御所野(店が付かない)」になっている。これはバス停名から改称しないといけない。

【23日追記・泉ハイタウン線の途中表示について】コメントいただいたように、泉ハイタウン線下りの途中・通町二区通過後の表示が「泉ハイタウン・泉駅前広場」。※2023年改正で、泉ハイタウンより手前の泉駅前広場止まりに短縮されたので、現状では「泉ハイタウン」表示も、路線名も適切とは言えない。
その「泉駅前広場」も、御野場団地やイオンモール秋田と同じように「泉駅前(改行)広場」と2行で表示。
【さらに追記】この後、2024年12月には、泉ハイタウン線下りの秋田駅始発時点での表示が変更。「泉駅前広場」が2段表示で追加された。この記事末尾のリンク参照。(以上追記)


最後に、10月以降、見かけなくなった表示(コマ)がある。
(再掲)「回送中」
こまごまとした変更があった2020年10月に出現したコマで、秋田駅周辺で回送・待機するバスでよく見かけた。
一方、営業所~起終点などを回送する時には、「中」がない従来通りの「回送(Out of Serviceを追加【12月3日補足・後(2022年?)にすべて大文字に変更】)」で回送することが多かったと思う。10月以降は、どちらも「回送」になった気がする。

「回送」と「回送中」の違いは、表示を出す方法の違いだったようだ。
行き先表示の各コマは、車内放送と連動して設定することもできるようだが、コマごとに定められた数桁の番号を設定器に入力して表示を出す。「牛島東五丁目・御野場団地」は何番、「回送」は何番というふうに。
それを設定するテンキーの周りに、「回送」専用ボタンがある。数字入力なしにダイレクトに回送表示を出せるもので、2020年の変更時に、これを押した時は「回送中」を表示するようにしたらしい。

秋田駅周辺で「回送中」をよく見かけたのは、営業運行の合間の待機時間の前後に、次に入る路線の行き先表示を出したまま乗り場を周回すると、待っている客を戸惑わせてしまうのを防ぐため、一時的に次の行き先表示を消す意図で【19日追記・かつワンタッチで容易に回送を示す/消すことが可能なので】使うことがあるように見受けられた。
ただ、ネットで全国のバス事業者の例などを調べると、それは正しい使い分けとは限らない感じがした。
緑ナンバーのバスの回送には、2種類ある。1つはここで取り上げている、営業運行の合間の非営業の移動。もう1つは、緑ナンバーかどうかに関わらない、車両整備のための移動【12月3日補足・車庫と整備工場の行き来など】。
後者は、2種免許でなくても運転できるので、制服を着た運転士でない、バス事業者の整備部門やカーディーラーの人が運転することがあるし、表示設定器のテンキーを扱う権限もないかもしれない。そんな時にダイレクトボタンを使うことがあるのではないだろうか。
また、そのような回送であることを明示するために、大阪シティバス、高槻市交通部、京都京阪バスでは「整備回送」というコマがある。もしかしたらダイレクトボタンに、整備回送を割り当てているのかもしれない。

2020年の中央交通でも、この辺りを意識して、回送と回送中を分けた可能性がありそう。だけど、「中」の有無でその違いを分かれというのは、少なくとも素人には無理。そして、実際はそれが違う意図で使われることが多かったのかも。
4年経って、無意味だと気付いて、再び「回送」に統一したのだろうか。完全な憶測ですが。


※この後、2024年12月にも、一部表示の細部の変更があった。さらに、上記、御野場団地線がまた変った
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秋田いすゞのクロネコ

2024-11-07 23:05:01 | 秋田のいろいろ
秋田市大町二丁目の秋田ニューシティ跡地の半分に、2024年始に「秋田いすゞ自動車 中古車センター」ができた。
中古らしきトラックが置かれるようになり、7月には「美人を育てる秋田米」のJAのトラックがあった。

11月3日。
「THE ALFEE 50th Anniversary 秋の祭典」
これも中古車? と思いかけたが、よく見れば、秋田いすゞの敷地の北隣・大町イベント広場側に置かれている。
あきた芸術劇場ミルハスで4日に開催されたライブツアーのトラックが、中古車のすぐ隣に駐車していたのだった。ここはミルハスの催しの関係車両駐車場として使われることがある。
首都圏周辺のナンバープレートのトラック5台で、三菱ふそう4台、日野1台で、いすゞはなし。
右から5台がTHE ALFEEツアー
上の写真左前(いすゞ敷地内)に、小さめのいすゞのトラックがいる。「小麦粉は日清製粉」と書かれた、太平商事株式会社のもの。緑のナンバープレートが付いていて、そんなに古くは見えないが、2006年~2023年の前モデルのエルフ。

さかのぼって9月下旬。
ナンバープレートなし。右はいすゞギガ
左の大きいのはボルボ製。株式会社秋田エスエス商運のもので、同社ホームページによれば、2023年7月時点でボルボ車を2台保有している。
秋田いすゞ中古車センターでは、いすゞ以外も取り扱うようだ。

平ボディと呼ばれるタイプの2台。白ナンバー付き
荷台に「ELF」ロゴがあり、ちょっとした模様もある。いすゞのホームページにも同じ柄のバンの写真が少しあり、標準塗装というかサンプル塗装みたいなものか。
そしてこの2台は、2023年モデルチェンジの現行車種のようだ。新車もここに置くことがあるのか?

手前左2台は中古?
奥右側に並ぶのは、クロネコヤマトのパネルバン。新車っぽく、ナンバープレートがないが、フロントガラス右下にアルファベットと4桁の数字からなる社番が記されている。9月中旬時点で、3台×2列。
周りの他のトラックたちがいなくなる中、放置されたような状態だったが、その後、
その前にさらに3台追加
10月に入ると、ナンバープレートが付いた。10月20日頃にはいなくなり、納車されたようだ。

と思った矢先、10月末。
また来た!
生活に欠かせない存在となった宅急便。秋田県内に何百台と集配トラックがあるのだろうけれど、秋田いすゞのいいお得意様だ。

ところで、イメージするクロネコヤマトの宅急便のトラックといえば、緑とクリーム色。
今回の新車は真っ白で、「宅急便」表記もない。クロネコのデザインも若干変更されていて、これがこれから(2021年4月から変更)の集配車のようだ。
今は新旧が混在していて、ニューシティ跡地周辺は旧デザイン、旭川対岸は新デザイン(ナンバープレートからして10月以前に納車済み)の車で集配している。また、エリアごとの偏りもありそうだが、秋田市街地で見る旧デザイン車は、いすゞより日野製やトヨタ製をよく見るような気がする。


次はどんなトラックが(バスは?)置かれるか。続きはこちら
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ハピドラ閉店と開店

2024-10-26 22:18:23 | 秋田のいろいろ
青森市に本社がある丸大サクラヰ薬局が運営する、ウエルシアグループのドラッグストア「ハッピー・ドラッグ(略称・ハピドラ)」。
秋田県内のウエルシア系店舗は、すべてハピドラ。秋田市には、2018年7月12日に秋田泉北店、2018年12月6日に秋田新屋店、2022年4月28日に秋田保戸野店が開店済み。
新国道「八橋大畑」交差点から東に入った、泉コミセン・泉中学校南側の狭い市道に面する、秋田泉北店
秋田市1号店である泉北店が、2024年10月29日19時で閉店する。
閉店と完全売り尽くしセールの告知
23日から、食品以外20%OFF(薬も対象、カウンセリング化粧品は対象外)、食品30%OFF(酒は対象外)の完全売り尽くしセールを実施中。

25日時点で、食品はほぼなくなって、歯みがきとかティッシュとか日用品は限られた品が残っているような状態。パンや乳製品など日配品の入荷は終了していた。
閉店後の連絡先は保戸野店。従業員は、以前から泉北店と保戸野店を掛け持ちしている人もいたようだ。


6年ちょっとで閉店してしまう理由は、知る由もない。
そんなに客がいないという感じはなかったが、保戸野店のほうが、近所の高齢者の来店が多くてにぎわっているように見えなくもない(店舗周辺住民の年齢構成の違いかもしれないけれど、保戸野店は向かいにツルハドラッグがありながら健闘しているのでは)。
気になったのは、市内の後発2店と比べると、泉北店は店内が手狭だったこと。また、調剤薬局のスペースも用意されていたが、使われることがなかった(保戸野店では調剤も営業中【11月20日訂正・保戸野店の調剤は2024年10月25日で終了】)。
新国道に近いとはいえ、広い道路から存在がほぼ分からなかったのも良くなかったか。近くの新国道沿いに、2018年2月28日に「サンドラッグ八橋大畑店」、2020年9月18日に同じく青森の紅屋商事運営の「(スーパードラッグ)メガ 新国道店」ができたので、それらに負けてしまったこともありそう。

そして、泉北店の閉店は、ある意味では「移転」なのだった。
「ご挨拶」
11月下旬オープン 秋田土崎東店
直線で1.3キロの保戸野店はともかく、土崎東店は3キロも離れているけれど。

ハッピー・ドラッグ秋田土崎東店は、土崎港東三丁目。
JR東日本秋田総合車両センター(旧・土崎工場)の向かい、JR社宅(JRアパート)付近。おそらくJR東日本の用地で、駐車場、公園風のスペース、「将軍野寮」とかいう建物があった場所にできるようだ。【28日コメントいただき追記・改めてストリートビューを見ると、「2」と記された大きな5階建てのJRアパートが、少なくとも1棟解体されている。】
その土地の隣には、眼科医院・薬局をはさんで、2012年まで秋田生鮮市場土崎店だった「生鮮いちばん! 土崎店」がある。

ということは、秋田生鮮市場保戸野店の隣のJR用地にハッピー・ドラッグ秋田保戸野店ができたのと、同じパターンのようだ。
青森などで同様の事例があるのかは知らない(青森市以東では支社が違うし)けれど、JR東日本秋田支社としては土地を有効活用したくて、保戸野店が上手くいったので、土崎でもハピドラに入ってもらったのかな。

秋田市の北と中央と南(市の区割りでは西部)に、1つずつハピドラが存在することになる。泉北店の建物や土地はどうなるか。
【11月18日追記】秋田土崎東店は11月20日・水曜日オープンとのテレビCMが放映された。
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秋田のキプロス 解体と由来

2024-10-17 19:59:15 | 秋田のいろいろ
秋田市に「キプロス」を名乗る建物が2つ存在することを、2019年に取り上げた。
川反(大町通り・赤れんが館通り)、大町四丁目の飲食店テナントビル「キプロスビル」と、広面字樋口のアパート「キプロス樋口」。
秋田とキプロスのつながりは思い付かないし、由来を想像できない。所有者が同じなのかもと考えたりしていた。

キプロスビルのほうは、2019年時点で3階建てのうち2階が空いていた。その後、新型コロナウイルス感染症の影響もあったのだろうか、1階と3階の店もやめてしまって、空きビルになった。
Googleマップストリートビューで見ると2020年10月から2022年10月の間に、外壁の黒い装飾が取り払われ、かつてと同じ白い外観になって、2024年5月時点では「テナント募集」となっていた。

しかし、今は、
囲われた
「建築物等の解体等の作業に関するお知らせ」が掲出されているので、解体されるのだろう。工事期間は9月1日~12月31日。

キプロスビルがなくなってしまう。謎を残して。

と思いきや、謎が解けたかも?!

黄色い背景の発注者名に注目。ビルの所有者名ということだと思う。
「株式会社木村プロパン」
聞いたことがあるようなないような、秋田市河辺にある企業。

木村プロパン、キムラプロパン、略して「キプロ」。それにどこからか「ス」を持ってきて、「キプロス」なのでは???

以前の記事に、秋田市寺内にある「タプロス株式会社」が、キプロスと響きが似ているのを思い出して追記した。同社はプロパンガスを含む燃料・住宅設備等を扱う企業で、1992年から現社名。旧社名の「太平プロパン」などから作ったと、公式ホームページで説明がある。「ス」はServiceとSafetyとのこと。
タプロスとキプロスにつながりがあるのかは知らないが、同業だし、我ながらいい線いってた。


解体後の跡地はどうなるのか。NEWキプロスビルとか、キプロスパーキング(「キプロスビル月極駐車場」は隣接地にある)なんかができたりして。続きはこちら
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