広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

男鹿三山

2014-07-30 23:51:58 | 秋田の地理
7月25日付秋田魁新報 県央地域面のコラム「地方点描」で、男鹿支局長が「男鹿三山とは?」というのを書いていた。
男鹿三山とは、男鹿半島にある山をまとめた呼び名。具体的にはどの山を指すかという話。

男鹿半島にある山は、真山(しんざん)、本山(ほんざん)、寒風山(かんぷうざん)、毛無山(けなしやま)の4つが有名(他には名前のある山はあるのかな?)。
個人的な感覚では、真山、本山、寒風山はメジャーで、毛無山はマイナーなイメージがあった。我が家には男鹿出身の者がいたのだが、毛無山のことはその存在すら聞かされたことがなかった。

その4つの中で「三大名山」的な総称が「男鹿三山」だと思い込んでいたので、男鹿三山とは真山、本山、寒風山を指すのだと思い込んでいた。
ところが、地方点描で間違いだった(他の解釈もある)ことを知った。

現在主流の解釈では、真山、本山、毛無山が男鹿三山なのだそうだ。
この3つの山は、男鹿半島西側の海沿いに位置する連続した山で、山岳信仰に関わりが深い。3つの山を縦走することは「お山かけ」と呼ばれ、中世の修験道がルーツ。
したがって、真山神社の宮司もこの説を支持する。

しかし、毛無山の代わりに半島東側の付け根寄りの寒風山を入れて三山とする解釈も古くから存在したそうだ。1995年刊行の「男鹿市史 下巻」でも、寒風山を三山に入れているという。
江戸後期の紀行家で秋田県内をくまなく歩いて記録した菅江真澄は、毛無山を「毛無臺(=台)」と表記しており、「独立した一つの山とみなされていなかったのかもしれない」。秋田市から男鹿半島を眺めた時は「毛無山の頂上はなだらかで山のように見えない。」だから、三山ではないということになる。
(再掲)秋田市下浜から。左が毛無山・本山・真山、離れて右側が寒風山

「地理院地図」より。右が寒風山。左の赤丸で囲ったのが上から真山、本山。その下の丸だけのが毛無山
頂上の標高は真山567メートル、本山715メートル、毛無山677メートル。寒風山は355メートル。
ちなみに、Googleマップやマピオンなどの地図サイトでは、本山と毛無山の名称は表示されるが、真山は表示されない。(地名の「北浦真山」は表示される)


これを知って思い出したこと。
「日本三大○○」の中には、2つについては異論はないが、3つ目は諸説あるというのがたまにある。
「三大大仏」は奈良と鎌倉と?とか、「三大稲荷」は伏見と豊川と?とか。それぞれ身近なものを著名なものに入れたいという気持ちの現れだろうか。

地方点描では「論争に決着をつけるのは難しそうだ。」「新聞上で「男鹿三山」はなるべく使わないことにしよう。」としている。あやふやな点は触れずにおこうってこと?
それにしても、知っているつもりの秋田にも、まだまだ知らないことや誤解していることがあるものです。
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工藤フレッシュランチ リニューアル

2014-07-29 23:56:08 | ランチパック
ヤマザキランチパックの青森、秋田それぞれのローカル版である「フレッシュランチ」。
秋田のたけやフレッシュランチは、全廃・ランチパックに移行されたと思っていたら今月から1種類だけ復活して、細々と続いていた。

一方、青森の工藤パンフレッシュランチ。
イトーヨーカドー弘前店などほとんどの店で、ツナやタマゴといった定番商品は、ランチパックではなくフレッシュランチが並んでいた。こちらはしぶとく残っていた。
だけど、何か違う?!
包装だけ&いろいろシールが付いてますが、工藤パンフレッシュランチ ツナサラダ
※ヤマザキランチパックは「ツナマヨネーズ オニオン入り」、ランチパックの北海道版は「ツナサラダ」という名称。
※イトーヨーカドーの赤いシールが懐かしい。そういえば、イトーヨーカドーは昔ながらの値札を貼付することが多いのはどうしてなんだろう? 手間だろうに。以前は税込み価格だけの値札だったが、税抜きと税込みを2行で示す大きい値札に代わっていた。
ちなみに、イトーヨーカドー秋田店跡のザ・ガーデン自由が丘西武秋田店でも、ヨーカドーの名残りなのか値札をよく貼っているが、4月以降も税込みだけのはず。

パッケージがリニューアルされた!
以前は、
(再掲)こういうの
従来よりやや地味な色合いで、どことなくヤマザキランチパックを意識したデザイン。
ツナサラダのイラストはともかく、トマトまであるのは“過剰”な気もしなくない。

他のフレッシュランチ定番商品も同じ系統のパッケージに変わっていた。
工藤パンホームページ(http://www.kudopan.co.jp/products/sweet_lunch01.html)もいつの間にか差し替えられていて、タマゴ、ピーナツクリーム、イギリストースト風、ツナサラダの新パッケージが確認できる。
※「イギリストースト風」ってあまり売っている店がないが、弘前周辺のマックスバリュ東北で売っていることがある。

ツナサラダの味は?
以前の味もうろ覚えだけど、ちょっと変わったような気がした。ヤマザキランチパック ツナマヨネーズによく似たものになったような。
以前の記事では、工藤パンのは「ヤマザキランチパックによく似ていると思ったが、タマネギの存在感、シャキシャキ感が目立った」としていた。今回はシャキシャキはしなかったはず。

原材料や栄養成分表示を見ると、以前と違っていた。(ちなみにバーコードは変わらず)
1個当たりの栄養成分は、
新 熱量:194kcal、たんぱく質:6.0g、脂質:7.9g、炭水化物:23.4g、ナトリウム:392mg
旧 熱量:184kcal、たんぱく質:5.6g、脂質:8.4g、炭水化物:20.8g、ナトリウム:345mg

参考までに、
ヤマザキランチパック 熱量:149kcal、たんぱく質:4.5g、脂質:8.2g、炭水化物:14.2g、ナトリウム:290mg
ランチパック北海道版 熱量:102kcal、たんぱく質:3.5g、脂質:3.3g、炭水化物:14.5g、ナトリウム:250mg

だいぶ差があるもんだ。


イギリストーストは新たなコンセプトの商品が出ていた。
トーストしてあるイギリストースト? 調理パン系? 竿燈の写真?
続きます


【10月29日追記】2014年10月に気付いたのだが、クリームパンもリニューアルされていた
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お城からコンビニまで

2014-07-28 19:49:08 | 津軽のいろいろ
お城からコンビニまで、弘前の建物や工事の話題。
●弘前城
以前触れた通り、弘前公園の弘前城天守(天守閣)は、もうすぐ曳家で動かされ、元の状態に戻るのは10年後。
下乗橋から定番アングル
有料の本丸側には入らなかったが、無料エリアから見る限りでは、まだ工事の気配はなかった。
工事で埋め立てられるお堀も、まだそのまま。(ただしスイレン【31日追記・ホテイアオイかな?】がびっしり茂って水面はほとんど見えない)

天守が動かされるのは、それ自体の工事によるものではない。その下の石垣の工事が行われるため。
なんでも石垣に「孕み(はらみ)」という現象が起きているそうで、このままでは地震などで崩壊する恐れが出ているとか。
たぶんここ? ↓と↓の間
写真では分かりにくいかもしれないが、下乗橋から見て天守よりも向こうの一帯が膨らんでいるのが、素人目にも分かった。
石が白っぽい辺り

膨らんだ箇所を堀の対岸から。肉眼ではなんとなくおかしいのが分かった
内側から力がかかって起きるようで、最近は各地の城跡で課題になっているようだ。
秋以降、訪れる度に違う状況になっていることだろう。※2014年秋の石垣や本丸内の様子はこの記事中ほど

弘前公園内では、桜など樹木の剪定や薬剤散布などのメンテナンスが行われていた。
にっぽん縦断こころ旅」で西濠の桜のトンネルがちらりと映った時、「立入禁止」になっていたのも、こうした作業が行われていたのかもしれない。

建物から話が逸れて、弘前公園の他の話題。
○津軽版ババヘラ
秋田のババヘラアイスに相当するものが、弘前にある。僕は弘前公園内でしか見たことがない。
リヤカーをベースにした青い移動式の屋台(営業中は移動せず常に止まっている)で販売し、「弘前アイス組合」という赤い看板が出ている。
「チリンチリンアイス」という名称のはずだが、屋台に表示はないようだし、特にチリンチリンと音がするわけでもない。【29日追記】屋台に鐘(鈴?)が付いていて、移動中はチリンチリンと音がするらしい??
2012年4月のGoogleストリートビューより
アイスの色は黄色一色、アイスの量はババヘラより少ない。
「ヘラ」ではなく、コーンアイスで一般的な「アイスクリームディッシャー」を使って盛り付けるので、ドーム型。※バラ盛りでないババヘラのように、山型に盛る人もいるらしい。

味や食感はババヘラによく似ているが、こちらのほうが全体的にやや「軽い」だろうか。(ババヘラも業者によってそれぞれ微妙に異なるけど)

以前は1つ100円だったのだが、今春から150円に上った。弘前公園以外では以前から150円で売ることもあったという。(4月24日付陸奥新報「冬夏言」)
秋田のババヘラは200円が標準か。
ペットボトル飲料並みの価格だし、園内には自販機や店はほとんどない。散策中にちょっと一息つくには、手頃な価格・量かもしれない。

公園内では、東門付近の外堀沿い(弘前市文化会館やNHK弘前支局の向かい。担当者によって微妙に位置がズレる?)、市役所向かいの追手門を入ってすぐ(市民広場南東)、その先の植物園入口角(市民広場北東)の3か所には、シーズン中はほぼ必ず出ている。はず。【29日追記】追手門でも、門の外・外堀沿いにいることもある。

※弘前のチリンチリンアイスには、違うバージョンも存在した。この記事末尾参照。

【29日追記】青森県内一円で、同様の販売形態のアイスが存在する。ただし、地域によって業者が異なり、味も大きく違うようだ。下北半島の恐山周辺では、ヨモギ味のがあるとか。
秋田のババヘラは、男鹿周辺を本拠地とする複数の業者があり、そこから県内各地に出向き、味や見た目はほぼ同じ(差はある)なのと対照的。

【8月21日追記】
NHKの東北6県向けのカメラマンリポートで、八戸市でチリンチリンアイスを行商する71歳の男性が取り上げられた。
それによれば、
・青森県のチリンチリンアイスは昭和30年代が全盛期で350人以上の売り子がいたが、今は県内で75人。八戸では1人だけ。
・屋台は水色系で弘前のとだいたい同じ(微妙に異なる)。
・コーンは緑色やピンク色の色付きのものも。
・アイスは白を中心に、茶色、オレンジ、ピンク、水色が囲むように盛り付けられる。
・海水浴場や岩手県九戸村の祭りでも(車で出かけて屋台を下ろして)売っていた。

○キノコ
市民広場の片隅に生えていたキノコ
「ドクベニタケ」かな?


建物に戻って。
●文京小新校舎
弘前大学(本部のある文京町キャンパス)近くの弘前市立文京小学校の校舎が建て替えられていた。※昨年秋(リンク先末尾)、その前の関連記事
敷地東側(富田大通り側)のグラウンドに新校舎を建て、西側の旧校舎が解体されてグラウンドになるはず。

公式ホームページを含めてネット上には情報がほとんどなかったが、予定通りならば今春から使われているはずで、旧校舎は解体中だろうかと訪れてみると…
解体工事は建設部でなく管財課の担当なのか
解体工事の看板によれば、旧校舎が2月から7月末、体育館が6月から8月20日までの工期となっているが、すでにどちらもなくなって更地になっていた。
すぐにグラウンドとして使えそうな状態。
2014年8月に更新されたグーグルストリートビューで、解体途中の旧校舎の姿が見られる。

そして旧グラウンド跡には、
立派な3階建ての新校舎(敷地北西角から)
西側が正面なので、玄関はグラウンドを向き、富田大通りに背を向けて建つ形。旧校舎時代はあった、大通り側(南東角)の出入り口は廃止されたようだ。
北側の枡形交番側から、プール(従来のまま)-体育館-校舎本体という配置で、北側からしか出入りできないので、玄関の位置というか配置がちょっと変わっている。

玄関の上には校章と「弘前市立文京小学校」の表示、その上の階段室~塔屋と思われる高い位置には塔時計(針と文字盤は白)と、現在の学校としては標準的なアイテム。
体育館の屋根は、落雪の危険がなく、秋田市でも主流の陸屋根。
2階建て校舎が複数並んでいた旧校舎と比べれば、コンパクトにまとまっていて効率が良さそうだし、格段の環境改善だ。

デザインに関して、素人ながら少々。
体育館と校舎本体は、色合いは統一されているものの、質感は異なる。せっかくなら、もう少し配慮して揃えれば、見た目がよりきれいだったのに。(秋田市の保戸野小や勝平小は上手に揃えている。一方、港北小は揃える気が毛頭ない色使いだけど…)
校舎本体は、重厚感があって学校らしいものに感じたが、今どきの小学校にしては重すぎる気もする。コンクリートの色は、冬の鉛色の空に溶け込んでしまいそう。(新しい秋田県立美術館にも、そんな印象を持ってしまって好きになれない)
コンクリート打ちっ放し自体、ちょっと古いような気もする。20年位前に流行ったのかな。(かと言って、秋田市立学校のような明るい色にすると、10年ちょっと経過した程度で外壁の汚れが目立ってしまう欠点もある)
あと、窓が多くて大きいと感じた。夏は暑くないだろうか。
【30日追記】敷地や費用の制約もあるのだろうが、デザイン的な「遊び」が少ないようにも感じた。質実剛健でいいかもしれないけど、小学校にしては堅苦しいかな。


ところで、弘前公園周辺を歩いていると…
あれ!
どこかで見たような建物?!
県立弘前中央高等学校の新校舎(の裏面)。体育館の跡に今年1月にできたもので、最上階の4階が体育館になっている。
コンクリートむき出しで、窓の下に茶色のアクセント。コンクリートの梁(?)が格子状に並ぶところが、文京小の新校舎にそっくりだ。
文京小校舎の設計は民間会社が行っていたが、弘前中央高校も同じ所が設計したのだろうか?


●マック跡のローソン
昨年晩秋(リンク先中ほど)、弘前駅近くのイトーヨーカドー向かいにあったマクドナルド弘前駅前町店が閉店して解体されていた。(マクドナルドは弘前大町店として移転)
その後、今年3月6日に「ローソン弘前駅前三丁目店」がオープンしたと聞いていた。
(再掲)ストリートビューよりマクドナルド当時

(再掲)マクドナルド解体中

現在のローソン。街路樹のケヤキが1本撤去された
道がカーブしていることもあり、道路と店舗の位置関係が平行ではない。マクドナルド当時とほぼ同じ角度のようだが、正面となる辺は入れ替わった。

この敷地は、代官町や紀伊國屋書店付近の土手町方面へ通り抜ける歩行者用“近道”として機能しており、ローソンになっても健在。
看板は低いタイプ。抜け道の位置(店舗左側から一直線)も以前と同じかな


●川沿いの道?
2012年秋(リンク先中ほど)、中三の(蓬莱橋を挟んで)はす向かいの中土手町で、1つのお店がなくなって(近くへ移転したらしい)、更地になっていた。
(再掲)

現在そこは、
工事中
「歩道を整備しています」とかいう工事看板が出ていた。
ということは、公共工事のために店が移転させられたのだろうか。
工事は、川沿いに遊歩道を作るような雰囲気。土手町の通り(蓬莱橋のたもと)と中央弘前駅を直接結ぶルートになるかもしれない。
※この後、10月の状況はこの記事中ほど
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弘南鉄道リバイバルカラー

2014-07-26 20:14:16 | 津軽のいろいろ
弘前へ行ってきました。今回は弘南鉄道について。
※弘南鉄道は、弘前と黒石を結ぶ「弘南線」(※黒石線はかつてあった別路線)、中央弘前と大鰐を結ぶ「大鰐線」(※中央弘前駅は弘前駅とは別の場所。大鰐駅はJR大鰐温泉駅と同じ)
※「弘南バス」は、元は弘南鉄道のバス部門として発足したものだが、現在は資本関係はなく、両社のつながりは薄くなっている。

●リバイバル第2弾
昨年8月から、大鰐線を走る元東急7000系電車に、先頭部の“顔”だけを肌色と赤(ベージュとえんじ)でラッピングしたものが1編成登場して走っている。
7000系導入以前の昭和末期まで同路線を走っていた、古い電車の塗装を正面だけ復刻した「リバイバルカラー」。「旧弘南カラー」と呼ぶらしい。
その編成は今回は津軽大沢の車庫の中に入っていたので、定期点検中だったのかもしれない。

今年5月から、その第2弾が登場しているのは公式ブログで知っていた。
大鰐駅にて
大鰐側7037-7038中央弘前側の編成。
第2弾は濃淡の緑。1995年に南海電鉄から購入した「1521系」の塗装の復刻。南海時代の塗装に白い帯を加えたもの。一部では「南海カラー」と呼んでいるようだが、白い線が入っているから厳密には南海カラーではない。
1521系が来たのは僕が弘前に住んで早々の頃で、JR線を介して搬入されたのを目撃していたので印象にはあるが、それ以後、乗ったことも動いているのを見たこともなかった。
大鰐線、弘南線それぞれで朝のラッシュ時に使っていたそうだが、大柄な車体を持て余したり、中古にしても古すぎたりしたのが災いし、2000年頃には定期列車では使われなくなり、最終的に2008年までに全車が廃車されてしまい、短命に終わった車両だった。

ところで、リバイバル第1弾では、なぜか正面の上部の弧を描いた部分はステンレスのままだった(元の四角い車体に合わせたのか?)が、第2弾はそこも色が入っている。
(再掲)第1弾

第2弾
僕は往時の実物と比べて、色が派手でドギツイ印象を持った。
JRのキハ58系のリバイバル塗装などでもそう感じたのだが、単なる気のせいか、昔とは塗料が違うのか、昔より手入れがしっかりしていて汚れていなくて鮮やかに見えるのか…
【2018年5月22日追記】1521系復刻カラーは2018年5月20日で終了。車両はラッピングがはがされて、ステンレスに赤帯に戻った。


大鰐から乗った大鰐線の電車は、まばらな客を乗せて中央弘前へ向かう。
弘南鉄道の車両には冷房がなく、扇風機が回る。窓は閉まっている箇所もちらほら。全部開けたら気持ち良さそうだけど、髪が乱れるのが嫌われるのか。
7000系の窓は、下が上昇・上が下降する方式(ちょっと前のバスのような)。全開せず途中で止まるようになっていて、開口は最大15センチほど。それでも、リンゴ畑や田んぼを渡る風が半袖の袖口から服の中に吹き込んできて、心地良い。空いた状態かつ走行中なら冷房はいらない。(以前、35度前後まで上がった日は、さすがに蒸し風呂だったけど…)

岩木山が見えたものの、てっぺんには雲。
JR奥羽本線の上を大鰐線が渡る箇所(先方に少々JR石川駅が見えている。大鰐線の石川駅は別の位置)
石川-義塾高校前辺りでは、右側以外は頂上が姿を現してくれた。


●リバイバル第1.5弾?
今回は、久しぶりに弘南線のほうにも乗った。
前も感じたけれど、大鰐線と比べると明らかに乗客数が多い。行きは大鰐駅よりちょっと多いくらいで、帰りは立ち客が出るほど。
大鰐線は弘前市内 対 沿線各駅だけの乗客流動なのに対し、弘南線は弘前市内 対 黒石のほかに途中の平賀や津軽尾上での入れ替わりも多いようだ。

だから帰りはきゅうくつで楽しめなかったが、行きは窓からの風が気持ち良かった。
大鰐線も弘南線も沿線はリンゴ畑と田んぼが多いが、弘南線は田んぼの割合が高い。辺り一面が田んぼという秋田のような区間もあった。違うのは、岩木山が見えること。
【8月3日追記】弘前市内はアップダウンが比較的多いので、平坦な弘南線沿線のほうが「津軽平野」の真ん中にいることを実感した。
柏農高校前(はくのうこうこう)駅付近。田んぼの先左側が弘前市街地
線路は何度か大きくカーブするので、岩木山が見える方向は何度か大きく変わる。

弘南鉄道では、昼間の列車では車内の蛍光灯は原則消灯。しかし、弘南線の平賀駅はホームの上が建物で覆われている(ビルの1階を線路が貫く)ので暗く、その前後だけ点灯させている。
平賀駅は、弘南鉄道の本社と弘南線の車庫などもある、弘南鉄道の中枢。その車庫を眺めると、
左にいるのは! ※ガラスの映り込みがあります
知らなかったが、こちらにも 旧弘南カラーがいた。大鰐線のとは違って、上部にも色が入っている。
いつ登場したのか分からないが、第1.5弾といったところか。
でも、なんて言うか…
こちらの車は、同じ7000系ながら大鰐線にはいないタイプで、元は中間の車両だったものに運転台を後付けした「先頭車化改造」の「7101」の編成。(物陰で見づらかったが、7154と思われる反対側も同じくリバイバルカラーになっていた)

この時の7101は、前面に「納涼び~る」と出ていて、カーテンや装飾が施されていた。今年で30年目という恒例の「納涼ビール列車」用として使われているようだ。(2時間3500円で飲み放題、折り詰め付き)
弘前側7154-7101黒石側の編成はビール列車や冬の「けの汁列車」など宴会列車専用のようなので、通常運転には入らないのだろう。
(再掲)通常の姿
左右非対称のデザインでストンとまっ平らな前面形状が特徴的。
鉄道愛好家は、こういう若干無理があって不格好な見かけになってしまった車両を「ゲテモノ(列車/電車)」と親しみを込めて呼ぶことがある。
元の塗装の電車とは似ても似つかない顔の車両を使ってリバイバルしてしまうとは大胆。よりいっそう“ゲテモノ度”が増したのではないだろうか。
愛好家には受けるとは思うけれど、イベント専用車だし、宴会列車なので夜の走行だから、人目に触れる機会は少ないのが残念。


後日、弘南線の新駅「田んぼアート駅」(田んぼアートそのものは期待しないでください。展望台に上らなかったので…)、「リゾートしらかみ」、新たな放送広告が続々登場していた弘南バス、目新しい新商品が勢揃いのイギリストーストなどをアップします。
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地下道 約半分解体

2014-07-22 23:13:26 | 秋田の季節・風景
6月2日に着工した、秋田市の「千秋地下道」撤去工事。
「地下道を解体してます」「して“い”ます」じゃないのがなれなれしい(関連記事

車線規制は、千秋トンネルから県道に右左折する車線が1つに集約され、手形陸橋側から脳研方向へ直進する車線が1車線減らされている。(他の方向も通常とは別の位置を走行する。工事が進めば走行位置は変わる模様)
曜日・時間に関わらず、工事が休みでも終日規制。
千秋トンネル側から工事現場方向。中央の右折用だった車線が塞がれている
そのため、昼間や土日でも千秋トンネルの中まで車の列が続く状況になっている。極端に激しい渋滞ではないが、可能なら避けたほうがいいかもしれない。
歩行者・自転車は横断歩道の配置上、陸橋側と脳研方向を行き来する場合は一度の青信号で横断できない場合がある。
工事の進捗によっては、地下道付近の歩道そのものが通行止めになることもあるが、現地の道は両側とも「ロ」の字型になっていてほぼ同距離で迂回できるので、さほど実害はない。
工事をやっている時は、誘導員が1~2名立っているが、あまり意味がないような…(工事車両出入り時の安全確認は意味がある)

地下道が撤去されれば、安全に便利に通行できるようになるのは確実だから、しばしのがまんではある。


さて、工事の内容。
着工後10日くらいは、目に見えた動きは小さかった。照明など地下道内の機器の撤去や地下道周辺の路上の側溝の撤去などが行われていたようだ。「千秋地下道」の表示板は外された。

地下道の撤去というからには、地上に出ている出入り口や階段は、解体されて埋められるのは想像できた。
じゃあ、車道の真下の水平な部分はどうなるんだろう?
別にそのままでもいいようにも思えるが、50年後・100年後を考えれば、陥没などしないよう埋めるのだろうか? 土砂やセメントでも入れて?
などと考えていたら、6月4日の秋田魁新報で「通路部分はウレタンで埋め」と報道された。意外なものを使うもんだ。
ウレタンっていうと、スポンジみたいなの?
その塊を入れるのだとやりにくそうだから、梱包材みたいな細かいものを入れるの?(昔の「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で、細かい発泡スチロールが降ってきて、歌手が埋もれるのを想像した)

※以下の写真は、いずれも路上(立入禁止区域外)から撮影しています。
結果は、
なんと!
更衣室にあるロッカー2コマ分くらいの大きさの、白い直方体がたくさん搬入された。触っていないが間近で見ると、一般的な発泡スチロールにとてもよく似ている。「軽量盛土」と呼ばれるものだろうか。

発泡スチロールのサイズと地下道の形はどうしても合わないはずだから、そのすき間はどうするのか。

おでんのこんにゃくのような三角柱にカットするなどして、極力発泡スチロールで埋めつくすようだ。


上から覗かせてもらう。「冠水注意 秋田市」の反射看板は外さずにいっしょに解体された。まだ新しいのだし、外して秋田市に返却すれば良かったのに… ※撤去工事は市ではなく秋田県が発注
  
人手で並べて→テープで留めて(?)→黒いシートで覆って完了(?)

在りし日の地下道内部。幅がけっこう広いけれど、ここが発泡スチロールで埋めつくされたはず

ここまで終わる頃には、すでに7月に入っていた。

そして、7月7日頃。
 
ついに地上部の解体が始まった。
脳研寄りから始まって、引き続きその千秋トンネル寄りも一緒に解体された。
鉄筋が入っていて頑丈ではあるが、大きな構造物でないので、あっけなくなくなった感じ。

地上部は1週間で姿を消した。ただし、
足元にはまだ残骸が
無人の状態で柵はしっかりしていなくて、落ちそうで少々怖かった。
発泡スチロールが見えている。こちら側は黒いシートはないのか?(シートは後から解体する側に水が入らないようにする措置かも)

カーブが特徴的な脳研寄り出入口
これも解体されて↓
地面より下の壁はそのまま埋められる

その後、さらに1週間ほどかけて、階段部分を砂利で埋めて、新たに側溝を設置。
周囲には一時撤去していたL型側溝を戻し(再利用)て、こちら側はおおむね終わりつつあるようだ。
千秋トンネル側から解体前
解体されて↓
見通しが良くなった
まもなく向かい側の解体に移ると考えられるが、その終了は学校の夏休み明けにはちょっと間に合わないかな。
工事関係者も通行する歩行者・車両も、気を付けて無事故でお願いします。

【8月7日追記】その後、7月27日頃までには、歩道全面がアスファルトで舗装され、出入り口を撤去した後に街路灯と信号柱(信号機はまだ)が設置された。
8月7日までには、規制車線を入れ替えて、反対側(手形陸橋寄り)の工事に移っている。

【8月21日追記】さらにその後、8月21日には陸橋寄りの地上構造物がほぼすべて取り壊された。(路面に残骸はまだ残っている)
【8月28日追記】8月26日頃の時点では、引き続き陸橋寄りの地上部の工事。一方、リバーシブルレーンの名残りである門柱に取り付けられていた信号機が取り外され、信号柱に移設(信号機自体は新品のフラット型)された。門柱撤去が近いのだろう。
【9月3日追記】門柱は撤去済み。陸橋寄りの撤去跡には信号柱(新設される横断歩道用)が設置されるなどしたものの、整地はもう少しかかりそう。
【9月20日追記】9月8日の週には、地下道撤去跡にロードヒーティングを設置する工事が終盤。地下道の代替となる歩行者用信号機が設置されたものの、カバーが掛けられて未作動。
9月20日には、そのカバーが外されて稼働しており、歩行者の横断は自由にできるようになった。しかし、車両用信号機に新設されるはずの矢印信号は未設置・千秋トンネル側からの突き当りの信号機は未更新など、完全に終了するのはまだのようだ。

※続きはこの記事後半参照
コメント (8)
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ぐるるの放送 他

2014-07-21 23:46:29 | 秋田のいろいろ
秋田のバスの話題をまとめて。
●こちらが便利です
中央交通の路線バスの車内放送は、毎年6月に更新されるらしい。
広告主の交代や内容見直しが行われ、昨年登場した、桜町の薬局の「今でしょ!」はわずか1年間でやめてしまったそうだ。

一方、この記事で取り上げた千秋公園入口の交通安全キャンペーンは健在。(フレーズ・広告主とも変更なし)
ほかに、木内前では国民文化祭(のうち県民会館でやる催し)、菊谷小路では高価買取りの店といった、新たな広告も加わった。(以上、添川線で確認)
国民文化祭は、終了後の年末の段階で流れなくなるのだろうか。


昨年から広告が流れるようになった、秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」は、広告部分は変わらず。木内前の国民文化祭はなし(引き続き医院の広告)。
加えて、新たな放送として、バス停の最寄り施設が案内されるようになった。
バス停名に続いて、「○○へお越しのお客さまは、こちらで降りられると便利です。」というフレーズ。

流れるのはバス停と施設名(放送される順番)は次のとおり。
千秋公園入口(広告の後に挿入):エリアなかいち、千秋美術館、佐竹資料館、久保田城御隅櫓
ねぶり流し館前:旧金子家住宅、サンパティオ
大町通り:赤れんが郷土館
千秋公園入口では、標語入りの笹原内科医院の広告に続いて、4施設の名前が告げられるので、だいぶ長い放送になった。

ご存じの方も多いと思うが、市営バス時代から一般路線バスでも、一部では最寄り施設名を案内していた。
千秋公園入口では「次は、千秋公園入口、千秋公園入口」に続いて「千秋美術館、県民会館、市立明徳館前でございます」と言っていた。(「次は~」と「~でございます」が連続する1つの文。広告より前に入る。ぐるるのほうは、別々の文で、広告より後。)
中央交通移管後は、千秋公園入口では、なぜか一部の路線でだけ流れる(移管路線でも流れないものがある)らしいが、「~前でございます」が「~入口でございます」に変わっただけで、同じフレーズ。

一方で、美術工芸短大入口(現・美大前)の「新屋図書館」など以前はあったのに、いつの間にか流れなくなった停留所・施設もある。
これは流れなくなって当然だが、今の「県庁第二庁舎前」停留所名は、以前は「NHK前」だったので、「次はNHK前、NHK前、 県庁第二庁舎前でございます」というのもあった。

市営バスの「~前でございます」で流れたのは公共性の高い施設ばかりだから、広告ではなく案内の一環として、バス停名から漏れてしまった施設を訪れる人への配慮だったのだろう。
ただし、始発の秋田駅のすぐ次のバス停の千秋公園入口で流すのは無意味な気がするし、下り側にねぶり流し館前がなかった当時は、例えば通町でその案内を流すようなことはしておらず、行き届いていたわけでもないだろう。

移管後、神田線の神田停留所では「外旭川幼稚園前でございます」とか言っていたはずだが、これは広告だろう。同園は私立だし、他の幼稚園では放送は流れないから。
【26日訂正】コメントでご指摘いただいたように、神田は「外旭川小学校前」でした。外旭川幼稚園はポールの広告でしたので、訂正します。
となると、同じ神田線内のバス停最寄りの市立小学校である保戸野小学校が、すわ町で案内されないのは釣り合いが取れていないように思える。笹岡入口の外旭川中学校、原の町(または保戸野八丁)の秋田大学附属各学校が案内されてもいいのに。

【10月5日追記】新国道経由各路線の「高野(こうや)二区」停留所では、「次は、高野二区、高野二区。聖霊短大前でございます。」とアナウンスされる。位置関係やバス停から門まで400メートルあることを踏まえれば「聖霊短大入口」が妥当な気がする。(以上追記)


ぐるるに話を戻して。
中心市街地を訪れる人の足というぐるるの意義からすれば、最寄り施設名の案内は大事だと思う。
路線図には記載されているのに、放送は淡々とバス停名を述べるだけなのは不親切。
実は、そんなことを運行主体の秋田市役所へ伝えさせてもらったので、それに応えてくれたのかもしれない。

一般路線では流れる、県民会館と市立中央図書館明徳館が抜けてしまったのは不思議。ぐるるで来訪する人だっているだろうに。あと、南大通り・中通病院前辺りで「あきた文学資料館」を入れてもよかったかも。
ねぶり流し館前の「サンパティオ」は案内される中で唯一の民間施設。イベントが開かれることはあるとはいえ、基本的に商業施設なのだから、広告料が発生してしまいそうな気もしなくないけれど。

そういえば、ぐるるの予備車だった「129」が6月以降まったく運用に就かなくなった続きだけど、引き続き、少なくとも土日祝日は見かけない。834と835の2台で回している。
【8月30日追記】この後、8月28日に久々に129がぐるる運用に入った。ほんとうに必要な時しか予備車を入れず、普段は専用塗装の2台を優先して使うことにしたようだ。129は普段は一般路線を走るようだ。


ちなみに、弘南バスでも、一般路線バス、循環バスとも同様のアナウンスがある。
「~へご用の方はこちらでございます」という言い回しだったはず。
弘前大学前の国立病院機構弘前病院や、市役所前(市役所前公園入口)では、弘前公園、市立観光館、市民会館、藤田記念庭園と、千秋公園入口のように長々と案内されていた。


●エレモお休み
秋田県が呼びかけて設立されたコンソーシアムが製造(改造)し、秋田市の泉ハイタウン線で週5日(毎日1往復)運行されている、EVバス(充電式の電気で動くバス)「ELEMO-AKITA」。
※中央交通はコンソーシアムの一員として運行を担当しているだけで、中央交通が主体的に製造・運行しているのではない。
(再掲)
6月30日付で中央交通ホームページに「EVバス運行期間について(休止)」が掲載された。
「車両メンテナンスのため」運行を休止するということだが、その期間が7月9日から9月上旬(予定)と2か月以上の長期。
※「運行を休止」するのは車両についてで、そのダイヤは一般車両で運行される。

今までは、週5日のうち1日だけ運休ということはたまにあった。
法定もしくは何らかの点検だったのだろう。また、運休の日でも、客を乗せない状態(関係者らしき人物が乗っていた)で走っているのを見たことがあった。

今回は何のための運休だろうか。
大掛かりな改造が施されるのだろうか。発進後の変速(4速に入る時)のぎこちなさ(ノッキングのような衝撃)の改善とか。
あるいは、メンテナンスというのは建前で、実は冷房能力が不足していて真夏は使い物にならず、運用から外すとか?
※屋根上のソーラーパネルの電力で冷房をまかない、窓ガラスなどの断熱を工夫して、冷房能力・効率はそれなりにあるはずではある。暖房のほうは補助的な燃料が必要だとか聞いたけれど。

※その後、9月上旬を過ぎても、運行再開の情報も運休延長の情報もないままだったが、11月7日に久々に姿を見かけた。さらにその後、11月19日から運行が再開されることになった。


●キャンペーン中だけど…
中央交通では、7月はとあるキャンペーン期間中。(別に客が何かもらえるわけではない)
「車内事故防止キャンペーン」で、7月1日に同社ホームページに告知がアップされている。事務的な実施の告知であって、乗客への理解協力を求めるようなものではない。

といっても、中央交通だけが&今年だけやっているものではなく、例年、全国の日本バス協会会員事業者が共通で実施している。
基本的には、ゆとりを持った運転と乗降扱い(着席を確認してから発車させるなど)を運転士に徹底させるようなことだが、乗客に対して改めて協力をお願いすることもできるだろう。

キャンペーン中だから、何か変化があるかと言えば、中央交通では特に感じない。最近は暑いこともあって、よくバスに乗っているけれど。
掲示や放送で案内があるわけでもない(イラストのポスターはあるが、それは以前から。したがってホームページ以外ではキャンペーンの存在すら知らされていない)。
とても丁寧で慎重な運転だったり、とても愛想が良かったりする運転士にも当たったが、彼らから車内事故防止に関する直接的な言動はなかった(まあ慎重に運転していれば、ある程度は防止できるでしょうけど)。

例えば、独自のポスターをバス停や車内に張ったり、「安全運転を心がけておりますが、停車間際は思わぬ事故が起きることがあります。完全に停まるまでお立ちにならないよう、お客さまのご協力をお願いします」という放送(肉声でも自動放送でも)を流すとか、思い切ってマスコミに広告を打つとか、まだできることはあると思う。
以前、こんなことも書いたけれど、基本的には、車内事故は限りなくゼロにできるはずなのだから。
今の状況では、バス協会にキャンペーンをやれと言われたから、形だけキャンペーンをやっている(と装っている)ようにしか思えない。

※以前の繰り返しですが、バス車内で乗客がケガすれば、運転者は車外で事故を起こしたのと同様の責任を問われるとのこと。乗客としては、安全運行に協力し、早めの確実な着席・完全停車後の離席をしなければいけない。


●違う中古車
最近は小田急バスからばかり来ていた、中央交通の中古車。1週間ほど前、こんな車が、
中型バス・日野レインボー「か10-23」
※この運転士さん、防止はかぶっていないのにネクタイはきっちり締めている(夏期の回送時なら、どちらも着けなくて良いはずだが…)

ナンバーからすれば、昨年末に新車で入れた10-27~10-29の直前の登録。(そういえば、先日初めて10-27に乗って、久々に新車の香りを感じた。中はまあ普通)
新車ではないし、元小田急でもなさそう(小田急では日野は多くない)。窓は上下に開閉し、窓枠は銀色。ノンステップではないと思われる。
後部下のランプとリアウインドウの「低公害車 エンジンは自動停止します」表示は、前所有者からの特徴か?(調べたけど分からない)

男鹿営業所にこんなバスが入ったとかいう話を聞いた気がするが、見たのは秋田市内。
回送表示だが、場所からして「豊浜ふれあい号」用として秋田中央トランスポートが使っていたのだろう。
写真を見ると、会社名の表示がないようにも見える。男鹿からトランスポートへ転属されたのか、それとも一時的に貸し出されていたのか。

この外見の車種は、2004年で製造終了となっている。車齢的には、小田急から来る中古とどっこいどっこいだろうか。
バス会社によっては、中古車の確保に苦労している所もあるとか。中央交通の場合、仲の良い小田急から融通してもらえてはいるものの、中型の中古には限りがあるのか。それとも、郊外路線での使用を考慮して、ノンステップでない車が欲しかったのか、気まぐれでいすゞじゃないのを使いたかったのか。

【2022年9月14日追記】1023は、京成グループ・千葉交通の中古のようだ。2022年9月時点でも、秋田市西部地区マイ・タウンバス(豊浜ふれあい号とは言わなくなった?)で使用中。床が板張りだった。
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秋田支店閉店と拾い物

2014-07-19 23:49:02 | 秋田のいろいろ
この記事後半の通り、7月18日をもって、秋田市大町五丁目にあった「秋田銀行秋田支店」が閉店(大町支店へ19日付で統合)した。
閉店から一夜明けた秋田銀行秋田支店

告知のポケットティッシュが配られた

18日のうちに、店舗入口の表示類は撤去されたようだ。
右がATMコーナー

窓に「72年間ご愛顧ありがとうございました」の紙とドアに大町支店への案内

(再掲)営業中当時の玄関周り

昭和9年に秋田銀行の前身の銀行として建てられた、歴史ある建物の今後はどうなるか。※表示に「72年間」とあるのは、建物ではなく秋田銀行秋田支店としての存続年数のはず
ATMコーナーは存続するので、当分はこのままだと思われる。「あきぎん」の看板もATMコーナー用としてこのままか?
7月10日の秋田魁新報の投稿欄「声の十字路」には、建物の今後の活用を検討してほしいという投稿が掲載された。

19日付秋田魁新報経済面によれば、旧秋田支店の支店長と支店長代理のうち1名は本部へ、支店長代理2名は大町支店へ異動となった。(ヒラ行員は掲載されていなかった)

※その後、2015年1月時点では、旧秋田支店の建物がそのままATMコーナーとして使われており、冬に見られたスチーム暖房の湯気も店舗営業時同様に上がっているのを見た。ATMコーナーだけのためにあんなに湯気を上げているのなら、無駄が多い気がする(店舗だった部分で何かの作業でもしているのだろうか【2015年3月12日追記】照明も点灯しているので、何かやっているようだ)。
※2015年5月19日現在、「ありがとうございました」の張り紙もそのまま。2015年8月初めでもそのままで、別のガラスには竿燈関係のポスターが掲出されていて、継続的に手が入っているようだ。
【2015年11月23日追記】2015年11月18日に、久々に(2~3度目、支店閉店後初)ATMを使った。機械は1台。通りから見て右側の松の木がある部分は日本庭園風になっていて、ATM横には庭が見える窓があった。狭い庭ながら、石灯籠まであった。
そして、「11月30日でATMコーナーを廃止する」との表示が機械の横に小さく出ていた(ドアなど屋外にはなし)。その後、店舗後から何かを運び出すところも目撃した。窓の「ありがとう」の張り紙はまだあった。※続きはこちら


さて、なくなる支店に口座を開設していた人・企業・団体は、口座番号の変更をさせられる。
その1つが秋田中央警察署であることを、ふとしたことから知った。

落し物として警察に届けられた現金を、落とし主もしくは(落とし主が見つからずに)拾った人がもらう場合、小切手で受け取ることになっている。(都道府県によっては、少額なら現金でもらえるかもしれない)
秋田中央警察署に届けられた場合、秋田銀行秋田支店の小切手が渡される。
現金化するには、秋田支店へ出向くか、秋田支店以外の店では自分の秋田銀行の通帳を持参しないといけない。

中央署の最寄りの秋田銀行の支店は、大町支店。それなのにどうして秋田支店なのか。
これには、秋田の街の歴史が反映されているのだろう。
秋田中央警察署の前身である秋田警察署は、以前はみずほ銀行隣の旧農林ビル(今は更地)の所にあったそうだ。一方、秋田銀行秋田支店はかつての秋田銀行本店の流れを汲む店で、元々は赤れんが郷土館の場所だったそうなので、それなら警察署と銀行は近い。(それに当時は大町支店はなかったはず)
警察署も銀行も、どちらも少し移転して、少々遠くなってしまったようだ。

おそらく今後は、大町支店の小切手が渡されることになるだろう。

どうしてこんなことが分かったのかというと、お金を拾って、落とした人が現れずにもらったから。1000円ですが。
以下、その覚え書き。


雪が積もっていた頃、道路を歩いていると、路上に千円札が1枚落ちていた。
周りに人はいない。
このままでは、雪に混ざって除雪されるなどして、お金として使われることなく朽ちてしまうかもしれず、もったいない。
正直に言えば、自分のものにしたいと思った。
建前上は1円でも拾ったら警察に届けないといけないが、やはり紙幣ならば絶対に届けるべきだと思う。記番号や指紋から何かの犯罪に絡むカネだと分かるかもしれないし…
ということで、誰も名乗り出ずに保管期限後にいただけることを期待しつつ、最寄りの交番へ。

僕が拾い物を届け出るのは2度目。
だいぶ前(2007年の遺失物法改正前)に、職場の敷地に落ちていたモノ(価値はほとんどない)を、交番へ持っていったことがあった。
その時は、警察官ではなく警察OBの交番相談員らしき人が応対してくれ、手書きで書類を作ったはず。

今回は、1人で交番に詰めていた、年配の警察官が応対。
拾った場所と時間、拾得者(=僕の)住所、氏名、電話番号(携帯電話可)を聞かれた。
あとは、「落とした人が分かった場合、拾得者の連絡先を先方に伝えてもいいか(1割のお礼を受け取るためには必ず伝えないといけない)」、「3か月間の保管期間内に落とした人が見つからなかったら、もらいたいか」の意向を聞かれた。
「(裸の現金だし、額も額だから)おそらく落とし主は名乗り出ないと思うけど…」なんてちらりとおっしゃったが、型通りの説明と聴取なんだろう。

もちろん頂戴したいので、3か月後に受け取りたい。
でも、落とした人が見つかったなら、その時はその時。100円ぽっちのお礼をわざわざもらうのはあんまりだから、連絡先を伝えることは辞退。

警察官はノートパソコンに向かい、小型レーザープリンターからA4用紙2枚をプリントアウトし、折って長封筒(警察署名や標語入りだが、市販封筒を使ったお手製)に入れて渡してくれた。
1枚は「拾得者の皆様へ」という説明文、もう1枚が「拾得物件預り書」。預り書が大事で、これを3か月後まで取っておかないと、1000円は受け取れない。

「拾得物件預り書」はすべてパソコン印刷で、警察官の押印がある。
拾った場所の前にあった店の名前を伝えたら、拾得場所欄は「秋田県秋田市○○町x-x ○○店 路上」と記載されていた。
「物件」欄には「特徴等」を記載する場所があるがそこは空欄で、単に「1000円札 1枚」。記番号は記載しないのか。
※ネットで拾得物が検索できるが、そこでは「特徴」欄に「千円以上」か「千円未満」かが表示されている。

「(落とし主が分からなかった場合)受け取りは3か月後から3か月の間の平日昼間に秋田中央警察署会計課で。こちらから連絡はしません。期限を過ぎると県のものになってしまいます」などと説明されて、ものの5分程度で終了。


受け取りは警察署だけだが、届け出は交番と警察署両方で24時間いつでもできる。
今回、拾った場所の店の名を言ったら、すぐに住所が分かったのは、地元の交番ならではだろう。警察署だったら調べるのに時間がかかりそう。
交番は無人の時もあるから、無駄足になることはあるだろう。

なお、届け出は全国どこの警察でも大丈夫なようだが、落とした人が探すことを考えれば、拾った場所を管轄する警察署へ届けるのがベターなんでしょう。


次の日だか次の次の日、警察署の遺失物係から電話が来た。タイミング的に、交番から警察署へ書類が回った頃。
内容は「落とし主が見つかった時のお礼はいらないけど、見つからなかった時は受け取るんですね?」という確認。
100円はいらないけど、1000円はほしいのだから、「その通りです」。
こういう意向の拾得者って珍しいのだろうか?

落とし主が見つかったら連絡があることになっているが、ないままに3か月経ち、1000円を頂戴できることになった。
「拾得物件預り書」の下のほうが「受領確認」欄になっていて、そこに日付、住所、氏名を記入、押印して、身分証明書とともに持参。中央警察署の会計課は、1階にありオープンカウンター風。

預り書を出して、身分証明を確認後、「少々お待ちください」と言われて、何やら別の部屋へ行くなどバタバタ。
5分強待って、小切手と案内文書を渡された。
「秋田銀行秋田支店って分かりますか? 秋田支店ならそのまま現金をもらえますが、他の支店では秋田銀行の通帳が必要です」(案内文書に地図掲載)
「処理の都合上、できるだけ1週間以内に換金してください」との説明。※正確には1週間でなく11日以内かな?

小切手にゴム印で押された「振出人」欄は「秋田中央警察署長 警視正」という肩書き。「秋田県警察本部」は入らず、「署長」に加えて「警視正」と役職名がダブルで入るのが少々変わっているかも。(例えば大学なら「学長」であり「教授」ということはあっても、普通は学長の肩書きを優先するのではないだろうか)
ちなみに警察署長は「警視」でなれるが、大規模な警察署は1段階上の「警視正」が就くらしい。しかも警視正以上は、都道府県警所属であっても身分は国家公務員になるんだそうだ。地域住民としてはどうでもいいことだけど… ドラマ「特捜最前線」の二谷英明は「神代警視正」だった。【21日追記】秋田市にある他の2警察署(秋田臨港、秋田東)の署長は「警視」のはず。

せっかくなので、最後になるであろう秋田支店へ。
二重になった入口ドアのうち、内側のドアなど歴史を感じさせる構造・デザインで、客の待合空間は思っていたより狭かった。
小切手の裏面に住所、氏名、電話番号を書いて、すぐに1000円札をもらえた。ありがたく使わせていただきます。

【2017年12月5日追記】余談だが、2017年の新聞報道によれば、秋田県内で届け出られる拾得物のうち、3分の1を秋田中央警察署管内で占めるとのこと。
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こころ旅@青森

2014-07-17 00:24:58 | 津軽のいろいろ
NHK BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」は、秋田県に続いて7月8日から11日に青森県を旅したので、簡単に記録しておきます。
順につがる市、六ヶ所村、八戸市(蕪島)、階上町が目的地となった。

先立って7日月曜に紹介されたボツネタの1つに、弘前市の「独狐(とっこ)の森公園」があった。※「独鈷」の間違いではなく「独狐」が正当
特徴的なその名前と、眼下に広がるリンゴ畑の向こうに岩木山が見える場所だということは知っていたが、情報は多くなくてよく分からない場所だった。
改めて調べると、弘前市中心部から見て北西、堂ヶ沢または鰺ヶ沢行きの路線バスが通る県道31号線から入った所。掲載されていない地図が多いが「とっこ保育園」の北側。
シチュエーションとしては、りんご公園に似ているようだ。(りんご公園は人工の山だし、各種施設が整備され、リンゴ畑自体も公園の一部という違いはある)


8日放送の349日目は、弘前公園の本丸が最初の場面。
その県最初の日は、前週の県で手紙を読んでから移動することが多いが、今回は違った。
「この番組、けっこうお城からスタートするのが監督さんたち好きみたいで」と、天守閣が映る。(本丸側から映像で見る限り、天守閣の曳家工事の目立った準備はされていなかった。)
そして、「もっとでかい城がこっちにあって…」と反対側を向く。
「どーんと…これがお岩木、“岩木城”です。おれの好きな山なんだ」
蓮池越しに岩木山が見える場所だが、梅雨空で裾野しか見えない。
「でも、顔は見せてない。これだけでも見せてくれてうれしいよね」
そこで手紙を読む。
条件が良ければこんな眺め(2005年7月撮影 ※この年はハスがあまり茂っていなかった?)
子どもの頃、木造町(現・つがる市)に住んでいたむつ市の女性(60)からの手紙。
通っていた向陽小学校から、「キリマンジャロのようにとんがって」いた岩木山を見て過ごした。4年生の遠足で弘前公園に来て本丸から岩木山を見たものの形が違い、「凛々しくもなく、毎日見ていた山ではなかった」「ふがいない」と感じた。
「私の心の岩木山は、あのとんがりの山なのです」という内容。

弘前から岩木山の西側を見て過ごした僕は、北側からの岩木山に違和感を覚えるが、それと真逆。

弘前公園から30キロ先の向陽小学校を目指す。
桜のトンネルの西濠の「春陽橋」を渡って公園の外へ。
渡る直前、左側の公園内の桜のトンネルに「立入禁止」というコーンが立っているのが見えたが、何かやっていたのだろうか?【28日追記】樹木の剪定・消毒作業かもしれない。
県道31号線の「富士見橋」で岩木川を渡った。

板柳町の喫茶店でナポリタンを食べたり、途中のリンゴ農家の自走式の農薬散布車に興味を示したりした。
青森ではよく見かける農薬散布車は、必ず赤い車体で、消防車のおもちゃのようにも見える。テレビでは「リンゴ農家などで使われている害虫を防除する専用車」と字幕が出た。正式には「スピードスプレーヤー」、略して「SS」と呼ばれる。

向陽小学校にとうちゃこしたが、最後まで岩木山のてっぺんは見えなかった。
こころ旅では、今までにも岩木山が取り上げられたが、1度も上が見えたことがなかった。
2011年6月には弘前大学北鷹寮(学園町のほう)から、2013年10月には向陽小学校の隣の木造高校からそれぞれ眺める岩木山が目的地となっていた。
大学からも高校からも小学校からも見えなかったということで、「後は中学からのお手紙を待つしかない、保育園でもいいな」。



翌日8日は、弘前駅中央口のバス乗り場・案内所前の円形のベンチで手紙を読んでから、鉄道で野辺地へ移動して、六ヶ所へ向かった。
とうちゃこ版の映像からは、弘前駅前の背後のバス乗り場で発車を待つバスの行き先表示が「富田大通り経由 狼森」行きではないかと思われる。(車両はヘッドライトが4灯である初期のレインボー2)
午前の狼森行きは、8時15分、9時45分、10時45分しかないので、そのいずれか。
奥羽本線の列車は、701系の前3両+後2両の5両編成。「N13」編成の先頭に乗車。



ところで、13日の陸奥新報のサイトに「弘前ねぷたと竿燈組み合わせ地元誘客」というニュースが掲載されていた。
東京の「JTB国内旅行企画」に派遣されている弘前市役所職員が、「竿燈・弘前ねぷた2大祭り3日間」 というツアーを企画したという話。

ねぷたを取り上げたツアーがないことを知って、「弘前行きを作らなければ」と作ったそうだが、その組み合わせ先に秋田市の竿燈まつりを選んでくれたとは、秋田市民としてはうれしい。

青森や五所川原などの各種「ねぶた」では、(違いはあるにせよ)弘前ねぷたと際立った違いは少ないから、見る人のインパクトとして竿燈を選んでくれたのかもしれない。
あるいは、行きと帰りが異なる周遊ルートにするという意図や秋田市周辺の宿泊場所のキャパシティ、JTBとしては秋田の桟敷席や宿泊先を押さえやすい(既に大量に確保済み)という事情もありそうではある。
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オリジナル菓子

2014-07-16 00:28:19 | 秋田のいろいろ
春に「スーパーこまち飴」を紹介したように、金太郎飴の製法で企業ロゴなどのオリジナル飴を作る商売がある。「笑っていいとも!」でも、タモリさんの顔の飴を観客に配ることがあった。

こんなものもあった。
ポケットティッシュと飴
秋に秋田県内一円で開催される「第29回 国民文化祭あきた2014」のPRグッズ。
金太郎飴が2種類。製造・販売者名の表記はなし。
「あきた2014」
文字は裏からは鏡像になってしまう。
秋田県の形をモチーフにしたシンボルマーク


秋田ならではのオリジナル菓子には、こんなものも。

小豆の粉を固めた落雁状の秋田銘菓「もろこし(諸越)」である。
これは一口大で、抹茶、あんこ、表面に焦げ目がついた薄焼きの3種類がセットになっている。
一般的には、丸かったり四角かったりするものだが、これは形が特徴的。

この形も、秋田の方にはなじみがあることでしょう。
「あげまき」と呼ばれるこのデザインは、県立秋田北高等学校の校章でありシンボルである。
その名も、
あげまきもろこし
製造は、北高校からほど近い通町の菓子店「勝月」。

勝月のお店に行けば、この形のもろこしが購入できるわけではない。
(同じ3種類の組み合わせで、細長い長方形のものはあるはず)

先日行われた、秋田北高校の同窓会「あげまき会」総会で配られたものだそう。
つまり、非売品のオリジナルグッズ(菓子)ということになる。

どうも、学校祭で限定販売されたり、対外的な催しに出向く時のあいさつの品として使われたりもしているようで、同窓会のみならず学校全体のオリジナルグッズなのかもしれない。


昔の話だが、秋田市立山王中学校でも、校章をかたどったオリジナルもろこしがあり、修学旅行で世話になる先などへ配っていたそうだ。
こちらは、南通にあるもろこし専門の「岡田製菓」が作っていたようだが、今も作られているだろうか。
他の学校や企業でも、オリジナルもろこしがあったりするだろうか。
【17日追記】横手市立横手南中学校でも円形に校章をあしらった「特製南中もろこし」があり(少なくとも焼いたのと抹茶の2種)、学校祭で茶道部がお茶請けとして使うとのこと。

最初に型さえ作れば、あとは通常のものと製法が変わらないし、日持ちもする。そして秋田ならではのお菓子。もろこしこそ、オリジナルグッズ向きのお菓子かもしれない。
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わっぱ鶏めし

2014-07-14 23:35:38 | 各地お土産・食べ物
過去に何度か触れたように、秋田県北部・JR奥羽本線大館駅の名物駅弁、花善の「鶏めし」は、秋田駅や県内の一部スーパーなどでも入手できる。
鶏めしには、「特上鶏めし」などシリーズ製品がいくつかあるが、「わっぱ鶏めし」というのもある。2011年頃から発売されている、おそらくいちばん新しい商品。
「わっぱ鶏めし」は大館の本店だけでの扱いで、要予約(1個から。大館のアメッコ市の時などは限定で予約なしで売ったことがあったはず。ゴールデンウィーク等繁忙期は販売休止の場合もある模様)。
価格がリーズナブルで、通常の鶏めしとは違うおかずが付いているそうで、少々気になっていた。

それが、秋田駅前のザ・ガーデン自由が丘西武で時々、予約なしで購入できる。
たいてい、チラシが折り込まれた日から2日間連続で、正午から個数限定販売。夕方の段階では売り切れている。数か月に1度位の割合ということもあって、なかなかタイミングが合わなかった。(チラシの片隅に小さく載るので、見落とすこともあった)
※ザ・ガーデンでは、わっぱ鶏めしが売られる日は、通常と特上の鶏めしは扱わないらしい。

今回は、10日(木)・11日(金)に、各限定150折。
12時15分頃に行ってみたら、惣菜・弁当コーナーの特設台に平積みで30個くらい並んでいた。
わっぱ鶏めし 8%税込み525円
大館特産「曲げわっぱ」をイメージしたであろう、丸い容器(樹脂製)の2段重ね。通常の鶏めしには付属するおしぼりはなし。
シンプルな掛け紙
値段からすれば当然だけど、だいぶ小さい容器。

ごはんの上には鶏肉の甘辛煮が載っておらず、そぼろ玉子がやや多めなのが、見てすぐ分かる通常版との違い。
通常版では、夏場は錦糸玉子に変わるはずだが、今回のこちらはそうではなかった。

おかずは、天ぷらが目を引く。駅弁で天ぷらはあまりないし、これは本格的っぽい天ぷら。原材料名欄には「南瓜揚げ、大葉とさつま芋揚げ、さつま芋揚げ、レンコン揚げ、しし唐揚げ」とある。カボチャは、厚さが均一の輪切りではなく、断面が「V」状。
天ぷらに目を奪われがちだけど、ピンクの仕切りの中には「照焼チキン」。原材料欄では、味付ご飯の次がこれだから、おかずのメインなんだろう。
あとは、鶏めしシリーズ定番の胡瓜漬としば漬。

※以下、味は個人の感想です。
天ぷらといえば、天つゆとか醤油とか塩とか味を付けて食べるのが普通だけど、これには何も付属していない。
そう言えば、花善さんの他の駅弁でも、調味料類は添付されていない。揺れて狭い列車内で食べる駅弁では、味が付けてあってそのまま食べられるのが理想の形ではある。そういう配慮なんだろうか。
甘さがある野菜中心の天ぷらだから、そのまま食べても物足りなくはないと思う。
衣がベチャっとしたりはしていなかった。
下のほうにあって写真には写っていないが、「大葉とさつま芋揚げ」が珍しい。マッシュした(?)サツマイモを大葉で包んで揚げたようだった。
照り焼きは、まあ普通の照り焼き。鶏めしと言えば、煮込んだ鶏肉という印象だったので、意外な遭遇。
中央は麸でなくカマボコ風
ごはんは、通常の鶏めしと同じ、と言いたいところだけど、ちょっと違うような気がしなくもなかった。
色がわずかに濃く、味も濃いように感じた。
別商品だから替えているのか(※)、夏場だから濃くしているのか、あるいは単なる気のせいか…
そして、肉(甘辛煮)がなくてごはん(と玉子)だけなのが、アクセントがなくて物足りなく感じてしまった。
※1個から受注ということならば、別にごはんを炊いているとは考えにくい。通常の鶏めしと共用で、上に肉を載せないだけの違いのはず。

容器は上げ底などでなく、けっこうな量。
終戦直後の鶏めし発売時の「たくさんごはんを食べてもらいたい」という気持ちが、この最新商品にも受け継がれているのだろう。


駅弁としてはかなり安く、しかも質は良好。量はたくさん食べる人には少ないかもしれない。
個人的には、照り焼きがあるものの甘辛煮が載っていない鶏めしでは、せっかくの大館の鶏めしの個性が激減してしまうようにも感じる。プラス355円で通常の鶏めし弁当(880円)が買えるのだから、僕はそっちを選ぶ。
あるいは、勝手ながら照り焼きの代わりに甘辛煮を入れてくれれば、ぜひ買いたい。

あと、これに限らず、駅弁で容器が分離するものって、車内で食べる時にやっかい。その分フタが多いし、片方の容器を手に取ったらもう片方を引っ掛けたりしそうで、扱いが面倒。
いつもの鶏めしではないものをという、花善さんの意欲や選択肢の提供は評価・理解しますが。

遠方からの旅行などで、とにかく大館の鶏めしを1度食べてみたいという方には、通常の鶏めしをおすすめします。
秋田駅では、他社の鶏めしもあるのでご注意。それから大館ではできたての温かい鶏めし(弁当箱にも詰めてくれるし、食堂の御膳もある)を食べられるけど、それはまた格別のおいしさ。機会があればぜひ。

※ザ・ガーデンでこの時の次は、8月11日(月)・12日(火)に同様に正午から150折限定で発売された(チラシ折り込みは9日)。
※わっぱ鶏めしはこの後、販売終了。後継に相当すると思われる「鶏めし玉手箱」が発売された。
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進む季節/会館名

2014-07-12 17:58:51 | 秋田の季節・風景
全国的には台風や梅雨前線により、大きな被害が出ているけれど、秋田はやや多めに雨が降っただけに終わった。
ここ最近の秋田市は、最低気温は20度台前半、最高気温は30度前後で、真夏とは違った暑さでけっこう暑い。
僕は7月5日にニイニイゼミの鳴き声を千秋公園周辺で聞いた。
山王の秋田地方気象台では、7月8日にニイニイゼミの初鳴を観測。平年と同日で、昨年より2日早い。
さらに、気象台では7月9日にアブラゼミの初鳴も観測。平年は7月19日(昨年は7月23日)なので、かなり早い。
【15日追記】この後、14日にはヒグラシも鳴いた。平年・昨年とも2日早い。これでセミ3種が揃い踏みとなったが、これは全国的にも秋田が早いほうらしい。コスモスが咲いているのも見かけた。

テレビ朝日の情報番組「グッド!モーニング」金曜日に、東進ハイスクールの林修先生が講義をするコーナーがある。11日の放送では、松尾芭蕉が山形県の山寺を訪れたのが、現在の暦の7月13日だそうで、「奥の細道」の「閑さや岩にしみ入蝉の声」について取り上げていた。
かつて、この「蝉」の種類について、斎藤茂吉はアブラゼミ、小宮豊隆(夏目漱石の門下で研究者)がニイニイゼミだと主張して論争を繰り広げたという。結局、7月13日の山寺ではアブラゼミはまだ鳴いていないので、ニイニイゼミだという結論になり、頑固な茂吉も納得したそうだ。
林先生は「番組スタッフが山寺に問い合わせたら、今年は既にアブラゼミも鳴いていて、昔とは違ってきているようだ」と結んでいたが、温暖化とかそういうことではなく、秋田市と同様に今年は特にアブラゼミの発生が早いということではないだろうか。
【12日22時追記】ということは、芭蕉が訪れた年も、アブラゼミがとても早く鳴き始めていた可能性がなくはないかも…
【2017年8月14日追記】2017年8月14日付朝日新聞天声人語によれば、昆虫学者・埼玉大名誉教授の林正美氏は「時期や標高からするとアブラゼミ説よりニイニイゼミ説に理がある」と話したとのこと。

12日の秋田魁新報7面「ニュースのつぼ」では、「気象台の生物季節観測」を解説していた。
秋田地方気象台では植物18種目、動物13種目の計31種目を観測。しかし、トノサマガエルは1995年から、モズは2005年から、ホタルは2011年から、それぞれ記録できていないという。
また、植物は気象台構内(山王の第二合同庁舎)にあるものが多いが、イチョウとウメは、近くの日吉八幡神社の木で観測(記載はないが「標本木」ということか)しているという。
タンポポは、セイヨウタンポポではなく在来種のニホンタンポポが観測対象のため、職員が敷地内の株から種を取って育てているが、難しいとのこと。(梅林園にでも行けばたくさん生えているけれど、市街地とは条件が違うからデータには使えないだろう)


千秋公園ではハスが続々と咲き始めている。庭先ではノウゼンカズラなんかも咲いていて、今年は早いような気がしなくもないけれど、気のせいかもしれない。
遅いとは思ったものの、広面近隣公園のハナショウブ(以前の記事)を見に行ってみると、
わずかな花とたくさんの花殻
思った通りだったけれど、今年もちゃんと手入れされて美しく咲いたであろうことはうかがい知れた。以前は部分的に破損が見られた木道も、補修されていたようだ。

ここは太平川の河跡湖(三日月湖)を活用した公園。
例年なら「ぶおーん。ぶおーん」とウシガエルの声が響き渡っていたものだが、今回は鳴いていなかった。
【17日追記】16日付秋田魁新報秋田市地域面で、この公園のウシガエルの声が騒音として住民を悩ませていることが報道された。
秋田市公園課には毎年、対策を求める苦情・要望が寄せられるという。市から相談を受けたNPO法人秋田水生生物保全協会が6月21日に調査したところ、少なくとも6匹のウシガエルと大量のオタマジャクシ、さらにオオクチバスなど「特定外来生物」の魚類が確認された。(ウシガエルも特定外来生物)
市は効果的な駆除を検討したいとしていて、NPO側も同意見ではあるが、池干しをすると太平川へカエルとヘドロが流出する恐れがあることを指摘している。
新聞記事では、この公園は敷地2万3000平方メートルで「2003年に整備された。」とあるが、秋田市例規集では1998年3月31日供用開始となっていて、僕も2000年前後に既に公園ができているのを覚えている。(以上追記)

湖(池?)のほとりにはアジサイのほか、
 ネムノキがもう咲いている
火野正平さんがお手紙を読んだ、秋田駅東口の拠点第一公園では、もっと盛大に咲いている。




5月にお伝えした、通町(所在地は大町一丁目)に建設中の「上通町招福稲荷神社会館」。
左から2軒目とその後方の高い建物
だいぶでき上がってきた。両隣の建物に足場が組まれているけれど、関係するのだろうか。

以前も触れたように、奥行きが深い建物。外壁の色が通り沿い(白&茶系)と奥の高いほう(グレー)で違うので、別の建物のように感じられる。
通町橋から。上にソーラーパネルが置かれた
奥の高い位置に、何やら文字が表示された(写真の赤い丸)。会館の名称らしい。
たしかに正面より遠くからでも目立つけれど、正面に表示しなくていいの? という気もしますが。(後から設置するのかも)
その表示
「上通町招福稲荷神社」の下に愛称が表示されている。公募されていたようだ。
公式フェイスブックなどを見てもまだ発表されていないようだけど、こんなに堂々と表示し続けて(少なくと今週半ばからこの状態)いるんだから、発表されたも同然ととらえますよ。

表示は達筆。愛称の1文字目が分からなかった。2文字目以上は「鳥会館」。
1文字は「美」だと思われるので、「美鳥会館」。

恥ずかしながら知らなかったが、ここはかつて「美鳥(みどり)」という料亭(?)があったそうだ。【14日追記】表記は「美どり」だったらしい。
その店が閉店した後、経営者が家を建てて住んでいて、亡くなって会館が建てられたという流れになる。
もうすぐ完成することでしょう。

【18日追記】その後、18日に両隣の建物の足場が取れたのを確認。会館の工事に付随するものだったようだ。
また、通町の通りに面した正面側・1階と2階の間にも、旭川側よりも小さめの黒い同じ書体で「上通町招福稲荷神社 美鳥会館」の表示が設置されていた。
【8月12日追記】8月12日の「草市」で、会館前において産直の出店などが出され、実質的に使用開始になった模様。
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こころ旅@金照寺山

2014-07-09 23:50:36 | 秋田の地理
この記事後半に続いて、「金照寺山からの風景」 として秋田市が舞台になった7月2日(本放送日)のNHK BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」。

父の転勤で12歳から中学2年生まで秋田市で暮らした、東京都の男性(54歳)からの手紙。
秋田市立秋田南中学校に入学すると、担任の「茶々丸」こと佐々田(←あやふやな記憶)先生が、「毎週日曜の朝7時に金照寺山に集合する」ことを提案。金照寺山頂上の広場に多くの生徒が集まり、走り回ったり冬はソリで遊んだりして、クラスの仲間と少しずつ打ち解けて仲良くなれた。そんな金照寺山頂から見た、秋田市内や遠くの山々が懐かしい。
といった内容。

手紙でも触れられていたが、金照寺山(きんしょうじやま)は、秋田駅の真南約2キロ・奥羽本線(秋田新幹線)と羽越本線が合流する付近にある、標高56メートルの小さな山。
(若い人はどうだか分からないが、)一定の年齢の秋田市民なら、名前は確実に知っているだろう。
その一方で、奥羽本線を挟んだ向かいの「一つ森公園」の山と混同している(奥羽本線開通前はつながっていたそうで、一つ森公園も計画段階では「金照寺山東部公園」と呼ばれていた)人もいる。それに金照寺山は公園としてはあまり手入れされていないので、登ったことがない人は多い。
昔はハイキングの場所だったこともあるらしいが、現状では、名前だけがよく知られた山といったところ。【10日追記】秋田市の都市公園などに指定されているわけではなく、管理はどうなっているのか不明。

金照寺山は元々は「楢山」という名の山で、今の楢山地区の由来になったそうだ。
1602年に佐竹の殿様が茨城から来た時、「天徳寺」が置かれて「天徳寺山」となるが、1625年に泉地区へ移転(それが現在に至る)。1655年頃に角館から「金照寺」が移転して「金照寺山」になった。
今は山のふもと、太平川の百石橋や羽越本線の近くに金照寺(1655年のとは別モノだが、関係はある)がある。

山の南には市立城南中学校、南から西にかけては住宅が建ち並ぶ。平地が多い秋田市では珍しい、高台にある学校や住宅街。
それ以外は斜面に木が茂る部分が多い。JR(?)やコミュニティFMの電波塔があり、北側は太平川が流れる。道がほとんどないに等しかったり、墓地があったりもして、近寄りがたい雰囲気がする場所も多い。いわゆる「心霊スポット」として認識する人もいるらしい。


こころ旅に戻って。
※以下、当ブログの過去の写真の再掲と、Googleのストリートビューの画像を主に使います。
前日からの流れで、羽後本荘駅前で満開のサツキを背に手紙を読む。(メガネをかけずに読み始めて、途中で気付く)
「(駅名は)羽後本荘だけど町は由利本荘。どういうことだか分かんないけど」
これは、かつての市名が「本荘市」で、国鉄時代からの駅名が「羽後本荘」。駅名は、音が同じ埼玉県本庄市の高崎線本庄駅との混同を避けるためだろう。平成の大合併で「由利本荘市」ができたという経緯。

いつものように、地図を広げてルートを確認。【とうちゃこ版のみ】
通常は、県単位の地図(おそらく昭文社「分県地図」)を使うが、今回は「それだと分かりにくいと思いますので」と秋田市だけの地図も出てきた。僕も愛用している昭文社「都市地図」。(昔は「エアリアマップ」というシリーズ名だったが、現在は使わなくなったらしい)
秋田市の地図では、金照寺山やその標高も明記されていて、さらに秋田南中学校も発見できて、「よう分かんな。これ」。
市街地に低い山があることについて「山かこれ? ほんとに」。

羽後本荘から秋田市南端の下浜駅までJR羽越本線で輪行。
券売機で正平さん自らきっぷを購入。「買えるわい。自分で」(先に現金を投入して、ボタンを押していた。タッチパネル式券売機ではボタンをタッチしてから投入するのが正式な手順とされている)

下浜駅から自転車で20キロ。
(再掲)下浜駅跨線橋から国道7号線と日本海
駅前の国道7号線は狭いため、珍しく歩道をゆっくりと通行する。
ずっと国道を進むのかと思いきや、駅から2.4キロほど進んだ(道幅は広くなる)、「大山」バス停そばの「第二酒田街道踏切」を渡って山側の桂根集落沿いの道へ。【とうちゃこ版のみ】
こころ旅の自転車ルートは、後ろからスタッフ(ディレクター?)が正平さんに指示する。行き当たりばったりではなく事前にリサーチされているようだ。
時々、地元の人しか知らなさそうな軒先をすり抜けるような道や、旧街道のような道を通ることもある。
これは、交通安全上の理由のほか、いわゆる「画になる」かどうかという演出上の理由もあるのだろう。延々と幹線道路を走る映像を見せられても、おもしろくない。

では、桂根集落はどんな光景なのかと期待したら、そこは残念ながらカット。
【とうちゃこ版のみ】次のシーンは、木々に囲まれた細い道。沿道にスクラップ置き場のようなものがあり、奥に踏切。
ストリートビューで確認すると、桂根駅北側の「桂根踏切(踏切番号90)」。渡れば老人ホームやデイリーヤマザキがあって、国道7号線(南バイパス)、県道56号線(前の国道)、浜田集落を通る旧道が入り交じる地点。
その踏切の手前の道路上に毛虫がいた。正平さんは「かわいそうに」とその1匹を素手でつかんで、「早く。ダメだって戻っちゃ」と近くの葉に載せていた。
生き物好きの正平さん、昨秋の秋田ではヘビをつかんでいたが、毛虫までつかむとは!
スタッフからも「えーっ」と声が上がり、ご本人も「大きなお世話なんだろうな」と言っていたけど。

浜田地区では、大森山の西側のふもと・海沿いの集落の中の旧道を進む。こころ旅としては妥当な選択。【朝版では下浜駅の次がこのシーンなので、桂根集落内を通らなかったかのように編集されている】
山のふもとだけに、アップダウンやカーブが多い道。
「昔の旧道だろうね。けっこう、うねってますね。なんだかんだつって」
海辺ぎりぎりの道ではないが、海が見え隠れし、昔ながらの立派な住宅や秋田市内にしては小ぢんまりとした浜田小学校があり、いい雰囲気の道。何かネタがあるかと思ったが、特になし。

【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版】この日は蒸し暑かった。「暑い。蒸す」と浜田の旧道の途中で、休憩。
わりと広い道路が交わる丁字路の角でひと休み。旧道が南バイパスのトンネルの上を通る所だ。バス停で言えば「元中村」と「中村一区」の間。
ストリートビューより。左に下りればバイパス

さて、南から秋田市中央部に入るには避けて通れないのが、雄物川(おものがわ)越え。
正平さんは高い所が嫌いで、特に下が見える橋を非常に怖がり、それがこころ旅の定番の場面になっている。
今回のルートでは、上流側から秋田大橋(県道56号)、雄物新橋(県道65号)、雄物大橋(国道7号南バイパス)の3本が選択肢となる。
いずれも長さ400~500メートルほどの橋で、下の雄物川の水面から高さがあり、恐怖を感じるのも分かる。

しかし、雄物大橋、秋田大橋は比較的新しい橋であり、車道・歩道とも足元の真下に川面を見て歩くような構造ではなく、恐怖感はかなり軽減されると思う。(その分、おもしろくない橋だとも思いますが)
一方、雄物新橋は、1963年にできた古い橋(名前は「新橋」だけど)。車道は広くはないし、外付けの歩道も(一部若干拡幅されたが)とても狭く、高欄(手すり)の隙間から川面が直に見えて(しかもこの付近の川はとても深そう)、3橋の中でもっともスリルが味わえる橋である。
また、雄物新橋は両岸とも、すぐに信号機のない交差点かつ坂道になっていて、通行には少々神経を使う地点でもある。他の2橋は、そのような危険は少ない。
いずれを通っても大して距離が変わらないこともあるし、雄物新橋は通らないだろうなと思っていた。

水曜日では一切放送されなかったが、【月曜朝版のダイジェストだけ】で、こんなシーンがあった。
昭文社の秋田市の地図で雄物川付近を見ながら、「これなにこれ? 新橋とか大橋とか。地下道ないの?」「オモロ川っていうの? ぜんぜんオモロない」
「『雄物の渡し』って書いてありますね」(スタッフ「それにしますか?」)「(渡しなんて)ねえよ!」

また、【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版(休憩シーンの次)】では、
下り坂の下の先に大きな橋の緑色の橋桁が横たわって見え、「なんかあるぞ。会いたくなかったヤツだな。」
この場所は、新屋栗田町の県立栗田養護学校北側・県営住宅経由の新屋西線が鋭角に曲がる(「浜街道」バス停)丘の上。川沿いながら間に木があって、川は見えない。
ストリートビューより。テレビではズームしていたのでもっとはっきり見えた
ここに来たということは、浜田の休憩した地点で旧道を外れて南バイパスへ下りて、雄物大橋手前の立体交差でこの道に入った、もしくは、旧道をさらに進んで、県営住宅や養護学校の前を通って来たといったところだろうか。
見えた橋桁は秋田大橋のもの。それより手前に雄物新橋があるのだが、木に隠れて見えない。
タイミング良く、中央交通の路線バス(栗田神社経由駅行きか)など車が雄物新橋に向かって通過。「左も(橋が)あるな」

坂を下って示されたルートは、左。
なんと雄物新橋を渡った! もちろん、車道を通行。
北岸・勝平地区側から。向こう岸の右から坂を下りて、橋を渡った
【この辺りは月曜朝版と水曜の朝版で、会話が小刻みにカットされたりされなかったりしている】
「ああ! 歩道はあんなに(狭く)なってる。」「つべこべ言わんと行こう」「後ろから(車が)来たらどうしよう」「(下を)見たくない」「無理」「怖い」

車で別動して撮影する「Bカメ」は、対岸の勝平側の下流側の高い位置から、雄物新橋を渡る一行を俯瞰でとらえる。月曜朝版は、このシーンでエンディング。
微妙に違うがこんな感じのアングル
幸い、後ろから車両は多くは来なくて、追走してくれたようだ。

字幕では「雄物川」とは表記されたが、橋の名前は知らされなかった。8日放送の弘前市では「富士見橋を渡る」などと橋の名前が表示されたので、ケースバイケースのようだ。
雄物新橋。奥の松が生えている辺りにBカメがいたはず
「見たくない」「無理」「怖い」が流れたのは月曜朝版だけ。月曜朝版では、正平さんが怖がったことを強調する編集だった。
ところが、とうちゃこ版では、橋に入る前のシーンはすべてカット。
Bカメの雄物新橋を渡る映像だけが使われて、正平さんは怖がらずに渡ったかのような編集だった。
テレビの編集なんて、いかようにもできるもんだ。

それにしても、どうして雄物新橋を選んだのか。ある種の演出だろうか。
トラス橋なので形が橋らしい(他の2橋は上部構造がない桁橋)し、丘の上から俯瞰撮影できるし、正平さんが怖がりそうだし、そんな条件を満たす橋は、3つの中で雄物新橋しかなかったわけだが…
正平さんがかたくなに「こんな橋渡りたくない! 向こうの橋(秋田大橋)のほうが渡りやすいじゃないか!」と主張したらどうなっただろう。そんな往生際の悪いことはしないで演出に従うのが、プロか。
※演出を否定するものではありません。ただ、伝えられることすべてが、ありのままの事実ではないということは忘れるべきではないでしょう。


いよいよ秋田市中央部・中心部に入る。※ここから先のルートは、下のほうに地図で示してあります
新屋から金照寺山というと、茨島→卸町→牛島などと通るかと思いきや、
朝版、とうちゃこ版とも、次のシーンは大町の旭川に架かる四丁目橋。意外な場所かつ身近な場所で驚いた。
雄物新橋からの経路は不明だが、勝平→新川橋→川尻→旭南または旭北だろうか。

他にも道はたくさんあるのに、こんな狭くて一方通行の道を選んだのが不思議。
四丁目橋の手前は、歓楽街・川反(かわばた)。
ひょっとしたら正平さんが「夜はここらで秋田美人と一杯やりたいねぇ」なんて言ったかもしれない。あるいは少し手前の旭北寺町のたたずまいを眺めたりしたかもしれない。
ストリートビューより四丁目橋。ここを右折
四丁目橋を渡って、五丁目橋方向へ右折。土手長町通りへ。(サークルK土手長町通り店に突き当たる丁字路かのように見えるが、カギ型の変形十字路で、サークルK左側に「池永小路」が伸びている)
(再掲)北都ビルディング。左が四丁目橋
曲がってすぐ、北都ビルディング(旧・北都銀行別館←秋田あけぼの銀行本店←秋田相互銀行本店)前付近で、正平さんが「カラフル!」と声を発する。歩道を歩いていた人の服装のことだろう。後ろ姿で小さくてよく分からないが、カラフルなタイツなどをはいていた。

次のシーンは、南大通りの菓子店・光月堂やローソン秋田南通築地店付近。五丁目橋交差点を左折したことになる。
そのまま「明田地下道西」交差点。自転車を降りて横断歩道を渡って右側へ渡るように指示あり。渡った先で、歩いていた女性2人(母娘?)に声をかけられる。

交差点角に立っている道しるべの案内板に「秋田南中学校460メートル」とあるのを発見。
その女性に「金照寺山知ってる?」と聞くも、ピンと来ず。女性の1人は南中の生徒? 卒業生? で、「(南中で金照寺山へ)遠足や遊びに行かない?」と聞くも、「一つ森は行ったけど…」。
※秋田では一般に「なんちゅう」と呼ぶが、正平さんは「みなみちゅう」と言っていた。
【10日画像追加】南中側の狭い道から見た明田地下道西交差点。奥が秋田駅西口・右が地下道。左の南大通りから来て、左手前角で標柱(電柱に隠れて見えない)を発見・女性と会話した。放映されていないが、この後この狭い道へ進んだはず
そのまま南へ進んで、いわゆる大堰端(おおぜきばた)の通りを進んだようで、次のシーンが秋田南中学校前。道路上から校舎や正門の表示を見る。
(再掲)秋田南中学校。左手前が明田地下道方向
いつものこころ旅なら、目的地のかなりギリギリまでスタッフからルートの指示があるものだが、今回は南中から先は、正平さん自ら探さなければならないらしい。
【2015年6月13日追記】最終目的地は正平さん自身で探すことはたまにあり、「知っているのに教えてくれない」「イケズなやっちゃ」などと、監督に対する文句をおっしゃることもある。
「(金照寺山は)こっからそんなに外れて(離れて)ない(はず)。誰かいねえかなー」で朝版エンディング。
昭文社の秋田市の地図を持っているんだから、それを見ればもう少しは分かるでしょ… という気もしなくはないけど。

考えてみれば、秋田市民に「金照寺山への道順」を尋ねても、はっきりと説明できる人は多くないかもしれない。川があったり道がカーブしていたりして、知っていてもうまく説明できない。さらに、登り口がどこにあるかは把握していない人がほとんどだろう。

とうちゃこ版では、南中前からさらに南へ進む。秋田市中心部の数少ないサークルKがまた映る(秋田南通宮田店)。
その先、ト一屋の通りや2010年に新しく開通した愛宕下橋方面への道が交わる、楢山佐竹町の交差点。
そこを左に曲がって細い道に入り、すぐに二股に分かれるので右へ行くと、「今、高いもの見えたね。秋田市内なのに山あるんだけど」。
(再掲)左の南中方向から来て、奥の道へ進んだ。奥に金照寺山が見えている
進むと、羽越本線の踏切。「袋小路踏切」だ。
(再掲)右方向に太平川、対岸に金照寺山がある
その見えている山が金照寺山という確証はなく、近付く道も分からない。
「難しいな。こういう所になると」「これしかないじゃん。周りに50メートルのもの(ほかに)ないもん。ただ、その名前を見っけないと」
踏切で引き返し、すぐの住宅の松の木に登って剪定をしていたおじさんに尋ねる。
あれが金照寺山であることは教えてもらって分かったが、そこへ行く道は「複雑で教えれない」。「落ちないでね」と声をかけて、少し戻って南へ進む。
高い所が苦手な正平さんは「今の人と逆の立場だったら、怖くて答えてられない」。
なお、この松の木は羽越本線の車窓から見える。先日、車窓から見たところ、おじさんが落っこちないで無事に手入れが終わったようで、美しい枝ぶりになっていた。(松は2本あり、どちらも剪定済み。線路に近い木で作業中のところを正平さんが尋ねたはず)

佐竹町の交差点の手前で左折し、太平川から続く大堰跡の桜並木の北端付近を通る。(並木には入らない)
(再掲)ここを左から右へ通過

次のシーンは、踏切を渡って右へカーブする道。「金照閣踏切」の先だ。
百石橋で太平川を渡って、金照寺の前を通ったのだろう。
山のほうへ曲がる道があり、そこにあるバス停に「金照寺山公園前」のバス停を発見!
やっと入口が分かった。「みんな知らないもんだな」

曲がってからしばらくは住宅が並ぶ坂道が続く。「でもあの山、木がうっそうとしてて、周り見えんのかな?」
500メートル強進んで、住宅が途切れた所に秋田市南部公民館による「ふるさと探訪」の説明看板を発見。
いつもなら「とうちゃこ」となる場所のはずだが、特に発言はなし。
四丁目橋から金照寺山までは青線のルートをたどったと考えられる
自転車を置いて、徒歩で登る。木と草に囲まれた狭い坂道。
「ここへ日曜の朝集まったんすか? めんどくさいこと言う先生やったんやな」
頂上へ到着。そこは草が生い茂る広場だった。

正平さんが危惧した通り、広場を木がぐるりと囲んでいた。「なんも見えん。どうしましょ」「森になっちゃってる」
木の隙間から、部分的にかろうじて遠くが見える部分があった。
東方向の太平山の一部、逆光ながら南方向の県立新屋高等学校、秋田市上下水道局豊岩浄水場、風力発電の風車が映された。

再度手紙を読んで、「秋田市内にこういう所があります。そのうち刈りこんで見えるようになる時が来るかもしれない」と結んだ。


実は、僕も以前(もう10年くらい前?)、1度だけここに行ったことがある。
やはり途中の道が分かりづらく、積極的な整備がされていない感じがしたのと、何よりも眺望が期待外れだった。
ただ、木の葉が茂っていない冬ならば、いくらかは見通しがいいはず。
手紙では冬も来ていたとあるので、もしかしたら、当時も木が茂っていて夏場は眺めはあまり良くなく、冬に見た眺めが心に残っていたかもしれない。

また、この広場よりも、金照寺山の山腹というか坂の途中の各所のほうが眺めが良い場所もある。
(再掲)北西の山腹から太平川桜並木と南中・秋田駅方向。正平さんたちもこの下は通ったはずだが、階段なので自転車では来られない
【11日追記】他には、東側の奥羽本線・車両基地近くの階段や城南中学校の敷地から回りこむルートもあるはず。

あと、この日、昼食シーンはなかった。珍しくはないことだが、どこで食べたのだろう。


人それぞれ、いろんな思い出があるものだ。
投稿者は転勤族で、中2の途中で転出したということだから、今は秋田の同級生とは音信不通かもしれない。これをきっかけに、クラスメイトや茶々丸先生と再会に至ったりするかな。
それに、見慣れた場所に芸能人が来てテレビで取り上げられるのは、やっぱり不思議なもんだ。袋小路踏切まで映ったのは感慨深く、満足して見た。
と思ったら、今回の内容について、やや重大なツッコミどころがあるのだった。

秋田南中学校は移転していたのだった!!
当ブログでもこの記事などで取り上げていたのに、恥ずかしながら頭から抜けた状態で見ていた。

当初の南中は、現在の楢山南中町の楢山コミセンの位置(上の地図参照)にあり、1976年度から1978年度にかけて、南通宮田の現在地に移転している。
投稿者が南中に通っていた当時は、旧校舎の末期となる。その頃、現在の南中の場所はグラウンドと工場だったはず。

こころ旅では、目的地が不明瞭なものについては、正平さんやスタッフの推測で「とうちゃこ」したり、投稿者にそこがほんとうにその場所なのか確認はしないので、実は少し的外れの場所だったということが、それなりにありそう。
厳しく言えば「詰めが甘い」が、こういうユルさもこころ旅の魅力とするべきだろう。

今回は、「南中そのものがこころの風景(目的地)」という手紙ではなく、ついでに学校も訪ねてみたわけだから、根幹から覆されるような話ではないし。(「蛇足」ではあるか)
【19日追記】15日放送の小樽では、大学の寮を訪れた(秋田同様、目的地そのものではなく、関係する場所)。当時の寮は解体されて新しいものができていた。当時のことをよく知らない今の寮の管理人の話を元に、以前寮があったと思しき場所に立っていたが、それが投稿にある寮と同一なのか確証はないだろう(寮が複数存在した可能性もある)。
こういうことは、大学の本部に尋ねれば、わりと簡単に正確な場所が分かったのではないだろうか。せっかく現地に行ったんだし、天下のNHKなんだし…(繰り返しますが、これがこころ旅の良さではあると思うけれど…)


金照寺山には城南中学校があり、秋田南中からすれば「隣の学区」になる。
ただし、中学校どうしにしては比較的近い距離であり、南中学区の端からでも道のりで2キロ強で山に来られると思う。
でも、毎週生徒を集めるのなら、千秋公園辺りでも良かった(こちらは秋田東中学区)のに、茶々丸先生はどうして金照寺山を指定したのだろう。千秋公園だと、帰りに(当時は秋田県内随一の繁華街だった)広小路で遊んで不良行為に及ばないようにという配慮か?


あと、中央交通さん。
金照寺山への登り口を見つける重要な役目を果たしたバス停のことですが。
ここは、秋田駅西口と日赤病院を結ぶ有楽町・牛島経由の路線が通る。かつては市営バスによる上北手荒巻・古野行きだったが、中央交通移管後日赤止まりに再編、さらに北都銀行前経由から南大通り経由に変わっている。
この路線には、牛島小学校経由と城南中学校経由の2系統があり、ここは城南中経由だけが通るバス停。

そのバス停名は「金照寺山公園前」と表示されていた。
「金照寺山公園」という公園は存在しない気もするが、そのものズバリの名称。
しかし、中央交通の公式サイトや100円だかで売り付け頒布している路線図、それに地図サイトなどでは、そんなバス停は存在しない。
「金照寺山公園東入口」という名称になっているのだが…
金照寺山には「東」以外の入口のバス停は存在しないからこのほうが分かりやすいかもしれないが、いつの間に現地の表記が変わったのか?(2012年9月のストリートビューで既にそうなっている)
変えたのなら、せめて公式サイトや売り物の路線図では実態に合わせてほしい。
【11日追記】考えてみればここって「金照寺山の『東』」ではない! 西じゃないか! 「金照寺山公園東入口」は明らかに不適切な名称ということになる。
なお、市営バス当時1988年の冊子時刻表では、「金照寺山公園」と表記されている。いつの間に「東」になって、再びそれが消えたのか…※この記事も参照



秋田市がちょっと出てきた、翌日7月3日・木曜日放送の冒頭も取り上げておく。
最初に手紙を読んだのは、秋田駅東口の南側にある公園の築山(つきやま)の上。
新幹線など列車の出入りがよく見えることから、親子連れに人気だし、人口の割に公園が少ない一帯のためか、老若男女問わずわりと人がいる公園。
所在地としては東通仲町、名称は「拠点第一街区公園」だが、新幹線が見えることから「こまち公園」と呼ぶ人もいるらしい。
※列車が「見える」というだけで、鉄道写真の撮影にはあまり向かない場所だと思います。

正平さんは「駅の裏にいます」と紹介。今は「駅裏」とはあまり言わなくなったが、やっぱり西口と比べれば、西口が衰退したとは言え「裏」に見えるか。
公園からは金照寺山も見える。「あの塔が金照寺山」と昨日の内容を説明。
秋田駅自由通路から見る金照寺山。手前に拠点第一街区公園も見える。赤矢印の先付近に、手紙を読んだ築山がある
手紙を読んだ後、秋田駅から列車に乗車。駅までの途中にNHK秋田放送局(秋田放送会館)がある。
(再掲)左の低いのがNHK、中央がアルヴェ、右が駅東口
駅と棟続きの「拠点センター・アルヴェ」とさらに棟続きがNHK。
木曜の朝版では「(NHKは)駅のすぐ近くにあるべ」と言っていたようだが、「アルヴェ」を知っての発言だろうか?

最後に、若くてきれいな女性が大好きな正平さんらしいエピソード。
【木曜の朝版】「受付は秋田美人かな?」とガラス張りの秋田放送局正面から中を覗く。
しかし、受付カウンターの椅子が低くて机に隠れて、受付の人の顔が見えない。椅子を高くするように「投書して」と言い、通りすがりのおばあさんも賛同。

【月曜朝版のダイジェスト】秋田放送局前に夕方の「ニュースこまち」のポスターが出ていた。
ポスターの写真は、マイクやカメラを持った人物が2列に並んでいて、1名を除いてすべて女性。
それを見て、「これほんとのスタッフ?」「カメラもこの人? マイクもこの人?」と尋ね、こころ旅のスタッフが「そうらしいです」と答えると、「投書して(こころ旅のスタッフと)全取っ替えお願いします。君たちごくろうさんでした」。
しかし、実際にはそうではなく、「※全員 NHK秋田のキャスターでした」とテロップが出た。
そんなに気に入ってもらえたなら、秋田局のキャスターが出てお見送りすれば良かったのに…
【11日追記】アルヴェ屋上に設置されているNHK秋田のお天気カメラからは、拠点第一街区公園も金照寺山もどちらもよく見える。映像を使わせてもらえばよかったのに。(巨大組織NHKでは、こういう横の連携はなかなかできないんでしょうね【11月2日追記】どこかの局では、Bカメが放送局のアンテナ塔に上がって撮影していたことがあり、高いところ嫌いの正平さんが感心? していた)

【月曜朝、木曜朝、木曜とうちゃこ すべてで放映】秋田駅の中央改札口内(在来線側)。
「あきたびじょん」のポスターの1つ、白黒の女性の写真を見て、「この娘、秋田の人だよね絶対に。(プロの)モデルさんじゃないよね」。
番組ではそれ以上追求しなかったが、正平さんの見立ては正解。ただし、近年のものでなく1953年に木村伊兵衛が撮影したもの。モデルの女性は数年前に亡くなっている。
すぐに改札口に目を向けて、駅員に注目。(男性駅員1名と)女性駅員2名がいて、「べっぴんさんだ。両方とも」。

正平さんは秋田美人に会えて満足したかに思えたが、8日の青森県初日の手紙にあった「東北美人には遭遇しましたか」との問いに「してない。まだ」と言っておられた!
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サザエさん夏/こころ旅

2014-07-07 00:23:44 | 秋田のいろいろ
先週書いた、秋田が紹介されたテレビの続き。

フジテレビ系のアニメ「サザエさん」のオープニングアニメーションで、秋田県内の観光地などが紹介されている。
4月から6月までの春バージョンが終わって、6日から夏バージョンに変わった。
さっそく各シーンを記しておく。太文字は画面に表示される内容。
竿燈が重なりあう背景に、サザエが太鼓を叩いた後、「サザエでございまーす」
01.「秋田竿燈まつり(秋田市)」「サザエさん」タイトル。額、腰、てのひらで上げられる無数の竿燈の光景(竿燈大通りの会場をモチーフにしているのか?=背景に電柱間に渡された装飾用のちょうちんらしきものが並んでいるので。さらに背景には松のシルエットらしきものもあるが、モデルは不明)を左から右へパン
02.「秋田県立美術館(秋田市)」2階ミュージアムギャラリーでコーヒー(?)を飲みながら水庭を眺めるサザエ
03.「象潟九十九島(にかほ市)」象潟(きさかた)は田んぼの中に松が生えた丘が点在する。かつては海に浮かぶ島であり、地震で海が隆起したもの。昔、海だった頃の絵→現在の光景。奥に鳥海山、空にサザエ気球
04.「男鹿水族館GAO(男鹿市)」飼育員の服装でペンギン(ジェンツーペンギンとイワトビペンギン?)に魚をやるサザエ
05.「増田の内蔵(横手市)」見学するサザエ
06.「綴子大太鼓祭(北秋田市)」人物と重ならない配慮なのか文字が中央寄り。旧・鷹巣町。祭を見るサザエ
(間奏)
07.「秋田内陸縦貫鉄道」橋(大又川橋梁 ?)を渡る赤い2両の列車を下から見上げる。空にサザエ気球
08.「あがりこ大王(にかほ市)」奇形・巨樹のブナ。周りにサザエ
(2番)
09.「ババヘラアイス」ハスが咲くお堀端でババヘラを買う母子を背景に、 スプーンでバラ盛り(バラの花状に盛りつけたババヘラアイス)をスプーンで食べるサザエ
10.「男鹿のナマハゲ(男鹿市)」囲炉裏端に座り、2匹のナマハゲに脅されるサザエ
11.「かまくら館(横手市)」冬のかまくらのイメージ→館内で見学するサザエ
12.「稲庭うどん」食べるサザエ
13.「八幡平・大沼(鹿角市)」夕暮れ時に眺めるサザエ
色鮮やかで、秋田の魅力が上手く表現されていると思う。春よりも好き。(地元のひいき目もあって)特に冒頭の竿燈がきれい。

春同様、綿密な現地取材を行っているようで、実際にかなり忠実に描かれているのにも感心させられる。一方で、若干事実と異なる点もあった(演出上の効果なのは承知ですが)。
再掲)県立美術館ミュージアムギャラリーと水庭
県立美術館のシーンでは、水庭越しに見える(空き家のままで活用が未定である)旧・県立美術館の特徴的な屋根が忠実に描かれている。
さらに、美術館隣の秋田市にぎわい交流館AUや旧美術館隣の国学館高等学校も少し見える。
ただ、全体的な位置関係というか角度が、若干実際と違っている気がする。

ババヘラのシーンは場所は示されないが、美術館の向かい・秋田市千秋公園入口の中土橋通りから、大手門の堀方向で間違いない。実際にババヘラアイスもやって来る。
(再掲)このアングル(アニメでは手前の道路も描かれ、そこにアイスやサザエがいる)
この背景も忠実で、アトリオン、ホテルドーミーイン(看板は描かれず)、ジュエリーかまたが入っていたビル(ちょうど現在、何やら内装工事中※)がはっきりと分かる。
【8月9日追記】※ジュエリーかまた跡は、2014年8月に「AE(アキタ・エンターテインメント)ショップ」という、秋田の芸能事務所による、秋田のミュージシャンなどのグッズやチケットを売る店がオープンした。

ただ、サザエがスプーンでババヘラを食べるのは上品すぎる。ババヘラはそうやって食べるもんじゃないし、サザエの性格からしても… コーンの底が平らであるなど、アイスの形も若干おかしい。
あと、秋田で一般に「バハヘラアイス」と呼ばれるものは、複数の業者が存在する。「ババヘラ」はそのうち一部業者の登録商標なので、厳密には総称として「ババヘラ」を用いるのは適切ではない。アニメでは、アイスを売っている所に「BABAHERA ICE CREAM」とも書かれているが… ※じゃあ総称はなんて呼ぶんだと聞かれると困る。「ババヘラ」と呼ぶしかないのが実情。
ちょっと話が逸れて、ババヘラアイスの盛り付け方。昔のババヘラは、単にヘラで山状にしたものだった。10年くらい前だろうか「伝説の“バラ盛り”ができるババ(売り子)が1人だけいる」と話題になったものだが、現在ではバラ盛りができるババはかなりの人数いるようだ。盛り付けに時間がかかって融けそうだし、ババさんだって面倒だろうに、なぜかバラ盛りが流行ってしまっているのだ。

内陸線のシーンは、赤い列車が2両。
しかし、実際には内陸線の車両は1両ずつ違う色に塗られていて、赤いのは「8806」1両だけのはず。

そう言えば、春に予想した「大曲の花火」が描かれなかったのが意外。
ということは、もしかしたらアニメ本編でサザエさん一家が見に来たりするのかも??


ともかく、多くの人が秋田に注目してくれるきっかけになるといいものです。



NHK BSプレミアムの「にっぽん縦断こころ旅」では、火野正平が自転車で秋田県を南から北へ駆け抜けた様子が先週放送された。
朝版をしっかり見たのは初めてだったけれど、夜のとうちゃこ版ではばっさりとカットされるシーンがけっこうあった。(地図で目的地を確認するシーンは朝版ではカットされるんだ)
今回は、食事のシーンなどがあまりなく、目的地もインパクトがさほど強くなく、悪天候や坂も少なく、あっさりとした旅のような気がした。(こういうのもまた、こころ旅ならではではあるのだが)
ロケは月曜日から木曜日にかけて行われたようで、天候からすれば6月23日から26日かと思われる。【7日補足】もう1週前かも?

寄せられた手紙や旅の概要は以下のような感じ。
※勘違い・見間違いはご容赦ください
※朝版で流れて、とうちゃこ版でカットされたシーンは【朝版のみ】と記します。その他のシーンでは、朝版で流れずとうちゃこ版のみで流れたものもあります。
6月30日(月)
月曜日はボツネタがいくつか紹介される。現地の写真も放映されるので、おそらく最後まで採用候補に残り、スタッフが現地まで見に行ったものなんだろう。
横手市平鹿町、にかほ市(仁賀保高原)、由利本荘市西目、そして秋田市雄和の高尾山の「土俵」が紹介された。
秋田市が目的地ならば、(行程や風景から判断して)高尾山辺りが放映されるかもと予想していたが、一歩及ばず。


7月1日(火)345日目 由利本荘市「松本変電所の近くにあった橋から見る風景」
埼玉県の男性(64)が幼い頃預けられていた、祖父の社宅があった変電所周辺の風景。変電所は現役だが、現在は無人になっているという。

山形県の羽越本線吹浦駅で手紙を読んで、普通列車(701系「N11」編成)で羽後本荘まで輪行。自転車で17キロの旅。
【月曜朝版のみ】ホーム越しに由利高原鉄道の車両とおばこ姿のアテンダントを眺める。
羽後本荘駅前を出てすぐ、市街地を走りながら「けっこう都会じゃのう」。
新しくなった由利橋を渡って「立派な橋!」。高い橋を怖がる正平さんだけど怖がらなかった。(先代の由利橋なら怖がったかも)
【朝版のみ】「出羽食堂」で冷やし中華の昼食。「この夏(に食べた冷やし中華の中)でいちばんうまい。もう4回か5回食べてるけど」。出羽食堂は羽後岩谷駅近くにあるようだ。
【朝版のみ】羽後岩谷駅周辺では、沿道の多くの人に声を掛けられ「目立つのかな? 俺たち」

国道105号線を東へ、芋川をさかのぼった所に変電所があった。
近所の夫婦に案内してもらい、残っていた社宅の建物の一部や川を見る。


7月2日(水)346日目 秋田市「金照寺山からの風景」
秋田市の金照寺山(きんしょうじやま)が登場!
ちょっと意外だったが、こころ旅ならあり得る目的地。
秋田市中央部は知っている場所ばかりが映っておもしろかったので、別記事にします。


7月3日(木)347日目 三種町「釜谷(かまや)のメロン畑と防砂林、そして釜谷浜」
兵庫県の男性(42)が、母の実家である三種町に子どもの頃に訪れて見た風景。
秋田駅から森岳駅まで輪行。(秋田駅周辺での出来事は金照寺山とあわせて別記事)
昨年10月も、森岳駅で列車を降りている(青森から来て、八郎潟町へ)

701系2両編成の普通列車。「Bカメ」による走行シーンは、田んぼの中を走る列車を見下ろす。背後に八郎潟残存湖と向こうの大潟村の並木が見えていたので、八郎潟-鯉川間(昨秋の目的地そば)か。
いつもなら、車内の窓に張り付いた正平さんへカメラがズームアップするのだが、701系は窓ガラスに濃い色が着いていて見えづらいためか、ずっと引いたまま。
森岳駅から自転車で16キロ。地図を見た正平さんいわく「近っ! ハーフフィンガー」。
角助堤などで最盛期であるジュンサイの摘み取りを見学。【朝ととうちゃこ版で編集が異なる】
昨秋もジュンサイに興味があった正平さん。今回のスタッフの中にジュンサイを知らない人がいて、手に取って説明。今回も「だから関西では、つかみどころがないヤツをじゅんさいなやっちゃと言うんだよ」。
【朝版のみ】休憩中、おばあさん(とお嫁さん? と孫?)に声を掛けられる。おばあさんは正平さんに「先生と握手」「よく来たここまで。おやおやおやおや」「先見えてるババのために」などと感激。スタッフとも握手。
途中の農家の夫婦に呼び止められ、タッパーに入ったメロンを食べる。目的地前に目的の1つを達成できて喜ぶが、この後、肝心の釜谷では畑を見るだけで食べる機会なし。
食べたメロンは「八竜の」と言われていた。話の内容からして、釜谷産ではなさそうな雰囲気だったが、釜谷も合併前は八竜町ではあった。
【放送なし。公式ブロクのみ】昼食は釜谷集落近くの食堂で焼きそば。

投稿者の母が子どもの時植えたという松林を抜け、釜谷浜へ。
(浜にゴミが打ち寄せられていたけど)海はきれいで、少し離れた浜辺には風力発電の風車が並んでいた。
※浜辺に低い煙突みたいなのが埋まっていて、そこから水がじゃぶじゃぶ流れていて、とても短い川のようになって海に注いでいたけれど、あれは何だ?


7月4日(金)348日目 小坂町「小坂町にある製錬の建物」
秋田市の女性(52)が、かつて父娘で勤務していた精錬所の建物。
森岳駅から大館駅まで、E751系特急「つがる」で輪行。前から3両目・指定席2号車の最後尾の進行方向右側の席。最近の正平さんは、Bカメがズームするであろうタイミングを狙ってカーテンを閉めてしまうのが気に入っている。(やられたカメラマンはかなりあせるらしい)
今回は、ちょうどカメラがズームした絶妙のタイミングでロールカーテンを下ろした。【朝版のみ】カーテンを下ろす時は「寄りどこかな?(Bカメが)寄ってるな… さようならー」「まぶしかったから」
ちなみに、あと十数秒遅ければ、対向の701系電車とかぶってしまうところだった。(これもカメラマンはあせるだろうな)

大館駅から小坂まで23キロ。
【朝版のみ】山の斜面の大文字焼きを見つけ「点にして犬にすればいいのに。秋田犬でしょこの辺」。番組では触れなかったが、2009年に実際にやった(点の部分だけ火でなくライトを用いて一部時間だけ)ことがあった。
【朝版のみ】樹海ドーム前で車から声をかけられた後、ドームを見て「オムライスの白いのみたい」
峠越えあり。「最終日に来たか」
樹海ライン沿い「ゆきさわ産直センター」内「雪の里」でラーメンに味玉の昼食

小坂鉄道跡、芝居小屋・康楽館、ルネサンス様式の鉱山事務所、今は鉱山からリサイクル事業へ変わったことなどはごく簡単に触れられ、「知らねえところあるなあ。しかし」。

といった秋田の旅だった。
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フレッシュランチ復活!

2014-07-04 00:36:32 | ランチパック
たけや製パンから、毎月さまざまな新商品が発売される中、ひっそりと姿を消していた(かに見えた)商品シリーズがあった。
「フレッシュランチ」である。

改めて説明すると、山崎製パン(ヤマザキ)では、秋田県と青森県では自社で営業展開せず、それぞれたけや製パン、工藤パンという、地元のパン会社と提携していた。
そのため、全国的にはヤマザキブランドで流通している製品が、両県ではよく似ているけれど微妙に違う商品として売られることがあった。
その1つとして、「ヤマザキランチパック」は、両社それぞれ「フレッシュランチ」という商品名で発売されていた。
※たけや製パンランチパックと工藤パンランチパックは、名前と姿が同じだけで、“互換性”はない。また、ヤマザキと関係がある企業の製品なので、ランチパックを「パクった」わけではない。

5年くらい前までは、秋田と青森では、フレッシュランチばかりでランチパックはほぼ入手不可能だった。
2010年頃からちらほらとランチパックが入って来るようになり、2011年頃にはよく見かけるようになった。東日本大震災後、ヤマザキブランドの一部ランチパックの製造が両社に委託されたことがきっかけかもしれない。

現在、青森では、ランチパックと工藤パンフレッシュランチが併売されているが、秋田では、たけやフレッシュランチは2012年秋に売られていた「マロン&練乳クリーム」を最後にまったく見なくなった。

たけやとしては、自社オリジナル商品に力を注ぎ、フレッシュランチは廃止してランチパックに任せたのかと思っていた。
個人的には、以前はランチパックが買えないことに不満を感じていたが、フレッシュランチがなくなってしまえば、それはそれで寂しくも思っていた。


ところが、2014年7月。
たけやフレッシュランチ りんご&ホイップ 237kcal
およそ1年半の沈黙を破って、たけやフレッシュランチが復活!
最近増えている花立牧場のジャージー牛乳と秋田県産のりんごジャムを使っている。

ランチパックによく似ているけれど色数が少ないパッケージと、右上の女の子のキャラクターは健在だった。
お久しぶり

ランチパックと比べると地味…(袋が小さく見えるのは、気のせいです)
ちなみに写真の「ランチパック バニラ&チョコ」は、「ホームランバー」をイメージしている。

たけやさんは今後もフレッシュランチを発売していくということでしょうか?

【5日追記】フレッシュランチ りんご&ホイップは、想像通りの味でおいしかった。
なお、由利高原鉄道シリーズは以前よりは縮小されたものの、4月から発売の「ミルクパンりんご」はまだ売られている。

【11月2日追記】この後、2014年10月頃にはサツマイモとホイップ??(うろ覚え)のような組み合わせのフレッシュランチが発売。細々とシリーズが存続。

※りんご&ホイップとほぼ同じものが、2015年6月に再発売された。
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出世するアナウンサー?

2014-07-02 00:27:49 | 秋田のいろいろ
地方在住者にとって、その土地の出身者が全国区で活躍するのは自慢。血のつながりがなくても。
最近の秋田なら、加藤夏希、佐々木希、壇蜜、生駒里奈など。壇蜜さんは、生まれたのが秋田で育ったのは東京だそうだが、それでも。
この場合の「その土地」とはおおむね県単位。さらに「市町村」や「町・集落」単位で同じならば、ものすごい自慢になるはず。
こういう感覚は、大都市の人には分からないだろう。(「同じ学校の出身」程度ならあるかもしれない)
ただ、笑っていいとものテレフォンショッキングなどで福岡出身のタモリさんが、「福岡の人は、東京などへ出て行く人のことは『故郷を捨てた』かのように突き放して扱うことがある。しかし、その人が東京で大成して帰ると、手のひらを返したように歓迎する」といった趣旨の発言を何度か聞いたことがある(間違っていたらすみません)。地域によっても違うのかもしれない。【2日訂正】活躍する出身者を歓迎しているんだから、その意味においては、よく考えたら秋田と同じことでした。

一方、転勤族や遠方からの進学などで他の土地から来た人にとっては、「よそ者扱い」されていい思いをしないこともある。田舎(とあえて表記します)ならではの閉鎖性によるものか。
そういう人たちがやがてその土地を離れた後、その土地にその人が暮らしていたことを覚えている人はどれほどいるのだろう。
例えば、今の弘前の人で、僕が弘前にいたことを覚えている人は、きわめて少ない。単なる超長期滞在の旅人のようで、少々切なくもある。


「地元出身じゃないのに、その人がいなくなった後も覚えていてくれる人がたくさんいて、しかも誇らしく感じている人が少なくない」という、ある意味幸せな人がいる。
NHKのアナウンサーである。

言うまでもなくNHKは全国組織であり、日本全国すべての県(県庁所在地+α)に出先機関である放送局が存在する。NHKに勤務するアナウンサー職の職員は、全国一括で採用され、全国規模で異動がある。
※NHKの各放送局に所属して出演する人でも、契約キャスター(昔で言うアシスタント)は、各放送局ごとに募集・採用され、異動はない。ただし、契約終了後、NHKの他の放送局と新たに契約して、実質的には「異動」するケースが最近は少なくないようだ。

NHKがアナウンサーなど職員の異動をどのような方針で行っているのかは知らないが、一般的な企業・役所などの異動と同じく、本人の適性・キャリア、人員のバランス、本人の希望などによっているのだろう。
アナウンサー個人個人にしてみれば、当然、全国を渡り歩く覚悟があってNHKに入ったのだろうが、突然もしくは希望外の異動辞令で不本意ながら着任する人もいるかもしれない。


現在、秋田や青森のような県単位でのローカル放送(県域放送)を行う放送局では、
・正職員のアナウンサーを6名配置
・うち1名は40歳代の「放送部副部長」という肩書き
・他の5名は、40代以下の若手~中堅が中心。50代のアナウンサーはあまりいない
・採用されてすぐ(研修後)の新人が配置されることが多い(新人はいきなり大規模な局には配置されない)
・一部の局では、定年退職後引き続き雇用される嘱託職のアナウンサーがいる
が原則のようだ。【↑2014年時点。その後、下の追記のように2023年春に機構再編が行われ、変更点も出た。
【2023年8月4日補足・2023年から放送部副部長という職名がなくなり、原則として「コンテンツセンター アナウンスグループ統括」となったようだ(北海道各局は違うらしい)。また、(2021年頃から?)「地域職員」という任意の県域局とその周辺局でのみ勤務する制度もでき、青森局などにはそのアナウンサーが配置。】

1人のアナウンサーの異動で見れば、
採用・研修→地方局1~2局→札幌・仙台などエリア(ブロック)の拠点局→東京の放送センター
という流れが多く、その後、副部長などになって再び全国を回ったり、人気者になってずっと東京にいたり、アナウンス業務を離れて他のセクションへ異動したりする。
【3日追記】近年は、後述・コメント欄のように拠点局を経験せずに地方局から東京へ異動する人も少なくない。いずれにしても、30歳代までの比較的早期に、一時的とはいえ東京で勤務するアナウンサーが多くなっていると感じる。

ところが昔は、延々と地方局を回るアナウンサーがいて、東京へ配属される人は限られていた気がするし、地方局には40代・50代のアナウンサーがもっと在籍していた気がする。
今なんか3・4年前に秋田局にいた若手が東京でニュースを読むのはあまり珍しくないが、昔は東京からの全国ニュースを読むアナウンサーなんて、ごく限られた人だったと思うし、今より年齢が高い人が多かったはず。
気のせいか、昔の人は老けて見えたのか、NHKの方針の変化なのか。


地方の一般人の中には、その土地のNHKの放送局にいたアナウンサーが、後に全国放送の番組に出演するようになると喜ぶ人がいる。地元出身者が芸能人になったのと同じように。
そういう記憶が蓄積され「秋田放送局にいたアナウンサーは、後で出世する」「秋田局はエリートコースだ」などと言う人もいる。

これは秋田に限った話ではない。
2001年採用で高松→静岡→名古屋の各局を異動している神門光太朗(かんどこうたろう)アナウンサーは、「NHK名古屋放送局アナウンサー・キャスター日記 かんどーブログ」の2012年3月1日の記事(http://www.nhk.or.jp/nagoya-ana-blog/150/111328.html)」において、
高松でも静岡でも名古屋でも、視聴者から、
「NHK高松/静岡/名古屋に勤務したアナウンサーは みんな出世するのよ~」
とそれぞれ言われたそうだ。
「私が出世コースを歩んでいるのか・・・ それとも、 全国どこの放送局でも同様に言われているのか・・・ 謎である。」
としているが、どうやら後者のようです。
視聴者のある種の“地元愛”が形を変えて、このような“伝説”が作られるのだろう。

そもそもNHKアナウンサーの「出世」や「エリート」とはどういうことを指すのだろう。
視聴者にしてみれば全国放送出演=出世なのだろうが、NHK職員としての立場ではアナウンサー職を離れて、ラジオ・テレビに出ない役職になることこそ出世かもしれない。


話が変わって、今度はその土地「出身」のNHKアナウンサー。
全国的には「秋田は訛るから、アナウンサーになるのは不向きだ」と思われるかもしれない。
でも、秋田の人は外面を気にする「いいふりこき」であり、方言と共通語を切り替えて使える人が多いし、訛り矯正・共通語習得は難しくはないと思う。※カン【3日訂正】スガ官房長官のようにクセのあるイントネーションが抜けない人もいるにはいる。
NHK以外では、小倉智昭、山田透(元ニッポン放送)、山王丸和恵、長岡杏子、堀井美香などが全国区で活躍している。
【2024年12月11日追記・小倉智昭さんについて
小倉さんは2024年に亡くなった。2024年12月11日付 秋田魁新報の1面コラム「北斗星」と社会面によれば、秋田を離れてから亡くなるまで、同級生などと親交があったとのこと。Wikipediaも合わせて、秋田に関わる経歴をまとめると、父が秋田の帝国石油に勤務していて、秋田市で出生。市立中通小学校2年生頃に、いったん東京新宿へ引っ越し。4年生から秋田に戻り、市立高清水小学校に通い、中学校以降(入学時点はどちらか不明)は東京。(以上追記)

最近のNHKでは、アナウンサーを出身地近くの放送局に意図的に配属する“ご当地アナウンサー”的な人事が行われているようだ。
しかし、秋田放送局には、少なくとも最近は該当者はいない。

NHKアナウンスルームのホームページでは、アナウンサーを「生育地」で検索できる。(アナウンサーによっては複数を登録している人もある)
秋田県で検索してみると5名で、思ったより少ない。
うち3名はあまり印象にない方々。顔や名前はなんとなく知っていた気がするが、秋田出身だとはまったく知らなかった。現在は、大阪、長崎、東京(関連会社出向扱い)にそれぞれ在籍。
あとの2名とアナウンサー職を離れた秋田出身者については後述。



さて、ネット上にはNHKアナウンサーの現在の所属が分かるプロフィールはあっても、異動履歴については分からない人が多い。
昔、秋田局にいて覚えているアナウンサーを何人か挙げてみる。
※以下、一部敬称略。NHKでは「シニアアナウンサー」「エグゼクティブアナウンサー」とか“階級”があるようだが、それには触れません。
※仙台局にいた人などを勘違いしている可能性があるかもしれません。間違い、勘違いがあるかと思います。
【7日補足】以下、「現在はNHK放送研修センターで講師を務めている」という記述がいくつかありますが、同センターホームページの講師紹介に名前が出ていることから判断したものです。しかし、ホームページが最新の状態に更新されていない可能性もあります。

・阿部渉(わたる)アナウンサー
今や押しも押されもせぬ人気アナウンサー。出身は岩手県。1990年入局で初任地が秋田局。今の新人は研修後、夏に各局に配属されるが、当時は4月からいきなり配属されたはず。その後、横浜局を経て後はずっと東京。
2008年の秋田放送会館(秋田局の局舎)の移転新築の際は、そのセレモニーの司会のために秋田へ駆けつけた。
横浜局は県域放送は行っておらず、実質的に東京の放送センターの出先みたいな所なので、阿部さんは純粋な地方の放送局は秋田局しか経験していないことになる。横浜へ異動直後の野球レポートで「横浜市の八橋球場からお伝えしました」と言ってしまったことがあるとか。※八橋球場は秋田市にある。
【2018年11月26日追記】2018年11月23日に開催された、秋田放送会館移転10周年を記念したイベント(一部をテレビでも県域放送)に、阿部さんも参加。その時に「高校野球県大会の途中で秋田から横浜へ異動した。さっそく横浜スタジアムから中継をした際、冒頭で「横浜市の八橋球場です」と言ってしまった。」という話をしていた。以前聞いた時とは、微妙に話が違っている。【2018年12月16日追記】秋田にいたのは1990年(当時は春にいきなり配属されたらしい)から1993年(高校野球予選中だから夏)。

・内藤啓史(けいし)アナウンサー
岡山出身、1977年入局。秋田は3局目で、1985年頃から1990年代初めの在籍。夕方のニュース「イブニングネットワークあきた」も担当。
その後、名古屋局や東京で勤務し、1990年代後半の「堂々日本史」の進行役を務めた。現在は2度目の名古屋局。【8月1日追記】2014年7月に、東京へ異動していた。
秋田局にいた頃、街中で何度かお姿をお見かけし、子ども心に失礼ながら「顔が長い」と思った。学校でも「あの人って、顔長いよね」とちょっと話題になたものだ。
その後、秋田局開局何周年で、ビデオメッセージが放送されたが、その時、「秋田の皆さんお久しぶりです。NHKでいちばん顔が長いアナウンサー、内藤です!」とあいさつしていて、自覚されているようだ。

・福井慎二アナウンサー
今は「ニュースウオッチ9」のナレーションで活躍。(顔が映るのは、祝日の深夜のニュースくらい)
札幌出身、1980年入局。秋田が2局目だから、内藤さんと同じ頃か。

以上、お三方は、視聴者からすれば「出世」したアナウンサーであり、だからこそ秋田にいたことを覚えている人も多いはず。他にもいる。
・杉原満アナウンサー
平日14時台の「お元気ですか日本列島」という全国放送の情報番組に「気になることば」というコーナーがあり、「ことばおじさん」こと梅津正樹アナウンサーが、日本語の使い方や変化を解説していた。
NHKのリストラの一環や梅津アナウンサーの定年・雇用形態の変化などが原因なのか、同コーナーは2012年9月で終了。10月からは「ことばの宝船」としてリニューアルされた。
その担当として、着物に付けヒゲの水戸黄門のような「ご隠居」スタイルで、杉原満アナウンサーという人が登場した。

梅津さんより若く、いったんアナウンサー職を離れて「NHK放送文化研究所」で研究員をしており(2012年6月まで)、アナウンサーに復帰して出演したようだ。
その後、2013年春から番組名が「情報まるごと」、コーナー名が「トクする日本語」に変わり、普通のスーツ姿で出演中。

名前と顔に見覚えがあったが、この方も秋田局にいた。当時はもっと顔がパンパンして、目が腫れぼったかった印象。
東京出身、1982年入局。秋田が初任地ではなく、秋田にいたのはおそらく昭和末から平成初期頃だろうか。

・樋口淳一 元アナウンサー
昭和時代、朝6時台に「明るい農村」という、農山漁村の話題を伝えるテレビ番組があった。
1985年に「にっぽん列島あさいちばん」となり、1988年にはニュースと統合されて「NHKモーニングワイド」内の「にっぽん列島ピックアップ」というコーナーになった。
その「~ピックアップ」のおそらく初代担当だったのが樋口アナウンサー。初めて見た人で、若干斜に構えて勢い良く(?)「おはようございます。 にっぽん列島ピックアップです」とあいさつしていた。【2022年2月28日追記・1989年2月6日放送に出演していたことが確認できたので、初年度・初代担当で間違いない。】
担当したのは1年間だけだったようで、後任は、後に「きょうの料理」のダジャレで有名になる後藤繁榮アナウンサー。

にっぽん列島ピックアップ降板後は全国放送で見かけなくなったと思ったら、突如(直後だったか数年後だったかは忘れた)、「おはようございます。 秋田からニュースをお伝えします」などと秋田のローカルニュースを読んでいて、驚いた。
僕の知る限りでは、東京で全国放送に出ていた人が秋田局に異動して来たのは初めてで、「もしかして左遷させられたの?」とちょっと気の毒に見ていた。
樋口アナウンサーは1951年東京生まれらしいので、秋田に来たのは40歳になる前頃。副部長にしてはやや若いはず。どうだったんだろう。

いつの間にか秋田からもいなくなって、全国放送でも見かけなくなったと思ったら、2000年代後半には山形放送局の局長をされていた。
左遷どころか、これこそ大出世?!
なお、アナウンサーから放送局長になった人は、他にも何人かいる。

樋口さんは、現在は定年退職され、外郭組織の「NHK放送研修センター」で講師を務めているようだ。


ちなみに記者では、「五つ子の父親」の山下頼充 元記者や、国会議員になったアズミ元記者が秋田局勤務経験あり。


次は、秋田出身のアナウンサー。
・谷地健吾アナウンサー
鹿角市出身、たしか大館鳳鳴高校卒【4日訂正・高校は東京?】、1993年入局。
奈良、青森、札幌の各局を経て、東京でニュースや「お元気ですか日本列島」を担当後、仙台局。現在は2度目の東京。

・石戸谷健一 元アナウンサー
大館市出身、大館鳳鳴高校卒。1971年入局、2009年退職後、NHK放送研修センター。
東京勤務が長く、昭和末期から平成初期にかけて昼や19時のニュースを担当したり、1990年代後半には仙台局で「ウイークエンド東北」に出ていた。
放送研修センターのホームページの顔写真では、以前より頭の毛が…

・佐藤淳(じゅん)元アナウンサー
横手市出身、横手高校卒、1982年入局。
1990年代前半は東京にいて、ニュースセンター9時の後番組「ニュースTODAY」と「ニュース21」のレポーターやナレーター、草野満代アナウンサー(当時)とコンビで「モーニングワイド」のメインキャスターを務めた。【8日追記】「モーニングワイド」の平日キャスターは和田・桜井、松平・上田、佐藤・草野と3代変わった。佐藤・草野時代は、オープニング曲の中で世界各国の朝のあいさつが流れていたと思う。
歯切れが良く聞きやすくニュースを読む人だった。
その後、見なくなっていたが、現在は青森放送局局長。
【2016年7月14日追記】
この後、東京へ戻って「アナウンス室専任局長」、さらに2015年6月から「アナウンス室長」を務めている。
アナウンサーとしてはまさに頂点に登り詰めたわけだが、それは県域放送局長よりも格上のポストなのか。
※「アナウンス室長」というのは、「東京所属の」アナウンサーの統括ではなく、「全国のNHKのすべての」アナウンサーの統括という位置づけなんだろうか? 過去には山根基世さんなどが務めている。
テレビラジオに出演する機会はないのかもしれないが、アナウンスの現場なのだろうから、ある意味“アナウンサー復帰”なのかも。
【2017年5月27日追記】その後、2017年6月9日付の管理職定期異動において、アナウンス室長から人事局付に異動。57歳になられたので、役職定年ってやつか?


追記時点のWikipediaでは「大仙市出身」となっている。上の「横手市出身」のソースも当時のWikipediaだったような…
また、1959年生まれであること、「モーニングワイド」は1991~1992年度の出演で、当初は6時台担当だったが、マツダイラ氏がタクシー車内で暴れた不祥事で降板したため、1991年6月から7時台へ抜擢されたことも判明。そう言えばそうだった。(以上追記)


以上、1980年代後半から1990年代前半(=昭和末期から平成初期)に秋田局にいたアナウンサーは、けっこう活躍、すなわち「出世」している気がする。(それ以外の方々が活躍していないというわけでなく)
そして、秋田出身の人は、近隣の局には配属されるが、秋田には来てくれない。意図的なのか本人の希望なのかたまたまなのか…
阿部渉さんも岩手出身で秋田配属だったし、以前秋田にいたリニアさんは山形出身。出身地の近くの県に配属するという傾向はあるのかもしれない。


知る限り唯一、秋田出身(生育地)で秋田局に配属された、しかも女性アナウンサーがいる。20年少し前の秋田を知る方なら、もうお分かりだろう。
・大沼ひろみアナウンサー
生まれは仙台、秋田育ちで秋田高校卒。1988年入局。【2018年12月16日追記】秋田局から転出したのは1991年とのこと。
初任地が秋田局。当時は地方局に正職員の女性アナウンサーが配属されることは極めて珍しく、秋田局では初めてだっただろう。(その後も、2003年の一柳亜矢子アナウンサーだけ。もちろん契約キャスターは除く)
そんなわけで、当時は人気があったはず。
その後、仙台局に異動後は、東京やさいたま局など首都圏内を行ったり来たり(女性アナウンサーはこういうパターンが多い)して、ご結婚もされたそうだ。現在は久しぶりに首都圏を離れて、福井局の副部長。


阿部渉さんや大沼さんのほか、秋田が初任地だったアナウンサーを挙げてみる。カッコ内は入局年・出身地・現在の所属。※全員ではありません。
大沼(1988)、阿部渉(1990)、山田貴幸(1991、新潟、新潟局)、熊倉悟(1993、新潟、東京でラジオディレクター)、村上真吾(1995、大阪・千葉、函館局)、阿部悌(1996、宮城、2度目の秋田局)、三好正人(2001、福島、東京)、片山智彦(2002、福島、山形局)
増子有人アナウンサー(1993、北海道、旭川局)も初任地だと思っていたが、秋田局は2局目か?【2023年8月4日追記・増子さんは2023年夏の異動で、再び秋田へ。秋田局ホームページで「23年ぶりに秋田に帰って来ました!」とコメントしており、最初の勤務では2000年までいたのか。9月12日追記・局ブログに「(前回勤務は)平成8年からの4年間」とあいさつが掲載。1996年から2000年。】

1990年前後は、毎年のように新人が秋田局に配属されていたことになる。(NHK全体の採用人数が多かったこともある)
初任地以外の皆さんも見てみると、秋田局に来るアナウンサーは、東北・新潟出身の人が多く、その後の勤務地は北海道・東北・新潟が多い傾向がある。
函館放送局はアナウンサーが2名しか配置されないが、現在はいずれも秋田局にいた村上真吾、鈴木貴彦 両アナウンサー。

秋田の視聴者としてうれしいのは、秋田局で2度目の勤務をするアナウンサー。
いずれも初任地が秋田局で、2度目は副部長として着任した、山田貴幸、阿部悌(やすし)両アナウンサー。ただし、初任時と2度目では、局舎は移転している。
たくさんある地方局の中から、再び秋田に来たのは、もしかしたらご本人の希望(例えば秋田の女性と結婚したので、妻の実家近くがいいとか)があったのかもしれない。


ちなみに、僕が青森にいた頃、青森局にいたアナウンサーも挙げてみる。新人ばかりで、そうでない人はあまり思い出せない。
三上弥(1994、青森、松江局)、堀伸浩(1996、北海道、北見局)、津田喜章(1997、宮城、仙台局)、横尾泰輔(1998、神奈川、大阪局)
谷地健吾アナウンサーも2局目としてこの頃いた。【2016年8月31日追記】ほかには、児玉隆、八尋隆蔵 両アナウンサーもいたかな。

忘れていけなかったのが、
・津田喜章アナウンサー
青森局→秋田局→仙台局と、東北地方だけを異動していて、僕は、新人の時からほぼ欠かさず見ていることになる。
採用当初は、新人なのに老けて見えるし、眼光鋭く(最初はメガネをかけてなかった??)ぶっきらぼうで無愛想そうだし、さらに当時のホームページでは「青森にはフジ系がなくてビックリ!」なんてNHKらしからぬことを書いていて、ヘンな人だと思っていた。
その後、仙台勤務時に東日本大震災に遭遇、石巻出身であり知人を亡くすなどの経験をし、今なお被災地に寄り添った報道を続けている。
採用時期や年齢からすれば東京経験がないのは珍しいが、しばらくは東北で活躍してほしい人材。

秋田局でアナウンサーのやり繰りがつかなくなった時(野球中継や選挙がある土日など)、仙台や東京からアナウンサーが応援に駆けつけることがあるが、津田さんが来ることが比較的多い。
これは、勤務経験者のほうが地名の読みなどに慣れているからかもしれない。(でも、東京からいきなり来た人でも、それなりに読めるのは、さすがプロだ。)



さて、NHKでは今頃が大規模な異動のシーズンらしい。
秋田放送局が初任地(2010年)だった酒井良彦アナウンサーが春の段階で佐賀局に転出して1名減となっており、さらに緒方宏一郎アナウンサーが東京の別部門へ異動。
代わりに、新人1名と、東京から1名が来て、6名体制に戻った。

東京から来たのは、福井茂アナウンサー。前にどこかで見たことがあったが、BSニュースか?
1982年入局だから、けっこうな「おじさん」。
天気予報の地名のアクセントがまだ少々違ったりするけれど、さすがベテラン、声と読み方がとても聞きやすい。
職階としては、副部長の阿部アナウンサーよりは下なんだろうか?

秋田局にこういう年配のアナウンサーが来るのって、かなり久しぶりだ。
昭和末期に吉野正美アナウンサーという人がいた(万葉集の研究が趣味で本を出版したとか)けれど、それ以来か。
吉野さんは、夕方のニュース「630(ろくさんまる)あきた」のキャスターをしていた。今なら、全国ほとんどの局で、30代前後のアナウンサーが担当しているのと対照的。【4日追記】当時の吉野さんは50歳そこそこだったようだ。今からすれば老けて見えたもんだ。
【2018年12月16日追記】上記、秋田局移転10周年イベントにおいて、阿部渉アナウンサーが初めてテレビ出演して中継した時の映像が流れた。中継が終わってスタジオに戻った部分も少し映り、そこにいたのが吉野アナウンサーで、「新人なので、なにとぞよろしく」みたいなフォローをしていた。

【8月18日追記】この後、夕方のローカルニュース「ニュースこまち」キャスターの中沢圭吾アナウンサーの2週間の夏休み(と大曲花火特番の準備?)のうち1週間(8月11日~15日)、福井茂アナウンサーが代打でキャスターを務めた。秋田局のブログによれば、福井さんは「20年前くらいに、夕方のニュース・いわゆる610のキャスターを他の地域でしていました」そうで、その時以来とのこと。
昨年以前も、副部長が代理キャスターをすることはあった(今年も18日から3日間は阿部副部長が担当)が、年齢的には上記吉野さん以来の高齢キャスターではないだろうか。落ち着いていてとても良かったと思う。


前も書いたけれど、都道府県別の受信料納付率は秋田県が全国トップだとか。
今、秋田局にいるアナウンサーたちが将来どんな「出世」をしてくれるのか期待しながら、秋田県の視聴者は受信料を払っているのです?!
コメント (25)
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