秋田市の街区公園(いわゆる児童公園)を知る人は、きっとご存知であろうアイテムについて。
※ここでは秋田市建設部公園課が管轄する公園を取り上げます。それ以外の役所・町内会(? 不動産会社?)管轄や、寺社の敷地など民有地ながら公園同等に使われているものは、除きます。また、雄和・河辺地域には、そもそも公園課管轄の街区公園が存在しないようです。
※秋田市公園課管轄の公園では、最近は各地域ごとの「市民サービスセンター」名義の注意書きが掲出されていることが多いようです。
これのこと
公園の名称の表示。標柱とするべきか。
「丸太の表面の一部を削って平らにしたもの」を模した擬木の平らにした部分に、公園名が手書きの毛筆で彫られている。昔、小学校低学年の頃、記名欄のない鉛筆に、こういうふうに名前を書いて【29日補足・彫ったのでなくペン書きだけど】もらったな。
「新屋西第一街区公園」
↑この公園については、後日また。
裏面
裏側には、公園の開園年月を同様に表示。【28日補足・「その公園が新しくできて供用開始された年月」なのか「その公園を秋田市が公園として管理し始めた年月」なのか、どちらかは分からない。したがって、公園によっては表示年月以前から、公園的スペースとして存在していた可能性もある。】【12月2日追記・秋田市の公告に公園の「供用開始の期日」として掲載されている年月日が、標柱表記の開園年月のようだが、いずれにしても前記のどちらにも取れる場合があろう。】
ごくまれに表示が一切ない街区公園(通称こまち公園の拠点第一街区公園など)があるものの、秋田市内のほとんどの街区公園が、この表示で統一されている。出入り口が複数ある公園でも、1つの公園につき1本だけ。
(再掲)新屋西第一より1年先に開園した「泉銀の町街区公園」
また、多くで「街区」部分が後から修正されたようになっている。上の写真の新屋西第一街区公園は、修正が露骨だが、木目の模様はつながっていて精巧。
おそらく、昔は「○○児童公園」だったのを「○○街区公園」に変えている。法令上は、1993年の都市公園法施行令の改正により、児童公園が街区公園になったそうだ。それを受けて、秋田市では既存の児童公園を一斉に名称変更したのだろう。
秋田市のリストとGoogleストリートビューで軽く調べたところ、1995年以降に開園したものは、最初から「街区」となっているようだ。
そして、1995~1997年辺りでは上の写真とは別人らしきタッチの筆文字。【28日追記・というわけでもない??】
「栗田神社街区公園」これは見慣れた筆跡?
砂防の松を植林した栗田定之丞を祀った、新屋の栗田神社の境内は、2003年に街区公園に指定されている。松林の中の広い敷地に、滑り台などが少々ある程度。神社の鳥居のある正面ではない、側面の入口に標柱が立っている。20年に満たないはずの擬木は、さすがに新しく感じる。
栗田神社街区公園の裏面
これには開園年月の表示がない(削られてもいない)。ある時期からやめたのだろうか。
擬木の側面には、枝を切り落とした跡の「節」が再現されているが、上の新屋西第一と泉銀の町では、節の位置が同じようだ(正面から見て左中ほどと右上)。栗田神社では左上と右下にある。製造ロットもしくは製造時期によって異なるのか。
あとは、ストリートビューによれば「仁井田第一街区公園」と「仁井田第二街区公園」では、文字が手書きでなく楷書体のフォントになっていた。第二は2000年にできたので、それ以前は第一はただの仁井田街区公園で、同時に名称を変更したのだろうか。にしても、手書きでないのは珍しい。
文字は判別できなかったが、2009年の「御所野第5街区公園(漢数字じゃないの?)」でも擬木表示。
いつごろから採用されているのかは不明だが、1995年よりは前、というか僕の記憶では遅くとも1980年代後半には見られた。公園の柵などで擬木を使うことが流行っていた雰囲気(土手長町通りの旭川沿いなども)だから、その頃かもしれない。
一方、秋田市公園課管轄でも、街区公園より大規模な公園では、この表示があまり設置されないようだ。筆文字のものは外旭川の「前谷地近隣公園(1986年)」を確認。それ以外では、
(再掲)広面近隣公園
三日月湖岸のハナショウブがきれいな広面近隣公園(1999年)では、擬木に丸ゴシック体表示。擬木自体も少し小さいかも。
近隣公園では、横書きの看板タイプなど、まったく別仕様かつ不統一の表示が多い。
ちなみに、青森県弘前市では、
(再掲)弘前市仲町緑地
小さい板にゴシック体が基本。
したがって、「秋田市の」かつ「街区公園」といえば、この擬木に筆文字の標柱という印象。
多少の差異はあるものの、永年、規格が統一されていたと言える。しかも見るからに丈夫そうで、壊れたり修理されたりしたものを見た記憶はない。最近は、公園のバリアフリー改修工事も多いが、その後も、どっしりと構えている。
さて、今年の春のこと。久々に、仁井田大野から大住へ抜ける道を歩いていたら、新しそうな公園に出た。
新興住宅地の中にある広めの公園
公園名は、
「仁井田西潟敷第一街区公園」
見慣れぬ四角いの棒状の標柱に、一瞬、秋田市管轄でない公園だと思ってしまった。
でも「街区公園」だし、黄色い「マナーを守ろう!」は、秋田市南部市民サービスセンター名(詳細は公園課サイトを見ろとも)。
この場所は、訪れた時は仁井田字西潟敷であったが、今年7月に住居表示が実施され「大住南」が新設、大住南二丁目になっている。前例からして、住居表示が実施されても、公園の名称は変わらない。
第一があるからには「仁井田西潟敷第二街区公園」もあり、同じ大住南二丁目、しかも数百メートルしか離れていない場所。公園の造りは両者違っていて使い分けできそうだし、土地の確保の都合もあったのだろうが、ぜいたく。
どちらの公園も、2013年7月にできていた。
2013年7月には、秋田市内で20以上の街区公園が新たに誕生していた。御所野や桜方面の山寄り各地域(○○台など)に多く、既存のものが秋田市へ移管されたようだ(表示方法が違う可能性あり)。
中央部では、
「泉ハイタウン街区公園」
やはりこの標柱。
これら以前の直近に新たにできた公園は、上記の2009年の擬木がある御所野第5街区公園と、御所野堤台近隣公園(表示は不明)。
2013年から擬木をやめて、この標柱に切り替えたことになろう。
擬木よりは少し背が高いと思われるが、文字を表示する部分は縦に拡大されたが、幅は狭いので文字は小さくなる。
白い角ゴシック体は、アドビ「小塚ゴシック」ではないだろうか。ひらがなが特徴的なデザインのフォント(個人的にはそれが嫌い)だけど、漢字とカタカナでは気にならない。
桜台、大平台、山手台、南ヶ丘には、ひらがな名称の公園ができており、そちらにもあるとすれば気になる(ストリートビューでは確認できない)。
ただ、今後、新たに同タイプの表示が設置される場合、角ゴシック体とだけ指定されて、フォント名にはこだわらずに発注される可能性はある(「ひなん場所」の看板の例あり)。
側面・裏面はなにもなし
昔の閑散バス路線の“棒バス停”を連想させられる形状。それよりは少し大きいかな。
でも、どっしりとした擬木に比べると、存在感は薄れてしまったし、裏面に開園年月の表示がないのは寂しい。表示があれば、その公園や地域の歴史を多少なりとも感じることができたのに。
コストの問題もあって、仕方ないことだろう。でも、既存の擬木は、頑丈さからしても、撤去・更新は当分ないのではないか。
それから、こまち公園のような、名称表示が一切ない公園には、なくていいのですか?
【28日追記】せっかく標柱を設置するのなら、秋田市管理であることや連絡先を表示すれば、設備の故障など不具合発見時の連絡に使える。ほかにも所在地とか避難場所(もしくは最寄り避難場所への誘導でもいい)になっているかどうか等を小さくてもいいから記載すれば、事故や災害の緊急時に役に立つと思う。公園名だけではもったいない。
【29日追記】秋田市の公園では、標柱よりもっと太い擬木風の水飲み場(踏み台付きが多いと思う)が設置されているところも多い。現在は、バリアフリーの観点から、車椅子のまま水が飲めるようにしなければならないらしく、バリアフリー改修時に交換されているようだ。
※ここでは秋田市建設部公園課が管轄する公園を取り上げます。それ以外の役所・町内会(? 不動産会社?)管轄や、寺社の敷地など民有地ながら公園同等に使われているものは、除きます。また、雄和・河辺地域には、そもそも公園課管轄の街区公園が存在しないようです。
※秋田市公園課管轄の公園では、最近は各地域ごとの「市民サービスセンター」名義の注意書きが掲出されていることが多いようです。
これのこと
公園の名称の表示。標柱とするべきか。
「丸太の表面の一部を削って平らにしたもの」を模した擬木の平らにした部分に、公園名が手書きの毛筆で彫られている。昔、小学校低学年の頃、記名欄のない鉛筆に、こういうふうに名前を書いて【29日補足・彫ったのでなくペン書きだけど】もらったな。
「新屋西第一街区公園」
↑この公園については、後日また。
裏面
裏側には、公園の開園年月を同様に表示。【28日補足・「その公園が新しくできて供用開始された年月」なのか「その公園を秋田市が公園として管理し始めた年月」なのか、どちらかは分からない。したがって、公園によっては表示年月以前から、公園的スペースとして存在していた可能性もある。】【12月2日追記・秋田市の公告に公園の「供用開始の期日」として掲載されている年月日が、標柱表記の開園年月のようだが、いずれにしても前記のどちらにも取れる場合があろう。】
ごくまれに表示が一切ない街区公園(通称こまち公園の拠点第一街区公園など)があるものの、秋田市内のほとんどの街区公園が、この表示で統一されている。出入り口が複数ある公園でも、1つの公園につき1本だけ。
(再掲)新屋西第一より1年先に開園した「泉銀の町街区公園」
また、多くで「街区」部分が後から修正されたようになっている。上の写真の新屋西第一街区公園は、修正が露骨だが、木目の模様はつながっていて精巧。
おそらく、昔は「○○児童公園」だったのを「○○街区公園」に変えている。法令上は、1993年の都市公園法施行令の改正により、児童公園が街区公園になったそうだ。それを受けて、秋田市では既存の児童公園を一斉に名称変更したのだろう。
秋田市のリストとGoogleストリートビューで軽く調べたところ、1995年以降に開園したものは、最初から「街区」となっているようだ。
そして、1995~1997年辺りでは
「栗田神社街区公園」これは見慣れた筆跡?
砂防の松を植林した栗田定之丞を祀った、新屋の栗田神社の境内は、2003年に街区公園に指定されている。松林の中の広い敷地に、滑り台などが少々ある程度。神社の鳥居のある正面ではない、側面の入口に標柱が立っている。20年に満たないはずの擬木は、さすがに新しく感じる。
栗田神社街区公園の裏面
これには開園年月の表示がない(削られてもいない)。ある時期からやめたのだろうか。
擬木の側面には、枝を切り落とした跡の「節」が再現されているが、上の新屋西第一と泉銀の町では、節の位置が同じようだ(正面から見て左中ほどと右上)。栗田神社では左上と右下にある。製造ロットもしくは製造時期によって異なるのか。
あとは、ストリートビューによれば「仁井田第一街区公園」と「仁井田第二街区公園」では、文字が手書きでなく楷書体のフォントになっていた。第二は2000年にできたので、それ以前は第一はただの仁井田街区公園で、同時に名称を変更したのだろうか。にしても、手書きでないのは珍しい。
文字は判別できなかったが、2009年の「御所野第5街区公園(漢数字じゃないの?)」でも擬木表示。
いつごろから採用されているのかは不明だが、1995年よりは前、というか僕の記憶では遅くとも1980年代後半には見られた。公園の柵などで擬木を使うことが流行っていた雰囲気(土手長町通りの旭川沿いなども)だから、その頃かもしれない。
一方、秋田市公園課管轄でも、街区公園より大規模な公園では、この表示があまり設置されないようだ。筆文字のものは外旭川の「前谷地近隣公園(1986年)」を確認。それ以外では、
(再掲)広面近隣公園
三日月湖岸のハナショウブがきれいな広面近隣公園(1999年)では、擬木に丸ゴシック体表示。擬木自体も少し小さいかも。
近隣公園では、横書きの看板タイプなど、まったく別仕様かつ不統一の表示が多い。
ちなみに、青森県弘前市では、
(再掲)弘前市仲町緑地
小さい板にゴシック体が基本。
したがって、「秋田市の」かつ「街区公園」といえば、この擬木に筆文字の標柱という印象。
多少の差異はあるものの、永年、規格が統一されていたと言える。しかも見るからに丈夫そうで、壊れたり修理されたりしたものを見た記憶はない。最近は、公園のバリアフリー改修工事も多いが、その後も、どっしりと構えている。
さて、今年の春のこと。久々に、仁井田大野から大住へ抜ける道を歩いていたら、新しそうな公園に出た。
新興住宅地の中にある広めの公園
公園名は、
「仁井田西潟敷第一街区公園」
見慣れぬ四角いの棒状の標柱に、一瞬、秋田市管轄でない公園だと思ってしまった。
でも「街区公園」だし、黄色い「マナーを守ろう!」は、秋田市南部市民サービスセンター名(詳細は公園課サイトを見ろとも)。
この場所は、訪れた時は仁井田字西潟敷であったが、今年7月に住居表示が実施され「大住南」が新設、大住南二丁目になっている。前例からして、住居表示が実施されても、公園の名称は変わらない。
第一があるからには「仁井田西潟敷第二街区公園」もあり、同じ大住南二丁目、しかも数百メートルしか離れていない場所。公園の造りは両者違っていて使い分けできそうだし、土地の確保の都合もあったのだろうが、ぜいたく。
どちらの公園も、2013年7月にできていた。
2013年7月には、秋田市内で20以上の街区公園が新たに誕生していた。御所野や桜方面の山寄り各地域(○○台など)に多く、既存のものが秋田市へ移管されたようだ(表示方法が違う可能性あり)。
中央部では、
「泉ハイタウン街区公園」
やはりこの標柱。
これら以前の直近に新たにできた公園は、上記の2009年の擬木がある御所野第5街区公園と、御所野堤台近隣公園(表示は不明)。
2013年から擬木をやめて、この標柱に切り替えたことになろう。
擬木よりは少し背が高いと思われるが、文字を表示する部分は縦に拡大されたが、幅は狭いので文字は小さくなる。
白い角ゴシック体は、アドビ「小塚ゴシック」ではないだろうか。ひらがなが特徴的なデザインのフォント(個人的にはそれが嫌い)だけど、漢字とカタカナでは気にならない。
桜台、大平台、山手台、南ヶ丘には、ひらがな名称の公園ができており、そちらにもあるとすれば気になる(ストリートビューでは確認できない)。
ただ、今後、新たに同タイプの表示が設置される場合、角ゴシック体とだけ指定されて、フォント名にはこだわらずに発注される可能性はある(「ひなん場所」の看板の例あり)。
側面・裏面はなにもなし
昔の閑散バス路線の“棒バス停”を連想させられる形状。それよりは少し大きいかな。
でも、どっしりとした擬木に比べると、存在感は薄れてしまったし、裏面に開園年月の表示がないのは寂しい。表示があれば、その公園や地域の歴史を多少なりとも感じることができたのに。
コストの問題もあって、仕方ないことだろう。でも、既存の擬木は、頑丈さからしても、撤去・更新は当分ないのではないか。
それから、こまち公園のような、名称表示が一切ない公園には、なくていいのですか?
【28日追記】せっかく標柱を設置するのなら、秋田市管理であることや連絡先を表示すれば、設備の故障など不具合発見時の連絡に使える。ほかにも所在地とか避難場所(もしくは最寄り避難場所への誘導でもいい)になっているかどうか等を小さくてもいいから記載すれば、事故や災害の緊急時に役に立つと思う。公園名だけではもったいない。
【29日追記】秋田市の公園では、標柱よりもっと太い擬木風の水飲み場(踏み台付きが多いと思う)が設置されているところも多い。現在は、バリアフリーの観点から、車椅子のまま水が飲めるようにしなければならないらしく、バリアフリー改修時に交換されているようだ。