広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

AkiCA 3か月

2022-06-30 18:53:11 | 秋田のいろいろ
秋田市と秋田中央交通による、地域連携Suicaである交通系ICカード「AkiCA」は、3月26日の利用開始から3か月経過した。
※AkiCAはSuicaをベースにしているので、AkiCAをSuicaとして使うことが可能。反対に、PASMOなどSuicaが使える場所で使えるICカードやモバイルSuicaは、すべて秋田のバスで利用可能。ただし、3%のポイントが付くのはAkiCAのみ。
※秋田駅周辺のJR東日本の鉄道利用にSuicaが使えるのは、2023年春からの予定

利用開始1週間後の状況をアップしたが、その後も大差はないと感じる。
IC定期券と、高齢者用「シニアアキカ」が未導入であることもあり、AkiCAでバスに乗る人は、4月よりは若干増えたけれど、2~3割程度か(時間帯や路線による差も大きそう)。
6月下旬、とある高等教育機関の最寄りバス停から、その学生らしき人が6人乗ってきたことがあった。そのうち4人はIC乗車で、少なくとも3人はスマホをタッチしていた。若い人には、3%といえどもポイント(交通ポイントと称する)が付くAkiCAよりも、モバイルSuicaのほうが好まれるようだ。
【7月1日追記・車内でのチャージは、利用開始当初に、降車時に残高が不足してチャージした人に1度遭遇したのみ。】

秋田では、乗客も乗務員も初めて(磁気式バスカードはなかった)のキャッシュレス決済だけに、機器不具合や操作間違いによるトラブルを危惧していた。実際にはそうした場面に遭遇しておらず、順調なようだ。【7月1日補足・これまでならたまにあった、車内放送の操作を忘れたり遅れたりして、整理券(ICに記録される乗車バス停情報)や運賃表示機(IC引き去り額)がズレて正しくない場面には、遭遇していない。】強いて挙げれば↓
秋田市中心市街地循環バス・ぐるるで、乗車時にタッチしなかった客が、降車時のタッチで乗車記録なしのエラーが出た(これは仕組み上当然)。そんな時は、手入力で100円引き去ればいいはずで、運転士もその操作をしたようだが、2度ほどやってもうまくできず、結局現金で支払ったケースがあった。
あとは、乗車時のタッチで「ピー」のエラー音が鳴って、再度タッチした人は何度か見た。おそらく、いずれもスマホをタッチした時。微妙な位置のズレやスマホケースのせいで、通信が不充分だったのだろうか。


僕は、買物回数券を発売終了前に数冊買いだめした。「買物回数券が使える曜日・時間帯で、190円以上の運賃の時は、なくなるまで回数券で支払う」というマイルールを定め、それ以外はAkiCAを使うことにした。
そして、この春は、いつもよりバスに乗る機会が多かった。特に初乗り170円区間。だから、比較的順調にポイントが貯まった。

以前も指摘したように、AkiCAのポイント残高は、どうすれば分かるのか明らかになっていない(おそらくバス営業所・案内所のみ)。
また、中央交通のことだからと言っては失礼だが、設定や機器操作の誤りで、間違った運賃が差し引かれる可能性が否定できない。そこで、表計算ソフトに、利用区間や差し引かれたはずの運賃を入力し、付与されたはずのポイント額を計算して累計させ、記録することにした。

もう1点、明示されていなかったのが、秋田市中心市街地循環バス・ぐるるが、ポイント付与の対象になるのか。さらに、ぐるるでポイントが使われる(充当される)のかという疑問もある。
結果としては、ぐるるでは、付与もされないし、充当もされない。
つまり、ぐるるでは、あえてAkiCAを使うメリットはなく、その他ICカードでも、モバイルSuicaでも変わらない。※秋田空港リムジンバスも同様の扱いだと思われる。


そんなこんなで使い始めてから2か月。
間違いがなければ、5780円分乗車して170ポイントが貯まったはず。170円区間を乗車して、ついにポイントが充当されるであろう時が来た。

降車時にタッチすると、いつもと同じく「ピピッ」と「ピンポーン」。
運賃箱のディスプレイ最下段の狭い白い帯に、小さなオレンジ色の文字で「交通ポイント使用」みたいなのが表示された。そっけない(仰々しく音が鳴ったりするのも恥ずかしいけど)。
やっとこさ貯まったポイントが使われたことを、知らずに使われてしまう人が多そう。

JR東日本の近距離券売機で利用履歴を見ると、
残額のみで支払い額が出ないので分かりづらい
「2」がポイント充当分。下の3と残額が変わっていないので、計算通り充当されたのが分かる。

スマホアプリ「みるCa」では「- \0」
↑4月以降、みるCaのアップデートはされていないので、いまだに秋田中央交通の事業者名は表示されず「3-090E」。

最近は、バスに乗る機会が元に戻った。次にポイントが充当されるのは、いつになるやら…【次は2022年9月下旬に、その次は2023年2月下旬、2023年6月上旬、2023年8月下旬、2023年11月上旬、(この間入院)、2024年3月下旬、2024年6月上旬、2024年8月下旬、2024年11月下旬、2025年3月上旬に達成。】


そろそろ、2022年度中開始という定期券や、2022年秋開始という高齢者用シニアアキカの説明が出てもいい頃ではないだろうか。
特に、中央交通でなく市が発行者となり、しかもIC乗車のみならず電子マネーにさえ不慣れな人が多いであろう高齢者用は、どういう手順でカードを渡すのか、どうやって使いかたを周知するのか。少々心配。
シニアアキカについては、7月7日に動き出した。10月開始。後日改めて
※IC定期は、2023年始の車内掲示では「諸般の事情」により導入を延期し、2023年度上半期を予定しているとのこと。【2023年4月25日追記・IC定期券は2023年5月1日発売開始、5月13日利用開始となった。】

【7月20日追記・秋田朝日放送の7月20日報道より】
AkiCAを宣伝するラッピング広告バスが、7月19日頃から走り始めている。秋田営業所と臨海営業所1台ずつ。AABは「開業100周年の記念と「AkiCA」のPRのため」と報道。
最近の発売状況と利用状況も伝えてくれている。
「「AkiCA」は、19日時点でおよそ6700枚販売されました。想定より好調だといい、「Suica」などの他のICカードを含む利用率は先月全体の5割以上を占めました。」
5割ってのは思ったより多い。高齢者コインバス利用者も含めた、総乗客数に対して半分ってことなのですよね? それともコインバスを除いた、正規運賃利用者のうち半分? 後者だったらそのくらい行ってるかも。
【8月31日追記・8月31日付 秋田魁新報 秋田市地域面よりラッピングバスについて】
前と後ろの「虹と街並みのイラスト」は、中央交通営業部社員(41)とその息子(4)のデザイン。「年度内は運行する見込み。」

【9月30日追記・9月30日付 秋田魁新報秋田市地域面より半年経過後の状況】
「発行枚数は9月25日時点で約7750枚。」
Suica等も含めたIC決済のほうが「現金での支払いより多いという。」
「大規模な通信障害などが発生した際は、利用できなくなるおそれもあり、同社(注・中央交通)は「非常時の対策を検討していく必要がある」としている。」
【10月10日追記】シニアアキカは、予定より発送が遅れている9月末時点で、1万枚あまりが発送済みとのこと。一般向けより高齢者向けのほうが圧倒的に多く使われることになりそう。
(以上追記)

AkiCAに関する続きは小ネタ2つ



ついでにJR東日本の鉄道の回数券について。
区間を指定し、11回分を10回分の運賃で発売し、3か月間有効の普通回数券(回数券についての参考記事)が、2022年9月30日で発売終了することが発表されている。
Suicaで乗車すれば、JRE POINTを還元する「リピートポイントサービス」があって、回数券の代替ということなのだろうが、対象期間など回数券と異なる点もある。
いずれにしても、秋田など北東北の県庁所在地周辺では、Suicaが導入される2023年春までは正規料金で乗るしかないし、導入予定のない区間ではどうしようもないことになる。
公共交通機関の経営が厳しいのは分かるけれど、乗客も厳しくなる。
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バス停更新'21秋以降3=泉

2022-06-27 19:06:20 | 秋田のいろいろ
手形~旭川地区秋高スクール線・千秋地区に続き、2021年秋以降に行われたバス停表示板の交換について。


その前に、バス停名称のローマ字? 英語? 表記について。「バス協会や国土交通省が基準を作るべきでは」と何度か指摘していたが、すでに作られていた。
公益社団法人 日本バス協会が「訪日外国人旅行者のバス利用を想定した多言語対応に関するガイドライン」を作成し、2017年8月8日で(各都道府県ごとなどの)各バス協会宛てに通知している。
当然、公益社団法人 秋田県バス協会を通して、会員である秋田中央交通にも届いているはず。
ガイドラインは国土交通省のサイトにもアップされている。https://www.mlit.go.jp/common/001221846.pdf

ただし、通知文書には、
「なお当ガイドラインは、既に社内や自治体等で定められているルールの変更を求めるものではなく、今後の各事業者における多言語対応に資するものとして活用していただくために作成したものです。」
とあり、ガイドラインが絶対ではない。
だから、どんなヘンな表記でも、そのバス会社の判断でどうにでもできるのは変わらないのだけど…

ガイドラインより抜粋。
○原則(抜粋)
・原則として発音どおりローマ字表記とする。二中前 Nichu Mae、立命館大学前 Ritsumeikan Daigakumae 【29日追記・金閣寺前 Kinkakuji-mae も例示。この3例では「mae(前)」の前の語との区切りかたが統一されていない。この点はいいのだろうか?】
・ローマ字表記では理解しがたいと認められる場合は、記載スペースがあれば英語により( )で補足表記することが望ましい。永代橋 Eitaibashi (Eitai Bridge)、新宿五丁目 Shinjuku-gochome (Shinjuku 5)
・ローマ字の表記は、ヘボン式を用いる。

○例外(抜粋)
・外国語由来の言語部分は、ローマ字ではなく英語表記とする。また、施設管理者が定める外国語表記がある場合は、当該名称を優先する。新宿ワシントンホテル前 Shinjuku Washington Hotel Mae

今の中央交通ではヘボン式が基本だが、「ITCHOME」「KOMYUNITHI」のような怪しいつづりが散見されるので、ガイドライン以前の問題かも。
そして、「KOMYUNITHI SENTA MAE」「MIRUHASUMAE」は、ガイドラインの例外項目と一致していないことになる。

なお、羽後交通(この記事など)が「美術大学前 Akita University of Art」「ハローワーク秋田前 Hellowork Akita」と、訳せる語は英訳しているのも、ガイドラインとはやや違うことになる。
ハローワークは上記で良さそうだが、美大前は「Bijutsu Daigakumae(Akita University of Art)」となろう(カッコ内にmaeはあったほうがいいのか?)。
再掲)ここでは中央交通の表記のほうがガイドラインに忠実となる

ほかにバス停表記ではないが、その他の案内表示の英訳も挙げられていて、その中に、
  整理券をお取りください Please take a boarding ticket
があった。
鉄道の整理券発行機に「Boarding Vouchers」と表示したものがあった。同じメーカーはバス用整理券発行機も作っている(というか鉄道もバスも同じ物)が、対応はどうなっているだろう。


ここから本題。
今回は、添川線単独区間から2か所。
添川線は、秋田駅西口~通町~保戸野~天徳寺前は神田線と同じルート。天徳寺前で神田線とは反対に進んで、天徳寺の山のふもとと(河川の)旭川の間の古い道を北上する。
秋田温泉線・仁別リゾート公園線とは、旭川をはさんで並行する経路だが、乗客は多くなく、かつては毎時1本だったのが、2011年秋以降かなり減らされてしまった。

駅から行って、天徳寺前の次の「三嶽根(みたけね)」は、以前取り上げた通り、だいぶ前(※)にポールごと交換済み。今回は未確認だがそのままだろう【7月11日そのままなのを確認】。
※以前は移管直後設置のJTCウインRの表示板だったのが、2012年10月から2015年8月の間に頭でっかちタイプに交換。

この辺りの地名は「泉」。ここが元々の泉集落だったが、今は線路向こうの新興住宅地のほうが泉のメインになった。そんな元祖・泉地区は、旭川小学校・秋田東中学校区。警察は昨年度までは秋田東警察署泉駐在所、今年度から秋田中央警察署泉交番の管轄(この記事など参照)。
三嶽根を過ぎて広い道路から曲がると、添川線本来の道。泉一ノ坪、泉上丁と続くが、都合により泉上丁から。
【28日コメントをいただき追記・かつてのバス停順について】1988年の時刻表掲載のバス停は、三嶽根~泉下丁~旭川農協前~泉上丁 であった。おそらく、泉下丁は道路のバイパス化で廃止、交差点角にあったという農協がなくなったので泉一ノ坪に改称されたのだろう。

左奥に下り、右手前に上り。左が天徳寺の山
新しい家も並んでいるが、道路のカーブや古い家など、農村のたたずまいが強い。
杉だろうか針葉樹が1本建つお宅と、土地改良区の前に「泉上丁」バス停がある。
上り北東向き

上り南西向き
上り側は、パソコン印字透明シール・丸ゴシック体の表示板。印字の劣化が激しい。
手形地区は、市営バス時代末期に設置された同様の表示板が多かったが、これは若干異なる。
(文字数も関係するかもしれないが)文字が扁平、ローマ字の文字間隔が狭く中央寄せ、「ちょう」が訓令式の「TYOU(五丁目橋はそうだった)」でなくヘボン式の「CHOU」、といった点。
さらに、下にナールの「太田町」の文字が透けているのか痕跡が。「市営バス」も透けているので、築地経由桜ガ丘/経法大(ノースアジア大)線の楢山太田町にあった停留所の転用だろう。2018年秋に廃止されているが、Googleストリートビューで確認すると、少なくとも2012年10月以降は、上下とも、この泉上丁と同じ扁平な丸ゴシック体のシールだった。ナールの太田町が短期間しか使われなかったことになる。
以上を踏まえると、この扁平丸ゴシック体シールは、中央交通が作成した(中央交通が太田町を更新→転用して泉上丁に)可能性もある。※桜ガ丘・大平台にも、中央交通作成と考えられる透明シールがあった

下りは水路のほとり
下り側はJTCウインR。泉上丁より先は、ほとんどがこれのはず。

交換後。
上り
前回の原の町で新規出現した、支柱もグレー塗装したタイプ。以前の支柱はかなりサビており、これまでなら交換対象だったろうに。

下りも支柱塗装。2つあった時刻表枠を1つ撤去
交換後の泉上丁の下りは、前回の千秋矢留町同様、転用品だった。
「金足農高入口」が透けている
ストリートビューで金足農高入口を確認すると、2017年7月から2018年7月の間に、市営・中央共用表示板からこの表示板に交換されているようだ。どうしてここにそれがあるのだろう?→2024年秋の状況(リンク先中ほど)


「泉一ノ坪」。
左手前が下り、右奥・秋田泉郵便局の前が上り
上下とも透明シールパソコン印字で、泉上丁と同程度の劣化具合。しかし、ここは透明シール表示板の中では、特異なタイプ。
下り北向き

下り南向き
これも下に文字が透けており、ナールで「県立球場前」。
2003年に秋田県立野球場こまちスタジアムができる以前の、秋田県立球場(今の県立武道館の場所)のことか。

上り北向き

上り南向き
これも透けていて、ナールの「一ツ森公園入口」。
上記、太田町の隣のバス停で、やはり2012年時点で丸ゴシック透明シールだった(文字数が多く扁平ではない)。「ツ」がひらがなの「一つ森公園」が正当だが、透明シールでもカタカナにしてしまっている。

泉一ノ坪の透明シールの特異な点は、書体が丸ゴシック体ではなく、MSゴシックだろうか角ゴシック体であり、ローマ字は「IZUMI ITI NO TUBO」と漢字1文字ごとに区切ってスペースを入れていること。ローマ字は訓令式。
泉ハイタウン線(市営時代は泉秋操線)の「泉北二丁目(一方向運行のため上下共用)」が、JTCウインRに替わる前も、このタイプだったようだ。ということは、泉一ノ坪も市営バス時代に作られたのか、それとも移管後に中央交通が真似たのか。
この隣り合う2つバス停は、シールの文字の劣化が著しい点は共通するものの、その他は相反する点が多い。真相は謎のまま終わってしまった。

交換後

上りは台座塗装なし、支柱もそのまま

下りは台座とサビサビ支柱に塗装。2つあった時刻表枠を1つ撤去
下り側は、転倒防止で地元の人がやったのか、側溝の蓋と支柱が紐で結ばれていたのを、交換後も継続。一部は作業前と同じ紐で、塗料も付着していなそうだけど、どういう作業手順でやったのだろう。


このほか、神田線の天徳寺前以降も交換されているとのことですが、取り上げないでおきます。いつかまた続く。※添川線泉上丁より先のバス停の状況(リンク先後半)。
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路傍の赤いきつね?

2022-06-24 19:11:13 | 秋田の季節・風景
秋田市楢山の市道。
右側の塀際に…
白に赤いラインが入った、丼のような形の物が、捨てられている???
この形と模様からすれば、「赤いきつね」のカップ?!
道路上に食べ殻を捨てるとはケシカラン。

反対側から
いや。赤いきつねじゃなさそう。

でも、写真ではそれほどでもないけれど、遠目で現物を見ると、ほんとに赤いきつねかと思った。また、赤い線の太さなどは発売当初(1978年)の赤いきつねのカップにより似ているようだ。現行商品は赤がより太い一方、原材料表示などで赤が少なく白い部分もある。

なんじゃこりゃ?
何かを白い布で包んで、それを赤いテープで巻いているようだ。その何かは何?

正体を明かす前に、保戸野の市道の路肩にはこんなものが。
LED付き三角コーンに土のう

両者の正体は同じもの。
土のうの下に、赤い部品がちょっとだけ見えているのがヒント。

これは、消火栓を撤去した跡。
積雪地である秋田市では、ホースを接続する消火栓本体が、地上に飛び出ている「地上式消火栓」が一般的
この2つは、その本体を取り外して台座は残った状態。残った台座でつまづいたり、台座が壊れたりしないよう、保護と注意喚起をしているのだと思われる。たしか今年4月頃からこうなっていて、6月下旬でも変わらず。

秋田市消防本部では、古くなった消火栓の更新を行っているので、これらも新しくなるのかと見ていたのに、いつまでこのままなんだろう。
2か所で対応が違うし(楢山にもコーンを置いたほうがいいのでは【10月27日追記・楢山は城東消防署、保戸野は秋田消防署と、管轄が異なるのも理由だろう】)、コーンは新品っぽくて管理者名など書いていないので、イレギュラーな対応の感じもする。この状態のこの付近で、万一火災が発生しても大丈夫なんだろうか。

続きはこちら
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笑顔のテントウムシ

2022-06-21 22:38:06 | 動物・植物
※この記事にはテントウムシの写真があります。昆虫が苦手なかたはご注意ください。

テントウムシがいた。

体長5ミリほどで、光沢のある黒に赤っぽいオレンジ色の点。
「ナミテントウ」。

日本人がテントウムシというと、赤地に黒い点のナナホシテントウを連想することが多い。実際、日本全土に広く分布する種だそうだが、僕は1度、遠目に見たことしかない。小学校1年生の時、教室に入ってきたもの。

一方、我が家の庭など秋田市内では、ナミテントウをよく見る。
ナミとは「並」で、この種も日本では一般的なテントウムシ。

「ナミテントウ」で画像検索すると分かるが、ナミテントウの甲羅(外羽、鞘翅)の模様はバリエーションが多い。
秋田で見たことがあるのは、写真の黒地に赤点(2紋)のほか、薄いオレンジ一色(無紋)、薄いオレンジに小さな点が19個(19紋)、の3パターン。
※19紋は、草食性で害虫とされる28紋のニジュウヤホシテントウと間違えそうだが、草食性は光沢がなく、肉食のナミテントウは光沢がある点で見分けられる。

子どもの頃見た、子ども向け書籍では、黒に赤点の写真しか出ていなかったから、それだけがナミテントウだと思いこんでいた。だから3タイプのテントウムシが同じ場所にいるのを見た時は、異種が仲良く同居しているのだと思ってしまった。
ネットの情報によれば、大別するとその3パターンだが、点の大小や形のバリエーションはとても多い。黒に赤点が4つの4紋もいる。
北日本では19紋型が多く、2~4紋型は九州方面に多いとWikipediaには出ているが、秋田では2紋は皆無ではなくそこそこいる。4紋は見たことがない。

昔図鑑で見たナミテントウは、赤い部分がほぼまん丸だったのだけど、秋田ではそれは少数派なのかもしれない。
冒頭とは別個体。赤の色味も違うかな
赤い部分が黒に侵食されて、ちょっとしたロールシャッハ・テストみたいな形。

そして冒頭の個体は、

きれいな三日月型の赤点。にっこりと笑顔のよう。

こういう柄のナミテントウは、見る位置(例えば頭側から)によっては目玉に見えそう。外敵から身を守る役に立っているのだろうか。
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バス停更新'21秋以降2=千秋

2022-06-19 14:15:20 | 秋田のいろいろ
先日に続き、2021年秋以降に行われた、バス停表示板の交換について。
今回は、前回の秋田温泉線・仁別リゾート公園線と一部で経路とバス停が共通である、楢山大回り線(駅西口→楢山→大町→菊谷小路→北高校前→手形→駅西口)と、秋田高校線(=いわゆる秋高スクール線。誰でも乗車可能。御所野~御野場~鷹匠橋~北高校前~秋田高校入口)の単独区間のバス停。
2021年6月にある程度交換されていた一方、同じ古さで、しかも壊れるなどしているのに、未交換のものもあり、例によって気まぐれであった。

対象区間の全バス停名を記す。カッコは2路線以外も通る。
秋田大学前 ~ 明徳コミュニティセンター前 ~(東中学校前)~ 北の丸 ~ 千秋中島町 ~ 北高校前 ~ 原の町 ~(すわ町~鷹匠橋)~ 矢留町 ~ 通町橋 ~(中央警察署前)


順にたどる。「秋田大学前」は、正門横・県道15号にある手形山団地線用とは別の位置にある。
正門から県道を越えてまっすぐの市道に入ってすぐ、テニスコートの所。楢山大回り線では、両方の秋田大学前を通ることになるが、県道のほうでも乗降できるだろうか?
ここは以前は両側とも、移管直後設置のJTCウインRの表示板。
Googleストリートビューによれば2015年8月~2020年8月の間に、秋高発御所野行きの側だけ、現行仕様の表示板に交換(台座未塗装)。秋高行き・大回り線側はJTCウインRのまま。
今回確認すると、そちら側も交換されていた。台座も塗装。


そのまま線路方向へ進むと「明徳コミュニティセンター前」。
秋田市の施設を指すが、バス通りにコミセンは面していない。1本南の通りにあるので、いわば「コミセン裏」。秋田市交通局の命名だが。
両側ともJTCウインRだったのが、今回両側とも更新。

正式な施設名は「明徳地区コミュニティセンター」。「地区」が付いて、「コミュニティー」ではなく伸ばさない「コミュニティ」が正式。

アルファベット表記は「MEITOKU KOMYUNITHI SENTA MAE」。JTCウインR時代も同じつづりでスペースがない「MEITOKUKOMYUNITHISENTAMAE」だったようだ。
何度も指摘しているように、英語由来の言葉を「英語表記」でなく、「英語の読みをローマ字表記」して通じるのか、意味があるのか疑問。場所柄、英語が堪能な学生や教員も通るし、どう思われているだろう。

特に引っかかったのが「ティ」を「THI」としていること。
ヘボン式ローマ字表記を原則としているパスポート申請の資料では「TEI」としていて、「THI」で「ティ」は認められない。
一方、パソコンのローマ字入力では、「thi」で「てぃ」と入力され、入力例一覧表には掲載されているものもあるようだ(掲載しないものも多い)。僕は初めて知ったし、ティなんてテとィに分けて「texi(またはteli)」と入力すればいい話では。
ただ、日本人としては「TEI」は「てい」であって「ティ」とするには違和感があるのも分かる。昔の中央交通がJTCウインR表示板を作る時、悩んで、ローマ字入力表から見つけ出し、今回の更新でも悩んで、前例踏襲してしまったのか。

ちなみに、2018年夏に更新された「飯島コミュニティセンター入口」は、
(再掲)
「COMMUNITY SENTA」と英語と読み混在だった。これの更新前の市営・中央共用タイプは「COMMUNITY CENTER」だったようだ。

ところで、明徳地区コミュニティセンターは、1993(平成5)年度開館。それ以前はどんなバス停名だったのか。
1988年の市営バスの冊子時刻表に、バス停名が掲載されている。
(再掲)当時はこんなに本数があり、逆向きの「手形回り」もあった
「電波観測所」とある。実際には「電波観測所前」だったかも。

観測所の場所は、バス通りに面した、バス停のすぐ北。つまり上の写真の左のフェンスの中。ここ何十年も長らく空き地で、今は未舗装で工事車両みたいなのの駐車場になっているのだろうか。
施設名は聞き覚えがあるが、てっきり秋田大学の附属施設かと思っていた。そうではなく、今ならば総務省管轄の研究機関のものだった。
「秋田電波観測所」という名称で、1949(昭和24)年から1991(平成3)年6月1日まで存在。廃止時は郵政省 通信総合研究所(現・国立研究開発法人情報通信研究機構)の所管。

情報通信研究機構のサイトに、秋田観測所廃止当時の「CRLニュース」の内容がアップ(https://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/183/183.htm)されていて、職員により業務内容や思い出が記されている。
電離層の観測、由利本荘市岩城でのロケット実験との関連、今の電波時計につながる研究もされていたように素人は読んだ。
また、廃止後2年間は暫定的に電離層観測を続け、その後建物を解体する話も載っている。タイミング良く、明徳コミセンができたことになる。
※さらに余談だが、近くには電電公社の組織もかつて存在したのだった。


グランマート手形店駐車場角で温泉・仁別線としばし合流して「東中学校前」。分かれて直進して踏切を渡って千秋地区へ。
「北の丸」は、両側ともJTCウインRだった。(上記リンクの過去記事の通り、)秋高行き・大回り線側では、2021年2月頃に表示板が緩んで半回転して、5月頃に修復されていた。それも今回、
両側とも交換

坂を下って「千秋中島町」。両側ともJTCウインRで、ローマ字は「~まち」が正当なのに「~ちょう」であった。
2021年6月には、なぜか秋高行き・大回り線側だけ交換(「~まち」表記)。今回、御所野行き側も交換。
なぜ2度に分けた?
先に交換された側は、(前回の手形休下町のように)青い部分が下に伸びた配置であったが、今回更新分は通常の配置。

「北高校前」は、両側とも昨年交換済み。
旭川を渡って、しばし保戸野地区に入り、「原の町」。神田線・添川線用とは別の位置。
両側とも、市営バス時代からのナールの表示板だった。
秋高行き・大回り線側!!
これは新しいパターン。表示板はナールのままなのに、台座が塗装されている。さらに支柱も同じくグレーで塗装されている。
支柱のサビはあったがひどくなかったし、本数からすれば古い表示板でも問題なかろう。この手法でもいいなと思いつつ、向かい側を確認。
御所野行き側
支柱塗装は同じだが、こっちは表示板も交換している。こちら側の表示板が傷んでいたわけでもないのに、この対応の差は?

原の町といえば、神田線・添川線用の上り側。
そこはポールがなく、市営バス時代設置の上屋があった。その上屋の屋根が、前の冬の暴風雪で壊れてしまったそうで、今は壁だけになったので撤去予定と張り紙がある(のに6月になった)。
撤去されれば、ポールを置かないとならないだろう。それ用の表示板が必要になるだろう。もしかして、今回御所野行き側に取り付けた表示板って、それ用に寄せていた分だったのでは? などと心配したり。→その後の状況


「すわ町」、再び旭川を渡って千秋地区に戻り「鷹匠橋」、そして「矢留町」。
両側ともJTCウインRであったが、御所野行き側は、2019年9月以降に「臨時バス停」の表示板に替わっていて、2021年の近隣交換時もスルー。それも今回、両側とも交換。
臨時バス停だった側もきれいに

交換と同時に、バス停名が“変わった”。
以前も指摘したが、これは秋田市交通局の命名だが、「千秋○○町」にあるバス停でも、バス停はそのまま「千秋○○町」とするものと、千秋を取って「○○町」とするものが混在し、理由はなさそうだった。この区間では、北の丸と矢留町に千秋が付かなかった。
北の丸はそのままだったのに、こちらは「千秋矢留町」となった。JTCウインR時代は「やどめちょう」と間違っていたローマ字も「やどめまち」に。

そして、御所野行き側の表示板は、一見新品だが、下に文字の跡が見える。中古品の転用だ。
前回と今回の記事で、転用であることを確認できたのはここだけ。
上の写真を調整
下の文字は「御所野ニュータウン入口」。
よく知らないが、御所野ニュータウン入口は、「御所野」というバス停始発で県庁経由車庫行きの523系統が、平日に1往復だけ運行されている路線の停留所。バスで行こうから細いスーラの表示板に変わっているようだが、これの出どころは… ひょっとして間違って作って使わなかったとか?

千秋矢留町の次の「通町橋」も、今回両側ともJTCウインRから交換。
以上、今回の更新により、秋田大学前~通町橋は、原の町の片側以外(+共用区間の「東中学校前」下り)は、新しい表示板で統一された。

これらのちょっと近くのまた別のバス停も更新されたので、さらに続く
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広面アヤメ/ポスター掲示板

2022-06-17 23:13:33 | 秋田の季節・風景
東北地方は6月15日に梅雨入り。平年同日、前年-4日。
この時期恒例、秋田駅東方2キロの広面近隣公園のハナショウブ? アヤメ? カキツバタ?。2021年は今頃が見頃だったが、今年は気温が低い日が多かったせいか…
秋田市の花サツキが咲いている。その向こう
菖蒲園(?)内は葉の緑色が目立ち、一角だけが黄色い。

黄色い花(外来種キショウブではなく、在来種の黄色い品種)はよく咲いており、例年なら青系などの花が咲くほかのエリアはまだつぼみだった。

正面駐車場スペースの駐車場開放はされていなかったから、市としても見頃はまだという判断だろうか? 来週以降、いよいよ見頃になるでしょう。



6月22日公示、7月10日投票で参議院議員選挙が行われる。
秋田市では選挙ポスター掲示場(掲示板)の設置が進んでいる。今回は573か所で、前回より22か所減。

何度も取り上げているように、秋田市のポスター掲示板は、無塗装の秋田杉間伐材を使っていて、木目が美しい。
板の製造は秋田プライウッドだが、印刷は岩手県花巻市の「小彌太」という企業がやっているらしい。IBC岩手放送の報道によれば、2021年の衆議院議員選挙で小彌太には北東北各県の自治体から計1万5000枚の注文があったとのこと。

秋田市で県知事、市長、県議補欠、市議補欠の4選挙が同日に行われた2021年春は、掲示場に2点の変化があった
(再掲)2021年春
1つは、それ以前は、掲示枠が縦方向に2つだったのが、縦3つに。6枠ある場合は、横長から縦長に変わった。
もう1つは、左側の注意書きの書体(フォント)が、丸ゴシック体の写研「ナール」から、角ゴシック体のモリサワ「新ゴ(UD新ゴではない)」に変更(上のタイトルや投票日も、ゴナ→新ゴに変わったと思われる)。
前者は、掲示場所の幅を取らないため、後者は、小彌太の印刷上の都合か。

それが今回は…
広小路東側のポケットパーク。ここにもサツキ
以前の2枠の横長に戻った。フォントは新ゴ。掲示枠の番号の数字は小さくなって、フォントも変わったか。

今回の秋田県選挙区は、改選数1に6人が立候補を表明。1998年以来24年ぶりの多さ。
そのため、6枠にするわけにはいかず、9枠では多すぎて8枠のほうが板の節約になる、ということか。それとも単に2021年春は選挙の数が多かった特例であの規格にしただけということか。縦長のほうがすっきりしていいと思う。

※この選挙の秋田駅・ぽぽろーどの期日前投票所について
この次、2023年のポスター掲示場。掲示枠の番号が、元のように大きくなった。
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バス停表示板更新'21秋以降1

2022-06-14 19:20:24 | 秋田市営バス
秋田市交通局(秋田市営バス)から秋田中央交通へ移管された路線の、ダルマ型バス停の表示板交換シリーズ。
ここ数年、古い表示板を新しくする作業が、気まぐれながら積極的に行われていた。
交換対象は、基本的に市営バス末期、または中央交通移管直後に設置された表示板で、以下の3タイプが中心。※書体についてはこの記事など参照。
・交通局による1990年代後半~2000年頃作成の、カッティングシートによる写研製丸ゴシック体「ナール」もの。
・交通局による2002年頃作成の、透明シールにパソコンの丸ゴシック体(HG丸ゴシックM-PRO?)で印刷したもの。
・中央交通が、2006年の完全移管直後に作成した、カッティングシートのニィス製丸ゴシック体「JTCウインR」のもの。反射素材。
以上3つともローマ字表記があるが、その方式(ヘボン式/訓令式もどき)に特徴があったり、読みを誤っていたりするものもあった。

交換後は、以前のデザインを踏襲した表示板。カッティングシートのフォントワークス製丸ゴシック体「スーラ」、反射素材。表示板交換と同時に、支柱の交換や、台座を塗装することもある。
直近では2021年9月に取り上げたきり(例外で桜町を最近アップ)で、その後コメントで交換された情報をいただいていたが、なかなか現地確認できずにいた。このほど、やっと重い腰が上がったので、一部を紹介します。

今回は、秋田温泉線・仁別リゾート公園線のバス停。秋田駅西口方面から行くと、両路線だけが走る区間となるのが、手形山崎の次の住吉町から。この区間のうち手形地区~温泉入口辺りまでは、ナールを中心に、透明シールも一部残る、市営バス時代からほぼ手付かず(事業者名書き換えは除く)の表示板であった。添川以降はJTCウインRも混ざる。
今回は、住吉町から扇田までを見てきた。コメントによれば、その次の旭川小学校前が2021年11月に交換されていたとのこと【末尾のリンク先も参照】。同じく臨海営業所管轄である、神田線や泉ハイタウン線方面では、不規則にちびちびと交換されたのに対し、ここは一気に交換した。

以下、特記がない各バス停では、支柱の交換と、台座全体のグレー塗装も行われていたので、ここにまとめて記す。
「住吉町」
交換前は、下り透明シール、上りナール。
新しい表示板は、昨年夏更新分と変わらない仕様だが、写真の上りでは、赤と青の部分に、こすれて傷ついたのか白くかすれた箇所があるのが気になった。
そして、ローマ字に違和感。「SUIMIYOSHIMACHI」、「すみよしまち」。
交換前は上下とも「すみよしちょう」だった。
地名の「手形住吉町」が由来のはずだから、市民としては「てがたすみよしちょう」と認識していた。秋田市の旧サイト「秋田市地名小辞典」でも、手形住吉町の読みは「テガタスミヨシチョウ」。桜町と同様の、違和感ある地名の読み表示が、今なおされてしまっている。


曲がって、グランマート手形店横の「手形休下町」。旭川地区方面からバスで買い物に来る高齢者も多いのだから、下りバス停に屋根でもあればいいのだが。
交換前は、下り透明シール、上りナール。住吉町同様、片側ずつ違う。
交換前上り。南向き
↑この反対、北向きは赤い部分がさらに退色し、ドット状にはがれた箇所もあった。
交換前下り。南向き。透明シールに細かいヒビ

北向き。透明シールの劣化は少ない
前も触れたが、日が当たりにくければ、透明シールの耐久性は悪くない。

ところで、南向き面の20年前=設置直後の姿。
再掲)2002年5月29日撮影

(再掲)背後の電柱が同じようなので、その交換直前らしき姿

今回の交換後は、
上り
上りは標準的だけど、
下り
下りは青い部分の面積が下側に広く、その分ほかが下に下がっている。たまに見られる現象だが、どうしてこうなる?
ローマ字は問題なし。そういえば、この区間のバス停名は「手形○○町」は「手形」を省略したバス停名なのに、休下町だけは例外。市営バス時代の命名だがおもしろい。
【7月10日追記】手形休下町上りバス停のポールが置かれている隣の路上に、ロの字型の断面の金属製のものが埋めこまれている。昔のバス停標識(の脚)を撤去した跡ではないだろうか。なお、初代バスロケの脚は円形の断面なので違う。

また曲がって「東中学校前」。ここだけ、今回は手付かず。
下り側は、市営バス時代は樹脂製の”二面体”バス停であったので、移管直後にJTCウインRへ交換され、今回もそのまま。
上り側は、2代目バスロケーションシステムのポールと、上屋があったのだが、何年か前(ストリートビューによれば2012年10月~2015年8月の間)にどちらも撤去され、ダルマ型ポールになっていた。「手形山崎」の上り側と同じような、スーラながら現行より細いウエイトの文字。
上りはまだ新しいので対象外なのは分かるが、ほかでは交換されている世代の下りは交換しなくていいのだろうか。やはり気まぐれ。
2002年7月撮影の上りバスロケ
この段階では、秋田温泉線・仁別リゾート公園線は移管前。楢山大回り線と、いわゆる秋高スクール(御所野~御野場~秋田高校入口)は移管されていたので、下に中央交通の名が表示されている。
秋田駅行きが点灯
バスロケは中央交通へ移管されなかったため、ここのように、バス停を通る一部路線だけが先に移管された場合は、その路線・系統の行(ランプと文字)を隠す処理が行われていた。
上の写真の表示では、移管された2路線の行が見当たらないが、別に隠してもいなそう。どちらも本数が少なく、しかも秋高行きはすぐ終点だから、市営バス時代の最初から表示しなくしていたのかもしれない。また、大回り線では、「秋田駅行き」を点灯させれば良さそうにも思えるが、厳密には経路が一部異なる(手形休下町と住吉町は通らず、秋田大学前を通る)。
※この近くの大回り・スクールのバス停も交換されたものがあったので、続きの記事にて。


東中の角をまたまた曲がって、あとはまっすぐ。
「田中入口」。手形田中の入口ということなのだろうが、現在の地名では、バス通りが手形田中に面している。
交換前は、上下とも透明シール。
交換前下り

交換後。例によって4文字だと文字の扁平さが際立つ


次は「からみでん」。
手形からみでんという地名が由来。上り側は、「からみ田」と表記された2代目バスロケが残っていて手付かず。下り側は透明シールで、交換された。
交換前。赤い部分の青三角は反射シール

交換後
スーラの「て/で」って、へっぴり腰のような不格好なデザインだと思う。スーラは全体で見るときれいなフォントだが、個々の文字に着目するとややクセがある気がする。

ところで、「からみでん」バス停は、違う場所にも存在する。
秋田温泉線・仁別線のからみでんから、「からみでん」交差点を越えた北東側、ファミリーマート秋田高校前店の裏。
秋田温泉線の途中経由違いの系統、「秋田高校入口経由 秋田温泉線」用。下り2本が平日朝に運行されているので、片側のみの設置。
2019年9月までは、外旭川→天徳寺前→からみでん→手形山→大学病院→ノースアジア大学(2015年秋からは秋田駅東口に変更)と運行する路線があったので、その向かい側にもバス停が置かれていた。
2017年7月のGoogleマップストビューでは、上下とも透明シール。その次の2020年8月には、新しい表示板になっていたので、片側撤去時の交換か? その交換後は、
2021年9月撮影
本数が多いほうも少ない方も、同じ古さの表示板だったのに、本数が少ないほうを1年以上先立って新しくするというのが、相変わらず気まぐれ。
だけど、表示板の文字レイアウトは、区別がつかない。気まぐれでないのが珍しい。


元の経路に戻って、からみでん交差点を越えると、この記事最後の「扇田」。
以前は上下ともナールだった。
(再掲)ローマ字は「OGIDEN」、「おうぎでん」
地名の手形字扇田は、秋田市地名小辞典では「テガタアザオウギダ」だから、交通局による間違いかと思ったが、地元では「おうぎでん」と呼んでいるとのこと。
交換後
住吉町~からみでんと違い、表示板だけ交換したようだ。交換前から支柱にはサビがなく、台座も形状が少し違って新しそうなので、そのままにしたのか。
「OGIDEN」を踏襲

新表示板の仕様も安定してきたようで、ツッコミどころが少なくなってきたのが、つまらない。市営バスからの表示板が減っていくのは寂しい。
この近くの別路線のバス停について続く【15日補足・次回は多少おもしろくなるかと思います】。
旭川小学校前など扇田より先のバス停の状況
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ミルハスから元・禁断の風景

2022-06-12 19:48:18 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館跡地に、秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合させた「あきた芸術劇場 ミルハス」が、2022年6月5日に“開館”した(今はプレオープン段階で、グランドオープンは9月23日)。※先日の市街地循環バス乗り入れの記事
館内のカフェレストランがオープンしたほか、その他部分も公開されていて、休館日でなければ遅い時間(22時? 23時?)まで出入り自由なようだ。実際、昼間は、見物の人が多いが、僕はさほど興味がないので入っていません。

だけど、ミルハスができたら、ぜひ敷地内に入って眺めたい景色があった。それは、以前は“禁断の風景”とも言えるものだった。
ミルハスの敷地、南辺~西辺、特に西辺からの眺めである。

県民会館時代は、その西隣に私立秋田和洋女子高等学校が建っていた。
ミルハス建設に伴い、敷地を明け渡して(2020年に近くへ移転し、共学化して秋田令和高等学校に)、跡地にはミルハスの立体駐車場が建つことになった。
※当初は一般用駐車場は設けず、障害者や関係者のみが使える駐車場という話だったはずだが、今、公式サイトを見ると、「附属駐車場(2階建て)」として、誰でも使えると思われる194台分の有料駐車場があることになっている。
(再掲)Googleマップ航空写真に加筆
県民会館と和洋高校の敷地を合わせたミルハスの敷地は、東辺~北辺は公道に面していて、南辺~西辺は千秋公園のお堀・穴門の堀と接する。
南辺は、堀との間に大きなケヤキが何本も生える土手があるが、西辺はさえぎるものなく、敷地が堀端に位置する。
和洋の校舎は、その西辺のほぼ全幅、かつ水際ギリギリに建っていたので、ほかの場所や建物からでは見られない、独特の光景を見られたはず。そんなわけで、部外者は見られない、禁断の風景。
なお、以前の南辺は行き止まりで、一般人がどこまで立ち入っていいかよく分からなかった。隣が女子高だし。


ミルハスの設計が具体化した頃、和洋跡の駐車場に、外周を回る遊歩道を作るという計画を知った。禁断の風景が誰でも見られるようになるのだと、楽しみにしていた。
和洋高校校舎の解体が終わって、更地になったのが2021年初め。
(再掲)南西角を堀対岸から
南西角の大きなイチョウ(保存樹)は残った。
和洋の敷地より県民会館の敷地のほうが高くなっていて、間に土手(南辺と同レベル)がある。写真手前の南側では斜面も樹木も、おおむね残されたようだが、向こうの北側では駐車場通路ができて、高低差や大きなケヤキがなくなった。
駐車場完成後の同アングルの写真がないですが、どちらかと言えば実用性重視のデザイン、そこら辺にもありそうな立駐。

遊歩道に道路から出入りできるのは2か所。敷地の南東角と北西角。
前者は、ミルハス本体の正面に向かって左手・中土橋寄り。後者は、旧和洋高校の正面玄関に向かって右。
南東入口は階段
↑奥の土手の向こうが堀、背後右がミルハス正面、左が中土橋通りだが石垣でさえぎられる。

佐竹小路に面した北西角。手前の赤い路面を右へ入る

2018年8月。和洋高校(奥の建物が県民会館)だった当時のほぼ同じアングル
どちらも石垣や隣の建物に隠れて見つけづらく、しかも幅が狭くて、一般人は立ち入りできない通路のように見えてしまう。
ミルハスの施設管理は厳密なようで、立ち入りできない所には明確に表示がしてある。これら遊歩道入口にはそれがないし、遊歩道であることも小さいながら表示してくれているので、堂々と進入。
【7月8日追記】7月時点では、開放時間でも、和洋跡側の道路に面する位置に黄色いチェーンが張られていることがある。その横のチェーンは外れているし、掲示は変わっていないし、反対側にはチェーンはないので、従来通り通行可能。車を駐められないようにでもする意図なのかもしれないが、まぎらわしい。
「遊歩道は9時から20時までご利用できます」「眺望テラスを経由して施設を一周することができます」
そんなわけで、遊歩道の存在に気付かない見学者が多く、館内はたくさんの人がいたのに、遊歩道ですれ違ったのは3組だけだった。
なお、遊歩道の途中から館内に出入りできる所も2か所ある。後述。

では、北西から遊歩道へ。上の写真右側の通り、入ってすぐは隣に建物があるためか目隠しの板がある。そして、
禁断の風景へ
↑左の階段を上がると、立体駐車場内を通って、館内(1階?)へ入れるようだ。
右に等間隔に立つ棒は、照明のようなので、腰掛けないように。遊歩道の幅は一定ではなく、
狭くなった

堀端といっても、水に手が届くほど近くはない。岸辺から雑草(一部キショウブ=外来種も)が生える。
振り返って北方向。奥左の古い高い建物は秋田なまはげ農業協同組合
西辺には桜が数本生えていたのだが、和洋解体時に伐られた。残しても良かったのでは。
切り株?

解禁された禁断の風景。といっても、
この程度。高い建物は秋田中央警察署
対岸の堀端の建物の裏面は、これまで見られなかったけれど。

左に折れて数段の階段の上には、
南西角のイチョウ
校舎側に枝を伸ばせず、堀側にだけ枝を伸ばしていたが、これからは敷地内側にも広がるかな。→2024年秋の状況

イチョウの下は開けて広くなっていて、南側・広小路も見渡せる。
【10月22日追記・このイチョウはメスで、秋には下にギンナンを落とすとのこと。】→2024年秋の記事
秋田キャッスルホテル、木内、協働社跡のマンション
対岸のポケットパークには、2010年に「親水デッキ」の名で設置された浮桟橋が係留(2012年に移動)されているのだが、閉鎖され使われていないまま。

イチョウ下からは南辺を東に進み、ミルハス本体方向へ。
すぐに長い階段
階段をまっすぐ上るとミルハス本体だが、途中で左に分かれて、立体駐車場の2階へ出入りできる。
イチョウ下から駐車場1階へは立入禁止だったが、2階は使っていないのか何も書いてなかったのでおじゃま。
右奥の丘は千秋公園

2階から遊歩道西辺

2階から広小路・エリアなかいち方向

まっすぐの階段の先が、
ミルハス本体南西角
ここが「眺望テラス」らしい。ここからも館内(3階)に出入りできる。ただ、ここになると土手のケヤキなど草木が繁茂していて、眺望はさほどでもない。

本体建物と土手の間に遊歩道が続く。建物の1階より高い位置なので、ウッドデッキ風の路面に変わる。ケヤキの木陰で気持ちいい。
階段2つで下りる
あとは、最初の南東角で中土橋へ出る。


階段が多いので、ベビーカーや足腰の悪い人には不向き。9時からだから、早朝の散歩には使えない。西辺は午後は西日がきつい。冬や夜は通るのが不安かもしれない。南辺は落ち葉の掃除が大変そう。
でも、天気のいい昼間なら、いい散歩道になりそう。歩道がなく、一部見通しが良くなく、ちょこまかと車が通る(一方通行逆走車までいる)公道よりも安全。
【13日補足】距離としては、西辺・南辺それぞれ130メートル程度なので、計260メートルほど。北辺~東辺の公道を通ると、一部外側に膨らんだ線形なので280メートル強(段差はない)。
犬の散歩など動物を連れての通行は可能なのだろうか、それに、平坦な北西側からは階段を知らずに自転車で入ってしまう人もいるかもしれない。そのようなルールを作って、表示する必要があると思う。


【19日追記】周辺に古くから住む人にこの遊歩道の存在を教えると、喜んで歩きに行って、新鮮な風景を楽しんだようだ。
昔の穴門の堀で、スケートやボートができたのは有名な話だが、終戦直後・昭和20年代頃には和洋高校付近で泳いだとか、県民会館が建つ前の敷地には秋田県記念館のほか、戦後には秋田市の児童館? もできたとか、そんな思い出も聞くことができた。

【8月3日追記】その後、7月下旬頃から、遊歩道のうち、中土橋側出入口~南辺のケヤキの下の区間が常時閉鎖されている。理由は不明。正面~館内~展望台テラス~西辺堀沿い遊歩道~和洋高校正面跡 のルートを取ることはできる。
【8月19日追記】さらにその後8月19日までには、閉鎖解除。当初のように外側で通り抜けられる。
【2023年2月2日追記】積雪がある2月2日時点では、和洋跡も含めた堀沿い全区間が冬季通行止めとされていた。
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JRバス秋田 '22.5

2022-06-08 20:52:15 | 秋田のいろいろ
先日、秋田中央交通のバス停を取り上げた秋田市保戸野桜町で、もう1つバスと言えば、JRバス東北。
アンダーパス・天徳寺地下道の上、奥羽本線際にあった「ジェイアールバス東北秋田支店」が、2021年2月で廃止された。
2021年3月からは、車両配置はなくなるものの、乗務員(運転士)の出退勤はあるという、仙台支店管理下の「秋田乗務員宿泊所」になっていたらしかった。【10月7日追記・労働組合報では「秋田泊所」の表記が見られるので、内部ではそう通称・略称されているのだろう。】

2021年5月時点では、最低限の表示の撤去がされた程度だった。それから1年。
地下道の上から。左が線路、背後が泉外旭川駅方向
基本的には変わっていない。
昨年と比べると、敷地内に置かれる普通乗用車の数が、だいぶ増えているようだ。そんなに出勤する社員がいるとも思えない。外部に貸してでもいるのか。【9日追記・月ぎめ駐車場になったスペースがあるとのコメントをいただいた。】

建物の表示は、昨年よりも多少撤去された。
今残るのは、門柱の「JRバス東北株式会社」と、上の写真で見える、壁面のツバメマークと「JRバス東北」だけのようだ。
昨年は、「JRバス東北」の下の行に、「支店」だけ撤去した「秋田」の文字が残っていたが、新たに「秋田」も消したようだ。今回は消しかたが雑で、跡が濃く残っていて、消えていないかのよう。

奥の建物の「秋田自動車整備工場」「安全第一」も撤去。ガラスのツバメマークは残る。
そして、支店壁面の道路向きと線路向きにあった、「JR 貸切バス 各種旅行のご相談はJRバスへ」の宣伝文句。
(再掲)1年前

撤去されたが、これも跡くっきり(線路側も同じ)
これらの文字は、昨年後半くらいにはまだ残っていたかと思う。営業拠点がなくなった秋田では、もう貸切バスを頼むことができないから、消されて当然。
コメント (3)
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ぐるるミルハス乗り入れ

2022-06-06 17:24:43 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館跡地に、秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合させた「あきた芸術劇場 ミルハス」が、2022年6月5日(プレ)オープンした。グランドオープンは9月。【8日補足・公式には6月「開館」、9月「グランドオープン」という語を使っている。プレとグランドでどこが違うのか明確な説明はなさそうだが、後者はこけら落としということか?】
5日は開館記念式典が挙行された。この日入館できる一般人は、事前応募に当選した人のみで、カフェなども含めて自由な利用は6日以降のようだ。
5日はそこそこの天気で、千秋公園に散策に来た人もいたようだが、ミルハスを見物に来た人も多そうで、記念式典が行われている時間中も、中土橋通りはにぎやかだった。入館しようとして、係員に止められ、今日は当選者のみだと説明されている人も何人かいた。

これに合わせて、先日アップした通り、秋田市中心市街地循環バス ぐるるが、ミルハス前に乗り入れるようになった。それと同時に、所要時間の増大と運行時刻変更、減便も実施。

まずは、新旧ダイヤの全体の所要時間を比べてみる。各バス停間の所要時間と、始発点買物広場からの累計時間。
時刻表を元に作成したので、「発」時刻で算出。実際には早着することもある。

1周が20分から約35分に増えたとされていた。旧ダイヤでは、周回後の買物広場での次発までの待機、すなわち遅れ回復分も含めて20分であったが、新ダイヤでは35分にプラスして5分ほど確保されており、「1周40分」ともとらえられる。実際には、市民市場前→買物広場は2分もあれば着く。

時刻表上は、秋田駅西口→ミルハス前は6分。千秋公園入口→ミルハス前は4分、ミルハス前→木内前は4分。そのほか、間の川反入口が廃止された、大町通り→北都銀行前は2分増など、一部バス停間の所要時間が少し増えている。旧ダイヤとは打って変わって、かなり余裕のあるダイヤ。
5日にバスロケーションシステム(https://akita.bustei.net/buslocation/)を眺めていると、買物広場はむろん、ミルハス前や北都銀行前で数分間停車して、時間調整をしているようだった。新ダイヤでは、よほどのことがない限り、定時運行を維持できるだろう。

以前触れた通り、渋滞の有無など運行状況が日々刻々変わる市街地においては、遅延は避けられないし、それにある程度対応できる余裕あるダイヤ設定にしておくのは当然だと思う。
ただ、秋田駅→通町が12分(旧ダイヤ+8分)、秋田駅→中通病院が21分(+10分)などとなれば、買い物や通院などで日常的に利用している市民にとっては、悩ましくもあろう。


さて、気になっていたのが、ミルハス前でのバスの運行形態。どこに停まり、どこで方向転換するか。現地確認。
右がミルハス。前後方向が中土橋通り。奥が広小路、背後が千秋公園、左が元平野政吉美術館だった秋田市文化創造館
上の写真の場所は、県民会館時代は、県民会館の土地が道路より高くなっていた。道路添いにはケヤキの並木やアジサイなどがあったのだが、高低差ととともになくなった。向かいの旧美術館側のケヤキは残ったが、ケヤキのトンネルのようだったのが半分になってしまった。

ところで、上の写真左方向の市道・明徳館小路(国学館高校前の通り)には、メタセコイアが数本あるのだが、ミルハス開業に合わせた道路改良工事で、枝がばっさりと剪定された。メタセコイアの旺盛な生命力からすれば、その管理で問題はないはずだが、その姿が痛々しいだとか、数か月前の秋田魁新報が報道していた。
それに引き換え、中土橋通り県民会館側のケヤキなどが根こそぎなくなったたこと、さらに、県民会館の和洋高校側にあった大きなケヤキの伐採、旧美術館を文化創造館にする際に、その敷地内のメタセコイアなどが伐採されてしまったことは報道していないはず。それらは痛々しくないのだろうか。表面的で感情的な報道に思えてならなかった。

上の写真、中央の白線より左が市道。右側はミルハスの敷地で、その車寄せということになる。間に車止めやのぼり旗は立っているが、ちょっと分かりにくい。歩行者は、ミルハスからせり出した軒下の通路を歩けばいいのだが、遠慮したのか車寄せ部分を歩く人もちらほらいた。
その車寄せに「バス」の表示がされているものの、バス停の標識=ポールは見当たらないような(後述)。

広小路から右折して、ぐるるがやって来た。やはり、
車寄せに入り、正面玄関前を通過

「バス」表示部分で停車

中土橋側から
上の写真で「P↑」とあるのは、(ミルハスには一般用駐車場はないので)関係者用駐車場を指すのだろうが、表示に従うと車寄せに入ってしまいそう。この後出てくるが、車寄せを過ぎた所に、別に駐車場入口があるので、まぎらわしいかも。【12日訂正・駐車場は一般も使える有料駐車場になったようだ。末尾リンクの遊歩道の記事も参照。】

余裕あるダイヤのおかげで、ぐるるは定刻まで3分ほど停車。時間になると車寄せを進んで市道へ戻るが、方向転換はせず千秋公園方向へ。
横断歩道の手前左が図書館
明徳館小路との丁字路を過ぎて、市立中央図書館明徳館の向かい、旧和洋高校方向からの一方通行(佐竹小路)の出口と交わるところに、かつて東海林太郎像や人口滝のある小公園があった。小公園跡もミルハスの敷地になり、そこが上記、駐車場の入口。
関係者駐車場は和洋高校跡なので、ここから西へ敷地内を進むはずだが、すぐのところにはバスが3台ほど置けるスペースと、掲揚塔を中心に半周して、一方通行路に出られるロータリーもある。

この時駐まっていたのは、秋田中央交通の観光バス2台。「Akita Chuo Kotsu」の文字が他車と異なり、同社として初購入の新型いすゞガーラであった、10-01と10-02。
1001が「秋田市議会」、1002が「秋田県議会」の札(バスステッカー)を掲出していた。式典にお呼ばれされた、両議会のセンセー方の輸送か。
「市議のほうが若い車番の車とはケシカラン」と言い出す県議がいそうで、逆のほうが…なんて考えたものの、ナンバーが大きいほうが、後から入った車=新しい車だと思えば、むしろそれでいいか。ただ、この2台は同時導入のはずだし、ナンバーが新しくても中古車や再登録のケースもあるが。そもそも、そんなことにこだわる議員もいないか。

ぐるるは、その駐車場入口へ左折して、ロータリーへ。

敷地内、歩道、車道に段差や縁石がない。今は小さい赤いコーンが置かれているが、それがないと車と人が間違って動いて危ないケースがあるかも。


一瞬だけ佐竹小路へ出る

右折して中土橋通りへ戻る
あとはまっすぐ。ミルハスの向かい側を通り、広小路へ。



一方通行出口の図書館前付近は以前から、道路の幅が広いものの、歩行者の動線はあいまいになっている。図書館への車の出入りや、千秋公園の坂の下で時間をつぶす車もいて、やや混沌とした状況のこともある。歩行者も車も充分注意して、歩行者は横断歩道での横断を。


最後に、ミルハス前バス停のポール。
ポールはなさそうだけど
通路の路面に水色の部分が。印刷されたシートを貼っている。
「ぐるる ミルハス前」
これがポールの代わり?!

ミルハスの英字表記は「Mille Has」だそうだが、路面は「MIRUHASUMAE」と相変わらず(ということは市主導ではなく、中央交通が発注したのか)。
その下にQRコード(二次元コード)も貼られ「バス時刻表はこちらから」。

これでバス停として、(法令上)認められるのだろうか。
遠方からの視認性がないし、QRコードを読み取れない人は時刻表が分からない。
「バス」としか書いてないから、貸切バスが乗降場と勘違いして、ぐるるの邪魔をする可能性もあろう。軒があっても、雪が吹きこんで表示を隠すかもしれない。
あと、点字ブロックに、バス停などを示す「点状警告ブロック」がなく、「線状誘導ブロック」で素通りしているのも、うまくない。

ついでにデザイン面でも。
この水色のは、ここ数年、駅構内の床面表示(弘前駅の例)で流行っている、立体的に見える「錯視サイン」のつもりらしい。たしかに立体的には見える。だけど、なんかゆがんだような不自然な立体に感じた。目が悪いのか、見る位置が悪いのか、設計が悪いのか。
そんなわけで、ポールを置いたほうがいいと思います。

※バスとは関係ない、ミルハス外周の遊歩道の記事
※その後、9月にポールが置かれた
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桜町上りバス停

2022-06-05 17:21:59 | 秋田の季節・風景
コメントで情報をいただいていたものの、なかなか出向くことができずにいた件。神田線・添川線の「桜町」バス停の上り側の変化。所在地は上り側が保戸野桜町、下り側は泉中央五丁目。
上り側は、秋田市交通局(秋田市営バス)が1994年度に設置した、2代目バスロケーションシステム(バス接近表示)対応のポール。
(再掲)
バスロケシステムは秋田中央交通へ移管されず、ポールのみが移管され電照式バス停として使われたが、いつしか点灯もしなくなっていた。ここに限らず、大部分が同様の状態。
それが今年4月頃、撤去され、代わりにダルマ型ポールが置かれ、さらに6月に入った頃から、バス停付近の沿道の建物の解体工事が始まったとのことだった。

上の再掲写真の通り、現地は歩道がない狭い道路であり、ポールは公道上でなく民地に立っていたようだ。元バスロケポールが撤去されたのは、建物の解体の支障になるためということになろう。同様の前例もある。
南側から

北側から。背後が平和公園・天徳寺地下道
覆われてバス通り側から建物は見えなくなってしまっていたが、解体される建物はバス通り沿いにかなり長い。信号機のある交差点から、その南の小さい交差点までの1ブロック全部。

ここにあったのはどんな建物だったか。記憶では、上りバス停のすぐそばには、かつては洋菓子店があった。あとは別棟で民家のような空き店舗のような建物で、そうした中に、バスを待つ客が待機できるスペースもあった。Googleマップストリートビューで確認。
2015年8月。北側から
北に白い建物、南に茶色い建物があり、茶色いほうの1階の半分が、洋菓子店だった。
洋菓子店はストリートビューで確認できる2012年では看板はあったが営業していなそうで、2015年以降は看板もなくなっている。そのほかのスペースは、いずれも2012年以降は使われていなそうな雰囲気。そんな2つの建物の間にバス停があった。
ストリートビューより
2つの建物をつなぐように、待合所専用の低い屋根がかけられていた。中には木製のベンチも置かれていた。
ストリートビューの画像の明るさを調整
背もたれに秋田酒類製造のブランド「高清水」の文字。木製で広告入りのベンチなど、他のバス停では見た記憶がない。年代物かも。
ベンチと反対の壁には、
周辺地図が掲出
構造やアイテムから、土地や建物の所有者が、自分の場所をバスを利用するに使ってもらおうと考えていたこと、すなわち厚意がうかがえる。実際、乗車客は多いバス停であり、恩恵にあずかった人は多いことだろう。

跡地はどうなるか。そして待合所はどうなるか。便数が減り、人口が減り、バス利用者の数も減ったとはいえ、高齢者など今も桜町から上りバスに乗る客は少なくない。



ここからはダルマ型バス停の表示板について。
向かいの下り側は、市営バスからの移管直後に中央交通によって交換されたものが使われていた。文字はJTCウインRで、「さくらまち」なのに「SAKURATYOU(さくらちょう)」と誤記されたもので、不服であった。
近年、多くのバス停の表示板が、気まぐれながらもそれなりのペースで再び交換されていて(直近の記事は2021年9月)、ついにやっと桜町下りも交換された。昨2021年10月末とのこと。
交換後の下り。2021年11月撮影
2021年の“トレンド”だった、支柱も新品に交換し、台座は全体がグレーで塗装された。表示板は、
右向かいに解体前の建物と元バスロケが
フォントは太いスーラで、文字配置も標準的。ローマ字はやっと「SAKURAMACHI」になった。

今回、上り側の元バスロケ撤去後に置かれたダルマ型は、
上り側
下り側と区別つかない。昨年、下り側を作った段階で、上り側の解体の話が出ていて、いっしょに作ったのだろうか。
ただ、ポール全体を見ると、
ちょっと違う
元々ダルマ型ポールがなかった場所なのだから、台座と支柱はどこかから調達したことになる。支柱は標準的なようだが、台座は…

金属の枠の中にセメントを流しこんだようなもの。
背が低く表示板が大きいため、当ブログで「頭でっかちタイプ」と呼んでいるポールの台座と同一のものかと思ったのだが、
(再掲)頭でっかちタイプの台座
微妙に異なる。頭でっかちタイプは、セメントの中に、支柱を差しこんで受けるパイプが突出し、小さい穴が2つ開いている。桜町上りは、セメントに直接支柱が刺さっていて、穴もない。
それに、金属枠の角の面取りは、桜町上りのほうが大きく、枠の側面はくもりがなく鏡同然の光沢。頭でっかちは新品状態であってもつや消しがされている感じがする。
桜町上りの台座は、中央交通が、頭でっかちをまねて自作したのかも。
2022年8月頃以降、他のバス停にもこのタイプの台座が使われるようになった。
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バスガイドで違う大森山標高

2022-06-02 19:52:31 | 秋田の地理
バスガイドなど昭和の貸切バスの思い出シリーズ。
小学校の遠足で秋田中央交通のバスガイドに、間違った歌詞の歌を教えられた話幼稚園のいもほり遠足で、秋田市交通局の運転士とガイドが消えた話に続き、最後は小学校の社会科見学での、秋田市交通局(秋田市営バス)のバスガイドの発言。

まず、社会科見学について。昭和末までは生活科がなく、1年生から社会科があった。
我々の学校・学年では、社会科見学と称する行事は、2年生から4年生にかけて、何度か実施されたと記憶する。1年生では校外での集団行動は危ないという判断かもしれない。また、5年生では日本全体のこと、6年生では歴史のみを習うため、近場に見学する場所がないという理由だろう。
秋田市街地にあった母校では、学区近隣に見学対象もあり、商店街やダイエー秋田店(ニューシティ全体ではなくダイエーの食品売り場を見たはず)などは2年生で徒歩で出かけた。

全国的に社会科見学と言えば、特に食べ物の「工場見学」が連想されよう。秋田市周辺にも、みちのくコカ・コーラボトリングなど見学を受け入れる工場はあるが、我々の学年では工場見学は1度もなかった。5年ほど年下の学年では、2年生辺りでたけや製パンの工場を見学するようになっていた。
僕は、大学2年の時に、ニッカウヰスキー弘前工場の見学計画が浮上したが、それさえ、他の授業との兼ね合い(学部事務局の時間割表の作成ミスのような気がしなくもない)で流れてしまったほど、工場見学とは縁がない。


我々が小学校の社会科見学で貸切バスを使ったのは、2年生の秋田駅~秋田郵便局(現・秋田中央郵便局)と、3年生と4年生各1回(後述)の計3回だと思う。いずれも市営バス。遠足以上に遊びの要素がない、お勉強のお出かけだが、それでも遠足気分になったものだ。
3年と4年の社会科見学は、どちらも秋田市内の複数の施設を見学し、この2年間でクラス替えがなかったため、記憶がごっちゃになっている部分もある。保存した資料もあるのだがすぐ出せないので、以下、一部資料と記憶から整理(後で資料が見られたら修正するかも)。

●3年生
・1985年9月13日。
・単なる社会科見学でなく、「市内めぐり」という名称付き行事。「しおり」も発行された。
→「市内めぐり」とは的確な命名だと思っていたが、数年前、県内で少し違う市内巡りがされていることを知った。
能代山本方面だったか、(町や郡を越えた)地域外から異動してきた教員をバスに乗せ、学校のある地域を案内する行事(研修?)があるらしい。秋田市でも行われていたか、あるいは伝え聞いて知ったかして、社会科見学の名前に転用したのかもしれないと思った。
【2023年6月28日追記・「市内めぐり」の由来について考察】1982~1983年度に、NHK教育テレビの小学校3年生・社会科の学校放送番組で「ぼくのまち わたしのまち」が放送されていた。「たんけんぼくのまち」の前番組。
Wikipediaのそのサブタイトル一覧によれば、5月(82年度は第5回、83年度は第4回。当時は2週ごとでなく毎週、新作が放送されていたようだ)に「市内めぐり」という回があった。なお、1981年度までの「ぼくらの社会科ノート」にはなし。
もしかしたら、これが由来かもとも思ったが、さらに↓

近年でも、小学校3年生が「市内めぐり」の呼称で、社会科見学を実施している地域・学校がちらほら存在した。
Google検索結果上位では、2022年度 立川市、2018年度 取手市、2021年度 青梅市など、東京都と千葉県を中心とした首都圏周辺で盛んな感じ。千葉県旭市では「旭市内めぐり」と市名を冠するようだ。あとは岐阜県各務原市、大阪府岸和田市、山形大学附属小学校で実施されているのを確認。
ということは、「市内めぐり」の名前は、教育現場では一般的なのかも。(以上追記)

・秋田市中央卸売市場 → 東北電力 秋田火力発電所 → 秋田市水道局 仁井田浄水場。
→見学時の建物や設備は2022年時点では、どれもおおむね現存するはずだが、近い将来いずれも大きく変わりそう。
外旭川の卸売市場は、現在は花部門以外は「秋田市公設地方卸売市場」に格下げ。イオンタウン構想とともに、全面改築計画がある。
飯島の火力発電所は縮小傾向。現在唯一稼働する4号機も2023年3月で廃止予定で、その後は発電所全体が廃止される方向。【10月20日追記・その後、2024年7月に廃止が延期された。この記事も参照】
(現在は秋田市上下水道局)仁井田浄水場は、老朽化した設備を2027年度までに全面更新予定。

・昼食は弁当持参で、大森山公園のグリーン広場で食べた。食べないその日の給食費から、おやつセットが配給。
→おやつ現物支給は、現金で返金するのが面倒だったのか。宿泊研修などでも行われた。
味覚糖の中にミルクが入ったキャンディー(さくらんぼの詩、野いちごの小道、クリームソーダ)や、いちごポッキー(つぶつぶいちごでない小さい箱の)など、自分ではあまり選ばない商品もチョイスされ、それをみんな同じく食べるというのは、それはそれで楽しかった。おっとっとも入ってたか?


●4年生
・1986年6月30日。
・秋田市環境部 御所野事業所 → 秋田市下水道部 八橋事業所 を見学。順番はあいまい。
→御所野(実際は河辺?)はごみ処理場。現・秋田市総合環境センター。
八橋は臨海バイパス・草生津川の橋のほとりの下水処理場。後に「八橋下水道終末処理場」になるも、県の下水処理場と統合され、2020年8月からは下水処理機能がない秋田市上下水道局「八橋汚水中継ポンプ場」。

・見学は午前中で終了し、帰校後すぐ給食。
→たしか献立が「とり肉のピーナツからめ」で、とてもおいしかった(過去の記事)。


3年は飯島~仁井田~大森山とほぼ市内全域の移動。弁当とおやつもあって、遠足がもう1回あった気分だったかも。
しかし4年の御所野往復もけっこうな距離で、半日で済ませてすぐ給食なのはタイトスケジュール気味な感じもする。


さて、貸切バスの話。当時はもちろん、バスガイド付き。
仁井田浄水場に向かう時だから、3年生。
「NHKの朝のドラマ(連続テレビ小説)の放送中は、水道の使用量が大きく減るそうです」と説明があった。
これは、1983年の「おしん」放送時のことだと思われる。「NHK放送史(https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=asadra014)」のサイトにも、「「朝の放送時間は水道の使用量が激減した」と言われるほど」とされる」とある。
当時の交通局では、秋田市民などを対象にした、市内の施設見学会(ある意味大人の社会科見学)も請け負っていたかもしれないので、その手の案内は慣れていたのだろうか。


そして、問題のある案内が2点。これがどちらの年か分からない(理由後述)。
秋田大橋か雄物新橋のどちらかで、雄物川(雄物新橋なら正確には雄物川放水路)を渡った時、「今渡っている川は雄物川です」と案内があった。
その後、新川橋(架替前の先代)を渡ったのだが、案内がなかった。すると、児童の1人から「この川は?」と質問の声。

ガイドは「う~ん。新川?」と疑問形で返答。

秋田市に新川という河川はない。新川橋の下を流れるのは秋田運河(正式には旧雄物川)である。
僕は知っていたが、訂正できるような子じゃないので、黙っていた。

雄物川を紹介しておきながら、小さいとはいえない秋田運河・新川橋は黙っているのは説明不足。そして、秋田市の公営企業に所属し、市民などに案内する立場でありながら、雄物川改修事業や臨海工業地帯など秋田市の発展を語るに欠かせない秋田運河(の区間なのか、名前なのか)をよく知らないというのは、勉強不足と言わざるを得ない。
と、今さら苦言を呈しておく。



もう1つは、どのタイミングかは忘れたが、大森山の高さ。これはけっこう奥が深い。

バスガイドから「大森山の高さは、124メートルです」と案内があり、ふーんと思った。
※数値はちょっと自信なし。122メートルだったかもしれないが、後述の各種資料に従えば、124の可能性が高い。


社会科見学終了後、次の日辺りだろうか、学校で友だちが話した。
「大森山の高さって、123メートル。1、2、3なんだって!」
あれ? 僕が聞いたのと1メートル違う。尋ねると、その子が乗っていた号車のバスガイドが教えてくれたという。
バスガイドの間で、数値が統一されていないことになる。
下手すれば言い争いになってケンカになりかねないが、彼も僕もそんな子じゃないので、誤差みたいなのがあるのかね、で終わった。(けど、個人的にはずっと引っかかっていた。)


この“誤差”について、後年、自力でそれなりの原因を考えてみた。少なくとも4つ。
・小数点以下の処理。
→よくある話で、切り上げ/切り捨て/四捨五入の違い。

・データの新旧。
→測量方法の変更や地殻変動で、標高の値が変動することはある。

・山の標高と三角点の標高を混同している。
→大森山のテレビ塔近くの展望台には、一等三角点がある。その一帯が大森山でいちばん高い場所ではあるが、三角点の位置=山の頂上とは限らないはず。
だとした場合、国土地理院の地形図では、大森山の頂上付近に三角点の標高が記されるため、(低い数値を言ったほうのガイドが)それが大森山の標高だと誤解して、案内してしまった可能性。
※地形図で、三角点がない山の頂上の標高は、「・」印に数字を記す「標高点」の地図記号で示される。大森山には標高点は未記載。
※大森山の三角点の名称(基準点名)は「赤山」。大森山をそう呼ぶなど聞いたことがないのだが、理由が知りたい。

・インパクト重視・ウケ狙い。
厳密な数値を用いず、大雑把な値を示し、1、2、3という数字の並びの良さを重視した可能性もある。


山の標高と三角点の標高について、掘り下げる。
翌1987年の5年生での大森山宿泊研修(宿泊訓練。いわゆる林間学校)の「しおり」には、学習資料として大森山のプロフィールが記されていた。
「標高123.49m」、さらに三角点が「123.4m」であるとのこと。
当時は知らないが現在では、三角点の標高は小数第二位まで公表されている。しかし、地形図では小数第一位までしか記載されない。
今のようにネットで三角点のデータを調べられたわけでもなかったので、「123.4m」は地形図を転機した可能性が高いと思う。

ただ、「時系列地形図閲覧サイト 今昔マップ on the web」で、1985年修正の地形図では「123.5」。

近年は後述の通り異なるが、明治から2006年まで123.5で不変。となると、123.4の出どころが謎だが、宿泊研修のしおりの話なので、これ以上追求しない。

バスガイドの説明に戻って、ここからは憶測。
交通局のガイド教本みたいなので、しおりにもあった「標高123.49」もしくは地形図の三角点「123.5」の値を記載していたのかもしれない。
それを見て、あるガイドは小数点以下を切り捨てて「123メートル」と、あるガイドは四捨五入または切り上げて「124メートル」と案内して、齟齬が生じた可能性がある。
バスガイド各自の裁量の範囲内だとは思うが、同じ学校の同じ学年の子どもたちが混乱しないよう、統一することがあってもよかったのでは。


現在の数値も記しておく。
一等三角点の標高(2014年)は「123.17」。地形図では「123.2」。
地理院地図より
ちなみに2011年では123.32だったそうだ。

「大森山の標高」と銘打った値で、出典や根拠が明確なものは、ネット上にはないようだ。
(秋田市役所サイト内の)秋田市大森山動物園のホームページ内、「大森山公園」全体の紹介ページ(ページ番号1003910)の中で、「展望台」が「公園の最高地で、標高は123.49メートル」としている。1987年と変わらない値だが、これは市が定期的な確認や更新をせずに、掲載したまま代々引き継いでしまっている可能性もある。
Wikipediaの「大森山」の項(全国の大森山の一覧)では、「秋田県秋田市にある標高124mの山。大森山公園がある。」。※他の大森山も小数点以下がない数値。
その他のホームページは、市サイトの「123.49」もしくは三角点標高を元にしたか、大雑把に123としたと思われるものばかりだと感じる。

以上、大森山の標高の数値については、結論は出せません。国土地理院に問い合わせれば分かるでしょうけど。


このできごとが、3年か4年かあいまいな理由。
雄物川→秋田運河を通り、大森山が話題になったといえば、上記見学先を踏まえれば3年生のはず。でも、特に大森山の高さについては、そう断言できない事実(であろう記憶)があった。

3・4年生はクラス替えがない、1学年3クラスだった。
3年生の市内めぐりでは、1クラスにつき1台のバスが配車された。遠足と同じで当然。
4年生の社会科見学では、バスは2台。各クラスをそれぞれ半分ずつに分けて、補助席も使って分乗。
児童数が減少傾向であった母校では、我々が4年生になった時には、ギリギリ3クラスが維持できる人数だったはず。半日であることやバス代節約の意味からも、2台に収めたのだろう。

そして、大森山の高さのやり取りをした友だちは、同じクラスの人だったはず。すなわち4年生の時のはず。
でも、ルート的に大森山は通らないと思われる4年コースで、2台のバスガイドがそろって大森山の高さを話題にするものだろうか。やはり3年の時のことで、話した友だちは実は違うクラスの人だったのか、でも僕はそんなに交友関係は広くないし…
やはり記憶とはいい加減なもの。この真実は永久に分からないでしょう。
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