広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

壁のニッパー君

2019-10-31 00:43:26 | 昔のこと
蓄音機のラッパに向かっておすわりして首をかしげる犬のロゴマークの、「Victor」「ビクター」というブランドはどの程度認知されているだろうか。
このマーク
犬と蓄音機の下には「“HIS MASTER'S VOICE”」と書いている。元々は同名の絵画で、亡くなった飼い主の声の録音を聞いた時の状況を描いたもの(引き取った新たな飼い主は、元の飼い主の弟であり絵の作者。兄弟とも画家だった)。
犬の名は「ニッパー(Nipper)」で、テリア系の雑種だそうで、雌雄は明確には分からないが「His Master's Voice」だからオスなんだろう。日本では、知っている人は「ニッパーくん」と呼ぶことが多い。

ビクターは、元はアメリカの企業で、戦前から日本で展開しているが、事業内容や提携先がさまざまで、時代や世代によって、印象は違うかもしれない。
今なら、レコードレーベル・音楽ソフトブランドである「ビクターエンタテインメント」がよく知られているのかもしれない。
あと、恥ずかしながらつい先日まで知らなかったのだけど、レコード販売店「HMV」も関係があり、「His Master's Voice」の頭文字だったのか!(ただし、現在はビクターとの関係は薄いようで、ニッパーは使っていない。)

しかし、20世紀末もしくは昭和でビクターといえば、音響機器(AV機器)メーカー「日本ビクター」ではなかっただろうか。
最近、ニッパーくんの置き物が、例えば飲食店とか一般家庭とか、ビクターと関係ない所に飾られているのをたまに見かける。今は(小さいのとか)単品で販売されている【各種販売されている。末尾の追記参照】のかもしれないが、元は日本ビクターが、小売店(街の電気屋さんの一部でも扱い店があった)の装飾用に配布していたものだと思う。【11月4日追記・コメントで教えていただいたように、ステレオなど商品購入者におまけとして配っていたこともあったとのこと。】

日本ビクターは、昭和の初めに設立され、日産や東芝系列だったこともあるそうだが、戦後は永く松下電器産業(現・Panasonic)グループ。
高柳健次郎らがテレビの開発に力を入れ、さらに世界標準となったビデオテープの規格「VHS」を開発した(これは松下の力添えもあったかな)。
海外輸出時に「Victor」ブランドは使えなかったようで、そのために「Japan Victor Company」の略である「JVC」ブランドも併用(もっと昔は「NIVICO」も使っていたらしい)。国内向けでも広告ではVictorとJVCを併記していた。


個人的には、ビクターが松下系列というイメージはあまりなかった。小さい頃は、ビクターというブランド名すら知らなかった。
1980年代後半、家電量販店のチラシでビクターのラジカセ(外国工場製の安いダブルラジカセなど)を見かけるようになり、さらに小学校の体育館の放送機器がビクター製に更新された(マイクスタンドにも、ちゃんとニッパーくんがいた)ことで、認知したと思う。
小学校のウエストミンスターチャイムも、古い(1960年代製かも)ビクター製だった。棒を叩いて演奏するアコースティックなもので、文字のロゴが違って全部大文字の「VICTOR」だった。【31日補足・チャイムは、接続された時計からの指令により演奏し、接続されたアンプに出力して校内放送される仕組み。昭和末には電子音のものが登場し、現在はリアルな音色のデジタルシンセサイザー方式が多いが、当時の母校のものはお寺の鐘で演奏しているようなひときわ重厚な音色だったと記憶している。】
「victory」の英単語の綴りも、ビクターのおかげで覚えた。
やがて、VHSのビデオテープ、そしてビデオデッキも安くなってビクターが身近になった。VHS-Cの家庭用ビデオカメラも、シェアは高かったと思う。
1996年頃にたしか1万5千円で購入したVHSデッキの箱。左上にロゴ。「ビデオはビクター」が自信の現れ
ビクターはテレビ受像機も作っていた。
1990年代初めの中学校の社会科・公民分野の授業で、独占と寡占を習った時、先生が寡占の例としてテレビを挙げ、クラスの生徒の自宅のテレビのメーカーがどこか、手を挙げさせた。ナショナル/パナソニック(当時は過渡期)、東芝、シャープ、三菱、日立、サンヨー、ソニーなどと先生が示すのに応じて手が挙がったと思うが、手を挙げられない生徒が1人がいた。
それがビクター製で、先生は「おおっ。ビクターな…」と微妙な反応をされていた。
1990年代中頃になると、家電量販店で21インチのステレオテレビが3万円ほどで売られるようになる【2日補足・国内著名メーカーの海外工場製が多かったはずで、お得感が大きかった】。チラシに載るのはサンヨーと三菱が多かったが、たまにビクターのものもあったはず。

2000年代に入ると、家電業界全体の衰退もあるのだろうが、経営が悪化。テレビ受像機は2008年で撤退。【末尾リンク先の製品一例も参照】
ケンウッドとの提携が進み、2011年に「JVCケンウッド」が発足し、日本ビクターは消えてしまっていた。ニッパーくんも使われなくなった。


さて、秋田市八橋、秋田テレビの近所にある建物。
今年1月
企業名の表記は見当たらないのでよく分からないが、かつての日本ビクターを思わせる「ニッパー・Victor・JVC」が、建物の壁面にいまだに残っていた。冒頭のロゴマークもここのをズーム。
VictorとJVCの間は「・」
調べると、セキュリティシステム、音響・映像システムなどを扱う「株式会社JVCケンウッド・公共産業システム」という企業の「秋田営業所」と「北日本エンジニアリング部 秋田グループ」だった。営業部門と修理部門のようだ。
修理部門の所在地は「TMビル1F」となっている。そういう名前の建物なんだろうけれど、出入り口が1つだし、おそらく2階も使っていそうだけど。

ちなみに、この辺にはメーカーの営業所がちらほらある。お隣はノーリツだし、少し離れた所にクラリオン、昔はオリンパス(医療分野)もあった。

ケンウッドから引き継いだものもあるのだろうが、内容は多岐にわたり、それこそ学校の放送機器などもここが扱っていそう。
昔のビデオデッキなどを持っていっても、直してはくれないだろう(そもそも部品保有期限は過ぎている)。

本当なら、ニッパーロゴとビクターの名を消し、ケンウッドの名を加えないといけないはずなのに、8年経ってもそのままということになる。
Googleストリートビューで、近県の同社の営業所をざっと見てみた。
すると、JVCケンウッドの看板が出ているところもあれば、「KENWOOD」と「ニッパー・Victor・JVC」を並べているところもあった。大急ぎで変更しているわけでもないが、当然、いずれは変わることになると予想した。

秋田では、おそらく今年の初夏くらいまでは、変わらず。久しぶりに10月に通ると、
なくなっている
なんか外壁の色合いが変わったような気もするが、「ニッパー・Victor・JVC」はきれいになくなっていた。
代わりのロゴも看板も一切なく、引っ越したかと思いそうだが、営業はしているみたいだし、前に駐まっている車が以前と同じようなので、移転はしていない(ホームページも変わっていないし)。
業務用機器だから、持ちこんで修理に来る人とか来客はいないのだろうけど、いくらなんでも看板くらいあったほうがいいのではないでしょうか。

秋田のニッパーくんは、建物2階上の中央に、立体的にどっしりと構え、なかなか立派だった(他の営業所では、平屋に平面的な看板を掲げたものが多そう)。いなくなってしまったのが惜しい。【31日追記】そして、「日本ビクター」が消えてしまったのも惜しい。

【11月2日追記】
JVCケンウッドやビクターエンタテインメントの公式オンラインストアで、ニッパーくんの置き物、ぬいぐるみなどのグッズを売っていた。あれも公式商品だったのか。【11月4日補足・ただし、多くは蓄音機なしのニッパーだけの商品で、本来とは印象が違ってしまう。ただの犬の像だ。】
また、JVCケンウッドのヘッドホンなどの上位機種では、今もビクターブランドでニッパーロゴ入りで製造販売されていた。ニッパーとVictorロゴが完全に消滅したわけではなかった。昔のような高級感が戻ったような感じだろうか。
それから、ほとんどのメーカーのテレビや録画機器のリモコン信号をプリセットしてある、共通リモコン(汎用リモコン)を単独商品として発売したのは、日本ビクターが早かったと思う。1990年代中頃かそれ以前。今もJVCブランドで発売。

日本ビクター製品の一例
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崖下の研究室

2019-10-29 00:16:02 | 秋田の季節・風景
ずっと以前から気になっていた施設というか建物のこと。
秋田駅の北西、奥羽本線と千秋公園の間に、地方独立行政法人秋田県立病院機構 秋田県立循環器・脳脊髄センター(旧・秋田県立脳血管研究センター=脳研)がある。
※上の記事末尾に追記したように、10月3日の秋田県議会総括審査において佐竹敬久秋田県知事が、名称変更後も「私も脳研と言っている」「脳研でもいいじゃないか」と発言したとか。覚えにくく、県民に浸透していないのは事実であるが、最終決定権のあるあんたがそれを言っちゃあおしまいというか、センターの職員の方々や新しい名前を使うよう心がけている一県民にしてみれば、がっくりさせれる。ということで知事のお墨付きがあるので、以下、循環器・脳脊髄センターのことを「旧脳研」と表記します。

旧脳研は千秋公園に面した西側が正面で、裏の東~北面は崖のようになっている。線路側のほうが1段低い地形。
その崖下の線路との間では区画整理事業が行われていて、道路の付け替えもあった。※今年春の記事

取り上げる建物は、その崖下の北、付け替えられて車が通り抜けられなくなった元道路(現歩道?)に面している。
手前の建物(車は隣の敷地で無関係と思われる)
箱状の建物。間口は向かって右隣のアパートよりは狭く、一般民家並み。
反対側
後ろの木が生えているところが崖。ぎりぎりまで建物が続き奥行きはそこそこある。その上のオレンジ色が旧脳研。

この建物、民家っぽいけど、どこか雰囲気が違う。お店でもない。
向かって左奥に出入り口があるようで、
一般家庭のような郵便受けとドア

そのずっと手前に表札がある。
「秋田県成人病医療センター研究室」

なるほど、そういう施設なのね。と納得はできない。まだ不思議。
まず、「秋田県成人病医療センター」とは、かつて脳研と同じ敷地にあった県立病院【29日訂正・財団法人の運営だったが、秋田県との関係は強かったはず】。2015年3月で廃止・解散となって現存しない。跡地には旧脳研の新病棟が建った。
そして、仮にも県立医療機関の「研究室」がこんな民家に毛の生えたような建物なのって…
どんな研究をしていたのか知らないけれど、危険な病原体などを扱っていたとすれば、それが流出してご近所に(生物学用語のバイオハザード)…となりかねない。【31日追記・あとは、保管している危険な薬物や患者の個人情報などを盗まれたり。】

かつ、この程度の規模で済むのなら、成人病医療センターの建物本体の敷地内に収められたのでは? わざわざ崖下に土地と建物を確保するのは効率が悪そう。
航空写真で見る限り、崖の上下が階段などでつながっている気配はないので、本体と研究室の間は西側~北側を回って坂を上下しないと行き来できなかったはず。

思い返せば、成人病医療センターがあった頃でも、この建物に人の出入りや気配があった印象はない(頻繁に通るわけでもないけれど)が、前に車はよく駐まっていた。Googleストリートビューでも、2012年と成人病医療センター廃止後だが2015年8月では、複数台が置かれている。2017年7月にはない。
また、いずれも、正面1階の窓のブラインドは下りている。2階の大きな窓は、2012年にはカーテンが閉められ、2015年には3分の2ほど開かれ、2017年にはほぼ全開。現在は、

1階のブラインドが少し上がり、2階は変わらず。2017年にはなかったコーンが2つ置かれた。
窓からのぞく限りでは、1階も2階も、室内に物は置かれていなそう。

つまり空き家だ。
成人病医療センター本体と同様、廃止に伴い県立病院機構に移管されたのか、県庁へ移管されたのか、売却されたのかのどれかだろう。じゃあ表札を外せばいいのに。

西面
正面はそこそこきれいにされているが、側面はそこまででなく古そうな外壁が見えている。
そして、窓が1つ開けっ放しだよ。いいのかね。※窓のその後は、この記事後半。

1階の道路から2つ目と思われる部屋のドアに、プレートが残っていて窓越しに判読できた。
「治験事務局」とあった。
研究って、そういう治験のコーディネートみたいなことなんだろうか?

あとは、研究室とは名ばかりで、実際は資料室あるいは倉庫・物置として使っていた可能性もあるが、いちおう都市ガスのメーターと数台のエアコン室外機があった。外に蛇口があったから水道も来ている。

じゃなければ、実は県や秋田県成人病医療センターとは無関係の「秋田県成人病医療センター研究室」という名のまったく別の組織だったりして?!【29日補足・「岩手県交通」「秋田県なんとか専門学校」「秋田市なんとか幼稚園」のように、一見公営公立っぽい名前の民間組織も存在して受け入れられている例はあるし、「早稲田なんとか」「なんとか大進学会」という大学名を連想させる予備校なんかも存在する。そんな感じで…】
崖下の北向きの場所(でも暗い印象はない)にひっそりとたたずむ、謎の研究室。

【29日追記】ネットで検索すると、2007年や2011年には、秋田県成人病医療センター研究室を所属とする人物が、論文執筆や学会発表を行っていた。1人しか確認できず、「糖尿病性腎症」の研究をされていたようだ。【29日さらに追記】それ以外には、所在地や電話番号なども含めて、秋田県成人病医療センター研究室の存在を示す情報は見つけられなかった。
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あやめ団子その後/千秋の鐘

2019-10-27 00:18:09 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部、久保田城跡・千秋公園から2つ。

千秋トンネルや御隅櫓がある園内北西。その二の丸の階層にあるあやめ園の所に、「あやめだんご(あやめ茶屋/茶屋あやめ)」があった。
その名の通り元々はだんご屋、後に山菜料理店になるも、現在は空き家で不動産会社の管理下にあったようだ。秋田市の公園整備計画では移転なども検討されていた。
そんなことを今年8月にまとめていた

秋晴れで紅葉も始まったので、久々に訪れた。やはり気持ち良かったけれど、
あやめだんごがない!!
建物がすっかり解体され、更地に砂利を敷く作業が行われていた。斜面の際スレスレで、横に長い建物だったことが分かる。

やっぱりこうなったか。砂利を敷いているけど、どう使うのだろう。※続きはこちら


2つ目。千秋公園に「鐘(時鐘)」があるのは、どのくらいの人がご存知だろうか。
お寺の鐘と同タイプのゴーンと鳴る釣り鐘が園内にあり、毎日7時に7回、21時に9回の定時(終戦記念日等や除夜の鐘も)に撞(つ)かれている。
古くからの秋田市民には「(千秋)公園の鐘」で通じるし、音に親しんでいる人も少なくないと思うが、もしかしたら千秋公園の中の「どこ」に鐘があるかを知らない人もいるかもしれない。まったく知らない人は、音を聞いてもどこかのお寺の鐘と勘違いしているかもしれない(近くにお寺はないけど)。

僕は千秋公園の鐘の“可聴エリア”で育ったので、なじみがある。
旭北寺町などのお寺では、定時に鐘が鳴っているのかどうか定かではないが、我が家には聞こえることはなく、鐘といえば千秋公園かアニメ「一休さん」のオープニングであった。(音色は違うけどいくつかの教会や修道院の鐘は聞こえる。)
今は家の気密性(あるいは他の建物などの影響も?)が上がって、毎日聞くことはできないが、窓を開けたり外出したりしている時に、たまに耳にして、ああそうだったなと改めて存在を意識するものであった。

秋田市公園課ホームページと県立図書館の魁見出し検索によれば、
「寛永16年(1639年)、二代藩主佐竹義隆」が二の丸(現在と別の場所)に設置したのが始まりとされる。
「明治25年(1892年)現在の位置に建設」。
1943年に戦争の金属供出でなくなり、戦後すぐ1948年に「平和の鐘」として復活するも、1968年に「鐘楼(当時木造)の老朽化等の理由により廃止」。
その後、市民から復活の要望や募金(300万円?)があり、1973年(定時の鐘は1974年元日からとの情報も)に愛称「千秋の鐘」として復活したのが現在に続いている。
「家臣・吉敷家の末裔」が現在まで代々鐘を撞いている(鐘守)。
といったもの。

今の鐘が4代目らしい。1968年に廃止、1973年に募金で復活した時に、鐘が吊るされる鐘楼(鐘つき堂)は新しくなったわけだが、鐘自体はどうなんだろう。1968年のを再利用したのか、鐘も処分してしまって新しくしたのか。【末尾の追記参照】
愛称だという「千秋の鐘」は、少なくとも僕が知るここ30年以上の間では、ほぼまったく使われていない。上記の通り「公園の鐘」だ。

10月25日付 秋田魁新報 秋田市地域面の「秋田市広報板」に、建設部公園課からこんな告知が。
「千秋公園の時鐘を一時休止します」
掲載日の25日から、定時の鐘が鳴らなくなったという。
「除夜の鐘は実施」し、「再開する際は改めてお知らせ」する。

今のところ、秋田市のホームページ等にもなく、ここだけの情報と思われる。
まあ、今どき時鐘がなくて困る人もほぼいないだろうし、そういう人がいたとしてもネットで告知しても届かないでしょう。


今回公園へ上がったのは、鐘がどうなったのか気になって、確かめる目的もあった。
鐘楼の場所は、二の丸の南西角。公園管理事務所の隣。【30日補足・メインルートから外れた目立たない場所だから、市民でも知らない人がいることだろう。】
あやめ園側から

近づいて事務所前から。左に曲がると秋田舞妓の「松下」~二の丸広場
鐘楼は2階建て相当の高さで、階段で上る。階段の上り口に施錠された扉があるので、一般人は上がれないが、たしか除夜の鐘の時に行けば撞かせてもらえるはずだから、大みそかだけは入れそう。
鐘楼の裏側にも道(径)があり、知る人ぞ知る(?)下へ下りられる階段につながる。

本丸への階段から
昔の魁によれば、この鐘楼の計画段階では「展望台」として使うことも想定していたらしい。それを踏まえた設計のように見えなくもないけど、本丸と高さはあまり変わらないし、木が茂って眺めは良くない。
縦長というかちょっとスリムな鐘かな
45年経つこの鐘楼も、老朽化しているという話を聞いたことがあった。
今回休止された報を知り、建物もしくは鐘に不具合が出たのかと思ったが、除夜の鐘は撞くのだからそれはない。
次に、何らかの工事をすることになって立ち入りできなくなるのかとも思ったが、とりあえず現段階ではその気配はなし。まあ昨日の今日だから、週明けに動きが出るかもしれない。
あとは鐘守さんの事情か。【末尾の追記参照】
今年で380年の歴史がある鐘がどうなるか。

大坂の下、市立中央図書館明徳館前から
木々の葉が茂っている時は、公園の外側から鐘楼は見えない(どこかピンポイントで見えるかも??)。葉が落ちると、上の写真のアングルでもよく見えるはず。いちばん奥・内堀の向こうの上付近。

【30日追記】10月30日のNHK秋田放送の報道(他社では未報道の模様)で、理由や今後が判明した。
休止理由は「人手の確保が難しくなり」
そこで「秋田市は、来年4月から自動で鐘をつく機械を導入することを決めました。」。
「およそ150万円をかけて改修工事を行う予定で、改修費用には市民からの寄付も活用」し、11月から12月27日まで寄付を受け付けるとのこと。
なお、報道では「千秋の鐘」の表現はなし、「時鐘」の語を用い、「ときがね」と読んでいた。時鐘は「じしょう」だと思っていたが、日本語としては「ときがね」でもどちらでもいいようだ。「ときがね」はNHKの判断なのか、秋田市の公式な呼称なのかは不明。【30日補足】秋田市ホームページに情報が掲載され「千秋公園の時鐘(ときがね)改修に係る寄附金を募ります」となっており、正式に「ときがね」のようだ。寄附については、申込書を書いて提出しないといけない。募金箱に小銭を入れるように気軽にはできないみたいだ。【11月1日補足・11月1日付「広報あきたNo.1948」に掲載され、やはり「ときがね」とふりがな。こちらには「千秋の鐘」の名も出ている。】

鐘守さんの事情かなと思っていたが、やはりそうだった。だったら、自動鐘撞き装置導入も…などと妄想していたが、それが現実になり、急に話が進んだのはびっくり。
秋田市が導入しようとしているのは、おそらく撞木を自動で動かして鐘を鳴らす、「自動鐘撞装置」「自動鐘撞機」「全自動撞木」などと呼ばれるものだろう。川越市の「時の鐘」では1975年から導入されているそうで、2007年時点では全国で約1600の寺院で導入されているという情報もあった。

江戸時代ならいざしらず、400年近く、365日毎朝・毎夜、雨の日も雪の日も上り下りして鐘を撞くというのは、大変な苦労だったことだろう。鐘守さん大変おつかれさまでした。

【31日追記】10月30日付 秋田魁新報 社会面でけっこう大きく取り上げられた。「時鐘守り 刻んだ210年/千秋の鐘(秋田市)/突き手引退、来春自動化」との見出し。ここでは「時鐘「千秋の鐘」」と表記し、1973年に募集で決まったことも言及。
吉敷さんは「よしき」と読み、家訓は「鐘は手でなく、心で突くもの」。
経緯は詳しく書いていないが「1809(文化6)年から吉敷家が鐘守りを務めてきた。」→藩政時代よりも明治以降のほうが長かったことになる。よくぞここまで続けたものだ。
吉敷家7代目当主の女性が約10年前に亡くなった後は、その夫(76)が「ほぼ1人で鳴らしていた」。「数年前から「突き続けるのは難しい」と市に相談があり、今年9月に「辞めたい」と申し出があった」。
最後・24日21時の鐘撞きの様子が写真入りで伝えられていて、家族ぐるみで付き合いがあった人が立ち会ったとのこと。

「戦時中の金属回収で小坂銅山に運ばれ溶解されたが、」終戦後の市民の要望で1948年に「市内の林金属工作所が鋳造して市へ寄贈」。
その時の鐘のサイズ(高さ2.15m、重さ2.5t)が出ているが、秋田市の今回の募金資料のデータ(重さは2.437tと表記。その他口径1.24m、厚さ13cm)と一致する。したがって、1973年に鐘楼が新しくなった時は、鐘そのものは以前のものを再設置したと考えられる。
自動化後も、定時以外の終戦記念日などは市職員や関係団体が手動で撞くとのこと。

【11月10日追記】11月10日付 朝日新聞 秋田版で報道。
なお、鐘を撞くことを、魁は「突く」、NHKサイトは「つく」と表記していた。朝日では「鐘のつき手」「鐘つき」と名詞ではひらがな表記だが、動詞としては「鐘を打つ」と言い換えているようだ。奥が深い。※当ブログでは「撞く」としています。
やめたいと申し出を受けて秋田市では「人力による鐘つきを継続するため、いくつかの業者に打診した。しかし、いずれも「短期なら可能だが、365日ずっと続けるのは無理」と断られた。」ため、自動化に踏み切ったそうだ。業者ってどういう業種の業者なのか知らないけれど、150万+電気代なら、人力より安くのでは?
寄付受け付け初日の1日には「2件の申し出があった。」。
また、魁の記事では、江戸時代は「時計坊主」という役職がいたことが出ていたが、鐘撞きや吉敷家とのつながりがよく理解できなかった。朝日でも触れられているが「この(注・時計坊主の)任を担ったのが、常陸から佐竹家とともに秋田に移ってきた吉敷家」とあり、時計坊主=鐘撞き業務=吉敷家ということのようだ(それ以前など他の時計坊主も存在した可能性はある)。

【2020年4月6日追記】新年度から自動化されて稼働再開。撞木も新しくなったせいか、自動化のせいか、以前と若干音色が違って聞こえる気がしなくもない。
2020年4月6日付 秋田魁新報 秋田市地域面によれば、
4月1日から従来どおり7時と21時。各回ごとの鐘は50秒間隔=実際に聞いてみると、以前より間隔が長くなった気がする。
装置は「寄付金75万円を含め、152万円をかけて設置」。募金は「市内外から36件」。

【2022年12月30日追記・自動化後の除夜の鐘について】2022年末は、除夜の鐘も自動対応。公園課サイトには「鐘楼施設の老朽化のため、自動鐘つき機により行います。例年実施していた一般の方を対象とした鐘つきは、安全面を考慮し実施しませんので、ご理解をお願いします。」。
【2022年12月31日追記・↑その原因】31日付秋田魁新報地域面によれば「今年夏ごろに屋根裏のコンクリートが剥離しているのが見つかり」その安全確保のため、一般参加を取りやめた。また、「市は鐘楼の建て替えを検討」。

【2024年8月25日追記】2023年度に鐘楼の改築(建て替え)工事が、同じ場所で行われた。
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ガムの捨て方の新語?

2019-10-25 00:44:43 | 秋田のいろいろ
奇妙な掲示&言い回しシリーズ。
秋田市内のとあるショッピングモールの店舗前の通路。
ゴミ箱の背後に掲示

楷書体でいろいろ書いてある
この掲示に、2か所おかしなところ(具体的には誤字と聞き慣れない言い回しが、それぞれ1つずつ)がある。

この部分に2つ

1つは「ペットボトル」が「ペッボトルト」になってしまっている。
これはうっかりさんだけど、やってしまうのは分かる。
恥ずかしながら僕も、現地では気づかずに読み流してしまった。もう1点に気を取られて。

もう1つが「ガムのプー捨て」。
「プー捨て」なんて言葉は初めて見た。
「たばこ、ゴミのポイ捨て」に続いて「ガムの~」だから、「吐き捨て」を意味するのは想像できる。
これと別の内容でルール遵守を呼びかける掲示でも、「ガムのプー捨て」が出ているので、誤字の可能性は低い。

辞書に載っていなくても、ネットや業界用語などから新しい言葉が誕生して、広まっていることはある。
いつの間にか「プー捨て」という新語ができているのかと、Googleとツイッターで検索してみたが、それらしき用例はなかった。
この場所と思われる掲示の写真で、この2点を指摘している投稿は1件だけあった。今年8月。
まだ広まっていない、ここだけの言葉のようだ。
この掲示は、モール内の別々の店の前に同じ物が出ているから、モールの運営会社が作ったのだろうか。とすれば、同系列の他のモールにもある?

言葉は変化していくもの。
今は違和感なく使われる「ポイ捨て」だって、おそらく昭和40~50年代にできた言葉だろう。「日本語俗語辞書」サイトには、「「ポイと捨てる」の略」とされており、具体的な発生時期は出ていない。
「ポイ捨て」にはタバコの吸い殻、缶・ペットボトルなどゴミのほか、ガムも含むことがあるようだが、「ガムのポイ捨て」には、違和感がある。
「ポイ捨て」とは、人の手から「ポイ」ッと投げ捨てられるイメージがあり、口から直接吐き捨てられるガムにはそぐわない。「ガムの吐き捨て」だと硬い感じもする。
(↑ここまでは僕も理解できる。↓ここからが僕には理解できない)
そこで、掲示作成者は、ポイ捨てと並列させた時に、語感をそろえるべく「プー捨て」を造語したのではないだろうか。

だけど、ガムを「プー」と吐き捨てるのも、おかしいと思う。
「ペッ」とか「プッ」じゃないのか。
プーと吐き出したら、勢いが弱くて自分の体や衣服にくっつきそう。もしくは風船が膨らみそう。
どうせ言葉を作るなら「ペッ捨て」「プッ捨て」のほうが伝わりやすいかも。けど、余計におかしくなるかな。

以上、あまり適切な造語とは思えないが、何かの因果により、5年後10年後には日本語として定着していたりして。
「プー捨て:ガムなどを口から吐き捨てること。2019年頃、秋田県のショッピングモール運営会社による掲示物が初出」なんて?!

【25日追記】あえて間違ったり奇抜・強烈な言い回しを使ったりすることで注目させ、掲示の効果を大きくしようとしたとも考えられなくはないが、違うだろうな。
【2021年4月10日追記】その後、2021年4月初めに行くと、この表示はすべてなくなっていた。2020年内にはまだあったはず。
【2024年3月27日追記】2024年3月時点でも、新たな掲示等はなし。
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如斯亭

2019-10-24 00:25:11 | 秋田の季節・風景
10月22日は、新天皇の「即位礼正殿の儀の行われる日」で今年だけの祝日。
お祝いとして、有料施設で無料開放を行ったところがあり、秋田市営の観光施設10か所でも実施された。7月12日の「市の記念日」と同じ方式。※秋田県営施設については、情報が見当たらず不明。
今年の市の記念日は、展示替えの臨時休館中だった市立千秋美術館を除く9施設で実施され、そのうち千秋公園の御隅櫓へ行った

今回は、天気が良ければ、改めて御隅櫓から秋の景色を眺めようかと思ったものの、あいにくくもり空。
そこで、以前から行きたかった「旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園 」へ。

如斯亭は、本来は佐竹藩主の別邸だった建物の名前。それに付属するのが「如斯亭庭園」だが、実質的に秋田市民には庭園も込みで「如斯亭」と称される。以下、そう表記します。
如斯亭は孔子の論語が出典で、「じょしてい」と読む。WindowsのGoogle日本語入力では、ちゃんと変換できた(スマホ版はできない)。秋田の人は「女子」のイントネーションで発音する。

場所は旭川に架かる旭川橋近く、旭川南町。市道と県道15号が交わる「からみでん」交差点の角で、秋田大学や秋田高校も近い。

如斯亭は、元禄年間(1700年前後)に起源があり、その100年ほど後に手が加えられ如斯亭と命名され、現在に近い形になった。
久保田城(現・千秋公園)の搦手(からめて)にあることから、「唐見殿(からみでん)」とも呼ばれ、それが地名として搦田(からみでん)→手形からみでんのルーツであるようだ。
後に(昭和の住居表示実施よりも前らしい)、所在地が搦田でなく旭川になってしまった。今は、如斯亭南側・旭川橋の通りが、旭川地区と手形地区の境目。

明治になって民間所有になり、戦後さらに所有者が代わって「旅館如斯亭」だった(1964~1990年)こともある。
2007年に国の名勝に指定され、2010年に秋田市へ寄贈。市が整備して、2017年10月から常時一般公開されている。
(再掲)2008年。月ぎめの「如斯亭駐車場」の奥の雪が積もった屋根が当時の如斯亭
私有だった2008年時点でも、春と秋の1日ずつだったか、ごくわずかに見学することができていた。
庭園はともかく、如斯亭(建物)のほうは屋根がトタンになるなど、変わってしまっていたようだ。
今は往時の姿に復元され、210円(年間パスも等あり)で見られるので、いつか行こうと思っていたのだった。タダならチャンス。

左が旭川橋・右が交差点、道路向かいが2008年に如斯亭駐車場だった所
道を渡って、
奥が旭川橋
見学者出入り口は、敷地南側、旭川橋の通りに面した南門。
東側、県道のバス通り・秋田銀行向かいには、無料駐車場(15台)あり。こちら側にも門があるが閉鎖。
南門。ピンクの紙は無料の告知
祝日かつ、無料開放がわりと周知されたこともあるのか、常時複数組が見学している感じで、盛況。ボランティアガイドも3人くらいいて、忙しそう。

芝生があって、奥に茅葺きの建物。これが如斯亭の本体「如斯亭主屋」だけど、この段階(見えている面)では地味。
門を入って右・道路に近い芝生の中の建物は「農具小屋」でこれは歴史的なものではなさそう。手前左に券売所・受付やトイレ(小さいけどきれい)がある。

主屋の北側が庭園。
西面。大きなケヤキがある。左が庭園
さらに庭園側へ回りこむと、
縁側(広縁)が囲む

見学コースとしては、主屋と庭園をそれぞれ見て回る。
主屋は靴を脱いで上がる。畳の部屋が4室あって、うち2つが広縁に面している。
北側、12畳の一ノ間
修復前の状態を知らないけれど、新しいことを除けばほとんど現代を感じさせない。LEDらしき照明や緊急地震速報受信装置はあったけれど。
広縁から庭園を眺める。左奥に小さい滝

庭園は、第一印象では思っていたほど広く感じなかった。
しかし、広縁から見える以上に北側に広がっていて多少の高低差があり、その中を一周できる作りになっており、また違う印象を受けた。

一周の中に水や岩などが配されて「園内十五景」が構成されており、それを楽しむ「回遊式庭園」であり、主屋から眺める「鑑賞式庭園」でもあり、北西の山(天徳寺・平和公園の山あるいは男鹿半島ってことか)を眺める「借景式庭園」でもある。
ただし、現在は視界がさえぎられ、借景の山は見えないだろう。また、東側にそびえる太平山は、手形山に隠れて元々見えないはず。

庭園の順路は反時計回り。
主屋北側、小高くなっている

主屋がまったく見えない場所もあって、雰囲気が違う
敷地の外に視線を向ければ、県道を行き交う車と秋田銀行の看板、川側の家やアパートが見えてしまうのだけど…
主屋より低いところも

「清音亭(せいおんてい)」
庵みたいな茶室みたいなのは、昔は使っていたのか、ただの飾りだったのか。屋根も昔は茅葺きだったのか。

以前からツツジ(狂い咲きしているのが数株あった)や紅葉はきれいだと言われていた。今は紅葉にはまだ早かったが、たしかに美しいだろう。雪景色もよさそう。
秋田市管理になった今は、生け花の展示や俳句会などが開催されることもある。公共施設の有効活用をすべきなのかもしれないが、静かなたたずまいのほうがいいようにも感じる。前の芝生はもうちょっと使いみちがありそう。飲食は明確には禁じられていなかったと思うがダメかも。敷地内に自販機などはなかった。
バス(秋田温泉・仁別方面)がそこそこあるので、アクセスは悪くないけれど、観光客がわざわざここだけを見に来るのは、個人の興味次第でもあり、誰にでもおすすめとは言いにくい。
受付でもらった「歴史散策マップ」では、旭川対岸の天徳寺方面、秋大裏のお寺と三吉神社方面、川沿い下流の千秋公園と、如斯亭を含めた所要時間1.5~2時間の3コースが紹介されていた。時間を取って歴史散策コースの拠点にはなりそう。
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南通り閉店/標識その後

2019-10-21 23:33:18 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部、南通(南大通り)周辺のちょっとした話題。

南大通りの明田地下道寄りで、20年営業していた「ローソン秋田南通築地店」が2017年に閉店した。
その後、建物を改装して、2018年初めに「ほっともっと南通築地店」がオープンしていた。現在は、
バリケードが置かれて閉まっている
元コンビニだった名残り(別に店内にもあった)とも言えるであろう、軒先の郵便ポストには、10月の料金値上げのシールが貼ってあり、投函できそうな状態(おそらく)。バリケードを乗り越えて投函(回収も)しないといけない。
【2020年1月29日追記】その後、2020年1月29日行ってみると、ポストの前にあったバリケード1個がなくなっていて、乗り越えなくても投函・回収できるようになっていた。
9月30日で閉店したとの掲示
近隣店舗として広面と川尻の店を案内しているが、距離的にはさほど違わない茨島や八橋はなし。
「永らくのご愛顧」とあるものの、1年半と少しでの閉店となった。

ほっともっとは、全国に2700店あり、うち900店が直営。今年8月に、会社の業績不振のため直営店の2割・190店を閉店することが発表されていた。
その1つがここなのだろう。秋田泉中央店も同日に閉店したそうだ。【11月14日追記】その後、11月中旬には泉中央店の建物が解体されていた。
ここの場合、すぐ近くの並びにからあげ弁当が人気の地元店「たいあん弁当」があるから、厳しかったのか。


7月に、中通病院脇の細い一方通行路で、入口側に停止線や止まれの道路標識が設置されていて、車両の逆走を誘発しかねないことを取り上げた(自転車や緊急車両用だとか、何らかの特別許可がある可能性もなくはなかった)。
(再掲)逆走車の視点がこれ
県警へ指摘したところ、
こうなった
左側の電柱にあった、止まれと横断歩道ありの標識が撤去された。横断歩道の標識は右の電柱に移設。停止線はそのまま。

結論としては、何かの目的があって設置されていたのではなく、誤って設置されていたということのようだ。
停止線は、消すにしても費用がかかるから、とりあえずそのままなのは分かる。
横断歩道ありの標識を残しただけでなく、右側のしかもちょっと高いところに移したのは不可解。自転車用に残したとしても、左側通行なんだから。
標識が取り外された跡


別の場所で、仮設の「止まれ」のその後。
この記事中ほど、楢山の駐車場の柵もろとも倒れたのか(?)、仮設されていた止まれ。
(再掲)仮設。本設置当時はもっと奥にあった
アップしそびれていたのですが、6月下旬頃には、
本設置された
支柱も、STOP入りの標識板も新品。
以前の場所より手前の仮設標識と同じ位置に設置された。
ここには元々、先方の狭い道に関わる矢印の「指定方向外進行禁止」標識もあったのに、仮設されていなかった。復旧後、現在も設置されず。これでいいの?

なお、駐車場の柵のほうは復旧などされずそのままだったが、ちょうど今、何か工事している。【12月9日追記】その後、低めの柵が設置された。見栄えはいいけれど、車がちょっと触れればすぐ壊れそうなもの。

さて、この新しい止まれの裏面。
シールが2つ
多くの県で同様だと思うが、秋田県警では標識の裏面に、設置した業者名と年を識別するカラーシールを貼ることになっている。
おそらく平成初期頃から行われていて、年は「H30」と和暦。これより後に始まった、信号機裏面の製造年シールは西暦。

ここは時期的に令和改元後、ごく初期の設置。
ひょっとして西暦になるか、あるいは「R1」かと思っていたら、「R元」年派だった。
【2020年7月19日追記】1か元かは各業者任せらしく、別業者では「R1」シールもあった。

必ずあるわけでもないようだが、ここには秋田県公安委員会名義の白い大きいシールもある。設置年月日欄があり、あらかじめ元号が印刷され、数字を手書きする。
この場合の「設置」は、標識の板そのものではなく、この場所にこの標識が示す規制が適用された時を示しているような感じ(つまり板が代替わりしても、古い年月日を受け継いで記入)。
シール自体は平成時代に作成されたものばかりで、例えば1977年に設置された場所に、後年にシールを貼って「平成52年」となっているような例もある。
ここでは「平成」のままで空欄。
続きはこの記事中ほど。
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秋田駅改札と犬バルーンに変化

2019-10-20 00:45:41 | 秋田の季節・風景
秋田駅改札内外の話題。
秋田駅在来線改札内・中央改札手前に、自動精算機(のりこし精算機)が新設、10月初めから稼働(5日に確認)開始した。
「現在オレンジカードは使えません」といつも表示されているようだ

秋田杉で装飾された壁のくぼみに設置されていることもあり、存在が分かりにくいと思っていた。
稼働直後
学校の廊下の「3年B組」みたいな表示板に、日本語のみで「精算機」。
その後、14日までに、
ピクトグラム、多言語表示になった
でも、やっぱり目立たないな。
せっかくの精算機だけど、今のところ使われている場面を見たことがないし、自分でも使う機会がない。※続きはこちら


秋田駅中央改札内で、10月からもう1つ変化。
中央改札に入った突き当りが、左右に在来線と新幹線を乗り換える、橋上乗り換え改札。
こちらが在来線側。この後方が中央改札
壁と床の真っ白い地色の表示がやたらと増えた。これまでは壁や床に表示がなく、「新幹線のりかえ口」は天井の表示で案内していたはず。

これまでまったく表示がなく、新たに増えたのが「お忘れ物承り所」。
「お忘れ物承り」って、なくした時か、拾った時か、受け取る時か、よく分からない表現。
英語では「Lost & Found」だし、実際には全部対応する「遺失物取扱所」のようだ。

9月以前は、明確な表示はなかったと思うが、精算所・有人通路に駅員が常駐し、駅事務室ともつながっているはずの、中央改札の在来線側で扱っていたはず。
ここだと、改札の外から用がある時は、いったん中央改札を通してもらわないとならないのだろう。

どうしてこんなことになったのか。
東日本旅客鉄道労働組合のホームページで分かった(事前に知ることができた)。
秋田駅の遺失物取扱い業務が、JR東日本本体から、子会社の「JR東日本東北総合サービス」に委託されたため。

JR東日本東北総合サービスは通称「Livit(なんて読むの?【20日追記】「リビット」だそう)」。
秋田支社管内では元「ジェイアールアトリス」で、2015年に仙台周辺だけがエリアだったLivitに吸収されている。
秋田駅では、駅ビルとつながる小さい改札口や新在乗り換え改札が、Livitに委託されていた(仙台駅でも同じような状況で、全国的に見られる合理化のようだ)。
この橋上乗り換え口には、以前からLivitの駅員が詰めていたし、詰め所はわりと広そう(保管もここでするらしい)だから、そこを承り所にしたということか。

秋田駅では、遺失物扱いのほかにも、新たにLivitに委託されたことがある。「新幹線中央改札業務等」。
秋田駅中央改札口は、新幹線側には詰め所のようなものはなく、列車到着時に在来線側から駅員が出ていって立っている程度だった。1時間に1本だし、乗り越し精算する人も少ないから、それで足りているのだろう。
それが、委託されたらしい。1つの詰め所に両社がいっしょにいることはなさそうなので、Livitの人が乗り換え口を拠点に、新幹線側も見ているようだ。

これにより、秋田駅の改札口で本体直営なのは、在来線側有人通路・精算所だけになるようだ。
そう言われれば、中央改札周辺の駅員の立ち位置や動きが、10月から変わったような気がしなくもないかな? 本体とLivitでは制服が違うはずで、冬服ではLivitのほうが紺色っぽく、胸にオレンジ色でLivitと刺繍かエンブレムがあったような気がする。

ほかにも秋田駅では、来春に駅の信号業務が、輸送指令室へ集約されるとのこと。おそらく、秋田駅構内での入れ換え時などの信号やポイントの操作も、本線部分と一括して支社の輸送指令が行うということだと思う。
【20日追記】この場合の信号業務というのは、信号を青にして列車に出発の許可を与えるようなことを指すらしい。これまでは駅長の権限でできていたのが、小さい駅と同じようになるのか。首都圏のターミナル駅でも同様の変更が行われており、この変更により「運転取扱駅」から「準運転取扱駅」に位置付けが変わる(ある意味格下げ)らしい。「準~」だと異常時(?)など条件によっては信号を扱えるようだ。弘前駅などは今のところ運転取扱駅。

駅ではないが、車掌と運転士が所属する大館運輸区と盛岡支社青森運輸区も、来春廃止される。(その分、弘前運輸区が津軽線も担当するようになったり、支社またぎの異動があったりと、大変そう。)
合理化がさらに進む。


最後は改札外・自由通路。
期間限定だったはずのなまはげの巨大面と秋田犬巨大バルーンは、10月でも設置されており、常設同然。前に立って誰かを待つような人もいて、写真撮影したい人にはジャマだけど、忠犬ハチ公像的存在になった?
秋田犬バルーンは複数あり、今年7月末には3体目となる伏せバージョンが登場していた。※ぬいぐるみのように見えるが、起毛素材のバルーン。
おすわり、立ち姿、伏せの3つがあり、最近は立っているのと伏せが常設されていた。

現在は、立ち姿は引き続きいるものの、伏せたのは、
「秋田県をPRしてくるワン♪」
写真入りのポスターが置かれ、「ただいまツーリズムEXPOジャパン2019(大阪)へ出張中!」とある。
以前から、出張して不在の場合があると聞いていたが、具体的なご予定を示したのは初めてかも。
でも、ツーリズムEXPOは10月24日から27日の開催。正確には、今は出張の準備中。

では、代わりにおすわりが復活したのかと思いきや、
また別の秋田犬バルーン登場!
なんと4種類目もあった。
前足を突き出して先を下に曲げた、塀に前足をかけて顔を出しているような姿。バルーンの「底」部分は黒い。
かわいいけど、全身でなく体の前方だけで、若干シュール
おすわり、立ち姿と同じく、起毛ではないツルツルのビニール素材で、常時送風されるタイプ。表情もそれらに似ているが、耳が前に垂れているのが特徴。
真後ろから見ると、だるまさんか座ったドラえもんみたいなシルエット
↑ホースの上の縦長の帯状のものは、ファスナー。
ツルツル素材で送風ということは、起毛よりも先に作られていたのだろうか。とにかく、いくらなんでもこれ以上は、と思っていたのに、4体もあったとは。まさか5体目も?!

※その後、11月1日に見ると、起毛の伏せたのが戻っており、立ち姿とともに出張前と同じに戻った。
※さらにその後、2019年内は立ちと起毛の態勢。2020年正月明けには、自由通路の耐震改修工事が始まったため、起毛が撤去、立ったのはしぼんだまま置かれている。
※工事が終わった2020年末に起毛が復活
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駅前にスーパーがなければ…

2019-10-17 23:30:46 | 秋田のいろいろ
先週、秋田駅前(西口)にあるスーパーマーケット「ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店」が、2021年2月までに(※)閉店することが明らかにされた。2021年=令和3年なのでまだ1年以上ある。
※報道では「2月いっぱいで閉店」と「2月までに閉店」という言い回しが見られる。まだ時間があることもありこの辺は未定で、2月28日閉店とは限らないのだろう。
※以下、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店を「ザ・ガーデン」「ガーデン」、フォンテAKITAを「フォンテ」と表記することがあります。

そごう・西武が全国で行うリストラの一環として発表され、百貨店が全館閉店(撤退)する地方店もあった。西武秋田店では、営業面積の縮小を行うとされ、それがガーデンの閉店であった。秋田店はその他の変更はない。


これまでの経緯。
2010年10月、イトーヨーカドー秋田店が閉店・撤退。
イトーヨーカドー時代、地階食品売り場は、開店当初は地元スーパー「なかよし」が入り、ヨーカドー直営になったのは、わりと最近(2001年春頃?)。

入居していたビルは、ヨーカドー時代から地元資本のテナントビルではあったが、その撤退を機に「フォンテAKITA」としてリニューアル。ロフトや宮脇書店などと並ぶ主要テナントの1つとして、地下食品売り場にガーデンが入った。

「ザ・ガーデン自由が丘」の運営会社は西武傘下の「シェルガーデン」で、秋田の店も進出当初はそうだった。
西武はセブン&アイグループだから、ヨーカドーの跡にセブン系列が入ってくれたことには、安心感のようなものはあった。
一方で、ザ・ガーデンの店舗は、一時滋賀県にもあったそうだが撤退済みですべて首都圏近郊にあり、秋田店は飛び地状態。唐突な出店に感じられた。
また、店舗名は首都圏では「ザ・ガーデン自由が丘○○店」なのに対し、秋田は「ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店」(当初はSEIBUとローマ字表記が多かった)。隣のビルが、同じセブン系列の西武秋田店(元・ほんきん西武)であるとはいえ、これも唐突に感じた。

その後、2013年9月には、店内リニューアルとともにシェルガーデンから西武直営に移管。名実ともに「西武」となった。
2014年に少しだけ面積を縮小して他テナントが入居。2017年5月からはそこにアニメイト秋田が入っている。


そんな流れで、2010年12月のオープンから早いもので9年。
客としては大きな変化はなし。ヨーカドー時代と比べても、品揃えや価格に多少の不満や、8の付く日5%引きがないことなどはあるものの、駅前で唯一のスーパーとして、重宝されていると思う。
高齢者、学生、仕事の合間の人(JR社員とか)、仕事帰りの人、旅行客など客層が幅広いのは、駅前ならではだと思う。これもヨーカドー時代から変わらない。ただ、客は多いけれど、客単価は低めなのかもしれない。
あと、ここが西武秋田店の一部だと認識して使っていた客は多くなさそうで、「元ヨーカドー」あるいはただのスーパーと思っている客が多いだろう。


個人的には、西武秋田店全部が閉店となっても不思議ではないと思っていた。ガーデンだけが閉店というのは、不思議ではないものの意表は突かれた。
西武移管時の報道では「ザ・ガーデン自由が丘西武、西武秋田店とも経営は順調で黒字を計上している。」とあったが、これは6年も前だし、なんとでも言えよう。
こうなってしまった原因として、素人目には、
・フォンテへの賃借料が負担。
・飛び地営業であった上、運営会社が異なっていて、ザ・ガーデンとしてのブランドがぼやけて、あいまいになっていた。
・隣とはいえ別の建物なのに西武の一部のように扱っていて、しかも西武秋田店本体の地下食品売り場もあり、西武秋田店自身でも、うまく棲み分けできなかった。
・フォンテ1階に2019年2月にセブン-イレブンもオープンし、さらにセブングループ内で競争する事態になった。
といったことが挙げられると思う。

上記の通り、駅前には幅広い人が集まり客となる。秋田に限らず、せめて大きな駅の徒歩圏内には、スーパーがあってしかるべきだと思う。コンビニでも、各種専門店でもなく、スーパーで買い物したいことがあるものだ。
秋田駅前からスーパーがまったくなくなるのは困る。
幸い、1年超の猶予があるから、フォンテには後継探しをがんばってもらうとか、フォンテ以外の駅周辺のどこかに、どこかのスーパーが出店してくれれば…と願っている。【その後の動きは末尾の追記参照


閉店発表を伝えた翌日・第2報に当たる、10月12日付秋田魁新報経済面。ガーデン閉店による周囲への影響を伝えていた。
買い物客はそろって「困る」という趣旨の声。それはそうだ。買い物に来ている人にインタビューしているのだから。
フォンテ内他テナントや周辺のお店の経営者も、ガーデンの集客力がなくなり人が来なくなることなどを危惧している。駅ビル(フォーラスとアルス)の担当者も懸念していた。それも分かる。
フォンテ運営会社の社長は「「(略)にぎわっていたので残念」と話し、新たなテナントを探す準備を始めるとした。」。それも当然。

一方、こんな声も。
北都銀行がすぐ近くで「秋田版CCRC拠点施設」とかいう高齢者などが住むビルを建設中。
北都銀行地方創生部は「周辺には西武秋田店やエリアなかいちの食料品売り場、市民市場など生鮮品を扱う店が複数ある。生活に不便な状況にはならないはずだ」とみている。」
秋田商工会議所の会頭は「西武秋田店の本館がしっかり影響【18日訂正・転記ミスです】営業を続けており、あまり心配していない。(略)どう対応していくかが重要になる」と話した。
日本不動産研究所の支所長も、秋田駅周辺で進む再開発が順調で、今後も好調とみている。

そんなもんなのだろうか。
もちろん、駅前にはコンビニ等々もあり、ガーデンがなくなっても買い物に行けずに飢え死にする人は出ないだろう。でも…
個人的に不慣れなだけかもしれないが、西武秋田店本体の食品売り場は、狭いし高いし買いにくいし、買い物する気になれない。日常のほとんどの必需品をここで買い揃えられるなんて、よほどの金持ちでないだろうか。
たしかになかいちや市民市場もあるけれど、雨や雪の日など、高齢者(雪のない所からCCRCに越してくる人もいるはず)にはおっくうにならないか。フォンテなら(駅からもCCRCからも)自由通路や大屋根伝いに少し歩けばいい。
北都銀行は「生鮮品」にこだわったコメントだが、ガーデンは生鮮品専門店じゃない。惣菜弁当、調味料、日用品等々も売っている。だからスーパーなのだ。それらも含めて「生活に不便な状況にはならない」と言えるのか。
さらに、新聞には出てこないが、秋田駅東口側では、JR東日本による学生向けマンションが2020年春にできる。学生生活には、徒歩や自転車で買いに行くことができる安い食料品や日用品が不可欠。どこで買えばいいのか。

北都銀行や商工会議所会頭の発言は「スーパーがなければデパートで買えばいいじゃない」と取れる。
僕には「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」(マリー・アントワネットの発言ではないらしいが)と同義に聞こえてしまう。
この人たちは、スーパーで買い物をしたこと、もしくは品揃えや価格、店舗までの足を気にして買い物した経験がないのではないだろうか。

繰り返しだけど、別のスーパーが秋田駅近くに来てほしい。
山形駅では裏側に大きめのマックスバリュがある。盛岡駅も少し歩けばある。弘前駅には駅裏に(正面とは別に)佐藤長がある。酒田駅はダイエーはなくなったが裏側にト一屋がある。先日泊まった長岡市では、駅正面のイトーヨーカドーが撤退してしまっていたが、駅裏5分ちょっとのところの地元スーパー「原信」に助けられた。そんなようなのが秋田駅東口側にできるとか。
オーパにはスペースはなさそうだけどイオンさんとか、学生マンションの関係でJRさんががんばってくれたりしないかな。
駅前にスーパーマーケットがあることもその街の魅力になると思うのは、今や時代遅れの考えなのだろうか。

【2020年2月5日追記】2020年2月5日付秋田魁新報1面の左側で「ナイス、フォンテに出店/来春、ザ・ガーデン撤退後に」が報道された。
コメントで出てきた、地元スーパー「ナイス」(大仙市=旧西仙北町で1963年創業、現在の本社は秋田市。秋田市へは1978年出店で現在8店舗、潟上市・由利本荘市に各1店舗【6日補足・1992年までは「フードセンター」という社名・店舗名だった】)が、2021年2月のガーデン撤退後、改装して「食料品を中心とした店を設ける」ことになった。2019年12月に覚書を交わし、2020年4月までに仮契約予定。
ナイスは新屋駅前と追分駅前にも店があるが、こういうビルテナント、自前駐車場がない店舗というのは初だろう。これでひと安心かな。
【2020年2月6日追記】5日に正式発表が行われ、その各社の報道も合わせれば、フォンテに対してガーデン跡に複数社から出店の打診があったが、秋田駅前のにぎわいに貢献したいという意思をくんで、ナイスに決めたとのこと。開店は2021年5月以降の予定。
ナイスとしては、自社店舗がなかった秋田市中心部へ進出して、知名度向上の狙いもあるとのこと。近年は、本荘への出店、本荘の体育施設の命名権を購入するなどもしている。

閉店直前の記事
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土崎のスターハウス

2019-10-15 23:29:14 | 秋田の季節・風景
「スターハウス」といっても有名人が住む家とかじゃなく、建築分野でそう呼ばれる、珍しい建物が秋田にもあるのを見つけたものの、今、解体中という話。

9月下旬に秋田市土崎の狭い道を通っていたら、さらに狭い道沿いにある建物が、解体工事の準備中なのに気が付いた。
他の家越しに見る限り、がんじょうそうなアパート風の外観だが、道路と比べて建物の向きが不自然。道に対して斜めに建っているような、建物が途中で曲がっているような??
以前からかすかに存在は知っていたが、気に留めないでいてしまった。

地図で見ると…
地理院地図より。輪郭線の太い建物(中高層建物)がそれ
集合住宅でよくある直方体の箱型でなく、上から見ると各辺の長さが等しい「Y」形の建物なのだった!

テレビやネットで見たのを思い出した。
「団地」を鑑賞したり調査したりする趣味の分野の情報。
参考:「公団ウォーカー」http://codan.boy.jp/danchi/NTT_apartment/index.html  http://codan.boy.jp/danchi/star_house/index2.htm

大都市圏で戦後建てられた公団住宅の団地では、集合住宅の建物が横長の箱型ばかりでは景観が単調になるとして、その中にアクセントとして違う形の建物を「ポイントハウス」として数棟建てる(そこも住居として供用)ことがあったという。
ポイントハウスの具体例としては、L字型、T字型、横幅が短いボックス型、そしてY字型などがあった。Y字型のは「スターハウス」と呼ばれ、小型の中層が多いが10階建て以上など高層のものもある。公団以外に各地の公営住宅や社宅でも採用例がある。
公団住宅のスターハウスは、入居者に親しまれ人気もあったらしいが、建設費用が高く、日当たり確保の点からスペースが多く必要になる欠点があったそうで、1964年築が最後だったようだ。近年は解体されるものが多い一方、保存されるものもある。
スターハウスは正式な呼称だそうだが、入居者にはあまり知られず「星型」と呼ばれることが多いという。でも「Y」から星(☆)を連想するのは、ちょっと遠いような気がする。スターハウスという言葉を知っている人が、「星」に呼び替えたのが最初なのかも。


秋田には公団住宅はないし、公営住宅(※)でもそんな形の建物は知らない。
※ざっと調べた限り、秋田市内の県営住宅、秋田市営住宅には、ポイントハウスらしき建物は見当たらなかった。団地全体が凹凸とか屋根付きとか木造とかそういう変わった作りのものはあるけれど。
漠然と秋田にないと思っていたスターハウスが、実在したとは!
しかもここは周りは戸建て民家で団地でないので、「ぽつんと一軒家」ならぬぽつんとスターハウス。

現地へ。スターハウスの南側の公道には、Googleストリートビュー撮影車が入っていない。車両通行止めではないし、もっと狭くても入っている道が多いのに。
Googleマップによれば、北側にも狭い道があるように描かれているが、地理院地図など他の地図では存在しない。現地を確認すると、物理的には通れなくはなさそうだけど、それが許されるのは近所の子どもまででしょうといった雰囲気。スターハウスの北側はブロック塀がある模様。
ということで、南側からのみの撮影。道路寄りの小屋などが解体済みのようで、現役当時よりはよく見えているのかもしれない。
これがスターハウスだ! 南西側から
鉄筋コンクリート造であろう4階建て。
多くの小型スターハウスがそうであるように、各辺の1フロアを1世帯で占めているので、4階×3辺で12世帯。このように小型のスターハウスでは、階数×3=世帯数で、全世帯が角部屋になる。

少し移動して、
南東側。右奥にはツタが茂っている
南東側から見ると、スターハウスの形状がよく分かる。
それに、すべての辺でベランダがこちらを向いているのに気付く。
スターハウス各辺の部屋の間取りは同一ではなく、このように日当たりを考慮するのが一般的だったようだ。住居なら当然。

玄関が見当たらないので、裏の北側にありそうだけど、見られない。
ここで役立つのがGoogleマップの3Dモード。
北西方向から
玄関は北側からでも直接見えない。しかし、外階段があり、建物の芯の部分が吹き抜け状になっていて、全戸の玄関が面しているようだ。これもスターハウスの標準。


さて、こんなところにこんな建物を建てたのは誰か? 解体工事の表示では、
「清水町社宅撤去工事」
清水町とはここの旧町名。すでに会社の所有ではなくなったためか、どこの社宅かは分からない。

実はGoogleマップやマピオンでこのスターハウスを表示させると「日本電信電話」の文字が添えられる(ゼンリンでは表示されない)。
NTTの社宅だった。歴史からすれば、民営化前・電電公社時代に建てられたはず。
【16日補足】NTTといえばすぐに連想される電話会社としては、今は「東日本電信電話(NTT東日本)」。地図表記の「日本~」は今は持株会社の名前。その辺はともかく、場所柄、実質的にNTT東日本の社員が住んでいたと思われる。そう言えば、お世話になっているgooブロクの運営会社はNTTレゾナント。gooの社員もNTT社宅に住むことができたりするのかな?

職員・社員用の住宅のことを、国鉄→JR(少なくとも東日本秋田支社)では国鉄官舎→JR社宅、国立大学→国立大学法人(少なくとも秋田と弘前)では官舎→宿舎と称していた。
郵政省→郵便会社では、昔は郵政官舎とか郵政アパートと呼んでいた。民営化された今、地図では「郵政宿舎」となっているが、「政」ではないのでは?
今も官舎でいいはずの国土交通省では「宿舎」表示になっているところがある。【23日補足・秋田銀行では「家族寮」】
【2021年4月19日追記】「国家公務員宿舎法」という法律があって、官舎と呼んでいるところでも正確には宿舎なのだそう。国交省は通称でも法律に忠実なことになる。

電電公社時代は「電電○○(所在地名等)アパート」、民営化後は「NTT○○社宅」と呼んでいるらしい。
それに従えば、電電清水町アパート→NTT清水町社宅だったのか。


電電公社には、社宅の専門部署があり、独自に統一感を持って電電アパートを整備しており、スターハウスも多く建てられたようだ。近年NTTでは社宅の廃止を進めており、やはりスターハウスは減っている。
清水町社宅の築年数は、特殊な外観だけに(素人だけど)見当つけづらい。屋上にひさしがせり出しているが、秋田市立学校の校舎では1960年代から1970年代半ば築にあった構造。
1961~1962年竣工の東京・花小金井にあるNTT社宅のスターハウスが、これとかなりそっくりな外観だから、同じ頃かも。そんなに古くも見そうにも見えないけど、古いみたい。【24日追記】1968年竣工とのコメントをいただいた。築51年。


秋田市内にもいくつかのNTT社宅があるのは知っていた(廃止されて空き家状態のものも)が、どれも箱型。
首都圏では社宅が何棟も連なる団地があるが、秋田では小さめの1~2棟が各所に分散設置されていた感じ。
その1つのここだけが、なぜスターハウスになったのかは、敷地の制約も要因の1つかもしれない。公団住宅でも、箱型を建てられない半端なスペースにポイントハウスを置く場合があった。

清水町のスターハウス社宅の居住性はどうだったのだろう。
共用の外廊下が少なく、秋田ではその分の除雪が少なく済んだかもしれないが、北向きだからむしろ吹き溜まりになるかな。
ベランダが南東向きの辺では、せっかく海風がほとんど入らなかったかもしれない。でも全体に北西風や西陽の影響はあまり受けなそうな向きで悪くなさそう。電電公社はそこまで考えて設計したのか。

スターハウスがひっそりと存在し、気づいた時には役目を終えて解体されようとしているとは、残念だけどギリギリ良かったのか。
実はこのスターハウス、新国道からもちらりと見えるのだった。
イオン土崎港店前の交差点。右折すればイオン
写真中央奥・信号柱の左側に、4階が見えている。
現在は建物内部の解体がメインのようで、今ならまだ、建物のシルエットはほぼ残っています。

秋田にほかにはスターハウスはあるのだろうか。
ネット上の情報では、大館市花岡にスターハウス4棟からなる「花岡サテライトハイツ」というのがあったものの、今は解体されてしまった。【16日追記】コメントで大館市内の国道7号線沿いにも存在するのを知った。大館市営住宅「片山住宅」のうちの1棟。

【16日追記】東京の赤羽台団地のスターハウスなどが、今年、登録有形文化財に指定されていた。室内を新築時に復元した部屋も作られ、先週末(台風で日程変更?)に内覧会が行われたとのこと。
また、上記本文ではスターハウスは「景観上のアクセントとして建てられたが、専有面積が多い欠点がある」と「余った土地の有効利用」という、ある種、相反する目的があったように書いてしまった。スターハウスを建てるべく建てたのか、やむなくスターハウスを建てたのか。その後、さらに調べたものの、本来の起源が、どちらなのかは分からなかった。


高度経済成長期に建てられた斬新な設計で、後に建てられなくなった建物という点で、円形校舎と通ずるものがある。

※この後、2019年12月下旬までには、更地になって柵で囲われた。
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旧道神田線 補足

2019-10-13 23:47:27 | 秋田市営バス
2019年9月末で系統廃止された、秋田市外旭川地区の旧道を通る神田線の続き。今回は前回の補足として、主に古い写真を。
廃止区間のうち、神田と水口のそれぞれ上り側には、市営バス時代に設置された初代バス接近表示対応だった電照式ポールが残っていた。前回は大写しは水口だけにしてしまっていたので、
2019年9月の神田。右下は10月以降も残る笹岡線(予約式)の“タク停
水口では2面が異様に黒くすすけたように汚れていたが、神田はそうなっていない。ただ、白いプラスチック板が割れて欠けたり、バス停名の黄緑の地色がくすんだり(さえぎるものがないためか、水口のきれいな面よりは劣化が激しい)してしまっている。
「市営バス」を隠すために貼られた「秋田中央交通」のシールの文字さえも薄れており、時の流れを見せつけられる。1981年頃(※)設置とすれば37年以上経ち、2005年春の移管からも14年半。
【15日補足】※初代バスロケが1981年設置というのは、12月末の試験運用を指しているようだ。試験はたしか新屋線で行われたので、神田線はそれよりは多少後の設置だと思われる。でも35年は経っているだろう。
ちなみに、2004年2月の同じ面。
緑が濃い!【15日補足・それでも設置当初よりはだいぶくすんでぼやけて見える】
市営バスと中央交通が併記されているのは、ノースアジア大学行き(今秋廃止時点では東口行き)が、神田線本体より先に移管されていたため。「市営(市章)バス」の表示は、設置時点からのオリジナル。
下の枠部分には、初代バスロケーションシステムのメーカー(ポール全体でなく接近表示部分という意味か?)である「新潟通信機株式会社」の銘板が付いているのだが、この時点でかなり薄れている。なお、2代目バスロケはNEC移動通信。

廃止時の周辺。上屋も電話ボックスもなくなり、バスロケも今は撤去、ポストとタク停が残るのみ

再び水口。
廃止時
初代バスロケの上りバス停の向かい側に立派な蔵がある。

2002年5月。市営バス単独だった頃
蔵の隣が酒店だった。
それは覚えていたが、写真を見たら蔵の真ん前に下りバス停のポールが置かれている。そばの立て看板は標語。
かつては上下向き合って設置されていたのが、2000年代以降に下りが秋田駅寄りに数軒分移動していたのだった。そしてその頃、酒屋さんがやめたことになる。


行ったり来たりしますが、笹岡入口。
2002年5月。左が上り側。右の電柱の奥に下り
廃止時と配置は同じ。下り側は表示板も社名以外は同じ。
前回の通り、上り側すぐに小屋があって、これは待合所ではなくゴミ置き場。そしてそのポール。
支柱は新しいが、表示板は手書き
向かい側は自転車屋さんがあった。そういえばそうだ。
1971年の地形図によれば、この辺りに交番(当時は派出所)もしくは駐在所があることになっている(1985年の地形図では卸売市場近くの現在の外旭川交番の位置)。【15日補足・コメントによればここにあった当時は駐在所だったとのこと。】

上の写真の先を右へ曲がると、外旭川中学校、旧・神田笹岡線のルートへ。少し進んだ所には、
「降車専用」
移管と前後して廃止されたがこんなバス停もあった。さらに、左奥・白い軽トラが走っている付近にもポールが立っている。それは曲がる前とは別の「笹岡入口」だったと思われる。

元々の笹岡線は、秋田駅ではなく笹岡入口発着だった。推測だが、その頃は曲がる前の神田線用の笹岡入口は使わず、こちら側のバス停を待機~始発/終点=降車専用としていたのかもしれない。秋田駅方面と神田線を乗り継ぐ人がいたとすれば、分かりにくいし歩かされるけど…
1988年に笹岡線が秋田駅まで延長されて神田笹岡線になった後も、以前の名残りと利便性のため、しばらく廃止されなかったということではないだろうか。

写真では判断できないし記憶もないのでこれも推測だが、その左奥の笹岡線用笹岡入口は、英字入りナールの表示板だった→笹岡線用笹岡入口廃止時に、手書きだった神田線本体上り笹岡入口の置き換えとして移設、今回の廃止まで使われたのではないだろうか。



さて、旧道区間と分かれて、吉学寺入口からバイパスへ出て進もう。
地理院地図に加筆
バス停は、八柳二丁目-卸売市場入口-八柳三丁目-外旭川病院前と一直線(赤い線)。
現在の路線は、病院前を右折して、系統名の由来である旭野団地、そして外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター。
9月で廃止された神田土崎線は、病院前を左折・すぐに右折して奥羽本線と草生津川を渡って進んでいく。(地図下側の緑色の線)

昭和末の地形図とおぼろげな記憶によれば、当時は卸売市場入口・外旭川交番の交差点から先は、道自体が存在しなかった。
当時は、今でいうと卸売市場入口の交差点を左折(左前方)して狭い道へ入ると、奥羽本線の踏切まで一直線(地形図の黒い線)。今は外旭川アンパスの県道により分断されてしまったが、当時はなかったので支障なし。そのルートを通るしかなかった。

全バス停名が掲載されている1988年春改正のポケット時刻表を見ると、現在の八柳二丁目~外旭川病院前に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区。【15日「鳥谷場」バス停を見落としていたので訂正します】八柳二丁目~旭野団地に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区-鳥谷場-旭野団地。
八柳の改称は、住居表示実施(1997年)による対応。八柳二区は以前とは位置が違ったと考えられる。旭野団地系統設定前には、八柳二区止まりの系統が存在したこともあった。
旭野団地系統は1988年で既に運行されており、今よりも少し遠回りしていたはず。
外旭川病院は1983年【14日訂正】1988年10月の開業なので、同年春の時刻表にバス停があるわけがないが、開院後に、既存バス停の改称でなく新たに増設されたことになる。【14日補足・道路開通と病院開院の前後が不明だが、もしかしたら外旭川病院前も、当初は今と位置が違った可能性もある。】
【15日見落とし分の追記】鳥谷場は神田土崎線のバス停として、今年9月まで存在した(詳細は後日)。コメントでも教えていただいたように、現在とは位置が少し違っている。

外旭川病院前から先、将軍野を経て土崎駅まで行く、今回廃止された神田土崎線については、いずれまた
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旭川8月の流木・枯れ木

2019-10-11 00:10:11 | 秋田の季節・風景
アップしそびれていた8月の話。秋田市中心部を流れる旭川の続報。
2018年5月の大雨の増水で流されてきた流木が、五丁目橋付近の岸近くに引っかかって止まり、そのまま葉を茂らせていた。落葉して冬を越し、2019年春には再び葉が出ていた

国土交通大臣から委託されて旭川を管理する秋田県は、このままにしておくつもりなのかと思っていた(7月下旬?)8月初め。
向こうが五丁目橋。川の水はかなり少ない

なくなっている

土が出ている部分に人が入った痕跡

この一帯の左岸(土手長町通り側)で、草刈りや清掃の作業が行われたようで、その一環で流木が撤去されてしまっていた。
竿燈まつり前に美観向上なのか、水かさが減ったのをいい機会になのか…
五丁目橋下では、2020年春には…

でも、草を完全になくそうとしたわけでもなさそうで、上の写真でも石のすき間から草が生えている。
二丁目橋。対岸が那波家の水汲み場跡
また、二丁目橋の右岸側には、もっと小さい葉のついた流木があるが、それはそのまま。
対岸は作業対象外だったにしても、気づかないものだろうか(9月末頃になくなっていた)。


そして一丁目橋。
流木ではなく、橋のたもとに生えていた木が枯れて、川の中(下)へ倒れこんで、一丁目橋の桁や護岸に引っかかってもたれたような状態だった。例によって撤去されず、増水しても、橋の工事が行われても、少し向きや位置を変えるだけで、しぶとく残っていた。
再掲)今年3月

一丁目橋。ここは両岸とも草刈りしてない
8月は(9月も同じ)、
こんな状態。カラスが止まっている
まだ残っている。
写真では分かりにくいが、3月の状態から動いている。
今カラスが止まっている枝が、3月時点では護岸近くにあった。つまり、護岸から川に向かって90度くらい回転したことになる。
もう1本の枝は通常水に浸からない岸に載ったままだが、カラスが止まっているほうの枝は、川の本体部分に飛び出した形。今後増水したら、より流されやすくなったかもしれない。
※2020年6月3日時点では、特に変化なし。2020年7月には、ついになくなった
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神田線旧道区間の記録

2019-10-10 00:43:24 | 秋田市営バス
2019年10月の秋田市内のバスダイヤ改正で、神田線でいくつかの変更があった。
実際のところ、メインの秋田駅と外旭川地区を結ぶ系統の総本数とダイヤは、あまり変わらず、影響を受ける人は多くはないと思われるし、街の変化とバス利用実態からすれば、そうなるのもやむを得ないと思う。
しかし、元秋田市営バスの路線【13日補足・秋田中央交通への移管は2005年春】であり、今も秋田市の主要バス路線の1つである神田線として見れば、大きな節目となる変化が2点あった。個人的に親しみのある路線でもあるため、感傷に過ぎないのだが、何度かに分けて、取り上げさせてもらいます。

神田線は、秋田駅西口から通町、保戸野地区を経て、奥羽本線をくぐり、天徳寺前から外旭川地区を北進するルート。現在は外旭川市営住宅前または秋田厚生医療センター(旧・秋田組合総合病院)で折り返す「神田旭野(団地)線」がメイン。「神田」は外旭川の小字の1つ。【11日補足・市営バス時代から現在まで中型バス限定で運用されていて、大型バスは入らない。】
※市営バス末期から「神田旭野線」という路線名ですが、本来は「神田線」であり、今も沿線住民や利用者はそう呼んでいるので、ここでは神田線と表記します。
今改正の大きな変化2点とは、
1.外旭川から将軍野を経て土崎駅前まで行く「神田土崎線」が廃止。最後は1往復だけであったが、これが元々の神田線の形であった。
2.外旭川地区の旧道経由が廃止。全便が天徳寺バイパス経由に。バイパス経由は2014年4月から運行が始まり、以降、改正のたびに旧道経由からバイパス経由に振り替えが進んでいた。この旧道区間には「神田」バス停があり、バイパス区間にはないので、これにより神田線が神田を通らなくなってしまう。
神田線の運行が始まったのは、外旭川村が秋田市に合併される直前の1954(昭和29)年のはず。その当時から続いていたであろう2点が、途絶えるのだ。

今回は、外旭川の旧道経由について、廃止直前の各バス停の姿を秋田駅側から順に記録しておきたい。
 廃止直前の神田の時刻表
市営バス時代の全盛期は、平日の昼間は毎時3本が通っていたが、ここまで減った(バイパス経由は今も毎時2本程度はある)。
【14日・上の写真の廃止時の時刻表について補足】下り左の「神田旭野行き」の欄で「厚」印が外旭川市営住宅経由秋田厚生医療センター行き、印なしが市営住宅止まり(これが元々の旭野団地系統)。うち17時41分の204系統は臨海営業所始発・県庁市役所経由(桜町から駅始発系統と同じルート。かつての「千代田町経由」)。それ以外は秋田駅西口始発。
上り7時28分は「県」印で駅に行かない県庁市役所経由臨海営業所行き。8時07分は土崎駅始発向山経由(市営住宅は経由せず、外旭川病院前から合流)。

バイパス経由運行開始時の記事の再掲

新旧経路は、バス停で言うと天徳寺前~八柳二丁目(旧・八柳一区)の間。
バスが通らなくなる区間の距離では1.5キロ弱に6停留所、相当するバイパス区間は1.3キロに4停留所。

駅から来て天徳寺前を左折したバスは、300メートルほど広い道を走る。旧道を拡幅した道で新旧が同一。この間にバス停はない。平和公園の上り口を過ぎるとY字路があり、直進すれば新しく造られたバイパス、旧道は右に分岐。下りでは右折になるし、上りでは信号待ちが長くなりがち。
旧道は、平和公園の山のふもとに沿うように進む。9月29日の秋田魁新報に、この辺りはかなり古くから存在する道ではないかという話が出ていた。
途切れることなく建物があるが、新興住宅地でもある外旭川の中で、旧道沿いは古くから続くような家が目立つ。それでも、昔に比べると新しい家も増えた。

天徳寺前から550メートル、道が狭くなって押しボタン信号を過ぎたところに「水口(みのくち)」。以前は酒屋など店があったが、今はいずれもやめてしまったようで、建物には面影がある。ポストもあって、昔はある程度の集落の拠点だったのだろう。【以前の様子や位置については、末尾の補足記事も参照】
下り路線の進行方向。左がバイパス、右が山の方向
この道路よりバイパス・線路寄りの所在地名である外旭川字水口にちなむ。バイパス経由のほうに「水口入口」バス停があるが、むしろ水口入口のほうが(地名としての)水口のど真ん中なのだけど。旧道の身の口【11日訂正】水口バス停の入口という意味だったんだろうか。
上と逆・上り方向。センターラインが途切れるところがバス停
下り側はダルマ型ポール。市営バス時代設置のナール書体の表示板。台座も相応に古そうだけど、支柱は光沢があって妙に新しそう。
上り側は電照式っぽいが、市営バス時代の初代・バス接近表示(バスロケーションシステム。1981年頃設置か【15日補足・1981年末に新屋線で試験運用がはじまったはずで、神田線では多少後の設置のはず】)だったもの。1994年度に2代目システムに更新された時は設置箇所が絞りこまれた。2代目への更新を見送って、初代の接近表示部分を撤去し、ポールはそのまま残して電照式として使い続けられたものもあって、ここもその1つ。中央交通移管前後には照明も付かなくなっていたはず。
ここは奥まった位置に設置されており、バス通り沿いというより、Y字型に分岐するさらに狭い道のほうに立っているようにも見える。以前は上屋もあったような気もするけれど、なかったかもしれない(2012年10月時点ではなし)。
当初のままの若草色のバス停名表示
手書きで「次は天徳寺前です」もある。車道側2面はとても汚れていたが、内側はきれいだった。

水口から200メートル強で「斎場入口」。
下り側
斎場とは「秋田市斎場」を指す。地域によっては、葬式を行う施設を斎場と呼ぶようだが、ここでは秋田市営の火葬場のこと。1956年に開設されたそうで、外旭川村編入・神田線運行開始間もない頃からあったようだ。
バス停から山側へ400メートルほど入ると、施設がある。
バイパス経由では「八幡田一丁目」が最寄りか。さらに400メートルほどかかってしまう。
以前は、バス停のすぐ斎場・山側には田んぼがあったのだが、10年ほど前だろうか、宅地化された。ここが神田線沿いの最後の田んぼだったはず。
上り側
上下とも、ダルマ型・ナール。

進むとすぐに、信号付き十字路で、左の道すぐに土崎消防署外旭川出張所。
直進する道は狭いまま、カーブも出てくる。ガードパイプで仕切られた歩道も一部あるが、とても狭い。沿道は広い敷地の古くからの農家が多そうだが、最近は建て替えられたものも目につく。
下り進行方向
200メートル強で「梶の目(かじのめ)」。
所在地は外旭川字梶ノ目と、カタカナの「ノ」だけど、移管後設置のバス停の表示板や路線図ではひらがな表記。市営バス時代はどうだったか?
サルスベリと上り梶の目
上下ともダルマ型・「JTCウインR」書体。中央交通が移管直後に更新した表示板。
上り進行方向

引き続き狭いくねくね道で、150メートルほどで「笹岡入口」。ここは運賃境界やかつての路線分岐の関係か、間隔が短く、降りる時はボタンを押すタイミングに配慮が必要。
ここから広大な田んぼをはさんで直線でも2キロほど離れた所に「笹岡」と呼ばれる集落がある。地名としては秋田市編入時に消えているが、今も通用する。
2011年春までは「神田笹岡線」という系統もあった。現在は予約式のマイタウンバス化。
元々は笹岡入口-笹岡-土崎駅のローカル路線的位置づけだったようだが、1988年に秋田駅まで延長されて神田線の一部になった。秋田駅から来て笹岡入口通過後、右折して分かれていくわけで、「神田」は通らない。
下り側
上下ともダルマ型で、下りは透明シールにパソコンの丸ゴシック体で印字したローマ字なし。2002年にはこれだったようなので、市営バス時代のもの。
上り側、奥を右折すると外旭川中学校があり、笹岡方面へ
上り側はナール。ただし、市営バス末期2002年では手書きの表示板だった。その時点以降でナール表示板の新規作成はなかったはずなので、おかしい。実は、笹岡線が曲がった側にも、もう1つの笹岡入口バス停があったはずだから、そちらと入れ替えたのかも。
かつては上り側に待合所があったような気がしたが、あれはゴミ置き場だったようだ。今はなくなっている。【笹岡入口についても末尾の補足記事参照】
【15日補足】補足記事にいただいたコメントによれば、以前は下りバス停はもう少し神田寄り(上りの向かい)にあって、神田笹岡線運行開始時に、乗降扱い後笹岡方面へ右折しやすいようにという理由で移設されたとのこと。

この辺りは旧道とバイパスの間の距離がもっとも遠い。道も入り組んでいるため、笹岡入口からバイパスへ出るだけでも道のりで300メートルほどある。
笹岡入口から300メートル。運賃が上がって(50円ほど上がる)、外旭川小学校の前を過ぎると、いよいよ「神田」。外旭川村の中心地で、村役場もあったようだ。
ただし、現在の所在地名では、神田線のルート上に外旭川字神田は面していない。外旭川小学校の裏手のほうが神田だから、「神田入口」的な意味合いか。
外旭川村時代は、梶ノ目集落も含めて大字神田だった。明治45年の地図では梶ノ目に「前神田」、今の神田に「奥神田」とあるので、昔はここも神田だったとも言える。
下り進行方向。右が外旭川小学校

上り進行方向
上り側は旧バスロケ、押しボタン信号、ポストと水口と同じ環境。
1971年と1985年の地形図には、ここに郵便局があることになっている。今は卸売市場入口バス停前にある外旭川郵便局が、かつてはここにあったようだ。【10日訂正】コメントで教えていただいたように、ここにあったのは農協内の簡易郵便局だったとのこと。

上り側は、笹岡線の廃止代替のコミュニティーバスの始発でもあるので、そのポールも置かれる。
ここには以前は上屋とベンチがあった。ストリートビューによれば2012年10月から2015年8月の間になくなっている。

下り側はダルマ型だが、変遷が多い。
(再掲)きれいだけどサビも出ている
市営バス末期は、笹岡入口と同じような透明シール・丸ゴシック体ながら、ローマ字入り。
中央交通移管後、同社がごく一部に設置していた、四角いお城風デザインの表示板に交換。
2013年以降(2015年頃?)に、再び市営バスタイプの表示板に変わっていた。
(再掲)
これは、市営バス時代から美大開学時まで美術工芸短大入口で使われていた板の再利用で、このタイプには珍しく広告入りのため、バス停名が小さく、ローマ字が上にある。フォントはバイパス区間以外の神田線では数少ない現行の「スーラ」だと思われる。

神田を過ぎると、道は直線、少し幅が広くなる。
300メートル弱で「吉学寺入口」。「吉学寺」は「きちがくじ」と読み、現行の車内放送では「き」にアクセントを置いて発音しているはず。
吉学寺という寺院がありそうだが、存在しない。「入口」というからには、目的となる吉学寺が存在するはずだけど。
分譲住宅地の名前で「吉学寺」を使ったものがあったようだけど、それが由来なのだろうか。だとしてもどうして「吉学寺」なのか分からない。由来をご存知でしたら教えてください。
【11日追記】バイパスから線路方向に入った所に「外旭川吉学寺街区公園」があり、1979年末に供用開始されている。
下り側は北都銀行外旭川支店
ここは、旧道とバイパスがY字で合流する地点の目前で、銀行は両方の道路に面している。
上下ともダルマ型・JTCウインR。

そして、そのY字路で右折して、再びバイパスへ出る。丁字路状なので右折待ちはないが、信号待ちは長いはず。右折してすぐ、吉学寺入口から150メートルほどで「八柳二丁目(かつての八柳一区)」。
ここからしばらくは、旧道を拡幅してバイパスの続きとした道。その先、土崎方面については後日。


旧道はバスが通るにはとても狭く、積雪時は通行が困難になることも多く、バイパスができた以上、経路変更は仕方ないと思う。
それにしても、1996年にバイパスができる以前は、もっと多くの車がここを通っていたはずで、大変だったことだろう。1985年に小学校の社会科見学で卸売市場へ行く時、市営バスの大型貸し切りバスもここを通り、開けた窓から沿道の家の木の枝が入ってきたのを覚えている。

神田を通らなくなったのに「神田線」というのは、どうなんだろう。今は経由地より「行き先」を表示するようになっているし、特に新しい(若い)秋田市民は神田という地名を知らないかもしれない。
個人的には神田線という名前にとても親しみがあるけれど、将来的な分かりやすさ、整合性としては「外旭川線」などに変えたほうがより適切にも感じる。

【28日補足】10月改正時には、車両の行き先表示は特に変更されなかった模様。神田を通らないバイパス経由でも「天徳寺バイパス・神田旭野 秋田厚生医療センター」などと、路線名かのように「神田」が表示されているので、そこで引き続き「神田」の名が残った。

※続きは今回の補足
※2021年春、笹岡方面のマイタウンバスが新駅乗り入れ・環状運行化されることになり、この区間を再びバスが通るようになった
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ドラえもんの“入る”時間

2019-10-08 23:00:11 | その他もろもろ
テレビ朝日系「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」の放送時間が移動したことと、青森(と秋田?)の方言(※)についての話です。
※「青森弁」という方言は存在しない。青森県内を3区分した地域ごとに津軽弁、南部弁、下北弁の最低3つに分けるのが通例。もちろん、その複数での共通点もあり、完全に違うわけでもない。今回取り上げるのは、新しい方言であり、3地域共通で使われる可能性もあるので、その意味では青森弁かもしれない。

弘前にいた頃、地元の人たちから、次のような言い回しを聞いた。
「土曜の昼にRAB(青森放送)で『古畑任三郎(ドラマの番組名)』入るよ」

注目は「入る」。
全国共通の語を、地域限定の別の意味で使っている。秋田などで「捨てる」意味で「投げる」を使うように。
こういう場合、話している人は、全国どこでもその意味で通用すると思いこんでいることも多い。

放送局名、番組名のつながりから、「放送する(される)」「オンエアする(される)」という意味なのは、想像できよう。
全国的な日常のくだけた会話では、「[番組名]が放送される」とはまず言わず、「[番組名]がある/をやる」が自然だろう。「土曜の昼にRABで古畑任三郎やるよ」と。
しかし、(少なくとも20年前の)青森では「[番組名]入る」という言い回しも珍しくなかった。

少なくとも秋田市周辺では、この意味の「入る」はほぼ使わないが、まったく聞いたことがないわけでもない。
だから、僕も秋田にいる段階でその用法に接した経験はわずかにあり、弘前で初めて聞いても、さほど違和感はなかった(けど青森では多くの人が使うことに驚いた)。


この「入る」は、Wikipediaの「新方言」の項に例の1つとして挙がっていて、「青森県と富山県で」「テレビ番組の放送が始まる、あるいは番組にある人物が登場することを指して使われる」とある。
「放送が始まる」「人物が登場する」とする用例にはちょっと違和感。
まず、「始まる」という瞬間よりも、「放送される」という継続的な時間を指すのではないだろうか。
もう1つの人物を指すものは、聞いた記憶がない。でも、「今日、欽ちゃんがある」「昼はタモリを見る」みたいに、番組名でなく人物名で番組を示すことは、共通語でもあるから、おかしくもないかも。冠番組では番組名=人物名だし。
Wikipediaでも「テレビ」としているが、おそらく「ラジオ」であっても使うだろう。
他に調べると、北海道から東北とか、北陸地方とかより広範囲で使われているようだ。
番組が電波に乗って家へ、テレビ受像機へと“入る”あるいは、番組表・タイムテーブルの中に番組が入る(収まる)という感じかも。

さらに、「青森では『なるほど・ザ・ワールド』が入らない」などと、時間を限定しない用法もある。「青森ではフジ系が入らない」と番組や人物でなく、放送局を指すこともある。携帯電話が圏外になる意味で全国で使う「この部屋は電波が入らない」と同じニュアンスかも。
「ケーブルテレビに入ると、フジ系が入る」だと、「ケーブルテレビに加入すると、フジ系が(同時再送信で)放送されていて視聴できる」だから、ケーブルテレビに入るは全国共通。

「テレビに出る」は「出演する」意味で全国に通用する。「テレビが入る」のほうは方言なのがおもしろい。
※青森の3方言ではよく使われ、秋田でも使われる方言としては、「みみきかんじ」を以前取り上げています。



さて、テレ朝の2つのアニメ。これまでは、金曜19時00分から「ドラえもん」、続いて19時30分から「クレヨンしんちゃん」。
2019年10月からは土曜16時30分からしんちゃん、17時00分からドラえもんとなった。
家族で見やすい時間にしたとかいうのが、テレ朝の説明のようだが、結局は視聴率が取れず、金曜のゴールデンタイムを明け渡させたのだろう。
さらに、クレヨンしんちゃんの後20時台だった「ミュージックステーション」は、21時からに繰り下げ。1986年秋の放送開始(当初は関口宏が司会だったらしい)以来、33年間20時台だったという。

秋田朝日放送の土曜朝のローカル情報番組「サタナビっ!」では、最後のほうで番組宣伝コーナー【12日追記・コーナー名「チョイ見せ」】がある。主にキー局の番宣VTRが流れ、その後にスタジオの出演者が多少話す流れ。
5日放送では、ここでドラえもんの時間変更が告知された。
そのスタジオで、コーナーの進行をしていた藤盛由果アナウンサーが、「ドラえもんが土曜5時に入るようになりました」「昨日(金曜)、ドラえもんが入らないと思った方もいらしたのではないでしょうか」みたいな感じで、2度、「放送する」の方言の意味で「入る」を使った。

局アナがこの意味で「入る」を2度も使うとは驚いた。
藤盛さんは、秋田県北部の出身だから、もしかしたら元々使っていて、つい出てしまったのか。あるいは今まで知らなかったけれど、弘前大学卒だそうで、弘前時代の影響か。
まさか「入る=放送する」が、共通語では通用しないのを知らないわけはないだろう。秋田県全域で通用すると思って、あえて親しみをこめて使ったのだろうか。でも、ZENさんなど他の出演者からのツッコミもなく、普通に流れていった(あえて流れを止めるほどではない)。

あるいは、テレビ局の業界用語でも、その意味で使うのか??
系列局にしてみれば、キー局から実質、否応なしに「入ってくる」だろう。視聴者に対しては「出す」側だけど。



最後に、移動した番組の歴史。
テレ朝で「ドラえもん」が始まったのは1979年。当初は夕方に毎日10分放送の帯番組だったり、日曜朝だったりしたそうだが、1981年秋から金曜19時(一時期10分繰り上げ)。38年間不動だったことになる。
平成初期開局の青森朝日放送(ABA。1991年)や秋田朝日放送(AAB。1992年)では、開局時から金曜19時で、初めての枠移動となる。

といっても、ABAやAAB開局前の青森や秋田では、既存の他系列局が違う時間帯で放送していた。
秋田では秋田放送(ABS)で火曜17時から。たしか1980年代後半に木曜17時30分に移ったような記憶があるが、AAB開局直前まで続き、ABS最後の放送回はテレビ欄に「最終回」マークが付き、最後に「来週からは秋田朝日放送でお楽しみください」といった表示が出た。
ちなみに、オープニング「ドラえもんのうた」の歌手が、初代の大杉久美子(モノラル音源)だったのが1992年10月2日まで、山野さと子(ステレオ対応=ステレオ放送は2000年から)に代わったのが10月9日。AAB開局が10月1日だから、大杉版は1回だけ放送したことになる(実際には9月中から試験放送していた)。

青森では青森放送(RAB)で木曜17時30分だったとのこと。
今は夕方のニュース番組を前倒ししている平日17時台は、昔はアニメの時間だったものだ。


「クレヨンしんちゃん」は1992年春の放送開始から、ずっと19時台であったが、曜日は月→金→土→金と目まぐるしく変遷。
そうそう、AAB開局時点では、ドラえもんの次、金曜19時30分は情報番組「はなきんデータランド」で、しんちゃんが月曜19時だった時の次はビデオ投稿番組「邦子と徹のあんたが主役」なんてのがあったもんだ。

クレヨンしんちゃんは、秋田朝日放送開局の半年前に放送が始まっているが、その半年分も、秋田で放送されていた。
ABSが日曜11時から放送していた。
この時間がアニメ枠というのも今にすれば意外だけど、それ以前には藤子アニメ「21エモン」を同じ枠、10時30分からはTBSの科学教養アニメ「ミームいろいろ夢の旅」をやっていた。
1992年春の時点では、半年後にAABが開局し、そちらで放送することが明白なのだから、ABSにしてみれば、半年だけ放送する前提で、クレヨンしんちゃんを購入・放送していたことになろう。半年後にはその分の視聴率を失いかねないのに。当時はそれだけアニメの需要や価値があったということか、新局に対して老舗局としての余裕を見せつけたのか。
僕は、クレヨンしんちゃんが何者か知らず、ABS日曜11時をたまたま見ていて、そのおもしろさにはまってしまった。ほぼ最初期から見ることができた上、AAB開局後にスムーズに視聴できたのは、当時のABSが放送してくれたおかげ。

【2020年3月30日追記】2020年4月の改変では、地上波は変わらないが、BS朝日で6日遅れの金曜日に、19時00分からドラえもん、19時30分クレヨンしんちゃんが放送されるようになった。

【2021年8月22日追記】弘前市立中央公民館のツイッターを見ていて、気付かされた。
ドラえもんが土曜17時00分になったことにより、青森県では6日遅れで青森テレビ(ATV。TBS系列)で放送される「サザエさん」と枠がぴったり重なってしまうのだった。
なお、ATVのサザエさんは2004年まで土曜18時00分、2008年まで土曜17時30分と、JNN全国ネット番組の影響で前倒しされて今の枠になった。
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AKT50thコラボパン

2019-10-06 23:46:31 | ランチパック
当ブログの「ランチパック」カテゴリーでは、最近はランチパック(やローカル版のフレッシュランチ)の話題は取り上げていなかったですが、今回、久々に登場します。
秋田のたけや製パンが10月1日から発売している、秋田テレビ(AKT)とコラボレーションした商品3つのうち2つについて。

AKTは10月1日で開局50周年のフジテレビ系列局。ちなみにアニメ「サザエさん」も今日で50周年だそう。
マスコットキャラクターは2011年登場の「ぽちぱ」という蜂みたいなの。
50周年で、たけやとのコラボ商品を出すことになり、「アベックトースト」にはさむものと、8の字形のドーナツのトッピングに、それぞれ何がいいか、ネットで投票を募ったらしい。
その結果、アベックトーストは2つが同数となったそうで、うち1つをさらに「ランチパック(※)」として発売することになった。※これをランチパックとしていいかの是非は後述。

ここで紹介しないアベックトーストは「アベック・ぽちぱ つぶあん&マーガリン」。アベックトーストであること以外は、別段秋田らしくも秋田テレビらしくもない。

ぽちぱドーナツ 463kcal
20センチ近い縦長の袋に入り、AKTと50周年のロゴも大きく描かれる。
「ぽ」と「ぱ」の半濁点が、花の形になっていて、周りに模様としての色違いの花もあるから、ぽちぱを知らない人は「ほちはドーナツ」と読みそう(他の2種は半濁点も活字なので誤読の恐れなし)。
表面では「レモン風味&オレンジ風味」とあるが、裏面のバーコードの上では「レモン風味&オレンジ」。

8の字ドーナツ
なぜ「8」の字かといえば、AKTがフジテレビ系列であり、地デジ化時の全国(ほぼ)統一リモコン番号「8」にちなむため。ぽちぱが蜂なのも同じ。
表面に黄色のコーティングがされ、さらにオレンジ色の線がかかっている。

8の字のドーナツ、どうやって作るのか。裏返すと、
○と○
普通の円形のドーナツ2個をくっつけているようで、持ち上げたら分裂してしまった。
ドーナツ生地はパンっぽい
パンドーナツというタイプかな。
コーティングはレモンケーキのそれにそっくりで味も同じ。加えて、オレンジの味がわりとしっかりしている。原材料欄によれば、「オレンジ濃縮果汁」使用(レモン果汁は使っていない)。

ドーナツ2個よりは安いから、そう考えれば得かな。
見た目や雰囲気の点では、これがいちばんAKTらしい商品。
【2021年2月8日追記】これに黄色でなく黒いチョコをかけた「エイトドーナツ」という商品が、ヤマザキでもたけやでも、フジパンやコンビニでも存在していた(なんとなく記憶にあるような…)。エイトドーナツがベースとなったのだろう。
エイトドーナツは、チョコの上にアーモンドを散らすことが多い。たけやではこの後、2021年2月に復刻発売したが、それはピーナツがかかっている。


ぽちぱランチ 本荘ハムフライ&チーズ 1包装338kcal
見覚えのある包装デザインで、名前が違う。

たけやの公式サイトでは、元の商品名は出さず、あくまで「ぽちぱランチ」で通している(アベック・ぽちぱも同様)。【8日補足・AKTで流れるCM(たけや提供ということになるのだろう)でも、同じ表現】
AKTの公式サイトや発売時のニュースでは、元の商品名を出していて、これは「ランチパック」としている。果たしてそうだろうか? 疑問を呈したい。

ランチパックは、山崎製パンの商品。たけやでは、ランチパックの製造を受託しているが、たけや自身でランチパックを発売することはできないと思う。
一方、たけやでは、ランチパックの秋田版として「フレッシュランチ」という自社商品のシリーズがある。最近は見かけなくなったけど。
AKTのコラボ相手がたけやであり、たけやブランドで発売する以上、これは「フレッシュランチ」の派生とするべきだと思う。「たけやランチパック」という商品はあり得ないのだから。

※「フレッシュランチ」は、山崎製パン「ランチパック」のローカル版に相当するもので、いずれもヤマザキと結びつきがある、秋田のたけや製パンと青森の工藤パンが、それぞれ製造販売(両社とも独自開発だと思われる)している。たけやでは、包装のデザインもランチパックと酷似したものであった。両社とも東日本大震災後は縮小傾向(=本家ランチパックが勢力拡大)で、特にたけやでは途絶えていると思われる。


さて、「本荘ハムフライ」とは秋田県由利本荘市本荘エリアのご当地フライ。
2011年にそのフレッシュランチでソース入りとして発売。以降、2014年に本家ヤマザキランチパックに採用、その後はフレッシュランチで再発売やカレーとかわさびマヨネーズが出たことがあった。
今回は、そのチーズ味版。
中身
昔よりフライが小さくなったような。少なくとも包装の絵とは違う。
以前のほど、ソースははっきりとは見えないし、チーズもよく分からない。
食べても、そんなにチーズ味は感じない。でも、ちょっとまろやかなソース味みたいな感じで、おいしい。トーストするとさらにおいしいけど、ハムが硬くもないのでそのままでもいい。


3商品とも、秋田県内のスーパーは、ほとんどが扱っていると思われる【7日補足・秋田駅直近では、フォンテAKITA(旧ヨーカドー)地階「ザ・ガーデン自由が丘」で扱いあり】。コンビニではローソンで10月8日から21日まで発売。

※この次のたけやフレッシュランチは、2020年9月に「いちじく&マーガリン」が発売。
※さらに次、2020年10月に「本荘ハムフライ味噌だれ(ヤマキウ秋田味噌)」が発売。その他続きはこちら
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青いババヘラ/変な形の木

2019-10-04 00:34:19 | 秋田の季節・風景
秋田市の千秋公園から2題。
今週は25度を越える日もあり、10月にしては暑い。お堀の間の中土橋(という名の道路)に、ババヘラアイスが出ていたので、今年2度目の購入。
ババヘラアイスとは、秋田の幹線道路端やイベント会場で、パラソルを広げて販売している、コーンに盛られたアイス。年配の女性が売り子になることが多く、婆がヘラで盛ることが由来。
秋田県中央部沿岸に複数の業者があり、そのうちの「進藤冷菓」が「ババヘラ」を商標登録している。厳密には他社のものはババヘラとは呼べないが、そこまで厳密に区別している秋田県民はいない。
アイスは各社とも、黄色と赤色が混ざったもので、バナナ味とイチゴ味とされている。微妙な色合いや味は各社で違うことになるが、それもあんまり意識していない。チョコチップが入ったババヘラを作る業者があると聞いたことがあるけれど、お目にかかったことはない。

ババヘラを市街地では買うのは難しい(カップ入りなど小売店で売られるものは別として)けれど、中土橋は例外。オンシーズンならかなりの頻度で出没する。千秋公園や市立図書館利用者が通り、売れ行きも良さそう。

この時は、進藤冷菓だったからまさに「ババヘラ(R)」。おそらくここはいつも進藤なのだろう。他のババヘラが少し離れて出店していることもある。
遠くから見たら、パラソルなど普通のババヘラだったけれど、小さい表示とか缶の中身、そして渡されたアイスは普通じゃなかった。

青いババヘラ!(後ろは花はすっかり終わったハス)
話には聞いていた「青いババヘラ」に初めて遭遇できた。
薄い水色と、普通の黄色より淡くて白に近い黄色の組み合わせ(デジカメは青系統の色の再現が苦手だから、上の写真もちょっと違う気がします)。

最近は、黄色と赤以外のババヘラもできている。
青いババヘラは、Jリーグ「ブラウブリッツ秋田」のチームカラーが青であることから、そのホームゲーム会場(つまり八橋運動公園)でのみ販売というのが、最初か。
その後、道の駅ポートタワーセリオンで売られているようだし、ブドウ(もしくはブルーベリー)色・味とかメロン色・味のものもできて、男鹿水族館や男鹿のアジサイで知られる雲昌寺で売っているという話も。ネット上には、もっと濃い青色の写真も見られる。
【5日追記】進藤冷菓のホームページに「限定バリエーション」「一部会場のみの限定販売です。見かけたらチャンス!」として3種が紹介されていた。秋田県産メロン使用「ババヘラ・メロンアイス」、横手・大沢葡萄ジュース使用「ババヘラ・ブドウアイス」、爽やかな風味の「ババヘラ・ブルーアイス」。

中土橋のババさんによれば、中土橋ではいつもではないが、青いのを売る時があるとのこと。
なお、この同じ日に、秋田駅の自由通路の産直市みたいなのにも、進藤のババヘラが来ていて(かなり珍しい屋内販売だが、傘は広げていた)、それは通常版のようだった。
あと、先週末にブラウブリッツのホームゲームがあったから、それ用といっしょに製造したものの余りを売っているとかなのかも??

青いババヘラの値段は通常版より50円高い250円。
そういえば、ババヘラって昔からほとんど値上がりしていない。盛られる量は減った気がする(昔は盛り付け方も違った)けど。

味はソーダ味とレモン味とのこと。思ったより控えめな味に感じたけれど、さっぱりしてるかな。
個人的感想として、普通のと青いのを選べるのであれば、普通のほうがいい。
【4日追記】食感は通常版と同じ傾向だけど、よりさらっとしている気がしたかも。(ただし、約半年ぶりに食べて前の記憶があいまいだったり、暑くて融け気味だったり、メーカーの違いもあるかと思われる)見た目より融けるのが早いのも、通常版と変わらず。



青いババヘラですっきりして、二の丸広場・秋田市立佐竹資料館前。
植え込みの低木の1つが目に留まった。
奥の売店ではソフトクリームを売っているはず
上の写真では、こんもりとドーム型の植木に見える。地際近くまで枝があり、すそ野が広がっていて、かぶとのような形なのは、ちょっと珍しい形。
角度を変えると、
 
こちら側は、すそ野が広がっている。
どこから見ても同じ形なのが一般的だけど、そうではない。なにかの形に仕立てられる植木もあるけれど、なにかの形には見えない。強いて言うなら野球帽? 2016年のストリートビューでも、同じ形。
どちらかと言えば不格好ながら、ボサボサで伸び放題ではないので、剪定されてこの形を保っていることになる。どうしてこの形に剪定しているのだろうか。昔は放置されていて、広がってすでに根付いてしまった枝を抜くのが難しくそれを残し、その部分がこんもりとは生長していないとか、昔はもっと大きかったのが部分的に枯れてしまったとかだろうか。
菊や盆栽では「懸崖仕立て」という仕立て方があって、それを植木でやったらこんな感じになりそうな気もするけれど、これではあんまり格好良くない。
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