広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

桜中継/坂の途中

2014-04-30 21:20:41 | 秋田の季節・風景
今年はきれいに咲いた、秋田市の千秋公園の桜に関連して2つ。

土曜日の午前中、秋田朝日放送「サタナビっ!」の中継が二の丸広場に来ていた。
売店横に白い中継車が乗り入れていた

 
「AAB」が旧ロゴなので、新しい車ではないのだろう。チャンネル番号にちなんだ希望ナンバーで「・・・5」。
隣にいたトヨタハイエースも「5」で、「秋田朝日放送」表記のみで「AAB」ロゴはなかった。

中継車の屋根には、六角形のパラボラアンテナがあり、「TOSHIBA」とあった。上の写真のように中継車後部下には「Ikegami」ともあった。
中継車の屋根からは棒が伸び、上にカメラが付いている。“如意棒カメラ”か。
上に上がると、
カメラとご対面
一般的なハンディカメラを載せられるようになっているらしい。カメラには、おそらく「Ikegami」ロゴが入っている。AABロゴはなし。

ここで「Ikegami」について。「池上通信機」のことで、医療用機器なども手がけているそうだが、業務用放送機器のメーカー。現在は東芝と資本提携しているそうなので、アンテナが東芝製なのもその縁かもしれない。
僕が池上通信機の存在と業務用テレビカメラメーカーであることを知ったのは、平成初期に放送されていたテレビCM。
「あなたが謎のフライシュマンアマガエルモドキを見ている時、謎のフライシュマンアマガエルモドキはイケガミを見ている」
「あなたがゴルバチョフを見ている時、ゴルバチョフはイケガミを見ている」
というのをご記憶にないでしょうか?

※正確にはフライシュマンアマガエルモドキという名(和名)の生物はいないようだ。「フライシュマンガラスガエル」の別名が「アマガエルモドキ」らしい。
※「ゴルバチョフ」とは当時のソビエト連邦(ソ連)の最後の最高指導者。最終的には「大統領」だったが、「書記長」の肩書きの印象が強いか。CMでは「書記長」とか「大統領」とか肩書きが付いていたかもしれない。いずれにしても、1991年のソ連崩壊前のCMということになる。
ゴルバチョフ氏の映像を使ったことについては、当時の旺文社の中学生向け雑誌において、池上通信機ではソ連の放送局と取り引きがあるため、そのツテで映像を提供してもらったという記載があったはず。

フライシュマンアマガエルモドキという名も衝撃的だったが、イケガミのブランド名と業務がよく分かる、いいCMだった。
と思っていたのは僕だけだったのか、今ネットで検索しても、このCMについて述べている人はとても少ない。


デジタル化された最近は、放送用カメラとしてはキヤノン、ソニー、パナソニック辺りが幅を利かせているような印象がしていたが、中継車込みで池上通信機が活躍しているのを知ることができた。
「あなたが桜を見ている時、桜はイケガミを見ている」といったところでしょうか。



千秋公園の花見に戻ります。
秋田市の桜まつりとしては最大規模だけに、出店も多く出て、二の丸広場周辺にずらりと並ぶ。
主催する秋田観光コンベンション協会のホームページには、「露店が約80店出店します。」とある。

ただ、昔に比べると減っている。
おそらく10年ほど前なら、公園に上っていく坂の下、市立中央図書館明徳館・秋田県民会館脇の道にも並んでいたのだが、今年はなかった。
県民会館脇、正面が図書館、左の坂で二の丸へ。以前は左の歩道部分にも店が出ていた

現在は千秋公園へのメインルートである、図書館前から松下門跡を通って二の丸へ上がる坂。「大坂」と呼ぶ人もいる。
坂は途中で右へ曲がって二の丸へ至る。
曲がり角にババヘラアイス

坂の上に最初の出店
今年は坂を上り詰めた付近から出店の列が始まっていた。昔は坂の途中にもあったと思うのだが(傾斜していて営業しづらそうだけど)。

さて、上の写真でババヘラアイスがいた坂の曲がり角を、特に花見の時期に通ると、切ない思いに駆られる。
小学生だった昭和末期には、ここだけ露天が途切れていて、そこで白衣(和服?)を着てアコーディオンを演奏する人がいた。

第二次世界大戦で負傷し後遺症を負ったような「傷痍軍人」が、お金をもらう手段として演奏していたのだ。

特に夜の暗い中では、白い衣装とアコーディオンの音色が独特の近寄りがたい雰囲気を漂わせており、花見の華やかさとは違った気持ちにさせられたものだった。

こうした傷痍軍人は、千秋公園だけに限らず、弘前公園でもいたそうだし、土地によっては繁華街にいつも来ていた【2017年10月9日補足・秋田市でも広小路・木内前のアーケードにいることもあったとか。そう言われれば、そんな気もしなくはないが、確実な記憶はない。】こともあったという。本当に傷痍軍人なのか疑問視する人もあったというが、いずれにしても、昭和が終わろうとしていた終戦から40年経った当時でも、まだ戦争が影を落としていたことになる。


ちなみに、アコーディオンという楽器も、他にはNHKのど自慢の伴奏と小学校の器楽部の子が演奏していた程度しか知らない。いずれも昭和の思い出だ。
(のど自慢では、昭和末期は出始めのデジタルシンセサイザーと共存していた。いつの間にかシンセサイザーが2台になってアコーディオンがいなくなったのだが、それはいつのことだろう? 調べたのだがよく分からない。)

県民会館脇の内堀端のいろんな桜。奥が坂
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桜散り始める2014

2014-04-29 20:55:14 | 秋田の季節・風景
満開になった秋田市のソメイヨシノは、暖かさでもう散り始めた。
晴天で花見日和が続いたのはいいけれど、あっけない。
土崎港中央の「嶺梅院」


楢山登町に「鹿嶋神社」がある。広くない境内だけど、社殿から道路を隔てた向かい側に、真ん中に島がある楕円形の池をメインにした庭のようなものがある。(生け垣と門扉があって、中には入れない模様)
その池のほとりの桜も散っていて、
花びらが「花いかだ」となって池に浮かぶ
弘前公園の外堀にはかなわないが、水面をほぼ覆い尽くしそうなほどびっしり。


先日も紹介した、新屋の大川端帯状近隣公園。
新屋駅の跨線橋から眺めると、ピンクの帯が
手前の線路沿いの並木が美大へと続く元引込線路の遊歩道。奥の横方向の並木が帯状公園。上奥に見える建物は、左の四角いのが秋田西中、中央のとがったのが美大。手前線路沿いのソーラーパネルのように見えるのは、自転車置き場の樹脂製の屋根。


同じく太平川。
並木の上流側の端である羽越本線の橋の南側、土取場(どとりば)踏切を渡ると、「金照寺山(きんしょうじやま)」へ登る階段や坂がある。それを上がって、
金照寺山中腹から太平川を望む
手前に羽越本線、奥に秋田駅周辺のビル群が見え、その間に桜並木がこんもりと連なる。 金照寺山の山腹には、コブシの白い花がちらほらと。
反対側へ目を転じれば、下流側の桜並木も見渡せる。(障害物があるので、全部見えるわけではありません)


桜並木の端である、羽越本線の橋。道はそこで行き止まりになっているため、花見であっても来る人は少ない。
線路沿いギリギリまでは寄れないので、鉄道写真を撮るにしてもアングルは限られる。右岸(秋田駅側)から撮影した写真をたまに見るが、ふと思って、反対側の岸へ行ってみた。
草が茂る河川敷へはいちおう降りられるようなっていて、極端に川に近づくなどしない限り、危険は少なそう。※足元に注意の上、自己責任でお願いします。
上り貨物列車が渡る
レンズと腕がある人なら、桜並木と線路をからめてなかなかいい写真が撮れそうだ。

この場所から、こんなものが見えた。
太平山とピンクの山?
奥の太平山の手前で、桜がたくさん咲いている小高い丘が彩りを添えていた。
この丘って…


これだ!(橋は才八橋)
羽越本線と奥羽本線を越えて、太平川を上流へさかのぼった所にある、「明田富士山」だ。羽越本線の橋からは直線で700メートル弱。
桜が植えられているのは頂上の一部分だけだが、羽越本線の橋からは、たまたまその部分だけが良く見えるようだ。


上の写真の才八橋付近でも、川面に桜の花びらが流れていた。
才八橋のすぐ上流、明田富士山“登山口”の対岸付近に、
大きな桜が数本(後ろの山は一つ森公園)
所在地としては楢山太田町。ちょっとした広場でもあるのだろうか、そこの桜が散っていた。
こちら岸には1本のハナモモ?


桜が終わりつつあり、ユキヤナギやヤマブキが咲き、ケヤキが芽を出し開き始めて、いつものように季節が移ろっていく。
土崎の大きなエノキはもうちょっとで芽吹きそう
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角館線復活/リムジン等

2014-04-27 23:06:03 | 秋田のいろいろ
4月26日から4年ぶりに復活した、羽後交通の秋田-角館の路線。
以前との相違点は、運行日が限定され、2往復に減ったこと、秋田側の発着地が秋田駅西口から東口に変わったこと、秋田市内だけの乗車ができなくなったことなど。
27日の夕方の便を見てみた。
秋田駅東口到着時刻である17時05分に行くと既に到着しており、折り返しの準備も済んでいた感じ。ダイヤに余裕があるようだ。
17時15分の出発までは見ていなかったが、乗り込む人は見かけなかった。

注目の車両は、
観光タイプ
「秋田22 い309」という、古めのいすゞ製。元貸切車両か。(高速湯沢線用の1台とナンバーが10番違いだ)
2010年の廃止時点では、路線バスタイプの車両が使われていたので、グレードアップしたことになる。
ただし、その少し前、田沢湖まで行っていたような頃は、こういう車両が使われていた。個人的には、秋田市内に来る羽後交通のバスといえば、こういうタイプがしっくりくる。(昔は急行本荘線もこういう車だった)

行き先表示
正面・後部・側面とも「急行 御所野ジャスコ経由 角館」となっており、いろいろと突っ込みどころが。
まず、今回復活した路線は「急行」などの種別は特にないようだが、表示では復活前と同様の「急行」とされている。
「御所野ジャスコ経由」とあるが、復活後は秋田駅から乗車した場合は御所野では降りられない(御所野は乗車専用)のだから、いちいち表示する必要がなく、紛らわしい。そもそも「ジャスコ」という名は過去のものである。
要は廃止前のコマをそのまま使っているのだ。今回復活したとはいえ、とりあえず秋までの期間限定運行だから、新たに表示を作るほどでもないのは分かるけれど。

秋田駅東口には、初めて羽後交通の路線バスが乗り入れたことになり、
ポールも新たに設置
「Akita sta. E」という英字と担当営業所(角館)とその電話番号が記された、今の羽後交通標準タイプ。※以前から羽後交通が使っている西口の乗り場には、独自のポールはない。

【5月5日追記】4連休3日目・5月5日の朝の角館発(秋田駅東口9時35分着)は、9時15分の時点で秋田駅東口に到着済みで、中央交通のバスに混ざって待機場所で休んでいた。(境営業所8時40分発は守らないといけないが、降車専用となるので早く通過しても問題ない)境以降では、かなり余裕のあるダイヤということになる。
【2015年4月11日追記】冬期運休を終えて2015年は、4月20日から5月5日までの運行に大幅に短縮。
運賃は同額、ダイヤはほぼ同じ。
角館発が8時00分→秋田着9時15分、16時00分→17時15分。秋田発が9時25分→角館着10時40分、17時25分→18時40分と、微妙に動いている。
停留所は角館営業所-角館駅前-角館伝承館入口-秋田駅東口。角館駅に寄るようになり、境や御所野は通らなくなる。
【2015年5月6日追記】2015年4月末のある日の朝は、秋田駅に9時05分頃着。観光タイプの大型バスで「急行 秋田」の表示だった。



以下、中央交通。
上の角館行きの後方に写っているのが、先日発見した(この記事末尾)新たな小田急中古のエルガ「10-39」。今日はイオンモールのシャトルバスに入っていた。

中ドアには、今まではなかった
「乗車定員は70名様です」という張り紙
時間帯によっては超満員になるイオンシャトルならではの表示だが、誰も数えちゃいないと思うし、表示したところでどうなるわけではないと思うが…
ちなみに、ノンステップのエルガの定員は公式には75~79名(現行タイプ。仕様によって差がある)。余裕を持って70としているのかな?



そういえば、10-39の少し前(3月初めに発見)に小田急から来た中型のエルガミオ「10-34」に初めて乗った。

おおむね、他の小田急中古と同じ。
座席の背もたれは、初期ほどは硬くなく、布地は柄入り。メーカー標準の「キサラブルー」 かと思っていたがそうではなく、もっと水色っぽくゴチャゴチャした柄。【2015年4月11日追記】←キサラブルーの色違いのようだ。ホームページには出ていないものの、三重交通の新車でもキサラブルーと互い違いで使われていた(この記事最初の写真)。また、10-34では運転席だけは「キレートブルー」柄(オプション扱いの「通気性タイプ」)か、本来のキサラブルーと思われる、濃い青色に柄入り。
運賃箱は、小田原機器製の青系統のコンパクト(でいちばん安い)な「RX‐ NZS型」の新品か。(上の10-39の写真に写っているのと同じ)
運賃表示器は、「次の停留所名(次は~)」が表示される液晶ディスプレイ式ではなく、以前からの「運賃が変わる停留所(~まで)」が表示される7セグメントLED式のもの。縁が黒でなくベージュなので旧タイプだから、廃車からの流用だろうか。

中央交通では、けっこう古い車(例えば1996年製の市営バスからの譲渡車)を新しい液晶表示器に交換する一方、このような“最新の中古車”には古い表示器を付けていて、相変わらずちぐはぐ。(使えるんだったら使い続ければいいし、別段不便はないから、無理に液晶にしなくてもいいと思うのだが)

また、この記事末尾の通り、側面の行き先表示器も、最新型ではないようなので、これも廃車からの流用品なのかもしれない。



最後は空港リムジンバス。
秋田空港行きのバスや秋田県内の高速バスに使われる車両も、中古車が多い。最近は、長距離高速バスからの転用車ややはり小田急から来たものが目立つ中、1台だけ新車で購入したものがあった。2011年夏に入った、いすゞガーラ「887」である。
その887に最近、
側面に車体広告が入った
リムジンを中心にけっこう広告を出している「秋田プライウッド」がスポンサー。以前の同社の広告は、森林というか木立をモチーフにしたようなデザインで好きだったが、最近のはゴチャゴチャして分かりづらいですな。


そしてさらに、
新たなガーラが登場!
久々にリムジン用の新車が入ったのだった。(だから887に広告が入ったのかな)
今回も、(同設計の日野セレガではなく)いすゞガーラ。上の写真は「10-50」というナンバーだが、もう1台「10-5X(おそらく10-51)」も見た。
【28日画像追加】
もう1台は10-51だった
【5月1日追記】887では、行き先表示器がLEDなのは正面だけで、側面と後部は表示板を差し込む「サボ」式だった。今回入った車両は、側面と後部もLEDになっている。

【5月25日追記】5月25日に、空港リムジンに「10-55」という日野セレガが走っているのを確認。10-50、10-51と同型(のブランド違い)かと思われる。両車種の違いである、ガーニッシュやアクセントピラーがどうなっているかは未確認。
【6月2日追記】10-55は、ガーニッシュはガーラと異なるセレガ標準仕様、アクセントピラーはガーラと同じく窓の下で途切れるものに変更されていた。写真はこの記事中ほど。

【8月2日追記】10-51が高速バス能代線に使われていた。この車もリムジンと県内高速両用のようだ。
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桜満開2014

2014-04-26 20:01:34 | 秋田の季節・風景
4月20日に開花した秋田市のソメイヨシノは、24日に満開となった。平年+2日、前年-5日。

今年の桜は、どこももれなく花付きが良い。
近年はイマイチなことが多かった千秋公園をはじめ、どこでも見応えある花見ができることだろう。今週は晴天で15~20度前後まで上がる日が多く、多くの人が美しく咲いた桜を楽しんだ。

秋田市内3か所の桜をご覧ください。
千秋公園本丸
2009年などはひどいありさまだった木も、こんなにこんもり。
花見の場所取りも盛ん

本丸から太平山。少々霞んでいる

本丸から二の丸広場方向
本丸から見下ろすと、二の丸一帯がピンクに彩られて「霞か雲か」といった感じ。
※千秋公園の桜の関連記事


昨年は異常に花付きが悪かった、秋田市南西部の新屋地区の製紙工場排水路跡を転用した「大川端帯状近隣公園」 。
(再掲)昨年の満開時。秋田西中前の県道の歩道橋から上流方向
今年は、
こちらもこんもり


新屋では、2012年、2013年と2年連続でNHK秋田放送局が期間限定のリモコンカメラを設置した。(この記事末尾に昨年の模様)
昨年のスカスカ桜とは比べ物にならない今年の桜こそ、中継してほしいところだが、今年は設置していないようだ。(一昨年と昨年の設置場所を確認したが、どちらにもなかった)
NHKが凝りてしまったのか、設置先に断られたのか…


例年、美しく咲く傾向にある牛島~楢山の太平川沿いも、今年は特に見事。
※今日現在、すでにはらはらと散り始めていた場所が一部あった。
太平川橋のちょっと上流
ここはカーブがある川・自然が残る河川敷に、のびのびと枝を伸ばした桜が茂っていて、他の桜並木にはない独特の良さがあると思う。

太平川の右岸をさかのぼっていくと、百石橋を越えた所で歩行者専用となり、羽越本線にぶつかる手前で左へ逸れる。ここは、かつて「大堰」と呼ばれた水路(1969年に暗渠化)で、その名残り。
ここも川沿いに引き続き桜並木なのだが、道の左右に背の高い桜が連なり、「桜のトンネル」となっている。
ここが桜並木の北端(南通宮田)
道幅が狭めで枝が高く、弘前公園の桜のトンネルとは少し違う雰囲気。
この桜のトンネルも美しいのだが、ちょっと気になることが。
上の写真でも少々写っているのだが、花が咲く枝に混ざって、葉が密に生えている部分がある。「てんぐ巣病」だ。
「てんぐ巣病」は、葉が茂った病巣の様子を「天狗の巣」に見立てたのが由来。最近の魁新報で「テングス病」という記述があったが、オールカタカナ表記は一般的ではないと思うし、なんか洋風でおかしい。(英語では「魔女のほうき」と呼ぶそうだ)

トンネル中央部では、花が少なく大量もしくは大型の「てんぐ巣」が発生している木が見られた。太平川本体側の並木に感染させないような対処が必要かもしれない。


他の桜の模様は、後日また。※続きはこちら
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弘大周辺の温泉

2014-04-23 23:59:28 | 津軽のいろいろ
人生には大小さまざまな後悔はつきもの。
15年前に弘前で4年間暮らした者として、今思えば後悔していることが2つある。

1つは、青森県内のいろんな場所へ出かけておけばよかったということ。
青森県は広い(面積よりも、地形や気候的な面で)ので、さまざまな風景、風土、文化があるのだから、もっと接するべきだった。
今も隣の秋田県にいるとはいえ、例えば下北半島へ行くとなればけっこうな旅になるし、当時あった下北交通の鉄道線や南部縦貫鉄道のレールバスは、今はもう乗ることができなくなってしまった。


もう1つが、温泉に入っておけばよかったということ。
(日本はたいていそうだけど、)青森、とりわけ弘前周辺には、温泉が多い。
山あいの温泉、碇ヶ関や大鰐といった有名な温泉もあるが、それは今でも入浴できるから行こうと思えば行ける。また、弘前市の市街地の外側には、新たな日帰り温泉施設がいくつかできている。
その一方、かつてあった温泉に入れなくなったものがあり、それに入っておきたかったのだ。僕が温泉に入る楽しみを知ったのは、卒業してからだった。

以前、バカヤローカーブのことで参考になった、弘前大学「学園だより」の連載「弘大かいわい」がここでも参考になる。
その第10回(1997年3月18日発行 第115号)が「温泉めぐり」だった。

連載の中では特異な回で、通常なら大学周辺の特定の1つの場所や店舗を取り上げて紹介するのに、この回では碇ヶ関、黒石などまで含めた弘前近郊の温泉をまとめて紹介している。(「かいわい」にしては広すぎる気もする)
執筆者も、通常なら大学の教員から選出された「編集委員」だが、これはその号の編集委員ではない教養部 健康・スポーツ科学分野の大澤義介教官(いずれも当時の組織体系・職名)によるもの。
大澤先生(職階としては教授だったはず)は、いわゆる一般教養の体育の講義・実技の先生で、僕も講義を受けたことがある。実技は合気道なんかも担当されていたはず。青森放送テレビの平日夕方の「出会いふれあい生テレビ」に時々出演されていた。
1997年9月の教養部廃止に伴って教育学部へ異動して、停年退官(定年退職)されていると思う。
【2022年9月17日追記・大澤先生は2022年9月12日に87歳で亡くなった。山形市出身、弘前大学名誉教授。お名前は「ぎすけ」だと思っていたが、「よしすけ」。】

学園だよりでは、
「弘前大学のキャンパスのごく近くにも温泉があります。車で30分ほどの圏内にはすてきな温泉が数え切れないほどありますが、案外と知られていないようなので」として、温泉入浴の科学的意義などとともに、30の温泉をリストで掲載している。
僕はこれを読むまで知らない温泉ばかりだったが、行ってみようという気にならなかったのが、今からすれば悔やまれる。

注目するのは、「弘前大学のキャンパスのごく近く」の温泉。
秋田市でも、市街地に温泉はいくつかあるものの、塩分の強い温泉がほとんどで(保温作用が強いため)夏は汗だくになるし、スーパー銭湯タイプであるため入浴料が少々高い(大都市圏に比べれば安いけど)。
弘前市の市街地の温泉は、泉質がさまざまで、昔ながらの銭湯扱いなので入浴料は500円以下(ただし石鹸・シャンプーは備え付けがないことが多い)。青森市や鹿児島市は温泉銭湯が多くて有名だが、弘前市もわりと多い街なのだ。

学園だよりで紹介されている30の温泉のうち、「弘前大学のキャンパスのごく近く」と呼んで差し支えない場所にある温泉は3つ。いずれも文京町キャンパス周辺の住宅地にあり、大学生が住むアパートも多い。
しかし、このうち2つが、現在は廃業してしまっている。

※以下の温泉に関するデータは、ホームページ「ちょいとひと浴び 街の温泉めぐり(北海道・青森編)」(http://machispa.la.coocan.jp/html_aom/hirosaki.htm)も参考にしました。

唯一現在も営業しているのは「桔梗野温泉」。 桔梗野4丁目の第四中学校の隣にある、銭湯形式のもの。
学園だよりでは36.5度の弱食塩泉。
【2022年5月18日追記】桔梗野温泉は、2022年5月初め頃に廃業した。張り紙によれば「設備老朽化の為、また長期に渡るコロナ禍の影響の為」。

あとの2つは「富田温泉」と「寒沢温泉」。
富田温泉はpH8.0の単純温泉。
弘前市富田町83-1という所在地だったそうだが、弘南鉄道の東高校前駅から枡形へまっすぐ伸びる道の中ほど。松森町とか大富町の近く。
これも銭湯タイプで、僕は何度も前を通っていたが、ただの銭湯だと思っていた。
跡地をストリートビューで見ると、現在は新しそうなアパートが建っている。
ホームページ「街の温泉めぐり」には、「地下404mからゆう出する無色透明無味無臭の源泉を加熱利用」とあるが、今はどうなっているんだろう? 出すには維持費がかかるんだろうけど、温泉があるのに使っていないとは、もったいない話でもある。

寒沢温泉は、弱食塩泉で37.0度、pH8.8。
その名の通り、弘大西側にある「寒沢スキー場(寒沢の坂)」の下に広がる寒沢町にあった。おぼろげに記憶にある。
「街の温泉めぐり」によれば、1999年に廃業した「弘前温泉観光ホテル(実際には旅館か?)」で日帰り入浴を行っていた。「地下600mからゆう出する無色透明の塩化物泉を加熱かけ流し」だそうで、これも使わなくなったのはもったいない。
所在地は寒沢町5-4なので、寒沢の坂の通りと弘高下駅のちょうど中間辺り。土淵川は近いが、川沿いだったわけではないのだろうか。現在は駐車場(と住宅やアパート?)になっている。

なくなってしまった2つの温泉は、大学の敷地から直線で400メートルほどの至近距離。(桔梗野温泉は700メートルほど)
「大学帰りに入浴してから帰宅」なんてことができた(??)のに、当時は温泉に入る楽しみを知らなかったのが悔やまれる。
Googleマップに3つの温泉の位置関係を示す。弘前駅や弘前公園より近くに温泉があった

ほかにも、大学からは若干遠い、旭ヶ丘にあった「緑ヶ丘温泉ホテル」は2002年に廃業。現在は温泉付きの高齢者施設になってしまい、一般人は入浴できなくなってしまった。(秋田市土崎の「あったまりーな」と同じ展開)
あと、富田大通りの枡形交差点近くにも、銭湯があった気がするけれど、あれは温泉ではなかったのかな?


とは言っても、弘前周辺にはまだまだ魅力的な温泉がある。
学園だよりの大澤先生はなぜかリストに入れていないが、緑ヶ丘温泉の近くにある「桜ヶ丘温泉」は、すごい。ここは入ったことがある。
住宅地にある銭湯なのだが、そのお湯は、白濁して硫黄のにおいがする。乳頭温泉なんかにも負けないと思う。(泉質はナトリウム-塩化物炭酸水素塩泉だから、微妙に異なるはず)

あと、弘前公園近くのホテルドーミーインは、旧・岩木町の植田というところから運んでいるようで、いいお湯だったと思う。(源泉掛け流しではないことになるので、こだわる方には不向きでしょうが)

弘南鉄道に30分乗れば大鰐温泉にも入れるのだし、弘前は恵まれている。
(主に郊外のほうに行けば、いろんな意味でよそ者にとって敷居が高い温泉もあるにはあるのだけど…)
大澤先生も、このように結んでいる。
「この恩恵に浴して感謝しながら健康づくりに活用させてもらおうではありませんか。」
コメント (4)
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桜咲く2014

2014-04-22 23:31:16 | 秋田の季節・風景
秋田地方気象台では、4月20日にソメイヨシノの開花を観測した。平年より2日遅く、昨年より3日早い。

咲きそうでなかなか咲かなくて、やっと咲いたかという感じ。
秋田市の昨冬は雪が少ない穏やかな冬で、春の訪れは早く、最近は晴天が続いているものの、気温は低め。それが反映された開花時期といったところか。

そして、今年の桜は場所による開花状況の差が激しい気がする。
秋田市内の住宅地などでは4月20日の時点で、既にかなり咲いていた木も多かった。(千秋公園は標高差のせいか、例年通り遅め。今日現在5部咲きとされている)

昨年と違って、どこの桜も総じて花付きは良好。ウソによる食害が少なかったのか、裏年表年の表年なのか。

上↑と下↓の写真は2011年に少し紹介した、かつて市長公邸だった保育園~保戸野街区公園裏側付近の旭川沿いの道。
手前2本がソメイヨシノ、後方はすべてシダレザクラ
ソメイヨシノは満開間近か。シダレザクラは、街区公園内のは花色が薄い一重の早咲きで5分くらい。保育園側は色が濃い八重の遅咲きでまだつぼみ。

昨2013年の状況
昨年はちょっと寂しかった、旭北寺町の桜並木(2009年)は、
きれいに咲いていて、こちらもほぼ満開か
路上に張り出していた低い位置の枝が伐られてしまったようで、以前より位置が高くなって、迫力はちょっと減ってしまった。
上のほうで咲いてる
【6月6日追記】2014年6月時点では、並木と墓地の間の塀が撤去されている。塀を新しくするようだ。桜の木はすべてそのまま残るようだが、背景は少し変わることになりそう。

少し離れた場所に、もう1つの桜並木も。
こちらは完全にお寺の敷地内にある木
後方に見えているケヤキは、まだ芽吹いていない。
乙女椿と


昨年見た桜の中では、いちばん美しく咲いていると思った、幹線道路沿いのとある民家の一本桜。
今年も見事!(逆光です)
昨年と違うのは、前の信号機が車両用はカプセル式、歩行者用は薄型に更新されたこと。


一方、太平川の桜並木は…
猿田川との合流点。太平川は奥から手前、右が猿田川
こちらはまだほとんど開花していない。(一部、ソメイヨシノ以外の桜も混ざっている)
花付きは良いようで、開花直前の赤色もまた美しい。
※太平川でも、上流側の牛島辺りは開花が進んでいるとのこと。


今週末までの天気は良好で、近場の桜を楽しむには良さそう。ただ、連休前半になる来週の天気が…
※満開の模様はこちら




中央交通に新たな路線バス車両が登場。
「10-39」
ノンステップ大型バス・いすゞエルガで臨海営業所所属。
例によって小田急中古でしょう。
【24日追記】ネット上の情報によれば、この車両は2002年式KL-LV280L1で、小田急では「02-A9019」号車として吉祥寺営業所に配置されていた車両らしい。(後部ナンバープレート周辺の構造が、同時期の他の車と違うので、識別できるそう)
これ以前の同型車とは屋根上のクーラーの形が異なり、導入時からLED行き先表示器が設置されていたようだ。※この記事中ほども参照
【5月4日追記】A9019は小田急では、2013年7月に廃車されているらしい。けっこうブランクがあるものだ。
【8月27日追記】この車の後方の座席の生地は水色系の柄入り(前方は未確認)。他の小田急中古車でも見られる柄だが、先に来た989などはエメラルドグリーンだった。

これで、ノンステップバスは28台(EVバスは除く)、うち22台が小田急中古で、大型車は6台・いすゞエルガは5台となったはず。※前回の記事
代わりに元市営バスの大型バスのどれかが廃車になってしまった可能性もある。

※この後、2014年11月下旬に、小田急中古と思われるエルガミオ「10-79」が臨海営業所に導入。座席は水色柄入り。
さらに、同時期に新車で日野レインボー2が3台導入(10-85~10-87、秋田2台、臨海1台)。
これにより、ノンステップバスは32台(EVバスは除く)、うち23台が小田急中古で、大型車は6台・いすゞエルガは5台
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nanacoとWAON

2014-04-21 23:23:55 | その他もろもろ
消費税率が8%に上がって3週間。思ったほどの混乱も負担増も感じていない気がするが、果たしてどうだろうか。
例えば一部スーパーのプライベートブランド商品は、本体価格を「値下げ」して、税込み価格は5%時代と同額にしているものがある。消費者としてはうれしいけれど、誰かが身銭を切らされているかもしれないし、あるいは量(は表示を見れば分かるけど)や質を落とされているかもしれない。
この分では、「大きな消費低下もないので、10%に、20%に…」とされてしまいそう。やっぱり、税負担が増えたことは意識していないといけないと思う。

あと、税抜き表示と税込み表示が店舗によって違うのも紛らわしい。
2004年までは原則すべてが税抜き表示だったから、税込みになったのはここ10年なのに、税込みにすっかり慣らされてしまったのを思い知った。

さて、こんなご時世にちょっとうれしいのが、ポイントが付くスーパーなどの電子マネー。大手の2大流通系電子マネー、セブン&アイホールディングスのnanacoとイオングループのWAONのいろいろ。

●「セブンイレブン」っていうスーパー
まず、セブン-イレブンの話ですが、いきなり脱線します。
BSジャパンでは、土曜夜に寅さんの映画を放送している。19日は、1980年暮れに公開された「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」。
北海道の奥尻島から上京してきたマドンナ(伊藤蘭)が、タコ社長らの世話でパートに出ることになるのだが、その先がセブン-イレブンだった。

どことなく、30年前に秋田にできたばかりの頃のヤマザキデイリーストアに似たような雰囲気の店。「7」のロゴは今と同じだったが、店舗の看板(赤系統?)や店員の制服(白地に大きくて赤く、「7」が白抜きになった円が規則的に並んでいる)は現在と異なっていた。

セブン-イレブンは1974年に日本1号店を出し、1980年11月には1000店舗を達成していたそうだから、公開当時には(首都圏では)それなりに認知されていたのかもしれない。(一部店舗では24時間営業も始まっていたようだ)

ただし、劇中の人々は「コンビニエンスストア」という言葉も概念も持たないようで、セブン-イレブンをスーパーマーケットだと認識していた。さくらさんは「『セブンイレブン』っていうスーパー」と言っていた。
現実の世界でも当時はそうだったのだろう。
そのセブン-イレブンが秋田県に進出するのは、約32年後まで待たなければならない。

【2015年7月11日追記】改めて映画を見ると、店舗のドアの上に黄色地に赤文字で「ウン!いつも入れたてで、ウマいんだ」と読める横断幕が出ている。ロゴマークや男女の顔も描かれているが、判読できなかった。また、店内のレジ付近で紙コップの飲料を飲む客もいる。
セブン-イレブンでは、2013年から店舗でドリップしたコーヒーなどを「セブンカフェ」として販売しているが、それに類するものが当時から存在したということだろうか。
また、ネット上の情報によれば、舞台となったセブン-イレブンは後に閉店しているが、近くで同じオーナーによる店舗が現在もなお営業を続けているとのこと。

●nanacoポイントを交換
nanacoは100円ごと(原則税抜き)にポイントが付くし、クリックしてポイントが当たるメールマガジンというのがあって、けっこうポイントが貯まった。
ポイントを電子マネーとして使うには、レジで手続きが必要。他の電子マネーのように機械やネットでできないのは、nanacoの大きなデメリットだと思う。

セブン-イレブンに行っても混んでいたりして、頼むのに気が引けてしまっていたが、今年の元日、お客が誰もいなかったのでやってみた。
なんて言ったらいいのか分からなかったが、「nanacoのポイントを交換してください」とか言ってみた。
レジの人は「電子マネーに交換ですね?」とか確認。操作して、nanacoをタッチすると、レジの画面にポイント残高が表示され、全部のポイントを交換することを確認して、もう1度タッチして、処理完了だったかな?(だいぶ前で忘れました)
商品の購入処理とは同時にできないようで、レシートはポイント交換単独で別に出てきた。
「ポイントをnanacoへ交換」が昔のワープロ専用機の「縦倍角」になっている(店舗名は横倍角)

【2015年2月12日追記】その後、「nanacoチャージ機」なるものが2014年12月頃に登場し、全国のイトーヨーカドーなどに順次設置されているとのこと。1000円ごとのチャージ、残高確認とポイントの電子マネーへの交換ができるそうだ。この記事参照。
秋田の西武やザ・ガーデンに設置されるのかは知らないけれど、とりあえず、nanacoもやっとポイント交換が手軽にできるようになった。

●2倍なのに?
増税直後のサービスとして、セブン-イレブンでは、4月の1か月間、nanacoポイントが2倍になるキャンペーンを実施中。
4月7日のレシート
nanacoは税抜き価格100円に対して1ポイント。上記のレシートでは本体価格186円分買ったから、1ポイント×2倍=2ポイントのはずなのに、3ポイントがついている?!
そもそも、「2倍」なのに奇数のポイントが付くのはおかしい。

同じ頃の他のレシートでも奇数ポイントが付いていたようだが、最近は偶数になっているような気がする。(僕はセブン-イレブンにはあまり行かないので、サンプルが少ないのですが)
ポイントが多くついているわけだから文句はないが、何かの間違いだったのだろうか。

●5%引きの方法
ついでにイトーヨーカドー。
昨年、イトーヨーカドー弘前店で楽天優勝セールとして、食料品も含めて「nanaco決済で全品5%引き」をやっていた。通常は「8」の付く日にやっているもので、イオングループの20日30日と同じ趣旨。
そのレシート
イオンでは、1点ずつの税込み価格に対して5%を引く。レシートでも1品ずつ1行を使って値引き額を表示するので、レシートが長くなる。
イトーヨーカドーでは、購入商品の合計額から5%を引き、レシートは全体で1行だけ「割引 -60」とシンプルに表示している。
端数を考えれば、イオンのほうがわずかに特になるような気がするが、対照的なやり方だ。

さらに、nanacoやWAONのボーナスポイントの表示方法も異なる。
WAONでは、対象商品の下の行で「(ボーナスポイント 25P)」と個別に表示し、さらに末尾でWAONの残額などとともに「(内ボーナスポイント対象 50P)」と合計を表示する。
nanacoでは、末尾に「ボーナスポイント 20P」と合計だけを表示する。ヨーカドーのやり方だと「どの商品に対してボーナスポイントが付いたのか」が分からず、この点は不親切。
【5月5日追記】イオン、セブンとも、ボーナスポイント対象商品には、店頭において値札のそばに表示をすることになっている。イオンでは、表示がないのに買ってみたらボーナスポイントが付いていることがけっこうある。そして、ごくまれに、表示があるのにボーナスポイントが付かない(=ボーナスポイント付与期間が終わったのに札を撤去していない)ことがある。
ポイントが付くことが購入動機になる場合も多い(かなりの値引きになる)のだから、ちゃんとやってほしい。
セブン-イレブンやイトーヨーカドーはあまり利用しないので何とも言えないが、イオンは店頭表示の点では不親切だ。



次はイオングループのWAON。
●ポイント増加中
イオンリテールでは、4月4日から5月6日まで、ポイント3倍を実施中。(一部地域のイオンやマックスバリュなどは対象外かな? イオンは運営会社によってキャンペーンをやったりやらなかったりが紛らわしい【5日追記】イオンリテールが運営する「秋田フォーラス」のテナントであるダイソーでは、3倍ポイントが付いた)
ほかにも、期間を区切って、商品のジャンル(例えばヨーグルトとかお菓子とか)を指定して、「ポイント8倍プラス」という新しいキャンペーンを、3月末からおそらく2回実施した。
この時は790円分買って、全部プラス8倍適用だった
3倍とプラス8倍は重複して適用されるので、11倍・約2.7~5.5%相当になるから、バカにできない。
某大手ネット通販サイトのように「1倍分を除いた残り(=例えば8倍と謳いながら、実際には7倍)を期間限定ポイントで付与」なんてことじゃないのも、良心的か(これが当たり前?)。

●土日にタッチ
ところで、イオンでは、昨年11月から「毎週土日はタッチでWAONポイントプレゼント!」を実施している。
土日にイオンの店舗へ行けば、1日につきWAONポイント2ポイント(=2円相当)をくれるというもの。

イオン、ソフトバンク、ヤフーが開発・設置する「ハッピーゲート端末」に、WAONをタッチすることでポイント付与の対象となる。
実際にポイントをもらうには、翌月10日から月末までの間にダウンロード手続き(店舗の端末等でできる)することで、1月分がまとめて付与される。

ハッピーゲートは、秋田では今のところイオンリテール運営の旧ジャスコ・サティとイオンスーパーセンターに置かれているようだ。マックスバリュ東北にはないし、秋田フォーラスにもない。

ハッピーゲート端末は、それ自体が携帯電話(3G)回線を持っているらしく、電源があればどこでも設置できるとか。
それが災いして、最初は設置場所を探すのに苦労した。あまり大きくないし、WAONの端末のような水色系でなく真っ白いボディなので目立たないし。WAONの犬とソフトバンクの父さん犬が描かれている。

イオン秋田中央店では、正面玄関を入ってすぐのエレベーターの脇(WAONステーション、チャージャーと同じ場所)と、昨年の改装で食品レジ向かいに移ったサービスカウンター中央付近。いずれも1階で、3階のサービスカウンターにはなし。
特に分かりにくいのが、イオン土崎港店。当初は、1階のサービスカウンターに向かって右端(酒売場寄り)にあった。サービスカウンター自体が、裏口側で分かりにくいが、さらにその奥みたいな所だった。
それが年明けには、食品レジの袋詰め台(サッカー台)の並び・サービスカウンター寄りに移っていた。以前よりはマシかもしれないが、ここも分かりづらい場所。さらに時々、数メートルの範囲で若干移動している(出張販売などのレイアウトの都合上か)。

土崎港店には1台だけだとばかり思っていたが、つい最近、2台目を発見!
1階の家庭用品レジ(化粧品・薬売り場の新国道側)にあった。これはほんとに分かりづらい。使う人がいるだろうか。


ハッピーゲートのタッチする場所が分かりづらいという声もあるようだ。
スマートフォンを使った割引クーポンの発券もする機械なので、スマホを置く場所があって紛らわしいと感じる人もいるらしい。カードタイプのWAONの場合(モバイルはどうするのか不明)、電話置き場の上、2匹の犬の間にある小さな正方形の液晶画面にタッチする。
今どき珍しくなった、モノクロの簡素な液晶(青白いバックライト付き)。よく見れば「タッチしてください」とか文字が出ている。タッチして反応する(たまに鈍い時がある)と「ちゃららん」と音が鳴って、レシートが勢い良く出てくる。
レシートという表現は適切じゃない気もするが、公式に「レシート」と呼ばれる。
最初のレシートは無駄に長かった(11月24日まで)が、11月30日からは半分以下の長さに短くなった。
右が初期のレシート
さらに1月11日からは、注意書きのフォントや文面が一部変わっている。
【2015年1月17日追記】2014年10月から、レシートの長さがさらに短く(直前のレシートの6割程度)になり、受け取り期間だけが表記された簡素なものになった。(10月5日は旧レシート、18日は短いレシート)


ところで、1日当たり2ポイントくれるということだが、ホームページでは「おひとりさま(1枚のWAONカード)につき1日1回限り。 」と明示されており、1人で複数のWAONを持っている人は2ポイント以上もらえることになる。
同一のWAONで、同一店舗の端末に1日に2回以上タッチすると、既にタッチ済みである旨のレシートが出てくる。
反応が鈍いのでパタパタしていたら、2度タッチしたことになってしまった
ここで、注意書きがいろいろとある長かった頃のレシートに注目すると「1店舗でお受取りいただける「タッチポイント」は1日1回のみです。」とある。
裏を返せば、「2店舗以上なら、1日2回以上受け取れる」んじゃない?

秋田中央店と土崎港店の近くを1日で回る用事があった日に実験してみたら、やはりそれぞれの店舗で2ポイントずつもらえた!(レシートが短くなって注意書きがなくなった後でも)

2円のためだけに、いくつもの店舗を回るのはかえって損だけど、ついでがあればやってみてもいいのではないでしょうか。


上記の通り、ハッピーゲート端末では、値引きクーポンをプリントすることもできる。
Yahoo会員向けの割引券などがあって、手続きしたスマートフォンを置くか、手続き後にメールで送られる番号を、ハッピーゲート端末のテンキーで入力→「送信」ボタンを押せば、クーポンが出てくる。

昨日20日は、WAONをタッチすると「花王エマール50円値引きクーポン」もレシートといっしょに出てきた。こういうパターンもあるのか。
それはいいのだけど、昨日はレシートが出るまでやけに時間がかかり、数十秒待たされた。画面が「通信中です」でフリーズしていたようにも見えた。どうも「システムトラブル」があったようで、後から掲示が出され、夕方には解消したらしい。
【26日追記】このトラブルの補填の意味もあるのだろうか、翌週26・27日とその翌週5月3・4日は、1回のタッチで4ポイントを付与することになった。


このサービスは、家電量販店などでだいぶ前から行われている、来店ポイントと同じ考え方か。
イオンリテールでは、ちょうど昨年11月から全国の食品売り場においてレジ袋が有料化され、秋田などの店舗では、レジ袋辞退の2円引きが廃止されたので、その代わりとも言えそう。

秋田のイオンでは、ハッピーゲートにタッチしている人をあまり見かけない。WAONの普及率を加味すれば、もう少し多くてもいいと思うのだが。(イオン側で大々的に告知していないこともあると思うけど)
それどころか、3円や5円「も」払ってレジ袋を購入する客が珍しくないし、20日30日の5%引きの日なのに、たくさん買って現金で(イオンカード提示もせず)割引なしで支払う人もいて、見ているほうがもったいないと思ってしまうこともある。
こういうのって、金遣いが鷹揚な秋田の県民性なんだろうか。ケチな者としては、払わずに済むものは払いたくないし、もらえるものはもらいたいのですが…

【8月12日追記】2014年8月9日から17日には、「夏休み9日間連続!」として、平日にも2ポイントが付与された。

※2016年夏には、WAONとは別(互換性はある)のポイント制度「smart WAON」が始まり、イオンのポイントが2本立てとなった。
従来からの電子マネーのWAONは、その名も「電子マネーWAON」というヒネリのない区別しにくい名称となった。
そうした新システム導入に伴う整理なのか、土日ハッピーゲートにタッチして2電子マネーWAONポイント(という呼び名になった)をくれるのは、2016年10月で終了(地域で異なるのかも)となった。火曜日に1店舗で合計3000円以上購入すると、100ポイントくれるのも終了。
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石岡好憲先生

2014-04-20 23:39:55 | 津軽のいろいろ
青森県弘前市出身で秋田県湯沢市に住む、石岡好憲(よしのり)さんという方をご存知でしょうか。1927年生まれの86歳、小児科の開業医でこの3月で「第一線からは退きました」という。
秋田魁新報社会面に、「シリーズ時代を語る」という連載がある。秋田県に縁のある人物の半生を、独り語り形式で綴るもので、3月3日から4月6日までの35回に渡って、石岡さんが取り上げられた。

以前の秋田市河辺出身の民謡関係の人の連載では、弘前市小栗山の師匠に弟子入りした話があったが、石岡さんは子ども時代を弘前で過ごしたため、昔の弘前の様子がいろいろと分かって、興味深かった。

・「5人きょうだいの長男として、現在の青森県弘前市大字小比内(さんぴない)で生まれました。」「津軽平野の田んぼに囲まれた集落でした。家は農家で米1町5反歩(1.5ヘクタール)、リンゴ5反歩を栽培していたほか、馬1頭を飼っていて運送業も営んでいました。」
→今は住宅地だけど、昔は農村だったのか。まあ、今も少し外側は田んぼだから、想像はつく。

・父は「岩木山神社の神職の家系で、次男だったことから石岡家に婿に入り」「小学校の教師をしていました。」
・実家は弟が継いでいる

・「昭和9(1934)年4月、地元の外崎尋常小学校に入学、同級生は60人もいて、1学年1学級のみ」
※「外崎」のふりがなは、3月5日の第3回では「とのさき」、3月6日の第4回では「とのざき」で異なっているが、正しくは「とのさき」だろうか。
→外崎尋常小学校は外崎国民学校を経て、1947年に他校と合併して弘前市立豊田小学校となって現在に至る。
現在の住所では、北から外崎-豊田-小比内という位置関係。

・担任の勧めもあり「旧制の県立弘前中学」を受験。「私の小学校からは、1人私だけが受け」、成績トップで合格。「外崎尋常小学校からストレートで弘前中に進学したのは3人目」
・「(中学)4年生になった昭和18(1943)年の夏休みには、青森県の南部地方へ開墾の勤労奉仕に招集され、秋には陸奥湾の小湊海岸から野辺地海岸までの一帯で」県内他校と合同軍事教練。
・翌年「7月末には、横浜の日産自動車への学徒勤労動員」
横浜では食べ物に困り、実家から「リンゴが送られてくると、近くの中華街に行って中華麺と交換し、帰ってから煮て食べました。おいしかったですね。」
・「弘前中学校の卒業式は昭和20(1945)年3月、学徒勤労動員先の横浜市で行われました。」「(空襲の恐れがあり)鉄かぶと、防空頭巾を持参しての卒業式」
・「旧制の弘前高校(弘高)に合格しており、卒業式後は弘前に戻れると思っていたのですが、戦争が激化し授業開始は8月からとなったため、横浜に残って工場で作業を続ける」しかし、「(横浜大空襲があり)6月には弘前に帰ることができました。」
→今では考えられないことばかり。平和ほど喜ばしいことはないと思える。

・「弘高は1年間の寮生活が義務付けられていました。私も市内に実家があるにもかかわらず入寮しました。」「寮は終戦後にいち早く学生による自治が復活、自由闊達な雰囲気」
・東京などの生徒が「食糧難や空襲から逃れようと入学し」、「志願倍率は15倍もありました」
・当時は定員の関係から「高校に入ってしまえば、どこかの国立大には潜り込めるような具合でした。」
→難関だったのか入りやすかったのかよく分からないが、ある意味今と同じ「全入時代」だったのか。
【21日補足】分かっていたつもりで勘違いしていたが、旧制高校とは現在の「大学の教養課程」におおむね相当するそうだ。だから、教養から専門に進むに当たって、(大学は別になるとはいえ)全入ということであり、今の感覚からすればある意味当たり前のようにも思える。

旧制弘高といえば、太宰治と…
・「同期にはNHKアナウンサーとして活躍した鈴木健二さんもいました。そういえば兄の鈴木清順さん(後に映画監督)もいて、彼は6年しっかり通い、私たちと一緒に卒業しました。」
※旧制高校は3年制。6年在籍できた

弘高から、1948年に東北大医学部へ進学(当時は4年制)。北杜夫と同級。
「(1、2年の)基礎医学の一番の難関は「本川生理」と呼ばれた本川弘一教授(後に東北大学長)の第2生理学の試験でした。」
→もしやと思って調べてみたら、やはり。「歌う生物学」で有名な本川達雄氏の父。そういえば達雄先生を最近テレビで見なくなったが、東京工業大学教授を今年でやめていた(定年退職か)。弘一氏は1903年生まれ、1971年没。
【2015年5月31日追記】テレビで久々に達雄先生をお見かけした。2015年5月31日放送のTBS「林先生が驚く初耳学!」で、ヒトデの権威として東京工業大学名誉教授の肩書。頭の毛がなくなっていた!

・医学部卒業後1年間の「インターンは古里の国立弘前病院で行いました。」
→弘前大学医学部附属病院ではなく、国立病院。
記事での補足はなかったが(知らない人は大学病院と混同するかも)、現在は「独立行政法人国立病院機構 弘前病院」。弘前大学(医学部以外がある本部)の向かいにあり、旧陸軍病院の流れを汲んでいる。起源は1897年までさかのぼり、1949年の大学病院よりもずっと古い。

インターン終了後、弘前大学医学部の小児科医局へ。
1957年に秋田県花岡町(現・大館市)の花岡鉱山病院(同和鉱業の経営。1978年閉院)に小児科医長として赴任。
1961年に八戸市民病院。

開業を考え、弘前か妻の実家(稲川町)に近い秋田県湯沢市中心部でと考えた。
1963年に湯沢で開業し、後に秋田県内初の休日急患診療所開設に尽力。

・1969年に学校医になった際、「健診の前に、これまでにかかったことのある病気、現在治療中の病気、健康上の心配事などを父兄から提出してもらうようにした」「この方式は後に、全県に広がり、より詳細なアンケートが実施されるようになりました。」
→そう言われれば、学校の健診でそういう問診票みたいなのがあった。どこでもやってると思ったが、この方が始めたのか。

・「花見とねぷたには毎年、医院の看護師や事務員を連れて出掛けています。30年ほど前に実家の所有地で温泉を掘ったところ、見事に湧き出て、温泉付きの小さな家を建てた(のでホテルを取らなくて済んでいる)」
→うらやましい!

※「外崎」のふりがなもそうだが、文中で旅行先として「不老不死温泉」という記述があった。正しくは「不老ふ死温泉」ですよ。魁さん。


ざっとかいつまんでしまったけれど、こんな人がいて、こんな時代があって、そして今があるということか。
連載では、石岡先生の医師になってからのことなど、さらにいろいろと語られています。興味のある方は、図書館などで古新聞(縮刷版は出していない)をご覧になるか、いずれ出版されるであろう「さきがけ新書」をお読みください。

【2017年1月20日追記】2017年1月19日、石岡氏は横手市で亡くなった。89歳。
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フォーラス・フォンテ

2014-04-17 23:46:40 | 秋田のいろいろ
秋田駅前の秋田フォーラスでは、西側と北側の壁が3月中頃(リンク先中ほど参照)から足場で覆われ、何かの工事が行われていた。
(再掲)着工前
現在は、
足場を撤去中
足場の下には、きれいになった外壁が姿を現した。

単なる外壁のリニューアル工事だったようだ。

従来は(汚れていたものの)純白に近い色だったが、リニューアル後は若干クリーム色というか茶色味がかった。
どことなくカキッとした印象を受けるようになり、看板などがない面であることもあって病院か何かにも見えてしまう。

【19日追記】外壁のリニューアルがされたということは、閉店や建物のこれ以上の改装の計画は当分なく、フォーラスは営業を続けるということなのだろう。
※フォーラスは2017年に大規模にリニューアルされることになった。



駅前からもう1つ。
旧イトーヨーカドー秋田店だった「フォンテAKITA」地階に入る食品スーパー「ザ・ガーデン自由が丘 西武 秋田店」。
こちらも3月下旬から、売り場の一部を封鎖したり、一部レジを移動したりして、改装工事が行われていた。

最終的には、フロア西側・レジ外から見て左端の細長いスペースを完全に囲って中で何やらやっていた。学校の教室を縦に2つ半くらい並べたほどの空間だろうか。従来は、酒類や少々の肌着類、セブンプレミアムの食品をまとめた売り場になっていた。(セブンプレミアムは、それぞれの分野別の売り場にも重複して置かれていた)
囲いの中からは、内装材のにおいらしきものが漂ってきたので、それなりに大掛かりに思え、どのように変わるのか期待していたが…

今日久々に行ってみると、工事は終わっていた。
どうなったかというと、最後に工事していた場所が「空きスペース」になってしまっていた!

立ち入れないようになっていて、「テナント募集中」という紙が出ていた。
ということで、「ザ・ガーデンの売り場面積縮小」が目的の改装だったことになる。拍子抜け。

この影響を受けて、ザ・ガーデンでは酒のスペースや冷蔵コーナー周辺の通路が狭くなったものの、客としてはそれほど影響はなさそう。
【5月4日追記】イトーヨーカドー時代から、チルド飲料・乳製品・デザート類の冷蔵ケースの裏側(背中合わせ)には、冷凍食品・アイス類と向かい合わせで、PETボトルや缶の清涼飲料類(冷蔵ケースと冷蔵でない棚半分ずつ)が置かれていた。今回の改装により、ここは酒類売り場になってしまった。清涼飲料は、遠く離れた肉・魚売り場寄りの惣菜・弁当コーナー近くの以前はサラダやおかずが陳列されていた場所になってしまい、客の動線としてもふさわしい場所なのか疑問。

ザ・ガーデンにとっては、イトーヨーカドーの食品売り場そのままは広すぎたのだろうか。フォンテへ払う家賃を多少なりとも節約する目的もあるかもしれない。
空きスペースが埋まってくれればいいけれど。

【19日追記】
後継テナントが決まっていない状態で縮小工事をしたとなれば、フォンテ側でなくガーデン側の意向で面積を縮小したと考えるべきだろう。ただ、あの程度の面積縮小で、家賃がどの程度安くなるのか、ちょっと疑問。
フロア内での位置としては突き当りだから、入る店の業種や形態を選びそうでもある。

【20日追記】改めて縮小されたスペースを見てみた。
壁で隔てられて3つに区分されていた。それぞれの大きさは均一でない。
北側(エスカレーターやガーデンのレジ寄り)には、テナント募集の紙が出ていないので、決まっているということか。
この区画は角地なので、ガーデン店内側のほか、エレベーター側からも出入りができる。3つの区画の中でいちばん広いのが見て分かる。

残りの2区画がテナント募集中。掲示には坪数も表示されていて、中央が約19坪、奥の南側が約16坪。

【8月2日追記】8月2日に、テナント募集中だった2区画に新しい店がオープンした。
2区画を一緒に使った「銘店おばこ」という店らしく、アジア風の雑貨も扱う(「シャングリラ」という店名らしき表示もあった?)ようだ。
2つの店名からすると、卸町の「秋田県産株式会社」が経営すると考えられる。

【10月2日追記】この後、空いていたエレベーター寄りの区画も埋まった。
10月1日頃に「クリーン&グリーン リアルキッチン」という店がオープン。贈られた花の札は「フジイリアルキッチン」宛。台所・家庭用品や衣類を売っているようだ。
全国各地の百貨店に店を出しているようで、モコミチさんが使っているキッチン用具も扱っているらしい。

【2015年4月10日追記】2015年4月10日には、「銘店おばこ」だった場所がすっからかんになっていた。3月末には営業していたけれど。
同日現在、フォンテの公式サイトのフロアガイドでは銘店おばこが存在しているものの、1年経たずに撤退ということか?【2015年4月23日追記】その後、フロアガイドからも削除された。
【2016年3月18日追記】2016年3月17日にリアルキッチンのほうもなくなっているのに気付いた。(2月中はまでやっていたはず)これにより、どちらも再び空き空間となってしまった。
コメント (7)
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運輸安全マネジメント

2014-04-16 23:48:39 | その他もろもろ
安全運転とバスについて。

少し前、静岡県中央部で独占的に展開する静岡鉄道のバス部門「しずてつジャストライン」の一般路線バスに乗った。数年ぶりの利用だったが、変化があった。
今までは、よくある地方のバス会社といった感じで、秋田のバス会社ともあまり差がなかったのだが。

運行中、バス停や信号待ちから発車するたびに、マイク・スピーカーを通して運転士のこんな声が聞こえてきた。
「左・前よし、右よし、車内よし。発車します」
さらに、右左折時にはいったん停車してからハンドルを切り、横断歩道通過時には速度を緩めて「横断歩道よし」とも言っていた。
信号待ちで長めに停車する時は、フットブレーキではなく「ホイールパーク」と呼ばれるパーキングブレーキの一種を使って停めていた。
※昔のバスやトラックは、普通乗用車と同じレバーを引くサイドブレーキだったが、2000年以降の新車は圧縮空気で制動する「ホイールパーク」装備が義務づけられている。バスの場合は、ハンドル左横のレバーで操作する。

今回は、同じ営業所所属の年配の運転士と若い運転士のバスにそれぞれ乗車(3回乗ったのだが、2回は偶然同じ人だった)したが、どちらも上記の行動をとっていた。
営業所ぐるみもしくは全社的な取り組みだと思われ、交通事故防止のためなのは想像に難くない。以前、三重交通でも同じような取り組みをしていたが、それよりも厳重に感じた。これだけしっかりやれば、事故は起こらないだろうなと、感心したものだった。

帰ってから調べてみた。
しずてつジャストラインがこの取り組みを始めたのは、歩行者の死亡事故を引き起こした反省を踏まえてらしい。
やらないよりはやるべきなのは当然だが、事故を引き起こして初めて対策をするというのでは、順番が違うと思う。
事故が起こる前から防止の取り組みをしていれば、事故は防げたかもしれないのに。この点では残念。

ここで同社の車両について少々。新しい大型車が多いしずてつジャストラインだが、古い中型車もちらほら。
静岡市清水区で見かけた車両
上の写真は、富士重工「6Eボディ」を載せたいすゞ車。少なくとももう1台同型車(25-97)が現役。
秋田では先月時点で10台の在籍(いずれも他社中古)を確認していて、負けていない。

この車で変わっているのは、
非常口の窓が開閉すること!
こんなバスが存在するとは夢にも思わなかった。目立たない点だが、かなりの珍車ではないだろうか。
【2015年6月13日追記】1978年末公開の映画「男はつらいよ 噂の寅次郎」に映る、静岡県の大井川鉄道のバス(千頭駅から下泉行きにという設定)も、非常口が開く構造のようだ。いわゆる「バス窓」の車両で、非常口部分だけが前後にスライドする構造。
【2018年12月7日追記】さらにもっと新しいバスでも、非常口窓が開くものがあった。同じしずてつジャストライン相良営業所の富士重工7Eボディの車。上の写真の6Eボディと同じように窓が上下2分割されていることが、2017年3月放送の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」で、車内外とも確認できる。

【17日追記】もう1つ変化があった。Suicaで運賃を支払えるようになっていたこと。以前からあった自社のICカードと合わせて、利用者は多かった。
2017年春のしずてつジャストラインについて


さて、我が秋田のバス会社。
記憶する限り、死亡事故はかなり長い間起こしていない。
たまに「かつての秋田市営バスに比べて、この会社は運転が乱暴」という話が聞こえることもあるが、最近はそうでもないと思う。(そうでなくもないのもまた真ではある)
そもそも、市営バスにだって乱暴な運転士は一部に存在した。

新聞にバスが絡む軽微な衝突事故などが掲載されることはあるが、それはたいてい、積雪時にスリップした車がぶつかって来たような、一般車両側に起因するものがほとんどのように見受けられる。

事故が少ないという点では、安心できる。か?
そうではないと思う。運良く、偶然、大きな事故が起きていないに過ぎないと思う。

昨年、A線のB四丁目だか三丁目で、車内の乗客が転倒してけがをする事故があったと、新聞に掲載された。
記事は「発車直後に転倒した」とあったはず。停車直“前”の転倒なら、気の早い客が立ち上がったという、客の責任も大きいアクシデントだが、発車直“後”となればどうだろう。運転士が車内をよく確認したり、「発車します。ご着席ください」と一声かければ、起きなかった事故かもしれない。
事故扱い・ニュースにはならないが、他にも、似たような事例が起きたという話も聞いた。
※一般に、乗客が転倒するなど車内事故が発生すれば、その運転士は歩行者に対する事故を起こしたのと同様の責任を問われるそうです。乗客としては、不用意に車内を立ち歩かないよう心がけて協力するべきだが、だったら運転士側ももっと配慮して運転してほしいものでもある。

今は、けが人程度で済んでいるが、それは運がいいだけ(けがをしたお客には気の毒ですが)であり、運が悪ければ重大な事故につながらないとも言い切れないのではないか。
多少面倒かもしれないが、しずてつジャストラインのように目で見て、声を掛けるだけで事故の可能性を減らせるはずなのに、どうしてやらないのだろう。費用だって別段かからないのに。大きな事故が起きていない今だからこそ、取り組むべきだと思う。

もちろん、現在でも(声は出さなくても)確実に安全確認している運転士は大勢いるし、会社としても安全運転の研修などは実施しているようだ。だが、中には、手を抜いていると思わざるを得ない場面にも遭遇する。まして、しずてつジャストラインの取り組みを知ってしまえば。
秋田のバス会社(というか、しずてつジャストラインのような取り組みをしていない各バス事業者)はしずてつジャストラインの取り組みとそれに至った経緯を知っているだろうか。知っているとしたら、自分の会社で同じようなことがあったら…という想定・想像はしているのだろうか。



今回調べていたら、「運輸安全マネジメント」の存在を知った(前から何となく分かっていたけど)。
国土交通省のホームページ(http://www.mlit.go.jp/unyuanzen/outline.html)によれば、2006年に「運輸事業者の皆様自らが経営トップから現場まで一丸となり安全管理体制を構築・改善することにより輸送の安全性を向上させることを目的」に始まった制度で、バスやトラックの運行事業者に主体的かつ全社を挙げてに安全運行対策を取り組ませようとするものらしい。
策定した内容は「運輸安全マネジメントに関する取り組み」や「運輸安全報告書」として各社のホームページに掲載されていることが多く、例えば(貨物輸送者として)たけや製パンでも掲載している。

しずてつジャストラインでは、運輸安全報告書において、上記の声を出して確認することや、右左折・横断歩道通過の方法などが記載されている。他にも、研修や街頭監査するとかいろいろ書かれている。
しずてつジャストライン以外でも、日頃の運転や点検体制のみならず車両や設備(ドライブレコーダーなど)の改善に言及する会社も多い。それらが実行されれば、かなり安全に運行できることだろう。
「絵にかいた餅」になる恐れもあるが…

他のバス会社の運輸安全マネジメントを見てみた。会社によって内容にかなり差がある。
まず、秋田の某社(平成25年度)。
秋田市内の2つの営業所別に、目標とその達成の具体策を示している。
五城目と男鹿は記されていないが、その2つは営業所業務そのものを子会社に委託しているためだろう(子会社と連携を取る旨は記載されている)。
A営業所は当たり障りがないことだが、R営業所は「回転地での事故ゼロ(特に回転地)」が目標(カギカッコ内は原文ママ)。
カッコ内「特に回転地」が意味不明なのもおかしいが、そもそも回転地って基本的にはバスの占有地である。乗降客との事故は可能性があるし、間違って一般車両が入ることがあるかもしれないが、そんなに事故が起こるものだろうか。
その具体策で「ドライブレコーダーを活用」とか「除雪状態が悪い時は無理せず迂回運行」とあるのが、分からない。それらが回転地の事故防止になるの?
※この会社でもドライブレコーダーを搭載しているのか。【20日追記】たしかに、小田急中古のノンステップエルガミオには、運賃表示器の下辺りに「ドライブレコーダー取付車」とかいう黄色い表示があって、それらしきものが設置されていた。

今年度はどんな目標なんでしょうか?
「道路上での事故ゼロ(実質的には減少)」とかA線の事故を踏まえた「車内事故撲滅」を目指してほしい。
【2018年12月7日追記】その後、2018年には、A営業所管轄のO団地線のO停留所で、発車時に乗客が転倒する事故があった。新聞の社会面に小さく載っただけで、大事には至らなかったようだ。事故の状況は詳しく分からないが、現場は立ち客がいるほど混雑する区間ではないはずだし、周りの交通量を考えてもゆっくり走行することは可能なはず(時間帯も、混雑せず明るい頃だったと記憶する)。運転士が車内を確認し、アナウンスしてから動かせば防げた事故だったように感じられてならない。相変わらずのバス会社である。


他社と比べると、全般に中身が薄いように感じた。他社が「絵にかいた餅」だとすれば、それ以前の「絵にかいたすいとん」程度のような。
あと、自分が事故を起こさないことばかり書き連ねて、お客への配慮が少ないようにも感じる。上記、「除雪状態が悪い時は無理せず迂回運行」とあるが、それはお客に不便を強いることである。それに不慣れな迂回経路では、また違った事故を起こしてしまうかもしれない。
例えば「同時に道路管理者へ早期の除排雪を依頼し、迂回の解消に努める」とか「速やかに掲示やホームページでお客さまへ迂回の周知を行う」とか書き添えたらどうか。

あとは、「バス停誤通過の撲滅」も入れたらどうでしょ。
それにより、通過されたとあわてた客が転倒する車内事故、急停車して後続車に追突されるなど、事故防止にもつながると思う。もちろん乗客も安心して乗車できる。
もしくは、「弊社と仲が良い小田急バスに協力を仰ぎ、安全運転のノウハウを教えてもらう」とか。

他社ではよくある「社長(役員)が年に○回以上、全営業所を巡回し…」というのもないようだし。(経営者が現場にノコノコ来られても、迷惑なのかもしれないが…)
単純な誤字もあった。
経営者たちは果たして目を通しているのだろうか。ほんとうに全社を挙げて取り組んでいるのだろうか。

そういえば、NHKのローカルニュースで、昨秋の観光キャンペーンの映像が流れていた。
秋田駅の改札口で、かすりの着物のおばこに観光客がカメラを向けるシーンがあったのだが、その背後で、ぼーっと突っ立っていたのが、ここの社長さん。そこは気を使ってよけてくださいよ!


一方、青森の弘南バス。
弘南バスの平成23年度のマネジメントの資料「平成22年度経営方針 名実ともに地域No.1企業を目指す」では、取り組むことが細かく記載されている。
「身だしなみに気を配る」「職業運転士としての自覚を持つ」、車輌美化として「車内掲示物の確認、撤去」「(車内外、ガラスの)清掃」「定期的な板金作業実施」といった安全運行には直接関係ない項目、窓口や電話の対応、営業所の経費節減のため「ドアは開けたら閉める」「本社営業所間の情報伝達をFAXからメールへ」、貸切利用増のための営業活動といったことにも言及しており、全社的な取り組みであることが分かる。見習うべき会社がありそうだ。

「乗務員を呼ぶ際は(○○さん)」というのがあるのだが、じゃあ今まではなんて呼んでたの? 呼び捨て?

他にも弘南バスらしさを感じる箇所があって、おもしろい。
「お客様には優しさを持って接する(笑顔で応対、命令口調は×)」
→最初に断るが、少なくとも最近の弘前市内の弘南バスでは、接客態度が悪い運転士は見たことがない。
津軽弁の口調や言い回しが、遠来の人には乱暴に感じてしまうことはあると思う。最近は、白神山地などへ外国人も多く来るようになり、大変ではある。

「走行中の方向幕の操作禁止」
→方向幕とは行き先表示器。一般的には、LED式も、フイルムに印字した幕式でも、決められた数字を入力すれば、そのコマを自動的に表示する。
ところが、弘南バスの幕式のものは、自動停止機能がない。そのため、運転士が覗き窓から見ながら、「進む」「戻る」のスイッチを操作して表示を変えている。だから、正面の方向幕であっても、運転席から立ち上がらないと確認や操作はできない。
その操作を走りながらやらないということ。かなり“難易度”が高そうな行為だが、それをやった強者がいるのか?(信号待ち中はやっていいのかな?)

「降車ボタンの位置(座ながら押せる等)」
→正しくは「座ったまま押せる」ようにボタンの位置を改善しようということだろう。
今の新車はバリアフリー対応で降車合図ボタンの高さが決められているが、古いバスはまちまち。おかしな位置にボタンがある車もたまにある。秋田市営バスの194・195号車では、中ドアの戸袋の席のボタンがとても高い所にあって、座ったままでは手を伸ばしても押せなかった。

弘南バスでは企業の従業員送迎バスなど「自家用バス」だったものを中古で買って、路線用にしたものがある。最近は少なくなったようだが、弘前市外に多かった傾向。
「56122-10」(2008年撮影)
桜ヶ丘案内所所属(撮影当時は車庫機能があった)だった、1986年製の日野製中型車。子会社「弘南サービス」からの移籍車両のようだが、仕様としては自家用。窓の開き方からして、降車ボタンの位置は変則的だったはず。
元自家用ならば降車ボタンなどなく、弘南バスに来た時点で後付けされていた。ボタン自体はどこから持ってきたのかオージ製のちゃんとしたものだが、配線はホームセンターで売っているカバーを使ったりして、なかなか手が込んでいた。
その中に、押しにくい設置位置のものがあったのだろうか。
ただし、だいぶ前に乗った大鰐だか黒石の元自家用車両では、窓枠の下にボタンが設置されていて、これこそ押しやすい位置だと思った。

「(故障について)過去の事例から同年代、同型の車輌を点検修理する」
「廃車バスから活用できる部品を有効利用する」
→経年車が多い地方では、どこのバス会社でもやっていそう。
弘南バスの場合、上記のように種々雑多な形式と経歴の車輌があるから、「同年代、同型」でくくるのは大変そうにも感じる。
秋田の場合、自社発注か小田急中古のいすゞばかりだから、その点では楽でしょうか。


各社の自主性を重んじながら、安全運行をするのが運輸安全マネジメントの目的だとしても、ひとりよがりで意味がないことをやっていては、有名無実。他社の取り組みも参考にし、ほんとうに意味があってかつ実現可能な取り組みをしてもらわないと、役に立たない。
いくら注意しても事故は起こるものであるが、極力避けることはできるはず。各社には、そのことを忘れないで、できることはやってほしい。国土交通省ももっと口出ししてもいいのではないだろうか。
運輸に関わる者が最優先・最重要視することは「安全」である。そして、お客や地域住民の立場からすれば、地元の路線バスが事故を起こす姿なんて見たくないのです。
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今年の桜/サンクス

2014-04-14 23:58:23 | 津軽のいろいろ
北東北でも、桜のつぼみが膨らんできた。
秋田市ではソメイヨシノは今週末(今週はずっと好天なので、満開の頃に雨にならないか心配)には開花しそう。

となると、弘前。
来週前半に開花し、ゴールデンウイーク前半が満開と重なりそうで、にぎわうに違いない。

青森県外では知らない人が多いと思われるが、実は弘前公園(弘前城)の桜の定番スポットである、下乗橋から見る「天守閣とお堀と桜」の組み合わせは、今年の花見が終われば、その後10年ほど見られなくなる
(再掲)冬の下乗橋
天守閣の下の石垣に異常が見つかり、修理が必要になったため。
お堀を埋めて、天守閣を本丸中央へ曳き屋(70メートル?)して、石垣を修理して、元に戻すという大がかりな工事だそうで、10年かかるのも無理はない。
小さいとはいえ現存天守閣を動かすなんて、姫路城の改修工事以上の大事業のような気もする。工事中の模様も興味深いことだろう。
※天守閣が曳家されるのは2015年夏の予定なので、来春は埋まった堀と天守閣の組み合わせは見られるようだ。

下乗橋はあまりに定番スポットすぎるし、人が多いので、僕はさくらまつり中は敬遠して素通りしてしまうのだが、次にいつもの姿で見られるのが10年後となれば…
いつ行くの? 今年でしょ!
という気がしてきた。→その後行った時の記事

今年も、花見向け臨時列車が運行される。
秋田からは恒例となった583系電車による「快速 弘前さくらまつり号(一部指定席)」とクルージングトレインによる「快速 弘前夜桜観賞号(全車指定席)」。
583系のほうは、老朽化から車両自体に乗車できる機会はあとどれくらいあるか。これも乗るなら今でしょという気がする。

今年は運行期間と桜の見頃がちょうど重なりそうだから、指定は満席、自由席は立ち客で満員になってしまいそうな予感もしなくはない。(臨時列車や特急に花見客が集中するだけで、定期の普通列車ならさほど混まないのだけど)

日帰りでもいいけど、どうせ行くなら、弘前に泊まって夜桜と人が少ない早朝の花見も楽しみたいところ。
見頃が平年より前後した年ならば、直前でも弘前市中心部の宿を通常並みの料金で確保できたことがあった。
しかし、今年は今のところ、弘前市内や大鰐温泉では、満室もしくはあってもずいぶんと高い値段の部屋しか残っていない。

鉄道で1時間ほどで移動できる、青森市や五所川原市、秋田県大館市なら、通常価格の空室がまだまだあるのだが、それだと夜桜・朝桜を見るのは厳しいから、悩ましい。

なお、昨秋に続いて、弘南鉄道大鰐線利用者への公園無料入場措置や公園周辺にある2つの趣きのある建物の公開、さらに近年のさくらまつり中に行われている弘前市役所屋上の開放も実施される。
【15日追記】弘南バス一般路線バスの弘前駅~公園周辺の運賃100円均一も、今年も実施。

【4月29日追記】弘前公園内が満開となった4月29日には、フジテレビの昼のニュース「FNNスピーク」がトップで伝えた。空撮映像やCGを使っての天守閣の工事の解説あり。



最近見聞きした、弘前の変化。
以前紹介した、柴田女子高等学校の円形校舎がある狭い道路を挟んだ向かい側に、コンビニのサンクスがあった。
2013年5月撮影Googleストリートビューより
サンクスの上は住居になっているのだろうか。そこへつながる階段の手すりが、赤と緑でサンクスの色になっているのか? この向かいにあるアパートも同じ色使いで、オーナーが同じなのだろうか。

所在地は南富田町で、「サンクス南富田店」という店名だったようだが、これが今年2月末で閉店したらしい。

このサンクスは、僕がいた頃からあったから、サンクスが青森に進出して間もない頃から15年以上営業していたことになる。
高校の近くだから需要はありそうだが、今はすぐ近くにローソンができたので、負けてしまったのか。

それでも弘前にはサンクスは多く、駅ビル内をはじめとして弘前駅から弘前公園・弘前大学一帯だけで6店舗が営業している。

※サンクス跡は改装後、2014年6月頃に美容室になったのが、ストリートビューで確認できた。


余談だが、昔は、桔梗野にサンクスがあった。その名も「サンクス弘前桔梗野店」。
今は桔梗野3丁目に「サークルK弘前桔梗野店」があるが、それとは別。
西弘前(弘前学院大前)のサンクス(これは昔はサークルKだった)の交差点から西へ進んで、線路を渡って、西ケ丘町の坂を下って、土淵川の橋を渡ってすぐの右側にあった。現在は建物がそのままクリーニング店になっているようだ。
桔梗野5丁目で、桔梗野エリアの南東角に当たる。

1999年にはまだあって、卒業間際に利用した時のレシートが残っていた。
おやつと朝食を買ったのかな?
当時は感熱紙のレシートは既に普及しており、レシートの見かけは現在と同じものになっていたと思っていたが、改めて見てみれば文字は現在のとは違う。
ドット数が少なく、文字が大きい。店名や宣伝文は扁平で、ワープロ専用機の「横倍角」のよう。宣伝文や商品名はカタカナばかりで、ひらがなや漢字は使えなかったのだろうか。
ちなみにわりと最近のサンクスのレシート。ロゴの「K」の帽子と靴が黒くなっている
※そういえば最近はサークルKサンクスにめっきり行かなくなったなあ… 1年以上行ってない。


レシートひとつでさえ、15年間で変わっていないように見えても、知らないうちに変わっていた。※同じ頃のイトーヨーカドーのレシートの変遷はこの記事後半。
10年後、今と同じ弘前公園の天守閣周辺の姿が見られたとしても、世の中はどう変わっているだろうか。


【24日追記】弘前公園の花見といえば、「津軽版ババヘラ」といえる「チリンチリンアイス」。
秋田のババヘラアイスより量が少なく(色は単色)、価格が安いのが特徴で以前は100円だった。
4月24日の陸奥新報「冬夏言」によれば「150円になっていることに気付いた。」そうだ。(公園以外では以前から150円のこともあったそうだ)
それでも200円はするババヘラより安いけどね。
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帰ってきたE3・青い510

2014-04-13 18:16:31 | 秋田の季節・風景
気温は低めながら、晴天が続いて春らしくなってきた、最近の秋田。
今日の秋田市は、最低気温はマイナス0.1度まで下がって、昼は10度を超えている。
先週からツバメを見るようになった。秋田地方気象台では8日に初見を観測(平年と昨年はいずれも18日なので、だいぶ早い)。
12・13日は秋田市の星辻神社のだるま祭り。開催中は、多少なりとも雨がぱらつき、雨が降らなかった年は火事が多いという言い伝えがあるのだが…
夜もいい天気だから、星空を楽しめる。早い時間だと西の空にまだオリオン座が見える(20時くらいまで)。その上に見えるのが「ふたご座」であることを、初めて知った。

バッケ(ふきのとう)も伸びた。もう食べられないね
上のふきのとうとE6系・Z10編成の写真は、金照寺山と一つ森公園の谷間・楢山の秋田車両センターにて。(だから電車は止まっています)

このように車両センター・線路と並行する道路の境には、枯れ草の中にふきのとうやスイセンが芽吹いて彩りを添えていた。
こちらは黄色い水仙
スイセンの後方に注目。昨年でなく今年(先週)の撮影です。
なんとE3系が来ている!
E3系とE6系
パンタグラフは上がり、尾灯が点灯していた。

3月14日をもって、秋田新幹線から引退した初代「こまち」のE3系電車。
廃車や山形新幹線への転用される車両は既に姿を消したが、最後まで残った車両は、その塗装のままで東北新幹線東京-盛岡間で引き続き運行されている。
いずれにしても、E3系が秋田に来ることはもうないと思われた。

しかし、実際には、盛岡以南を走っている車両は、今もちょくちょく秋田車両センターへ来ているようだ。
盛岡-秋田をわざわざ回送扱いしてまで秋田へ来る目的はなんだろう。
考えられるのは、定期的な検査を行っていることぐらいだが、そんなの仙台(新幹線総合車両センター)でもできそうに思える。仙台に余裕がないのか、機器や人員の都合なのか。

秋田新幹線用としては最後に製造された「R26」編成だった

側面の「こまち」ロゴが撤去されて空白になったのが寂しい
引き続き秋田でE3系が見られるのは、うれしいことではあるが、乗ることはできない。
※その後、E3系を使った団体列車が設定された。この記事後半参照。

このようにタイミングが合えば、車両センター周辺の道路からフェンス越しに見ることができます。その際は、近隣への迷惑、溝への転落等にはご注意を。もちろん、
「線路内立入り禁止」!
上の写真は車両センターのフェンスに出ている看板。
怖い顔の列車は初代山形新幹線「つばさ」だった400系電車っぽい。塗装もその初代塗装に似ているが、窓回りは200系っぽい。屋根上に「検電アンテナ」が出ているのはリアルだが、パンタグラフはない。
蝶ネクタイを着けて、汗をかいてびっくりしている(?)のは、頭の上に耳が出ていて肉球があるので人間ではない。顔はNHKおかあさんといっしょ「にこにこぷん(1982~1992年放送)」の「じゃじゃまる」に似ているが、ヒゲはない。
※じゃじゃまるの本名は「ふくろこうじ・じゃじゃ丸」、種は「うらおもて山猫」

【2020年7月21日追記】その後、2019年春にE3系(R21、R22編成の2本)は秋田から仙台へ転属。引き続き東京-盛岡で運用され、秋田へ来ることはなくなったようだ。



さて、以前も少々触れたが、昨年から、いわゆる日本海縦貫線(秋田では奥羽本線~羽越本線)の貨物列車をひくEF510形電気機関車に、青い塗装のものが登場している。

EF510形電気機関車は、JR貨物が国鉄時代から使ってきたEF81形電気機関車の後継として2002年(量産は2003年)から導入している。「ECO-POWER レッドサンダー」という愛称が付けられたように、ボディカラーは赤。現在まで23両が製造され、富山機関区を拠点に大阪と青森の間を中心に活躍している。
(再掲)赤いEF510形 ※関連記事

一方、JR東日本でも寝台列車やJR貨物から受託した貨物列車などでEF81形を使っていて、当然それも老朽化して更新が必要になった。
イチから新型を設計するのも非効率的だから、EF510形をJR東日本仕様にしたものを2009~2010年に導入。製造番号が飛んで501番から始まる15両が、東京の田端運転所に配置されていた。
これは、赤いボディではなく、ブルートレイン(寝台特急北斗星)の塗装に合わせた青(501~508、511~515号機)と寝台特急カシオペアに合わせた銀色(509、510号機)。

ところが、2013年のダイヤ改正で田端運転所の貨物列車受託が廃止。同所のEF510形に余剰が発生してしまった。
その余った分がJR貨物が売却され、富山へ転属して日本海縦貫線の貨物列車用に使われることになった。それが塗装変更されずにそのまま走っているので、青いEF510が貨物列車をひくことになった。
※JR東日本にしてみれば、JR貨物の都合に振り回されているようにも感じなくもないけど…

売却されたのは501~508、511号機。509と510が譲渡されなかったのは、その2両がカシオペア塗装であるためだと思われる。
転属後、おそらく最初に日本海縦貫線を走り始めたのが、511号機。2013年12月下旬には、赤いEF510に混ざって秋田にも姿を現し始めたそうだが、1両だけなのでなかなか見るのが難しかった。
僕が511号機を初めて見たのは、3月に入ってからだった。
その後、ちょうどダイヤ改正頃から511号機以外の青いEF510も見るようになった。その結果、日本海縦貫線のEF510形は計32両となり、3分の1弱が青なわけで、沿線で見る感覚としてもそんな感じだ。
ただし、EF510には、秋田を深夜・早朝に通過したり、北陸方面だけを行ったり来たりする運用もあって、一定の確率で赤や青が見られるわけではない。

青い504号機がひく貨物列車
秋田に住む鉄道が好きな者としては、秋田を“青い機関車”が走るのには、違和感とまではいかなくても、隔世の感を覚える。
なぜなら、旧国鉄では、機関車の車体色は、その形式が対応する電源によって決められていたから。
青は直流電源専用を示す色であり、交流電化区間である秋田では走れないから見られなかった(土崎工場に出入りする時には、他の機関車にひかれて通るけど)。
子どもの頃はそんな規程など知らなかったので、「どうして秋田の機関車は赤いのばっかりで青がないんだろう?」と思いながら、青い機関車の写真を本で見ていたものだった。
青い機関車が青いブルートレインをひくのは、統一感があって憧れていた。(一方で、日本海やあけぼのといえば、赤い機関車がブルートレインをひく姿が連想され、それはそれで親しみのある光景ではある)
秋田でやっと見ることができた“青い機関車”は、金色の帯も入っていて、ブルートレイン牽引用にふさわしい塗装だが、今はそれが貨物列車をひくとは皮肉。

青いEF510は、国鉄時代の青い機関車(「青15号」という色が指定されていた)よりも、明るいブルーに感じる。
これは汚れていないピカピカの頃で、天気も良かったので特にきれいに見える

JR東日本からJR貨物への転属に当たって、側面の流れ星のペイントと「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」の文字は消された。
501号機。側面は型式だけ
側面はほぼ青一色になってしまい、「こまち」が消されたE3系と同じく、少々寂しい。とりあえず「JRF」のロゴでも入れとけばいいのに。
将来的には赤に塗り替えられて、「RED THUNDER」ロゴが入るのだろう。(ちなみに「ブルーサンダー」は上越線などを走るEH200形の愛称なので使えない)

「富山」の所属表記。保安関係の機器は一部交換されているようだ

今後、長距離の過酷な運用が続けば、
511号機
汚れが付着し、青がくすんでしまう(赤でも同じことですが)。

※この後、北海道新幹線が開業し寝台列車がなくなった2016年春までに、JR東日本に残っていたすべてのEF510がJR貨物へ売却された。カシオペア塗装機も含まれているが、今後団体列車で運行されるカシオペアは、貨物から機関車を借りて運行するとのこと。この記事にて。


最後に、土崎駅・改札口上の発車標。
秋田駅の発車標よりも新しいため、LEDが明るくて見やすい。列車の時刻などはゴシック体だが、案内文は明朝体でスクロール表示できるようだ。かつてのワープロ専用機や魁新報号外(簡易作成版)でおなじみのモトヤ明朝かな?
「ご就職・ご入学おめでとうございます」
土崎駅も心憎いメッセージを流すなと思ったら、続けて「定期券を自動改札機に入れたら、取り忘れないでね」という趣旨のご忠告でした。(ホーム上の発車標にも表示されていた)
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はなまるマーケットの思い出

2014-04-10 23:45:34 | 昔のこと
なかなかまとまらずに後回しになってしまっていたテレビの話。

2014年3月をもって、2つの長寿テレビ番組が終了した。※昨年末の記事
フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」とTBS「はなまるマーケット」である。(以下、「いいとも」「はなまる」と略す場合あり)
笑っていいともは1982年10月4日から31年半・8054回、はなまるマーケットは1996年9月30日から17年半・4471回続いた。(比べてしまうとはなまるが見劣りするが、どちらも偉大だ)
終了の発表は、いいともが2013年10月22日火曜日のエンディングに、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が突然現れて、タモリに「確かめに来た」と尋ねる形。はなまるは、11月6日水曜日の冒頭で岡江久美子が「まずは皆さんにご報告があります」として、3月で「ゴールを迎える」ことを明らかにした。
どちらも週5回の生放送の帯番組(はなまるの金曜日は録画の場合があったらしい)であり、しかも最初から最後まで司会者が変わらなかった上でこの年数続いたというのは、日本のテレビ史に特筆できることだと思う。


今回は、「はなまるマーケット」についての思い出。
ただし、熱心に見ていたわけではないので、断片的なものです。
※以下の内容は、個人的な思い出です。間違いや偏った感覚によるものも多々あるはずです。
※敬称の有無等については他意はありません

はなまるが始まった1996年は、アトランタオリンピックの有森裕子の「自分で自分を褒めたい」が流行語になり、プリクラ、アムラー、ルーズソックスなどが流行した年。
消費税率が3%から5%に上がり、長野新幹線と秋田新幹線が開業し、フジテレビがお台場に移転したのは、翌1997年のこと。パソコンやインターネットがやっと普及し始め、携帯電話を持たない人もまだ多かった頃。

はなまるマーケットを簡単に説明しておく。
TBSが自社のオウム真理教を巡る問題により、ワイドショーを全廃することとなった1996年秋に、朝のワイドショー「モーニングEye」の後継として始まった情報番組。(「モーニングEye」は12年続いた番組で、最後の司会は先日亡くなった山本文郎と現フリーの渡辺真理)
朝8時30分始まりで、2005年春までは10時20分、以降は9時55分までの放送。青森テレビなど一部ネット局は当初から9時55分で打ち切っていた(いわゆる「飛び降り」)。
最終的には多くの地方局にネットされ、他キー局のワイドショーから鞍替えする地方局もあった。秋田県のように、一切放送されなかった地域はきわめて少ないようだ。

司会は、岡江久美子と薬丸裕英。他に曜日ごとにタレント1名が「曜日レギュラー」、TBSの局アナ1名(初回から2004年までの斎藤哲也アナウンサーが印象的だが、後任者も2013年までは1人で担当。以後末期は曜日替わり)が出演。

時期によって若干の変更はあったが、番組の流れはとしては、以下のようなもの。※コーナー名は正式でなかったり「new」が付くなど異なる時期あり。
8時30分に出演者が並んで「オープニングトーク」で始まる。日常の小さな発見、週末にやったこと・出かけた場所の話、「新品のタオルを下ろす時、1回洗濯してから使うか」といった身近な話題。テロップで今日の記念日や誕生日の有名人が表示される。
アナウンサーがこの日の番組内容を紹介し、岡江の「今日も楽しく行きましょう。『はなまるマーケット』オープンです!」の声とともに、出演者が手のひらをくるっとやって(?)、タイトル画面。
【2017年12月27日追記】オープニングだったと思うが、薬丸さんが昔出演していた「2年B組仙八先生」の先生役・さとう宗幸氏の還暦祝いの会(2009年のはず)に出席した話をしたこともあった。

続いて、かつての「今日の目玉」、後の「とくまる」、現在のホームページでは「本日の特集」という名のメインコーナー。
料理、健康、旅行(観光地)などの中から、「味噌」とか「トマト」とか1つのテーマに絞って詳しく紹介。今はNHK「あさイチ」など、類似した番組もあるが、放送開始時は他ではなかったもので、これが主婦層に人気を呼んだのだろう。
特集は「はなまるアナ」と呼ばれる主にフリーアナウンサーが担当。初期から最後まで担当していた庄司麻由里(俳優 庄司永建さんの娘)、旗本由紀子、後期には時には夫妻で出演した富永美樹など。
【2016年8月26日追記】いつだったかは記憶にないが、このコーナーでおそらく麦茶について扱った時、「作った(抽出した)麦茶は、どのくらい保存できるか」というのをやっていて、煮出したものに比べて、水出しのほうが雑菌が繁殖しやすいから、当日中に飲み切るようにというのをやっていたのを覚えていて、水出し派の僕はずっと実行している。
【2016年10月3日追記】同じくいつだったかは記憶にないが、ナスだったか米ナスだったかを扱った時、米ナスの産地である秋田県上小阿仁村が取材されていた。農家の人に料理法を教えてもらったりしたのかな?

9時を過ぎた頃、もう1つのメイン「はなまるカフェ」。ゲストを呼ぶトークコーナー。「今日のおめざ」と「はなまるアルバム」が特徴的。
「今日のおめざ」は、ゲストが好きな食べ物を紹介し、トーク中にみんなで「おめざ(元は子どもの起床時に与える菓子類のこと)」として食べるもの。たまに「水」とか「自分(あるいは身内)が作った○○」みたいなのもあったし、朝から重い食事系があったりして、ホスト側は付き合って飲食するのが大変だったかもしれない。
一方、全国各地の隠れた銘菓的なものを取り上げることも多かった。それを全国各地の百貨店で販売する催事、「おめざフェア」が開かれている。(秋田ではやってないはずで、やってたとしても多くの客がチンプンカンプンだろう)
盛岡のカワトクでは、放送終了後の4月3日~9日に開催したし、他県でも開催されている。TBSホームページには「視聴者のみなさまへ感謝の気持ちを込めて、「おめざフェア」は4月からも全国の百貨店を巡回いたします! 」とある。【2015年の状況については末尾の追記参照】

「はなまるアルバム」は、ゲストが撮影した写真紹介。
当初はポラロイドカメラで撮影してタイトルを付けたもので、タイトルだけが見えるようにして数枚を掲出。写真を隠す紙を薬丸が剥がし、トークを進めていく。
末期には、デジタルカメラで撮影し、表示にはタッチパネルを使っていたようだ。
いいとものテレフォンショッキングと同じく、カレンダーにゲストの写真を貼っていた。(こちらはポラロイドかな?)

ほかには、2005年で終わっている「クイズママダス」。9時55分以降に編成されていた時期が多い。(終了に際して最後の2週間だけ復活した)
主婦などの視聴者と出演者がコンビになって回答するクイズコーナー。出演者内容は生活情報関連。
優勝者は、「は・な・ま・る・キャラクターはなまるくん」の5つの箱から1つを選んで、中の商品がもらえた。(「なるほど・ザ・ワールド」と同じ方式だが、箱はもっと質素)この箱は「はなまるボックス」と呼ばれ、斎藤哲也アナウンサーの激しいアクションと「カモン! はなまるボックス」の声とともに出てきていた。

最後は、岡江さんが「それではまた明日もはなまるでお会いしましょう。今日も1日はなまるな日をお過ごしください」と締めくくる。
こんな流れ。


僕が大学進学で青森に引っ越した時、楽しみの1つだったのが、秋田では見られない(当時は秋田ケーブルテレビも開局前)TBS系列の番組が見られること。
だからTBS系の青森テレビを好んで視聴していた。前も書いたけれど、「ビビッ!」というJNN共通のニュース速報の音に驚き、「筑紫哲也ニュース23」の井上陽水によるテーマ曲(1997年9月まで)で一日の終わりを実感したものだった。

入学時は、朝はまだ「モーニングEye」だったわけだが、1講目がない日はわりと見ていた記憶がある。
同時間帯の他局「生活ほっとモーニング」「ルックルックこんにちは」「スーパーモーニング」は、ほとんど見ていないはず。教育テレビの「ハッチポッチステーション」や「はじめ人間ゴン」は見ていたかな。

途中からはなまるが始まったが、放送第1回は、後期開始直前で秋田に帰っていて見られなかったのではないだろうか。
その後、モーニングEyeの流れで見るようになって定着し、1コマ目がなくてゆったりした朝を象徴する番組として認識していったように思う。

上記の通り、青森テレビでは途中の9時55分で終わっていた(「はなまるニュース」が終わった時点で「制作著作TBS」というテロップが強引に出ていたはず)が、そこで出掛ければ、10時20分からの2講目にはベストタイミングだった。


司会の2人は、当時は斬新であるとともに異例の人選にも感じられた。
薬丸さんが元シブがき隊なのは知っていた。「象印クイズ ヒントでピント」の回答者、はなまるより1年先に始まった「出没!アド街ック天国」の出演はあったが印象は薄く、「元アイドル」というのが強くて、果たしてふさわしいのか疑問だった。
岡江さんは、僕ははなまる開始以前には1つの番組での姿しか知らなかった。獏さんと結婚したことも知らなかったし、「連想ゲーム」の回答者だったのも(獏さんはよく覚えているけど)、愛の劇場「天まで届け(1991~2004年。はなまると掛け持ちだったのか)」も当時は意識していなかった。
知っていた1つの番組とは、少し時をさかのぼって、高校卒業前後。開局間もない秋田朝日放送(青森朝日放送でも)では、平日10~11時台に昔の連続ドラマを放送していた。AAB、ABAにとっては初めての放送だから「再放送」ではない。
その1つに、1980年にTBS花王愛の劇場で放送された「古都」があった。川端康成の小説が原作(最近は2005年にテレ朝が上戸彩主演で制作)。その主演が岡江さんだった。そんな女優さんが司会するのもまた、ふさわしいのか分からなかった。
【2020年5月3日追記】2020年に岡江さんが亡くなった。
その時の秋田朝日放送の報道で、岡江さんが秋田市の清酒高清水(秋田酒類製造株式会社)のCMに長く出ていたことを知った。
テレビCMも流れたそうで(県内でも、県外でも流れていたはず)、僕はまったく意識していなかったが、当時の秋田にいる人なら、けっこう知っているようだ。
「1976年から20年ほど」出ていて、毎年のように撮影していたそうで、はなまる開始頃には重複していたかもしれない。秋田出身の漫画家矢口高雄氏との共演もあった。(以上追記)

始まってみれば、よく言われるように「おじさんのようなおばさん」の岡江さん「おばさんのようなおじさん」のヤックンのコンビはうまくいっていたのではないだろうか。(一部週刊誌では仲が険悪なことが報じられ、2人で否定していたが)
今や岡江さん、薬丸さんといえば、女優と元アイドルというより、お2人とも「はなまる」だ。(秋田では「あの人は今」状態かも?!)


その後、秋田ケーブルテレビが開局(1997年12月)して加入したので、秋田でもはなまるが視聴できるようになった(当初はテレビユー山形、後にIBC岩手放送経由)。
上記の通り、青森テレビでは9時55分までの放送で見られなかった「クイズママダス」も、岡江さんの「今日も1日はなまるな日をお過ごしください」も、初めて見たのは秋田でだったかもしれない。

卒業後はあまり見る機会がなく、たまに見ればテーマ曲やスタジオセット、曜日レギュラーが変わってしまって、違和感を覚えた。
2000年代には使われなくなった、格子状の木製の棚の中に小物が並ぶ初代セット、タイトルコール後のオープニング曲、「push push プーッシュ please please プリーーズ」というCM前のジングルこそ、僕にとってははなまるマーケットであり、平日朝を感じさせるものであった。

放送終了に当たり、最後の2週間だけ、曲は開始当時のものが復活した。
公式サイトやWikipediaには記載がないが、CM前の「push push プーッシュ」のジングルは、ユースケ・サンタマリアが歌う「ユースケの「サマー・ビーチジゴロ」」の一節。番組が始まってしばらく経ってから、はなまるカフェのゲストに呼ばれ、「(自分の曲を使っているのに)どうして今まで呼んでくれなかったんですか!」と本人が言っていた。
オープニングの金管楽器系の曲の名称も分からないが、あれもユースケさんの曲の伴奏の一部なんだろうか?

なお、タイトルコール前・オープニングトークのバックに流れる曲は「二人だけのデート(I Only Want To Be With You)」。2004年を境に歌手は異なっていたそうだが、印象になかった。


その他いろいろ。
・マーケットか 秋田か うどんか
はなまるの最終回の最後で、薬丸さんが「(番組が終わっても)『はなまる』という言葉を聞いた時は、この番組を思い出してください 」とあいさつした。
ほかに「はなまる」と聞いて連想するものといえば…

はなまるマーケットがネットされなかったこともあるが、秋田県民にとって「はなまる」といえば、秋田県のキャッチフレーズだった「秋田花まるっ」を連想するだろう。県全体のキャッチコピーではなくなった今も、一部では使用されている。
秋田花まるっとはなまるマーケット、どちらが先か?
秋田花まるっは1995年に制定(マークは1996年?)されているので、秋田のほうが先。
公式ホームページより。上にある顔が着ぐるみにもなった「はなまるくん」(正式な名前ではない?)

再掲)「秋田花まるっ」のマーク。制定はこちらが先
では、後で始まった番組名が「はなまるマーケット」となったのは、単なる偶然か、あるいは「どうせ秋田県では放送されないんだから…」なんてことだったのか。今となってはどっちでもいいか。

讃岐うどんのチェーン店「はなまるうどん」もある。
こちらは2000年に最初の店舗ができたそうなので、秋田よりもマーケットよりも後。
【17日追記】首都圏などで展開する「花まる学習会」という学習塾があるそうだ。1993年に「花まる勉強会」の名で始まったので、秋田よりも先になる。

・レギュラーゲスト
はなまるを最初に見て、おかしいと思ったのが「レギュラーゲスト」という言い回し。
当初は、オープニングの冒頭は司会の2人だけで、曜日レギュラーとアナウンサーは岡江さんに呼ばれて後で入ってくる形だった。その時、岡江さんは「今日のレギュラーゲストは、早見優ちゃんです」などと言っていた。
「レギュラーゲスト」って、常連客か? と思ったものだが、いつの間にか使わなくなった。末期の公式ホームページや最終回の岡江さんは「曜日レギュラー」、画面のテロップでは氏名の上に「○曜レギュラー」と表現。
【2018年7月15日追記】NHK秋田放送局の夕方のローカル番組「ニュースこまち」内の「秋田弁de川柳」コーナーには、選者・講評・解説者として、秋田で活動する詩人(兼ローカルタレント?)のあゆかわのぼる氏が出演する。コーナーが始まった2015年前後は「レギュラーゲストのあゆかわのぼるさん」と紹介されていたが、後に呼ばれなくなった(単に「ゲスト」?)。
【2021年10月1日追記】相反するものが一体化した言葉という点では、大学の時の「選択必修科目」も同じだ。提示された複数の中(弘前大では使っていなかったが「科目群」と呼ぶ大学もある)から、一定数以上を選んで必ず受けないと(単位を取らないと)卒業できない科目のこと。例えばこの10科目の中から、5科目以上など。2020年代でも多くの大学に存在するようだ。学生時代の僕はなんの違和感もなく受け入れていた言葉だった。「レギュラーゲスト」と同じく、はたから見ればおかしく感じる人もいるだろう。

・ハプニング集?
番組終了に当たって、かつての映像が何度か使われたようだが、以前「ハプニング大賞」みたいなので見ておかしかったのがいくつかある。(終了時にも放送されたかは不明)
薬丸さんは、はなまるは「放送期間は半年」という話で司会を引き受けたため、その翌年に1か月間に渡る名古屋公演をスケジュールに入れていたそう。しかし、はなまるが続いたため、その間は名古屋と二元中継で対応した(おそらく1997年7月頃のようだが、実際に見た記憶はない)。
その時、岡江さんが「名古屋に行っている薬丸くんを呼んでみましょう。名古屋くーん」と呼び掛けてしまったことがあった。
薬丸さんは「名古屋章です」と返したんだっけ? ※名古屋章は2003年に亡くなった俳優・声優

もう1つ。薬丸さんの思い出話で、小学生の時、授業で「どんより」という言葉を使って文章を作ることになり、冴えないクラスメイトが指名された。(当然「どんよりとした空」くらしか答えはない)
彼は「うどんより蕎麦が好き」と答えて、クラスの人気者になったという話。

・1996年9月30日の第1回の特集は「味噌」(はなまるアナは、進行役の斎藤哲也アナウンサーが掛け持ち)、カフェのゲストは山田邦子。
・最多出演ゲストは陣内孝則の10回。陣内さんは、いいともの「テレフォンショッキング」にも20回ほど出ているそうで、和田アキ子に次いで、藤井フミヤ、浅野ゆう子と並ぶ出演回数の多さ。
・1997年8月7日に視聴率首位

・政治家の小渕優子は元TBS社員で、はなまるのアシスタントディレクターをしていた。番組最終回では「1997年に退社」としていたが、Wikipediaでは父の首相就任に伴って1998年に退社したように書いている。

・最近はそうでもなかったようだが、一時期、特集コーナーでVTR中に流れるBGMに、フジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」のBGMが時々使われていた。中でも、いわゆる「花輪くんのテーマ」が多かった気がする。(まる子のBGMはCD化されているが、現在は廃盤【2018年7月15日補足】その後2015年頃に、日本コロムビアの復刻シリーズ「ANIMEX1200」の1つとして再発売。)

・冒頭から特集にかけては、ライオンが単独でスポンサーで、「生コマ」こと生コマーシャルがあった。
生コマとは番組本体と同じスタジオから、生放送でCMを流すもの。昔はよくあって、個人的には「3時のあなた」のものを連想する。
今は少なくなっていて(生コマ風の録画したCMというのはあるが)、他にははなまるの裏であるフジテレビ「とくダネ!」で花王がスポンサーで行われている。
はなまるの生コマは、出演者が多いのが特徴。老若男女5人ほど(多少入れ替わりはあるが固定されていて、モーニングEye当時からの人もいたはず)で、うち2~3人が同時に出るドラマ仕立てのものが多い。
はなまる終了後どうなるかと思っていたら、後継の「いっぷく!」もライオンがスポンサーを継続(時間は30分ほど早くなった)、生コマも以前と変わりなく続いている。


上記の通り、後継番組は「いっぷく!」。
TOKIOの国分太一などが司会で、8時00分スタートになった。
内容的には、はなまると大して違わない気がする。特に「いっぷく!トーク」なるトークコーナーでは、「おもたせ」というゲスト持参の食べ物が紹介されるなど、はなまるカフェと酷似している。【29日追記】「いっぷく!ファミリー」という名で曜日レギュラーがいるのも同じ。
【11月2日追記】その後、「いっぷく!」放送から半年経った2014年秋に、報道寄りの内容にリニューアル。トークコーナーはなくなった。

ちなみに薬丸さんは、はなまるが終わった次の月曜から、テレビ東京(とBSジャパンでも一部放送)の9時台~11時台の「生活情報マーケット なないろ日和!」というはなまるとよく似ていそうな番組の司会、いいともの後継番組「バイキング」の木曜レギュラーなど、精力的。

いいともは、さらに断片的な思い出ばかりだけど、自分の記録用としていずれまた

【2015年3月28日追記】はなまるの後継番組「いっぷく!」は、上記追記の通り、半年後の2014年10月に報道メインの内容にリニューアル。しかし、さらに半年後の2015年3月27日で放送終了。わずか1年で終わってしまった。
3月30日からは「白熱ライブ ビビット」が開始。モーニングeye以来のワイドショーらしい。司会はいっぷくから国分太一が続投(契約上の制約があり、代えられないのだとか)。(【2015年4月1日追記】ライオンの生コマーシャルも継続)
また、はなまる終了後も開催されていた、各地の百貨店の物産展「おめざフェア」の後継企画として、岩手では2015年4月に「じゃじゃじゃグルメフェア」として実施することになった。土曜朝のローカル情報番組名にちなむもの。
TBSホームページによれば、2015年春以降も、岩手以外の各地では「オールTBSおめざ感謝祭」として継続していて、青森市のさくら野でも開かれる。
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みち銀/北都銀

2014-04-09 23:48:33 | 秋田のいろいろ
銀行の話題。
●みち銀秋田支店
5日の秋田魁新報経済面でも小さく報じられたが、青森のみちのく銀行が、4日に「「秋田支店」の廃止について」という「重要なお知らせ」を出した。

来年2015年1月19日でみちのく銀行秋田支店を廃止し、能代支店に統合する。
秋田支店の営業は16日・金曜日15時まで。店舗のATM(現在は平日7~21時、土日8~19時に稼働。通帳繰越もできたようだ)も廃止。店番号「080」。
「店舗網の見直しにより能代支店に経営資源を集約することといたしました。」とのこと。

秋田支店は1972(昭和47)年7月開設だそう。
これにより、秋田県内にあるみちのく銀行の支店は、大館支店、比内支店(大館市・旧比内町)、能代支店と、県北部の3店舗だけになる。
ATMも直営は3店舗のものだけになるが、北都銀行、荘内銀行などとATMでキャッシュカードの相互利用(他行手数料なし)を実施しているので、秋田県内ではそれなりに使うことはできる。

(再掲)協働大町ビル。階段の右がみち銀秋田支店
秋田支店は、赤れんが郷土館近く、大町三丁目2番地の飲食店などが多く入る「協働大町ビル(旧称・協働社大町ビル)」の1階の一部。※この記事この記事参照。

青森のもう1つの銀行、青森銀行も、かつては秋田支店があった。みちのく銀行秋田支店からも近い、ローソン竿燈大通り店があったビルにあったが、2000年に撤退している。
そういえば、みちのく銀行秋田支店がある一帯は、金融機関が比較的集まっていた。しかし、北都銀行秋田支店も閉店、秋田銀行秋田支店も7月で閉店予定。みち銀もなくなれば、残るのは、秋田信用金庫本店と荘内銀行秋田支店だけになる。

秋田市でみちのく銀行と取り引きしている人・企業は多くないとは思われ、昨今の銀行業界の統廃合・みち銀の経営状況からは仕方ないことだろう。でも、青森に縁があって、いちおう口座(休眠口座になっちゃってるな)を持つ者としては、少々寂しい。

協働大町ビルにとっては、1階の通りに面したいい場所が空きテナントになってしまう。その使い道はどうなるか。

※この店は1972年に弘前相互銀行秋田支店として開店したとのこと。閉店後の様子


●北都銀行システム更新
2月末に、北都銀行から「地域の皆様へ」宛てで「北都銀行から大切なお知らせです。」というリーフレットが郵便受けに入っていた。

システム更新のため、今年5月3日から5日まで、北都銀行のATMなどすべてのオンラインサービスが使えないとのこと。
※現在は公式ホームページでも告知されています。

僕は北都銀行とも休眠口座同然の取り引きしかないとはいえ、いちおう読んでみた。
サービス停止だけでなく、システム更新前後でいくつかの変更が生じるようだ。
システム更新が直接的な原因である変更のほかに、この機会に利用の少ない制度を整理統合する意図もありそう。

主な変更の内容としては、通帳のデザインが新しくなったり(使用中の通帳は次回繰越時から)、総合口座に付属した「貯蓄預金」が廃止となったりする。
あとは、ATMの機能が充実する。
ホームページより
まず、「一部入金」「希望金額の入金」という言い回しだが、要は通帳やキャッシュカードでの入金時に入金額を指定でき、「お釣り」が出せるということ。
ゆうちょ銀行や各ネット銀行のATMではとっくにやっている(秋銀はどうだっけ?)。

リーフレットより
さらに、なぜかホームページには出ていないようだが、リーフレットには「硬貨入金が可能になります。」とある。「紙幣とは別に硬貨100枚まで」入金できる。
秋田銀行でもATMで硬貨の入出金はできないから、これで入金だけではあるが、やっと秋田の銀行でも硬貨が使えるようになる。
ゆうちょ銀行なら、引き出しも含めてとっくにできますけどね。

そういえば、北都銀行では、ATMで10枚以上の千円札を引き出したい時の方法方法が独特。
秋田銀行、ゆうちょ銀行やネット銀行の多くは、千円札10枚を出したければ「10千円」と入力すればいい。
北都銀行では、画面に「両替」というボタンがあって、1万円以上の金額入力時にそれを押せば、引き出し額のうち1万円分だけ千円札で出てくるというもの。(つまり北都銀行のATMでは、千円札は最大で19枚しか同時に引き出せない。「10千円」では壱万円札が出てきてしまうはず)
この操作は継続されるだろうか。


ほかには「お通帳繰越」というボタンができる。北都銀行でも、いつの間にかATMでの通帳繰越が可能なものが既にあるそうで、「ボタン」が新設(独立)されるということらしい。
あと、「定期預金/解約予約」というのもできるそうだけど、これを使えば、窓口に行かなくても定期預金を解約できるってこと? 実質的にネット銀行並みの機能で便利そうだけど… いや、「予約」であって、最終的には窓口に証書と印鑑を持って来いってことなんでしょうかね。

北都銀行は、羽後銀行と秋田あけぼの銀行(旧・秋田相互銀行)が合併したもので、さらに山形の荘内銀行と経営統合している。そういうのでバラバラだったことが、やっと統一されるということなんだろう。
【2021年4月22日追記】この後、2021年7月に再度システムが変更されATMメーカーが変更。千円札引き出しが10千円方式になり、店舗設置ATMでは小銭が出せるようになるなどする。


最後に、ちょっとだけ秋田銀行。
「フレッシャーズ ウエルカム!!春・あきぎんではじめようキャンペーン」というのをやっていて、テレビCMが流れていた。
その中で、「こうすうを増やしてアイテムを当てよう」というナレーションが入っていて、「こうすう」の意味が理解できなかった。

映像を見れば、応募の「口数」ということだった。
これって「くちすう」って読むんじゃないの?
辞書を見れば、たしかに「こうすう」で項が立てられていて、別の読みとして「くちすう」が掲載されているものもある。
でも、「1口、2口、…」の時は「こう」でなく「くち」と読むんだから、「くちすう」のほうがストレートに伝わりそうだけど。
「くちかず」だと別の意味になるし、日本語って難しい。
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ミルクパンりんご/中年調理?!

2014-04-08 23:45:59 | ランチパック
たけや製パンが3月から発売している、由利高原鉄道とコラボレーションして、秋田県産の食材を使った「由利高原鉄道シリーズ」。4月は第2弾が発売された。
公式ホームページによれば、「ミルクパン りんご」「ミルクまんじゅう 6個入り」「ミルクまんじゅう」「ミルクなホットケーキ」の4つ。商品名は先月より無難になった感じがする。

その1つ。※他の商品はこちらにて
ミルクパン りんご 3個入り 330kcal
本来なら「新発売」シール貼付対象なのに、なぜか貼られていない。
購入した1点がたまたま貼り忘れたわけではないようだし、他の4月新発売の商品には貼られているのでシールが廃止されたわけでもない。

「カスタードに鹿角産リンゴで作ったジャムを合わせて包みました。パンにジャージー牛乳配合。」だそう。
リンゴは県北部の鹿角産。パッケージ表面には写真でしか示されていないが、パン生地のジャージー牛乳は、由利高原鉄道の地元の花立牧場工房ミルジーのを使っているはず。クリームは別の牛乳を使っているということか。

包装には取ってつけたように、由利高原鉄道の新型車両が描かれている。

「YR-3002号」などと小さく車両番号まで記されている。イラストの車体もリアルだが、足回りが雑。車輪しか描かれておらず、床下の機器類が一切ない。これじゃ自力で走れないよ。

さて、リンゴクリームのパンといえば、たけやで「秋田のりんごパン」という秋田県産(鹿角に限定していない)リンゴを使ったほぼ同じのがあった(先月までは発売を確認。今月は不明)し、ヤマザキ「薄皮」シリーズでも出していた。
これも、原料にこだわりがあるとはいえ、
あまり違わない
見た目も、味も、僕には違いが分からなかった。心持ち小さいかな?
おいしいけれど、先の製品に比べると、少々割高感はある。


小さくて丸いパンが出たついでに、ヤマザキの製品。
ヤマザキでは小さいパンを5つ入れた「薄皮つぶあんぱん」「薄皮クリームパン」など、「薄皮」シリーズを発売していて、一定の知名度・人気がある。公式ホームページでは「ミニパンシリーズ」という名称になっている。

それとは別に、こんな製品もある。
ヤマザキ ミニクリームパン 工藤パン製 1個当たり96kcal ※写真は1個取り出した状態
イオンリテールなどスーパーの特売で見かけることがある。
薄皮シリーズと同様、5個入りであんパンなどのバリエーションがあるが、価格は98円(消費税5%当時の税込み)程度で安い。
パンは、薄皮よりはやや平べったいか。

包装は「ヤマザキ」のロゴが妙に大きい。「ミニmini」とあって、薄皮シリーズよりもむしろこちらが「ミニパンシリーズ」じゃないのかと思ってしまう。(ホームページには掲載されていない)

これの最大の特徴は、商品が「長い」ことだと思う。
写真では30センチのものさしを置いているが、優に超えている。薄皮シリーズではプラスチックの皿を敷いて、やや立てて袋に入っているが、こちらは省略しているためか。(皿がゴミにならないのはうれしい)
店頭では目立っていいかもしれないけれど、購入して持って帰る時にジャマ。フランスパンやネギのように袋からピンと出っ張っていればまだいいほうで、これはクタッと曲がってしまう。だからといって、途中で折り曲げるには余裕が足りなくて。
包装には「食べやすいミニサイズ!!」とあるが、「持ち運びづらいロングサイズ!!」でもある。


最後に、たけやに戻って、来月(4月下旬?)の新商品が、2日の秋田経済新聞で既に紹介されていた。
初めて目にした時は、エイプリルフールか「虚構新聞」のようなウソ情報じゃないかと思ってしまったが、事実らしい。

たけやを代表するロングセラー商品の1つ「学生調理」のバリエーションとして、「中年調理」が発売される。
秋田の中年の人たちの集まり(どうもFM秋田の番組も絡んでいる?)で企画されたらしい。
秋田経済新聞の写真によれば、学生調理と色違いのパッケージが3タイプ。中身は学生調理同様、揚げ物・サラダ・麺類の組み合わせで、3つそれぞれ異なるようだ。

【2014年5月3日追記】「中年調理」は2014年5月から発売された。要保冷扱いのため、大々的に販売される店は少ないようだ。
3日付秋田魁新報経済面によれば、
・学生調理は1986年に県内の高校売店で発売し、人気が出たため県内全域で発売した。
・FM秋田「秋田宣伝ミーティング」のリスナーから具材を募集。約50の案からたけやや番組関係者が組み合わせを決定。
・3種のパッケージの色と中身の組み合わせは、公式ホームページでは緑が「チーズササミカツ&ごぼうサラダ&焼ビーフン」、赤が「メンチカツ&カレーキャベツ&焼きそば」、黒が「油淋鶏&チーズポテト&ナポリタン」。魁では「油淋鶏」は「空揚げ」と表記。
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