広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2003年 仙台の国鉄車両

2021-11-29 23:53:08 | 昔のこと
2003年の山形駅の記事の続きを、ごく簡単に。
この時の目的は、仙台でのちょっとした会合で、1泊してこまちで秋田へ戻った。山形は完全な趣味の寄り道であった。そんなわけで、仙台の写真で紹介すべきものはほとんどなく、駅で撮影した2つの列車だけ。例によってもっと撮っておけばよかったと後悔。

仙台駅14番線にて、回送で発つ直前
懐かしい、白(クリーム色)に緑色帯で先頭が丸っこい東北・上越新幹線、200系電車。以前、2002年と2004年に撮影したものをアップしている。
この頃は、「やまびこ」で盛岡まではまだ来ていたようだが、廃車が進むとともに残った車両はリニューアルが施工されていた。リニューアル後は、運転席周りの形状と塗装が変わって、印象が変わってしまった。これは減りつつあった原型車両。
非リニューアル編成は2008年で全廃、リニューアル編成(1本だけ白緑に復刻塗装)は2014年までに完全廃車となった。なお、東北新幹線では2011年で運行終了。

200系には、1編成当たりの車両数や機器・設備の違いで、アルファベット(と数字)が与えられ区別されている。
写真の200系は「F80編成」。先頭は12号車222-1514。
F編成は2【30日訂正】12両編成で240km/h対応のグループ。両新幹線開業当初は210km/h対応のE編成で、1983年以降の追加製造やE編成の改造により、F編成へ移行。だから、開業からしばらくは、盛岡に来るやまびこといえばこれだったはず。
その後、改造などによりF編成の中でもバリエーションが増えた。以前の記事のような先頭が100系タイプの車など。

このF80編成は、見た目は普通だが、F編成のなかでも唯一のひときわ変わった編成で、うれしくて撮影した。
1984年製造のF17編成を1998(1997?)年に改造して、編成番号がF80に変わった。
改造内容は、長野新幹線(現・北陸新幹線、当時は長野止まり)乗り入れ対応。北陸新幹線は、途中で電源の周波数が変わり、急勾配があるため。
1998年2月に長野オリンピックが開催され、E2系だけでは輸送力が不足するため、200系では1本だけが臨時列車用に充当された。ほかにE4系にも対応する編成があった。
1998年11月には電源切り替え装置が撤去されたそうで、2003年時点では再び東北新幹線で活躍していたことになる。2004年に廃車。


今度は、仙台から松島海岸を経て石巻へ至る、仙石(せんせき)線。※2017年の乗車記
2000年に仙台寄りが地下化、あおば通駅まで延伸。2002年~2004年にかけて、山手線・埼京線用だった205系電車を改造して投入。
この時は、すでにほとんどが205系になっていて、唯一見かけた旧車両103系電車。
あおば通駅にて
昔は首都圏の国電のどの路線でも走っていた103系。仙石線への導入当初は、京浜東北線と同じ水色だったそうだが、JR化後・平成初期に103系から103系への置き換えをしていて、その時に改造と専用塗装がされている。
運転台が低いタイプで、そのフロントガラスが、原型の3分割から2分割に変わっているのか。

仙石線の103系は、205系がそろった2004年をもってすべて廃車となるはずだったが、多賀城駅高架化工事により車両が不足することになり、2006年に1編成だけ復活。トイレを付けるなど改造もされた。
結局、205系がもう1編成投入されることになって、残った103系は2009年で廃車、JR東日本から姿を消した。

国鉄車両が最後の活躍をしていた、2003年の仙台だった。
今も仙石線を走る205系も国鉄車両だけど、その代替の話もそろそろ出つつあり、今度も首都圏の中古転用か、そうではなく新製投入になるかも、といった噂が飛び交っているらしい。
コメント (2)
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AkiCAの準備

2021-11-28 23:22:27 | 秋田のいろいろ
2022年春に秋田市内の路線バスなどに導入されるICカード乗車券。秋田市が主導して導入するもので、秋田中央交通以外に委託運行するコミュニティーバス(マイ・タウンバス)でも使えるようになる。※以前の記事
※秋田市周辺のJR東日本の鉄道で利用できるのは、2023年春

そのカードの名前とデザインが、2021年9月に商標として出願されていることを知った。出願者は市でなく中央交通。
なかなか公式発表されず、その間に山形のカードの名前が決まったり、十和田観光電鉄と秋北バス(秋北は高速バスのみ)でも導入することが発表されてしまった。11月24日に、秋田市長定例記者会見があったので、そこで発表されるかと期待したがされず。
26日になって、中央交通の公式サイトに、中央交通と市連名で「秋田地域における「地域連携ICカード」の名称・デザインの決定について」が掲載された。秋田市公式サイトでは、記者クラブ向け発表一覧に項目のみ掲載され、中身は見られず。
秋田魁新報ほかマスコミも、28日時点ではどこも報道していなそう。そんなわけで、ネット上でも反応が薄い。当ブログの記事へのアクセスもごくわずか。
まあ、詳細は後日発表とのことで、名前とデザインが決まっただけで大した話ではないけれど。【11月30日追記・11月30日17時53分に、やっと秋田魁新報電子版掲載。詳細は末尾追記にて】

9月の記事に追記したものを、改めて記すと、
名称は商標出願から予想できた通り、
・一般用カード「AkiCA(アキカ)
・高齢者コインバス事業専用カード「シニアアキカ」※2022年秋頃開始予定。登録した秋田市民の高齢者が、1回100円均一で乗車できる制度。現行は紙の証明書+現金支払い。
→一般と高齢者で、アルファベット/カタカナが異なるようだ。ただし、カードにはどちらも同じロゴで「AkiCA」。シニアには右下にカタカナで「シニアアキカ」。

カードデザインは、
・一般用は黄緑色。秋田市の色である若草色や、中央交通一般路線バスの車体の薄いほうの色に近い。
・シニアはオレンジ色。JR東海っぽい色【30日補足・TIOCATOICAカードの色ではなく、コーポレートカラーのこと】。

・一般用は商標出願時のデザインの右側に、竿燈とそれを挙げる人が描かれている。「秋田らしさを表現している」とのこと。提灯部分にはオレンジ色も使用。
・シニアは中央部分は一般用の色違い。右側には、上記「シニアアキカ」の文字と、その上に「エイジフレンドリーシティあきた」のロゴマーク。
【30日補足】全国各地のご当地ICカード収集を趣味とする人がいる。秋田市でデザインが違う2種のカードが出るとなれば、どちらもほしくなるだろうけれど、シニアアキカは入手難易度が極めて高いカードになるだろう。


その他新たに分かった点。
・一日乗り放題乗車券(正式には「一日乗りほうだい乗車券」表記)は、紙からICカードへ移行。→ICカードを売るのではなく、利用者の手持ちICカードに、情報を書きこむ方式のはず。
・(紙の)各種回数券は販売を終了。代わりになるICカードを使用したサービスを開始するが、詳細は後日。
→紙回数券廃止は他地域でも行われている。「交通ポイント」としてICカード支払い額に応じたポイントが付与され、自動適用(割引)される仕組みになると考えられる。ポイント付与率がどうなるか(下記3も参照)。

気になる点がいくつか。
1.秋田市外は?
ICカード導入対象外=秋田市外の、中央交通または子会社が運行(受託運行含む)する路線バスでも、秋田市内と同じ紙の回数券を使用している。それはどうなるのか。
つまり、男鹿市、潟上市、南秋田郡3町村のコミュニティーバスでの紙回数券の扱い。

2.定期券は?
他地域では行われている、定期券を紙からIC化するかの言及なし。

3.どうなる? 買物回数券
地域連携カードが導入された(される)各地域では、従来よりも割引率(ポイント付与率)が低くなってしまうケースが多い。ただし、青森市や八戸市では、学生向けには紙回数券並みのポイントを付けることにしている。

秋田では、1300円分を1000円分で購入できる通学回数券と、平日10~16時降車・土日祝日(終日)限定で1400円分を1000円で購入できる買物回数券がある。上記他地域の例もあり、通学券相当は継続される可能性が高いと考えるが、買物は…

4.シニアアキカ全面カード化?
シニアアキカは導入が1年近く先であり未定なのだろうが、今回のリリースに、高齢者コインバスは「2022年秋を目途に地域連携ICカードでの決済に切り替える予定」とあった。これは、現行の紙証明書+現金払いができなくなるようにも読める。
日常的にバスを利用する高齢者には、ICカード化でとても便利になる。一方で、いちおう証明書は取得したが、ごくたまにしかバスに乗らない高齢者もいる。そういう人たちの分はどうするのだろう。シニアアキカ発行費用と手間と資源、チャージ額が塩漬けされるといった問題がある。あるいは、現金や回数券など支払う行為や金額が実体として見えることにどうしてもこだわる人、プリペイドであっても「カード」にどうしても抵抗感を持つ人が少なくない世代だとも思われるので、反発や混乱があるかもしれない。※もちろん、この世代でも電子マネーを買い物に使いこなしている人たちも当然います。


なお、秋田市・中央交通がモタモタしている間に、山形県のカードが「cherica」になることが発表。
さらに、青森県の十和田観光電鉄(名称未発表)と、高速バスのみだが秋北バス(「Shuhoku Orange Pass」)でも、地域連携カードを2022年春に導入することが発表された。岩手県交通と3社で構成する国際東北グループ(旧・国際興業グループ)で、基本システムを共通化するらしい。名前も似ていて、また「~パス」。秋北バスにオレンジのイメージはないようにも思う。十和田観光電鉄は「Toutetsu Blue Pass」にでもなるのか??
【2022年5月1日追記】十和田観光電鉄は2022年4月29日から運用を開始し、名前は(開始と同時発表?)「Towada SkyBlue Pass」(十和田スカイブルーパス)となった。

ほかに、岩手県交通のIwate Green Passが、12月1日からは同社の高速バス、盛岡~仙台・アーバン号、盛岡~弘前・ヨーデル号でも使用できるようになる。共同運行の他社便では当面非対応、ポイント付与あり、往復割引等なし。

山形県は県内大手2社で統一感のあるカードになりそう(ポイントは別々らしい)でいいけれど、その他各県では、来年春には同一県内にカードが乱立する事態になってしまう。もうちょっと整然とできなかったか。
それに弘南バスとしては、エリアである青森市で導入、ヨーデル号の共同運行相手が導入と、外堀が埋められているのでは。
ここまで追記の再掲。


中央交通のバスに乗っている人はお気付きかもしれないが、車両側でのAkiCA対応準備は進んでいる。ソフトウェア設定や乗務員研修はまだだろうが、ハードウェアの設置はおそらく完了している。
準備は3点。
1.運賃表示器の液晶式への統一
2.乗車用カードリーダーライターの設置
3.運賃箱の機種統一と改造

1の運賃表示器は、昔からのオレンジ色の7セグメントデジタル数字・50コマの表示機(レシップ製)だった車で、レシップ「OBC-VISION"D"」へ交換するもの。
中央交通では、新車のほか、中古導入車では2011年頃から散発的にOBC-VISIONを設置していた。しかし、廃車の50コマ表示機を再利用することもあり、一向に統一される気配がなかった。
弘南バスの同型表示器
↑弘南バスでは左上が「なし」から始まるが、中央交通は「1」から。弘南バスでも中央交通でも枠色は2種類あり、写真のようなベージュ色のものが多く、新しそうなものは黒。

中央交通の2種の運賃表示器共存には、問題があった。
上の写真のように50コマ表示機では、左側に縦書きで文字を表示できるLEDがある。「運賃は~まで」と、「現在表示される運賃が適用される最後のバス停名」が分かる。
秋田市営バスでは、平成初期に更新した表示器から表示されるようになり、当初は分かりやすくて画期的だと思った。小銭の準備であわてなくて済む。
しかし最近は、音声が聞こえない人・場合への対応の意味からも、「次のバス停名」を表示することが求められ、それを当然とする乗客も多いようだ。
ネット上の投稿、さらに実際に知っている人(東京【29日補足・西武バスの後払い式エリア】在住)でも、不慣れな中央交通のバスに乗っていて、運賃が切り替わって境界バス停名の表示が変わったのを見て、それが自分の降りるべきバス停だったので、次のバス停がもうそこなのだと勘違いして、ボタンを押して降りてしまい、気付いたら違う(手前の)バス停だった、という経験をした人がいる。
OBC-VISIONでは、次(と2つ先まで)のバス停名が表示され、運賃境界は出ないので、統一によりそんな勘違いはなくなった。

ただ、運賃表示器を交換せずとも、従来の表示器で次のバス停名を表示することは可能。弘南バスではそれを実践していて、既存車両はほとんどが旧型のままのはず。
何のことはない、金額部分はそのまま、左の文字だけを次々に変えるように設定するだけ。文字データだからそんなに容量を食うわけでもなかろう。

バスのICカードでは、運賃表示器が持っている金額データを元に、降車用リーダーから運賃を差し引く仕組みだそうなので、運賃表示器が要。
でも旧型の表示器でも、それができると思う。中央交通としては、この機会に旧型を一掃したかったのだろう。


2番目の乗車用リーダーライター。
東京都心などの前乗り前払い式バスでのICカードでは乗車時の運賃箱での1度のタッチでいいが、後払い式では整理券を取る代わりに、乗車時にタッチして整理券番号をカードに記憶させることが必要。その装置。
中ドア付近に設置済み
縦長の箱で、下のタッチする黒い部分に「調整中」、上の液晶ディスプレイにも透明なシートがかかっている。今年7月頃に設置された。
整理券発行機の近くのポールに固定されており、配線は発券機と同じ線から分岐していそう。なお、先日新車導入されたぐるる用は、専用の台座で整理券発行機の真上に設置。前ドアのみの高速・リムジン車では、もちろん前に設置。

多くのバス会社でそうかと思うが、整理券発行機は乗車して右側に設置されることが多いはず。
しかし中央交通では、たまに左側にある車がある。中古車でドア形状やスペースが異なり、右に置くのが不可能なケースもあるが、新車購入でも左の車がまれにいて(右側に毛筆体で「整理券は左です」の紙が張ってある)不意打ちを食らう。
整理券発行機が左の車では、乗車用リーダーも左側。また、1台だけで神出鬼没な日野リエッセでは、右側だが車椅子用リフトの支柱の陰に隠れるように取り付けられている。

この装置はレシップ製らしい。以前の機種は、タッチ部に傾斜があり、表示部はLEDだったが、2019年頃からこの平らでややコンパクトな機種が出ているようだ。
レシップが直接売っているのではなく、OEMでJR東日本メカトロニクスが発売する「縦型アンテナ部」だそうで、中央交通のものにも、裏面のシールにそれらしきことが印字されている。Suicaとか全国の相互利用カードに対応させるため、そういう取り扱いなのだろうか。


そして運賃箱と降車用リーダーライター。
突き詰めれば、キャッシュレスなのだから運賃箱とリーダーライターがつながっている必要はなさそうだが、チャージとかエラーや複数人支払いなど各種処理のためのベースとして運賃箱を使う意味がありそう。そうだとすれば、旧型の運賃箱であっても、後付けで対応できなくもなく、実際そうしているバス会社もある。
今回の中央交通では、古い運賃箱はすべて新型に交換して、機種を統一した。
運賃箱は丈夫で長持ちするようだが、メーカーの修理対応期間もあるから、この機会に交換したのはそれはそれでいい。そういえば、11月から流通している新500円硬貨の両替には対応しているのだろうか?

中央交通の運賃箱は、昔から小田原機器製。
白みがかった緑のような水色のような独特なボディカラーである1970年代後半発売の「RX-B」型は、近年は見なくなっていたか。
市営バスからの移管で導入された車両辺りからは、グレーの「RX-NZ」型。1985年発売の機種(初期はBと同色?)だそうで、2007年12月生産終了、2025年3月保守終了予定。
(再掲)RX-NZ型
最近の導入車両では、グレーがかった水色に上部が青で、短辺が16センチと薄い「RX-NZS」型が設置されていた。

今年前半までは、過半数の車両がRX-NZ、残り3割ぐらいがRX-NZSといったところ。
【2023年9月28日画像追加】(追記)改造前の“素の”RX-NZS
今年初め、既存のRX-NZSに改造が施された。

4点。天面前方(写真1)に液晶ディスプレイを設置、天面後方の従来平らで何もなかった部分(2)に出っ張り設置、客室向きの面(3)に黒い箱を取り付け、運転席側の操作盤部分(写真の向こう面)に重ねるように折りたたみ式パネルを設置。あと「整理券↑運賃 回数券」のシールの位置を貼り替えたか。
それぞれ、運賃や引き去り額表示ディスプレイ、カードタッチ部、制御装置、乗務員用操作部だろう。タッチ部分は、リーダーライターは見当たらず、それを置く「台座」っぽい。
制御装置(?)は、運賃箱本体よりも幅があって、運転席側にはみ出している上、配線がむき出し。運転士の出入りや乗客の乗降時に足や荷物がぶつかって、線が外れたり壊れたりしないか心配。
天面の液晶ディスプレイの背面には、小さい赤い丸シールが、貼られた車と貼られていない車がある。意味は不明。

その後、乗車用リーダーが設置されたのと同じ7月頃。
ディスプレイ裏に赤シールあり
台座の上に、グレーのリーダーライターが付けられた【29日補足・乗車リーダーと同じ「調整中」貼付】。これもレシップ(?)・JR東日本メカトロニクスの「小型アンテナ部」のようだ。【29日補足・レシップ製である確証はない。運賃箱とリーダーのメーカーが異なることになるが、珍しいことではないようだ。】
改造工事が2段階で行われたのは、施工者が違う(中央交通自身、小田原、JRメカトロ)とかなんだろうか。

そして気が付けば、旧型運賃箱だった車両も、同じ構成の運賃箱に交換されていた。ぐるるの新車も。
ICカード導入に合わせて、整理券にバーコードを印刷し、運賃箱の投入金額が自動計数されるような高機能なシステムになるかとも思ったが、現金払い関連は手を付けず、最低限の設備投資で済ませたことになる。新品の運賃箱でも、後付け改造されたような見た目になってしまうけれど、これが身の丈に合っているでしょう。また、RX-NZSでは、両替硬貨投入口が従来機種よりも運転席側に寄った位置にあり、反対側に大きな空間ができている。カードリーダーを搭載することを考慮した設計にはなっているのだろう。


マイ・タウンバス用の車両は未確認だが、中央交通本体の車両では、ほぼ全車で上記の準備が整っている。県内高速・空港リムジン用や、新国道経由五城目線用の五城目営業所所属車も。
さらに、かなり古いツーステップの一般路線車も、今残っているものは対応している。来春には車齢21年になる、元三平バスでも、
対応済み

減便もあって、対応させずに廃車された車もあるが、分かっている限りで1台、こんな車も。
秋田営業所「320」
2003年、日産ディーゼル製。中央交通本体では4台しかない、西日本車体工業(西鉄車体)ボディの車。
もう1台の321は対応済みなのに、これは未対応、運賃箱も旧型。
車検有効期限は2022年4月。状態があまり良くないものの、すぐ廃車にするほど悪くもなく、もう少し使い倒してから、廃車する算段か。

車両側は以上でいいとしても、地上のチャージ設備、窓口でカードに個人情報を登録する設備、郊外のマイ・タウンバスエリアでの対応も必要かもしれない。やることは多そうなので、記事も続くでしょう。
それから、更新により不要となった、古い運賃表示器や運賃箱。いまだに運賃表示器がない車が多く、運賃箱も新車でも旧型を大切に使い回している羽後交通に譲って使ってもらえば有効活用できそう、と思ったりして。そうもいかないのでしょうけれど。

【30日追記】冒頭の追記の通り、11月30日17時53分に魁電子版に「秋田のバス用ICカードは「アキカ」 Suicaと相互利用」が掲載。紙面では12月1日付掲載だろう。電子版を見る限り【追記・1日付紙面でも】、目新しい情報はなし。
電子版のトップページ左側
ページ左の項目一覧の5つ下には「石川県議、有権者にスイカ配る」。一瞬Suicaかと思ったが、きっと果物的野菜(果実的野菜)の西瓜のほう。「スイカは由利本荘市の農家から1個千円で購入した」とあるので。
あと「石川県議」だと、石川県の県議会議員と誤解させるおそれがあるが、掲載位置的に県内ニュースの場所(明示はないが)だから、秋田県議会議員の石川氏のこと。


【12月2日追記】12月2日に、秋田テレビ「Live News あきた」で「秋田で初の交通系ICカード「AkiCA(アキカ)」 導入のメリットは?機能は?」が3分ほど取り上げられた。テレビでは初報道か。
驚いたのは、実際のプラスチックカードに、発表されたデザインが印刷された状態でもう出来上がっていたこと。ダミーというかモックアップというか、機能しない見本なのだと思うが、それをアナウンサーが手にして、調整中シールが貼られた車載器にタッチするシーンがあった。
また「1年間で6~7万枚の発行を見込む」とのこと。その他には目新しい情報なし。

【2022年2月5日追記】2022年2月4日付で中央交通と市から詳細が発表された。現時点ではPDFファイルのリリースのみで、青森や八戸のような説明サイトはなく、説明不足の感がある。詳細はまた後日として要点のみ記す。
発売・使用開始は2022年3月26日(土)
ポイントは運賃の3%還元。買物回数券相当はむろんないばかりか、学生向けポイント割増や、青森市のような累積利用額に応じたボーナスポイント付与もなし。これでは実質値上げだ。
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芥川作品の「割引電車」

2021-11-25 23:26:32 | 昔のこと
芥川龍之介の「父」という作品に出てくる、「割引の電車」について。※著作権がなくなっているので「青空文庫」サイトでも読めます。

秋田魁新報の高校入試対策連載「中学自習室」。2021年11月25日付の第186回・国語38回の問題文として、その前半が転載されていて、読んだ。
このコーナーの2016年辺りでは、漢字の読み書きにふざけた文がよくあった。その後、出題者もしくは方針が変わったのか、それはなくなって、魁の紙面(コラム「北斗星」や五木寛之「新・地図のない旅」の連載など)や著作権の切れた文学作品(芥川「トロツコ」)を掲載した上で、問題が続く形式が増えた。入試問題に近いとも言えるが、問題の分量は少ないと思う。「長文読解問題」としては難易度は低そう。まとまった文章を読ませることも狙っているのかもしれない。


「父」は、「自分が中学の四年生だった時の話」。
日光、足尾への修学旅行があって「午前六時三十分上野停車場前集合」で、自宅から「電車」で上野駅へ向かう。停車場でしばらく待っていると「そこへ割引の電車が来た。」。
「割引の電車」って?
よくあるように、本文中に※印を付けて、文末に難解な言葉の解説がある。中学4年が今の高校1年生に当たることなど。でも割引の電車の説明はない。分からなくても解答には支障はないが、気になる。
ネットで検索しても、誰も疑問に感じないのか、言及はなかった。

「父」は1916(大正5)年の作品。主要登場人物である「能勢五十雄」はモデルになった人物が実在したらしく、芥川自身の経験を綴ったものとする研究者がいるようで、だとすればその10年ほど前、明治末。
上野から今で言うJRで日光方面へ向かったのだろう。東武日光線は昭和に入ってから開通なので。なお、文中には「高架鉄道を汽車が通る」という描写がある。
「電車」とは、路面電車=都電、まだ東京市だったろうから市電か。東京市が運行するようになったのは1911年、それ以前は民営だったそうだ。

あと、芥川大先生に畏れ多くも申し訳ないが、上野駅のことを「上野停車場」、自宅近くの電車の乗り場のことも「停車場」としているのがまぎらわしい。※電車に乗る前に「停車場の赤い柱の前に立って、電車を待っている」とある。
当時の東京の人たちがどう呼んでいたかは知らないが、普通は路面電車の乗り場は停留所とか電停と呼ぶ。
今の、まして秋田の中学生は、こういうことは知らなくて当然。汽車と電車が両方出てくるし、停車場も2つありそうだし、と引っかかって悩んでしまわないだろうか。


で、割引の電車。学生専用電車とか修学旅行のために特発された電車のことかとも考えた。
しかし、車内では同級生1人だけ(それが能勢五十雄)と乗り合わせ、上野駅到着時点では「時刻が早いので、まだ級の連中は二三人しか集っていない」とあるので、そういうのでもなさそう。
「こみ合っている中を、やっと吊皮にぶらさがる」ともあるので、乗客は多いことになる。

「公益財団法人 交通協力会ホームページ(https://transport.or.jp/)」を見つけた。
その中に「鉄道辞典 上下巻・補遺版(デジタル復刻)(https://transport.or.jp/tetsudoujiten/)」があり、1958(昭和33)年に鉄道80周年を記念して刊行された鉄道関係用語の辞典を検索・閲覧できる。かなり貴重な資料かもしれない。
そしてその中に「わりびきでんしゃ 割引電車」があった!
「市内電車の中には朝早く乗車する旅客にかぎって、その運賃を割引する制度を採っているものがある。」それが適用されるのが割引電車。辞書の時点で東京都電など5事業者が採用。
「割引時間は始発電車から6時半または7時までの間に乗車した場合にかぎる」「普通往復旅客運賃の2割引程度(片道じゃないのはなぜ?)」「輸送力に十分の余裕のある時間帯に旅客を誘致して、つぎに来る朝の混雑時輸送を幾分でも緩和しようとする交通政策によるもの」

なるほど。辞書に載っているくらいだから、戦後でも鉄道業界や運行地域では、通用する言葉だったのだろう。【26日補足・辞典刊行当時は、秋田市電がまだ走っていたが、5事業者に含まれていないので、制度がなかったのだろう。】
今で言う「オフピーク」の優遇制度ことか。
今は、たいていは乗車券類を安く売って使える時間帯を制限する方式だったが、新型コロナ流行後はICカード乗車券へのポイント付与で実質割り引くものも出てきた。路線バスでは昔から昼間や休日を安くするものが多い(買物回数券など。秋田ではICカード導入で存亡の危機かも?!)が、コロナ流行で首都圏のJR東日本でも早朝などにポイントが付く。
一方、列車やバスの「便」を限定して、「これに乗ったら誰でも割り引き」というのは、あまり聞かない。イベントなどで、期間限定で値引くケースはあるけれど。専用のきっぷを作る必要なく、適用になるならないでモメたり混乱したりもなさそうで、簡単で分かりやすいかもしれない。
ただ、大都市を中心に運行される「深夜バス」では、誰でも、同区間の昼間の路線バスより運賃が高くなるので、割引電車と同じ手法と言える。
※「水曜どうでしょう」で言うところの深夜バスは、夜行バス(夜行高速バス)のことで違うし、間違い。本来の深夜バスは、一般路線バスの深夜に走る便を指す。

ということで解決。
それにしても、明治末~大正時代からオフピーク割り引きの概念があったのは、意外だった。そして、そのわりに混雑しているみたいだし。名称は分かりやすく「早朝割引電車」とかにしてくれれば良かったのに。
コメント (2)
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2003年山形駅と駅弁

2021-11-23 23:11:39 | 昔のこと
18年前、2003年11月の山形駅周辺の写真から。
山形市は、何度か訪れているが、いつもちょっとだけ降りて見て終わるか、夜遅く着いて泊まって翌朝早く発つかしまっている。最近では2017年夏に訪問

JR山形駅の建物や周りは、今とさほど変わっていないはず。
駅の西口には、2001年に官民複合ビル「霞城(かじょう)セントラル」ができていた。24階に無料展望ロビーがあるので上ったところ、雨模様で雲が低くかかっていた。
線路向こう・駅東口方向
上の写真で駅からまっすぐ伸びるのが「駅前大通り」。
拡大
手前の赤い看板は、百貨店「十字屋山形店」。2017年の記事にも、同じ姿で写っているが、2018年1月で閉店。解体されて、ダイワロイネットホテルが今年2021年7月にオープンしている。
奥のほうは、おなじみダイエー。山形交通の「山交ビル」の核テナントだったダイエー山形店。1972年オープンで、ダイエーの東北1号店。2005年に閉店し、地元スーパーに代わって現存。十字屋閉店時に移ったテナントもあるそうだ。
十字屋もダイエー系列だったので、昔はそれでも棲み分けられていたことになる。秋田市でも西武とイトーヨーカドーが隣接していて、今は西武は残っているけれど…

山形駅改札口
中央の銀色の箱(ラッチ)に駅員が入る、懐かしい光景。
この時点では、新幹線側のみ自動改札機。新幹線と線路を共用する奥羽本線(山形線)も含めて、在来線側は非自動。秋田駅ほど明確に新/在が区分けされていないはずで、改札内は結局同じ通路で、新幹線はもう1回自動改札を通るんだったか?【2022年5月16日補足・この2階の改札入場後、1階の新幹線ホーム入口にも改札がある構造で、必ず2つの改札口を通らないといけない構造。この時点では2階に新幹線用改札機が置かれているので、必ず特急券も投入しないといけなかったことになるのか? 現在の2階は、新在の区別なく在来線用改札機が置かれている。】

この時は、新庄方面から来て、数時間途中下車して、仙山線で仙台へ抜けた。
719系電車による快速
仙山線では2001年の春に、元は急行用だった455系電車が撤退し、以降山形側では719系の独壇場だった(仙台側では701系も運用)。719系は2013年で撤退。
同じく2001年春には、仙山線のダイヤが平日/休日に分離された。快速列車には以前から「仙山」の愛称があり、この時から休日ダイヤの快速が「ホリデー仙山」にされたそうだ。乗ったのは土曜日だったから「ホリデー仙山」のはず。
その後、2004年秋には、快速の愛称がなくなっている。また、停車駅が少ない(ノンストップもしくは2駅のみ)特別快速の仙山/ホリデー仙山もあったが、2003年秋に廃止。

山寺から先の仙山線乗車はこの時が初めて(その次は2017年)。山形駅でなんとなく選んで買って、車内で食べた駅弁が、
特製山菜牛肉 みちのく弁当の旅 900円
これが、牛肉の煮付けがおいしくて気に入った。山形駅以外ではなかなか購入しづらく、その次はやはり2017年まで食べられなかった。その時の記事で触れたが、2013年頃にリニューアルされている。
(再掲)2017年のみちのく弁当の旅 1100円
製造元は「森弁当部」だったのが、2015年に「もりべん」に改称。
【24日補足】箱では「森弁当部 森旅館」とされていて、秋田の関根屋などと同様、駅前旅館が駅弁も兼業していて、後に旅館をやめたパターン。もりべんの社屋は旅館だった建物を使っているらしい。なお、記憶する限りでは、箸袋↓のように森旅館を付けない「森弁当部」だけで呼称するのが一般的だったと思う。

以前はほぼ正方形で、立派な箱に入っていた。全国的にたまに見られるタイプだが、箱に入れるのが手間そうだし、客も持ち運びや処分にちょっと困る。今は細長い筒。
蓋は経木

(再掲)2017年版

2003年版
おかずの構成は、変わっていなそう。牛肉の色の違いは撮影条件もありそう。玉子焼きは、若干質感が変わっていて、以前のほうがより手作りっぽかった。玉こんにゃくは表面がつるんとなった?
リニューアルでは、牛肉やぜんまい煮・ヒラタケ煮を中心に、量が減らされている。下のごはんも、減っているのだろう。
旧版では、おかずはごはんの上に雑然と置かれ、すき間が生じているのが、素朴というかなんというか。今のほうが見た目はきれいだし、量も少ないとは思わないから、時代に合わせたリニューアルととらえるべきか。ということで、また食べたい。→2022年に食べたのだが、また変化していた

続きとして仙台の鉄道を少々
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唐突に横向き設置

2021-11-21 23:11:36 | 秋田のいろいろ
秋田市の卸団地のど真ん中、卸町三丁目と四丁目の間にある、信号機付きの十字路交差点。簡易郵便局が入る「秋田卸センター」の建物やコクヨが角にある。
西側から
片側1車線だが幅が広い市道どうしが交わる。卸団地内のメイン道路の位置付けであるとともに、北側は国道13号「卸団地入口」交差点(コジマの角)、西側はもう1本市道を越えると県道56号のハローワークの交差点に、それぞれつながっているため、茨島~古川添両交差点を通らずに幹線道路間を行き来できるルートを構成している。東側は、かつては実質行き止まりだったが、2019年に猿田川を渡って羽後牛島駅前方面につながる市道が開通した。そんな環境でも、交通量はそれほど多くはない交差点。

この交差点の信号機は、各方向に車両用信号機が2台ずつ(両面設置×4)、4本の横断歩道に歩行者用信号機が設置されている。4つの角に1本ずつ柱が立てられ(南東角だけ電力柱、他は専用の信号柱)、それぞれがまとめて取り付けられる。
ここの信号機更新工事が発注され、10月末~11月初めに、そのうち半分だけ施工された。
東から

南から
卸町四丁目側、南西角と南東角の柱に取り付けられた信号機だけ、歩車とも交換。南東角は電力柱、南西角の信号柱は交換なし。
車両用歩行者用とも、以前と同じ台数が、低コストタイプのLED式に交換された。いずれもコイト電工製なので、車両用はフラット型。
 
歩行者用は、近年秋田県警が標準化した、四角い棒から吊り下げる設置。2方向を1本の棒にまとめられそうなのに、別々の棒。

車両用。秋田市にフラット型が初設置されたのが2012年10月なので、もう9年経ち、すっかり見慣れた。しかし、ここは、極めて特異なことに、横向き(横型)での設置。
秋田では珍しい設置方法
積雪地秋田では、全域で車両用信号機が縦向きに設置されている。秋田市内では1985年頃から縦になっており、今では横型はかなりレア。なぜかすべて横型の池永小路・中通小学校裏、標識ゲートを再利用した旧脳研前など【23日追記・あと下新城の横山金足線にもすべて横の交差点あり】【28日訂正・中通小裏は南北方向のみ(片面設置×2)横型LED。東西方向=池永小路は、以前は横型樹脂製電球、2010年代前半に縦型LED(たぶん中古)に交換】。

フラット型信号機は、それ自体が着雪しづらい構造であるため、従来型では縦だった青森県津軽地方では、フラット型は横向き設置に変更している。秋田県でも、これからは横型にするのか?
今回は、秋田市内複数箇所の信号機交換がまとめて発注されているが、その中でここだけが横型で指定されていた。また、これより後の発注分も縦型。というわけで、横型移行ではない。
かといって、ここだけ横型にすべき理由はなさそう。中通のような謎の横向き。

そういう場合、可能性としてあるのは試験的設置。
秋田県警も、青森のように横向きに変えることを検討中なのかも。例えばこの冬の様子を見て、来年度から…などと。ここは、交通量がさほど多くないので、万一トラブルがあっても混乱しづらい、道幅が幹線道路並みに広い上、北~西方向が開けているので、吹雪による着雪状況が評価しやすい、といった理由で適地かもしれない。
半分だけ交換して半月以上そのままなのは、この状態で比較するためかもしれないが、従来型・電球式と比較しても意味がない。どうして止まっているのでしょう。



交換前の信号機について。
基本的には日本信号、平成3(1991)年7月製。ボディは車両用は樹脂(ポリカーボネート)製で銘板は横型の位置、歩行者用は金属(アルミ)製。※卸団地はもっと古くから存在したが、これ以前は信号機がない交差点だったのかもしれない。
しかし、車両用のうち2台だけは、小糸工業(現・コイト電工)製のアルミ製のいくぶん新しいもの。東進側と西進側それぞれで、左正面に見る信号機(主灯器)、写真ではボディがベージュ(樹脂が経年で変色)でなくグレーのもの。
左側がコイト製
実は以前にもここで試験と思われる設置がされていて、その名残りだと思われる。【22日補足・このことからも、ここが再度試験地とされた可能性はあるのでは。】
現在の東進側

2002年4月撮影の東進側
少なくとも2001年春頃~2022年4月の時点では、LED式信号機が設置されていた。小糸工業製?【下の追記参照】 それが取り外され、電球式に戻っている(ストリートビュー最古の2012年9月では、もう今と同じ電球式)。
秋田県でLED式信号機が本格採用されたのは、2002~2003年頃から。
それより早くの設置だったので、おそらく初めて見たLED信号がここだったかもしれない。物珍しくて撮影していたが、当時は、今よりも信号機への興味が低い時期で、これしか撮影しないでしまったのが悔やまれる。

愛好家のサイトでは、秋田県のLED信号は、県庁・秋田市役所前にあったもの(交換済み)が最初期とされ、卸町への言及はない。実際には、卸町も県庁前と同時かやや早い設置ではないだろうか。
県庁前のものは、LEDながらちょっと変わった方式であるものの、その後長期間(2010年代前半頃まで)使用された。
卸町のほうは、現在もよくあるLEDの粒がそのまま見えるものだが、粒が細かくて多いのが初期の特徴。位置的に、西日と吹雪に対する視認性確認と(東向きで)その対照用だったのではないだろうか。なぜ外されてしまったのかは分からない。
【12月5日コメントをいただき追記】このLED式は、京三製作所もしくは松下通信工業による1998年前後製造ではないかとのこと。となれば、はやり秋田県最初期のLED信号だったのかも。


平成初期の秋田の標準的な構成の信号機だった交差点が、横型化。これが令和の秋田の標準になるかは、この冬の状況次第かもしれない。そもそも、本当に試験なのか不明ですが。
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つばさ・こまち料金改定

2021-11-18 23:03:40 | 旅行記
2021年11月16日、JR東日本から「山形新幹線の全車指定席化と山形・秋田新幹線の特急料金の改定について」が発表された。2022年春から適用。
※以下、秋田新幹線沿線住民の視点での中身です。山形新幹線側では受け取りかたが違う点もあるかと思います。利用の際は公式な情報を確認願います。

内容は大きく2点。
まずは、自由席もあった山形新幹線「つばさ」が、全車指定席になる。福島~山形~新庄のミニ新幹線区間では、空席に自由席料金相当で乗車できる「特定特急券」制度を導入。
2002年の秋田新幹線「こまち」と同じ動きであり、秋田ではすでに行われていることなので、この件は関係なし(横手・湯沢などから新庄で乗り継ぐ場合は関係しますが)。


もう1点が、分かりにくいけれど、秋田新幹線にも関わる。
ミニ新幹線区間における特急料金が、全面的に変更される。 といっても、購入方法は変わらず、金額も激変ではないので、以下、読み飛ばしてください。
「従来よりもわかりやすく、ご利用しやすい特急料金体系に見直します。」として、「新幹線と在来線の区間をまたがってご利用の場合または在来線区間のみをご利用の場合」「指定席特急料金の価格見直しにより、わかりやすくお求めやすい料金体系とします。」。
※ここでの「新幹線」とはフル規格である東京~福島/盛岡、「在来線」とはミニ新幹線規格の福島~山形~新庄、盛岡~秋田のこと。以下、フル、ミニと表記します。

こういう場合、料金改定を口実に、実質値上げしてしまうことがあるが、本件はそうでもないと思う。ただ、つばさで現行の自由席と比べれば、当然値上げにはなる。また、こまちも含めてグリーン車を使う場合は230~280円値上がりするらしい。さらに末尾の通り、つばさ/こまちの進行方向と逆方向へ乗り継ぐ(V字)場合も値上がり。
少なくとも「わかりやすく」なるのは事実だと思う、のだけど説明が難しい。

NHK秋田放送局のローカルニュースでは、18日に「来年春 秋田新幹線の特急料金見直し 最大280円値下げへ」として報道。プレスリリースを元にそつなくまとめている。いい意味でさすがNHK。
NHK NEWS WEB より
ところで、NHKの報道の背景に映った資料映像。ミニ区間複数箇所で撮影したこまちの走行シーンなのだが、最後の↑シーン。秋田駅からいちばん近い「館の越踏切」付近だ。画面奥が秋田駅で、右フレーム外が踏切。速度が遅いことから、車両基地へ引き上げる回送列車だと思われる。
また、画面のすぐ奥で、左方向に線路が分岐していて、それが羽越本線。1961年の運行開始当初の特急「白鳥」と「つばさ」は、秋田駅を同時刻発車だったそうで、この場所(もっと奥の分岐点ギリギリ)で撮影された、左右に分かれていく両列車の写真をネットなどで見ることができる。しかし、現在、分岐点内側はJR東日本の保線関係の倉庫みたいのや民家などがあって、立ち入って撮影などできなくなっている。館の越踏切に続く道路が、いちばん分岐点に近いが、分岐点は見通せない。でもNHKは、その道路より分岐点寄りで、しかも高い位置から撮影している。民家の2階に上がりこませてもらうか、倉庫か何かの駐車スペースに高所作業車でも入れさせてもらって撮らないと、↑このアングルにはならないはず。

一方、17日付 秋田魁新報。第3社会面で小さな配信記事「秋田新幹線 来春、料金見直し/山形新幹線、自由席廃止へ」を載せ、こまちに関しては具体的な金額すら挙げていない。仙台支社のコメントとして増収を狙った改定ではないことには触れている。魁の記者たちは本件を理解できていないのかもしれない。
実際、乗車するにしても、今はえきねっとなど大幅な割引や、宿泊込みのパックを使う人が多いだろうから、今回の改定での影響は軽微になるだろう。秋田新幹線「こまち」の場合は、さほど気にすることでない(ととらえる人が多い)だろう。


以下、細かい話で、具体例。間違っているかもしれません。
現在、通常期の正規料金で、秋田~東京間でこまちの普通車指定席を利用すると、乗車券10010円+指定席特急券8110円=計18120円。乗車券は今回関係ないので、特急券8110円のほう。

JRの新幹線・特急列車に乗り慣れている人ならば、「自由席料金は、通常期の指定席特急料金の530円引き」は半ば常識。グリーン車などの料金も、自由席と同額をベースに加算される。
裏を返せば、「座席指定料金は1列車につき530円」と取れる。

では、全席指定なのであり得ないが、仮にこまちに自由席が存在した場合、秋田~東京の料金は8110円-530円=7580円となるかと思いきや、そうならない。
7200円。つまり座席指定料金として910円も取られている。
910円に内訳があり、フル規格区間で530円+ミニ区間で380円。すなわち込みだとフル6430円+ミニ1680円=8110円。
つまり、フル・ミニそれぞれで指定料金を取られ、ミニ区間のほうは530円の約3割引という感じ。

そんな内訳を知ってしまうと、同じ席に座り続けるのに、他列車の1.7倍も取られるのは、不公平じゃないでしょうか。
「いなほ」や昔の「たざわ」など在来線特急との乗り継ぎでは、実際に2つの席を使うことになるし、基本的に乗継割引制度があったから在来線側は半額になっていたのだから、ミニ新幹線化による値上げの一因だった。

また、指定相当額に限らず特急料金全体で見ても、同じことだった。
在来線の特急料金は、50キロ刻みで決まっていて、在来線特急時代の「たざわ」や「つばさ」は、安い「B特急料金」が適用された。速度や設備で劣るからだと思う。ミニ新幹線化で、「A特急料金」に変わって、ここでも値上げとなった。

ミニ区間のみを利用する時は、A特急料金そのまま。秋田~盛岡だと、指定席2390円、特定特急券1860円。
フル区間へまたがって利用する時は、専用の別の料金体系が存在し、それはA特急料金の約3割引の値段。今回のリリースでは「幹在特」と表記してある。たしかに券面にもそう表示される。秋田~盛岡(指定席)だと1680円。

安い高い、不公平感は別としても、この“二重の料金体系”がとても分かりづらかった。
料金案内サイトでも明確には出てこないし、旅行業務取扱管理者とかの資格試験でも難問とされるらしい。
趣味で旅行計画するにしても、閑散期・繁忙期、特定特急券、さらにグリーン車やえきねっと割引(旧)も絡んでくると、何がなんだか…
たしか、繁忙期にフル区間に少しだけまたがってグリーン車に利用(秋田~新花巻【19日訂正】雫石~新花巻とか?)すると、同区間の普通車指定席より安い料金になってしまうような、おかしなこともあったはず。


2022年春からは、ミニ区間の二重体系を一本化。A特急料金とも幹在特とも異なる「新特急料金(正式な呼称かは不明)」が設定される。そして、フル区間へ乗り通す場合は、指定席料金相当額が含まれない(重複徴収されない)額になる。50キロ刻み。
秋田~盛岡など100~150キロ区間の場合。
 現行 A指定席2390円、A特定1860円、幹在特指定1680円
  新 ミニ区間のみ指定2110円(-280円)、ミニ区間のみ特定1580円(-280円)、フル区間へ乗り通し1580円(-100円)
フル区間に行くかに関わらず、指定席を取るか/取らない(特定特急券)かどうかで530円違うという、他の特急料金と同じ感覚の体系。
秋田~東京ではミニ1580円+フル6430円=8010円(-100円)。絶妙な価格設定といったところか。大差ないけれど、適正な料金体系になったととらえて、歓迎するべきだと思う。



今回のリリースでは、あまり分からないこと2点。
1.閑散期・繁忙期の増減額
カレンダーで定められた時期は、指定席特急料金が増減する。普通は繁忙期+200円、閑散期-200円。
ところが、これでもミニ新幹線直通では重複適用されている。ミニ区間分の200円は3割引(140円)で加減され、繁忙期+340円、閑散期-340円【19日補足・上記繁忙期グリーン車での、普通車との料金逆転現象の一因がこれ】。来春からは明示されていない。

2022年4月には、JRグループ全体でこの制度が変更される。
新型コロナウイルス対策として利用を平均化すべく、再繁忙期・繁忙期・通常期・閑散期の4区分になり、期間も現行と変わる。当然、重複適用はなくなって、他列車と同額になるはず。


2.直通運転でない方向への乗り継ぎ(V字乗り継ぎ)
ここまでは、つばさやこまちが走るルート(方向)での、ミニ~フルのまたがり。
では、つばさ・こまちと反対方向のフル区間へまたぐ場合。つまり、福島で白石蔵王・仙台方向、盛岡でいわて沼宮内・新青森方向と、つばさ・こまちとの乗り継ぐ場合。

現行でも、JR東日本公式サイトではこの点があいまいで、運賃検索サイトでは通しでない別々の料金で計算されてしまうのだが、実際には幹在特が適用される。遠方の駅窓口では発券に手間取ることもあるらしいが、秋田新幹線沿線では指定席券売機でも購入できる。

今回のリリースに、「今後は直通方向のご利用に限り、新幹線区間のみの料金(通常期の場合530 円)とします。」とあるし、そもそも幹在特が廃止されるので、今後は別々の料金になり、ここは値上げになる。

秋田~盛岡~八戸の場合。指定席どうしの場合と、特定特急券どうしで比較。
・現行 指定席 ミニ(幹在特)1680+フル2400=4080円
・現行 特定特急券 ミニ(幹在特)1300+フル1870=3170円

・新 指定席 ミニ2110(新料金)+フル2400=4510円(+430円)
・新 特定特急券 ミニ1580(新料金)+フル1870=3450円(+280円)

なお、V字でなく秋田から盛岡や仙台で乗り換えて福島や郡山に行く時のような、フル区間各駅で、こまち/つばさと他の新幹線(はやぶさ、やまびこ等)を乗り継ぐ場合でも幹在特は適用されるが、その場合は改正後も新料金が適用されるのだろう。「直通『方向』のご利用」だから。
このケースの現行では、ミニ区間は特定特急券にしておけばその分380円安くなる。改定後は、フル区間が自由席であっても、ミニ区間の料金は固定になるようなので、指定を取らなきゃ損ということになるのか。


2016年に、秋田駅の指定席券売機で、八戸→盛岡→秋田の特定特急券を買っていた。
きっぷは3枚出てくる。発券番号順に
新幹線特定特急特急券(立席)八戸→盛岡 当時の特定特急券料金1840円

特定特急券(立席)盛岡→秋田「幹在特」表示あり 当時の幹在特料金1280円

指定券(立席)盛岡→秋田 値段なし
盛岡を境にはっきりと分かれていて、盛岡駅で改札の外へ出ることも可能だった。
3枚目が、指定券なのに指定されていない無意味な券片だけど、2枚目と同時使用の必要あり。例外的な料金体系の、さらに例外的な利用ならではの変わったきっぷなのだろう。
来春以降は、盛岡を境にした普通の2枚の特定特急券(当然盛岡で下車可能)になるはず。


山形、秋田に続くミニ新幹線は、全国各地に構想はあるようだが実現はしていないものの、両新幹線はすっかり定着している。整備新幹線構想もなかなか進まないし。
JR東日本では、山形新幹線への新車両E8系電車導入、福島駅でのアプローチ線の改良(大がかりになりそう)を行うことになっている。秋田新幹線でも、岩手秋田県境・仙岩峠に新たなトンネルを掘って、安定運行と時間短縮する計画が出ている(発案はJR東日本側。費用負担は両県もすることになりそうだけど)。そんなわけだから、2つのミニ新幹線は、この先も当分走り続けるだろう。
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カツオの時間割

2021-11-16 22:40:06 | その他もろもろ
アニメ「サザエさん」へのツッコミ。
現在放送中のサザエさんは、いちおう現代を舞台としているが、自動改札機がなかったり、携帯電話普及率が著しく低かったりする。我々の住む世界に似てはいるが、別のパラレルワールドなのかもしれない。その世界に対してツッコむべきではないのかもしれませんが。

11月14日放送の2話目。作品No.8322「要領のよい学習法(脚本 城山 昇)」。カツオくんが、算数の宿題をがんばる話。
その中で、前例があったかどうかは知らないが、貴重な情報が明らかになった。
磯野カツオの学校の時間割表である。すなわち、かもめ第3小学校5年3組の。

教室の黒板の右側に貼られており、中身を明瞭に判読できるシーンが2度あった。それがいろいろと…

かもめ第3小は公立だと思われるが、自治体(世田谷区?)や学校の判断で、標準と異なる科目や時間配分にしている可能性もある。実際に、45分でなく40分授業にしたり、午前午後でコマの時間の長さを変えるような事例もあるらしい。そうした点はないものとして、以下進めます。

まず目に付くのは、土曜日も3時間の授業があること。6時間目まであるのは火曜と木曜で、そのほかは5時間目まで。合計30コマ。
学校週5日制になっていない世界なのか。
我々が小学生だった昭和末の秋田市立小学校の5・6年生は、水曜が4時間(5時間?)、土曜が3時間で、後は毎日6時間の週31時間だったと思う。

教科と時間数の内訳。
国4、算4、理3、社5、音3、体2、図2、家1、読1、道1、クラブ2、生2
「生」とされている教科がある。小学校1・2年生のみのはずの生活科だろうか。別に理科と社会もある。
「読」は読書か。昭和末の秋田市立小学校では、国語の一環として週に1回「国語(読書)」の時間が設けられていたが、4年生以上はなくなったかも。国語といえば「書写」の時間が設定されていないが、通常の国語の中でやり繰りするのかもしれない。この辺りは各学校の裁量かもしれない。
我々の頃は「特活(特別活動)」「学級会(ロングホームルーム)」も週1回ずつほどあったはずだが、ない。5年生だと委員会活動もあるし、今は「英語(外国語)」や「総合的な学習の時間」もないといけない。

週当たり時間数の配分もおかしい。ざっと見て思うのは、
いちばん時間数が多いのが社会で、火曜日以外毎日ある。多すぎる。体育2回、家庭1回は少なすぎる。
図画工作は普通は2時間続きでは。家庭も2時間続きでないとやりにくそう。

「クラブ」が2回もある。これは「必修クラブ(※)」か。「特別活動」の中に含められるようだが、我々の頃は特活と別に週1コマ確保されていた。現在は週5日制になって、週1どころか月1回に減らす学校もあるらしい。
※僕はこのクラブのことを、任意参加の部活動と区別する時は「正課(せいか)クラブ」と呼ぶと思っていた。しかし、全国的には「必修クラブ」のほうが通りがいいようだ(意味としては素直)。
Googleで検索すると「"正課クラブ"」は約3700件、「"必修クラブ"」は48000件と大差。
小学校で「正課クラブ」の名称でクラブを行っていることが確認できたのは、秋田県内が圧倒的に多いようだが、福島県須賀川市、千葉県船橋市、愛知県内各地、徳島県、山口県下関市にもあった。学術論文や文部科学省サイトにも記載があるので、まったくの地域限定な呼称でもないようだが、誰にでも通用する言葉ではなさそう。
また、土曜3時間目をクラブにすると、クラブ対象外の3年生以下との教室や教員の兼ね合いで面倒なことになりそう。下学年を下校させた、平日午後がクラブの時間の定番だと思う。

などと好き勝手に御託を並べてばかりでは失礼。文部科学省「平成27年7月16日 中央教育審議会 初等中等教育分科会 資料3-3「小学校の標準授業時数について」」から、おそらく今年度に適用されていると思われる、5学年の週当たりコマ数を拾った。なお、6年間で総計5645時間。
国語5、社会2.9、算数5、理科3、音楽1.4、図画工作1.4、家庭1.7、体育2.6、道徳1、特別活動1、総合的な学習の時間2、外国語1 計28コマ
必修クラブのほか学級活動も、特別活動に含めていいようだ。

かもめ第3小 5年3組と比較すると、
国語&読書±0、社会+2.1、算数-1、理科±0、音楽+1.6、図画工作+0.6、家庭+0.7、体育-0.6、道徳±0、特別活動(クラブ)+1、総合的な学習の時間-2、外国語-1(、生+2)。週総計+2。
こうして見ると、そんなに逸脱していないようにも感じる。進度や行事・祝日などを加味して調整すれば、なんとかなるのかも。

でも、カツオくんの算数の成績が良くないのは、時間数が足りないのも一因ではないか。社会を1~2コマ回すべきでは。
何度か再放送されている「カツオ社会が悪い(No.2210、1984年1月15日、雪室俊一)」という話がある。カツオくんの社会の点数が悪い話だったのだが、今はこんなに授業があるのだから、点数は良くなったかな。


サザエさんに限らないはずだが、背景を丁寧に作画している人たちがいる。サザエさんでは、居間の窓の外に咲く花が季節ごとに変わる。
5年3組の時間割表もその1つなのだろうけど、遊び心であえておかしくしたのか、それともテキトーに埋めたのか。



サザエさんといえば、ドラマ「マー姉ちゃん」が、現在NHK BSプレミアムで再放送中。
長谷川町子「サザエさんうちあけ話」を原作とした、1974年度前半のNHK連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)。熊谷真実主演、脇役に懐かしいor意外な人たちが多数出演。
NHKが全話保存している(=再放送可能な)最古の朝ドラだそうで、そのためか1980年代後半にも再放送されていて見た記憶があったし、原作も読んだし、2010年にはフジテレビでサザエさん生誕65周年としてアニメ化もされた。
懐かしさでちらりと見てみたら、やっぱりおもしろくて、録画して毎日見てしまっている(日曜にその週分を連続放送するが、それだと疲れるので1日1話で)。最近の朝ドラなどまったく見る気もしないので、久々の朝ドラ。
そんなわけで、来年3月までは毎日が長谷川町子ワールド。


【追記・その後の時間割について】
2022年5月8日3話目、No.8415「止まらない磯野家(脚本 浪江裕史)」の最後のほうで、No.8322とほぼ同じアングルのシーンがあり、時間割表が判読できた。内容は、No.8322と完全に同一であった。
教卓の色合いが微妙に違っていたり、黒板ふきの左に黄色と白のチョークが1本ずつあるなど、前回とは異なる箇所もあり、No.8322の背景画像をそのまま使い回したのではなさそうではあった。
2022年10月2日3話目、No.8463「カツオ、着目の秋(脚本 諸橋隼人)」の冒頭、教室中央から前方を見たシーン(これまでとは異なるアングル)で、時刻表が判読でき、これまでと同一。
2023年4月16日1話目、No.8540「中島くんと交換作文(脚本 雪室俊一)」で、時間割表の4時間目から下が描かれ、変わりなし。
2024年9月22日3話目、No.8795「走れカツオ(脚本 諸橋隼人)」で、2時間目から下が描かれ、変わりなし。
2024年11月10日3話目、No.8804「ひみつの参観日(脚本 諸橋隼人)」で変わりなし。
2025年1月26日1話目、No.8856「デパートの女神さま(脚本 雪室俊一)」で変わりなし。
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ふぞろいの案内標識たち

2021-11-15 23:16:23 | 秋田の地理
「方面及び方向」の案内標識(108系)について、1986年以前の旧仕様と、ピクトグラムについて取り上げてきた。今回は、文字での案内。
まずは前回の記事で、港のピクトグラム紹介に使った、土崎の秋田市道のものを再掲。
(再掲)

旧仕様の卸町の秋田市道も。
(再掲)

表示された箇所の地理を知る人は、違和感がないでしょうか。一部の地名の順番に。土崎の右折側「能代 飯島」、卸町の右折側「湯沢(改行)大曲」。
反対に地理を知らない人がこれを見たら、それぞれの地名の位置関係をどう感じるか。能代、湯沢のほうが、それぞれの設置地点から近いように受け取るかもしれない。

実際の表示地点からの距離(近さ)は、飯島→能代、大曲→湯沢の順。これは、「遠い地名のほうが左/上」に表示するという決まりがあるとのこと。


次に、市外の自治体名(他の市町村)ではない、市内の地域名の表示について。前々回から触れているように、選択基準が謎だし、一貫性もない。
現実としては、カーナビや地図などもあり、案内標識だけを頼りに移動する人はとても少ないはずだが、そうする人がいたとすれば、この標識たちでは頼りにならない。例えば、県道233号・泉踏切方面から西へ進み、秋田市八橋地区を目指すとしたら…
(再掲)生鮮市場の交差点(前々回のC地点)
2つの交差点をまとめたイレギュラーな表示だが、八橋へは2ルートあることが分かる。

左折したとしたら、
(再掲)附属中角のY字路(前々回のA地点)
ここで右折、秋田市道「保戸野学園通り」に入る。

学園通り最初の十字路。保戸野みその通り~泉いちょう通りとの交差点には、案内標識がある。現行仕様でやや大型のものなのだが、その柱の、通常は「秋田市」など管理者名が表示された部分が変わっている。
「秋田市」の下に
標識の諸元というべきか、情報が記載されている。管理上便利そうだけど、どうしてここだけ?
それによれば「型式 F-2型」。Fというのは見たままの柱の形を意味するようだ。標識板は2400×2500、設置年月は平成17年3月=2005年。

表示内容は、
2400×2500の通り、正方形に近い不思議な比率
八橋が消えた! 標識のみを頼りにすれば、ここでゲームオーバー。
これまでなかった地名や道路ばかりが記載されている。大町、土崎、泉、県道56号(新国道)は、いずれも妥当。前々回の繰り返しだが、県道233号の標識になかったのがおかしい。
あと、やはり山王や県庁市役所はあってもいいと思う。土崎へは、ここを直進して新国道ではなく、右折して泉地区を市道で抜けて新国道へ出るように誘導している。
だけど、直進の「高陽」。これは意表を突かれた。

高陽は、秋田市の大字レベルの地名の中では、マイナーかつ狭いエリア。それでも、高陽幸町、高陽青柳町と言われれば認識できる秋田市民は多いはずだが、「高陽」だけ抜き書きされるとピンとこないかも。
ここの次、400メートル先の新国道に出る所が「高陽幸町」交差点で、越えれば高陽地区ではある。こんな近くになってから書かれても、今さらなのでは。

その高陽幸町交差点にも案内標識。
こちらは横長サイズ
ここにも「高陽」。ここでも土崎を案内し、左折方向にはやっと山王、そして茨島。いずれにしても八橋はなし。


生鮮市場の交差点に戻って、今度は直進したとする。次が前回の絵入り標識の交差点。
【12月14日画像追加。この標識は作り直されていたが、表示地名は以前と変わらず。】
写真がないが、大町、川尻/山王、土崎の記載なので、早くもゲームオーバー。

大町と書いてあるほうへ左折すると、泉いちょう通りで、上記の学園通りの交差点だが、こちら側には案内標識がなく、その先を直進し続けても、標識なしに竿燈大通りへ出てしまう。

川尻/山王へ直進すると、次が新国道へ出る「新川向」交差点。ここは標識あり。
小さめだけど文字が多い
ここは地名が充実している。「八橋」も復活!
直進は、川尻、山王、寺内、八橋の4つ。高陽幸町交差点では左折方向にあった山王が、ここでは直進。この点は後述。
左折は茨島に秋田駅も。県庁市役所はない。高陽は、この交差点の左前という位置関係で微妙なためか、なし。

という具合に、道路管理者の違い、設置時期の違いはあるにせよ、記載する地名が統一されていない。道案内をするのならば、突然、地名が消えるような一貫性のない標識では意味がない。
新川向交差点の向こう側は、市道「八橋大通り」。そちら側にも案内標識がある。
文字やや少なめ
右折もしくは直進にあってもいい「秋田駅」はなし。
向こう側では、ここから見て背後方向に案内されていた「山王」が右折側に。高陽幸町交差点と同じ方向。どちらも間違いではない。山王十字路とか山王地区東側へは右折だが、市役所など山王の中央~西なら背後方向とも言える。
そんなことを考えれば、「能代」など市外の自治体名、秋田市中央地区での「土崎」など同じ市内の遠方のエリア名は問題ないが、近いエリア名を表示する時は難しい場合がある。地名に対応するエリアが広範囲な場合は、ドライバーの認識する地点と一致しないこともあろう。
それを思えば、あまり近すぎる地名は表示せず、施設名などピンポイントなものにするべきかもしれない。ここらでは、山王、八橋よりも「県庁市役所」「八橋運動公園」などと。

もう1つ、上の標識の右折の順番が「茨島 山王」なのは、冒頭で示したルールにより、遠いほうから表示しているのだろう。では、直進の「保戸野 泉」は。
交差点向かい側が、もうそれらの境界。左(北)が泉南一丁目、右が保戸野千代田町。したがって、泉と保戸野の距離は同一。保戸野のほうが主要な地名との判断かもしれないが、市民の認識と一致するだろうか。ここは地理に合わせて「泉 保戸野」が適切かもしれないが、上記の通り、こんな近くを記載する必要があるのか。
旧国道の八橋一里塚付近では「通町」と、公式には現存しなくなった地名(現行では保戸野通町として存在)を表示してしまっているが、それとか、大町、手形、天徳寺などがいいのかも。やはりその先の標識との連携が必要ですが。

以前、通学路など生活道路において、住民以外の車の通行を禁ずる補助標識の言い回しが統一されていないことを取り上げた。案内標識でも似たようなことになっていて、統一される日は当分来ない予感がする。


ここまで紹介した、現行仕様の案内標識の文字は、写研「ナール」。秋田県や秋田市では、正式に規定されてナールなのか、国にならえのデファクトスタンダードでナールなのかは分からない。
その一方、非統一なのが標識板のサイズ。その場所にそのサイズ・形の必要があるのか。
さらにナールの文字サイズもまちまち(文字の太さ=ウエイトは同じと思われる)。前回の初期のものはデカかったが、近年のは板や余白を踏まえてももう少し大きいほうが見やすい気がするが…
1990年代中頃設置だろうか、秋田市立体育館の裏側、八橋パブリ付近の市道では、
文字が横長。ワープロ専用機の横倍角みたいな
↑右が「八橋」とされているが、直進も八橋(八橋大通り)だし、ここらがすでに(左手前を除いて)全部八橋だ。左側はすでに「寺内」だし。
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街の紅葉2021終盤

2021-11-13 19:48:14 | 秋田の季節・風景
今年の秋は、紅葉が遅めで、気候はいくぶん穏やかに感じられた。
11月に入っても晴天が続いていたが、今週(9日辺りから)は、雨がしとしと、時には雷を伴って強く降り続けた。それでもまだ、平年よりは暖かいと思う。
今週の雨風で、秋田市街地の紅葉は散ってしまったものも多いが、始まりが遅かった木ではまだ残っているものもある。気温が高いせいか、ケヤキの紅葉のバラツキ(早い/遅い/紅葉せずチリチリ)が、いつもより激しいかもしれない。
保戸野学園通り、秋田大学附属中学校前
散りつつも、まだなお鮮やか。

以下、先週・11月初めまでさかのぼって、市内各所の紅葉。
仲小路、木内裏
学園通りより1週間早い段階で、落葉が進んでいた。
右の階段の上は、新型コロナを理由に、2020年(3月?)から休業したままの、元百貨店(現衣料品店?)木内(きのうち)の玄関。こちらは裏口ではあるが、幅は広小路側と同じくらいだし、往時はジューススタンドもあって、にぎわっていたものだ。

千秋中島町・千秋北の丸の境目
手前・坂の途中のケヤキは紅葉中。右上、千秋公園の上にもケヤキらしき木が見えていて、完全落葉。

中央通り
イチョウの黄葉のバラツキは、例年こんなもの。

今まで何度か取り上げた(2018年)、旭川沿い、保戸野街区公園のイチョウとケヤキ。これまでは1本ずつの写真だったけど、角度を変えたら、
イチョウがもう1本あった

土崎。
手前はソメイヨシノ
紅葉の美しさは、木の状態もあるが、光によるところが大きいと、毎年思う。特に写真に撮るのは難しい。ことさらツタは。
ツタの家
家の壁をツタがはうと、吸盤が残ってやっかい。そもそも持て余した空き家なのかもしれない。でも、この時期に見せてもらう分には、とても美しい。
こちらは手形

保戸野の諏訪愛宕神社の小さいほうのお社。
夕日を浴びて燃えるよう(右奥が大きい社)

ちょっと不格好
この木、ぱっと見ケヤキっぽいが、どうも違う。樹皮などケヤキ以上にツルツルで。昔から、何の木か気になっていたのだけど、今年もまた葉を落として調べにくい季節が来てしまった。
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案内標識の絵

2021-11-11 22:54:39 | 昔のこと
「方面及び方向」の案内標識(108系)の続き。
1986年改正前の旧仕様標識として、前回主に取り上げた、県道233号の、保戸野原の町~泉南の1985年開通区間。そのうち、BとCの標識があった、秋田生鮮市場保戸野店の交差点から西へ伸びる市道「泉ななかまど通り」。それを400メートル進んだ、市道「泉いちょう通り」との交差点が今回のメイン。
西側から
この交差点には、4方向とも案内標識が設置されている。周りの同様規模の交差点では、設置されていない方向のほうが多いのに。
しかも、ここの案内標識は若干変わっている。
東進側
東進向きのものだけ、下に「50m」と書かれ、他の3枚にはなし。4つとも交差点との距離は同じくらいだけど、手前に小さいながら交わる道があるからだろうか。間違う人はいないだろうけど。
南進側
案内される地点は4枚とも同じ。北「土崎」、東「仁別」、南「大町」、西「川尻 山王」。一般的な標識に比べると、板に対して文字が大きい。
前回の県道にはあるべきなのになかった、土崎、大町、山王は出てきた。でも、あちらにあった手形や八橋は消えてしまったし、秋田駅や県庁市役所はどちらもない。

そして、土崎には船、仁別には山、大町にはビル(7階建て?)の絵が、それぞれ添えられている。ほかは青色だが、山は緑色で描かれ、とても険しい姿。
駅など施設に対してはピクトグラムが添えられることもあるが、これは施設ではなく地名に対するものだし、ピクトグラムというよりわりとリアルな「絵」。絵は具体的だが、絵が指すものが抽象的というか雰囲気だけで、この絵だけを見せられて、それぞれの地名を連想できる人はいないだろう。
リアルな船で波紋も描かれる
【12月14日追記】1枚だけ新しいものに作り直されており、船の絵が違うものになっていた

一般的なピクトグラムの例。
土崎の市道の案内標識
この港のマークは、秋田港というピンポイントに対応するものだし、船のほか係船柱(ボラード)も描かれていて、港であることが伝わりやすい。ただ、ピクトグラムとしてJIS規格(末尾参照)に定められた港は、船だけのようだが。

青森県道260号、弘前市「取上」交差点東
岩木山は岩木山っぽいし、天守と桜となれば弘前城しかないが、うまい具合にピクトグラムっぽくしている。このように、ピクトグラム部分を反転表示させる場合もある。
あと、ここは「弘前駅」くらいはあっていいのでは?【12日追記・「弘前城」は、「弘前公園」かせいぜい「弘前城址」とすべきではないだろうか。現役の城ではないし、現代の案内なので。】

泉・保戸野に話を戻して。
この交差点ができたのは、生鮮市場のほうよりは数年遅い、昭和の終わりのはず。1988(昭和63)年時点で、ここを通る千代田町経由神田交通局線が走っていた。
案内標識が現行仕様(ローマ字あり、ナール書体)に改定されたのが、1986年10月。前回最後のような最初期は建設省管轄でもまだ手書きのものがあったが、ここが開通する頃には秋田市管轄でもナールを使うようになっていたことになる。

前回も触れた国交省のサイトによれば、1986年の改定では、標識に「市町村章、都府県章、シンボルマークの表示を可とした」とのこと。それでピクトグラム入りが増えたのだろうか。
ここの交差点の場合、黎明期のため、秋田市が「シンボルマーク」とは何かを理解していなかったか、拡大解釈して地名に対する絵にしてしまったのか。そして、ここまでやったなら「川尻 山王」に絵を入れてやれなかったのか。
地名の選択や文字サイズも、模索の途中だったのだろう。文字の大きさは、大きいほうがいいと思うのだけど、どうして最近のは小さくなったのかな。

開通直後、僕はこの標識の絵を見るのが楽しかった。これからはこんな案内標識が増えていくのだろう。その時はどこがどんな絵になるのかな、と楽しみにしていたのだけど、ここだけに終わってしまった。


その後の設置例をGoogleマップストリートビューより。
横金線を広面から北進した、手形山。秋田高校の坂へ下りる交差点の手前。
仁別に例の絵が!
今は県道41号だが、最初は市道だったはず(手形山大橋・手形トンネル開通前は、直進方向はなかった)。南からこの交差点までが開通したのは、平成初期頃だろうか。文字は現行並みに小さくなっている。
直進の橋~トンネルが開通したのが2000年頃。仁別へは、県道15号との交差点を右折することになるが、そこの案内標識には仁別でなく「仁別国民の森 Nibetsu Kokumin no Mori」で文字のみ。


場所変わって、手形山の下、市道と県道15号が交わる「からみでん」交差点。県道はこの交差点で曲がっていて、北と東。
県道・秋田大学方向から西進する側
ここでも「仁別国民の森」で、こちらはピクトグラム付き。大きい木とその下にベンチっぽいものが描かれているが、伝わりにくいデザイン。

この向こう、天徳寺・旭川橋から東進する側は市道。市道側にも案内標識が設置されている。同時に設置されたかどうかは分からないが、以下のように差異があるので、別々に発注されたようだ。
ピクトグラムたくさん
左折方向に3つのピクトグラム。でも文字は「仁別国民の森」と「太平山リゾート公園」の2つだけ。
仁別国民の森のローマ字は「Nibetsukokumin no Mori」と、県道とは区切りが微妙に違う。どっちみち日本語を知らない人には通じないでしょうけど。ピクトグラムは同じ。

残りのピクトグラムは、泳ぐのとスキーするのと。
仁別でそれとなれば、前回記事の石川市長時代(計画は高田市長時代から)にオープンした、「クアドーム・ザ・ブーン」と「太平山スキー場 オーパス」。太平山リゾート公園の主要施設であり、リゾート公園の名前より市民に浸透しているかもしれない。ただし、リゾート公園にはほかにキャンプ場や植物園もあり、この2つのピクトグラムだけでいいのかとも思う。
リゾート公園への誘導が、県道側になくて市道側にあるのは、単に設置時期の違いかもしれないが、リゾート公園は秋田市が主導したものだからだろう。県としては知ったこっちゃないと。

ところで「仁別国民の森」。物心ついた頃は、秋田市民は仁別に遊びに行く時は、代名詞のように「国民の森」と言っていた気がする。その後、太平山リゾート公園ができると、以前ほどは聞かなくなったような…
仁別国民の森は、林野庁の管轄で、今も存在する。1966年、明治100年記念で全国に6つの国民の森が指定された1つ。その後で「仁別自然休養林」にも指定。林野庁ホームページでは「仁別自然休養林(仁別国民の森)」と紹介している。
ただ、現在でも秋田市民に「仁別国民の森」は充分浸透している。ツイッターで「"国民の森"」で検索すると、仁別ばかり出てくる。ほかの5つの国民の森はどうなったのか。
仁別はその後「家族旅行村(今は国交省管轄)」にも指定。遊園地「仁別レジャーランド」ができて7年でなくなり、リゾート公園ができて今に至るようだ。


以上、案内標識のピクトグラムは、統一されていないのが実情。
国土交通省では「道路標識設置基準」において「表示するピクトグラムは、表示する公共施設等の性質、種類等が容易に識別できるもの(当該公共施設等が日本工業規格 Z8210 に定められているときは、これに適合するもの)でなければならない。」としている。
そのJIS規格自体が、オリンピックパラリンピックなどもあって変遷していることも一因のようだが、ここで紹介したピクトグラムは「駅」以外は適合していないと思われる。まあ、通じればとりあえずいいのだろうけど。
そして、前回と今回で触れているように、文字で示される案内先も、一貫性がないものが多い。もう1回続く
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元秋田市長 石川氏逝去

2021-11-09 19:52:57 | 昔のこと
1990年から2001年まで秋田市長を務めた、石川錬治郎(れんじろう)氏が、2021年10月29日、82歳で亡くなった。※弘前と直接の関係はありませんが、最後のほうでちょっとしたつながりが出てきます。
死因は未発表だが、「急逝」とツイートしている政治関係者がいる。
11月3日付 秋田魁新報 社会面には、死亡記事と「評伝 「草の根」を掲げ多くの支持得る」が掲載された。遺族による死亡広告や、死亡届に基づくおくやみ欄掲載はなかった。東京の病院で亡くなったとの報道もあり、秋田から転出していたのだろうか。5年くらい前だろうか、市内でお見かけしたのが最後だった。公式ホームページは2015年頃、公式ブログは2016年7月21日でそれぞれ更新停止。

石川氏は、秋田県五城目町馬場目生まれ。千葉大学助手を経て、1983年から参院選や市長選に出馬するも落選。前市長の病気辞職後に秋田市長となり計3選。3期目途中(残り1年)で女性への現金授受騒ぎが起きて、妻の介護を理由に辞任。その後、秋田県議会議員を1期務めた(前後に衆院選や県議選で落選)。
といった経歴。
なお、出生地はWikipediaでは「日外アソシエーツ」を出典として「五城目町字杉沢」としているが、大字の「馬場目」が抜けていることになる。


秋田市長としての業績は、秋田公立美術工芸短期大学(現・秋田公立美術大学)の開学、中高一貫校・御所野学院の開校が挙げられよう。Wikipediaでは美短は触れていない。【2022年2月10日追記・市立美術工芸専門学校を短大化した経緯について、秋田魁新報「シリーズ時代を語る・青木隆吉18」より】1986~1989年度に在職していた専門学校長に対して、高田市長から「学校の将来について考えてほしいとの話があり、それが短大構想の始まりだったようです。」とあり前市長時代から内々で話は出ていたようだ。公約にした石川氏が当選し「短大構想は急速に具体化しました。」。
魁では2000年に「国連軍縮秋田会議」を開催したことも挙げていたが、記憶にない。

振り返ってみれば、そのほかにもいろいろある。前任者時代から進んでいた事業だが、秋田市出資の第3セクター企業による、ポートタワーセリオンやクアドーム・ザ・ブーン、太平山スキー場オーパスのオープンも任期中。
秋田新幹線開業は秋田県主体だが、開業と同時の秋田駅舎改築も(高架化も検討されたが、橋上駅舎に収まった)。開業日(関連記事)の秋田駅ホームのテープカットでは、石川氏は上が茶色・下がベージュ色の羽織袴姿で、ミッキーマウスとともに異彩を放っていた。

古紙など資源化物(資源ごみ)の回収品目の充実、救急救命士と高規格救急車の導入は、どちらも全国的に早いほうだった。国が進めたことだが中核市移行は全国第2弾。
以前、「きらめく北の人間都市あきた」という市のキャッチフレーズを取り上げた。1991年度策定の「第7次秋田市総合計画」が初出で、2001年頃まで使われたとしたが、石川市長の在任期間と一致する。


バブル崩壊の直前に就任したわけで、以降、日本経済も秋田市も衰退し続ける中での仕事だったことになる。
上記3セクの経営は悪化した。就任前に街びらきしていた御所野ニュータウンには、イオン秋田ショッピングセンター(現・イオンモール秋田)がオープンし、(イオンだけが原因ではないと思っているが)秋田市中心市街地は衰退した。郊外移転した秋田赤十字病院跡地には、「芸術文化ホール」構想も出たが立ち消え、退任後も長く空き地が続いた。

そして、秋田市の公営企業であった、秋田市ガス局と秋田市交通局(秋田市営バス)を廃止し、民間企業へ移管したのは、石川氏の決断であった。その結果、ガスはともかく、バスの現状は…
全国的な流れもあったし、いろんなしがらみや抜き差しならない事情もあっただろうから、石川氏自身がどうしても民間移管したかったわけではなかったかもしれない。
市長退任後の石川氏は、自転車(※)のほか路線バスで出歩くことが少なくなかったようで、駅前のバス乗り場で何度も見かけ、車内で乗り合わせたこともあった。「あんたが決めた結果がこのありさまだよ」と思ってしまったけれど。※魁には自転車で初登庁する姿が話題になったとあったが、秋田テレビでは市役所正面の広場方向から歩いて初登庁する映像が流れた。その後も自転車通勤(保戸野八丁の市長公舎=現・保育園から)することがあったとは聞いている。
良くも悪くも、今の秋田市があるのは、多かれ少なかれ石川氏の力があったことになる。自分が子どもから大人になる時期の市長だった人の記憶を留めておくことにしたい。

【2023年10月22日追記】秋田市の人口が30万人を突破したのが1989年。2002年まで増加を続けた。その後、2005年に河辺雄和両町と合併したものの、減少が続き、2023年には30万人を切ることになる。石川氏在任中は、人口としては増え続けていた時代。


石川氏の訃報を受けても、ネットでもマスコミでも、市長時代の業績に関する言及はかなり少ないと思った。仮にも県庁所在地の20年前の市長なのに、もうすっかり過去の人なんだろうか。
秋田市長は石川氏の前が高田景次氏(1973~1990年。2003年没)、後が現秋田県知事の佐竹氏(2001~2009年)、その後が現職の穂積氏。
秋田市長経験者で存命なのは、佐竹氏だけになった。でも、佐竹氏=秋田県知事が定着してしまったから、佐竹氏が秋田市長だったことも、すっかり忘れられていることでしょう(実際、“腰掛け”市長だったと思う)。

【10日追記】11月10日付 秋田魁新報 文化面に歌人の佐佐木幸綱氏による「石川錬治郎さんを悼む/ほろ酔いの身を翻し」が掲載。2人は早稲田大学で同級生だったとのこと。1998年に秋田市で「日本文化デザイン会議・秋田会議」が開かれ、その後石川氏が「日本ほろよい学会」を立ち上げ(よく知らないけど会議も学会も名前は聞き覚えある)、佐佐木氏も関わって親交が深まったといった内容。




以下、石川氏に関する個人的エピソード2題。
我が家では、石川氏がしゃべる姿をテレビで見聞きする時、話題になることがあった。
この人、かなりなまる。
なまると言うのは、イントネーションではなく、言葉に濁点が付くような。「わだずが、あきたすちょうのいすかわです」みたいな。秋田の人でそう話す人はいなくはないが、石川氏はかなりきついほうだった。

ずっと秋田にいる・いた人なら、まあそれも当然。でも、東京の大学を出て、千葉で大学の先生をしていた人。
大学の講義でしゃべることもあったろうに、なまりが抜けることがなかったのか、それが学生にどう思われていたか…

ところで、菅前首相は、秋田弁風(純粋な秋田弁ともまた違うようにも感じる。少なくとも秋田の人がみんなああいう話しかたではない)のイントネーションが抜けない。
このかたも、高校卒業後秋田を離れ、ずっとあちらにいたのに抜けず、そのしゃべりで何度も選挙を勝ち抜いて、内閣総理大臣にまでなった。首相就任時の東京での街頭インタビューでは「なまりが素朴で親しみが持てる」などと好意的な声があったのにも驚いた。それならば、もっと心をこめて、真に“丁寧な説明“をしてくれれば、もっと好感度が上がったのでは?

東北の人は、自分のなまりや方言をコンプレックスに感じることが多いもの。そして秋田県人は「いいふりこき(見栄っ張り)」で方言を隠したつもりで、うっかり使ってしまうこともある。
だけど、このおふたかたの話しぶりには、それらが感じられない。堂々となまっている。見習うべきかもしれない。


石川氏の大学教員時代の専門分野は、公式プロフィールでも「千葉大学園芸学部」までであまりはっきり示されないことが多かった。魁の評伝などにある通り「農業経済学」が専門。
千葉大の園芸学部は、他大学の農学部と同義。
農学系と言えば、生物や化学的分野が連想されるが、それ以外にも幅広い。土木や機械の農業工学、そして農業経済学というのもある。農学系唯一の社会科学系(文系なんだろうけど、入試は理系科目だったりする大学も)。
2000年頃の弘前大学農学生命科学部では、農業経済学分野に5名の教官が配置されていた。農政、経営、流通、協同組合、農村社会学などを研究していた。概論的な授業を受けたことがあるが、個性的で話が上手な先生が多く、おもしろかった。そのおひとりが「ペルーのフジモリ大統領(当時)も農業経済学者(今調べたら、農業工学の数学が専門のような情報も)。農業経済を学んで政治家になる人も多い」と話していた。石川氏もそのひとりであり、フジモリ氏とほぼ同年代、市長・大統領就任期間もだいたい重なる。
石川氏のさらに細かい専攻が、農業経済の中のどの分野だったのかは分からないが、どんな講義だっただろう。


ところで、その頃の弘前大学の教育学部(学校教育 発達心理学分野)には、石川教授という教官がいらして、共通教育(旧・一般教養)の授業を受けたことがあった。
その石川先生は、なんと石川錬治郎氏の親戚らしい。

といっても、確証は1つもない。
石川教授は、なまってはいなかったと思うし、お顔が似ているわけではなさそうだったし、秋田出身だとか話した記憶もない。
ただ、情報源は学生間の噂話レベルではなく(弘前で秋田市長が誰かなどどうでもいい話)、信頼の置ける人から直接伺った話(「親戚らしい」の形だけど)だから、僕は信じている。

石川教授は、1998年度(1999年3月)で停年退官(定年退職)。錬治郎氏より6歳ほど年上。
「学園だより 第123号」に退職に当たっての文章を寄せている。それから分かったのは、1959年に仙台から弘前へ来て、以後40年間在職したことくらい。


さらにもう少し関連。
1999年4月、弘前大学教育学部に新しい教官(当時の職名・助教授)が着任した。発達心理学ではなく、教育心理学という分野所属のようだったが、石川教授の後任なのだと思う。
その助教授の前任校は、秋田公立美術工芸短期大学。
石川市長の親戚の後任者が、石川市長が開学させた大学から赴任したとは、なかなか奇遇ではないだろうか。
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旧仕様案内標識

2021-11-07 18:54:02 | 昔のこと
秋田市道の「方面及び方向」の案内標識に関連して。
前回の2つ目では、楢山・牛島橋バス停付近の古い案内標識を交換したものを取り上げた。その周辺には、もう2本、古い標識があった。
そこから北に位置する楢山広小路バス停・秋田楢山郵便局の交差点。北側(中央通り・聖霊高校から南進向き)と、西側(下新橋から東進向き)にあった。
前回のコメント欄の通り、北側は2017年7月から2018年7月の間に撤去された(更新されず)。逆L字型の角がアールを描き、標識を吊り下げる柱でサビで茶色くなっていて、表示板はもともとは手書き文字だったのが2012年10月から2015年8月の間に新しいものに交換されていた。牛島橋と酷似した見かけなので、進行方向も同じことだし、同時に設置されたのかもしれない。ただ、こちらの手書き版は文字がはっきりと判読でき(更新の必要なかったかも)、直進が国道13号、左折が「秋田駅(馬編の点が1つにまとまっている)」、右折が「大町」。更新後は直進に「牛島」も追加されていた。

交差点西側のものは、現役(2021年夏頃以降未確認ですが【2021年11月28日時点で現存】)。
左が聖霊・右が牛島橋
これも吊り下げタイプだが、支柱のサビがなく、表示板の文字も異なる。
左折方向は無視。「中通」くらい書いてもいいのに
文字が手書きではなさそうだが、写研「ナール」でもない。そして見覚えがある。
かつてのバスの行き先表示でおなじみ、モリサワの丸ゴシック体だと思われる。ただ、「秋」の「火」の点の向きから、バス方向幕とは同一書体ではなさそう。旧脳研・成人病医療センター前の看板(書き換え済み)など、道路標識類での使用例はなくはない。
モリサワでは、角ゴシック体をベースに丸ゴシック化した書体を、写真植字機時代には何種類か提供していたそうだ。昔は看板やテレビの字幕などでもわりと使われていた。しかし、どれもデジタルフォント化はされていない(例外中の例外でNHKでは特注で使えるらしい)。ナールや最近の丸ゴシック体とはまた違う雰囲気があって、個人的には好きなのに…


ここで、案内標識に関する法令の変遷をまとめておく。以下のサイトに、詳細や写真があります。
 国土交通省 わが国の道路標識の歴史 https://www.mlit.go.jp/road/sign/sign/douro/hist01.htm
 光和産業株式会社 標識デザインの変遷 http://www.kowa-roadsign.com/20200907153336
交差点に設置される方向を1枚にまとめた標識(108系)は、1962(昭和37)年に初登場。当時は手書きで、ローマ字入り。
1971(昭和46)年には、ローマ字表記を廃止。
1986(昭和61)年には、ローマ字を復活。※国交省のサイトでも「英語」ではなく「ローマ字」としている。
この1986年に、文字を手書きでなく活字とすることとし、ナールを用いるのが定着して現在に至る。ただし、必ずナールでなければならないわけでもない。建設省(当時)が示した仕様書「土木工事標準設計図」でナールで例示されたのに、自治体も追随した(自治体単位では規定している所もあるようだ)という、デファクトスタンダード状態なのだろう。

楢山広小路西の標識は、ローマ字がないから、1986年より前の設置だろうか。にしては活字を使ったとなれば、当時としては先進的だったのでは。


ここで場所と時期を変える。
秋田県道233号のうち、保戸野~泉の「原の町通り」と愛称が付けられた部分+アルファの区間(約500メートル)。ここは1985(昭和60)年の春に開通したと記憶する。秋田市街地において、縦型信号機が初めてまとまって設置されたはずだが、大幹線ではない道路としては案内標識が多く設置されたのも目新しかった。開通区間に3つある交差点のうち、すべての方向だから4か所設置された。同じ交差点でも、新規開通でない方向には、その時点から現在まで、まったく設置されていない。
地理院地図に加筆。設置位置はA~D
支柱はアールがなく太く、現行と同様。板は小さめで、色は水色気味(楢山のより薄い)。経年による退色もあろうが、元から薄めだった気もする。ローマ字なし、手書き文字。

いちばん南側のA地点
秋田大学教育文化学部附属中学校近く、マンションアーバン原の町のあるY字路交差点の南進向き。
そう言えば、ここから右折・新国道(高陽幸町交差点)方向は、1985年より若干後に開通した気もする。Y字路に信号機が設置されたのが少し後で、中古品を寄せ集めて、車両用はなぜか横型で設置されていた(2014年交換済み)。

左折が「手形」「千秋トンネル」、右折は「八橋」。秋田市民には通用する。
でも千秋トンネルという、地名や施設でない道路構造物、しかもわずか500メートル先にあるものを表示するのが珍しい。そして「秋田駅」あるいは「大町/中通」はあるべきでは。
「八橋」は妥当だが、「山王」や「県庁/市役所」、新国道を指す「県道56号」もあるべきでは。

逆向き・北進するB地点
秋田生鮮市場保戸野店近くの交差点。ここは当初は左折しては新国道(新川向交差点)までは細い道だっだはず【8日補足・拡幅後は1990年に「泉ななかまど通り」と命名】。
ここも左折は「八橋」のみ。右折は「平和公園」と「添川」でどちらも珍しい。後に設置される標識では、平和公園でなく「天徳寺」が一般的だし、この方面だと「卸売市場(当時は中央卸売市場)」あるいは「外旭川」もあって然るべき。

Cを飛ばして、そのまま右折してすぐ、それ以前からあった交差点との接続部D。したがって開通以前は丁字路で、信号はなかった。
引き続き「平和公園」「添川」。
県道としては直進する。右折は狭いが元県道。1つ手前の生鮮市場の交差点のこの向きには案内標識がないから、手形、大町、秋田駅方向へ行く人は、標識による誘導がまったくされないことになる(さらにもう1つ手前の交差点にはあるが)。この交差点を通り過ぎてしまうと、大町や駅へ行くのは遠回りになる。市道と県道で調整して、標識を増設したほうがいいかもしれない。

戻ってC。
縦の道が2本、「八橋」が2つ
左折して350メートル進んだ、A地点の標識の内容を内包した表示。親切なようではあるが、戸惑う人もいよう。現行ではこのような表示は規定外ではないだろうか。
そして現状では、やはり「秋田駅」「県庁/市役所」「県道56号」さらに「土崎」もあるべき。

旧仕様としては最末期設置と思われる標識。加えて、表示する地点の選択にクセというか偏りがあるように感じられる。特に秋田市中央部へは誘導したくないかのような雰囲気。板や柱の状態は悪くないが、いつまで残るだろう。
秋田市道の古川添交差点の南側・卸町にも、アールなしL型柱の手書き標識がある。
(再掲)現在は本荘と大曲は上貼り修正
書いた人が違うということだろう。タッチが違うかな?
【12日追記】今回のA~Dの中でも、Aだけ「八」の2画目の横が長く、そのほか「橋」の右下のハネ、「形」の右側など、C~Dと少し形が異なる。


Googleマップストリートビューより。新屋の雄物川左岸、雄物新橋から川沿いに下って、雄物大橋(の上)手前。【7日追記・現存しないようだ。】
ローマ字入りで手書き
これは市道だが、国道7号北行き側にも同じ仕様の標識がある。
「雄物川河口」は、いわゆるももさだ海岸。「R.M.」とは「river estuary」か。【8日訂正】河口を英語では「estuary」とも言うが、厳密には「河口域」や高校の地理で習った「三角江、エスチュアリー」を指すようだ。ピンポイントとしての河口はそのまんまの「river mouth」だそうだ。語源としては偶然の一致なのか、それとも関係(どちらかを訳したとか)があるのだろうか。

雄物大橋と続く国道7号秋田南バイパスが開通したのは、1986年10月。案内標識に再びローマ字を入れる決まりに改正されたのと、同月。
したがって、新仕様になった最初期の作例と思われる。建設省(当時)直轄であったはずの国道側でもナールではないということは、手配が間に合わなかったか、最初期はナール使用が浸透していなかったということだろうか。

新基準初期の例について、続く
コメント (6)
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秋田市道の案内標識

2021-11-04 00:07:18 | 秋田の地理
秋田市道に設置された、青い「方面及び方向」の案内標識から2題。
前回の大学病院からまっすぐのモミジバフウの道。大学病院から南進して「秋田大学付属病院」交差点で県道28号を越えると、すぐに「大学病院入口」交差点。その手前に設置されているもの。
前回の記事の写真とほぼ同じです

標識を拡大
直進は狭い道だから細線で何も書いていないのはそれでいいでしょう。
右が東口でも西口でもない「秋田駅」なのも、この地点ではそのほうが適切だと思う。

大きな問題は左折の「大平」って何?
「太平」でしょ!

一般人はそのように誤変換・誤記することがたまにあるが、秋田市の主要な地域名を、秋田市役所が間違えるのはいただけない。
ただし、点の部分だけカッティングシートがはがれてしまった可能性もなくはない。Googleストリートビューでは2012年時点でこうなっていたけど。
対処としては、白いペンキかテープを貼り付ければ、ごまかせそう。


さらにもう1点。交わる左右の道が県道28号になっている。
上記の通り、現在の県道は1本手前の交差点で交わっている。その道ができる前は、こちらが県道だったので、古い内容のままということだろう。

旧道が県道でなくなったのがいつかは分からない。今の県道の新しい道は、1994年頃に開通したのではないかと思う(広面小南交差点の信号機の製造年から推測)。とすれば25年も放置されているのだろうか。


また、左折して、さらに右折したところに、2015年に秋田市東部市民サービスセンター「いーぱる」が開所している。
現状では、手前の電柱に広告の形で誘導案内が出ている(こういうのって広告費がかかるの?)。どうせなら、いーぱるを案内標識内に記載しても構わないだろう。

そして、この進行方向で手前の現・県道と交わる秋田大学付属病院交差点のところには、案内標識は未設置。病院に来た不慣れな運転者もいるだろうに、広い道を通り過ぎて旧道まで来てから案内したのでは遅い(リカバーは可能な道路形状だが)。
やはり、手前の県道交差点に新たに案内標識を設置するのがベターではないだろうか。



もう1つは、楢山の太平川近く牛島寄り。一方通行の「牛島橋」バス停先の交差点の案内標識が、2012年時点でこんなものだった。
(再掲)読めない
国道13号、楢山、登町と、なんとか解読できなくもない。でも、設置場所がすでに楢山本町と楢山南中町の境界で、1つ隣が楢山登町なので、あんまり意味がない案内かも。

その後、Googleストリートビューによれば2015年8月から2019年9月の間に、ついに標識が柱ごと新しくなった。小さめの板だけど、この場所にはふさわしい。
【5日訂正】ストリートビューを見直したところ、先(2013年12月=独自に確認 から2015年8月の間)に柱はそのまま標識だけ新しくされ、その後(2019年9月までの間)で柱を新しくしていた。標識は同じものと考えられるが、旧柱では見慣れぬ金具を介して吊り下げていた。
バス停表示板と信号機も新しくなった


13号のほか、仁井田、卸団地、大町と妥当か。でも考えてみれば、13号に出るのは、卸団地方向からでも可能だ。以前の標識は、太平大橋(1978年3月完成)・古川添交差点がつながる以前、右から卸団地へ行かれない頃に設置された可能性があるので、左しかなかったのだが。

そして、卸団地の英語(ローマ字)が「Oroshidanchi」なのはいかがなものか。
(再掲)国道の案内標識で卸団地は…
国道や県道、さらに古川添の南の市道でも、英語で「Wholesale Area」となっているのですが。

ここも、今となっては裏通りに成り下がってしまい、案内標識の必要性は疑問。撤去だけで良かったかもしれない。
古い案内標識について続く
コメント (6)
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モミジバフウ2021

2021-11-01 19:52:36 | 動物・植物
広面(ひろおもて)の秋田大学医学部附属病院正面の市道に「モミジバフウ(紅葉葉楓、ただしモミジやカエデの仲間ではない)」が街路樹として植えられ、きれいに紅葉する。遅ればせながら2017年に初めて知って、当ブログでは以後毎年紹介している。

今年は行かないと思っていた(理由は後述)が、ワクチン接種時にシャトルバスの車窓から見えてやはりきれいだと思い直し、出直した。
一斉に紅葉せず、グラデーションになる
これまでは10月末~11月では散り初めていることが多かった。昨2020年は遅めで盛り。今年の紅葉も全体に遅い感じがするが、ここも昨年よりさらに遅れているか。まだ緑の葉もあるし、散っている葉が少ない。

今年、モミジバフウをあきらめかけた原因は、少し前の秋田魁新報の記事。
道路管理者である秋田市が、紅葉前にバッサリと太い枝を切ってしまったとのこと(樹種の言及はなかったと思う)。
この効率優先の管理方法について秋田市議会(の委員会か何か?)で取り沙汰され、今後は見栄えや木の生育にも考慮した管理を行っていくことを、市役所内の関係部署で申し合わせた、といった内容だったと記憶する。

秋田市以外の自治体も含めて、こまめな剪定や落葉の処理が負担といった理由で、バッサリ切り落とすことはされている。剪定には税金が使われるわけだし、落ち葉は沿道・地元の住民が掃除するとしても、高齢化や空き家の増加でままならない場所も増えているはず。
少なくとも今後は、高木になる街路樹を新たに植えることは難しい世の中になるかもしれない。むしろそれが持続可能な道路・街に求められるかもしれない。
ただ、それで「緑豊かな街」などとは言えなくなるだろう。今の秋田市だって、街なかの緑は多いとは言い難い。

そんな記事を読んだ後の接種帰りの車窓(写真は後日再訪時)。切られたモミジバフウなどなく、これまで通りの紅葉。新聞には写真も出ていたのに…と南へ進むと、
これか
「谷内佐渡(やないさど)」バス停のところ。県道28号と交わる「秋田大学付属病院」交差点から、すぐ南の元県道と交わる「大学病院入口」交差点の間の木(7本?)だけが、バッサリだった。1本に葉が10枚くらいしか付いていない状態にされていた。

残りの北側
最近の記事にちなんで地名。上の写真、大学病院に向かって左・西側は広面字蓮沼。右・東側は基本的には広面字糠塚(柳田字糠塚ではない)だが、写真手前の交差点付近では東側も蓮沼。角のローソンが秋田広面蓮沼店なのは間違っていない。

さて、セントラルフィットネスクラブの前のモミジバフウ。
足元も紅葉?
ひざ丈ほどにこんもりと紅葉した植物が茂っていた。それもモミジバフウ。

切り株から生えたひこばえかとも思ったが、現役の木の根本にも茂っている。種が芽生えたにしてはここだけこんなにならないだろうし。

ここの木々は、紅葉時期がずれるし、実がなる木とならない木があるようで、遺伝的に同一ではないようだ。となると、この木だけ、根からブッシュ状に新芽が出やすい性質なんだろうか。

2024年はこの記事後半。
コメント (5)
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