広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

神田線と競合するコミバス

2021-05-31 23:28:21 | 秋田の地理
泉外旭川駅開業に伴い、コミュニティバス「秋田市マイ・タウンバス 北部線(※)」の1路線がリニューアルされ、「外旭川笹岡循環コース」となった。※事業主体・秋田市、運行受託・キングタクシー。
それにより、秋田中央交通の一般路線バス・神田線のバイパス移行でバスが通らなくなった、旧道区間を再びバスが走ることになった続き。路線概略は、前回の記事を併せてご覧ください。

前回は「時計回り」方向に、外旭川駅前広場から、神田の旧道を抜けて、神田線の経路でもあるバイパスへ右折して合流するところまで。
右折して大通りに出てすぐが「八柳二丁目」(住居表示実施以前の「八柳一区」)。
中央交通神田線のバス停と同じ位置をバス停とし、両側に、マイタウンバスのポールが置かれた。
神田線下り&本路線時計回り側は、2本仲良く並んでいるのだが、上り&反時計回り側では、
街路樹のイチョウ1本分間を置く
というか、ここには、黒いフレームで透明な壁と屋根の上屋があった。
市営バス末期に設置されたもので、原の町や帝石前と同じタイプのはず。ポールは置かれず、透明な壁にサツキのイラストとともにバス停名が表示されていた。

Googleストリートビューでさかのぼると、2019年9月には上屋がまだあって、2020年8月には撤去され、現在と同じ位置に中央交通のダルマ型ポールが置かれていた(台座はどこかの転用品)。
工事のジャマになるとか、車が突っこんで破壊されたとかいう環境ではなさそう。風雪による損壊や腐食などでもあったのだろうか。
マイタウンバス用新設時に、向かい側では仲良く並べたのに、こちらはどうして離して置いたのか、傾斜があるなどでもなく理由は思いつかない。

進んで次が「卸売市場入口」。
神田線上り・マイタウンバス反時計回り側
道路外側に、古い待合小屋がある。壁は後年に張られたようだが、古い看板がかかっている。
「卸売市場入口停留所」
こういう小屋の待合所は、新屋線の茨島近辺にもあるが、乗客もバス運転士も、互いに存在を確認しづらい欠点がある。
ここのポールは、上下とも、
仲良くぴったり並ぶ
中央交通・神田線も、バス停名称は「卸売市場入口」。しかし、ここの中央交通の表示板は上下とも、市営バス時代設置のナール・ローマ字入りで「市場入口」と表記。市営バスもこういう点はいい加減だった。

卸売市場入口から先は、一般路線とマイタウンバスで異なるルート。
一般路線・神田線は、もうしばらく直進。「八柳三丁目(旧・八柳二区)」、県道72号(新国道~アンパス~北インター)を越えて「外旭川病院前」、そこを右折して「旭野団地」、さらに中へ入って「外旭川市営住宅前」など団地内を周回。市営住宅止まりの系統もあるが、秋田厚生医療センターへ行く系統も2つあり、1つは県道72号へ出て一気に医療センターへ。もう1つは県道からもう1つ東側を通って、外旭川サテライトクリニックがある「外旭川中谷地」を経て医療センターへ。

マイタウンバスは、旭野団地~市営住宅へは立ち寄らず、中谷地~医療センターへ向かう。
といっても、単純に県道を進んだりはしないし、八柳三丁目バス停がない。少々分かりづらいのだが、利用者の利便性を考えた経路なのだと思う。

「八柳三丁目」は、スーパーマーケット「ナイス外旭川店」のほぼ前にある。
神田線上りでは、ナイスで買い物をした高齢者がここから乗りこんで、短距離乗車して降りていくという利用が、それなりにされているようだ。
と言っても、下り側は信号機まで回って横断しないといけないし、店の前の駐車場が広いので、建物までそれなりに歩く。
ナイスの前。店舗は左方、先方に八柳三丁目上りバス停

八柳三丁目バス停が存在しない、マイタウンバスでは…
方向によってルートが変わる。神田→厚生医療センターの時計回りでは、卸売市場入口の次の交差点を右折して、卸売市場のほうへ向かう。神田線が1996年春に卸売市場を通らなくなって(神田線平成史)以来、25年ぶりにバスが通るのだろう。
奥が交差点。その左方向が卸売市場入口バス停、卸売市場は背後左
曲がって間もない地点に、上の写真右の建物「スーパードラッグアサヒ外旭川店」がある。元は卸売市場の小売部門みたいなので、後にスーパーのビッグフレック→ビフレの外旭川店(過去の簡単な記事)。居抜きで2019年にドラッグストアになった。

ここにバス停があるとのことだったのだが、探すのに非常に苦労した。実は上の写真に写っているのです。赤い車の右側に。
電柱に隠れるようにポール。向かいはスイミングスクール
キングタクシーのバス停は、表示板が片面だけで、その面をバスから見える向きにするのが原則のようだ。
この置き方では、電柱に隠れてしまう。どうして電柱の逆側とか、歩道側に置かないのか。
そのバス停名は、
「ナイス入口」
ここなら広い道路横断の必要なく(ただし車がたまに通る狭い道・交差点はあるので注意)、150メートルほどでナイス店内。スーパードラッグアサヒも便利。バス(ワゴン車)が大きい交差点で右折するのを回避する意味もあるかもしれない。

そして逆方向、厚生医療センター→神田の反時計回りは、ここは通らない。対応するバス停は、
「ナイス前」
前というからには、その場所は、
ほんとにナイスの玄関前!(裏面向きですが↑がバス停)
駐車場の中、店舗出入り口ギリギリにバス停があった。ここならナイスそのもの、軒先が待合所代わりになる。公道上ではないものの、横断歩道相当部分と重なってしまうのは、問題かもしれない。

(下の図もご覧ください)医療センター・中谷地方向から県道を南下してきて、交差点を左折せず、その手前でナイス駐車場に入り、駐車場を東へ突っ切った所にこのバス停。この後、八柳三丁目バス停側から道路へ出て、卸売市場入口へ向かうようだ。
交差点を通る代わりに、ナイス駐車場で県道から市道へ抜ける形。
【6月1日追記】ただ、ナイスで買い物を終えて、笹岡へ帰る人は歩いてナイス入口から乗ることになる。それを思えば、時計回り側こそ、ナイスの軒先に乗り付けたほうが親切。もうひと工夫できないだろうか。

弘前市と周辺では、弘南バスがスーパーマーケットの駐車場内にバス停を設置している。城東のカブセンターや浪岡や安原のマックスバリュのほか、イオンタウン弘前樋の口にも入るようになった。
北秋田市でも、秋北バスがイオンタウン鷹巣の駐車場に入る。
秋田市では初ではないだろうか【6月1日訂正・コメント欄の通り、昨2020年から東部・上北手コースが、スーパーセンターアマノ御所野店に乗り入れている。】。しかもナイスだけではない。
Googleマップに加筆。赤がマイタウンバス、緑が神田線
県道の北隣の小さい交差点角には、「グランマート外旭川店」もある。
この交差点は、神田線の医療センター系統が県道へ出入りするポイントなのだが、バス停としては旭野団地が最寄りで250メートルほど。

マイタウンバスは、グランマートでも駐車場に入る。
「グランマート前」
こちらはスーパーの玄関付近には設置できなかったようで、並びのクリーニング店の横、屋根もなくてちょっと微妙な位置。車がびゅんびゅん通る道路沿いよりはマシか。利用者数にもよるがベンチでも置けばいいと思う。

こちらもまた交差点角であるため、出入りは大変そう。詳細は不明なので、上の加筆地図のこの部分はテキトーです。
公式な路線図から読み取れる限りでは、時計回りでは卸売市場側から交差点を直進して、駐車場内へ、バス停通過後県道へ出て北上。
県道を南下する反時計回りでは、路線図を見るとグランマートの敷地もしくはその外(裏手)を、ぐるりと1周しているように描かれている。県道からの右折や信号に伴う他車の動向のためだろう。

バス停紹介はここまで。これ以降は両方向でルートが同じになり、中谷地経由神田線とも同じルート。
時計回りでのグランマートの次は、外旭川中谷地、秋田厚生医療センター。そして、この路線の主要な目的地である笹岡に立ち寄って、天徳院前、旧道へ出て泉外旭川駅へと戻る。
神田線の場合は、中谷地経由になるのは平日と土曜日だけのはず(サイトの検索にはそう表示されない)だけど、マイタウンバスは毎日通るということでしょう。
【6月1日追記】報道によれば、最近の秋田中央交通では、原則としてバス停名称は地名とし、店舗や施設の名を使うことはないそうだ。頻繁に名前が変わる施設がありこりたのか。一方で、上記の通り秋田市マイ・タウンバスとしては、店舗名のバス停でも構わないことになる。どうせなら外旭川中谷地も「外旭川サテライトクリニック前」にすればいいのに。



さて、新たにマイタウンバスのルートとなった、泉外旭川駅~卸売市場入口~秋田厚生医療センター。ここでは神田線とルートが重なる。
秋田市内のほか地域のマイタウンバスでも、一般路線バスと重複するものはある。
その対応はまちまちで、マイタウンバス側では競合区間内相互のみの利用はできない(乗車/降車どちらかが競合区間外である必要)ものと、普通に乗降できるものとがある。
北部地域では、外旭川以外の各コースの国道7号では前者なのだが、外旭川では後者。この区間内での乗降もできるので、神田線と競合することになった。

この区間で完全に同一のバス停としては、八柳二丁目、卸売市場入口、外旭川中谷地、秋田厚生医療センターの4停留所だけだが、位置と名称が若干違うものを含めれば、大雑把に泉外旭川駅~医療センターまで新規区間すべてが競合すると言える。
初乗り運賃は、一般路線が170円、マイタウンバスが200円と運賃体系は異なる。
泉外旭川駅(外旭川駅前広場)最寄りの神田線のバス停は「水口入口」なので、そこからいくつかのバス停までの所要時間と運賃を比較してみる。
水口入口~卸売市場入口 2分190円
外旭川駅前広場~卸売市場入口 10分200円

水口入口~旭野団地 6分230円
外旭川駅前広場~グランマート前 15分250円

水口入口~外旭川中谷地 16分280円
外旭川駅前広場~外旭川中谷地 19分310円

水口入口~秋田厚生医療センター 16分(中谷地経由19分)330円
外旭川駅前広場~秋田厚生医療センター 23分360円
※ちなみにJRからバスに乗り継いで医療センターへ行く時、土崎駅か泉外旭川駅かの問題。バスで土崎駅前~医療センターは12分250円と、泉外旭川より早くて安いが、本数は多くないので悩ましい。
以上、競合区間ではマイタウンバスのほうが多少高額になっている。本数も少ないことから、神田線の強力なライバルではないのだろう。【6月1日補足・手続きをした秋田市民の高齢者ならば、コインバス事業でどちらも100円均一になる。】

やはり今回のルート変更の意義は、この路線の本来の利用者であろう、笹岡集落の人たちの利便。バスで2つのスーパーマーケットへ出かけられるという点で、画期的ではないだろうか。
※マイタウンバス化以前・神田笹岡線時代は、土崎駅前まで行っていたので、そっちで買い物はできた。マイタウンバス化後は乗り継がずに買い物することは不可能だったはず。

以上のような、意欲的に思える、秋田市マイ・タウンバス北部線 外旭川笹岡循環コース。
便数の少なさ、車両の小ささもあって、多数の利用は想定していないのだろうけれど、もう少し工夫すれば客を増やせる余地がありそう。廃止代替であっても一般路線バスに負けない交通手段になれるかもしれない。
そして2022年秋になるという道路改良後、一般路線も外旭川駅前広場に乗り入れる時には、どのような路線になるだろうか。
【2023年9月14日追記】一般路線・神田線の駅前広場乗り入れは2023年2月23日から、上下全便立ち寄り。
マイ・タウンバス外旭川笹岡循環は、2023年10月から全便予約式に変更になってしまった。利用者が多くなかったのだろうが、よそ者には利用しづらくなってしまった。
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神田線旧経路がコミバスで復活

2021-05-29 21:06:34 | 秋田の地理
今春開業したJR泉外旭川駅、その路線バスのこと。
秋田市主導により、泉側、外旭川側それぞれに「泉駅前広場」「外旭川駅前広場」のバス停が設置された。
泉側では、秋田中央交通の一般路線・泉ハイタウン線の上り便だけが、形ばかりの乗り入れ。→この記事後半。

外旭川側は、道路形状の制約で大きなバスは乗り入れられないことが分かって、一般路線バスは道路工事後・2022年10月以降に乗り入れ予定【追記・2023年2月23日から、神田線全便上下とも乗り入れ】。
しかしながら、秋田市が運行主体のコミュニティバス「秋田市マイ・タウンバス 北部線」は、ワゴン車を使っているため支障がなく、開業時から乗り入れている。その話。
「外旭川駅前広場」バス停。泉側よりは地下道出入口に近いとはいえ、屋根はない
秋田市マイタウンバスは、地域ごとに民間事業者に運行を委託している。北部線は運行開始以来ずっとキングタクシー。
北部線は、土崎以北の地域も一括した名称なのだが、南側の外旭川地域は路線網としては「笹岡コース」として独立していた。
市営バス→中央交通が運行していた、神田線の派生系統「神田笹岡線」が2011年春に廃止された代替として運行開始。
神田笹岡線の、神田線本系統との重複部分をカットして、
神田-天徳院前(バス停の姿)-笹岡-秋田厚生医療センター(旧・秋田組合総合病院)
の経路。一般路線の神田線が、2019年に旧道の「神田」バス停を通らなくなった後も、引き続き神田発着のままで、接続がなくなっていた。
(当初と変遷はあったかもしれないが現行では)9人定員で予約は不要。ただし、笹岡集落の奥のほう(一般路線時代は入らなかった)で乗降する時に限り、要事前予約【30日補足・基本は定路運行し、予約があった時だけ一部のルートを変える「定時・迂回型」のデマンド運行という分類になるのでしょう】。
【2023年9月14日追記・2023年10月からは全便が予約式なってしまった。】


泉外旭川駅開業後は、駅に乗り入れるだけでなく、外旭川地域西~南側も通るようにして1周する環状運行の「外旭川笹岡循環コース」に再編された。
1周40分強。運賃は200円~360円で、遠回りのルートに乗った場合は、短いほうの距離の運賃になるらしく、1周しても200円になりそう。
運行本数やダイヤは従前とあまり変わらず、平日片道5~6本、土日祝3本。※一般路線バス時代と比べると微増。
泉側やその他各地域では中央交通の一般路線が手をこまねく一方で、思い切った前向きな変更に思える。本数がもっとあれば利用者も増えそうなものだが、コミュニティバスの本来の意義や、一部重複する一般路線バスへの影響も考慮しないとならないのだろう。
Googleマップに加筆。赤が笹岡循環(一部簡略化=詳細は次回記事)、水色は一般路線・神田線
新しい経路(主要バス停)は、
外旭川駅前広場-水口-天徳院前-笹岡-秋田厚生医療センター-外旭川中谷地-卸売市場入口-神田-水口-外旭川駅前広場
上記右→左【30日訂正】駅→笹岡→医療センター→駅を「反時計回り」、右←左【30日訂正】駅→医療センター→笹岡→駅を「時計回り」と称する。
起終点を神田から駅へ変更(神田は途中バス停化)、新たに神田より東側の旧道もルートにして駅へ出入りするので旧道~駅は1度の運行で2度通る。

つまり、2019年にバスが通らなくなった旧道区間を、再びバスが通ることになる!
ただし、かつてのバス停も復活するが、すべてではない。

では、外旭川駅前広場から、復活したルートをたどってみる。
「外旭川駅前広場」泉と違って新品のバス停
表示板は「北部乗合タクシー」としているが、市の正式な呼称ではない。以前は「タク停」とも書かれていたが、それはない。

駅前から天徳寺通り・天徳寺バイパスの天徳寺方向へ右折。神田線の秋田駅行きと同じルートなので「天徳寺通り」バス停があるが、マイタウンバス用はなし。
天徳寺まで行かず、旧道が分岐する変形交差点を左折し、ほぼ180度向きを変える。ここから再びバスが通るようになった区間。
旧道最初のバス停は「水口(みのくち)」だった。
奥が天徳寺方向。ポストの向こう、消火栓付近に上りバス停があった
かつての位置にポールは見当たらない。
上の写真奥の押しボタン式信号の手前左側、旧バス停の角から2~3軒目の建物。
「水口公民館」
店舗兼民家に見えてしまう、地域の集会所。そのドアのガラスに、
「のりば」
ここがバス停だった!
両方向の時刻表が掲出され、逆方向に「乗るかたは、道路向かい側(進行方向左側)の安全な場所でおまちください」とある。
バス停名のひらがな表記、次のバス停名表示もあって、タクシー会社なのに、某バス専業会社のバス停よりしっかりして見えてしまう。

次は、秋田市斎場(火葬場)に曲がる丁字路付近にあった「斎場入口」。ここもポールなし。
奥が神田方向。かつては下りがこの向かい(左)、上りは丁字路先にあった
丁字路角は、小さな公園。Googleマップには「外旭川山崎第一児童遊園地」とある。その隅にグレーの物置のような箱がある、ごみ置き場。
表示の写真を撮らないでしまったが、水口と同じ形でそこがバス停。名称は入口でなく「斎場前」となった。片側のみ設置。

次は「梶の目(かじのめ)」、そして150メートルほどですぐ「笹岡入口」だった。
今回、「梶ノ目」は地名としては正しいカタカナの「ノ」で復活したが、笹岡入口は復活せず。梶ノ目バス停の場所も変わり、旧・笹岡入口のすぐ手前になった。
神田方向。左側にポール
笹岡入口があの位置だったのは、神田笹岡線の分岐や、運賃境界の都合もあったのだと思う。マイタウンバスではそれが関係なくなり、実質統合したのか。
梶ノ目も片方向だけの設置だが、水口、斎場前とは反対方向側の神田・笹岡へ向かう側に設置。そして、新品のポールが置かれている。

やはりバス停の存在を知らしめるには、こういう標柱がいちばん。
水口、斎場前は、周辺環境からポールが置きづらいと判断したのか、あるいは代わりになる物がある場所では極力それを使わせてもらうことにしたのか。ここで乗降する人は多くはないであろうことも理由だろう。でも、ごみ置き場がバス停だと、ニオイそうだし収集車とバッティングすることもあるかも…
【29日追記】最近、横断歩道や交差点とバス停が干渉してしまう「危険なバス停」が問題視されている。以前の水口や斎場入口は、停車位置が交差点と重なってしまうはず。新しい位置のほうが、いくらかは交差点から遠くなっている。いったん廃止したバス停を、危険な位置に再設置することは運輸局や警察から許されず、位置を変えた可能性もある。

この先で、反時計回りは右折して、笹岡線の従来からのルートで天徳院前、笹岡へ。
時計回りは、外旭川小学校前を通って「神田」。分岐~神田まで、小学校前のわずかな区間は、環状化以前からマイタウンバスが走っていた。
旧・笹岡入口方向。左が外旭川小
ここは以前と同じようだ。一般路線バス時代の上り側、小学校側だけにポールが設置され、表示板には「タク停」の文字あり。なぜか時刻表が入ってなかった。
環状化前は、このポールのある側が起点。向かい側は終点だったから、乗る人はおらずポールの意味が低かった。環状化後は、向かい側から乗る人もいるかもしれない。

神田から先(西)が、環状化による本格的な新規区間。
神田線では「吉学寺入口」があったのだが、今回は復活せず。そして、かつての神田線と同じように、右折してバイパス(=神田線現行ルート)へ合流、「八柳二丁目(かつての八柳一区)」からしばらく、神田線と同じ道を進む。続きます
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初夏のマメ科の花

2021-05-27 23:45:16 | 動物・植物
5月中旬に、秋田市泉地区で見かけた、マメ科植物の花々をまとめて。
マメ科には、この初夏の時期に花を咲かせるものが少なくないが、姿や花の形はさまざま。中には有毒なものもあるので、食べないでください。

マックスバリュ泉店の、道路沿いの植え込み。
本来は何かが植えられていたのか、それとも何もなかったのか。今はいろいろ生えてしまっている。2014年のオープン時からそのままなんだろうか(少なくとも2020年は同じ状況だった)。



この時は、表面を覆うように柔らかい葉が生い茂り、その中に青紫の花がたくさん咲いていた。“雑草”にしては大きくきれいな花。葉の形、花の形は典型的なマメ科植物のもの。

「ハマエンドウ」。
エンドウマメに似た姿で、海辺に咲くから「浜豌豆」なのだけど、エンドウ属でなくレンリソウ属。
秋田市内でも海岸には生えているそうだけど、実物を見たのはここが初めて。ハマヒルガオは、秋田市内では市街地や海から遠いエリアでも、よく見かけるのだけど。植え込みの砂に、根や種子が混ざって増えたのだろうか。
海から遠いハマエンドウ
本家エンドウは、ピンク色か白い花で、形はきれいだけどさほど大きくはない。ハマエンドウのほうが花としては美しい。スイートピーを小さくしたようでもある。スイートピーはレンリソウ属。ハマエンドウに鼻を近づけると、かすかにスイートピーと同じ香りがした。
この後、豆ができるはず。
【29日追記】もう1か所でハマエンドウを発見。秋田駅東口Weロード下の、留置線と道路の間のサツキの植えこみで、泉より遅れて咲いていた。


同じ植え込みでは、ハマエンドウに混ざって、似たようだけど背の高い茎が飛び出て、小さいピンク色の花が咲いていた。同じく葉も花も典型的マメ科。
これは、秋田市内あちこちで見かける。川沿いや空き地などで。
エンドウを小さくしたような花
おそらく「ヤハズエンドウ」、別名「カラスノエンドウ」。カラス~で覚えていたが、標準和名はヤハズ~だそう。
これもエンドウ属でなく、なんとソラマメ属。
やがて小さくて黒いさやの豆ができて、それをカラスに見立てて「烏野豌豆」。「烏/野豌豆」であって「烏の豌豆」ではないようだ。
これより小さいことからスズメを連想した、「スズメノエンドウ」という白っぽい花の植物もあるが、それは見たことがない。


場所変わって、泉菅野のグランマート隣、泉ハイタウン団地前バス停の、幅がとても広い中央分離帯のような草むら。この奥でアンダーパスが建設中で、いずれ道路となるのだろう。
左が秋田菅野郵便局、奥が工事現場
草むらの一角では、若草に混じって花が2種。写真右手前、白いのは、どこからやって来たのか、家庭の庭で見かける「スズラン水仙」こと「スノーフレーク」(スノードロップは似ているが別種)。左側では黄色い花がぽつぽつ。

これもマメ科典型の葉と花。大きめで黄色い花。
これは見覚えが…2019年6月にアップした「ミヤコグサ」か?
時期的に早いが、2019年6月はすでに豆もできていたから、それが2回目以降の開花で、今が初回開花なのか?
(再掲)2019年のミヤコグサ

今回の泉菅野
比較すると、似ているが違う。
2019年のは地面をはうように広がっていたが、今回は立ち上がった感じ。
1本の花茎に付く花は、前回は2個程度、今回は5個以上付いている。それに今回のは葉や茎に毛が生えて、白っぽく見える。
こうした特徴は、外来種「セイヨウミヤコグサ」が該当する(毛は在来種でもある場合もあるそうだが、2019年に見たのはツルツルだった)。


最後は、先日のツツジの記事でも出た、秋操近隣公園。その築山のふもと。
(再掲)下に黄色い塊が
花で真っ黄色になった低木が2株あった。

ミヤコグサの花とそっくり。花色が若干オレンジ色寄り【28日補足・写真は実際よりさらにオレンジ色っぽく写ってしまいました】。葉は細長く見える。出たばかりでまだ小さいこともあるようだが、それでも、マメ科おなじみの3枚1セットの複葉。
咲きすぎじゃないかってほどびっしり
初めて見た木。「エニシダ」の仲間(エニシダ属のどれか)のようだ。
エニシダという植物名は知っていたが、こういうのか。シダ植物などとは関係なく、由来は定かではないが、外国語名が転じたものらしい。
地中海方面原産のようで、常緑種もあるそうだ(ここのはおそらく落葉樹)。魔女の乗るほうきは、エニシダの枝でできているとのこと。季語としては夏。


もう5月末。これら4種の花は、今は終わってしまったと思う。
桜が早く暖かかった4月初めの先入観か、今の時期にしてはやや寒い感じがしなくもないが、初夏から梅雨へ季節が移る。
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外旭川八柳の白線の謎

2021-05-26 23:57:46 | 秋田の地理
秋田市外旭川の県道233号、「天徳寺通り」「天徳寺バイパス」と呼ばれる区間。外旭川小学校前~神田の旧道と交わる交差点の近くに、セブン-イレブン秋田外旭川八柳(そとあさひかわ やつやなぎ)2丁目店がある。そこの歩道に、少し前に気になるものを見つけた。
奥の信号が旧道分岐、左後方がセブン

反対側から。セブンの敷地は不整形

歩道の道路外寄り半分ほどに、道路と垂直な白線と文字らしきものが、白でペイントされているのだ。

薄れてはいるが、はっきり見える
現在使われる、道路標示用の塗料(光を反射するガラスの粒が混ざり、熱でくっ付けるらしい)とは違う感じで、ペンキみたいなので塗っていそう。

何を意味するラインなんだろう?
水道などライフライン工事用の目印かなと思ったが、それはチョークを使うだろう。こんなにはっきりと消えづらい目印はなかろう。【27日補足・工事では油性のペイントマーカーのようなペンを使うこともあるようだが、ずっと細い線。】

車道側からは危なくて撮影できないので、Googleストリートビューより。
赤い丸が謎のライン

たしか愛知県で、歩道上に「自転車用の停止線」が引かれていたのを見たことがあるが、秋田では一般的でないし、ここは停止する必要がない場所だし、自転車用なら歩道の車道側でないといけないから、違う。コンビニに出入りする車がいるから、気をつけろという注意喚起目的ならば、これ1本だけでは足りない。
民地側はセブン-イレブンの駐車場の一部だが、それ用の目印などでもなさそう。そもそもそういう目的で公道に線を引くのは許されまい。


セブン-イレブンが建つ前にあった建物や施設が関係するのかと、ストリートビューでさかのぼると、
2018年6月はまだない
2018年6月から2019年9月の間、セブン-イレブンができた後に引かれた線だった。

文字のようなものは何だろう。線に対して微妙に傾いているけど。
やっぱり数字の「2」かな?

下手な「乙」かも?

じゃあ、近くに1、3、甲、丙があるかと言えば、発見できず。
ここの所在地は外旭川八柳「二」丁目か、でもここが丁目の境じゃないし…と地図を眺めていたら、発見。
Googleマップで「外旭川八柳二丁目2番地」を赤枠で囲わせてみた。
赤い線の右下・セブン店舗側が二丁目2番地。黒い丸が謎の白線の位置
なんと外旭川八柳二丁目の2番地と3番地の境界線とぴたりと(角度は違うけど)一致する。とすれば「2」番地の「2」か!
街区の境は道路であることが多く、外旭川八柳はバイパスができた後に住居表示(1997年)されたはず。それなのに、ここでは道路でない民地を裂くように境界線が通っている。
だから、番地境界をはっきりさせる必要があって、線を引いたのだろうかと推測はできる。
【28日補足】「2」と書いてある箇所は3番地。文字の向きから判断すれば、2番地側から見て「この白線までが2番地」を示していると解釈できる。

だけど、住居表示実施から20年経った時点で、そして何者が、さらに境界を明確にして何をするために、県が管理する公道に線を引いたのか。不動産登記などなら、住居表示でなく「地番」を使うだろうし。謎は残る。


走る人なら、位置について、用意、ドンとしたくなりそう。
1995年の「3年B組金八先生」第4シリーズの主題歌(もちろん海援隊)「スタートライン」。今のような時代にもふさわしい、いい歌だと思う。
その歌詞に「拾った小石で誰かが書いた アスファルト道のスタートライン」が出てくる。
こちらは「白いペンキで誰かが書いた アスファルト道の謎のライン」。

秋田県の道路管理体制では、当分はこのままでしょうかね。というか、道路管理者が消す義理はない。消す必要があれば、引いた者にさせないと。
【27日追記】住宅街で見られる、歩行者飛び出し防止の「足型」も同じようにペンキで塗られるが、あれは意義があり、それが明白なので、法令や許可がどうかは別として、許容されるだろう。また、一般的な工事の目印は、線が細くて目立たず、チョークならば容易に消すこともできる。
対して、この線は、人が歩く場所に意味ありげながら意味不明、しかも存在感絶大。番地境界を示すために引くとしても、もう少し控えめにできなかったのか。

遠くない場所の路面にも、そっくりな白線・文字がペイントされていた
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いがぐりむしの正体

2021-05-25 22:54:56 | 昔のこと
2012年の記事でも取り上げた、昭和末~平成初期の秋田市立小中学校の給食に関連する話題。
今年3月始め、スーパーの冷蔵売り場に、こんなひなまつり用商品があった。
雛 中華点心 DUMPLING ASSORT
見切り品シールで隠れたせいもあるが、一見、お菓子のような色合い。
上からピンク、白、緑とひし餅と同じ色。順に「芝えび使用焼売」「上州麦豚使用てまり焼売」「九条ねぎ使用水晶餃子」。
シュウマイやギョウザは、総称としては「DUMPLING」で合っているらしい。群馬県の「みまつ食品」製。

どれもおいしかったのだけど、白い「てまり焼売」。
加熱前
「手まり」にしてはゴツゴツしているような。
シュウマイの皮の代わりに、米粒を付けたもの。これって…
加熱後
昔、秋田市の給食に出ていた「いがぐりむし」そのものでは?!
2012年は「肉団子の周りに米粒を付けて蒸したもの。外見が栗に似ているから「いが栗蒸し」というわけで、台湾の料理らしい。」と表記していた。
しかし、「肉団子」より「シュウマイの中身」のほうが適切だったかもしれない。味も似ていたような気がする。大きさは今回のと同じか、若干大きいと思う。
断面
こんなところで再会できるとは!
そして、いがぐりむしの実態は「皮で包む代わりに、米粒をまぶしたシュウマイ」であることを気付かされた。


改めて、Googleで主に画像検索。
「てまり焼売」では、普通の皮で包んだシュウマイ(の丸っこい形のなど)がほとんど。「""」で囲わずに「いが栗蒸し」だけでは、栗蒸し羊羹の画像ばかり。
囲った「"いが栗蒸し"」や、ひらがなの「いがぐりむし」では、多くはないがやっと画像が出る。
米粒でなく、カットしたそうめんを付けたものもあり、見た目はそのほうが「いが栗」っぽい。

そのほか呼び名が多い食べ物で、多数派の「肉団子のもち米蒸し」のほか、いくつかあるので後述。
ここでまた、シュウマイか肉団子かになってしまう。明治やキッコーマンのサイトやその他レシピサイトのいくつかでは、「肉団子~」の名称で、このレシピが出ている。それを見ると(それぞれ違いはあるが)、タケノコ、シイタケ、ネギ、ショウガなどを刻んでひき肉に混ぜている。キッコーマンのサイトではカラシ醤油で食べることになっている(タネに味付けして醤油不要とするレシピも多いが)。そうなれば、肉団子というよりはシュウマイ寄りではないか。

昔、「いがぐりむし」が、給食で最初に出た時は、ほんとうの栗が入っているかと思った。ネット上には「虫」だと勘違いしたり連想したりして、気持ち悪く感じた人もいたようだ。
「肉団子のもち米蒸し」だとそんな誤解はないが、肉団子と米の関係が伝わらず、こんな形状の食べ物だと想像はできないだろう。どっちもどっち。


現在の学校給食。秋田市立学校では、どうも出なくなってしまったようだ。
神奈川県真鶴町は「いがぐりむし」の名で2020年度時点で出ていた。
違う呼称では、全国各地で確認できる。明治のサイトでは給食で人気のメニューの1つとして紹介。
ネットの検索結果を見る限り、特に東京都や長野県に多く、小中学校だけでなく保育所でも好まれる献立。
少数派の呼称としては、「いが蒸し(八王子市)」、「くす玉蒸し(長野県須坂市)」、「真珠団子(静岡県富士市、同牧之原市)」、「真珠蒸し(埼玉県久喜市)」、そして「珍珠丸子(チンジュワンズ、杉並区)」。ただし、これの呼称は画像検索やレシピサイトでも見られる。
「糯米蒸肉圓」とするレシピサイトもあったが、中国語では「珍珠丸子」のほうが適切っぽい。
「珍珠」とは中国語で真珠のこと。真珠団子や真珠蒸しは、その連想なのだろう。手まり同様、こんなゴツゴツした真珠はないけれど。

作り方は、米に着色したり紫黒米を付けたりした色変わり(紅白)や、豆腐を混ぜたヘルシー仕様もある。
給食室や給食センターで手作りするものもあれば、業務用冷凍食品(テーブルマーク「もち米付き肉だんご」など)もある。手作り版では、1人1個で大きめに作り、弁当用のアルミカップに入れて蒸すところが複数あった。



最後に給食から離れて。
ひなまつりセットが「点心」であったように、珍珠丸子も点心の1つ、やはり台湾のものらしい。
僕は「点心」と「飲茶(ヤムチャ)」を混同してしまう。
本場と日本では、多少定義が違ってしまっているようだが、「点心」は中華料理の軽食のこと、「飲茶」はお茶を飲みながら点心を食べること、もしくは点心をたくさん食べること、だそう。「食べ物の総称」と「食べ方」という、並列できない違いがあった。

日本で点心や飲茶という言葉も、食べ物・食べ方も、広まったのは1990年代だと思う。ギョウザ、シュウマイ、春巻きなど、点心の1つ1つはそれ以前から親しまれていたものもあるが。
それに貢献した大きなものが、ミスタードーナツの「ミスター飲茶」。所さんの「♪桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン、の飲茶」のテレビCMもあった。
1992年から一部店舗で実施したもので、今はなき鎌田会館運営の秋田市内の店(鎌田会館内ではなく広小路の店など)でも早期に導入していた。
主に飲み物よりも食べ物(点心)がメインなはずだから、もし、ここで「ミスター点心」としても間違いではないだろうし、その後の世の中が少し変わっていたかもしれない。
1994年6月29日放送の「警部補・古畑任三郎(第1シリーズ)」最終話「最後のあいさつ」では、古畑と今泉が飲茶を食べるシーンがある。たくさん食べようとする今泉が、古畑に「少しずつ色々食べるのが、飲茶の本来の楽しみ方」とたしなめられていた。
このように、おそらく当初は「飲茶」のほうがよく使われていた。その後、「点心」に変わっていったのではないだろうか。「てんしん」は日本語と同じ読みだが、「やむちゃ」だと中国語らしい響きでそれらしい感じが増すということもあったのかも。
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メト美/東ブタ

2021-05-24 17:33:18 | 昔のこと
先月「文字・書体」カテゴリーで取り上げた、放送開始60周年を迎えるNHK「みんなのうた」の昔の作品。※以下、一部敬称略。
ステージ歌唱などがある「60周年特番」もあったけど、みんなのうたそのものじゃない。注目すべきは、昔の作品を放送する「60年スペシャルセレクション」。
いつもの再放送枠と同じなのだが、60周年を意識した選曲や構成になっている。そのため、初冬を歌った「北風小僧の寒太郎(堺正章版)」が2月に放送されるなど季節感は失われてしまうけれど。

2021年5月分のスペシャルセレクションのうち、「1980~1990年代」の作品枠で4曲放送。うち2曲が、おもしろい組み合わせで、どちらも懐かしい。
1曲目は「メトロポリタン美術館(ミュージアム)」。
これは、みんなのうたを代表する曲として、異論はなかろう。「北風小僧の寒太郎」と並んで。

「(人形アニメーションによる)映像が怖い」「トラウマになっている」と感じている人もいるそうだ。僕は嫌いではないけれど、好きでもない、という程度。
「靴下を片っぽ」はケチなようでトンチンカンなようだし(遠回しに断ってるのか?)、五千年眠っているファラオを起こすような余計なお世話をし、バイオリンとトランペットのケースをトランク代わりにしては収容力がないのじゃないのかと、そういうツッコミをしたくなった。
メトロポリタンミュージアムが何かよく分からず、ニューヨークに実在する美術館だと知るのはだいぶ後でもあった。
【2023年10月10日追記】「世界の民謡・童謡(https://www.worldfolksong.com/kids/song/metropolitan-museum.html)」サイトによれば、「メトロポリタン美術館」には元ネタとなった絵本が存在する。
1967年にアメリカで出版された「クローディアの秘密」。メトロポリタン美術館に泊まろうと、バイオリンとトランペットのケースに荷造りするといった場面があるとのこと。(以上追記)

作詞・作曲・歌が大貫妙子なわけだが、当時はシンガーソングライターは珍しかった。今のみんなのうたの新曲など、ほとんどが作者と歌唱者が同じ。
そして、小学校低~中学年の頃やたらと放送されていて、飽きてしまった記憶もある。
調べると、1984年4~5月が初回放送で、Wikipediaによれば同じ年度の12月にさっそく再放送。初出はもう少し古いかと思っていたが、記憶と一致。
その後、1990年代初めまでは毎年度再放送があり、以降は散発的。北風小僧~ほどではなくなっている。


久々に見た感想。
ステレオ音声だった(1981年度の新曲からステレオ放送だったそうだ)。当時モノラルテレビの我が家で、画面左下に出るステレオマークを指をくわえて見ていた思い出はある。今回、初めてステレオで聴いたかも。
曲も映像も、記憶よりは「明るく」感じた。やっぱり少々怖いようなイメージは植え付けられていたのかも。
アニメの後半に、主人公がスクーターに乗るのは覚えていたが、考えてみれば場違い(館内で乗ってるのか?)だし、今なら若い女性はあまり乗らないだろう。でも、当時はああいう小型の原付バイクがブームになっていた。赤い帽子のままヘルメットをかぶらずに乗っているが、当時の日本では義務化前だった。

例によって字幕。これはモリサワ「テレビ太ゴシック体BT1」のはず。
「ン」が「ソ」に見えてしまったり、「美」の横棒の長さのメリハリ(上から長短長短)が目立ったり、「羊」と「大」がアンバランスなように見えてしまったり、学校で習った文字と違うのではと悩んだ思い出もあった。今のモリサワのデジタルフォントのオールド系ゴシック体でも、それらは似ているが、「ン」は微妙に調整されたか?



もう1曲が「東の島にコブタがいた」。これが再放送されるとは! もう一度視聴したいと思っていたが、なかなか再放送されなかった。
みんなのうたでは、音声と映像は残っているはずなのに、再放送されない作品が存在する(ラジオのみ再放送という作品も)。単に人気がなく忘れ去られたのか、権利上の問題か、映像の中身に不都合があるのかと思っていた。
この曲は、実際には、2008年と2011年に再放送されていたそうだけど。

初回は、平成に入って間もない、中学生の夏休み中に放送された。爆風スランプが歌い、テンポがよくコミカルながら、環境問題を扱った内容で印象付けられた。「東の島のめがねをかけたコブタ」というのは、日本、日本人の比喩なんだろうなと思った。
1989年かと思っていたが1年後、1990年8~9月放送。爆風スランプが「Runner」「大きな玉ねぎの下で」をリリースした翌年。
歌手名は、英語表記の「BAKUFU-SLUMP」。
作詞はサンプラザ中野(現・サンプラザ中野くん)。
作曲は豊岡正志、Newファンキー末吉(ファンキー末吉の一時期の改名)、パッパラー河合。豊岡氏は、爆風スランプの由来となったバンド「スーパースランプ」のリーダーだそう。

さらに編曲者もいて(公式サイトでは最近まで抜けていたし、JASRACにも未登録)、宮下博次。
2週間に1度、「NHKのど自慢」で編曲、ピアノ演奏、バンドマスターを務めている人(最近の記事)。当時は、のど自慢を担当し始めるかどうかの頃(=アコーディオンがいたかいなくなったの境)だったのではないだろうか。
宮下先生は、テレビや舞台でのバンド演奏用の編曲がお得意なようで、こういう形の編曲は珍しいと思う。もし、この歌でのど自慢に出場したら、どう編曲してもらえるのかな。

映像は古川タクのアニメーション。
独特のタッチが印象的で、みんなのうたは29作品も手がけている。1986年の「こぶたのしっぽ」でもコブタを描いているが、本作とは別豚。


シングル発売はされていないが、爆風スランプのアルバムには「東の島にコブタがいた(TEKE TEKE SONG)」として収録され、それがネット配信されているようだ。
部分的に試聴した限りではみんなのうたと同じに聞こえたし、時間は2分29秒だから、みんなのうたと同一音源かもしれない。だったら宮下先生も著作権者にするべきなのでは? 音楽の著作権って難しい。


一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)のデータベースを調べてみた。
「東の島にコブタがいた」は、上記の通り編曲者のほか、アーティスト(歌唱者ってことでしょう)も未登録。
さらに、いずれもサンプラザ中野作詞、(Newなしの)ファンキー末吉作曲で「東の島にブタがいた VOL.2」「東の島にブタがいた VOL3」という、コブタでないブタの曲もあった。※左記はJASRACの登録名ママ。
アーティストは前者は小泉今日子、後者は爆風スランプで登録。

さらにWikipedia等で調べた。
vol.2は、小泉今日子の1987年3月のアルバム「Hippies」収録。
vol.3は、爆風スランプの1987年10月のアルバム「JUNGLE」収録。
2と3は曲は同じで、歌詞が異なるようだ。2は物語のようなお話風の内容、3は反戦・平和を題材にしている。
VOL.1がないが、コブタは「4」的位置づけなんだろうか?


当時はバブル崩壊前の絶頂期で浮かれていたのか、「おどるポンポコリン」をはじめコミカルソングがブームであった。
一方で、「さよなら人類」など、社会性あるテーマの歌も、あまり違和感なく受け入れられていたと思う。地球環境では、オゾン層破壊、温暖化、酸性雨などが問題になり始めていた。
ちなみに、みんなのうたでは、1981年に小椋佳の「まだ遅くは」という地球環境を題材にした歌があった。Tell me what do for youなど英語入り。

左の箱はテレビ、煙を出す煙突が映る。当時らしく横にスピーカーが突き出た大画面
例によって字幕。
実は歌詞の書体が、1989年度の途中(6月か8月か10月の新曲から)で写研「石井太ゴシック体」に変更されている。※モリサワ時代も、何らかの事情で部分的に写研書体が使われたことがある。
上の画像では、「タ」の3画目が2画目に突き出ない、「を」の1画目が短い、「か」の3画目が上寄り(「が」と位置が違う?)といった点が、モリサワ書体とは異なる。
【26日補足・ちょうど写研ホームページに詳しい書体紹介がアップされた。以前から知ってはいたが、それを見ると、石井ゴシック体には太さや細部が違うシリーズものがたくさんある。みんなのうたは石井ゴシック系統なのは間違いないが、「太」なのかは判断できない。記事中では「石井太ゴシック体」のままにしておきます。】

ところで、メロディーに乗らない「セリフ」が入る曲がたまにあるが、その字幕の対応。
「コンピューターおばあちゃん」の「ずっといつまでも…」のように、モリサワ時代は、メロディー部分と同じBT1。
写研変更後は、セリフはナールで表示するようになった。1989年12月の所ジョージ「背中でツイスト」がそうだったのを覚えている。
忘れていたが「東の島にコブタがいた」でも、セリフがあって、やはりナール。
歌詞より少し小さい字。「へ」は言っていないように聞こえるが
なお、歌詞の字幕が石井太ゴシック体なのは1994年度途中まで。1994年8月から全面ナールになり、2003年度辺りまでという変遷。詳しくは機会があればいずれ


歌の中身。合いの手みたいなのが2回1セット(最後だけ1回)で繰り返される。今回気付いたのは、各1回目は「ブタがいた コブタがいた」、各2回目が「コブタがいた ブタがいた」と、「コ」の位置が異なること。ブタとコブタ両方あるのは記憶していたけど。

3番としていいのか最後は、「東の島にコブタが『いた』」が「~コブタが『いく』」に変わる。
これも前から感づいていたが、字幕は「東の島『に』コブタがいく」だが、実際には「東の島『の』コブタがいく」と歌っているようだ。ストーリーからしても、また作詞者自身が歌っていることを踏まえても、「の」のほうが適切だと思うので、字幕の誤植なのだろう。
昔のみんなのうたでは、誤植はたまにあって、手書きで修正されたり、後年にデジタル修正されたりすることもあるが、そのままのこともある。


久しぶりに聴いても、記憶と大きな相違はなかった。メトロポリタン美術館の後では、伴奏が大きく・歌声が小さく感じたけど。
そして、歌もアニメも、示唆に富んでいることを、改めて実感した。
アニメでは、最後の「コブタがいく」シーンで、デパートのエレベーターの横に「マチス展」の告知が描かれる。自然を愛したアンリ・マティスのことか?(フォントワークスの明朝体の商品名「マティス」の由来でもある)
右上の字幕は後年の追加
最後の最後は、ブタ顔の地球から、宇宙空間に向かってピンク色の高級リムジンが出てくる。後部座席には札束を持った金髪女性。その側面に「THE EARTHcond」と書いている。どういう意味なんだろう? 何やら意味深。

30年後の今、エコという言葉もできて環境意識は高まり、対策も進んではいる。オゾン層や酸性雨はさほど言われなくなった。
しかし、温暖化は今なお深刻で、マイクロプラスチックのような新たな課題も出ている。今でも充分通用してしまう歌。


この2曲が放送されるのは、テレビでは5月27日【26日訂正】5月31日が最後のようなので、興味のある方は公式サイトや電子番組表で確認の上、ご覧ください。
来月以降への期待としては、「ラジャ・マハラジャー」を見て・聴いてみたい。1985年2月だから、メトロポリタン美術館の年度末だったのか。
あと、1981年「メゲメゲルンバ」もいいな。明るい楽しい歌ではあるが、大人になってみればいろいろと思うところがある内容だ。あと、歌詞の字幕に誤植が複数あるらしい。【2023年10月3日補足・ラジャ、メゲメゲとも、2023年までに再放送が実現した。メゲメゲの誤植は上手に修正。】
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こんもりツツジ

2021-05-22 22:17:56 | 秋田の季節・風景
記録的早咲きの桜が終わって、季節が停滞していたような気もしていたけれど、秋田市もツツジの季節になって、そろそろ終盤。
名所・千秋公園ではない、秋田駅より北方面3か所で、ちょっとした見応えあるツツジを見つけた。
定番の2色の花が混ざって咲く
「手形街区公園」という、大字レベルの地名で広大そうな名前だけど、普通の街区公園。秋田大学手形キャンパス正門の1本向こうの通りにある。
線路際に新しくできた手形新栄町街区公園もそう遠くなく、そちらは狭い園内に10人以上の人たちが遊んでいたのに、こちらは誰もいなかった。
上の写真の奥が秋大方向。以前はアパート形式の県職員公舎が建ち並んでいたが、解体された(体育施設などがあるので、正門の通りまでは見通せない)。跡には県の中央児童相談所、女性相談所などがまとまった「新複合化相談施設」ができる。

でツツジ。公園内にはツツジは少ししかないが、滑り台そばの角のものが目を引いた。
あずまやと同じくらいの高さ
2色だから2本以上の木がまとまって繁茂しているようだ。
ケヤキ(?)も混在


奥羽本線と旭川を越えて、秋田工業高校正門近く、保戸野金砂町(ほどの かなさまち)の金砂神社境内。
伐り倒されたケヤキの幹は、なくなっていた。
こんもり
キノコ形というべきか、下側がくびれたおもしろい樹形。これで1株のようにも見えるけど、下にまったく花がないから別株か?
後ろが社殿

外から鳥居越しに
写真でスケールが伝わりづらいかもしれないけれど、かなり巨大。千秋公園の斜面のものよりも大きいかもしれない。剪定されているからこそなのだろうけど、庭園でないこういう場所で、こんなに大きいツツジはそうそうないだろう。


さらに北、泉地区。
上から見下ろしたツツジの斜面
平坦な泉に、こんな場所があるかとお思いでしょう。
下から見るとこんな感じ
泉小学校隣の「秋操近隣公園」の一角にある築山(つきやま)の、一部斜面にツツジが植えられていた【12日追記・場所によってはサツキも植えられていた】。今年まで見逃してしまっていたが、なかなか美しい。下からよりは上から見下ろしたがほうが見やすく見応えがあると思う。
築山は2階建て民家よりちょっと高い程度か。ぐるりと1周して頂上へ行く道がつけられていて、さすが近隣公園だけに立派なもの。
てっぺんには、6畳間くらいの展望台的なウッドデッキもある。一部壊れたようで立入禁止になっているが、子どもたちに人気の場所。
正面に太平山、この左下がツツジ

ツツジ、テニスコート、太平山
「低木」扱いのツツジだけど、こんなに大きくなることもある。それも花の時期でないと気付きにくいもの。花が終われば、ほかの緑にまぎれてしまう。
※ツツジのふもとに咲く別の植物について、この記事後半。
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工業カーブから登校?!

2021-05-20 23:54:55 | 昔のこと
秋田県立秋田工業高等学校の通学事情の続きで、昔の話。
今では考えられないし、実行できない、鉄道を使った通学手段が存在したという。※昔も今も、実行したとしてもとても危険で法令にも違反するでしょうから、やらないでくださいよ。

僕が聞いたのは、中学校1年生の時の社会科の先生から。高校生だった頃の思い出話として。
今62~63歳くらい、1960年頃の生まれのはずだから、1975(昭和50)年前後のこと。
先生は土崎駅から秋田駅まで、国鉄奥羽本線で通学していて、乗り合わせた秋田工業の生徒がそうしていたという。

前回の通り、秋田工業高校の敷地の北~東辺に沿って、奥羽本線は大きくカーブした線形。
列車はそこで減速する(先生は「カーブなので減速」とおっしゃったはずだが、実際には秋田駅が近いので停まるための減速でもあるだろう)。
当時の普通列車の車両は、自走する気動車(ディーゼルカー)もあったが、電気機関車やディーゼル機関車が、動力を持たない「客車」をひっぱって走る方式もあった。その客車列車では、乗降用のドアが自動開閉ではなく手動(ボタン式でなくドア自体を客が力で動かす)で、走行中もドアを開けることができた。だから、そのカーブに差しかかった時に、ドアから飛び降りて、目の前の学校へ登校していった。
という話。へぇーと聞いたけれど、誇張を含む、都市伝説的話なのではと疑ったりしつつ、記憶に残っている。
その後、当ブログへのコメントでも複数のかたから、同じ場所での同じ話を寄せていただいたので、まったくの作り話ではないようだ。


このことを、検証ってほどでもないけれど、考えてみる。推測ばかりですのでアテにせず、何かご存知でしたらコメントください。
上り普通列車の後部から、この区間を眺めてみた。当時とは校舎等の配置は異なり、鉄道側の設備の位置等が変わっている可能性もあります。
泉踏切を通過。左側はもう秋田工業高校の敷地
泉踏切通過後もしばらくは直線。貨物駅~旧機関区があった名残で、ここは複線の上下線の間が広い。

まだ直線
徐々に上下線が接近する。そしてカーブへ。
右に信号機(第一閉塞信号機?)
再び線路が広くなり始める。この先の旭川を渡る橋梁が、上下線別々に架かっているため。
カーブ終わり。左はまだ工業の敷地

旭川橋梁を渡って秋田駅へ

走る列車から“安全に飛び降りる”には注意点や条件があることだろう。
地面にぶつかる危険性は当然として、乗っていた車両自体に巻きこまれる、線路際の柱などに激突する、複線区間では隣の線路の列車にひかれる、といった点をクリアしなければならない。
ここは1971年8月に電化されているので、先生が通学していた当時も、今と同じく電化柱(架線柱)が並んでいたはず。
上の写真の通り、ここは貨物駅と橋梁のおかげで、上下線の間隔が通常より広い。そこには柱の類はほとんどない。さらに上り列車では、そちら側がカーブ内側となるので、車体の傾斜により地面が近くなって、いくらか降りやすそう。
そんなわけで、飛び降りやすい条件がそろっている場所ではないだろうか。

ただ速度も大切。どのくらい減速していたのか。
今の電車や3月までのキハ40系気動車でも、ここを通る上りでは50km/hは出ていると思う。
客車列車は、電車・気動車ほど加減速が高性能ではないとはいえ、そこそこ出ていたのでは。客車に近い走行性能と思われる貨物列車では、旭川橋梁を渡って少し進んだ地点で、秋田駅に停まるための強いブレーキを掛け始めるようだけど。
自動ドアになった50系客車時代だが、国鉄最後1987年3月の時刻表を見ると、土崎→秋田間は、客車も気動車も8~9分で走行している。今の電車では、泉外旭川駅停車を含めて9分なので、昔が劇的に遅かったわけではなさそう。

信号機の指示で減速する可能性もある。
学校横・橋手前の第一閉塞信号が赤で停まってくれれば、とても好都合。だが、僕はこの25年奥羽北線に乗ってきて(ただし朝は1度も乗ったことなし)、ここで停まったのは2~3度しかない。
その先、手形陸橋手前の場内信号で停まることは、(下り列車の発車遅れ等により)たまにある。以前のSL試運転の時、場内信号による停止なのだと思うが、なぜか旭川橋梁の上で停まってしまったことがあった(ギャラリー大喜び)。
昔の、朝の客車列車では実はけっこう停まっていたりしたのかもしれないが、運良く停まったから飛び降りたという人もいただろうし、停まらなくても飛び降りてやろうという人もいたのではないだろうか。
線形や上下線間のスペースや障害物を把握し、速度を認識し、飛び降りるポイントとタイミングを見極める能力は必要だったはず。工業高校だけに、授業で学んだことが役に立ったかもしれない?


降りた後、どうやって学校へ向かったか。飛び降りるほどの人だから、なんとでもなったでしょうけど。
旭川の堤防から、工業のグラウンド(野球場)越しに奥羽本線を見ると、
左が泉踏切方向、右が橋。2012年のC61形蒸気機関車の下り試運転
旭川を渡るため、堤防のレベルに合わせた築堤を通っている。工業や家々よりも高い位置。校地とは斜面になっている。
余談だが、ここはカーブしているわりに、鉄道写真の撮影地にはなっていないのは、その高低差で撮影しづらいためだと思う。
【21日追記】「土崎カーブ」のように、撮影名所のカーブには通称が付けられることが多い。この記事のタイトルは「工業カーブ」としてしまったけれど独自のもので、合意形成されている呼び名ではない。「工業の線路がカーブした所」と言えば、地元の人なら伝わるとは思う。

今度は下り列車の前からの眺め。秋田駅から橋を渡ってカーブに入ると、
下り第一閉塞信号、左に野球場のスコアボードが見える
川近くではけっこうな高低差。
上りの信号付近
泉踏切近くでは、高低差が小さくなる。
線路と校地が接しており、間に通路などもないので【21日補足・部外者が入りこむ余地は少なく、溝などはありそうだけど、斜面や草むらでなんとなく区分され】、今でも厳重なフェンスなどがあるわけではない。昔はもっと緩かったかもしれない。

上下線間を泉踏切まで歩いて、線路外へ出るのが“安全”そうだけど、飛び降りるほどの人のこと。上り線を渡って、線路と校地の高低差を滑り降りて登校していたのかもしれない。
どちらにしても、線路内に立ち入ること自体、言うまでもなくとても危険。


そんなわけで、土崎方面からの上り列車で、降りる時限定の“通学手段”だったことになろう。
秋田駅から来る下り列車では、ある程度速度が出て(今の電車ではフルスピード、3月までのキハ40系でも70km/h程度には達していたか)いる地点だし、カーブ内側は柱が並び斜面であるので危険すぎる。また「飛び乗る」のは、ほぼ完全に停止していないとさすがに不可能だろうから、下校時は使えなかったのでしょう。


当時、カーブで飛び降りた人たちは、何のためにそうしたのか。
寝坊して遅い列車に乗ってしまって、秋田駅からでは遅刻必至だから?

時期的に合わないが、上記1987年3月の時刻表で、朝の通学時間帯の北線上りの客車列車を拾ってみる。時刻は秋田駅着(カッコは始発駅)。
(八郎潟)7時47分、(男鹿)7時52分、(東能代)8時03分の3本。
あとは、自動ドアで走行中は開けられない気動車が2本。次の客車は8時57分着(大館始発)だから、飛び降りたとしても遅刻。

8時03分着でも駅から間に合いそうだし、真面目な高校生だったであろう先生も乗り合わせていた列車だから、遅刻回避の飛び降りではなさそう。部活等で早く登校する必要などあったのもしれないが。
秋田駅で降りても間に合う列車なのに、秋田駅→学校の移動をラクするため、あるいは度胸試しとかカッコつけでやったのではないか。



ドアが手動の普通列車用客車は、雑多な形式をつないだ「旧型客車」と呼ばれるもの。僕は1981年に羽越本線で乗った思い出がある(関連記事)。
記憶にないが、当時は、冬以外ドアは開けっ放し、最後尾の貫通扉もチェーンを張ったくらいでスカスカだったそうだ。乗客の転落事故も少なくなかったという。
また、駅に停まり切らないうちにホームに降りたり、ちあきなおみの「喝采」にも歌われているように「動き始めた汽車にひとり飛び乗った」りするような行為も普通だったそうだ。今も海外の鉄道では見かける。
そんな中、このように駅でない所で飛び降りる行為も、全国的に横行し、無賃乗車を兼ねた者もいたようだ。

今では考えられないことだが、今も駅のホームドアの設置がなかなか進まないのと同じような事情があったのか。
2021年時点でも、SLなどイベント列車用にわずかに旧型客車が残っているが、保安要員を配置したり、秋田総合車両センターの技術で従前の雰囲気を残しつつ自動ドア改造されたり、対策されている。

国鉄は旧型客車の後継として、エンジ色塗装の「50系」客車を、1977年から全国に投入。秋田での正確な置き換え時期は不明【21日追記・いただいたコメントによれば、1985年3月改正で置き換えたとのこと】だが、上記の通り、秋田では80年代初めは旧型客車も走っていた。
50系ではドアが自動化された。転落事故防止のほか、飛び降り対策でもあったのだろう。
なお、50系客車は時代の変化に合わず、全国的に短命に終わった。秋田では奥羽本線・羽越本線は1993年で701系電車に置き換えられた。男鹿線の1往復が最後で1994年末で役目を終えた。


工業カーブでの飛び降りを実際に知る世代は、昭和40(1965)年前後生まれが最後ということになろう。
近年の秋田工業と線路の関わりとしては、SLが走った時に、グラウンドに生徒がふんしたナマハゲが現れて歓迎した。数年前には、測量の実習中と思われる生徒が、EV-E801系電車に手を振っていた(先生らしき人もいたけど、特にとがめず)。
何より、泉外旭川駅が開業して、飛び降りなくても秋田駅より近い乗降場所ができた。
線路と学校の位置関係は変わらないが、そこを通る列車も、通う人も、大きく変わった今となっては、昔話。

昔の列車の風景としては、これも先生から聞いた高校生当時の話で、1970年代初め頃、新屋駅のカーブしたホームで目が合った人に因縁を付けられたというのがあった。
ほとんど経験がない、昭和末期の旧型客車の旅。経験してみたいような、してみたくないような。かと言って、冷房があり、特急と遜色ない速度の701系電車で満足と、言いたいようで言いたくもなく…

【21日いただいたコメントより追記】カーブではなく、橋を渡ってさらに秋田駅寄りの、第一手形谷地町踏切(グランマート裏の保育所前)、第二手形谷地町踏切(手形陸橋そば、いちばん駅寄りの踏切)付近で飛び降りる高校生がいたとのこと。
上下線の間の空間は一般的な幅であり、秋田工業への徒歩距離は遠くはなる。しかし、工業横よりもかなり減速していて、第二踏切手前が場内信号なのでそこで停まる可能性もあり、第二踏切では外側に入換線があるので飛び降りられるスペースもある。カーブより現実的な場所かもしれない。

【6月6日追記】2021年春までは、秋田発の下りの電車(気動車でなく)では、旭川橋梁までに加速を終えてカーブに入るような運転だったはず。前回の記事の通り、この先に電力を供給する変電所の境界として架線に電気が流れていない区間(デッドセクション)があるのも理由(通電してセクションを通過すると、機器が壊れることがある)だろう。
【7月26日追記】2021年3月の泉外旭川駅開業以前はどうだったか知らないが、2021年春以降の下り電車では、橋を渡り終えてすぐ、軽くブレーキをかけて、すぐ解除することが多いようだ。カーブ~泉外旭川駅で減速が必要なのと、下り坂で加速してしまうのを抑える意味だろうか。
とある701系電車では数秒間2ノッチに入れていたが、意識しないと気付かない。EV-E801系電車では、加減速が一体化したワンハンドルマスコンのためか、性能・仕様上か、減速感がはっきり分かることが多い。

【9月16日追記】上りGV-E400系気動車での土崎→秋田の運転状況。泉外旭川停車時間を含めて、電車より1分多い10分かかる。
土崎発車後加速を続け、草生津川を渡る付近で95km/hに達し、ノッチオフ。惰行とブレーキで泉外旭川停車。
泉外旭川発車後、泉踏切手前付近・70km/h程度まで加速しオフ。惰行で工業カーブを通過し、(上り坂の影響か)60km/h程度まで落ちる。その後、多少再加速もしながら、秋田駅構内へ。
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黄色卵/線路際 公園

2021-05-18 23:25:40 | 秋田の季節・風景
秋田駅からほど近い、オフィス街の中に住宅【19日補足・高層マンションも多い】が混在するような所に「中通三丁目街区公園」がある。
擬木標柱はヘンな位置に設置
2013年の記事でも取り上げたように、この公園にはよく知られた通称・愛称がある。
公園の中の、とある物体が由来。

卵形の遊具があることから、「たまご公園」と呼ばれている。

ここはもともと、秋田大学学芸学部附属幼稚園(学部は後に教育学部→教育文化学部)の敷地であり、1956年にその45周年記念として設置。同学部の教員で彫刻家の阿部米蔵氏が手がけたとのこと。
参考:「二〇世紀ひみつ基地」2010年3月1日「中通タマゴ公園のひみつ・遊びの彫刻(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-690.html)」
※秋田駅前の緑地の銅像や、昨年解体された秋田和洋女子高等学校校舎屋上のモニュメント(現在行方不明)も、阿部氏の作品。

幼稚園は1968年に現在地の保戸野へ移転して、跡地が公園になったが、移設されず撤去もされず、公園のシンボルになった。
秋田市の都市公園としては、1970年3月30日付で供用開始。※当時は「街区公園」という分類はなかったはずなので、「児童遊園」とか別の呼称だったはず。

秋田市中央地域であっても、学区が違い隣接しない地域住民の僕は、公園の存在と、そこにオブジェらしき物体があるのは、漠然と知っていた。でも「たまご公園」の名は大人になってから知った。
「たまご公園」ではなく「たまご遊園地」と呼ぶ人もいるそうで、地元有志のイベント名も「遊園地」なっていた。
昔は公園のことを遊園地と呼ぶことがあったらしいし、公園もどきの児童遊園というのもあるそうで、その辺が由来だろう。
現在は「中通三丁目街区『公園』」が正式であるし、遊園地でなく「たまご公園」と呼ぶ地元の人も多いようなので、ここでは「たまご公園」と呼称することにします。


ところで上のたまごの写真を見て、以前を知る人には多少の違和感があることだろう。
きれいになって、しかも色が変わっている!

先月、桜が見頃の頃通りかかると、たまごに黒い汚れがたくさん付いていて、「いつの間にか、だいぶ汚くなったな」と思ったものだった。その後に塗り直されていた。
ツイッターを見ると、4月24日頃には汚いままで、29日頃にきれいになって(塗りたてのため)囲われていた。

昔からの印象では、たまごは白っぽい、薄いベージュ~薄いグレーのような色合いだったはず。
塗り直された後は、黄色みが強い、クリーム色になった。
(再掲)2013年。この後7年でだいぶ汚れたことになる
ニワトリ以外にもいろんな卵があるわけで、こういう色の卵もあるだろうが、ちょっと違和感もなくはない。
汚れが目立たないように、色を濃くしたのかもしれないが、ネット上の過去の写真を検索してみると、比較的黄色っぽく見えるものもある。けっこう頻繁に塗り直され、経年で色が薄れているということもあるかもしれない。
(再掲)2014年。雪と比べると黄色い
今まで、卵の表面はツルンとしていると思いこんでいたが、塗り直された卵を見ると直線の筋がランダムに入っているのが分かった。最初ヒビかと思ったが違う。筋以外の地の部分にも、細かい凹凸がある。登って遊ぶ時の足がかりなのかもしれないが、そういう筋や凹みに汚れが付着しそう。

卵がただのオブジェでなく遊具であることの証として、穴が空いていて、中に入ることができる。誰もいなかったので、初めてちょっとのぞいてみた。
こうなっていたのか
中はツルンとしていそうで、複雑な構造。内部も塗り直されている。

卵も秋田市建設部公園課の管轄だろうから、公共工事として塗り替えたのだろう。にしては、緊急性もないのに年度初めに行われたのは珍しい。
この時期の卵と言えば、キリスト教のイースター(復活祭)。復活祭の日付は、年により違い、かつ流派で異なる(必ず日曜日)。2021年は西方教会が4月4日、東方教会が5月2日。偶然でしょう。

65年になる卵。最初に遊んだ園児はもう古稀だ。
安全面を考えると、いつまでもここに置いておいていいのかなという気もしてしまう。
塗り替えたのだから放置ではないし、秋田市公園課はちゃんと点検してくれているのでしょう。そして、いつか遊具としての役目を果たせなくなったら、その時は大切に保管されるべき芸術作品でもあることは忘れないでほしい。(和洋旧校舎の作品はどうなったのでしょう…)



公園つながりで、秋田駅北東の線路際の新しい「手形新栄町街区公園」。
卵が塗り替えられたのと同じ頃、4月28日に芝生が開放された。なお、施工会社のホームページでは2021年3月22日「完工」とされている。今のところ、公園名の標柱はなし。【その後5月29日までに、北側出入り口に設置されていた。】
さっそく少なくない利用者がいて、ゴールデンウイーク中などは何組も遊んだり走ったり座ったりしていた。
下り列車の車窓から。4組10人ほどいた
歩行者専用跨線橋から見下ろすと、
左が公園。GV-E400系電気式気動車の上り列車が通過
正面奥が秋田駅。左右奥に見える白い囲いがアンダーパス建設地。
公園前の線路は4本。公園側から、駅東側の留置線に出入りする入換え線、上り本線、下り本線。右端は通常は列車は通らない(安全側線?)。
引っ切りなしではないものの、留置線とホームを行き来する列車も来てゆっくり走るので、列車好きな子は楽しいことでしょう。
公園と線路の間の道路に、路上駐車する車を見かけたことがあった。前回は公園内から道路へ飛び出す子がいないか危惧したが、さらに駐車車両もいるとなれば余計に危ない。気をつけて。
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ぐるる代走ジャーニーK

2021-05-17 19:44:20 | 秋田のいろいろ
秋田市が秋田中央交通に委託して運行している「秋田市中心市街地循環バス『ぐるる』」。※中央交通が自発的に運行しているものではない。
2012年7月21日の運行開始時から、小田急バス中古の1999年製いすゞエルガミオの短尺車2台「834」と「835」が専属車。当初は一般路線バスと同じ塗装だったのが、ぐるるの愛称が付いた2013年7月から水色系で2台違うデザインの専用塗装になった。

実際の運行では、毎日2台が必要なため、定期整備や故障に備えた予備車も必要。
運行開始当初は、日野リエッセ「129」を五城目営業所から移籍させ、一般路線塗装のまま、ぐるる予備専用車としていた。当時秋田市内にあった小型バス路線に充当することは基本的になく、定期的に動かさないとならなかったのか、予備車にしてはかなりの頻度(少なくとも週1~2日)で営業運行していた。

そして、2018年5月に、新車の日野ポンチョ「13-44」が導入された。834と835のデザインを半分ずつ採用した、専用塗装。834、835も引き続き使われ、専用塗装車3台体制になった。129は男鹿へ転出した。
ポンチョ導入後は、835が予備車の位置付けになっていると思われる。他の2台より稼働日がやや少ない印象があるのと、液晶式運賃表示器とフリーワイファイ「秋田市Wi-Fi SPOT」の設備が搭載されていないことから推測。※運賃箱のICカード準備改造はポンチョのみで、834は旧型運賃箱のまま。
835は状態があまり良くないのだろうか。素人目には自動の車高調整機能が、過剰気味に作動するような気がする【18日補足・サスペンションが傾きやすくなってしまったような感じ?】けど… ただ、129時代と同様、835もけっこうな頻度で営業運行している。


それでもなお、3台のうち2台を動かせない場合があるようだ。今年2021年1月中旬には、
一般路線用の日野リエッセ
秋田市内から小型バス限定路線がなくなった後も、1台だけ秋田営業所に残っている、小田急(稲城市iバス)中古の日野リエッセ「12-69」。※1269は、2021年春時点では国際教養大学方面の路線に入る場合があるようだ。
1269はぐるる用予備車というよりは、応援とか代走ということになるだろう。

129には、行き先表示幕に「循環バス」のコマが入っていた。それでも分かりづらいので、フロントガラスや入口ドア横に紙、正面に“バスマスク”も掲示していた。
(再掲)2018年頃の129ぐるる運用時
ただ上の写真のように、方向幕はガラスの着色と干渉し、紙は小さく、バスマスクは色あせていた。戸惑う客や、一般路線と勘違いしてやり過ごす客はいる可能性があった。
1269代走時は、方向幕は青文字社名表示だが、紙は大判になり、バスマスクも新調されていた。それでも分からない人は分からないでしょうけどね。


ここから本題。
現在、少なくとも5月14日・金曜日から17日・月曜日の運行に、3【17日訂正】4日連続同じ代走車が入っている。もう1台は連日ポンチョなので、834・835が動いていない。
いすゞジャーニーK LR「864」
一般路線バス用の(短尺でない)フルサイズ中型車の代走。
知る限りでは、2013年834・835の塗装変更作業中に、エルガミオ「211」が代走して以来2度目。この時は、211に竿燈のラッピングが施されているため選ばれたのかもしれない。LEDの行き先表示は社名表示で対応。

今回、まずは感心したのが、ぐるるに入る機会がとても少ない、一般路線用車両の行き先表示にも、ぐるるのコマが用意されていたこと。
データを入れれば済むLEDだから、それは当然と思われるかもしれないが、それが当然でないのが中央交通。8年前は社名表示だったように。
2020年10月に「回送車」など一部の表示を見直した際、同時に追加されたのだと思う。
正面、後部とも、それぞれ同じ大きさの文字2段で「中心市街地循環バス/  ぐ  る  る  」。
ポンチョでも、昨秋から同じ表記にはなっているが、ポンチョは正面も小型表示器なので、中型車の正面表示器だと印象が違う。だけど、ぱっと見て分かりづらいかも。ドット数に余裕のある大型機では「ぐるる」を大きくするとかすれば、おもしろそう。→2022年10月に変更された
中型の後部表示(↓下の写真参照)が、ぐるるの正面・後部とよく似た見た目。側面は、ポンチョも中型も同じ表示器なので、同じ内容だと思われる。


今回の864は、2010年に小田急から中古で来た、いすゞジャーニーK(エルガミオの前の車種)。当初は臨海営業所にいたが、早い段階で秋田営業所に移って現在に至る。
(再掲)臨海時代の2010年
その後10年で、ミラーが白くなって、車椅子マークが1つに減っている。正面の色の面積が若干変わったように見えるのは気のせい?

この形のバスは、1984年から1999年に製造。秋田市交通局(旧塗装時代は未導入で、すべて新塗装)も、中央交通でも、数多く購入された。最近は、秋田でも廃車が進んで、864はごくわずかに残るうちの1台。
後部。ランプ周りのデザインが初期型とは若干違うそうで、言われてみれば…
864は、ジャーニーKの最末期製造分で、首都圏事業者発注だったこともあり、特徴的な仕様。すなわち、側面窓が下固定・上スライドの逆T字窓、中ドアが折り戸×2枚のワイドドア、そしてワンステップ。
もともとツーステップ仕様の床を下げているので、乗ってみると、窓の位置が高く感じる【21日訂正・改めて乗ってみると、窓の位置に違和感はなかった。同時期の日野レインボーだとかなり高く感じるのだが、いすゞは上手く処理しているようだ。】。その他車内の雰囲気には、昭和の香りが残る。

この10年、中央交通に小田急から、中古の中型車がたくさん来たわけだが、ジャーニーKはこの1台だけ。ワンステップもこれと、短尺エルガミオだけ。
少なくとも中央交通本体(=秋田市内)では、廃車済みを含めてもジャーニーKのワンステップは、これが唯一のはず。いろいろな意味で、珍しい車。
864は、秋田営業所の一般路線では、普通に活躍している車だと思っていたけれど、今回はどうしてこの車を代走に抜擢したのかな。
【2022年11月23日追記・864号車は、2022年11月に再び臨海営業所へ転属した。】


各バス停には、ラミネートされた紙がビニールひもで結ばれている。
「お知らせ」
「運用の都合上、秋田中央交通の一般路線の緑色車両で運行させていただく場合がございます。」とのこと。
今まではこんな掲示なかったはず。これを作ったということは、計画的な代走だったことになる。834・835が長期間使用できない事情ができたのか?

告知には写真も掲載。秋田営業所内で撮影されたと思しき(後ろに高速能代線で来た秋北バスが休んでいる)、いちばん新しい(といっても2017年末で、現行モデルの1つ前)、13-07または13-08(下1桁が隠れて分からない)をモデルに、紙表示を出す位置まで示している。どうせなら紙を掲出した状態で撮ればいいのに。
だけど実際に使われるのは、古い車。

特徴的な窓や中ドアが多少分かるでしょうか。この時は正面の大きい紙がない

129が代走していた時、北都銀行前から、牛島方面行きの一般路線バスと間違えて乗ってしまったおばあさんがいた。今回は車両サイズが同一なこともあり、大きな紙や自動放送があったとしても、やはり誤乗が心配。肉声の案内など丁寧な対応をお願いします。

ぐるるの2台の運用は、始発から16時までの早番と、10時から終車までの遅番の構成(2~3周して交替)。無線などではそれぞれ「循環A」「循環B」と呼んでいる。
864は、14日A、15日B、16日A、17日Bと、今のところ毎日ポンチョと交互の運用。
【追記】18日A、19日B、20日A。いずれももう1台はポンチョ。
864のぐるるに乗車した。自動放送は通常通りあり。運賃表示機は、レギュラー車と同じ液晶式だが、ぐるる用データが入っていないのか消灯。※弘南バスでは、1台で一般路線用と循環用両方の表示に対応できている。
運転士が車外に肉声案内していたほか、運転席後ろの仕切りだけでなく、車両中ほど(中ドア直後)にも路線図が掲出されていて、表示器以外は問題なさそうだった。

5月21日は864が抜け「14-60」がB運用で代走に入った(A運用はポンチョ)。1460は京成グループ中古の日野レインボーHR(通常尺の中型車、ノンステップ)。行き先表示、バスマスクは864と同じ対応。
5月22日は834がついに復活! A運用。B運用のポンチョは1週間以上連日稼働。バス停のお知らせは撤去されていない。なお、834は運賃箱は旧型のままで、改造作業などがされたわけではなさそう。
5月23日は834A、ポンチョB。24日も834A、ポンチョB。25日はポンチョA、834B。
26日は834A、ポンチョB。以前からかもしれないが、834はヘッドライト(少なくともロービーム)がLEDに交換されていた。バス停の告知はまだ残っている。
27日は834A、ポンチョB。28日はポンチョA、834B。バス停の掲示が頑丈に結び直されていたので、今後も一般車代走があり、835が運行できない状態なのだろう。
29日は834A、ポンチョB。30日はポンチョA、834B。ポンチョの車内にも、バス停と同じ告知が貼ってあった。
5月31日834A、ポンチョB。6月1日834A、ポンチョB。6月2日834A、ポンチョB。
その後、毎日見たわけではないが、確認できた限り、834とポンチョが連日運用。
6月15日には、ポンチョがA、Bには一般路線車「11-60」が入った。新車導入の日野レインボー(エルガミオのヘッドライト違い)ノンステップ。
6月16日はポンチョA、834B。コメントによれば18日は12-69が代走。23日は12-69A、ポンチョB。
25日は12-69A、ポンチョB。12-69の方向幕は「循環バス」だった。いつの間にか追加されたのか、実は以前からセットされていたのか。
26日は12-69A、834B。ポンチョのお休みを初めて確認。
7月2日の12-69では、車内の液晶運賃表示器が作動し、専用車と同一の画面を表示していた。12-69がほぼ代走固定になっている感じ。

【8月2日追記】7月中は834とポンチョをメインに、12-69が代走していたようで、中型車代走は目撃しなかった。
7月中に、一般路線車も含めて、新型運賃箱搭載済み車(液晶画面やICの制御装置? は先に取り付け改造済み)へのICカード読み取り装置の設置が進み、中ドア整理券発行機近くには乗車用リーダーも設置された。一部車両では旧型運賃箱の交換もされたようだ(それでもなお旧型運賃箱の車も多い)。
当然、ポンチョも対応済み。さらに、834と864ともに、運賃箱がICカードリーダー付きの新型に交換された!
中央交通では、首都圏事業者の中古が多いこともあり、ドア周りのスペースや仕切り板の都合により整理券発行機の取り付け位置がまちまち。834は少数派の乗って左側が整理券で、乗車用リーダーも左に取り付けられた。配線の都合から、一般車も含めてリーダーもやはり統一されないことになるようだ。
したがって、ぐるるでも、乗車時にもタッチが必要になりそう。
そして、古い834・864とも、(致命的なアクシデントがない限り)来春以降も、秋田市内で活躍を続けることが確定したと言える。
【8月4日追記】リエッセ12-69も、運賃箱対応済みを確認。

9月6日に835の塗装を引き継いだ新車が導入された。これで一般路線車代走はひと段落し、835が運用を外れたことになる。

【2023年7月12日おことわり】この記事のコメント欄に、「一般路線用大型車がぐるるの代走をした」との投稿があります。しかし、その事実は確認しておらず、また総合的に判断してその可能性は低いように思われてなりません。嘘と決め付けることもできず、残しておくことにしますので、ご了承くださるようお願いします。
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いなほで輸送

2021-05-16 00:15:13 | 各地お土産・食べ物
新型コロナウイルス感染症で旅行もままならない。
気分だけでもと、よその駅弁を食べたいと思っても、秋田ではそれもままならない。
「旨囲門」のような県外の駅弁を輸送して売る店はないし、一部スーパーがやる駅弁大会も貧弱(いつも同じ業者・商品、品数が少ない、事前告知がない)だから。

ところが、今年2月に4回、JR東日本が、秋田新幹線「こまち1号」に駅弁を積んで運び、秋田で販売するというのを行った。コロナによる空席を埋める目的もあって、その前から農産物などを首都圏へ向けて輸送するなどしていたが、その逆方向。
定番の米沢の「牛肉どまん中」などもあったが、大船の「しらす弁当」「鯵の押寿し」、小淵沢の「そば屋の天むす」など、秋田のスーパーではあまり売られない商品もある。首都圏店舗の販売分といっしょに、いったん東京に集めてからこまちに積んだのだろう。JRならでは。
発売場所は、秋田駅待合室の「おみやげ処こまち苑」と、駅から離れたJR系スーパー「秋田生鮮市場保戸野店」。2店両方で売る駅弁と、どちらか片方でしか売らない駅弁(鯵の押寿しや天むすは生鮮市場のみ等)があって、複雑な割り振り。
生鮮市場では折り込みチラシに載ったこともあってか、早々に完売したとのこと。
その後、生鮮市場は火事を出してしまった。仮営業を経て、5月15日にグランドオープンとなり、その時にまたほぼ同じ駅弁を輸送販売した。

せっかくの輸送販売なのに、告知が少なく、しかも直前なのが惜しい。
ネットでは、本社に統合されたプレスリリースに載ることがある程度。
その後、「つがる」で青森の駅弁とブドウのスチューベンを輸送して、こまち苑で売るというポスターを秋田駅で見たが、プレスリリースも報道もされなかったと思う。


そして5月12日付プレスリリース「秋田名物・新潟名物が特急いなほで届く「秋田⇔新潟 味覚で交流in NewDays」を初開催!」。
秋田から新潟へは、大館駅花善と秋田駅関根屋のそれぞれの鶏めしや、金萬など約15種。
新潟から秋田へは、「えび千両ちらし」など駅弁3品、笹だんご、レトルトのバスセンターカレー【16日訂正・←「カレー」が抜けていたので追記しました。】など約25種。
新潟の駅弁が秋田で買える!
いつかと思えば5月14日。2日前の告知。まめにサイトをチェックしていてよかったけど、もっと早く知らせてよ!!

秋田から新潟、新潟から秋田とも、始発のいなほで運ぶ。
秋田駅は12時03分着で、発売は13時頃からとのこと。

なんとか13時ほぼジャストに行くことができた。
ちょうどテレビクルーが駐車場のほうに引き上げていくところ。少し早めに発売開始して、とっとと撮影を済ませたようだ(映らなくてよかった)。報道したのは秋田朝日放送だけだったようだ。

プレスリリースタイトルにもあるように、今回はこまち苑や生鮮市場では売らず、コンビニNewDaysのみの販売。テレビを見ると、NewDaysの制服の人たちがいなほから降ろす作業もやっていた。
秋田駅では、駅弁は中央改札口新幹線側横の「秋田中央口店」、そのほかは中央改札口向かいの「秋田ぽぽろーど店」と分けて販売。
どちらでも、店員2~3人が自由通路に向かって呼びこみをしていた。
2店回って購入
駅弁は、2つある冷蔵ケースのうち、いつもは鶏めしなどがある右側を空けて販売。
えび千両ちらしのほかは「まさかいくらなんでも寿司」と「たれカツ重」。10個ずつくらいあったか。事前告知の少なさか、2月の生鮮市場よりは売れ行きが悪い。
いずれも基本的に新潟駅の駅弁の扱いで、たれカツ重は(新津の本家)三新軒、そのほかは新発田三新軒の商品。※えび千両ちらしや三新軒の関係は2019年の記事参照。
「まさか~」は2000年発売開始で歴史があり、イトーヨーカドーがあった頃などに秋田でも販売されたことがありそう。たれカツ重は初めて知ったが、2009年頃発売らしい。えび千両ちらしは秋田初販売かも。
鮭の焼漬弁当」シリーズを期待していたがなかったので、これはえび千両ちらしで決まり。(ほかも悪くはないけれど)

2019年と価格も構成も変わっていないはず。前なかったかもしれないカロリー表示は758kcal。5時製造、18時消費期限。
味も変わらずおいしかった。前回はあまり意識しなかったが、さすが新潟、ごはんもおいしい。酢飯と玉子だけの廉価版があってもいいかも。


お向かいは、入口横のガチャガチャマシーンを少し動かして、ラックを出して笹だんごを並べて販売。駅弁よりは興味を示す通行人が多かった。
笹だんごの定番である粒あんだけだろうと予想したが、同じ製造元の粒あんとこしあんが、同数(各10個強?)あった。こしあん好きとしてうれしい。
新潟市内の「越後獅子のさかたや」の新潟駅で見たことがある商品。かさばる箱入りでなく袋入りなのもうれしい。
5個入 800円 1個115kcal 消費期限5月17日。「つぶあん」は紙の地が赤い
若干小さめの気がしけれど、おいしい。あんこがなめらかというか、水気が多い(薄くはない)のが特徴的。
これまで何度か食べてきて、笹だんごにも製造元により微妙な違いがあるのが分かってきた。食べ比べると楽しそうだけど、秋田では不可能。

よく見なかったが、ほかには店内に柿の種など日持ちしそうなお菓子類。翌15日にのぞいてみると、それらはまだあった。笹だんごはなさそう。


あまり交流がない秋田と新潟が、こんな形でつながるのがおもしろい。続編を希望するとともに、他の地域のものもお願いします。例えば、郡山の「海苔のりべん」なんか…【16日追記・崎陽軒のシウマイ弁当だって、秋田では入手困難。もう何年も食べてないな。】※海苔のりべんなどは2021年にこの形で実現した。
7月にはこんな物が輸送販売されたのだが、やはり告知不足。
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駅前交番 VS タクシー ?

2021-05-13 23:29:43 | 秋田のいろいろ
秋田県警察本部 秋田中央警察署の秋田駅前交番は、JR秋田駅舎の西側1階にある。※駅前交番関連の過去の記事
駅ビル「トピコ」出入り口の隣だが、自由通路と階段の下でもあるので、知らないと分かりにくい場所。「KOBAN」の表示も、結局は自由通路の陰で目立たない。
全国的に「駅前交番」は、駅舎のすぐ隣など別の建物になっていることが多い。秋田駅のような“駅ナカ交番”は珍しいかもしれない。
ちなみに、秋田駅の鉄道警察隊は、2番線ホームに面しているが、考えてみれば駅前交番と背中合わせの位置かも。裏でつながっていそう。
交番だから、警察車両、パトロールカーも配備されている。
ハッチバックのコンパクトカーのいわゆるミニパト(今はマーチ)1台がほぼ常駐し、大きいクラウン1台もわりといることがある。
その置き場所。
自由通路下。右が駅前交番、左前がバス乗り場
上の写真の撮影位置は、歩行者スペースで、交番はそこに面する。その北側がタクシー乗り場・待機場で、その手前側がパトカー置き場。
上の写真の上、自由通路から
タクシー乗り場は、西(上写真左)側のバス乗り場(バスターミナル)と段差なくつながっているものの、木製の柵が切れ目なく置かれて、行き来できない。動かせる柵ではあるが、基本的に固定のようだ。
自由通路から位置を変えて。珍しくクラウンが2台、奥ではバス乗り場に個人タクシーが入りこんでいる?
タクシー乗り場には、一般車は入れなくはないが入る必要性がない。ほかにトピコテナントへの納品車は入るが、恒常的にここを使うのはタクシーとパトカーということになろう。
ここは公道ではない、秋田市の土地だと思う。路面に白線が標示されているように、タクシー待機場に入る時と、客待ちして発車する時では動線が違っている。客を乗せて発車してすぐの所に、停止線のような線が引かれているが「止まれ」と書いてない。客を乗せてきて降ろす位置かな。

パトカー置き場への出入りも、少なくとも通常時は、客待ち・客乗せタクシーと同じ、北側のホテルメトロポリタン側から時計回りのルート。
緊急出動時は見たことがないが、前向きに置いていることからしても、同じようにメトロポリタン方向に出ていくのだろうか。

消防の救急車が秋田駅に出動する時は、バス乗り場から歩行者スペースに乗り入れ、そこ(=駅前交番の正面)に車を置いて、ストレッチャーで患者を運んで来るのが原則のようだ。城東消防署からなら東口のほうが距離的には近いが、ストレッチャーでの搬送を考えると、西口へ回ったほうが早いのだろう。
また、最近は駅活性化の一環でキッチンカーがこの歩行者スペースに出店することもある。
だから、パトカーも、タクシー乗り場の小さい段差部分から歩行者スペースへ上がって、バス乗り場から出ていくということもできなくはなだろうけど、安全面などかえって手間かな。



2015年に、ここのパトカーの場所でこんな光景があった。
(再掲)
「予約」表示のあさひタクシー7台がびっしり並び、その片隅でミニパト(上の写真左奥、今とは違う車)が肩身が狭そうにしていた。こんな時に緊急出動があったらどうするんだろうと思った。

その後、昨2020年11月のこと。
またあさひタクシーが“占拠”?
今度は、パトカーが2台だけど、あさひタクシーも9台に増えている。
パトカーの前にはタクシーが2台ずつ陣取る
タクシーにはドライバーが乗っていて、いざとなれば手早く移動はできるのだろうけれど、なんだか駅前交番VS.あさひタクシーの場所取り合戦のように見えてしまう。

大手タクシー会社が警察業務を妨害しかねない行為はしないだろうし、自分の車の前に無断で他人の車を置かれて黙っているほど秋田県警もお人好しではないだろう。
タクシー会社(もしくは業界団体)と警察の間で、パトカーの前にタクシーを置くことについて話が通っているのでしょう。としても、緊急出動時は少々不安だけど。


でも秋田県警も黙ってはいなかった。今年のゴールデンウィーク中。
パトカーが集結!
ミニパト3台、クラウン3台、あと濃淡2台のセダンは覆面パトカーかな? とすれば計8台。

休日にこんなに警察車両が集結しているとなれば、事件事故? にしてはクラウン1台以外は、お尻から入って前向きになっているから大至急出動したのではなさそう。
じゃあ要人警護? にしては、駐めかたが雑然としている(+そういう話も聞こえてこなかった)。どっちにしても中途半端な置きかた。
【15日訂正・同じ画像を重複掲載してしまっていました。これが本来の画像ですので、差し替えます。】
特に前のミニパト2台(ナンバーが13違いのスイフト)。出ていくタクシーが若干、ジャマそうに通っていった。もうちょっと下がってもらいたいが、これが警察側のタクシーに対する反撃か?!

線を引いたり柵を設置したりして、明確に区分することもできるのに、そうしていないのは、お互いの譲り合いの気持ちと思っていいのでしょうね。警察とタクシー、仲良くやってください。



ところで、上の写真でも分かるように、大きいパトカーでは、屋根に文字と数字が表示されている。
テレビで見かける警視庁などでは昔からやっていたが、秋田県警ではつい最近(昨2020年?)始めたそうだ。エンブレム入りPOLICE表示よりも後で、全国的に見て遅いほう。
駅前交番のレギュラー・準レギュラー?
これは、正式には「車両識別標識」らしいが、通称「対空表記」「対空表示」「コールサイン」と呼ばれるもの。ヘリコプター(もしくは高所)から見て、無線指示する時に車両を見分けやすくする目的。全国的にミニパトには書かないことが多いようだ。
駅前にたまにいるクラウンは「地01」や「地2」。今回の大集結では、その2台に加え、唯一頭から突っ込んでいたのが「中3」。

別の場所では「東○」も見たことがあるので、「中」や「東」は、秋田中央警察署、秋田東警察署にそれぞれ配置されている車だろう。
「地」はおそらく県警本部配置の車。その「地域課」の意味で、その「機動警察隊」が使うといった情報がネットにあり。じゃあ、県警本部の車と人が、日常的に中央署の交番に出入りしているということか。

気になるのは「地01」と「地2」がいること。ゼロの有無(2桁か1桁か)の意味はあるのか。よく見ればフォント(文字の太さ)も異なる。
昨年、既存車にも書き足したのだろうが、その時点で早くも表記ゆれが生じているのはいかがなものか。
秋田県警では、車体の「秋田県警察」の文字さえ、丸ゴシック体であればこだわりがないらしく、太さもフォント(「秋」の「火」の点の向きが違う。写真の2台は同じ)もまちまち。他県では細かく指定している所もあるというのに。
もう少し、こだわりというか一貫性があっていいと思うのですが。
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潟上市マイタウンバス

2021-05-11 23:55:37 | 秋田のいろいろ
少しだけ触れていた、3月下旬の潟上市マイタウンバスのことをざっと記録。※利用の際は最新の公式情報を確認してください。
秋田県潟上(かたがみ)市は、秋田市の北、八郎潟残存湖の南に位置する。2005年に飯田川町、昭和町、天王町が合併して発足。市の形も、そこを通る幹線道路も鉄道もY字型。
JRは奥羽本線と男鹿線が通り、駅も多いが、Yの左上から右上、男鹿線・天王駅~追分駅乗り換え~奥羽本線・羽後飯塚駅だと、420円かかる。

一般路線バスは、秋田中央交通が秋田駅西口発新国道経由の、五城目線と追分線(市内の天王グリーンランド行き)を運行。
ほかに市内完結の「潟上市マイタウンバス」が複数路線運行。たいていの町のコミュニティーバスと同じく、鉄道駅・病院・商業施設と集落を結ぶ路線網ではあるが、潟上市では鉄道や一般路線バスと並行する路線もあるのが特徴。※旧道や集落内に入るなど、一般路線と経路は異なる。
さらに、Y字の上側をショートカットする路線も設定されている。
そして、それら路線どうしの乗り継ぎも比較的良好。

マイタウンバスの運賃は1乗車に付き大人100円の定額(降車時支払い)。中央交通一般路線と同じ、各種回数券で支払うことも可能。
なお、五城目線と追分線は、手続きをした市民・通勤者が現金払いする場合に限り、市内区間が100円になる。よそ者には関係ない。

したがって、JRでは最大420円かかる区間が、潟上市マイタウンバスを使えば100~200円で移動できる。
時間的にも、列車が1時間以上空く時間帯、追分での接続が良くない時間帯もあるし、ショートカットして距離が短いために、意外にかからない。
2010年放送の路線バス乗り継ぎ旅では、男鹿方面から日本海側を南下する一行が、マイタウンバスを2度乗り継いで(現在とは路線が違うかもしれない)天王グリーンランドへ行き、さらに追分線に乗り換えて、比較的スムーズに秋田へ向かっていた。

日曜祝日は全便運休(土曜は運行)なのと、本数が多くはないことは要注意だが、なかなか便利。よそ者がバスの旅を楽しむのにもいいでしょう。


潟上市マイタウンバスの運行業務は、中央交通の子会社・秋田中央トランスポートに委託されており、同社五城目営業所管轄。
車両は、潟上市が購入したのか、ほぼ真っ白いボディの専用車と、中央交通系列一般塗装の緑色のバスが混在して使われている。
緑色のバスは、行き先表示がLEDでない方向幕の車ばかりのようで、同じく同営業所が担当する八郎潟町・五城目町・大潟村の「南秋地域広域マイタウンバス」でも使われるようだ。南秋広域では、LED表示の車もあり、それは潟上市には入らないのか。
新国道経由五城目線を担当するのは、中央交通本体の五城目営業所(場所は同じで、業務はトランスポートが受託しているそうだけど)なので、車両は別。

白塗装も緑塗装も、小型車と中型車がある。どう使い分けているかは不明。
専用車の三菱エアロミディ。ワンステップの中古車
ナンバープレートが14-79だから、最近、2020年の登録。中ドアガラスの注意書きからして、京成グループの中古。白塗装だとLED表示。
中央交通本体では、最近の中古車はいすゞか日野ばかりだが、トランスポートには三菱と日産ディーゼルが多い傾向。
専用車の日野ポンチョ214
ノンステップの小型バスも。2016年新車導入。ショートボディなので1ドア。秋田市のぐるる用(ロングボディ2ドア)の1つ前モデルの末期製のようで、マニュアルトランスミッション。

このポンチョに乗った。最後部の座席1列だけ段が高くなっているが、そこは紐で封鎖されていた。
整理券は使わないが、発行機は設置。その発行機や運賃箱、降車ボタンは、中央交通では採用していない、レシップ製【12日補足・運賃表示器だけがレシップ】。車載機器も潟上市の裁量で選定したのだろうか。【13日追記・座席の布地も、中央交通が好む柄入りではなく、日野標準の柄なし水色だった。】
その関係か、自動放送も中央交通本体とは違って、弘南バスと同じ人。
運賃表示器というより停留所案内装置は、1画面の液晶(レシップ製?)がちゃんと作動して分かりやすい。
行き先表示機は、ポンチョは不明だが、中古のエアロミディでは中央交通と同じオージ製。

そして、
一般塗装の日野リエッセ
これは、秋田市交通局として最後の購入車両の1台、1996年度導入の65号車だった車。
中央交通譲渡後も秋田市内を走っていた(関連記事)が、今はここで活躍。
元市営バスの車両としては、1988年製という異例の長命の元局番221号車も五城目配置(南秋マイタウンには使われているが、潟上市には使われないのかも)で、これらが最後の2台。

かつては大型バスも使われていたそうで、
(再掲)この車。写真は中央交通本体時代
1994年度に秋田市交通局が購入した、いすゞLVキュービックのワンステップ車(超低床バスと呼ばれた)の1台、局番128号車だった車が中央交通へ譲渡され、臨海営業所、男鹿営業所を経て、最後に五城目営業所で潟上市マイタウンバスに使われた。


今回の移動の記録。
男鹿線二田駅。海・国道101号と反対側が正面
二田駅前にもバス停があって、前の道を男鹿方向へ進むとすぐに次、
「二田駅入口」2路線が計片道10本ほど
片側にのみポール設置。「バスで行こう」タイプでフレームがオレンジ色。オレンジ色は秋田市内では小中島入口のボロっちいのくらいしかないが、秋田市外では状態のいいものがけっこうある。
二田駅入口の下に「郷土文化保存伝習館」が透けていた。大久保の秋田道のほう【14日補足・豊川地区の辺り?】にある施設で、今は経路が変わって通らないようだ。

男鹿線の踏切を渡ると、突き当りに国道101号とロードサイド店が見える。
突き当りの手前にバス停
右側にあるスーパーの名を取った「テラタ前」。テラタは能代市拠点で、この天王店が南限。

ポールはほぼ向き合って両側にあり、片側はグレーフレームのバスで行こう。テラタの駐車場に置かれたものは、市営バスタイプ表示板に日本語のみシール貼りで、頭でっかちタイプ
駐車場のバス停から、買い物帰りらしき年配女性2人とともに、国道から曲がって空で来た潟上市役所行きに乗車。線路を越えて二田駅前から男鹿線と並行する旧道を進んでいく。途中でもう1人乗ってきて、3人とも上二田駅前後で降りていった。バス停の順番を尋ねる人もいたから、乗り慣れていない人もいたようだ。

客1人となって国道へ出て、男鹿線を越えて、天王グリーンランド、潟上市役所へ。乗り継ぎはグリーンランド、市役所どちらでも可能。【13日追記・今回は、有意義に時間がつぶせそうなグリーンランドで乗り継ぎ。】
「天王グリーンランド」バス停
ここで折り返す中央交通・追分線と共用の待合室あり。

トランスポート側(そういえば「潟上市マイタウンバス」とは表示板には書いてない)は頭でっかちで、英字(GREEN LAND)入りで、カッテイングシートのようだけど、フォントは「HG丸ゴシック」?
中央交通側は、数少なくなった四角い共用タイプ(を中央交通単独区間に設置したもの)。「GURINRANDO」だから英語でなくローマ字。
マイタウンバスは4路線片方向20本
ここで20分弱待ってメルシティ潟上(飯田川。羽後飯塚駅の先)行きに乗り換えて、途中の大久保駅で降りてJRに乗り換えの行程。
ところがそれより数分前に、追分駅入口行きがあるのを見落としていた! 不慣れな土地のバスでやりがちな失敗。JRのきっぷを買っていたし、どちらでも乗り継ぎ先は同じ列車だから、そのまま大久保まで行くことにした。
元秋田市営バスのリエッセが来た追分行きには、若い人も含めて5人ほど乗っていた。
ちなみに追分駅入口とは、追分駅前の国道7号にあるようだ。そこが潟上市と秋田市の境で、追分駅自体は秋田市に所在。どうせなら駅前に入ればよさそうだけど、潟上市外には行かないことになっているのか?

さっきのポンチョが入ったメルシティ行きはまた空。もうお1人とともに乗車。途中でもう1人乗ってきて計3人。大久保で2人下車。
土地勘のないルートを進む。さっきよりは農村地帯の趣が強い。
田園を進む。秋田市とは違うシルエットの太平山も
国道7号とは逆側から、大久保地区へ。「小玉医院」の中に入って、踏切を渡って、大久保駅前に入った。
「大久保駅前」6方向に22本
サビ気味のオレンジフレームバスで行こう。
表示板の取り付け方が違うのか、ネジが見えず、のっぺりしたバスで行こう。裏は、
見慣れた感じ?
この「バスで行こう」は、秋田市内や二田のとは少し違う。「バスで行こう」が手書きでなく活字。モリサワ「新ゴ」かな。
飯田川、井川辺りにかけてこのタイプが多い感じ。フレームはサビているけれど、表示板としては新しいのか。

中央交通五城目線は、駅の前の県道104号を通り、「大久保駅入口」バス停がある。上下ともシルバーフレームのバスで行こう。
2015年に建て替えられた大久保駅舎。バス停は右側

中央線と山陽本線と奥羽本線、全国に3駅ある大久保駅の1つ。
テレビ朝日「さすらい刑事旅情編」の後継として、1シーズンだけ放送された「風の刑事・東京発!」という、鉄道警察隊のドラマがあった。【13日補足・さすらい刑事も風の刑事も、「デカ」でなく「けいじ」と読む。】
その8話、1995年12月6日放送「20年目の再会!名前のない男」は、大久保駅が3つあることをからめて、秋田の大久保駅が舞台になった。主演の柴田恭兵が大久保駅ホームにいるシーンもあって、まだ新しかった701系電車と共演していた。
今のホーム。701系の帯色が濃くなったほかは、あまり変わっていない?

初めて乗った潟上市マイタウンバス。車窓のほか、中央交通本体とは違う点もあって、隣の市なのにちょっとした旅行気分を楽しむことができた。

隣の井川町のコミュニティーバスやバス停について
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泉外旭川最寄りの学校

2021-05-10 23:05:22 | 秋田の地理
今春開業した、泉外旭川駅。※開業直前の記事。開業後はおいおい。
その利用状況は、春休み~新学期があり、利用客数の数字としてはまだ落ち着いていないはずで、具体的に多い少ないを判断をするには早いと思う。
通勤通学時間帯ではない列車にたまに乗って見ている限りの感覚としては、昼間でもけっこうな利用者がいると感じている。通勤通学は、報道によれば周辺住民でバスや自家用車からシフトした人はいるとのこと。

10年前の記事で、今はなき「週刊アキタ」の2010年12月17日号を引用した。
週刊アキタ紙面に、新駅が「秋田工業高校、秋田北高校、秋田高校へも近い(のでその通学需要がある)」とあったに対し、「秋田高校はどう考えても秋田駅の方が近いし、他の2校だって似たようなもの(川があるから遠回りになるし)。」と記していた。
ところが、春休み中や土日に乗った時のこと。泉外旭川駅から、秋田工業の部活帰りらしき生徒たちがけっこう乗りこんできた。少なくとも、工業では泉外旭川駅が通学に使われているようだ。
週刊アキタさん、決めつけてしまってごめんなさい。

というわけで、泉外旭川駅と秋田工業周辺について。推測している点も多いので、実態をご存知あればご指摘ください。
秋田県立秋田工業高等学校は、秋田市保戸野金砂町にある。
この5年ほどで校舎・校地が一新されたが、明治時代から場所は動いていないようだ。
敷地は、南を旭川、東~北を奥羽本線がほぼ接している。線路は秋田駅から北へ伸びて旭川を渡った後、工業の敷地に触れるとともに、左(西)へ大きくカーブして、泉外旭川駅・秋田貨物駅へと直進する。
どういう経緯でこんな線形になったのか知らない(カーブしないとやがて山にぶつかるけど)が、開校が1904年、この区間の奥羽本線が1902年開通と同じ頃。

秋田工業は、公共交通機関での通学には、あまり恵まれていない立地だった。線路沿いなのに駅はないし、路線バスは複数路線に囲まれているものの、どのバス停も微妙に遠い。この点は川向いの県立秋田北高等学校もおおむね同じ環境。
※数十年前なら、北高前を通る楢山/手形大回り線がそこそこの本数あったり、神田・添川線が狭い道を経由していて保戸野八丁バス停が今より多少近かったりした。

そのため、JRで通学する生徒は、秋田駅で乗降しているようだ。駅~学校は、歩くか自転車(秋田駅での駐輪は有料になってしまう)なのでしょう。
秋田駅~学校は、線路沿いを並行するような道はない。知る人ぞ知る裏道を抜けるような最短ルートがあって、受け継がれているようだ。
西口を出て、秋田県立循環器・脳脊髄センター(旧脳研)裏を抜け、以降は住宅地と千秋公園の崖下にはさまれたくねくねとした道。坂を下って上って新中島橋を渡れば、間もなく正門。距離は2キロほど。
「城跡風致地区」こんな道も
線路から離れて千秋トンネルを抜けるルートも想定されるが、数百メートル長くなる。秋田北高の場合はこちらが最短で1.5キロ強。


泉外旭川駅との場合。
工業高校から泉外旭川駅は、正門と真裏の方向。泉踏切のそばに、搬入口のような質素な観音開きの門があり、そこが近い。
その門は、学校ホームページには「工事車両口」との記載が見られる。積雪地・秋田では開閉する構造の校門は少ない(門柱のみが多い。秋工の正門も同様)ので、これは閉めっぱなし想定の門かと思われるが、工事してなさそうな日に開いていることもある。登下校に使えるのかは不明。
キハ40系時代の泉踏切。右のひなん場所表示を入ればすぐ工業
その裏門から泉外旭川駅は1キロ。正門だと、線路と逆側の住宅街を回って1.5キロ。
1キロだと羽後牛島駅~秋田南高校と同じくらい。追分駅~秋田西高校よりも近い。
徒歩でも差し支えない距離だし、泉外旭川駅前広場には無料の駐輪場がある(屋根がないけど)。奥羽北線や男鹿線方面から通う場合、男鹿駅、追分駅などからは、秋田駅まで乗るより運賃が1段階安くなるメリットもある。
学校帰りに秋田駅前で遊んだり買い物したりはできなくなるし、場合によっては(自宅最寄りも無人駅だと)定期券購入する場所に難儀しそうだけど、秋田駅よりも泉外旭川駅を選ぶ生徒がいてもおかしくはない。
奥羽南線や羽越本線~泉外旭川だと、秋田駅での乗り換えが必要になり、運賃が高くなる場合もある。運賃が同じ場合は、泉外旭川まで定期券を買っておいて使い分けることもできそう。

その他、秋田北高校の場合は、引き続き秋田駅のほうがやや近い。秋田高校だと、意外にも秋田駅も泉外旭川駅もほぼ同じで2キロ。両校でも泉外旭川を使う人がいるかも。
秋田大学附属各学校も、泉外旭川のほうが近いはずだけど、いないかな。【2022年6月27日追記・2022年度時点では、附属中学校の生徒で、泉外旭川を利用する人がいるようだ。】

ところでJRの通学定期券は、「居住地最寄駅と学校最寄駅との相互間」に限って発売されるもの。この「最寄駅」とは、合理的な理由があれば、いちばん近い駅でなくてもいいケースもあるらしいから、いいのでしょう。




泉外旭川駅から秋田工業高校への道。
線路と並行な道があるものの、旧鉄道用地が宅地化された所もあって一直線ではなく、長らく住宅街の生活道路であったので、少々分かりにくい。でも、秋田駅からよりは明瞭。
泉菅野と泉北の境付近。この左が国鉄用地だった住宅地と線路。高い建物は高齢者施設
最短ルートでは、上の写真左方の住宅地を抜け、カーブミラーの所へ出て、あとは奥へ一直線。
泉外旭川駅寄りは、歩道(片側のみの区間あり)が確保されている。進むと、
ジェイアールバス東北秋田乗務員宿泊所前。桜の下が天徳寺地下道
JRバス付近から、保戸野桜町。ここからは、片側はすぐ線路、その向かいは住宅地の、昔からある道。350メートルほどで、泉踏切、その県道を渡れば、もう工業。

この区間が、少々不安。
これまでと逆向きに撮影。右側奥の建物がJRバス
歩道がなくなり、車道部分は少し狭くなる。
歩行者をよけて通ってくれる車は多いものの、車どうしがすれ違う場合など歩行者は怖い。車の通行量はそれなりにあり、一直線で、制限速度が40km/hなので、速度を上げてしまう車もいなくはない。積雪時も考えると…

上の写真、JRバスの隣では、建物が建てられそうな土地があるが、何もなく草が茂っている。
何もない空間は、泉踏切まで続くのだが、徐々に線路と道路が寄り添うため、徐々に狭くなっていく。
なんにもないわけではなく、ごみ集積所が置かれていたり、あとは、
この区間唯一のちゃんとした施設
「変電設備/JR秋田泉き電区分所」の表示。鉄道の架線に電気を供給する施設のようだ。太陽光発電所と直接の関係はない。
ここを境に電力を供給する変電所が変わるはず。この付近の架線には、電気が流れていない区間(デッドセクション、交交セクション)があって、通過時に車内の空調が一瞬止まることがある。昔、泉踏切で非常ボタンが押され列車が非常停止した時、無事に停止できたものの、そこがセクション内で動けなくなってしまい、ディーゼル機関車が救援したことがあったはず(1990年代中頃で、583系電車だったような?)。

やがて、白い柵がなくなって、線路際のフェンスに変わって、
線路が近くなる

泉踏切の角で県道233号線とぶつかる
車に注意して横断(信号なしの横断歩道あり)すれば、すぐ裏門。

これまでの写真で分かる通り、歩道がない道路と線路の間には、未使用で一定以上の幅の土地が連続している。
そこを、簡易的にでもいいから、整地して歩行者スペースとすれば、この道路が安全になるのではないだろうか。泉外旭川駅利用者で歩行者は増えたはずだし、これも泉外旭川駅の利用促進につながるかもしれない。
赤い境界標が写っているが、未舗装部分でも市有地の箇所もあるようだし、JR用地側もそういう目的なら無償で貸してもらえるのでは?
秋田市に提案してみた。どうなるか。


ところで、昭和の昔、奥羽本線で秋田工業高校に最短ルートで登校できる(おそらく下校はできない)荒業があったそうな。後日
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バス停表示板 新品か転用か

2021-05-08 22:50:34 | 秋田のいろいろ
気まぐれに交換(しかも書式がいつも微妙に違う)される、秋田中央交通の秋田市内のバス停の表示板。
最近では、2021年2月頃に通町の上り側が交換された。

また1つ発見。
「秋田貨物駅入口」
運行形態が特殊(下りの末端と上りの始発が、同じルートで重複している)な泉ハイタウン線と、八橋回りの泉八橋環状線が通る、本数が多い側のポール。
以前記事にしたように、ローマ字なし、角ゴシック体を透明シールに印刷したものを貼った表示板で、支柱はサビサビだった。今年2月5日時点では、まだそれだったのを確認しているので、通町と同タイミングで交換された可能性がある。
新しい表示板の文字配置は(通町と違って文字数が多いので)判断できないが、現行の標準的な見た目で、転用ではない新品っぽい。

この場所にバス停ができたのは、市営バス時代1992年のはずで、当初は「秋操駅入口」。2006年に中央交通へ移管され、その翌2007年に「秋田貨物駅入口」になったそうなので、表示板は中央交通作成で、14年に達しようとするものだったことになる。
(再掲)西向きの面
西日が当たる側はボロボロながらいちおう判読でき、その裏面は黒々とした文字のままで、シールの耐久性は悪くなったようだ。
(再掲)むしろ支柱が

支柱もピカピカに
台座に注目。
なんと言うか…
台座は新品ではないのは確実。以前と同じものの可能性が高いが、見た目は変わった。
銀色のスプレー塗料がかけられている。ここ以外でも、台座を再利用した場合に、たまに行われる手法。支柱のサビが流れて汚れていたから、それを隠す目的だと思われる。でも、もうちょっと丁寧というかきれいに【9日追記・まだらにスプレーされているので、「均一に」が適切か】やってくれても。

以前の記事で触れているが、神田線等の保戸野八丁の上り側は、市営バス末期の交換で同様のシール貼り。判読に支障がない状態のせいか、現時点で変わらず。
また、この秋田貨物駅入口の向かい側・環状線泉回り(平日1本だけ)用は、2016年の運行開始時に転用ポールが置かれている。ここ何年かで、その支柱の根元付近が腐食して、ちょっと危なそうな感じがするのだが、そちらも変わらず。



ところで、秋田貨物駅入口から秋田駅に向かって次の次のバス停が、泉外旭川駅開業で新しく乗り入れる(ハイタウン線上り便のみ。環状線は両方向とも乗り入れず)ようになった「泉駅前広場」。※開業直前の状況
バス停名称は、秋田市主導の命名らしく、中央交通が勝手に決めたのではない。反対側の、秋田市マイ・タウンバスのバス停は「外旭川駅前広場」。どちら側の駅前か分かる命名にしている。なお、外旭川側で中央交通・神田線が乗り入れないのは、道路構造に支障があるため。道路工事完了後2022年10月以降乗り入れ予定【追記・2023年2月23日から、神田線全便上下とも乗り入れ】。→外旭川側のマイタウンバスについて

正面奥が地下道下り口、その向こうに電車がいる
地下道出入り口から離れた、屋根もベンチもないところにぽつんとポールが置かれた。
「泉駅前広場」
意外に新品ではない。
台座は見るからに転用品、銀スプレーはなし。支柱だけは新品(反射テープなし)で、時刻表枠の取り付け方法は頭でっかちタイプと同じ、バネが付いたもの(貨物駅入口は従来どおりの方法)。そして表示板は、
なんか…
気のせいか、青い部分が下方に広く、赤い部分が狭いような感じ、全体的な色合いも最近交換されたのとやや違うようにも。文字は基本のローマ字入り、太いスーラ。
そして、黄色い部分に何かありそう。裏面のほうが分かりやすかったので、画質調整もすると、
「雄和市民サービスセンター」!
これまで、転用前のバス停名が下に透けている表示板は、文字の凹凸も分かる状態だったが、これは平面的な輪郭の痕跡かもしれないが、とにかくくっきり。転用品であることが丸わかりだ。
2019年春に廃止された雄和線で使っていたものだろうか。
中央交通では、昔から旧・雄和町に路線を持っていて、町制時代末期には町から100円バス「ユーグル」も受託していた。秋田市への編入後、縮小、一時廃止、復活などを経て、2019年以降は中央交通系列は雄和から撤退(国際教養大関係路線、空港リムジンを除く)している。

以下妄想。
泉外旭川駅への路線バス乗り入れについての中央交通の考えは、3月14日付秋田魁新報によれば、人口減少・乗客減少、収入落ちこみ、運転手不足を理由に挙げ「新路線の開拓は現時点で厳しいとしている。」とのこと。
それはウソではないが、全国どこでも同じだろう。
中央交通のホンネとしては、泉外旭川駅での路線バスが便利になってしまうと、ドル箱路線である新国道経由や神田線の、秋田駅からの通し客が減り、自社の収入が減ってしまうから、やりたくない。秋田市がやれと言っているから、渋々、申し訳程度に乗り入れているのではないか。(根拠のない独断の邪推です)
そして、そのアテツケとして、新品でない表示板、しかも同様に秋田市の交通政策に振り回された雄和地区で使っていた表示板を使い回しにあてがったのかも?!(根拠のない独断の邪推です)
だって、新駅がこのタイミングで開業して、バスが乗り入れることは、ずっと前から分かったのに新品じゃないなんて。

結論として確実なのは、中央交通のバス停表示板は、相も変わらず気まぐれということ。

※この後2021年夏のバス停表示板更新状況
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