広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ひらり 秋田編2

2023-02-25 23:03:32 | 秋田市営バス
1992年の連続テレビ小説「ひらり」秋田ロケの続き。
まず、前回の補足。寒風山の実家の造り酒屋「千秋」について。増田の内蔵でロケしたのかもと思ったが、秋田市新屋表町の「黄金井酒造(現在は営業せず、建物は現存)」で、7月にロケされたことが分かった。秋田市立新屋図書館で現在も、49回で映った小道具の「千秋」ブランドの樽や出演者の写真が展示されている。


第51回。
寒風山の実家を後に、「千秋公園」が15秒ほど。広小路の大手門の堀沿いの歩道を歩くシーン→千秋公園本丸・御隅櫓前の小さい階段付近で、棒切れを振り回してふざけるシーン。千秋公園は単なる観光シーンということになる。
「天徳寺」境内のシーンが2分20秒。寒風山が急に立ち寄ると言い、好きだった同級生との再開・別れ。

今回取り上げるのは、お堀沿いのシーン。
中土橋側からお堀越しに撮影しており、秋田駅側から西に向かって歩く一行へズームする。


現在のほぼ同じ画角
広小路の向かい側、左の建物は、できて間もないアトリオン。
その隣は、現在はホテルドーミーイン秋田。この当時は「マルサン」。分類としては総合スーパーになるのか。関係は不明だが、弘前市にも同じロゴのマルサンが存在した。秋田のマルサンは1994年7月に営業を終え、2004年に解体。
当時の広小路内の他の箇所同様、マルサンの前の歩道にはアーケードがかかっている。暗くてよく見えないが、店頭に商品が並んだり、歩く人がちらほら。
お堀側の道路は、この位置から見る限り、現状と大差ないが、電柱(おそらく電力柱)が立っているのが意外。昔から、ここには電柱はおろか電線がないと思いこんでいたが、これ以降に地中化されたということか。見えないが、歩道路面のブロックは、後に替わっている。

お堀には、おなじみハス。噴水の向こうは、スイレンだと思う。
ハスは西寄りのみに繁茂していて、噴水の影響もあるかと思うが、中央付近の水面が広く見えている。盛夏にはほぼ全面が葉と花で覆われる現在からすれば控えめだけど、当時はこれが普通だった。
2000年代に地下自動車専用道路・秋田中央道路の工事のため、お堀に手が入って、完成後に復旧したら、土がうまい具合に撹拌されたのか、ハスの繁殖力が旺盛になった結果なので。
(再掲)2011年。噴水の位置が変わっている
また、この頃は、このハスが「大賀ハス」だと誰もが信じていた。
2002年頃に大賀ハスではないのではとの指摘があり調べた結果、「漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)」という品種だと思われることが判明。※千秋公園二の丸・胡月池にはホンモノの大賀ハスがある。
広角で撮影

そして、広小路を走るバスが3台登場する。

先頭は観光バス。暖色系に、犬(グレイハウンド)のエンブレム。「帝産観光バス」だ。
阪神淡路大震災で、高速道路が崩落したギリギリのところで難を逃れたバスが知られ、1993年の関西への高校の修学旅行でお世話になったが、本社は東京。この当時、紅葉シーズンに品川ナンバーの車を秋田市内で見かけていた。この時は「東北三大夏まつりツアー」か何かで来ていたのか。

続く2台は、秋田市交通局(秋田市営バス)の路線バス。
2台とも、いすゞ製中型バス「ジャーニーK」だが、窓枠の色は前が銀色、後ろが茶色。

市営バスでは、1986年度導入車から、路線車の塗装を新しくした(この記事など参照)。1986年度は試験的な意味合いもあったのか大型車を少し導入し、1年空けて、1988年度から1996年度まで、中型車を中心に新車を続々と投入した。
10年間の間に、(メーカー側の変更でなく)交通局の意向によると思われる差異もあり、窓枠がその1つ。
1988年度、1989年度導入車(240号車まで)だけが銀色で、(241号車から)1990年度以降が茶色。また、車内の床も、ここを境に板張り/凹凸のある樹脂製に分かれる(1986年車は、窓枠は逆T字茶色で、板張り)。
さらに完全にメーカーの都合だが、いすゞ製では、ここが旧ロゴ(サンセリフ)と現行ロゴの境でもある。

ということで、前は1988年度の221号車・222号車または1989年度の236号車~240号車、後ろは1990年度の245号車~247号車または1991年度の263号車~266号車のいずれかとなる。
後ろの車には、後部の広告板が未設置なので、まだ新しかった1991年度導入車かもしれない。

どの路線で運用されているところか。
前の車は「県庁 市役所 八橋球場.交通局」だと思う。入庫を兼ねた路線なので、本数が多く、時刻は特定不可能。
後ろの車は、

ズームした背景に位置し「荒巻.古野(この)」とはっきり読める。青文字は「牛島 小学校」か「城南 中学校」のどちらかだが、牛島小っぽい?
当時は「上北手線」と呼ばれ、後に短縮と経由地変更され、現在は「南大通り経由日赤病院線」となっている路線。当時のダイヤで牛島小学校経由の駅発は、平日・土曜が10時10分、11時55分、14時18分、17時10分、18時50分。日曜が10時15分、14時20分、17時10分、18時50分。
2022年秋のダイヤ改訂では、平日14時00分発のみ(駅行きは城南中経由)になってしまった。
【3月5日追記・当時の上北手線の本数について】
平日・土曜ダイヤでは、下り駅発11本(牛島小経由5、城南中経由6)、上り古野発13本(牛8、城5)。
日曜祝日ダイヤでは、下り10本(牛4、城6)、上り11本(牛6、城5)。=平日とほぼ同時刻で、昼の1往復と、上り始発1本がない。
平日休日・上下とも、朝7時台から20時前後まで、おおむね毎時1本(昼過ぎに間隔が空く)も走っていた。時刻表では、牛島小学校経由が基本系統とされ、城南中学校経由が印付きの扱いだが、本数は互角。※1988年の時刻表はこの記事に。(以上追記)

ドラマで垣間見た、30年前の秋田市の風景でした。
ひらりのオープニングについて
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ひらり 秋田編1

2023-02-23 20:44:46 | 昔のこと
予告した通り、1992年度後半のNHK連続テレビ小説「ひらり」の秋田ロケの回が、再放送(アンコール放送)された。以下、敬称略。
※タイトルであり主人公の名である「ひらり」のアクセントは「ひ↑ら↑り↓」、「タモリ」「かなり」「秋田」と同じ。出演者のセリフ、語り(倍賞千恵子)、副音声解説(関根信昭)とも、それで統一されている。

秋田の場面があるのは、第49回~51回(1992年11月30日~12月2日放送、今回は2023年2月17日、20日放送)。
東京の場面をおりまぜて展開するので、全編秋田ではないし、屋内シーンはスタジオセットでの撮影だと思われるので、実際の30年前の秋田が映ったのは、正味10分にも満たなかった。
また、後述のオープニング映像に入るダイジェストでは、竿燈や寒風山が、52回以降も(たぶん53回まで)映る。
なお、49回の直近に、主人公の姉が秋田市へ行ったことになっているが、会話の中とお土産だけで、直接的なシーンはない。ほかに、ガイドブックを見たり、「竿燈を見てみたい」と期待する会話などが盛りこまれる。帰京後、第52回でも秋田土産が登場し、秋田県産業会館(秋田県産品プラザかな)の紙袋や包装紙が使われている。


「ひらり」は、両国在住で相撲好きの20歳の藪沢(やぶさわ)ひらりが主人公。
力士「寒風山」となった、秋田のいとこ・加賀谷久男が、巡業のついでに帰省。それに合わせて、ひらりも1泊2日で秋田へ出かける、というシチュエーション。

「ひらり」のオープニング曲(主題歌)は、ドリームズ・カム・トゥルー「晴れたらいいね」。
現在の朝ドラは、歌詞付きの主題歌のほうが多いが、当時としてはかなり珍しく、曲自体も、NHKのドラマとしては斬新だったと思われる。テレビ朝日「題名のない音楽会」において、黛敏郎がおもしろ半分に批評していた。

オープニングの映像も、当時の朝ドラとしてはトレンディというかスタイリッシュだったと思う。→オープニングの文字や歌詞などについて
両国周辺の空撮画像に、画面いっぱいでなく右下に、横書き(教科書体なのはふさわしいのかどうか…)でクレジットを表示。その週の作中の場面を、ダイジェスト的に入れこむなど、現在のドラマでもあまりないのでは。
昔も今もそうだが、連続テレビ小説では、毎週月曜日だけオープニングが少し長く、スタッフや協力者もクレジットされる。第49回が月曜。
写研の石井教科書体か?
「協力」として、日本相撲協会とともに「秋田県」「秋田市」。

ほかのドラマなら「○○市のみなさん」がクレジットされることもあるが、今回は、エキストラなど一般人が映りこむ場面はほぼなかったせいか、なし。
ただ、竿燈の演者と、桟敷席の周りの人たちは映る。「秋田市竿燈会」と出しても良さそうだが、「秋田市竿燈まつり実行委員会」であるところの「秋田市」にまとめたのだろう。
現在なら、フィルムコミッションが協力することがあるが、当時はそんなものなし。


49回の11分経過時点で、ひらりが秋田へ。移動手段は往復とも(特に映らないが、会話から)飛行機。
【27日補足・この時点では秋田新幹線は開業前で、盛岡駅での乗り換えが必要だった。航空機の羽田便は、1991年に、それまでの全日空に加え、新たに日本航空が参入して「ダブルトラッキング」態勢となっていた。庶民でも飛行機を使う人は使う時代になっていたはずで、秋田~東京の交通手段は、飛行機がやや優位な頃だったと思う。】
「秋田市」
懐かしい眺め。
秋田駅東口に移転する前(2008年3月まで)、山王一丁目にあった、NHK秋田放送会館(秋田放送局)から、東方向の風景だ。
アンテナタワーに設置されていた、リモコンカメラ(お天気カメラ)からの映像だろう。思ったより(山王大通りと反対の)北寄りに設置されていたようだ。

右手前のレンガ色の建物が8階建ての「三交ビル」。
その右奥の道路が「く」の字になっているところが、山王十字路。そこより奥が、竿燈まつり会場・竿燈大通り。三交ビル左奥の緑が多い所は「山王第二街区公園」の裏側。
奥も含めて、見えている大きな建物は、現在とあまり変化がなさそう。
旧・秋田局の跡には、秋田市役所新庁舎が建った。庁舎は7階建てで天カメより低く、部外者が立ち入れない場所かもしれないけれど、今もほぼ同じ眺めができると思う。


49回の秋田の場面は、寒風山の実家・加賀谷家で展開。
記憶になかったが、実家は、秋田市内にある造り酒屋「千秋(せんしゅう)」という設定だった。

酒屋の前と思われる画では、未舗装で奥で左に曲がる道路、その向こうにケヤキらしき大木が茂っている。少なくとも、秋田市に実在する場所ではないはず。どこかほかの場所だろうか。【↓27日付追記参照】

母親役は奈美悦子、父親役は石田太郎。
奈美さんは、後に本荘の病院で皮膚病を治すことになる。
刑事コロンボの2代目吹き替えでおなじみ石田太郎さんは、「おしん」では酒田の奉公先の主人役も演じていた。ご出身は京都だそうだが、それなりに上手く東北弁を話す、ものの、実際に話されている秋田弁とは微妙に異なり、同じように話す地元の人はいないとも感じた。「方言指導」者はクレジットされていない。

セットであろう座敷のシーンに続き、酒造りの工場(こうば)を見学。

歴史がありそうな、蔵のような建物で、その扉の外にも屋根がある。
横手市増田町(当時は増田町)の「内蔵(うちぐら)」だろうか?
増田には「日の丸醸造株式会社」の内蔵もある。ただ、現在の同社の内蔵とは、梁の配置が違っているから、確証は持てない。

ちなみに、同社では、連続テレビ小説史上、唯一の秋田が(メインの)舞台となった、1981年前期「まんさくの花」のタイトルを借りた酒を製造販売している。
【25日コメントいただき追記】秋田市立新屋図書館に「酒の資料コーナー」があり、ドラマで使われた「千秋」のこもかぶり(化粧樽と表記)が3つ展示されていた。新屋地区に複数あった酒蔵のうち、新屋表町の「7月吉日 黄金井酒造(株)の工場にてロケ」が行われたそうで、出演者の写真も展示されていた。
それでも、店前の道路は、ここではないと思う。
黄金井(こがねい)は、少なくとも2010年時点ですでに、やめてしまっている。建物は現存する。
【27日コメントいただき追記】酒屋前の道路のシーンは、黄金井酒造の敷地内ではないかとのコメントをいただいた。今は隣にアパートが建ち、敷地内はだいぶ荒れてしまっているが、線形や残る建物などは共通するものがあり、背後のケヤキは隣接する天龍寺ということになる。(以上追記)


第50回では、竿燈(かんとう)まつりを見物。
実際の祭り本番の会場内で撮影を行ったことが、当時から報道されていた。
桟敷(さじき)席で竿燈を見物する、ひらり一行たちの表情を織りまぜ、遠景と近景で竿燈の演技が次々に映し出された。セリフ(下記語りは除く)は「すご~い」「頑張れ~」程度。東京の場面をはさんで、30秒間ずつ2回。
竿燈を見る側は「どっこいしょ どっこいしょ」と掛け声をかける(あるいは場内放送する)ことになっているが、本作では聞こえない。たしかに、この当時はそれほどどっこいしょを言っていなかった気がする。

語りでは「竿燈のちょうちんは、豊作に揺れる稲穂を表しています。米どころ 秋田らしい祭りでした。」。
副音声解説では「秋田市内の大通り。提灯の付いた竹竿を額に立て、両手を離し、はっぴ姿の男たちが通りを歩いている。桟敷に座り、まつりを見ているひらりたち。」。→「額」以外にも、てのひらや腰などにも載せるし、演技しながら「歩く」わけではないのだが。

ひらりたちが座った席は、右奥に三井アーバンホテル秋田(1988年オープン、2006年閉店、2010年から福祉施設。この記事など参照)があるので、東寄り(大町西交差点~日本銀行秋田支店付近?)の北側の中央分離帯ということになる。
会場の中では、歩道部の混雑が激しい場所なので、出演者の出入りと、野次馬が殺到する危険を考えると、もっと人が少ないポイントのほうがやりやすそうにも思えるが。ネットなどない当時は、噂にならなかったのか。

アーバンホテルが映ったように、沿道の看板や提灯の企業ロゴはそのまま映されている。今だったら、CGで消せてしまうが、当時はそうもいかない。
会場風景をテンポ良く切り替えていたが、それは躍動感を出すためと、企業ロゴを長く映さないための工夫だったのかも。

提灯やはんてんで確認できた、町内や企業を挙げてみる。※提灯の紋について
保戸野鉄砲町、「TDKテープ」、下肴町、四十間堀町、柳町、下肴町、「積水ハウス」、ニコス?、「秋田県ホンダ」、「JUSCO(新ロゴ)」、「てらまち(寺町四区?)」、「金萬」など。
下肴町は、桟敷の真ん前で、幼児用「幼若」が倒れそうになり、ひらり一行に「頑張れ~」と声をかけられていた。

以前から思っているけれど、竿燈の提灯は手作りで、模様を描くのも手作業のはず。それなのに、企業ロゴが実物に極めて忠実に描かれているのが、すごいというか不思議。平面ならばカラーコピーでもすればいいが、湾曲し、細かく骨も入っている提灯に、どうすれば、あんなにきれいにロゴが入るのだろう…
1992年当時も、ロゴに関しては同じようだった。ただ、「TDKテープ」や「秋田県ホンダ」といった、宣伝文句(提灯1つに1文字ずつ)は、手書きの看板屋さんのような文字だった。今ではそういうのもフォントを使って(ということは下書きはパソコンか)いるので、見られなくなった。

会場の遠景は、東西両側から。
西端・山王十字路側。どこかのビルから撮影か
↑手前左の赤い縦長の看板は、山王十字路上りバス停前の「ホテルアルファイン秋田」。当時開業間もないはず。
中央左上の、緑っぽいネオンサインは「テルモ」の看板(この記事など参照)。後でまた少し。
突き当り、すなわち二丁目橋を渡った先の明るいものは…
アップになるシーンがあった。
あまり記憶にはないが、懐かしい
今は「産業会館跡地」と呼ばれている場所。※この記事など参照。
1960年にできた「秋田県産業会館」が建っており、1989年にできたアトリオンの中に移転(上記、お土産の袋はここ)。その後、建物は1995年10月まで「産業会館別館」として使われ、1996年~1997年に解体されて、現在に至る。
大通り突き当りの立地を活かし、建物の外壁には、秋田テレビによる電光ニュースと、県内酒メーカーの広告が設置されていた。赤いのが電工ニュース? その下に、縦書きで「両関」など酒のブランド名が掲出されているようだ。

東端・二丁目橋側
↑大通り全幅ではなく、右・北側半分を映している。産業会館ではなく、みずほ銀行秋田支店辺りからの撮影か。
画像左端の、ブレていない竿燈が、中央分離帯に固定された「置き竿燈」。提灯には「秋田竿灯まつり」「8月4日~7日」とある。ここで、開催日程と表記について。
開催日程は、(たぶん)1987年以前は8月5日~7日の3日間開催。(たぶん)1988年から、8月4日~7日の4日間に拡大された。2001年からは、8月3日~6日に前倒し。
表記は、以前記事にした通り、少なくとも1957年から「竿灯」が使われており、本来の表記に戻すべく、1993年から「竿燈」となった。※イベントの名称としては「秋田竿燈まつり」。
この年が、最後の「竿灯」だったことになる。

当時から字幕放送(文字放送)が実施されていた。アナログ放送時代は、専用機器がないと見られない、限られた人向け同然だったが、デジタル放送(ネット配信含む)では、ボタン1つで誰でも見られ、何かと便利。
副音声解説は、当時のものをそのまま放送しているが、字幕は違うようだ。
原則としてすべて「竿燈」表記だったので。
「竿燈(かんとう)」。背後はテルモ看板
デジタル化に際して、字幕を全部入れ直したのか、それとも、表記が変わったことを理解し、気を遣ってくれて「灯」を「燈」に修正してくれたのか。

例外で、ひらりが書いた絵はがきを読み上げるシーンだけは「竿灯」であった。なぜなら、
丸文字ってやつ
はがきの文面に「灯」と書いたからなのだろう。なかなか細かい。


この後、一夜明けて、車で、男鹿市の寒風山へ。ふもと(中腹?)のシーンのみ。頂上の回転展望台などなし。
第51回では、加賀谷家へ戻って、あいさつをして秋田を離れるのだが、まだ、秋田市のシーンがある。続く(カテゴリーを変えています)。
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たけやミルクボール

2023-02-20 22:57:57 | ランチパック
たけや製パンの2023年2月の新商品。
ミルクボール 229kcal
「練乳のやさしい甘さ」「丸いフランスパンに練乳入りミルククリームを入れました」

上部にクリーム注入穴


フランスパンは柔らかめ。
中身は練乳そのものではなく、若干、油っぽいような感じがあるがしつこくはなく、おいしい。

これって、前に…
2018年8月に(おそらくその後数か月間)発売された、工藤パンの同名商品にそっくり。復刻商品の「懐かしのベストヒット」シリーズだった。今回のたけやと包装は異なり、熱量も256kcalと異なる。
工藤パンでは、2022年1月(~秋頃まで?)に「懐かしの~」をズバリ「復刻」にするなどして、何度か再発売されている。

たけやでも、今回が初めてではなく、2012年10月に、秋田ノーザンハピネッツ応援商品として発売されていたような情報がある。しかし、ネットの情報は工藤パンのほうが圧倒的に多い。
たけやでは、昔出していた商品なのかは不明【22日コメントいただき追記・1985年頃に、たけやミルクボールが存在したとのこと。】。工藤パンの真似というかアイデアを拝借したのかも。それはともかく、「カステラサンド」のような、工藤・たけやで同名のほぼ同じ商品があるパターンになるが、それだけではなかった。

山崎製パンでも、「ミルクボール」の名で、そっくりの商品を昔から発売していたとのこと。
ネットで調べると、2019年には「昭和の懐かしパン 昭和生まれの人気者」として、319kcalの商品が出ていた。2009年頃には、復刻扱いでない、325kcalの商品で、姉妹品に「チョコクリームボール」も。
2021年には「もっちりとした食感のミルクボール」の名で2個入り、2022年8月には、デイリーヤマザキの「ヤマザキベストセレクション」シリーズで3個入り、2012~2013年頃には小さめ4個の「お手軽ミルクボール」などの複数個入りも。
ローソンの2個入り「ナチュラルローソン もち麦のミルクボール」というのも、ヤマザキが製造している。
そして、ほかの大手パンメーカーでは、ミルクボールは出していない模様。
ということで、ミルクボールはヤマザキ系列の専売特許なのかもしれない。最初に発売したのはどこなのでしょう。
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秋田駅前に“バス発車標”

2023-02-17 22:34:22 | 秋田のいろいろ
久しぶりに、秋田駅西口バス乗り場へ。
※ここを主に使用する秋田中央交通では「秋田駅西口バスターミナル」と称しているが、市営バス時代はターミナルとは言っていなかったので、ここではそれに従い「バス乗り場」とします。
南・自由通路下から
4つの列(バース)うち、駅舎(上写真右)側から2列目、2番~6番乗り場のバースには、南向きにアナログ電気時計が設置されていた。その下に今までなかった物があって、光っている。【19日コメントをいただき追記・2月15日時点で、稼働開始していたとのこと。】
ディスプレイが設置された!
背後のガラスには、白文字で、そのバースの乗り場ごとに発車路線名が表記されていたのだが、ディスプレイ設置にともない、2番~4番分がはがされてしまっている。これでいいの?

ディスプレイのメーカー名などは見当たらないが、右側面にシールが貼ってあって、
「YS-0310」
調べても意味は不明。シールの下にはスピーカーなのか穴が空いている(左側面にもあり)。

ディスプレイの表示内容。
「秋田駅西口 時刻表」とのタイトル
曜日と時刻に連動し、西口全乗り場から発車するバスを、時刻順に一覧表示(15本)している。鉄道でいう「発車標」。
最近各地で、新しく整備されたバスターミナルや駅前乗り場では、あちこちに同種の装置が設置されていると聞く。秋田駅は中央交通が自前で設置したのか、秋田市などの援助があったのか。
秋田市によるバス時刻検索端末「秋田駅前バス案内サービス」が2021年に撤去された後は、現地では紙の時刻表だけになっていたが、これで若干、今どき風になったか。
設置場所はここ1か所だけのようで、東口バス乗り場には見当たらなかった。

方面に関わらず、全路線を一挙に表示することには、否定的な見方もできるが、それはそれで存在意義があると思う。
しかし、細かな表示内容は、いろいろと問題あり。ソフトウェアで表示内容を変更するのは難しくないはずだから、今後の改善に期待。
・表示項目は「出発」、「経路」、「行き先」、「経由」、「のりば」。それぞれの項目名には英語も併記されているが、実際の個別ダイヤは日本語のみ。
・「経路」項目は、「川尻割山線」「新屋西線」など。ここは「路線名」のほうが適切では?
・「行き先」項目に「県庁市役所・大川反車庫」「新国道・土崎駅」など、「経由」地が混入してしまっているものがある。
・「経由」項目で、同じ地点を通るのに、路線によって表示されたりされなかったり。例えば、新屋線と割山線には「通町」があるのに、同じく通町を通る神田旭野線や添川線には表示されない。そして、神田線の「神田旭野 経由」って何? そんな場所はありません。
・こんな場面こそ「系統番号」を表示するべきでは?
・この画面には、西口を出るすべての路線バスが表示されていると認識する人は少なくないはずだが、表示されないバスがある。
写真の時間では、15時55分に秋田空港行きリムジンバス、16時03分に秋田市中心市街地循環バス ぐるる、16時10分に羽後交通の本荘営業所行き急行バスも発車するのだが、いずれも非表示(湯沢行き、能代行きの県内高速バスはどうなるか?)。運行主体や目的が違うから表示しないという理屈なのだろうが、だったらその旨を明確に示すべきではないか。
・設置場所に対して文字が小さい。かと言って大きくすると、表示しきれなくなる。ケチらずに2画面にしては?

秋田市のバスに初めて乗る人、不慣れな人たちが見て、役に立つ表示になってほしいもの。
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313系8000番台

2023-02-15 20:17:17 | 旅行記
静岡旅行記。前回は駅弁の話
静岡を離れるべく、東海道本線の普通列車で、清水から熱海へ向かう。天候や気分で行程がどうなるか見通せなかったので、きっぷを買わずに、Suicaで乗車。
ただ、タイミングが合えば、乗ってみたい列車があった。313系電車の“8000番台”。※最近は接頭語を使って「313-8K」と表記する愛好家も少なくないようだ。昔は「485-1K」などとは言わなかった。


JR東海の普通列車の主流・313系電車。1999年から2014年にかけて539両が製造された。ワンマン運転対応の2両編成から、名古屋都市圏の6両編成まで存在し、それに合わせて車内設備はいろいろ。
静岡の東海道本線(熱海~浜松)では、313系と国鉄時代製造の211系電車が使われ、それらを組み合わせて3~6両で運行される(短距離では2両編成もあり)。座席はほぼロングシートのみ。
特に長距離の列車では、混雑していることも少なくなく(青春18きっぷ期間は避けたい)、座れてもロングシートで、せっかくの富士山や駿河湾、街並み・茶畑・ミカン畑といった車窓も楽しみにくくて、少々つらい旅というより移動になってしまうこともある。
でも、東海道本線の線路整備が良好なこともあるにせよ、313系は、滑らかで乗り心地が良いのは好印象。211系と併結した列車で、同じ混雑具合なら、いつも313系を選んでいた。
(再掲)313系2000番台
そんな“ロングシート王国”に、2022年春、名古屋の中央本線(いわゆる中央西線)から、313系8000番台が転属して来た。1999~2000年に、有料(乗車整理券方式)快速「セントラルライナー」用として製造された3両編成×6本。
沼津駅にて
ほかの313系は先頭部が白く(※)、側面はJR東海のカラーであるオレンジ色帯が2本。※313系登場と同時期に、美白ブームを巻き起こしていた鈴木その子さんとの連想から、鉄道愛好家らに「その子」のあだ名を付けられた。
8000番台は、先頭部も銀色。オレンジ色は前も側面も多用され派手。
所属表記は静岡車両区を意味する「静シス」に書き換えられている

車内は、ロングシートでも、ボックスシートでもなく、
2人掛け転換クロスシート
背もたれを好きな方向に変えられるだけで、リクライニングはしない。



向きを変える時は、座席全体が回るのではなく、背もたれだけをバッタンと前後(上の写真では左右)に動かす。
昔の東海道新幹線や在来線特急でも採用されていて、このように今も地域によっては見られる。東日本エリアではお目にかからない。
名古屋圏では、東海道本線の新快速などに使われる313系も、ほぼ同じ設備だが、座席の色が水色だったり、座席間隔がやや狭かったり、日除けがカーテンでなくスクリーンだったり、相違点もある。8000番台は有料快速用だっただけに、少し豪華。

中央本線のセントラルライナーは、2013年で運行終了し、8000番台は以後は無料の快速として運用されていた。ロングシートの新形式315系電車が投入され、持て余し気味で、静岡転属となったのかもしれない。
転属直後、ネット上では、身延線の特急「ふじかわ」を快速化するための車両ではないか、といった噂も流れていたが、違った。東海道本線の普通列車(身延線、御殿場線でも運用されることがあるらしい)で、ロングシートばかりの中に混ざって使われている。
具体的には、211系5000番台・LL編成と共通運用。313系8000番台のほうが優先的に運用されるようだが、整備などの都合上、211系が来る場合があるとのこと。
211系の老朽置き換えとともに、211系にはトイレがないので、その改善策として、持て余していた313系8000番台に白羽の矢が立ったのではないか、との説があるようだ。たしかに、ロングシートと2人掛けの車を共通運用するとは、少々乱暴な話だし、せっかくの8000番台の設備がもったいない【8月22日補足・座席はどうでもよく、トイレの存在を理由に、この運用に入れられているという意味で】。


8000番台は6本しかないだけに、乗車するのは難しい。
ネット上には、ダイヤごとの運用(どの便にどの形式が充当されるか)を調べて公開してくれるサイトがある。それを参考に、静岡を離れる最後、沼津始発熱海行きの電車を狙っていた。さらに運良く、その2本前、浜松発興津止まりの電車でも最後の1駅だけ、乗車できた。

3両編成の興津止まりは、最後の1駅はガラガラ。わずかな折り返し時間で再び浜松へ向かったが、車掌・運転士が場所を交換する時、時間がなかったのかもしれないが、特に背もたれの向きを変えてはいなかった。名古屋やJR西日本では、車掌が車内巡回がてら、バタバタと転換しているのだが。

前回、沼津で降りて駅弁を買ったのは、始発から8000番台に乗るため。
今度の電車は、前が8000番台、後ろが211系5000番台SS編成3両の計6両。※身延線の低いトンネルに対応したのがSS編成。LL編成は非対応。
どちらも、乗務員室扉のドアノブが高低2つ付いている。東日本の211系は1つだけのはず
沼津から乗る人は少なく、余裕で先頭のクモハ313に乗車。次の三島からもそれほどでもなく、熱海まで空席があった。
クロスシートとロングシートが混結されていれば、前者を選ぶ客が多いのではと予想したが、それほどでもないのかな。後ろの車は席が埋まっていたかもしれないが。

沼津~熱海はおよそ20分。混雑していると長い時間に感じるが、今回はあっという間。乗車券だけで、こんなに快適に、この区間を移動できたのは初めてだった。
座席の座り心地は、名古屋の新快速と同じ。373系「ふじかわ」の座席にも、ちょっと似ていて、悪くない。

どの駅でも、発車時に、後ろからぐぐっと引っ張られる、後ろの車両が重く、起動に手間取っているような感覚があった。313系と211系で、加速のタイミングやパワーが違うのは当然だけど。
なお、秋田地区の701系2両×2本の、クハ700形先頭の車両でも、同じような発進だったことがある。

通路部分に、LED式の文字情報装置があり、興津止まりの列車では作動していたが、熱海行きの列車では消灯していた。Wikipediaには「次は 熱海」と表示している写真が載っているので、この時は故障?【17日コメントいただき追記・表示は車掌が設定するため、車掌が乗る後ろの編成が211系の場合は表示させられないとのこと。】


ロングシートに慣らされた東日本エリア住民、そして静岡の人たちにしてみれば、特急かグリーン車ではないかと錯覚してしまいそう。また、不慣れなので、自分で背もたれの向きを変えるのを躊躇したり、相席や通路に立つのを遠慮したりもしそう。一方で、18きっぷシーズンなど混雑列車に充当されたら、修羅場と化しそう。

静岡地区にまだ残る211系電車も、遠くないうちに315系に置き換えられるはず。その時、313系8000番台はどんな存在になっているだろう。
客としては、普通列車であっても適材適所で座席を使い分けられたらいいのだけど、鉄道会社としては、ロングシートに落ち着いてしまうのか。
熱海駅到着。列車は浜松行きに
↑ホームのacure自販機を見て、東日本エリアへ戻ったことを思い知らされる。

ところで、JR東海のホームの自販機。
清水駅。Kioskブランド
写真の清水駅のラインナップは、コカ・コーラ商品のみ。緑茶は綾鷹。
以前は、acureのような自社ブランドのお茶があったのだが、いつの間にかなくなってしまった。緑茶だけでも、静岡茶と宇治茶がそれぞれ出ていた時期もあって、JR東海エリアを訪れる小さな楽しみだった。

熱海駅について続く
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コミセンとポスト 目覚める

2023-02-13 20:52:17 | 秋田のいろいろ
秋田市泉地区コミュニティセンターは、2022年3月から約1年間休館して、大規模改修工事が行われていた。
2月に入った頃だろうか、足場と覆いが撤去され、建物が姿を現した。
新しいスマホの超広角レンズにより、正面から全体を撮影できるようになりました
現時点では内装を工事・整備中らしく、コミセンの業務は再開されていない。秋田市ホームページにも、再開時期は未掲載。【3月2日追記・3月20日(月)リニューアルオープン(利用申し込みは10日受付開始)となった。】

建物の外観は、以前とどこか変わったのか。
以前も、目に見えた著しい老朽化があったわけでもないが、なんとなくきれいにはなった。建物の形や窓割りは変わらず、色は変わったか?
(再掲)工事開始直後
外壁は、以前は薄いピンク色だったのが、クリーム色になった。玄関の庇は、焦げ茶から外壁と同系色に。
玄関右上、2階の屋上際には、
市章と施設名を表示
これまでは施設名は、道路際の塀に、小さな金属板が出ていただけだった。本体上部への表示により、少し離れた位置からも、この建物がコミセンであることが分かるようになった。でも、玄関からは見えなそうな位置だし、前は狭い道路でもあり、それほど目立つわけでもない。表示位置に一考の余地があったかも。例えば庇に表記するとか。
ここからだと死角になる

昨年の記事の通り、工事に伴い、敷地内の郵便ポストもお休みしていた。
(再掲)
まだお休み中のコミセンに先立って、ポストはすでに“目覚め”、再開している。


休止中、ポストの投函口はガムテープで厳重に封鎖されていた。
(再掲)
その結果、

心配していたが、やっぱりテープの跡が残った。ポストそのものには、この1年間で付いた傷みなどはなさそう。
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予告・「ひらり」秋田編 放送!

2023-02-11 16:42:27 | 昔のこと
NHKの朝の「連続テレビ小説」、いわゆる「朝ドラ」。
だいぶ前から、BSで過去作品の再放送(アンコール放送)が行われていたが、2018年からは地上波・総合テレビの16時台にも(BSと別作品が)放送されるようになった。
総合テレビでは、1日に2話が続けて放送され、大相撲中継や国会中継で放送がない日もあるため、初回・最終回の時期や週のつながりなどは変則的。見逃し配信サイト「NHKプラス」では、BS分は配信されないが、地上波分は配信されるようだ(もしかしたら作品ごとに対応が違うのかもしれない)。

地上波で2022年12月20日からアンコール放送中なのが、「ひらり」。
1992年度前半【23日訂正】後半放送で、脚本・内館牧子、主演・石田ひかり。

2014年に記事にしたように、内館さんは秋田市土崎出身であり、作中には秋田出身の力士「寒風山」が登場し、秋田市でロケーションも行われた。
秋田がメインの舞台ではないものの、秋田とゆかりが小さくはないドラマだと言える。

それなのに、秋田県民にはあまり知られていない感じ。
2014年の記事でも触れたように、秋田県議会で朝ドラ誘致をしようという話になった時も、過去作の例からひらりはスルーされてしまったらしい。今のアンコール放送でも、放送時間の関係はあるにせよ、盛り上がってはいない。


NHKの放送予定サイト(https://www.nhk.jp/p/ts/6X3V93R3K8/schedule/)によれば、2023年2月13日(月曜日)は、第42回・第43回の放送。
そして、たぶん第49回からの週(第9週・1992年11月30日~12月5日放送)で、秋田ロケが織りまぜられる(全回・全編ではない)。

第50回で竿燈まつり(当時の表記は「竿灯」)、第51回で千秋公園と天徳寺が出てくるようだ。【13日追記】第52回では、もう東京に帰ってしまうようだ。
主人公・ひらりたちが、広小路のお堀沿いを歩くシーンがあったのを記憶している。にぎやかだった30年前の秋田市を垣間見ることができると思う。

現在の予定では、2月17日(金曜日)が50・51回を放送。【15日追記・15日は国会中継により放送休止となったため、50・51回は20日(月曜日)放送に変更。】【18日追記・17日放送の49回の後半から秋田市が舞台となった。49回は、ほとんどがセットもしくは秋田ではない場所での撮影ではないかと思われる。】
その後1週間は、NHKプラスで配信(無料・要登録)される。興味があるかたはどうぞ。→放送内容はこちらにて
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桃中軒 幕の内弁当

2023-02-08 19:19:38 | 各地お土産・食べ物
2022年10月旅行記。前回の帰路で食べた駅弁の話(静岡駅・東海軒の駅弁もアップ済み)。

全国的に見れば、東海道本線沿線は駅弁のある駅が多い。JR東日本のような積極的な首都圏への輸送販売はされておらず、各社の地元周辺でしか買えないものがほとんどだが、それでも成り立っているのは、人口と鉄道移動者が多い、東海道だからこそなのだろう。

今回は、静岡県東部、沼津市に本社がある「桃中軒(とうちゅうけん)」の駅弁。2012年に限定商品を紹介していた。
明治24年に沼津駅で創業し、東海道新幹線開業に合わせて三島駅にも進出。両駅と御殿場駅では、そば店もやっている(御殿場では駅弁はなさそう)。三島駅では「みしまコロッケ」も売っていたはず。

駅弁を買うのなら、新幹線停車駅である三島のほうが品揃え豊富なのだが、今回は、旅程の都合(後日)で、沼津駅でいったん改札を出た。
正面の南口の改札を出てすぐのところに、昔から小さな屋台のような駅弁売り場がある。この時は、昼過ぎ。特に狙いの商品があったわけでなく覗いてみると、3~4種類くらいが数個ずつ売られていて、直感で1つ選んだ。
※以前触れたように、南口すぐの「しずてつストア 沼津駅前店」では、少量ながら東海軒の駅弁が売られている場合あり。

売店は、以前は現金のみだったが、キャッシュレス決済に対応していた。リクルート「Airペイ」のようだ。
Suicaで買うと「(決済完了まで)ちょっと時間がかかりますよ」「ほらね。もうちょっとお待ち下さいね」と言われる。1万円札出して、お釣りをもらうより時間がかかるかも。

御弁当(幕の内弁当) 756kcal 税込み880円
若干小ぶりな箱。濡れお手拭き付き。

蓋状の包装には、デザイン化された水鏡の富士山と松(たぶん沼津の千本松原・千本浜)が描かれ、「ゆづりあい旅を楽しく明るい車内」のフレーズが入り、古風。
この中身になったは2004年頃らしいので、掛け紙も実は新しいデザインなのかもしれない。

まず、写真では分かりづらいが、容器が現在では珍しい経木の箱。
おかずは、魚、玉子焼き、かまぼこ、揚げ物と典型的な幕の内弁当ではあるが、同時に個性的でもある。
左側は、「筍旨煮」と「あしたか牛旨煮」。玉子焼きとの間は「鯖塩焼」。揚げ物は「鶏唐揚げ」「白身魚フライ」。

「あしたか牛」とは、沼津近郊、愛鷹(あしたか)山麓の裾野のブランド。桃中軒では、これをメインにした駅弁もある。その“おこぼれ”なのか、幕の内にも少しだけながら入っているのがうれしい。
白身魚は「ホキ」との情報がある。

東海軒同様、ポーション容器のわさび漬けが添付されるが、こちらは四角い容器(以前は丸だったとのこと)。沼津市の「タムラ食品」製で「吟醸酒の酒粕」の枕詞付き。7グラム入りか?
なお、浜松駅・掛川駅の駅弁業者「自笑亭」の一部商品(うなぎ系弁当など)にもわさび漬けが添付されるが、それも同じもの。

おかずはどれもおいしい。「国産米」との記載しかないごはんも、経木の水分調節効果なのか、なんだかとてもおいしい。量は多くはないが、足りないほどでなく、それが千円しないのだから、コストパフォーマンスは非常に良好。
幕の内弁当こそ駅弁であり、駅弁業者の力が伝わると考えているが、桃中軒の幕の内は、丁寧に作られ、レベルが高い。沼津や三島でしか買えないと思われるが、それだからこそ、実現できているのかもしれない。


旅行記は続く
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清水駅東口

2023-02-06 23:05:59 | 旅行記
2022年10月、JR東日本パスの旅。前回の記事
静岡を後に、東日本エリアへ向かう前に、アップしていなかった、前日夕方の富士山。
前日は午後でも富士山がとてもよく見え、翌日も朝はよく見えた(この記事に少し写真)が、後に若干雲がかかっていた。

夕日に染まる富士山
JR清水駅自由通路から撮影。甲府から来る時は、一面の雲の中にそびえていたが、夕方には晴れてきた。
これは、自由通路東側(海側・みなと口=裏口側)、北方向の眺め。
広角。白飛びしてしまったが、中央奥が富士山
みなと口のロータリーの向こうには、公園のような広い土地がある。

2008年に、ロータリー付近(地上)から富士山方向を撮影した写真。
2008年11月撮影
白い大きな輪のモニュメントが存在感を放っていた。富士山の障害物と言ってはなんだけど。
2007年1月に設置された「空のむこう」で、ステンレス製の直径12メートル(13メートルとの情報も)。地際を軸に、手動で回転できるらしい。
ちなみに、ロータリーの中に立つ、風力発電風車みたいなのもモニュメント「この空のもとで」。

その輪が、今はなくなってしまい(2021年末撤去)、モニュメントが立って、芝生や外周に少々木があった、公園の北側半分ほどが、更地になってしまっている。
さらに、ここは当初は「清水駅東口広場」だったのが、2021年10月26日からは「清水駅東口公園」に改称されていた。
2004年から「清水区市街地の賑わい創出に向けた各種イベント会場としてご利用いただ」いていた場所が、小さくなってただの公園になったということか?

ネットで見て、多少知ってはいた。ここに病院が建つ。

静岡鉄道・桜橋駅が最寄り(入江小学校とは反対側)の、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO=ジェイコー)桜ヶ丘病院。尾身茂氏が前・理事長を務め、「秋田病院」が能代市に病院がある。
2017年には、当時の尾身理事長が記者会見し、病院を静岡市役所清水庁舎(清水区役所)の場所へ移転することが「正式決定」したと発表。その時点では、清水庁舎が、駅東口へ移転する計画だったらしい。
その後、庁舎移転計画がなくなって、病院が駅東口移転に変わったようだ(静岡市と土地交換)。
【7日補足・市役所と無関係の組織との間での土地交換といえば、秋田市役所とNHK秋田放送局でも行われていた。NHK跡が市役所新庁舎(旧庁舎隣接地)となり、秋田駅東口の空いていた市有地がNHK新局舎となり、別段問題なく済んでいる。】
しかし、東口は津波浸水想定区域に入っているため反対の声が出て、さらに入札不調で着工が遅れもしたようだが、2022年12月22日に着工したとのこと。2024年12月に「JCHO 清水さくら病院(仮称)」として完成予定。
地上7階建てとのこと。できたら駅から富士山は見えるだろうか。

これも前日撮影。夕暮れの興津駅ホーム
東海道新幹線【7日訂正】東海道本線で東へ進む。次の記事は駅弁

【2023年9月16日追記】次回、清水を訪問する時のための備忘録
ソテツ(やサボテン)が植えられた庭の左奥に、海と富士山が配置された絵画を見たことはあった。あまり考えられない組み合わせなので創作かと思っていたが、実在する場所であることを知った。1892年に日本を旅したイギリスの画家・アルフレッド・パーソンズの水彩画「富士山」。
場所は清水区の龍華寺(りゅうげじ)。絵と同一アングルではない感じだが、今も富士山が見え、広い庭園があってソテツ(樹齢1100年で日本最古・日本最大規模。国天然記念物)とサボテンも現存するとのこと。
日本平のふもとに位置し、市街地から市立病院行きなどのバスが多く出ていて、アクセスも悪くない。清水にこんな見どころもあったとは。次回ぜひ。
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みんなのうた字幕2

2023-02-05 23:18:32 | 文字・書体
みんなのうたと歌詞の字幕について。前回の続き
※以下、過去の放送の書体については、録画映像のほか、番組公式ホームページ掲載のキャプチャ画像から判断。曲や時期によっては、字幕がない画像がアップされていて、全貌は不明。

終わってしまった2022年12月・2023年1月の再放送曲から。
「バナナ村に雨がふる」。1987年8月・9月。これも久しぶりに聞いたが、記憶通り。
シチュエーションは「オランガタン」にちょっと似ているが、2者の敵対はないし、曲はポップで明るい。これがトラウマになる子はいないだろう。
この作詞が前回「ポケットの中で」の銀色夏生。ポケットの中でとは打って変わって明快。作曲・乾裕樹、歌・EPO。
南家こうじのアニメーションも、詞に合わせてポップで楽しいが、詞に合わせて色数が限定されているのが特徴。
字幕。

これも当時標準のモリサワ「テレビ太ゴシック体BT1」。

なのだけど、
「片手(かたて)」
「男(おとこ)」
「女(おんな)」
ふりがな(ルビ)が手書き!
昔のみんなのうた(に限らずテレビ全般)では、ルビ以外の本文でも、活字の中に部分的に手書き文字で混ざることがたまにあった。
今のデジタル製作と異なり、後で間違いに気付いても、工程上、作り直しが間に合わず、手で修正したのだろう。※2020年代の修正の事例(メゲメゲルンバ)

バナナ村では、ルビの指定もしくは作成時の入力を忘れてしまって、仕方なく手で書き加えたのか。
当時は、NHKでも民放でも、手書きテロップは珍しくなく(例えば「たんけんぼくのまち」など)、それを手掛けるスタッフ(美術スタッフということか?)がいたようだ。各人の個性がある文字ではあるが、それなりに上手い文字。
だけど、このルビは、なんか下手な字。専門スタッフも手配できず、AD(?)か誰かが書いたのだったりして…

バナナ村でルビが振られるのは、片手、男、女のみ。ほかの漢字は、村雨花空口大が出てくるが、ルビなし。
小学校で習う学年は、「片」が6年生で、ほかは1年生。すべての漢字にルビを付けるべきだったのでは?
なお、タイトルに含まれる「村」と「雨」は、当時の曲が始まる前のタイトル画面でルビが振られていて、作中では振らなかった可能性はある。今回の再放送のCGタイトルにはルビなし。

昭和末期のみんなのうたの歌詞のルビ振り基準はどうかと、他の曲を少し見てみたが、明確なルールはなさそう。曲の対象年齢を意識している感じは多少する。
同じ漢字が複数回出てくる曲では、初出時のみルビ。
例外は1984年「メトロポリタン美術館」の「美術館」の「ミュージアム」。これは当て字だからか、毎回ルビ付き(カタカナのルビはレア)。そのほかの漢字は「大理石」も「靴下」も一切ルビなし。【13日追記・ほかにも例外はあるようで、1980年「展覧会で逢った女の子」では、3番までで2度ずつ・計6度出る「展覧会」の、各フレーズの初回(=3度)と、各フレーズ1度ずつ出る「逢った」すべてにルビが振られる。】


「神父さんのパイプオルガン」。1987年4月・5月。
「ロバちょっとすねた」に続く、アグネス チャン(この曲では名黒なし)・東京放送児童合唱団の歌。これも楽しい歌で、「ボワボワチュッチュー」のフレーズがインパクトあり。
これも36年ぶりに聞いた。「ボワボワチュッチュー」以外の部分は、あまり記憶になかったけれど、まあ想定内。「ボワボワブーブー」のフレーズもあったのは忘れていた。
僕はこの歌で「パイプオルガン」という楽器を知ったかもしれない。アトリオン音楽ホールはまだなかったので。尾崎真吾のアニメーションで描かれるパイプオルガンは、パイプが7本しかなく、ウツボカズラのようにふにゃっとした形。こういうパイプオルガンもあるのだろうか。

作曲は、ポケットの中での吉川洋一郎(「吉」は上の横棒が短いのが正当)。
作詞は小黒恵子。童謡作詞家で、「ロバちょっとすねた」ほか、みんなのうたも多数手掛ける。動物が出てくる歌が多い。12月・1月にはもう1曲放送された(後日また)。

字幕。

これは、モリサワBT1ではなく、写研「石井ゴシック(石井太ゴシック?)」。モリサワによってデジタル化されようとしている。
ポケット~とバナナ村~の間の時期の製作だが、書体どころかそのメーカーが異なるのだ。写研とモリサワの書体は、それぞれの写植機でないと扱えない。NHKには両方の写植機があったのだろうが、それにしても(インストールしておけば自由に切り替えられるデジタルフォントとは違って)気軽に書体を使い分けるというものではなかったと思う。

1987年4月・5月の他の新作3曲の字幕がどうだったかは不明。
しかし、1つ前の2月・3月(※)と、1つ後の6月・7月の曲は、基本のモリサワBT1の字幕。
※ゆらんゆろん、風のオルガンと名曲。余談だが、みんなのうたでタイトルに「オルガン」が含まれるのは、風の~と神父さんの~の2曲のみ。
したがって、神父さん~は、例外というか臨時の措置として写研書体を使用したと言える。

このように、この頃のみんなのうたでは、モリサワBT1を原則としながら、たまに石井ゴを使用する場合があった。
憶測だが、字幕を作ろうとした時に、NHKのモリサワ写植機が、故障したりふさがっていたり、あるいはモリサワ写植機のオペレーターがつかまらなかったりして、じゃあ、写研写植機のほうで、となったのかも。
石井ゴのほうがすっきり見える気はする。個人的にはモリサワのゴシック体のほうが好きだけど。


ここで、2021年1月に(単発で?)再放送された曲。
1988年10月・11月初回放送の「フラミンゴのワルツ」。「ラッタッタ ラッタッタ」が印象的な尾藤イサオの歌。
その字幕が、

モリサワBT1でも、写研石井ゴシックでもない。「な」の3画目と4画目がつながっている。
モリサワ「太ゴB101」だ!
BT1のベースとなった書体であり、前回のように同時期のテレビ東京「演歌の花道」の歌詞で使用されており、デジタル化されて現在でもお目にかかるフォント。
「そ」は一筆書き
↑BT1や石井ゴでは、2画の「そ」。太ゴB101も、もしかしたらデビュー当初は2画で、途中から(この時点ですでに)一筆書きに改訂されたのかもしれない。
同時期新作の他の3曲のうち、公式サイトの画像で確認できた「みんなでステップ」と「風の歌が聞こえますか」でも、同じくB101を使っている。
この前月の4曲は不明。次月以降は、以前のようにBT1をメインとしながら、たまに石井ゴを使っている。

したがって、かなり例外的に、太ゴB101が使われたことになる。
NHKのモリサワ写植機の中に、BT1がセットされていない個体があって、それを使わざるを得なかったとか、書体の指定もしくは操作のミス(我々素人がパソコンでやりがちだけど)で、うっかりB101を使ってしまったとかだろうか。

ただし、冒頭の歌手・アニメーション作者表示。
これだけ石井ゴシック
通常ならば、BT1にせよ石井ゴにせよ、歌詞と同じ書体で表示されるようだが、これも例外的。
なお、表示位置は上下左右中央まちまちだが、これは映像を邪魔しない配慮だと思う。文字のサイズ(長体/平体を含む)や改行・行間隔も統一されていないが、これは単にこだわりがないためかも。
余談だが、歌手名は「うた」とされるのが基本だが、堺正章版の「北風小僧の寒太郎」では「歌」と漢字表記。
「神父さんのパイプオルガン」は歌詞と同じく石井ゴ

1985年4月・5月放送の「ああおかしいね」という歌。これも銀色夏生作詞で、筒美京平作曲。
歌詞と同じくBT1
「う」は、BT1より石井ゴのほうが縦に長い印象。「尾」の「毛」の右への飛び出しや、「真」の下の点のバランス、「ア」2画目の始まりの位置、小さい「ョ」の大きさなども違う。


そして、1989年1月に昭和が終わり平成へ。その直後に変化。
1989年4月・5月の「旅人のように」では、BT1が使われていたのが確認できる。
この間は、ホームページの画像に字幕が入っていないので確認できないが、1989年10月・11月の「教室大笑い」「はる なつ あき ふゆ」では石井ゴが使われ、それ以降、BT1は一切使われなくなったようだ。
したがって、1989年度の前半で、モリサワ「テレビ太ゴシック体BT1」は使われなくなってしまった。方針転換なのかもしれないが、NHKの字幕作成機器の更新によるものではないだろうか。
詳しくは不明だが、同じ辺りでテレビ東京「演歌の花道」も、太ゴB101から石井ゴに変更されている。

写研書体に一本化されたみんなのうた。1989年12月・1990年1月の所ジョージ「背中でツイスト」のセリフ部分では、丸ゴシック体の写研「ナール」が使われる。角ゴシック体以外の字幕は、みんなのうた史上初かもしれない。
翌年の「東の島にコブタがいた」でもセリフはナール。
1994年4月・5月の「ボクの勝ち」という歌では、部分的に写研「ファン蘭」というデザイン書体を使用。

そして、1994年8月・9月の「また明日」「花かんざし」、それにたしか「チュンチュンワールド~おげんきたいそう~」では、メインの歌詞としてナールが使われる。
ホームページで確認できる限りでは、10月以降もナールへ移行したかに思えるものの、1996年4月・5月「星空のオルゴール」「父さんの背番号」や、1996年6月・7月「かざぐるま」「切手のないおくりもの(2度目のリメイク)」「ずっと友達」では、石井ゴシックが復活。6月・7月の「おじいちゃんのブランコ」だけはナール。これを最後に、石井ゴシックは確認できない。
段階的移行を経て、1996年度半ばに、ナールへ完全移行ではないだろうか。【2024年6月27日コメントいただき追記・1996年4~7月の歌は、初回放送時はナールだったとのこと。となると、もう少し早い移行だったのか。】
石井ゴもナールも、写研書体だから切り替えは容易なのだろうが、明らかに見た目が違う2書体を、同じ番組の同じ時期の同じ用途で並行して使っていたのはなぜなのだろう?


その後、2003年頃までは、ナールが使われているのを確認できる。以降分は、ホームページでは歌詞がない画像ばかりになって、分からなくなる。
2003年10月・11月の「りんごのうた」では、写研のニュースタイルの角ゴシック体である「ゴナ」が使われる。


ただし、りんごのうた冒頭の歌手・映像作者表示は、昔ながらの石井ゴシック。

2000年代後半には、多くのテレビ番組で写研の字幕が使われなくなり、パソコンのデジタルフォントへ移行していき、写研はすっかり影を潜める。みんなのうたも同じ流れだったのではないだろうか。
現在では、曲によってさまざまなフォントが使われているようだ。
以上、みんなのうたの字幕書体の変遷。

2022年12月・2023年1月の再放送曲では、字幕とは別に、印象的なものが2曲あったので、後日。
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みんなのうた字幕1´・冬の下は冫

2023-02-02 19:55:02 | 文字・書体
久しぶりに、NHK「みんなのうた」、および文字(書体)の話。今回は以前の記事の補足編。敬称略。
みんなのうたの2023年2月・3月の再放送曲の1つが「ポケットの中で」。
名曲ぞろいだと思う、昭和末2・3月初回放送作品の1つ。1986年、うた・斉藤由貴、作詞・銀色夏生、作曲・吉川洋一郎、絵・やなせたかし。
作詞、作曲のおふたりは、みんなのうたでほかの曲も作っており(このコンビではポケット~のみ)、偶然なのか2022年12月・2023年1月に1曲ずつ再放送されている(詳細はおいおい)。

初回放送時は小学校3年生。なんだか分からない歌詞で、絵は暗めで若干怖い感じもしたが、嫌いではなく、記憶に強めに残っていた。
何度か再放送されているそうだが、しっかり見るのは37年ぶり。
改めて見聞きすれば、比喩が多用されている、と言えばいいのか、やはりよく分からない。でも、今なら、なんとなく分かるような分からないような…
アンパンマン作者と同一人物とは思えない絵(アニメーションでなく、静止した絵にズームする動き)は、歌詞に連動しているのかどうか、これも難解。その1つに、水平線の向こうに、帽子をかぶって涙を流す少女の大きな顔が斜めになっている絵があったのを思い出したが、考えてみれば気持ち悪い。そして、秋田県出身の版画家・池田修三っぽさがある。時折出てくる気球のバルーンが、レモンであることは初めて知った。
初めのほうの「桃色の砂糖菓子をかじりながら」の部分が、テープが劣化したように音が不安定になるかのように聞こえたが、伴奏(アナログシンセサイザー?)の音だけで歌はそうなっていないので、意図的にそういう音色にしたのだろう。

そして、その歌詞の字幕。

以前の記事の通り、昭和末期時点では、原則としてモリサワ製「テレビ太ゴシック体BT1」を使っていた。
同社「太ゴB101」をベースにした写真植字機(写植)用の書体で、デジタル化されていない(B101はデジタルフォントとして活躍中)。

BT1は、「北風小僧の寒太郎」で例示したように、「冬」の下の2つの点の向きが右下がりと左上がり、つまり「ン」になっているのが、変わっていると思っていた。
これはBT1だけではなく、1995年頃のWindows3.1&NEC製レーザープリンターで出力した、モリサワ「中ゴシックBBB」でも同じデザインだったようだ。現行のBBBはそうではないので、いったん「ン」でデジタル化されてから、形が改められたことになる。

ポケットの中でにも「冬」が出てくる。37年前に見た時、気付いていたが、

やはり、「ン」。

どうして「ン」なんだろうと、ずっと謎だった。今、ネット検索したら判明。
それは「冬」の部首に、忠実に従ったから。

冬の部首は、なんと「にすい」なのだそう。冷、凍と同じ。
というわけで、「ン」じゃなく「」なのだった!
ちなみに冬の上「夂」は「ふゆがしら」。

現時点(昭和末でも)では「冫」の冬は「変わっている」と思ってしまうが、本来は「冫」であるべきで、この書体はそれを守っていたことになる。
手書きで「冬」を「冫」で書く人など見たことがないが、やはり本来はそうであったのだろう。いつの時代に変わったのだろう。
令和の「令」の一件もあったけれど、元々の文字、学校教育で標準とされる文字、活字体と、違いが出てしまうものだ。
【3月24日追記・太平洋戦争終結を報道する、1945年8月(16日?)の秋田魁新報の見出しの「終」の冬の下が冫だった。】


モリサワの明朝体「リュウミン」など他の書体では、どんな「冬」だったのか気になる。
ここで、テレビ東京「演歌の花道」。BSテレ東で、昔のものを再放送している。その歌詞の字幕が、同時期のみんなのうたのそれに似た雰囲気がある。厳密にはやや小さく、書体は「太ゴB101」のほう。ちなみに、みんなのうた同様、平成に入ると写研の石井太ゴシック体に変わるようだ。
髪がふんわりとした五木ひろしが「さざんかの宿」を歌った回。いつ放送かは記録し忘れたが、1983年か。

↑BT1と異なることが分かりやすいのが「か」や「な」。BT1は線のカーブやつながりをなくした、シンプルなデザイン。

普通の「冬」!
ということは、BBBはデジタル化されても当初は冫だったのに、B101は写植時代から普通の冬だったことになる。なかなか複雑。

みんなのうたと字幕について、続く
コメント (2)
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