広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

もう脳研じゃない

2019-03-31 23:45:13 | 秋田のいろいろ
秋田駅の北西すぐ、千秋公園の向かいに、秋田県関係の医療・研究機関が固まって存在する。
元は「秋田県立中央病院」があって、それを秋田大学医学部附属病院とした時期もあったそうだが、再び秋田県に戻ったという流れのようだ。

ここ数十年、多くの市民の感覚として、ここにあるのは「脳研」こと「秋田県立脳血管研究センター」と「秋田県成人病医療センター」であろう。
2つの機関は、敷地の北側に棟続きで存在して、中に入ったことがない人には区別しづらい。
敷地内(というか実際には隣接地?)には、他の機関もあるのだが、それらすべてをまとめて「脳研(の場所)」と言ったほうが、少なくとも秋田市民には通りがいいだろう。

だけど、今はもう、「秋田県成人病医療センター」も「秋田県立脳血管研究センター」も、存在しません。


両者の歴史から。
脳研は1968(昭和43)年、成人病医療センターは1984(昭和59)年にそれぞれ開設。
最後の段階では、東側の脳研の建物が1983年築、西側の道路に面した成人病医療センターの建物が1968年築とのことなので、成人病医療センター開設時に、建物を交換したと考えられる。
余談だが、1983年築の脳研の建物の外壁は、色合いが異なる茶系統の細かいタイルをランダムに並べたもの。ほぼ同時期に建てられたと思われる、秋田空港や平安閣(現在は変更。変更前)の外壁とそっくり。

さらにこの隣・敷地の北端には2008年まで「県立衛生看護学院」があった(横手市へ移転)。その建物は解体され、今は脳研の駐車場などになっている。
(再掲)看護学院解体直後。左奥が脳研、手前が成人病医療センターのそれぞれ裏面
成人病医療センターは、同名の一般財団法人の運営だったようだが、脳研は2009年に秋田県直営から「地方独立行政法人秋田県立病院機構」運営となった。
そして、2015年3月で成人病医療センターが解散。建物と循環器部門は脳研へ引き継いだが、解雇される職員もいて、問題になったことがあった。※建物は脳研→成人病医療センター→再び脳研と変遷したことになろう。

その後、正面の駐車場や車寄せだった辺りに、新しい病棟を建設し「急性期脳心血管病診療棟」として2019年3月から運用開始。
旧成人病医療センターの建物は解体、脳研の既存の建物は「回復期診療棟」に。
今年2月北側から。旧成人病医療センターは解体の足場が組まれつつある。その右奥の壁のようなのが新棟

それと同時に、施設名が脳研から「秋田県立循環器・脳脊髄センター」に。
新棟前の表示。フォントはモリサワ「新丸ゴ」か
運営者名から続けると「地方独立行政法人秋田県立病院機構 秋田県立循環器・脳脊髄センター」で、絶対に覚えられない。もう「脳研」と略すこともできない。漢字も難しい。
報道されたものの「循環器・脳脊髄センター」と言われてもピンとこない市民・県民も多いはず。何をやる場所なのか、どこにあるのか、元脳研であることも、病院であることさえ分からないと思う。
研究機関・医療機関であるから、一般向けにネーミングにひと工夫を、というわけにもいかないのだろうけど、うまい略称を向こうから提示してもらうとか、できないでしょうかね。あと病棟の名前も素人には覚えられない。患者や家族にもそれで通すのだろうか? 「東棟」「西棟」とか言い換えるのか。

旧成人病医療センターが解体されておらず、外構整備もまだのようで、循環器・脳脊髄センターの外観はよく分からない。新棟の外壁は茶(肌色?)とグレーの縦縞。
写真も悪天候の中撮影したので、写りが悪いです。
正面側。奥の白いのが解体中の成人病医療センター【4月1日補足】屋根がある部分が救急搬入口
成人病医療センターの建物は、道路ギリギリに建っていた。新棟は、それよりは敷地内を車が通れる分くらい引っこんでいるが、窓が少なく平らな壁のせいもあるのか、通行人としては圧迫感がある。

っていうか、手形陸橋から続くこの通り、車線増設の計画があったのでは?
だとすれば、将来的にはまた道路ギリギリになるのだろうか。

その前の道路には、こっちですよという、案内看板が設置されている。これは道路管理者でなく、各施設が設置するようだ(ここはどっちみち県でしょうけど)。

両方向に1枚ずつ、矢印の向きが違う以外は同じもの。
以前の看板
4年前になくなった成人病医療センターがまだ残っていたのだった。
このフォント、バスの行き先表示(方向幕)にかつて使われていた、モリサワの「見出丸ゴシック体MBD10」ではないだろうか。全体的な雰囲気と「ン」「タ」など共通点がある。※古い案内標識にも、モリサワの丸ゴシック体っぽい文字のものがあった。

脳研が改称されて2週間ほどすると、
看板も更新(上とは反対側の看板なので矢印が逆向き)
以前の看板にならったのだろうが、「秋田県立」もなく、今どき英語表記もないのが、やっつけ仕事的なような。【6日追記】看板の板のサイズが小さくもなっていて、ケチっていそう。※英語表記についてはこちら

このフォントは、縦に圧縮されていることもあって分からない。
昔の案内標識で多用されていた、写研「ナール」のようにも見えるが、ナールはデジタル化されていない。今も出力できるもんだろうか。建物前の看板の新丸ゴではないし、ナールの代用で多用されるスーラでもない。

【4月1日追記】新聞に1日付の県立病院機構の人事異動が掲載された。おそらく100人前後が載っていて、一部、秋田県庁との人事交流がある(それは県の異動として発表済み?)が、大部分が機構内(中でも同じ施設内が多い)での所属変更や昇任で、見せられてもあまり意味がない気もする。
その名簿は、大きく4つのセクションに区分されている。「役員」、「循環器・脳脊髄センター」、「リハビリテーション・精神医療センター」(大仙市協和)、そして「本部事務局・脳研事務部」。
県立病院機構の本部は循環器・脳脊髄センターと同じ場所にある。
「脳研事務部」ってのは何だ? 脳研時代の残務整理をしているのか、それとも「循環器・脳脊髄センター事務部」の意味で「脳研事務部」としているのか(としたら改称の意味なし)、変更忘れか。

【10月4日追記】10月4日付秋田魁新報総合面「県議会記者席」欄に「「脳研」略称にお墨付き」が掲載。
3日開催の県議会総括審査でのちょっとしたやり取りを取り上げる欄で、議員が知事に「循環器・脳脊髄センターというのは言いづらい。別の呼び名はどういうものが考えられるか」と尋ねた知事の答弁。
「私も脳研と言っている」、その場でいろいろ悩んだ末「「脳研でもいいじゃないか」と結論付けた。」。質問した議員は「「だったら変える必要なかったのでは」と苦笑した。」。とのこと。
この名称変更により、病院と直接関係なくても迷う人とか、説明に苦労する人が多少なりとも出ているというのに、その名称変更を行った側のトップが「脳研でもいいじゃないか」はないんじゃないでしょうか…がっくり。

※「成人病医療センター研究室」なるものについて。
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平成最初の思い出+新元号

2019-03-29 00:24:22 | 昔のこと
いよいよ次の月曜・4月1日に、5月からの新しい元号が発表される。
そこで、以前アップした「昭和最後の思い出」に続く、「平成最初の思い出」を。1989年の小学6年生の視点です。

1989(昭和64)年1月7日朝に、(後に昭和天皇と呼ばれる)当時の天皇陛下が崩御。
「昭和」が終わることになるが、次は「何」になるのか、それはいつなのか。
当時は「改元」に「天皇崩御」は切り離せない関係だけに、その話はデリケートというかタブー同然で、今上天皇への不敬とする考えもあったという。
大正とか昭和とかいうのを「元号」と呼ぶことも、当時は知らない人が多かったと思う。

さらに、大正から昭和に変わって以来、約62年ぶりの出来事。しかも、大正末はラジオ放送がごく一部で始まったばかりで、速報性のあるメディアなどなかった。1989年とは世の中がまったく違う。
大人の多くも初めての経験で、みんなが戸惑っていたかもしれない。

テレビ各チャンネルは朝からずっと特別ニュース。その中で、元号移行の流れが伝えられたはず(ネットもないし、それ以外に知るすべがない)。
今日(1月7日)午後に新元号が発表(実際には14時36分だったそうだ)され、翌8日から、その元号に変わると。
新元号など予想もつかないが、歴史的な場面であり、見るしかない。


午後のNHKは、斎藤季夫アナウンサーから梶原四郎アナウンサーに交代。
当時の梶原アナは、おそらく土日の正午のニュースを担当していた。平日同枠の斎藤アナより若いようだが【29日訂正・斎藤アナより梶原アナのほうが2つくらい年上らしい】、やっぱりNHKのお硬いおじさん。
子ども心には、雰囲気も声もいくぶんソフトな、斎藤アナのほうに親しみを持っていた。

改めて映像も見て、振り返っておく。
総理大臣官邸記者会見場の映像を背景に、画面いっぱいに「新元号/決まる」の白い手書き毛筆文字と、再びピンポンパンポンのチャイム。
チャイムは崩御時よりも若干音色が少ないような気もするが、やはり二重に鳴って(鳴らしてしまって?)いるようだ。

中央にメガネのおじさんが着席するも、横を向いて誰かとしゃべるなどして、なかなか始まらない。
このおじさんこそ、当時内閣官房長官で、この会見で一躍有名になって「平成おじさん」と呼ばれ、9年後に内閣総理大臣になって、在任中に亡くなった、(娘がはなまるマーケットAD→国会議員である)小渕恵三氏。
僕は「平成おじさん」の呼称にはなじみはないが、やはり平成といえばこの人、この人といえば平成。
当時の小学校6年生なら、内閣総理大臣が竹下登氏であることは、誰もが知っていただろう。だけど、少なくとも僕は、小渕氏も、「内閣官房長官」という役職も知らなかった。大人でもそうだったかもしれない。官房長官が、政府のスポークスマンとしてマスコミによく登場するのは、これがきっかけだったかもしれない。
最近は「『嵐』解散について、どう思われますか?」なんて、(政府首脳・政治家に対しては)しょうもない質問がされ、表面的な返答をすることもあり、なんでもかんでも官房長官だ。


司会者らしき別の人物の声で「じゃあ、お待たせしました。あーあ」。
当時、この「あーあ」がおかしかったのを思い出した。何か失敗やがっかりした時に言う言葉のように聞こえたが、実際にそうなのか、マイクのテストなのか。いまだに謎。

小渕氏の横に来た人が、箱から出した、四角くて平べったいものを渡す。
当時は、それが何なのか分からず、意識していなかったのか記憶にないが、それこそ「平成」の額だ。
小渕氏は見られないよう、慎重に机上に伏せて置いた。

1分ほどで、やっと小渕氏が話し始める。(今見ても、ドキドキする)
いきなり「新しい元号は」ではなく、これまでの経緯の前置き20秒ほどの後、おなじみの、「新しい元号は『へいせい』であります。」。
話し終えてから「平成」の額を掲げ、そのまましばらく静止。

それを前に、記者が騒がしくなり立ったり、配られた資料を回したり。
発表から30秒ほど経って、梶原アナが「新しい元号は平成と決まりました。平和の平、成功の成、平成です」とナレーション。
画面下には「新元号 平成(ふりがな付き)」のテロップも。

小渕氏は、掲げた額をいろいろな方向へ向けて写真撮影させ、発表から2分弱で「この新しい元号は…」と、1月8日から用いることや総理談話を読み上げていく。


小渕氏が亡くなった時もそうだったかもしれないし、最近の平成回顧・新元号関連のテレビ番組では必ずと言っていいほど、「新しい元号は」のシーンが使われ、当時を知らない人でもバーチャル体験しているようなもの。
上記の通り、実際には会見のごく一部分を抜き出しているに過ぎない。また、現在は音声と掲げる映像が同時に流れるように編集されていることが多いと思うが、実際には、読み上げた後に掲げているので、リアルタイムで見ていた人は、最初に「へいせい」の音を知って、その後に遅れて漢字を知ったことになる。そう思えば、当時、「へいせいってどんな漢字なんだろう」と一瞬、悩んだような気もする。


NHKの字幕は、手書きでなく白い活字。
当時NHKが、ニュースやそれ以外の番組でも標準で使っていた「NHK丸ゴシック体」。2006年頃まで使われていた【4月6日補足・2019年現在もごくまれに使われることがあるそうで、デジタル化されているらしい。】ので、見れば「あれか」と分かる方もおられるはず。写植メーカー「写研」がNHK向けに開発した書体のようだ。【2021年7月7日訂正・写研ではなくモリサワのはず。下記中丸ゴシックBDR1と酷似?】
【4月6日補足・NHKではモリサワの写植用書体(デジタル化されず)「中丸ゴシックBDR1」も使っていたそうで、もしかしたらそちらかもしれない。】
当時のテロップの仕組みは知らないが、今のようにパソコンから瞬時にデータを送出できるのではなかったはず。でも、額が掲げられてから30秒ほどで「平成へいせい」を表示できている。


会見を見ていた周りの大人が指摘して、なるほどと思ったのが2点。元号に対する敬意とも言えること。
・額を掲げる前に、上下逆さなどになっていないか、ちょっと持ち上げて確認してから、示したこと。
これはテレビのフリップとかでもよく見られるが、逆さだったら大変。

・「ヘイセイ」と発音していること。
ややもすれば「ヘーセー」と、「イ」をおろそかにしてしまいそうなものを、しっかり発音している。
今回分かったが、梶原アナは「ヘーセー」と言っている。


こうして、翌日から平成が始まることになった。
不思議な気持ちがした。
仮に平成でない元号でもそうだったかもしれないが、どこか「軽い」感じもした。
僕としては、それまで昭和しか知らなかったし、周りも(実質)62年間も昭和だったのだから、無理もない。

1989年1月7日は、天皇崩御という哀しみと、元号が変わることへの戸惑いと、平成という新しい元号への違和感(新時代への期待を抱くには、まだ早すぎたかも)が入り乱れた日で、とても長い1日だった。
平成発表後、夕方や夜はどう過ごしたかは記憶がない。
【30日追記】7日は土曜、8日は日曜だったが、その曜日感覚は当時も今もまったくない。正月明け・冬休み中ということもあるけれど、それだけ特別な日々だった。
【4月17日追記】NHKのテレビは、日付と元号が変わる7日夜は当時の定時ニュースとしては若手で平日19時を担当していた松平定知アナウンサーが、昭和最後の放送を行った。8日朝は、梶原アナウンサーと平日朝「モーニングワイド」の桜井洋子アナウンサーという、珍しいコンビだった(当時のモーニングワイドの男性は和田郁夫記者)。
30年前の思い出・平成最初期のちょっとしたことなどもあるけれど、とりあえずは、新元号への期待をこめて、ここまで。
続きはこの記事後半。



来週初めには、上記とだいたい同じことが行われるわけだが、生前退位のおかげで哀しさがないのがいい。発表から改元まで、1か月も猶予があるというのも、余裕があっていい。【31日補足】その一方、4月1日(もしくは2日)から新元号になると勘違いし、2019年3月31日が「平成最後の日」と勘違いしている人もいるそうだ。勘違いまでいかなくても、新元号発表がクライマックスで、1か月後にはその感動も落ち着いてしまうような気はしなくもない。
この30年間で元号を使う場面は減ったが、やっぱり日本にとって重要なものだし、国民としてドキドキするのは変わらない。

そんなわけで、改元はタブーでなくなった。その効果というか影響。
まず、上記の通り、知らない国民も多かったと思われる「元号」という言葉が定着した。これまでは、元号を指して「年号」という人も多く、個人的には微妙に違うような気もしていた。年号というのは「平成」だけでなく「平成31年」というような、数字の部分も含めるような…
いろいろ調べると、大化とか昭和とか平成という、年の数え方の基準(?)のことは、「元号」でも「年号」でもどちらも正しいらしい。
ただ、どちらかと言えば「元号」のほうがより正しいようだし、日本の法律は「元号法」。
今回の各マスコミは、より正しい使い方をしていて、それが正しく広まっていると言えよう。


そして、これまでは、おおっぴらにやったら批判されたに違いない「新元号の予想」。
テレビでは、バラエティー番組、ワイドショーの街頭インタビューのみならず、それなりの専門家・識者も、予想している。インターネット上では、人気ランキングなども。

それに、企業や施設が、客に元号を予想させ、当たった人に賞品を贈るキャンペーンを実施しているところも多い。
個人的には、生前退位と言えども、元号を予想させて金品を渡すとは、不謹慎とまでいかなくても、どこか違和感を覚える。
消費税が5%から8%に上がった時、「増税分還元セール」をやってはいけないとのお達しを出したくらいの国なのに、「元号予想で賞品贈呈」というのはいいのでしょうか。

イギリスには「ブックメーカー」というのがあって、様々なことを賭けの対象にしているという。アメリカ大統領選や各種受賞者など。
日本の元号はやらないのだろうか。やっぱり言葉のハードルが高いかな。


元号予想がズバリ当たったらすごいけど、ほとんどが外れるだろう。なぜなら、元号の大前提を忘れているから。
日本の元号は、古典に出典があるものでなければならない。今回の新元号で、それが撤廃されたという話は聞かないし、出典を示して予想している人がどれほどいただろうか(週刊誌などの専門家やネット上にはいた)。
【29日追記】29日になって、いよいよ元号公表大詰めの、より具体的な報道がされた。それによれば、「元号改定手続きの要領」で6つの留意事項ががあるそうで、それには出典うんぬんはない。一方、「民間の元号予想ランキングの上位はなるべく避ける」というのがあって、その上位の「安久」は除外という話も出ている。発表日がエイプリルフールなので、混乱しないかという不安の声もあるとか。

見かける予想は、その多くが「各人の好きな漢字2文字を組み合わせた」ものであり、それらが都合よく収まった古典が存在する可能性はとても低そう。
つまり、行われている元号予想は、「今年の漢字」的に「期待する新しい時代を漢字2文字で現してください」程度のもの。本気で元号を予想したいなら、まずは古典を当たらないといけないのに。
今のAIとかビッグデータを使えば、膨大な古典の中から候補を選んで、その他条件を加味して、新元号予想ができなくもなさそう。誰かやってないかな?
【31日補足】一部アンケートでは「新元号に入って(入れて)ほしい漢字」として、1文字単位で集計するものがあった。それならば、予想として成り立つし、当たる可能性が高まる。また、元号自体の予想でも、1文字が的中した人にも賞品贈呈というところもあった。



新元号は4月1日の昼頃、菅官房長官が行うようだ。
あの方、話し方に難あり。秋田出身のせいか、一部の単語に独特なアクセントがある(秋田の人が全員そうではありません)のもそうだけど、語尾がゴニョゴニョしたり、紙を読み上げる時に早口で雑に読んだりする傾向がある。聴力の悪い人、手話通訳、字幕作成、外国語通訳は大変ないのではないかと、心配になる。
広報担当者なのだから、この点は自覚するなり、誰かが忠告【31日補足・もしくは進言】してほしいと思っていたのだが… 元号発表ははっきりと明瞭に話していただきたい。
【30日追記】菅氏の出身地である湯沢市では、湯沢市役所で新元号発表のパブリックビューイングを行うとのこと。街頭テレビ的なものは各地でやるだろうけど、本件(というかスポーツ中継以外)でパブリックビューイングというのは、全国的にも珍しいのではないか。【31日追記】平成の時、以前から存在していてたまたま漢字表記が一致する、岐阜県の平成(へなり)が注目された。今はその近くに「道の駅平成(これは「へいせい」と読むそうだ)」があり、そこでもパブリックビューイングを実施。

当然、テレビ中継するはずだけど、今のところ、各局の番組表では明言はない。
NHK総合は、正午のニュースを0時45分まで拡大することになっている。この日からキャスターが代わるようだけど、いきなり大仕事だね。
例のチャイムは鳴るのか、字幕はいつ、どんなふうに(立体化した金色の毛筆体とか)出るか。
テレビ朝日は、「徹子の部屋」を休止し、前後の「大下容子ワイド!スクランブル」を拡大。この日から大下アナの冠番組になるそうだ。
日テレのニュースは扱わない生番組「ヒルナンデス!」はやるようだけど、どう扱うか。
【29日補足】29日になって、新元号は4月1日11時30分に発表(その後、正午から総理談話)されることになった。↑上記の段階では、時刻が未確定だったので、番組も固まっていなかったこともあるだろう。【31日追記】31日時点の番組表では、日テレは「news every.特別版」をすることになった(ヒルナンデスを12時55分に繰り下げ)。TBSも「JNN報道特番」で「ひるおび」を13時00分に繰り下げ、フジは通常通り11時55分から「バイキング」。フジも含めた各局の特別番組は、10時台から始まるところが多く、発表前に重きを置くようだ。

テレビの視聴率は? ツイッターは「祭り」になるのか? パソコンやスマホのかな漢字変換システム(IME)はいつ対応するか? 株価への影響は? 元号に名前が似ているとかで突如注目される場所や人物はいるのか? 興奮して渋谷で騒いだり道頓堀に飛びこんだりする者はいないか?
誰もが緊張する、いつもと違う、新年度初日の昼になりそう。※発表時の記事
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工藤パンの餅

2019-03-28 00:03:33 | ランチパック
工藤パンの「餅」2つ。
まずは昨年末に弘前のベニーマート松原店で買ったもの。他の店では見かけなかった。
青森県産もち米100%使用 よもぎ切りもち
切り餅4個【2022年1月1日訂正】6個(310グラムと表示)をまとめてパックしていて、賞味期限は少なくとも1か月はある。484円。
描かれているキャラクターは青森県産品PRキャラクター「決め手くん」。

「草餅」というのがあるが、実際にはだんご粉を使った「草だんご」であることが多いと思う。これはほんとうに杵つき餅で、真の草“餅”っていうのは、珍しいかも。
また、こういう複数個がパックになった餅も、どこかでとち餅のは見たことがあるが、あまり多くはなさそう。
よもぎの産地は不明。
開封
中に水滴が多く付着していたが、もちろん悪くなってはいない。
4個が重なって入っているため、1つ1つの餅が屋根瓦のように波打って固まっている。

餅だから焼いてみた
焼き上がると普通に平らになって、焦げたりふくらんだりした。

僕は餅好き+草餅好きだけど、草餅の焼き餅は初めて食べるはず。
何もつけなくてもおいしそうに見えたので、そのまま食べたら、やっぱりおいしかった。ヨモギの味がしっかりして、味付けするのがもったいないほど。砂糖は入っていないはずだが、ほんのり甘い。
お好みであんこをはさむのもよさそう。
正月向け限定なのか、通年販売なのか分からないけれど、また食べたい。
かさい製菓の競合商品について
工藤パンの正月用餅について


お彼岸に秋田市内のハッピー・ドラッグへ行ったら、彼岸用の生菓子をちょっとだけまとめて売っていた。ぼたもちはその辺のスーパーでも扱っているメーカー。
さすが青森のハピドラ。工藤パンからは4個セットの上生(練りきり)と、
工藤の和菓子 粉付きだんご 4コ入 321円
ストレートに「粉付き」を商品名にするのが斬新だけど、「北海道産小豆使用 粒あん」だからあんこ入りであり、形状からしても「だんご」というより「大福」のほうが適切な気もする。
「粉なし」とか「こしあん」バージョンが存在するかは不明。
【28日追記】たけや製パンや白石食品工業(シライシパン)では「彼岸団子」として、あんこ入りの餅を売っている。粉があるのとないのがあるが、これらも大福なのに団子を名乗っていることになる。工藤パンのこれは彼岸専用ではなさそうだが、彼岸団子用途も意識した商品名なのかもしれない。
白いのと草餅が2個ずつ
普通の大福。草餅はヨモギの味はするけれど、上の切りもちほどでない。

正月の口取りも扱っていたそうだし、ハピドラは要チェック。
コメント
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速報 バス路線変更2019秋

2019-03-27 00:02:04 | 秋田のいろいろ
秋田市の路線バスについて。
春の変更の記事が中途半端なままですが、今年秋(2019年9月末)の変更点が3月20日開催「第10回秋田市地域公共交通協議会バス路線再生分科会(※)」で明らかになった(中央交通からの申し出を承認)ので、第一報として。※秋田市役所ホームページ「ページ番号1019631」に掲載。

路線の中の「系統」単位で廃止されるものが複数。市営バス時代からの系統もあって感慨深いが、近年の動きを見ていれば「やっぱりな」というものが多いのが正直なところ。乗務員の不足というのもあるだろうし、利用者減少もあるだろうし、それらを出されたら…

以下、会議の資料とは順番や表記を変えています。
過去の例からして、10月以降の代替路線や残る系統のダイヤ・本数は、現段階では不確定なようです。見間違い・勘違いもあるかと思うので、あくまで速報の概略としてご覧ください。
以下、会議資料にある「1便当たり利用者数」が出てきます。これは「廃止される路線・系統全体の利用者数」ではなく、「他系統と重複しない、廃止される区間内での乗車・降車に限った利用者数」だと思われます。したがって、例えば秋田駅を出発する時点ではたくさん乗っていても単独区間に入る前で降りてしまうといった場合があり得るはずです。
※この後、3月29日に秋田中央交通の公式サイトに廃止の告知が掲載された。

廃止・マイタウンバス化 下北手線
大川反車庫-秋田駅西口-手形陸橋-谷内佐渡-松崎-宝川下丁
中央交通生え抜きの路線。
近年は本数が減少し続け、現在は、平日上りが4本で、平日下り、土日上下は各2本。
松崎までは松崎団地線とほぼ同じルートだが、なぜか大学病院に立ち寄らない。
廃止後は、大学病院発着の秋田市マイタウン・バス(民間に委託して秋田市が運行)を運行。

秋田市東部方面の利用状況をよく知らないけれど、太平木曽石、上北手、中北手は既にマイタウンバス化されている中、そんなに環境が違わないであろう下北手がそうなっても、仕方ないのかも。
太平岩見三内は、今も本数が多く、幹線としてまた別格なんでしょうな。

廃止 新屋御所野線(旧・新屋日赤線)
西部市民サービスセンター(新屋)→南大橋→御野場→御所野学院→イオンモール(御所野)
元は市営バスが、秋田駅東口-日赤病院-新屋で両方向運行(本数は多くない)していたが、後に日赤-新屋に短縮、2014年に日赤発新屋行きを廃止、2018年秋には日赤病院に代わってイオンモール行き(実質短縮)となっていた。
議事録によれば、御所野学院の生徒の通学利用はない。

1本とはいえ、秋田南大橋を渡る路線、新屋と御野場・御所野方面を直通する路線がなくなる。現在の1便当たり利用者数は2.2人、代替路線もなくどうなるのだろう。

系統廃止 下堤集会所前経由 広面御所野線
これもそもそもは市営バス路線なんだろうか。
秋田駅東口-日赤病院-イオンモール秋田・中央シルバーエリア(御所野)の一部系統廃止。下堤集会所前は2011年までの「YKK前」。400系統と御所野学院に立ち寄る401系統も対象か?
402系統がイオンモールに面した広い通りをシルバーエリア入口-イオン御所野店前と通るのに対し、下堤集会所前-御所野下堤三丁目-御所野下堤-御所野ニュータウンとさらに北側の道を通る。

集会所前は、交通量が少なく公園や工場(敷地内に熊が出たことがあったはず)がある道。この区間での乗降はあまりなかったのではないだろうか。イオン前の道だと渋滞に巻きこまれそうではあるが、使いやすさではそのほうがよさそう。
本数は、現在は両経由がほぼ半々。下堤集会所前経由の本数分が廃止ではなく、おそらくイオン前経由に振り替えるのだろうけど、多少の減便はあるかも。

系統廃止 更生センター発着 山王商業高校線
市営バス時代の「商業高校経由福祉団地行き」のこと。
(再掲)市営バス時代の福祉団地行き
秋田駅西口から臨海十字路まで西進、曲がって勝平新橋を渡って、商業高校前-児童相談所前-千秋学園前-太平療育園前-更生センター前。
商業高校着発の144系統が平日・土日祝とも、朝夕にある程度運行されている。(商業グラウンド経由割山線よりはずっと少ないが、学校前を通るのはこの路線だけ)
商業の先の更生センター前まで行く143系統は平日のみ、駅発8時00分、センター発17時30分の1本ずつ。前は夕方の上りもあった。10月からはその更生センター着発がなくなり、名実ともに「山王商業高校線」となる。

これはバス会社よりも、施設側の事情。
「更生センター」の由来である「県身体障害者更生訓練センター」が、4月から御所野に移転して「障害者支援センター御所野」になるとのことで、乗客がいなくなるためのようだ。
移転は4月なのだから、4月に廃止すれば良さそうだけど、手続き上、そうもいかないのでしょう。

経路変更 臨海経由新屋西線
資料の図がちょっとおかしいようにも感じられるし、変更後の経路も分からず不明。【28日訂正・やっぱり図がちょっと分かりづらいとは思うけど、よく見ていませんでした。】
新屋西線のうち、平日朝に新屋発、夕方に駅発の各1本だけ、八橋球場-臨海十字路-臨海バイパス-若葉町交差点を通る724系統が「臨海経由」。
「臨海」とは無関係のはずだけど、勝平地区内でも臨海経由は他系統と別ルート。朝日町・消防出張所前でなく、船場町経由川尻割山線と同じ割山町・船場町の旧道を通る。

新屋西線の他系統も、もともとは船場町を通っていた。今の新しい道路ができてしばらくした1992年から、そちらを通るようになった。
臨海経由だけがどうして経路を変えなかったのが謎だったが、やっと解消されるということなのだと思う
【28日追記】変更後は、旧道・船場町経由だった区間が、朝日町・消防出張所前経由に変わるということでした。

●いろいろ 神田線
以前から言っているように、中央交通は「神田土崎線」「神田旭野線」などと分けているが、個人的には「神田線」として1つの路線として扱いたいのでまとめて。
いろいろな変更点がある。いずれも元市営バス路線。
廃止 神田東口線
これは別扱いでもいいかな。臨海営業所でなく秋田営業所担当。
平日朝に片方向1本だけ、外旭川市営住宅→神田→天徳寺前→三嶽根→秋田高校入口→大学病院→南団地→東口。

東口行きになったのは2015年で、それ以前は南団地→ノースアジア大学(旧・秋田経済法科大学)だった。
運行開始は1989年。外旭川でなく土崎駅が始発(向山経由)で、逆向きの便もあった。1996年から片方向、1998年頃に外旭川市営住宅発に短縮されている。

外旭川から大学病院などへ行く人が使っていたのかもしれないが、利用者数3.2人。本来のノースアジア大へも行かなくなって、意義はほぼなくなっていたのだろう。

廃止 神田土崎線(向山経由)
当ブログでの分類では「系統」レベルとなるが、これは大きい。
なぜなら、この系統こそが、元祖・神田線であり、それがなくなるのだから。

西口-天徳寺前-神田-外旭川病院前までは、旭野団地系統と同じ。ここから踏切を渡って、向山-(一方通行)-土崎小学校-土崎駅前。中央交通移管後は「向山経由」と称することもある。
一方通行区間は、下りは将軍野郵便局前→土崎南小学校前→嶺梅院前と細い道を通るが、上りは港中央二丁目→自衛隊入口→護国神社裏参道と新国道を走るので、見かけると戸惑う。
かつて路面電車が通っていた道をはさんで、北隣と南隣ということになる。

現在は平日のみ西口7時05分発、土崎駅前7時55分発の1往復のみ。全区間通しの運賃は480円、所要時間下り29分、上り33分。
ちなみに、新国道経由では460円25分、JRだと200円7分。

何年か前までは14時頃に土崎駅を出る便、もう少し昔は17時頃に西口を出る便もあったが、神田線の中では少数派だった。時代をさかのぼると、話が違ってくる。
神田線は、1954(昭和29)年1月29日に運行が始まったと、たしか秋田市史に出ていた。当時はまだ外旭川村で、この年の10月に秋田市に編入されたので、先行して市営バスが走ったのだろう。当時は農村だった外旭川で折り返すのではなく、土崎駅まで行くことで、双方向の需要に応えたということか。
当時は、秋田駅-土崎港の路面電車も秋田市交通局で運行していたので、並行する新国道経由の市営バスはまだなかった(中央交通はあった?)はず。寺内経由土崎線は分からないが、市営バスとしては秋田と土崎を結ぶ路線の先駆けだったと思われる。

その後、昭和50年代中頃までには、土崎まで行かずに外旭川地区内で折り返す系統が登場。
八柳二区(現・八柳一丁目)、卸売市場(昔は市場の中に入っていた)など変遷したが、旭野団地こと外旭川市営住宅折返しが定着し、本数が増えていく。
昭和末~平成初期には、旭野団地線が毎時2本、土崎駅行き(旭野団地または卸売市場経由もあった)が毎時1本だった。朝に自衛隊入口始発秋田駅行きという便もあったから、そこそこ利用者はいたのか。
その後、土崎駅行きが大幅に減り、移管されて今に至る。

利用者は4.3人。廃止される区間では新国道がすぐそばだし、仕方ないかな。土崎から外旭川病院へ通院する人がいるとすれば困りそう。

系統廃止 臨海営業所発着神田旭野団地線【9月16日追記・その後9月の情報では、この系統が廃止ではなく、外旭川バイパス経由に変更した上で、存続するような話。とりあえず当初の情報のままにしておきます】【9月18日さらに追記・と思ったらやっぱり廃止?】
秋田駅へ行かず、県庁前を通って臨海営業所(市営バス時代は交通局)まで。平日のみ、朝に外旭川市営住宅発、夕方に臨海営業所発が1本ずつ。個人的には「千代田町経由神田線」「神田交通局線」と呼びたくなる。
(再掲)市営バス時代の交通局発旭野団地行き
遅くとも昭和末には、ほぼ同じダイヤで運行されていたが、桜町と山王十字路(バス停でなく交差点名として)の間の経路が変遷した。
今は、泉ななかまど通り(生鮮市場前)を直進して新川向交差点で新国道へ出る。
かつては、新川向の手前を千代田町のほうへ曲がっていた。だから「千代田町経由」。
その先もおそらく3度ほど変わっている。高陽幸町交差点で新国道へ出たり、往復で経路が違って、夕方は新国道を通らずに鱗勝院前を通ったり、さらに最初期には大町西交差点まで東進して通町の通りへ出て、千代田町へ戻っていたこともあった。

住宅地の外旭川から山王八橋方面への通勤の足になっているかと思ったが、利用者は5.5人。
代替として新国道経由に乗ったとすれば、乗る前も降りてからも歩くことになる。まったく歩かずに乗り換えるとなると駅まで行かないとならなくなる。妥協して通町か。

系統廃止 旧道(神田)経由神田線
いずれそうなると予想はしていたが、ついに来た。
神田線のメインである旭野団地方面で、外旭川小学校前の旧道、水口-斎場前-梶の目-笹岡入口-神田-吉学寺入口を通る系統がなくなる。
2014年に並行する天徳寺バイパス経由の系統が登場し、旧道経由の一部が振り替えられ、ダイヤ改正の度にその数が徐々に増えていた。5年半で完全移行。
バス停から遠くなる人もいるだろうけれど、旧道はカーブが多く狭く、一部歩道もなく、積雪時は通れなくなることもあったから、バイパスができた以上当然で、時代の流れだろう。微妙な違いで組み合わせが細分化されて分かりづらかった、旭野団地方面の系統が整理統合されるというメリットもある。【27日補足】現行では、秋田駅-外旭川市営住宅の間だけで5系統が混在するが、変更後は3系統になると思われる。ただ、その3系統は市営住宅までの経路は同一で、市営住宅より先が違う(市住止まり、医療センター直行、中谷地・サテライトクリニック経由医療センター行き)のであって、市営住宅より手前を利用する人には、まだ複雑で分かりづらいかな。現行の中谷地経由医療センター行きはすべて旧道経由(209系統)なので、「バイパス・中谷地経由医療センター」の系統が新設というか代替で設定されると予想できる。【29日訂正】コメントでご指摘いただいた通り、中谷地経由医療センター行きの209系統は、旧道でなくバイパス経由でした(2016年運行開始時の記事)。なお、208系統は空白となっているが、今後「旧道・中谷地経由」を運行する場合に備えて空けておいたのだと思われる。

本数については、議事録で、中央交通側と考えられる出席者が「これまで旧道を通っていた便数について、全部ではないが、7~8割くらいはバイパスを通る便に乗せかえたいと考えて いる。」と述べている。現在の旧道経由は、最大片道10本(平日下り)だから、3本程度は減便だろうか。

上記、土崎駅、東口、臨海営業所の各系統も旧道を通っていたがなくなるので、旧道はまったくバスが通らなくなる。
ただし、神田笹岡線の廃止代替として運行される予約式の「秋田市マイ・タウンバス笹岡線」は神田が起点で、神田-笹岡入口の手前だけは今後もいちおうバスが通る。大まかには神田-笹岡-秋田厚生医療センターというルート。
1回前の同会議の議事録によれば、(笹岡から)医療センター方面への利用が多く、神田での乗降は少ないそうだが、要望が多ければ天徳寺バイパスへ延伸するつもりとのこと。

神田線が1本も神田を通らなくなるとは、神田線の名称としての存亡の危機?!
2021年春には、新しい駅ができて、駅前に神田線が乗り入れる可能性が高い。旧道より駅に近いバイパス経由を作ったのは、この意図もあるのだろう。元祖系統の廃止、市営バス時代からの系統の廃止と寂しいけれど、2年後に期待しておきたい。
神田線についての記録



以上。
今回の廃止をカバーするような、鉄道と連携した抜本的な路線網の再構築とか、ICカードを使って乗り継いでも運賃が通し計算されるようにするとか、できないものだろうか。
それから、今回の系統廃止で、系統番号が抜けて飛び飛びになる方面がある(神田線は201、202、203、204、205、209【29日訂正・209はなくならない】がなくなるのかな)。そういうのって、番号を振り直したらかえって混乱させるから、そのままなんでしょうね。


今年秋には、五城目町、八郎潟町、大潟村のコミュニティバスを一体化した新しい路線が始まり、現在は直営の八郎潟駅-五城目バスターミナルの路線(中央交通のルーツである鉄道路線の流れを汲む)も再編されるらしく、秋田市外でも変化がある。

2019年10月ダイヤ改正の詳細
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支店内支店

2019-03-25 23:24:07 | 秋田の地理
秋田大学手形キャンパスのそば、手形陸橋の下の秋田市手形住吉町に、秋田市に本店がある北都銀行の支店がある。
その店舗出入り口
ドアの上の枠には「北都銀行手形支店」とある。一方、ドアのガラスには、
「手形支店/手形北支店」
どういうこと?

以前はここは手形支店で、手形北支店は別の場所にあった。
昨2018年11月26日に、手形北支店が手形支店の中に移転して来て、1つの建物に2つの支店が入っているという形。
このような形態を「支店内支店」「ブランチ・イン・ブランチ」などと呼ぶ。

支店内支店は、都市銀行の合併時の経過的措置や、店舗建て替え時の対応として行われることもあるようだが、最近は地方の金融機関などの支店統廃合の1つの形として行われることも多い。
2013年には弘前市城南にあった青森銀行城南出張所が富田支店内に移転しており、その時にそういうやり方があることを知った。
みちのく銀行は、今年4月に秋田県の比内支店を大館支店に入れることになっている。青森の大手2行は、今のところ多くはなさそう。
秋田銀行も、今年7月の岩城町支店を本荘支店に入れるのが初。

フィデアホールディングスの北都銀行・荘内銀行は、積極的に実施している。
北都銀行は、2014年の大館が最初。岩城支店と西目支店が本荘支店に入るという、3支店共存(支店内支店支店?)もある。
秋田市内では、2015年に高清水支店を将軍野支店内に、(この間に手形支店、)今年2月に土崎南支店を土崎支店内に移転している。このうち土崎南支店は、以前は普通の店舗だったが、2011年5月からはイオン土崎港店の1階でテナントとして営業していたのを8年足らずでやめてしまったことになる。イオンの土崎南支店のあった場所は、今月始め時点では空き店舗。【追記】4月1日時点では、空き店舗部分に多少イオン直営売り場の品物が置かれていた。その隣のATMは存続。
さらに今年4月には、広面支店を秋田東支店に入れる。
北都銀行は、1993年までは羽後銀行、秋田あけぼの銀行という別の2つの銀行だった名残りで、比較的近い場所に立地する支店もあり、その整理の意味もあるだろうけど、西目と本荘、岩城と本荘などは、市町合併前の自治体の枠を越えている。結局は、(名目上は移転として)不採算の地域から店を引き上げようということか。

支店内支店を実施する各金融機関側では、支店が実質なくなっても、店番や口座番号が変わらないので、その店舗の口座を持つ顧客の手続きが不要なことをメリットとしている。
たしかに、10年以上前に、秋田銀行がよく行っていた支店の統合(吸収される支店・出張所は完全抹消)では、少なくとも通帳・キャッシュカードの切り替えに窓口に行かないとならない上、振り込みを受けるには相手先に新口座を知らせないとならないし、給与振込口座も変更手続きが必要だった(なぜか公共料金引き落としは自動移行)。それらがないのは楽ではある。

でも、「身近な店が、(なくならないにしても)遠くなる」のは、特に高齢者は困るもしくは不安ではないだろうか。秋田市内の北都銀行の場合は、移転元の旧店舗はATMも廃止されることが多いようなので。道のりでは、土崎南支店は800メートル、手形北支店や広面支店は1キロ動いた。

旧・手形北支店は、秋田東中学校を越えた旭川(川としても地域としても)に近い、北の手形からみでんにあった。現支店とはバス停にして3~4つ分。
逆光ですが営業していた頃
建物は手形支店よりビルっぽくて、きれいにも見える。ショーウインドウには、
平成三十年八月付「ごあいさつ」
手形北支店は昭和48(1973)年12月開設とのこと。
ごあいさつでは「手形支店内に移転することとなりました。」という言い回しのみで、ここから手形北支店がなくなることを伝えている。
支店内支店制度を知らない人も多いだろうから、これを読んだだけでは多くの客が戸惑ったのではないだろうか。

公式サイトのリリースでもタイトルは、北都銀行は「○○支店 『ブランチ・イン・ブランチ方式による』移転について」、秋田銀行は「岩城町支店のブランチインブランチ方式による移転について 」。
支店内支店はまだしも、一般客には「ブランチ・イン・ブランチ」はチンプンカンプンな人がほとんどのはず。「移転」だけを見てしまうかもしれない。知らないのをいいことに、実質店舗統合なのを単なる(近場の)移転に見せかけてゴマかしている。とは言い過ぎ?

みちのく銀行では「店舗の統合について」というタイトル。実施するのは「統合」であって、「この店舗統合は「支店内支店」方式で行う」という書き方。ブランチインブランチという横文字も使っていない。ストレートに伝わって、客としては分かりやすくて誠意は伝わる。

今週いっぱいで移転する北都銀行広面支店
太平山三吉神社近くの手形陸橋の通りにあった北都銀行広面支店は、南下して駅東口からまっすぐの通りの秋田東支店内へ。
現在、Googleで「北都銀行広面支店」と検索すると…
Googleの検索結果の一部
検索結果の左の写真は、移転前の広面支店の建物。
しかし、右上の地図、その下の「外観を見る(ストリートビュー)」、さらに所在地の広面高田(正確には広面字高田)は、すべて秋田東支店のもの。
つまり、ほとんどが既に移転後(店舗内店舗化後)の情報に書き換えられているのだ。

Googleマップは、数日前にゼンリンとの提携を解消して(?)、自前の地図に変わっていて、それで一部不具合が出ているというが、これはそれとは関係ない。
広面支店移転は昨年12月25日に発表され、わりとすぐに魁の経済面に小さく出た。その時に検索したら、もうこの状態だった。
コンビニの新規開店でもあったけど、誰かが気を利かせて素早く更新してくれたのだろうけれど、結果としては気が早すぎる。
天下のGoogleさんならば、事前登録だけして日付を指定して反映、あるいは予定情報を掲載みたいなことはできそうなのに。

また、Googleマップで、手形支店の場所を見ると…
建物は「手形支店」だが、大きな文字で「手形北支店」
しかも「手形支店」の文字は、かなりズームしないと現れない。間違いとは言い切れないけれど主客転倒だし、経緯を知らない人は絶対に迷う。さらに、旧北支店の場所にも「手形北支店」が残っている。

銀行としてはいいのでしょうけど、それ以外の者にはいろいろと悩ましい支店内支店。今後は増えていくのだろうか。
素朴な疑問として、支店内にある支店には支店長がいるのか、行員の所属や業務分担はどうなって(分業なのか兼務なのか)いるのか、支店内の支店を取引店とする新たな口座開設はできるのか、といった疑問もある。調べてないけど、実質統合(実質、形式上だけで支店が移転して共存しているみたいな)なのだから、支店長は置かないもしくは兼務、行員は兼務、口座開設不可かな。

【8月30日追記】8月末に、久々に旧手形北支店の前を通ると、建物が地元の「互大設備工業」の一部部門やその関連会社(?)のオフィスになっていた。外観は銀行時代とさほど変わらず。
【2021年4月7日追記】コメント欄の通り、その後、2019年9月時点では空きビルで互大設備管理地表示。2020年8月からは学習塾が使っている。会社名の縦長看板は存置。互大設備は大町の第一会館だったビルをオフィスとして使うようになったので、その関係で動きがあったのかも。
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4年に1度の巨大なアレ

2019-03-24 23:41:59 | 秋田の季節・風景
トラックに積まれた大きな板
4年に1度、春の秋田市に現れるアレ。
右のカーブミラーと比較してください
巨大な選挙ポスター掲示場(掲示板)。

大きいだけでなく、初めて見れば、上と左右に余白がありすぎることに疑問を持つ。その理由は次の通り。
秋田県議会議員選挙と秋田市議会議員選挙は、2週間違いで行われる。選挙期間は重ならない。
そこで、市議選用の掲示板の上に、県議選用の掲示板を重ねて設置し、県議選後に上をはぎ取れば市議選用の掲示板が現れるという仕掛け。
市議選のほうが立候補者数(ポスター枠)が多いから大型になり、それを隠すために枠が少ない県議選用に余白が生じている。

秋田市では以前は2つ並べて設置していたが、2007年からこの方式にしており、前回2015年は約1300万円の経費節減になっている。※2011年2015年の記事。
今回は秋田市内595か所に設置、おととしの参議院議員選挙より9か所減ったと報道された。4年前は637、2011年は662と徐々に減らされている。
県全体では4973か所で、前回比516減。

横7メートル超の掲示板は存在感がある。その風景をいくつか。
秋田北高校前の坂の途中
平坦な秋田市でも、これだけ大きいとそれなりの傾斜が影響し、水平を保って設置するのに苦労がしのばれる。

今年は雪が少なく、2月下旬以降、ほぼずっと地面が見えていた秋田市だが、24日朝は久々に4センチも積もった。午後にはゼロになったけど。
千秋矢留町。道路は消えても、裏の土や芝には雪が残る
秋田市の掲示板は、秋田杉間伐材を使うのが原則だが、県議選の上張り用はラワン材のベニヤ板で美しい木目はない。でも、裏に回れば杉材を見ることができる。【この次、2023年の選挙からは上張りも秋田杉材に変更された。末尾リンク先参照。】
手形山の斜面にある公園前

隣は手形山幼稚園
この公園、前には「手形山団地児童公園」という表示があるが、秋田市管理の公園リストには載っていない。どういう位置づけなんだろう。

手前は赤白の柵、左側は学校、右側は住宅用地。その間に水路
ここは、ずっと前に取り上げたのと同じ場所。
以前は、校門に向かって左側に設置されていた。左側は、水路と並行していちおう通路はあるが、一軒家の壁や窓がすぐ際まである。大人がここを通るのは気が引けるし、目立たなくてここに選挙ポスターを掲示しても、見る人はとても少なそうだった。
その後、校門右側に設置するように変わった。こちら側は、通路はない(草が生えている)が、アパートの駐車場のようなものになっていて、多少は目立つし、いくらかは見やすくなった。だけど、右側に移った当初は、もっと左寄りにあったのだが、今回はもっと右側(奥)に設置されており、再び、見づらい方向へシフトしてしまった。
たぶん私有地に立ち入らないとポスターを見られないし、特にこの巨大掲示板ではだいぶ奥まで立ち入らないと見られない部分もあろう。それにこの距離と足元では、投票所検索のQRコードは読み取れるか? 選挙ポスター掲示場の立地としては、ベストではないしベターでもないと思う。
こんな大きなものを設置させてくれる場所、あるいは物理的に設置可能な場所が、近くでほかに見つからないのかもしれないし、いっそこの掲示場も廃止してはいかがだろうか。【この次、2023年の統一地方選挙時には、ここには掲示板が設置されなかった。近くにも見当たらず。いつの間にか廃止されたのか。】

差し当たっては…
足を滑らせたら水路に転落
ケガはしなそうだけど間違いなく泥まみれ。貼る人、見る人(駐車場から見ればいいのか)とも、足元にご注意ください。

※この後、2021年春の知事、市長等の選挙時に、掲示場の仕様が若干変更された。
2023年の巨大掲示板。上張りの板も、ラワン材から秋田杉に変わった。
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大住団地線 短縮・減便

2019-03-22 00:13:18 | 秋田の地理
秋田市内の秋田中央交通の路線バスのダイヤ改正は、最近は秋に実施されることが多い。春はあっても修正程度の軽微なものだった。
今春2019年4月には、秋田駅西口から築地(秋田南中前)、愛宕下橋を経由して、牛島へ出て雄和市民サービスセンター(旧・雄和町役場)へ行く「雄和線(2011年7月運行開始)」が廃止されることは以前から分かっていた。
それ以外には動きがないかと思っていたら、ほかの変更点もあった。今春は比較的変更点が多いと言えそう。
雄和線の代替として、二ツ屋福島線に愛宕下橋経由の系統が新設。と言っても平日に1往復だけ。※雄和線についてはこちら
秋田駅に来ない路線としては、雄和の国際教養大学方面で、河辺和田行きの便が廃止されるものの、御所野のイオンモール行きが四ツ小屋駅まで延長される。
これらは今回は取り上げません。

今回は、唐突に変更が発表された、大住みなみ野団地線について。
公式サイトに3月15日付で「大住みなみ野団地線の運行経路・時刻の変更について(2019.4.1)」がアップされた。
起終点のバス停と時刻を変更するもので、要は末端部の短縮と減便。

バス停については、折返し場所である「牛島西四丁目」を移動、現西四丁目の隣の「西潟敷」を廃止する。牛島西四丁目の移動先は、既存の経路上の「大住コミュニティセンター入口」と西潟敷の間。
廃止(短縮)される距離=西四丁目が移動する道のりは380メートルほど。
地理院地図に加筆。黒が廃止区間。水色がバス停移動
減便は、平日下り4本・上り4本、土日祝下り3本・上り2本を廃止。
平日は下り9・12・13・15時台、上り11・12・13・18時台を廃止。
13時台は、現行では昼間で唯一の1時間に2本あったうちの片方が廃止。廃止される上り18時30分は最終便なので、今後は17時14分が最終。
土日祝は上り8・16・18時台、下り10・18時台を廃止。
上り8時30分発は始発便、18時40分発は最終便なのがどちらも廃止されるので、今後は9時40分が始発、17時40分が最終。

廃止後の運行本数は、平日(県庁方面直通1往復を除く)下り8本・上り9本、土日祝下り5本・上り8本となる。
大雑把に言えば、平日は1時間に1本あるかないか、土日はほぼ2時間おきになるが、運行間隔は不均一で、平日の上りは10時00分の次は13時05分と、3時間空く。

短縮されたこともあるせいか、全体に時刻が分単位で移動しているので、利用の際はご確認ください。
【22日補足】変更後の運賃については「変更はございません。」とされている。現在は、大住コミュニティセンター入口と西潟敷の間に運賃境界があるので、移動して距離が短くなっても、西四丁目は同じ運賃区間に残ることになり、1停留所1運賃区間となる。駅からの運賃はコミセン入口まで340円、西四丁目まで370円。
以上が、変更内容。以下は、考察や雑感なので、興味がある方だけどうぞ。


この路線については以前記事にしている。改めて簡単にまとめておく。
元は秋田市営バスの路線で、秋田駅前(西口)と「大住団地」を結ぶ「牛島経由大住団地線」であった。運行開始時期は不明だが、名称として明確に登場したのは1980年。
経路は、駅から有楽町、牛島(旧道の商店街)、二ツ屋下丁までは牛島経由他路線と同経路。国道13号線へ出る二ツ屋の三叉路で、秋田駅方向へ戻るかのように秋田南高校側へ。次の交差点で国道と分かれ、大住の住宅地へ入るルート。
1993年には、約半数の便が大住団地より先へ延伸される。「みなみ野団地」行きとされたが、実際にはもう1つ先の「西潟敷」が終点。1996年には全便がみなみ野団地行きに。
2001年春には、他の牛島方面路線ととともに、秋田中央交通へ移管された。
移管と前後するどの時期かは分からないが、「みなみ野団地」のバス停名が「大住コミュニティセンター入口 みなみ野団地」になり、終点が西潟敷よりさらに先(バス停1つ)まで延伸されて「牛島西四丁目」となった。路線名も「大住団地線」よりも「大住みなみ野団地線」が一般的になった。
2017年10月には、牛島旧道・南高校前経由から、イオン秋田中央店前・卸センター入口・牛島市営住宅前の国道13号経由(いわゆる柳原経由)に変更。

運行本数は、市営バス~移管直後は1時間に2本運行されていた。その後、徐々に減便が進んでいる。

今回の減便も、利用実態に即し、限りある乗務員と車両をやり繰りするためなのだろう。
でも、どうしてこの路線だけが減らされるのか。
中央交通(あるいは秋田市の交通政策)としては、この路線は牛島・仁井田方面という大きなくくりの中では、幹線系統ではなく傍流・サブの系統であり、それとしては本数が多すぎたということか?
でなければ、次に述べる終点短縮の絡みか?

移動前・現行の牛島西四丁目は、住宅地の中に空き地のような土地があって、そこが牛島西四丁目停留所兼「回転地」であった。【22日補足】路線バスが方向転換する場所を、全国的には転回場、転回地、回転場などとも呼ぶようだが、中央交通ではおそらく市営バス時代から「回転地」と称していて、バス停名になっている所もある。
向かいが回転地・手前が西潟敷方向。ポールが1本、仮設トイレがある
駅から来てそこに入って客を降ろし、時間まで待機して、客を乗せて駅へ戻るという行路が多かったはず。時刻表上は15~30分間程度の待機時間(例えば13分着→30分発、03分着→30分発)が設定されている。

今回、西四丁目のバス停は移動しても、回送して回転・待機場所としては存続する可能性も考えられたが、時刻表を見ると、回転地としても使わなくなりそう。
変更後のダイヤでは、折返し待機としては長すぎる間隔が空いているものが多い。西四丁目と車庫あるいは駅などとの間で回送すると思われる。
ただ、数本は到着後わずか2分で駅へ戻ると思われるダイヤもある。待機する場所がないから2分にしたのだろうが、だとすればどこで向きを変えるのか。付近は家が建てこんでいるし、路上で切り返せそうな場所ってあるだろうか。
西潟敷からコミセンへ左折する駅行きバス
大住コミセン方向と西潟敷方向の行き来は、十字路を曲がらないとならないが信号機は付いているし、西潟敷側のほうが道は広い。右左折が大変だとか狭くて危険なので短縮するというわけではなさそう。
上り西潟敷。奥右に回転地がある
それに、仮に乗車率が悪いという理由でたった2停留所を廃止するというのは、短すぎて意味がなさそう。
そして、仮に西四丁目回転地を使わないで、どこかへ回送するとなれば、交差点を曲がるよりは、直進して雄物川堤防沿いの道路に出たほうが便利そう。

こうした状況から憶測すれば、「回転地の土地を使わなくもしくは使えなくなったので、回送しやすい経路に短縮(ついでに減便)」あるいは「減便することになって、回転地を使う頻度が減るので廃止、回送しやすい経路に短縮」のどちらかが理由な気がする。
いずれにしても「回転地の使用中止」「回送の便宜」「減便」の3つが関わっていそう。
【23日追記】コメントで情報をいただいた。回転地が使用できなくなることがきっかけのようだ。折り返しについては、堤防の道とその1本隣の狭い道をぐるっと回って戻るとのこと。

希望的観測というか妄想では、雄物川堤防へ回送でなく、新規営業路線として、川沿いに下って羽越本線をくぐって秋田大橋もしくは卸町方面、上って御野場方面へ行くようなルートができたら…



移動する牛島西四丁目バス停。
直線でも340メートル離れた移動先は、交差点のすぐ手前にある、小さい川・古川の小さい橋のたもとのようだ。
っていうか、そこ牛島西四丁目じゃない!!

所在地としては牛島字西潟敷と同東潟敷の境。西四丁目との間には牛島南二丁目をはさむため、ここを西四丁目とするには、なかなかムリがある。
ただ、それも分からなくはない。車両や印刷物、車内放送の変更の費用と手間のみならず、大して違わないのに「牛島西四丁目行き」が違う名称になっては利用者に混乱を招くから。
個人的には、全国的に最近多い、行き先(終点バス停名)を大々的に使うのって、なじみが薄いバス停のこともあるし、こういう場合もあって好きではない。「みなみ野団地方面行き」とぼやかした言い回しにしておけば、また違ったことになっていただろう。


今週初めの時点では、現地に掲示はなかった。
法令では1週間前までに行えばいいことになっているが、それは最低限のこと。そもそもホームページには出ているのだし。このことをまだ知らない周辺住民がいないだろうか。
【22日補足】今回のホームページに載った新時刻表は、変更点を朱書きしていない新ダイヤだけの提示。中央交通さんの気まぐれなのかもしれないが、コソコソと減便しているように受け取れなくもない。同じことをやるにしても、しっかり・充分に説明してもらえれば、受け手の印象は違うものになると思うのだけど。

牛島西四丁目バス停の移転先について
※この後の2019年10月の定期ダイヤ改正でも、若干ダイヤが変更された。
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最後? の車販アイス

2019-03-20 00:43:54 | 旅行記
3月16日のダイヤ改正で、大幅に縮小されたJR東日本の車内販売。※車内販売を行うのは、JR東日本関連会社の日本レストランエンタプライズ(NRE)。
最終日の模様は、秋田のローカルニュースで大きめに取り上げられた。
見た限り、そのすべてが、秋田駅11時07分発「こまち18号」に乗務した、20年のベテラン社員(39歳女性)を取り上げていた。車内での光景も取材されていたので、JRもしくはNREがマスコミ向けにセッティングしたのだろう。

前回述べたように、公式発表や報道を見ても、3月16日以降、観光快速列車の車内販売はどうなるのか、NRE秋田列車営業支店の存廃とその従業員はどうなるのかが分からなかった。今回の報道でも、それは変わらず。
観光列車については、JR東日本へ問い合わせて、今回の改正で廃止など変更はないとの回答を得た。
【20日追記】↑ところが20日付で秋田支社が「リゾートしらかみ号の販売サービスを見直します ~「ふれあい販売」を拡充して、ワゴン販売を終了します~ 」を発表。3本のうち「ブナ編成」でのカウンター販売は継続するものの、「青池」「くまげら」編成でのワゴン販売は3月31日で終了。代わりに、現在もNREのワゴン販売とは別に、区間を区切って沿線の地元の団体等が行っている「ふれあい販売」という名の車内販売の実施日を増やし、今後もさらに拡充していくという。わずか2週間差でこうなるとは、なんとも…
それにしても、ブナ編成の運用は時期によって違うので説明しにくいし、実施日が増えると言ってもふれあい販売がない日もある。そもそもふれあい販売の販売品目は限られている(スジャータのアイスはないだろうし、コーヒーとか緑茶とかコーラとかも?)し、リゾしらは乗車時間が長く、ホームに自販機がないような途中駅もある。空腹で乗り通すならまだしも、熱中症やエコノミークラス症候群になる客が出ないだろうか。
これで、ほんとうに秋田県内のJRの列車からワゴン販売はなくなってしまう(秋田内陸縦貫鉄道ではやっている)。
【21日さらに追記】リゾしらのカウンターがない2編成のうち、「くまげら」はいずれ新車に更新される可能性が高いので、カウンターが設置される可能性もある。カウンターなしで更新済みの「青池」には、改造してカウンターを設置して、3編成で統一することもできよう。最終的にはカウンターの有無を統一したほうが、客にしてもJRにしても分かりやすい。最悪、ブナのカウンターもやめてしまう可能性もあるけれど。(以上追記)
NRE秋田支店の存廃については、聞くようなことではないから不明。ただ、取材されたベテラン社員について「こまち号での最後の乗務」という言い回しをするマスコミがあったかと思う。これは「こまち号以外では、この後も乗務がある」とも受け取れる。リゾしらは担当するってこと???
※この後、2019年7月で、JR東日本管内すべての車内販売業務がNREから「JR東日本サービスクリエーション」という企業へ移管されていた。ただし、NRE秋田列車営業支店では、サービスクリエーションではなくJR東日本東北総合サービスへ移管され、ブナのカウンターを担当している。この記事末尾参照。


また、本件に合わせてJR東日本秋田支社では、秋田駅での乗車前に駅弁を買ってもらいやすくするための「販売強化」を実施。
具体的には、待合室(改札外)の中の土産物店「おみやげ処こまち苑」でも、新たに駅弁を取り扱うことと、中央改札口横(改札外)のNEWDAYS秋田中央口店のリニューアルを行いレイアウトや看板を変更する。
NEWDAYSは、外から見る限りでは、弁当ケースなどは従来のままで「秋田の駅弁コーナー」「秋田のお土産ショップ」という看板が付いただけ。

この点については、報道で新たなことが分かった。
朝日新聞秋田版によれば、15日以前の「「こまち」は、車内販売用に1日平均100個の駅弁を積んでいた。」。16日以降は、新店舗も含めて「駅全体でこれまでより120個多い440個を並べる」とのこと。

秋田魁新報によれば、「「橋上弁当売店」は、利用者の減少を理由に31日で営業を終了する」。中央改札口の在来線側を入ってすぐ左側の小さいスタンド形式の店。
(再掲)工事途中だけどこの店
NREの経営のようで、年中無休で7時50分から17時00分までの営業。大館の花善の鶏めしも、コンビニタイプのおにぎりも少々扱っていたが、たしかにそんなに売れてはいなそうだった。
なお、駅ビルトピコの関根屋の店は、改札内外両方から買えるが、品揃えはおそらく関根屋のみのはず。


さて、15日のNHK秋田のテレビでは、この話題を6分48秒も伝えた。
3月15日更新のNHKニュースサイトより
そのタイトルは「秋田新幹線一部の車内販売終了へ」。「開業から22年続いた秋田新幹線の一部の区間の車内販売の営業が15日で終わり」と始まる。これには違和感。

最初のほうで、秋田県外や「いなほ」でも縮小されることに触れてはいる。現在の列車本数からすれば、秋田新幹線に重点を置くのはまあ分かる。
でも「開業から22年続いた秋田新幹線の一部の区間の車内販売」が気になる。これでは、22年前に初めて車内販売が始まったかのような言い回し。事実を過小というか矮小化している。

実際には、前身の特急「たざわ」でもあったし、その他&それ以前の列車の多くでも車内販売が実施されていた。
調べてもよく分からないが、おそらく、秋田県内では昭和36(1961)年運行開始の特急「つばさ」「白鳥」までは確実にさかのぼることができるはず。
22年どころか60年近い歴史はあり、それがなくなってしまうのだ。NHKは40年分は無関係だと言いたいのだろうか。


NHKでは続けて「駅弁業者からも惜しむ声が上がっています」として、大館駅の鶏めしの製造元「花善」の状況と社長のコメントを紹介。
花善の「先月までの1年間の車内販売の売り上げは、寝台列車などが走っていたピーク時の昭和50年代よりおよそ95%減っている」「会社の駅弁の売り上げ全体に占める車内販売の割合は小さくなっていて、今回、弁当の車内販売が終わることに伴う売り上げへの影響は、それほど大きくないということです。」。
車内販売よりも、秋田駅や盛岡駅のような大きな駅、秋田県内と津軽のスーパーなどでの販売のほうが量・売り上げは多いのは、想像がつく。

そして、「この会社では、もともと大館駅で駅弁の販売を始め、その後、車内販売を続けてきた歴史があることから、車内販売への思い入れは強いということです。」「社長は、「私たちは弁当屋ではなく駅弁屋だという思いがあるが、車内販売までなくなると、駅弁屋と名乗ってよいものか、悩ましく思っている」と話し、車内販売の終了を惜しんでいました。」。
うーん。よく分からない。
駅売りの後で車内販売を初めて続けたから、車販への思い入れが強いそうだけど、たいていの駅弁業者はその流れで車販に関わったのでは?
なお、以前述べたように、10年くらい前までは、花善自身が鶏めしの車内販売を行っていた区間もある。それは自らやめたことになる。それとは別に、新幹線でNREに委託というか納品して、車内販売してもらっていたのが、今回で終わった。

あと、駅弁屋としてのアイデンティティーに悩んでおられるそうだけど、ホームでの立ち売りをしなくなった今だって、大館駅向かいの店舗とNEWDAYSで買えるのだから、それをもって立派な大館駅弁であると認識する人が多いだろう。悩む必要はない。
それに、そんなことで悩むのなら、自ら決めたであろう津軽や秋田市まで運んでスーパーで売ったり、さらにパリで売るようなことは、駅弁屋としてはどうなのか…ということになるのでは。車販をやめたごときで悩むことではないですよ。


個人的には、車販といえば、駅弁よりもコーヒーよりも、スジャータのアイスクリーム。
NHK秋田のレポートでも、ベテラン販売員が発車前にアイスクリームを勧めて、後で乗車した記者が買う場面があった。
基本的に車内販売以外では流通しない商品らしく、これからはJR東日本エリアでは入手は難しくなる。※観光快速列車では継続。
ネット上には、首都圏の駅の弁当売店だかNewDaysだかで取り扱うようになったとの情報があった。秋田駅では?【23日追記】23日時点のNewDays秋田ぽぽろーど店では、なさそうだった。

実は、15日に特急「いなほ」に乗る機会を得た。絶好のチャンス!

乗ったのは、酒田以北では上り1便の8号。秋田列車営業支店の担当。【20日補足】いなほは1往復だけが秋田担当で、残りは新潟担当。少なくとも新潟担当の下りいなほの車内販売では、土産用の箱入りの笹だんごを扱っていた。この時は秋田の金萬は扱っていたが、笹だんごは不明。ある程度日持ちするので、前日の残りを扱っていたかもしれないが、逆方向の秋田発では土産として買う人はあまりいないでしょう。
以前は、各座席前の網袋に、車内販売メニューが差しこまれていた。今年1月末時点でもあった。それが15日には、既になくなってしまっていた。

スジャータのアイスはバニラのほか、近年は路線・期間限定のフレーバーもあった。
昨年11月22日付の発表では、昨年12月1日から今年3月31日まで、東日本エリアで「キャラメル ヘーゼルナッツプラリネ」があることになっていた。その後で発表された車販縮小と合わせると、3月16日から31日までは北陸新幹線だけで販売されるということなんだろうか。
個人的には、特にこういうプレミアムアイスクリームは、味付きよりもバニラがいちばんと思っているから、あまり興味はないのですが。

ワゴンが来たので「アイスクリームください」というと、「バニラでよろしいですか?」と問われた。キャラメルヘーゼルナッツは、もう在庫がなくなって入荷しないということなんだろうか。もちろんバニラでけっこう。「硬いので溶けるまでお待ちください」的な決まり文句もいただいた。
ちなみに、NHK秋田の映像では、味の確認はせずにすぐにバニラを渡していた。放送上のヤラセというか演出というかなのか、でなければ対応としてはいなほの販売員のほうが親切で適切なのでは?
最後かもしれないスジャータのアイスクリーム 120ml 8%税込み290円
レシートは「めいらくバニラ」。

商品名は「High Quality ICE CREAM」で「北海道産生クリーム使用」。フタは紙製で、アルミシールの中ブタ。
無脂乳固形分10.0%、乳脂肪分15.5%、卵脂肪分1.5%。原材料 生乳、乳製品、砂糖、卵黄/バニラ香料。1カップ279kcal。

参考として、ハーゲンダッツのミニカップバニラは、フタもシールフタもプラスチック製で、110ml、272円+税。
無脂乳固形分10.0%、乳脂肪分15.5%、卵脂肪分0.8%。原材料 クリーム、脱脂濃縮乳、砂糖、卵黄/バニラ香料。244kcal。

思っていたよりも黄色っぽくなくて白い
最近は、ツイッターで「#シンカンセンスゴクカタイアイス」というハッシュタグで、スジャータのアイスクリームの写真を投稿するのが流行っていた。
容器にも「アイスが固い場合は、しばらく待ってからお召し上がりください」と書いてあった。10分やそこらじゃ、まだまだ硬かった。

同時に食べ比べたわけではないけれど、ハーゲンダッツよりもスジャータのほうが濃厚に感じられたし、なんていうか素直なアイスの味がして、さすがにおいしい。改めて実感。【20日補足】両者で卵脂肪分の差が大きく、スジャータのほうが多いからそれに起因するのか。あとバニラ香料の使い方も違って、味の差になっていそう。
JR東日本エリアの優等列車(特急や新幹線)の車内でアイスクリームを食べるのは、これが最後だろう。だけど、スジャータのアイスクリームはこれで食べ納めにはしたくない。と言っても、次に食べられるのはいつになるだろう…


最後に車販アイスの思い出。
初めて車内販売でアイスクリームを売っているのに遭遇したのは、昭和の東北新幹線「やまびこ」。
大宮発着だった開業直後かもしれないし、少し経った上野開業後の1986年頃だったかもしれない。同時期の秋田の在来線では売っていなかった。

ワゴン販売とは別に、男性がダンボール箱を抱えて売りに来ていた。宇都宮辺りで1回しか来なかったか。食べたいとは言い出せずに眺めていたが、次々に買い求める人がいてなかなか売れ行きが良かった。夏休み中だったのか。
買わなかったのでどんなアイスクリームだったかは分からないが、ネット上ではスジャータのアイスクリームは1991年発売開始との情報があるので、別商品だったのか。
何度も書くけれど、2000年代でも「あずさ」では小岩井のアイスクリームが売られていた(この時も箱で売りに来ていた)。これはこれでおいしかったし、かなりのレア商品かも。今もどこかで買えるのかな?

やがて、新幹線でも在来線特急でも、定番商品としてアイスが加わる。スイーツという言葉が広まった頃(2000年代?)には「車内スイーツ」と紹介されたこともあった。
当初は、ワゴンと別にクーラーバッグで売りに来ていたこともあったが、近年はワゴンに小さなバッグをセットして、他の商品といっしょに売ることが多かった。それでも、ワゴンを止めて頼むと、「お待ちください」と準備室に取りに戻ることもあった。
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枯れ木・まきえもん・止まれ その後

2019-03-18 00:32:12 | 秋田の季節・風景
以前の続報3つ。
●引っかかる木
昨年、大町の旭川に架かる一丁目橋の下の護岸に、枯れた木が不自然というか絶妙なバランスで引っかかっている、というかもたれかかっているのに気づいた。
橋のたもとの岸にあったキリの木が枯れて、根本が岸に付いたままで、上部が下の川へ向かって倒れたと思われる。
増水の後も、少し下方向にズレただけで、一丁目橋に留まっていた。
(再掲)2018年7月

でも、この枯れ木は近々撤去されるだろうと予想していた。なぜなら、
2018年12月下旬
一丁目橋の工事が行われたから。
秋田市ではここ数年、市道のかなり多くの橋で、路盤や桁の塗装の傷んだものをきれいにする改修工事を順次行っている。
工事は1つの橋当たり数か月かかる。工事中は、橋に覆いがかけられ、全面通行止めもしくは車両通行止めになることが多い。工事後は、基本的には工事前と変わらない姿で、ピカピカになる。
一丁目橋もそのパターンだった。すぐ隣に歩行者専用の大町公園橋(旧・幸橋)があるものの、歩行者は工事中でも渡れるようにしてくれた日が多かった。また、覆いは、過年度の工事では使い古しの汚いベニヤ板が使われた橋もあったが、一丁目橋はきれいな白いシート。施工業者の違いか、市から指示があったのか、そのどちらかが街中だから景観に配慮したのか。

そんな工事をする時、橋の真下に木が引っかかっていたらジャマでしょうがない。
3月上旬。きれいになった
工事が終わった一丁目橋の下を見ると…
まだ残ってる!
白いシートの写真でもそうなっているのだが、以前とは向きは違っている。
根本が岸から完全に切り離され、護岸の底に付いている。護岸に全身もたれかかって身を任せている状態。【20日追記】これで「引っかかる木」ではなくなり「置かれた木」になった。

この工事は、秋田県管理の旭川に架かる橋ではあるが、道路は秋田市管理、施工業者は「橋を改修すること」だけを請け負った。
橋の工事のジャマだし、枯れているから切り離して少し動かしても構わないと判断したけれど、それを処分するまではやりたくなかった。というのが、秋田市や業者のホンネだろうし、仮にやりたくてもその費用は容易には出せない。
それは分かるけれど、だったら、業者や市は秋田県には伝えてあるのか、秋田県は知っているけど放置しているのか。
この状態で増水すれば、流されてしまうに違いない。下流に何らかの危害を及ぼす危険はないのだろうか。
その後、2019年夏


●まきえもん完結
秋田市道の千秋トンネル内に4台設置された「定置式凍結防止剤散布装置『まきえもん』」。
微調整なのか試行錯誤が続いていて、稼働はしているようだが、3月になっても歩道には仮のコーンとバーが残っていた。
13日には、
ついにコーンとバーがなくなった!
これで終結か。
スペースを取られてしまった歩道も、それほどジャマでもないけれど、そそっかしい自転車が体当たりなどしないか、少し気になる。

コーン撤去のほかに、以前と違う点があった。
透明パネルに、1台につき2枚ずつ「手を触れないで下さい」のシールが貼られた。このシールを手配する間、コーンを撤去できなかったってこと?
たしかに、この手作りパネルでは、ちょっと力を加えたら壊れそう。でも、風圧でもそうならないかな。耐久性はどうか。

結局、工事中も工事後も、狭くなる歩道側に対しては、これが融雪剤散布装置であることの説明はないまま。ジャマな箱が置かれて、怪しいカメラのようなもの(センサー)まであって…と思っている歩行者がいるかもしれない。まきえもんとしてはボディ裏面だから何も表示がないのだが、こういう設置方法を想定して裏にもロゴを入れればいいのに。こういう置き方は少ないのか。

一時は消えていたトンネル入口の「走行注意」の表示灯は再び点滅するようになっていた。


●止まれ復旧
積雪期に「止まれ」の道路標識が支柱ごと倒れてしまい、本格復旧するまでの間、仮設の標識が設置されることがある。
以前紹介した、小さいのと低いのは、どちらも3月初めまでに、新しい支柱で復旧していた。

その標識本体は、新しい「STOP」入りになると予想していたが…
STOPなし
2つとも、旧タイプの英字なしの止まれだった。上の写真は低い止まれだった所で、2004年に納品された標識で復旧。
新品設置は計画的にやっていて、こういうマイナーな地点の突発的なものは中古で対応のようだ。それで問題はないでしょう。

以前の低い止まれが頭に残っている状態で見ると、新しい止まれはやけに高く感じられた。一般的なのより少し高い気もする。
また、向かい側の裏になっている止まれでは、車の標識本体への接触を少しでも減らすため、三角形のど真ん中でなく、道路外側に少しずらして支柱を留めている(他にもわりと多い)が、復旧された側ではど真ん中に設置している。

さらに、少し引いて見ると、
松の木が…
手前のお宅の植木が道路にせり出していて、止まれが若干見づらい。この道路の交通量、道幅を踏まえれば、これでも問題はないと考えられる。
だけど、仮設のような低い止まれのほうが、むしろ視認性は高かった気もする。

なお、もう1つ紹介していた、大きく傾いたままでコーンが置かれた止まれは、この2か所の復旧後もそのままだった。※続きはこちら
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続・マンホール蓋

2019-03-14 23:54:46 | 秋田の季節・風景
マンホールのフタの続き2題。
(再掲)
秋田市内に、下水道でなく上水道用らしきマンホールが存在する。
市章とサツキの花ががデザインされ、「水道局」の文字。秋田市上下水道局になる前、水道局時代の設置と考えられる。
上下水道局化後のものは見かけないし、図柄入りでないものも見たことがなかった。このデザインのみを確認していた。

その後。一直線の道路上に、水道局のフタが連続するところがある。どれもサツキ柄の中、1枚だけこんなフタがあった。
「空気弁」「水」「水道局」
市章も「秋田市」の文字もなく、水道局があればどこの町でも使えるデザイン。マンホールの中には、空気弁なるものが収まっていることが分かる。
昔はどれもこれで、交換されずに残っているということだろうか。


もう1つは「越境蓋」。何らかの事情で、他の自治体のフタがまぎれこんでしまったもの。秋田市内でも2枚を確認していた。
まだ雪があった頃、雪がなくて舗装し直されたばかりの場所があった。下水工事か。

アスファルトのかけらや油がまだ残っていて分かりづらかったが、見慣れないフタに感じられた。
このフタは?
写真でも分かりにくいが、下に「たいゆう」とある。
2005年に横手市になった、旧・大雄村(たいゆうむら)のフタである。
縁取りは桜の花、中心部は上が鳥海山、下は特産のホップの葉と花、ホタルが描かれる。

サビているようだから新品ではなさそう。工事前からあったのか、工事によって設置されたのか。いずれ、状態が落ち着いたら、改めて撮影しようと思った。
数週間後に訪れてみると、大雄村のフタはなくなっていて、新品らしき秋田市の竿燈柄(無着色)のフタに取り替えられてしまっていた!

ということは、工事の途中段階での、一時的な仮のフタだったのか。工事会社が仮設用として確保してあるのだろうか。
警察管轄の道路標識や信号機では、仮設用のものを警察側がストックしているけれど。

大雄村のフタは、これからもどこかで短期間だけ出現するのだろうか。一般の希望者に売れば、収入になりそうだけど…
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JRダイヤ改正2019

2019-03-13 23:23:52 | 秋田のいろいろ
2019年3月16日のJRダイヤ改正について、東日本・秋田支社を中心とした恒例のまとめ。※2018年の改正
※すべての改正点を挙げているわけではありません。利用の際は、各自、公式な情報で時刻等を確認願います。

2017、2018年と同様、今回も大きな変更はない。東日本管内で車内販売が縮小されることが最大の話題かも。

秋田以外で個人的に目ぼしいのは、
●北海道新幹線 青函トンネル内の最高速度を140km/hから160km/hへ
最速列車は4分短縮され、3時間台(3時間58分)に。

●上越新幹線にもE7系電車投入開始

●特急「あずさ」「かいじ」E353系に統一
「スーパーあずさ」の名称消滅。
【14日追記】常磐線の特急と同様に、自由席が廃止され全車指定席化も実施。
さらに、諏訪湖周辺で停車駅が削減され、長野県や沿線の地元自治体・商工・観光団体がダイヤ改正見送りをJR東日本へ申し入れる事態になっていた。(以上追記)


秋田支社管内。
●特急「つがる5号」繰り上げ
改正前 秋田19時32分→(大館21時03分→弘前21時42分)→青森22時18分
改正後 秋田15時52分→青森18時29分
新青森駅には、改正前は上り新幹線の最終が出た後の到着だったのが、改正後はもちろん上下とも接続する。といっても、4時間近くも時間帯が動くのだから、時刻移動というより別の列車も同然。
5号の車両は、4号の折り返し。4号は秋田着15時28分なので、時間的に整備して折り返すのは可能。

秋田発時刻で前後の下り列車を見ると、
15時20分弘前行き、[15時52分つがる5号]、15時56分八郎潟行き、16時27分青森行き
18時00分東能代行き、18時29分快速大館行き、19時00分大館行き、[19時32分つがる5号]、20時02分追分行き、20時25分大館行き
新旧とも、30分ほど前に長距離の普通列車が出ている。15時台ってのも、どうなんだろう…

現在のつがる5号のダイヤは、2010年12月までは新潟から青森まで行っていた「いなほ7号」、さらに大阪から来ていた「白鳥」の流れを汲む時間帯。
朝の上り「白鳥」相当のダイヤは、2016年改正で快速化されているので、これで上下とも白鳥から続いた特急の系譜は途切れる。


●秋田→青森 直通の快速新設
秋田19時20分→弘前21時31分→青森22時13分
新設と言ってるけど、要はつがる5号の代替。

秋田発で、
改正前 18時29分快速大館行き、19時00分大館行き、19時32分つがる5号
改正後 18時29分大館行き、19時20分快速青森行き
となる。18時台の快速(急行「よねしろ」の流れを汲む)を各駅停車化、19時台を快速化して青森まで延長する形。

一方、大館では、
改正前は21時04分につがる5号、21時21分弘前行き(下り最終)があったのが、改正後はこの快速の20時55分発のみ。
大館から先(弘前まで)では、最終列車が30分ほど繰り上げられ、快速化されることになる。

2016年の「つがる」減便の際は、代替の快速が設定され(下りは秋田発17時31分)、この区間で701系の運用が1つ増えた。今回は、既存列車の運行形態を変える形なので、車両運用はそのままか。
かつての快速「しらかみ」→「しらゆき」は、通し運転する列車でも大館以北は各駅停車だった。2016年に初めて大館以北・弘前まで快速運転する列車が登場したことになるが、今回、それに加えて青森まで純粋に快速として走破する列車が登場することになろう。
【21日追記】ダイヤ改正の告知では触れていなかったので勘違いがあった。今回の改正で、2016年からある弘前行き快速と、新設された青森行き快速の2本ができたことになり、そのどちらも終点まで快速運転すると思いこんでいた。
ところが、実際は、弘前行きのほうは大館から先は各駅停車(津軽湯の沢は通過)化されたのだった。快速と普通の運行順を入れ替えた形。弘前行きでの弘前までの所要時間・到着時刻は、10分ちょっと遅くなる程度。大館から先の快速の時間帯としては1時間遅くなる。
ちなみに、弘前行きを担当する運転士は、改正前後とも秋田運輸区の担当。秋田運輸区では、大館-弘前間で各駅停車の運転をした経験がない(特急や快速の経験しかなく、停まったことがない駅があるということだろう)人が多いそうで、労働組合がハンドル訓練(事前の練習運転)をするよう求めていた。

【14日補足】改正前の同時間帯の各駅停車を大館で乗り継いだ場合は、
秋田19時00分→大館20時46分、大館21時21分→弘前22時02分→青森22時52分 となる。
20年前の弘前へ行き来で、快速しらかみ/しらゆきと、花輪線の車両を使った弘前行きの乗り継ぎをよく使っていたとした。それと同じ時間帯に当たる。当時は、秋田を18時30分過ぎ、大館が20時過ぎ、弘前には21時過ぎ。少し短縮され、少し遅い時間になった。

【8月14日追記】この青森行き快速は、701系3両編成で運転されているとのこと。オールロングシートということになるが、平日は秋田からの帰宅ラッシュとも重なるため、収容力の点で妥当だろう。(以上追記)


●ワンマン化
普通列車で車掌が乗らなくなる列車が増える。
奥羽本線では、青森駅と新青森駅の短距離輸送を担う、青森-津軽新城11往復と、新青森駅発青森行き1本が、一気(全便かな?)にワンマン化。
弘前方面まで来る列車は、ワンマン運転できない3両以上が多い印象だけど、区間便は前から2両だったんだっけ?
新青森駅も青森駅も駅員がいるため、車内での運賃収受の必要はないから、そんなに問題にはならなそう。新青森駅の狭いホームの監視は大丈夫か。

羽越本線では、秋田-羽後本荘の午後1往復がワンマン化。
今も2両編成で、秋田発(14時27分)にたまに乗るけれど、混雑せず、乗り慣れた人が多そうだから、これも問題なさそう。


●ローカル線減便
・五能線
ダイヤ改正のたびに、東能代-能代の区間便がじわじわと減便されている。
今回も12時台の1往復がなくなるが、今回は臨時列車化という扱い。高校のテスト期間とか?
これにより、区間便は朝と夕方以降だけになるが、それでも9往復残る。

【2019年5月18日追記】
ノーチェックだったが、5月13日アップの陸奥新報サイト「JR五能線の終電繰り上げに「早過ぎる」」によれば、この改正で五能線青森県側の下り最終列車の一部区間の時刻が約50分繰り上がり、不満の声が出ているという。
改正後のダイヤは、深浦19時19分→鰺ケ沢20時15分→五所川原20時46分~21時18分→弘前22時16分。
新聞では「鯵ケ沢―五所川原駅間の下り列車最終便」が「50分も繰り上がった」としている。停車時間が長い五所川原以降は変わっていないのかもしれないし、深浦から鰺ケ沢までもそうなのかもしれない。
「鯵ケ沢町外から通勤する人は、仕事上必要な酒席を早々に切り上げる必要があ」るそうで、「JR秋田支社は取材に対し、需要が高い上り利用者の要望を受けてダイヤを見直したためと説明」。(以上追記)

・花輪線(盛岡支社)
盛岡-大館を通しで運行する1往復を、鹿角花輪-大館に短縮(盛岡-鹿角花輪1往復減)。通し運行は5往復に。
昼から夕方にかけては、時刻の移動や(鹿角花輪止まりと盛岡で)運行順の入れ替えもある。

・陸羽西線(仙台支社・山形県)
新庄19時34分発余目行き(下り最終の1本前)、余目21時28分発新庄行き(上り最終)の1往復を廃止。
上りは余目19時22分→新庄20時12分が最終になる。

【14日補足】近年は減便や駅通過があった北上線では、今回は変更がない模様。

こんなところ。以下、補足。
男鹿線の蓄電池式電車EV-E801系に関しては、増発や増備といった動きはなし。
一方、新潟地区と五能線など秋田地区には、電気式気動車GV-E400(過去の記事)の導入が予定されている。新潟地区では既に試運転が続けられ、2019年度中には営業運転開始のはずだったが、今改正では動きなし。秋田地区には2020年度導入の予定。

ところで、JR四国の改正では、徳島駅から出る牟岐線で利便性が向上する。
これまで発車時刻がバラバラだったのを、統一かつ増発して、徳島駅発毎時00分と30分といった「パターンダイヤ」を導入(ただし特急「むろと」2往復を減便)。高速バスとの接続も考慮する。
秋田市周辺でも、同じようにダイヤを分かりやすく、使いやすくできると思う。
2021年春には新しい駅ができるはずであり、秋田支社長もダイヤを工夫したい意向は示しているから、次の次の改正に期待。

翌2020年のダイヤ改正について
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上北手小 給食と校舎

2019-03-12 23:24:22 | 秋田の地理
以前、学校給食の「共同調理場」を取り上げた。
給食センターのような独立した専用の調理場でなく、A校(調理校)の給食室で作った給食を、近隣のB校やC校(受配校)にも運んで供するやり形のこと。【14日補足】広義にはセンター方式をも「共同調理場」に含む場合があり、明確に区別するために狭義の共同調理場を「親子方式」と呼ぶこともある。
専用の給食センター方式と比べれば、運搬距離が短くて済むことや、おそらく所長や事務の職員が少なくて済むメリットがありそう。

秋田市の小中学校では、雄和と河辺は、合併前から給食センター方式。それ以外の旧・秋田市エリアでは、1983年頃から共同調理場方式を部分的に導入。
当初は、中央部や新興住宅地の比較的規模の大きい学校どうしで、小学校で作って近くの中学校へ運ぶものが多かった。
ここ10年ほどは、郊外の小規模校で自前で調理していたのを取りやめ、他校からの輸送に切り替えて、新たに共同調理場が設けられるものが増えている。最近は、業務や職員配置の効率化が求められ、児童生徒数も減少しているためだろう。

現在は10程度の共同調理場があり、それぞれ2~3校へ運ばれている。
来年度(2019年4月)からは、浜田小学校が、自校(単独)調理から勝平小学校からの輸送に切り替えられる。
浜田小は、勝平小よりも日新小や西中のほうが距離は近いが、単独調理で共同調理場ではない。勝平小は既に勝平中に提供しているので、その共同調理場体制に浜田小が加わるほうが、設備、人員や手続きがスムーズなのでしょう。

順序が逆だけど、今年度からは、東小学校から上北手小学校への輸送が始まっている。
東小はこれまでは単独調理で、共同調理場のグループが1つ増えたというか、新たに共同調理場が設立(形式上)されたことになる。
やはり直近の学校間ではないし、既に共同調理場である城東中(桜中へ)もあるが、キャパシティの問題だろうか。東小は以前より児童数が減っていて、余力があるはずなので。


さて、本題は上北手小学校。
古くからの秋田市民の思いこみでは、上北手小は「郊外の学校」の位置づけ。
だから、最近は児童数が減って、自前の給食室を廃止して…と考えてしまいそう。

ところでそうではなく、上北手小は児童数が増加している。今どきの秋田市内では異例。
※以下、2018年4月11日付秋田魁新報を参考にしています。
1985年以降の上北手小の児童数の推移は、1985年には140人程度、1998年の83人を底に増加に転じ、2005年頃には150人を突破。さらに2015年頃から加速して、2018年度は232人。
市内他校と比較すると、桜953、日新831、勝平646、御所野621を筆頭にもっと多い小学校は多いが、保戸野237、土崎210、明徳207、中通207など高齢化・人口減が激しい街中の小学校と同規模。

上北手(かみきたで、かみきたて)地区は、秋田市南東の山が迫る農村地帯。日赤病院や看護大はあるが、さほど宅地開発はされていない。
ところが、てっきり桜小学区だと思いこんでいた、2000年前後に分譲が始まった新興住宅地の山手台と南ケ丘が上北手小学校の通学区で、その子どもたちが入学しているのが原因。全校児童の9割近くが山手台と南ケ丘在住。
ちなみに、中学校の学区は、桜中学校かと思いきや城南中学校。


そして、この児童数増加が、共同調理場受配化の原因。
こんなに児童が増えてしまっては、教室が足りない。今年度は図工室を普通教室に転用するという、かつてのベビーブーム期のような事態になっている。
そこで、給食室を解体して、跡地に校舎を建てることにしたため。もちろん、給食調理の効率化の目的もなくはないはず。


さらに、もう少し事情がある。
秋田市教育委員会の予測では、上北手小の児童数は、来年度以降も増加を続け、2021年には303人(12学級)。しかし、2024年以降は減少傾向と見込む。
そして、全市的に、小中学校の適正配置(つまり統廃合)の検討も進められている。

そうしたことと、コストや工期も考慮して、給食室跡に建てられる校舎は「鉄骨造2階建てのプレハブ校舎(約300平方メートル)」。新聞の市教委のコメントで「仮設」としている。事業費8726万円。2019年春から使用。

秋田市立学校の校舎を話題にしたこともあったけれど、最近は児童生徒数減少と、耐震補強など校舎の長寿命化により、秋田市立学校の校舎が新しく建つことはほぼなかった。
仮設、部分増築とはいえ、今後もそうそうなさそうなので、見に行った。
【2020年11月26日追記】その後、日新小学校の校舎改築計画が出てきたようで、2021年度以降に調査が行われることになった。実現するにしても、完成はだいぶ先になるだろうけど。→この記事参照

道のりで秋田駅から6.5キロ、日赤病院から1キロ強の旧道沿い。
最近できた産直センター、児童館、かつては村役場だったであろうコミュニティセンター、郵便局、土地改良区が固まってあって、そこから若干離れたところ。
上北手小学校を見ること自体、おそらく初めて。
2018年8月

2019年2月
上の写真正面奥に太平山がそびえ、右側を猿田川が流れる。川幅は下流の仁井田辺りと変わらない。
校舎左側の木が茂っている丘の上が、大雑把に言って南ケ丘。この斜面を上り下りできる道があるようだ。山手台は、もうひと山向こうだから、歩いて通学するのは大変(南ケ丘を登り下りするか、ふもとを日赤病院付近まで遠回りするか)そう。

上北手小の校舎は、秋田市には珍しい屋根状のものがあり、さらにトンガリ屋根の塔もあり、いずれも赤い特徴的なもの。地域のシンボルとして親しまれているようだ。
1987年築とのこと。全体的な雰囲気、デザインに学校ごとの個性があって、ベランダ付きと当時建設の秋田市立学校の校舎の法則(?)通り。

グラウンドは敷地の南側。校舎の裏側の道へ回ってみる。
8月。校舎裏側。右がすぐ丘のふもと
校舎をぶった切って、更地になったばかりのような土地ができていた。
奥が体育館

2012年11月撮影Googleストリートビューより

Googleマップ航空写真より。左下が体育館
Googleマップで確認すると、校舎と一体化した平屋の給食室があったようだ。
丘ギリギリまで建物でなく、アスファルト舗装されていて、脇を抜けて体育館側へつながり駐車スペースにもなっていたようだ。

そして、今年2月。
外観は完成か?
給食室時代よりも丘側のスペースにも建物があって、おそらく車は通れなくなり、駐車スペースも校舎になった。
反対側・正面から遠目に見ると、
ちょっとだけ見える

再び裏側から
右手前のホームのような部分は、給食の輸送車が積み下ろしをする場所。

プレハブ、仮設というからもっと安っぽいものを想像していたが、外観はそれほどでもない。屋根は波打ったグレーなのが安っぽいけど、壁の色は既存校舎と揃えてあって違和感が少ない。
内部構造や居住性はどうなんだろう。そもそも北側の丘寄りで、あんまりいい環境ではなさそうでもあるし…


僕が小学生だった頃の秋田市中央部は、ベビーブームの児童増が過ぎ、かつ郊外へ流出するドーナツ化が進んでいた頃。
校舎は6学年計24学級で設計されていて、昔はそれでも足りなくて、今年度の上北手小のように特別教室も普通教室に使っていたと聞かされた。【18日追記】その後、新設校へ学区・児童を分離。
僕たちの頃は、18学級まで減って空き教室が生じていた。そして今は12学級(しかも少人数学級化)で足りてしまっている。
上北手小も、結局は同じ経過をたどっている途中のようだ。学区も街も、栄枯盛衰があるのは当然なのかもしれないけれど、持続可能なものにするのは難しいのか。
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マックスバリュ第2日曜割引終了

2019-03-11 00:17:12 | 秋田のいろいろ
青森、秋田、岩手、山形各県のイオングループのスーパーマーケット「マックスバリュ」では、毎月第2日曜日は、誰でもほぼ全品が5%引きになる「バリュ・デー」が開催されていた。
それが突然、終わってしまっていた!

という話ですが、少々ややこしいです。
上記4県以外では、マックスバリュブランドでも運営会社が異なるので状況は異なり、上記4県でも別の店舗ブランドでは5%引きが継続される店もあります。それぞれの利用店舗ごとに、チラシ等で確認するのが無難です。

まず、「AEON」の看板を掲げるスーパーでも、ブランドや運営会社は複数ある。秋田など4県では、次の通り。
・運営会社「イオンリテール」=店舗ブランド「イオン」「イオンスタイル」
・運営会社「マックスバリュ東北」=店舗ブランド「マックスバリュ」「ザ・ビッグ」「マックスバリュエクスプレス」
・運営会社「イオンスーパーセンター」=店舗ブランド「イオンスーパーセンター」
上記の違いを知らない人もそれなりにいらっしゃるようだ。「私たちはイオンです」なんてチラシに書いてあるのだから無理もないが、そのチラシの中身も、各店舗の品揃えや値段も、バラバラなのです。

イオンといえば、毎月20日と30日に、カードや電子マネー利用者が全品5%引きになる「お客さま感謝デー」。運営会社や店舗ブランドに関わらず、少なくとも上記全店で実施。
月の前半にはそういう日がないわけだが、独自に実施する店もある。これがややこしい。
・イオン、イオンスタイル、マックスバリュエクスプレス 実施せず
・マックスバリュ、ザ・ビッグ 毎月第2日曜日「バリュ・デー」、「ザ・ビッグデー」
・イオンスーパーセンター 毎月10日「スペシャル十日の市」
イオンスーパーセンターのチラシ
このうち、マックスバリュの「バリュ・デー」が、2019年3月から実施されなくなった。ザ・ビッグの「ザ・ビッグデー」は継続。
※繰り返しますが青森、秋田、岩手、山形各県の店舗だけの話です。それ以外の地域では異なります。

個人的には寝耳に水。今日時点でホームページを見ても「やめます」という文言はなく、最初から存在しなかったようになっている。この週末のチラシにも、やめたことは出ていない。【11日追記】これまで、実施数日前から放映されていたテレビCMは、もちろんなし。
昨日以前は何らかの案内が出ていたのかもしれないが、もう少し説明があってもよかったと思う。
マックスバリュ東北のチラシ
5%割引き分は大事ではあるが、特に電子マネーやクレジットカードで支払うと、その額をあまり意識しないのもまた真実。
イオングループでは、消費税増税(軽減税率導入)を控えて、3月1日から、レシートが外税表示(税抜き価格の合計に消費税額をまとめて加算)に変わった。まだ慣れていないので、今日のレシートも一見、5%引きされている? と勘違いしそう。
さらに、3月10日はレシートで募金できる「幸せの黄色いレシート」実施日なので、レシートを店に託して帰った人も多いはずだから、5%引きされたと思いこんでいる人もいるかもしれない。
マックスバリュ東北の2月10日のレシート
秋田市内のマックスバリュ各店では、昨年、レジの更新が行われ、5%引きの理由が表示されるようになった。バリュ・デーは「一般割引」というよく分からない理由。感謝デーは「会員様割引」と表示。
マックスバリュ東北の3月10日のレシート。30%引きは見切り品の値引き

それに、最近のマックスバリュ東北は、企画の変化が目まぐるしかった。
・1年以上前からかと思うが、第2日曜日以外の日曜日は、ポイント5倍。
・昨年辺りからは、毎週月曜と木曜もポイント5倍。
・少なくとも10年以上前からやっていた、毎週火曜日(※)にスタンプを集めて割引券になる「ピンクレシート」を1月29日で終了。(※一部店舗では土曜日も実施、もしくは青森県西海岸などでは一切実施せず)

ピンクレシート廃止告知では、「3月からは新しい企画を実施します」とか書いてあったけど…
店内やチラシサイト「トクバイ」には、「マックスバリュのお得な1週間!」というのが掲載されている。
それによれば、3月からは曜日ごとに「野菜・果物の日」「日配食品の日」とか重点的に安くするようだ。
また、毎月第2木曜日はポイント10倍になるとのこと。【12日補足・2.3~4.5%相当のポイント還元】【2021年2月で終了。末尾のリンク参照】
ちなみに、マックスバリュエクスプレス店舗では、たしか毎週月曜日がポイント10倍。これもまたややこしい。【エクスプレスの10倍デーは3月11日で終了。他店と同じ5倍になった。】
【11日追記】3月に入った頃からは、「♪ごばばばーい ごばい ごばい」という5倍の日用の歌も作られ、実施日に店内で流れているが、10日は流れていなかった気がする。
【5月12日補足】ここでのポイント5倍とは、基本ポイントを1倍とカウントするので実質4倍プラス。したがって200円につき基本1P+4Pの5ポイント。また、イオングループ共通の5のつく日のポイント2倍、毎月10日の5倍と重なった場合は、重複適用。
【5月31日補足】20日30日5%OFFの感謝デーが月木日に当たった場合は、特に変わらずポイントは5倍になる。これは狙い目。
【6月15日補足】5月は不明だが、6月13日の第2木曜の10倍デーは専用の歌が作られて、店内で流れるようになった。5倍デーと作者は同じ雰囲気がする。5倍の歌は児童合唱と女声コーラスの2パートに分かれているが、10倍は女声コーラスのみ。月に1度しか聞くことができないレアソング。
店内で流れる歌や木曜日の一部商品5%引きについて

上のチラシにも書いてあるように、これからは第2日曜日もポイント5倍になった。
マックスバリュ東北の3月10日のレシート
「ポイントアップ分」は、イオングループ共通で毎月10日にポイント5倍になる「ありが10デー」分。「4倍プラスP」がマックスバリュ東北独自の5倍分。対象額が2円多いのは、買い物袋持参値引き前の価格。

イオンスーパーセンターやザ・ビッグには行かない者としては、残念なことになった。
ただし、ここ数か月は、イオンリテールにおいて、「イオンお買物アプリ」を使った「アプリでおトクな3日間」という、5%引きになるオンラインクーポンを、東北地方限定で月1回(金土日連続)程度実施していて、時期が合えば代わりにはなる。【11日追記】ちょうど3月8~10日にも実施されていた。
【4月14日追記】初回アップの次の月の第2日曜である4月14日には、この記事へのアクセスが増えた。やはり、マックスバリュ東北側の廃止の周知が不十分だったということではないだろうか。なお、イオンリテールの東北限定アプリ割引きは、4月5~7日に実施。【5月12日追記】5月第2日曜も、アクセスが増えた。アプリ割引きは、大型連休のせいか1週間前の4~6日に実施済み。【6月22日追記】6月は20~23日に実施。20日の感謝デー5%引きとの重複適用はなし(文具などはアプリで10%引きになるので、使い分けが必要)。できれば月の前半にやってほしい。
【4月22日追記】小型店舗で別ブランド扱いの「マックスバリュエクスプレス」では、月曜日にポイント10倍を実施しているが、3月11日で廃止。エクスプレスでないマックスバリュと同じ月木日5倍に統一された。

【2024年2月1日追記】その後、2023年末頃からは「iAEONアプリ」に、イオン東北運営のマックスバリュ各店(一部イオンスタイルも含むのがややこしい。要確認)で、火曜日と水曜日に1回ずつ使える、ほぼ全商品5%引きクーポンが毎週配信されるようになった。20日・30日と重なっても配信されるが、重複適用はされない。
上記、イオンお買物アプリのクーポンはなくなったが、同じくiAEONアプリで、月間の好きな1日限定で何度でも使える5%引きクーポンも、毎月配布される(火水よりも先に始まった)。こちらはイオン東北運営なら、総合スーパーのイオン、イオンスタイルやザ・ビッグでも適用。
5%引きの機会が激増したことになり、個人的には大幅改善ととらえる。(以上追記)



ところで、昨年10月、マックスバリュ東北とイオンリテールの「東北カンパニー」が、2020年3月をめどに経営統合することで合意した。詳細は未定。
この話を知った時、第2日曜日はどうなるのかと思ったのだが、これがその結果か。
あと1年。
経営統合するだけで、店舗ブランドや企画は現状維持の可能性もあるが、統合するには詰めなければならないこと、つまりどちらかの店のやり方に、もう一方が合わせることがまだまだありそう。さらなる変化があるかもしれない。

【11日追記】マックスバリュ東北では、2013年新潟県に進出するも、2016年にはイオンリテールに継承して実質撤退したことがあった。その結果、新潟ではイオンとマックスバリュ相当の店で、セールや企画が違うことはなくなっているのだろう。
秋田の地元スーパー「いとく」と「タカヤナギ(グランマート)」は2012年に経営統合したものの、客としては統合の影響や実感はほとんどなく、統合前と変わらず無関係の別々のスーパー同然で、電子マネーは別々に持たないとポイントが貯まらない
いっしょになったのなら、ある程度は統一したほうが、客としては分かりやすくメリットも多いと思うのだが。

【10月11日追記】10月10日付 秋田魁新報経済面よりマックスバリュとイオンリテールの統合について。
10月9日の決算説明会での報告によれば、2020年3月統合は変わっていないようで「議論を重ねている。内容が決まり次第発表したい」とのこと。あと半年ですが。※結局このような形になった
【2020年7月12日追記】統合後も、マックスバリュの店舗ブランドや営業形態・企画等に目立った変更はなく、第2日曜の扱いも変わらず。
第2木曜の10倍は、2021年2月で終わってしまった
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三吉神社と交通局

2019-03-08 00:17:15 | 秋田市営バス
秋田駅の東・広面字赤沼、手形山のふもと、秋田大学の本部と医学部の間に「太平山三吉(たいへいざんみよし)神社」が鎮座する。
秋田県内でも著名で大きな神社で、初詣、1月中旬の「梵天(ぼんでん)」祭、七五三等でにぎわう。

太平山をまつった山岳信仰の神社で、山頂に「奥宮」があって、広面にあるのは「里宮」の位置づけだが、一般に三吉神社といえばここを指す。【8日追記】市民には「みよしさん」と親しまれる。
なお、札幌市中心部に「三吉神社」があり、地元では親しまれているようだが、秋田の太平山三吉神社の分霊とのこと。

弘前の岩木山(いわきやま)神社も、一般に岩木山神社と呼ぶふもとの神社と別に、岩木山(いわきさん)山頂に「奥宮」があるそうだ。ふもとのほうに「里宮」など呼称があるのかは知らない。里宮の所在地としては岩木山神社より太平山三吉神社のほうが、ずっと街中。


今は人もまばらな里宮の社殿
屋根下左の赤いのが秋田銀行から奉納された梵天。隠れているが右にもあり、それは北都銀行奉納。
社殿の左(東)側には、緑色の風よけと思われるネットが張られている。この下が急な斜面になって開けていて、住宅地や大学病院の向こうに太平山がそびえる。
そのネットの前に、銀色のピカピカの小さな物体がある。

小さな鳥居と賽銭箱
神社のホームページでは「太平山遥拝所」という名称で、「霊峰太平山の秀影を遥かに仰ぎ、手を合わせる所です。」と説明。
太平山そのものを拝む場所である。鳥居の先がまさに太平山でふさわしい場所だけど、ネット越しに拝むことになる(夏場は撤去されるか?)。

横には「太平山奥宮のご案内」という、新しそうな看板。鳥居と賽銭箱も、一見新しそう。
ピカピカ
賽銭箱に円形のマークがあるが、太平山三吉神社の紋のようだ。
左下にはライオンズクラブのロゴがあり「秋田東ライオンズクラブ」「1981」とあったはず。1981年に寄贈されたものということか。看板よりはずっと古そう。

そして鳥居。
額には「奉納」。さらに、2本ある横棒のうち下の「貫」と呼ぶほうと、向かって左の柱に、それぞれ文字が彫られている。
貫は「祈交通作業安全」(実際は右から左方向へ)。
そして柱は、
「秋田市交通局職員有志一同」
改めて説明すると、2006年3月まで秋田市には「秋田市営バス」があり市内で多くの路線を運行し、1965年までは路面電車(市電)もあった。それらを運営していた公営企業が「秋田市交通局」。

今や名残りがだいぶ少なくなってしまった、秋田市交通局の名が、こんなところに残っていた。

交通事業者として「交通作業安全」を願うのは当然。
小田急バス(の中古の中央交通)の車内には、深大寺のだるまの交通安全シールが貼られていたし、弘南鉄道弘南線の運転席には、沿線の猿賀神社のお札があった。
公営企業たる交通局そのものなら、政教分離の点で問題だが、職員個人有志(あるいは互助会みたいなのかも)の寄付なら問題ない。(車両にも三吉神社のシールが貼られたものがあったとのコメントを以前いただいていた。それも職員が個人的に貼ったものかもしれない)

市営バスと三吉神社といえば、「初詣バス」があった。
平成初期頃までと記憶するが、大晦日の夜遅くに秋田市内各地(飯島、神田、新屋等)から三吉神社へ向かい、その人たちが初詣を終えたタイミングで戻るバスが特発されていた。

当時の三吉神社前は、普段は中央交通のほうが本数が多かったはず【8日補足・前を通る大学病院経由太平岩見三内、下北手宝川、松崎方面は移管前から中央交通路線。市営バスの大学病院行きはここを通らない手形山経由がメインだった】で、交通局とは縁が薄いかと思いきや、そんなつながりがあった。
中央交通さんは、神頼みしないのでしょうか?
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金砂町の穴の謎

2019-03-06 00:04:12 | 秋田の地理
秋田市中央部を流れる旭川。先日の濁り水発生源をさかのぼると、県立秋田北高校がある千秋公園の丘に続く北の丸のふもと。
その対岸=右岸は、県立秋田工業高校がある保戸野金砂町(ほどのかなさまち。過去の記事)。さらに少しさかのぼるとJR奥羽本線の旭川橋梁。

右岸は川の堤防上の河川管理用通路が、歩行者に開放されている(河川管理者の秋田県さんはどうとらえているのか知らないけど)。
上流方向。右奥に太平山。今回は左側の話題
その保戸野八丁と保戸野金砂町の境目付近では、川がいい具合にカーブしていて、上流方向に太平山がきれいに見える。以前何度か写真をアップした。

以前から、ここを通るたびに、気になることがあった。
ここの堤防の外側には、家並み1列をはさんで、金砂神社前の市道が並行している。その家・市道の高さは、川の堤防と同レベルか少し低い。だから、堤防側から敷地へ出入りできる家と傾斜があってできない家とがある。
市道側。左が川で、対岸の家々の奥にある大きいのが北高

堤防から。奥の白いガードレールは上の写真で写っているもの
ところが、とある場所だけ、家がほぼ1軒分すっぽり抜けていて、堤防や道路よりも地面ががくんと低くなっている。
上の写真の道路側の白いガードレールの下はコンクリートで固められた絶壁で、そこそこ深く、水が流れる溝になっている(通常は枯れているようだ)。堤防側は溝だったり土砂が積み上げられたり。

市道をはさんだ川と反対側には、昔、金魚の養殖場があったそうで、その名残りの池が数年前まであった(埋められて宅地化された)。このくぼみはそことつながっていて、旭川に水が流れこむような感じもしなくはない。
そんなわけで、昔からこういう造りだったのか?、使わない土地ならば埋めて整地して堤防と市道を通り抜けられれば便利なのに…、などとたまに考えながら通過する場所であった。
市道側から。対岸の家並みの奥に千秋公園の北の丸


3月2日【7日訂正】3月1日付朝日新聞秋田版(東北各県に掲載?)の「東北細見」に、驚くべき答えが出ていた。ごくご近所ではどうか知らないが、秋田市民でも知る人は少ない話だと思う。
探検家・髙橋大輔氏による「久保田城下・忍者屋敷/秘密の抜け穴? 忍者の影」。

まず、知らなかったというか意識したことがなかったが、秋田藩にも忍者がいた。その忍者屋敷が、保戸野金砂町に2軒あったそうだ。
弘前藩にもいて、2016年に新たな忍者屋敷の存在が確認されたことが話題になっていた。

金砂町の2軒のうち1軒は、今も末裔が住んでいるが、建物や道具は大火で焼失してしまった。もう1軒が、このくぼみの場所にあった可能性があるという。
根拠として「もう1軒の忍者屋敷の庭には久保田城本丸から通じる抜け穴があり、川の対岸から見えないように工夫されていた」という記録が残っているらしい。つまり旭川の底をくぐって、金砂町と千秋公園の上を行き来できた。
ガードレールそばの絶壁部分を指して、新聞では「水道管が通る横穴」と記述があるが、上水道の管が通っているということだろうか。少なくとも堤防と市道からは視認できない。
その深い穴は対岸から見えないし、その横穴の方向からしても、抜け穴の名残りの可能性があるということであった。
市道から
新聞では、上の写真とほぼ同じ向きで、穴の中が見える写真が掲載されているが、ガードレールの中に立ち入って撮影したと思われる。普通の背丈で道路からでは、穴の底は見えない。
Googleマップ航空写真に加筆。左上の赤い線が深い横穴

地理院地図より。左上の赤い★が穴の場所。地形図上では穴の存在は示されていない
お城へ通じる抜け穴があるというのは、各地によくある伝説で、信憑性は疑わしいものも少なくない。ここも、千秋公園側で穴の存在を示す遺構や史料はあるかは知らない。
しかし、ここの場合、距離的に抜け穴を掘るのはできなくはなさそう。上の地形図下の神社の地図記号がある部分が本丸。
しかも、この区間の旭川は江戸時代に付け替えられた人工の川(本来は千秋公園寄りを流れていた)。
川の工事といっしょに抜け穴を作ったとすれば、説得力とリアリティーがあるのでは。

再び堤防から
上の写真手前は、堤防と同レベルで土が平らにされている。こうなったのはつい最近で、数年前まではもっと凸凹して草木が生えていたはず。何か建つのかと思ったが、気配はない。
ここが絶対に忍者屋敷と抜け穴の跡だということではないようだし、このまま残しても意味は薄いかもしれないけど、どうなるんだろう。

見慣れたものでも、知らないことがまだまだあるのだと、今回もまた痛感させられた。
【8日追記】秋田に、1.忍者がいて、2.お城とつながる抜け穴が存在し、しかもそれらが3.自分が知っている場所にあったという三重の驚きであったが、ずっと不思議だった土地の謎がある程度分かったことである程度納得できたのがよかった。
※この土地は私有地だと思われ、さらに転落の危険もあるので、立ち入らないようにお願いします。【6日追記】市道は狭くカーブしているため、車や自転車にも注意してください。
【8月21日追記】いただいたコメントよれば、この場所に、かつてはマンションが建っており、この高低差を利用した地下駐車場があったとのこと。【11月22日追記】国土地理院の過去の空中写真(航空写真)で確認すると、1999年5月にはそのマンションらしき建物(敷地川寄りに建物があり、道路側にはなし)があり、2009年9月には解体されて現状と同じかそれに近い状態になっていた模様。
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