広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

井川と盛岡のバス

2019-01-31 00:00:42 | 秋田のいろいろ
写真なしでバス2題。

1月中旬、西東北日野自動車秋田支店に、ナンバープレート取得前の新車らしきバスが置かれていた。
大型バス「ブルーリボン」で、2年ほど前のフルモデルチェンジ後は秋田県内ではバス会社は未導入、自家用でもおそらくなかったか。同設計のいすゞエルガを含めても。【2月2日訂正・いただいたコメントによれば、県立学校のスクールバスに昨年、エルガが入っているとのこと】
塗装は真っ白で文字もない。
ただ、紙が貼られていて「井川町様」とあった。南秋田郡井川町役場が買ったようだ。

井川町では町立義務教育学校(今年度から小中学校を一体化)の通学用スクールバスを運行している。
中央交通子会社の秋田中央トランスポートに委託していて、2台の専用車両で運行。いすゞキュービックの秋田22い801と802で、正面に行灯(トランスポート表記)があって、行き先表示はなく【2月2日補足・表示器スペースが埋められているのではなく、スペース自体がなくてフロントガラスが上へ拡大された形】、中央でなく後方に折り戸があり、車体には虹色の帯が巻かれ(沖縄のバス会社のものに似ているとか)るという、特徴的な車で、愛好家にはそこそこ知られていたそうだ。

今年度、801のほうが引退し、代わりに西東京バスがスクールバスとして使っていた中古を導入(13-41)。【31日補足】富士重工ボディのいすゞ。白に線が入ったような当たり障りない外観(西東京バス時代のまま)。【4月23日補足】明大中野八王子中学高校のスクール用だったとのこと。
ということで、802の後継がこの新車なのかもしれない。
町議会で、スクールバス購入が議決されたという情報もあった。

新車は、たぶんノンステップ。座席は1人掛けも多そうで、秋田の新車では異例の三角(五角形)のつり革。中央部に引き戸もあって、そのまま路線バスにも使えそう。
正面にはLED表示があるように見えるが側面にはなく、車椅子マークはあるがベビーカーマークはない。

秋田の路線バスで、この車種に乗ることができる日はだいぶ先になりそうで、その点ではうらやましい。

【2019年3月10日追記】その後、井川町教育委員会のFacebookページ(ってのがあるんだ)に、2月13日付で「新しいスクールバスが納車されました。」とアップ。写真も掲載され、まさに↑この車だった。
ただし、車体は白ベースながら、ピンク色で桜と思われる花(花弁のみ)が大きくあしらわれ、正面右下や側面後部には(後部は不明)「井川町」の文字が追加されていた。
正面はLEDで「スクールバス」と表示している。ノンステップ、降車合図ボタンはなし。自家用登録のようで「秋田230さ20-18」。2018「年度」ってことでしょう。



盛岡市内で2月から、大型電気バスが営業運行を始める。
岩手県交通が盛岡駅‐イオンモール盛岡南の路線に1台を導入。平日ダイヤでは77便中18便に充当。【2月2日追記・片道3キロ】
塗装は黄緑系の専用デザイン。
そして車は中国のBYDというメーカーの「K9」という56人乗りノンステップ。
既に京都や沖縄で走っているようだ。

これは自治体とか行政は関わらず、県交通が独自に入れるのだろう。【2月2日追記】報道によれば、国の補助金は受けている。
中国という偏見を別にしても、外国メーカーではメンテナンス体制が不安だけどどうなんでしょう。

そしてお隣某県が開発していた電気バス・エレモ秋田とかいうのはどうなったのかしら…
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随時メモ

2019-01-21 23:50:12 | その他もろもろ
再開が滞っているので、それまでの間、ブログネタになりそうなことを随時メモしておきます。
●新駅認可 ※以前の記事
秋田市中央部と北部の間の奥羽本線の新駅計画。
なかなか進んでいないように見えていた中、国土交通省から認可を受けたことが発表された。
今年着工、2021年3月開業。

まだ2年あるけど、ここまで来ればすぐでしょう。
乗り入れるバス路線、駅施設に転用され道路としては廃止されるアンダーパスのことなど課題は残る。
それに駅名。
10年以上前に、魁で新駅構想が報道された時は、この駅に「羽後いずみ」という仮称が付いていたとか。
当時の段階で、仮称であっても、もう駅名が決まっていたとは考えにくく、JRの内部資料の遊び心を魁が真に受けてしまった結果のような気がする。さらに、鉄道愛好家がそれを真に受けて、ネット上で多少広まっている。
今の時代に旧国名の羽後を冠するのは古臭いし、駅新設には泉地区よりも外旭川地区が熱心な印象だから、泉だけを駅名に使うのは不公平かも。

今回の資料では、仮称「泉外旭川」駅とされている。【22日追記】今回の報道では仮称をそのまま伝えるところばかりで、正式名への言及は見かけなかった。
公募するにしても、井川さくら、岩城みなと、あきた白神みたいな気の利いたネーミングは考えづらい立地。高輪ゲートウェイみたいな奇妙なのにされても困る。
外旭川(そとあさひかわ)はやや読みにくいけど、泉外旭川が妥当なところでは?
【22日補足】泉外旭川は、燕三条と同様に駅周辺の地名をそのまま合成した駅名ということになる。

【27日追記】1995年12月に開業した井川さくら駅の名称が決まったのは、同年1月25日だった。
【2月2日追記】新駅は「秋田駅の北に位置する」から、「北秋田駅」を思いつく人もいるかもしれない。でも、もっと北の「北秋田市」と紛らわしいし、「秋田市の北(北部)」という意味では、少し北の土崎方面を連想する市民が多いので地理的にズレる。この2点から適切ではないと思う。
あとは、コメント欄でも触れたように、所在地の「菅野(すがの)」、少し離れたところにある古刹「天徳寺(てんとくじ)」も考えられる。だけど、前者は地名としてマイナーだし、後者は距離的にちと苦しい。なかなか難しい。

続きはこちら


●新幹線新改札機?
しばらく秋田駅中央改札口に行かないでいたら、変化。
新幹線側の自動改札機が従来より内側に移設されていて、従来の位置には同じくらいの大きさの白い箱が置かれた。
箱の中に新しい改札機が入っているようにも見える。
【2月2日追記】その先にある在来線側と新幹線側を行き来できる乗り換え改札口では、既存の改札機が横に移設されて稼働していて、本来の位置は何もなくて柵で囲われた状態。
その後、やはり更新された。


●ABS新社屋
秋田駅西口に新社屋建設中の秋田放送。
もう西側の壁が現れ、アンテナも組まれ始めた。
アンテナは予想図にも出ていたように現社屋のに似たもの。壁は濃淡の黒っぽい組み合わせで今はやりなんだろうけど、今のところなんとも言えない。
【2月2日追記】2月に入ると、建物正面側も姿を現した。

ここまで1月22日アップ。
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パソコン故障のため…

2019-01-17 16:54:35 | その他もろもろ
ブログ作成に使っているパソコンが故障したため、新規投稿はしばらくお休みします。
今しばらくお待ちください。
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雄物新橋にトケボー

2019-01-14 23:21:50 | 秋田の季節・風景
雪がすっかり消えた秋田市。13・14日は秋田の冬にしてはまれな晴天続きとなった。
雄物新橋から雄物川・秋田市街地越しに太平山
秋田市南西部・新屋(あらや)地区で日本海に注ぐ大河・雄物川(おものがわ)。河口から2番目が秋田県道65号の「雄物新橋」。
以前、この橋付近から左岸(狭義の新屋地区側)伝いに河口を目指して断念したり、左岸沿いの坂の上の市道にあるバス停「浜街道」を取り上げたりした。

逆光の雄物新橋左岸(秋田では使わない言葉だけど「南詰」)
この橋両岸の道路は、橋の先で突き当たりになって、左右とも上り坂。
上の写真の左岸側も、左が県道で先でさらに秋田大橋方向へ分岐、右が浜街道・河口方向。見通しが悪く、信号機もなく道幅も広くはなく歩道もなく、通行に少々気を使う地点。

上の写真左側の路肩に、なんかタンクっぽいのが置いてある。
そういえば、昨年12月末頃に通った時にも気がついたが、工事関係の機材だろうと気にも留めないでいた。
しかし今は、あることが頭をよぎった。アレでは?

秋田市中央部の市道・千秋トンネル内に設置され稼働を待っている、定置式凍結防止剤散布装置「まきえもん」である。
ここも路面が凍結しやすいし、対岸と違ってロードヒーティングも入っていないはずだから、設置されてもおかしくない。
まきえもんのボディカラーは黄緑だけど、橋のトラスに合わせて色を替えたのか? だけどボディの形状はまきえもんと違う(実物はカバーがかかっててまだ見てないけど)ような?

反対側。右の箱は、以前からある小分けされた砂が入っている砂箱。スリップしたら取り出して使ってよい
まきえもんは交換式のバッテリー駆動だそうだが、これにはソーラーパネルが付いている。
台座は千秋トンネルのような立派なものでなく、パイプを組んだ簡素なもの。

太陽光が強く、道が狭く、車も多く、じっくり見たり撮影したりできなかったけど、なんとか正体が判明。というかボディに名前が表示されていた。
「トケボ~ TOKEBO」だって
山形市にある日本地下水開発株式会社の「凍結抑制溶液自動散布装置『トケボー』」であった!
ボディには「テラル株式会社」のラベル(検査済証など)も貼ってあった。広島のポンプなどを製造販売する企業。

まきえもんのライバル製品なのだろうが、完全に競合するわけでもない。
まきえもんは「凍結抑制剤」つまり粒状の固体を散布するのに対し、トケボーは「凍結抑制溶液」だから液体を散布。
まきえもんはバッテリー交換が必要。トケボーには太陽光パネルがバッテリーにつながっているそうで、電源に関してはメンテナンスフリーのようだ。晴天が少ない時はどうなるか分からないし、溶液の補充は必要だけど。トケボーでトンネル内に散布したい時は、本体を外に置いて、ノズルを中に伸ばす方法。
そして、まきえもんは「定置式」なのに対し、トケボーは頭に「可搬式」を冠する場合もあり、必要に応じて移動や撤去できることを売りにしている。重量は250キロ。
まきえもん、トケボーとも、温度センサーやタイマーに応じて散布可能。人や車を感知できるのはまきえもんだけ(オプション)。


融雪剤を自動散布できるまきえもんの存在を知った時も驚いたけれど、液体の融雪剤があることも知らなくて、トケボーにもまた驚いた。
でも、一見、どこから液体が出てくるのか分からないが、脚のパイプと一体化したように、
ヒモで結ばれている塩化ビニールっぽい管にノズル
ノズルが4つあり、通る車のタイヤで延ばされることによって100メートル以上の範囲に効果があるとしている。

メーカーのサイトによれば、トケボーは「国土交通省山形河川国道事務所の委託を受け、共同開発したもの」とある。山形県内に多く、東北地方他県にも設置例がある。
ネット上の一般の人たちは、まきえもんの存在を取り上げるものは多いが、トケボーは1件だけ。全国的にはそれほどでもないのかな。

向こうに秋田大橋が見えている
雄物新橋のトケボーの前には、「歩行者の皆様へ」とした同じ内容の看板が2枚設置。
道路管理者である秋田県庁の出先機関「秋田地域振興局」名。本来ならば「秋田県 秋田地域振興局」と表記しなければならない。

内容はこの時間に散布するから、十分注意しろというもの。
「融雪散布機の融雪剤散布時間」というのが分かりづらい。僕がそうであったように、融雪剤と言われれば普通は粒状のもの。まさか液体が出てくるとは思わないだろうから、その点も知らせてほしい。
散布時間は5~6時、15~16時、21~22時だそう。15~16時は通る人がいてもおかしくない時間帯。
そもそも、「十分注意」と言われても、どう注意すればいいのか。「びっくりするな」「我慢して通れ」ということでしょうかね。まあ、この点はしょうがない。

雄物新橋左岸のトケボーの効果はいかほどか。
対岸のようにロードヒーティングの設置工事をするのがいちばんなんだろうけど、道幅が狭いとか容易にはできないのだろうか。
でも、こちら岸のほうが北側が開けているし、南側は丘の陰で日当たりもあまりよくないから、寒風をまともに受けて凍結しやすいかもしれない。
日当たりといえば、その関係でソーラーパネルが南東向きになっている。充分な電力が得られているかな。
東側から。西日が当たっている。左・南は丘の陰
まきえもんのほうは、散布車と同じような感じで粒がまき散らかされるのは想像がつく。トケボーは、どういうふうに出てくるんだろう。チョロチョロなのか、ピューなのか、ドバドバなのか、人や車に直接かからないような出方だろうけど。1時間ずっと出続けるのか、1時間のうち限られた時間なのか。


まきえもんとトケボー。ネーミングとしては、まきえもんのほうがその機能が分かりやすい。由来は、ドラえもん? ホリエモン? 柿右衛門?
トケボーは、“融け坊”ってことなんだろうか。とすれば由来は赤塚不二夫の「ハタ坊」?

【15日補足】トケボーは可搬式であり、現地の環境からして、オフシーズンは撤去するものと考えられる。また、昨シーズン以前からここに設置されていた可能性もある。
【3月8日追記】いただいたコメントによれば、この後、2019年3月上旬の時点で撤去された。また昨シーズン以前にも設置されていたとのこと。
シーズンオフのトケボーの姿
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鶏めし関東撤退/まぐろ駅弁

2019-01-12 19:59:37 | 各地お土産・食べ物
公式発表や報道から、秋田と青森の駅弁2題。

秋田県北部・JR奥羽本線大館駅の名物駅弁、花善の「鶏めし」。
昨年は、JR東日本の企画でパリで出張販売された(日本でも販売)が、それと同時期に、花善自身の現地法人がパリにでき、パリで常時鶏めし(日本と同一ではない)を売ることになった。それをきっかけにフランスからパリ【14日訂正】秋田へ人を呼びこみたいという。
たしか、大館出身で、小樽の大学を休学中の人が中心になっているとかいうことだったが、すごい。

1月11日付秋田魁新報 経済面のインタビュー連載「飛躍の年に」に、今年創業120年を迎える花善社長の話が載っていた。
それによれば、年間70万食を売り上げているそうだ。
驚いたことに「昨年11月には、思い切って関東圏の駅での販売をやめた。」。
理由は「「輸送費をかけて数え切れない他の駅弁と競うよりも、秋田でしか食べられない味の方が強みになる」と考えた。」

花善の公式ホームページを見てみると、明確に「関東では売るのやめました」との記載はないが、販売箇所の一覧には、関東のものは載っていない。
以前は、東京駅の「駅弁屋 祭」や大宮駅などの「旨囲門」が出ていたはずだけど。なお、仙台駅や岩手県、青森県での販売は変わらず。

昨年11月4日付の読売新聞のサイトにもインタビューが出ていて「東京駅の店舗は9月末で撤退し、首都圏の店舗は順次閉店する方針」とあった。魁と総合すれば、11月をもって完全撤退ということで、上記パリ仕様の駅弁を売っている途中だったことになる。

ほんとに思い切った決断で、「もったいない」とも思ってしまった。
たしかに、首都圏の駅弁屋には、最近は東日本エリア外も含めて各地の駅弁がたくさん並んでいる。し烈な競争があるのだろう。
その中で花善の鶏めしは、特に最近は知名度が上がっているはずで、充分やっていける駅弁だと思う。
相反するけれど、首都圏では大館の鶏めしの知名度は、まだ伸びる余地があるとも思う。パリから人を呼ぶように、それによって首都圏から秋田へもっと人を呼べそうなのに。
ツイッターを検索してみると、祭での取り扱いをやめたことを知って惜しむ声が、数件。公式情報がなくて「やめたのかな」という推測する声もある。

やはり首都圏にいながらにして鶏めしを食べたいという人はいる。首都圏以西の人が、秋田まで行くには遠いけど、東京に出てきた時に買うといったこともあるだろう。
関東撤退は花善さんの判断で口をはさむ余地はないとしても、そのことはちゃんと告知してほしい。首都圏の客の印象を悪くさせることになりかねない。
【14日補足】たくさんある他社の駅弁には目もくれず、花善の鶏めしだけを目当てに東京駅などへ出向く客だって、数は分からないがいたに違いない。そういう人たちへの案内はあってしかるべきだろう。


それにしても、祭や旨囲門へ輸送して売る駅弁って、その輸送費は誰が負担しているのかと思っていたが、(全部か一部かは別として)製造側が負担していたことになる。
大館からは航空便になるだろうし、トラックで運べる関東近郊の業者との消耗戦になっていたのかもしれない。

でも、それを言うなら、大館から秋田市まで100キロを、あるいは盛岡や仙台まで輸送しているのはどうかということになるし、やっぱりパリで買えるのに東京では…ということにもなるし。
大館でできたてを買うのがいちばんおいしいのはたしかだけど。

そういえば、現在、京王百貨店新宿店で、恒例の国内最大規模の駅弁大会が開催中。
それには花善が参加している。2週間のうち前半は実演販売、後半は輸送で整理券対応。

【2023年4月7日追記】その後も、関東で鶏めしが発売再開されたという話は聞かない。しかし、2023年3月の東京駅 駅弁屋 祭では、なぜか販売されていた。


1月10日付のJR東日本秋田支社のプレスリリースで、新しい駅弁が同日から発売されることが分かった。発売当日の発表とはなんとも…
「青森県産本まぐろ使用 本まぐろ御膳」1300円。
五能線沿線の青森県深浦町では、地元で水揚げされるマグロを使った「深浦マグロステーキ丼」がご当地グルメ。それをはじめとするマグロ料理をいろいろ楽しめる弁当。深浦町が監修。

リゾートしらかみの乗客向けに、五能線関係の駅弁はこれまでもいくつか出ている。
ただ、沿線に駅弁業者がないこと、リゾしら以外には需要が極めて少ないという制約があるためか、秋田駅の関根屋や沿線の飲食店または観光施設が製造し、五能線の駅では売らずに秋田駅や車内販売、もしくは予約販売というものだった。

これも、深浦駅では売らず、リゾートしらかみ2号の車内販売、同4号の事前予約販売、新青森駅、盛岡駅での発売。
製造元は、最近は青森駅弁でがんばっている、工藤パン系列「幸福の寿し本舗」。
後述の新聞記事によれば「1日50~100食の販売を想定」。

これまでは、秋田発のリゾートしらかみ下り列車での駅弁がメインだったと思うが、青森側からの上りの駅弁はあまりなかったかもしれない。
そんなわけで秋田では買えないなと思っていたら、1月11日付秋田魁新報 県北地域面に記事が出ていて、製造元は輸送体制や販売状況を見て「今後秋田駅での販売が可能か検討したい」と話していた。
仮に実現すれば、秋田駅に新たな駅弁業者参入となる。
やはり輸送には障害が少なくない予感がするから、かなりの人気にならないと、実現しないかも。人気になれば、それこそ首都圏でも売られよう。

全国的にみても、マグロがメインの駅弁は多くなさそう。八戸の吉田屋(今は販売終了?)、関東近辺や和歌山方面にちらほらある程度で、マグロ料理いろいろを組み合わせたものは他になさそう。
僕は魚介たっぷりかつ高級な駅弁は好まないが、深浦のマグステ丼の話は聞き及んでいたし、これはちょっと食べてみたい。内容からすると高いとは言えないかもしれない。
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千秋トンネルにまきえもん?

2019-01-09 21:13:52 | 秋田の季節・風景
この記事はじめ、何度も取り上げている「千秋トンネル」。
秋田市中央部・千秋公園の下をくぐる、1978年12月に開通した長さ189メートルの秋田市道。ジェットファンの撤去、照明のLED化、老朽箇所の補修が行われながら40年を迎えた。
昼間なら歩行者も珍しくなく、市民生活に欠かせないトンネルだが、相変わらず「心霊スポット」として扱われているのは不本意。
心霊スポットだと言う人たちは、少なくとも、昼は人も車も通り、LED化されて明るい今の千秋トンネルを知っているのだろうか。ツイッターで自動投稿する「心霊ボット」的なものでも繰り返し投稿されてしまっているようだが、なんとかならないものか。【10日補足】今現在騒ぎ立てている人たちは、「公園周辺なので木が多く人家がない部分もあり、夜は暗くて人が通らない」という当然の事実と、「ナトリウムランプで薄暗く見え、なんとなく怖い」という昔の情報の受け売りだけを根拠にしているように思えてならない。

さて、昨年12月中旬。千秋トンネルの歩道部分で、何かの工事中。
手前の筒は「オリオンジェットヒーター」
歩道の車道寄りに細長い箱状のものが設置され、そこを密閉して、温風を送りこんでいる。
のぞくと、中で高さ数十センチほどのコンクリート製の「台」を作っているらしい。トンネル内の道は緩い坂になっているが、台の天面は水平が取られている。
トンネル内で片側につき2つずつ、計4か所、同じものが作られた。両側とも、車道を基準にしてトンネルに入ってすぐのところと、出口の少し手前。

その分、部分的に歩道が狭くなってしまう。広さは十分なのでジャマではないが、この物体を避けようとした自転車が歩行者と交錯してしまう危険はややある。
台だけに上に何かを置いて、それはトンネルや道路のために必要なものではあるのだろうが、具体的に何のための物体か知りたいところ。あっても良さそうな「○○を設置しています」の看板は見当たらない。
やがて、やはり台の上に箱が置かれた。でも、シートに包まれていて正体不明。

現在の状況。
相変わらずシートのまま
シートの下の物体は、高さは均一ではなく、高い部分と低い部分がある。したがって、ロードヒーティングか何かの制御盤のようなボックスではなさそう。
写真では分かりづらいが、台の前後に1本ずつ棒が設置された。
茶色い棒にコードがつながっている
棒の先には、
センサーらしきもの
シートで覆われた物体の前後どちら側のセンサーも、物体から見て外側方向を向いている。
センサー裏側
裏面には「センサー感度調整方法」の説明書き。それによれば、人や車の存在を検知するセンサーのようだ。
注意書き部分には「常に赤LEDが点灯していると薬剤の散布を行わないので注意して下さい。」とある。「薬剤の散布」???
センサーの底部に銘板があった。
「長野工業株式会社」製、「KBS-005」
情報はこれだけ。ちんぷんかんぷんながら、ネットで調べたら分かった。

「KBS-005」はマイクロ波センサーで、同社自身が販売するわけではなく、他社にOEM供給しているらしい。OEM先は、シートの中の物体のメーカー。物体のオプション扱いの「人・車センサー」。
そして、その物体本体は「まきえもん」。
パンフレットより
「まきえもん」とは、株式会社前田製作所の「定置式凍結防止剤散布装置」。長野工業も前田製作所も、長野県の企業。
充電式バッテリーで駆動し、温度やタイマーに応じたタイミングで、凍結防止剤を路面に散布する。センサーが人や車を感知した時は、散布を後回しにする。
スタンダードタイプとコンパクトタイプの2機種があり、コンパクトタイプ DSF020-3Cが、千秋トンネルのシートの下の形状と一致する。(上のパンフレット右上の写真だが、一部カットされている)
そういわれれば、シートのすき間から、ボディカラーの黄緑色が見えていたかな。

道路の雪対策は排雪作業だけでなく、「凍結防止剤(凍結抑制剤)」の散布も行われる。通称「融雪剤」。
専用の散布車とか、人力でまくのが普通だけど、常設の自動散布機があったとは知らなかった。
そういえば、黄緑色の箱をどこかで見たような気もするが、見たとしてもそんな機械だとは思いもしない。
パンフレットでは、(千秋トンネルではない)秋田県内のトンネル内の設置例も載っているから、あるところにはあるようだ。全国的には露天の坂など道路にも設置されている。


千秋トンネルの設置位置とまきえもんの性能からすれば、車道にだけ散布する。散布するタイミングに歩道を人が歩いていても、まきえもんの裏側に当たるので、直接浴びてしまうことはないだろう。
なお、いったん散布動作に入ってしまうと、センサーが感知しても動作を止めることはできないそうだ。
トンネル出入り口は凍結しやすい場所だし、2018年3月2日には、西行き車線で10台がからむスリップ事故があった。それを受けて、まきえもんを導入することにしたのだろうか。


さて、ここ数日の秋田市は、新たな積雪はほとんどないが、気温は比較的低いまま推移している。
その結果、通行量の多い車道はすっかり路面が露出した一方、多くの歩道や生活道路はツルツルテカテカ。今日など、沿道の塀につかまらないと転びそうで歩けない道もあった。
【10日補足】秋田県内陸南部などでは積雪が増加。中でも湯沢市は90センチほどまで増えた。
千秋トンネル手形側入口。右上が明徳小学校
これも昨年のスリップ事故の影響だと思われるが、「路面凍結によりスリップ注意」の立て看板が入口手前に設置された。でも、この時点では車道は乾いていて、入口の情報表示板に「走行注意」は点灯していない。
歩道はトンネル内は乾燥、前後の外はテカテカだけど、写真の南側・手形寄りは、一定の幅で路面が出ている。前も述べたように、近くのおじさんがひとりで一生懸命に除雪または氷割りをしてくれているのだ。おかげで歩きやすい。トンネル内と合わせて、ひと息ついて安心して歩ける数百メートル。

明日は8度で雨になるが、その後もまだ雪は積もって凍ることもあるだろう。
今こそ、一刻も早くまきえもんのシートを外して稼働させる時では?

【9日追記】心霊スポット派のために、まきえもんに凍結抑制剤でなく純粋な塩をセットして散布したら、お清めになっていいかもね。通る車は非常に傷むけど。

※秋田市内にまきえもんのライバルも存在した!
千秋トンネルのその後
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工藤口取り 松

2019-01-08 00:22:52 | 各地お土産・食べ物
青森と北海道限定の正月の風習として「口取り菓子」という、和菓子の存在が挙げられる。
これまで、そのことがいまいち理解できないでいた。
「口取り」は正月に限らず和食とか茶道で使う言葉のはずだし、全国的なお節料理セットにも、和菓子がちょっと入っていることが多い。
それに、秋田のスーパーでも、正月用に和菓子が売られる。地元のたけや製パン、北海道の日糧製パンのものが多い(どちらもヤマザキ系)が、正月らしいめでたいアイテムの形の練り切り(上生)が2~4個くらいセットになったものをよく見る。
そういうのとの違いがよく分かっていなかった。

今回、弘前の店を見て、青森の口取りについて、多少理解できた。
大みそかの夕方、ベニーマート松原店へ行ってみた。19時の繰り上げ閉店の2時間ほど前で、既に値引きされていたものの上に「半額」シールを貼っているところだった。
口取り菓子コーナーには、5種類くらい並んでいたが、半額だから思い切っていちばん高いのを買ってしまった。
口取り 松 8個入り1145kcal 下はPETボトルのキャップです
おなじみ工藤パン「工藤の和菓子」マーク入り。800円ほどのものを半額。
賞味期間は1月7日まで。だからイトーヨーカドーなどでは、まだ3割引き程度だった。ベニマでは、売り場を空けたくて、早々に半額にしたのかもしれない(鏡餅はまだ値引いていなかったが、在庫は少なく場所はふさいでいなかった)。

秋田に多い同じサイズの上生2~4個入りよりも、青森ではこのような大きな容器に違うサイズのものをセットにしたタイプが、口取り菓子の主流のようだ。まずは、これが大きな特徴だろう。【8日追記】このような菓子セットは、秋田市内の店ではまず見かけないと思うし、たけや製パンでは製造していないはず。

これは8個入りとなっているが、形が同じなのは2つだけ。
内訳は、松、鯛、海老、竹、サクランボが練り切り。「壽」の下は羊羹。色違い2つの渦巻きについては後述。
サクランボは2つに見えるがくっついていて、ヘタはプラスチック。松竹梅と鶴もプラスチックの飾り、「壽」は紙。品質保持剤のシリカエタノールも入っている。


練り切りは、形が違っても味は同じ。中は黒いこしあん。
秋田では、しなしなっとした食感の鯛のお菓子を通年で見かけるが、それではなく、ちゃんとした上生の食感と味。
あんこ好きの我が家では、好評。とてもおいしい。

渦巻きは、落雁のような干菓子に近い「雲平(うんぺい)」かと思った。
だけど、これは違う食感。雲平を餅っぽくしたような感じ。ちょっと硬く、粉っぽいような気もしたが、緻密な餅みたいで、食べているとクセになりそうな不思議なお菓子だった。


工藤パンのこれは「松」であることから想像が付くように、「竹」と「梅」もあった。むしろ松は置かずに竹や梅を扱う店が多そう。
松竹梅の違いは、お菓子の個数の多~少。鯛、海老、壽羊羹はどのセットにも入っているようだ。
ネット上の情報によれば、工藤パンの口取りセットは、東京の青森県アンテナショップでも売るらしい。

同じようなセット品が工藤パンのほか、日糧製パン、そしてベニマでは「かさい製菓」のものもあった。
かさい製菓は、バナナ最中を作っている弘前のメーカー。最中の皮状のお盆の飾り「盆とうろう(※下のお供え詰め合わせのリンク先参照)」も製造していて、それは秋田のたけや製パンの盆とうろうと、モノも袋もそっくり(どっちかのOEMってこと?)。


改めて考えてみれば、こういう形の口取り菓子では、切り分けないといけないし、お節のデザート的に食べるのは不便。
調べてみると、北海道や青森の口取り菓子は、本来の食材が入手しづらかった頃、やはり貴重品ではあったが砂糖を使ってそれらをかたどったのが起源らしい。
お節のデザートでなく、お節本体の代用というのがもともとのようだ。

さらに、少なくとも青森では、このセットを仏壇に供える家庭が少なくないようだ。
また、年末の弘前のスーパーの中には、お盆や彼岸に工藤パンが販売するのと同じ、まんじゅう類のお供えセット(お供え詰合せ(大))を売るところもあった。【8日追記】自分で過去記事に追記していて忘れていたけど、過去には秋田のスーパーでも正月に同じセットが売られていた。最近はどうだろう。あるとしても目立たない。つまり、やはり秋田では正月にさほど仏壇にお供えする風習はないということではないだろうか。

津軽では、お寺に初詣に行く人も多い。
家庭によっても違うでしょうけど秋田では、正月は仏壇に明かりを灯すくらいで、別段、特別なお供えなどしないことが多いのではないだろうか。それに、正月にお寺に参拝する風習も、まずないと思う。
津軽の人たちは、正月もご先祖を大切にしていて、そのために口取り菓子が存在するのかなとも思った。


由来の邪推はともかくとして、入れ物が大きくて持ち帰るのにジャマだったけど、しっかり練ってあるせいか傾いても中で動く【9日追記・8個が緩やかにくっついているので、箱の中でバラバラにもならずに】だけで、変形しなかった。
きれいで、おいしく、お得な口取りセットでした

翌年は「竹」を購入。 2021年正月は「梅」。リンク先後半。
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昭和最後の思い出

2019-01-07 00:40:18 | 昔のこと
30年前、1989(昭和64)年1月7日に当時の天皇陛下が崩御され、昭和という時代が終わった。その思い出。
※「崩御(ほうぎょ)」とは天皇が死去すること。ちなみに一定範囲の皇族の場合は「薨去(こうきょ)」と呼ぶ。最近(2010年代)のマスコミは、そうした方々が亡くなっても「ご逝去」と伝えることが多い。一般人でも使う「逝去」のほうが分かりやすいという判断なのだろうが、敬意という点ではどうなんだろうか。
※「昭和天皇」は「追号」という、戒名のようなもので、崩御後の呼び名。「元号+天皇」の呼称を、在位(存命)中に用いるのは不適切。

その年、僕は小学校6年生。世の中が多少は分かってきて、興味も出てきた頃。その年度の秋にさかのぼる。
9月19日・月曜日の夜、天皇は大量吐血。療養と昭和の終わりが始まった。

翌日9月20日から、連日、天皇の病状が報道される。
ものすごくあいまいな記憶だけど、9月20日は、秋田市では先生たちの研修会で学校が休みだったような気がする。
【5月2日追記】平成最後の2019年4月30日にバスに乗っていると、小雨でワイパーが動く音が聞こえ、それによって昭和が終わるきっかけとなった1988年9月20日の記憶がよみがえった。
当日はやはり学校が休みだった。午前中に皮膚科医院へ通院。診察を終えて外に出たら、激しい雨。秋田市営バスに乗った(初代日野ブルーリボンである161・162号車のどちらかだった)ら、ワイパーが高速で動いていて、バスのワイパーってけっこう大きい音がするんだなと思った。
1988年9月20日の気象データを調べると、6時から18時(昼)の天気概況は「大雨」。10~12時にも、毎時4~5ミリ降っていて、記憶と一致する。(以上追記)

報道では、「何時現在の陛下の呼吸数は~、心拍数は~」とか「若干量の吐血」「何ccの下血」といったことまで伝えられた。

NHKのニュースでは、皇居前(二重橋かな)から社会部の記者のレポートが入ることが多かった。
よく出ていたのは、吉村記者(2000年定年退職した吉村秀實氏?)と池上記者。
池上記者とは、あの池上彰氏。この翌年からキャスターに転じ、ダジャレを言ったり、子どもニュースを立ち上げたりしていくことになる。

これを受けて、世の中では「自粛」ムードが広まる。
井上陽水が「お元気ですかぁ」と言う日産のテレビCMで、その音声が消されるとか、忘年会や年賀状を控える動きがあったそうだが、子ども心にはほとんど印象がない。バブル景気のさなかだったので、自粛の中でもどこか浮かれていたというか、極端な影響はなかったのかもしれない。
土地によっては学校行事にも自粛が及んだらしいが、秋田市ではそのようなことはなかったはず。秋の徒歩遠足や学習発表会(旧称・学芸会こと学芸発表会。母校では1985年度から改称)は、例年並みに実施された。学区内の児童館の増築が竣工して、そのささやかな記念行事に出たこともあった。
もちろん、秋田の小学生の日々の暮らしはこれまで通り。6年生だから社会科で、戦後の歴史や日本国憲法のことを習う時期だったかもしれない。この件についても何らかの説明があったと考えるのが自然だが、記憶にない。
家族で横手公園に「よこて菊まつり」を見に行ったのも、この時期のはず。

1988年といえばオリンピック。ソウルで開催され、鈴木大地(現・スポーツ庁長官)のバサロ泳法、カール・ルイスとベン・ジョンソンの対決などに沸いた。【3月19日追記】この10年後に若くして亡くなるフローレンス・ジョイナーの活躍も。
今まで、ソウル五輪はもっと早い時期、つまり(近年のように)8月とか夏の開催だったと思いこんでいたが、実際には1988年9月17日から10月2日開催。
つまり、開幕早々に倒れられたのだった。まだ、自粛が広がっていなかったのだろうか。【7日補足】感覚としては、「ソウル五輪が終わってひと段落してから、天皇が倒れられた」という時系列だった。

当時、フジテレビで月曜20時から「志村けんのだいじょうぶだぁ」という番組が放送されており、その中に「ウンジャラゲ」があった。みんなで並んで、歌に合わせて踊るという他愛のないもの。元は「ハナ肇とクレージーキャッツ」の歌と踊りをカバーしたものだそう。
おそらく9月19日(ちょうど月曜)より前に放送は始まっていたと思われるが、そのシングル発売(CDもレコードもカセットテープも出たそうだ)が、1988年11月2日。
歌のあっけらかんとした雰囲気は、自粛ムードにそぐわない気もするが、当時はそうとらえなかったのか。ある種の寛容さを感じる。

そして冬。
この年、というより1985~1990年代初めは、雪の量が少ない時期だった。
1988~1989年のシーズンの秋田市は、ほとんど積もらなかった気がするが、気象データによれば積もっては融けを何度か繰り返していた。
そんな12月、秋田市営バスには、大型車から遅れること数年、中型車にも新塗装の車両が導入され、学校帰りに見かけて(雪は積もってなかったはず)心を躍らされた。

年が明けて、1989年。
秋田市は1月1日は積雪ゼロで最高気温5度。4日・5日に15センチほど積もって、6日以降はまた暖かくなって急に融けていく。初詣など特に記憶はない。

秋田市は冬休みは1月中旬まで続く。当時の僕は早起きだったようで、休み中なのに7日・土曜日も7時前には起きてテレビをつけた。
すると「天皇陛下危篤」といった臨時ニュースを伝えている。
当時は、身近な身内の死は未経験で、「危篤」状態をよく知らなかったが、ことの重大さは分かった。
【7日補足】6日以前では、「9月以降、病状が良くはないことは理解していたが、どういう結論になるのか、つまり回復されるのか、亡くなるのか、だとすればそれはいつなのか」が子どもにはまったく予想がつかなかった。7日朝の危篤の報道は、唐突なもので、急に悪い方向に進んだように感じられた。(あくまで子ども心には)

NHKでは斎藤季夫(すえお)アナウンサーが、落ち着いて淡々と、しっかりと伝えていた。
当時53歳で、平日正午のニュースを担当していた。今は30歳代のアナウンサーが担当しているが、昔はもっとベテランがやっていたのだ。
【7日追記】当時の斎藤アナウンサーは額が広いほぼ白髪で、(当時の人はたいていそうだけど)今の53歳より老けて見える。でも、落ち着いた雰囲気の人で、声も読み方も聞きやすく、重大ニュースを伝えるには最適の人だったと思う。通常なら、土曜日の早朝に出勤していないと思われるが、来るべき時に備えて特別シフトだったのかもしれない。
なお、当時の19時のニュースは松平定知アナウンサー。もし、彼が7日朝の担当だったら…、そして最近のまだ若くて斎藤アナと比べると上手くないアナウンサーたちが担当していたら… そう想像すると、斎藤季夫さんで良かった。

そして7時55分。
宮内庁長官が記者会見で「天皇陛下におかせられましては、本日午前6時33分、吹上御所において、崩御あらせられました。」と発表。
切り替わって真っ黒い背景に、白い手書き毛筆文字で「天皇陛下(改行)崩御」と映し出され、♪ピンポンパンポンポンポン…というチャイムが鳴った後、斎藤アナウンサーが映り繰り返して読み上げた。【7日補足】毛筆文字の画面は、当然、事前に用意されていたのだろう。
※この辺り映像は、著作権的にはどうかとは思うけれど、動画サイトで視聴できます。(斎藤アナの服装も分かり、明るめの青いスーツとネクタイだったのが意外。)
【9日追記】宮内庁長官は、上記のカギカッコ内を読み上げた後、これまでの経緯や病名をけっこう長く説明し、最後に再びカギカッコ内を繰り返し、その後で黒画面・チャイムの流れ。長官の話しぶりは比較的淡々としており、子ども心には長い説明も分かりづらく、「ホウギョ」がキーワードであることも、すぐには分からなかった気がする。繰り返しと黒画面、その後の斎藤アナの繰り返しで、ついにその時になったことをはっきりと認識したのかもしれない。

子ども心には、「ホウギョ」が理解できず、次に「崩御」がそれらしいことは分かった。長官の話しぶり、黒い画面といった全体の雰囲気からして、ことの段階が1つ進んで、ついに来るべき時が来たらしいとなんとか理解した。
天皇が亡くなるのは64年【7日訂正】62年(と少し)ぶりなわけで、大人も似たような感覚だったかもしれない。

あと、黒い画面の時に流れたチャイム音が、妙に明るく、長く、どこか場違いにも感じられた。
NHKでは、昔からこのタイプのチャイムを緊急時に放送するそうで、東日本大震災の発生直後にも流れたそうだ。
ただ、微妙に異なって、崩御時のほうが少し長くて音色が多いようだ。ネット上では「重大さに応じてチャイムを使い分ける」説と、「崩御時は、手違いでチャイムを【3月19日補足・少し時間差をつけて】二重に放送してしまった(ので長く聞こえる)」説が存在する。
【2021年3月20日追記】二重かは別として、このチャイムはNHKのテレビラジオの全チャンネルが同時放送に切り替わるタイミングの音として、2021年時点でも使われていた。地震の場合、震度6弱以上(の緊急地震速報が出た時?)で同時放送になるらしい。2021年3月20日に最大震度5強の地震が発生したが、どうも手違いでチャイムが鳴ってしまったようで、しかも画面の字幕も「宮城で震度6強」と間違った。(以上追記)

その後は、NHK、民放ともずっと臨時ニュース。落ち着くと、ご健在の頃の映像で昭和を振り返るなど、特別番組。
民放では、東日本大震災後のように2日間はCMもなかったそうだが、記憶にない。
NHK教育テレビ(現・Eテレ)は、学校放送など通常編成。NHKBS1も通常だったそうだ。

崩御後、自治体は6日間、民間は2日間の弔意を示すよう協力してもらうことが閣議決定された。
「歌舞音曲(かぶおんぎょく)」の自粛が求められ、大相撲初場所や高校スポーツ大会の延期(ラグビーは決勝中止・両校優勝)、コンサートや成人式にも影響が及んだというが、やはり秋田の小学生には影響はなかった。

関東以西の学校では、当時は冬休み明け最初の登校日(3学期始業式)は1月7日だったか8日だったはず。7日は土曜日だけど、当時は半ドンで午前中だけ学校があった。多くの企業や役所でも、週休二日制はまだ少数派。
そういうところでは、学校や職場でどんな動きや会話があったのだろうか。

冬休み中の僕も、この日は予定が入っていた。歯医者の予約である。
ある種の非常(非日常)時に、そんなことをしてもいいのか、もしかしたら歯医者さんは休んでるんじゃないかなんて思ったが、約束だから行くほかあるまい。歩いて数分の距離だし。

道路に雪はまったくなかったと思う。そして、少し静かな感じもしたが、普通に車が走っているいつもの街。歯科医院もいつもの対応。こんな時でもこんな雰囲気でいいのかと思った。
渡されたレシートには「64.-1.-7」とか印字してある。
天皇が亡くなれば、「昭和」ではなくなるのは、本件以前から知っていた。
昭和は終わるのだろう。昭和の次は何? それは今日から? 明日から? 次の関心はそうしたことで、ちょっと不謹慎ながら、どこかわくわくした気持ちになった。

我が家では七草がゆは欠かさない。1989年1月7日も、朝か昼に食べたはずだけど、まったく記憶にない。
平成の始まりなど続きはいずれ。※続きはこちら


それにしても、当時の決まりではそうするしかなかったにせよ、「昭和の終わり」は突然訪れ、その時を明るい気持ちで迎えることはできなかった。
生前ご退位により、「平成の終わり」には時間的余裕があり、各自さまざまな思いを巡らせながら迎えることができ、そして「平成最後の○○」と楽しむ余裕さえできるのは、悪くない。なんでもかんでも「平成最後」にしちゃうのもどうかとは思うけど。
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雪の弘前で年越し

2019-01-04 19:42:41 | 津軽のいろいろ
この年越しも、前々回以来2度目の弘前にて。
今冬初めは雪が少なかった。秋田市ではクリスマス後に積雪が増えていつも並みに。
アメダスのデータによれば、弘前も同じ傾向。大みそかの朝には70センチに達していた。弘前で70センチといえば、この時期としては平年の3倍超、2月のいちばん多い時期並み。気温はこの辺の冬としては普通。

碇ケ関~大鰐温泉辺りのリンゴ畑も雪の中
青森に入ると、家の屋根の積雪が多くなった。
弘前に着いて、順番が前後しますが、
弘前公園内 追手門を入ったところ
弘前公園内のメイン通路は、きれいに除雪されていた。幅も充分。
写真には誰も写っていないが、日本人の一人旅~家族連れ、アジア系外国人を中心に、それなりに観光客が歩いている。なお、天守公開は冬期休止中で、有料区域は無料開放。

天守を動かしての石垣解体補修工事(昨年6月はこの記事後半)は、
下乗橋から堀と石垣。左奥に天守
堀も、石垣(が撤去されているであろう斜面)も、雪で真っ白で何が何だか分からない。
公園内は、雪の城跡ならではの静かな空間であった。
※石垣工事の続きや園内などの続きは、1年後の記事

時間を戻して、弘前駅前に降り立った時。
こんな光景 ※待機しているバスについては後日
向こうのアートホテル弘前シティ側に、大きな雪の壁ができている。考えてみれば、路面が露出しているから、それをきれいに寄せただけではあるが、ここでこれを見るのは初めてで圧倒された。
駅舎・バス乗り場・タクシー乗り場を結ぶ広場は、限られた通路幅しか除雪されておらず、徒歩の動線が限られていた。これは思った以上に大雪かも。
観光タイプのバスよりも高い雪山
商業施設の駐車場の片隅に除雪した雪山があるのと同じことだけど、ここでこれは迫力がある。観光客も珍しげに写真撮影。
上の高速バスは、駅舎寄りの乗り場を出て、雪山のすき間をまっすぐに抜けるだけなので問題はなさそう。
一方、駅舎と反対側のバース(列)から出るバスは、中型バスであっても、
ギリギリ ※「藤代(営)」と略さずに「藤代営業所」と表示するバスは珍しい。これも後日
運転席側は植木の雪囲いの板がある。ドア側はミラーが雪に埋まりそう。
1月1日には、雪山を崩してよそへ運ぶ排雪作業が行われ、雪山は解消。ここの除排雪は、弘南バスが行うのだろうか。年末は手配できなかったのかな。


市内中央部の道路。歩道は踏み分けて道ができた感じで歩きづらい箇所多数。仕方ないけれど、特に年末休みで人がいない店や家が多く、除雪されない所も少なくなかったはず。
車道は差が激しい。しっかり除雪されて路面が完全に出ている所もあれば、わだちや融雪剤散布の結果、ガタガタの洗濯板・そろばん道路の区間もあった。
バスターミナルを出て駅へ向かう市道もボコボコ
市道では上写真のイトーヨーカドー・虹のマートの間、県道でも127号線(富田大通り)は悪路だった。
下り・住吉入口バス停から富田大通り経由のバスに乗ったら、乗る時にはツルツルの狭い雪山を乗り越え、乗ってからはずっとガタガタと、ひどかった。でも、バスはほぼ定刻だったのはさすが。

虹のマート前は一般車もバスも多く通るし、富田大通りも合わせて道幅が広くはないだけに、もっと除雪に力を入れて(優先順位を上げて)もいいのではないか。
県道3号線・下土手町は狭くなっているが路面は露出

弘前駅の反対。城東側。
佐藤長城東店前。奥にアートホテル弘前シティが見えている
こちらは車道は悪くない。ここでは車両用信号機に注目。
横型信号機の欠点が!
秋田市ではかなり少なくなった横型設置の信号機(電球式、樹脂製ボディ)は、今も弘前市内ではさほど珍しくない。
(最近のフラット型は別として)横型設置の信号機の欠点は、フード(ひさし)の上に雪が積もって、点灯色を見づらくさせること。(秋田県での過去の状況

もっとすごいのがあった。中野・豊原の富田大通りから学園町へ曲がる交差点。
丁字路だと思っていたが、中野方向の小さい道もあって十字路。その中野側から出る車向きの車両用信号機。
こんなの見たことない!

赤と青はかろうじて見え、黄色は完全に隠れている

横から
信号機から雪庇ができていて、ツッパリ兄ちゃんのリーゼント風。
秋田市と違って風が弱いから、真上から積もりやすいのだろうし、この時の雪質が特に“粘っこかった”のか。
歩行者用にはまったく積もっていないし、対面する向かい側はじめ他の車両用もそれほど積もっていなかった。偶然も重なったのだろう。
反対向きは落ちたのかこの程度
以上、多少の制約や迷惑・困惑はあるが、大きな混乱もなく弘前はいつもの冬の暮らしの模様。
今年の秋田市は雪が少なかったせいもあって、久々に本格的な雪を体験した。雰囲気や感覚(においとか?)で「そうそう。これが弘前の雪だったな」と思い出した。
こんなのを経験してしまえば、秋田市程度の雪で騒ぐのが恥ずかしくなる(秋田市は、雪の量より風が強いのが困る)。
弘前にしても秋田にしてもこの雪があってこそ、夏場の飲み水、農作物、豊かな自然と独特の文化が育まれるはず。雪国に雪はなくてはならない。
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正月の大館駅前 他

2019-01-02 23:23:13 | 秋田の季節・風景
あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。
昨年暮れの北日本日本海側は、目立った被害はなかったものの強風が続き、やっと大みそかに落ち着いた。
秋田市ではクリスマスにはいったんなくなっていた雪も、再び10センチほど積もった。たまに晴れ間が出たと思えば、雪が舞い、そして少し吹雪く、標準的な、まあまあ穏やかな秋田らしい正月。

元日の秋田県北部・大館市のJR奥羽本線・花輪線 大館駅前。積雪は秋田市より少し多い感じ。
「秋田犬の像」。通称「群像」※過去の記事
向かい側の鶏めし・花善の店は元日も営業中で、車がたくさん入っていた。
大館は、2018年に戌年かついろいろと注目されて世界的とも言えるブームになった秋田犬(あきたいぬ)の本場。
駅前の親子の群像とその周りには、この季節ならではの装飾。像の周りにあるピンクのものがくっついた木は、枝にピンク色の飴玉を結びつけた「枝アメ」。
2月に大館で開かれるアメッコ市に欠かせないアイテムで、その事前宣伝なのだろう。近年は秋田駅にも置かれる。
親犬にはしめ縄【3日補足】「しめ飾り」が適切かな

上の写真からさらに引いてみると、
ちょっと物足りない?!
群像の手前にあった「忠犬ハチ公」がいない。

現地の立て札や報道もされたように、ハチ公像は、昨年12月7日に移設された。
雪が積もっていて感覚が違うせいもあるが、そう思って見れば物足りない。
左枠外が群像、右が駅舎
移転距離は200メートルほど。上の写真左奥に見えている、三角屋根の大きな新しい建物の前。
大館駅を出て右側、昔、小坂鉄道(廃止)の駅やその他施設があったところ。
工事中の柵の中に

ハチ公がいた
この建物は、今年5月8日オープン予定の大館市観光交流施設「秋田犬の里」。「秋田犬の里」は昨年10月に決定された名称で、現地の看板には、まだ「ハチ公の駅(仮称)」と記載されていた。
建物は、ハチ公が待っていた頃の渋谷駅舎をモデルにしている。
ハチ公像と大館駅舎
少し遠くなったが、移設後もハチ公は駅のほうを向いている。
今後は、大館駅舎と駅前広場の改築も予定されており、いずれ群像も移設されるらしい。見慣れた風景もどんどん変わっていくのだろう。※着工後2021年12月の記事(リンク先後半)。


ところで、JR大館駅は、昨年12月から駅業務が子会社へ委託され、駅長がいなくなった。
それでも今もなお、
「駅長 STATIONMASTER」の表示が残る
大館に帰省していたであろう人たちが、「大館駅もついに自動改札になった」と感慨深げに話しておられた。駅長がいなくなったことはご存知だろうか。
委託化されたせいか、あるいは不慣れな帰省客が多いせいもあるかもしれないが、大館駅では駅員の肉声による案内放送が、過去にないくらい丁寧に行われていたのが印象に残った。


大館駅から離れて、大館市に合併する前は旧・田代町であった早口(はやぐち)駅。ホームから見える丘の斜面に、木を刈りこんで「田代」の文字を作っていることを何度か紹介していた。季節によって可読性が異なるが、今は、
うっすら積もった雪の中に「田代」。わりと読みやすい
これ以上積もったら、真っ白で読めなくなるね。


秋田駅。
自由通路
12月に2体に増えた秋田犬の巨大バルーン。
この年末年始は、お座りのほうがどこかへ出張中【末尾の追記参照】のようで不在。
立っているほうが西側へ移動して、東側には、
巨大な赤いナマハゲの顔というかお面というか
裏へ回ると、
ただの黒い壁が囲われているだけ
ナマハゲの顔はたしかにインパクトがあるが、顔がすべてじゃない。衣装や体全体、声もあってこそナマハゲであろう。
秋田犬バルーン以上に、こんなモンじゃあ子どもだましにもならないと思っていたけど、旅行客・帰省客の多くの皆さんが、足を止めて写真を撮っている。
それならば、これはこれでアリなのでしょうけど、どうせなら、背景とか置き場所とか、もっとおもしろく工夫できそうにも感じるけれど、具体的なアイデアはありません。

【2月11日追記】1月23日付秋田魁新報 地域面で、秋田駅のナマハゲ面の意図が分かった。
高さ2.9メートル、幅1.7メートル。
「普段は県第二庁舎に展示されている」もので、なまはげのユネスコ無形文化遺産を機に、PRのために「JR秋田支社が県から面を借り受けた。」。12月27日から1月末まで設置されるとある。
新聞ではいなくなった座り秋田犬バルーンには触れていないけど、どうなったの?
新聞では1月いっぱいとあったが、2月11日時点では、まだ変わらずナマハゲが置かれている。
【2月13日追記】2月13日には、ナマハゲ面がなくなって、座り秋田犬バルーンが復活していた。
【4月4日追記】3月末には、秋田犬バルーン2体に加え、改札口正面・顔はめパネルの隣にナマハゲ面が、しかも赤のほか青と2つ並んで置かれるようになり、豪華に勢ぞろい。4月に入ってもそのまま。【追記】5月の連休も、さらに7月初めでもそのまま。
【8月5日追記】7月末頃には、お座りバルーンがなくなり、代わりに伏せて舌を出した、同じようなサイズのぬいぐるみのように見えるバルーンが置かれた。立ちバルーンやナマハゲ面は継続。
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