慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

バーチャル旅行(カトマンドゥ)

2018年03月14日 | 観光
カトマンドゥ(標高約1,330mの盆地に位置する)

カトマンドゥ概況
 ☆人口約100万人でネパールの首都で、カンテイプール(栄光の都)と呼ばれていた
 ☆先住のネワール族が暮らし、都市文明を築いてきた
 ☆中世のマッラ王朝時代、ネワール文化が花開き、寺院や数々の記念碑が建てられた
 ☆「人よりも神々のほうが多く住む町」といわれる町
 ☆かつてはカトマンドゥ盆地がネパールと呼ばれていた
エベレスト遊覧飛行(西遊旅行)
 ☆ヒマラヤの山々を歩かずに見る方法は「マウンテン・フライト」です
 ☆マウンテン・フライトはイェティ航空、ブッダ・エアーなどが運航している
 ☆往復約1時間のフライトは、数々のヒマラヤの名峰群を望める究極の空旅です
 ☆天候に大きく左右されるフライト
ダルバール広場
 ☆カトマンドウにマッラ王朝が誕生して以来、王宮前広場として栄えてきた
 ☆「ダルバール」とは「宮廷」意味する言葉
 ☆広場には、旧王宮「ハヌマンドカ」、女神クマリの化身が暮らす「タマリ」がある
ハヌマン・ドカ
 ☆「ハヌマン」とはヒンドゥー教のサルの神、「ドカ」とは門の意味
 ☆宮廷の起源はリッチャヴイ王朝時代にまで遡る
 ☆現在ある建築物は、マッラ王朝時代(3王国時代)に完成したもの
クマリの館
 ☆女神クマリの化身として崇拝される少女が住む
 ☆クマリに宿る神々
 (大女神ドゥルガー、ネパール王国の守護神タレジュ女神、密教女神ヴァジラ・デーヴィー)
 ☆2頭の石造りの獅子に守られた、木彫りの窓やバルコニーをもつ3階建ての建物
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『地球の歩き方「ネパール」』








バーチャル旅行(カトマンドゥ)(『地球の歩き方「ネパール」』他より画像引用)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーチャル旅行(観光地要点)

2018年03月14日 | 観光
ネパール主要観光地

 ☆30以上の民族が暮らすネパール
 ☆古い家並みや寺院が残る文化遺産と自然豊かな国立公園

カトマンドゥ盆地にある七つの遺産
 ☆ダルバール広場(旧王宮や寺院が立ち並ぶカトマンドゥの中心地)
 ☆スワヤンブナート(町を見下ろす小高い丘に建つ仏教寺院)
 ☆パシャパテナート(シヴァ神を祀るネパール最大のヒンドゥー教寺院)
 ☆パタン(ネワール族の文化と芸術を継承する「美の都」)
 ☆バクタブル(マッカ3王国の都の中で最も古い町並みが残る)
 ☆チャング・ナラヤン(丘の上に立つネパール最古のヒンドゥー教寺院)
国立公園
 ☆アンナプルナ自然保護区(ネパ―ルで人気が高いトレッキングエリア)
 ☆チトワン国立公園(ネパール王室の狩猟場だった、サイやトラなどが生息する)
 ☆ランタン国立公園(「世界で最も美しい谷」と呼ばれる)
 ☆サガルマーク国立公園(8000m級の名峰がひしめく)
バンデイブル(交易路として栄えた、古い家並みを残す宿場町)
ポカラ(リゾート地として知られるネパール第2の都市)
 ☆湖畔にはヒマラヤのパノラマが広がる
ルンビニ(ブッダの生誕地で、仏教4大聖地のひとつ)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、地球の歩き方『ネパール』


バーチャル旅行(観光地要点)(地球の歩き方『ネパール』記事より画像引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中岡艮一(こんいち)(近代のテロ決行者)

2018年03月14日 | 犯罪
弱腰外交と汚職に憤り原首相を暗殺

中岡艮一プロフィール
 ☆中岡は、疑獄事件やシベリア撤兵問題に関心を抱いた
 (原因は政府の失政との思いで、政治を革新しようと考えた)
 ☆財界の巨頭・安田善次郎が暗殺された事件に刺激を受けた
 ☆中岡は無期懲役判決を受けるが、恩赦で刑期が短縮され出所
 ☆20歳にも満たない青年が、首相を暗殺するという異常な事件
 ☆「直情的に考えて事件を惹起してしまった」と当時を反省している
東京駅で、原首相で短刀で刺殺した
 ☆「平民宰相」として国民の期待を集めた原首相
 ☆原は民主政治と国際協調路線のもとで産業立国を目指していた
 ☆原の死によつて平和協調の理想は潰える
 ☆日本は国際連盟を脱退、大戦への道を進む
 ☆原首相の暗殺に軍部の関与があったとする説もある
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人』




中岡艮一(こんいち)(近代のテロ決行者)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする