慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

大警告(南海トラフは国民の半数を襲う、大地震&火山鳴動)

2018年03月26日 | 災害
火災や津波で100万人が死亡し日本発の世界恐慌が起きれば列島完全崩減ヘ

火災&家屋倒壊&津波が同時に
 ☆突如噴火し、12人の死傷者を出した草津白根山
 ☆不気味なのは時をほぼ同じくして、各地で巨大地震が発生していることだ
 ☆政府の地震調査研究推進本部が「南海トラフ地震」について
 (今後30年以内にM8~9規模の地震が発生する確率を「70~80」へ引き上げた
 ☆南海トラフは静岡県の駿河湾から紀伊半島、四国、九州沖まで全長700キロに及ぶ
福和教授(名大教授)が、個人の防災対策についても指摘する
 ①地盤の強い地域に住む
 ②持ち家なら耐震工事を行い、家具はすべて固定する、
 ③家族との連絡のため『災害ダイヤル』などの使い方を練習しておく
 ④最低限の防災グッズを持つ
 (震災直後はお金が下ろせない、現金入りの封筒他非常食や携帯トイレ等事前準備する)
 ☆最も重要なことは、知りたいことだけを求めて人に頼るのではない
 ☆自分が置かれている状況を認識し何が必要かを考えること
 ☆被害を最小限に食い止める取り組みを個々人がいまから始めなければならない
 ☆日本発の世界恐慌が起こる可能性もある
 ☆株安になり日本は売り叩かれ、高い技術を持つ日本企業が外資に安く買われる
 ☆「いつ」地震が発生するかではなく、「常に」発生しうるものに備える心構えが必要
東京&日本はどれほどのダメージを受けるのか
 ☆これまで具体的に示されたことはない
 ☆最近、福和伸夫名古屋大学教授が、警告したことが注目されている
 (南海トラフ地震で国民の半数が被災者になる)
 (超広域災害が、人口の集中する都市を襲う)
東京の海抜ゼロ100万人を襲う
 ☆内閣府の被害想定では、被害が深刻になるケースで死者約32万と予測
 ☆福和教授は更に深刻に考える
 (東京では、火災や津波などによる関連死を考慮すれば、100万人が亡くなる)
 (日本全体では、自治体の面積は日本全国の約30%、人口では約50%)
 (日本国民の、半数が被災者になる大災害)
 ☆東日本人震災と違い、南海トラフ地震では想定震源域が陸に近い
 ☆大規模な津波が繰り返し押し寄せる
 ☆関東から東海にかけての沿岸部は発電所、製油所、大企業の工場などが集中している
 ☆実際の被害想定では経済被害の総額を約220兆円と見積もっている
 ☆地震の直撃によつて、湾岸に集中する産業の復興に欠かせないインフラも大打撃を受ける
 ☆道路網の地震対策が不十分だと、物流はおろか災害救援もままならない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS3月号』


大警告(南海トラフは国民の半数を襲う、大地震&火山鳴動)(『THEMIS3月号』記事より画像引用)


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近代のクーデター決行者(4人の決起将校)

2018年03月26日 | 政治
2・26事件の決起将校たち

 ☆決起将校(磯部浅一、村中孝次、野中四郎、安藤輝三)
 ☆事件で殺害された要人(高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎)

磯部浅一(革新派の急先鋒で2・26事件を主導)
☆計画から準備、実行までを取り仕切った
☆北一輝の『日本改造法案大綱』をバイブルとし革新運動への情熱を燃やす
 ☆狂信的な国家改造の思いに駆られてテロ行為へと突き進んだ
 ☆革新青年将校に理解のあった真崎陸軍大将が教育総監を罷免される
 ☆磯部は、黒幕と目される、統制派中央幕僚部に激しい反感を抱いた
 ☆尊王義軍をもって任じていた磯部
 ☆収監された後も、天皇による大赦に望みをかけていた
 ☆同志の将校が銃殺刑に処せられると、天皇への激しい怒りを露わにする
村中孝次(理論派の陸軍大卒のエリート)
 ☆村中は、皇道派の青年将校のなかでも屈指の理論家
 ☆武力行動に反対し、合法的な手段による国家改造を目指していた
 ☆村中の命運を大きく変えたのが「陸軍士官学校事件」
 (村中は磯部らとともに検挙され停職処分を受けた)
 ☆事件は、統制派幕僚がでっち上げた
 ☆免官された村中は、実力行使で昭和維新へと邁進していった
野中四郎(冷静にして実直な性格)
 ☆最も危険とされた桜田門の警視庁占拠の役目を任された
 ☆野中は、約430人の決起部隊の兵力を率いて任務を遂行し、無血占拠を成し遂げた
 ☆遺書には、「我れ狂か愚か知らず一路遂に奔騰するのみ」という句がしたためられていた
 ☆蹶起趣意書の草案作成にも携わり、筆頭人として名を記した
安藤輝三(最後まで決行を躊躇)
 ☆約200人の下士官と兵を引きひて官邸鈴木貫太郎侍従長を襲撃した
 ☆鈴木は瀕死の重傷を負うが、安藤がとどめを刺さなかったことから一命を取り留めた
 ☆天皇の兵を勝手に使うことへの抵抗感も、安藤を躊躇させていた
 ☆決起への参加を表明したのは事件直前(安藤は部下からの人望も厚っかった)
 (歩兵第三連隊の将兵たちが決起に動いたのも、安藤の存在が大きかった)
 ☆最後には、自決を図ったが死にきれず、後に軍法会議で死刑となった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』








近代のクーデター決行者(4人の決起将校)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)


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山内一豊(戦国の出世者2)

2018年03月26日 | 歴史上の人物
山内一豊と高知城

山内一豊は長曾我部の居城浦戸城へ入城した
 ☆鏡川、江ノロ川が氾濫するので、2代藩主忠義は表記を変更する
 (高智山⇒高智⇒高知)
 ☆土佐24万石(秀吉から長宗我部が認められていた土佐の領地高は約10万石)
 (一豊入国時もこの領地高)
 ☆2代藩主忠義は、改めて長宗我部検地帳を元に約20万石高を算出
 (江戸時代の公的な土佐藩の領地高となった)
 (24万石というのは、地検帳の土地面積を1反=1石に置き換えた数字)
 ☆24万石にしては高知城は小さい
追手門(高知城の正門で、本瓦葺きの入母屋造り)
一豊の妻の鋼像
 ☆追手門から少し登ると、名馬のかたわらに立つ一豊の妻・千代の銅像
石樋(石樋が16カ所もある)
 ☆土佐は雨が多いため、雨水が石垣にしみこまないように工夫されたもの
天守と本丸御殿(享保の大火で焼失後再建された)
石落しと忍返し
 ☆石垣をよじ登ってくる敵を防ぐための石落としと
 ☆鉄製の鋭い忍返しが、天守の1階部分に残っている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『戦国と幕末(ハーツ&マイズ)』














山内一豊(戦国の出世者2)(戦国と幕末』記事より画像引用)

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