慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

空海(弘法大師)と密教の魅力

2018年03月11日 | 宗教
平安時代、日本に真言密教を開いた空海

空海は、数々の伝説を残す
 ☆空海の出来事・奇跡は、密教の境地から生じている?
 ☆空海は奇跡を起こす(予言者+知識も備わっていたが)
 (空海の口の中に明けの明星が飛び込んできた)
 (空海は大日如来の代弁者となった?)
 ☆密教の護摩供養、祈祷で願いを叶える儀式
無名の空海が、何故中国・唐の都で密教の後継者へ?
 ☆長安青龍寺の恵果和尚に後継者は少なく恵果和尚も老齢だった
 ☆空海は、学問にも優れ、特に語学(中国語・サンスクリット)に卓越していた
 ☆空海は、長安青龍寺の恵果和尚から、密教の最高位を授けられた
空海の恩人は、天台宗の開祖最澄
 ☆最澄が、長安から帰国し、博多に留められていた空海を京都に呼び寄せた
 ☆最澄も、密教に魅力を感じ空海の弟子となった
 ☆最澄の弟子が、空海の虜になった等で空海と最澄は、仲たがになる
空海の大事業
 ☆長安青龍寺の恵果和尚との約束を果たすため天皇に働きかける
 (約束とは、日本に真言宗を広める)
 ☆空海は、高野山に研修道場を開創が許可された
日本で、密教を批判する宗派
 ☆日蓮宗系は批判するが、密教の要素取り入れてる(「「呪」、釈迦の仏教にはない)
 ☆浄土真宗は、「弥陀にすがればーーー他宗派の教学は知らなくてもいい」という立場
 (批判迄はしていない、法然や親鸞も真言宗の研究もしていた)
 ☆日本仏教は、何らかの形で密教の影響を受けている
叡山は、仏教学の総合研究機関
 ☆叡山では、浄土系の研究が盛んで、法華系は少数派
 ☆叡山には、円仁・円珍ら、真言宗研究の大家もいた
 ☆浄土系の密教研究グループは、真言宗との差別化の研究する
 (遣唐使廃止後も、浄土系は、中国に留学僧を派遣していた)
 ☆結果として、台密は、雑多な思想を取り込んだ体系になっていく
 ☆真言宗では、空海の体系がほぼ完成されていた(新たな思想家がでていない)
出典、BS11にほん歴史鑑定(空海)、ヤフー質問箱
















空海(弘法大師)と密教の魅力(BS11にほん歴史鑑定(空海)テレビ画面より画像引用)


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朝日新聞・株&不動産に奔り偏向やまず

2018年03月11日 | 新聞記事
アベノミクスをさんざん批判しておいて株情報を流したり婚活サイトを立ち上げたり

朝日新聞金融情報提供会社と提携
 ☆朝日新聞販売局の元部長畑尾氏が『新聞社崩壊』との本を出版(新聞衰退の根本的な原因)
 (①購読料の高さ、②記事の劣化、③新聞社への反感)
 (③は、特に朝日新聞への読者からの批判が、購読中止につながっていると記載)
 ☆朝日新聞は、投資家向け情報金融情報サービス事業の「株式会社みんかぶ」の株式を取得
 (資本業務提携に合意したと発表)
 ☆朝日社内からも「アベノミクスを批判しながら、あまりに無節操だ」という声が飛んでいる
朝日新聞、美術館開業で株の分散を防ぐ
 ☆不動産事業への傾斜が止まらず、大阪「中之島フェスティバルタワー」を開業
 ☆フェスティバルタワー・ウエストに中之島香雪美術館が開業する
 ☆香雪美術館は、朝日新聞創業者が神戸・御影の邸宅の一角に建てた
 ☆フェスティバルタワーに開館するのはその分館
 ☆渡辺社長は、美術館分館を置くことで、朝日株の分散を防ごうとしている(関係者談)
 ☆東京・銀座の「東京銀座朝日ビル」を開業
 ☆婚活ビジネス」を進め、「出会いの場」を提供するサービスだという
朝日新聞「誤報」も認めず主張も変えず
 ☆畑尾氏が指摘したように朝日は紙面の改善策を講じているのか?答えはノーだ
 ☆安倍政権に対しても都合の悪いところはダンマリを決め込んでいる
 ☆『安倍晋三記念小学校』との名で申請したと朝日新聞は報じた
 (「安倍晋三記念小学校」で無く、実際は「開成小学校」)
 ☆朝日新間はいまもこのことを「誤報」と認めていない
 ☆朝日新聞へのたび重なる首相の挑発にも、朝日新聞沈黙している
 ☆文芸評論家の小川榮太郎氏を名誉毀損で提訴
 ☆吉田清治氏らの証言に基づく慰安婦報道
 (「英文で虚偽報道を訂正すべきではないか」かとの指摘には、回答先送りする)
 ☆未だに英語ウェブ記事では、これまで通りの主張を繰り返している
 ☆これではますます朝日新聞の部数は減り続けるばかりである
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS3月号』


朝日新聞・株&不動産に奔り偏向やまず(『THEMIS3月号』記事より画像引用)
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ショパン「ピアノの詩人」の意外な素顔

2018年03月11日 | 有名人
ザ・プロファイラー『ショパン』

 ☆ショパンの音楽は多くの人に親しまれています
 ☆その人となりは親しみやすいものではなかった
 ☆極度の内気で人前に出ることが苦手(大切な演奏会を断るほど)
 ☆優柔不断で決断力はなく、プライドが高く神経質
 ☆ショパンは若い女性との恋愛に失敗、裕福な年上の女性に甘えました

ショパンの陽気な少年時代
 ☆ポーランドの小さな村で生まれた
 ☆母の影響でピアノを弾き始め、作曲に興味を持つようになった
 ☆舞曲マズルカに出会いショパンはマズルカの作曲に取り組む
 ☆父はショパンを世界で勝負させることにした
 ☆本人は、ポーランドを離れることが不安で仕方がなかった
ショパンのパリでの活躍
 ☆ショパンはウィーンに向かい、ウィーンではワルツが大流行
 (ショパンのピアノに興味を示す人は少なかった)
 ☆ショパンは、作曲をすることもなく毎晩夜会に出かけては時間を潰しました
☆ショパンはパリへと向かい、パリにはヨーロッパのピアニストが集結していた
 ☆ショパンもようやく演奏会の機会を得ました
ショパンと男装の貴婦人との出会い
 ☆男性の名で活躍する人気作家で、男装の貴婦人と呼ばれた人物
 ☆ショパンは、年上のサンドに甘えるようになりました
 ☆有名人同士の2人の恋はパリ中の話題となる
 ☆ある日、サンドと子供たちが、雨の中買い物に出かけた
 (残されたショパンは「第15番 変二長調 (雨だれ)」を作曲)
 ☆サンドは、ショパンが作曲に集中できるように気を配りました
 ☆裕福なサンドに守られたショパンに名曲の数々が生まれた
ショパンとサンドの破局とショパンの孤独な死
 ☆病弱なショパンとサンドの関係は恋人から親子のようなものに変わる
 ☆サンドは、ストレスがたまり、嫌気がさしてしまった
 ☆サンドと別れて半年後、パリで二月革命が勃発し、音楽家たちの仕事は激減
 ☆ショパンは、イギリス行きイギリス国内を転々とする過酷な演奏旅行
 ☆晩年ショパンの持ち歩いていた手帳には、サンドの髪がはさまれていた
 ☆サンドは、ショパンの葬儀にさえ出向きませんでした
 ☆遺体はパリの墓地に埋葬されたが、心臓だけは遺言によりポーランドに持ち帰る
 ☆心臓は、教会の柱に安置された
ショパンと年下の女性との恋
 ☆ポーランド貴族の娘マリアで、かつての教え子
 ☆ショパンは結核にかかっており大量の血を吐くこともありました
 ☆優柔不断なショパン、『私たちのことをどうぞお忘れなく』とのマリアの置手紙で別離
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『テレビのまとめ』『NHK ザ・プロファイラー』




ショパン 「ピアノの詩人」の意外な素顔(『NHK ザ・プロファイラー』テレビ画面より画像引用)

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