慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

熱海に観光客が押し寄せる秘密に学ベ

2019年05月29日 | 観光
有名観光地に安住して低迷した街熱海

 ☆市民と市役所が一丸となって復活させた
 ☆やる気のある市民が情熱を持って取り組めば、外に対するイレパクトが絶大だ
 ☆街づくり、街興しにはさまざまな議論がある
 *これだという決定打はありそうでない
 *行政、民間人が、情熱を持った人がより多くの人を巻き込んでいくしかない
 ☆全国の地方自治体
 *熱海の愚痴や躊躇いを乗り越えた「実行力」に学ぶときだ

復活学べと地方議員が殺到し
 ☆日本を代表する温泉地として知られる熱海市の復活が話題になっている
 ☆熱海は、高度成長期に、新婚旅行や社員旅行客が大勢訪れた
 ☆バブル経済崩壊や団体旅行の減少
 *熱海市は財政危機を宣言するまでに衰退していた
 ☆熱海の復活から学ぼうと、地方議会の議員が視察にやって来る
 ☆市役所担当者は語る
 *観光の話や産業振興の話を聞かれることも多い
 *話しするのは行政としても手を打ったが
 *元々熱海で生活する当事者たちが自分で変わろうとしてきたから
 ☆熱海復活は、宿泊客数だけではない
 ☆JR熱海駅前からアーケード街を15分位歩く「熱海銀座商店街」
 *観光客向けの店舗が約30店並ぶが、空き店舗も殆どない
 *11年頃は、熱海銀座商店街の3分の1が空き店舗だった
Uターンした若者が起業した
 ☆誰か中心になって熱海復活に奔走したのか
 *その一人が、79年熱海市生まれの市来広一郎氏
 *市来氏は、熱海の街づくりをテーマにプロジェクトを提案
 (7人もの塾生が手をあげてくれて参加者となる)
 ☆市来氏は11年の東日本大震災などより
 *税金に頼るのではなく、自ら稼ぐ衝づくりが必要と考えた
 *株式会社MACHIMORI設立
 *民間主導による街づくりをスタートさせている
市も「ADさん」を立ち上げた
 ☆行政側にも熱海市売り込みの尖兵がいた
 *中途採用で市の職員になった観光経済課の山田久貴氏
 ☆山田氏は観光経済課に配属となる
 *熱海市をとりあげたあるテレビ番組のロケに立ち会った。
 *スタッフから「熱海には結構ネタがありますね」といわれた
 *おすすめの場所を積極的に紹介した
 *番組は3か月間も熱海のことを扱ってくれたという
 *テレビの影響は絶大
 ☆山田氏は市のサイト内の「ADさん、いらっしゃい!」というページでも有名人
 *そうした経緯を「ADさん、いらっしゃい!」に盛り込む
 *本人の携帯電話番号も記載した
 *最近は24時間365日態勢でロケの要望に応えている
 ☆18年度に協力したテレビ番組や映画は109本(前年度比29本増)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS5月号』


有名観光地に安住して低迷した街熱海
(『THEMIS5月号』記事より画像引用)






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秀吉による都市開発(バーチャル旅行)

2019年05月29日 | 観光
京の町を「安寧楽土」にすべく取り組む

 ☆土木工事の達人秀吉による都市開発
 ☆秀吉は朝廷より関白の官位と「豊臣」の性を賜る
 ☆都を「安寧楽土」とすべく都市開発を遂行していく
 ☆正庁を兼ねた邸宅・緊楽第の建設
 *殿堂には七宝をちりばめ、瓦に金箔をおした豪華絢爛
 *聚楽第の周辺には千利体に加え諸大名の屋敷が造られた
 (武家町、公家町、寺町を造る)
 *身分によって住む場所を分けた
 *新道を通し現在の町並みの元となる短冊形の町割りに改造
 *町家や商店が立ち並び、商工業が活性化した
 ☆聚楽第建設と同時期に着手したのが方広寺の大仏殿の建立
 *東大寺の大仏殿は焼失していた
 *豊臣政権のシンボルとして奈良の大仏を越える黄金大仏の建立を計画した
 ☆安寧楽土を取り囲む巨大な城壁「御土居堀」を建設
 *堀内を「洛中」、外とを「洛外」とした
 ☆今もその時の痕跡を町のあちらこちらに見ることができる

高台寺
 ☆北政所ねねと秀吉の美しい夫婦仲を感じる
 ☆豊臣秀吉の菩提を弔うため、正室北政所ねねが、建てた臨済宗の寺院
 ☆豪華な高台寺蒔絵が施され、秀吉とねねの木造が安置されている
 ☆その下には晩年をこの地で暮らした、ねねが静かに眠つている
豊国神社
 ☆豊臣秀吉を祭神とし、出世開運・良縁成就の神様として崇敬される神社
 ☆正面の唐門は、秀吉が建てた伏見城の遺構と伝わる国宝建築
 ☆秀吉は合戦の馬印として千成瓢箪を使用したことに因み、瓢箪の形の絵馬がある
聚楽第址碑
 ☆黄金に輝いた夢の居城跡をめぐる
 ☆秀吉が京都の都市造りの第一歩として造つた聚楽第の本丸を囲う濠跡に立つ
 ☆北は―条一筋北、南は丸太町、東は堀川、西は千本を外郭とする
 ☆広大な敷地に本丸、二の丸、北の丸、西の丸があったという
方広寺
 ☆大阪夏の陣の発端となった鐘
耳塚
 ☆慶長の役の拶い犠牲を供養
 ☆秀吉が大陸も支配の手をのばそうと朝鮮半島に侵攻した
 ☆武将が、戦功のしるで、朝鮮軍民の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰る
 *秀吉の命によりこの地に埋められ供養の儀がもたれた
御土居
 ☆京都を取り囲む巨大な土木工事の痕跡
 ☆防塁と鴨川の氾濫から街を守る堤防として築かれた「御土居」
 ☆秀吉の町づくりへの情熱を感じることができる
 ☆御土居史跡公園
甘春堂東店
 ☆豊国神社へと続く正面通
 ☆かつて方広寺の「大仏詣」の人々で賑わい沿道では「大仏餅」が売られていた
 ☆昭和の戦争の折に途絶えた「大仏餅」
 ☆先々代当主が復刻
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都歴史さんぽ』












京の町を「安寧楽土」にすべく取り組む
(『京都歴史さんぽ』記事より画像引用)







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