🌸北海道集団4
⛳北海道集団の成立
☆琉球列島にくらべると北海道では縄文時代から江戸時代に至るまで
*DNA分析に適した数の人骨が出土している
*人類集団の変遷の様子を人骨の形態やゲノムで追うことができている
☆北海道集団文化編年からすると
*稲作が入らなかった北海道縄文時代の次に続縄文時代が続き
*擦文時代を経て13世紀にアイヌ文化が成立する
☆5世紀~10世紀、道東、道北等で、オホーツク文化が栄えた
*オホーツク文化人は独特の形態的な特徴を持つ人びとだった
☆アイヌの人たちは単純に北海道の縄文人の子孫ではない
*オホーツク文化人の遺伝的な影響を強く受けている
☆アイヌ集団は、北海道の縄文人を基盤として
*オホーツク文化人の遺伝子を受け取ることで成立した
⛳船泊縄文人人骨とアイヌ集団を含めた現代人集団のSNPデーターより
☆アイヌ集団と本土日本人集団で混血が進んでいた
*船泊の縄文人ゲノムがその延長線上ではない
☆アイヌの人びと、縄文人の遺伝的な要素に加え
*沿海州集団の要素があり、のちに本土日本との混血も進んでいった
☆アイヌ集団の成立にオホーツク文化集団が関与している
*2千年前には千島列島を経由してカムチャツカ半島集団の遺伝子が流入
*1500年前には沿海州からの遺伝子の流入があったと推定される
*アイヌ集団の成立にオホーツク文化人が関係している
☆現代のアイヌ人は、縄文人のゲノムを70%程持っている
*日本列島集団の中では群を抜いて大きな数字
☆本土日本人を渡来人の末裔と考えるとしたら
*アイヌの人たちは北海道の縄文人の末裔だが
*大陸の北方系先住民のゲノムを引き継いでいる
⛳北海道集団の成立のプロセス
☆本土日本との関係だけでは捉えきれない
*北海道を中心に据えた集団の変遷のシナリオが必要
*大陸からの稲作文化を受け入れた中央
*遅れた周辺で集団の形質に違いが生じた
☆北海道の先住民集団の形成史
*日本列島集団の形成のシナリオに、複眼的な視点を導入する必要がある
(敬称略)
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⛳出典、『人類の起源』
日本列島集団の起源(北海道集団)4
(『人類の起源』記事、ネットより画像引用)