慶喜

心意気
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源氏将軍家”3代で血筋断絶

2022年10月28日 | 歴史
🌸源氏将軍家”3代で血筋断絶

 ☆悲願の政権奪取を呆たした源氏だが、三代でお家減亡となった
 *頼朝、幕府を開き、初代将軍となった
 *頼家、頼朝の嫡男で、18歳で2代将軍となった
 *実朝、兄頼家追放後、12歳で3代将軍となった
 ☆源氏という武士の家系から生まれたこの将軍家
 ☆実朝が28歳のときに甥に暗殺され断絶した
 ☆鎌倉幕府成立から、34年間の天下でしかなかった
 ☆源将軍家3代の、血塗られた死


初代頼朝の死は、妻・政子の「水銀中毒」暗殺説
 ☆頼朝の最期は、落馬が原因
 *武芸に秀でていた頼朝が落馬&死、腑に落ちない
 *死の原因がほかにあるからと考えるのが定石
 ☆有力なのが北条氏による頼朝暗殺説
 ☆頼朝の妻であり、北条時政の娘、政子の暗殺の理由
 *幕府を開いたことで、頼朝は用無しとなった
 *度重なる浮気により政子が愛想を尽かした
 ☆頼朝は、銀中毒だったいう説もある
 *北条氏の地(伊豆)は水銀の産出地である

2代目頼家、23歳で妻子もろとも北条氏の手兵で暗殺
 ☆鎌倉幕府の2代目征夷大将軍は、嫡男の頼家
 ☆頼家は、地位にあぐらをかいてやりたい放題
 *北条氏、御家人たちからも不満の声が高まっていた
 *弟の実朝を将軍に擁立する動きも出てくる中、頼家は病に倒れる
 ☆頼家は、息子の一幡を跡継ぎにしようとするが阻止される
  *頼家23歳の若さで北条氏の手兵に暗殺される
 (その死は入浴中を襲われ首を組で縛られた)
 *頼家の一族は、北条氏の手の者に殺された

3代実朝”甥公暁の夜襲″で落命
 ☆源氏最後の将軍・実朝は、12歳で征夷大将軍となる
 *政治の実権は北条氏が握っていた
 *実朝は、成人してからは将軍に政権を取り戻そうと政治に介入する
 *朝廷との関わりを深めようとした政策
 *北条氏を怒らせ28歳のとき
 *頼家の次男である公暁の夜襲にあい実朝は落命する
 ☆公暁はこのとき、「親の敵はかく討つぞ―」と叫んだ
 *12歳の実朝、頼家を将軍の座から引きずりおろす力はなかった
 *公暁を暗殺へとたきつけたのは、北条氏が黒幕だったのだ
 ☆3代で源氏将軍家は滅亡した.(実朝には子はなかった)

源氏将軍家は、徹底的にその血筋を絶たれた
 ☆2代目将軍頼家は、5人の子がいた
 *男子は4人ともお家騒動に巻き込まれり
 *北条氏らの手により、暗殺または自害
 ☆女子である竹御所は、死産後自らも死去した
 ☆頼家の子供たちは1人の子も成さぬまま全員死亡している
 ☆裏に潜む北条氏の闇の策略も恐ろしい
 *妻や子孫にまで及ぶ血塗られた運命
 *薄ら寒さを覚えずにいられない
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本史・意外な話』





源氏将軍家”3代で血筋断絶
(ネットより画像引用)
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河野太郎「やる気満々」に期待と不安が

2022年10月28日 | 政治
🌸河野太郎「やる気満々」に期待と不安が

河野太郎氏、各省庁との連携は不十分だが
 ☆デジタル相兼内閣府特命担当相に就任した
 (デジタル改革、消費者及び食品安全担当)
 ☆河野氏やる気満々だ
 *デジタル庁は発足前から事務方トップのデジタル監に関する醜聞
 *国民の猛批判を受け、厚労省は方針見直しに追われる
 *デジジタル庁の混乱は、岸田政権にとっても命取りになる
 ☆首相は、デジタルの力で地方と都市の差を埋める
 *「デジタル田園都市国家構想」を打ち出した
 *基盤となるマイナンバーカード、取得率は対計画で50%以下
 ☆河野氏は職員を
叱りつけ
 *他省庁との交渉には、デジタル庁が持つ強力な権限
 *「勧告権」使ってでも、改革を進めると動き出している

「検討会」設置を首相に直訴し
 ☆河野氏は霞が関に関しても
 *行政手続きでフロッピーディスクなどの利用を指定する
 *法令見直す方針を打ち出した
 ☆今後は、オンライン会議や固定電話の転送などテレワークの推進
 *国会答弁も”オンラインでの答弁”を認めていただくとする
 *具体的な目標を語る
 ☆河野氏にはワンマンとの批判もあるが、彼に責任を集中させる形で
 *動きの鈍い省庁を動かす原動力となっていることはたしかだ
 ☆河野氏は消費者相として、旧統一教会問題でも存在感を見せている
 *河野氏は旧統一教会問題で岸田政権の支持率が急落すると
 *消費者庁に霊感商法などの対策を練る有識者検討会を立ち上げた

河野氏安倍元首相の死で動きやすく
 ☆河野氏の姿勢を官僚も世論も評価している
 *河野氏がこのまま成果を上げれば「ポスト岸田」に浮上する
 ☆岸田政権下で、氏は広報本部長という脇役に就き
 *「河野は終わった」という評価が広がった
 ☆河野氏安倍氏が暗殺され、動きやすくなった
 *河野氏は、岸国政権のビンチを救ってきた
 ☆最近の河野氏は麻生派や、二階派の若手と会合を開いて
 *仲間作りに励んでいるという

 ☆河野氏以前は「わかってくれる奴だけついてくればいい」と語って
 *麻生太郎副総裁の怒りを買ったこともある
 ☆河野氏の変化に
 *麻生氏も河野氏を『2枚目のカード』と認識し始めた
 ☆旧統一教会問題や安倍氏の国葬で
 *岸田政権の支持率がさらに下がれば
 *河野氏の″緊急リリーフ”も現実味を帯びてくる
                     (敬称略)                                     
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河野太郎「やる気満々」に期待と不安が
(『THEMIS10月号』記事より画像引用)
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松代大本営跡他バーチャル旅行

2022年10月28日 | 官僚
🌸松代大本営跡他バーチャル旅行

松代大本営跡
 ☆太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために
 ☆長野県埴科郡松代町などの山中に掘られた地下坑道跡
 ☆現在、象山地下壕が一般公開されている

 ☆松代大本営建設の概要

 *海岸から近く広い関東平野の端にある東京
 *防衛機能が弱いと考えられていた
 *本土決戦を想定し、中枢機能移転計画を進めていた
 *サイパン陥落後、本土爆撃・決戦が現実の問題になった
 *東條内閣最後の閣議で
 *長野松代への皇居、大本営等の施設工事が了承された
 *3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ
 *建物は現在も残っており、一般公開されている
 *関連施設は善光寺平一帯に造られた

真田宝物館
 ☆真田氏の文化財を収蔵する市立の博物館
 ☆近隣には旧真田邸や文武学校がある
 ☆真田宝物館の概要
 *真田家12代当主・真田幸治
 *同家に伝わる大名道具などを町に寄贈した
 *同町を合併し長野市
 *長野県松代高等学校の移転跡を活用し真田宝物館として開館した
 *真田家から譲り受けた収蔵品は、総数は約5万点

文武学校
 ☆江戸時代後期に創設された信濃国松代藩の藩校
 ☆藩校の建物は昭和期まで学校として使用されていた
 ☆日本全国約250藩中の藩校でも
 *建設当時から建造物や藩校敷地がそのまま残っている
 ☆文武学校の歴史
 *第6代藩主真田幸弘のとき、松代藩での藩士の教育が始まる
 *第8代藩主真田幸貫が学舎建設の計画を立てていた
 *幸貫はすでにあった水戸の弘道館を参考にするため調査させた
 *幸貫は東湖からの詳細な返事を経て建設を決意した
 *第9代藩主幸教が遺志を受け継ぎ完成
 *明治6年以降、初等教育の場として昭和40年代まで使われた
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『WIKIPEDIA』





松代大本営跡他バーチャル旅行
(ネットより画像引用)
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