🌸頭脳明晰ながら愚将・慶喜の誤算
☆「徳川慶喜」に君主として足りなかったもの
⛳「徳川慶喜」稀代の歴史主義者
☆困ったときだけ人を頼り、周囲の信頼を失った愚将
☆徳川十五代将軍慶喜は、歴史主義者であった
☆慶喜は御三家の一で、水戸徳川家に誕生した
*九代藩主斉昭の七男として生まれた
*父・斉昭による徹底したスパルタ教育
*慶喜は、将軍家の家族=御三卿一橋家を相続した
☆慶喜12代将軍家慶の後継に推された
*世継ぎである家祥(いえさき)より期待されていた
(家祥は幼少期に重い疱瘡を患っていた)
*将軍家慶は世子の変更をすることなく他界
*13代将軍に家祥改め、家定(いえさだ)が就任した
⛳14代将軍に慶喜を推た一橋派
☆徳川家定の就任に危機感を抱いた老中阿部等一橋派を推す
☆彦根藩主・井伊直弼が大老に任じられ、“南紀派”へ軍配があがる
*家定の死後14代将軍に南紀派が推す家茂就任
☆井伊による“安政の大獄”が断行され、井伊の暗殺された *慶喜は、朝廷や外様大名の力で「将軍後見職」となった
*幕府は、禁門の変から、第一次長州征伐まで慶喜主導で動いた
☆慶喜の二次長州征伐
*戦局は慶喜の予想に反して幕府方の惨敗
*将軍家茂は大坂城で病没する
☆慶喜は終戦にこぎつけ、15代将軍に就任した
*慶喜ほど臣下に嫌われ、誤解された将軍もいなかった
*将軍の家族という不安定な地位
☆慶喜は、家禄も家臣も幕府の借りもので、頼る力を持たされていない
*他国から、慶喜の幕府は一国の政府としては認められない状況
⛳慶喜の誤算
☆将軍慶喜は幕府の軍制と財政の改革=「大綱変革」を断行した
*目指すは、ナポレオン3世のフランス
*必要な600万ドルにのぼる対仏借款を計画
*見返りに、フランスに対日貿易の独占権を与える案
*“旗本八万騎”には、軍事費とその領民を拠出させる
*徹底的にフランス式の近代戦を修得させた
*幕府は活力を取りもどしつつあった
☆慶喜は突然、大政奉還の挙、自ら将軍の座を降りた
*慶喜の明敏な頭脳は、このまま時間が経過して
*新政府が創出されたならば自らがその代表として
*国政のトップに返り咲けるとの計算があった
☆慶喜は、早い決着を求めて鳥羽・伏見の戦いに打って出た
*敗れた慶喜は、あっさりと恭順の意を表して謹慎
☆自らが描いたのとは異なった明治維新を迎える
☆この間、多くの家臣が慶喜の身代わりとなって暗殺された
☆慶喜は将軍の座をおりてからも、46年の長い余生を送った
☆慶喜の行動をを曲りなりにも肯定すると
☆慶喜は、稀代の歴史主義者であったとしか見えない
(敬称略)
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⛳出典、「現代ビジネス」
頭脳明晰ながら愚将・慶喜の誤算
(「現代ビジネス」記事より画像引用)
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