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イスラムの世界化とアジア&日本(2)

2022年02月12日 | 宗教
🌸イスラムの世界化とアジア&日本(2)

アジアのイスラム(日本の死角)
 ☆今日、アジアにおけるイスラム人口
 *約9億人のムスリムが存在している
 *16億人の世界イスラム人口の過半数、アジア地域に生活している
 ☆中国にイスラム教が伝わったのは唐の時代
 *ウィグル自治区を中心に、2600万人のムスリムが存在する

 ☆インドヘのイスラムの侵攻は7世紀末から
 ☆東南アジアには交易を通じてイスラム浸透した
 *13世紀末以降、「商業の時代」を背景に
 *ペルシャやインドのイスラム商人が海を渡つてきた

イスラムに取り囲まれた江戸期のバタヴィア
 ☆江戸期の日本、長崎の出島の主役東インド会社
 ☆東インド会社のアジアでの中核拠点は、ジャワ島のバタヴィア
 *島にもイスラムが浸透していた
 *イスラムに取り囲まれながらバタヴィアは存在した
 *長崎出島に教会はなかったが、バタヴィアには教会が建てられた
 ☆バタヴィアの教会は、十字教会で、カルヴァン派の教会
 ☆ポルトガル・スペインのアジア進出
 *交易と「カトリック宣教」を一体とするものだった
 ☆オランダ人は実利優先で宗教には冷淡であった
 *それが、オランダだけが日本において交易を許された理由
 ☆天草・島原の乱で、原城に立てこもつたキリスト教徒に対して
 *幕府の要請を受けてオランダは陸と海から数百発の砲撃をした
 ☆江戸期にバタヴイアを見た日本人が何人かいる
 *一人は数奇な運命を辿つた「ジヤガタラお春」
 *一人は蘭学者が『南海紀聞』紹介している筑前の漁師孫七

大川周明のイスラム研究
 ☆江戸期にイスラムが日本に上陸することはなかった
 *キリスト教の禁制が同じ中東一神教のイスラムも封殺した
 ☆明治以降も日本におけるイスラム理解は深まらず
 *アジア太平洋戦争期、日本軍の南進により
 *東南アジアが軍政下になり、唐突に「回教徒対策」が浮上した
 ☆日本におけるイスラム研究者で特筆すべき存在が大川周明
 *敗戦後、「梅毒性脳症」によって戦犯から外された後
 *異様な執念でコーランを翻訳した
 ☆大川は『回教概論』において、
 *「回教は宗教に非ず、文化体系の総合」と大川は論じている
 *アラビア半島に生まれたイスラムアジア・日本の命運
 *左右する存在になっていることに大川は気づいていた
                       (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『人間と宗教』








イスラムの世界化とアジア&日本(2)
(ネットより画像引用)

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