🌸イスラムの世界化とアジア&日本(2)
⛳アジアのイスラム(日本の死角)
☆今日、アジアにおけるイスラム人口
☆今日、アジアにおけるイスラム人口
*約9億人のムスリムが存在している
*16億人の世界イスラム人口の過半数、アジア地域に生活している
☆中国にイスラム教が伝わったのは唐の時代
*ウィグル自治区を中心に、2600万人のムスリムが存在する
☆インドヘのイスラムの侵攻は7世紀末から
*ウィグル自治区を中心に、2600万人のムスリムが存在する
☆インドヘのイスラムの侵攻は7世紀末から
☆東南アジアには交易を通じてイスラム浸透した
*13世紀末以降、「商業の時代」を背景に
*ペルシャやインドのイスラム商人が海を渡つてきた
⛳イスラムに取り囲まれた江戸期のバタヴィア
☆江戸期の日本、長崎の出島の主役東インド会社
☆江戸期の日本、長崎の出島の主役東インド会社
☆東インド会社のアジアでの中核拠点は、ジャワ島のバタヴィア
*島にもイスラムが浸透していた
*イスラムに取り囲まれながらバタヴィアは存在した
*長崎出島に教会はなかったが、バタヴィアには教会が建てられた
*長崎出島に教会はなかったが、バタヴィアには教会が建てられた
☆バタヴィアの教会は、十字教会で、カルヴァン派の教会
☆ポルトガル・スペインのアジア進出
☆ポルトガル・スペインのアジア進出
*交易と「カトリック宣教」を一体とするものだった
☆オランダ人は実利優先で宗教には冷淡であった
*それが、オランダだけが日本において交易を許された理由
☆天草・島原の乱で、原城に立てこもつたキリスト教徒に対して
*幕府の要請を受けてオランダは陸と海から数百発の砲撃をした
☆江戸期にバタヴイアを見た日本人が何人かいる
*一人は数奇な運命を辿つた「ジヤガタラお春」
*一人は蘭学者が『南海紀聞』紹介している筑前の漁師孫七
⛳大川周明のイスラム研究
☆江戸期にイスラムが日本に上陸することはなかった
⛳大川周明のイスラム研究
☆江戸期にイスラムが日本に上陸することはなかった
*キリスト教の禁制が同じ中東一神教のイスラムも封殺した
☆明治以降も日本におけるイスラム理解は深まらず
*アジア太平洋戦争期、日本軍の南進により
*東南アジアが軍政下になり、唐突に「回教徒対策」が浮上した
*東南アジアが軍政下になり、唐突に「回教徒対策」が浮上した
☆日本におけるイスラム研究者で特筆すべき存在が大川周明
*敗戦後、「梅毒性脳症」によって戦犯から外された後
*異様な執念でコーランを翻訳した
☆大川は『回教概論』において、
*「回教は宗教に非ず、文化体系の総合」と大川は論じている
*アラビア半島に生まれたイスラムアジア・日本の命運
*アラビア半島に生まれたイスラムアジア・日本の命運
*左右する存在になっていることに大川は気づいていた
(敬称略)
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⛳出典、『人間と宗教』
イスラムの世界化とアジア&日本(2)
(ネットより画像引用)
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