タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

裏山ソロ歩き

2019年12月19日 | 山歩きから
    

ハッキリしない天気ですが、独りで裏山を歩いてきました。

このところ裏山では「2軍歩き」をすることの多いタカ長、今日は歩数をかせぐつもりで大杉集落まで行きました。

    

その軌跡ですが、「行きは良い、良い、帰りは恐い」状態になっていました。

帰りの軌跡が乱れて、直線的になっていた、と言うことです。

    

YAMAPの有料会員になったの新兵器が使えます。

このような、3D画像を見ることが出来るのですが、これで見ると帰りは空を飛んでいました。

    

アップするとこのような感じです。ジャイアントコースを過ぎて、一路出発点を目指して飛んでいるのがタカ長です。

面白い画像ですが、もう少し正確な軌跡が欲しいものです。

    

その大杉集落に向けて、ひたすら歩きました。

写真をチョイ撮りするとき以外は休みなしです。何となくそのほうが性に合っています。

    

荒谷林道もこのような感じです。秋が過ぎて初冬の風情です。

この時期は花もなく、鳥の姿もほとんど見えないので、ただただ歩くだけ、の状態になりました。

    

わが裏山はマイナーな山なので、山の中で登山者に会う機会は少ないのです。

よく言えば静かな山歩きが出来る、と言うことです。それは有難いことですが、、、、

大杉集落に向けて歩きながら、若いころから読んでいる串田孫一などの本のことを思っていました。

そのころ読んだ本の著者は、皆さん静かな山歩きを愛しておられました。そのことを思うと、私たちはとても贅沢な山歩きをしているのではないか、と感じたのです。

その土地その土地の歴史などに触れながら歩く。このような山歩きが出来ることは「最高の贅沢」かも分かりません。

    

    

    

その大杉集落も初冬の雰囲気です。

この時間、雨具の必要はない程度の霧雨でした。

そのようなところを好き勝手に、自分のペースで、独り歩き出来るのですから、確かに、これは贅沢な山歩きと言えそうです。

スマホの歩数計は17600を記録していました。歩数かせぎ、と言ってもこの程度で満足しています。



誰が生徒か先生か

2019年12月18日 | 日々雑感
    

200回目の「ふれやっく」の取材に行きました。

「ふれやっく」と言っても、私たちの団地以外の人にはお分かりいただけませんね。それは、、、、、

そのむかし、「託児所」で育った人たちが行っている「託老所」みたいなもの、と言うと叱られそうですが、そのような雰囲気の「ふれあいいきいきサロン」です。

毎月1回行われています。その活動が200回目を迎えました。そのことを団地新聞の1面トップ記事にするので、取材に出かけたわけです。

ボランティアするもされるも高齢者

タカ長は作者名を知らないのですが、このようなシルバー川柳があります。

本日はボランティアする人とされる人、そして町内会長や副会長もゲストとして参加されたので、総勢42名になりました。

その写真を紹介します。ご覧のように「誰が生徒か先生か」、めだかの学校のようです。

    

    

最初は健康体操です。

「365日の紙ヒコーキ」に合わせて行う体操です。ごらんのように座ったままで行います。

    

    

そのあとは「ボール回し」です。

このボールを、童謡「おさるの籠や」に合わせてまわして行きます。簡単な運動ですが、メロディーと手が合わなくなって、ボールがこぼれることもしばしばです。

    

    

次は「サイコロ転がし」です。

このような、多角形のサイコロを転がし、上になった面に書かれた数字が得点になります。

三角形の面が上になると、そこに書かれた数字の2倍の得点になります。でも、0は2倍になっても0ですね。

タカ長も参加しました。あわや2倍、、、、と思ったら、最後にコロリと転がり、2倍にはなりませんでした。

    

そしてキャンドルです。最初にともされた明かりは、ふれやっくの活動が始まったことを象徴しています。

その明かりが、、、

    

次の人の明かりとなってゆきます。

そして全員のローソンが灯されたら200、、、、となれば良いのですが、今日の参加者は42名なので、その数にはなりませんね。

だから、、、、

    

床に反射している光もいれて、2倍の明かりにしました。

この時間はチョッと雰囲気がありました。

    

これまでの活動の記録写真の一部を見ながら思い出話をしたあとは、、、、

    

    

歌の時間です。立派な歌詞カード、、、、ではなくて、歌本ができていて、それを見ながら歌います。

厚い歌本なので、そこで紹介されている歌を全部歌うことは不可能です。だから、歌本を見ながらリクエストします。



上の写真は歌本の前に、この「我ら人生六十から」を歌っているところです。

この歌詞を「鉄道唱歌」のメロディーで歌う、替え歌です。

    

最後は茶話会です。もちろん、タカ長も参加です。

そのような「ふれやっく」でしたが、集中して取材したら疲れました。

でも、タカ長の本番はこれからです。取材したことをどのような記事にするか???

頭が痛いなぁ、、、、、!

年賀状を書きながら

2019年12月17日 | 日々雑感
昨日の好天がウソのような雨です。

もちろん、裏山はキャンセルです。自宅でのんびりしながら年賀状のあて名を書いています。

    

今年の年賀状はタカカノが撮ったこの写真をメインにして、、、、

      

ハチクマの写真などを配して仕上げました。

と言っても、自分で作成するのですから、どうにでも出来ます。ハチクマの写真があるのは鳥友用で、山友には別のもの、、、

そして親族用も別にデザイン(?)しました。

    

人さまに自慢できるような年賀状ではありませんが、タカ長なりのこだわりはあります。

紹介したことがあるかも分かりませんが、あて名を手書きするのもこだわりのひとつです。

年賀状をパソコンで作成するのですから、あて名もパソコンでしてもよいのでしょうが、それだけは手書きしています。

手書きしている時は、その人のことを思い浮かべることができます。心の中で対話ができます。

しかし、パソコンであて名書きをするとその行程が抜けてしまいます。

それが嫌なので、下手な字ですが手書きしています。

    

今日も手書きしながら、タカ長にはいい友だちがたくさんいることを再認識しました。

ぼんくらタカ長には過ぎた友だち、という人が多いのです。有難いことです。

そのようなことを感じることが出来るのも手書きだから。

印刷した年賀状にパソコンであて名書きしたら、そのような感慨を持つことは出来ません。だから、これはゆずれないのです。

もう一つのこだわりは、年賀状に「ひとことコメント」を書き加えることです。

それが終わってから投函、と言うことになります。

だから、第1回目の投函ももう少し先になります。

早くしないといけませんから、雨の日に、集中して頑張っています。


姫様の忘年会

2019年12月16日 | 山歩きから
12月6日の行った山グループの忘年会、丘の上の歌姫さんとganchanさんをお招きました。

その姫様のブログがどのようなものになるのか、期待しながら待っていたら、やっと公開されました。

先ずはそちらをご覧いただきましょう。ここをクリックして下さい。

当日姫様は忘年会のあと京都へ行く予定でした。そのためザックを担いで、会場までの、最短距離とは言えない、このようなコースを歩いてくるなんて、、、、、、

あの姫様はやんごとなき姫様ではない(?)ようですね。(笑)

次回は籠に乗ってお出かけください。

    

姫様のコメント、多少はリップサービスも含まれているようですが、いいところを見ておられます。

タカ長が自慢のグループをよく見て頂いて感謝です。

    

姫様も地域活動で活躍されているので、タカ長たちのグループがよく見えるのかも分かりません。

このグループの平均年齢も高くなりましたが、相変わらず頑張っています。

タカ長もそれに乗せられて、歳のことは考えないで頑張ることにします。

      

姫様のブログ、遠慮されて(?)小さな画像ばかりなので、1枚だけ貼りつけます。

ステージのセンターで歌う姫様です。ご自分で歌姫と名乗られているのですから、その歌声は?????

そこのところは皆さまの想像におまかせします。

とにかく、楽しい忘年会でした。



展望の山

2019年12月15日 | 山歩きから
昨日、相棒と広島県三原市の白滝山に行きました。

山頂には龍泉寺がある仏の山であり、正真正銘の「展望の山」です。

    

山頂のこの岩に登ると、瀬戸内方面の展望が欲しいままです。

その写真をならべます。

    

    

    

    

前回の折敷畑山のように、あの木を伐ったら展望の山になる、というような展望ではありません。

400メートル級のやまですが、この展望は申し分ありません。

    

    

道中、仏様に迎えられる「仏の山」でもあります。

    

山頂の岩には摩崖仏。

技術的も優しい山なので、次回のファミリー登山の行き先に決めました。

皆で登り、、、、、、

         

この岩に登れば、天下を取ったような気分になれるかも分かりません。

問題はその日の天気、ここで吹かれると「寒い山」になることは間違いありません。

でも、天気の心配をしても仕方ありませんね。

     

広島県三原市は昨年の豪雨災害を受けたところです。

白滝山にもその爪痕が残されていました。しかし、、、、

    

山の上に龍泉寺があるからでしょうか、災害の跡は修復されていました。

その面でも人が集まる山は安心なのかも分かりません。

    

ファミリー登山として登る山には合格ですが、具体的にどのように歩くか、、、、

そのコースが頭の中に出来ているような、、、、もう少し検討したいような、、、、、

何かと気苦労がともなうファミリー登山です。


展望の山?

2019年12月13日 | 山歩きから
     

古戦場の跡として、その名前だけは青春のころから知っている折敷畑山(おしきばたやま)に登りました。

このデータで見るように、小さな山です。

しかし、帰宅したいま、足に疲れが残っているのは、終始厚く積もった落ち葉の上を歩いたからでしょうか?

    

登山道に入ってすぐにこのような展望地があります。

向こうに見えているのが安芸の宮島です。町の中を横切っているのが山陽自動車道です。

なかなかの展望ですが、展望地はここだけで、、、、、

    

それから先はこのようなところを登ります。

かなり深い掘割り道を登るところもあります。

    

何の写真か分からないでしょうが、これはキクラゲを採っているところです。

乾燥していましたが、キクラゲですから山からのお土産になるはずです。

思ったよりきつい登りをこなすと、古戦場の跡に着きます。ここでランチタイムです。

    

    

毛利元就と大内陶氏が戦い、毛利元就が勝利した、というようなことが書かれています。

この前で昼食の準備をしていると、タカ長たちが下山する方向から一組の夫婦が登ってきました。

そこで一緒に昼食。色々話していると、その人は私たちの団地の町内会長のゴルフ友だちであることが分かりました。

さっそく会長にメールしたら、、、、世間は狭いですね、、、、というような返信がありました。

本当にその通りです。その登山者は広島市の東端の町から来られたことを知ると、人の出会いの不思議さを知らされます。

    

その登山者が登って来た方向に下山です。右端に安芸の宮島が見えているのですが、この状態ではよく分かりませんね。

折敷畑山の山頂からの展望もこのような状態で、本当は展望の山とは言えないのですが、、、、、

チョッと木を伐れば、広島市方面や安芸の宮島方面など、最高の展望が期待できる山なのです。

展望台をつくってもらいたいところですが、登山者も少ない山なので、そのような費用を出してくれるところは無いですね。

    

無事に下山して見上げる稜線。名残の紅葉が見えました。

小さな山にしては急傾斜のところもあり、そこに落ち葉が積もっていたので、足にこたえる登山になりました。

しかし、全員事故なく歩くことが出来たので、先ずはメデタシ、メデタシです。

明日は下見登山、相変わらず山つづきのタカ長です。


心拍のゆらぎ

2019年12月12日 | 日々雑感
今日は月1回の検診日でした。

先生の前に座って胸を出すと、チョッと冷たい聴診器。

先生はいつになく長時間、聴診器で心臓の音を聴いておられるようでした。悪い自覚症状は何もないので心配はしていませんでしたが、それにしても長時間心音を聞いておられました。

健診を終えた先生がひと言。
「若いですねぇ。鍛えておられるから、、、、」

先生のお話は次のようなことです。

    

平素は意識しませんが、私たちの心拍はゆらいでいます。息を吸うときは少し早くなり、吐くときは遅くなります。
このゆらぎは10代から20歳くらの時がゆれ幅が大きくなり、その後はゆれ幅小さくなります。

    

このようにゆれていることは、自律神経のバランスがうまく取れているということで、健康の証でもあります。

心臓病や糖尿病になるとこのゆらぎが激減するようです。

もうひとつ加齢によってゆらぎが減少し、高齢者ではゆらぎが感じられない人もいる、と先生がおっしゃっていました。

    

先生がいつもより長いあいだ聴診器をあてておられたのは、タカ長の心拍のゆらぎを診ておられたのです。

その結果、ゆらぎがシッカリと確認できたので、「お若いですねぇ、、、、」と言うことになったわけです。

    

若いか若くないか、その判断は人さまにお任せすることとして、健康と言うことでは自分でも実感しています。

一度ドジをふんで、心臓を修理(?)してもらうことになりましたが、その後はいたって健康だと自認しています。

    

その健康のもとは「山歩き」にあることは間違いありません。そのため、加齢によって脚力が落ちても、とにかく継続するように心がけています。

2軍歩きでもよいから、とにかく継続しよう、、、、、、。

というようなことを考えた、今日の検診でした。

先生のひと言

2019年12月11日 | 日々雑感
吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されることはとても明るいニュースですが、その吉野さんが化学を志すきっかけになったのが「ロウソクの科学」を読んだことだと、吉野さん自身が話されています。

      

吉野さんに「ロウソクの科学」を読むように勧めたのは小学校の先生でした。NHKが昨夜その先生のことを紹介していました。それを見ながら思ったことです。

その内藤先生(現在は津田姓)は吉野さんのノーベル賞受賞を喜んでおられましたが、小学校時代のことは記憶の外に消えているようだと話されていました。

    

唐突ですが、ノーベル賞の受賞と団地の編集長の間には、その業績において「月とスッポン」以上の差があります。登山にたとえたら、裏山歩きとヒマラヤ登山以上の差があります。

そのようなことは言うまでもないことですが、昨夜の放送を見ながら、吉野少年に「ロウソクの科学」を読むことを勧めた内藤先生の、教育者としての目はすごいと思いました。

詳しくは承知していませんが、内藤先生が「ロウソクの科学」を読むことを勧めたのは、クラスの子全員に対してではなく、吉野少年に何かを感じ、そのためあの本を読むように勧めたのだと、タカ長は理解しているのです。

    

似たようなことをタカ長も経験しています。

タカ長が中学生だった頃、国語の先生に作文を褒められました。そのと時ことは鮮明に記憶しています。

下校の時、校庭を歩いているタカ長を呼び止め、「すごい作文を書いたなぁ」と褒められたのです。

その作文は、小学生低学年のころ九州の炭鉱町にいる伯父を、父とともに訪ねた時の想い出を書いた、原稿用紙で10くらいの「大作」(?)でした。

    

タカ長が文章を書くようになった原点は、その先生のひと言にあります。

ゼニになる文章は書けませんが、原稿用紙のマスを埋めるくらいのことは出来る、と言う変な自信(うぬぼれ?)をその時以来持ち続けていることが、団地の編集長を続けている根本になっています。

内藤先生は、吉野少年に「ロウソクの科学」を読むことを勧めたころのことは記憶されていないようでした。同じように、タカ長の作文をほめて下さった先生も、そのようなことがあったことなどとっくに忘れられているはずです。

しかし、先生のひと言で人生が変わった経験を持つ人は全国に五万といるはずです。

    

タカ長のことなどどうでも良いことですが、吉野少年に何かの芽を感じて、「ロウソクの科学」を読むことを勧められた、内藤先生の教育者としての目は本当に、本当にすごいと思います。

そのとき内藤先生は23歳。と言うことは「新米の先生」(?)。それにしてはすごすぎます。

それにしても吉野彰さんなあの笑顔、本当に素敵です。

せめてあの笑顔くらい真似したいのですが、これも一朝一夕には出来ませんね。

燕三条だぁ、、、、

2019年12月10日 | 山歩きから
今日の午後は広報関係の取材(?)を予定していました。

相手は町内の忙しい人です。ところが、裏山から帰ったタカ長は昼食のあとウトウトしてて、その予定を忘れていました。

そうしたら、、、、約束の時間にその人がわが家に乗り込んできて、、、、、、。

でも、そのうっかりが幸いしました。約束を忘れないで、集会所で話しあっていたら、必要な資料をパソコンからパッと取り出すことはできません。

わが家でのミニ編集会議になったため、タカカノや他の友だちも参加出来て、次の広報紙の姿がぼんやりと見えるようになりました。

いま何かをしようとしたら、パソコンは欠かせません。だからと言って、パソコンを持ち歩くのは、いくらノートパソコンであっても億劫になります。

パソコンを持って行ったとしても、集会所にはネット環境が整備されていないため、その場でネット情報を取ることは不可能です。

そのようなことがあって、今の時代、パソコンが無いと何も出来ないことをあらためて痛感した次第です。

うっかりしていたことは褒められることではありませんが、怪我の功名で広報紙づくりの作業が進んだようです。

    

朝の裏山歩き。ご覧のような天気でした。

いつものように、2軍は本隊より歩行距離を短くして、カフェ46でコーヒーの準備です。

    

その準備です。

カフェのマスターが是非に、と言うので、この話題です。

新潟県は燕三条のパール金属の手による、ケトルクッカーです。なかなかの優れモノなので、ブログの記事にしてくれと言う依頼があったのです。

このケトルを何回か使っていますが、使い勝手は良くて、マスターも気に入ったのです。ステンレス製なので、チタンほど軽くはありませんが、だからと言って気になる重さでもありません。

気になるとしたら取っ手の締め付けですが、素手で締めると不安が残るので、コインなどを使っています。プレビューを読むと、蝶ネジに代えて使用している人もいるようです。

ともあれ、安心の日本製です。これからの寒い時期、山で湯を沸かしてコーヒーやラーメンを楽しみたい人にはお勧めのケトルです。

    

これで2000円くらい、私たち裏山歩き派にはこの価格が一番かも分かりません。

このケトルで準備したカフェ46に本隊が到着すると、狭いテーブルはご覧の様態になりました。

    

今日は風も無くて、のんびりと立ち話が出来ます。

つい先日までは裏山をガンガン(?)歩いていた私たちですが、、、、

気がついてみれば、コーヒータイムが欠かせない裏山歩きになっています。

    

健康のために歩いているので、このような軟派な歩き方も歓迎ではないでしょうか?

この歳になって山歩きを継続するためには、目の前にニンジンをぶら下げておかないといけない、と言うことです。

歳はとりたくありませんが、こればかりは嫌でも取ることになるので、継続するための工夫は欠かせませんね。




山火事のあとを

2019年12月09日 | 山歩きから
昨日登った七国見山の話題です。

    

ウォーキングセンターからのコースを登り始めると、山火事あとを登ることになりました。西泊公園の、観音像のそばを登るあたりから、登山道のまわりに焼け焦げた灌木が目立ち始め、その状態はずっと続きます。

    

    

    

しばらく登って行くと、目の前に寺の鐘がありました。
その意味がまわりを見てすぐに理解できました。

ここが西楽寺で、その西楽寺は全焼しており、梵鐘だけが登山道のそばの手すりに掛けるように置かれていたのです。

すぐそばには焼け落ちた瓦がひとまとめにして積まれていました。登山道はその中を伸びています。

    

    

       

そこから登山道は急になります。そこを登って行くと、登山道の両脇に、地上から20㎝くらい出た鉄筋が続いていました。

登山道につくった階段の木の部分が焼けて、それを止めるために打ちこんだ鉄筋だけが残されていたのです。

傾斜は急で、おまけに乾いた砂地です。タカ長の脚力では立った状態で登るのは危険なので、ここは四輪駆動、つまり這って登ることになりました。

つかんだ鉄筋がぐらりと動いて、ヒヤッとしたこともあります。

こんなところで足を滑らしたら、谷に落ちるか、鉄筋に体を打ちつけ、最悪の場合はあの世行きになりかねません。

距離が長くないのが救いですが、事故の可能性は距離の長短では決められません。そのことが七国見山はファミリー登山で登る山ではない、と決断した最大の理由です。

当たり前のことですが、この現場の写真を撮る余裕はありませんし、登山者は一人もいないので、写真を撮ってもそれらしい写真は撮れません。

    

七国見山の山頂の展望台でのんびりとしているとき、若い登山者が登ってきたことは昨日も紹介しました。

彼も「あそこは緊張した」と話していましたから、高齢登山者だけが登りにくいわけではないようです。

    

七国見山に登る人は少ないようで、従って登山道が改修される可能性は少ないはずです。そのためあのコースを登る人は、登山経験者でも嫌な思いをするところがある、と言う心の準備だけはしていた方が良いと思います。

最後の2枚は帰りに撮影した山火事のあとです。
その中のルートを登っていくと、嫌なところがあったから「乞ご注意」という話題でした。