新聞広告を見てワンクリック、この本を買いました。
アジア太平洋大学が別府にあることは承知していますし、そこの学長さんが出口治明氏であることはどこかで聞いた記憶があります。
しかし、出口先生の本を読んだ記憶はありません。
初めて読んでみると、啓発されることが多い本でした。そのひとつです。
僕は、極論ですが「敬老の日」などやめてしまえと思っています。「敬老」という言葉があること自体が「若者が高齢者の面倒をみるのは当たり前だ」という歪んだ考え方につながり、社会を歪めるからです。僕はこの考え方を「ヤング・サポーティング・オールド」と呼んでいます。
自然界をみたときに、若い個体が老いた個体の面倒をみている動物はいるでしょうか。そんな動物はいません。ということは、それは自然界の摂理ではないのです。
言われてみればその通りです。年老いて、巣に横たわっているハチクマのところに、若いハチクマが餌を運んでいるなんて聞いたこともありません。
タカ長はもともと敬老の日が嫌いで、敬老会のようなイベントには1回行っただけです。社会経験のつもりで出かけましたが、平素は好きな幼稚園児から「おじいちゃん、おばあちゃん、、、、、」と挨拶を受けた時はゾッとするような気がしました。
人間1年に一つ歳をとるのは当たり前のことで、その歳が積もり積もって80とか90になっただけで、若い人から敬われる資格が出来るわけではありません。そのように考えているので、敬老会に出席する気になれないのです。
出口先生のように、「敬老の日などやめてしまえ」と考えたことはありませんが、言われてみれば先生の説に納得です。
「ヤング・サポーティング・オールド」の考え方が成立するのは、1人の高齢者を10名の若者が支えていた時代のことです。いまのように一人の若者が一人の高齢者を支える、肩車型の社会ではそのような考え方は通用しません。
先生が書いておられるように、これから目指べきは「オール・サポーティング・オール」、皆が皆を助ける社会なのです。
以上はこの本を読んで気づかされたことの本の一端です。まだまだ勉強させてもらいましたが、その話題は後日にゆずります。
「一番の親孝行は親に楽をさせないこと」と書いておられますが、、、、、
そうしてみると私たちは最高の子どもに恵まれたことになります。
その子どもたちを自慢に思いながら、最後の最後までこのような感じで生きて行けたら、と願っています。