J・F・ケネディ大統領暗殺事件
キャロラインが大使として日本にやって来て、父の命日と重なり合った。
1963年11月22日、テキサス州ダラスで起きたアメリカの悲劇、ケネディ大統領暗殺事件、元海兵隊員、リー・オズワルドの「単独犯行」と当時、断定されたが、それを信じる者は少ない。
なら、暗殺を命じた者は誰か。
本ページの見立ては、その後継を襲ったジョンソン副大統領と彼のバックに存在した軍産企業体、つまり、ベトナム撤退、黒人人権の拡大、民主党政権のリベラル性に眉をひそめていた頑強な保守勢力による陰謀ではなかったか。
犯人とされたオズワルドは逮捕2日後、ダラス警察署内で「義憤にかられた男」に射殺され、口封じされた。よってオズワルドの真偽は永遠に闇に葬られてしまった。
オズワルドはビルの6階から大統領の右斜め後方から狙撃したとされるが、大統領の頭は後ろにのけぞっていることから、前方からの銃撃であったとみるのが当然だ。
さて、ケネディ暗殺の数時間後、地方に出張していたジョンソン副大統領は帰りの機内で、アメリカ修正憲法に則り、米国大統領に就任する宣誓式を行なったのだが、その迅速さは当然というより、ある不自然さを感じたのは、その緊急宣誓式において、何かふしだらな笑みが満ちていたからではなかったか。
そして後日談、
引退したジョンソン大統領は牧場暮らしを始めたのだが、ケネディ暗殺を探るというテレビ番組のクルーが、その牧場で開かれたパーティーに秘かに侵入し、ジョンソン氏に直接インタビューを行なおうと、ケネディの名前を出した途端、それまで上機嫌であったジョンソン氏の身体が震え始め、怒りに狂ったのは、彼にも良心の呵責があったからだろうか。
(じゅうめい)